湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネの地域学習活動・就労支援活動の実践試行を書き溜めていきます。

スペアちがさきの講演会に参加してきました

2009-02-28 07:52:54 | 引きこもり
昨日は、軽度発達障害関係の支援者の会「スペアちがさき」の講演会に参加した。「不登校・発達障害についての考え方」と称して、文教大教授・柳生和夫氏が学齢期の子への支援の留意点を教育現場の状況を交えて語った。

私は父の訪問看護士が11時台から13時台に変更されたことで、家族の昼食提供もからんで、大幅に遅刻した。茅ヶ崎駅周辺の会合の場合、14時開始が常にぎりぎり。その前は、全く無理な状態なのだ。小雨も降っていたのでタクシーで飛び込んだ。幸い話はまだ概説の部分だった。しかし、話を聞いているうちに、この方が辻堂で登校支援センター「湘南マザーアース」の代表であり、学習指導のNPO法人「J-ENEP」の理事長をされていることがわかった。カウンセラーの研修講座のような話よりも、むしろこちらの活動紹介を聞きたかった。

教育の矛盾はその枠組みを改革していかないと根本的な解決は得られない。それには何十年もかかる。その間も子どもは教育を受け続けるのだから、その中の問題には療育的な専門家の関わりが必要であり、保護者との連携によって適切な指導が必要なのだ、と、まあ、いつも言われ続けてきたことが語られた。こういい続けて不登校・引きこもり・教育論議は数十年経っている。枠組みの改革は前進したのだろうか。

続けてシュタイナー教育の学齢期の定義が語られる。未成熟な精神の成熟を促す教育的な関わり。世代特性にあわせた長期的な見通しのある教育。ピアジェに代表されるような観察と育成の枠組みが提案され、富士山登頂体験、目的達成への頑張りと達成感を得る挑戦。これもビジネススクールのようだ。子どもは人間関係の中を現在も生きており、教育環境の中に隔離されているかのような形をとって社会に位置づいている。未完成品を完成させ、試運転する論は、不良品を生み出す。そこをどう考えているのだろう。嫌だな…そう感じて、いつも割り込みしている気持ちが萎えてしまった。

いつも軽度発達障害系の団体に感じる本人活動の希薄さ。これは青年期・成人期に入ってさえ、同質の状態が引き継がれている。彼の悩みの医学的な背景ということと同時に、彼の生活の質を考えていくことが必要なのだろうと思う。

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スペアは学齢期のおかあさんの会だ。今回違っていたのは、スーツ姿の学生さんたちが5~6名さんが一列に並んで参加していたからだった。教え子のゼミ生さんらしい。失業者爺さんも嫌だろうけれど、この真っ黒けの雰囲気、教わる側がどう思うだろうか。しかし心理屋の集まりは真っ黒けが多いのだろう。社事大の関係の会に行った時、バス停にならんだ真っ黒け、教員の町のおっさん集団とも違う雰囲気と共に、ユニフォームだぞと思うのだった。

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父は眠ってばかりいる。体調は快調だが、午前2時半、4時、7時半と騒いで落ちる。4時に大音量のTVをつけたのには焦った。隣の家の窓が閉まった。TV音量を下げに飛び込む私、睨みつける父。夜間戦争は、夜間傾聴と併行して続くのだ。今は、まもなく8時。父の朝食を出す。

今日は宇都宮の会合に行く予定だった。母が床上げの品物を買いにいくという。初の遠出とやらで横浜に行くと言い出した。何ヶ月も前に言ってあってもこれである。今回は野次馬なので引き下がった。父の部屋の階段下、玄関先で、季節労働しつつ、門番である。夜に巡回を入れようとメールを出した。これも応答次第だ。隠居生活のような…。

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<<<気になる記事から>>>

●「「派遣切り」の7割、派遣元からも解雇 厚労省まとめ」
●「雇用情勢:派遣先解除、「常用」82%が失職 非正規は15万人--厚労省調査」
●「障害者:解雇370人に 4カ月連続で悪化」
●「内定取り消された大学生や高校生、1574人に」
●「雇用問題:外国人厳しく、4割「現在仕事なし」--大泉町が緊急調査 /群馬」
●「光の色粒 私を照らす/東京」
●「読ませる「福祉」7万部 障害者ら寄稿」
●「発達障害、教育に工夫を」

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夜間傾聴:******君(仮名・こちらから)
     小田急相模原君(仮名)
     相模大野2君(仮名)


(校正2回目済み)
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3・24講演会 寒川町の後援付きました

2009-02-27 06:47:44 | 引きこもり
3/24(火)八木原律子氏講演会に、茅ヶ崎市に続いて、寒川町の後援が着きました。これで寒川町の方にも巡回できます。

父が帰宅し、母との介護当番が再開されていますが、今回は父は比較的に大人しく、問題も起こさなかったようです。ただ着替えをさせてみて、老人性乾燥肌のかゆみが出ていて、これは今夜騒ぐ元かなと思っていたら、午前4時50分、案の定大声を上げて、ベッド柵を蹴飛ばして、派手に落ちました。その後はしばらくごとごとと歩く音がして静まりました。そのまま放置しています。

チラシの増刷を1日の日曜日か、今日の時間の合間を見て行います。

今回の講演会は、「街の中に生きる」という基本路線を提案していきます。

そしてその具体例として「協働ショップ作り」に「地域のプレ就労の場作り」「地域セイフティネット養成」の意味合いを込めます。

特徴は終身雇用先を求めるのではなく、生活と表裏一体となった消費・再生産の地域の場密着型の短期雇用・請負起業型の繰り返しを行う社会参画型の就労システムを、従来の作業所型の就労に併行させること。社会的ニーズを起動力に備えること。地元学生さんの協力による展開パワーのリンクを行うことなど、新ショップ秋開店を見据えて、地域就労の流れを提案していきます。

東京の事例、大学の地域協力、学内の障がい者雇用の取り組みを通じてビジョンを提案してもらいます。

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******君の親御さんと電話で話し合いました。遠いけれど相模線沿線まで、出てきてもらい、会う回数を少し増やすことになりました、結局、海老名かなあと。

家から離れた方が、落着くでしょう。******君、どうかな。

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体調最悪で、風邪薬の副作用か、耳鳴りと乾いた咳き込みで、夜の巡回をやめました。うつしてしまうしね。

季節労働の一日。手抜き料理。玉ねぎを丸ごとチキンスープで50分ほど煮込み、あんかけするだけ。見た目の押しも効くし、味も○。必殺技で逃げる逃げる。

今日は10時から身辺介護居室整備と、訪問看護のダブルヘッダ。採血してもらいます。通院分を端折るためなり。

仮眠取ります。

夜間傾聴:******君(仮名・親御さんと電話も)
     橋本君(仮名)

(校正1回目済み)
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山手線の効用とは/地域ネットワーク会議は転職・離職支援の話で

2009-02-26 10:31:16 | 引きこもり
昨日は、******君に思いとどまらせる意味で、話を部分開示しました。悪いのは偏見の目で彼を傷つけた人です。しかしだからと言って、歯止めの無い反撃をすれば、今度はそのことを持って彼が裁かれることになってしまいます。彼は理由があって家に居ます。それをとやかくいわれる筋合いは無いのです。

時間が夜だったので、彼の怒りに寄り添える近くの人は、ご家族の方しかえられませんでした。夜明けまで彼のはやる気持ちを静めていただき、私は彼のお宅にお邪魔しました。ところが彼は行方不明になっていました。念のために問題のコンビニにも足を運んでみました。大丈夫でした。

彼は私にメールを送ってきました。近所を彷徨ったあと、山手線に乗って冷えるのを待ったのだそうです。私が以前、自由が丘君(仮名)と山手線周回の旅なる珍妙な旅行を試みた話を思い出したのだそうで、彼の住所とは離れている都心をぐるぐるまわっていたとか。昼近くでしたが彼と会い、コーヒーを飲みました。決してこれが解決ではないし、彼もいつまた追い込まれるかもしれません。しかし、冷やそうと考えてくれたこと、これは最高でした。

昨日のドロノワ倶楽部WSは、こうして吹き飛んでしまいましたが、彼は私を失業者爺ぃみたいだと悪態をつくほどに、自分を踏み堪えていました。踏み堪えるのではなくて、関係なくなって欲しいなと思いつつ、ともあれここしばらく、*******君の金魚のうんこを続けます。

