湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネの地域学習活動・就労支援活動の実践試行を書き溜めていきます。

6/25 ペットレスキューの一時預かり所のケア・ボランティアと譲渡

2011-06-30 04:58:57 | 引きこもり
2011/06/25 記
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横浜のペットレスキューの**さんのセンターにお邪魔した。事前に地図ソフトで検索をかけていたが、郵便局先の通りの辺りにセンターが記されており、我ながら融通が効かないなあと恥じているのだが、この通りの向こう側という先入観があって、近所に来ていたのに30分弱、うろうろしてしまった。なんと通りを渡る必要が無い目立つ場所にあって、電話後、すぐ隣からスタッフの方が現れて、びっくりしてしまった。目の前だったのだ。ペットレスキューの事務所というと、ケージを一時置ける駐車場かドッグランがあるという頭があったので、獣医さんと同じように、街角にあるイメージがなかったのだ。

私に時間を割いて下さる限界ぎりぎりに飛び込むという結果になってしまった。**さん、すみませんでした。

**さんは活力のある若い方で、動物愛護の活動のキャリアという印象を受けた。ベテランの切れ味の伊東の北浦さんとも違うタイプだった。私の活動のように境界線を棲息の場とする綱渡りの不安定さの住人の視野には、ふたりともうらやましく映る。その世界に活躍されていることがしっかり伝わってくるからだ。

**さんは、被災地から保護してきた犬や猫の心を落着かせることに力を注ぎ、獣医さんと一時預かりの後方支援者によるお世話のネットワーキングをされていた。また海外体験から、日本のレスキュー活動を比較する視座もお持ちだった。横浜の小学校に活動紹介に出かけられているようだ。

近所に、ケージで一時預かりをしている獣医さん宅の一角のスペースに見学許可をいただき、車に乗せてもらって、保護されている犬猫に会ってきた。私はまずその部屋がきれいに手が入っていることに気がついた。私が入る前に視線を合わせせて直視しないで下さいと指示があった。被災動物は不安定になっており、気持ちを安定にしなければいけない。知らない人間が逃げ場のないケージの中で至近距離までやってくる不安は、本来与えたくない刺激だ。

吠え続ける保護犬に明快な指示を出す。すると吠えるのをぴたりとやめて、指示に従う。指示をだすことで関係を作っていた。しかしまたすぐに吠え出す。そして指示。普段の接している様子を見せていただいた。

高齢の犬も静かに私の背中を眺めていた。

確かに保護されてきた犬猫は、そのまま「新しい飼い主」さんに受け渡せる状態ではなかった。ある日、被災地から突然、犬猫が新しい飼い主さんのところにやってくるというわけではなく、放浪していたり、避難後の御宅に取り残されている犬猫を保護し、その休息所(治療なら動物病院)の日常のお世話に係わりながら、徐々に信頼関係を作りながら、引き取っていくという譲渡の道筋を見せていただいた。

実は私は北浦さんの活動から、10年ほど前にペットレスキューの活動を調べていた。この緩衝帯を経由することで、安定した譲渡が可能になることも知っていた。ただ、実際に地元の獣医さんや一時預かりをしているペット店にそれぞれに出来ているケアのネットワークの様子が全く分からなかった。避難所に自分のペットとともに避難されてきた方が、ペットの預かり所にペットを預け、避難が長期化するにつれて手放さざるをえなくなったり、ペットとの生活を望むために被災した我が家に住み続けている方の孤立に限界が来ている状態が一方で予測される。これは放浪や我が家に取り残された犬猫と、少々違ったケースだろう。

新しい飼い主さんが、被災地から犬猫を受け取るとき、レスキューのネットワークを経由して届けられるが、それを湘南なら湘南で、獣医さんたちと事前連携を作り、一時預かり所の負担を軽減し、被災された方の無念の譲渡を引き受ける道をどうつくるかと考えたとき、地元ネットを作るのは私たちの仕事と思っていた。ケアの手間隙を考えるとき、新しい飼い主さんに立候補する方は、飼育経験のある愛犬家(愛猫家)だろうと思う。その方がどれほど一時預かりの場のケア・ボランティアに力を割けるだろうか。それには数少ないレスキューさんの一時預かり所ではなく、近所の獣医さんたちの通いやすいところを経由 できたら、実現の可能性が高まるだろうと思う。徘徊経験の少ない分、人間不信の程度も少ないのではと考えていた。また放浪していた犬猫は、所有権問題が起き易い。拾得物と同じ扱いを経るのだが、譲渡以降に元の飼い主さんが名乗り出たらどうなるのだろう。その意味で、力量のない現状からの出発は、飼い主さんがはっきりわかっている場合、つまり傍流の犬猫から扱うべきだろう。既存の地元ケア・ネットに合流できるなら、本流の犬猫を扱えるかもしれない。

私の関心は、間接的に復旧を支援するというより、直接の民間交流を育てることにある。その意味では飼い主がはっきりわかっているケースを探りたいのだ。ひとをつなぐペットレスキュー支援活動でありたいのだ。

車で駅前までおくっていただきありがとうございました。お礼を申し上げます。
私はこれから私の言うペットレスキュー支援の種まきの顔合わせを始める。暗雲たちこめていますが、うまく行きますように。

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岩手県の被災地の交通事情がよくわからないが、私の出発日程は、簡単に決まると思っていたJR相模原の塾の方で問題が起きた。講師のひとりの奥さんがまもなくご出産とのこと。授業の担当コマ数が大幅に変動しそうなのだ。問題が出そうな相模大野校の夏期講習はFAXで予定をいただいていたので、大体期間がつかめたのだ。出産の為に有給全部使うとなると、私がそれほどの頻度で相模原に通勤できないだろうと塾長に伝えた。岩手の被災地に出かけたいと、隠さず塾長にぶつけ、彼はうなったままとなった。明日、旦那の方と塾長が調整をしてくれることが決まった。何で仙台ではないのかという塾長の素朴な疑問に、知り合いがいるからと笑って誤魔化した。明日の夜には連絡が来る。

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母の孤食対策もおおよその日程がわかっているので、浜見平の友人親子に「かまってやって」とお願いすることが出来た。一番怖いのは出先ではなく、自宅の風呂場でめまいを起こすことだ。母は血栓が飛ぶ状態ではないが、転倒時の怪我が心配なのだ。わかったと友人の娘さんが了解してくれた。一気に母に話すとへそを曲げるので、徐々に口説くことにした。

**石材という会社の墓地購入斡旋の電話がうるさい。別荘はいらないのだけれどと応答するが、何回もかかって来る。もうひとつが有料老人ホーム入所の件。宝くじ買っているからと応答した。まったくろくでもない。

自家製焼き豚を頂戴した。オンザロックが欲しくなったが、我慢我慢。

被災企業経由サービス受注型支援の大船渡の企画ひとつ出来そうだ。思案中。


夜間傾聴:南橋本君(仮名・古参だが初)


(校正1回目済み)

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6/24 横浜のペットレスキューの**さんに面会をお願いし、明日/「災害ユートピア」書評から

2011-06-29 08:19:41 | 引きこもり
2011/06/24 記
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相模大野校の授業を済ませて、しまったと思った。今日は川崎の日本理化学工業の見学会だったのだ。完璧に忘れていた。手をつなぐ育成会の**さんと、スペアちがさきの++さんに謝罪メール。これほどまで見事に気がつかなかったのは久しぶりのことだった。

横浜のペットレスキュー団体の**さんに電話を入れ、面会を求めた。伊東のベテラン北浦さんとも一度、地域からの支援の件でお話を伺いたいと思っている。25日の会は最低3名。巡回して関心を示してくれた方で、参加をまよっていらした方が2名加わる予定だった。3名のうちのひとりと電話で話した。新しい飼い主さんの会を作ることには賛成だが、積極的に役員をやることは出来ないという話。しまったなあと思った。世話人会を会の中に作ろうと相談してしまっていたからだった。重荷に感じているひとがいらしたのだ。訂正するわけにもいかず、明日、この横浜のペットレスキューさんのところにお邪魔し、レスキュー活動の具体例を紹介するみやげ話を仕込むつもりでいた。

若い快活な方だった。獣医さんと組んで現地から何頭か預かっているとのこと。お時間を戴いたので楽しみだった。

そんなことがあったためか、日本理化学工業見学を忘れてしまったのだ。私は何か夢中になると、何かが抜けるのだ。傘を忘れたりハンカチを忘れてしまう。特に見えない右目側に置くと悲惨。昨年は傘が4本、ハンカチ数知れずという状態だった。昔、塾の教室で雑種の柴犬を飼っていた。祖父母と父には動物アレルギーがあった。私と母は動物アレルギーはなかった。アレルギーは姪に引き継がれていた。それで父が入所したことで、我が家で飼う環境にはなっていた。それが出来なかった昔、子犬を拾ってきた小学生の塾生が、家で叱られてもう一度捨てなくてはならない板ばさみにあっていた。それは大粒の涙の相談だった。約束で朝は、この子のクラスの子達が散歩と食事を担当する約束で、大家さんの協力を得て、教室犬が誕生したのだ。このときのスナップを散々探したが、ついに見当たらなかった。犬は人をつなぐ。ましてや被災という特殊な環境にあれば、心は通うだろう。世話人会はペンディングで、今回は話だけかなあと思いつつ、飼うという事は家庭を大きく変えるから、初めは言いだしっぺからかなと思っていた。

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ダイヤモンドオンラインに、レベッカ・ソルニットの著書「災害ユートピア」の著者インタビュー記事が出た。類書が少ないので紹介する。

●「大惨事でパニックするエリートと機能しない政府どん底で助け合う普通の人々と機能する市民社会 100年の災害史が示す人間コミュニティの真実とは――「災害ユートピア」著者レベッカ・ソルニット」


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木綿豆腐を仕込んでゴーヤチャンプルー。母、上の空。はずれ。


夜間傾聴 橋本2君(仮名)


(校正1回目済み)

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6/23 母に付き添い北里東病院へ/県立保健福祉大図書館の資料から

2011-06-29 07:08:14 | 引きこもり
2011/06/23 記
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陸前高田までの岩手県交通バスの確認を取る。交通費を浮かせたいということもあるが、夜行バスを利用すれば、東北新幹線一ノ関から長距離バスに乗り継ぐよりも待ち時間やトラブルが少なそうだったからだ。ただまだ夏期講習の日程が決まっていないので、予約するわけに行かなかった。大船渡線の代替バスの役割もあるらしい。ただ陸前高田または大船渡まで直行するとなると、岩手県の対策本部の遠野や、住田町の宿泊施設までの移動をどうしたらよいのか調べておかなくてはならなかった。

