湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

6/29 母をバス停から送り出す写真がポストに

2018-06-30 04:41:43 | 地震津波災害ボランティア
入り、警察に届けました。今回、午後のブログにまわさせて下さい。この手のいたずら、10年ぶりですが、近所の同一人物です。文字とハンドル名が同じでした。
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6/28 母の病院脱出後始末の一日/足踏み・質の保持と闇夜の鉄砲情況打開を

2018-06-29 05:35:08 | 地震津波災害ボランティア
2018/06/28 記
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生協の配達に起こされる。昨夜の母の病院脱出の後始末があるので東京へ。母の主治医は外来の日ではないので、外来担当の師長と会い、検査入院中止の経過を説明。後始末をする。無駄な出費、頭が痛い。来週主治医と話すことに。この間も、浜見平の友人に臨時出動してもらっている。すぐに帰宅。自宅に戻った友人に、臨時出動に感謝の電話をするが、母が藪医者の病院だから替わりたいと言っていたとの話が返ってきた。母は、この暑いのに、エアコンかけて布団にくるまって、狸寝入りを決め込んでいた。

今日は橋本の仕事も日が合わないので、懇話会のゲスト招請のメールと伏線の候補チェック。熊本では東日本大震災の経験を経て、医療的ケア児者&寝たきり高齢者の保護活動にそれぞれ注目すべき独自活動がある。前者ではネットワーキングと医療機器補充ネットの動きだ。ただ熊本現地にこだわる限り、招待の交通費実費の負担が障壁となる。往復5万円弱。加えて、謝金がかかる。半年間交渉してきた方の場合は、講師活動を閉じたがっていらしたところに、私が無理押ししているので、先方にもメリットが出る出会いを、作らねば実現が難しい。東京に出ていらした日程の一角に、湘南に立寄ってもらうという具合に出来ないかと交渉したが、先方が歩み寄っても、よい出会いになるように肝心の受け側をまとめるのは不可能に近い。

東京の支援団体の熊本経験者をさがそうとしたが、家族会連合会のような形をとっていて、推進者が見えない。明日もこの話で終わるだろう。母のごたつきには正直構っていられない。

教材屋仕事は夏期講習用だから、私の作業は先月中に終わり、残りは最終稿のチェックだけだ。これで振り回されることはないが、母の反乱がからまなければいいがと思っている。

ともあれ今日は収穫なし。後始末の一日。

横市大のボランティアは、前回の宗教活動がからんだ方の接近があったので敬遠しているが、戸塚の子ども医療センターや、今回のゲスト候補者と双方ともに仲介の立場の方がいるので、先ほどメールした。

施設運営が危機の時期に、防災を持ち出されてもそれどころではないという感覚があろうが、施設巡回と協力者探しも、家事の合間に動き出す予定。

夜間傾聴:ひとり

(校正2回目済み)

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6/27 医療的ケア児の被災という懇話会テーマについて 母の病院脱出

2018-06-28 05:28:56 | 地震津波災害ボランティア
2018/06/27 記
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母が東京のリハに出かけることで、バス停まで送って行った。家に戻って一息ついたとき、母から電話が入った。財布を間違えたというのだ。急遽茅ケ崎駅に届けに行ったのだが、待ち受けていた母はしゃがみこんでいた。めまいの前兆である。この時季まで発症を引っ張ることは稀なのだが、危ういので帰宅を促したのだが、来週は順が入れないのでこのまま行くと、頑として帰宅を受け入れなかった。やむを得ず母に同伴して主治医の外来へ。こうして私の予定が吹き飛んだ。

1泊の検査入院となり、先にひとり帰宅したが、22時過ぎ、玄関が開いて母が帰ってきた。驚いた。母は明日約束があるからとか、何年も同じ検査しても結局は原因不明になるだけだから、泊まらなかったと清々した顔をしているのだ。この頑固が、私の予定を不安定にし続けているのだ。怒りが頭をもたげ、母の無事を唱えて怒りを飲み込んだ。ため息が出た。

橋本の仕事は日送りしたが、懇話会のゲスト説得メールと、埼玉の訪問看護師団体の++さんに、熊本のケア支援関係者の紹介依頼のメールを書いた。ゲスト交渉がすでに半年を経ている。破談になったときの伏線。++さんはキャンナスとは異なる団体の方だ。

++さんのメールの応答はすぐに返ってきた。依頼を受け取るも、自分の活動は高齢者ケアなので、子ども障碍者の話は領域外だから、あてにしないで欲しいと前提付きで引き受けてくれた。

横国大の元事務職員の**さんからも応答が返ってきていた。彼には学生の災害ボランティアで、生活支援をしているサークルがあったらつないでもらえないかと頼んだのだが、退職しているので無理だとの応答。

昨日から「医療ケアの必要な子どもと家族の日常」の2部作が放送されている。様子は理解しているつもりでいたが、24時間中10分刻みの痰吸引や見守りが家族の双肩にかかっている状況が紹介されており、改めて状況の深刻さをかみしめた。発災時、まず救護の手が必要なのがこの「医療的ケア児」家族だが、当事者には、常に生の淵を歩んできたのであって、あえていう災害という場面設定の受け取りが違うだろうということがある。それでもなおと考えた場合も、当事者から離れて会に來るという事自身が難しいだろうと、テーマの重要さの反面事情が見えてしまう。

