2021/01/29 記
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母が病院にスマホを忘れてきたと青い顔。やむなく病院へ。受付経由で遺失物係に問い合わせ。見事、スマホが出てきた。
それからが問題だった。私の身分証明と委任状が必要といいだした。
前に自殺未遂の子の救急搬送に同乗したが、家族ではないのに、ボランティア名刺で同乗できたし、胃洗浄後の点滴見守りも、家族ではなくボランティアだと伝えても、立ち会えた。ここの病院の話ですよ。委任状というのは、成文化した規則があるのかと、抗議。身分証明に障害者手帳を提示して問い詰めた。
応答がひどかった。「ないなら、いいです。」
スマホが戻り、中身を確認。電話履歴から、私のスマホ番号を確認して、受け取り人の住所・氏名・電話番号を記入した。…ここで第二ラウンド。
障害者手帳の住所と、記入した住所が違うといいだしたのだ。昨年秋に転居した。だから表には旧住所がかかれている。しかし住所変更してあるのだが、それは手帳を広げて、その奥に新住所が書かれているのだ。失礼千万。中を見よと指示。黙って手帳を返してきた。
こうしてスマホは返ってきたが、あまりなので、事務室に抗議に行った。
第三ラウンド開始!突然私は入室を阻止された。
「手を消毒してください!」
萎えてしまった。失礼しましたと謝られて、引き返した。
母に電話。スマホがあったと報告。しかし、母は「聞こえない」を連発。補聴器をつけていないのがわかった。厄日だと思って深入りを避けた。立ち食い蕎麦屋で、ざるそばでお清めして帰宅した。
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アムネスティ日本からメールがきていた。いつもならやぎさんは「読まずに食べて」しまうのだが、香港の若者が弁護士なし裁判で収監されている。抗議の署名を集めるという。無料。
この手は、にせものが多いので、アムネスティのアドレス確認をした上で、返信。
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平田俊子さんがFB上に、幡ヶ谷バス停で殴り殺された路上に押し出されていた女性の件を47Newsに載せた件を自己紹介。それを池田幸代さんがコメント。その中で佐々木央さんのタイムラインを引用していた。以下は、心に「響く」ものがあり転用させてもらう。
-----------ここから-----------
バス停で殴打され亡くなった女性に自分重ねる 「わたしは人と見做されているか」 詩人平田俊子さんと現場を歩く | 47NEWS
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https://this.kiji.is/726333642980851712
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池田幸代さん コメント
かつて新宿で野宿している女性たちに「夜はどこにいるの?」と聞いた。
電話をかけるフリをしながら公衆電話ボックスにいた人たちも多かった。
お金がなくても、少しの寒さを避けられた場所。
そんな場所がどんどんなくなっていって、代わりに増えたのは排除オブジェ。
お金のない高齢女性一人が身を寄せる場所さえないこの社会。
絶対におかしいと思う。
以下、佐々木央さんのタイムラインの記事より。
幡ケ谷バス停で殴られて死んだ女性のことを、忘れない人たちがいる。
写真を見ると、年をまたいでも花束が捧げられ、撤去されていない。
枯れたら、また誰かが供えるのだろう。
詩人・平田俊子さんはその女性に自らを重ねて詩を書いた。それがこの文中で引用されている。
引用とは別の詩句を紹介したい。(写経します)
「昼間いる公園から都庁が見える/都庁からわたしの姿は見えない/ここからドコモのタワーが見える/わたしの携帯は電源さえ入らない/家のない者にもバス停はある/帰るところがあるのはいいものだ/わたしは毎晩バス停に帰り/故郷に少し近づいて/冷たく小さなベンチで眠る」
都庁から見えないのだから、官邸からは全く目に入らないだろう。この人の身の上など、想像だにしないだろう。それが「最終的には生活保護」発言になってしまうのだ。
全文を掲載した詩誌の写真もあるので、拡大すれば読むことができます。
この詩とこの文章を読んで、初めてその女性、大林三佐子さんに祈りを捧げる気持ちになりました。都庁にいる偉い人たちや菅首相を笑ったり非難したりする資格は、わたしにはありません。
この文章の最後を引きます。
「夜は寒く、寂しかった。大林さんの夜の長さを思った。」
-----------ここまで-----------
夜間傾聴 なし
(校正1回目済み)