湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネの地域学習活動・就労支援活動の実践試行を書き溜めていきます。

川崎パソコンサポートの「ICTで障害者の社会参加と、就労を」に行ってきました

2010-02-28 17:47:48 | 引きこもり
23日の火曜日に父の便のかけらが出て以降、全く父に便通がなく、その影響で父の様子がおかしくなっている。明らかな宿便であり、部屋の立ち歩き転倒。階段無断立ち入り失敗(階段前通路で転倒してしまう。1Fのトイレに行きたいのか?)押入れから衣類を引き出し、思うように行かず床に落としてばらまくという具合。一日3回以上転倒すると、怪我のリスクもあるが、便爆発のことも気になり、見張りに縛られてしまう。食事の好き嫌いも極端になり、食事中の排泄移動が繰返され、椀に手を突っ込んでしまったり、お盆ごと膳を落下させたりするので、食事に連れそうことに。先々週の母の足の怪我もあり、全くの足止め状態が2週にわたっており、正直閉口している。今日は訪問看護師さんに依頼して浣腸する。協力して処置するが、大騒ぎは間違いない。

一昨日深夜、父が階段に向かう通路でへたり込み、大声で母を呼んだ。「庭に誰かがいる」という。昨日、朝6時台にまた、今度は私を呼んだ。「1万円持ってこい。床屋に行く、タクシーを呼んでくれ。」である。否定するとこじれる。食事で気をそらせて忘れさせるが、腹を触るとぱんぱん。明らかに異常である。

土曜日、父の宗教団体の古い付き合いの信者さんが我が家に来るというので、母が短時間の留守番をその方に頼んだ。それで私は解放されて、予約していた川崎パソコンサポートの皆さんの身体障がい者の就労支援関連の企画に出かけることができたのだった。

南武線中野島駅から歩いて十分弱の多摩川の里身体障害者福祉会館で行われた集まりは満席の活況だった。「ICTで障害者の社会参加と、就労を」というテーマ。講師は東コロの堀込真理子さんと、某通信会社勤務の福祉情報技術コーディネータの金井由里さん。

私はふたつの関心から参加することにした。

身体障がい関係の就労は、条件が整えば、かなりの深さの仕事が可能なので、精神や知的、発達各障がいの就労とは様子が違い、ツールを使った支援が活かされ適応も進んでいる。情報機器・作業補助器機を使った職場作業型の就労や、特に情報機器による在宅就労では特にどのようなツールを使って就労を進めているか。この辺は、中邑賢龍さんたちのこころネット関連のMLから企画情報を得ていたので、就労一般の概説ではなく、より具体的な事例に出会うことが出来るのではないかという期待があった。

二点目は、「IT」ではなく、最近の表現の「ICT(Information and Communication Technology )」と、「Communication」を明記してきたことは、個人の作業特性を伸ばすことから、チーム的な仕事の共同性(役割)を意識した就労への転換事例を期待できるかなと予測したことだった。それはより包括的な立場の講師の方の語りよりも、現場密着した立場、現場からの話を聴いた方がいいと考えていた。だから川崎の集まりであったが、逆に得るものがあるかもしれないと考えた。

パソボラの場合就労支援とは、PCとそのアプリケーションの使い方や、中古PC再生などの活動になって行き、Word,Excel,Internet関連のスキルアップ=就労支援であったりする。それは基本的な仕事ではあるが、金太郎飴みたいでつまらないというか、当事者の困難解消からスタートするというより、スタンダードなスキルを提供し続けることになる。外堀埋めるよりは、一緒に渡ろうという私とのセンスの差がそこにある。現在の情報機器利用の就労支援は、その「一緒に」のところへと視点が変化してきている。共同性を語ってくれる包括的な語りは、残念ながらまだ一部の方からしか、現場実践者に対する連携の語りが広がってきていない。だから神奈川・東京圏内なら、いっそその個別事例を求めて歩くべきと思っている。

特に「Communication」のskil(技術)は、個人差のあるお互いを媒介していく技術であるので、知的や精神・発達障がいの関係者にもヒントになる。特に「わーく」画像放送には関係が出てくる部分だ。また、地域起業したときに、身体障がいの方は、事務や渉外などのより統括的な部門への連携を構想できるので、そのヒントになるような事例を聞けないかと思っていた。

ところが、講演者のテーマが、「ここに至るまでの、在宅で働くことへの時代の大きな変化」(堀込さん)、「特例子会社という働き方」(金井さん)という具合に、就労の外枠を話すことになって、結局就労支援の関係講演の「就労支援とはどういうものかガイド」の紋切り型と大差なくなってしまった。PCサポートだから、歴史経過解説を超えて、もう少し技術的な視点が欲しかった。

東京コロニーは、設立時、関係者のML作りに協力していたこと(新宿・戸山のセンター時代)、大田区の私塾講師時代、太田福祉工場にお邪魔していたこともあって、少し関係があるので、堀込さんの語りは、在宅就労をめぐる視点の整理をしており、目的とは違ったが、まあ、納得できた。

一方金井さんの「特例子会社」の話は、私には反復内容で、概説は目的から外れてしまったが、金井さんが出向していた「特例子会社」の事例は、身体障がい者がどのように思いを込めた仕事をしているか、役割を担って働いているかは、得るところがあった。ただ全般に、私の求める内容ではなく、就労支援とはどういうことかという結局はガイドに終わってしまった。

Q&Aはまさに奇妙な展開。常連さんが仕切ってしまい、語る内容も質問に答える形に実質整理されており、結局目的のひとつ、質問できなく流されたなと感じた。主催者の方にお礼を語ってるときに、事情が少し透けて見えた。私のブログを読んでおられるとのこと。警戒されてしまったのだなとわかった。他意はない。上記の期待で参加したのだ。しょうもないなあと思いつつ中野島駅に戻ったのだった。長年活動していると見えないところが見えてしまう。しょっちゅう味わう政治の壁でないと思いたいところだ。

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シブカサPJの方から、東京の野宿者関連の団体有志を交えた懇談の話はその後どうなっていますかと問い合わせがあった。お恥かしい、今、身動きできないのです。仕事の方でも私の欠勤は問題化しており、父の入所は火急のものになりつつあります。父が歩けなくなれば、父を一階にという提案が再燃します。しかし、一階は床や家具の配置が危険な箇所が多く、父のこだわる風呂場と厨房、トイレがあり、這ってでも始まる火災や浴槽・玄関の落下の問題、転倒打撲と庭先への這い出しの問題が命の問題に直結しそうです。だから、父がまだ二階で倒れているうちに、入所希望を出しに回らなくてはなりません。その時間すら取れないで、父の見張りと、細切れにされた家事炊事に生殺しになっています。母の足がまもなく完治します。それまで、あと数日は動けません。段取り実現は、早くても3月下旬とお考えください。

夜間傾聴の橋本2君と******君は、本当はすぐに会ってあげたい状況です。しかしふたりとも丸一日(いや数日)かかる内容が入っています。数日待ってください。

今日は丸山さんのヒューマンスタジオの青少年支援メッセだった。珍しく茅ヶ崎の会合だったのだが、外出は母の足慣らしを兼ねた知り合いのお見舞いと、駅前の買い物散歩に任せて、幾度と無く床に座り込む父とベッドに戻す根気合戦をしている。午前中に転倒、排泄が繰返され、よりに寄って父の親指も生爪が剥がれかかっている。糖尿病患者は、ここから雑菌が入って膝下切断などに追い込まれることが多い。じっとしていて欲しいと念じるたびに、家具がひっくり返っている。母が治っても、この対策を分かち持ってもらうことになる。この体制は長続きはしないだろう。

丸山さん、SSW(スクール・ソーシャル・ワーカー)の活動の方はいかがですか。介護の持久戦で参加できませんでしたが、SSWの方の協力は極力協力しますので、ご連絡ください。

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父の見張りの隙間で、「わーく」の2010年度年間予定表を仕上げている。「就労困難若年者地域就労支援PJ」の方は大局提言と中間支援・活動立ち上げだが、こちらに協力していく。もう一方の「湘南あすなろ会」は野宿者の自助組織であり、企画提案に協力していく。つまり私が関わる組織への協力や提案も併行して書いたので、結構詰まっている。しかし、今年は横断活動をいかに生み出すかという境目の年になりそうだ。

講演依頼する方には、未確認の方もあって、お名前を公開するわけには行かないが、この予定表は、関係者巡回して協力要請を行う。ブログではその辺を伏して近々公開させてもらう。

夜間傾聴:******君(仮名 2/26・27)
     橋本2君(仮名 2/27)
     旗の台君(仮名 2/28 結婚おめでとう<いつの間に)

《気になった記事》
●「ツイッターで無銭旅行、18歳女子大生が日本一周挑戦中」


(校正2回目済み)

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ネットワーク作りと情報機器の扱いについて/図書館海援隊プロジェクトとの懇談を

2010-02-25 17:34:01 | 引きこもり
先週の20日、土曜日、茅ヶ崎サポセンで「食」のカフェが開かれた。この日私は東京のNTT青海キャンパスに近藤武夫氏らの携帯電話利用のワークショップに参加する予定で、カフェの方は欠席していた。母の不調でワークショップも足止めとなり、家で父母の面倒をみるはめになったのだが、「食」のワークショップでは、ちょっとした技術的な問題が起こっていた。

会合の講師がパソコン内の音声をアンプに出力し、全体に聞かせる方法はないかというものだった。パソコンの音声出力端子から増設端子を持つアンプにコード接続してもいいが、もっと簡単に出来る方法があった。iPADなどの曲をカーFMに出力する場面などに使う「FMトランスミッタ」をPCの> 音声出力端子に差し込んでやれば、FMラジオの76MHzあたりで電波として受信できるのだ。古いワイヤレスマイクの周波数帯と重なっているので、ワイヤレスマイクとの同時使用は避けたほうがいいし、近くに古いワイヤレスマイクがあるとその音声をFMラジオが受け取ってしまう。そのときはラジオ、FMトランスミッタともに周波数を少し上げて、混信を避けなくてはならない。しかしそのチューニングは、両者のスイッチを少し動かしてやるだけなので、面倒なことは無い。

ところが、その後誰も会合のことを話題にしないので、24日、サポセンにいったとき、話を聞いた。シャーという雑音ばかりで、トランスミッタは使えなかったという。呆然としてしまった。万が一、トランスミッタが故障しているといけないので、自宅のFMラジオでテストしたが、数m離れても、電波は明瞭に受信できた。

今のワイヤレスマイクは周波数帯が違い、もしFM放送帯域を使ったとしてもアナログ音声のFM変調ではなく、デジタル化した音声のFM変調(?)を使っているから、ワイヤレスマイク専用受信機では、FMトランスミッタのFM波は受信再生できない。

単純な技術が伝えられない空転をそこに感じて、これでは「わーく」画像放送の話も全く通じていないと感じざるをえなかった。どうしたものかと昨夜はあれこれ腐心していた。

FMトランスミッタは家電である。これをうまく使えば、PC音声を簡単に無線化できるし、無線化できれば、準備した受信機(FMラジカセ等)の台数は原理的には無限個同時受信できる。ダビングも人海戦術を使えば、同時録音することができる。観客に事前通知して受信録音してもらえば、講演を各自持ち帰ることが出来る。勿論、PC録音しオンライン配信しても可能だが、講演会の設置簡略化の便利なツールなのである。

このFM微弱波は特定のエリア内のインフォメーション用に、使われている。商店街の買い物情報を通りに沿って流したり、停車場の空きスペースガイド、展覧会のガイドなどに、車のFMラジオや、FMラジオ持込み可能な場面で使われている。このシステムの欠点は、より強い隣接周波数の割り込みに弱いことで、会場がジャックされてしまう可能性があることだ。利点はトランスミッタ以外特別な機械を使わないこと。

