2011/03/28 記
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午前中、茅ヶ崎養護高等部の卒業式があった。私は「United Kennel Club Japan 湘南」に連絡を取って、うまくつながったら面会を求めようと電話をかけていた。
来年度のクラス分担の再調整会議が相模大野校であり、JR相模原の私塾の方で、春期講習の授業代講が入っていた。そんなことがあって、UKC Japan とは、連絡が取れてもすぐに会えるわけではなかった。やっと相模線が橋本まで動き出していたが、計画停電次第で今後も茅ヶ崎<>寒川間運行に変更になってしまう不安定ダイヤだった。
電話は先方が忙しいのだろう、一時的に電話を止めていたのか午前中いっぱいは空振り状態だった。相模大野に着いて、教室から電話して、やっと連絡が取れた。今、現地に犬を保護に出かけているとのこと。私は電話に出た方は理事長さんの親御さんのつもりで話していた(失礼!)が、後で知ったのだが奥さんだった。
とにかく、やたらに協力をするという団体からの話が飛び込んでくるので困惑しており、現地に皆出かけているので、話は帰ってきてからにしてくれないかとのことだった。連絡先の本拠が京都府亀岡市にあるので、土地を寒川に見つけて、ここに本拠の施設を変更して置くという話を聞き、私は地元協力できないかと更に問いかけた。
自分たちが茅ヶ崎の市民活動サポートセンターに所属しており、内容によって藤沢や寒川の市民団体や関連行政とも紹介できるのだが、接点を検討して欲しいと付け加えたが、どうも話が空転するのだった。
私の知人の運営している「Jazzyな犬たち(横浜ドッグレスキュー YDR)」は、今は伊東の一碧湖の近くに転居して活動している。ドッグレスキュー活動は、YDRの北*さんに教わったのだが、既に10余年の大ベテラン、UKC Japan の方々も、もしかしてお互いの連絡網があるかもと、団体名を出してみたが、やはり空転するのだった。どうやら、自前ネットワークで単独展開をされているようだということがわかった。寒川には警察犬訓練所があるので、そこに行けば関連情報が入るかと、明日歩いてみようと決めていた。
このドッグレスキューは災害救援活動としては、直接人命とは関係ないので、いわば傍系支援活動である。初期の人命救援や避難所運営、物資輸送などの救急活動から、避難所生活を中心とした、消息仲介、要望仲介、医療支援、義援金募金、避難先開拓などへ、活動が生活支援にシフトしていく時期、個人の重要所有物探しと同時に、家族の一員として愛されてきたペットの疎開が価値を持ってくる。その生活支援という長期戦への移行期に展開される活動と言っていい。
ドッグレスキューと名乗っているが、愛玩動物(ペット)一般、北*さんは、放置された放牧馬の餓死防止にも活躍されたようで、野良犬化している被災地の犬の保護も行っているので、飼料確保と飼育を含んで大変に忙しかった。
人命救援、生活再建の活動の中では、瓦礫除去作業と併行して行われていく家族の記憶、「位牌・家族写真・遺品」などの収集と、それを当事者に届ける「該当者探し」を、行政の瓦礫撤去作業の一部を手伝う形で行われる活動があるが、これと同等の活動がドッグレスキューとなる。傍系支援活動だが、関係者にとっては大切な活動となる。だから基本は、邪魔にならぬように脇にいながら、ひとのこころの渇きを癒す活動でもある。人命救助と比較した大事さという秤では測れない裏方活動という性質がある。
私は、有珠山噴火災害救援活動のときにも、初めから終わりまで「がんばれ」の応援活動に辟易としていた。当事者は言われなくとも精一杯生きているので、「がんばれ」とか「明るい話題提供」の嵐は、ときに抑圧になってしまう。言いたいこと、頼みたいことも口封じされてしまうような場面もある。「日本人はひとつのチーム」というのは最悪で、家族や活動チームのような運命共同体には、ちっともなっていないのは明らか。立場の差異をふまえてフレンドシップを築くというならまだしも、精神障がいの領域では常識の禁句である。
この一見正しそうな「がんばり」の嵐は、一方で人災の責任を覆い隠す煙幕にすらなってしまう。だからなおさらに、被災者の声に耳を傾け、協力していく具体的な活動が求められるのだが、打ちひしがれた心と生活からの出発であるから、被災者の背後で再建環境の下準備を併行して行うことによって、直接には徐々に被災者への支援を深めていくことになる。
