湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

1/24 介護の不確定要素のこと/炭谷氏講演会勧誘巡回(平塚)

2011-02-27 12:07:56 | 引きこもり
2011/02/24 記
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先日、木曜クラブ第3分場にお邪魔したとき、会議中に飛び込んでしまったので、アポを取るために連絡を取った。施設の改装等でお忙しそうだったので、電話でチラシの解説をさせていただいた。会議に載せる旨の応答をいただいた。感謝。

母が地元内科に睡眠導入剤をもらいに行くと言い出した。昨夜、腸が動いて眠れなかったらしい。こういうとき、単純に粥をだしてしまうと、残った胃をすり抜けた粥が腸に入って、一気に血糖値を上げてしまう。これが動悸や圧迫感を引き起こしかねないので、柔らかな固形物で徐々に溶けるものを思案しなくてはならなかった。午前中に診察を済ませてくれないと、昼食に時間がかけられないからメニューに困った。とりあえず不眠で足元が悪くなった母に連れ添って内科へ。事情を窓口で説明すると、医師が出てきてくれて、継続して使っている薬ということで、処方箋だけ出していただいて帰ることができた。母も納得した。

こういう突然の予定変更に対するキャパが不足し始めている。父が認知症はあるが老健入所で身体は無難に過ぎているが、いつ病気になるかもしれない。そうしたときに、両親を支えていくことがじわり水位をあげてきているのを感じている。ともあれ、母の食事はバナナにシナモンを振って、焼き豚の薄切りを軽く火にあぶったものをつけて紅茶で食べさせ、最後に数切れオレンジを出した。全体のかさが少なめだが、なんとか出発時間前に完食させた。粥よりは血糖値の急上昇が少なくて済む。

今回は講演会勧誘巡回は数を回れない。初めに辻堂の湘南地域就労援助センターにお邪魔、チラシを置いてきた。企業就労支援とその継続支援に手一杯といつも断られるところなので、とりあえずチラシを手渡し概要説明に留めた。

平塚に出た。

平塚市>障がい福祉課・環境厚生委員会市議全員・平塚育成会

行政・議会はいずれも短時間。概要説明を済ませて、回覧をしてくださることに。

平塚育成会ではお時間をいただいた。現在の就労支援活動の現状をどう拓いていくのかを普段の生活感覚から意見交換できたのは貴重だった。主婦の役員さんが多く、平日の夜の時間帯の出難いことが問題になった。行政等通勤者には平日夜がいい。しかし主婦には土曜・祝祭日昼間の時間帯で組んでもらいたかったというご意見。これはいつも対立してしまう。今回は支援者中心の取り組みなので、講演者炭谷氏の空きの日の中から、平日夜を選んでいた。時間調整と周知してくださるとのことで、宜しくとお願いしてきた。サンシティさんは、28日。

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老健で父の花見の件と着替えのことを調整。近々、入れ歯の調整で訪問歯科の方と調整。附属病院に歯科がないので、老健内で調整をすることに。

少し老健から歩くが、伊勢原駅行き路線バスがある。平塚から茅ヶ崎経由で相模線に乗るより早い。バスの中で点し忘れていた点眼薬を点す。揺れて危ないことに。時間が追いかけてくる感じは苦手だ。伊勢原に下りて背伸びする。

厚木で乗り換えたほうが、小田急線まで歩かなくて済む。経由時カードタッチをするところでブザーが鳴った。伊勢原駅でタッチが甘かったらしい。急がば回れなのだが、目の方だけが回っている。

橋本からJR相模原へ。今回の教室は南橋本から行ったほうが近いのだが、印刷があった。しかし遠い。傾聴で危機的な状況が生まれたとき、こちらで駆けつける同僚は転居で出来なくなってしまった。相模大野の方は担当者がいるが、もはや私が外勤定年である。このままでは、スタイルを考えないと往復だけの勤務になってしまう。昔の学力回復授業復活も考える必要があるだろう。地元に足場が無いことに問題があるのはわかるが、塾再建に見通しは無い。

高校入試の一日が過ぎていく。


夜間傾聴:□□君(仮名)



(校正2回目済み)

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2/23 母の眼科手術へ/炭谷氏講演会参加要請藤沢巡回

2011-02-27 09:17:39 | 引きこもり
2011/02/23 記
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母の地元眼科医のところに母を送って、今後の治療方針を聞いた。2年前の胃切除手術の結果、急速な体重減少に加齢が影響し、母は眼瞼下垂(がんけんかすい・肌のたるみが視野の妨げを起こす状態)を起こしている。ボトックス(ボツリヌス菌毒素を希釈した液を、瞼の筋肉に注射することによって麻痺させ、強制的に瞼を開く治療法。3ヶ月ほどで効果が無くなり、注射を繰り返さなくてはならない。)が悪影響を起こしたが、やはり瞼のリフトアップ手術を行いましょうという話となり、本人も納得した。母のダンピング症状や不定愁訴状態を遠巻きではあるが、ストレス環境を改善していくことで治療しようということなのだ。

顔面なので、形成外科で手術した方がいいということで、紹介状を出しますという話になり、先方の医師との調整の上、3月早々手術することになった。瞼が下がると眼を開けているストレスが、全身の疲労感につながっていくということなのだが、予約日が3月3日ひな祭りだねと冗談を交わしつつ、初めは先方で検査をやるだろうから、手術日は5~8日は、なんとしても日をはずしてくれと母に頼み込んだ。

これがいけなかった。母は昨日、ひと箸も食事に手をつけなかった。活動と親の体調とどちらが優先なのかという無理難題を、この歳になって突きつけられるとは、なんとも恥かしい次第だが、5~8日の期間の手術は、なんとしても阻止するために、指定の横浜の形成外科に私が連れ添うことに決めた。別に進んでいる北里東病院整形外科の脊椎すべり症治療(切開はしない。針を刺すらしい。)を後にしてもらうよう電話交渉。リフトアップ手術との重なりを避けた。

高齢者の手術は若い方の手術と違い、手術自身のストレスが尾をひく。別の症状の引き金になることもある。科をまたいで治療する場合、体調の全体管理を意識して、それぞれの科の医師に他科の治療情報を常に明らかにしておかなくてはならない。この辺が難しいのだ。詰め将棋が果たして成功するのか、それもわからない。

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母ではないが自分の眼と耳の調子も悪化させるわけにいかない。右耳の詰まりと軽い耳鳴りは血圧が正常値なので、耳鼻咽喉科では治療せず様子見としたが、状態は両耳から右耳のみになってきたが、そこから改善しなくなった。目はアレルギー対策の点眼薬によって、今日はかすみが軽い。日々の変動があるので、もともとの網膜色素変性症とは直接関係ない。

相模大野側の本業の巡回が定年となり、そのレポートと入試をめぐる対策面談に追われているが、不登校・引きこもりの方の社会復帰への道のサポートという関わりが狭められていくことへの抵抗が確かに私にはある。JR相模原の塾の方の関わりが残っていることで、納得していけばいいのか、まだ解答が出ない。

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母の眼科受診後、母を路線バスに乗せた後、炭谷氏講演会の参加要請巡回を始めた。夜の面談は19時から。出勤時間を差し引いて17時台までの勝負である。

今回は

茅ヶ崎市>私個人の知り合いが1件(茅ヶ崎)。
藤沢市>白浜養護学校、産業技術短期大学校人材育成支援センター、ハローワーク藤沢(一般雇用)、木曜クラブ第三分場、カフェすばる