現在は、この欠点を補完するために、赤外線や磁気ループなどが同様の場面で使われている。しかしこれらは、専用の受信機が必要で、視覚障がいの方へのユニバーサルデザインの製品などを除いて、パーソナルユースには使われていない。

問題は新たなツールを導入するときの集団の柔軟性は、予想外に狭いというkと。それではと立ち会うと、私が解説のつもりで操作したことが、担当を任せたことになって、聞いてくれないという厄介なことが、私の実践の中にも無数あるのだ。いい例は携帯メーリングリストだろう。皆がすぐに連絡取り合えて「便利だ」と発想すると、「使わなくてもいい」という選択肢も影に出てくるので、話題提供者がいないと、たちどころに閑古鳥が鳴いて消滅してしまう。これは「わーく」画像放送を作るときにも、ネットワークの入れ物を作っても、誰も語りださないということは目に見えている。

公園を作っても遊び場にならないのと同じことが起こる。仕事上の連絡網を作る際にも、必要な連絡情報も必ず停滞する。そこには触媒となる活性化情報が流れていなくては湿った薪のように火が消えてしまう。つまみ食いできる情報があれば利用率はあがるが、決して表現してくれない。

この泥沼を越えていくのは、シンポジウムで使う技法、アクティブの対話が回りを巻き込んでいく手法しかないのかと思う。この辺の事情を鑑みて、「わーく」画像方法は、当事者ネットワークを二重に活性化するインフォメーション活動を展開する。

正直っ言って、今回の失敗は参ったなと思っている。「わーく」画像放送を支える小さな電化製品の仕掛けがこれから登場するが、また拒絶されるのが目に見えているからだ。「便利だ」とか「高価なものの見せびらかし」という卑近な基準でしか印象が伝わらない負け戦がそこにあるからだ。オンライン放送を作るのに、紙と鉛筆だけで挑めといわれても困るように、マイクや録音機、デジカメとPC程度の装備は必要となる。インターネットの広告費がTV放送の広告費を追い抜く時代。インターネットを一部の人のメディア、携帯電話も直接対話しない非人間的マニアメディアと断じるひとに、何を語ったらいいのだろうか。電話が非人間的と断じるひとのおかしさは、身体障碍でベッド生活を強いられているひとにとっての携帯電話が、生活圏拡張のメディアになったり、電話で時間待ち合わせして、顔を合わせる生活スタイルが携帯電話を使うことで非人間的というのだろうか。通じない壁。それが厳然としてある。

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ビッグイシューの販売は、東京や横浜などの場合は、自分の寝泊りする場と離れたところで販売していることが多い。ところが茅ヶ崎の場合、特に駅南口は販売場所と生活の場所とが隣接しているので、販売という経済自立活動の公的な場面と私生活の場面の両方がお客さんの目に触れる。販売者は南口のたまり場に生活すべきではない。そういう厳格さを身につけようと、水曜日の定例会のときに話しこんだ。死なない程度の生を維持するための食事と、衣類をカトリック教会のHL支援の会のボランティア活動が支えている。

たまにある日雇いの口や、空き缶あつめ(ガラあつめ)などで、\1,000~1,500-/日程度の収入は、身体が健康なものならある。ただそれは雨が降ったら終わりの収入であり、競合相手がひとり流れ込んできたらたちどころに枯渇する収入である。しかし、一般の方は案外この収入も知らない。体調を壊したり、年齢のために遠距離歩けず換金できない者、社会的挫折から抜け出せない者と同様に、わずかな仕事の可能性にかけて働き続ける者の収入も、あるはずのない金として否定的に見られている。あるスーパーに野宿者のひとりが買い物に来ていた。レジで彼を見つけた方が、「怠けてむしんした金で食べ物を買っているなんて、やーねぇ」と私のレジの列で話していた。「怠けていて」「むしんして」という論拠が何処にもない。かれらの生活実態からかけ離れているのだった。かれが買っていたのはカップ麺ひとつだけ。彼らが自分の生活圏に立ち入っただけで、厳しい排除の目に晒される。

だからその社会の眼差しの中に、販売活動をするということで「立つ」限り、それは世間の厳しい眼差しに耐える公私の潔癖さを保たなければならない。私生活の場と販売の場を分け、販売は自立推進ということを忘れまいという話が定例会で成された。

3月13日にサポセンで行われるワイワイ祭りは、収益を販売員さんの収入にせずに、東京「舫」「あうん」見学会の交通費など3人分(新入りさん1名)の費用捻出としようとも話し合いました。こうすれば活動も見えるし。

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「職探し、図書館がお助け コーナー設置、司書も積極助言」という記事が出た。これは文科省の「海援隊プロジェクト」周りの活動なのだが、図書館はハローワークよりは敷居が低い。昼間、野宿者の人たちが時間つぶしや寒さ回避で利用している例もあって、求人情報を中継する場としても使える場だと前から思っていた。これを文科省が「海援隊プロジェクト」として提案したことを歓迎する。これは「わーく」編集部か「湘南あすなろ会」かどちらの取り組みかはまだ決めていないが、神奈川県立図書館か、取り組みはしていないが茅ヶ崎市立図書館かの司書さんとの懇談を持つことは既に打診を始めている。これも就労支援懇談の一環。アレンジを加えてだすつもり。


夜間傾聴:橋本2君(仮名)
     □□君(仮名)


(校正1回目済み)
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父の自己認識の後退を見つめて/介護の隙間作りと新年度構想

2010-02-23 14:34:11 | 引きこもり
2010/02/22 記
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母の足の包帯が外れた。細かい仕事が急に減り、まだ買い物や危ない仕事は分担出来ないが、気ぜわしさは楽になった。分担した仕事の拘束力は、まさに生殺し状態だった。父の介護はこれからも長い。母の老いを考えると、現状は長続きするものとは思えない。そんなことを考え皿を洗っていたら、父が落下した。サイドテーブル上の皿と小鉢が割れて、父の周辺に散らばった。

父が床をまさぐる利き手の動きを制して安全確保。食器の破片を父から離し、細かいかけらで父が傷つかないように父の胴体の向きを変えようとして、いつもの父の猛然とした反発に会う。必死にものにつかまろうとする。今回は周囲に椅子の足しかないが、この前は、ペットボトルにつかまった。状況を冷静につかむ力が無くなっている。着替えも異常に緊張して「てきぱき」と行動しようとして、靴下に両足を突っ込もうとしてしまう。それを注意しようと介護者が制すると、ひっかかれたり、殴られたりする。私は距離感を覚えたので、被害は少ないが、陶器破片で怪我をしそうな今回のような急な事態も、説明しながら冷静さを誘導してはいるものの、強制度の高いときは、手袋を緊急出動時つけていないと、爪をたてられ、掌は血だらけにされてしまう。母はそれに平静を失い、私は今のところ手袋のおかげで、かわしきっている。家の中では、ポケットに介護手袋をいつも忍ばせている状態というのは、やはり異常だ。

この前、閉店間際の若松町クラウンで買い物をしたとき、財布を出そうとして手袋が落ちた。ちょっとどきりとした。外では介護手袋をポケットに入れていたら、「怪しいおじさん」である。

日曜日は2回、落下と転倒。転倒は私の目の前、ポータブルトイレの手すりに力いっぱい体重をかけて身を引き寄せようとつかまって、手が滑った。前にのめるように床に転がった。勢いがあるから痛いだろうに傷ひとつなかった。私が遮光カーテンを直している間の出来事だった。もし手すりを握っていたら、ポータブルトイレは宙を跳び、父の上に倒れ掛かり、糞尿だらけになっていたところだった。立って排泄するのは限界なのだ。

しかし、何回転倒しても、頑として紙パンツ内排泄を受け入れない。睡眠中失禁を繰り返し、ベッドや紙パンツをぐっしょり濡らしていても、それは紙パンツから男性器だけ出している結果なのだ。ポータブルトイレ前でズボンを下げることが困難なために、先に出しているのだが、これでは紙パンツの意味がないのだ。根気合戦と思うと続かないよというご助言をいただくが、危険度を考えると、場面によりけりだと思うのだ。

水炊き鍋をポン酢で食べさせるつもりで、夕食時、鍋の脇にポン酢の皿を添えて父の分をつくり、ベッド脇に出した。鍋のときはしばらく父の周辺の片付けなどをして、父が熱い鍋で火傷をしないように見張っている。父は食事の途中、排尿に立つことがしょっちゅうあり、移動の際に鍋の中に手を突っ込んでしまったりするからだった。

大丈夫そうなので、父の部屋を出た。下膳時、驚いた。鍋をつついて、大半を残していたからだ。大食漢の父が鍋を残した。流しの前に膳を置いて観察した。ポン酢が全く汚れていない。使っていないのだった。父は鍋の中の食材を直接口にしていた。皿を見逃していたのだった。「理解できない」ではなく「見逃し」としたのは、薬を入れたキャップを飲み残すのは、父の位置から見て椀の影にあるときが多いことに気がついていたからだった。

父はポータブルトイレの排尿の際、サラダ油容器を改造した「樋」を使って、手前に尿を垂れ流すことを防いでいる。この「樋」を男性器に当て、容器の口をポータブルトイレのバケツの上に出して尿をバケツ内に誘導している。このとき、父は容器の取っ手を握らない。バケツ内に落とさないように長さ調整をしてつけた紐をゆびにかけている。時には排泄受け皿が90度傾き、尿を出せばこぼれてしまう位置になっていたり、尿を出す口を上に向けていたり、方向違いの座面の上に出してしまう。尿が出るまで数分かかるから気力がいるが、見ていると数秒と集中力が持たない。

膳の配置の見逃しや、樋の持続力、別要素が入るが不適格な「手のまさぐり」などは、一貫して集中力の欠如・判断力の低下などが起こっている。これではTV番組の筋は追えない。ホームのデイサービスのとき、父が描いてくるカレンダーは、升目を色鉛筆で塗った部分が枠からはみ出し、巧緻運動の困難とともに、細部を塗りつぶす意志が働いていない。持続しなかったのだろう、中途から類似色の鉛筆に色がかわっていたりする。鉛筆を持ち替えたとき、元の鉛筆の置いた場所を忘れて、似た色を手にするのだろう。勿論、その鉛筆を落としたり、失ったりした結果の代替鉛筆という可能性は残っている。

家庭では署名をさせたことがある。枠内に名前が書けなかっただけではなく、フルネームで書き始めて最後まで書けたことが無い。座位が安定していないので、途中で揺れるとそこから先を書くことを放棄してしまう。つまり、カレンダーは職員さんの誘導が入った力作なのだ。

この状態で足を引きずって歩き出すのだ。階段上に立つことの危険さを思うと背筋が寒くなる。

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東京のボランティアセンターフォーラムの際、共同作業所で作ったジャムを買い込んできていた。「ゆずジャム」「だいだいジャム」の小瓶をひとつずつ買った。面白かったので紹介しておく。「だいだいジャム」は苦味が強すぎて除外。

 ●「ゆずジャム」
 東京北区西ヶ原の精神障がい共同作業所「つばさ工房」製
http://www.tubasa-koubou.com/

HP上の説明では、一定のところから果実を得ているのではなく、カンパ提供品を使っているようだが、ジャムが安定している。慣れないと、冷めたときに砂糖が浮き上がってしまうが、最後まで水分が分離もせず食べ終えることが出来た。香りが良く、剥きが深いのだろう、かなり苦味を感じるが、これが抑制された糖度のジャムの個性になっていて美味しい。(だいだいジャムは、深剥きしすぎた。)相当ペクチンを入れているが、他の共同作業所の製品より完成度が高い。甘くないこってり感と、ほどよい苦味と、いい香り。お勧めである。日持ちはチェックしていないが、小瓶小分けで買うのがいいかなと。