JR相模原の塾の方は社会活動への理解があるので、さほど日程を決めるのに苦労はしないと思うが、相模大野の方は、不登校・引きこもり関連ではない社会活動には全く関心がないので、事務的に日程を会議の場で決めていかなくてはならない。まあ社会活動に関心のある塾の方が珍しいのだろうが。

その下調べをしているうちに、母と北里東病院に出かける時間が来てしまった。神経内科は母の治療に効果的な方法を打ち出せないでいた。心療科の方が的を射ていると判断しているようだった。ただ、原因不明のめまい症と診断したようだが、その前は不定愁訴としていた。いずれにせよ、母は複数の医師に診断名を少しずつずらして受診していたから、北里東病院通院をしばらく休むことを決断していた。

横浜の****で形成外科的な眼瞼下垂の眼科手術をした後、眼の疲労が取れ、昨年のボトックス治療とは経過が全く違い、良好に推移していた。麻酔科のペインクリニックからのアミノ酸サプリ投与は、便通の回復や定期的な便通などの効果を通じて、心身の崩れの調整効果が出たようだった。初めの栄養失調という診断には驚かされたが、身体の基礎機能が崩れており、高たんぱくや高カロリーの食品を摂取しても、消化吸収する力が弱まっているので無駄だといわれていた。地元の眼科は手術を****に委託したので、手術後はアフタケアを請負うことになっていた。地元の消化器外科兼内科では、北里東病院神経内科役割分担する形で、原因不明のめまい症・脊椎すべり症を診て行くことになっていた。要するにそれぞれのわからない症状を別々の切り口からのぞいている状態なのだということだ。このブログに症状をかなりの回数書いているのは、治療法を探しているからだ。

原当麻駅からタクシーで北里東病院に出る。慣れたコースである。北里の本院と違い、北里東病院は医師からの診察依頼がないと受診できない。母は消化器外科で胃ガン手術を行い、術後のケア途中で、他大附属病院兼務の医師の仲介で、再び東病院に戻ってきたのだった。消化器外科からは1年後の間隔が空いて発症したのは後遺症ではないと治療を断り、神経内科は後遺症と診断し、母の受診を受け入れていた。母の術後現在に至る治療データがここに保存されている関係で、定期検査をここで行うこととし、そしていわゆる診察通院は、今回を最後にすることになった。

帰りに母を原当麻に送り、私は相模大野校に向かった。夏期講習の日程がいつ確認できるかを確認し、明日の授業の支度を済ませ、町田からまわりこみ京急の県立大学に向かった。災害時に立ち上がる特殊なコミュニティの社会心理的な関係資料らしきものを発見していたことと、避難所などのプライバシーが侵されやすい環境下の長期生活のストレス関連の資料を期待したからだった。

偶然、出発前、ダイヤモンドオンラインにレベッカ・ソルニットの「災害ユートピア」の書評がでていた。以前紹介した書である。これは次回触れるが、被災地の混沌が新しい人間関係を生み出していることを、積極的に評価しようという視点だ。

県立保健福祉大図書館のリファレンスに取り置きしてもらった資料は、残念ながら福祉助け合いの必要を論じたもので、被災復活の地域活動の人間像を描くものではなかった。収穫は弘文堂の「シリーズ 災害と社会」に出会えたことだ。

●「災害社会学入門 [シリーズ災害と社会 第1巻] 」
●「復興コミュニティ論入門 [シリーズ災害と社会 第2巻] 」
●「災害危機管理論入門-防災危機管理担当者のための基礎講座 [シリーズ災害と社会 第3巻] 」
●「減災政策論入門―巨大災害リスクのガバナンスと市場経済 (シリーズ災害と社会4) 」
●「災害ボランティア論入門 (シリーズ災害と社会5) 」
●「リスク・コミュニティ論―環境社会史序説 (シリーズ災害と社会6) 」
●「災害情報論入門 (シリーズ災害と社会7) 」
●「社会調査でみる災害復興―帰島後4年間の調査が語る三宅帰島民の現実 (シリーズ災害と社会)」

3冊しか残っていなかった。これを読んでいる人がいるという証拠だった。2冊借りてきた。

京急県立大学駅の改札口隣にはスワンベーカリーがある。何周年かの記念行事をしたのだろう。掲示していた看板がたたまれていた。パンを買い求めて、汐入から歩いて横須賀駅にまわって帰宅した。

珍しくFAXが届いていた。相模大野校担当者が夏期講習の予定を会議前に教えてくれたのだ。明日JR相模原の塾の方にも確認を取って日程を決める。

夜間、25日の知人への招待連絡。>応答芳しくなし。
25日資料作り。


夜間傾聴:なし


(校正1回目済み)
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6/22 糖尿病治療薬の治験を受け(母のめまい再発)/サポチガ**さんと話し合い

2011-06-27 16:06:26 | 引きこもり
2011/06/22 記
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前日の21時から食事をせずに糖尿病治療薬の治験を受ける。昨夜、母は胃の調子が悪いと言って、食事をまた食べたふりをして夜中に久々の嘔吐をしていた。母のめまいとこの食事忌避の傾向が続く限り、私は長い期間家を空けることが出来ない。血液検査が終わったところで小休止があって、家に電話をいれた。7月の岩手に出かける最低2泊3日の期間、いっそ外食してくれればと思いつつ、応答を待った。電話に出ないので携帯電話に連絡を入れると、母ではなく知らない女性の若い声の応答があった。母の地元の内科主治医の看護師さんだった。何事かあったかとひやりとしたが、薬が切れたからと医者にきていたのだった。

私が口うるさいから声を聞いてみろということで携帯電話に看護師さんが出たらしいのだが、母が「携帯電話を預けたまま診察室に入っていった」と看護師さんが言った直後、「本人がいるから言わなかったが、トイレに(母が)入ったとき、めまいが出て、すぐに対応が出来たが、ちょっとこわかったのだ」と教えてくれた。帰りは私が受診中なので、迎えは無理だろうから、近所だから誰かが送っていくことにしたと教えてくれた。感謝し「よろしくお願いします」と応答したが、憂鬱になった。

私の東北巡回中、浜見平の母の友人親子に、時々母を覘いて欲しいとお願いする予定だったからだ。夏期講習の担当時間が決まらないので、出かける日程が決められないでいるのだが、7月29日が治験と午後から回る慈恵医大病院眼科の主治医の診察が重なっていたので、その日の前に予定を組む必要があった。

しかし、これから蒸し暑くなってきたとき、できるだけ短期に用件を済ませてこなければならなかった。それには、湘南の受け皿が少しでも出来ていなかったら、私の東北巡回は無意味になる。どうしたものだろうと、憂鬱になっていた。

治験は昼に中断し、食事後、再び検査があって終わりだった。終わるのは13時頃になる。そのあと駅前で浜見平の友人の娘さんの方と会う予定だったが、母が大人しくしているだろうかと不安になった。サポセンに立ち寄るのを出来るだけ手早く済ませて、間を開けずに戻ることにした。自分の食事を済ませて30分後の治験再開の間に、ともあれ家に電話をすると、母は昼寝をしているところだった。機嫌悪そうな声で出たので一応安心はした。サポセンで**さんと会った後、母への対応に感謝するために、帰りは家に直接戻らず、このクリニックにお礼に立ち寄り挨拶することにした。

母は「大丈夫だ」を連発して、帰路の付き添いを断ったという。薬のせいで眠気が来ているようで、母は夕方まで起きなかった。

しかしこのまま、生殺し状態で活動の端緒も開けないのはと思いなおして、浜見平の友人親子のおふたりさんに改めて電話を入れた。先方のお盆は後半秋口なので、出かけないとの承諾を得ていたので、確認を済ませ、正直のところ、ほっと力が抜けた。母の方の診察の結果は、胃切除後遺症、原因不明のめまい症ということに変わりはなく、夏ばて防止の栄養剤を加えて出しておいたとのこと。北里東病院神経内科と同じ成分の薬だった。そのことを告げると栄養剤だから大丈夫とのこと。しかし薬を貰っても飲まないのでは仕方が無い。

治験終了後、私は浜見平の友人の娘さんと北口駐車場のそばで会って話した。母との鎌倉散歩が流れたことを気にされていたが、めまいの話に状況を納得したようだった。先方は車の中。長話も出来ないので、母の様子見をお願いして別れようとした。しかし親切な方だ。私をサポセンまで送ってくださった。

こうして、少々遅刻だったが、NPOサポートちがさきの**さんと会うことが出来た。とにかく日程がいけないのか、ずいぶん会えないでいたので、積もる話は沢山会ったが、内容は3つ。ひとつは25日のペットレスキュー支援の新しい飼い主さんの会を発足させたい旨を伝え、もうひとつは、若松町「ゆめたい」で、切り絵展を開いたYさんのグループホームの++さんと出会ったこと。##さんのサンドブラスト加工事業立ち上げのデザイナーとして、切り絵をサンドブラストのガラス加工と結び付けられないかと、呼びかけが始まっていることを情報提供した。最後は岩手に7月に行って来ること。

この最後は、**さんも仙台にでかけたのだそうだ。構想がなくて動く人ではないので、時間が会ったとき再度話を伺うつもりだが、後方支援の場が、いつも現地ボランティアの応援で、公的募金か被災地産商品の購入といういずれかの形で付随する形になってしまうために、給与所得者や失業者、高齢者など生計に困ったまま避難生活をしている人のところに、直接支援が届かないことに危機感を持っていた。命の掛かった避難の時期を過ぎ、今後のことを考えつつ、再起を試みる今の時期は、二重ローンや失業という現状を目の当たりにして、自殺が出てくる時期だからだった。単純な元気付けや娯楽提供で気の晴れる人はいい。その笑顔に押されて黙り込むひとにどうして支援がとどかないのかと思う。