で時間切れ。藤沢市南保健所がタッチアウト。

白浜養護学校では、お時間をいただいた。進路担当の方の入れ替えを知らなかったので、だいぶ間が空いていたことに気がつく。炭谷氏が元官僚であることに政治の匂いを感じられたようだ。しかしそれは講演会の流れを見ていただければ、大局が見える。1回目の松為信雄氏、2回目の八木原律子氏、そして3回目が炭谷茂氏である。社会的困難を抱える方の就労支援の枠組みを追って、現在必要な視角からの問題提起を行ってきた。包括的な議論を提供してきたつもりでいる。そんな話をさせてもらった。

人材育成センターでは、精神障がい者雇用の企業内プログラム関連のプロジェクト会議に参加させてもらって以降、1年間ご無沙汰していた。企画の説明後、課内回覧に快諾をいただいた。

ハローワーク藤沢では、軽度発達障がいの方や、社会的挫折等のいわゆる支援の谷間の方がまず相談する一般就労の側の責任者の方にお時間をいただいた。こちらは、昨年若者ひとりと元ホームレスの生活保護受給中の熟年専門職相談に連れ添ったので、半年ぶりの感じ。専門部門の方はご挨拶程度で済ませた。これは、企画参加されているしごとサポーターの**さんが巡回することになっていたからだった。

木曜クラブは就労開拓に熱心なところだ。辻堂団地の喫茶「ボードウォーク」が団地の外壁工事に合わせて店内改装をしている関係で、すぐそばの第三分場にお邪魔した。丁度会議中で、やむなくチラシを置いてくるだけで終わってしまった。

カフェすばるは、工房の方が既に時間が終わっていたので、私の名前の通じる喫茶の方に投函させてもらった。

時間を稼ぐために、石上から江ノ電を使った。相模大野に出て軽い夕食をしつつ、レポートの校正を仕上げた。かけこみセーフだった。入試である職場の雰囲気がいつもと違う。私はサイドガード屋だが、新年度からはこちらの応援に入ることになる。

明日はJR相模原方向。平塚周辺を巡回後、父の老健に寄って、伊勢原・厚木経由で相模原に向かう。

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湘南あすなろ会の問題は、サポチガの方々の豚汁鍋引継ぎという形で迷惑をかけている。あすなろ会の企画中止であるが、手助けに入りたい。しかし午前中、母の通院が入りかねない状況なので、申し出出来ない状態にある。スペアちがさきの上映会が、サポセンのそばの文化会館で同日開かれるが、14時の上映前30分駐車場前に立つ約束は、通院の場合も間に合うだろう。その30分を除けば、ワイワイ祭りの駐車場整理位は可能だと思うのだが。

母、嘔吐はしないが不眠状態続く。


夜間傾聴:相模大野3君(仮名)
     中央林間君(仮名)


(校正1回目済み)

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2/22 失明の大きさを感じつつ/炭谷氏講演会参加勧誘巡回

2011-02-25 05:28:15 | 引きこもり
2011/02/22 記
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両目のかすみがまた始まっている。地元眼科医はアレルギーだからと、点眼薬をくれた。市販薬より安いが、シアノコバラミン入りの赤い液体は、中身が大差ないないように見える。起きてすぐ洗眼、その後、薬を点して家事をしている最中に、割合早く目の異物感が楽になるが、肝心のかすみはとれない。

湘南あすなろ会の豚汁鍋企画中止となった件で、サポセン窓口スタッフから、昨日の日曜日に御叱りをいただいた。企画中止のときはすぐに連絡してくれないと、様々な準備に問題が起きるというのだ。申し訳ない。決定が先週金曜日夜だった。だが翌日の土曜日に連絡を入れなかったのは事実だ。

この企画の鍋や食材の便宜をはかってくれた++さんには、中止の連絡と謝罪のメールを書いたが、何回送信しても戻ってきてはエラーとなった。連絡不能なので**さんに連絡を取ると、++さんが眼病で弱視状態なのだと教えてくれた。現実は過酷だ。私よりも年配の方だが、山登りが趣味でつい最近まで元気に活躍されていたのに、これは酷だ。視覚が奪われるというのは、活動を中断し、生活を一転させなくてはならない。見えなくなった後の生活を考えていかなくてはならない。

++さんの電話番号を教えていただき、やっと++さんと話すことが出来た。やむをえないことと笑い飛ばす++さんの足元の闇を感じ取った。他人事ではないのだ。ともあれ企画中止連絡と謝罪。

現在、私は視覚障がい5級の手帳申請中だが、この等級は左右の視力アンバランスがあるところを均した結果だ。網膜色素変性症は病状が急に悪化する時期があるが、普段は緩慢に進行する病いで、私は非遺伝性といわれていた。つまり網膜になんらかの環境的ストレスがかかっているのだ。時間が有限なのを感じる。だからなおさらに、今の活動を成功させたいと願っている。

豚汁企画継続は**さんの機転だろうか、窓口スタッフの女性の面々が豚汁販売企画を引き継いでくださった。感謝である。

豚汁を提供する企画は、3月5日のわいわい祭りの中のイベントで、ちょうどその日、スペアちがさきは、茅ヶ崎市民文化会館小ホールで映画「星の国から孫ふたり」を上映する。日程が重なっていたので参加していなかったのだが、企画中止となった今、目のかすみが残るかもしれないが、そちらの方のお手伝いもしようと思う。午後から会場への駐車場ガイド役を30分ほど行うことにした。母の体調がよければ、母に昼食から解放してもらい、午前中、わいわい祭りの手伝いをしようと思う。ただこれは、当日にならなければわからないことだらけだから、臨時飛び込みとなるだろう。

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やっと炭谷氏講演会(3/8夜)の参加勧誘巡回を再開できた。準備の日にちがないと、果たして満席にできるかなと不安になるのだ。

月曜日の巡回先は以下の通り。

茅ヶ崎市>茅ヶ崎市青少年相談室・梅田公民館(掲示)・茅ヶ崎保健福祉事務所保健予防課/生活福祉課・茅ヶ崎育成会(事務所移転>香川へ)

寒川町・藤沢市・平塚市>茅ヶ崎育成会(香川駅)・下宿屋さん・藤沢養護学校・平塚育成会(投函のみ)

茅ヶ崎の手をつなぐ育成会は、これが3度目。空振りするはずである。以前からの場所に作業所はあるが、奥の事務所自身が建物がなくなっており、仮事務所が香川に移転していたのだった。昨年の11月のことだという。行政も見知らぬ顔が増えているし、湘南あすなろ会の立て直し思案をしている間に、どんどん障がい者畑の状況が変わっている。問題はその変化の情報が流入せず途切れていることだ。

藤沢養護学校と第一藤沢ひまわりを回ろうとしたが、徒歩では時間が全く足らなかった。藤沢養護だけ、とりあえずまわった。藤沢養護ではポスターを貼っていただき、親御さんと支援団体に衆知して下さることになった。感謝。

平塚育成会は、ポストにチラシを入れて、翌日改めて説明にお邪魔する予定。

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茅ヶ崎養護では、午前中、地域生活支援者連絡会があった。私は参加しなかったが、そこでチラシを撒いてもらっていた。

巡回は明日に続く。

参加勧誘巡回を終えて、六会駅から中央林間駅へ。中央林間君の学習指導。外勤定年が重苦しい。

県図書館書籍更新は明日に。

良質のひらめ入手。母の食事用、煮付けに挑戦。鍋に落とす和紙がない、アルミホイルで代用。毛細管現象を利用できない分、仕上がりに気を使う。母、朝のダンピングなし、良好。


夜間傾聴:橋本2君(仮名)
     □□君(仮名)


(校正2回目済み)