夜間傾聴:******君(仮名・本校に登場。教員が驚いたとか)
     中央林間君(仮名・こちらから)




2010/02/23 記
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月曜日、父をデイサービスに送り出した後、購入したTVをBフレッツ回線で見ることにしたため、配線工事を行った。今はまだ双方向性利用が進んでいないので、アンテナで見ていてもいいのだが、2台目以降は利用料も下がるというので切り替えた。父の部屋のベランダ側の防水加工と、父の転倒の際痛めた砂壁の一部の修繕工事をNTT東日本外注の配線工事屋さんと併行して工務店を入れた。当初工事は約束が10時からだったが、配線工事が順番があるので11時からとなって、この日、ビッグイシュー販売員Eさんの取材が東京事務所から13時から入ることになっていたので、時間がぎりぎりになってしまった。

砂壁は乾くまで時間がかかるので、今日もう一度、工務店が仕上がりチェックにくるが、12時台に作業が終わった。ところが配線工事はむしろ後が面倒だった。電話機を取り替えたので、FAXから転送サービスの設定、無線LAN設定と、CS解除、エコポイント請求など様々な後始末が残り、結局取材に立ち会うことが出来なかった。

取材は順調に行ったようである。湘南あすなろ会の「便り」とHPをお任せしているОさんが入って、逆取材も出来たようだ。ただ今回はライターさんだけで、撮影は後日というなにやら不可解な取材だったが、E君は3月下旬号か4月上旬号に載る。詳細は水曜日の定例会のときまでお預けということで。

とにかく散らかった箱やシート類の片付けと、すぐにやっておかなくてはならない設定や手続きをしているうちに、父がデイサービスから帰ってきてしまうのだった。また一日が部屋を走り回って終わって行った。母が夕方買い物に出かけたのが唯一の救い。父はホームで歩き回って紙パンツにためこんで帰宅したので、入浴の意味がなくなっていた。排泄介助と清拭、夕食作りと洗濯で一日が終わってしまう。巡回も日送りとなった。虚しさが鬱積してくる。

父の尿が出ない。ポータブルトイレに向かって排尿する際、「樋」を自分で使わせるために、身体の安定サポートをし、排泄まで時間がかかるので、声をかけるようにした。背後から父を抱きかかえるようにするが、衣服が濡れているので、私の服も濡れてしまう。だからユニフォームを決めておいて、介護の際着替えて、毎日洗濯している。ただ父は下半身の衣類を下げているので、遠慮なく屁をするので、屁は私を直撃する。下痢のときは私と父の下半身が汚れてしまう。介護は忍耐であるといいつつ、おむつ内排泄を拒否するそのひとつのことで、介護者の時間拘束と忍耐を強いる矛盾に耐えている人がどれほどいるのかと空想をめぐらす。ひとを侍らせ、屁をひることのために生き抜くのかと人生の無残さを考える。こういう倫理の境界線に介護活動はある。

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「わーく」の新年度活動が、なかなか立たない。ひとつの柱が「当事者懇談」であり、もうひとつの柱が「フォトフレーム&携帯向け画像放送」である。年末にセカンドブックアーチの山本君を取材して、いまだに紙メディア紙が出せないでいるのは、父の介護状況が安定しないことに尽きる。ビッグイシュー販売を軸とした湘南あすなろ会の路上生活者支援活動に、本来の活動を復活させていく後者の流れが停滞している。人をつなぐには最終的には、会って話さねばつながらない。その場と時間がつながっていかない悩みである。

新年度のテーマは、地域就労支援活動のネットワークをつなぐ、横断的な大きな枠組みを提示すること。地域起業を重視したインクルーシブな企画の芽を始動させることである。このふたつを見つめて、どう諸企画を作り上げていくかを戦略的に考えていく。

地域就労支援PJは、中間支援団体としてのつなぎ的な活動を立てていくことだろう。「『ソーシャル・ファーム』と地域活動」「地域交流センターのセイフティネットの芽作り」に関連した講演会と見学会を立てる。

私が黙れば手帳を持つものと持たぬものの地域就労支援活動が途切れてしまうような慢性的な状況を、なんとしても拓かねばと思う。介護の隙間をどう作るか。既存の人脈の固定的な発想では、原資あるものの活動しか出てこない。引きこもり分野の活動がそうであるように、原資あるものの活動と既存制度の活用に活動が局地化していく活動を越えるために。少ない原資から蔓延していくウィルスのような当事者による就労支援活動が生み出されなくてはと思う。その活動に活力を与えていくのが領域横断の地域活動、協業の情熱を生み出していく開放型起業就労活動を地域交流の中に作っていくこと。

真似ができ、誰もが始められる活動をどう作っていくかが大事なことなのだ。スタンダードは全国で模倣できる。変種を作りうる。その基礎活動が新年度の課題なのだ。「わーく」はネットの神経網と血流を作る活動だから、ここからなのだが。

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《気になる記事から》

●「非正社員数、初の減少 「雇用の調整弁」浮き彫りに」
●「3歳女児死亡、傷害致死容疑で義父逮捕 日常的に虐待か」
●「年金口座差し押さえられ、77歳男性孤独死/千葉」
---- 事件の背後に貧困の影。脱税論議で時をつぶしているときかと。

(校正1回目済み)

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父に茶の間のTV新規購入はばれてしまった他

2010-02-21 08:32:10 | 引きこもり
母の足の腫れは薬の効果だろう、急速によくなった。痛みやアザは以前残っているものの、私の反対を押し切って地元の眼科に出かけていった。タクシーを使えと言ってあったので、行きがけはそれを守ったようだが、帰りはバスで茅ヶ崎駅前に出て、買い物途中で出合った昔の隣人集団とお茶を飲んで帰ってきた。患部側の片足立ちが出来ない状態で、まだ消炎剤を飲み続けているというのに困った親だと思う。

母の眼科の午後の診療開始時刻の14時の少し前に母はタクシーで出て行った。私は昼前に藤沢で買い物を済ませ、結局、青海会場の講演会は父の見張りで流されてしまった。眼科は白内障手術後の定期検査であり、日が決まっている。少なくとも数時間は、父がひとりになってしまうというのだ。金曜日、身辺介護のヘルパーさんは、いつもの方ではなく臨時の方が父の面倒を見た。そのときに緘口令(かんこうれい)を敷いていた茶の間の新しいTVの話を話題にしてしまったために、父はそのTV見たさに、危うい足取りで階段最上段をうろついていたので、目を離すことが出来なくなっていた。

それを理由に母は私の会への外出を止めた。14時には家に戻り母の通院と交代する約束をした。

母の茶碗の茶のぬくもりから、交替時間のブランクはほとんどないと判断されたが、私の帰りの音を察知して父の呼び声がしたので部屋に行ってみると、布団に簀巻き状態で頭を下にして父がベッドからずり落ちていた。

身動きとれないその状態で「朝からなにも食べていない。食事にしてくれ」と父は懇願した。目の前のテーブルには盆の上にソバを食べた昼食の椀があり、朝食べ残したバナナの皮が、無造作に引きちぎられたトイレットペーパーに包まれて変色していた。認知症の特徴がその言葉に表れていた。

父をベッドに引き上げ布団を解いた。案の定、下半身は裸。脱ぎ捨てられた紙パンツは毛布に包まれ、床はじっとりと尿に湿っていた。パジャマズボンはベランダ側の窓下にころがっており、レースのカーテンは遮光カーテンの上に押しやられており、父が介護者の留守中にひと仕事したことを物語っていた。

父の肌着は尿を背負ってびしょぬれである。母が出がけに着替えさせて2~30分そこそこの出来事である。これでは目を離せない。

着替えさせ、軽く茶漬けを作って持っていくと、父は茶の間のTVの大きさを問いかけてきた。父は本来、茶の間に居座り、家中が見える位置でTVを眺めていたいのである。だからTVの話は、階段を降りてくる前兆だった。困ったことになった。

茶漬けを食べれば、父は昼寝の時間である。私は缶詰になってしまった家で、いつもどおりの家事、山のような洗濯・炊事の始末を済ませてPCに向かった。やる仕事は山積している。しかし私が提案した企画がこうして流されることは、本当に堪忍して欲しい。あらゆる企画が父の排泄と階段落下防止の見張りで流されてしまうのだ。憂鬱さが作業への気持ちを抑えていた。

やがて母が機嫌よく帰ってきた。約束を破りバスを使って、荷物を抱えて帰ってきたのだった。母の話しかけに答える気にならなかった。母は東京への企画参加を流されたことを拗ねていると勘違いしている。「夜は早めに作って済まさせて欲しい、巡回があるから」と母に伝えた。この時間作りとて、父がベッドから落ちてくれば吹き飛んでしまう。

洗濯物を取り込み、夕食を作った。母は菓子とお茶を盆にのせ、父に届けようと階段を昇った。そのときである。茶碗がひっくり返って階段を転げ落ち、周囲が水浸しになってしまった。母は無理をしている。盆を安定させて持っていくことが出来なかったのだ。巡回開始時間を30分遅らせてもらい、夕食を父に食べさせ、洗濯物を袖たたみであるが、たたんでから家を出た。

帰り、相模線の車中でポメラに文章を打ち込んでいるうち、うたた寝して傍らに置いた資料を落としてしまった。スランプの一日がともあれ終わって行った。

夜間傾聴:入谷さん(仮名・在米)>留守電あり、お久しぶり!
     ******君(仮名)
     小田急相模原君(仮名)

p.s. サポセンのフォーラムにFMトランスミッターを貸し出したが、無事だったかなと少し心配。


(校正2回目済み)

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北村年子さんの藤沢講演にお邪魔しつつ

2010-02-21 06:13:27 | 引きこもり
私が北村年子さんの仕事に出会ったのは、「『ホームレス』と出会う子どもたち」のDVDを購入してから、以前「大阪・道頓堀川『ホームレス』襲撃事件-”弱者いじめ”の連鎖を断つ」の著者の仕事に再会するという遠回りな出会いだった。DVDは、子どもが野宿者の炊き出し巡回を行うことによって、野宿者の人生に触れる体験をする。大阪「こどもの里」の20数年続いてきた活動を紹介することによって、野宿者への偏見と差別の現実をその根元から問う発火点のような教育活動へと高めていった作品、いわば鑑賞者に膨大な格差社会の構造的差別(生田武志氏)に、自らの人生を考える切り口(手がかり)を提供した。

この映像を作り上げた集団の中に北村さんがいた。私は十数年前の書の著者に再会した思いの中で関連書「ホームレス襲撃事件と子どもたち」(2009年・太郎次郎社エディタス刊)を読み始めた。

私はそこに北村さんの仕事の重要な幹、ひとが肯定的に生きていくことの大切さの論拠と同時に、優れたルポライター魂を感じ取っていた。私たち教育カウンセリングをする者にとって「臨床」と呼ばれる現場は、ひりひりする現実の中にある。北村さんは、足を使いまさにひりひりする現場を踏んでいくのだが、そこに起きている出来事の意味、出会う当事者の心のひだを読み取っていく、その的確さに引き込まれた。場の読み取りは、束ねつかみ出す、いわば編集力がなくては事が読めない。それが先入観として出来事を覆いつくしてしまう危険と拮抗していく仕事、それがルポである。北村さんのルポは差別される側の心の闇のやるせなさと、差別する側の稚拙な発想の歪みの背後をつかみ出していた。

