湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネの地域学習活動・就労支援活動の実践試行を書き溜めていきます。

茅ヶ崎・寒川自立支援協議会発足、傍聴してきました。

2008-01-31 06:19:42 | 引きこもり
昨日は市のHPで傍聴枠を発見して、茅ヶ崎寒川自立支援協議会(第1回)を傍聴してきました。ワンパターンの面々。話の内容も初回だから仕方がないのかもしれませんが、状況共有の話が中心で、大きな方向性や、解決すべき端緒のような具体性を語らないので、とりあえず茅ヶ崎・寒川はこんな状況という大づかみの報告で終わっていきました。翔の会の****さん、最後に妥当な線の釘をさしていましたが、今後の展開に待つ感じです。

これから各部会に分かれて議論が始まるわけですが、果たして部会が公開になるかどうかは依然はっきりしません。代表者会議は年2回だそうですが。


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受験挫折組が出ている。昨夜の巡回はその子たち。ひとりは家業を継がせられる重圧下耐え切れずに彷徨。担当者と話を詰めた。用心していたとはいえ、結果何も出来なかったと考える担当者に、まだ終わりじゃないですよと活。硬直した親御さんの間にたつこと。作戦会議のような話。しかしここは、面識のない学齢期の方なので、守るのは彼と、仕事の目的をはっきりさせた。

******暴発の件、電話連絡のみ。近寄れない。


今日の夜間巡回はひさびさにお母さんと入谷さん(仮名)。お母さんの病気後、どことなく脱皮したような感じをうけるが…。芯がしっかりした子ゆえ傷も深かった。

しかし夜の相模線は心の中にも闇がしみこんでくるようなところがあって、コインロッカーから買い物をだして吉野家に飛び込むと、自分の気持ちのメインテナンスが必要になる。終バスも出てしまったので、ぶらり歩いて帰宅した。この時間が貴重なのだ。

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地域活動支援センター「光の風」の方から地域ネットワークの集まりを2/13の14時から十間坂の方で開くというお誘いあり。かながわAの齊藤宇開氏の講演会と露骨にぶつかる。齊藤氏の講演は学齢期のお子さん対象なので、「光の風」さんのネットワークの方にでることにした。松為氏の3月1日(土)講演のチラシを渡せるだろうか。今そのチラシを書き直している。

夜間傾聴:町田2君(仮名)
     鶴川2君(仮名)
     ******ご両親

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今日は市女性センターの相談昼食待機のあと、藤沢大庭図書館の待機。この間にチラシを仕上げ、帰りにサポセンで印刷。夕食までに帰宅予定。

べっこう玉子の下準備中。製作後ペーストにしてそこから先は企業秘密である。コレステロールが高いこと…。

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p.s.
アイ・ビー・エス・ジャパンの「mini Client MC-240」注目。X02HT 携帯の拡張用に使えるか。USBポートのBコネクタの変換器を介せば、プロジェクタ出力や、キーボード・マウス接続が可能になる。ただメーカーはWindows Mbile 5 までしか保証していない。



(校正2回目済み)
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詰め将棋のように~「わーく」の準備/ 【訂正】2/13 藤沢で齊藤宇開氏講演

2008-01-30 06:45:36 | 引きこもり
父の認知症の進行で、治療を拒否する父の同行をあきらめて、とりあえず診療設備のチェックがてら、某医院に行ってきました。当人が来なければダメという当然の壁があったものの、看護師さんに事情だけは聴いてもらって、まあ、目的は達成しました。しかし選択肢がない…。困ったもの。

今日は車に迎えに来てもらい、父は外出しましたが、なんとも危ない。昇降時に立ち上がれなくなるのです。介助が必要。ところが迎えに来た宗教団体の若い信者に、お礼と称して「トンカツ」をおごってきたと平然としているのには、ぐったり。しかしこの外出も、まもなく出来なくなりそうな。車椅子も猛然と拒否している。

ワーキングエリアの機能が低下している。外出準備時、準備のための準備が混乱してしまう。次々に枝葉に分け入って幹に戻ることが難しくなり、まとまりがつかなくなる。苛立ち、行動を急ぐので転倒してしまう。じれれば泥沼にはまる。

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神奈川県高校入試前期試験の面接が終わり、中学部の話が飛び込んでくる。私の知っている不登校をしている子が、秋から入試に取り組み始めていた。中学の唯一の友人と離れたくないという思いがあった。無事面談を終えたと担当者経由の情報あり。

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自由が丘君(仮名)が週末にカップルで我が家に来ると言い出した。あいにく土日は戸山サンライズでDAISYの研修を受けている。日曜日、研修を終えたら渋谷で合流しようということになった。結婚すること自体、心に負荷がかかっている。無理するなと言ったが、この時期は冷静になれというのも酷か。

DAISY図書の試作第一号は「『わーく』編集部」構想の紹介デモ版になる。磁場をおかねば人は集まらないし動かない。昨夜からSNSのシステムソフトのカスタマイズを始めているが、基本動作がおかしく、ファイルを呼んでくれなかった。

マニュアル本を1冊買い足したが、読む暇がない。先日の市民活動カフェのとき、同じテーブルになったTさんのように、テレコムに慣れているひとと組みたい。「ろうきん」助成金の山を越えたら大学回りを行う。

携帯ネットワークをつくるために、携帯電話をテスト用のスマート・フォンX02HT を購入した。悪名高い機種だ。コピー&ペーストが出来ないという信じられない機種だ。私は携帯電話フリークから、コピー&ペーストの(パッチ)フリーソフトが出ている情報を確認していたので買ったのだが、買ったら6月以降にX03HTが出るという情報が巷に流れた。全く性根の悪い業界だ。今夜パッチを当てるのに成功。あと使いやすいFTTPソフトがでれば、ポータルな管理環境が整うのだが。しかし不可逆型という練れていない内蔵ソフトには閉口する。

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●「地域SNS--ソーシャル・ネットワーキング・サービス--最前線 Web2.0時代のまちおこし実践ガイド」

入手。「まちづくり」というのは、風呂敷広げすぎ。解決課題の肝抜け。

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今日は昼に出かけて、巡回は夜。
父のトラブルが起きないように、ただ念力をかけている。


夜間傾聴:自由が丘君(仮名)
     町田2君(仮名)
     ******(暴発!)
     ++++++(小5:テレコム仲間とは!)

【お詫び】
 2/13 の企画は、以下の通りの企画の間違いでした。正しくは「齊藤宇開」さんです。おそらく同じ「さいとう」で「斎藤環」さんと間違えたものと思います。訂正します。

●「発達障害のある子どもの理解~幼児期から学齢期における支援を学主任研究員)
☆日時:平成20年2月13日(水)14時~16時(開場13時30分)
☆場所:藤沢市役所新館7階第7会議室ぶ~」
☆講師:齊藤 宇開 氏(国立特別支援教育総合研究所教育支援研究部
☆参加費:無料
☆問い合わせ・申込先:神奈川県発達障害支援センター かながわA(エース)
 FAX> 0465-81-3703
 Mail> nakaya.1356.tiikisien@@pref.kanagawa.jp ("@"をひとつ取る)
 HP> http://www.pref.kanagawa.jp/osirase/13/1356/sienc/index.htm
☆申込方法:定員100名
 必要事項(名前・住所・電話番号・所属)・研修名
 を明記の上、FAXまたはメールにて。先着順、定員に達した場合締め切り。

(参考資料:齊藤宇開氏執筆)
●「自閉症教育実践ケースブック―より確かな指導の追究」

●「自閉症教育実践ガイドブック―今の充実と明日への展望」

●「コミュニケーション支援とバリアフリー」

以上訂正します。



(校正4回目済み)
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ビッグイシューの佐野章二さんの講演会にお邪魔して

2008-01-29 07:53:00 | 引きこもり
毎年私たちは季節労働者のように、試験問題が出始めると裏稼業が始まる。今年はお馴染みのところをどうやらキープした形で推移している。同時に来年度のことを契約含みで枠作りをしていく。巡回業務は特殊な持込業務だから常に不安定な状態にあり、継続契約が基本になる。理解校は圧倒的少数だが、進学塾に仕事があったりする。大概、ライターや時間講師と組んだ形で契約が取り交わされる。ひとつのレポートが終わり、受験生のように、眠気を抱えて昨日は相模原市(橋本他)と横浜市内をうろうろしていた。

その最後の部分に、以前から是非面会したかったビッグイシュー・ジャパンの創始者・佐野章二さんの講演会があった。関内の横浜メディア・ビジネス・センターというか、TVKの入っている建物の7Fの横浜企業経営支援財団の横浜ベンチャーポートの主催の講演会だった。独立行政法人の講演会で、アントレプレナー(独立起業家)関連のセミナーなので、ビッグイシュー・ジャパンは、はまり役でもあった。

佐野氏の説明でビッグイシューの販売者は中年以上にしていることがわかり、いわゆる若年層のニート・引きこもりの中で、住居を失って路上に追われた者が、なぜ見かけないのかがわかった。確かにこの層は、住所さえ(実はここが、これからしんどくなりそうな予感)決まってくれば、職を選ばなければ、社会に糊口を凌ぐ口はある。逆に言うと就労に馴染まない挫折感を抱える者が路上に押し出されてきているから、「住居・職」というあたり、説得は一筋縄ではいかないが、ここはもうひと思案必要な層だと私も考えている。