それには最終的には現地ボランティアの展開と行政を動かす力が必要なのだが、この長期戦移行期は阪神淡路大震災のときもそうだったが、日本はひとつと言っていたひとたちが飽き、情報も回想が増えて、関心が霧散していく時期でもある。このどうしようもない後方の状態をステレオタイプな公的募金推進か被災地産商品購入で片付けていいのかという、後方支援の側のアイデンティティの問題を強く感じる。ここを変えて行くには自分がそれなりの形でかかわり企画運営していく民間交流の流れを作っていく必要がある。原発の課題も確かに歴史的な大きな課題だが、福祉・教育屋の目からは、政治の影に沈んでいく12万人のひとたちの顔が見える。このひとたちの日常生活に触れていく支援を作っていくのが、私の役目だと思っている。交流の窓を開き、被災者を孤立させない活動を、後方支援の場も、依頼を待つだけではなく、扉を軽くノックしていく活動を作ることをしたいのだと伝えた。地元媒介者を通じて支援を組みたてていく。その試みをやっていると**さんに話したつもりだ。**さんは**さんで仙台に飛んでいる。この活動の合流点をどこかに作りたいと思っていた。

この日、ふたりの話の場に、駅前などの清掃活動をしている引きこもり青年があらわれた。**さんは、彼を紹介してくれたが、少々困った。改めて彼と会って話をするつもりだが、25日が終わるまで、ペンディングさせてもらうことにした。

原版だけ印刷を済ませ、家に戻ると母が薄暗闇で眠っていた。家に猫を引き取るつもりでいる。母は障子の多い我が家に猫をいれることに猛反対するだろう。古い日本家屋はまさに幽霊屋敷というか安達が原の婆ではない、寝たきりならぬ起きたきり爺ぃが徘徊する化け物屋敷にまさになってしまうと思うからだ。しかし我が家には少し前まで、通い猫のキナコが出入りしていた。座布団と庭の原付の座席を占領していたのだから、全く初めてではない。どちらがかけてもひとりという共依存に陥らないためにも、猫が来ることは意味があると思うのだ。犬は朝型と散歩がネックになっている。昼夜逆転爺さんには化け猫の方が合うと思って、考えを否定した。被災地からあずかるのは化け猫ではないからだ。失礼だと。

夜、母の眠りは安定した。私は治験の後の空腹感に廊下をうろうろしていた。まもなく夜明けだ。

<気になる記事>
●「高齢者を支える流動食、東日本大震災で支援要請が殺到」
●「「支援の思いに応えたい」=復興ファンドで再起へ―老舗の水産加工店・宮城気仙沼」
●「祭りは浴衣でゆったりと 被災者に配る 岩手・大船渡」
●「ボランティア足りない 参加のべ人数「阪神」の3分の1」
●「里親手当の支給対象拡大へ=震災孤児養育のおじ・おばにも―厚労省」
●「6月23日に再開 気仙沼市魚市場」


夜間傾聴:橋本3君(仮名・こちらから)
     大森君(仮名・傾聴にあらず、お久しぶり)


(校正1回目済み)

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6/21 ペット預かりと譲渡の段階移行の実際と地域ネットのこと/母への食事作りに思う

2011-06-27 11:46:44 | 引きこもり
2011/06/21 記
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25日の提案をまとめる。ひとつはペットレスキューの公的な呼びかけと、民間のレスキュー団体活動の呼びかけに応じて、被災地のペットを受け入れる「新しい飼い主」さんの集まりを生み出す事。

この活動は、様々なペットレスキュー団体や現地ボランティアが持ち帰った情報があって、ケースバイケースで解決されている例や、レスキュー団体が抱えてひたすら数が膨らんで困っている例などがある。その中で「新しい飼い主」さんが集まることで、その状況を何らかの形で改善できるのだろうかということ。

これは、被災地の犬猫がより幸せな形で、本来の飼い主さんから飼い主さん家族が生き延びていくうえで、愛犬、愛猫を手放さなくてはならなくなっただけではなく、避難の際、飼い主に放置されたり、飼い主が亡くなったなどの事情で、幸い津波から生き延びた動物たちが、被災地を放浪している場合、現地の救援活動によって、一時預かりの形でペットレスキューの一時預かり所や、新潟県などの例による公的な一時預かり所に保護されている動物たちがいる。

その犬や猫たちが、そのまま「新しい飼い主」さんたちのところに届かないのは、ふたつ理由がある。ここに解決が難しい問題が潜んでいる。ひとつは、保護された犬猫たちも被災しているという事実だ。飼い主を見失い、突然の環境の激変に怯えていたり、傷を負っていたりする。または人間不信に陥っている場合もある。こうした犬や猫は、威嚇し攻撃したり、餌を食べなかったりと、治癒のための預かりを経なくては、一般的な善意の「新しい飼い主」さんに手渡せない状況がある。その回復のための一時預かりは、獣医師や回復の場面を何回も経験している民間ペットレスキューの方々の活動の一環として、展開されなくてはならない。未経験の「新しい飼い主」さんの丸抱えは無理または難しいケースがある。

しかしこれは、その何頭もの被災犬猫が現地の預かり所だけでは数の上からも解決できなくなり、明らかに飼い主が現れない動物を優先して、被災地外に連れ出し心身の治療をしている例もある。怪我を負っている場合、その治療費は誰が出すのか、治療期間の食費、医療看護リハビリの労力と経費を誰が支払うのか、それは公的助成だけではまかないきれない状況がある。

私たちが「新しい飼い主」の会を立ち上げる場合、この被災地外に保護されている犬猫たちの特に地元湘南に保護されている犬猫たちのリハのお手伝いをしつつ、犬猫たちとの信頼回復を図っていく。このことを通じた一時預かり、譲渡は丸ごと被災地の犬猫を預かる場合よりも、アドバイスを受けながら徐々に慣らしていく分、安定した道となる。だからこの道は、安定した犬猫を受けとめることから始める場合より、より実情に即している。その飼い主さん候補のボラ活動は、顔合わせの中で、直近の次ステップとして考えて行きたい。地域一時預かり所の犬なら散歩手伝いや、トリマーさんたちとお風呂(洗浄)の手伝いをしたりという具合。その活動を横断して、預かり譲渡まで進む意志のある方の交流を作っていく。今までの譲渡活動との違いは、被災復活支援として窮状を打開する目的を同時に持っていることだ。だからサロン風な交流会を作りたいと思うのだ。

もうひとつは、所有権を巡る問題だ。飼い主さんがはっきりしない保護された動物たちは、法的には拾得物扱いになる。基本は一時預かりをして、飼い主さんに戻すことだ。それには現地で一時預かりをすることが基本になる。飼い主さんから頼まれた犬猫のほかに、飼い主不明の保護された犬猫がいる。飼い主さんたちが預かり所に探しにいらして、再会を果たすことが基本になるからだ。ところが福島の原発避難のように、連れて行けないと飼い主さんが見切った比率の高い犬猫たちや、津波に飼い主さん家族が飲み込まれてしまった場合は、拾得物として一定の期間一時預かり所で預かり、それでも再会を果たせなかった犬猫を更に、被災地外に連れ出し、殺処分を回避している場合がある。これはやはり期間を置いて譲渡することで、犬猫たちの命をつなぐことになる。被災地外の一時預かりしているレスキューまたは一時預かり所開設の獣医師・ペット店への前項紹介の応援ケアボランティアを通じて、預かり譲渡をしていく。

ただこのとき、その動物の保護された旅が逆にたどれる状態を維持していく必要がある。飼い主さんとの再会の可能性を封じてはいけないからだ。このルーツを確認できる犬猫ではないと、最悪のとき窃盗といわれる場合がありうる。また、ここに動物の売買行為が介在すれば違法行為となりその幇助をしたとされる可能性がある。

さらに視角を変えれば、預かり譲渡をした側が抱える問題もある。子犬・子猫からの飼育ではないために、引き受けた犬猫との相性が悪く飼育し続けられなくなったり、前から飼っている犬猫たちとの相性が悪かったりする場合もある。更には転居や家族の動物アレルギー発症などで、飼い主さんになりきれなくなる場合もある。これを地域一時預かり所を開設している獣医師さんやペット店のところに戻すだけではなく打開相談を受けたり、飼い主さんのサロン活動を通じて再譲渡相談をしたりすることもありうる。ただこのとき、注意したいのは譲渡のルーツを曖昧にしない手続きを踏むことと、そのときには、獣医師さんのアドバイスを受け、予防接種や不妊手術などの措置を話し合い実行することだ。

一度預かった命を放棄することは許されないし、あまりにも不器用というものだ。打開策を練るためにも、飼い主さんのサロン活動が必要になってくる。犬猫が病気になったときの初期アドバイスも互いの交流が活きて来るだろう。これは公開のツイッターや、SNSのような会員制のオンライン交流が有効になる。

そして最後に、これらの活動、特に現地災害ボランティアとしてのペットレスキュー活動と、後方支援としての「新しい飼い主」さん地域ネット活動(単独善意活動と考えない方がいい。)を支えていく募金活動だ。この募金活動はその大半を現地活動支援に割り振る必要があるが、どのように活動を社会に伝え、資金を獲得していくかということ。災害ボランティアの後方での独自活動の領域だ。

これには飼育録を取材し短文にして、タウン紙一行記事依頼や、独自通信(紙メディア)を動物病院やペット店におかせてもらうことで募金をその中で促していく。元のジャスコの募金シートなどを利用する。その送金先は議論したいところだが、具体的な被災各県のボラセンの目的付募金として送りだすセットが必要だろう。公的募金が全く眠れる象のような緩慢な動きをしている事例からすれば、現地ペットレスキューへの配布は、信頼性を担保するために、直接送金ではなく、現地分配法が必要となる。この辺は金額が少なくとも、踏んでおきたい。それが可能か、展開が遅いが岩手の関係者に7月に会ってくる。

こうしたことに踏まえ、大枠を新しい飼い主さんの会開設に託したいのだ。

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神奈川県の特に東海道線沿いのペットレスキューさんに、連携を呼びかけているが、必要なときはこちらから連絡するという形でやんわり断られるところが複数ある。今日は突然だが宮崎県のあるペット喫茶を開設しているペットレスキューの活動で、被災地のペットレスキュー体験を写真にして展覧会を開いた方がいらして、その**さんに電話をさせてもらった。内容が知りたかったし、もし現地の雰囲気が伝わってくるような内容ならば、借用して写真展が開けないか打診した。さすがに突然茅ケ崎からの話に驚かれた様だったが、「その写真には被災地の方が写り込んでいるし、プライベートな交流の場面も多い。だから貸せません」ということで、残念ながら拝借することは出来なかった。しかし猫の飼い主さん活動もまた活発に活動されているのだということや、全国ネットのような連絡の取り合いがあることもそのお話の情報としていただいた。もし湘南に新しい飼い主さんたちの会が立ち上がったら、このネットとの交流も広がっていくのだろうと思う。