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2/21 気は急くものの日曜日は過ぎていく

2011-02-24 11:03:50 | 引きこもり
2011/02/21 記
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県立図書館から借りていた書籍が火曜日で期限が切れるので、今日返しておかないとまずいことに気がついた。横浜駅西口の県サポまで持ち込めばいいのだが6冊あると重い。相模大野とのつながりの悪さが頭に浮かぶ。巡回前に返そうと準備していて気がついた。県サポは20日は休館日だった。紅葉坂は坂の往復を考えると二の足を踏む。詰め込んだ書籍の代わりに、元通りのビッグイシューメール販売買取り分を詰め込む。最近、その日その日対応になっていることに危うさを感じる。

炭谷氏講演会の参加者名簿を10名単位で管理できるように、iPhone表アプリを仕込んで試していた。無料アプリだったが、日本語対応していないのか、入力文字の頭に入力していない文字が混じり使い物にならない。日本語文字コードの違う文字化けではない。時間を取っていられないので削除、PCのエクセルの枠で管理することにした。現在2名、大丈夫なのかなと思う。大概数日前に流れ込んで、当日未登録者で会場が埋まるのが常なので、大きな心配はしていないが、炭谷氏の語りをわけわからん講演会とか、難しい講演会とレッテルを貼られることが心配。今回の対象が支援関係者中心なので、それでもそんな状態がある。PC版名簿は枠だけ完成。申し込みを待つ。

日曜日でも巡回できるところをと、仕事の巡回の合間に入れられる個人のところに、電話を入れる。しかし、いわゆる支援者の面々はどうしてこうも留守なのかと思う。忙しいのはわかるが固定電話で捕まったためしがない。大和と善行のふたりが捕まったので、勧誘。善行のひとりを捕まえ会うことに。案外小田急線沿線は個人付き合いが少ない。

我が家には、きな子という野良の通い老ネコが出入りしていた。2年前から姿を見せなくなっていたが、流行の犬のきな子よりもずっと前、1999年からのお付き合いだったが、今回の善行の御仁は、トラ猫のキナ子が欲しいと誘拐を企てた人物である。PSWには変な人物が多い。しかし長い付き合いとなった。

今日の巡回は相模大野と東林間だった。東林間君(仮名)とは付き合いが短い。せっかく互いに話せる状態となったのに、定年の壁である。先々の通学を前提にオンラインサポートをすることも駄目かと上司に掛け合ったが、ボランティアではないから駄目と断られた。私の上司は30代後半。私は年齢にこだわらないほうだが、単純営業センスで対応されるとムッとくる。(ビッグイシューは露骨だった。)爺ぃは扱いにくいと専任講師間で話したことは筒抜けで伝わってくる。進学校の余芸の限界、結局は社会活動として組まなくては、採算が合わない若者のサポートは無理だ。単純な居場所としてではなく、地域セイフティネットの中に居場所を入れ込んで作れないものかと考えるのだが、東林間君との付き合いには間に合わないことだ。

彼の御宅にお邪魔して、あと数回で訪問が終わることを告げる。彼には昨年末から言っておいたので、驚きは無いが今後の彼の学習サポートをどうするかという話は低調だった。他のサポート校を紹介できない規則が邪魔をしている。一般論のオブラートに包んで話す。彼の先輩の選択の例を話す。サポート校紹介の書籍を買って、東京と県下の部分コピーを彼に提供した。うちは貧乏だからなあと東林間君は自嘲する。それを言ったら雑巾飛田の家は廃墟・化け物屋敷である。

憂鬱さを抱いて、帰り道に善行の御仁と藤沢で会う。彼はイタリアのトリエステの来日横浜講演が満席で入れなかったと文句を言っていた輩なので、炭谷氏の講演には期待している。ただ二人目のお子さんが生まれるところなので、それ次第ということで、これまた不確定。ひとり目の娘さんは、私を爺ぃと呼んで、怒るのを待っている。そういう挑発遊びが大好き。親の性根がわかる。それでいて彼は施設職員なのだから。

彼が付き合うというので、食材の買物をする。やはり子どものいる家庭と爺婆の家庭では買うものが違う。菓子など顕著だ。母の好きな最中を買うと、彼の家ではあんこは駄目という具合。私には母から夕食はどうするのだと電話が入り、そのあとすぐに彼の携帯が鳴って、娘さんが帰ってこいと指令電話を入れていた。奥さんの操りの糸が見えるが、まあ生涯私にはすでに味わうことが無い縛りである。お互い白菜を抱えて別れた。

炭谷氏の講演資料を作る必要があるだろうか。当日の非予約参加者用に、参加票を入口で配り記入してもらう。アンケートにすると、回収が会の終了時になってしまうからだ。別にアンケートを作るかどうか。また速成の公開可能参加者名簿をその場で発行し、Q&Aの場に配布する。紐で首からさげる名札は**さんが準備することになっている。当日の掲示タイトルや会場案内表示用紙は、**さんに頼む。当日の講演資料をどうしようかと思案中なのだ。炭谷氏から事前にいただく資料は印刷する。プロジェクタを使うかどうかの確認も飛田である。当日の司会がまだ決まっていない。私は雑巾だから、**さんが適任と私は思っている。仕掛人が表に出るのは、よくない。

帰宅後、申込メール1通あり。

「買物代行」素読MLは第2章。夜間傾聴の直接会う必要がある話が発生しているが、緊急ではない。この子とは後日会うことを約束した。炭谷氏の著作読み返し再開。


夜間傾聴:橋本2君(仮名)
     □□君(仮名) 他


(校正2回目済み)
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2/20 茅ヶ崎市地域福祉活動交流会に参加し/仕事の定年引継ぎが始まる

2011-02-23 07:55:21 | 引きこもり
2011/02/20 記
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母が父の入所している老健からの電話を受けた。老健のお花見だという。行くからと返事したという。日程を聞いてほっとした。4月1日、中庭ではなくマイクロバスで近所に出かけるらしい。これは大ごとだとわかった。フロア別らしいが、入所者さんは数が多い。マイクロバスに車椅子が乗り降りするだけで、時間がかかるだろう。排泄だって、大人しくおむつの中にしてはくれまい。しかし、私に日程の空き確認しないで行くと返事してしまう、これはいつも困っている。

東京のテスト屋の打ち合わせに出て、メンバーの若返りが目に付いた。白髪頭はふたりだけ。下働きだからなのだが、知り合いがひとりだけになってしまった事が少々寂しい。今年は合格発表の付き添いも、相模大野の方の外勤も定年もあって、副業を固めておきたいと思っていたところだけに、このメンバー入れ替えは、木枯らしが吹き込んできたかのように感じる。

テスト屋のまわりは、ろくな飲食店が無いので、新宿に出た。いつもなら、神保町界隈の店に同業者と入るのだが、糖尿病と相手の退職で、今回はひとり和定食を食べて、小田急線に乗り込んだ。母から人形町の店の買物要請メールが来ていたが時間的に無理で拒否。日が落ちてから相模大野に出た。

外勤とは訪問指導のことだが、まだ受験に至らない段階の子を若手に引き継ぐ話があった。しかしそれは、私の担当している若者が軽度発達障がいか神経症を抱えるか、厳しい環境(崩壊寸前の家庭、進行中のいじめなど)にある若者を引き受けていたから、学生アルバイトには負担が大きすぎて、中途放棄が目に見えているから、上司に私の担当延長が認められないなら、若者に引導を渡したほうがいいと進言していた。地元の他サポート校を紹介したほうが実はいいのだが、認めなかった。

巡回は相模大野3君、駅前で会う。事情を説明して来月で指導打ち切りになると説明。通知が来ていたらしく、某フリースクールに移ることを考えているという話に、彼の顔を見た。いつかこの青年と再会できるかと瞬時考えたが、爺ぃと会っても得はないないかとセンチメンタリズムを断ち切った。来月上旬までのお付き合いとなる。