私はDVDの子ども夜回り活動には、鑑賞者の居る生活圏から競争社会の構造的差別を問いかけ、ともに生きていくことの地下茎のような共感を直感的に伝えていく素晴らしさを感じつつも、子どもに訪問される野宿者のせつなさを感じ、その視点が浮かび上がらない物足りなさを感じていた。

それに対し、北村さんの著書は丁寧に当事者と向き合い場を読み解いていた。遅筆であると北村さんが語っておられるが、描かれたものが練れているのだ。ただ、その仕事がパノラマ風に描かれている点が、道頓堀川で起きた出来事を断ち切られたような思いとなる原因になっている。三部構成を貫く北村さんの積年の物語が前面に出て、それはDVDとともに教育実践として昇華しているのだが、例えば偶然この書を手にした読者は何を感じるだろうか。あっさりとした前書きだけでは、北村さんの変遷、ルポライターから教育実践者への脱皮が生み出す断層と書の構成ゆえの困惑にぶつかるだろう。私のような授業を行う教員は、テーマをたてて、その流れの中に自由と創造を呼び込んでいく。その習性からパノラマ形式には違和感を感じてしまう。

私は藤沢講演をしている北村さんが、実はエッセンスを短時間に語ることに腐心していることが目に付いてならなかった。ルポライター魂を持つものは、語りたい思念を事実という絞りきらぬ果実を差し出すことによって、思いを通していく。それが目的を解きほぐして伝える宣教者風に押し込められれば、事実は例証に化けていくだろう。その着心地の悪さのようなところが、書との落差のなかで気になってしまうのた。

北村さんを生かすには、ゼロさんのこと、子どもの里のこと、川崎の実践のこと、その具体的な関わりの語りの先に、目的を見通すようなルポライター魂の語り可能な場をセットすることだと思った。私が北村さんへの御礼のメールに使った「積年の物語」の思念の語り部としてではなく、ひりひりする現場を見通す者として針の穴から天を覗いて欲しいのだ。

私は夏場、目のセカンドオピニオンの診察を受けに京都にいく。そのときに一泊ではあるが大阪に寄り道する。ビッグイシューの本社を回ったあとに、釜ヶ崎の空気を吸ってこようと思うのだが、迷惑かなと思いつつ「こどもの里」に荘保共子さんを訪ねてみたいと思っている。(勿論アポは取る。)

(校正2回目済み)
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すみません、相変わらず介護でトラぶっています

2010-02-20 11:21:32 | 引きこもり
火曜日、父がショートステイに出かけるとき、母が掛け布団を干そうと無理をして、椅子に布団を引っ掛けて、椅子が倒れ、その椅子に足を挟んで、母の足の親指周辺が内出血した。骨折等のチェックをしたが、内出血のみのようなので様子を見ることにして、一夜あけた。親指は倍に膨れ上がり、足首あたりまでアザが広がったが、水曜日は母の東京の通院日、薬がもうないし、足も一緒に見てもらうと無理をして出かけ、稽古事まで立ち寄って帰ってきたのがいけなかった。母は時間がかかるからと整形外科に立ち寄らず、帰ってきてしまったため、その夜、化膿したのか内股が脈打つほどの痛みとなり、湿布。出血の際は安易に鎮痛剤を使ってはいけないので、とにかく寝かせていた。翌日は木曜日、医者の定休日である。午前中、大丈夫だからとタクシーを使って、ひとり病院の救急外来へ。その結果、骨折はしていなかったが化膿していることが分かった。

化膿止めと頓服の鎮痛剤と古臭い厚手の湿布薬をもらって帰ってきたが、この日、父がホームから帰って来る日だった。同時に木曜日(18日)は、北村年子さんの藤沢講演の日だった。階段昇降のボランティアをお願いして、母の友人の娘さんに17時までの見守りを頼み、昼から家を空けることにした。県立の高校入試のサポート情報と、母からのメールが届いていたが、ともあれ無事と夕方、食材を買って19時前に帰宅した。

この17時から18時台、母がひとりになったとき、父が母の足の様子見を理由に、階段を降りようとして、部屋の出口で転倒、母がそれを起こして、足がまた内出血するという事件が起きてしまった。母に安静を指示し、父の「早く食事にしてくれ」という言葉に怒りを覚えつつ、紙パンツ交換と着替えを済ませた。ポータブルトイレの中には、トイレットペーパーとミカンが丸ごと落ちており、処理中に、携帯が鳴って墓地販売の勧誘電話が鳴った。3人候補者がいるから来ないかと相手に勧めた。なにやら喜ぶ営業マン。老老介護、3日手伝ったら話、聞いてやると言った途端、激しく電話が切れた。どうしたものか、この会社9年前に無くなった祖母の名前に対して電話をかけてきていた。墓地の電話を教えてやればよかったかとも思っている。

空腹を訴える父ひとり残して母を病院に連れて行くわけにも行かず、翌朝、午前中いっぱい父の身辺介護のヘルパーさんがいる間に、近所のかかりつけの医師のところに母を連れて行った。なんとも間が悪いことに、母は化膿止めと鎮痛剤を飲んでいたので、何とか歩けるし、医師もその薬を当座飲んで、安静にしていろと、患部の消毒をして湿布しただけで返されてしまった。

4日目である。さすがに腫れは引いてきているが、紫色に変色した親指の色は浅くなるのではなく黒っぽくなり、父との格闘で再度出血したのが分かるのだった。歩けるし、サンダルも履ける。しかし、ちょっとした危ない場面を反射的にかわすことが出来なくなっており、お盆を持たせると汁物がこぼれてしまう状態だった。立ち仕事は無理だった。

2泊3日の父のショートステイがあったから助かったものの、父帰宅後の家事介護は、孤立無援状態になっている。父の入所を進めないと、現在の状態は、介護者ひとりの怪我でさえ、戦場のようになってしまう。これでは介護者が持たない。県立高校入試をめぐって、さまざまなことが起きており、そちらからも応援を求める電話が入ってくるが、余力なしと断っている。

蝶の羽ばたきが嵐を生むように、いやいや、嵐で桶屋が儲かる方が我が家らしい。ともあれ、小便に群がるアゲハの群れが嵐を巻き起こしている。

様子の違いは、父の状態に即座に現れる。親の不安を察知してぐずる乳幼児のそれと同じような反応。不安は一気に高まってしまう。木曜日の夜から土曜日の朝まで、父の夜間呼び出しが続いている。大声で私らを呼ぶ。「爪きりを持ってきてくれ」「玄関に誰かいる」「**さん(ホーム棟職員さん)は休みか」「夕食を食べていない」「壁が揺れるから確かめてくれ」「TVを消してくれ(点いていない)」「タクシーを呼んでくれ。(日曜)学校に行く」…この中の何点かは認知症の悪化の兆候そのものなのだが、ともあれ、着替えの際、靴下交換の際、靴下に両足を突っ込もうとする状態というか、父は境界線を彷徨っている。部屋の中を危ない足取りで歩くこともあるが、排泄とカーテン開閉という用事が目的としてあるので、意味のない徘徊ではない。しかし転倒のリスクが貼りついている。

夜間1~2時間ごとに呼ばれ、私のように昼夜逆転生活をする者でなければ、身が持たないだろう。幸い(か?)父は昼間寝ている。応答しないと階段まで這ってでも出てきてしまうので、介護者の時間はずたずたに細切れにされてしまう。昼間の数時間勝負で外出し家事を始末する。父の問いが、怒りや口論になっても、家族への疑義や怯えにつながっていないことだけが救いである。ここを見逃していたら、介護者は続かない。

足首まで広がる母の足のアザも、今朝ようやく薄くなってきた。地元引きこもりの++さんの就職の件で生協に行く話や、DAISYの国際シンポ、相模大野の県分庁舎に講演依頼に向かう件もすべて消し飛んだ。私にとって土日の休みは邪魔物になる。相手が休みだからだ。定期的な休みが取れないのが家事介護。今は母と交渉中。成立すれば登録済みの東京・青海のワークショップに出かける。中邑賢龍氏や近藤武夫氏に、高機能の方向け就労支援の携帯電話ツール応用活動の勧め講演を依頼するためだ。ことごとく崩されていく活動には歯止めがいる。今日は出かけたい。そう思っているのだが。


夜間傾聴:2/18 □□君(仮名・母親)
        中央林間君(仮名)
        ******君(仮名・バイト帰りに)

     2/19 中央林間君(仮名・こちらから)
        橋本2君(仮名)

p.s. 北村年子さんの講演と面会の話は別記します。


(校正1回目済み)
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老老介護、介護者の老いということ/茅ヶ崎の野宿者の死

2010-02-17 17:49:57 | 引きこもり
父の排泄介護のことで、介護の先輩格の方と電話で話すことができた。精神科の看護師を長年努めてきた方で、現在は千葉のある特養ホームの副代表をされている。戸塚から総武線乗り換えがあるが、東京からはすぐ。総武線から再度乗り継ぎも無い駅に近いところなので、友人の紹介で頼んでみることにした。その関係で知り合った方だった。

父の体調の件、基本的には大腸の働きが弱まっているので、無理して整腸剤で軟便調整をするよりも、周期的な排泄に導いていくべきであること、歩けなくなったのならケアマネさんと話しあって介護度をあげて、積極的にショートステイを増やし、(老老介護なら)在宅介護ではなく、入所を急ぐべきという全然意外性のない話だった。ただ介護度3は、一番放置される位置なので、4なり5なりに上らないと、入所は難しいねという、これもいつも話していることを裏づける意見。

昨日(火)は特養(市外)を確率虚しいと知りつつ別に1件申し込んだ。父は月曜日のデイサービスから帰ったあと、私が夕食だと父の身体を揺するが目覚めず、異常ではないかと冷や汗をかいた。21時過ぎ、父がトイレに立った音と同時に椅子がひっくり返った。父はサイドテーブルにしがみついて、今にも転倒しそうな状態で、母に助けられた。またもや私の留守のときの出来事だった。排尿も間に合って大事に至らなかったが、父は緊張でネズミのように小刻みに足を震わせていたという。

父に関心が行っていることは注意していたつもりだが、こんなことが続いて疲労が溜まっていたのだろう。母は不注意な行動が目だってきた。細い廊下の壁に身体をぶつけて衣服を汚したとか、財布を置き忘れたなど、従来と異なるしくじりが始まっていた。

火曜日、父は前日のデイとの連続であるが、2泊3日のショートステイに出て行った。濡れた床を干すにはあいにくの、みぞれがちらつく雨空だった。私が父の着替えを始めていると、母は私の横の狭い隙間から、父の掛け布団を強引に引き出して、布団を椅子に引っ掛けて、椅子を倒した。このとき、足の親指をアザが出来るほど強く、椅子の下に挟みこんでしまった。

父には何が起きているのか分からず、ちょうど階段下にホーム職員のFさんが現れたことに焦り、着替え途中で立ち上がり、階段に向かって歩き出そうとし、私が制止、もつれてしまうという対立状態で、母が実質放置されていた。父をなんとか送り出した後、母は風呂場で足を洗って処置。痛むからとベッドに入ってしまった。

この日、私は巡回が1件、親御さんとの訪問相談が入っており、14時からは、私の右目の異常で東京の眼科に予約を取っていた。網膜色素変性症の専門医は少ない。偶然予約が取れたときに行かないと、また数ヶ月待たされてしまう。そんなことで、母を放置して東京に出てきてしまった。視野の中央部の霞みが急に濃くなったのだった。進行すると視力も低下する。父がいないのは幸いだった。

どうしたものか、いつもは2時間は予約でも待たされるのに、検査後10分も待たずに検診を受けることが出来た。確かに視野が狭まっていたが、目の疲れが出ているので、それが調子に影響するから仕事をやめるようにと注意をうけた。