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予定がだいぶずれてしまい、午後からの地域ネットワークに配る資料の印刷が会議の始まる間際になってしまいました。サポセンに着いたもののPCは皆さんが使っているので、急遽、PJの関連印刷なので、窓口PCでプリントアウトさせてもらい、コピー。数分遅刻で会場に飛び込んだのでした。

さて、この光の風呼びかけの地域ネットワークは、なんとも寂しい話でした。急に平日のこの時間帯集まりに参加できる方は、関連職の方か、私みたいな時間の自由度の高い珍人種しかいないでしょう。結局、県のKさんやら、市障害福祉課の#さんと話しこんだような展開で終わりました。

秋開店の協働ショップの話や、Kさんのおはこ、精神障がい支援者のネットワーキングや、転職・退職支援によるステップアップ就労支援の興味深い話をうかがって時間切れ。なるほどねえと納得。一生涯仕事に就く職場探しが就労支援なのではないという、支援の前提を問う話は面白いものがありました。

帰りに寒川に出て、ある保育関係者の方に会おうとしたのですが17時を回ってしまい空振り。海老名で巡回する予定が、先方からの日送り希望連絡で流れ、空転重なり、なにやら悲しく、山手線に乗ろうかなと、******君のメールに返事を書いたのでした。相模線は飛田の存在密度が高い路線というわけなのでした。

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今日、父がホームから帰ってきます。父を受け取ってから巡回なのですが、試合再開のような気分。困ったものです。

夜間傾聴:******君(仮名・傾聴ではないですね)
     入谷さん(仮名)
     小田急相模原君(仮名)


(校正2回目済み)
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******君へ(濡れ衣は攻撃の論拠になるのか?)

2009-02-25 09:40:29 | 引きこもり
今日はドロノワ倶楽部wsが朝10時からある。このまま、朝食をとって午前中だけ参加の予定。午後14時から光の風主催の地域ネット会議に参加する。

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******君のフォローに入っていた。コンビニ事件の濡れ衣容疑があってから、彼は店への恨みを蓄積していた。悪いのは店員の偏見の目だ。しかし、そこにだからといって店員への叱責を繰り返しては、そのこと自身営業妨害とか脅迫ということで******君が犯罪者扱いされてしまう。

彼にはいわれの無いことであるのは、勿論のことだが、無実を盾に相手を懲らしめていいことにはならない。殺人被害者家族が殺人者を殺していいことにはならないのとおなじこと。

君の無念は、その深さの程度は違うが、私も分かち合っているつもり。見かけで人を判断する浅はかな人がいるのも事実だ。しかし、それに拳を振り上げても彼は黙るだけ。差別は上塗りされて、やはりあなたは「おかしな人」だということにされてしまう。

君は土俵から出ること、はみ出ることを考えるべきだ。君は被害者という衣をまとっているが、君は被害者という人間ではない。被害者とは相手から枠付けされた姿で、相手がいなかったら君は何者だったのだろう。逆に言えば、あのふたりが貼った姿を君は裏返しで演じているだけではないの?

世間には浅はかな狭い考え方の人がいる。しかしその人も、親から生まれ、自分の生を預かり全うしていく道を歩んでいる。そのことは君と同じだ。ここは他者の道をつぶすことをしないかぎり、その変容可能性を否定されることはない。その権限はお互い持っていないし、いや逆に守るべきことなのだ。

痛みを根拠に相手を裁いてはいけない。痛みを持って、君の中にある悲しみをつぶしてはいけない。それは君自身を虚ろ(からっぽ)にする愚かしいことだからだ。

私も夜間という仕事上、恨みをかうことが多い。隣人にも不可解なひとがいる。その人は決して面と向かって意見をいうことはない。ただ嫌がらせは日々続いている。だからいつ刃が私にむけられてもおかしくはない。私は夜間大声をあげてるのではない。その人は父の宗教への怒りを方向を間違えて私に向けているだけ。ひとは過つもの。しかし変化成長するもの。過ってはならないとはいえない。私もどこかで、沢山の浅はかな人のひとりなのかもしれない。しかし、見かけで人を裁いたことはない。そういうことなのではないのかな。君は誇りをつくった方がいいし、君のことを始めていけば、ひとはどこかで誰かとつながっていく。永久にひとりではないよ。

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とりあえず、今回は******君宛で。

夜間傾聴:******君(仮名・傾聴ではなくなってしまったね。)
     多摩センター君(仮名・こちらから)


(校正2回目済み)

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父をショートステイに送り出し(死に近づくということ)/必要なひとと出会う方法の隘路を

2009-02-24 15:56:23 | 引きこもり
風邪薬を飲む。母も風邪。交代でかかればいいものを世の中、うまくいかないものだ。父に風邪がうつるとホームのショートステイに行けなくなる。被介護者の依存心理は困ったもので、介護者の状態を引き寄せてしまう。介護者に頭痛があれば頭痛を起こす。これは被介護者の観察による無意識の行動だ。これは母子の養育時にも現れる。ひとの認識の基礎にある共感の構造が横たわっている。母の介護時、父は咳を連発し風邪を引いたという。私の介護時は目が痛いと言い出した。父の熱は平熱以下。階段を降りて、父の様子を観察していたが、約半日、咳き込みはない。食欲は過剰といえるほどにある。

ホームからの連絡日誌は、ここ数回読んでいなかったが、読んで憂鬱になる。入浴・着替え・移動・食事のいずれの場面でも、警察を呼べと悪態をついていた。トイレへの危険な一人歩きで、転倒寸前、職員の方ごと転倒していた。ホテルの責任者を出せと、居室内の紛失物騒ぎを起こしていた。色の入った眼鏡、若いときのサングラスを要求していた。それはもともと持参していないし、もう三十年近く前に壊していた。

父の身体の状況が、ここ半月、新たな血栓が跳んだのか、半身麻痺が深まり歩行が極端に不安定になった。睡眠時の失禁が連日始まっていた。じれているのだろうか。家庭と変わらない指示無視が続いていた。介護者への依存と反発、それがささくれだってくる時、身体変調の危機に苛立つ父の表情が見えてくる。

階段に出てくる前につまづいていたから、結果的に降りてくることが減っていたのだった。しかし出てきたときの危険は、なおさらに大きくなっている。明け方、ベランダ側のサッシが軋んで、父が不安定に足を踏み鳴らしているのが聞こえて部屋にあがった。朽ちているベランダは危険なので、サッシに鍵をいくつもかけていた。この鍵を力任せにはずしてしまう腕力が片手に残っていた。今回はそれが開かないので体当たりをしていたのだった。

薄暗闇の中で父に「どうしたのか」ときいた。泥棒がいたと言いだした。始まったなと思った。曾祖母は馬が顔を出したと言った。祖母は親御連れがうずくまっていると言った。そして父が泥棒である。「夢を見たのだよ」と言いくるめて、ソファーに座らせ静まるのを待った。ころあいを見て、ベッドに寝かしつけた。空は日が昇っていた。

2時間後、朝食を持って上がっていくと、父は熟睡していた。今日はこれからホームのショートステイ、2泊3日である。迎えの時間があるので父を起こした。明け方紙パンツを替えていたから、すんなり椅子に移動し食事を始めることができた。言葉が明瞭、応答も良い。命令口調も戻っていた。ただし椅子への移動は身体の向きが大きく曲がり、片足の不調はカバーできていなかった。

階段を降りる途中、背後で父が返事をしていた。誰かが玄関に来たというのだ。「わかった、代わりに出るから」と応答。玄関を開けて覘くが、勿論誰もいない。「セールスだった」と嘘をつく。父は階段に出る扉のところまできていた。冷や汗が出る。

ホームから「預かれない」といわれるのが怖くて、この奇行を伝えておくべきか考えてしまう。曾祖母はこの後、転げるように体調を壊し、持病で逝った。祖母はそのあと約3年、夢と現実を渡り歩いた。101歳だった。祖父は最後まで明晰だった。癌の痛みと戦って逝った。短期だったが、事業に失敗して家庭を壊し失踪していた叔父は、発見されたときアルコール中毒で、移送中の私の背で血を吐いて逝った。その死の影のようなものを私は感じ取ることが出来るようになっていた。

