湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

6/29 お盆前の詰め始まる/群馬県南牧村の防災にふれて

2013-06-30 05:17:17 | 地震津波災害ボランティア
2013/05/29 記
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金策の一日。今後数カ月の間、岩手気仙地方・神戸&大阪千里に出かける必要が出てきた。講師料を含んで二十万円弱の捻出である。

講師を依頼するために、直談判しないとなかなか承諾が得られない。SNSなどのメディアを利用する場合、私がいかなる団体の人間であるかが問われ、地域実績のある法人であるか否か、いわゆる肩書きのふるいにかけられる。オンライン・メディアでは、依頼と同時に、会の趣旨や現状認識と改善目的を明らかにするラブレターを作って添付する。ところがこの場合のヒット率が非常に遅い、というか身元のふるいが優先して、まず添付文書は読んでもらえない。なぜ貴方が必要であるのかを書いていくが、読む前に「放置」されていく。

岩手気仙地方の訪問は、講師依頼と職場開拓・被災地医療福祉研修ドライブの2回、もしかすると前者の件で、もう一度、行かなくてはならないかもしれない。

懇話会の講師依頼にはリスクがある。現在の課題は「被災地生活支援の現状と地域生活ネットの課題」をアクチュアルに掴むこと、要援護者の避難経験紹介依頼「高齢者」・「障がい者」の3回企画のいずれも、東北の継続支援関連の情報テーマ(それは地域防災のヒントでもあるのだが)なら参加者0、高齢者テーマなら障がい者畑が、障がい者テーマなら、「高齢者畑」・「視角聴覚を除く身体・精神・知的・発達の障がい畑」の参加が無くなる可能性が高い。ならば講師の失礼にならないように考えると綱渡りが見える。しかし、絶対に手を打っていかなくてはならない課題だ。懇話会はこれからの災害対策を拓く上で、絶対に必要な施策の糸口を提供するものだ。私の背景が脆弱である以上、直談判で説得して連れてくる必要がある。それには講師の地盤に出かけることが不可欠なのだ。

そこで講師が首都圏に出没する方で、茅ヶ崎に立ち寄って欲しいという依頼相手を探し出すことをしている。下手な講師選択をすると、一般論を語り始める。カルチュアル・スタディの発想ではないが、震災体験の具体性と経験という果実を搾り出す場が貴重なのであり、だから一般啓蒙型の講演ではなく、関係者懇談型講演会の依頼となる。この辺が肝であるにも関わらず、講師の側も面食らう。

今日は陸前高田の復興支援をしている東京の某団体におじゃました。被災地商品即売活動をしている。茅ヶ崎に販売の場を提供すれば、陸前高田までの車に乗せてもらえるかとか、大槌町の無料宿泊を実現できないかという、スポンサー話のせこい交渉だが、茅ヶ崎に産地即販をさせてもらえるかも重い課題だ。茅ヶ崎には南三陸の活動があり、気仙地方の話が、ましてや飛田のせこい活動資金捻出とバータしていたら、即販市を開かせてもらえるかは怪しい。一応私の申し入れを検討してくれることになったが、冷や汗ものだ。

懇話会は一般向けではない。従来の「要介護者支援」に携わっていた方々を横断して意見交換から、湘南被災時の生活支援ネットワークの芽が副産物となればいいと考えている。防災安全避難と環境整備・産業復興という防災ボラ活動とはちがう、避難生活の医療保健サポートを核とする裏方ネットワークである。被災者・家族の心と体を支える部門のネットワークである。だから助成金は得られないだろう。収穫を持ち帰るための懇談、災害発生時、生活支援の民間協働のネットワークの苗を植えていく苗床活動なのだ。ひとを支えるためには、非常召集とお手伝いの民間活動ではなく、地域活動としての生活支援活動を育てないと、外来者の潮が引いた後の被災者の生活再建は重いものを担ぎ続けなくてはならない。そこを分かち合うような活動構造を考えていく。

先ほどNHK放送大学の放送の中で、群大教授の片田敏孝氏が、群馬県南牧村(2400名、高齢化率60%)の防災を紹介していた。被災時、行政が避難所に避難を呼びかけるのではなく、災害があるから、お互いの隣人で安全を確保して欲しいと呼びかけ、行政は必ず助けに行くからと伝えていく方式に切り替えたという事例を使い、住民を行政が全責任を負って丸抱えするだけが災害対策ではないという示唆に富んだ話をしていた。

田舎の場合,地縁・血縁の絆は強い。ここに日常から避難の打ち合わせをしておくことで、地域コミュニティを利用するという例が出ていた。都市または都市近郊の地域コミュニティが希薄なところでこの案が使えるとは思わないが、「迷える子羊」の誘導と目配りという防災の発想を相対化した提案として面白い。SNSとティーンズというファクタを含んだとき、耐震通信網を前提として別の形の生活支援が描けるかもしれない。はじめから会員待機の形の民間活動をつくるのは、的を射ていないだろう。いくつもの民間活動の導火線を準備すべきだろう。民間活動はふだん眠っている。ここが鍵の視角となる。

明日は、「ガレキとラジオ」を観る。10時上映だから9時前にでなくてはならない。仮眠のため、ここで中断。

夜間傾聴>なし


(校正1回目済み)

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6/28 夏期講習テキスト最終稿入稿すませて 他

2013-06-29 05:29:04 | 地震津波災害ボランティア
2013/06/28 記
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教材屋の夏期講習用原稿最終稿の校正を済ませる。

異様なことに気がついた。図表と本文を行き来する問題にケアレスミスが集中している。目のせいだと直感した。網膜色素変性症で右目の大半、左目の左上の視野が欠けている。左目の中央部分も霞んでいる。視点を変える度に、見える部分でピントのとりなおしをしている。だからPCのカーソル発見などはひどく苦労する、見失うのだ。ドライアイ用点眼液を使うと少し楽になる。

目の異常が顕在化したのは、ここ数年だ。校正作業などが倍近くかかるようになった。作業がゆっくりになったというより、ザルの目が粗くなったために、何回か確認しないと抜け落ちが出るからだ。

ともあれ作業が終わった。昨日、母の検査の付き添いで北里東病院に行ったが、帰りに伊勢丹で食事をした。異様な目の乾きと霞が出ていたので、県の網膜色素変性症当事者の会の顧問医師のクリニックがすぐそこにあり行きたかったが、母がいるので、相模大野校の授業の前にしようと我慢した。小田急線の空調の除湿の強さに、目をあけていられなかった。

そんな理由で、昨日はブログを失礼したのだが、今日も原稿追い込みで、気持ちが平板になっている。

7月5日に懇話会通信2号を出す。被災地のNPOによる高齢者訪問介護事業所に講師依頼をかけ、交渉中だがまとまりそうなのだ。地域振興のネットワークが強ければ、医療保健・生活支援のネットワークは影に隠れてしまう。JDF(障がい者ネットワーク)とも連絡を取り始めている。しかし今から話をまとめるとなると、障がい者畑では9月になってしまう。高齢者関係からすると、こちらはお盆休みが、シフト休暇なので、無理が多いが8月始めの企画もありうる。障がい者の通所施設よりその辺がはっきりしているので、生活支援地域ネットとダブルキャストで高齢者畑の関係者との懇談企画を具体化したい。講師関係だけで2名5~6万円というところか。覚悟はしている。

被災地の障がい者支援の件で、被災地研修ドライブを企画していたが、大船渡震災津波博物館新設とボラ募集の話で、就労困難な青年の研修話があって、実現に情報を仕込んでいて、研修ドライブのゆとりがなくなってきているのだ。ドライブは私のこんな目では運転できない。その運転手依頼もある。