これが半年の折衝の背後にあるなと再確認した。しかし論じなければならない課題なのである。

<資料>
●ハートネットTV「"医療的ケア児"成長とともに第1回『未就学児の悩み』」
●ハートネットTV「"医療的ケア児"成長とともに第2回『学齢期からの悩み』」


夜間傾聴:ふたり

(校正2回目済み)

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6/26 身体障碍系家族会代表の**さんと会い/火曜災害ミニカフェ7月分番組表が出来ました

2018-06-27 06:18:51 | 地震津波災害ボランティア
2018/06/26 記
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身体障碍系家族の会の代表**さんと会う。某福祉法人施設の世話人をされている方で、懇話会の目的と経過を語り、今回は厳しいテーマだが「医療ケアの必要な方と家族の被災」について、熊本の経験を引き寄せたいのだと伝えた。ゲスト選びが難航していて、ゲストは++さんと、まだ言えない状況があるので、近々再度連絡させてもらうと伝え、中途半端な出会いとなった。関心は持っていただけたかと思う。

話し合いの終わりごろ、サポチガ・スタッフの##さんから、身体と知的の重複障碍の子が自傷行為を起こしている。行動障害の専門職や医療の方と結び付けたいが、どうしたものかという相談を受けた。精神科の受診で鎮静剤の処方を考えているというので、引き留め、医者は選ばないといけないこと、服薬は対症療法である自覚が必要で、それよりも相談相手を紹介するから、対処経験をきくべしとした。

---------

キャンナスの%%さんと連絡が取れた。やはり熊本の件だが、高齢者・障碍者双方の依頼を持ちかけることになった。7月初旬に会う。懇話会の足踏みを打開したい。

沼津の知人PSWさんに電話した。以前の職場を今年退職し、別の施設に移ったとのこと。静岡県情報をまとめてもらう依頼だ。勿論被災時要援護者関連とその勘所を絞ったお願いである。

「火曜災害ミニカフェ 7月分」予定がまとまる。

7月3日(火)14時
第100回
●「NNNドキュメント『見えない被災者 熊本地震2年』」(BS日テレ 30分)
●「あの日わたしは『宮城県石巻市 岩元暁子さん』(石巻復興新聞)」(NHK-G 5分)

7月17日(火)14時
第101回
●「学ぼうBOSAI『河川氾濫に備えよ』」(ETV 10分)
●「あの日わたしは『茨城県古河市 佐伯久美さん』」(NHK-G 5分)
  古河赤十字病院の救急医療チーム派遣
●「あの日わたしは『茨城県石巻市 阿部隆さん』」津波被災の水の中からの家族探し(NHK-G 5分)

以上

夜間傾聴:ひとり
(校正1回目済み)


p.s. 母は鍼治療。**さんとの対話のあと、急ぎ鍼灸院の待合室に迎えに行く。

 私の中学校時代の同級生の母親と出会ったとか。苦笑い。
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6/25 熊本の交通費課題をTV会議は越えられるか

2018-06-26 05:50:01 | 地震津波災害ボランティア
2018/06/25 記
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朝、壊れかけていた玄関チャイムが、けたたましく鳴り始め、飛び起きた。ご近所さんが回覧板を持ってきたのだが、1回ボタンを押したら、親機のチャイムが、止まらなくなったのだ。急ぎ電源を切り、橋本に出かける前に新しい子機を買って北茅ケ崎から橋本に向かった。

車中で訪問看護団体の++代表にメールを出した。次回の懇話会の話ではないが、熊本の看護団体の**さんが交通費で招待が怪しくなってきたのだ。往復で8万円、宿泊費を1万円と見て、実費で10万仕事になる。先方が東京にいらしたとき、茅ケ崎に立寄ってもらうということで、お願いしてきた。しばらく東京に出る予定がないというのだ。すぐれた語り部なのに惜しくてたまらない。大学や企業ならTV会議というところだろうが、熊本側にシステムを整える協力者がいない。またTV会議は経験的に話が浅くなる傾向があり、慣れた司会がいるのだ。そのようなわけで、熊本の訪問看護の**さんに現地の司会を頼めないかということ等々相談が必要だったのだ。**さんは全く取り合ってくれなかったのだ。

++代表は、面会を許可してくださったのだが、果たして願いが通るかどうか。実は古い伏線がもう一本ある。SFCの学生さんをあたることだ。講師筋は今もSFCに在籍しているか怪しいのだ。++代表には来年初頭の医療支援のテーマでお願いしようと思っているのだが。

チャイムの音が連続して止まらなくなった話を##にしてしまった。。バカ受けして、ころげまわりそうになって、私は不安になった。子どものいたずら「ピンポンダッシュ」をやって、捕まるかの生があった。後の祭り、様子見しかない。

母がスマホを変えたので、メールアドレスの変更情報を母のメル友に送った。しかし1通も応答がないという。電話で聴いてみたら、先方全員どうしらたいいかわからないとのこと。結局家族が手を入れている。母はお前が巡回して直してこいというむちゃくちゃを母はいう。しかし、デジタルデバイドはすさまじいのである。・