だから父の容態は、似ているがまだ入口でしかないと思われた。死から逆算された生は、コントラストの激しい生だ。ひたひたに潤った生とも違っている宗教的な「意味づけられた生」だ。ここには無為の価値が記されていない。私が守るべき価値は、研ぎ澄まされた生を忘れない無為の生という二律背反を抱え込む生だ。死に接しかつこの狭間に、人の総体としての生がある。

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ホームからの迎えが来たとき、父の片側の足は、全く力が入らなかった。歩行器を取ってしまうと横転してしまう。父から眼鏡を無理に預かった。階段の場面で怪我の元だったからだ。腰をいっそ下ろして、尻を付いて降りたほうがいいような状態。ただこの尻を使う方法は、父が一切協力しないので、今日は前(下)側のサポートを行う私は、父が覆いかぶさるように落ちてくる状態の体重を支えつつ、不安定に振り回す腕を私の肩に誘導する必要があった。この腕が私の顔を殴るように動き、私の眼鏡は吹き飛んで階段下に落ちた。母が昨夜玄関先を掃除して、床にワックスをかけていた。これが歩行の邪魔になった。滑る滑る。迎えの車椅子に乗せるまで、生きた心地がしなかった。父は私の胸ポケットに預かっている眼鏡を奪い去った。足元の不安定さよりも、眼鏡に執着した。私の眼鏡は母が茶の間のテーブルに移していたので、弱視の私は霞んだ視界のまま、父を見送った。汗がにじんだ。

2時には巡回である。出発まであと1時間半。母が入れてくれたお茶を飲んだとき、耳鳴りが再発した。血圧かなあと思う。

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新しく生まれる共同オフィスとショップ。そのお店の応援団ともなる若手の確保をするために、SFCの教官の側からのアプローチは、研究領域から話が伝わりそうな方が2名見つかった。残念なことに著書や活動が現在読めるものが少ないが、つまみ読みでもとにかくしなければ、失礼だろう。ひとりは著書を購入することにした。もうひとりは大学図書館ルートで、著書の取り寄せをしないと無理と分かった。

県立保健福祉大を次に考えている。ただ、横須賀。遠いのだ。

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明学大の八木原先生の講演名が応答が遅れている。仮題として印刷に踏み切ることにした。巡回の帰り、茅ヶ崎サポセンに立ち寄って、印刷する。

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北海道の私の友人の看護士さんから、緑内障のサイトをいくつか紹介してもらっていた。しかし緑内障の症状の中に、私の語る視界下部の明滅は見当たらなかった。御茶ノ水の井上眼科に「神経眼科」の文字があった。現在の眼科を一時休んで、訪ねてみることにした。来週にも、間を見つけて外来にいくつもりだ。

<チェックした紹介書から>

●「緑内障で失明しないために」
●「緑内障と眼の病気」

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******君へ>君の気持ちも分からないではないが、問題を起こしたコンビニに、あえて買い物に行くことは無いだろう。嫌な気持ちを上乗せすることになる。「許せ」。「許さない」という君は彼らに縛られている。怒りはもっと掘り下げてみれば分かるだろう。彼らの向こうに貧相な社会が見えないか。

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父が訪問理髪屋さんのサービスを受けることになって、家に説明しにくるとの話で、巡回指導からの帰り道、一度家に戻って、今朝の書き込み分をアップロードしている。サポセンにもいらしている方だった。


夜間傾聴:******君(仮名)
     小田急相模原君(仮名)

(校正1回目済み)

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風邪をひき耳鳴り居直りSFC関連をうろうろと

2009-02-23 08:03:44 | 引きこもり
風邪をひいた。巡回を昼間にしたものの、先方の親がOKした予定は、本人が大抵納得しない。2人まわって、ひとりは面会できなかった。もうひとりは相手も風邪引き、遠慮なく話したものの、帰りの相模線は、ティッシュペーパーの山で赤鼻のトナカイ状態。周囲の乗客の皆さん、ど顰蹙。

近隣の大学・専門学校の探索を始めている。関連学部のあるSFC(慶応大湘南湘南キャンパス)関連の協力者は得られないものかと、情報収集にうろうろ。ネットワーク関連の方とは何とか接点があるものの、福祉医療関連領域の方とは全くなし。社会的弱者・障がい者の生涯に関心や理解がある方はと宙に網をかけている。

なにしろ、出来上がったものへの招待ではなく、これから生み出すものへの協力者探しだから、途方も無いことをしているのはわかる。しかし、今回の試みが障がい者の地域就労支援の地域参画型のモデルとして意味をなすように膨らませるには、古いコミュニティ・カフェ論では、経営も含んで現状打開が難しいだろう。当事者さんと共に歩みつつ次の扉を開く、押す手のひとつになってくれる人。虫がいいか。わらしべを手に次を悩むところ。

先日武蔵工大で、横国大の認知科学系の方がSFCにいらしていた。領域に無理があるかなと思いつつ、ネットワークの件で、さっそくお話をとモーションをかけている。危ない人と思われているので、無理かなとも。(判断、間違いではないですが…。)

家に戻って、ダウン。夕食は母に任せてと眠ったが、起きたら母も眠っていた。父の階段監視が大丈夫だったのが幸い。冷凍食品で即席に仕上げるのは慣れている。季節労働の書類小包が2つ、玄関にごろり。この時代、紙メディアを使うなんてと思いつつ、私の部屋の隅に押しやった。風邪を長引かせるわけにはいかない。今日は寝るぞと思いつつ、残務。明日の巡回1件日送り。

本田由紀さんの関連ページをうろうろ。接点を持ちつつも、私の活動の主軸を反貧困筋でセットするつもりはない。私の立場からの企画では、大事であるが課題が次へと膨らまず一回完結で、息が短くなるからだ。私に提供された手がかりから、まず手がけなければならないものは、この地域にある。地域就労支援は、今始まっている企画が今後五年単位で引き継いでいくような、地域活動の基盤的な転換作業だからだ。浮かび上がってきている転換の力学は、時代に埋め込まれている。さて。

《要チェック新聞記事》
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●「ネット古書店:精神障害者の雇用を目的に 「浩仁堂」が奮闘--武蔵野/東京」

夜間傾聴:******君(仮名)


(校正2回目済み)

p.s. 放置傘の件、昨日、横浜の市民活動関係者から1件情報あり。メール打診。

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武蔵工大現代GP成果発表会にお邪魔して

2009-02-22 12:02:59 | 引きこもり
昨日は母に来客があるので父は階段を降りてこないだろうということで、昼間一日、武蔵工大の環境情報学部の現代GP発表会にお邪魔してきました。発表者以外は部外者は私ひとり。奇妙なおっさんが割り込んできたとの感あり。

目的はいくつかあった。まず、「わーく」編集部の技術スタッフ確保。情報技術系の街づくり事例から茅ヶ崎協働ショップとの連携の可能性を模索。(都筑区で連携の例あり。)SNS携帯ネットワークの基礎ソフト探し。Webデザイン系の活動見学というところ。横浜の市民活動では、NOTAなどの柔らかなオンライン環境を提供してくれた実績があるので、問題は、社会的弱者特に障がい者との連携活動に接点のある方を発見できるかということと、地理的な遠さ。

パネルの中に、障がい者防災避難訓練の話と、地域グリーン探索の自転車の話があった。携帯オンライン環境のLocoMapが、GPS携帯とGoogleMapの統合環境を提案していた。これらひとつひとつは、直接私の関わる諸活動に関係は無いが、接点は無いかと学生さんに質問をぶつけてみた。自分の行っている研究の「普遍性」ということについて自覚が少なく、都筑区の街づくりというフィールドに特化した語りだった点で未成熟を感じたが、その研究テーマの「面白いところは、どこですか?」という意地悪な問いにさらりと答えていたことは、確かにちょっと面白い発表ではあった。

発表関係者以外の部外者が私ひとりということもあって、教官の方々とも話すことが出来たし、そこで茅ヶ崎市で始まろうとしている試みの意義について、簡単なプレゼンをすることができた。何かのときの協力関係が出来ればいいのだが、とりあえずの接点をつくって来た。教官の皆様、感謝。

「都市計画・街づくり」というと、市民活動には親和性が強いが、これらの活動は「なぜ・いま・ここで」というモチベーションが希薄で、「便利・より良い」が跋扈している。皆が嫌がる視点だが「苦しみ・悲しみ・枯渇して」打開を求める声とか、「諸領域の自主活動の局面」が反映していない。求めるところに研究者の知識と技能が届いていない不満・現場の課題と結びついていない不満は、武蔵工大だけでなく、他の関係学部の場合もまた、いえることだ。