30日は被災地にラジオ局をたちあげた劇映画の試写とペットレスキュー試写が重なってある。夕方、ビッグイシューと、**子と面談と重ねている。これらは秋口に使えそうなら使う、準備活動だ。

金曜日は一日家で校正仕事をしていた。だから、土曜日は外にでよう。

夜間傾聴>**子

(校正1回目済み)

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6/27 胃切除5年目検査に

2013-06-28 04:46:22 | 地震津波災害ボランティア
2013/06/27 記
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母の胃切除後5年目の定期検診を受けに、北里東病院に付き添った。5年目というのは、癌転移がなければ、一応安心という区切れであり、もうひとつは、術後後遺症へのより専門性を持
った検査を行い、有効な治療法を探るという意味がある。

母は前日21時以降は飲食禁止を守り、今日に備えた。また電話予約していたが、消化器外科は、最終診断日から3年を超えていたので、初診扱いとなり、神経内科に行っていても、ダメと
いうことで、外来申請順で、順が一番最後になってしまった。

東病院は、北里大学病院本院や開業医からの紹介状がないと診療が受けられない。だから外来がすいているように見えるが、ひとりにかける問診の長さが長い。結局待たされる。しかも昨夜から飲食断ちを母は行ったが、血液検査以外は次回回しとなり、無駄になった。検査と診断で3回、通院しなければならなくなった。

母は食事断ちを取り返す勢いで、遅い昼食をを取り、帰宅したが徹夜が響いて、1時間仮眠。

懇話会の講師探し、先に高齢者関係の方から1名候補があがった。特養の施設長。

ひどい睡魔。今回はここまで。
すみません。

夜間傾聴:ひとり

(校正2回目済み)


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6/26 「代行券方式」サービス提供支援の様式のメモ/他

2013-06-27 05:40:54 | 地震津波災害ボランティア
2013/06/26 記
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雨の一日。母が明日の大学病院の定期検査に備えて、白髪を染めてくると言い出し、美容室まで送る。ここの美容室は、我が家から近い。故・祖母の整髪のころからのお付き合いだ。

施設のデイサービスに祖母は通っていたが、月2回施設のカットサービスのあるときに合わせて、ショートステイしていた。基本的に入所者のみを対象にするサービスだが、ショートステイの時も、実際には洗髪・カットサービスを利用させてもらっていた。ところがショートステイ用ベッドの空きがなかったり、予約が多くて、入所者だけのサービスの回もあるので、なかなかサービスが受けられなかった。

そんなとき、祖母を車椅子に乗せて整髪サービスをしてもらったのが、この方のサロンだ。やがて車椅子移動も祖母の負担が大きくなって、逃げるこの方を追いかけて、我が家に出張を無理にお願いしたことを思い出した。

母もやがて車椅子で送ることになるのだろうか。

私は東日本大震災のとき、「美容券」制支援という方法を編み出した。今後起きる災害の回復期支援の方法としてメモしておくのもいいだろう。

3.11の震災が起こった直後、茅ヶ崎からも美容師さんたちが、避難所を回って、美容サービスを行っていた。ところがひと月も立たないうちに、そのサービスは中断せざるをえなかった。その問題点は2点ある。

・集団の中の美容行為の防疫上の問題点と免許の条件。
・地元同業者の復興活動との衝突。

この上の件は、美容営業は衛生環境を条件として許可になっており、避難所ではその環境が整わない。また、免許が都道府県が出しているので、取得県を超えるときは、営業申請が必要という四角四面の制限がふりかかってきたからだ。しかしそのボランティア活動中止を求めていたのが、地元同業者組合で、市役所を動かしていた。支援者としては青天の霹靂。これは、営業活動ではなく、生活支援のボランティア活動であって、特に女性・高齢者にとって、気持ちの切り替えになる大事な活動であること。他の被災地支援の実績もあることという説得をかさねることによって、カットのみ許可となった。

ところが後者の問題点は、茅ヶ崎の美容師組合としては、同じ同業者組合が反発していることを無理押しするわけにはいかないということで、一般的なガレキ処理等をして帰ってきた。

地元では、被災した若手美容師さんたちが共同スペース(店)を借りて、営業活動を始めていた。別個に避難所巡回している方もいた。

私は中間支援者として、「美容券」制という案を茅ヶ崎の美容師さんの同業者組合に提案した。

##「美容券」制支援の誕生##

・被災地の同業者組合と、支援者の地域のプロの同業者組合をつなぐ。
・組合相互の確認の上、「美容券」を発行。
・支援者地元(例:茅ヶ崎)の美容室にて被災者向け「美容券」をお客さんに趣旨説明カードを添えて販売。「美容券」には、購入者は次回マッサージ無料というようなお得サービスをつけて、被災地の間接支援とする。
・美容券半券を添えて、合計金額を被災地同業者組合に送る。
・美容券を受け取った被災地美容師が、避難所で入所被災者に無料カットサービスを行い、茅ヶ崎からのサービスであることを紳士協定で利用者に告げる。被災地同業者組合は、茅ヶ崎のカンパを活動費の一部とする。支援する湘南のお客さんには、その様子を知らせる。

この間接代行サービス方式は、他にも使える。別のメリットは、支援者の被災地への交通費分が、実質戻ってくる。

盛り上げやアレンジは、自由。美容・弁当配布等、被災地地元と組むと相性がいい。

ご利用あれ。

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母の白髪染めは、時間がかかる。美容師さんのご主人に無理をお願いして、母を帰りに車で送ってもらう交渉成立させ、私は橋本に訪問指導。帰宅ご軽くゴーヤとなすの味噌炒めを母に食べさせ、すべてゴーヤが残って、なすの味噌炒めを食べていた。容赦ない偏食、参っている…。

NHKハートチャンネルで、中邑賢龍氏の番組を観た。私の主張は実を結んでいる。4年前の空転のダメージが蘇ってきた。バオバブの樹主催講演会(11月)は、参加しよう。これが実態であることをかみしめている。

このまま、眠らず母の検査に付き合う予定。


夜間傾聴>ひとり

済み)

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6/25 「やさしいハンカチ展」ではなく「湘南ハンカチ交流展」のスポンサー交渉を

2013-06-26 06:06:37 | 地震津波災害ボランティア
2013/06/25 記
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「やさしいハンカチ展」スポンサー探しで、某医薬品卸会社担当者と会った。この企画は通行人の多い会場を借りることが鍵になる。もうひとつは、従来の企画に「被災地交流(私的民間交流の芽)」を仕掛ける湘南側の青少年団体(学校など)を準備する必要がある。大げさに学校間交流とする必要はなく、むしろ友人作りのような関係を育てられるお膳立てが必要になる。

私が考えたのが、小学校や特別支援校の部活レベルの交流だ。しかしこのふたつの条件、お互いが足をひっぱりあってしまう。スポンサーにしてみれば、誰がその活動を行うのかが決まらなければ協力できない、学校にしてみれば金がなければ無理となる。

これは堂々巡りなので、以前から気仙地方(岩手)の生活支援に関心を持ってくれた某医薬品卸業の営業所が、話を聞いてくれることになり、プレゼンの前に担当者**さんに概要を説明してきた。横浜と茅ヶ崎の中間ということで大船で待ち合わせ。資料を整えて、先方のiPadを借りて概要を見てもらった。

これにはグラフィック・デザイナー協会の許可がいる。茅ヶ崎展示即売会ではなく、湘南ハンカチ交流展でありたい。時期は年末。

どこかに風穴があかなければ、企画が成り立たない。

ともあれ、私の1時間弱の概要説明を行い、営業所に持ち出されることになった。ただ微妙なずれだが、この会社の関心は高齢者と乳幼児の健康についての企画であり、私が進めているのが、学齢期の子どもが行う企画であることだ。