大阪北部地震の情報が徐々に入ってきている。朝日朝刊がが震度6強で「古い大型施設の1割が倒壊リスク」と告げていた。


夜間傾聴:ひとり

(校正2回目済み)

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6/24 恩師の7回忌に参加し後遺症が残った

2018-06-25 03:44:51 | 地震津波災害ボランティア
2018/06/24 記
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恩師の7回忌に参加した。親族以外は少数の同期の面々とぽつんと恩師の友人が並んだだけ。共通の経験があるから同期だけが来ているのだとわかった。時代がそこにあった。私たちは団塊の世代の尻尾に位置しているしているが、時代の受け取り方はまるでちがい、こだわる私は案の定無視された。会ってはいけなかったなと自覚し、早々に母を出汁に、初対面のひ孫さんに挨拶して引き上げてきた。2名の同期はいずれも病死。ひとりは与党議員をしていた。

正義とか倫理とかそういうものではなく、見知らぬ他者と喜怒哀楽をともに出来るかということ。世界を一歩踏み出して理解しうるかということだ。同じユニフォームを着て安心を求める生き方はしない自己観察を保つには自立性を保てるかということだ。もう二度と会うこともないだろう。つまらない。

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まっすぐ家に帰ると、私のこわばった顔から母がなにやらを察知されそうなので、間をおき、行きつけの和定食屋で、あじのたたきを食べた。立派な頭のついた魚は象徴的に何か食いたくなかった。ガス抜きをしてから帰ろうと思ったのだ。何のことはない。見えない目の側においてあった茶碗をひっかけて、落として割ってしまい、店員さんに謝って、落ち着きなく店を出た。網膜色素変性症で、見えない場所があるのだ。びしょぬれの包みをかかえて帰宅した。何とも恰好がつかない話。玄関を開けたら、くしゃみがでた。

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母の詮索の網にはかからずに済んだが、家事はしっかり残っていて、予定していた作業には全くたどりつけなかった。母は娯楽番組を私と観たいらしく、私としては、母は早く寝室に引き上げて欲しいのだが、上の空の私に、新しいスマホの操作方法がわからないとスマホを突き出し、私が操作を確認して説明しようとすると、私の知らない友人の世話話が私の説明にかぶせて話が始まった。キャベツを漢字で書くと「球果」かと脈絡のない質問が始まった。「球菜」だよと応答すると、何が面白くないのかと怒りはじめ、思わずコンビニへと離脱した。

母は寝室に行き、電灯を消していた。若い子ではあるまいしと思いつつ、からむだけまだしっかりしているかと、おもむろにPCをだしつつ、今も作業を続けている。

見える側の視野に二重の白い同心円が見え、テストパターンのように時計と反対周りに透明になっていく現象が半年前突然始まり、いままで続いている。目を閉じても見えるので、瞳内の泡の仕業と考えたが違いそうだ。この目が見えなくなったら誰が専門性のある書を読んでくれるのだろう。やれることをやりつくすために、拡大読書機の辞書をとりあえず買っておこうと思う。

共感できるところでお互いがつながればそれでいい。そういう団塊の尻尾の流儀が通じるか否か。しかし読み書き表現の場面は別。そこの保証ができないとまずい。母の見守りは、母が多くを荷卸ししても、悲しみの種にはなりたくない。今夜は傾聴の心のゆとりが取れそうにないので、臨時休業とした。

夜間傾聴:臨時休業

(校正2回目済み)

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6/23 明日の法事で/大阪北部地震被災者支援の件 他

2018-06-24 05:20:57 | 地震津波災害ボランティア
2018/06/23 記
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明日は恩師の7回忌ということで、普段全く付き合いのない++が私の近況を聞きに電話をかけてきた。お清めの二次会を仕切っている模様。母の事を振り回すわけにもいかないから、畑違いの世界に潜行中ゆえと告げ、遠慮すると告げた。この7年の間に2人が逝っていたと知った。ただ私と同世代は、退職後隠遁している。社会批評や芸能娯楽に関心が無く、私は妖怪・宇宙人だ。いわゆる仕事上の挫折なく、つまらないから、今回が最後だろう。恩師の次男さんと畑違いの学会でパネラーをされていて、お名前がそっくりなので問いかけて、それが仲介となり、先生と再会することになったという経過で、妙ちくりんな難題相談先にばかりご厄介になっていた。同期の連中とは後からつながっただけで、私は価値のないことをしている異物であるのは、卑屈ではなく事実だった。

母方の墓地のすぐそばの墓地に恩師は眠っている。次男さんと久々に会えるのを楽しみに、恩師のため息が聞こえそうな動機で出席する。頭を洗った、白髪がごっそり抜けた。

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大阪北部地震の件で、阪神淡路大震災のときの支援活動で知り合った奴から返信メールが届いた。奈良の生駒に住んでいる。近所のの酒屋の陳列瓶がすべて割れてしまったという。彼の家族は無事だった。