話はすっぱり社会的企業の話に断面が切れていたが、立ち上げのあたりのところがもう少し詳しく伺いたかった。私は「わーく」が若年層にすんなり受け入れられるとは思っていなくて、事情のある若年者への試みとして、参加者自身もひと波くぐって開かれるものだと思っている。だから身の丈から出発出来、実態に合わせて伸縮できるアメーバ組織をモデルに考えた。ところがこれは強烈な推進意志を持つ者がいてこそ強い感染力を持つのであって、もうひとつの力である資金力はモデルに組み込んでいないのだ。

ところが佐野さんのお話では、大きな借り入れ部分に加えて、市民株主(一口5万円)の形で、500万円を集めることが出来たとさらり言われて驚いた。私は運動としての「わーく」立ち上げを考えていた。佐野さんは強力な磁場となって、ビッグイシューという前線を拓かれたのだった。このベクトルの違いは、単純に出発点の違いによるものだろうか。いい企画には金が集まるという。しかしいい企画なるものが衆目の判断の皿に盛られるまでには、厨房の戦いがある。そこを再開できたなら、ぜひうかがいたいと思っているところだ。

講演が終わって、佐野さんと名刺交換をした。佐野さんが、このブログを読んでくださったと知り恐縮している。

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コインロッカーから買い物袋を取り出しているうちに。終バスがでてしまった。家に電話すると、父の暴飲暴食ではない予定外孤食と、周囲をなぎ倒して進む歩行の被害に、悲鳴があがっていた。父が給油中、灯油タンクを倒したのだった。ため息をつきつつ、タクシー乗車の奇妙なパスポートを得たような気分で家に戻った。たしかに…。私の帰宅と同時に父は、顔を合わせまいと2階の居間に移動して籠ってしまった。危うく火事になるところだったという母の話をききながら、灯油くさい食事を済ませているうち、専用電話が鳴り、夜間傾聴が始まったのだった。

夜間傾向:橋本君(仮名:昨日の延長戦)
     自由が丘君の奥さん(仮名)
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(校正2回目済み)
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茅ヶ崎サポセン・市民活動カフェ成功しつつも…

2008-01-28 08:14:23 | 引きこもり
相模大野校の調整会議を済ませ、茅ヶ崎サポセンの市民活動カフェに飛び込んだ。服部市長の顔。参加者の年齢層の高いこと。日曜日の昼間である。若手の活動関係者が参加して参加できない設定ではない。それが来ない。前回と比較して参加者数は増えた。しかし、組織動員だなと思う顔ぶれ。とにかく古い活動家たちが多いのだ。新しい活動の息吹が感じられない。これはサポチガの面々の努力の程度を問うところではない。新しい質の活動がここにくることによって、+αを得られなくなっている構造的な問題なのだと思う。

私は市民活動に企業的手法を導入することを探っている中間支援者の研究会にお邪魔し、いくつかの元気のいい活動事例を知った。私の活動の領域ではない活動だったので、なおさらに、市民活動カフェの状況は、市民活動自身の衰退の表現ではないなとの思いを強めている。それぞれの場で活力のある活動はあるのだ。市民活動は社会活動と余暇充足活動のふたつの顔があるが、社会運動では問題解決と新たな局面を開く活動が、余暇や趣味の活動では、ひととつながることの価値が+αの力で束ねられていないように思う。両者をつなぐ論は「ネットワーキング」だが、実際のところ、それらは恒常的な接点を持つものではないように思う。ついては離れ、繰り返す「企画の力」の寄っている。そういうものなのだという発想を私は持っている。「結び目の活動」、「ノット・ワーキング」だ。ぼこぼこと沸騰する湯のように、あちこちの泡が吹き上がっていく。そういうモデル。全体が湧き上がるのではない。局在している生成を続けるネットワークの価値が引き出せたらいいのだがと、視点を変えて考えている。

それは思いつきの企画力に賭ける事ではなく、その場・その領域で必要となっているネットワークしていく企画に+αの魅力を添えていく。そういう仕掛け人に中間支援者が受け皿から役割をシフトしていく。商売ならこういうとき、待構えの価値をあげるか行商に出るか活力を引き込む思案をするだろう。いまひとつ人が見えてこない。

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県立高校の前期試験が間近に迫った。ここまでくると余計な波風が立たぬようにするのだが、この頃になると、疎外感を持った子や、すでに進学先を決めている子たちが、危うい動きをはじめるということで、生徒指導関連の教員たちの疲れた顔を見かけることになる。この点では私たちのような私教育の場では、むしろ年末の方がしんどいのだが、友達に誘い出されるように、街中に出て行き、その仲間の中で更に疎外感を味わって戻ってくるという子が出てくる。

その子たちと正月のときにそうしたように、いっそでかけてみようかという話がでている。スキーとかスケートという提案をする若い同僚もいるが、ぼそり出かけるほうが脱力系でいいのではないかという話があって、1泊ではあるがふたりの子と参加可能な講師が出かける話が進んでいた。私は遠方に出かけられる状況ではないので、つれそう講師の担当している子の留守番をすることになった。子と言ってもまもなく成人とか、間が空いて30代とかだが。そんな調整をやってきた。

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入谷さん(仮名)から、旅先シアトルで撮ったという画像が添付メールで送られてきた。大概こういう画像は、街の景観を撮ってくるのだが、入谷さんはひとの息づく町並みを撮ってきた。以前住んでいた町だから、その分、視点が違うのだろうが、それでも彼女の個性を見るようで、感心して見せてもらった。彼女の年齢でこういう視点を持てるのは素晴らしいことだ。ありがとう。

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父が久しぶりに宗教団体の誘いの車に乗って外出した。留守の間に身の回りの掃除と片付けをしたので母がばててしまった。市民活動カフェのあと、橋本君(仮名)の巡回を組んでいたのだが、あきらめて変更してもらった。

うなぎを母に買っていったがいらんという。父が代わりに食うという。まったく困ったものだが、痛みかけているトマトがあった。トマトと味噌は相性がいい。ペーストにして、キャベツと豆腐でスープを作った。どうしても動物性のダシが不足するので、タラを使った。何とか母が食べたが、父はトマトが大嫌い。ともあれうなぎは冷凍室行きとなり、鶏のささ身と白醤油で鶏南蛮+煮込んだ人参のかけらで食わせて、私がうなぎにきゅうりの千切りをまぜて、分量を加減して夕食。こんなことをやっていると、21時は過ぎてしまう。今日は午後から橋本君訪問。そのあと横浜でビッグイシュー創設者の講演会にでて、相談をしてくる予定。

昨日、私の依頼で茅ヶ崎警察署の署長と藤沢警察署の署長に、某議員が駅前の路上生活者の保護を申し入れた。特に茅ヶ崎駅の左手を抱え、大きな靴を履いた方の衰弱が激しいので、医療的な保護をこれは保健所にも連絡したが、見守りを要請した。

また、ビッグイシュー販売員の保護を要請し、趣旨は了承してもらった。彼らに関心を寄せる目があるのだということを明らかにした。社会にふり落とされるひとたちのライフラインは、忘れないようにしていきたいのだ。

夜間傾聴:@@@@@@@@

(校正2回目済み)
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LD親の会「けやき」の例会(講演会)に参加してきました

2008-01-27 06:11:36 | 引きこもり
LD親の会の老舗「けやき」の例会(講演会)に参加してきました。一昨日と全く同じ飯田橋の東京しごとセンターの地下講堂が会場。講師の神奈川県立保健福祉大教授の松為信雄さんと、会の合間に3月1日の講演内容について、お願いしてきました。

「けやき」の講演会は、中央障害者雇用情報センター(高齢・障害者雇用支援機構)の名田敬氏が雇用行政の制度的な解説を、松為信雄氏が就労支援の考え方を語るという形で、2名の講師の講演会ををやっていたのですが、パワーポイント画像の手元資料も、ごろりと関連情報の濃縮した資料集の趣でした。名田講演が「障害者に対する国・企業の動きと今後」ということで障害者雇用促進法下の障害者雇用の現状を統計的な数値をあげて解説。松為講演が「働ける子を育てるために~キャリア発達を見据えた支援のありかた~」という、他者と連携する労働をひとの生涯の中に位置づけ、障害のある無しに関わらず労働が個人にとって重要な意味合いを持つこと、そしてその労働を実践することは、親御さんの日常のキャリア教育がその基礎として大切であること等、労働観を込めた障害者就労のダイジェスト版を聞くという、ふたり相互補完的な組み合わせの重量級の講演会でした。

松為先生の講演は広範な内容を凝縮する形なので、むしろ受け取り側のニーズに合わせて部分化した方が、あとのQ&Aとのつながりがよくなるかなと思いました。総花的なので議論が拡散してしまうからです。3月には、発達障害を中心とした親御さんの子育ての中のキャリア教育のことや、学齢期を過ぎた成人の方の就労支援の形として、社会的支えとしての地域支援ネットワークの重要性を支援者にという具合に、論点を絞ってもらうようにしようと思っています。これについては、松為先生ともう少し調整がいるように思います。

とりあえず、では、就労支援の「実例紹介」は、全体の流れの中に位置づけられるものではないので、質疑応答の時間を多めに取る形で3月1日はフォローして行こうと思っています。