年度切換えの時期だなあと感じる。春期講習は今年は教室授業に戻る。一般の学力不振者のクラスだ。訪問巡回はJR相模原の塾の方は残るが、相模大野側は無くなる。ユニフォームスーツ・タイ着用と言っても、白髪染めして来いとは言うまい。

夜の小田急線は、藤沢で降りる気にならないので、なんとなく殺伐としている。時間が危ないのに湘南台駅で降りて食材の買物。路線バスで辻堂に出た。つながりが悪く、辻堂北口から01系統バスで帰宅。

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土日は職場が休みなので、炭谷氏講演会の参加要請巡回が滞る。個人メールにチラシ原版ファイル(pdf)を添付して送る。

途中から抜け出して東京に向かったのだが、13時から市の地域福祉活動交流会があって、地区社協・自治会関係者が茅ヶ崎市コミュニティホール6Fに集まったのだが、私がつけ焼刃印刷のチラシを持ち込もうとしたら、**さんが先に印刷配布して下さっていた。

講演会がどちらかというと支援者向けなので、この場が適当なのかはわからない。しかし百枚弱が入ったとしたら、意味合いは大きい。

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炭谷氏には、あと当日の段取りを連絡させていただくことで、当日になるかなと思っている。成功させたい。そう思う。

2011年3月8日の講演会チラシは、セブンイレブンのコピー機からネットプリント 36127286 で入手できる。!3が1枚。20円の有料で申し訳ないが、ご利用下さい。3月2日まで使えます。


夜間傾聴:中央林間君(仮名)


(校正1回目済み)

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2/19 炭谷氏講演会参加要請巡回進む/湘南あすなろ会緊急会合に

2011-02-22 11:43:35 | 引きこもり
2011/02/19 記
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耳の調子は回復したものの、目のかすみが依然残っている。階段縁の安全印が頼りとなるが、今回も危うく階段をふみはずすところだった。敷石の模様が階段縁と同じで、もう一段あるのと勘違いしたためだった。遠近感が片目では駄目になる。路線バスの支柱もつかみ損ねて冷や汗をかいた。

炭谷氏講演会への参加要請巡回を進めている。

決まった曜日が休みではない私にとって、土日は足枷でしかない。夕食に重いものを食べられない母の食事は、昼に重点がおかれる。自宅の昼食が必須となれば、食事係としては、13時台以前にでかけることができなくなる。平日でも17時までの4時間が実質の勝負となる。土日は行政、学校は勿論のこと、職場の休みに制約される。そのような事情もあって、金曜日は早めに回らねばならないところの参加要請にあてるようになる。もともとずぼらな私は、介護や不安定な青少年の巡回という要素を予定に組み込んでいる事情もあって、アポなしで相手の懐に飛び込むことが多くなる。予定は未定とばかり、かく乱されてしまうからだ。主婦の寄る辺無き一日に似ているところを感じるのは、介護・子育てという不安定要素が似ているからだろう。

今回は一部、複数回のところがある。それは企画会議参加要請の文でまわったり、一般向けチラシを配ったりしたためだ。少し時間をかけることが出来たのは、茅ヶ崎養護**先生と藤沢あおぞらで、サンシティ平塚さんは、時間切れぎりぎりのお願いになってしまった。もう一度、研修のときにお邪魔させてもらおうと思っている。いつも騒々しくてすみません。

茅ヶ崎市>市議会(面会3人、予定のあと4人とはすれ違い)・市商工会議所・ハローワーク藤沢茅ヶ崎出張所**氏・茅ヶ崎養護

平塚市・寒川町・藤沢市>寒川町議会(面会3人とも空振り)・町長室秘書さんと・喫茶「ともだち」(寒川)・藤沢あおぞら・サンシティ平塚

本業の巡回は土日に。

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18:30からは、緊急の湘南あすなろ会が開かれた。私の私信を間違えてMLに流して、会員を誹謗した問題だった。ひとつはMLで語られている事実経過を見逃して語っている事実誤認の部分、もうひとつは言い過ぎによる人権侵害の話が中心になった。

問題の出来事は、当事者間でしかわからない状況的なことが中心であって、実証は経過の合理性に委ねることになり、圧倒的な部分はその実証すら、相手が拒否したときは出来ないものであったこと。(言った言わないの泥仕合となる。)それを公にすることは、明らかな誤りであること。この件を私は認めた。話は継続論議となり、会員の信頼と団結を裏切るものとして、3月5日のわいわい祭りの豚汁提供イベントは中止となった。

痛みが走った。それを抱えていくこととなった。会員間、逃げ隠れはしまいと思っている。もともとそういう質の中に起こしてしまった問題だったからだ。

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ジャスコで買物をした。母は案の定、栄養を考えず菓子類で食事を済ませようとしていた。鍋は飽きたから持ち込んでも食べないという。祖母に似てきたように思う。祖母は栄養バランスを考えた最低限のものを毎回同じ献立で食べようとする習癖があった。食べ物は生きることの楽しみの重要な基盤を成すものだと、私は考えている。だからその機械的食事を突き崩す算段をしてきた。ところが娘はその栄養バランスも捨て去ろうとしている。食べたいものだけを食べる、面倒なものは食べないというやり方だった。医師からも栄養失調が指摘されていた。糖尿病の息子と、胃切除で栄誉失調の母との間にどのような食事が可能だというのだろうか。

目先を変えて、量や後からかけるソースなどで調整の効く献立を考えて出している。今回はそれに即席の条件が加わった。湘南あすなろ会の鬱屈した気持ちが献立を遮った。しかし私には心配する相手がいる。私が誹謗した相手にはその身寄りがない不平等がある。これは驕りだろうか。買物途中、私は立ち止まっていた。

今回、緊急性のない者の夜間傾聴は中止した。ノルマ的にしなくてはならない仕事と、必要書の最低限の読み進めをして一日を終えた。明日はテスト屋にいくことと、巡回1件と引継ぎ面談1件である。


夜間傾聴:□□君(仮名)


(校正2回目済み)

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2/18 学習訪問巡回の一日/空転の魔

2011-02-21 05:38:55 | 引きこもり
2011/02/18 記
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JR相模原方向の巡回を集中して行う。南大沢・橋本・南橋本をまわる。

しばらくサボっていた関係で、学習意欲が再び萎えている子もいて、約束の時間に出て来れないと言い出した子としばらく携帯で話をした。精神科の薬を飲むと脱力感が出る。萎えた気持ちと副作用とのループが出来上がると、なかなか抜け出せなくなる。彼もそれを知っているから、私の散歩の勧誘に気持ちを入れて外に出てきてくれた。こういうときは、それでいい。天気が悪いので気乗りしない彼を相模線で橋本まで連れ出した。彼の普段の散歩コースは、医療少年院の横を小山小に抜けていく殺風景な道。こんな気持ちのときに歩く道ではない。

行きつけの店でコーヒーを飲む。彼は紅茶にするのは胃のことからすれば賢い選択なのだろう。南橋本のソバ屋は彼を知っている者が出入りするというので入らなかったが、橋本にでても、彼は本屋には立ち寄らない。こういう細かさが彼の心身を自縛している。とくに頑張って話すのでもなく、しばらく雑談をして、彼は路線バスを使って帰って行った。5の日とかいう具合に定例化した方が、彼にはいいのかもしれない。

巡回はしゅっちゅう、こんな場面に出くわす。彼の言葉の裏に潜む意味を、場面を反芻しながら考える。そこが曖昧になっていると、次の子と付き合うことで、印象が消えてしまうのだ。