大阪市内も地域差がかなりあるようだが、家屋の外観は保たれていても、内壁の亀裂や、襖などの立てつけが歪み、床が傾いたところもあるという。ニュースなどでは、押し入れが開かなくなり、独居高齢女性が着替えや布団が出せないで困っており、そこにボランティアが入って、立てつけを直した。こういう見えないニーズが相当数潜んでいそうだ。

彼は教え子を緊急招集して、学校関係をまわるという。ブロック塀倒壊で小学生が亡くなっている。だからやることは、おそらく山とあるはずだ。湘南にいて、有効な支援方法は何か、見てきてもらうことにした。

夜間傾聴:臨時休業

(校正1回目済み)

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6/22 翔の会の++さんと会う/7/7茅ケ崎市職員被災地派遣報告会申し込み 他

2018-06-23 05:08:56 | 地震津波災害ボランティア
2018/06/22 記
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翔の会の++さんと久々に会う。相変わらず内容の吟味に至らない周辺質疑に終始して、用件の是非だけが決められていく。私が懇話会の紹介チラシを提出しても、評価は回避されていく。運営費はどう捻出したのかを聞かれてその背後のまなざしにうんざりする。運営費の大半は私費であり、被災地通いの実費負担の私費、中古車の車検を通し被災地に送ったのも私費。自分がやれることをやる、災害ボランティアとはもともとそういうものだ。それを宣伝材料にしたことは一度もない。卑近なまなざしを感じる。失礼な話だ。しかし今回の話は懇話会の重要性(災害対策に熱心な地域の横断的コア作り)を踏まえた協力要請は必要なことだ。障碍者の分野でいえば、自立支援協のエンジンの外側支援だ。

各回の参加者、共同推進者は誰かという質問には、容疑者尋問のような不快感があった。今という時代を共有し防災について何をなすべきかの思いをかけらも話題にできない閉塞感の中で、面会は終わった。

翔の会職員に対して、懇話会の存在と次回の懇話会予定の情報提供をして下さることになった。これについては謝意を表したい。

次回の懇話会のゲスト契約ができ次第、再訪問することにした。

帰りに夢鯛設立時、ご一緒した**さんと++さんのご好意で再会した。ところが彼の背後は光っており顔は影になってしまい、丁度逆光写真のような位置という不利な条件下で対面し、また網膜色素変性症の視野の影から彼の顔が見えない事態が瞬時起きた。また誤解されたようだ。相手がだれであるか、視野の雲の合間から確認しないと相手の表情が見えないのだ。説明しても相手が網膜の病の予備知識がないと通じないのだ。参ったなあと瞬時の刃を感じ、誤解を抱え込むことになった。

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帰りに藤沢側の身体障碍者施設に立寄った。施設長さんとは会えなかったが、仲介の職員さんに懇話会招待をしてきた。大枠説明を聴いて下さった。要援護者支援の現場懇談は塁が少ない。藤沢の防災計画とは別個のうごきだが、是非連携してほしいと伝えた。

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7月7日は、いろいろな企画が重なる。午前中の障碍者の避難訓練のあと、14:30~16:30茅ケ崎市の職員の被災地派遣の報告会がある。市役所本庁舎4階会議室1・2へ。市役所職員課に氏名・電話を伝え申し込むといいだろう。申し込んだ。

藤沢の施設に行ったとき、偶然##さんの介護タクシーがアイドリングをしていた。お客さんを運び入れるところだった。防災と介護タクシーネットの話があると##さんに伝えた。お客さんがいたので、短い対話だったが、脈あり。連絡用の名刺をいただいた。

市市民自治推進課にSCF(わーくの母体)の昨年の活動報告書と三役名簿を深夜投函した。この書類を投函した。

「化石化する私」

USBカードのデータを打ち出すためにセブンイレブンに行った。レジ支払いを済ませるとき、

飛 :「この近くに『ポスト』はないかな。」
店1:「『ポスト』ってなんですか?」
店長:「ほら『明治時代、あかい筒が…」
店2:「そんな昔の事、知りませんよ」

いたたまれなくなって、店を出た。

夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)

p.s.母は趣味の会からタクシーで早めに帰っていた。異様に眠いという。予定外が介護者を縛る。困ってしまう。
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6/21 市市民自治推進課への活動報告書を準備しつつ/明日は症の会**さんと面会/母の頑固な東京通院

2018-06-22 05:17:07 | 地震津波災害ボランティア
2018/06/21 記
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母が止めるのを聞かず、東京の主治医の病院に出か市けて行った。やむなく送り出したが、案の定、新品のスマホから、主治医の診察は無理だったと連絡が入った。別の若い医師が診察相談となったが、若くて頼りないと小言。レジデントかなあと思いつつ、母の帰りの駅着時間までに、ビッグイシューの最後の配達を済ませ、買い物補充をして、改札口で待ち受けた。母を家に戻すと日が傾いていた。

明日、翔の会の**さんに面会する。その前に市の市民活動推進課に年に一度のSCFの活動報告書を提出する。最後の仕上げを済ませた。今年度は大きな変更がないので、楽だった。