ドッグレスキューは、主に収容所を設置し、動物を預かる形の活動となるが、盲導犬飼育のときの「パピーウォーカー(参照)」のように個人宅で生活再建に道がつくまで「預かる」という、私はそれを「ペットのホームステイ」の活動もありうると思っている。これを話したとき**さんは、ペットはもとの主人を忘れてしまうと指摘されたが、それはそれで殺処分よりはいいし、犬猫は元の飼い主を忘れてしまうほど知能が低くないと考えていると伝えた。ペットの命が救われるということは、忘れられるということ以上に、飼い主にとって重要なことではないかと思う。
このホームステイ活動によって、支援者は災害救援活動の直接の参加者になりうるし、犬などのペットを媒介に、個々の家族が知り合いになるという副産物がある。また、「飼育」は小中学生位までの子にも参加しうる救援活動になるだろう。中高生以上は、現地に行かずともドッグレスキュー活動の補助的な応援に入ることが可能だ。ドッグレスキューなら、学校でも救援活動を作りやすいだろう。そういう被災地後方の支援活動をデザインしていく上で、柔軟な変容の要素を抱えることが出来る。
一度「わーく」編集部主催で「ドッグレスキュー活動紹介」出来ないか、そういうところで、寒川を拠点に活動しようとしているUKC Japanさんと連携を模索しているのだ。地元の緩やかな連携の輪も可能な活動だろう。
傍系支援はあくまでもわき道だ。しかし義援金と物資カンパよりも、一歩被災者に近づいた活動といえる。それを見越せば優れた活動になると思う。
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会議中、私はPCを抱えて、メモをとるフリをしながら、実はUKC Japan を調べていた。上司には内緒といいつつ、隣の上司には完璧にばれていた。ところがびっくりするような記事にであった。これである。
●「組長をカタギに変えた犬
」
●「Glay Taz's SHONAN 神風」
吹きだしてしまった。(失礼!)なるほど、強烈な個性である。UKC Japan に連絡したとき、ネットワーキングのルートが違うなと思っていたが、トラッカーのネットワークではないだろうか。
そういえば有珠山噴火災害支援活動をたちあげたとき、いわゆる市民活動の面々が少なく、ボーイスカウトや、商店会、トラッカーなどの災害支援関連の活動が際立っていた。私は火山灰を学校の授業に配る活動をしていたが、現地の火山灰を送り出してくれたのが、トラッカー無線の雄のような人物だった。こういうダンディズム系の活動の方とは、ことごとく話がずれてしまう苦い体験がトラウマ化していた。どうやらじっくり話す必要があるなと感じていた。是非明日、お邪魔しようと思った。なるほど電話で話した方は、玉那覇 葉音さんだったのかなとと思ったのだった。
●「UKC Japan ドッグレスキュー」
この辺に近況が報告されていた。
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8日の炭谷氏講演会のわずか3日後、このような大きな災害が起きるとは思ってもみなかった。この辺だと平塚に済生会病院があるが、岩手・宮城・福島にも済生会病院は海岸線に沿って有った。済生会理事長である炭谷氏は大変なことになっているのだろうなと思いつつ、「ソーシャルファーム」の講演の意義をまとめていた。しかしタイミングとしてレポート公開する状況ではないなあと思って、ため息をついていた。
エル・ファロを救う会の活動も、生活拠点を丸ごと移転する活動なので、長期戦になる。大変なことだなと思いつつ、火曜日には、配布参加時、茅ヶ崎以外の地域にも通用するチラシを提案しようと考えていた。
しかし、奈良**大有志のMLに参加したものの、いまいち発想が練れていない気がして、まずは自分が中心に協力する義援金先を決めておこうと考えた。前から活動を知っていることもあったが、「あしなが育英会」中心においていこうと考決めた。
●「あしなが育英会」
●「東日本大地震・津波への緊急対応について-あしなが育英会」
とにかく様々な団体の義援金募金だらけなのだ。目的をはっきり絞ったほうがよさそうだと思うようになった。
JR相模原の私塾の方では、気仙沼で家を失った老夫妻が息子の家庭に引き取られた。このとき入院中の身で、転院した祖父が亡くなった。孫にあたる**君が、律儀に授業に出ていた。そんなこともあって、彼と番茶を飲んだ。「あしなが育英会」の募金をしようかと思っていると話した。在日外国人やホームレス被災者はどうしているのだろうと話した。彼はその方向から活動を支援したいが、どうしたらいいかと聞いてきた。駅前までのバスに同乗して、支援法を調べることを約束した。