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月曜日は相模大野校もJR相模原の塾も職員会議がある。時間講師や外勤講師は出席の義務はないが、実務上行かないと情報格差があったり、調整がうまくいかなかったりと問題が生じる。都合のいいことに、基本的に片方は午後、もう片方は夜なのだ。二股かけることが可能なのだ。

相模大野校には取り出し指導の件で、講師の過剰人員の対策提案を私の方から先手を打って出しておいた。ゆとりをもって講師配置をしているわけではないから、私のように外勤定年で教室に戻ったものは補助というが実際は、従来のクラス以外は居場所がない。苦情処理係もやってきたが、在宅指導の道を加えて欲しいと要望していた。またJR相模原教室の方は、アジア系ハーフの方の混じったクラスが引きこもり青年たちの再チャレンジのクラスと兼ね合いになっているため手狭になっている。教室の入れ替えを提案していた。大きい方の教室は大きすぎるのだが今の教室は大の大人が暑苦しい状態だったのだ。前者は否決、後者は可決。

まあ、母の孤食抗議は最近下火になってきたが、フルタイムの営業マンと比べれば気が楽だが時間のやりくりが厄介だ。前回、特製コロッケを作っておいたが、揚げるのが厄介だし、調理中立ちくらみがあると火と油の危険があると言い出した。それで今回は昼に揚げて食べさせてから家を出た。冷凍物の方がうまいといわれつつ、私とは逆のカロリー摂取量を増やさなければならない状態なので、夜は冷凍タンシチューを母に解凍するよう言って出かけた。とにかく一日一食の食事を共にすることが精一杯なのだ。

しかしヘタクソだが、献立の種類は増えたなと思う。盛り付け、豚の餌と言われつつ、同時に何品かを作るタイミング調整だけはなんとかしてきた。

サポセンが以前、市との協働事業を立ち上げる企画を立ち上げたとき、引きこもり青年の社会復帰を兼ねた相談窓口喫茶を提案したことがある。このとき、障がい者との協働メニューを考えた。

東北の煎餅汁をご存知だろうか。汁物の中に餅がわりに煎餅が入っている。この煎餅にヒントを得て、一部突きの丁度おにぎりを潰したような飯の上に具材を乗せて潰して乾燥させておく。これが保存食になることに注目した。生乾きα米状のものだ。これに出汁をいれて煎茶を注ぐと様々な茶漬けが出来る。おにぎりを潰して茶漬けにしたことを思ってくれればいい。これを試しているうち、きちんと焼けば販売できることがわかってきた。作り方によっては、おはぎがしるこに化けるように、厄介な部分を先に作っておいて、喫茶では湯をかけてトッピングするだけの調理となる。ところが「煎餅」と言い出した瞬間、障がい者には無理と話が閉じてしまい先に行けなかった。確かに下準備には煎餅屋さんの作業のような場面があり、健常者が用意しておかなくてはならない。鎌倉の煎餅屋さんに押しかけ弟子入りしたり、和風喫茶型にするために和菓子自作のため専門学校の社会人枠入学もして、結局頓挫した。しかし、あずきを煮るところなど、練習の入口に立つことが出来た。

そんなこともあったので、種類だけは出来るようになった。しかし確かに「豚の餌」なのである。盛り付けがなんとも下手なのだ。母を相手にしている分には調理師の免許は要らない。しかし中華鍋を振って、コンロの台座をはずしてしまうような状態なので、不器用なのだと基本的には思っている。しかし「煎餅」=無理という対話遮断のトラウマが今も残っている。「ペット」>「人が先」という構造にも実はひんやりしたものを活動関係者との対話の背景に感じている。「里親」>「あ、うちは無理」という中間どころのない遮断である。これはやっていく経過で伝えていく以外ないのだが。

TVの「おまかせランキング」ではないが、非常識な組み合わせの中にも案外美味しい組み合わせがあるのは確かだ。しかし母への献立は、カロリー制限することも増すことも個別対応できる内容に工夫しているが、異常な組み合わせをした覚えはないが、もう二十年を越すのに依然信用されていない。母のアイデンティティ確保のせいかなとも思ってみるが、盛り付けを見ると、その気持もへこんでしまう。まあ、孤食批判だけはなんとか切り抜けようと考えている。

p.s.明日は糖尿病の治験。待ち時間の合間に愛機「ポメラ」を持ち出して、被災企業へのサービス発注型支援の美容師さん支援案を練る予定。


夜間傾聴:淵野辺君(仮名)


(校正1回目済み)

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6/20 神奈川ソーシャルインクルージョン推進機構の総会に参加し/サンドブラスト加工と起業

2011-06-26 14:41:24 | 引きこもり
2011/06/20 記
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午前中、橋本で巡回を済ませた後、厚木乗換えで本厚木の厚木市総合福祉センターで行われた「神奈川ソーシャルインクルージョン推進機構」総会にお邪魔してきた。いつもいろいろな団体に出るときも野次馬参加で申し訳ないのだが、今回もそんな感じ。震災直前の3月8日、炭谷茂氏に湘南講演をお願いしたが、そのお礼をしたい気持もあった。

会は厚木の諸団体関係者が多く、私が割り込むのはちょっと違和感が有ったが、会の活動報告や今後の予定を伺って、着実な広がりを感じていた。精神の領域の活動関係者がいらしていて、私の本来の仕事、不登校・引きこもりの方々の支援、特に自閉症スペクトラムとうつ病、パーソナリティ障碍、神経症を被った方の教育面からの支援、特に社会参加と就労支援という課題になると、精神障碍畑の活動とは重なり目がありつつも、実際の活動の共通項はなかなか見えなかった。結局は境界線の活動。だがこうして対話して考えれば、発達の視点で眺めている異質感というか矛盾が自分の中に見えた。

総会の話が一巡して、最後に参加者の自己紹介があったが、その中に精神障がい関連の事業所の職員の方で、サンドブラスト加工の事業を立ち上げようとしていることが紹介された。私は昔、不登校の子たちの授業の中に、トンボ玉を作る授業を企画したことがあった。この企画は当時、ジャパンフレネの木幡さんたちによって実現されたのだが、それは非常に美しいガラス工芸の分野を、先々の起業に使えないかと考えていたからだった。それはある程度の巧緻な手作業を要求されるため、不登校と自閉症スペクトラムの重なる子たちの多くの子たちの不器用さには、危険な火と火傷の問題が大きく、作業困難から構想は頓挫していた。このとき、ガラス工芸の中から、サンドブラストをも調べていた経過があったのだった。写真製版加工料や本体価格自体が高いことと、趣味性の高い工業デザイン的センスがないと、販路が案外狭いということで、私はサンドブラストを取り上げなかった。

このときの私が選んだ代替領域は「金属」。採掘・精錬から加工までを由比ガ浜の砂鉄(刀剣正宗の砂鉄)からたどったのだが、課外授業の楽しさは格別のものがあった。

その記憶がサンドブラストの事業立ち上げという話を伺うことによって、一気に記憶が蘇ってきたのだ。サンドブラスト加工の事業展開にはある程度の資本がいる。ガラス加工機で安いもので十数万円、本格的なもので数百万円する。事務所開設や販路拡張の営業資金等を含んだら、ちょっとリスキーな領域だが、皮革の上にさえ加工できるので、応用範囲が広い、技量があれば本格的には事業化が十分に可能な世界だった。

私は販路について、日本財団のCANPANプロジェクトに参加することを勧めた。ただ注意しなくてはならないことは、ガラス工芸のサンドブラスト製品は、趣味性の高い「表現を売る」道と、用途の環境の一角をデザインする「工業デザイン」の道と両方あること。この後者の道は硬質プラスチックものを含んで、廉価な商品が市場に溢れていて、確実な販路を開拓していかなければ、よほど工業デザインの腕力がないと淘汰されてしまう。

アイデア商品でも、息の短さの憂き目に会う商品であることだ。精神障碍の方の起業としては、自営の意味でフレキシブルな製造が出来るが、販売がもうひとつの勝負どころになってしまう。その意味で健常者のサポートが必要であることだ。発達障碍の方の中の緻密な集中表現原画の表現媒体として難しいのは、素材を見極めて原画を描いていくセンスだ。この見通しの力が難しいし、緻密な表現ができる方は、自閉症スペクトラム系の中でもごく一部の方に限られてしまうところに、障碍者の仕事というには、相当な作業改善の研究が必要だ。

しかしサンドブラスト加工は、素材の範囲が非常に広いので、開拓する価値のある技術だ。

この話のとき、わたしは茅ケ崎・若松町の「ゆめたい」の小箱ショップで、茅ケ崎養護学校を卒業した、切り絵の熟達者Y君のことが思い浮かんだ。切り絵は光と陰の表現媒体であるガラス工芸の世界で、相性の良い表現だった。サンドブラストのガラス製品にY君の切り絵デザインが使えないかと思い、Y君のことを紹介した。

すると、厚木のグループホームを運営されている方がびっくり。Y君は自分のところの入所者さんだというのだ。話はとんとん拍子に重なり合い、Yさんにサンドブラストのデザイナーの仕事を勧めてみようという話となった。

ひょうたんから駒のような話だった。販路アイデアはいくつか提案させてもらった。サンドブラストのガラス工芸の販路は、大きな流れができたらジョブコーチ等作業分析の専門職へと引き渡した方がいい。

その話の途中で交流会に移動した。実はそのお店が非常に気になった。それは私が某進学塾の講師をしていたとき、時々このお店で昼食を摂っていたのだった。昔の話だが、そのお店の経営者の息子さんが塾の卒業生だったという経過があった。すっかり変わったお店で料理をいただきながら、つい店の従業員さんに目が行ってしまうのだった。

今回の総会は、ちょっとしたおみやげが出来た。Yさんが気に入ってくれれば、ひとつ仕事が立ち上がる。偶然の出会いの面白さを味わった。

帰りはバスを乗り違え、茅ヶ崎駅南口から、12系統のはずが02系統に乗ってしまった。諦めて、クラウンの松ヶ丘店で買い物をし、すぐ前のペットサロン、フリフリさんにチラシを入れてきた。

