2011/06/25 記
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横浜のペットレスキューの**さんのセンターにお邪魔した。事前に地図ソフトで検索をかけていたが、郵便局先の通りの辺りにセンターが記されており、我ながら融通が効かないなあと恥じているのだが、この通りの向こう側という先入観があって、近所に来ていたのに30分弱、うろうろしてしまった。なんと通りを渡る必要が無い目立つ場所にあって、電話後、すぐ隣からスタッフの方が現れて、びっくりしてしまった。目の前だったのだ。ペットレスキューの事務所というと、ケージを一時置ける駐車場かドッグランがあるという頭があったので、獣医さんと同じように、街角にあるイメージがなかったのだ。
私に時間を割いて下さる限界ぎりぎりに飛び込むという結果になってしまった。**さん、すみませんでした。
**さんは活力のある若い方で、動物愛護の活動のキャリアという印象を受けた。ベテランの切れ味の伊東の北浦さんとも違うタイプだった。私の活動のように境界線を棲息の場とする綱渡りの不安定さの住人の視野には、ふたりともうらやましく映る。その世界に活躍されていることがしっかり伝わってくるからだ。
**さんは、被災地から保護してきた犬や猫の心を落着かせることに力を注ぎ、獣医さんと一時預かりの後方支援者によるお世話のネットワーキングをされていた。また海外体験から、日本のレスキュー活動を比較する視座もお持ちだった。横浜の小学校に活動紹介に出かけられているようだ。
近所に、ケージで一時預かりをしている獣医さん宅の一角のスペースに見学許可をいただき、車に乗せてもらって、保護されている犬猫に会ってきた。私はまずその部屋がきれいに手が入っていることに気がついた。私が入る前に視線を合わせせて直視しないで下さいと指示があった。被災動物は不安定になっており、気持ちを安定にしなければいけない。知らない人間が逃げ場のないケージの中で至近距離までやってくる不安は、本来与えたくない刺激だ。
吠え続ける保護犬に明快な指示を出す。すると吠えるのをぴたりとやめて、指示に従う。指示をだすことで関係を作っていた。しかしまたすぐに吠え出す。そして指示。普段の接している様子を見せていただいた。
高齢の犬も静かに私の背中を眺めていた。
確かに保護されてきた犬猫は、そのまま「新しい飼い主」さんに受け渡せる状態ではなかった。ある日、被災地から突然、犬猫が新しい飼い主さんのところにやってくるというわけではなく、放浪していたり、避難後の御宅に取り残されている犬猫を保護し、その休息所(治療なら動物病院)の日常のお世話に係わりながら、徐々に信頼関係を作りながら、引き取っていくという譲渡の道筋を見せていただいた。
実は私は北浦さんの活動から、10年ほど前にペットレスキューの活動を調べていた。この緩衝帯を経由することで、安定した譲渡が可能になることも知っていた。ただ、実際に地元の獣医さんや一時預かりをしているペット店にそれぞれに出来ているケアのネットワークの様子が全く分からなかった。避難所に自分のペットとともに避難されてきた方が、ペットの預かり所にペットを預け、避難が長期化するにつれて手放さざるをえなくなったり、ペットとの生活を望むために被災した我が家に住み続けている方の孤立に限界が来ている状態が一方で予測される。これは放浪や我が家に取り残された犬猫と、少々違ったケースだろう。
新しい飼い主さんが、被災地から犬猫を受け取るとき、レスキューのネットワークを経由して届けられるが、それを湘南なら湘南で、獣医さんたちと事前連携を作り、一時預かり所の負担を軽減し、被災された方の無念の譲渡を引き受ける道をどうつくるかと考えたとき、地元ネットを作るのは私たちの仕事と思っていた。ケアの手間隙を考えるとき、新しい飼い主さんに立候補する方は、飼育経験のある愛犬家(愛猫家)だろうと思う。その方がどれほど一時預かりの場のケア・ボランティアに力を割けるだろうか。それには数少ないレスキューさんの一時預かり所ではなく、近所の獣医さんたちの通いやすいところを経由 できたら、実現の可能性が高まるだろうと思う。徘徊経験の少ない分、人間不信の程度も少ないのではと考えていた。また放浪していた犬猫は、所有権問題が起き易い。拾得物と同じ扱いを経るのだが、譲渡以降に元の飼い主さんが名乗り出たらどうなるのだろう。その意味で、力量のない現状からの出発は、飼い主さんがはっきりわかっている場合、つまり傍流の犬猫から扱うべきだろう。既存の地元ケア・ネットに合流できるなら、本流の犬猫を扱えるかもしれない。