懇話会ゲストの話がまた金曜日を向かえてしまった。困った話だが、実費の話に課題が絞られてきたので、予防線は進めなくとも大丈夫だと思う。明日は翔の会の帰りに藤沢側の施設も回ってくる。母を趣味の教室まで浜見平の友人が車で送ってくれる。感謝。

FBで奈良のケア関係者と知り合いになった。奈良++MLの方との接点はないようだが、教育畑と福祉畑の違いのようなもので、専門性の縦割り状況が今だ残っているのだなと、外野の私には見えるのだが。

自立支援協が発足当時、手帳を持たない自閉症スペクトラムの裾野にいる引きこもり者の一部を私は担当していたが、手帳の有無が参加資格の基準と追い出され、引きこもり畑からも「わあたしたちは病気ではない」という遮断にあって、その境界線活動を作ってきた。ことは、自立支援協が手帳をもたない方が中心の団体が、いつの間にか参加し、私たちが戸外に置き去りのまま、信用できるのかと延々とレッテルが貼り付けられ続けてきたこと。

東日本大震災発災後、被災ペットの新しい飼い主さん仲介の活動を始めたとき、寒川の小谷に乱暴な被災ペット仲介者が寒川町と問題を起こしていた。私たちは、予断でその団体と同一視され、町議や、ネグレクトしていた市議の疑いによって増幅されて、別の支援活動もろとも遮断された経緯がある。交流が疎であるから起きる事。ただレッテルははがれない。ただやるべきことは通しておかなければならないので、期待せず、防災の見通しを持った提案をしてくる。ゲストが確定していないことが難点だが、懇話会参加招待の話としてしてくるつもりだ。

あらゆる提案が、立ち消えにされる状態だけは、何とか打開したいと思っている。

夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)

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6/20 今回はプライベートな話で終わりです

2018-06-21 05:38:08 | 地震津波災害ボランティア
2018/06/20 記
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母の東京のリハを休むと言い出して、今日の予定がすっかり狂ってしまった。節々が痛むとのこと。風呂に入って身体を温めたいという。気温がそれほど低くはないのに、部屋風が湿気ていて、冷たく感じる、いわゆる前線の風が来ると、古傷が痛んだり、体調が崩れるという状態だと思われる。入浴は荒療治だが、出てから布団にもぐりこむのではなく、汗をしっかり拭いて,風を遮断し室温をやや高めた部屋で安静をとる方がいい。懇話会の招待を行う為に2か所をまわることや、車いすの販売店に懇話会紹介のちらしを置かせてもらう交渉が日送りとなった。

理由がわかった。頭皮根元の白髪が見えたので、このまま東京に行きたくないと話し、朝予約が取れたので美容院に行くといいだした。風呂上りで雨天外出はどう見ても、また体調悪化の元になりかねない。強固に主張する母に折れて、付き添うことになった。

時間がもったいないので、市に提出するSCFの組織活動報告の原案をスマホに書き出すことにした。三役は私が一番若いという高齢化がすッ住んでいる。明日、東京の主治医のリハではなく診察を受けるという。開業医は明日は休みだが、病院は休まないが、主治医の予約が取れないだろう。結局私の説得を受け入れ、家で休むことになった。

虚しく一日が流れて行く。

●「大阪北部を震源とする地震(第3報)」
https://www.saigaivc.com/20180620/

また、子ども食堂関連で、対症療法の限界はかわらないが、より柔軟に現状に即した実践の紹介が記事になった。

●「食支援:「子ども食堂」枠を超え「来られない」家庭支援」
https://mainichi.jp/articles/20180618/ddm/016/040/020000c

夜間傾聴:ひとり(なぜ飛田はサッカーをみないのか)

(校正1回目済み)

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6/19 NHKドキュメント「長すぎた入院」と被災/懇話会招待・身体障碍団体代表に説明可能に

2018-06-20 05:38:48 | 地震津波災害ボランティア
2018/06/19 記
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火曜防災ミニカフェ、今回は「NHKドキュメント『長すぎた入院』」を取り上げた。今回は防災の課題の傍流にある話題だが、精神病院の被災によって判明したことを見落とさないという観点から筋が君組み立てられている。災害、ここでは福島原発の爆発と近隣地域(大熊町)の避難という非常事態が起きることによって、日常では包み隠されていた「社会的隔離」の実体が暴かれたということなのだが、その事態はただごとではないにもかかわらず、問題は何も解決しない。ひどいねえとか、信じられないという切断が無自覚に発せられるだけだ。

登場するトキオ(仮名)さんが、50年にわたって、症状に関係なく院内に監禁されていたという話から始まる。転院先の医師が精神障碍の再検査を行ったところ、全く入院の必要がなかったという。アルコール中毒の夫のDVがあって連れてきた妻が、一緒に入院させられて20年近く経ってしまったという例や、親族を失った孤立者の一時避難が患者として入院となったまま数十年が経ち、いずれも家族が精神病者が家にいると噂されないために、入院を承認してきたり、引受人がいないことが理由になって長期化していたという。そしてこれは、特殊な例ではなく、患者の転院を契機に「社会的隔離」が露呈したのだった。