学校の体育館や講堂を使わせてもらえば、会場費が現実的になるが、今回は茅ヶ崎駅ビルの会場を考えて、スポンサーを打診した。皆が現在のつながりを生み出せる企画だから、それぞれが継続企画を考えてつながってほしいのだが。ともあれ一石。

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茅ヶ崎図書館で書籍更新中、中邑賢龍・福島智共著の「バリアフリー・コンフリクト」を発見。バオバブの樹のメンバーがリクエストしたなとわかる。ジュンク堂に購入予約をかけているが、借りてきた。

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木曜日、母を定期検査に連れて行く、北里病院だ。

朝夕四肢にしびれを感じ、泥沼に浸かるような嫌な眠りに短時間吸い込まれる。無呼吸症候群に見られる睡魔だ。生活を変える難しさがある。環境の温度差調整をしている。

**子、寺から家に戻った。

夜間傾聴:ひとり

(校正2回目済み)

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6/24 いじめ事件の後始末珍事 他

2013-06-25 06:19:00 | 地震津波災害ボランティア
2013/06/23 記
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電車に乗ると、たちまち眠くなる。ぼけた状態だが、ともあれ昨日の面談予定変更のトラブル解決のため、予定変更は聞いていないと主張する父親のお店に立ち寄った。

きょとんとしている。飛田ですというと、えっとびっくりした顔。こんな擦り切れたオヤジが講師でございますと出てくるとは思っていなかったのだろう。

電話では、この方と奥さんに面談日程変更を前々日に連絡し、了解は得ていたつもりだった。しかし、私の一方的な都合で変更したのだから、迷惑をかけたには違いなかった。申し訳けないと謝った。しかし私はいつも、謝ると相手が怒り出すという不思議な因縁がある。偉そうなのか、でも実際はお前も悪いと顔で言っているのか、うまくまとまらない。しかしそれは先方にタイプがあって、自己主張の強い方が怒り出すのだ。

奥さんが店の奥から登場し、いいんですよ、本人忘れていたんですし、うちの子(22才)の機嫌でしょっちゅう変更するんですしと言い出した。まずいのである。そう言っては、ご主人の立場がなくなる。あ痛っと思った瞬間、不機嫌な顔で、店の奥に行ってしまった。

うちのひと、学生アルバイトだと思っていたんでしょう…と奥さん。まずいのだ。学生アルバイトなら怒鳴られて当然ということはない。事情を説明した。まあ、鎌倉でシラス丼食べるためとはいえない。自傷寸前のいじめ事件がらみで、お手数かけた方にお礼をしていたと伝え、勝手して申し訳けありませんでしたと謝った。

うちの子と同い年の子が、講師のはずないじゃないですかねえと、奥さんは笑う。擦り切れ講師ですみませんというと、奥さんは失笑。うちのひとよりお年でしょうと笑う。

美味しいから食べてみろと、旦那が干物を包んで持ってきた。遠慮するとまずい。すみません、いただきますと、いい鯵の干物をとんだ収穫で抱え込んで、ともあれお暇してきたのだが、正直言って困った。職場に黙っているわけにもいかず、事務長に押し付けて帰ってきた。

相模原の塾なら、さっそく授業後、酒で一杯始まるところだが、相模大野校は格好をつけている進学塾なので、闇ルートで処分したようだ。

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承認印を押した計画書を、父の特養に届けに行こうと辻堂に降りた。するとなんとバス停に、理事長が並んでいた。このあと**さんと会う約束が迫っていたので、驚く理事長を捕まえて、書類を託した。おかげで時間にゆとりができて、駅前で買い出し。茅ヶ崎へ。

慈恵医大の看護学科にお邪魔する旨のメールの応答が来ていた。このメールをうけとってよかったのだった。看護学科は西新橋ではなく、国領だったのだ。西新橋は専門学校の方だった。巡回日程を重ねていくつもりだったが、別に国領に行く日をつくることに。

買い出し食材を抱えて**さんを待っていると、やがて**さんがやってきた。BDディスクプレヤーを貸したのだが、それを受け取った。

ポリシーに反するのでお断りしたが、お礼をいただいてしまった。3千円、これはありがたく懇話会の印刷物の資金にさせていただくことに。ありがとうございました。

橋本の用も今日はなし。藤沢ジュンク堂書店に書籍予約分割で買う。

●「ノットワ-クする活動理論 - チ-ムから結び目へ」
●「3.11を刻む-医療・介護現場から」
●「キャリア教育の充実と障害者雇用のこれから - 特別支援学校における新たな進路指導」
●「バリアフリー・コンフリクト 争われる身体と共生のゆくえ」

いずれも公共図書館では、購入望み薄。

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「個人医療情報QRカード」の関連記事が河北新報に載った。カードの問題点はふたつ。個人情報管理のこと。症状更新システムのこと。新規の発明ではないことがミソ。

●「避難者名簿、情報どう共有(2013/06/23)」河北新報
●「個人情報保護、大きな壁 (2013/04/11)」河北新報

河北新報「むすび塾」のコーナーには、他にも次のような記事があった。

●「南海トラフの避難対応(2013/06/17)個別避難訓練」河北新報
●「津波避難 車活用策探る(2013/05/11)」河北新報
●「要援護者の避難/手助け、地域ぐるみで (2013/03/07)」河北新報
●「地域の避難ルールづくり/「車を利用」に賛否両論 (2013/02/21)」河北新報
●「幼稚園の備え/発生時間帯変え訓練を (2012/11/11)」河北新報

明日は図書館巡回し、橋本へ。

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COOP のレシピの改良編

「ウルトラバージン・オリーブオイル+生醤油+ホースラディッシュ」のドレッシング。なかなかなり。

「いかそうめんとトマト&生ズッキーニのカルパッチョ」

生ズッキーニが気に入らないと、母、すべて残す。手ごわい。


夜間傾聴:なし


(校正2回目済み)

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6/23 杉並の友人と鎌倉巡りしつつ

2013-06-24 06:05:30 | 地震津波災害ボランティア
2013/06/23 記
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杉並のPSWさんが藤沢に出てきた。いじめ事件の情報確認もあったが、彼の希望で生シラスが食べたいとのことで、私もまた久々に江ノ電に乗って腰越界隈を食べ歩いてきた。江ノ電で鎌倉に出て、観光コースを歩いてきた。とにかく蒸し暑い。

鎌倉は直下型地震津波が起これば、大仏のあたりは津波に飲まれる。そんな話をしていたが、彼は全く関心がなく、津波と浸水の違いもわからない。まあシラス丼と天ぷらを食わせて、鎌倉で放免してもらった。

彼も事情聴取を受けたというが、私にそそのかされたと白状したのだという。夜、彼は奥さん・子ども(といっても30代)と鎌倉で合流するのだという。酒がからまなかったのは、そういうことかと納得し、家族連れではなかったことに胸をなでおろした。江ノ島からモノレールで大船という手があると、家族サービスを勧めた。奥さんが鉄子なのだ。

大船経由で辻堂へ。携帯に相模大野校から何回も電話がかかってきていた。今日の父母面談を両親に直接確認し、月曜日に移していたにも関わらず、父親が今日だと言って聞き分けず、教室に抗議の電話が入っていたのだった。当人も母親も確認済みの変更なのは、教室もそのことを知っている。あとは気持ち。理に沿わない話ほど、収めどころのない怒りは、心に沈殿していくものだ。月曜日、お店に謝りにいく。

PSWくんとは、障がい児教育の当時発達障がいが自立の歩みを始めていた時期、「理数教育の教科未分化実践」を提案していた。その東京都の共同提案者だった。私が交通事故入院したとき、塾長に私のカウンセリングの後継者とし、引き継いでもらったが、彼はもともと某クリニックの人間なので、長続きしなかった。