だから着想の緻密化の結果、一度統治の視点(トップダウン)に現場の声は変換脱色されてしまう。その対象がマス化されて、集団の安心とか喜びという束ねから深められない。標準化された公の顔をした個人の表情となり、個の表情が見えない。この矛盾に気付いている研究者はその分不純物を飲み込んだような混沌を、ほつれのように孕ませているものなのだが、それを求めるのは無理だった。

引きこもり青年と語るとき、この「普通」の「明るさ」に押しつぶされて、窒息している者も少なくない。人の生涯の避けがたい人生の凹凸を、マスの最大公約数でのっぺりさせてしまう難。私が無理難題を言っているのだろうか。

ことは情熱の根源に至るのだ。公共と共同行動(マスゲーム?)の酔いが原動力となっている。私の求める、必要とか共鳴とか参画の醸す熱は、点でつながりながらも、微妙にずれていた。

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父が「一日中無事だったか」と私は母に聞く。母の険しい顔。「もう長時間の留守は、やめにしてほしい」と、母が言った。その言葉をわざと受け止めずに、何があったのかをきいた。母の来客が制止を聞かずに、父のところに挨拶をと、階段を上がっていってしまったのだ。父は排便を終えて下半身が裸。絶句して挨拶もそこそこに客は退散してきたという。私たちは日々父と格闘しているから、ふぐりもなにも無頓着、ただ清潔を保つ為に父に文句を言っているだけだ。母の客は勝手に行くのがいけないのだとしても、驚いただろう。しかし、父も父である。客が退散したあと、その格好のままで、何か用件を言いながら階段を降りようとしたらしい。父は着替えないし、階段の危険に懲りない、この辺が変なのだ。

2階に上がっていって、何が起きたかがわかった。ポータブルトイレ周りが便で汚れ、悪臭が立ち込めていたからだった。長時間家を空けることができない。悩ましい事件だった。

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私は帰り道に県立図書館から

●「「ひきこもり」への社会学的アプローチ―メディア・当事者・支援活動」
●「児童虐待を認めない親への対応―リゾリューションズ・アプローチによる家族の再統合」

の2冊を借りてきた。地域図書館が他館貸し出し扱いではなく、県立図書館窓口代行もしてくれると助かるのだが、市と県の差、行政の壁というのだろうか。

夜間傾聴:□□君(仮名・親御さん)
     多摩センター君(仮名・こちらから)


(校正2回目済み)

p.s.母が洗濯物の山の中に、私宛の私信封筒を紛れ込ませてしまった。大事な申請書式が入っており洗ってしまった、焦り。仕事を分担するとこういうことだらけ。母は気が無いのだ。油断できない、頭痛がしている。

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協力してくれそうな大学まわりを開始します

2009-02-21 07:46:20 | 引きこもり
今日は街づくりをしている武蔵工大のシンポに参加してきます。
後日、慶応大(SFC)、湘南工大、神大、東海大を回ります。
福祉系、芸術系。医療系に打診。

p.s.
我が家、全員風邪をひく。耳鳴りの嵐なり。
ただ、父がベッドから出てこないのは幸い。介護、母を拝み倒した。
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寒川町役場に3/24講演会説明を

2009-02-20 10:34:35 | 引きこもり
寒川町役場をまわり、3/24講演会の概略説明のし直しをする。後援申請書書式を受け取った。

今回の講演会は、世界的な不況の影響で製造業関連の受注が激減しているために、立場の弱い非正規雇用者から人材削減することが進んでいる状態で、障がい者雇用忌避や中には解雇が始まっている。清掃業や福祉労働などの一般には敬遠される職種への企業労働配置比重を考慮しても、これだけでは就労の道が厳しい。消費再生産社会の社会的ニーズ、つまり、私生活を支える地域就労をデザインする必要が生まれていること。もうひとつは、障がい者の平均退職年齢は40代なので、退職後の当事者を包み込む人の輪が必要であること。このことから、地域就労・地域起業をもうひとつの就労の道として探っていく必要がある。

一方、典型的な地域就労のコミュニティ・ショップ作りは、当事者さんの利用施設となり、なかなか地域の開放された交流ショップ運営となると資金繰りを含んで運営が難しいこと。これらをどのようにして、質的にもリメイクできるかということ。そう考えると、そこに社会的企業という発想が入ってくる。「社会的ニーズ」に応じて職を得、そのことを通じて社会参画していくこと(ひとの輪の中へ)を実現していく、柔らかな就労ネットワークをつくるかというもうひとつの道を開拓していくことになる。身の丈大から始まり、予算的にも伸縮に自由が利く道を、しっかり育てていく見通しのある企画…。

ここに八木原律子氏の活動紹介が生きてくる。東京を中心とした関連学部の学生さんを活かした地域活動を参考にさせていただく意義は大きいと思う…とまあ、こんな話だ。

茅ヶ崎の障がい者が藤沢に職場をもとめたり、遠方まで出かけている現状からも、寒川町に茅ヶ崎のショップ展開が意味をもつだろうと思う。そこで共同利用のショップ展開の枠組みを考えたい。

このような話、福祉課担当者の方は面食らっていましたが…。

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帰りに寒川図書館に立ち寄ったものの、他館の図書を混ぜてしまうなど、眠気はどうしようもなく、平塚で父のベッドサイドの作業用使い捨てシートを購入。(ここにしか販売していない。)後援申請書の団体印をもらうために、また茅ヶ崎サポセンに。

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昨日は在宅作業の日、だから夕食をゆっくりしていたら、帰宅した家では母が角を出していた。父がまた失禁騒動を起こし、母がひとりで介護に当たっていたからだった。手術のあとの食事コントロールをしている母が介護しなければならない相手は、丼飯をあっという間に食べてしまうつわものという矛盾。しかし、これでは、私の仕事が成り立たなくなってしまう。母と小さな口論。分かりきっていることだが、解決の道が無い。引き分けて、憂鬱が残った。

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●「知的障害や自閉症の人たちのための見てわかるビジネスマナー集」

を入手した。いわゆる一般就労のビジネス研修の障がい者版テキストだが、当事者の求めに応じて書かれたものではなく、就労指導担当者が研修を受けさせる時に使うテキストという具合で、たしかに「空気を読む」のが苦手という自閉症スペクトラムの方や、知的障がいの方が失敗しやすい部分を手厚く描いている。しかし、大前提となる職場人間関係と就労に必要な情報交換の潤滑化とか、働くことで何を得ることが出来るかという「マナー」を超えた枠組みが伝えられないかと思う。この本では役不足。チェックシート的な役割で終わるだろう。がっかり。

夜間傾聴:##君(仮名)
     ******君(仮名)
     入谷さん(仮名)

(校正2回目済み)
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行動のテンポを守ること/夜間傾聴の状態を守ること

2009-02-19 14:28:58 | 引きこもり
寒川を回った後、昨日のNPOサポートちがさきの全体会に飛び込んだ。就労支援関連の巡回は年末年始が入ったこともあって、1ヶ月半ぶりのことだったが、明らかに自分の要領の悪さが浮かんで空転、ずれたまま次に飛び込めば空転が拡がるという悪循環を感じていた。こういうときは、自分の流れを切り替えないと、亀裂が広がる。こういう目に見えない感覚の世界は、ひりひりするような鋭敏さを持った精神障がいの当事者の世界と接している。メンタルなことは、常に綱渡りのようなものだと思う。意識するとなおさらに綱を揺らしてしまうからだ。

全体会で、私の役目は地域就労支援PJの進捗状況を報告し、3/24の会に参加協力を要請することにあった。私は会場担当ではあるが、全体の問い合わせや、申し込みの管理は、サポセンの窓口スタッフの方々がやっている。依頼調整もこの会で行うのだった。

15時から始まった会で大きな流れを確認し、進捗状況を報告すると、駆け足のように、父のデイサービスからの帰宅時間が迫ってくる。16時半までには家にもどらなければならない。ジャスコの前のバス停まで歩いて乗っても16時退席では間に合わない。結局タクシーを使うことになる。自転車訓練を再開しなければと思う。自転車なら15分かからないが、骨折後の右膝は自転車運転後、熱を持ち痛んだ。電動自転車かなとも思う。