沖縄が敗戦後、米国統治されていたこともあって知的障碍者や精神障碍者の座敷牢が沖縄返還まで残っていたという話も有って、番組に出てくる父親や弟の言い分が「自営の仕事が忙しかった」とか「(自営の場合)風評がこわくて」となり、それは現在も全く変わっていないことに驚く。

大船渡の車いす生活者の仮設に「災害大尽」と落書きされたり、「石が投げ込まれたり」というような障碍者ヘイトが行われたり、「税金泥棒は我慢しろ」というような差別が避難所には横行する。

大声をあげたり、奇異行動をとったりすることが避難所生活を困難にするだけではなく、この「税金泥棒」「他者依存という甘えとわがまま」という排除の論理が彼らを追い出している。

社会に出たものの、過去を取り戻すこともできず、知人もおらずに孤立する現状に、支援施設のグループホームに入所し事業所の仕事、ここでは「農業」就労していた。分散した元入院患者をめぐることが、知り合いに会うことになっている場面を追った。

問題は投げ出された。応答するのは誰なのだろう。社会的激変は時に日常に潜む社会の歪みを明らかにする。それを受け流しますか。

-----------

カフェの最中、私が市内の身体障碍者団体に懇話会参加要請をしたメールに応答して、ある会の代表の方がサポセンに私を訪ねてくださったことが知らされた。嬉しかった。説明をさせてもらえることが実現した。

ことは、やっと動き出した。

ゲストとの調整中、大阪北部地震が起こった。交渉が一時中断となってしまったが、「都市型災害と障碍者被災」の件で、熊本地震の補間を行おうと思う。メールを煩わしく思わないで欲しいと言える背景が」持てそうだ。

大阪北部地震では、避難所400か所の要援護者の様子を知るために、地方紙の記者さんのネットに、東日本大震災のときに知り合った記者さんを通じてお願いをした。即応答があることはないが、糸口がつかめそうだ。

また支援をどうするかということで、障碍者支援の「ゆめ風基金」を仲介することにした。ただここは、問題の多い方も参加されているので、そこに参加されている団体単位で打診を始めた。

生活クラブ生協が7/1の朝、高田デポーでママさんの防災カフェをやるという。日程が教材屋の仕事と重なるが、調整中。ただ親子の課題の防災となると、高齢者・障碍者の避難との接点がなかなか見つからない。参加、どうしようかと思案中。


夜間傾聴:開店休業

(校正1回目済み)

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6/18 大阪北部地震に体制取り直しを探りつつ…

2018-06-19 05:19:40 | 地震津波災害ボランティア
2018/06/18 記
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朝7:58大阪北部を震源とするM6.1、震源の深さ10km、震度6弱の地震が発生し、通勤時間帯の都市型災害となった。

このとき私は爆睡中。塾長から専用携帯に電話が入り目が覚めTVをつけた。南海トラフ地震の予告編のように感じ、帰宅難民群衆の流れの通勤客の映像が東日本大震災の元である。安否電話は控えて情報収集の作戦を立てて、サンドイッチ片手に朝が始まった。数少ない関西の友人宛に安否確認メールを出した。何通か応答があったが、いずれも無事の応答。一部屋根瓦が落ちたり、娘を下宿させている方はガラス窓が割れたという直下型の災害を受けていた。当人は怪我一つなしで、まずはよかった。

しばらくして、大阪北部地震について、もう一度、カンパや現地支援に活動を立ち上げる余力がないことに気が付いた。懇話会は熊本地震の要援護者支援関連のスト探しを続けている。現地取材なら焦点は何か。

オンライン探索を続けていると、同じニュースが繰り返されていて、まだ個別の独自取材公開がはじまっていない。帰宅困難者対策は災害ボランティアがどうかかわれるか考えている。

障碍者や高齢者の情報収集は、もう数日たたないと入ってこない。

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母をリハに追い出し、ビッグイシュー配布巡回を行った。図書館が休館日なので、これは明日に。TAJは動き出ろうか。茅ケ崎北口のエメロード商店街の&&さんに情報収集に立寄るが、外出中で会えなかった。

一日中、うろうろして終わった。熊本の被災障碍者関連の懇話会ゲストとの詰めメールを出したが応答がない。大阪北部地震ショックが影響している。

夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)
p.s.
●「災害時 障がい者のためのサイト」
http://www6.nhk.or.jp
__安全避難までの視野ですが。

























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6/17 県自閉症児・者親の会50周年記念講演会に参加し

2018-06-18 05:41:34 | 地震津波災害ボランティア
2018/06/17 記
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昼過ぎから神奈川県自閉症児者親の会と、神奈川県自閉症協会主催の講演会があった。私が慌てていたのか、会員が他部屋で総会を開いたのか、私が誘導されたのは、「神奈川県自閉症児・者親の会50周年記念講演会」だった。開始時間も13:30と聞いていたので13:15に入室したが、すでに来賓の挨拶が始まっていた。13:00からだったのだろう。

講演は長野県自立支援協議会会長・日本相談支援専門員協会顧問の福岡寿氏の「地域で暮らす自閉症スペクトラム~求められる地域生活支援とは~」だった。勘所を押さえた飽きさせない講演だったが、脱線が多く(面白かったのだが)もうちょい、地域の多職種連携と実現の鍵のことや、個別支援計画作成と長期連携の実現のコアなリーダー集団作りの話に踏み込んで欲しかった。中途半端なのだ。