母が自分も外食したいと言い出して、二ツ谷のかごの屋に寄ってきた。陸前高田のメーカーから、気仙地方の椿油の入ったスパゲッティの感想を書いて出したので、応答電話が入っていた。私は、そこにも若手のバイト先の打診をしていて、応答の電話が携帯の留守電に入っていた。地元被災者優先なのでと、やんわりことわられてしまった。

母は都議選の話を柄になく、話し続けた。私に話を合わせたつもりなのだろう。投票率が低い時は、組織票をかかえこんでいる政党が有利になる。PSW君が生き生きとしていたのはなるほど、彼は古くからの政党支持者なのだ。母からあれこれ、選挙の話が出るが、乗らないので母が面食らっていた。何年息子とつきあっているのだろう。

茅ヶ崎で買い物を済ませ、母を路線バスに乗せようとしたとき、段差に母はつまづいて、バスに体当たりして、危うく道の隙間に倒れそうになったが、無事に済んだ。正体不明のめまいではなく、足を踏み外したのが原因。荷物を投げ出して、バスに寄りかかっている母を飛び込んで支えた。幸い捻挫もなく済んだのだが、家に戻ってからがひどかった。買い物袋内の玉子が全滅。べたべたになっていた。

足首をひねらなかったことを声高に説明する母の言葉の滝の裏で、いつかこんなことで、大腿骨骨折して母が歩けなくなるんだなと思っていた。それは、ここ数年思い続けている、社会活動への残された時間の限りが見える焦りを、今夜は特に強く感じていた。

午前1時ごろ**子から電話あり。B型の作業所が自分に合わないと主張したら、両親とぶつかったとのことで、また近所の寺の宿坊に避難しているという。自分の心の乱れはさておいて、**子の心を沈めさせたのが2時すぎ。塾の残務処理。

日の出で背伸び。父の所持していた宗教関連冊子と私の古いチラシ類を縛ってゴミ出し。これで一日が終わる。

夜間傾聴:**子


(校正3回目済み)



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6/22 いじめの件で某警察署で事情聴取を受けながら/他

2013-06-23 04:07:26 | 地震津波災害ボランティア
2013/06/22 記
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都内の某警察署に行ってきた。ひとを神奈川から東京に呼び出しておいて、事情聴取は15分強で終わった。いじめに関わった子たちと私の関係の有無、いじめを受けた当人から聞き出した情報の再確認だった。一番失礼なのが、当人がなぜ神奈川の私のところに連絡を入れたのか、闇商売で脱税行為はなかったかに至っていた。この辺の応対は複雑だった。

まず、私が塾を経営していた頃は、母親からの依頼が多く、そのころは交通費・電話代・喫茶代などの実費のみ請求していたこと。相談の中心は小学生であったこと。塾を閉じてからは、東京南部地区の塾にいたころは、塾から相談の必要を感じた塾生の電話相談で、対象は特定の小中学生であり、塾から実費を得ていたこと。それ以降は、相模大野校やJR相模原の教室からの依頼で、大半が高校生以上の青年層で、たまに小中学生が入ったこと。実費は電話代のみであること。ただ家庭内暴力・自殺未遂などで、高額交通費(タクシーなど)を使い臨時出動をしたときは、交通費と移動先の待機に使った喫茶代を請求したこと。先方から帰宅するときの交通費のみ塾に請求を出したこと。終電後、当人の家に近いカプセルホテルに宿泊し、始発後帰るための宿泊費は自前。訪問指導の場合は、教科指導と親の予約があったときは、塾からの給与として時間給をいただくこと(塾より申告済み)。飛び込みの相談者からは、教科指導と親御さんの進路相談があった時のみ、親御さんから交通費・電話代・喫茶代以外に、週1回5~6千円/日を親御さんからいただいていたが。同じ方から年間4~6万円いただくこともあるが、飛び込み自体が希で、飛び込みは心理カウンセラーにつなぐような深刻な話が大半でることだ。つまり、もぐり稼業どころではないこと。信じる信じないは、あなたの勝手であること。

最後には警察の方が呆れ返ってしまう状態だった。塾の正規の訪問指導と授業・通信添削等でのみが子どもと向かい合ったときの収入であり、夜間傾聴は実質持ち出しボランティアであることから、今回の高校生と祖母からは、事前契約などなく、公的相談機関紹介と事件申告を行ったことは、私と友人の自由意思の範囲であること。

私は信じられない人物として、先方に敬礼されてドアを出た。漫画のようだった。

話によると、いじめた子たちは全員リストアップされたこと、「あとは警察に任せるように」との、私はあまり信じないその言葉を聞いて警察署を出た。

友人の杉並のPSWさんにご報告。事情聴取は彼にも及んでいた。失笑、謝った。その後の話は警察からも当人家族からも届いていない。現状は民間人には秘密。まだ現在進行形というわけか。

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ドキュメント映画は、警察の事情聴取が長引いたために、30日にいくことにした。ペットレスキュー支援との関係だが、プロデューサーの飯田基晴氏は、「湘南あすなろ会」の北村年子さんとの「『ホームレス』に出会う子どもたち」上映や、被災障がい者の関係で「逃げ遅れる人々」とも重なる方だ。自分でもちょっと驚いている。

30日は逗子Cinema Amigo 10:00から、南三陸の「ガレキとラジオ」を観たあとに、横浜「犬と猫と人間と2動物たちの大震災」を見て、合間にビッグイシュー購入ができる。そんなわけで「30日」に決めた。この日の夜、30日は日曜日と嫌がるだろうが、横国大の事務の**氏に会って「ミニカレー」をおごることにしよう。(笑)

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映画「犬と猫と人間と2動物たちの大震災」を見損ねたので、その空き時間、サポセンに立ち寄る。仮設に贈る古雑誌の表を作り、セカンドブックレスキューのYさんの応答を待つ体制を固めた。応答あり次第、手紙を添えて本を贈るのだ。

私は、みんなでやれそうな「やさしいハンカチ湘南展交流版」を周辺に呼びかけているが、全く応答がない。サポチガの会員紙にハンカチ展の紹介を書いたが、だいぶたつが通信発行の兆しもない。困ったものだなと思いつつ、呼びかけを私学に頼るわけにもいかず、じんわり、参議院選の近さを感じる。被災地支援は潮時と読むのか。

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今、大船渡にバイト先がないかと探している。S君が行ってみたいと語りだした。嬉しい。できるだけ実現させてやりたい。そんなこともあって、7月後半、現地に行かなくてはならないか。これも応答待ち。

講師選び、災害看護学会の小原真理子さんが浮上。しかし災害看護学会関連ゆえに、求めている内容は、取り組んでいる現場の知恵を分かち合いたい。春先に語っていた被災地の訪問介護事業所の件やら、某被災地病院からやら、出てきたが再度追求取り直しをーつ、きめる。

夜間傾聴>なし


(校正2回目済み)


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6/21 雑務と探索の一日

2013-06-22 06:07:36 | 地震津波災害ボランティア
203/06/21 記
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台風3号は温帯性低気圧になり、雨が小雨になったので、茅ヶ崎と平塚の図書館の書籍更新を行う。母の両手に持病の掌蹠膿疱症(しょうせきのうほうしょう)ができる。原因不明の膠原病なのだ。ステロイドホルモン軟膏で治療する。しかし、膿疱ができると家事炊事がすべて放棄されてしまう。好き嫌いが多い母には、せめてと頼んでいる食器洗いがだめになった。仕事から帰ってきたところで、溜め込んでいた食器を洗う。