夜間傾聴:橋本2君(仮名)
(校正2回目済み)
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午前中、茅ヶ崎養護高等部の卒業式があった。私は「United Kennel Club Japan 湘南」に連絡を取って、うまくつながったら面会を求めようと電話をかけていた。
来年度のクラス分担の再調整会議が相模大野校であり、JR相模原の私塾の方で、春期講習の授業代講が入っていた。そんなことがあって、UKC Japan とは、連絡が取れてもすぐに会えるわけではなかった。やっと相模線が橋本まで動き出していたが、計画停電次第で今後も茅ヶ崎<>寒川間運行に変更になってしまう不安定ダイヤだった。
電話は先方が忙しいのだろう、一時的に電話を止めていたのか午前中いっぱいは空振り状態だった。相模大野に着いて、教室から電話して、やっと連絡が取れた。今、現地に犬を保護に出かけているとのこと。私は電話に出た方は理事長さんの親御さんのつもりで話していた(失礼!)が、後で知ったのだが奥さんだった。
とにかく、やたらに協力をするという団体からの話が飛び込んでくるので困惑しており、現地に皆出かけているので、話は帰ってきてからにしてくれないかとのことだった。連絡先の本拠が京都府亀岡市にあるので、土地を寒川に見つけて、ここに本拠の施設を変更して置くという話を聞き、私は地元協力できないかと更に問いかけた。
自分たちが茅ヶ崎の市民活動サポートセンターに所属しており、内容によって藤沢や寒川の市民団体や関連行政とも紹介できるのだが、接点を検討して欲しいと付け加えたが、どうも話が空転するのだった。
私の知人の運営している「Jazzyな犬たち(横浜ドッグレスキュー YDR)」は、今は伊東の一碧湖の近くに転居して活動している。ドッグレスキュー活動は、YDRの北*さんに教わったのだが、既に10余年の大ベテラン、UKC Japan の方々も、もしかしてお互いの連絡網があるかもと、団体名を出してみたが、やはり空転するのだった。どうやら、自前ネットワークで単独展開をされているようだということがわかった。寒川には警察犬訓練所があるので、そこに行けば関連情報が入るかと、明日歩いてみようと決めていた。
このドッグレスキューは災害救援活動としては、直接人命とは関係ないので、いわば傍系支援活動である。初期の人命救援や避難所運営、物資輸送などの救急活動から、避難所生活を中心とした、消息仲介、要望仲介、医療支援、義援金募金、避難先開拓などへ、活動が生活支援にシフトしていく時期、個人の重要所有物探しと同時に、家族の一員として愛されてきたペットの疎開が価値を持ってくる。その生活支援という長期戦への移行期に展開される活動と言っていい。
ドッグレスキューと名乗っているが、愛玩動物(ペット)一般、北*さんは、放置された放牧馬の餓死防止にも活躍されたようで、野良犬化している被災地の犬の保護も行っているので、飼料確保と飼育を含んで大変に忙しかった。
人命救援、生活再建の活動の中では、瓦礫除去作業と併行して行われていく家族の記憶、「位牌・家族写真・遺品」などの収集と、それを当事者に届ける「該当者探し」を、行政の瓦礫撤去作業の一部を手伝う形で行われる活動があるが、これと同等の活動がドッグレスキューとなる。傍系支援活動だが、関係者にとっては大切な活動となる。だから基本は、邪魔にならぬように脇にいながら、ひとのこころの渇きを癒す活動でもある。人命救助と比較した大事さという秤では測れない裏方活動という性質がある。
私は、有珠山噴火災害救援活動のときにも、初めから終わりまで「がんばれ」の応援活動に辟易としていた。当事者は言われなくとも精一杯生きているので、「がんばれ」とか「明るい話題提供」の嵐は、ときに抑圧になってしまう。言いたいこと、頼みたいことも口封じされてしまうような場面もある。「日本人はひとつのチーム」というのは最悪で、家族や活動チームのような運命共同体には、ちっともなっていないのは明らか。立場の差異をふまえてフレンドシップを築くというならまだしも、精神障がいの領域では常識の禁句である。
この一見正しそうな「がんばり」の嵐は、一方で人災の責任を覆い隠す煙幕にすらなってしまう。だからなおさらに、被災者の声に耳を傾け、協力していく具体的な活動が求められるのだが、打ちひしがれた心と生活からの出発であるから、被災者の背後で再建環境の下準備を併行して行うことによって、直接には徐々に被災者への支援を深めていくことになる。