よって、防災施策の野次馬は、目論見は肩すかしされてしまった。当事者の成長と発達に「長期的に伴走する相談支援相談員」の役割を知った。

兎に角、目の調子が悪い。会場は大学の講義室形式の浅い階段のすり鉢型をしているが、最後のフロアの前に段差軽減の踏み台が置いてあったのだが、さあそれが立体に見えない。ウェルカムマットのような平面に見えるのだ。2回、同じ場所でつまづき、足をひねるところだった。外に出ると、保健福祉センターは、侵入規制のロープがあちこち引かれており、どこが切れ目か見えず、ひっかけてしまった。本厚木駅前は、車いす走行の件で、昔、横断歩道の段差をなくす工事が行われた。だから、急ぎ足の通行人を除けば、駅前は無難だったのだが、バスセンター周辺はダメ。会参加者が帰る目の前で、何回もつまづき、完全に高齢者扱いになってしまった。

母に新しい携帯を提供したので、今日は家に大人しくしているだろうと高をくくっていたのは間違いだった。講演会場で聴いている最中に、マナーモードにしていたから無事だったものの、何回も母から電話が入るのだった。冷や汗をかいた。

FBで知り合った++さんと、講演会場ですれ違った。あれあれと声をかけたが気が付かない。考えてみたら、私のプロフィール画像は人物画像を使っていなかったのだ。先ほど個人宛のメールを出した。

海老名に出て丸井の1Fで食材を買い込む。茅ケ崎・辻堂とは品揃えが違うので善し。

熊本地震被災者支援の知り合いにメール2通。安い交通費ルートの抜け道を問うた。情けないが実態なり。

夜間傾聴:ふたり

(校正1回目済み)

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6/16 母の携帯の音声入力とベッド友の話/「地域コミュニティー」の利用者のこと

2018-06-17 04:35:08 | 地震津波災害ボランティア
2018/06/16 記
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母の携帯のバッテリーが、いよいよダメになったので、音声入力が比較的操作がやさしいアプリと組みで、モニターになることを申し出て、新調することにした。母も私も、いずれ寝たきりになる。そのとき、外界とベッドをつなぐツールが携帯だと考えて、医療の三流仕掛け人と私の屈折メル友が、母をはさんで、販売店で顔合わせした。彼は鎌倉に住んでいる。私の視覚障碍が進んだ時の事を考えても、会えないほどの距離でもなく、母を実験台にしてもよかろうということで始まった。

彼とは福祉機器展で知り合ったのだが、中邑賢龍さんの話でつながった。母のアイデンティティは東京にあるので、狙いは「地域コミュニティ」ではないが、歳だからと沈黙していく同世代に寂しさを感じる母にとって、彼の実験台(モニター)ネット参加者が、都内在住の都心出身者たちなので、話が合いそうなのだ。もうひとりは彼の母親。食道楽なのだそうだ。話題はあると見た。ただ母より10歳若いから、母がしんどくならなければいいが。

興奮気味の母を帰宅させ、私は再び駅に戻って、ビッグイシューの個人読者分の配布を急ぎ済ませ、家に戻った。明日の県自閉症協会総会の中に参加し、被災と互助・共助のサポート方針が入れ込まれているかを見ておきたいのだ。

それに必要なのは、母の見守りの準備だった。日曜日、誰も呼べないので頻繁に電話を入れる事になった。おもちゃがあるから大丈夫だとは思うのだが。

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NHKのTVシンポで、「地域コミュニティ」の話が出ていた。子育て中の若い母親や高齢女性らが、顔見知りということの価値を語って、高齢者食事会が、今後半数が独居となる高齢化社会において、大事なつながりの場になるという話が出ていた。

私にはその笑顔が、素直に受け入れられなかった。死にひとを追い込む「いじめ」や、「差別」。学校現場の「いじめ」のことや、認知症の親を隠す家族や、座敷牢に押し込まれた精神障碍者や強度行動障碍者のことや、会合の話題の「家族自慢」の衝突のエスカレートなど、忖度共同体の負の側面を嫌というほど見てきたからだ。それがすんなりコミュニティとなるとは思えない。「子どもの貧困」対策としての「子ども食堂」がもてはやされているが、DVから身を守るために避難生活の生活苦にある方が、それを利用できるだろうか。本当に支援が必要な方には届くまい。

はたして善意ごっこではない地域の絆が生み出せるのだろうか。以前から、それらの施策は中間層と呼ばれた社会階層の下側の層は救えたとしても、社会下層や孤立する層の方の寒々とした風景は変わらないのではないかと考えてきた。施策を無意味とは思わない。ただいつも足切りして無視するのはなぜか。この層は極端な少数派ではなくなってきている社会の変化について、蓋をする動きになってはならないだろう。もうひとつは、旧来の政治の、票田の主導権争いがかならず始まるのだ。ひとはどこかで浄化の経験(多様性の価値を知る社会的実践、宗教活動にあらず。)をくぐらないと、無知の牙を剥いてしまう。その試行錯誤を許せる実践の場が議論の中には欠けているのだ。