県立保健福祉大学所蔵の「経験から学ぶ 大規模災害医療 対応・活動・処置」の著者丸川征四郎氏の著書関係者から、阪神淡路大震災の医療行政関係者をたどっている。災害発生時の安全避難は大切なことだが、避難後の被災者保健看護介護はNPOとの協働の場になる。だから、エスノグラフィック的な調査の視点をもって震災対応をしてきた地元の語り部との接点を災害医学の側から追っている形となる。メールと電からの見知らぬ者からの探りに、先方が面食らっているようだ。大きくは、行政とまたがった黒田さんのような方だ。しかし元にしたこの本も、2007年発刊と古く、探りも留まりがちだ。

生な経験を持ち込むために、もうひとつの探りの方向は当時の養護学校関係者(教員)筋だ。こちらは奈良***MLとのつながりがあり、協力を依頼した。茅ヶ崎は準都市型、困難の質が阪神淡路大震災の方が、環境が近い。だから、東日本大震災の東北の場合と相違点が出てくる。それで阪神淡路大震災からのアプローチが役に立つ。

平塚からの帰り、サンシティに寄ったが、時間が悪かったか、しまっていた。思うように時間が使えない。無駄が多い。

前のアーティクルに書いたように、要援護者側からの積極的な活動は見えてこない。盲学校・ろう学校へのインタビューも踏まえていくが、懇話会の世話人会は一向に候補が出てこない。

平塚からの帰り、町屋で降りて浜見平団地に立ち寄った。高齢者支援関係の方が、懇話会資料を求めてきたから、嬉しくて届けにいったのだが、個人宅なので、少し話をしてきりあげた。なんと大根をいただいた。懇話会に参加してくれるといいのだが。

さっそく鶏肉と大根を白だしで煮込んだ。主夫アプローチだなあと思いつつ、母の夕食へ。珍しく及第点とは。

ブルーレイプレヤーの件、Uさんの上映会無事成功したとか。安物プレヤーでも機能に問題なく、プロジェクタ上映できたようだ。ブルーレイプレヤーご入用の方は、ご利用ください。

先日の「いじめ」の件で、地元警察から連絡が来ていた。事情聴取らしい。明日相模大野から警察に寄って、帰りに黄金町の映画館ジャック&ベティで「犬と猫と人間と2動物たちの大震災」を観てくる。

夜間傾聴>ひとり


(校正2回目済み)

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6/20 障がい者にとっての災害対策活動の温度差とは

2013-06-21 06:09:34 | 地震津波災害ボランティア
2013/06/20 記
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2013/06/20 記
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災害看護の黒田裕子さんと再会できそうだ。慈恵医大の看護学科の**さんとふたり、それぞれ別々だが懇話会の講師の件に進展があるといいのだが。

講師選びは、少し憂鬱になっている。本当の意味で被災地の生活再建のネットワークの状況を語ることができる方は、現場簿の方だ。ざっくり見通しを見せてくれる黒田さんのような方も必要だが、私たち支援者は、現場感覚に触れる必要がある。ところがそれを第一義的に考えて講師選びをすると、おそらく茅ケ崎側からの関係者参加は無残なことになってしまう恐れが強い。

それはいいかえれば、被災地と茅ケ崎の距離感、災害と関連活動の緊迫感の差異のようなものだ。被災地の諸活動に携わっている方の実践を、その土地と社会の抱えている問題として、問いかけの背後に透けて見えてくる普遍的な課題を感じ取っていない実情といえよう。しかし、このブレスのようなものをじっくり聞き取る場が必要なのだ。下手に一般啓蒙に取り込まれずに、ケアの支援関係者が実情と見通し、局面打開の知恵をつかみとる場が、別個に必要なのだ。

実践の語りに触れてもらいたいと思いつつ、こわい。この地元生活支援関係者に話すが、どうも噛み合っている感覚がつかめない。黒田さんや慈恵医大**さんが状況打開の契機になるといいのだが。

SNSで知り合った関東の自閉症協会のある役員さんと、メールで意見交換をした。そのなかで、もやもやとしていたものが少し晴れてきたのだが、ドキュメント映画「先祖になる」が描いていた地域に「ともに生きる」と言ったとき、そこに共感と併行して冷え冷えとした違和感があった、その「違和感」の中身が要援護者支援の災害ボランティアに投げかけられているもの、つまり、健常者が「頑張って」地域復興に尽力しているときに、「足手まといにならないように」息を潜めている人たちがいるという現実だ。障がい者や身辺自立困難な高齢者等、社会的弱者の悲しい立場だ。団結の絆という熱気が強いほど、存在が薄らげていくひとたちのことだ。この方々は被災という非日常の不便と困難を吹きさらしに浴びているにも関わらず、固く口を閉ざしている人たちだ。

要援護者の救援・支援を語るとき、支援者が抱くイメージは、身体的困難・生命活動維持への困難を語る。ところが精神障がい・発達障がい・知的障がいの領域の方は、ハンデを負いつつも健常者に追従することで、急性期を乗り越える。健常者が差し出す枠に従って避難していけば、あとは「迷惑をかけないように」生きていけば、山場は乗り越えられると考える立場だ。

この気持ちが広がってる障がい領域の方は、実際被災時命の危険に直結する身体障がいの方々とも歩調が合わないだろう。支援者の関わりがこういう立場の差を踏まえて、そこを融合推進していく活動を生み出さねばと思うのだ。

自閉症協会の##さんは、安全避難よりも避難後の避難生活に課題を感じるという。活動推進、孤立当然と思ったほうがいい。

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サポチガの昼食会のとき明かしたが、震災津波被災のとき、かなり役に立つスマホ・アプリを探っている。(天サイまなぶ君ではない。)そこで困っているのは、アプリの信頼性を如何に担保するかだ。製作者が個人なのだ。この方が、ウィルスやいたずらを仕掛けていない信用できる方の製品だと如何に証明したらいいのか困っている。

犬のモナの問い合わせが夜中にあった。大型犬と知って破談となった。つい最近もどうような問い合わせがあった。今年はこれで4件目だ。しかし住宅事情もあるので、やむを得ない。


夜間傾聴>ひとり+医療従事者ひとり


(校正2回目済み)

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6/19 サポチガの野外昼食会に参加し

2013-06-20 06:04:16 | 地震津波災害ボランティア
2013/06/19 記
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昼夜逆転している私にとって、午前中企画は身に堪える。今日は、茅ヶ崎北部の里山公園で、サポチガの昼食会が開かれるという。普段なら12時という時間、母の昼食のこともあるので無理なのだが、昔、ここの隣接地域の藤沢遠藤に教室を持っていたために、懐かしさも手伝って参加に踏み切った。

公園の中の「里の家」は、最北部、腰掛神社のそばにある。平日昼間から、この会に参加できる方は少ない。案の定、窓口スタッフ+地元環境団体メンバー+高齢者(すみません)。

しかし、里山公園は初めてだった。芹沢入口バス停から里の家まで20分近くかかってしまった。公園内の道は、すぐに途切れてしまう。谷戸に押し出されたこともあって、遠回りしてしまったのだった。

皆の食事が終わっていたが、懇親会といっても話題は卒のない話題にかぎられていた。最期に自己紹介の場があった。今回の会に参加した動機となった昔の遠藤の記憶にふれ、次に逗子Cinema Amigo で、映画「先祖になる」を、観客たったひとりで見てきたこと。心理表現を的確にとらえたドキュメントという、難題をクリアした作品であったこと等を語った。

本来ならば、「やさしいハンカチ展」の提案をしたかったが、災害に関心がない方もいらしたし、屋外の樹木が揺れ始めていた。台風4号の影響があって、午後降り出すと天気予報が出ていたので、早めの撤収にすべきと考えた。