冗談ではない。仕事をやめられるなら苦労は無い。結局、現在の点眼を確実に行うことと、寝る前に注す薬ひとつが増えて終わり。何回も、昼夜逆転と小刻み睡眠の状態だから、「寝る前に」というタイミングはないから、どうすればいいかと問うのに、やめなさいとしか言わない。医者としたらそう言うという場面の話ではなく、次の患者の時間になっているので、時計が気になってしかたないからうわの空という風なのだ。腹をたてて診察費をはらって、クリニックを出た。

探す気も無いので、近くのまずいラーメンを食べて、ともあれ早く終わったのだからと、ビッグイシュー東京事務所に立ち寄り、MさんやSさんと会ってきた。路上脱出ガイド(大阪版)の改訂版が欲しいので、分けてもらいに行ったのだった。

これも空振り。改訂版はまだ東京事務所に未到着だった。

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私が出かけるとき辻堂ビッグイシュー販売員のEさんから、中央公園のベンチ周辺で寝泊りしていたホームレスの方が、日曜日夜に亡くなったと聞いた。前から行政や支援者が病状を気にして入院を勧めていた方だったが、頑としてうけいれなかったという。しかし、この寒空、野宿は健康な方でも命が危ない、そんな寒い夜空の下で、亡くなったというのに、何も手助けが出来なかった虚しさは残る。Eさんとメールで話した。せめて畳の上でと考えるのは「自業自得の競争脱落者の世界、甘い」というのだろうか。無宗教者であるが、手を合わせ、目を閉じた。

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火曜日、新宿から相模大野の教室に立ち寄り、書類の受け渡しを済ませて、家に戻ろうとした。連絡したが母はいなかった。再度携帯に電話をすると、夕方まで白内障手術をした地元眼科と胃切除のケアを担当している地元医と通院のはしごをしてきたのだという。

足の指が痛いから、医者帰りの外食で済まそうと母から話があって、駅に近い中華料理の店で食事をした。まじまじと見る母は、胃切除後、ふたまわり小さくなった。ちょうちん・からかさというのだと自嘲していたが、父の次が待っているのだなと思って、料理の湯気たちのぼる天井を見た。親である、さっそく心を察知して、「そんなに簡単に耄碌(もうろく)しないよ」という。ばれてはしかたない。うなづいて、黙々と料理を食べた。

昨日は、誰も夜に連絡が入らなかった。溜まっていた作業を延々とこなしているうち、ついうとうととしていると、母が突然部屋に入ってきた。「まだ世話なんかにならないから、大丈夫だ!」と捨て台詞を言って出て行った。午前4時である。気にしてませんって。

夜間傾聴:2/15 ******君(仮名・こちらから)
     2/16 なし


《気になる記事》
●「集団暴行容疑で中学生4人逮捕 同級生の男子意識不明」
●「無言のSOS、専門家に届かず 江戸川区の7歳虐待死」
●「家主敬遠? 失業者向け住宅手当 利用、想定の4.3%」
●「「アスペルガー」診断 放火事件初公判/山口」
●「働く場をつくれ 市原ジェラート/千葉」


《入手した書籍》
★「文化と実践―心の本質的社会性を問う 」
★「トリエステ精神保健サービスガイド―精神病院のない社会へ向かって」
★「支援から共生への道 発達障害の臨床から日常の連携へ」


(校正2回目済み)
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父の衰え/あすなろ会定例会から/地域協働の枠組み講演を準備中(長いです、すみません)

2010-02-13 08:00:22 | 引きこもり
2010/02/11 記
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水曜日は、母が通院と稽古で、日中、東京に出る。そんな関係もあって、水曜日、父はデイサービスに出て行く。私も巡回を入れるが、16時半には父が帰って来るので、15時前に巡回を済ませなくてはならない。引きこもり青年は付き合う私と同様に昼夜逆転しており、直しても午前中、エンジンがかからない。だから13時~15時パターンが無理なときは、実質、自宅の家事買出しの一日になってしまう。デイの日は介護者もろとも生殺しとなる。

昨日も、山のような洗濯物を前に、訪問許可がなかなか出ない巡回を断念した。私が巡回に出れば、父の帰宅後の2時間後には湘南あすなろ会の定例会があるから、洗濯は東京から帰宅した母の仕事となる。覚悟を決めて糞尿まみれの洗濯とベッドメイク、父の居室清掃に取り組む。これから父の状態は一層悪くなる。最低一日二回の洗濯、ベッド上の着替え等の身辺介護の細切れ作業が増えていく。やっていけるのか、生殺しの時間、洗濯の渦を眺めては考える。

困ったことが起きている。ついにベッドマットまで常に尿びたしになってしまった。父が寝るときも下半身を丸出しにしているためである。紙パンツの意味がない。ショートステイの日程が入らないと、干すことができない。ショートステイの際にすべき家事が一気に溜まる。しかし、遠出は、この日に済ませたい。それに反して加わる用事は、ひどく重荷に感じる。業者に連絡したが、交換のマットは別料金になると聞き、已むを得ないのだが矛先無く腹がたつ。貸布団はだめだと母が嫌がる。布団を追加1枚買わないと干せないが、母には布団、なんでもいいというわけにも、いかないらしい。布団を買いに行くひとつも準備が要る。買い物を母に任せ私は父の見守りをしていなくてはならない。

うだうだ考えていると、時は過ぎ去ってしまう。少人数私募債(しぼさい)の解説書を借りたので、傍らにおいて読み始めておどろいた。今まで自分の専門外の書でも予測をつけながら読むことが出来たが、開けたページから、何にもわからない。税務・会計関係の書は確かに初めてである。目次を眺めて理由が分かってきた。細部を集めて全体像を書くという構成、関係者向けの構成なのである。概略から解きほぐしていない上に、専門用語が邪魔をする。困ったなと思っていたら、「債券を発行できるのは株式会社」とあって、企業の際の協同組合形式の参考にはならないのかと、またまたため息。資金集めによほど縁が無いのだなと実感した。敗北宣言した書籍は今年2冊目である。「少女宣言/北村年子著 1988 長征社刊」・「私募債の実務」、ちょっと悔しい。前者は、「ホームレス襲撃事件と子どもたち」の著者、北村年子さんの書である。

いま探しているのが、三ノ輪の「あうん」さんのような、共同出資の組合形式のような就労域拡張実践である。社会的ニーズの精査も必要。隠された鍵は再出発者の自立と意欲喚起の人間論的な仕掛けである。現状と飛躍がある理想論といわれるが、他府県の類似実践例があり、それを見て実現不可能な空論ではないと確信した。河野太郎さんのメルマガ・タイトルではないが「ごまめの歯ぎしり」の作業である。いつものとおり、換骨奪胎した閉鎖的な類似モデルが突然登場して、私の作業は見た目で亜流とレッテル貼られて流されるのが常だが、やらなくてはならない仕事である。

昨日の湘南あすなろ会の会合で、「あうん」と「舫(もやい)」の見学を企画したが当事者ふたり分の交通費や販売休止損分の一部を保証するので7千円強を捻出する必要がある。謝金を加えれば金額が1万円を越える。見学参加の支援者の分割負担とするか、販売促進でカンパを募るか、まだ方針が出ていない。

結局、この実践モデル作りを若松町ショップに置いた誤りのつけが来ているのだとわかる。生活保護件数の爆発と財政破綻という差し迫った地方行政の事情が追い風になるだろうという予測がありながらも、社会的困難者という横断的な質の実践が出てこない。私は本来の不登校・引きこもり畑、軽度発達障がい・精神障がい畑の実践からではなく、路上生活者支援から実践を組み立てていかなくてはならないのだろうか。中高年中心の活動という商売替えのような違和感が常につきまとっている。勿論、路上生活者支援から手を引くという低次元の問題ではない。この横断的な活動の芽を育てていく活動を手がけていくには、合流のモデルを内包した活動を始めなければと思う。

交通事故入院で断ち切られた活動から、8年経つ。巡回活動と授業の本業立て直しに2年、残り6年のうち3年は地域協働の就労支援窓口作りに費やし、2年は就労支援PJと若松町ショップ企画作りに参加した。残りの2年のうち1年は、退院後東京から湘南に地域を移す活動で過ぎていった。残り1年が地域空転と、路上生活者支援参入の年だった。誰に語りかけるべきかを探す一年だった。路上生活者支援も就労支援という共通項を持っている。しかしもうひとつ、緊急連絡先カード作りや、ビッグイシュー販売員・湘南ホームレス便り読者拡張を含む人材発掘の仕事がある。ここへの力量投下は膨大な空転が待っている。父の介護と生業の隙間がますます縮まる予測の中で、境界横断の活動への人材探・新しい血をどう入れていくかに力を入れたい。官製の第三セクタ待望と流れ込みでは状況が拓かれない。その肝のところを作る活動が必要なのだ。

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父が帰宅したとき、ホームの随伴者に見慣れぬ顔が。新人さんである。ところが、バトンタッチされて、玄関から父の居間まで運ぶのも、別事業所の予定外の臨時に入った新人さんだったのだ。結局父は見慣れぬ顔に玄関先で出会うことになり、さっそく指示無視の抵抗が始まった。年度末、新人さんの研修が始まっているのだろうが、こう重なると、火が付くと手に負えなくなる。父は威厳を保てるかのテストを初対面の方にぶつける。根性曲がりのろくでもない新人いじめである。父の宗教の信者さんの名前をあげて、すぐに来ると言っているから支度しないとと嘘をついた。父は急いで立ち上がり動き出した。しかし新人さん、段取りが下手なのである。担当者から指導されていた分、間違えまいと手順を踏む。それが父の動きと噛みあっていないのだ。

不機嫌と不満を露わにしながら、危うい足取りで父は階段を何とか上った。しかし帰るベッドは尿浸しである。椅子に座らせて、使い捨て作業用シートを敷いて、濡れたシーツの上にガムテープ止めした。そこに父を誘導したが、みるみるうちに、シーツ上を這う父の足にシーツは剥がれ、からまってしまった。

介護者の配慮もなにも、一度ベッドに戻ってからでないと、ポータブルトイレへの排泄をしないという父の儀式的なこだわりが、改善の試みを吹き飛ばしてしまう。新人さんの誘導の途中、尿意を問われた父は問いを一切無視。新人さんがベッドに戻った父に挨拶をしてさっさと帰るのをも見計らって、布団を身体に巻いたままベッドからひとりで降りようとして、墜落した。

父の背中と足はガムテープだらけ、間に合わなかった尿が布団に滲みる直前に私が布団を急いで引き剥がした。頭が下になる逆立ち状態の墜落だったから、大量の尿で汚れる範囲が広く、古参の方は父が儀式をするのを知っているから、時間内は待っているが、新人さんだから本当に帰ってしまい、父の怒りの虚勢の抵抗の中の救出作業になった。地獄である。父は信者さんが来るという嘘も、とうに忘れて、着衣を脱ぎ捨てて怒っている。状況に悲しいかな巻き込まれないスキルが身についているために、父の怒りと私の悲しさは胸の闇の中に消えていった。しかし、父を寝かせ周辺を片付けたたあとの疲労感と向き合いガス抜きを図る自己対話は時間がかかった。入所先探しをしないと、癇(かん)の強いひとの介護は介護者がつぶされてしまう。

以前のように父が階段を降りてくる状況は減っているので、階段下の玄関に毛布を敷いて仮眠というところまではしなくて済むが、四肢の引きつりの痛みをほぐし茶の間で、まずは夕食の支度を母にメールを送ることで役割を頼んで、ともあれ仮眠した。ストレスの始末。1時間ほど仮眠。