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●就労困難な若者の地域就労支援講演会
  「地域に就労支援のネットワークを!」(仮題)
●日時:2008年3月1日(土)13:30~(開場:13時~)
●場所:茅ヶ崎市役所分庁舎コミュニティホール5階A会議室
●テーマ:「キャリア発達を見据えた地域就労支援ネットワーク」(仮題)
●講師:松為信雄さん(神奈川県立保健福祉大教授)
●主催:就労困難若年者地域就労支援PJ
●この行事は,光之村助成金を受けて運営しています。

チラシが作りにくくて困りました。ただタイムリーな内容をできるだけ、次年度に投げたいので、協議会にも利用できるような語りを実現しようと思っています。

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今日は「市民活動カフェ」が、茅ヶ崎市民活動サポートセンターで行われます。この場にチラシをと考えていたのですが、ちょっと無理です。無念。

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松為先生の講演は何回か拝聴しましたが、非常に論点が豊富です。ただ、その中で気になっているところがあります。それは企業就労そのものが、競争原理下の収益活動にあるというところを前提に、その水準に障害者の就労を高めていくという構造の論になっていることです。私は教育活動や市民活動から成人期の活動へと転身してきた者なので、ユートピア農耕共同体を描くような活動や、私がくぐってきたフリースクール活動の中の競争原理批判の運動を経験しています。私は後者について、ひとは協力し合うというかお互いが必要とされる関係に結ばれたときに、そこに十全な生を感受しうると思うのです。「協業」という概念です。

私は「ノーマライゼーション」という言葉が好きになれません。そこには正常とか標準が前提にされているからです。障碍者の関連活動は、競争原理にふるい落とされていく社会的弱者の視点から、現代社会の不合理を明らかにしていった経過があります。それはただ社会水準までと、背伸びを重ねていく活動ではありません。

企業に障碍者が進出していくことは、効率的収益性を第一義としてきた企業活動に、社会的責任を自覚させていくことにつながっているように思います。消費者社会としての地域社会に対してはCSRの概念が生まれましたが、生産の場面、企業の身内のこととなると非正規雇用拡大にみられるように、明らかに顔が違います。この身内のところにも、従業員という人々とその家族の生計が企業に預けられているという大事な側面があります。この点について、企業が支えるひとびとの中に社会的弱者をもその一員として抱えていく責任を問う、そういう意味合いが障碍者雇用にはあったと思うのです。

活動の局面として、一般就労の現場から排除されてきた障碍者の就労が、法定雇用率達成という法的な要請が原動力となって、障碍者の一般就労の場面と接する企業就労が進んできているという状況があります。自らの生計を稼ぎ出していく契機が広がったことは事実です。しかし、もうひとつの側面、「働くこと」ということが「賃金獲得」に集約しきれない、抜け落ちていく自己実現の情熱の部分、社会の一員としての自覚が高まる、協働参加を保障するという支援への評価が抜け落ちているように思うのです。

経済活動に組み込まれている限り、農耕共同体の自給自足理想郷や、隔離人倫共同体に就労支援論を流すことは幻想でしかありません。私の知る路上生活者が本の販売活動を通じて路上生活から離脱して生計をたてていこうとする活動の情熱は、効率的収益性からはみ出す活動の一例と思います。同様にボランティズムもまた、はみ出しています。

障碍者(社会的弱者)の就労支援活動が、従来の企業へのあてはめではない、その「ない」という部分の語りのより深い論拠を必要としているように思います。なぜならライフステージという大きな課題を論じようとしているからです。労働という社会活動に参加することにより育まれる生きる喜びの部分は、必要の論法からは出てこないと思うのです。紡ぎ出される生の喜びです。

障碍者就労はそんな観念的なところにはないという批判もあると思います。しかし、適合した労働に就く知的障碍者の働くさまを、効率的収益性から読み取れるでしょうか。また、引きこもり領域では「なぜ生きるの?」という問いものしかかる抑圧の問いとして、後回しの課題ではないのです。それは「働く」という社会参加と密接に関連するところです。この辺の部分で、先生の翻訳ベッカーのIPS(Individual Placement and Support)の価値あたりに期待したいところなのですが。(実はまだ本書読んでいないので、期待でここを書いています。)操作技術としてではない、共感の方向としてのストレングスモデルの志向です。

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父が突然、枕もとのラジオを音量最大で鳴らし、止めに飛び込んだ。4時50分。耳が遠くなっているのだが、私を恐れて父は獣のように後ずさった。幻覚を見ているのかもしれない。落ち着かせて「早朝」であることを伝えて、横たわらせ布団をかけた。知のまなざしが消えている。まずいなと父の居間から戻りながら考えていた。

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夜間傾聴:町田さん(仮名)
     旗の台君(仮名:こちらから。>空振り)

(校正2回目済み)
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1/25「発達障害がある若者の就労とは」NPO学生キャリア支援ネットワーク

2008-01-26 06:30:09 | 引きこもり
巡回のひとりが私の訪問を拒否した。ある長年の担当医を拒否し、知人の紹介の医師に変えようとしていた。その新しい医師は、薬漬けをするので地元では評判の悪い医師だった。考え直したほうはいいと忠告したことが原因だった。こういうときは、時間をおく以外ない。指図するのはよくないのだが、もともと肝臓に既往症がある子なので、危うさを感じたのだった。その旨、上司に連絡をした。

鶴川君(仮名)が相模大野校に出席していると話を聴いた。私の担当を離れているので詳細はわからないのだが、心が開けたのなら歓迎すべきこと。

今回は鶴川君と同じ鶴川2君(仮名)の親御さんと相模大野校で会った。体育系の序列についていけなくなったという。通学が続かないという不安定な状態。軽度発達障碍系の話ではない。

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相模大野から飯田橋に向かった。新宿で夕食を取った。安い中華料理の店に入ったのだったが、年配の女性と高校生の女性のふたりが、酔客の容姿を客席に聞こえるような声で噂していた。嫌な予感がしたがそのまま、その店で一番高い定食を頼んだ。高校生が注文を受けたのだが、厨房にオーダーする声が聞こえなかった。やがて出てきた定食モヤシだけを炒めた野菜炒め定食だった。この店で一番安い定食。実はこの店、昨年入ったときも、五目そばがラーメンに化けてしまった。店員は違うがなんとも嫌な感じをうけた。頼んだものが違うというと、注文を変えると困ると年配の女性。すぐに厨房から店長が出てきて、料理を変えるなら早く行ってくれないとという。初めから店員が聴き違っていると、そのまま店を出た。実はこういう体験は、年に数回味わう。その店で一番安いものに化けてしまうから、風体がよっぽどひどくみえるのだなと思う。おかげで「ごほうび」は立ち消えて、レギュラーの豚丼半分に化けてしまった。糖尿病のカロリーコントロールである。

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昨日は、飯田橋の東京しごとセンターで、「発達障害がある若者の就労とは」というテーマの講演があった。講師はおなじみ梅永雄二氏。主催はNPO学生キャリア支援ネットワーク。協力がNPO育て上げネット/NPO起業とキャリア支援センター/(有)中島映像製作所/(株)日本ユニコー。入場料は関係者にターゲットを絞るためか2,000-と高かった。地下講堂が8割がた埋まる状態で、服装から企業・行政・教員というところ。その関係で、発達障害の定義など概論じみたところをすべて切り捨てたことで、話の密度が濃かったように思う。「かわぐち若者サポートステーション」のデモ版も見たが、街の清掃作業や農業体験などの対人交渉の少ない仕事をプレ就労として位置づけ、企業就労させていく内容だった。

ここでは、無業者(ニート)への取り組みの中に発達障害がでてきた感じで、今回の主張の特徴は、個人の特性に合わせて企業に送り出していく従来の支援の形から、「当人のニーズと企業のニーズをマッチングさせるのが支援の立場である」という定義が、かわぐち若者サポートステーションの橋本光生さんから紹介されたことが印象に残った。

就労はあくまでも個人の営為であって、職場にマッチさせていくのが就労支援という構図は変わっていない。障害を抱える方の就労はマッチングが非常に難しい。グループ就労という場合でも、共に働くことが位置づけられているとは思えない。ここの意識的な組織化がぼっこり抜けたままのはめ込みが崩れていない印象を受けた。

梅永氏の講演は、発達障害とその周辺の障害の困難が、「職場ではどのような困難になるか」という点を明らかにしたこなれた話だった。とくにADHDであるという女性の専門職にいたるまでのプロフィールを当人と梅永氏との対話の中に紹介したことで、話は説得的だった。茅ヶ崎にこの方を招待してみたいと考えていた。

他の情報は、追って。

帰りの受付で、あまった資料を一部くれないかと交渉したら、数枚のホチキス止めのコピーが一部1,000-であると紋きり型の話をするので、呆れてしまった。後半は商品のコピーである。会の性格が透けて見えるようだった。

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帰りの電車の中で携帯が鳴った。地下講堂は電波遮断の環境だったのだった。父が転倒したとのこと。焦って帰宅すると、父はTVを見て笑っていた。母が自分だけに父の世話を押し付けているという抗議だとわかった。なんともしんどい話である。しかし早く帰ってきてよかったのだった。私が着替えを済ませている最中、居間で恐ろしい音がした。転倒したのだった。頭部を打ってはいなかったのだが、腰を強く打ち付けて動けなくなった。体重80kgを背負ってベッドに寝かせ、様子を見た。明日はおそらく起きられないだろう。対策が必要。介護者がつぶれてしまう。