本来は今夜は相模大野校の手伝いがあった。しかし明らかに私は余剰人員だったので、取り出し授業のある提案を出して検討してもらっている最中だった。高等部を除いて、爺ぃの居場所はますます無くなってきているのを感じる。良質の新玉ねぎを調理しつつ、くしゃみが止まらないのだった。

●「サンドブラスト」
●「トンボ玉」
●「日本財団コミュニティサイトCANPAN」



<気になった記事>
●「福島食材で一杯いかが 都内に居酒屋「風評に負けない」
●「「支援の思いに応えたい」=復興ファンドで再起へ-老舗の水産加工店・宮城気仙沼」



夜間傾聴:なし


(校正2回目済み)

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【6/25報告】現実は厳しい、しかし準備会を発足させ、第二ラウンドへ

2011-06-26 06:20:12 | 引きこもり
--- 6/25に、ペットレスキューの活動を支援し、被災者家族の犬猫の新しい飼い主になろうと考えている方の顔合わせの会を行いました。現実は厳しい。私以外は1名の空振りに終わりました。私以外の方(旧知の方)と次のような話をして、一応の「会」を終えました。

1)被災者のペットは、ただの愛玩動物ではなく、家族として受け入れられている子がいて、特に独居高齢者等の大切な話し相手である場合もある。しかし、こうした事例は、一時預かりを含め、手放す場合を周囲がフォローするということにはならないだろう。被災者がともに暮らせるようにどのような支援が必要か、明快ではないこと。基本は離れずに済むこと。現地の一時預かりを通して、いつでも会いに行ける状態を支援する活動が、後方支援ではどのような形になるのかが打ち出されていないこと。実際、被災者が飼いきれなかった犬猫たちがおり、その子たちを引き受ける活動が必要であることに変わりはないが、その引き受けることが、自分にとっても豊かな精神的な贈り物足りうることを感じさせる活動に深まっていなかった。被災者の飼い主さん、引き受けた私たちともどもの、実際飼育は重いが幸せにつながる架け橋足りうることを感じさせる活動に成長させていかなくてはと思うこと。その意味で、それでは、やめようということにはならず、会発足は、私と参加されたもう一人の方が、7月の岩手に行く際に、実際に預かることから、始めようということになった。

2)今回の話は一応仮発足の会を立ち上げて、通信配布を始めること。この間に巡回してきたところで話してきた地元獣医さん、ペットショップの方は非常に協力的で、決して意味のない活動とはならないことを教えてくれている。その中でも、ペットレスキューの方々とは関係を深めていく必要を感じている。活動と思いいれの溝を埋める意味を含んで、7月17日(日)に、ペットレスキューの方による活動紹介の集まりを実行すること。今日正式にこの講演者の方に講演実施をお願いすること。これは私以外のもうひとりの方が大丈夫なのかと心配されていたが道を拓いておく必要があるということを了解してくださったこと、講演者の方には少数の厳しい状態だが、無駄足にならないようにすることを話し、センターや、獣医さんのところに預かっている犬猫たちにご挨拶してきた。もうひとりの方は呆れつつ、協力してくださるとの話となった。

3)7月の遠野・陸前高田・大船渡行の中に、必ずペットレスキューの一時預かり状態の把握をいれこむ。今、この活動は福島原発避難から置き去りにされた犬猫の保護が中心になっている。この活動とも連携していく必要があるが、まずは現地の接点が、小さくともあるところから始めていくこと。所有権問題が起きたとき、飼い主さんが不明の犬猫を引き受ける際の問題解決力量が不足している現状では、問題の発生したとき、とても被災地まで何回も出かけられる状態ではないので、飼い主さんがはっきりしている場合に限ってスタートさせる。岩手からという立て方自体が、福島原発避難圏からとならないが、拒絶しているわけではない。

4)講師の方に本日実行をお願いし、7月17日のペットレスキュー活動紹介の会を仮発足の「準備会」主催で行うこと。出来たらセラピーの関係者の方も含んでシンポができたら上等。当初のブログは画像の少ない貧相なものになりそうだが始めていくが、今回は紙メディア地元配信が合っている。懸案の自転車を買い、買この企画紹介の配達を始める。

会議室管理人さんの、どうしちゃったのとの不審顔に応えるのはしんどかったけれど、第二ラウンド突入ということにしました。ともあれ報告まで。

以下は配布予定だった資料。


6/25 当日、配布予定だった資料を転載します。新しい会の名称はまだ決められないままですが、「被災ペットたちを受けとめる湘南の会準備会」としました。

--- ここから ---

**「茅ケ崎に被災者ペットの『新しい飼い主さんの会』を作りませんか」**

2011/06/25
『わーく』編集部

早いもので。3/11の震災があってすでに3ヶ月半が過ぎました。蒸し暑い日々が始まり、これから夏場の避難生活が始まります。生命の危機から避難生活の持久戦に被災地の活動が移行しています。それにともない様々な支援活動が始まっています。現地ボランティアさんたちの支援に加わるにも自分の仕事や家族のことなどで、出かけていけない人たちの被災地支援活動を『後方支援』といいますが、公的募金や地元産商品を買う運動だけでなく、もっと自分達で直接できることは無いかと考えました。

 自治体によっても様子が違うようですが、避難所や仮設住宅の共同生活の場では、ペット、特に我が家の犬を他の方の迷惑を考えて、一時預かり所に預けたり、遠くはなれた『新しい飼い主』さんに預けたり、泣く泣く譲渡したりしている方がいらっしゃると聞きます。愛玩犬猫は特に独居高齢者にとっては、大切な家族であるにも関わらず、人間優先ということで、なかなか理解が得られないでいるとも聞きます。福島県の原発避難圏域では、リードをつけたまま無残に餓死している犬や、放浪の末野良犬化している犬がいて、関係者の努力で救助されているとも聞きます。

 この被災犬猫は一時預かり所に溢れています。避難生活をされている方々から、このペットたちを預かり、または譲渡していただき、我が家でお世話する『新しい飼い主』さんになる活動をいわゆる『後方支援』の場で、行いませんか。その賛同者の会を作りましょう。

 私たちは、地元の獣医師さんやペットショップの方々と連携し、アフタケアをしっかりやりたいと思います。また現地で活躍されているペットレスキューの活動を支援したいと思います。ペットレスキューと新しい飼い主さんとの潤滑な連携をとり、被災者家族の方との交流通信(ブログ・紙通信)を会世話人が中心になって発行します。また、被災地の特にペットとの生活やレスキュー活動報告の会も企画していきたいし、ペットレスキューさんの活動資金募金など考えられます。

 今日の顔合わせを機会に湘南の『新しい飼い主さんの会』を作りませんか。

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《会の構想・案》

私たちは動物愛護の観点から、生き物を引き受けるということを大切にしたいと考えます。東日本大震災被災者のペット飼い主さんのペットへのお気持を、お預かりします。

 対象にするペットは、被災地の犬猫であり、レスキューや獣医師さん、一時預かりを仕事にしているショップさんのケアを経て、いちおう落ち着いたペットとします。

 一時預かり・譲渡のいずれも、輸送費やペットの食費などの実費を負担します。また別途ペットレスキュー活動へのカンパを募り、レスキュー当事者に経由します。通信発行・電話代などの会運営費以外は、金銭のやりとりをしません。

 アフタケアの予防接種や防疫措置は預かる飼い主さんの実費とし、健康管理や安定した日常生活情報提供を飼い主さんとともに長期引き受けをします。飼育に無理が出たときは世話人が仲介になり、地元獣医師さんや、ショップ、そしてペットレスキューの方に相談します。決して犬猫の無断放棄はしません。

 基本的に、一時預かり・譲渡の対象になる犬猫は、被災者家族つまり飼い主さんが、はっきりしているペットを当初の対象とします。会に力がついてきた段階で、飼い主さんが不明の放浪犬猫(野良化途中)や野良犬猫を獣医師の指導の下で扱うようにしたいと考えています。所有権トラブルの可能性の多い放浪するペットたちは、当面は対象にしません。

--- ここまで ---

(校正1回目済み)
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6月25日は、ペットレスキュー支援の新しい飼い主さんたちの顔合わせの会です

2011-06-25 03:50:40 | 引きこもり

今日、集まりがあります。新しい飼い主希望者の方々の顔合わせの会があります。

2011.06.25(土)10時~12時
茅ケ崎市女性センター第三会議室(15名定員)
(JA茅ケ崎ビルの前、100円ショップの4F)
無料

です。7/17にペットレスキュー関連の講演会の
見通しがつきました。

ご参加お待ちしています。野次馬歓迎です。

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6/19 岩手出発準備に/我が家の生業の件で東京を回りつつ、地縁のことを考えた

2011-06-23 15:37:51 | 引きこもり
2011/06/19 記
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陸前高田に出かける準備。7月下旬になるので、私の支援活動を整理して置かなくてはならない。

まずは、現地ペットレスキュー活動支援の「新しい飼い主候補の会」を誕生させること。獣医師会・ペットレスキュー団体に協力する、湘南のひとつの仲介支援活動を行うこと。主に「オンライン交流仲介」と、「地元アフタケア仲介」が活動となる。後者は愛犬家団体や、獣医師・ペットショップとの連携が必要。

地域の動物愛護団体の諸活動の中で、この活動の独自性は、震災復興支援の後方支援活動であること。被災者と支援者の間に、思い入れのある動物の飼育受け継ぎを引き受け、被災復興協力の橋をかける現地の活動支援活動であることだ。後方支援の企画なのだ。

この活動は、日常の動物愛護活動の一部をなし、災害復興支援活動の中でも、その一部となるひとと動物にまたがるバウンダリーな活動となる。地域の関連活動の中の、活動を興す力のひとつとなる。

この活動を6月25日の顔合わせを通じて、会の発足に見通しをたてておきたい。



次に、被災地企業へのサービス発注支援について、私と**さんとの間で、現地情報を加えたおおまかなプランを確認しておく。

陸前高田あるいは遠野の対策本部に行くが、徒歩である。交通手段がない。実際行動日程をあけられるのは、前後車中泊を含む3泊4日が最長。実際2泊3日の可能性が大きい。だから必要最低限のところしかまわることができない。