ドッグレスキューは、主に収容所を設置し、動物を預かる形の活動となるが、盲導犬飼育のときの「パピーウォーカー(参照)」のように個人宅で生活再建に道がつくまで「預かる」という、私はそれを「ペットのホームステイ」の活動もありうると思っている。これを話したとき**さんは、ペットはもとの主人を忘れてしまうと指摘されたが、それはそれで殺処分よりはいいし、犬猫は元の飼い主を忘れてしまうほど知能が低くないと考えていると伝えた。ペットの命が救われるということは、忘れられるということ以上に、飼い主にとって重要なことではないかと思う。
このホームステイ活動によって、支援者は災害救援活動の直接の参加者になりうるし、犬などのペットを媒介に、個々の家族が知り合いになるという副産物がある。また、「飼育」は小中学生位までの子にも参加しうる救援活動になるだろう。中高生以上は、現地に行かずともドッグレスキュー活動の補助的な応援に入ることが可能だ。ドッグレスキューなら、学校でも救援活動を作りやすいだろう。そういう被災地後方の支援活動をデザインしていく上で、柔軟な変容の要素を抱えることが出来る。
一度「わーく」編集部主催で「ドッグレスキュー活動紹介」出来ないか、そういうところで、寒川を拠点に活動しようとしているUKC Japanさんと連携を模索しているのだ。地元の緩やかな連携の輪も可能な活動だろう。
傍系支援はあくまでもわき道だ。しかし義援金と物資カンパよりも、一歩被災者に近づいた活動といえる。それを見越せば優れた活動になると思う。
-----
会議中、私はPCを抱えて、メモをとるフリをしながら、実はUKC Japan を調べていた。上司には内緒といいつつ、隣の上司には完璧にばれていた。ところがびっくりするような記事にであった。これである。
●「組長をカタギに変えた犬
」
●「Glay Taz's SHONAN 神風」
吹きだしてしまった。(失礼!)なるほど、強烈な個性である。UKC Japan に連絡したとき、ネットワーキングのルートが違うなと思っていたが、トラッカーのネットワークではないだろうか。
そういえば有珠山噴火災害支援活動をたちあげたとき、いわゆる市民活動の面々が少なく、ボーイスカウトや、商店会、トラッカーなどの災害支援関連の活動が際立っていた。私は火山灰を学校の授業に配る活動をしていたが、現地の火山灰を送り出してくれたのが、トラッカー無線の雄のような人物だった。こういうダンディズム系の活動の方とは、ことごとく話がずれてしまう苦い体験がトラウマ化していた。どうやらじっくり話す必要があるなと感じていた。是非明日、お邪魔しようと思った。なるほど電話で話した方は、玉那覇 葉音さんだったのかなとと思ったのだった。
●「UKC Japan ドッグレスキュー」
この辺に近況が報告されていた。
------
8日の炭谷氏講演会のわずか3日後、このような大きな災害が起きるとは思ってもみなかった。この辺だと平塚に済生会病院があるが、岩手・宮城・福島にも済生会病院は海岸線に沿って有った。済生会理事長である炭谷氏は大変なことになっているのだろうなと思いつつ、「ソーシャルファーム」の講演の意義をまとめていた。しかしタイミングとしてレポート公開する状況ではないなあと思って、ため息をついていた。
エル・ファロを救う会の活動も、生活拠点を丸ごと移転する活動なので、長期戦になる。大変なことだなと思いつつ、火曜日には、配布参加時、茅ヶ崎以外の地域にも通用するチラシを提案しようと考えていた。
しかし、奈良**大有志のMLに参加したものの、いまいち発想が練れていない気がして、まずは自分が中心に協力する義援金先を決めておこうと考えた。前から活動を知っていることもあったが、「あしなが育英会」中心においていこうと考決めた。
●「あしなが育英会」
●「東日本大地震・津波への緊急対応について-あしなが育英会」
とにかく様々な団体の義援金募金だらけなのだ。目的をはっきり絞ったほうがよさそうだと思うようになった。
JR相模原の私塾の方では、気仙沼で家を失った老夫妻が息子の家庭に引き取られた。このとき入院中の身で、転院した祖父が亡くなった。孫にあたる**君が、律儀に授業に出ていた。そんなこともあって、彼と番茶を飲んだ。「あしなが育英会」の募金をしようかと思っていると話した。在日外国人やホームレス被災者はどうしているのだろうと話した。彼はその方向から活動を支援したいが、どうしたらいいかと聞いてきた。駅前までのバスに同乗して、支援法を調べることを約束した。
夜間傾聴:橋本2君(仮名)
(校正2回目済み)