私の関心は、間接的に復旧を支援するというより、直接の民間交流を育てることにある。その意味では飼い主がはっきりわかっているケースを探りたいのだ。ひとをつなぐペットレスキュー支援活動でありたいのだ。
車で駅前までおくっていただきありがとうございました。お礼を申し上げます。
私はこれから私の言うペットレスキュー支援の種まきの顔合わせを始める。暗雲たちこめていますが、うまく行きますように。
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岩手県の被災地の交通事情がよくわからないが、私の出発日程は、簡単に決まると思っていたJR相模原の塾の方で問題が起きた。講師のひとりの奥さんがまもなくご出産とのこと。授業の担当コマ数が大幅に変動しそうなのだ。問題が出そうな相模大野校の夏期講習はFAXで予定をいただいていたので、大体期間がつかめたのだ。出産の為に有給全部使うとなると、私がそれほどの頻度で相模原に通勤できないだろうと塾長に伝えた。岩手の被災地に出かけたいと、隠さず塾長にぶつけ、彼はうなったままとなった。明日、旦那の方と塾長が調整をしてくれることが決まった。何で仙台ではないのかという塾長の素朴な疑問に、知り合いがいるからと笑って誤魔化した。明日の夜には連絡が来る。
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母の孤食対策もおおよその日程がわかっているので、浜見平の友人親子に「かまってやって」とお願いすることが出来た。一番怖いのは出先ではなく、自宅の風呂場でめまいを起こすことだ。母は血栓が飛ぶ状態ではないが、転倒時の怪我が心配なのだ。わかったと友人の娘さんが了解してくれた。一気に母に話すとへそを曲げるので、徐々に口説くことにした。
**石材という会社の墓地購入斡旋の電話がうるさい。別荘はいらないのだけれどと応答するが、何回もかかって来る。もうひとつが有料老人ホーム入所の件。宝くじ買っているからと応答した。まったくろくでもない。
自家製焼き豚を頂戴した。オンザロックが欲しくなったが、我慢我慢。
被災企業経由サービス受注型支援の大船渡の企画ひとつ出来そうだ。思案中。
夜間傾聴:南橋本君(仮名・古参だが初)
(校正1回目済み)
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横浜のペットレスキューの**さんのセンターにお邪魔した。事前に地図ソフトで検索をかけていたが、郵便局先の通りの辺りにセンターが記されており、我ながら融通が効かないなあと恥じているのだが、この通りの向こう側という先入観があって、近所に来ていたのに30分弱、うろうろしてしまった。なんと通りを渡る必要が無い目立つ場所にあって、電話後、すぐ隣からスタッフの方が現れて、びっくりしてしまった。目の前だったのだ。ペットレスキューの事務所というと、ケージを一時置ける駐車場かドッグランがあるという頭があったので、獣医さんと同じように、街角にあるイメージがなかったのだ。
私に時間を割いて下さる限界ぎりぎりに飛び込むという結果になってしまった。**さん、すみませんでした。
**さんは活力のある若い方で、動物愛護の活動のキャリアという印象を受けた。ベテランの切れ味の伊東の北浦さんとも違うタイプだった。私の活動のように境界線を棲息の場とする綱渡りの不安定さの住人の視野には、ふたりともうらやましく映る。その世界に活躍されていることがしっかり伝わってくるからだ。
**さんは、被災地から保護してきた犬や猫の心を落着かせることに力を注ぎ、獣医さんと一時預かりの後方支援者によるお世話のネットワーキングをされていた。また海外体験から、日本のレスキュー活動を比較する視座もお持ちだった。横浜の小学校に活動紹介に出かけられているようだ。
近所に、ケージで一時預かりをしている獣医さん宅の一角のスペースに見学許可をいただき、車に乗せてもらって、保護されている犬猫に会ってきた。私はまずその部屋がきれいに手が入っていることに気がついた。私が入る前に視線を合わせせて直視しないで下さいと指示があった。被災動物は不安定になっており、気持ちを安定にしなければいけない。知らない人間が逃げ場のないケージの中で至近距離までやってくる不安は、本来与えたくない刺激だ。
吠え続ける保護犬に明快な指示を出す。すると吠えるのをぴたりとやめて、指示に従う。指示をだすことで関係を作っていた。しかしまたすぐに吠え出す。そして指示。普段の接している様子を見せていただいた。