19時をまわって母が帰ってきてまもなく、新しいTVが届いた。食事と重なってしまったので、父に夕食を出して、設置の方は、当座の始末として、従来使っていた空中線アンテナで接続してもらった。無事放送を観ることが出来たが、双方向性を考えたらフレッツ経由にしておこうと考えている。これから非PCテレコムのモニターを作っておいたほうが、「わーく」静止画像携帯ネットの配信チェックにいいだろうという判断だった。

NTT東日本の作業はまだだが、当座の受信は成功した。NTT東日本の屋内配線工事は2階の父の部屋にも壁面端子をつけてもらうことにしている。TVローンが少し払えたあと、2台目ということで、父のTVを交換する。

しかしこれはこれで、新たな問題となる。父が階段を降りてくる火種になるからだった。当分は茶の間と階段の間の襖(ふすま)を閉めておくことにし、ヘルパーさんに緘口令を敷くことにした。以前より衰えた足で階段を降りられたら転落は死と隣り合わせになる。母が言うTV、「大きな顔だなあ」では済まないのだ。「落ちた方がいい」というのは、心情的には納得してしまうのだ。


夜間傾聴:□□君(仮名)




2010/02/12 記
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寒さのためか、手首・足首がきりきりとつって目が覚める朝5時。昨夜父はうなされた。今までのように、解離した世界に浸るという状態ではなく、腹痛を訴えるようなうなされ方に、2階に上がっていった私が不安になった。午前0時すぎと午前3時半ごろの2回。部屋が暖房してあっても、身体に変調を来たすのは、どうしてなのだろう。父に漢方薬を服用させて眠らせたが、今度は私が手足がつってはどうしようもない。第一、夜間傾聴待機の状態でいつの間にか眠っていたのだから、話にならない。

いつもこの時期は案外静かだ。友人の進学先が決まり、卒業式が近くなるとまた山場が来る。本校からは来年度の契約について、個別指導授業枠を広げることを条件に契約延長を言ってきた。しかし父のことを考えると、母にその分をかぶせるわけにもいかず、早く介護度があがってショートステイをもっと使えるようになって欲しいと願う。きょう、人事担当と話し合う。月末までには話が決まる。もうひとつの塾の方は、ひとつ教室を閉鎖することが決まった。不況である。その分、橋本に教室が出来るかもしれない。その方が通いやすい、といっても大半は訪問指導だから、あまり関係ないといえば関係ないのだが。こちらの契約は、今年は生き延びている。室長の話は断った。片手間室長は必ず失敗するからだ。それを理由に私が首になりかねない。

茅ヶ崎の就労支援活動の状況に何を思うかということを、講師依頼書に添付することを求められている。市行政は就労支援活動は基本は県の仕事と思っている。その枠の中で市行政を考えているので、いくら市町村行政と言っても、産業振興とひとくくりの中で考えるために、今失業している方や、就職に困難がある方の就業は、求人枠へのあてはめ推進と補助に流され、独自課題が非常に弱くなっている。だから一般就労は産業振興にあるとされる。

一方、障がい者の就労については、自立支援協を中心に、障がい者の一般就労支援という流れの中で基本は立てられている。特例子会社や一般企業への就労という枠を法令順守を盾に進めていくが、不況と適合職種という壁の中で思うように延びない。三障害の生活就労支援センターの相談業務の拡張と、就労支援の窓口拡張としての新センター作りが進行している。しかしそこが、地域に開かれた横断的協働労働のセンター(ソーシャル・ファームやリカバリーのセンターのような)というより、障がい者がいかに地域に就労するかという基本視点を転換していないので、地域潜在化する精神・軽度発達障がいあるいは、引きこもり・母子・高齢者・野宿者等の地域就労や起業などを貫く共通の視点は相変わらず抜け落ちている。

逆に障がい者家族・支援者は、地域起業に重点を置いたコミュニティ・ショップをあちこちで試行している。しかしそれは障がい者の就労する場作りであったり、コミュニティと言っても、市民交流の副次効果を狙うものであって、従来のコミュニティカフェ(精神障がいの領域で休息と関係者交流を軸に障がい者を施設利用者としてたてた交流スペース)を踏襲している。ある実践は、障がい者という利用枠内では就労時間後の交流の場提供をめざしているが、そのものには社会的困難者への連携の視座はない。就労は職業への「収まり」の課題であるという「常識」を超えているわけではないが、当事者活動を進める種は残している。またもうひとつのセンター作りの試みも進行しているが、結局茅ヶ崎は、より高次の地域連携を試みる力は希薄と言っていい。

ひとつは協業ということ、地域連携のための地域起業という合流点とともに生きていくための地域の社会的企業作り、つまり当事者と家族・支援者による起業を生み出す出発点作りを、特に地域の市民生活と消費・環境・介護などの領域への進出を、企業就労とは別の大きな流れとして、いわゆるソーシャル・インクルージョンの流れとして、横断的に作り上げていくこと。この視点を非箱物のソーシャル・ファームの提案をすることによって、視点の転換を地域に求めるという線を添付の招請理由書として描いている。就労支援PJの講演会である。

この合流点の実践モデルは、浦河べてるの家のような障がい者の地域定住と市民権獲得という線より、地域の公共ニーズに応える小さな有期限労働の蓄積や、実行委員会形式の問題解決労働という複数プロジェクト型活動の実行の中に有償社会参画活動をつくること。つまり既存企業の経営事情や、行政のアウトソーシング待望からはずれること。企業採用を求める活動と同時に、もう一本の地域起業の絵を、発生と消滅を負と考えない発想で地域起業をたてていく。それを例えば「買い物代行と高齢者生活支援」とか「青空(屋外協働)プロジェクト」というように、横断包括性の高い提案を地域就労起業センターのような場(建物は、あったほうがいいが十分条件ではない)形成を背後に孕んで、地域就労企画を立ち上げていくこと。立ち上げから協業の就労実践の芽を組み込んでいく。こういう畑を耕すような活動を実践モデルの骨格としたい。

就労当事者が支援者・関係者とともに考える。実践の結びつきなく施設を作るのではなく、まずは地域包括的就労実践を企画し実践していくことを大事に生み育てたい。就労支援活動は、企業就労支援との二本の基軸であるということだ。

ばらばらな動きから、よりインクルーシブな企画を届け、それへの参加協力をそれぞれの動きに重ねていく、そういう協働実践を描いている。

正直言って苦戦中である。今日は日野市で行われる中原ひとみ氏の「IPSとリカバリー」の講演に参加する。夕方まで父のことを母に任せるが緊急呼び出しがあれば帰ると約束した。ポメラ持参で相模線往復作業できるだろうか。

夜間傾聴:□□君(仮名・母親)
     橋本2君(仮名・こちらから)

<参考資料>
●「20~30代ホームレス急増 大阪は施設入所者の3割超」
●「生活保護予算、地方自治体の財政圧迫 補正総額4倍に」


<気になる記事>
●「植物状態の人と「会話」 fMRI使い脳活動検出」
●「ツイッターで客呼び込めるか 福岡で社会実験」
●「救急隊が「死亡」判断、実は生きていた 脈拍気づかず」


(校正2回目済み)
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放置傘再販の連携を探るメール交換が始まっています

2010-02-10 17:45:28 | 引きこもり
つい先ほどまで、放置傘再販の傘の提供依頼の件で、渋谷区で放置ビニ傘の無料店舗置き活動をされている方にメールを書いていた。この傘は渋谷区では信用があるが、他府県に持ち出したときはどうかという件について、あれこれ書かせてもらっていた。ホームレスの方は差別の中にいる。販売すれば、それを「盗品」ではないかと、すぐに嫌疑をかけられる。傘の出所保証が大きな問題なのだ。しかし雨の日の収入源は、空き缶集めをしているホームレスには火急の課題。放置傘販売は、その危機を自らの力で脱する営業活動だ。ビッグイシュー販売に関わる者としても、冊子が濡れてしまう雨天を補完する活動としても価値ありと思っている。

その放置傘の販売には、傘の安定供給源が必要で、もうひとつは支援者による販売者の安全確保と活動の交通整理が必要になってくる。この一番目の安定供給源の話を中心にメールを書いていた。ただどんな火急の課題でも、それを誰が担うのかということは別問題。当事者と倫理的支援者の間には距離がある。心情的な共感の部分が、なかなか補完してくれない現実がある。楽観はしていない。

------

ビッグイシュー販売から、就労支援活動へと会の活動の枠組みを拡張していくためには、会員が拡がらなくてはならない。私の軸足は発達障がい、精神障がいと重なる青少年の支援特に引きこもり青年の就労支援活動だ。この拡張にもう片足、路上生活者支援・就労支援の領域に置いている。もうひとりの支援者は、反戦平和団体活動に主軸を置いている。もうひとりは路上生活者支援であるが生活支援と住居提供に関心を持っている。もうひとりは路上生活者から住居を構えたグループホームを管理運営している。政治的な立場は問わず各自ばらばらだ。この状態から活動を拡げるには、当事者の活動と新しい支援者がいる。爺ぃ集団にめげない若手が動き出せるような、期待の持てる活動を作ること。これが今必要なのだと思っている。

------

時間切れ。すみません、続き、今夜かきます。

ミニ情報、ソフトバンクが身体障害、療育、精神の手帳を持つ障がい者の方への新たなサービスを始めた。携帯電話基本料をただにすると、孫社長の鶴の一声だったそうな。

●「プレスリリース2010年/~障がいのある方々を対象にした割引サービスを「ホワイトプラン」にも拡充~Softbank」

以上(ごめんなさい)

夜間傾聴:******君(仮名)

p.s.昨日、寒川町議会、「便り」配布済み。


(校正1回目済み)

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東京ボラセンフォーラム「協同労働の協同組合」分科会レポート/だからこそ…

2010-02-09 11:33:51 | 引きこもり
東京ボラセンフォーラムの最終日、私は「市民活動の新しい選択肢『協同労働の協同組合』~新しい働き方、新しい市民活動スタイル~」の分科会にでていた。講師は

川原隆哲さん:日本労働者協同組合ワーカーズコープ・センター事業団三多摩事業本部長
田嶋康利さん:協働総合研究所専務理事
中村光男さん:企業組合あうん発起人
保坂弘子さん:東京ワーカーズ・コレクティブ協同組合副理事長

という面々。

NPO、一般社団、財団に続き、法律制定が目前に迫っている新しい法人「協同労働の協同組合」組織を事例の中に考えていく内容。

神奈川県はワーカーズ・コレクティブ活動の先進県でもある。しかしその活動は主婦主導の活動だと思っていた。東京のワーカーズ・コレクティブもまた同様の内容で、全体としても就労支援活動との結びつきや、障がい者・引きこもり・路上生活者を横断する領域との結びつきは希薄だと思っていたので、そこから当事者活動をどう生み出していくかを考えるのは、結局は関連活動をしている者達の議論から考えていかなくてはならないのだろうと考えていた。

私が上げた領域では、大枠で庇護的な支援活動が展開され、そこから当事者が自主的な活動を展開するのは、暗黙のうち「無理」という先入観が支配的な領域だったと思う。ワーコレもまた、子育て・衣類リサイクル・環境・食と消費・介護というひとの自主自立の課題ではなく、主婦の活動領域の拡張の線上に取り組んできたと考えてきた。それだけに社会参画と就労支援という主婦にとって他者性を孕む、主体を拡張したネットワーキングの領域が登場してきたことは、質的な意味で、非常に面白いことだと思っている。

私が関心を持っているソーシャル・ファームの包括的な活動の中の当事者活動とのマッチングという課題つまり、支援活動からの脱却の課題が、この分科会では直接論じられたことは、意味が大きかった。