しかし話しにくい。社会活動は解決すべき課題を抱えていることが多い。だから時局と無縁な趣味の活動の方に行動の呼びかけをしても空転するだけなのだ。

小出川をわたりSFC行きのバスに乗り、看護学部に寄ってから、慶応大学バス停から辻堂駅行きに乗ってきた。買い物をコインロッカーに入れ、茅ヶ崎経由で橋本に出た。

帰りも予想よりも雨量が少なく助かった。

懇話会ニュースNo.02製作中。

夜間傾聴>休み

(校正2回目済み)

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6/17&18 総合診療科、初診担当という「新米の壁」/中邑賢龍氏講演会に思う

2013-06-19 05:57:50 | 地震津波災害ボランティア
2013/06/17&18 記
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6/17
市高齢福祉課の**さんから連絡有り。災害看護の件の問い合わせ。ここで会ったが百年目の仇討ちではないが、懇話会の今年度の予定のCMを忘れずにさせてもらった。災難と思わず、受けとめてください。

S君と会う。彼の転身の芽、決断だと思うが条件を整えてあげたいと思う。先方のあることなので、電話調整しているが、時間がかかる。

辻堂図書館に寄贈用ビッグイシューを持っていく。月曜日は休みだが、事務室は職員がいる。茅ヶ崎はいない。ここがNPO委託と市行政との違いなり。同誌を手渡してくる。

横国大の事務職員**氏に会うため、横浜に出る。別件の用もあったのだが、陸前高田・大船渡・釜石の災害ボランティアが横国大で会合を開いたことがあったので、仲介してもらえないかと話した。応答待ち。

県サポにまわった。月曜日は図書館が休みだが県サポの生涯学習室は開いている。そう思ったのがまちがいのもと。なんと県サポ休館日。本を持ち帰る。無駄足となった。

相鉄経由で相模大野に出て授業。またしてもタイミングが悪い時に、杉並のPSWさんから電話。児相・警察・学校・教委と話をつけたから、自分はこれで引くという。ありがとうと礼を言いつつ、全国のニュースになっても、警察の無礼な体質はかわらない。ただ、事前に始末つけないと、次はあなたたちが報道されることになると、念をおしてきたという。

私は、学校や警察への対応が彼の祖母が対応していたことに、気がかりなものを感じていた。ご両親はどうしているのだろうと。深入りはできないが、安心せず、当分見守っていく。

帰り道、母への弁当を買った。家で絹さやの味噌汁を添えれば、遅い夕食になる。ところが母は素麺を作って食べたあと。お前が弁当を食べればいいと言われて、ため息が出る。1回も予定を守ってくれたことがない。主婦(夫)の座を明け渡したくないのだろう。糖尿病の息子に弁当ふたつ食わせる気になっている母。これはダメだと思いつつ。結局1人前残してしまった。

我が家は古い日本家屋なので、エアコンが効かない。扇風機をもち出してスイッチを入れたが、瞬間まわって、すぐに止まってしまう。あ、基盤故障だと思いつつ、蒸し暑い時の故障に、うんざりする。じわりと汗が吹き出てくる。

夜間傾聴>ひとり


6/18
北里大病院に母の定期精密検査の予約を取る。母の胃切除の後遺症と自律神経失調症の合併症状らしき不調がひどくなっていた。近所の内科医は、あっさりと「治らないから、ひどくならないように抑えて,生涯付き合っていくのだ」という。急に倒れはしないか、母は急なめまいでしゃがみこんでしまう危険があるので、年1回胃切除手術を行った北里大病院の定期精密検査を受けることになっていた。

電話に出ていた母が、なにやら不可解な顔をしている。電話を切って、開口一番、「東邦大の精神科、一回でやめたのはなぜか」と質問をうけたという。北里大に東邦大の話をした覚えはない。それが何で伝わっているのだろう。これには私も困惑している。

東邦大精神科を1回でやめたのには理由がある。最近の大手病院外来では、はやりの総合診療科や、初診担当制がある。どこの診療科に行けば的確な治療になるかという仕分けをする科または担当である。しかし、本来は「ドクターG」ではないが、その科は、専門性を要求されるのだが、現実には新米研修医が担当する場になってしまっている。

東邦大精神科は、初診担当者に大きな問題があった。問診票が的外れな質問で満たされており、チェックのつけようがなかった。担当医は母の主訴を聴く場を設けず、次々にうつ病の教科書通りのYes/Noのみ答えさせるうつ病診断チャートに乗せて、予断の危険を私が指摘したにもかかわらず、母はいつの間にかうつ病にされて、そのために向精神薬を処方したので、薬局にも行かずに、母を連れて帰ってきた経過があった。主訴を聞かない診療は診察の基本ができていないので拒否した。だから1回だけだった。それが北里大で指摘されたのだった。

この新米の壁のために、専門医にたどりつけないことは、東部病院の健康診断のときに、私も体験した。既往症の欄に「網膜色素変性症」と記録したら、胸部の「打診(古い!)」を終えたら、突然懐中電灯の光で瞳をのぞき始めて「なるほど」と言った。嘘つきも甚だしい。それで見えれば苦労しないのだ。研修医かなと思いつつ、「緑内障」と「網膜色素変性症」の違いは何ですかとカマをかけた。「進行は止まっているようです」とはぐらかされた。この「進行」すら、視野検査を継続して比較することでわかるのであって、見ただけではわからないのだ。この虚勢は怖いなと思う。

別病院のある医師は「喘息」と「気管支拡張症」の違いを教えてくださいという問いに答えられなかった。LDの子の診察に母親とともに、当事者の許可の上、入室させてもらったが、厄介な説明の際、ブローカー野の指差す位置が左右逆だったり、つい最近、治療薬の処方は90日分も出せないという。この一年、毎回90日分もらっているから、カルテで確認してくれと私が請求。年配看護師の助け舟もあって、やっと処方箋を出してもらった経過もあった。「新米の壁」これは危険なことなのだが。

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神戸の災害看護のプロ、黒田裕子さんから、メールが届く。横浜にいらっしゃるとかで、その節はぜひお時間をいただければと、お願いした。

今日は銀行周り。支払いばかりである。

バオバブの樹からメールが届いて愕然とした。東大先端技術研の中邑賢龍氏が講師なのだ。LDやADHDの学習サポートツールとしてiPadの可能性を語らせるようだった。私は中邑氏が四国から先端技術研に入った5年まえから、中邑賢龍氏の仕事紹介のために、先端技術研にお邪魔して、なんとか講師依頼の形を作り、湘南に持ち込んで、障がい関係団体を説得して回っていた。が、地元では全く相手にされなかった。中邑氏の仕事と重なる近藤武夫氏や、坂井聡氏もたどりながら、中邑氏の軽妙な語り口と、ツールの開く可能性を身体障がいの関係ツール紹介するところから、PCの可能性に至る話を講演会に乗せようとし、中邑氏に絞り込んだ。試みは地元の無残な無応答に終わったのだが、その後、中邑氏のところにLD学会の御大、上野一彦氏が現れ、活動参加したのが昨年中ほど、それが影響してか、LD学会や懇話会参加者のいるバオバブの樹主催で、中邑賢龍氏が湘南に現れることになったのだった。しかもPCが拓く可能性の内容で。偶然とはいえ、私の期待することの復唱なので猛烈な虚しさを抑えている。湘南に紹介されることに異論はない。しかし、プレ・ジョブも中邑賢龍氏講演も、私には全く焼き直しなのだ。主催者当人はそんな経過はご存知ない。だが、こうして私は10数年空転してきたのだった。講演会には協力しようと思う。しかし飲み込まなければならない虚しさも、また、大きい。