夜間傾聴:鶴川2君(仮名)親
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今日はLD親の会の「けやき」例会。同じ飯田橋の会場である。
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県立図書館の本の更新を県生涯学習センターで出来たなら…

2008-01-25 08:01:04 | 引きこもり
県立図書館(紅葉坂)に行って、借りていた本の更新をしてきた。ハードカバー10冊となると重い。ショルダーバッグにも入らないので、買い物用の手提げ袋に詰め込んだ。なにやら家出の風情。内容は3分の1は生業関連、残りが社会的企業やソーシャル・ファイナンス関連書だ。つまみ食い用なので、冊数が膨らんでしまった。以前は車で行き来していたが、徒歩でいくと坂がきつい。

横浜駅の県民サポートセンターの5Fに生涯教育センターがある。ここが県立図書館の代行受渡窓口となっているので、普段はこちらで済ませてしまう。しかし中途半端なことに、ここでは延長手続きが出来ない。だからオンラインで延長し、それ以上長くなると紅葉坂に行かなくてはならない。今回は神奈川県と東京の数点の事例コピーを頼んでいた。また松為訳のベッカーの資料がなぜか県内の公共図書館・近隣の大学図書館にないので、松為先生の県立保健福祉大の部分コピーを頼んでおいた。3月1日の講演会前の予備知識を得る為のものだった。ところがこれが帰り道、横浜駅西口の栄松堂書店に並んでいたのにはぐったりとした。増刷というわけでもないのに、まあ4千円近い本なので、いいかと勝手に考えている。精神障害者の就労について、「どんなに重い障害をもっていても、本人に希望があれば一般就労は可能である」というAMAZONの解説に引かれた。的確なサポートは障碍の程度を超えて就労が可能だという、就労へのエールがこめられているという。

●「精神障害をもつ人たちのワーキングライフ―IPS:チームアプローチに基づく援助付き雇用ガイド 」

さすがにコインロッカーを活用しないと、他の用事や買い物はできない。昼の昼食相談会にはそのままかつぎ込んだが、サンドイッチを食べながら山から引きずりだした本の続きを読んでいた。本自体が99年刊の古い本だが、ヨーロッパの事例の現在に至るフォーラムの論点が見えてくるので、お勧め。しかし、この「第3セクタ」の流れの中に、自分の企画を関連付けて埋め込んでいく作業は、実際に企画が動き出したときに大きな意味を持ってくるところなので、やれるだけやっておく必要がある。企画は壊すためにあるようなものだから、固定的な鋳型とは考えないが、企画の魅力に通じるところなのだ。

●「福祉社会と非営利/協同セクター」

しかし、女性センター、この時間は今回はコンチネンタルタンゴが、先週はズンドコ節が流れていた。なんとも異様な時間なのだ。

昼食会のあと、ビッグイシュー販売員さんたちの販売活動の安全を県警に申し入れておく話を某議員と話し合った。街頭販売は見方と出会うが、乱暴な方とも出会うことになる。中には、いかがわしい本を売っていると警察通報したり、販売活動が邪魔であるという抗議行動を行う人もいる。少なくとも行政と警察が、路上生活からの脱皮をかけた販売活動なのだという趣旨だけは理解していて欲しいと思う。この件については、他支援団体の意見も聴いて、県警にもうしいれるつもり。とりあえず他団体との連絡を始めることにした。28日に日本のビッグイシュー創設者佐野章二氏の講演会が横浜であるので、情報交換をしておこうと思っている。

更新した本と肉まんを抱えて帰宅。5時というのに、すでに夕食を済ませたという父親に怒りを感じて飲み込んだ。早寝をするのではない、それなのに三食米飯、5時前夕食を求めるのだ。ひとりにすると手鍋の山盛りご飯にインスタントワンタンをかけて、鍋のまま食事を済ませてしまう。そこにミカンと煎餅が続く。糖尿病カロリー管理がむちゃくちゃになる。かといって付き合えば、全生活が食事準備で支配されてしまう。調理しないとまずい食材だけ残して、他は隠したり前日に購入して、その無茶をかわしていく。おかげで自分のカロリー管理が順調になった。

本と食材を縁側で母に引継ぎ、そのまま相模線で橋本に出た。ここで巡回指導。交通費が相模大野からしかでないので、500円は自腹となる。仕事への意志がなくては続かない。和田中でSAPIXが夜間塾をやる。格差社会のシンボル的な教委承認…そんな話をしてきた。終バス帰宅だった。


夜間傾聴:町田2君(仮名)

今夜は飯田橋に出る。昼間巡回。

●「「発達障害がある方の就労とは」NPO学生キャリア支援ネットワーク主催。
19時から、東京しごとセンターB2F講堂にて ¥2,000-


(校正1回目済み)
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活動を続けるエネルギーの話 他

2008-01-24 08:35:50 | 引きこもり
公私のバランスというが、難しいものだ。相手が人間だから、つい先方の様子に引き回されてしまう。今、私が父の件で味わっているやりきれなさは、軽度の精神障碍の家族の思いにつながっている。この家族の閉塞感がひとをつないでいく。

私が歩んできた私教育畑からの思いは、子育て「支援」の立場から発想されたものだった。私個人の込められた動機はもうひとつ奥にあるが、親の立場で他の親子につながっているというより、生業でありながら、教育サービスを提供する「ボランティア」のようなねじれたスタンスだったように思う。「ボランティア」と敢えて書くのは、職業と言い切るには非効率な部分が多すぎると思えるからだ。つまり、これは現状を距離をおいて鳥瞰することのなかに、自分の役割のひとつを見出している立場ともいえる。この景観の整合性と解釈を実践の一面では常に追っていたのだ。

私の立場はいつも、「非当事者」という侮蔑にさらされてきた。それの行為の当否を論じるつもりは無いが、今運動の局面で感じている閉塞感から、この手の批判が流れ出していることを考えると、やはり解決にならない言葉だと改めて思う。私なるものが流れ出してしまう思考停止の言葉だからだ。

今、私は地元では、引きこもりと軽度発達障碍の青年の「就労支援」という空拳を振り回している。彼らが社会の中の正統な一員として位置づくことを、それが彼らとの共同の願いだという前提で走っている。Uさんに、地域就労支援PJの際に、引きこもり青年たちが本当にそれを願っているのか示して欲しいと言われて困った。

引きこもり青年の全員がそれを願っているというのは嘘だし、今苦しみの坩堝にはまっている青年や、挫折感を引きずっている青年に、周囲と取り結ぶことへの直線的な願いの有無を問うのは的外れだからである。また親からしてみれば、長年の対立に疲れているところに、世代からすると自分の親の介護が重なってくる。当座フリーターとして子どもがアルバイトでもできたら、それ以上は望まないとなってしまう。

私には引きこもり当人の年齢があがったときの再就職の道が狭まり、ますます不本意なものになっていく社会の歪んだ仕組みを意識するから、…ここが大事なのだが、本人は、ますます生計にふりまわされて、なりゆきに流れて生きる以外なくなってくる、これでいいのかという思いがある。お節介である。

社会人というレッテルを額に貼って生きているいわゆる大人たちは、その価値を「家族をつくり子を育てること」にその思いを流し込んでいる。その思いは時に身勝手に子どもを振り回していく。引きこもり青年たちは、その家族の窮屈さを知っている。なのに自分が大人として、その論理をふりまわさなければならない不合理さを知るがゆえに、大人社会の基準として結婚と子育てを強いるつもりはない。

ことなのは、標準からはずれた大人社会の価値観が徹底的に希薄なことだ。私も自分の家族を失って、いわゆる独り者で生きてきた。そこに社会的な排除の不合理はある。だが社会は平板ではない。そのずれゆえに、それをひりひりとした切り口として、社会とクリアに出会うことが出来る立場で生きていくことが可能だと思う。ひとと新たな関係を「生み出して」いったり、殉教者のそれのように彼方を見通したりする点については、結果的に「優遇されている」ともいえるのだ。

私は話し合いの席をつくっても、誰もすわらなかったら、客寄せ演技をせねばならんのかなと思ったが、それは何ともあほくさいことと思う。

昨日、サポチガの事業部門会議なるしんどい名前の会議の席上、「市民活動に私は参加しているけれど、人に対してそれを誘う言葉がない」というSさんの言葉が印象に残った。そう、共感が市民活動だけでなく、あらゆるところに透明な壁があって、共感の響きが遮断されているのだと心の中でつぶやいていた。

この共感とは、多数派の日々の思いの共通性に横たわるものではなくて、わきあがる思いに互いが巻き込まれる状態をいうのだ。つまり少数派も多数派もない質的なものだ。

この共感が生み出せる関係を、私は引き寄せたいと考えている。残念ながらSさんではないが、共通性のかけらを拾い集める行いは空虚だ。拾い、「磨いて」みないと真価が見えないのだ。その拾い集めの宝探しの基準が空からの「眺め渡し」によって与えられるのだと思う。

この「眺め渡し」を「展望」とか「予測」といい、それらは知識の世界とつながっていく。「眺め渡し」に没頭するのはあほだが、知識は非現実的と避けるのもあほだ。同じあほにはならないから、踊らないし損だとも思わない。