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父がホームの送迎車に乗って帰ってくるのが、予定時刻幅が2~30分ある。父は今回17時数分前に戻ってきた。融通の利かない側の片足の調子と、睡眠時の失禁がこの1ヶ月の間に進んだ。階段を上がるとき、悪い方の足がほとんど用を成さないようになり、身体が横転してしまう。半身不随の一歩手前に状態が進行している。階段を手すりを頼りに降りてきてしまうが、このとき悪い方の足がなぜ使えるのかが不思議で、ならなかった。腰の位置に中心を置いた振り子のような足がついたおもちゃがある。ちょっと前進方向に押し出してやると、坂道を左右交互に足を出して歩く、きわめてシンプルな仕掛けだ。身体を前傾したとき、遊び足が重力で前に振り出されるのだろうか。

しかし、何とか階段を降りきっても、今度は上がることができない。父は腕の力で身体を引き寄せるようにして階段を昇っていた。足の力に頼らない、危険な昇り方だった。これも悪い足と同じ側の腕がいっそういう事をきかなくなって、限界に来ていた。だから降りたら上がれないのだった。

今回は父の宗教団体の信者さんがふたり支援にきてくれた。しかし、父に触れていたのはひとり。しかもネクタイ&ロングコートの姿のままだった。必至にまさぐる父の手に応えられる状態ではない。必至になれば屁も出る。悪臭が漂う。

父は3回休みでベッドにたどり着いた。父がカーテンを閉めに立ち上がらないように、早めでもカーテンを閉めてしまう。体調の基礎チェックを視角観察し、父と片言を話してすぐに、私は買い物に出る。食材不足分を近くで買い足して母にバトンタッチして、再び生業のほうの巡回にでる。切り替えはこの車内で行った。切り替えないと、敏感な引きこもり青年たちは、それを察知して心配するからだった。隠すのではない、切り替えなのだ。

こうして、外食して帰宅すると、食事の後始末と父の介護が待っている。ここに限界を感じたら、在宅介護支援サービスを早めにいれるつもりでいる。ただ内容が中途半端なので使わないだけだ。

しかし、てきぱきは表だけ。実際は穴だらけだ。全体会の際、推薦図書として紹介した図書館の本を私は忘れて会場を飛び出してしまった。すぐに気が付いて、受け渡しを確認出来たが、こんなものである。

昨夜はある継続傾聴中の子が、不安定になった。期待すれば裏切られたときの傷も大きい。この方は、ひとを信用しすぎた。相手がいい加減というのではなくて、相手は自分と違う人生を歩んでいることを忘れていた。相手は自分の鏡像ではない。この差異がこの方を傷つけてしまう。私に出来ることは、起きていることの本質をみつめてもらうことをサポートしていくこと。いわゆる先方の流れに任せる傾聴とは違うアプローチだった。鋭敏な方だが十分に回復力のいわば「オーラ」を感じていたからだった。

しかし傾聴は一夜に複数の方が関係することがある。このとき、時間帯をかさねない注意をしているが、気分は不思議と伝染してしまうのだ。プロはきりわけているのだろうか。

今回は季節労働兼業のパワーはなくなっていた。午前4時半ダウン。ストーブの灯油も切れて、一日が終わった。朝、8時には父の朝食がある。9時半から11時半まで仮眠。次の日が始まっていく。

これから、チラシの修正版をサポセンで印刷して、寒川町役場に第二弾を入れに行く。今日は在宅仕事。立教大のシンポと明学大の八木原さん関連の講演会は遠慮させてもらうことにした。

これから出かけるので、ここまで。

夜間傾聴:(記入せず1名)
      ******君(仮名)

(校正1回目済み)

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父の看護と/社会的企業が必要な訳とは

2009-02-18 07:45:22 | 引きこもり
3/24の八木原律子氏講演会のチラシを作っていました。茅ヶ崎市の後援を得たので、行政関係者にも早めに配っておく必要がありました。現在、修正第二版が、PJ関係者の稟議にかかっています。そこを通過したら公開します。

しかし、今までいかに足に頼って巡回してきたかを改めて感じています。父の介護で時間が寸断されて、今回のチラシの配達も、時間の制約のために、従来の半分以下になりそうです。

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一昨日は、チラシ原稿の仕上げもありましたが、午前2時半過ぎに父が階段を降りてきて、制止するためにもつれ合い、2階に押し返したところ、腹痛を訴えて騒ぎになりました。便秘。大騒ぎで父が苦しがるので、訪問看護士さんに電話。容態から浣腸でいいだろうということになり、医療用の浣腸を使うことになったのです。医療用の浣腸は量が多いだけではなく、挿入管が長く、ベッド脇からの作業の腰に無理をかけないで済むようになっています。かかりつけの医師がいたら、グリセリン浣腸を処方してもらっておくと、値段が高いけれど、楽です。

しかし暴れる父を相手にするには、もうひとりが押さえていなければならず、母を緊急招集して、私が抑え役。顔を殴打されて、腕は擦り傷だらけになって、しかも母が、医療用の形に戸惑い、失敗。交代したところ、奇妙なことが…。

父は暴れながら眠っているのです。(そういえば曾祖母の介護のときも、これがありました。)戸惑いながら、ベッド頭側から手を押さえるように指示し、作業が終わったところで、無理に目を覚まさせて排便を促し、結局1時間を超える騒ぎ。摘便後、やっと開通。前にも書きましたが、医療関係者と農学部畜産学科生以外は、男性で、摘便処置経験があるのは少数派だろうと思います。牛馬の場合、肘まで肛門に入ってしまうとか。

夜が明けて、訪問看護士さんが診察。山を超えたことがわかったときには、寝込んでいる母は勿論、私も身体じゅうが脈打ち、在宅介護の重さで、疲労回復法の熟練がなければ、介護者がつぶれています。

ご苦労様と看護士さんから言われたとき、私が過ごしている時間を改めて考えてしまいました。重症者になると、介護者が本業をやめてまで介護に専念しなくてはならなくなるという場合も。母ではないけれど、曾祖母・叔父から始まり、祖父母そして父と20年を超える歳月、母と私は介護をしてきたのです。こういうひとの末路と向かい合いながら、なおかつ、ひどい仕打ちを続けてきた父を、こうして介護している。そういう「自分」という人生の体現者として、ひとの命を支えていく意味とは。湯水のように金銭が流れ去り、生活が縛られていく。愛情だけではない私のアイデンティティの証左をここに見ていたのだと思うのです。人の等価性原理。つまり、ひとを粗末に扱うことは、自分を粗末にすること。この「人」の等価性の中で、私と被介護者がつながっていくのです。

この介護の必要に応じて、私は時間の自由の効く仕事に移ったのでした。私たちは死を待つために生きているのではない。では、それを超える価値を生み出すために生きているにのかと問うこともありました。超越した価値もまた嘘の合理化。遊びに達成目標が無いように、生きるという事象を引き受ける私は、響きあうこと自身の価値の中に流れている。この縁のコアからネットワーキングしていく、社会化の過程に私なるものが発熱している。これが私。不確実性の中に変容可能性を観る。そこに一連の橋をかける働きかけが生きること。

看護士さんの前で、ぼんやりと眉間の闇を彷徨っていたのでした。

「だいじょぶ?ボーっとして…」と看護士さん。
「地です、時々跳びます」と私。

昨日、父は疲れて一日中眠り続けていました。

「殺したいわ」と母。
「(糖尿病だから)うまいもの攻めすれば、合法的に殺せるけど」と私。

----- 父は、そんな会話の棚に乗っているのです。

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3/24の講演会チラシを書きながら、この世界不況が、障がい者就労の枠組みを大きく変化させる契機になるなと、勝手にうなづいていた。この時代を乗り越えるには、福祉的就労の作業所の授産や、効率化の淵に追い詰められている企業就労も、いずれも従来の発想が限界に達している。ここに単純なコミュニティ・ショップを、儲かる仕事の手探り(市場原理の導入・商売をする)から開店させても、消費内需の冷え切っている中、生き延びていくことにはならないし、中途半端な営業は、先行企業に淘汰されてしまうだろう。「社会のニーズ」「公益性」のある仕事を通して社会参画していく、そういう就労の種まきを行うメタ就労を育てていくには、外部の異質な発想との出会いが必要だろうと考えた。

つまり当事者・家族・施設関係者・行政という従来の枠に、「学生」を参加させるということだ。福祉系・医療系・教育系学部生の授業とのタイアップとか、企業との接点という具合に「ずれ」を活かすこと。