遠野の岩手県の対策本部
陸前高田市と大船渡市の行政
県中小企業家同友会有志
岩手県獣医師会
地元新聞社支局の記者さん

これが最低限。これだって日程的にかなりきつい。場の移動だけではなく、先方にも都合があるからだ。

このほかにも、廻りたいと思うところは多い。

(岩手県で活動するペットレスキュー団体の皆さん)
(紹介を受けた個別中小企業主さん)
(障害者事業所)
(避難所・仮設住宅)
(ペットの一時預かり所)
(HL関連支援団体の皆さん)
(陸前高田・大船渡市議会議員さんたち)

これは全部をまわるどころか、( )のついていない必要最低限の場所すら欠けてしまうだろう。足がほしいところだ。宿泊のことも事前確認しておくべきだろう。この下準備は今月いっぱいか。

すでに4ヶ月経つ中の訪問である。必要なことに絞り込んで関わりたい。

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25日の運営は、HP資料を使い待機ルートと、アフタケア仲介の件を話していく。個人申込みと一味違うメリットをどう説明するか。今後の日常活動(オンラインネットとブログ交流、県内ペットレスキュー団体巡回と獣医師会巡回等、足稼ぎが必要。覚悟済み。また団体登録には5頭以上の一時預かり・譲渡犬猫が登録されていることが必要。(犬は無理なので猫2匹まで引き受けるつもり)このへんを見通しをつけたい。

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東京に出る。実家の生業関係。やはり教員の方がいい。向いていないがとりあえず、お役遂行済み。

うなぎが食べたいと母がしょっちゅう言っていたので、母がたまに行っていた駒形の前川に立ち寄って、蒲焼を仕込んで早々と帰宅した。印刷があるので、コピーの安い生協まで再度出かけた隙に、母はうなぎを忘れてクリームパンを半分食べてしまった。私がうな丼の準備をしていると、パンを食べたから食べたくないと言い出した。糖尿病の私が食べられるわけもなく、母を叱ったのがいけなかった。実家の生業の始末が話がこじれること。人間は感情の動物であることを、改めて学習した。ウナギは翌朝、日干しにされて、食べたくないとのことでゴミ袋入りとなった。

母は小学校以来、短大までのすべての旧友とつきあっている。私のように、団塊の世代の尻尾として政治活動に参加し、旧友を断ってきたものとはわけが違う。この歳になって、いまさらハゲ同士が付きあっても、ろくな事がないから復縁の積もりもない。政治活動の裏も散々見てきたから、30年来贔屓もないし、やるつもりもない。

しかし実家の周辺の中小企業主たちと話をしていて、結局は母の旧友ばかり。ご隠居の身でもない生々しい爺さんたちに、うんざりもする。

半世紀以上も前の昔話だが、段ボールをリアカーに積んで運んでいるホームレスのおっさんを地元卸商の店員さんが取り囲んで蹴っていたことがあった。そのおっさんは、私に時々工作用の段ボールを持ってきてくれていた。小学校に入ってまもなくの頃だというのに、近くのバケツの水を店員に浴びせ、大人何人もが取り囲んで卑怯だと啖呵を切ったらしい。そのあとこわくなって小便をもらしたので、格好がつかないが、とりあえず騒ぎは闖入者の出現で治まった。そのエピソードがしっかり中小企業の社長どもに覚えられていたのだった。

この後先考えない飛び込みは、小学生のときもある同級生の女の子をいじめから守った。そのあと私が村八分になるのだが、あとから知ったことだが、その子は部落出身の子だった。その対極にいる有象無象に属することが恥と感じていた。正義を振り回すのではない。他者を攻撃することで、自分を浮き立たせようとする性根が受け入れられなかった。爺ぃになっても大差ないことをしているなと思う。

それはともかく、母の縄張りを歩いてきた感触が寝室で夜間傾聴の待機をしている最中、作業が中断してならなかった。それは震災復興支援活動をするとき、私は濃厚な地縁の社会に働きかけを行うのだなという思いだった。

私の訪問支援を行った引きこもり青年の言葉に「僕は小さいときからボールで遊んだことがない」という言葉が生々しく蘇ってきた。ボールは社会性のシンボル、相手あってこそのボール遊びである。彼の孤独が結晶したような言葉だった。それを聞いた私も実は遊んだことがなかった。それは、子どもの頃、死と隣合わせのような病を引きずってきたからであり、幸い私は別のつながりを学校外で持つことが出来たために、彼のような剥き出しの傷をさらすことにはならなかったが、特殊な体験、個的体験を飲み込んだまま、類として行動することにはならなかったのだと思う。いま・ここで手を結べる関係が私を誘ってきた。気張りもなにもなく、それは間違いではないと思う。多様性がどうのといえばしらける。ただ相手は違う人であること。その上にいかに信頼を育てるかということになるとき、ファンクラブ的結合の酔いは私には別原理である。果たして、震災復興支援をするとき、突き抜けられるかと、異様に気持が揺れ動くのだった。

夜間傾聴:橋本3君(仮名・パチンコ屋さんは、もうやめなさいって)
---- 店の前の自転車窃盗容疑事件。そのパチンコ屋さんに彼は通い始めていた。

p.s. 陸前高田・大船渡、美容師さんたちの協働の活動の情報収集中。


(校正1回目済み)

p.s.日曜に神奈川ソーシャルインクルージョン推進機構の総会がある。翌日から治験や母の病院周りが水曜日まで続き、25日がペットレスキューの顔合わせの初会合がある。時間が全く足らないので、間が空きます。ご容赦を。

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6/18 諸活動信号待ち状態なり/新宿にでて友人と泥沼を泳ぐ

2011-06-21 06:40:45 | 引きこもり
2011/06/18 記
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25日の被災地の犬猫の新しい飼い主さん候補の顔合わせの会が迫っているが、なかなか茅ケ崎市北部の訓練所や、変電所周辺巡回に時間が割けず、ともあれ獣医さんのところを回りきろうと思っている。

25日は、新しい飼い主さんの会を作りたい。ペットレスキューの活動紹介企画も考えているが、なかなか難しい。宮崎県の猫カフェのうたたねさんの写真展の記事があって、その写真を拝見したいが宮崎県はさすがに遠い。一度連絡させてもらおうと考えている。25日の内容にはいずれにせよ間に合わない。

我が家は祖父母に、強烈なアナフィラキシーショックの症状が出たほどの動物の毛アレルギーがあって、我が家は動物を飼えなかった。しかし、母と私のふたりだけとなって、猫ならば飼える状態になった。実際2年前までは、庭先の通り猫「きなこ」がいた。だが犬は散歩させられない。こんな状態で会を発足させることができるかとも思う。今回は猫ならば飼おうと思う。

北浦さんに連絡を取ったが、現地の方がお忙しいようで、当日出席していただくことは無理とわかった。7月に岩手に行ったとき、地元のペットレスキューの方や県獣医師会の関係者の方にも会えないかと探っている。

災害ボランティアは10数年ぶりだから、現地に行くにも情報ルートがない。茅ケ崎は南三陸町を中心に支援を拡げているので、そちらから支援を拡げるべきなのかもしれない。しかし紹介を受けたのは岩手県なので、現地情報が少しずれている。セカンドブックアーチの活動も、活発に避難所などへの古書の提供活動をしており、その直接支援の活動をより日常生活補助の性格を深めた支援を提案したいと思う。現地の活動とのリンクは、やはり行かなくては個別の活動に出会えない。先方もこちらが何ができるのかを打診している状態なので、個別の絵が描けけないのだ。会えばわかるというというところもある。窓が開けば後が続く。

相模原から、橋本経由で京王線で新宿に出た。奈良**大ML参加の**さんが上京してきていた。中村屋のカレーが食べたいとのことなので、やめとけという偏屈の虫が頭をもたげたが、まあいいかと、カロリーを気にしつつ食べながら話をしてきた。阪神淡路大震災のときの3分の1しか現地ボランティアが出ていないとのこと。交通路や宿泊の心配が阪神のときより深刻だからではないかというが、私は災害が巨大すぎて、どこから何を支援したらいいのかわからないのではないかと思う。原発の恐怖も大きい。近づきたくないという思いもあろう。

今実は、自分の立てている被災地企業へのサービス発注型支援の構想が、支援物資の提供や、ただその企業商品を買うという形に留まる支援ではない、日常生活支援に取り結ぶ支援が難産なのだと語った。被災地の生活を支援することは、今の物資提供も大事な部分を支えている。しかしあふれた古着のように、的確な支援は、現地ボランティア以外には見えないのかと思うと語った。

失業や破産、二重ローンや医療に問題を抱えている方々の一助となる支援を確実に届けるというのは、靴の上から足を掻くようなもどかしいところに立ち止まる以外にないのだろうか。もっと個々の状況を知りたいし、それがないと個々の家族の生計まで支援が届かないのだと語った。

**さんは、スマトラ沖のときに、医薬品を買って送る活動に係わった。しかしその医薬品が患者さんに届いたかついに確認が取れず、不審が募って他の活動に移ったという。ここに気がつくとはとMLで私は感心した。発展途上国への支援の場合、物資提供の場合でも、公的な立場の人間が横取りしてしまったり、配分が偏ったりという不自然な状態があったという。井戸を掘って提供する活動も、その井戸を地域の有力者が抱え込み、住民が使うのに料金を取ったという話も聞いた。義援金を集めても、個々人の生計に直接届くというよりは、箱もの、道路など街づくりに公的資金は使われがちだ。被災者の家族が窮地に立たされている状態で、分配がより見え難い。被災地産商品を買う形の支援は自営業は潤うが給与所得者は炊き出しなどの臨時企画以外はストップしてしまう。

しかし真剣な顔をして中村屋で話し込んでいれば、場違いなのは事実。私が新宿でPCを使うのに利用する店に入ると、今度は彼が落着かなくなってきた。ひとがあまりいないからだ。結局あまり話は深められず、彼は信濃町方向のビジネスホテルに帰って行った。私は紀伊國屋書店で商売道具の問題集を補充して、帰宅した。

午前中からありがたくない高校まわりを済ませてから、相模原の教室に回っていたので疲れていた。母が丁寧に洗濯物と食器を山積みしてくださっていたので、半分居眠り。母の言葉が頭の上を跳んでいた。

今回は孤食と言う言葉が出てこなかった分が救い。高い焼き豚をかっておいたのだ。私が食べたらたちどころに血液検査アウトである。


<購入した書籍から>
●「協働コーディネーター―参加協働型社会を拓く新しい職能」
●「災害がほんとうに襲った時――阪神淡路大震災50日間の記録」

夜間傾聴:橋本2君(仮名)