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朝、ドロノワ倶楽部の陶芸に参加した。素質が無いなあとがっかりしながら、素焼きの小鉢を磨いていた。これから釉薬をつけるのだ。私は夜間傾聴の関係で、朝からの陶芸に参加できないことがあったり、居眠りをしてしまうこともやった。その関係で指導者の方の顰蹙をかっている。素焼きの小鉢を磨いた後、色見本を探りながら、釉薬処理を行った。と、そこに指導者が立ち寄り、奇声をあげた。釉薬のつけ過ぎだった。私の担当者のOさんは、理論派だから、それでも事情を説明してくれた。しかし、どのようにするのかということを定量的には語ってくれなかった。熟練のからむ技能は言葉を媒介にする必然はないし、言葉への翻訳をこばむものがある。だからなのだろうか。

「この釉薬は流れてしまうのです」と語りつつ、指導者がナイフで釉薬の層を削っているのを眺めていた。おそらく次は、今回より予測的な行動をとれるだろう。私と彼とは同じ手元をみて状態を感じ取っている。チンパンジーの母子のジョイント・アテンションの話が浮かんでいたから、やはり素質はなさそうだ。

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父は注意を守って階段をあがらずに茶の間に陣取って一日を過ごした。茶の一杯も飲んだ形跡が無く、食事を待っていた。母はこの「しがらみ」を切り捨てる宣言をしていた。食事は三度、夕食は5時前にと父からいわれたら、一日中食事に支配されてしまう。それに足の世話の件を加えたら、自分がいなくなってしまうと怒った。とにかく茶碗のひとつ下げないし、家事を一切手伝わない。この長年の鬱積が父の体調悪化と同時に、怒りとなって噴き出していた。あんぱんを包装ごとオーブンレンジで焼いてしまう人間である。ただごとではない。結局SECOMの監視に頼ることになったが、人の交渉がなくなれば認知症は加速する。交渉の場をつくれば宗教を振り回すというこまった性格。家族の和解への模索はもう擦り切れていた。

事業部門会議を終えて、駆け足でジャスコで買い物をしてタクシーに乗り込んだ。夕食をだして、パンをかじり、巡回に出た。今回は*****さんの親御さんの話を聴いて帰ったが、さすがにダウン。2時間ほど仮眠。

夜間傾聴はありがたいことに、なし。

今日は女性センターの昼食相談会を済ませたあと、社会的企業の資料回収に県図書館リファレンスにたちよる。巡回は電話次第。


(校正2回目済み)
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「わーく」活動の「ろうきん助成」申請を済ませました、通りますように

2008-01-23 06:34:57 | 引きこもり
相模大野校からやたらにメールがとどく。センター試験の話をされても、私は受験生からはずされているので。常にどこかしらけている。外勤講師の疎外感というか。

まあそれはそうとして、中央ろうきんのスタート助成制度に応募した。「わーく」の出発をつくるためだ。機材購入もそうだが、「ろうきん」セミナーなどの形で、当事者家族に活動を公開することが出来ないかとたずねた。申請内容の公共性と先駆性がしっかりしていれば、通過後相談にのることもありうるとの話だった。道が開けてほしいと願う。

書類をWord形式で用意してくれたことには感謝した。なにせ自筆は自分にも読めないくらいなので、直接打ち込んで書類を完成できたのは嬉しかった。(以下は部分抜粋である。)


●団体の活動目的と活動内容
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 ハンデのため企業就労に馴染まない青少年の地域社会デビュー的地元就労を推進。引きこもり青年を必要人材とする人間関係を作る。(ケア・パートナー的就労をデザイン。)

 軽度発達障害者を中心とした、軽度障害者と引きこもり者のたまり場的プレ就労の場つくり。SNS携帯ネットとポッドキャスティング放送を中心にした若者の日常交流環境を提供。地域起業を含む、諸社会参加と就労活動の苗場作り。

こんなことを書いた。機材購入と活動広報の活動紹介講演会謝金を申請した。
とりあえず一段落である。

今日は朝10時からドロノワ倶楽部陶芸WSだ。仮眠を取る。

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父のワーキングエリア(一時記憶の座)が明らかに問題を起こし始めている。物忘れだけではない。例えば押入れの奥のものを取り出すのに、手前のものを先に取り出してから、目的のものを取り出す。この動作には、奥のものを得るという目的が保持されていなければ、手前のものをなぜ取り出したかわからなくなる。まさにこのことが起きていた。TVのドラマの筋が追えなくなった。若手が機関銃掃射のようにまくし立てるお笑いなど、日本語を知らないと批判するが、比喩・暗喩・間が全く分からなくなってしまった。

MRIのあるところをというと、結局選択肢も無くなり、片手間診療と長時間待機外来に辟易とした病院に戻されてしまう。じわりと父の左手が動かなくなってきたのが分かる。今日は、ドロノワと、15時からサポセンの事業部門代表者会議だ。夕方まで父はひとりになる。電話とSECOMで支えているが、母も帰宅が間に合わない。巡回を移動したが、留守が出来ない。階段を使うなと言ってあるが、火を使うことが一番困ってしまう。さてどうしたものかと。仕事をそう休むわけにもいかない。

案の定、父の怒りの寝言が始まった。

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---- 今夜から、書き込み再開します。

夜間傾聴:入谷さん(仮名:定期連絡風なり)

(校正1回目済み)
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座布団の下の包丁/国際フォーラム関連図書/今夜は助成金申請で

2008-01-22 00:27:21 | 引きこもり
介護認定の聞き取りは、母が立ち会った。父は一言も口をきかず応答をしなかったという。母が状況説明をし、それを書き取って帰っていったとか。週に一度でもデイケアに参加してくれば、気分も変わろうと思うのだが、これもこれで問題がある。宗教の勧誘をその場でやりかねないのだ。やればその場でお断り。…頭痛がする。

大きなリュックを持って階段の昇降をしようとする。足元が危ないので、リュックが必要なときは代わりに持ち、昇降を手伝う。母がそれをやって、リュックを階段の下に落としてしまった。母とて重い荷物を抱えた昇降は怪我の元になる。中に入っていた眼鏡が割れた。母がふらついたのだった。

問題はその失敗を父が怒鳴ったことだ。母が自分の身体と荷物とどちらが大切かと切れて口論になる。冷戦の最中、夕方父が煎餅を盗み食いして茶碗を落として割ってしまった。その茶碗の始末をしようとして、父がころんだ。立てないので、私が手を貸した。ふて寝を決め込む父。今夜、また睡眠障害の騒ぎになるだろう。

身体の自由が利かなくなっていくとき、ひとは苛立つ。その泥沼をいかに回避するかというとことに「智」が働く。(『知』ではない。)そこには家族という愛憎に埋め込まれた人間関係では、どこかに気持ちのしわ寄せが残る。そのガス抜きが絶対に必要となる。援助が得られそうもないことだらけである。問題の解決ではなく、問題の収納の心技(こころわざ)というか、そこに第三者の協力を求めうるところがある。だから転がり落ちようとしている今、第三者の眼差しと、泥沼に足をとられぬ手配を打っておきたい。

これを書いている最中、母が話しかけてきた。包丁が一本足らないという。瞬間私は、父がりんごをむいている元気な頃の姿が思い浮かべた。小さなまな板とリンゴがひとつなくなっていることを確認した。包丁は父の座布団の下から発見された。畳の一部が傷になっていた。まな板は押入れの中。リンゴの芯と皮はゴミ袋の周辺に飛び散っていた。当たりだった。以前包丁が掛け布団の中から出てきたことがあり、火の始末とともに、対策が必要となった。


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この間の国際フォーラム関連の図書2点を図書館にオンライン予約を入れた。

●「ソーシャル・エンタープライズ―社会的企業の台頭」

●「ソーシャル・ファイナンス―ヨーロッパの事例に学ぶ“草の根金融”の挑戦 」

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「ろうきん」助成申請の書き直しをやっている。22日の消印まで。今夜の傾聴は、緊急以外は延期させてもらうことにした。移動可能なもう一台のPCと、4chミキサー、マイクが2本、録音機1台のハードの部分の助成と、活動の広報的支援セミナー年2回分の費用を計上した。携帯電話回線1回線をどうするか思案している。

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父の介護認定調査説得へ/ヨーロッパとアジアのソーシャル・ファームの動向と取り組み

2008-01-21 06:18:26 | 引きこもり
起床時、父が転倒。家具に顔をぶつけ、額にあざを作った。大きな音がした。しかし顔を打つとは。頭部なので病院へ連れて行こうとしたが、大丈夫だの一点張り。床に戻し様子を見た。約40分、まるまる今回の国際フォーラムに遅刻。しかし気が気ではない。休憩時間に家に電話すると、うるさいとどなられ、腹はたつがほっとした。帰宅すると、父は母が庭先で近所の方と話をしていた十数分の間に、ひとり風呂に入ってしまった。水風呂でなくて幸いだったが、案の定、夕方から打ち身が痛いとすでに床についていた。薬の殻が散乱し、新聞紙が布団の中からしわだらけになって出てきた。

帰宅後、今日朝9時から介護認定のためにケアマネさんが訪問する。嫌がる父をやっと説得した。0時をまわっていた。明日、おそらく床からでてこないだろう。一筋縄では動かない、嫌は嫌を通してきたひとだからだ。夜中の静寂が逆に気になる。