例えば八百屋を始めるとしよう。その支援者は、販促活動の枠の中で創意工夫をするのが一般的だろう。ところがそこに小学生が環境保護の学習に、お店調査に来たら、商売体験として手伝ってもいいのだ。「それが親の評判を呼び、売り上げ上昇につながる」と無理やり販促に理屈を結びつけることは無い。営業活動は社会のターミナルなのだ。突然、当事者が農業を兼業し始めてもいいし、学校と青果市場のメッセンジャーをはじめてもいい。それらはさらに新たな視点を引き寄せてくるだろう。ひとがつながり、そこから青果の絵葉書の地元活動がつながるかもしれないし、漢方植物栽培に拡がるかもしれない。歌が飛び込んだり、西瓜割りがはじまってもいい。そういう途方も無さから次の仕事の芽が育つかもしれない。そういう自由さは市民活動の中からの営業だからこそ生まれてくるものだ。

その活動の多様性の中に、自分にフィットする役割が見つかるだろう。

私はそこに「社会のニーズ」という網をかけた。特に消費再生産領域つまり地域にその種を見出すこと。買い物代行、配達業など。いずれも従来の人間関係だけでは、運営人材が足らない。ここに学生が入って「遊んで」欲しいのだ。ホモ・ルーデンスを引っ張り込んで語るまでもないが。

極楽トンボのような話と思うかもしれない。しかし、この野放図な発展可能性を保つことは、社会的企業の成長の保証ともいえるのだ。生計を立てるただそのひとつの可能性に絞るやせた試みを超えて、その実現を社会的企業は拓くだろう。ただそれは社会参画という性質を孕むがゆえに貴重なのだといっていい。

営業活動、販促活動でつながる人間関係は、相手を自分の作戦の掌に乗せることだ。つながっていけば、相手が降りていてもいいではないか。そこから先は、いわずもがなだろう。


夜間傾聴:□□君(仮名)
     ******君(仮名)
     橋本2君(仮名)

(校正2回目済み)

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今、3/24講演会のチラシ案Ver.01を書いています

2009-02-17 05:50:19 | 引きこもり
すみません。要領が悪いので、こちらに集中します。
午後、書き込みます。
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今回は介護泥沼話だけです、関心のある方だけどうぞ

2009-02-16 07:51:53 | 引きこもり
相変わらず目の調子が悪い。特に右目の視野の下部が激しく明滅を続けているのが気になる。眼科も神経内科も大きな病に直結することは考えられないので、「様子見」という。この明滅は両眼にあり、血流が見えているのではないかと思う。両眼とも初めは「飛蚊症」と放置され、このちらつきがひどくなって、別の眼科で「緑内障」「直りません」と片付けられた。右目が特にひどい。視力も落ちている。次は右目失明かと考えるのが大げさなのだろうか。

相模大野の近くに北里大病院がある。職場(?)にも近いので、行ってみようかと考えている。

橋本巡回を済ませた後、横浜の県サポに寄った。用事を済ませて相鉄ジョイナス口のBig Issue 販売員さんを探した。先日といい、よほど相性が合わないのか、また会うことが出来なかった。

地下街で遅い昼食をとろうと歩いていると、母から買物の指示が届き、時間のゆとり無く茅ヶ崎にもどり、ジャスコで買い物。家に戻った。が、母の姿が無かった。昨日と同じ洗濯物バリケードが階段下に積まれていた。私の帰宅時間が分かったので、監視当番を放棄して出かけてしまったのだった。幸い父は眠っていたが、部屋から階段に出る扉が開いており、これが父が階段を降りようとした痕跡だった。

父の主治医に相談したところ、体調が良いと降りてくるのなら、内科ではどうしようもない。夜間、父と家族、双方の対立疲労を解決するために、睡眠導入剤を処方ということで、「いざとなったら、寝かしてしまえ」という情けない話になっていた。私は昨日、夜に、ある会合にでる予定だった。母が帰ってこないと身動きが取れなくなるのだった。

母は「階段を降りない」という、たったひとつの事を、父が非協力どころか破棄しようとしていることに腹をたてていた。私は、父の他者の立場に立つという想像力が極端に落ちていることを感じていたので、責任を問うことをしても意味が無いと思っていた。母は認知に問題があると観察理解しているわけではない。だから余計苛立った。

突然の当番忌避には参った。母は携帯電話を相変わらず持ち歩かないので、連絡が取れない。そうこうしているうちに、父が目覚め、歩行器の音がしたかと思うと突然階段下で茶碗の割れる音がして、父が2階で転倒した。

「夕刊を取りに行くのだ」と、私を払いのけた。片手におやつのときの紅茶カップを持って、利き手をふさいだ状態で階段を降りようとしたのだった。物を持って降りることは、今回初めてのことだった。これほど転倒を繰り返し、階段では命の際の手すりぶら下がり状態を経験していながら、利き手をカップでふさいで階段を降りようとすることが、どれほど危険なことか全く考えていないのだった。

やむなく、巡回中止の連絡を取っていると、母が帰ってきた。ふらり自分の部屋に入ると扉を閉めてしまった。父の「介護で、自分の余生が終わるのは嫌だからね」と怒っている。だからサービスを使い、私が分担しているのだと私がいうが、今回は父もまた異様に偏屈だった。留守の間に何事かあったと気付き、母に問う。父は漏らして濡らした掛け布団を、土台が朽ちたベランダに持ち出し干そうとしていた。母に発見されて口論になり、その後、私の帰りを知って母は家を飛び出したのだった。ベランダは朽ちて床が抜ける寸前であり、サッシの鍵を厳重にかけて、そとに出られないようにしてあった。父はそれを力づくで鍵をもぎ取り、ベランダに出たのだった。これはベランダごと落下する大事故につながるところだったのだ。

私たちが再三説明し、出入りしないように鍵をかけると伝えておいたことが、力づくで無視された。母はそう感じたのだった。ネジ止めとはいえ、相当な執念がなければ、鍵ははずせない。上の鍵をはずすのに、父はソファーに乗って落ちたのだろう。足の親指の爪を割っていた。柔らかなソファーに立つこと自身、危ないと注意を促してきたのだったが。今回はベランダと、階段の双方で問題が起きた。父の身代わりに茶碗が階段を跳んだ。ことが沈静化するのではなく、エスカレートしてきている。

今月は、ケアマネさんに対し、母が「もう介護は嫌だから、ホームに預かって」と苛立ちをぶつけたことがケアマネさんの反発をよび、介護度ゆとり分のショートステイが無くなった。2泊3日が1泊2日に切り詰められていた。二日目の中休みが取れないことで、母は追い詰められていた。

突然、このようなことが続けば、私の仕事の信用もなくしてしまう。少なくとも夜は父に眠ってもらうことにした。処方された薬を使うことにした。

現に午前2時40分。父は尿意で目覚め、ポータブルトイレ前で紙パンツを脱ごうとして転倒、防水シート上に失禁した。尿に濡れた足で部屋を歩き回り、紙パンツを探しているところに私が飛び込んだ。父は下半身裸だった。おむつを受容してくれないために、こうして部屋中が汚れてしまうのだった。

家族だけの介護は、密室にふさがれた、他人からは見えない影の世界になってしまう。ずるずると泥沼に引き寄せられていることを感じるが、もともと介護は核家族では無理な仕事なのだ。地縁・血縁と大家族が支えた時代ではない。男女分業、職場突撃型の時代ではないが、古きよき時代に戻せというのもおかしい。もっとシステマチックな支えの枠組みを背景に、現代のライフスタイルを描かねばならないのだ。

父を着替えさせたその場で、父は紙パンツを下げて、残尿を出した。尿取りパッドははずれ、トイレは拭いたばかりなのに、再び尿に汚れた。罪悪感はひとかけらもなく、へそを出した状態で寝転がってしまった。虚しさがこみ上げてくる。

午前4時50分。父は真っ暗な部屋を照明をつけずに歩き回っていた。午前6時5分、カーテンが開き、数秒後、電話機がころがった音。夜間傾聴中、父は咳払いをしている。私の監視を抜けて階段を降りようと、1階の様子を探っているのだ。まもなく朝食(8時)、9時にはデイサービスの迎えが来る。仮眠時間が、また無くなった。