(校正1回目済み)


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6/17 雨に足止めされているが

2011-06-19 06:59:05 | 引きこもり
2011/06/17 記
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雨模様の天気が続いている。相模大野校のいじめの後始末に、いじめ側の子の在籍校の生徒指導と話す。警察を通しているので、さすがに無碍にはされなかったが、厄介な話持ち込みの招かざる客の態度は明らかで、彼らの処分を要求しに来たのではなく、被害を受けた子との関係を絶つことに協力してもらいたいとの話に、先方もひと息つく。

帰りに理事長に報告しに教室に戻る。このところ午前中の出が多いので、急な眠気。低血糖かなとブドウ糖を舐めるが、効果がない。面談室はまだ使わないので、ソファーで仮眠。取り戻したので淵野辺に出かけた。

母は昨日の外出で疲れてて家にこもっている。この後、淵野辺を巡回すれば、夜は授業がない。往復ともバスが順調につながったので、仮眠するために橋本経由で遠回りして帰宅。小田急線では席に座れない。母の孤食批判に応えるために、母は冷やシャブ、私は焼き魚の食材を仕込み大きなショルダーバッグの中に、大きな袋に二重にして詰め込み、ペットレスキューの巡回に入る。

今回は…
茅ヶ崎ドッグスクール
大輔動物病院
湘南リトルテール(共恵)

(再)山口動物病院

という具合。柳島の砂防林と住宅地の際にドッグスクールがあったが、廃屋ではないが雨戸が閉まってひと気がなかった。ブリーダーさんだなとわかる。そこから少し住宅地に入ったところに大輔動物病院がある。鉄砲道を歩いて、山口動物病院に出る。県獣医師会と話し合った件を報告。地元活動への協力を依頼した。私の友人が経営していたコンビニが無くなっているのに驚き、六道の辻を抜けて湘南リトルテールさんにお邪魔した。共恵の煎餅屋さんの近くである。

不在で面会できなかったドッグスクールを除いて、それぞれ協力的で助かった。特に山口先生とは、今後のことについて話し合えたことは大きい。南口から北口側の残りをまわろうとして、18時を回っていることに気が付き、諦めて帰宅。

夕食を作って母に食べさせ、私は食事後、ともかく仮眠を取った。

21時から、食器洗いの後、作業に入る。

1)6/25 の新しい飼い主さんの会を発足させたい。
  粗っぽい構想を描く。アフタケアをどう支えるか。

2)私は岩手の陸前高田、大船渡に行く。アクセス方法は?
  長距離バス往復を使うが乗り換え地点は、その先は?
  対策本部は遠野?住田町?それとも陸前高田に行っていいのか。
  歩きの者が目的の方と何件話せるのか。移動手段、宿泊は?

3)セカンドブックアーチの古書活動とリンクした
  被災企業サービス受注型支援の企画は。コンビニ連携が鍵?

難しい…。


夜間傾聴:淵野辺君(仮名)


(校正1回目済み)




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6/16 母を東京に送り出し巡回を/新聞記事から

2011-06-18 05:25:40 | 引きこもり
2011/06/16 記
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母と同じ趣味のお稽古の友人が経堂に住んでいる。昨日の地元医の件があったので、母を思いきって東京に押し出すことにした。私が藤沢まで母を連れ出し小田急線に乗せた。その母を経堂から合流して、稽古場まで連れて行ってくれる話が出来たのだった。帰りは新宿から湘南新宿ラインに母を乗せてくれることになっていた。私が茅ヶ崎駅で母を迎えることになっていた。

母は沽券にかかわるような口ぶりで嫌がっていたが、ひとりで東京に出るのは心細かった。小田急は落着かないと文句を言いつつ、しぶしぶ私のお節介を受け入れた。夕食は外食してくることになっていた。

私は今日は夜、橋本巡回だった。その間にペットレスキューの巡回を行った。墓穴を掘っているのかなと思いつつ、反響のない静けさをかみ締めていた。ことは通さなければ良いも悪いも本当の所の判断は出来ない。やって空転で終わるかもしれない、しかし、やらなければ絶対に始まらない。このことだけは確かだから、まずは関係者と会うことだ。

まつうら動物病院
今宿動物病院
つるみね通り動物病院
市役所記者クラブ

つるみね通り動物病院の院長さんは、福島にでかけてお留守だった。

6月25日(土)10時~茅ケ崎市女性センター第三会議室

これは新しい飼い主さん候補の方々の顔見せの会というか、交流会作りの会になるだろう。私はペットレスキューや県獣医師会の方との仲介屋と、通信発行やHP作り、アフタケア巡回取材屋を行う。いわゆる世話人を承認されればやっていくつもりだ。HPはブログとして、勝手gooのブログを立てる予定だ。

次に写真展が出来ないか考えている。ただ撮影者とうまく話がつけばいいが、これもまた私費覚悟でいかなくてはなるまい。できたらペットレスキュー紹介にアクセントをおいた展示をしたいのだ。ここに古本の回収を絡ませるということも可能だが、現地の関係者を呼びたい。さて…。

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橋本巡回、空振り。JR相模原の塾に立ち寄る。面談その後の対策の話、塾長へ。
空振りは、投薬の結果。強すぎる。親御さんに警告。

母を迎える時間ぎりぎり。無事帰宅。

夜間傾聴:淵野辺君(仮名・こちらから)


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<気になる新聞記事から>

●「死者1万5429人 行方不明者7781人 14日」
●「混雑するハローワーク=原発事故で避難、失業―二重苦、やり場のない怒り・福島」
●「遅れる義援金支給」
●「義援金2次配分も一部損壊対象外」
●「県・市町 相手決め支援 「兵庫方式」手応え」
●「東日本大震災:福島第1原発事故 東電補償金、義援金受給者に「限定」◇住民票なく断念相次ぐ」
●「東日本大震災:休業・失業…避難所は47% 毎日新聞調査」
●「東日本大震災:被災美容師、力合わせ 7人が「絆」共同運営--大船渡/岩手」
●「被災地ボランティアを募集 県高齢者生協」
●「湯を沸かして携帯に充電 大阪のベンチャー、鍋を開発」
●「住宅廃材、分別し資源に 茨城・つくばに新拠点」
●「「原発さえなければ…」酪農家の男性自殺か 福島・相馬」
●「生活保護200万人突破…戦後混乱期並みに」
●「愛犬が餓死する無念 20キロ圏内の現実」
●「地域防災計画と犬」


p.s.眼圧降下剤点眼液、目の張り付き感、軽減するので、一日2回を3回で使った。左目がおかしい。要注意。


(校正1回目済み)
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6/15 孤立が作り出す病い/ペットレスキュー巡回終盤戦で

2011-06-17 16:53:16 | 引きこもり
2011/06/15 記
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午後から母の症状の見通しについて地元医との面談があって、母とふたりで主治医のクリニックに出かけた。以前から指摘されていた脊椎すべり症、手術するほどではないとされてきたことで、私たちは不定愁訴の心療の方に治療をシフトしてきた。フィジカルな面からは、神経眼科による治療をしてきたのだが、それに更に治療が加わるのだろうかと不安があった。

話は母の要請によるものだということが、医師の説明でわかってきた。脊椎すべり症の症状は、たしかにあることはあるのだが、手術するほどではないということは以前と変わっていないという。つまり、突然のめまいや、下半身のしびれなどは、おそらくという話はできても診断するというところまで、原因がわかっていない。ところが母が次の新しい治療を求めたためとわかった。

私の外出が増え、一方、地元の仲の良い友達が続けて病死したことが、母の孤立感を深めていることは察知していた。母の趣味の仲間や旧友が東京に集中していることがあって、当人としては、体調をみないとなかなか出かけられないということがあった。私のちょっかいで、母は相手にメールを勧めていた。ところが携帯電話を持つこと自体、やんわりと拒否されてしまい、とてもメールどころではないと母は愚痴った。母の世代、デジタルデバイドは歴然とあり、体力の衰えは自宅軟禁の孤立に直結していた。

脊椎すべり症の手術は、常に様子を見ているのでまだ必要ないという医師の判断に従うべきだと私がいいつつ、不満そうな母の顔をみた。もともと母はアクティブなタイプで、連日なんだかんだと、私のことが言えないほど出歩いていた。ところが行き先の周囲の友人が、歳まだ早い病死で、櫛の歯が抜けるようにいなくなり、自分も胃切除の手術をしてから、近場に気兼ねない行き先がなくなってしまったのだった。

母は老人会はいやだよと口癖のように言っていた。特養や老健にも、祖父母の介護のことで以前から出入りしていたから、老人会もまた、実際の雰囲気がわかっていた。身体を動かす意味はわかるけれど、お遊戯と演歌・民謡と童謡は絶対に嫌というのが母の主張だった。一方でお稽古仲間の別の趣味からの招待で、元プロだった方のシャンソンリサイタルの招待がたまにあり、帰って来ると散々だった。日本語で歌われると薄気味が悪いというのだ。なかなか気の合うひとはいないねえと私と話しながら、私は、…親だわと思う。

孤食は嫌だということも、今回の別の治療を求める母の行動とつながっているように思えた。私も年齢と左目視野の悪化の状態から、活動参加のカウントダウンを意識している。だからなおさらに、母の時間も、どこかに接点を残していくことを大事にしようと思っているが、思いは、すれちがってばかりいる。

ちょっと呆れて母をともあれ帰宅させ、私は玄関を入らず、そのままペットレスキューの巡回に出た。今回は香川周辺である。

私は、昨日の野比の**さんからの借用資料を抱えていた。特別秘密ということではなく、資料を紛失したとき、再度手に入らないものを貸していただいたので、コピー後、すぐに返送する必要があった。松風台入口から歩き始めて次の2ヶ所をまわる。あいかわらずペットショップのハリーズはわからなかった。亀山動物病院の近くにポストがあったので資料を投函。香川小からバイパスにもどり相模線の踏切を渡った。そこでモア動物病院を見つけた。

亀山動物病院
モア動物病院

だんだん場所が離れてくるので、歩いてまわれるところが減ってきていた。

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帰りに近場にきたので、考えなしにセカンドブックレスキューのお店にお邪魔した。

