2013/05/17 記
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市役所の高齢福祉介護課父の移動の始末の件で相談に行っていた。帰りに市社協にビッグイシューを届け、3箇所ペットレスキュー支援紙をクリニックの貼らせてもらう。藤沢税務署にでかけ、相談を受ける。本数の少ない路線バスで、父の特養の近くに向かい、そこから歩く。行き違いで、不足していた印鑑や介護保健証を持ち込むことになっていたからだ。バスの時刻が父との面会を拒んでいた。バスに競歩で乗り込み、辻堂駅へ。
辻堂図書館で書籍更新。茅ヶ崎に出て糖尿病の治療薬を処方してもらうために、主治医の医院へ。買い出しをして家に戻ると浜見平の++さんが目の前に。父の在宅介護していたときに、お手伝いしてくださった母の友人だった。夕食をともにし、食器を洗ってやっと一息をつくと、21時になろうとしていた。うんざりとした気分が私を包んでいた。まるでマラソンである。
切り替えのため、仮眠1時間。
気分を変えて傾聴開始までに、ストレッチ。
懇談型講演会の講師候補選択。>障がい者フォーラム岩手の**さん追加
「訪問看護と介護 2013/03」誌の再チェック。
図書館で借りた「不埒な希望―ホームレス/寄せ場をめぐる社会学」をざっとチェック。メール応答。母が珍しく茶の間から去ったので、PC持ち込み、作業開始。
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深夜の傾聴待機は十年前を頂点にしながら、徐々に固定会員の夜間サポートに変わっていった。今日も%%君の様子を作業をしながら緩やかに見守っている。気を入れれば彼の負担となるからだ。
先日、以前東京の社協の会合で知り合った、命の電話の@@先生からメールが飛び込み、会員専用携帯の番号を伝えた。その後、音声で話し合うことができたのだが、先生のお話は、命の電話の講習を受けて、サポート会員にならないかというお誘いだった。結果からすると、私はここに全力をかけるスタイルは、本来私が願うことを具現する活動形態ではないので、お断りさせていただいたのだが、この夜間傾聴の世界は、公開すれば津波のように、対話を望む方が押しよせる。組織ではない個人が支える運営はむずかしい。またニーズが差別のスティグマから家計困窮の課題まで含むので、神経症を含む心身障がいの青少年の生きづらさへの伴走に的を絞りきれない難がある。加えて私の関心事の社会的弱者の社会参加の協働像が、社会活動としてではなく、個人救済に収束してしまうからだった。正誤というよりスタンスが違うのだ。
作業は教室からの持ち帰り作業だったり、社会活動の準備や、関連読書・ネット探索だったりする。音を絞って狙いの番組を見ていることもある。医療・福祉・教育系と震災関連のドキュメントが大半。ところが今夜(5/18am)は、珍しく「涙の書 ~作曲家タン・ドゥンの世界~」を見ていた。世の中にひしめく生活音や自然音に感覚の断片を感じ取り、織物をつくるように、表現に組み込んで曲をつくる譚盾(タン・ドゥン)の「女書」と家に嫁ぐ女性たちから起こした組曲制作のドキュメント(再放送)だった。2回目なので、ぼんやりと傍らの画面をみていると「涙の書」が始まった。
前回気づかなかったのだが、女書の歌詞を歌う女性たちの記録取材が組曲作りの協力者の取材へと変容し、水辺で洗濯する女性たちの歌声をロックに乗せるという場面があった。違和感があった。伝統的に受け継がれて来た女性の歌が、作曲者の構想に基づいた演出体験をすることで、伝統的な曲相が影響を受ける。私なら記録取材に止め、スタジオで目的に沿って編集するだろう。つまり関わる側が、日々生成し継承される伝統文化に参与するのだ。このことは、音楽に関わる仕事に限らず、カウンセリングの世界でも、リード役をすれば、絆は切れる。解決するのは彼であり、彼が参加する環境との関わりのレスポンスの力だからだ。
p.s. 帰宅時、ポルトに立ち寄り、ビッグイシュー誌配達。
iPhne用アプリに「標高測定機」という無料アプリ発見。震災ボランティア用に使えそうだ。GPS機能から算出。