高齢の犬も静かに私の背中を眺めていた。
確かに保護されてきた犬猫は、そのまま「新しい飼い主」さんに受け渡せる状態ではなかった。ある日、被災地から突然、犬猫が新しい飼い主さんのところにやってくるというわけではなく、放浪していたり、避難後の御宅に取り残されている犬猫を保護し、その休息所(治療なら動物病院)の日常のお世話に係わりながら、徐々に信頼関係を作りながら、引き取っていくという譲渡の道筋を見せていただいた。
実は私は北浦さんの活動から、10年ほど前にペットレスキューの活動を調べていた。この緩衝帯を経由することで、安定した譲渡が可能になることも知っていた。ただ、実際に地元の獣医さんや一時預かりをしているペット店にそれぞれに出来ているケアのネットワークの様子が全く分からなかった。避難所に自分のペットとともに避難されてきた方が、ペットの預かり所にペットを預け、避難が長期化するにつれて手放さざるをえなくなったり、ペットとの生活を望むために被災した我が家に住み続けている方の孤立に限界が来ている状態が一方で予測される。これは放浪や我が家に取り残された犬猫と、少々違ったケースだろう。
新しい飼い主さんが、被災地から犬猫を受け取るとき、レスキューのネットワークを経由して届けられるが、それを湘南なら湘南で、獣医さんたちと事前連携を作り、一時預かり所の負担を軽減し、被災された方の無念の譲渡を引き受ける道をどうつくるかと考えたとき、地元ネットを作るのは私たちの仕事と思っていた。ケアの手間隙を考えるとき、新しい飼い主さんに立候補する方は、飼育経験のある愛犬家(愛猫家)だろうと思う。その方がどれほど一時預かりの場のケア・ボランティアに力を割けるだろうか。それには数少ないレスキューさんの一時預かり所ではなく、近所の獣医さんたちの通いやすいところを経由 できたら、実現の可能性が高まるだろうと思う。徘徊経験の少ない分、人間不信の程度も少ないのではと考えていた。また放浪していた犬猫は、所有権問題が起き易い。拾得物と同じ扱いを経るのだが、譲渡以降に元の飼い主さんが名乗り出たらどうなるのだろう。その意味で、力量のない現状からの出発は、飼い主さんがはっきりわかっている場合、つまり傍流の犬猫から扱うべきだろう。既存の地元ケア・ネットに合流できるなら、本流の犬猫を扱えるかもしれない。
私の関心は、間接的に復旧を支援するというより、直接の民間交流を育てることにある。その意味では飼い主がはっきりわかっているケースを探りたいのだ。ひとをつなぐペットレスキュー支援活動でありたいのだ。
車で駅前までおくっていただきありがとうございました。お礼を申し上げます。
私はこれから私の言うペットレスキュー支援の種まきの顔合わせを始める。暗雲たちこめていますが、うまく行きますように。
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岩手県の被災地の交通事情がよくわからないが、私の出発日程は、簡単に決まると思っていたJR相模原の塾の方で問題が起きた。講師のひとりの奥さんがまもなくご出産とのこと。授業の担当コマ数が大幅に変動しそうなのだ。問題が出そうな相模大野校の夏期講習はFAXで予定をいただいていたので、大体期間がつかめたのだ。出産の為に有給全部使うとなると、私がそれほどの頻度で相模原に通勤できないだろうと塾長に伝えた。岩手の被災地に出かけたいと、隠さず塾長にぶつけ、彼はうなったままとなった。明日、旦那の方と塾長が調整をしてくれることが決まった。何で仙台ではないのかという塾長の素朴な疑問に、知り合いがいるからと笑って誤魔化した。明日の夜には連絡が来る。
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母の孤食対策もおおよその日程がわかっているので、浜見平の友人親子に「かまってやって」とお願いすることが出来た。一番怖いのは出先ではなく、自宅の風呂場でめまいを起こすことだ。母は血栓が飛ぶ状態ではないが、転倒時の怪我が心配なのだ。わかったと友人の娘さんが了解してくれた。一気に母に話すとへそを曲げるので、徐々に口説くことにした。
**石材という会社の墓地購入斡旋の電話がうるさい。別荘はいらないのだけれどと応答するが、何回もかかって来る。もうひとつが有料老人ホーム入所の件。宝くじ買っているからと応答した。まったくろくでもない。
自家製焼き豚を頂戴した。オンザロックが欲しくなったが、我慢我慢。
被災企業経由サービス受注型支援の大船渡の企画ひとつ出来そうだ。思案中。
夜間傾聴:南橋本君(仮名・古参だが初)
(校正1回目済み)