順が悪く、最後が南大沢駅前で終わった。私自身、昨日の失敗が尾を引いていた。橋本で糖尿病のことで、飲むのを控えていたホットミルクティを買い込んで、相模線の扉の脇の席に陣取ってゆっくりと飲んだ。一時間ほど休息が取れる。これが相模線のいいところだ。目を閉じて、閉じても激しく揺れ動く視野のちらつきを感じながら、出来事を反芻していた。今回は完全に寝るわけにはいかなかった。途中香川駅で降りて、炭谷氏講演会について、下宿屋さんに立ち寄るからだった。

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香川駅に降りる直前に携帯をチェックしたら、埼玉県のほっとポッドの情報が飛び込んでいた。湘南あすなろ会の新年度に講演会が出来ないかと1月前に、川越の知人を介して問い合わせをしていた。ソーシャルワーカーのプロ集団の活動だが、貧困と格差の広がりの最前線の相談活動と住宅仲介をしている。その急速な活動の成長に時代が見えるのだが、今となっては、講演会どころではなくなっていた。「あうん」の中村さん招待とともに、構想倒れになりそうだ。

香川駅から数分のところに下宿屋さんや、ブルーベリーのパン屋さんがある。資料を携えてお邪魔したのだが事務室は電気が消えて誰もおらず、また空振りに終わった。一階の工事がだいぶ進んでいる。新年度前に向けているのだろう。

駅に戻らず、矢畑経由の茅ヶ崎駅行きのバスに乗れそうなので香川駅入口バス停から、矢畑に出た。手をつなぐ育成会の事務所に立ち寄るつもりだった。バスは目の前を通り過ぎて行った。こうして育成会の訪問も時間切れとなった。バス停前のFujiスーパーで買物。2000年の交通事故以来、私は車やバイクに乗らなくなった。それ以来、こういう空転がやたらに増え、訪問効率が極端に悪くなった。保健所も時間外。結局、茅ヶ崎駅まで次のバスで移動し、駅ビルでパンを買って帰宅。悪酔いの朝のような気分で、山になって残っている洗濯物を洗って夕食の下準備をした。

相模大野の方が訪問活動(外勤)が定年になる。担当した子のレポートを月末までに出さなくてはならなかった。こういう追われているような気分のときは、必ずミスをする。予定表を見ると、テスト屋の季節労働(入試解答書ゴーストライター業)が既に入っており、その影に**子君の誕生日が明日と記入されていた。**子君は、外傷性の知的障害を持っている。小6のころから私の担当だった。つい最近も電話があった。今から考えると、この電話は誕生日のお知らせも入っていたのだなと気がついた。お祝いのメールを入れておこうと考えたが、日が変わる0時をまわってからかけようなどと、奇妙なことを考えるときは、ろくでもないときだ。時間が足らないというのに、夜間傾聴待機に入ってすぐ、私は沈没していた。空転は心身を蝕む。テキストエディタに「あ」の字を画面べったりと書き込んでいた。すぐに眠ってしまったらしい。母のトイレの音で眼が覚めた。3時20分過ぎ。

「『渦中』の心理学」を茅ヶ崎図書館に買わせることに成功、到着メールあり。浜田寿美男氏の著書は私と同時代を生きてきた匂いがする。明日、図書館に立ち寄ろうと思っている。

夜間傾聴:□□君(仮名・居眠りしていた、すまん。)


(校正2回目済み)


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2/17 個人誹謗を含む私信をMLに流してしまい/炭谷氏講演会打ち合わせをしました

2011-02-20 16:54:07 | 引きこもり
2011/02/17 記
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用事を済ませて夜間傾聴待機に入る前に、iPhoneからWeb Mailを使って、メールの返信を書いていた。ところが操作を誤って、私信をメーリングリストに載せてしまった。個人の誹謗を含む内容だったので、取り返しのつかない事態になってしまった。送信を取り消すことも出来ず、その影響の論議と謝罪をすぐにおこなわなければならない事態となった。基本線は今でも誤ったことは言っていないと思っているが、出来事の事実誤認を含んでいた。ここはお詫びしなくてはならないところだ。しかし、ひとがいがみあうような操作はしてはならない。言った言わないは泥仕合になる。だから判断がつくところに限定した話になることは必至だった。すでに操作的な言葉によって、いろいろな取り返しのつかない問題が昨年は複数発生していた。そのことは、はっきりする必要があったが、突然、私の送信ミスによって、その場がやってくることになってしまった。

しかし、それとは別に、私信送信先の方にも迷惑をかけてしまった。重ねてお詫びします。

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炭谷氏の講演会の打ち合わせを夜に開いた。茅ヶ崎サポセンが定休日なので、女性センターのロビーを使用することに。

話の中心は、一般配布用のチラシ文面確認と、配布の手分け。日程が迫っているので、修正部分はメール添付で修正版ファイルを送ることに。問題は炭谷氏の講演がタイムリーなものであることに、どれほどの関係者が気付いてくださるかということ。社会的企業一般は、語られてからすでに十数年経っている。就労継続支援A型(労働協約締結と賃金支払い)への施設業務転換を進めて、困難な経営の壁にぶつかっている施設関係者や、コミュニティスペース設立を目指すが、資金繰りに躊躇している方、長期化する緊縮財政下の福祉行政の様々な課題への解決へのヒント模索をされている行政関係者など、従来の個人原資と助成金だけでは見通しが立たない中の提案であるだけに、ソーシャルファームの事例は、大きなヒントになると思っている。

参加要請巡回を進めていくと、たしかに当たりが違うのがわかるが、では当日参加してくださるのかどうか、その応答が闇の中に消えてしまうのだった。予測がつかない怖さを私はさんざん味わってきた。それだけに、的確なところに情報を届けていく必要があった。一般市民参加を呼びかけるのとは調子が違う関係者&組織重点の会合だけに、時間的ゆとりを持って情報提供しなくてはならなかった。

ソーシャルファームは、ソーシャルカンパニーの一部だが、事情を抱え就労困難な方の状況打開がとり組みの目的にあるので、単純に、より高収入の仕事で市場競争を頑張るというものではない。背後にはソーシャルインクルージョン(社会的包摂)という、社会への絆の取り直しの意味合いが込められている。そこを社会的ニーズに応じて仕事を作るという原動力を得ることで、仕事の価値観を上げ、健常者との協働を普通のこととして目指していく。

だからA型の障がい者のための就労の場作りよりも幅が広い。助成金の条件とは、はずれていく。そういう難しさがあるが、法改正や弾力運用によって転換可能なものとなっていくだろう。

自前の仕事作りというと、当事者家族はそこに世間の荒波と資本の限界を感じてしまう。ところが生涯を貫いて、社会参加的地域就労は彼の知人を増やすこと、知り合いの中に生きることにつながっている。企業就労と様相が違うのは、この辺にある。退職後、人間関係が切れてしまう欠陥を補っているのだ。親亡き後の障がい者の活動と生活保障へとつながっていく道でもあるのだ。

こういう可能性を秘め、地域起業「ソーシャルファーム」は提言されているが、日本では未成熟のために「ソーシャルカンパニー」と区別無く使われている段階にある。このための混乱があるが、やはり一部分は一部分なのである。

勧誘をどうするか、結局知人口コミが頼りとなるのだが、巡回するときの明快な内容説明のひとことが難しい。

ともあれ一般配布用チラシを完成し、添付ファイルで打ち合わせ参加者に送った。

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平塚・茅ヶ崎の特別支援校をまわり、進路担当の先生方に炭谷氏講演会のお知らせを伝えてきた。平塚は、駅からバスでかなり乗った先にあって、次の学校にまわるためには、放射状の扇の要に戻る必要があった。駅から離れているところばかりなので、予想以上に時間がかかり、藤沢側は回りきれなかった。