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3/24講演会のチラシを作っている。今日は夜まで家に居る。食材は通販でそろえた。午後一(13時ごろか)で届く。作業は一日遅れになってしまった。

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入谷さん(仮名)のご家族から中華粥を送っていただいた。本校経由で我が家に。ご心配かけました。母が中華街にいくとき、立ち寄るお店のもの。ここのお粥は、祖母が存命のとき、介護に愛用していたもので、懐かしかった。ただ私たちは贈り物を個人的にいただけないので、ご厚意をいただきます。今回は事情が事情と本校が認めてくれた例外ですので。

耳鳴りがまた始まっている。詰まるような閉塞感はないし、聴力が落ちていない、右側だけ断続的に始まるという奇妙な状態。首のこりが原因かなとも。

夜間傾聴:□□君(仮名)
     小田急相模原君(仮名・こちらから)

(校正2回目済み)

p.s.
●「繁盛商店街の仕掛け人―街に人を呼び込んだ全国成功事例20」

を入手。障がい者参加の事例が無いようだ。チラシが出来たら、チェック予定。以下目次。

第1章 北海道・東北エリア(歩行者天国でのイベント開催と高齢者向けの共同住宅開設で街に活気―帯広市中心部商店街(北海道帯広市)
市が提唱するコンパクトシティ構想の下大型集客施設を開業してにぎわい創出―青森市新町商店街(青森県青森市) ほか)

第2章 関東・中部エリア(日本最強のスタンプ“烏山方式”を普及コミュニティポイントも導入し好循環―烏山駅前通り商店街(東京都世田谷区)
商店街主体の環境・防災対策を全国に波及国会議員としても商業振興策の立案に尽力―早稲田大学周辺商店街(東京都新宿区) ほか)

第3章 近畿エリア(地域の文化を生かした街づくりを先導寄席「天満天神繁昌亭」の誘致に功績―天神橋筋商店街(大阪市北区)
建築家として古い街並みの保存を推進長屋・町家を複合店舗に再生し、回遊性が向上―空堀商店街周辺(大阪市中央区) ほか)

第4章 中国・四国エリア(市と連携して高齢者対策と商業振興を併せた「高齢者にやさしい街づくり」を推進―松江天神町商店街(島根県松江市)
商店街に安全な子どもの遊び場を開設子どもを中心とした地域交流を実現―ソシオ一番街(岡山県津山市) ほか)

第5章 九州エリア(路地裏の古い建物を次々と店舗に再生若手に起業と成功のチャンスを提供―上乃裏通り(熊本県熊本市)
湧き水を利用した「水基巡りの道」を整備観光客が回遊するまでねばり強く継続―阿蘇市一の宮門前町商店街(熊本県阿蘇市) ほか)


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父の元気と家族の拘束/久しぶりに飛び込み相談が/放置傘再販の枠組みは

2009-02-15 08:54:26 | 引きこもり
2月というのに、とにかく暑い一日だった。横国大の季節労働関係者と調整するときの冷たいお茶の美味しかったこと。

母からの携帯電話が入り、これは帰宅かと焦った。とにかく不便なところ。バスで横浜に戻るのにも時間がかかる。案の定、父のことだった。父の宗教団体信者のふたりが、父としばらく話をしていてくれるから、安心と思って寝ていたところ、信者さんたちの手を借りて降りてこようとしたという愚痴だった。しかしわかっていない。「元気だから、頑張れば集会に出てこれるようになる」とか「車椅子があるから、出かけられる」というもの。レギュラーで階段昇降を手伝っている方ではなく、久々にやってきた方とか、普段手伝っていない方がいう常套句なのだった。おしめを受容していない父が便意・尿意を催したらどうするのだろう。特養ホームですら指示を無視して歩き出して転倒を繰り返している父の安全をどう確保するのだろう。

父が目を離せない状態になっているから、**さん(母の応援団)を呼んで茶の間でしゃべっているから、当座は大丈夫だが、早く帰ってきて欲しいというものだった。

県民サポートセンター(県サポ)回りを省略して、平塚に直行。そこで以前、相談を受けていたアスペの方から電話が入り、予定中断。30代後半の方で、仕事の実力がありながら、勿体無い方なのだが、悩みは尽きなかった。結局20分ほど対応。交換電池を使うほどの話だった。そのままでは孤立してしまう。受け皿が無いものかといつも思う。

昼間相談がもちかけられるのは珍しいことだった。私の担当する方は、教務が割り振ったり、昔の知人の塾の特別クラスの関係者ネットワークが仲介した方が100%なので、飛び込みの感じではないからだ。私が複数名のチームを運営しているなら、窓口をつくるだろう。確かに同じ仕事の同僚はふたりいる。しかし担当地域が違ったり、女性担当のパートさんだったりするので、実質は一匹狼ならぬ一匹老猿だからである。カウンセリングからは当事者の横断活動、当事者活動が生まれない。場がないと、お互いが出会わないからだ。10月の共同オフィスへの期待は、そんなことにもある。

彼のケースとよく似たケースを担当していた方と分担できるなら、その方が彼に、より頻繁に会うことが出来るだろうと思い、辻堂に移動。分担を打診。手一杯とのことで、緊急時の代行をお願いしてとりあえず一段落。

夕食の食材と父の介護用作業シートを抱えて帰宅した。階段下には洗濯物が山と積まれていた。母流のバリケードなのだった。

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放置傘のリサイクルの件で、ある高校の先生に会う必要があった。最近小学校筋では、買物バッグへの再生実践がじわりと拡がっている。しかしこれは、路上生活者支援には結びつきにくい。環境リサイクルの線上で行われる企画だろう。梅雨の時期を見計らうと、傘の再販は回収と販売のルートを作る時期になっている。回収のルートをどこから始めるか、再販安全性を高めるために、Big Issue 事務局にもプランを出して、協力をもらいたい。そんなことからも、宙を回る回転を始めなくてはと思う。

ソーシャル・ファームの実践は、ボトムアップというより、トップダウンに企画を降ろしてくる社会政策的な傾向が強い。「社会的弱者の横断連携」と言っても、志向している者には通じても、活動領域の違う方には、連携の必要性が見える活動をしていかないと、通じない世界でもある。それには綿密な仕掛人の相談がいる。踏み切る当事者がいる。

再販保証シールの見通しはなんとか予算が立った。もうひとつは、この活動を社会活動の懐にいかに乗せるかというところを考えていく。貧困を抱えた活動にはその小さな利権をめぐってすら、縄張り的な暴力支配が割り込んでくる。この介入が意味を成さないような枠組みを作る必要がある。光をあてる。影を作らない。これが原則。

路上生活者の方は理由があって就労できない方が多い。なかには多重債務のような方もいる。例えそのような方にも生きる権利はある。生き延び再生していくためには、飛び込みやすさと同時に、理解者とつながる企画がいる。闇を抱えた方だからこそ、路上販売という世界に踏み出す意味は大きい。Big Issue誌販売のように、決意して販売者へと転身する活動は最適だろう。しかし、放置傘再販のように、雨の日の生計稼ぎの必要性を背景に、単発でも路上販売体験をすることは、意味があるだろう。

私は、まずは赤十字の関係者に働きかけようと思っている。その基礎となる販売実践が必要。その支援者の支援の形が見えやすい企画がいる。強引と思われるかもしれないが、若い人たちが動き出せば、この動きは茅ヶ崎の共同ショップにもかならず影響が出る。企画で取り結ぶ連携へと動き出す。路上生活者支援の活動は、路上生活者にくくられた活動ではなく、支援者の活動でもある。それを忘れてはならないのだ。

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<図書館から借りた書籍から>

●「知的しょうがい者がボスになる日―当事者中心の組織・社会を創る」

序章 ピープル・ファースト運動と組織変革(パンジーがめざしたもの;パンジーの実践に対する評価と課題 ほか)
第1章 当事者を中心に据えた組織・社会を創る(当事者活動と当事者参加・参画;スウェーデンにおける当事者活動と当事者参加・参画の実態 ほか)
第2章 当事者が組織を変え、組織運営の主役になった―グルンデン協会からのメッセージ(第1変革期のグルンデン協会;第1変革期のグルンデン協会の検証と評価 ほか)
第3章 グルンデン協会からパンジーへ(スウェーデンに負けてるなあ―2001年、グルンデン協会を視察して;当事者だけの理事会へ向けて―人間として出会う)
第4章 当事者が組織を変え、組織運営の主役になるための試み―パンジーからのメッセージ(「パンジーを変える特別チーム・さわやか」立ち上げ―パンジーからのメッセージ;座談会:2007年6月から2008年3月までを振り返って ほか)
終章 (組織を変えるということ=リーダーになるということ;新しい組織の新しいリーダーになるために ほか)