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今回のフォーラムは、前日のフォーラムとは別の団体のフォーラムである。日本障害者リハビリテーション協会主催の「ヨーロッパとアジアのソーシャル・ファームの動向と取り組み~ソーシャル・インクルージョンを目指して~」である。

とにかくこういう会に出るときは、遅刻すると前のほうに押しやられるから注意が必要。今回は来賓席のすぐ後ろ。炭谷茂氏の講演「わが国のソーシャル。ファームのあり方」の終わりごろに飛び込んだ。この方の講演は無駄のない包括的な語り口が印象に残る。だから提供情報量も多く、聴けなかったのが残念なのだが、前日の「ソーシャル・ファイナンス」の話といい、社会資本の活用をめぐった動きへの転回が本格化してきたのがわかる。

●「国際セミナー ヨーロッパとアジアのソーシャル・ファームの動向と取り組み(1月20日)」

今回は連日ドイツ・イギリスの社会的企業活動の国家的拡がりを聴き、日本の動きが自立支援法下の民間施設の脱皮模索の延長上で語られているニーズの狭さを感じた。領域を横断したネットワークの価値付けが出来ていない感じなのだ。収益を生み出す活動と、支える自前の金融の動きの枠組みが生まれつつある。

今回特徴的だったのが韓国の取り組み。世界一の高齢化国家へと進む韓国が、公共福祉の根幹を「ソーシャル・エンタープライズ(社会的企業)」(『ソーシャル・ファーム』はこの一形態)に置くという方向は、日本と似た格差・高齢化社会に対する布陣として、納得がいくものだった。

今回はミャンマーからの報告もあったが、就労支援の大きな見通し(方向)が指し示されたと思っている。こうした世界的な流れは、現場の動きと無縁ではない。「わーく」が就労支援を通した地域インクルージョン・ネットワーキングの一擲になるという、外側から見た価値が見えてきたように思う。

今回は身体障害の当事者の方々から発言があった。

アパレル業界へと就職を希望する車椅子の高校生の「求人の領域の偏り」を訴える発言があったり、視覚障害の方の切々と訴える「鍼・灸・マッサージ以外の職業へと職域拡張支援を願う発言」があったりと、私は引きこもり青年たちの活動が障碍畑とは別という、遅れた発想を脱皮する必要を感じている。地域という人の輪の描き方の課題として、的確に彼らの役割と居場所を描く必要がある。就労デザインを企業就労への「個人加工」の発想から脱皮させなくては、彼らの「生きることへの憂鬱」から解き放たれることは見えてこないと思う。

会の終了間際、私の隣の東久留米の若い精神の関係者の方から、引きこもり青年支援の際の「自己過剰評価の壁をどう再教育するか」という問いがあったので、「他者から必要とされるとき、ひとは変わるのですよ」と応答した。納得してもらえたと思っている。(「わーく」の基調デザイン)

夜間傾聴:++++++親(親御さんも追い込まれている。)

p.s.ろうきん助成金申請、タイムリミット。でも絵は描けそうだ。
  センター試験、今のところ無事なり。


(校正2回目済み)
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国際フォーラム「わたしたちのお金で未来を創る~ソーシャル・ファイナンスへの挑戦~」に参加し

2008-01-20 05:26:37 | 引きこもり
A SEEDS JAPAN とアリスセンター、国際青年環境NGO主催の国際フォーラム「わたしたちのお金で未来を創る~ソーシャル・ファイナンスへの挑戦~」(三田・女性と仕事の未来館にて)の初日に参加してきました。英国の「The COOPERATIVE BANK」の関係者が来るというので初日のみ参加。今日は灘尾ホールの「ソーシャル・ファーム」関連の国際フォーラムに出るため、「ソーシャル・ファイナンス」の二日連続のフォーラムは、重ならない初日のみの参加だった。

市民活動の持続性や解決力拡大をめざして、NPO自身が企業経営手法を取り入れる「ソーシャル・エンタープライズ」「ソーシャル・ファーム」「ソーシャル・カンパニー」等と呼ばれる社会的企業の活動が注目されている。社会的ミッションのために収益は再投資される。こうした活動への社会資本となる金融を、NPOや、生協、労組などのネットワークを基礎に展開しようというのが「ソーシャル・ファイナンス」だ。銀行法の組織で、預貯金・貸付業務を行うが貯金の利子をNPOの活動に積極的に貸し出そうという活動が「ソーシャル・ファイナンス」だ。欧米と一部アジアでは、以前から活発に行われている。(cf.「NPOバンク」

英国の"COOPPERATIVE BANK"は公共セクターに対する投資を積極的に行っているが、今回参加したドイツの "GLS BANK"も小口融資を積極的に行い成長してきた活動だ。

私たちの公益活動は収益を回収することが難しい。しかし活動には資金がいるという状況下で、民間企業のCSR(企業の社会的責任(きぎょうのしゃかいてきせきにん CSR: Corporate Social Responsibility)や行政支援、助成金に頼ることが大きくなる。しかしこれが自前の金融組織を持つことが出来れば、お互いにより確実にやりくりできるだろう。

「わーく」はゲリラ組織のようなもので、基本構造を持てば伸縮自在、資本と活動会員の力量に応じて変化する。私はこの活動の基本形を活動の中に産み出したいと考える。インフルエンザ感染のような伝播の強さがほしい。この活動の公的なパトロンが欲しいと考えた。日本では、まだまだ微力な存在だが「NPOバンク」や「ろうきん」が存在し、こちらに資金面で育ててもらいたいと、甘いといわれそうだが、路線を明確にすることは必要だろう。

小ホールは若い方々で満席状態だったかし欧米の状況と日本の落差葉、何なのだろう。


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帰りに「湘南おやじの会」の定例会にお邪魔した。「3月1(日)13時30分~茅ヶ崎市役所分庁舎AB会議室」に松為信雄氏の講演をお願いするので、協力依頼をかけにお邪魔したのだった。会員さんのお顔は皆、初対面ではないのだが、改めてご挨拶。

書きたいが、今日は朝10時から、霞ヶ関灘尾ホールなので、休憩をとって出発します。
ここで止め。

夜間傾聴:町田2君(仮名)
     入谷さん(仮名)


以上

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Y子の電話/5回の退職とは(夕方一気に書いたので文が荒れています。失礼!)

2008-01-19 04:45:59 | 引きこもり
昔、私が講師をしていた東京南部の友人の塾のある卒業生は、文房具屋さんをしている。さきほどその子から電話が入った。年末に年賀状の住所が分からないと電話をかけてきたので、そんなに間が空いているわけではないが、この子と出会ってよかったと改めて思う。この子は乳児期の外傷性の脳損傷による遅滞を抱えているが、それにも増して天性の明るさと優しさがある。ただ長期服用していた薬の副作用があって長時間外出が難しいので、家業を守っている。

旗の台君(仮名)よりは若い元塾生だが、この頃は地域が荒れた時期でもあって、学力保証を求めて塾生が膨らんだ時期で、大人しい子がだんだん場を失っていく危険があった。このとき、教員にお笑いアタックをかけてきて、その傾向に警鐘を鳴らしてくれたのが彼女だった。その辺の個性は変わっていないが、古い町なので若者が出て行くために、この子はもともと数少ない地元で出会える友人を、次第に失い、最近は孤立感を深めていた。

今は親御さん同伴の通院の帰り道、通信制高校時代の友人と会うことが楽しみになっているようだ。私は旗の台君や中延君(仮名)を巡回する関係から、この子の文具店の近くまで行くことがあるが、明らかに街が高齢化しており、店舗が閉じている。商店会のマイノリティ、若手「おかみ」なのだそうだ。

年賀状交換をすると、自分の年賀状がちゃんと届いているか気になるらしい。必ず松の内も過ぎた頃に電話がかかってくる。そのとき、強烈な多動のADHDだったRが商社マンとして中東に行っている話や、ディスレクシアを疑われていたKがスーパーの店長になった話など、聞くことができた。旗の台君とは、学校が違う関係で友人の重なり目が少ないが、旗の台君の知り合いの関係でも、小学校の教員になったり、某武道の指導者になったりしている。彼らはLDだった。

私に電話をかけてくれた子や、Rは引きこもってはいなかったが、それは苦労して学齢期を越えたのだったし、他の子は引きこもりの悶々とした時間を経験している。

一昨日、Siさんのインタビューを受けたとき、自分の塾を経営難と介護の必要性と、とどめの事件から19年目に廃業し、三流予備校の時間講師をしながら、+αを求めて他塾を流れた時のことを振り返っていた。ここの塾に行き着くまでに、5箇所のフリースクールや進歩的な塾を首になっていることをSiさんたちに語った。いずれも軽度発達障碍への理解不足の経営者との対立や、教育法・古株講師との対立によるものだった。ここに登場した子も、最後の古株講師との対立が起きていた。その疲労の頂点で交通事故が起きたのだった。

1)横浜のある個人経営塾。非常に不可解な学力偏在の中学生の子を担当。人称のおかしさと固執の様子から高機能自閉症を疑う。母親との面談の際、生育歴を聞き、事情を説明。学芸大の検査を受けるよう勧めた。母親が理解しかねて父親に。父親が、息子を障害者よばわりしたと塾長に抗議。その場で解雇されたこと。(LD学会が誕生まもない頃だった。)