例えば引きこもり青年に、心の静穏誘導と社会復帰のファーストエイドを提供する活動、つまり支援活動では、当事者の相互が結びつくことの価値が無定義のまま、社会の枠に押し出されていく不毛さを伴っていた。障がい者の活動も然り、どこまでも個人の心身の成長を支える形の活動からはみ出していく部分、就労とか文化活動などの部分が極めてスタティックにしかとらえられてこなかったように思う。

身体障がいの場合を除いて、知的・精神・発達障がいの領域に関係の結びなおしを伴う諸活動は社会参加的就労活動の中に生まれてきたにも関わらず、それが資力という縛りの中で、卵の殻を破れないでいること。

路上生活者に至っては、どこまで行ってもぶらさがりというレッテルが貼られてきたように思う。絶望が深ければ深いほど、社会への懐疑があり、社会や支援という人的エイドの略奪に心を奪われるのは当然といえば当然なのだ。しかし、就労は社会との関係の結びなおし、名刺を持つことであり、その生産関係のネットワークへの参加という自主性と相互協調を問われる、生活活動とともに基本的な活動だ。

採用されず、生産手段を持たないがために、失脚から復帰できない社会環境に押し出されている路上生活者の活動もまた、社会の閉鎖性ゆえに自助的な社会参画活動は、地下で根を広げている状態だと考えてきた。

私が提唱してきた¥「ケア・パートナー」という従来のジョブ・メンター的なチーム就労形態は、引きこもり青年と障がい者の非対称協同活動の「他者(相手)のために働く」「私たちのために働く」というひとの相互関係を就労の根本に据えていく仕掛けだったのだが、この自主参加の枠組みなどの諸実践が抽出して論議され始めたこと、ひとつの就労の枠組み「協同労働の協同組合」という形の論議を媒介に話されたことは、意味が大きいと思っている。

今回は「あうん」の中村さんの話が面白かった。路上生活者のグループホームのような形をとりつつ、リサイクル、片付け・引越し活動の仕事を共同出資の関係を基本に展開していた。最低1万円の出資を持って、雇用されるのではなく協同起業者として働くというスタイルだった。雇用促進ではなく起業、つまり自分で仕事を作る活動といえる。この1万円は、分割支払いが可能であり、退職するときは戻ってくる。

その関係の端的なエピソードが、中村さんは代表ではなく発起人であり、会の性格を打ち出すスローガン作りの際、嫌がる中村さんをたしなめて「1万円出して社長になろう」というスローガンが通ってしまったという何ともちょっと笑えるお互いの関係だ。現31名の会員が働いているという。

この共同出資という枠組みが、自主活動の仕掛けなのである。路上生活者から誕生した活動として、面白い活動だと思う。見学に行きたいと思っている。

ワーコレ活動も、ワーカーズコープ協同組合もその職場転回への就労を意識した活動展開が行われていることが分かった。しかしこの共同出資協同生産という枠組みは、領域によってのアレンジが必要に思う。

従来の販売活動は、消費者との交流、消費者への商品提供を持って「社会参画」とした。そこを踏み込んで、自らの関係を問う活動が「協同労働の協同組合」である。

この件では、「あうん」の中村さんと話をしてみたいと考えている。

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父が珍しく、デイサービスの帰り階段介助の場面で、指示にあれこれ応答をした。おやっと思っていると、比較的軽くベッドに上っていった。ホームの職員さんの話によると、昼食後、大便が大量に出たという。その開放感が父を能弁にしたのだなとわかった。幼児なみと思いつつも、体調の影響の大きさを感じた。

母と私がともに出かけられるのは、父をホームに預けた日のうちの一部、月曜日しかないことがわかった。巡回を夜に回して、Tさんと彼の抱える家族の事情の協力者が得られた件で昼食をともにした後、今度は母を駅前に呼び出して急に壊れたTVを買い換えることにした。母はすぐに出かけられない。連絡後、茅ヶ崎市議会に「湘南ホームレス便り」をポスティング。ヤマダ電機をざっとみて、店員をチェック。希望のサイズと、説明可能そうな店員ふたりに声をかけて質問。ふたりともだめと判断し、藤沢ビックカメラに変更。母とふたり店員にからんできた。一応OKという機種に落着き、数日後到着することに。しかし奇妙なことばかりだ。HDD収録機は友人と録画の貸し借りするには、高い外付けDVDレコーダーがいるし、ブルーレイ内蔵機は、相手もブルーレイが使えなくてはならない。中途半端だなと思いつつ、TV視聴はプライベート利用が基本としていることがわかる。しかし、急な出費。お前払えよといわれてしまえば、頭が痛い。諾としたが、頭の中では首を振っている。

母と別れて、藤沢市議会に「便り」を投函。駆け足で夕食の買い物を済ませて家に飛び込んだ。階段介助のヘルパーさんが到着する5分前だった。ヘルパーさん到着後5分後には父が到着。ゆとりが全く無い。うっかりTVのことをヘルパーさんに語ったものだから、父に情報が漏れた。父は自分のTVが新しくなると思いこんでいる。短期記憶早く忘れてくれよと今回は症状頼みなり。

買い物途中、以前私の「わーく」の記者になってくれた亡き**子さんの親御さんと道で遭遇。私たちをつないでくれたSSWのNさんが年末年始にかけて救急入院していたことを教えてくれた。症状は回復されているとのことだが、どうしたものかと思っている。湘南の不登校引きこもりの訪問カウンセリングの草分けの方である。

また**子さんのことも思い出した。最後のとき、真っ赤な口紅をつけて私の寒川周りに付き合ってくれた。その翌々日、残念な服薬死を選んでしまった、何もしてあげられなかった悔いがまた、湧き上がってきた。解離性パーソナリティ障害といわれる症状だった。

「わーく」は3人の記者全員が命を失ってしまった。もうひとりは若いというのに内臓障害から肝硬変を経て、突然に亡くなった。最後のひとりは、家族の壮絶な激突の果てに、私が家族を引き離した結果、辻堂駅に身を投げてしまった。私がこれからも負っていかなければならない鮮烈な命だった。境界性パーソナリティ障害の診断を受けていた。

親御さんと別れたあと、私の脚が震えているのに気がついた。生きている者が負っていかなくてはならない、負の経験である。辻堂に着き、彼の立った位置を振り向き、何もならないと知りつつ手を合わせた。私はこういう若い命を踏みつけて生きている。ともに記事を論じることもなく、別れた命である。

寒川の保育園のYさんにもご無沙汰している。**子さんとふたり、寒川でお邪魔したときのことを思い出した。Yさんに会いたくなったが、Yさんは政治的立場が違うことにこだわる。でも行って見ようかなと思っている。

夜間傾聴:橋本2君(仮名)
     □□君(仮名・こちらから)
     大森海岸君(仮名・傾聴にあらず。端末ソフトの件で)

(校正1回目済み)
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ビッグイシュー高円寺販売員Oさんの生涯から生まれた詩

2010-02-08 08:00:49 | 引きこもり
ビッグイシュー販売員Oさんの経歴を東京ボラセン・フォーラム分科会発表で知った。Oさんが路上に出るまで、ビッグイシューに出会うまでの貴重な発表だった。Oさんにお願いして湘南あすなろ会の冊子「便り」と、私のブログへの転載をお願いし、快諾を得た。Oさん、感謝。

関西で妻子を抱え派遣社員として出稼ぎ。一昨年のリーマン・ショックの派遣切りで失職。再就職ままならず、東京・関西を徘徊。離婚。松林で自殺を図るも失敗、新宿に戻る。そこでビッグイシューの路上脱出ガイドをもらい、冊子を契機にビッグイシュー東京事務所を訪ね、販売員となり現在に至る。生きる活力をもらったと語り、彼が自作の詩を紹介した。


(転載不許可)

「まっすぐ」 高円寺販売Oさん

 曲がる必要のない
 角を曲がり
 もどる理由のない
 道をもどった
 まっすぐだったんだ
 今ふり向いてみると
 それがわかる
 まっすぐに行けば
 よかったんだ
 みんな失くした
 何も残らなかった
 悔いだけが
 残った
 まにあうのか
 まにあうのか
 まにあうのか
 だいじょうぶだ
 今 まだ
 まっすぐな道が
 眼の前に
 見えている

(校正1回目済み)
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SCOM非常用ボタン出動と/東京ボラセン・フォーラム参加を終えて/放置傘再販活動発火の出会いか?

2010-02-08 07:53:50 | 引きこもり
東京ボラセンのフォーラムに、この3日間行ってきたのだが、父をホームに預けていたわけではないので、冷や汗のかきどうしだった。土曜日の昼間は母の友人親子の支援を受けた。しかし、それでも母からのメールは3通を超えており、1回は悲鳴のような母の呼び戻し電話がかかっていた。

初日、金曜日の夜、父が夕食をひっくり返して転倒していたのだった。目の前に母がいるのに父は、でがけに私が父の首にさげさせたSECOMの非常ボタンを入れてしまった。場面が把握できないのだ。

緊急時に出動確認電話が、まず私の携帯に、次に母の携帯に、最終的には我が家の固定電話にかかってきて、応答がないと出動となる。また、出動してくれとなると出動する。この日、私は立食パーティーが始まる前の話し合いの席にいたので、携帯電話を切っていた。母は身近に携帯を置かず、マナーモードにしているということで、我が家の固定電話が鳴った。母が取ったから良かったものの、そのときは母は知人の暇つぶし電話と思い込み、出るのを躊躇したらしい。出動だったら5千円かかってしまうところだったといいつつ、本当に来てくれるんだねと機能に感心していた。

母が「ひとりで、これから父を起こさなくてはならないが、私がいるから大丈夫」と電話を切ったらしい。それでSECOMが案じて警察に連絡したようで、パトロール巡回していた警察官が玄関先に現れて、それで母がパニックを起こして私に電話したというのが真相だった。母の入室許可の声を聞いて警察官が手を貸してくれたので、父が立つことが出来たという。さすがに移動までは面倒をみてくれなかったが、事態を切り抜けられた。酔客の介助をしているので、手馴れたものだったとは母の感想。

翌朝、私は茅ヶ崎警察署にお礼の電話を入れたものの、警察官が屋内介護された当事者というのは、そうざらにはいない。「パトカーじゃなかったか」と、私はまた噂がと思って母に聞いたが、「玄関で送ったけれど、車の音はしなかった」とのことで、自転車らしかった。

こんな事件が起きても、それでもなお、携帯電話を傍らに置かないのだから習慣というものは恐ろしい。母は父の首から非常用スイッチを取り去り、「はずしておけば大丈夫だから」と言い放った。何の解決にもならないのだ。

土曜日は、帰宅時に嫌な予感がしたので電話すると、父の紙パンツを使い果たして残り2つだけになっていた。母から「買出しにいけるわけがないだろう」と叱られる始末。冗談ではない23時近くになって、どう紙パンツを補充すればいいのか。散々悩んだ末に、「大船のSEIYUが24H営業」で、たしか雑貨や乳児用のミルクなどがあったことを思い出し、そこに大人用の紙パンツなどがあたはずだと、賭けにでた。この賭けは当たった。種類は少ないが目的の紙パンツと尿取りパッドを手に入れることができた。おそらく東海道沿線で、駅に近い一番遅い時刻のオムツ類常備店だろう。助かったと思いつつ、深夜の若者だらけの車内に驚きと顰蹙を持ち込んだおっさんであった。座席に座るや、隣に隙間が出来た。

最終の日曜日は、「協働労働の協同組合」の分科会を最後に、全体会や交流会に参加しないで帰宅したので、母の癇癪は爆発せずに済んだというものの、3日間の洗濯物の山。冷蔵庫の中は主要食材が使い果たされて、これも予測通り、帰りに食材の細かい袋だらけわしづかみの状態で帰宅したのが正解だった。