明日は、サポチガが行谷の里山公園でバーベキュー懇親会をするというので参加する。帰りにSFCに回り込めないかと思ったのだが、橋本に行かなくてはならない。文教大から寒川に出て向かう。明日は午後豪雨というのに、雨にたたられそうなので、傘は2本持っていく。


夜間傾聴>なし


(校正3回目済み)


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6/16 49日法要の前後に/映画「先祖になる」逗子上映に参加し

2013-06-18 04:56:47 | 地震津波災害ボランティア
2013/06/16 記
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一昨日は法事と社会活動が重なるというあまり体験したことのない一日となった。この日の朝、一件の夜間傾聴の依頼を預かった。その少年の仲間が突然家にやってきて、玄関前をうろついているという。いじめが原因で引きこもった子だが、彼の祖母が警察に連絡を入れるが、それらしい人物がいないという話があり、私は2つの可能性を感じとっていた。朝の電話はその祖母が、今回は塾を通じず、もとの東京南部の塾の関係者からの紹介でアクセスしてきた。当人、怯えて震えているので、至急面接をして欲しいという話だった。

地域は相模原の塾や、相模大野とも違う東京南部だったので、古い友人の杉並のPSWさんに真夜中、話をつけ、様子次第で東京南部の関係者に引き継いで欲しいと依頼した。迷惑がったが、家族に精神科への偏見があるので、慎重に対応して欲しいと、無理にお願いした。またもう一方の可能性もあるので、見立てが違ったら、警察に捜査の依頼を家族を支える形で警察にのりこんで、だしてほしいと依頼した。先方が現役だから頼める、とんでもない話である。

私の事情がわからないPSWさんから、仮眠している私の眠りを断つように、まもなく経過報告の電話が入り、結局一睡も出来ぬまま、時期遅れの暑い喪服を着こんで、着替えを抱え込んで菩提寺へと向かった。

こういうときはろくなことをしない。11時からの49日法要は時間の聞き違いで午後1時からだった。母の聞き違いだった。中途半端な田舎町である。2時間の時間を潰すところがない。隣駅なら、粘れそうなパスタの店があった。茅ヶ崎周辺にはないが、食事カードが効く某チェーン店と思い、ついでに食事を済ませておこうと、その店に入って食事。ばれないように仮眠を取ることにした。

12時半に目が覚め、慌てて支払いを済ませようとしたら、食事カードの扱いをしていないという。そんな馬鹿なと一覧表を見せると笑われた。カタカナ2文字違いのローカルな店。ならばとVISAがついたカードをさがしたが、家に置いてきてしまった。現金払いしたがいかにも懐が乏しくなり、時間が迫っているというのに、近くに行きつけの銀行が無く、タクシーを使うには、現金が足らなかった。ひとに聞かせられないようなお粗末な話だったが、路線バスが偶然来て、それが天の助けとなった。

時間にぎりぎり間に合ったが、いつも父の宗教と私の家族介護と独身とボランティア(蔑みを込めて)をもって慇懃無礼な事をいう常識絶対の針の山に飛び込むこと。冷や汗を書き通しで父母の代行も済ませてきた。納骨の最中、私の専用携帯が鳴り出した。マナーモードになっていたが、振動が明らかに周囲に聞こえてしまうのだった。

電話はPSWさんからだった。警察署にいるという。見立ては精神障がいではないだろうとのこと。彼の筆跡と異なる脅迫じみた落書きもあったという。PSWさんにお礼をして電話を切った。

席をはずして話していたが、浄めの膳の席の電話だった。店の外に出て話していたが、タバコを吸いに出てきたふりをして、悪意のある遠い親戚の某は、私の電話を聞き取ろうとした。つまらない話だが、先方も某仏教系宗教の信者さん。ともかく私はセクト(宗派)の偏狭さが嫌い。坊主憎ければ袈裟までのとばっちりを受けているのだとわかっていた。爺い相手に、お馬鹿な話である。

用事が出来たのでと、膳の席を中座して、このまま帰ると伝えた。弟の分も含めて、大きなお返し(何というのだろう)の袋を3つも抱えこまされて店を出た。

このあと、17時に横浜・寿町で路上生活者の販売員さんから、ビッグイシューを買う約束があった。湘南販売が健在だったころ、公的施設や外出困難な方への定期販売分を残していた。その分を販売員さんから買うのだ。横浜往復の交通費は私持ち,販売価で買うので一銭の儲けもない資金持ち出しの話。当時の支援者の方が公的施設分の半分を自腹で買ってくれている。図書館分は寄贈だ。湘南の販売員さんが資格剥奪、支援者が仲介資格剥奪という憂き目を見たが、かと言って、購読者さんに軽々しく「やめました」とは言えないということで、巻き添えを嫌がる横浜の販売員さんから、無理を言って300円/冊の販売価で買い取って、購読者さんに黙って届けている。

着替えは中途駅のコインロッカーに入っていた。それを取り出したが、さあ、障がい者用のトイレが、いっこうに空かない。約束の時間に間に合わせるタイムリミットがせまっていた。とにかく慌てて着替えをしたが、今度はお返し(?)の荷物がかさばってコインロッカーに入らないのだ。ロッカー前で、利用者の取り出しを待つこと15分、やっともうひとつが空いて、遅刻も遅刻、30分遅刻で販売員さんと会うことができた。約束破りを、重ね平頭し、前回分1冊を買うことで許してもらった。着替えたというのに汗だく。逗子に移動し喫茶で夕食と19時半までの仮眠。

最後は逗子の Cinema Amigo という私設映画館で池谷薫監督の作品「先祖になる」を観てきた。被災した陸前高田の木挽職人・佐藤直志さんのドキュメント。20時からの1本切りの上映。JR逗子駅から、葉山一色行のバスで、富士見橋下車徒歩5分の海岸線住宅地の中に映画館はある。

入って驚いた。私以外観客がいないのだ。会場は10数人でいっぱいの席、ホームシアターにバスレフの癖のある大型スピーカーがふたつ構えている。オーナーに「ひとりでいいのかな」と問うと、「20時になったらはじめます」と平然としている。ドリンク付¥1,500-。ひとりとは、なんとも贅沢な上映会を味わってきた。今、私が上映会をやればもっとすごいことになる。「また飛田かいな」ということで、上映者だけの会になるだろう。今、活動の時局に必要な内容なら、趣旨説明巡回を踏まえて、会場の空気相手に必ず上映をするだろう。それがこの指とまれ方式の節操である。

作品は被災者・支援関係者なら、びしりと決まった近未来への暗示に、腕のいい映画人・池谷薫監督の表現に鳥肌がたった。主人公の被災した自宅は2階まで水浸しで使い物にならない。自分の息子は消防団の責任者だったが、目撃者によれば、歩けない高齢者を担いで、逃げ切れず津波に飲まれて殉死した。老夫婦と嫁の3人家族だが、主人公佐藤直志さんは、家の建て替えをすると言い張り、市行政の新築規制と自治会を立てて戦い、一方、妻と嫁は仮設住宅移転を申請、移住した。息子の死、集落の結びつきへの評価等をめぐって、家族の中でさえ意見対立が起きている。

さらには、「息子の分まで」と張り切る主人公。ところが棟上式の場で、腰が痛いらしく、無意識に腰をたたいていた。これは後で明かされるのだが、死期宣告のすでに過ぎた癌を抱えているが、無医状態の地域からCTのある病院に通い、湿布薬だけをもらうために、遠方通院していることや、余命が少ない事を知らされた。再建の様子の見え方が二転三転する。主人公ひとりが、新築の家に住んで、妻と嫁は仮設生活のままだ。

通年で記録しているので、疲労が顔に次第に出ていることに気付かされる。端材伐採した木を有効に使い、家は市の助成金でなんとか建って、新築の室内、日の出を見ながら作品が終わっていく。