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夜間傾聴:##君(仮名)
     多摩センター君(仮名・こちらから)

(校正1回目済み)

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春一番/非正規労働者切り 国指針違反 他

2009-02-14 11:52:54 | 引きこもり
母の定期健診に付き添って大学病院まで出かけた。春一番の風が強く、こういう日は交通網が乱れるもの。バス1本早めにと出発するが、傘を持っていくとか、携帯電話を忘れただのと母と波長があわず、結局定時のバスになる。しかも渋滞があって、病院には10分遅刻。

ところが受付に向かう私たちと、予約相手の医師と外来通路ですれ違う。業者と話し込んでいたために、挨拶した私たちを気付かず無視して玄関ホールへ。30分待たされて診察。母は「異常が無いかどうか」「薬の補充」この2点で診察に呼ばれていた。1時間半以上かけてきているのに、これ(数分)で終わりですかというような冗談を母が医師にぶつけた。「じゃあ、採血しましょう」と…、私は高齢者医療に付き合うといつもこの手の拍子抜けのやり取りに、やりきれなさを感じてしまう、まあ母が満足ならいいかと思いつつ診察室を出てきたのだが。

帰りに駅前で、母と遅い昼食を食べて、ここからは大丈夫という母を、ひとりバスに乗せて、私は相模線で寒川に出た。昨日の喫茶「ともだち」のOさんを3/24の講演会やら、共同オフィスやらに誘うためだった。春一番が吹くと、ついでに私もあっさり吹き飛ばされて、収穫なし。

次に父の主治医の医院に立ち寄って、薬の補充をした。いつもは混んでる待合室ががらんと空いて、福祉タクシーで乗り入れ、付き添いがついた車椅子の高齢女性がひとり待っているだけ。これもまた春一番効果だろう。

と、突然携帯電話が鳴った。ホームから「送迎車がすでに我が家の前についているが、誰もいない」という電話だった。約束の時刻よりも40分早い。母は放浪癖があるので、いないのはありえること。しかし、父を放置してはホームの職員も帰れない。

「とにかく、ハプニングが起きるもの」と、捨ててもいいことや、順番を遅らせてもいいことを普段から確認してあるものの、早急に帰宅しなければならず、予定外の時間に慌てた。車椅子女性に謝って、順位を先にしてもらい、受付に事情を説明して、薬だけということで、処方箋を至急書いてもらうことに。ところが医師と話さないと処方箋を切ってはいけないことになっていると、母が薬をもらいにいったときと違う対応を医師がすることに苛立った。ひとが急ぐと、自分が急がされることに反発して意図的に非協力をするのは人の常。やった人間は絶対信用しない。ろくなものではない。が、医師もまた同じとはと。

処方箋を切ってもらう間に、タクシーを呼んだ。処方箋を受け取り、支払いを済ませている最中にタクシーが到着。家に着くと、ホーム職員が父を車に乗せ直して待っていた。約束の時間の10分前だった。

父を受け取ったところで、父が尿意を訴えた。階段を上げる役の宗教団体信者さんに、医院から緊急招集の電話を入れておいたのだが、父は待ったなし状況。ホーム職員さんは、紙パンツをしているから、そのまましても大丈夫だと考えている。甘いのだ。父は紙パンツを下げて立ち小便を始めるに決まっているのだ。案の上、車椅子から立ち上がり、父は庭にころがってしまった。騒動が始まった。

父を再度車椅子に乗せ、玄関をくぐり、「契約に無い仕事だが(頼む)」と拝みこんで、職員さんと私で、腰砕けになった父を、実質担ぎ上げるようにして、2階まで誘導。しかし、ポータブルトイレの前で、タッチアウト。父は腰を抜かしたまま失禁。作業シート上だから被害は最小限に済んだものの、相手が熟練していない職員さんなら、階段途中で事件になっていた。父がおしめを受容してくれないための騒ぎは、今回もまた、憂鬱な形で、おきてしまった。

ホーム職員の方に到着時間の確認をすることも、失禁始末の作業に追われて絶たれ、職員さんは大急ぎで帰ってしまった。すぐにボランティアさんが到着して、追うように母が帰ってきた。事情を説明するが、その私の説明が、父には沽券に関わったか、防衛機銃乱射をするかのように、母に大声で悪態をつき始めた。嵐のような父母の口論の中、排泄ゴミとポータブルトイレのバケツを持って私は階段を降りた。

ボランティアさんに事情を説明しなおして謝った。ふと気付いたら処方箋がない。傘もなかった。タクシーの中に置き忘れてきたのだった。タクシーは習慣で、会社名と車のナンバー、ドライバーの名前、会社の車ナンバーを記憶していたので、これには、すぐに対応できた。

辻堂営業所に忘れ物を取りに行った。母はレストランに携帯電話を忘れていた。どうしようもない疲れ。私は仮眠を忘れていた…。

一度寒川に出たというのに、私はまた辻堂から海老名に向かうことに。介護とは、一日を走り回ることかと改めて思う。ビジネスの約束とは違う、ゆとり幅を持った約束時間が当たり前の世界だ。このクッションのために、隙間をなかなか作れない悩みがある。

私は夜間傾聴を休むことにした。専用電話には日送り依頼メッセージをセットし、緊急電話は私の家庭用携帯にするように指示した。これで安心と、季節労働を済ませて早めに寝ようと、自室の床にころがってノートPCの電源を入れた。記憶はそこで途切れていた。

携帯電話の音で私は目が覚めた。が、携帯を取ったところ、突然過去に骨折した側の足がつる。激痛、涙の会話…旗の台君からの電話だった。時計は午前5時。私がメールに応答しないのでと家庭用携帯に電話をかけてきたのだった。そのままねむらせてくれよと痛みを堪えつつ愚痴をいう。

遅れた季節労働をなんとか区切りまで済ませて7時半、父の朝食を作っていると母が起きてきた。私の睡眠はすさまじい、いびきだったらしい。ただその間に父が階段をまたもや降りてきて、トイレに偶然起きた母が階段途中mp父を発見、部屋に無理矢理戻したという。まるで妄想をみているようだったと母が言う。4時前だったとの話。

朝食を持っていくと、父の部屋は蒸し風呂のよう。もらした紙パンツとパジャマのズボンが部屋の真ん中に放りだされ、ポータブルトイレの周りを囲うように掛け布団が濡れた状態でずり落ちていた。父は濡れた尿取りバッドを腹で押さえつけるようにして、眠っていた。ポータブルトイレの蓋は開き、セコムの非常用スイッチが危うくバケツの中に落ちるような状態で、脱ぎ捨てられていた。

朝早々、戦場状態から一日が始まる。「寝る前に」一日一回注すようにと渡されている私の緑内障の眼圧を下げる薬は、点眼のタイミングを失い、やむなく起きた状態のまま点眼。父の清拭と着替え、食事を済まさせ、ごろりと横にさせた。今日は午後から横国大に行く、季節労働の関係。そこから県サポへ。

引き返して平塚に出て、図書館へ。そこか推進センターで3/24招請状兼チラシ作り作業を進め、食材を買って帰るという予定。(茅ヶ崎サポセンは駅から遠すぎる。)睡眠ばかりは、代わりに寝てくれとはいえない。急がば回れなのだが、時間が小刻みになってしまっていることが悩み。

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<気になる新聞記事から>

●「在宅障害者手当 横浜市全廃、県9割削減」

●「コミュニティービジネス続々 給食で安否確認・地元食材カフェ…」

●「パンはふっくら カンに自立の夢」

●「派遣中途解除の4割、就職先あっせんされず 国指針違反」

●「合同就職面接会:藤沢商議所など、正社員の求人178人発掘--18日 /神奈川」

●「宿泊代:離職者らに支給、ネットカフェもOK 東京・新宿区が1日5000円」

●「野宿者実態先生、知って 不況で身近な問題に 学校現場から発信を 市民団体がセミナー」


夜間傾聴:旗の台君(仮名・逆傾聴風)
     □□君(仮名・親御さん、朝に)

(校正2回目済み)

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