(校正2回目済み)
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市役所の高齢福祉介護課父の移動の始末の件で相談に行っていた。帰りに市社協にビッグイシューを届け、3箇所ペットレスキュー支援紙をクリニックの貼らせてもらう。藤沢税務署にでかけ、相談を受ける。本数の少ない路線バスで、父の特養の近くに向かい、そこから歩く。行き違いで、不足していた印鑑や介護保健証を持ち込むことになっていたからだ。バスの時刻が父との面会を拒んでいた。バスに競歩で乗り込み、辻堂駅へ。
辻堂図書館で書籍更新。茅ヶ崎に出て糖尿病の治療薬を処方してもらうために、主治医の医院へ。買い出しをして家に戻ると浜見平の++さんが目の前に。父の在宅介護していたときに、お手伝いしてくださった母の友人だった。夕食をともにし、食器を洗ってやっと一息をつくと、21時になろうとしていた。うんざりとした気分が私を包んでいた。まるでマラソンである。
切り替えのため、仮眠1時間。
気分を変えて傾聴開始までに、ストレッチ。
懇談型講演会の講師候補選択。>障がい者フォーラム岩手の**さん追加
「訪問看護と介護 2013/03」誌の再チェック。
図書館で借りた「不埒な希望―ホームレス/寄せ場をめぐる社会学」をざっとチェック。メール応答。母が珍しく茶の間から去ったので、PC持ち込み、作業開始。
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深夜の傾聴待機は十年前を頂点にしながら、徐々に固定会員の夜間サポートに変わっていった。今日も%%君の様子を作業をしながら緩やかに見守っている。気を入れれば彼の負担となるからだ。
先日、以前東京の社協の会合で知り合った、命の電話の@@先生からメールが飛び込み、会員専用携帯の番号を伝えた。その後、音声で話し合うことができたのだが、先生のお話は、命の電話の講習を受けて、サポート会員にならないかというお誘いだった。結果からすると、私はここに全力をかけるスタイルは、本来私が願うことを具現する活動形態ではないので、お断りさせていただいたのだが、この夜間傾聴の世界は、公開すれば津波のように、対話を望む方が押しよせる。組織ではない個人が支える運営はむずかしい。またニーズが差別のスティグマから家計困窮の課題まで含むので、神経症を含む心身障がいの青少年の生きづらさへの伴走に的を絞りきれない難がある。加えて私の関心事の社会的弱者の社会参加の協働像が、社会活動としてではなく、個人救済に収束してしまうからだった。正誤というよりスタンスが違うのだ。
作業は教室からの持ち帰り作業だったり、社会活動の準備や、関連読書・ネット探索だったりする。音を絞って狙いの番組を見ていることもある。医療・福祉・教育系と震災関連のドキュメントが大半。ところが今夜(5/18am)は、珍しく「涙の書 ~作曲家タン・ドゥンの世界~」を見ていた。世の中にひしめく生活音や自然音に感覚の断片を感じ取り、織物をつくるように、表現に組み込んで曲をつくる譚盾(タン・ドゥン)の「女書」と家に嫁ぐ女性たちから起こした組曲制作のドキュメント(再放送)だった。2回目なので、ぼんやりと傍らの画面をみていると「涙の書」が始まった。
前回気づかなかったのだが、女書の歌詞を歌う女性たちの記録取材が組曲作りの協力者の取材へと変容し、水辺で洗濯する女性たちの歌声をロックに乗せるという場面があった。違和感があった。伝統的に受け継がれて来た女性の歌が、作曲者の構想に基づいた演出体験をすることで、伝統的な曲相が影響を受ける。私なら記録取材に止め、スタジオで目的に沿って編集するだろう。つまり関わる側が、日々生成し継承される伝統文化に参与するのだ。このことは、音楽に関わる仕事に限らず、カウンセリングの世界でも、リード役をすれば、絆は切れる。解決するのは彼であり、彼が参加する環境との関わりのレスポンスの力だからだ。
p.s. 帰宅時、ポルトに立ち寄り、ビッグイシュー誌配達。
iPhne用アプリに「標高測定機」という無料アプリ発見。震災ボランティア用に使えそうだ。GPS機能から算出。
(校正2回目済み)