茅ヶ崎養護学校が最後になった。こちらは16時台に職員会議があり、面会は無理と思っていた。事務員の方に資料を取り次いでもらうことで済ませるつもりでいた。ところが先生方は会議を終えていた。急遽お願いして面会させてもらった。未完成バージョンではあったが、巡回に日にちが足らなかった。お願いした**先生ではなく、手が空かないということで++先生と話すことになった。++先生とも別個に話す必要があったので問題は無かったのだが、学校を出る玄関前で仕事を終えた**先生と出会うことになり、申し訳ないがご挨拶のみで帰らせてもらった。この後、茅ヶ崎の手をつなぐ育成会に移動する予定をたてていた関係でバスの時間が迫っていたからだった。

そのバスに乗り遅れ、手をつなぐ育成会の事務所まで歩くことになった。時間はどんどん過ぎて行き、到着したとき目的の方は、帰宅していた。敗北感のようなものを抱えて茅ヶ崎の駅前に戻った。

今回は3校。郵便配布の空転を思うと巡回CMは、やりきりたかった。仕事の巡回を日送りしての説明巡回なので、空転はしたくなかった。

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目のかすみはまだ完全に復調していなかった。夕闇の空は墨を流した模様のようなちらつきが渦巻いていた。耳の調子が戻ったことをありがたいと思った。

一日中、孤食を強いられたと母がむくれている。両手を合わせ、後ずさりして自室に飛び込んだ。


夜間傾聴:中央林間君(仮名)


(校正2回目済み)

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2/16 夜間傾聴と隣人トラブル/炭谷氏講演会招待巡回/視覚障害者手帳申請

2011-02-20 06:07:43 | 引きこもり
2011/02/16 記
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乳幼児は親の体調が悪いと、自分も体調を崩したかのように泣いたり、ぐずって不機嫌になる。無意識に親の調子に波長を合わせているのがわかる。親にしてみれば、泣きっ面に蜂のように思えるときである。ところがこれが大人でもおきる。私の目と耳が不調だった昨夜、母はずっと不機嫌でいたが、早朝、ダンピングを起こして、激しく咳き込んだ。嘔吐物はほとんどない。親子ふたりの生活は、依存性がたかまるのかなとも思う。

我が家は昔、林の中にあった。それが今は分譲住宅がひしめいている。トイレの隣3m先は隣の家のシャッター雨戸付きサッシだ。だから深夜早朝の母の嘔吐、咳き込みは、皆先方に聞こえている。家を建てるとき、業者にトイレとの距離をとるように要請していた。「そこは駐車場になる」と聞いていたが、口約束は反故になり、金網を挟んで3mほどの距離しかない。住宅購入者にここがトイレであることを告げ、排泄音まで聞こえるのは困ると申し入れをしてあった。若い方なので、気にする風も無く、ただシャッター雨戸を設置しただけだった。笑い話ではないが、入居当初、私の屁をブザーと間違えて、奥さんが返事をして玄関を開けていた。いつしか、悪いのは不動産屋という話になってしまっていた。

これが深夜、早朝の母の嘔吐、咳き込みである。申し入れがしてあったので、さすがに苦情を言ってはこないが、時にはシャッターが再度閉められる。私が夜間傾聴を終えるのが朝5時か6時だ。その後、寝る前にトイレに行く。すると母が目覚めて、後を追うようにトイレに行く。隣人にしてみれば、騒々しい家なのだ。不動産屋の無神経さなのだが、もう5年も経てば時期を逸しているというものなのだ。

最近は、不安定で生死の淵を彷徨う新規の青年の傾聴が減ったので、専用携帯と交換電池を持って、空き地に深夜でかけることは無くなってきたが、それでも反則で我が家の電話に直接電話してくる者がいる。夜間はモジュラージャックをはずしておくことにしたので、電話が鳴ることはなくなった。FAX専用の方は無音にセットした。それでもFAXの紙が送られる音がうるさいらしく、玄関側の別の隣人が抗議の足踏みを返してくる。やむを得ずFAXを買い換えてどうやら治まっている。ただ門をあけて私が深夜外出するとき、この方は私と同じく昼夜逆転生活をされているが、明かりのついた、窓が音をたてて閉じられる。朝4時台である。

市内の方の傾聴は、個人的な紹介による方がたまにいらっしゃるが、今の人たちは、相模原市・大和市・座間市・大田区・品川区・目黒区の方たちだ。以前は町田市の方がいらしたが、今はこの6つの地域に限られている。だから救急の事態が起きても、駆けつけることはなくなり、もっぱらオンライン上のやりとりとなっている。それでも声を潜めていられない状態のときがある。そのとき、空き地に移動するのだが、隣人にしてみれば、何をしているのか公表していないので、まさに変態(昔風には変人)なのである。母とて異常な時間帯に出て行くので、不安を隠さない。止めて欲しいと懇願されて20余年が経つ。

母の嘔吐の時の背中を撫でるとき、傾聴の申込メールが届かないことを祈る。私は複数の仕事をそのとき行っている。採点やレポートを書いたり、メールの返信や、ブログの記事を書いていたり、季節労働(テスト屋)をしたり、時間が寸断されない貴重な時間を読書に充てている。傾聴待機時間を無駄にしないで使っているのだ。だから母が起きてきても平気なのだが、この生活も3月いっぱいで、傾聴人数が半減し、転機を迎える。外勤屋の定年である。JR相模原の塾の方はそのままだが、緊急性が減ってきているので、いのちの電話に転身をと考えたこともあった。少し長めにみれば、片目状態で両親の介護や、実際見送りまで起こる。ビッグイシュー以降の資源ゴミ契約回収PJ立ち上げがあれば、人間関係のトラブルだらけになる。学習カウンセリングと言っているが実質は、誰も守ってくれない薄暮の危険な時間のための傾聴カウンセリングである。これを拡張するのは、私の活かし方なのだろうかと考えてしまった。結果は就労支援の方に力点を移すべきだろうという結論になった。体力が続く限り、夜間傾聴は続ける。しかし、就労支援の分野の側も、フリーランサーの門外漢が動ける範囲は狭い。親方日の丸の大紋(組織)に属さないからこそできる支援があるのか、今もそれを問い続けている。

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やはりアレルギーだったのだろうか、視力が落ち、ちらつきが以前より増えたように思うが、目のかすみはとりあえず治まった。耳も右耳の圧迫感は残っているが、左側は若干のしびれを残して耳道は通ったようだ。風邪の引きはじめではないかと母に指摘されて、なるほどとも思っている。体調の件で目や耳の異常を上司に連絡し、私の巡回の量を減らしている旨を伝えてある。しかし職場のだれひとりとして、「網膜色素変性症」の症状どころか名前も知らない。大概は白内障と間違えている。瞳ににごりがないことを不思議に思っている。にごりがないので、見えるんじゃないのと疑る者もいる。オブラート越し、ポリ袋越しに外界を見ているような感じなのだと説明すると、一応納得してくれる。

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体調が回復してきたので、眼科医の診断書を携えて茅ヶ崎市障害福祉課に行った。顔見知りの職員さんも今回のことに面食らっていた。

視覚障がいは6等級に分かれている。私は5級の申請となっている。めがねを新調したいのだと説明した。遮光眼鏡は装具扱いとなって、上限3万2千円の割引が入る。しかしそれには、手帳取得が必要で、書類通過後、3月末の説明会に出席して始めて手帳が交付される。めがねはその後まで、待たされることになった。眼科検査の診断書の有効期限が3ヶ月。手帳交付はぎりぎりである。役所仕事はどうしてこうも遅いのかと思う。