とにかく父をホームに預けなければ、長時間の外出が出来ない。逆に母が長時間出かけても、父をひとりにすることができない状況がある。一ヶ月以上前にケアマネさんと相談する。しかしこの間も、父は紙パンツを誇りにかけて脱ぎ去り、ポータブルトイレ周辺で転倒し続けているのだ。紙パンツの適時交換(定時ではない)に任せてくれれば、事態はだいぶ軽くなる。叔父も曾祖母、祖父母も協力してくれた。元気な頃から家族の人格を傷つけ続けた横暴な父が、介護の場で家族を信用しないのは当然ではあるが、それでも介護放棄できない家族の矛盾がある。男はダメだと介護事業所職員は口をそろえる。このことがあってから、社会活動に出会う男性の品定めをついしてしまう眼差しは主婦ならぬ主夫のものである。

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湘南あすなろ会の方も、この間、ビッグイシュー誌の追加注文がEさんから入った。Tさんはマイペース。この立場の差からくる齟齬が生まれてきていた。フォーラム二日目、ビッグイシュー東京事務所の一行と会場を共にすることができたので、注文はスムーズに行った。問題はきちんと発送してくれるか、まだ安心は出来ないのだが。

夜間傾聴や、生業のほうも、実は嵐が近づいていた。このブログで公開している青年たちは、主に学習支援の比率が高く安定しているが、背後には不安定な青年が何名かいる。そこは非行系の問題が起きていたり、たまに自殺願望の青年が親を通じてアクセスしてくる。進学ということを全く無視しない点で私と何とかつながるのだが、この青年らを含んで、夜間、当人なり同僚を媒介にした相談が入る。

今回は向精神薬を飲まずに溜め込んでいた青年が、それを親に発見されて荒れていた。東京から私は茅ヶ崎に帰っており、自家用車を廃車しているので、緊急出動は極端に減った。同僚は妻子とご母堂を抱えており、よほどのことがない限り出動していない。だから彼の補助のような形で私は動いている。しかし駅の近くの住所の青年で、終電までに帰宅可能な数名の青年については、連絡が入ることがある。

実際、この青年は親御さんから緊急出動を要請されていた。しかし患者さんの会が介入していることがわかったので、任せることにした。こうしてフォーラム参加は中断しないで済んだ。

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これらのバックサポートがあって、無事参加することができたのは幸いだった。

今回参加したのは

初日(金)は、CSR実施企業とNPOの交流立食パーティーだった。私はまだ具体的な活動を立ち上げる状態にいない。だから企業への接点は持ちにくかったが、プロとして社会活動をしている企業との新たな交流は数件生まれそうだ。特に環境からのアプローチで、放置傘の再利用を行っている「社会起業プロジェクトチームSOL」さんとは、路上生活者の雨天時就労支援の傘路上販売の件で、今後話し合うことが決まった。SOLさんは、渋谷区の駅前店舗に再生放置傘を置き、店舗からの無料貸し出し「しぶがさ」活動をされていた。私たちにとっては、放置傘の安定確保と支援人材獲得の件を探っていた。偶然双方がであったのだった。ここには「舫(もやい)」さんにも、プロジェクト始動に向けて、三者で話すことができた。

空き缶集めで一日1,000円から1,500円の収入と炊き出しで命をつないでいる者が、雨によってその収入すら奪われる事態、ビッグイシュー誌販売も濡れてしまうために販売中断を余儀なくされる事態に出会う。ここを超えていく活動が放置傘再販だ。供給システムと支援体制の人材確保の準備が大変なので、どこの支援団体も余力なしと、応じていたものだった。ところが調べてみると大阪では既にやっているし、高校生が学校の援助で社会学習の販売店を行っている、その店にも放置傘は登場していた。つまり前例なしではないのだ。私はこれを単純に放置傘再販活動として推進していくのではなく、より高次の屋外就労ネットワーク(青空プロジェクト)のつながりの中に発想して行きたいと思っている。路上生活者も、障がい者、引きこもり青年などをつなぐ、就労・プレ就労の自由度を確保した就労ネット、屋外のソーシャル・ファームの重要な環として位置づけていきたいと思うのだ。そこからきっと支援体制も生まれてくると思うのだ。

社会的弱者の地域就労支援は。もうひとつの可能性を今回のフォーラムを通じて芽が生まれたように思う。その話は次回に。

夜間傾聴:□□君(仮名・2/7)
     ******君(仮名・2/8)
     小田急相模原君(仮名・2/7)


p.s. ワーカーズコレクティブ25周年の冊子購入済み。


(校正1回目済み)

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昨日の分科会はビッグイシューの/今日最終日、協働労働の協働組合という働き方に参加予定

2010-02-07 10:43:13 | 引きこもり
すみません。今回もメモ。
父の介護無難に一段落したので、東京ボラセンのフォーラム最終日に参加します。

昨日はビッグイシューの販売員さんの生涯を語る場があり、素敵な詩をいただきました。次の書きこみのとき紹介します。

では、出かけます。
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昨日から東京ボラセンのフォーラムに参加しています

2010-02-06 09:27:30 | 引きこもり
昨夜から3日続きのフォーラムに参加しています。
今日6日は、朝10時から午後18時までなので、報告は今夜に。放置傘の件で、面白い出会いあり。


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父がショートステイから帰ってきた/特養入所と老健入所の違い

2010-02-05 11:03:53 | 引きこもり
2010/02/04 朝 記入分
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昨日は巡回先の中央林間で仕事を済ませたあと、町田3君(仮名)の高校と電話で交渉。その足で父の入所先の申込に回って来た。新しい特養は個室だから、父のように機嫌に波があっていざこざを起こしかねない人物は、共同部屋は無理ということで、おのずと比較的新しい施設をまわることになった。

ただひとつ、話を聞いていて、私に思い違いがあることがわかった。それは老健が介護度の低い人向けとは限らないこと、老健が同一基準で動いているのではないということだった。特養が茅ヶ崎市で数百人待ち、藤沢市で四百人前後の待ちであることにうんざりしていたが、特養は市町村単位で優先順位が決まって、事情が勘案されるが、老健は市町村単位のような枠がないということだった。介護度も1~5まで、健康回復訓練が受けられれば、医師・看護師常駐分、医療行為の認可の幅が大きいというのだ。あとひとつ我が家から覗きに行きやすい特養がひとつある。そこは藤沢市なので、入居幅が1割と、まず入居不可能なので後回しにしていたが、そこが特養の最後にすることにした。今後は老健を主に訪ねていく。

最後に訪ねた場所は、既に申し込みを済ませていたが、介護保険証のコピーが不足というので、FAXでもOKとのことだったが、担当者と話がしたくてコピーを持参したのだった。

ここも障がい者雇用を進めている事業所で、話ついでに雇用情報が聞けないかなという下心もちょっとあった。茅ヶ崎市を出た、あるホームでも、知的障がいの明らかな方が配膳を行っていた。しかし、質問は先方を面食らわせ、期待する内容は得られなかった。

ホームめぐりを終えて、帰りにホームに近い精神障害者支援事業所「パイン・ナッツ」を訪ね、**さんと話した。若松町のコミュニティカフェ「ゆめたい」の運営会議を私は抜けていたので、**さんとは久しぶりだった。地元引きこもりの方の求人探しの話。それは元町の家(センター)の話だが、「噂無い?」という話。聞かれて**さん、びっくり。特養ホームへの就労事例を教えてくれたが、手帳を持っていない方の話ではなかった。

虚しさ抱えて、茅ヶ崎駅のてんやで、糖尿病には毒だが野菜天丼を食べようと店に入ると、カウンターの向こうに、知り合いの顔。虚しさの疲れを隠し切れないので、声をかけないで、なんとも間の悪い時をすごしていると、先方から声をかけてくれた。父の件、今後も道が開けないのは、とうに見えていること。例え、父がショートステイに出かけても、結局は私たちは縛られていることには変わりなく、在宅介護が続く限り、日程の宙づりの状態が続くのだ。始まってしまった事態の「隙間利用の活動」を公言できない中途半端さを飲み込みつつ、先方と簡単な情報交換をした。

暗闇の家は、まだ母が帰宅しておらぬ証拠。来週買い替えの、壊れてしまったTVの前で、どうしたものかと、湯のみの茶を両手で握って壁をにらみつけていた。

夜間傾聴:□□君(仮名)
     中央林間君(仮名)
     町田3君(仮名・報告こちらから)


2010/02/05 朝記入分
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父が帰ってきた。通常14時半到着のところ、15時を過ぎて帰ってきたために、大半の用事を諦めなくてはならなくなった。17時台帰宅にしてくれれば、多少やりくりが効くのに、これでは一日がつぶれてしまう。しかも母の都合で月2回、木曜日帰宅の2泊3日予定を組んでしまうので、私の自由時間の火・木の8日間のうちの2日がつぶされてしまう。「帰りが遅いのはどうしたの」とホームの送ってくれた職員さんに聞くが、「車が混んでいた」とあっさりかわされる。今回の担当の++さん、いつも隙をみて楽に走る。危ない方なので、なるほど++さんでは遅れるのは無理もないと思う。

父にせいろで蒸しておいた野菜の中から、ジャガイモと人参を取り出し、暖めなおしておやつ代わりにし、さっさと階段下にバリケードを作って出かけた。茅ヶ崎図書館と辻堂図書館にビッグイシューを届け、書籍交換。藤沢大庭遂道側の特養に入所希望申請書を持っていく。市外枠1割なので、まず入所出来ることはない。宝くじの感覚。入所担当のSさんと話し込む。藤沢市の事業所には、かなり遠方から申し込みが来るという。

母の緊急呼び出しがかかって、また巡回ひとつが流れた。首になるなあと思いつつ、階段最上段に座り込む父の紙パンツ交換とベッドまでのトランスファ。

便もれは母が清拭していたので大丈夫だったが、父は椅子にも座れない。母が椅子を持ち出そうかと電話で相談があったが、以前父が椅子を投げ落としたことを思いだした。母はその場にいなかったから、恐ろしさを知らない。今はその元気がなくとも、狭い踊場、椅子ごと父が落下する可能性も考えられた。それで、椅子に反対した。だからダメといわれた子どものように、母はちょっと離れた通路のところに椅子を置いていた。

父を誘導中、父が大あくびをした。転倒にひやひやしている介護者に対し、この緊張のなさはない。案の定、絨毯の端に指先をひっかけて前のめりに転倒しそうになって、私が支えた。父は大腿骨が驚異的に丈夫だ。ここが骨折すれば歩けなくなる。

5日のNPOと企業の合同立食パーティ用原稿を仕上げて、ビッグイシュー送金まとめ、青空プロジェクト(公園と地域の起業プログラム)の素案を書く。ソーシャル・ファーム導入の意義をかく。目が覚めると、3時半、携帯が鳴っていた。いつの間にか眠っていた。□□君のSST。脱線が結構楽しい。4時ちょっと過ぎたころ、父の異常で対話を終えた。

父はソファーに座って尻を拭いていた。周囲はパジャマズボンや、紙パンツで、便が緩かったら大惨事になるところだった。ポータブルトイレからソファーまでは4~5mある。何を考えているのだろうと思ったが、抵抗する父をなだめすかして、歩行機を使ってベッドに戻した。

横にした瞬間、父はいびきをかきはじめた。ショートステイの帰宅時は疲れているのだ。午前中にサポセンで印刷。14時には紅葉坂で青少年課のセミナー。自殺願望のある青年の関わり方。19時から、東京ボラセンの立食パーティ。

どうか、緊急呼び出しがかかりませんように。


夜間傾聴:□□君(仮名)
     ******君(仮名)
     町田3君(仮名・こちらから)

(校正1回目済み)


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