2)横浜の小学生の自称フリースクール。学力を問わないという触れ込み。5教科ドリルを2ページやれば帰っていいというやり方。3択問題は、2回間違えれば次は丸になる。隣の子の答えは、ずらり並ぶときに、上からのぞくことができた。大騒ぎで列をつくる。講師は片っ端に、解答を片手に採点。ヒントがクイズのヒントのようで、内容にとても立ち入ることが出来ない。そのクラスの2名が場面緘黙をしている子で、先に進もうとしない。この子たちを塾をやめるか、学習をするかと塾長が詰問しだしたところで私が介入。指導方針に逆らう講師ということで首。

3)相模原のある塾。中学校のテストのコピーをためておいて、これを反復練習させる。学力を問わぬという塾。明らかなADHDの子が入塾。連日母親を呼び出して叱責。子どもの寄り道が始まり、専任講師によって、強引に塾につれてくることが始まる。授業妨害ということで、その子の襟首をつかんで教室外に引き回す塾長と対立。正規雇用なので即首にはならなかったが、神経戦のような状態が続いていた。ADHDの資料を職員会議の際に提示。結果、私のクラスへ編入が決まる。どんな困難も熱意ある指導があれば解決するという、塾長と塾講師の反発にはさまれているところに、事件が起きた。床に置いたOHPをその子が踏み抜いて、ガラスで足を切ったまま屹立していた。職員室から現場に駆けつけた私は

「何てことをするのだ!」

としかっていた。教員なら

「足は大丈夫か!?」

と問うところだ。私がおかしくなっていた。その夜、辞表を書いた。


4)東京のある進学塾。水道方式という初等教育では有名な指導をしている教科部長がいることを知って飛び込んだ。水道方式とは四則演算について型分けを行い、標準形から発展系へと細かいチャートを踏まえる。私は中学生に理系の教科を教えることになった。ここで、中3の子が横書き問題の読み取りに「行飛ばし」をしていることを発見。その子にパターンの拾い出し課題を出して、全くできないことを確認。片目にしても同質の過ちがつづくことから認知の問題と予測。塾からは数学が出来ないのは基礎学力がないからで、水道方式を使って、特別授業を組むようにと指示されて、経過を話して時間をもらおうとした。この子は身体感覚にも異常があり、教室の出入り口で必ず身体をぶつけ、床の線上を直進できなかった。まず彼のプロフィールを知るべきと提案。翌日高給の特別個人指導講師に移籍された。ただし要望があったとき仕事に就ける仕事であって、生徒がでてこなければ、交通費しか出ない仕組み。日干し2ヶ月で辞表を書いた。


5)東京南部の私の友人の塾では「学習困難児クラス」の2人チームに参加。ひとりは専任講師。もうひとりが私。問題がおきたクラスの状態は小学生3・4・5年生5人(!)ADHDの診断を受けた子が2人(!)ダウン症の子がひとり。空間認知に問題があるLD。あとの2人は家庭にハイリスク。ひとりが他者の発言の頭の子音が聞こえない不思議な聴き落としが頻繁にあった。(Dr.Charles Haines のレポートにあったような…)柿(Kaki)は、秋(Aki)に、「来なさい(Kinasai)」は「居なさい(Inasai)}に化けた。学年が違っているので、共通課題をどう立てるか専任講師とやりあった。ひとりADHDの子は猛烈な多動で、着席せず狭い室内を他者にぶつかるように走り回っていた。専任講師は授業をあきらめていて、指導案には「無頓着」・・・・・・。多動の激しいこの子は2階の窓から飛び降りて授業脱出。はだしのまま塾を脱走していた。私が2限目の担当なので、その専任は、新聞紙をガムテープでぐるぐる巻きにして、箒をバットにした室内野球を始めた。ハイテンションになったときに、そのクラスを私に引継ぎ、自分は他日に「分割補講」しだした。全く授業が成り立たなくなり、思案の末、生活スキルを高める目的で「授業案:子どもと歩く」を提案し実行。自転車でぶらり街に出て、立ち止まっては、街から課題を拾って話をした。駅の路線図を読んだり、切符を買ったりと面白かった。おかげで新聞紙ボールの挑発は、完璧に空振りに終わった。このあと、急に子どもの増員話しが古参教員からあり、激論の最中、私は交通事故で入院した。塾の流儀が崩されることへの抵抗が問題を生んでいた。

結局、軽度発達障碍への無理解が子どもへの暴力を生み出していた。しっかり子どもを受け止める塾には出会えないまま、私はリセットされた。15年がこうして過ぎ去った。

ここには悲しい否定的な場面しか書いていない。私はその間、一時を除いて時間講師をしていたのだし、別クラスの旗の台君たちとは、奇妙な授業を楽しませてもらったのだから、同僚、塾長との子ども観の差異が空転を生み出していたのだった。事情があって自分の塾をたちあげられない今、学習指導で私の残された時間を、押し流されるのはもうごめんなので、私が一貫して関わってきた進路指導のところに再デザインを試みた。それが就労支援の出発点にある。正直言って大人の説得はうんざりしている。そこ、どいてくれませんかというのは失礼なのは分かっている。しかし、私の生き方の不器用さよりも、この子達の不器用さへの不寛容の質を考えてもらいたいと思う。巡回指導も、すさまじい事例が珍しくない。しかしそれには必ず理由がある。そこに事態がたどり着かないことが山積しているのだ。

夜間傾聴:大森君(仮名:俺は電話かけるのをやめないよと、宣言をきく。さて…。)
     Yちゃん(仮名:夕方)

p.s.「ろうきん」助成申請、道を開く部分が賭けのようで、確実性を高めたいと思うと筆が止まります。今小休止。あと2時間半。

(校正1回目済み)

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小学生の日記の如しですが

2008-01-18 07:16:21 | 引きこもり
昼に市女性センターロビーに居座って、恒例の引きこもり相談昼食会空振り待機を1時間済ませ、平塚の図書館で借りている本の更新をする。弁当の食材を買い出して家に戻った。父が18時半に迎えにくる某宗教団体の車で出かけるとき、父ひとりになるからだった。暖めるだけでよいように弁当を選んだのだった。

父はストーブを抱えるように、薄暗い茶の間に、明かりもつけずにTVをつけたまま、座り込んでいた。弁当をその場で食べようとする父を制止して、外出間際に食べるようにと、まず言うことはきかないだろうが説得し、リレー走者のように玄関を出て、自由が丘に向かった。

パニック障害に向かい合っていた自由が丘君(仮名)の外出訓練に同伴したのだった。満足げな自由が丘君と終点渋谷の雑踏に立ち、彼の彼女を待った。障害を越えて、今春彼らは結婚するのだ。だからリハの同伴はこれが最後になる。彼女とは学生結婚となるが、理解あるご両親に恵まれた。彼女とは何回か会っていたので、すぐに分かったが、私に最後のリハの同伴をやらせたのだなとわかって、ふたりに頭を下げた。テレコム相談は続くが、彼のリハの同伴はこれが最後だ。

渋谷からは混雑している湘南新宿ライン乗って藤沢に出た。平塚では間に合わなかった残りの食材の買出しである。茅ヶ崎駅のコインロッカーに品物を入れて、父の出発を電話確認してから、茅ヶ崎サポセンに向かった。この間、相模大野校から、苦情の電話の始末の話がかかっていた。飛び込み依頼の自由が丘君の申し入れに応えて、区切りを優先するために、今日の巡回の予定変更を、先週末に当事者宅に連絡をいれていたのだが、当人が変更話を受け止めたものの、彼は両親に変更を伝えていなかったのだった。

最近私は主力携帯をSoftBankに移した。そんな関係連絡のすれ違いを、起こしていた。本校からの応答連絡が遅れたのだった。

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サポセンの一角で、「フォーラム懇談会」の紹介インタビューを受けた。つぎはぎの拙文に懲りず、ブログの話を事前に読んでくださった取材スタッフのおふたりさんに感謝します。

目的やら活動の喜びやらを、ご注文の通りに話せたかどうか不安が残ります。ただ「フォーラム懇談会」の地域就労支援の開拓スタッフの現状は、お恥ずかしい状態です。

障碍者の活動領域と、「子育て」と「教育」から広がった引きこもり・軽度発達障碍の活動領域は、いままでほとんど接点がありませんでした。自閉症関連の発達障碍の活動の広がりが、この二つの領域を仲介した経過があります。

懇談会は地域に帰ってきた私が、自閉症関連の親の会の親御さんの協力を得て、出発し直した経過があります。このため、障碍者の活動基盤に引きこもり青年たちの活動が乗るという無理が続いていました。

私たちはインクルーシブな社会を求めて活動をしていますから、「企業就労」とはひと味違う「(地域)社会参加としての地域就労」という部分を育てるミッションをもっています。だから理念的にはお互い共有しているのですが、引きこもり青年と親御さんの地域の動きが、障碍者畑の方には見えないのです。(引きこもり領域の親御さん相互の茅ヶ崎のつながりが地元で育たないからです。)

このことから、問題が起きているのです。百万回の訪問から活動が生まれるのなら私は百万回の訪問を行います。ここにどうしようもなくたち現れているのがカウンセリングの活動の構造上の限界です。ひとりのケース解決は、ひとりのケースで名を明かすことなく終わって行きます。順調に解決した方が、なかなか活動作りに再登場してこない難もあるのです。不登校の子たちの適応指導学級のように、親御さん、当人どうしがつながっていないからです。