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炭谷氏の講演会の話に移る。旧年の講演会の話になったとき、明学大の八木原律子先生の名前に驚いた風だったので、先方に問うと、学生時代の恩師だという。いい人と出会ったねえと私がいうと、いろいろ企画の方も関心を示してくれた。今回は、企業就労の話ではなく、地域の仕事作りの枠組みの話だと説明。もうひとつの就労の道と説明すると主旨を納得してくれた。障害福祉課を通じて市の後援話を**さんがまとめている。だから私は援護射撃ということになる。

今回は以下のところをまわった。市社協からは後援をいただいた。

茅ヶ崎市>障害福祉課・生活支援課・雇用労働課(2回目資料提供)・市社協・とれいん・元町の家
寒川町・藤沢市>議会事務局(議員ポスト)・下宿屋さん


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母に野菜粥を作る。洋ナシの季節ではないので、缶詰を利用。アボガドも使った。もくろみ成功。完食。

書籍入手>「NPO&企業 協働の10年 これまで・これから」

夜間傾聴:東林間君(仮名)


(校正2回目済み)

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2/15 慈恵医大の眼科検査を受けて

2011-02-20 03:11:04 | 引きこもり
2011/02/15 記
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右目の曇りガラスの視野の隙間から外界が見えている。わずかだがこれが両眼視のとき案外役に立つのだが、今回は左右両眼ともかすみがかかっており、この隙間もかすんで役にしない。ただ昨日から左眼のかすみがだいぶ晴れた。思い切って午前中、炭谷氏講演会のお知らせを持って、茅ヶ崎駅周辺の参加要請巡回に出かけた。透明ガラス越しに砂埃りを浴びた後、そのガラス越しに太陽を見ると、ただまぶしいだけではなく、視野の太陽側の砂埃りが輝いて外界が見えなくなってしまうように感じる。ガラスをはずしてみれば、砂埃りなどないので、汚れたガラスが影響を及ぼしていることがわかる。一般に「ハレーション」という現象だ。これが裸眼でも見える。ガラスのような役割をしているのが網膜で、目に飛び込む直射日光がハレーションを起こす。手を目の周りにかざし直射日光を遮ると、ハレーションが消える。手のような働きをするレンズの仕掛けがある眼鏡が遮光眼鏡だ。

今回の慈恵医大眼科は、めがねを作るに当たって、そのハレーションを度数化して遮光ガラスの色調と濃さを決める。だから検査前は、目に負担がかかることを避けて巡回しておきたかった。

「ソーシャルファーム」の合時代性や、講演の対象を説明しながら、以下のところをまわった、

茅ヶ崎市>かながわ生協某店舗(再)・雇用労働課・雇用労働課勤労市民会館ハローワーク関係者・市議・市社協・生活クラブ生協湘南事務局

市社協には、企画後援を依頼申請をした。今回は市内のみ。

ぐるりまわって、立ち食いソバで昼食を誤魔化し、横浜で途中下車。県サポに県の図書更新を行って、武蔵小杉経由で目黒へ。目黒から三田線で御成門に出た。

検査を受ける前に、市障害福祉課からもらった視角障がい者手帳申請書の用紙を眼科窓口に出した。診断書を書いてもらうのだ。検査時には、目にかすみがかかっていることを伝えた。

検査は細かかった。病院契約の眼鏡店と相談して検眼が終わった。視角障がい5級と診断された。診断書だけ来週に取りに行くのは嫌だと主張したところ、手が空いている他の医師がその場で診断書を仕上げてくれた。

夕空は時雨れていた。落ち込む気持ちを払拭するために早足で、地下鉄に飛び込んだ。明日、診断書を持って、市の障害福祉課に行く。炭谷氏の資料も持ち込むので、なんとなく違和感。

今回は診断は受けられなかったので、点眼薬を請求できなかったが、目のかすみはアレルギーではないかと検査中問うと、少し目が赤いですと眼科検査員(OMA)さんの話を聞いたので、病院帰りというのに薬局で市販のアレルギー点眼薬を買って点した。

耳詰まりの方は相変わらずで、以前の突発性難聴のときとは感じの違う耳鳴りが続いていた。薬局にあった血圧計でも正常値なので、翌日耳鼻咽喉科に行こうということにした。電車の騒音の中、音量が低く話し方が不明瞭なアナウンスは、音があることがわかるという程度で、声としては全く聞こえなかった。

さすがに家に直行したが、点眼薬が効いたようで、目のかすみはだいぶ晴れてきた。遅れていたデータチェックと、個人メールの返信をして、久しぶりにPCを消した。


夜間傾聴:休み(橋本2君は明日に)


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2/14 かすみの中の授業

2011-02-18 13:34:16 | 引きこもり
2011/02/14 記
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小青龍湯は少し耳の方に効いたような気がする。左耳の詰まりはだいぶ軽くなった。右耳も蓋をした状態からは脱することが出来たが、左眼のかすみは残っているが異物感は無くなった。明日は考えてみれば慈恵医大の眼鏡作りを前提とした検査の予約が入っていた。地元の耳鼻咽喉科で時間を取ると遅刻する可能性があった。県サポに書籍更新で立ち寄らねばならないこともあって、異常が続けば慈恵医大の耳鼻咽喉科に見てもらうことで、地元医の受診は断念した。

つながり具合にもよるが、経路検索では、横浜途中下車後、東横線で武蔵小杉、目黒、御成門と回り込めば、予約に間に合うのだった。

公立高校の入試が近づいて、中3の個人指導が集中して行われており、手薄になった授業の代講が2コマ、巡回外に入っていた。目のかすみは、巡回のノート指導型よりも、離れて板書して話す授業の方がむしろいいだろうと判断した。朝から、今日の巡回予約者に電話し、受験生以外は日程を変更させてもらった。しかし、ひとりは巡回しなければならなかった。

今回は相模大野側だけなので、移動が楽ではあった。風邪の場合は内規で、この時期、通勤してはいけないことになっていたが、発熱もくしゃみもないので、上司に確認を取って出かけることにした。今日頑張っておかないと、炭谷氏の講演会の参加要請巡回が入り込んでくる。そんなつもりで出かけたものの、人にぶつかる、机の角にぶつかる、バスの行き先表示が読めないと散々だった。

授業は人数が少ないので、昔の私の塾のように途中質問が飛んでもかまわないやり方だったが、これは他の講師の顰蹙をかっていた。今回は欠席が多く、話は過去の先輩達がこの時期何を考えていたかをエピソードまじりで話していた。月謝泥棒と言われない範囲ではあったが。

帰りは早めに引き上げさせてもらった。

授業の前に東林間の巡回をしていた。ひととぶつかったのは、この駅の改札だったが、遠近感が鈍くなっているのを感じさせられた。茅ヶ崎市役所の反対側の桜並木のように、枝が低いところにある場合などは、枝が顔に触れる寸前になって気がつくという具合で冷や汗をかく。視野の中央部が見えないからなおさらだ。

外食をせずに、とにかく帰宅した。悪化した状態で明日の検査を受けたくなかった。

県から借りてきた炭谷氏の著書、「実学ゼミ」を開いてがっかり。共著で,そのひとつの章を炭谷氏が担当されていた。ダイジェスト風で面白くなかった。片目読書には、ちょうどいい量だったのだが。((「実学ゼミ 地球環境問題の「新常識」第5章」)


夜間傾聴:□□君(仮名)