陸前高田の巡回七夕・けんか七夕山車の勇壮な祭りの実行委活動が描かれる。地元代表が、挨拶も感涙にむせびながら、気仙町荒田地区のつながり維持を訴えていく。この映画は現被災者の矛盾する心情にピタリとピントがあっているのだ。

ただ一般啓蒙用にはならない。被災者と家族、支援者は改めて感じるものがあるだろう。

私はふたつの感想を持った。

この人たち(被災高齢者)を、決して潰してはならないということ。

地域が結束して気勢があがればあがるほど、姿が希薄になる人たちがいる。歩行が困難な高齢者・障がい者そして幼い子どもたちだ。男衆が熱くなればなるほど、彼らは見えなくなる。邪魔にならないようにと身をひく存在がいること。封じてはならない。

これは誰も描かない存在、心に留め置くは関係者の矜持である。

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帰りの富士見橋からのバスは、休日でも23時台まである。
ただ私は途中で着替えと荷物3つを抱えて駅の階段を走り、茅ヶ崎駅北口発23:15終バスに飛び込み、扉を叩いて開けてもらい、間にあった。

1時からは、朝の警察沙汰の報告をPSWさんから得ていた。私と同い年のラテン系っぽい人物で、頼みには、のってくれるが後が怖かった。やはり「おごれ」が出て、報告が終わったのだった、やむなし。

少年は学校不信があり、結局は警察とPSWさんがつなぎに面倒をみることになった。勿論、PSW氏遠隔操作を私がやることになるだろう。

(cf,)
●「映画『先祖になる』オフィシャルサイト」
●「逗子 Chinema Amigo」

夜間傾聴>PSW氏


(校正2回目済み)



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6/15 朝出かけるので、お休みします

2013-06-16 04:46:07 | 地震津波災害ボランティア
2013/06/15 記
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お詫び) 作業と傾聴が立て込んでいます。
     医薬品卸の**さんが、懇話会に関心を持ってくれて、メール交換が始まりました。etc. 父の実家の49日で、8時には出かけなくてはなりません。今回は書きたせませんので、お休みさせてください。

夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)
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6/14 スペアちがさきの総会に参加し/被災障がい者の日常困難を描く作品は 他

2013-06-15 06:01:32 | 地震津波災害ボランティア
2013/06/14 記
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スペアちがさきの総会に出る。LDやADHD、広汎性発達障がい関連の当事者家族の会。当事者の年齢層は若い。治療教育の発想が強い。社会とのマッチングサポートというようなアプローチではなく、親子関係の情緒的つながり体験サポートやピアカウンセリング・小学生までの教育活動などの心理・教育サポートを行っている。その活動報告と新年度の活動予定(継続活動)が報告され、会員の承認持って総会は終わった。

同席しながら、さまざまなことが一体何だったのだろうという思いがしていた。同会は市自立支援協の構成団体になっている。私がSCFを立ち上げ、市に就労支援窓口カフェを提案していたころ、メンター制のようなペア・チーム就労の可能性を語り、当時、不登校・引きこもり分野の手帳を持たない若者への活動は、障がい者団体の協議会への参加や分科会は傍聴も許されず、総会のみ、SCFやポレポレは傍聴していた。何回ものオブザーバ参加要請も断られていた。発達障がいの認知の定着の時流の中で、門戸が開かれたのだろう。そこでの議論や決定情報は、キャッチして個人的に質問する形でしか伝わってこなかった。

ケアパートナー制と呼んだペア・チーム就労の関連についても、当時のスペアでは手帳のある障がい者との立場の違いを語るため、話自身が空転する経緯があった。

年齢層の違いから、情報交流の範囲で参加していたが、就労支援についても、場が違うという空転をしてきた。

こういう活動の空転を踏まえていたから、最近のプレ・ジョブや自立支援協参加は、私には焼き直しの感じがつきまとっていた。私には、すでに自立支援協への参加の道はなく、就労支援についても災害ボランティアの社会体験参加を経由した就労というねじれた提案になっているがゆえに、障がい関係の団体への言葉を失いつつある。

就労について言えば、従来の仕事探しは法定雇用率2%、精神障がい者雇用の推進という時流の中で、前進しているのだが、サポートの形はほとんど変わっていない。

引きこもり団体のなかの就労支援窓口サポートや,自営業や社会的起業の試みが社会的認知を得て、その波が従来の障がい者団体の就労活動に影響が出てきている。現実的には特定子会社への見学・就労体験を通じて、「職場適合」を「マッチング」として、支援していく。(ジョブコーチ)

自営業開拓や、社会的起業には、まだ流れになっていないという状況があるが、この領域開拓には、「ひとに必要とされること」「成功体験」という就労による人間関係の組み直しが注目されたり、成功体験によるセルフエスチーム、自己充足感が大切として、「社会とのマッチング」が語られるようになった。災害ボランティアへの参加は「災害ユートピア」という書に語られるように、ダイナミックな社会関係のシャッフルと再編が行われ、「ひとに必要とされる」という「場への参加」でもあった。被災者支援活動の背後に社会的自立と就労の実験がかくれていた。

そのことも、被災者支援と防災活動は障がい者団体にとって「二次的活動」としてなかなか同意が得られない空転につながっていた。従来の支援の枠の中で活動するために、結局、箱モノを作るという動きになる。それにしても、それは障がい者居場所作りに収斂して、地域社会との結びつきのパトスを醸し出す力動を生み出しているとは言えない、この微妙な関心事の違いが、現在を作っていると思われた。

総会の最後に自己紹介の順がまわってきて、災害ボランティアと地元就労の話をしながら、これは通じていないなという虚しさを抱えていた。

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昼食後、サポセンでファイルを印刷して、手をつなぐ育成会におじゃました。「逃げ遅れる人々 東日本大震災と障害者」上映会と「地域交流を含んだ『やさしいハンカチ展』」の企画提案をもちこんでいた。災害は身体障がいや高齢者の関係ではリアルな課題だが、知的・精神・発達の関連では、安全避難の場面で健常者と大差ない感覚があってリアルではない。しかし、今回の提案は「避難後の生活の困難」に焦点がある。そこがつたわらない。首都直下型地震・南海トラフ地震余波への危機感の欠如が、もどかしいところだが、案の定、企画は無理との応答に終わった。今のままでは、例え自費で上映しても参加者はいないだろう。

しかし、百万の空転のその先を私は信じている。なぜなら私の企画は必要の企画だから、提案は大きな流れへと至るものだからだ。正念場に入っているのだと思っている。人脈を超えてやがて動く、大道の棋譜を打っているからだ。

懇話会ニュースNo.2を書き始めている。要援護者支援名簿作成の低迷の話と世話人会作りの呼びかけだ。

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懇話会講師選びを進める上で、「現場の声をいかに反映させるか」という条件に合う人選が厄介だ。岩手県の関係者や兵庫県の関係者候補が出てきているが、話を調整するために数回は現地に赴く調整がいるだろう。最低線一回として、講師の交通費・謝金を含めば十万円弱はかかるだろう。関係者の懇談の会なので、助成金も条件が無理だろう。活動への基金を求めるのは、空転するだろう。しかしここからしか内実を作れないから、今年とにかく借金してもここだけは動かさねばならない。9月または10月講演に遠方の方、7月は近在の方を選ぼうと思う。

夜が明けた。夜間傾聴専用携帯、まったく鳴らない。橋本で当人と会ったからだろう。**子から留守電あり。会う必要が出てきた。16日、逗子 Chinema Amigo で映画「先祖になる」を見てくる。20時からの一本だけだが、当日は49日。真っ黒けの格好で、そのまま回る。Uさんの方は間に合わない。


夜間傾聴>なし

(校正2回目済み)

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