理念ばかり、しゃべってしまったなあと思います。SuさんとSiさん、お手数かけます。

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今夜の傾聴は、自由が丘くん知り合いの駒沢公園くん(仮名:お久しぶりの登場ですね)と、彼女は物好きかというしょうもない話になりました。駒沢公園くんが親子で通院の帰りに、偶然出会った彼の先輩から「お前は平凡な年増が好みなのか」と問われたと大笑い。「あれは母親です」といったとき、きょとんとしていたとか。それから先がいけない。母親をけしかけて、「何か御用でしょうか」と先方に電話させた、そんないたずら話を聞かされて、可笑しいやら、脱力するやら…。

身をともに苛むような話がでるよりはいいが、夜中の笑い声がご近所さんの顰蹙をかうだろうなというところ。なにせ午前4時半ですから。

今回も助成金申請手付かず。明日は一日空けました。

Suさん、SNSオンラインの地域活動への利用例を語りましたが、それは以下の部分です。

「ハイブリッド・コミュニティ」(p.119~128『eコミュニティしまだ』)

ご覧ください。

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父は昨日なぜか外出しなかった。迎えに来るのを忘れて、間際までパジャマ姿でいたらしい。帰宅時、父は不満鬱積の顔をして、腕組みをしていたかと思うと、0時までTVの前に粘る慣行をやぶって、9時に2階の寝室に上がっていった。母が帰宅していたが、予定を忘れていることを教えなかったのだと、母から話を聴いた。ここ1ヶ月に3回、同じことがおきていた。


夜間傾聴:駒沢公園くん(仮名)
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     ??????親(どこから聴いたか問い合わせ、今年1号)


(校正2回目済み)
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父の変容/市民活動はライフスタイルとして/ノットワーキング成立の背景

2008-01-17 06:50:39 | 引きこもり
昨日はサポチガ(NPOサポートちがさき)の全体会だった。1時間終了が遅れて、食材を買って変える時間が遅くなり、家に電話を入れた。父が朝から眠りっぱなしだと母の不安の声が聞こえた。いびきをかいてはいないが、揺すっても起きないというので、急いで帰宅した。

なんと茶の間で座ってTVを見ながら大声で笑っているのだった。私の電話の直後に起きたというのだった。肝を冷やすのは勝手とばかり。母は外出をやめて、私の帰りを待っていたのだった。「早く飯にしてくれ」とせかす父。安堵と怒りが混じった悲しみが突き上げてくるのを押さえて、食事の準備に入った。

「ネクタイを出しておいてくれ」という父の言葉に、激情は一気に冷えた。「どこにいくのか」と問う母の声にかぶせて「そんなこともわからんのか」と怒る父。異常が起きていた。

今日は「1月16日の水曜日。今は夜の7時過ぎなのに、どこにでかけるんだ?」と問う。ぴたりと口を閉ざし、無表情な視線が宙をゆっくりと回っている。「違うか…まあ、飯だ」という父。時間の混乱が始まっていた。食事をせかす父の片手が、糸の切れた操り人形のようにぶらりと下がったままだ。食事を食べていないと言い出すのは、間近と心した。

高齢福祉課に申請を出していた介護認定の聞き取り調査は、来週の月曜日と決まった。ケアマネさんは残念ながら、私の知らない方だった。たぶん判定は要支援で、家庭に介護者がいるから、サービスは期待できないだろう。

母と私は「歩けなくなって欲しい」という思いを片面で打ち消しつつも、正直そう思っていた。ベッドメイクに行くが、床は荒れていた。周囲を片付けて、床のものに足をひっかけないように雑多なものを退けて、寝ぼけて階段に飛び出さないようにと、扉の前に椅子を置いた。と、居間の下で母の悲鳴があがる。降りていくと洗面所が水浸し。父がいうことが利かなくなった手で蛇口をひねった結果だった。

人の末路は、せめてもっと尊厳のあるなだらかなものであってほしいと願う。父はなにを持っていくのだろうかと問う。どんな偉人も母から生まれ、土へと帰っていく。その間を私たちは生きている。ただその末端で、揺れる命とつながる他者はどのような関わりを持てばいいというのか。せめてその問いをじっくりと考えさせて欲しい。日々の混乱に満ちた出来事と、家事という急流がそれを許さない。その間を保つのが介護支援ではないか。かみ締めた口の中で声にならない声をつぶやいていた。

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サポチガの全体会のグループ討論の際、「市民活動」という言葉が、実は各人みな違うとらえ方をしているのに、その部分が問われていないことが気になった。今の市民活動の潮流は、無償奉仕の限界を超えて、解決力と持続性を拡げる有償労働(奉仕)として企業的手法を使うことが関心の的になっている。語られる活動も、ある程度の大きさと歴史をもった組織が、当然のように「市民活動」と呼ばれている。私はその活動の広がりと可能性を認めつつも、折のようなものが残っていた。それがこのグループ討論を通じてはっきりしてきた。

前の記事にも書いたように、市民活動は、余暇活動と社会活動とが一体となっている。私は後者の出身だが、違和感はいわゆる「市民」の側から活動を考えたとき、市民サービスを民間自らが展開するものを「市民活動」と呼んでいるように思う。しかしこれは行政のアウトソーシングを請け負う業者とどこが違うのだろうか。

それは組織の出自が、奉仕活動を行っている団体だということになるのだろうか。私の違和感とは、「市民サービス(組織)と利用者(市民)という構造」を拭い去れないことにあった。活動に触発されて利用者がその活動を支える一員になっていくことも勿論ある。しかし市民は消費者(外側の参加者)というところから、その組織は先験的な既存の活動であり、市民参加は言い換えれば「系列化」ということも出来るのではないか。

私は教育畑から出てきたので、余計強く感じるのだが、社会参加は自分をより可能性の大きな関係に組み替えていく自己変革の活動なのである。私の日常をより豊かで共感という拡張的な安定性を得るウェアラブルな、私のライフスタイルとして活動は組み込んでいくものなのである。私と他者とが連携することによって、私は変容する。その過程がマスキングされているというか、「利用者」という「つまみ食いの主体」にずらされている。このことへの違和感だった。

私の考える市民活動は、活動を通してお互いが響きあい支えあう関係性を軸にしている。「わーく」も「外から提供された社会参加人間作りコース」なのではない。その変容可能性を豊富に含んでいる活動を持って良しと考える所産なのだ。

もうひとつの違和感は「既存組織の論理」という構造だ。個人から発し、協力し合えるところは協力して接点を拡大していくという従来の活動の視座が、「ぶれている」のだ。この接点を「ノット(結び目)」という。活動理論の世界でも「ノットワーキング」という言葉が登場してきた。ここが既存組織の「限界の超越・拡張」の論理に市民活動が整除されていくことになると、市民活動は既存組織を前提にした世界へと限定され、周辺に生み出される自生的活動が評価の範囲外になってしまう。

市民活動自身は、こうした身の丈から自生する活動を背景にしながら生まれ育ってきた。1980年代はいわゆる崩壊した地縁と、そこへの反発を含んで登場した自由な個人の社会参加の形が同時に衰退していく割期になった。以降、都市型市民生活は、内なる「家庭」を基礎にして、そと(社会)は利用するもの、むさぼるものという姿に変容し、同世代の子を持つ親とか、要介護者を抱える家庭も、同じ道を散歩させる愛犬家の出会い交流のような小さな社会(つながり)の世界で、そこそこ充足してしまうという、天体系というか「島社会」がうまれていくことになる。その結果、さまざまな隙間や世代間の断絶が、自発的活動では埋められない状況として浮かび上がってきていた。

だから「自生的な活動」といったとき、いわゆる既存の社会規範を背負った活動はその背景を失っているために、「既存組織」の「大舟の拡張」論のリアリティが浮かび上がってきたということも押さえるべきことと思う。この「島社会」を攪拌していく活動を伴わないと、市民活動の盛衰は、まさに営業活動の盛衰と同様の推移をなぞることになる。

ライフスタイルとして、さまざまな市民活動が取り込まれ、私が社会に根ざした私へと変容していくという過程は、子育ての親、介護者の連携の場からはなかなか見えにくいものではあるが、活動拡張の可能性を企業的組織に整えることにより、市民活動への敷居の高さが増してしまうことを私は懸念している。これは、やはり本道ではない。企業活動論である。市民がサービス対象として外側に置かれるからだ。

やはり1時間そこそこの議論では、そこをかみ合う議論にはならなかった。私が排するのは、市民活動を草刈場にする企業の浸入だ。だから組織論的にもソーシャル・ファームの立場を私は取る。企業が入り込む難は、市民が客・利用者に固定される程度が高まることだ。市民サービスをもって市民活動とはいわない。それなら行政は市民活動をしていることになってしまう。活動の構造にこだわること、これが企業拡張型市民活動の時代の批判的な観点である。

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今日は、女性センターの定例昼食会に出たあと、東京をまわる。帰りに夜、Sさんたちに「フォーラム懇談会」へのインタビューをうける。活動紹介の残り組織である。私はわからんちんなので、まとめる側のご苦労をお察しします。

夜間傾聴:自由が丘君(仮名:今日の連れ添いの件)
     町田さん(仮名:こちらから)
     ******親

p.s.ろうきん助成の締め切りが迫っている。支援者・組織に名前を連ねてくれる方を探さねばならない。大至急。

(校正2回目済み)
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