夜間傾聴:ひとり

(校正2回目済み)


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6/15 茅ケ崎養護の教頭さんと面会し/年金支給日ラプソディ 他

2018-06-16 05:11:13 | 地震津波災害ボランティア
2018/06/15 記
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茅ケ崎養護に行く。教頭さんと会うが、教頭さんとはずいぶんご無沙汰だったと思う。懇話会が身体障碍のことを取り上げるのは、これが2回目になる。前回は阪神淡路大震災からの生活再建の件で、脳性麻痺の方のゲストの会だった。ところが茅ケ崎からの参加者はなく、隣接地域の方が支えてくれた形となっていた。茅ケ崎からは、市議さんの参加があり線が残って感謝している。

そのとき、ゲストの方は東急イン1泊の予定だったが、付き添いの方から日帰りと当日宣告があって、付き添いの方の変更があったことがわかった。

この付き添いの方が会の途中、携帯をかけに頻繁に席をはずしたり、ゲストの不明瞭な言葉の経験翻訳の仲介をしてくれない等の問題が発生。対話が深まらない事態が発生し、発災当時の在宅孤立の経験を紹介することに留まってしまった。2時間半の時間では対話にならなかったことがあって、テーマとたたき台資料の発行が不可欠とし、事前オンライン対話を踏まえることになった。以後の懇話会はテーマの大枠のすり合わせを即興性が破壊されない範囲で行っている。

しかし、災害時の要援護者サポートでは、身体障碍者の方の安全確保と被災後の激減するサポート(家族を分断する疎開生活を含んで…)議論は欠かせない。被災障がい者死亡率が健常者の2倍を超える過酷さを考えれば、身体障碍の方とその家族の議論は欠かすことができない。

その話を教頭さんに語り、1)身体障碍の当事者・家族の方の熱心な方に懇話会を紹介してもらえないか 2)茅ケ崎養護の先生の出席をお願いできないかというお願いをしてきた。

7/7の午前中の社協の障碍者防災訓練は、車いす訓練が入るようだ。ただ教頭さんが、訓練のことをご存じないのは驚いた。私は当日は見学の立場を選んだが、私の片膝は2000年の交通事故で、立ち膝姿勢がとれないため、蘇生術の訓練が出来ないためだった。車いす補助や、ぎりぎりだが階段降下補助は可能だ。故・父の介護のおかげである。

この場で懇話会の紹介チラシを配布させてもらえないか頼むつもりだ。

教頭さんは少々面食らったようだ。それは一般向け講演会ではないこと(団体リーダーや、防災担当教員向け)と、安全避難集団行動訓練ではなく、避難後のサポーター喪失等の困難対策を語る事など話題の違いのことだ。現場経験交流という話題の取り方が予想外だったからのようだった。避難所運営を行う特別支援校の立ち位置、在宅避難者へのアクセスを積極化する必要の予感があったのではないかと思う。果たして力量がそこまで残されているかという問いが生まれるからでもある。

ゲストと企画・日程が決まり、今までの懇話会の様子がわかる資料を添えたうえで、出席要請書の提出を行うことを求められた。重いかなあと考えつつ、また信用調査の初めからのやり直しだと、無念を飲み込みつつ、急ぎビッグイシュー販売員さんの横浜まで移動した。懇話会の初回をいれて数回は養護の教員の方の出席があり、休日出席の場面以降、参加が途切れた経過がある。だから振出からのやり直しは、人事異動で対話の蓄積が白紙にかえる、行政交渉の虚しさと同等のものがあるのだ。

今日は年金支給日である。そのせいか、駅前は恒例の方が目立った。横浜の販売員さんとの受け渡しをすませ、母の趣味のサークルに母を迎えにバス停まで降りて、確認電話をすると母はタクシーで帰宅したことがわかった。されば駅ビルで買い物をとエスカレーターに乗ったところ、高齢の女性の方が前方から降ってきた。今、バスの下車の際、高齢の男性が足を滑らせて、地面に転がり、乗客が救助したのを見たばかりだった。慌てて身体を90度曲げて堤防になり、受け止めて両脇を抱えた。足が上になり、パニックになっている女性を落ち着かせて救助した。母の介護が役に立っていた。高齢者が増えると、勢いよく通行人のすき間を駆け抜ける若者が脅威になる。駅北口では、杖をつきつつ長い傘を広げると、買い物荷物が拾えないで癇癪を起している高齢男性が、がなり声をあげていた。年配女性が荷物を持って誘導していったが、わずか10分で3件もの突発事件を味わうとは思わなかった。

しかし、家に戻ると焦げ臭い。急ぎヤカンの空炊きを止めて、昼間が終わって行った。老いていくことは、ただ事ではない。困ったことに、母のバッグからは、ふたつの携帯がでてきた。どなたかの携帯を持ってきてしまったのだ。それはタクシーの忘れ物と分かり、道路に出て同社のタクシーに戻す騒動が起きた。母はタクシー会社の管理が悪いと息巻いているが、同調できなかった。何が起きても不思議ではないのだ。

夜間傾聴:珍しく>3人

(校正1回目済み)

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