サービス現地発注型支援のモデルを立ち上げる件、「古書」と「飲み屋店主の集まり」の復興支援への熱気の中、彼らにリアルなモデルの提案ということに、私は一歩身が引けていた。陸前高田と大船渡の中小企業の方に、直接具体的な話を今の段階は行ってしまい、要望を受け取っていいのかという判断だった。それを受け取った場合、湘南に確実に引き受ける体制が整っていないからだった。

しかしその一方で、皆、話次第と態度保留している状況では、このこう着状態は構想のいわゆる面白さや、要請の真迫度に頼るようになる。

ところが構想のもととなる被災者の窮状は、今の支援のやり方では、破綻の淵に困っている方に肝心の支援が届かないという、その現状認識が伝わっていない、共通認識になっていないところに、構想というただの上物が乗っかっているような違和感がしてならない。

打開するには、被災地からの要望を持ち帰った私を、地域が受け入れるか否かは野暮な賭けだが、それでも現地に行く以外なかろうと思い始めている。

先方とて私を信用していいのか悪いのか、得体の知れないのが来たということだから、話は小規模な口火企画にならざるを得ないが、現状認識だけははっきり伝えてくるつもりでいる。

県災害ボラ本部に、どの位の日数かけて、どういうルートで、予算はいくらくらいか相談を持ちかけるつもりでいる。仕事と親の件もあるので、ゆとりある日程はとれないが、歩きだからできることは少ないと、ある程度は覚悟している。

しかしそんな中途半端な状態で、セカンドブックレスキューに立ち寄るべきではなかった。

彼の活動の中では、古書を避難所に送っているし、飲食店の店主たちと売り上げの一部を送金しているのである。前者の活動は、被災避難者の方々に支援が届いているわけだし、私が問題だと思っている「売り上げの一部をカンパ」というところも、悪いと言っているのではなく、肝心の方に届かないと言っているのだが、その「よりましな」具体企画を見せろという話になってしまう。構想半ばで立ち寄るところではなかったと恥じている。私は絵を描かなくてはならないのだ。

この日、ペットレスキューの北浦さんにも連絡を取った。しかし、アフタケアの体制や、公的な支援の枠組みとの関連からも、大規模な企画は力量不足という話となっていた。

アフタケアや、所有権に係わることは、実際厄介な話で労力がいる話なのだ。彼のようなベテランだからこそ、慎重になる。そこをどう湘南の活動として立ち上げるかは、これも25日に持ち越し状況となっていた。

親子ともども、今夜は孤立感の夜となっている。質のいいものを出せば道が開けるというシンプルな原理を信じよう。そういうことなのだ。

夜間傾聴:橋本3君(仮名・ポップスを聴いていない飛田は変態なのかと。)


(校正2回目済み)

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6/14 いじめ対象か仲間かの狭間にあって/就労スキルアップの機器について話を/スライドVer.10

2011-06-17 05:52:32 | 引きこもり
2011/06/14 記
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週が明けた。昨夜の件は、普段夜間出動は決してしないと言っていた地元講師**さんの迅速な対応によるものだった。親御さんと相談のうえ、脅していたグループの在籍校の生徒指導に会うことになった。もっと深みにはまれば、命がからんでくる。地元講師**さんの愚痴のはけ口をやることで、私は一歩下がって手を組んだ。

大きなことに拡がる可能性がある問題は、年に数回はある。ぽっこりと何も無い年もあるが、それはその前に当事者が退学してしまったと読んだ方がいい。触法の可能性がある場合は、私の母ではないが、取り組みは若いのにやらせるのは無理だ。

理事長への報告をするため、**さんと私がメッシュと白髪頭を突き合わせて、お互い汚い字でレポートを書いた。本人も読むのがうんざりする。とりあえず当人は**さんの説得で、やっとガスが抜けた。それがあれば、私たちは彼に寄り添える。

私たちは相模大野で遅い昼食を摂ったが、私は糖尿病の常備薬を家に忘れてきた。**さんはいためた膝をかばって痛み止めを毎回食後に飲んでいる。彼は私よりずっと若いが、お互いポンコツである。

「彼、大丈夫だよな」、「見かけによらず、線細いしな。しばらく見守ろう」ということになった。

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今回はJR相模原の塾の方も、高検取りやめの子の面談があった。ハーフのために将来就職できないと悩んでいた。家族に不幸があった関係もあって、無理強いしないで、今年後半に気持を向けようと誘った。

時期があるのだろうか。私の場合、通学している子より、不登校・引きこもりの若者が多いので、学校のテストはあまり関係がないはずなのだ。それなのに集中する時期が出てくるのだ。

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16時前に茅ヶ崎に戻れたので、ペットショップ巡回。今日は夕方から、HL関連の全県パトロール会議があったが今回は見合わせ。

というのも野比の**さんと、高機能自閉症の方の就労スキルアップに携帯副次機能を使う件の相談で、横須賀中央で会う約束が取れたからだ。なかなか会えないひとだった。巡回を終えて買い物を家に届けてから、すぐに横須賀中央に向かう無茶な予定だった。それも他に日が取れないとの話だったからだ。

今回の巡回は時間切れ、不発。甘沼の住宅地内、全く土地勘もなく、検索した地図を見るが、住宅地は住所表示が少なく、店は全くわからなかった。犬の散歩時間にもう一度くることに。

ペットサロンハリーズショップ(甘沼650-8)

無念。
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母の孤食批判が始まるところだが、今回は母の好物を仕込んだ。暖かいうちに食べてくれと、弁当を渡し、面食らっている母が、おとなしくしているうちに玄関を飛び出した。

辻堂から横須賀に出てしまう。駅からはバスが頻繁にでているので、横須賀中央に出る。20時の約束。食事をしながら、久しぶりにカップビールを飲む。すぐに糖尿病の食前の薬を飲むので、場もしらけてしまう。メールで論点を伝えておいたので、資料をいただいた。しかしカタログの方は、個人で機器購入するには高すぎ、また完成度が低い。キングジムから出ている「Shot Note」がメモデータを、瞬時にブルートゥースで移せるようになったら、利用範囲が広いと話した。単純明快なソフトを置くべきで、これでさえ多機能すぎるという話。エバーノートと連携させるよりドロップボックスのほうがシンプルでいい。開発は、個人では厄介すぎる。海外の機器カタログの部分コピーをお願いした。

横浜を経由して帰るのが苦痛だった。馬鹿馬鹿しいと思いつつ、横須賀に出て鎌倉から江ノ電に乗った。のんびり座りたかったのだ。江ノ電30数分の旅というわけで、藤沢に出た。たった一駅だが東海道線に乗って辻堂に出た。わけも無く、突然こういうことをしたくなる。

母は弁当を半分残したが食べていた。横須賀中央で店じまいの時間ぎりぎりで飛び込み、和菓子を買っておいた。それをみやげと称して、小言の口封じがてら、母の摂取カロリーを上げる算段だった。しかし包み紙から横須賀に出たことがばれて呆れられた。

思うように、災害ボランティアの件が進まない空転の憂鬱さが残っていた。明日も巡回は香川周辺である。眼球を動かすと引きつれの痛みが出る。眼圧降下剤点眼薬を点すと治まった。肩をまわす。眼の疲労に効くとか。

夜間傾聴:南大沢君(仮名)
     橋本2君(仮名)

p.s.被災地企業へのサービス発注型支援の解説スライドVer.10完成。配布用にCDに焼いている。その中のreadme.txtを転載する。


---- readme.txt ここから -----

このスライド集は、

公的募金
被災地産商品販売支援

のいずれも、配分の遅さや、被災失業者の個人生計支援に反映出来ない、現在の支援の落とし穴を補間する提案です。

義援金で直接潤うのは、地域環境と自営業者のみ。被災による生活破綻者に、無料炊き出しと芸能だけの「がんばれ支援」というのは、底が浅すぎます。

給与所得者、被災によって失業破産の際にある方、居場所すら奪われた福祉対象者、そうした方々に手が届く支援は、現実的には、民間直接交流支援を拡げていく素地の上にしか育たないと思います。

それには、まずは小さな間接プレゼント活動から初め、
地元リーダーを育てパイプを太くしていくという構想です。
熱意ある地元中小企業有志へのサービス発注を通じて、避難所・仮設住宅など
の避難生活者家族に、地元からサービスを提供します。物資のみならず、マッサージ・医療機関までの配送などの物資そのものではないサービスをも届けられる特徴があります。

「現地活動以外である後方支援は副次的活動であり、だから資金援助」と考える従来の短絡発想の抑圧を超えて、被災地との交流環境の中に後方支援を正当に位置づけること、当事者活動の自立育成を見通した後方支援の形を提案します。

中継者や交流環境の提供など、まだ未完の構想ですが、支援の谷間に覆い隠されている方々にしっかり届く支援、その支援を考えるための口火にしてください。

私は別途、ペットレスキューの新しい飼い主さん探しの活動を始めていますが、これもペットを仲立ちとして、被災者家族と、新しい飼い主さん家族が友達になることを背後の目的に考えています。民間支援交流の窓を開くのです。

提案した構想のアレンジを考えてください。

補)は、直接説明の流れとは関係ありませんが、被災地に始まった優れた実践です。今後、本構想に消化して取り込んでいくことを考えています。事例をあげれば、先進国のマイクロファイナンス(低金利小口金融)の珍しい適合事例が、被災からの復活支援です。また各地にネットワークや社会的企業の芽も育っています。これらは今後も注目すべき課題です。

---- ここまで -----


(校正2回目済み)

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6/13 覚え書き

2011-06-16 05:37:23 | 引きこもり
2011/06/13 記
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相模大野校の臨時出勤の要請が来た。警察署に直行、親御さんと頭を下げて塾生を引き取る。彼はスケープゴートだった。脅されていた。

彼の高校とは違う高校生のしわざなので、とりあえず彼の高校の生徒指導と話してきたが、なんとも冷淡。彼は在籍校を長欠していたからだ。

地元講師の言うことと、私のいう事が違うと彼は怒っていた。今夜が少々危うい。地元講師に状況を説明し、今夜は酒飲むなと警告をだしておいた。幸い専用携帯に夜間、電話がかかって、当たりだと言う。暴発は防げた。始末は彼に任せた。

ことが煮詰まってくると眼の調子が悪くなる。
母が起きてきて水を飲んで寝室に戻っていった。
今回は覚え書きのみにて。


夜間傾聴;相模大野校講師(文句)

(校正2回目済み)
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