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2/13 体調悪化

2011-02-18 04:55:59 | 引きこもり
2011/02/13 記
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左眼が急にかすんで困っている。昨夜の採点がたたっているのはわかるが、目の異物感がたまらない。風邪気味だったのでピリン系の風邪薬を飲んだ結果、目が乾いてしまい、両耳とも栓をしたように詰まって、高い音が聞こえなくなった。とにかく血栓予防に水を飲んだ。私は血圧は正常値の下の方だったから、高血圧の可能性は低い。連休が邪魔をして、救急外来に行くべきか悩んだ。耳鳴りは10年ほど前に、極限的な状態で突発性難聴を起こした経験があるので、今回は様子が少し違っているのがわかる。しかし左眼のみの実質片目になった、その悪い右側の耳のつまりがひどく、完全に蓋をしたようだった。地元の耳鼻咽喉科を調べたところ、土曜日午後も、診療していることがわかった。

私の目の方は強度の近視なので、風呂場の湯気の中にいるような状態はある意味、慣れていた。ただ異物感はいただけなかった。涙液点眼薬で両目を洗って、少しよくなったので、市内の耳鼻咽喉科に行った。診察は呆気なかった。右耳奥に綿状のゴミが付着していたので取り去った。これですっきり聞こえるようになったろうと医師に問われた。実は全く状態は変わらなかった。耳はきれいだという。内圧差が詰まり感を作っているのだという。鼻からエアノズルを差し込んで圧搾空気を吹き込んだ。ところがこれでも症状は全く変わらなかった。あきらめて、いわゆる突発性難聴ではないという診断を受けたと私は解釈した。放置して大丈夫かという私の問いに、しばらく様子を見てくださいと、医師の指示を得た。

JADEC 大会は諦めた。当日参加の形にとめておいてよかったのだ。そのまま家に帰らず、コーヒー店に入って眼を閉じた。バッグの中に、母からもらったツムラの19番、小青龍湯があった。風邪の鼻水にも効くから治るかもしれないと飲んで、しばらく休んでいた。目にはレスキュラ点眼薬を点した。一日2回の処方だが、今日始めてだったから点す時間でもあったのだ。

突然肩を叩く者がいた。店のマスターだった。居眠りは困りますという。病気で薬を飲んで、効くのを待っているので、治ったらすぐに店を出ますからと伝え、了解をもらったが、入って15分ほどで居心地の悪さを感じて店を出た。

眼のかすみはまだ残っていたが、異物感は和らいだ。耳詰まりは相変わらずだが蓋はとれた。糖尿病には悪いが暖かいものを食べれば、耳の状態が変わるかもしれないと、ラーメンを食べた。蒸気のせいか眼の調子がよくなり、目のかすみ以外は異物感がなくなった。なんともポンコツである。母に状況を連絡して買物を諦めてバスで家に戻った。

父の宗教仲間のふたりが、父の入所している老健を訪ねてくれたらしく、その話を母が電話しながら、何かを飲んでいる音を聞いていたが、私は部屋に毛布を出して横になった。

眼が覚めたら外はすっかり暮れていた…どころではない20時になろうとしていた。
母が夕食の手抜きをするつもりでカレーのパックをいじっていた。私は洗面所では、床に置いた粉石けんの箱を蹴飛ばすは、厨房では、床に落ちた雑巾が見えない状態が続いていた。

体調に抵抗するのはやめて、診察が再開する月曜日が来るのを待つことにした。

明け方、母、嘔吐。介助せず。



夜間傾聴:休み(□□君、すまん)

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2/12 JADEC大会参加を断念し/炭谷氏の社会的企業の講演会準備のために

2011-02-18 03:49:02 | 引きこもり
2011/02/12 記
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第三回のJADECフリースクール全国大会が国立オリンピック記念青少年会館で開かれていた。相模大野に立ち寄ってその足で参宮橋まで出かける予定でいた。相模大野で面談済ませたところで、母から連絡が入った。父の宗教の信者さんが家に来ており、父の老健に同行して欲しいといわれて困っているという。母に相模大野にいる旨を話すが、苦手な相手だからと帰宅を促された。昨日の炭谷氏講演会参加要請の説明を求め事務所に来て欲しいという電話もあって、JADEC行は見事につぶれてしまった。

ともあれ帰宅。一時間半ほどかかるというのに、信者さんたちは母と茶の間で雑談していた。普通の勤務をしていたら、こんな呼び出しはありえない。介護と不規則勤務が日常化しているから、平気で呼び出すのだ。父のとき、食事やデイサービスの帰りの待機のために相模大野、JR相模原を仕事を中断して往復していたことを思い出した。その名残りが今も続いている。

なんのことはない、ふたつの行き方、今回の路線バスを使う行き方、車で行く行き方の両方を説明したり、父以外の方に食物の差し入れをしてはいけないという話や、父の近況を聞いて、満足して彼らは出て行った。こんな話は携帯で出来る。母が説明できなかっただけの話だ。少々腹が立ったが、せっかく茅ヶ崎に戻ってきたのだからと、ファイルを要請されていた生活クラブ生協の事務所に向かった。チラシを入れてくれるという。連休明けにチラシの文書ファイルを送ってくれれば大丈夫という話だった。感謝して約束してお暇した。

時間が中途半端だったので下宿屋さんに連絡を入れたが、やはり**さんはお休み中。休日なのでYMCA関係も駄目。では労働会館に資料をと思い立ち、ポストしてきた。会館を出たところで、目の前のバス停に茅ヶ崎駅行きのバスが来てしまったので、オアシスは訪問中止。自宅に直帰。

腹が立っても仕方がない。あきらめて一般向けのチラシのサンプルを書き始める。今回のチラシは2つのタイトルが成り立っている。ひとつは従来の案と、もうひとつは前回の打ち合わせのときに、より易しいタイトルをということで決めたものだった。ところが前者しか講演者確認を取っていないので、ここの調整に時間がかかっていた。

また、具体的な話の方がイメージしやすいということから、北海道・浦河べてるの家と、愛媛県愛南町のハートinハートなんぐん市場を取り上げた。

●「浦河べてるの家」

ハートinハートなんぐん市場

問題は「ソーシャルファーム」の「ファーム」が「farm(農場)」ではなく「firm(企業)」であることだった。「ソーシャルファーム」は「社会的企業」であって「社会的農場」ではない。間違えるとイメージが「農業活動」かと勘違いされるということがあった。ところが「社会的企業」というと、この言葉は一般には通じないということになってしまう。

こういう中途半端な状態にタイトルは2案。ひとつは易しいタイトル、もうひとつは確認済みのタイトル改良案。炭谷氏に易しいタイトルの確認をお願いした。

しかしそうもしていられないので、「(仮称)」と明記。企画協力してくれる関係者説得巡回を始めている。手渡すとき、タイトル検討中の説明を加えておく。

この巡回は時間との戦いとなる。8日までの日数のこともあるが、本業の引きこもり青年の巡回や夜間傾聴を続けると、起床10時は睡眠時間4時間ぎりぎり。母のダンピング対策と孤食批判をかわすための昼食を済ませると出発は13時半頃に、なってしまう。ところが行政をはじめ、企業関係は17時に業務を終えてしまう。だから3時間半の間に効率よく巡回しなくてはならない。移動時間を引くと全く時間が足らないことになってしまう。個人に個別に終業後会うことも、本業の巡回は夜の時間帯が多いから、会う時間を作る事が難しい。この意味で、8日は「時間との戦い」なのだ。だから母の呼び出しは、正直言って迷惑なのだが放置すると、母のめまいとダンピング・嘔吐の原因になりかねないのだった。

この手の巡回はまず意思表示をしてくれない。即答を求めることは無理だが、今までの例なら、当日まで意思表示しないまま、参加・不参加の態度選択で意思表示とする。だから予測が出来ないのだ。このために数回巡回し直しをするので、純回数が数倍に膨らんでいく。妙案はないものかと思う。

炭谷氏の講演の魅力は、ぴたり整理されていてわかりやすいこと。第二に話の懐が深いこと。ところが全国レベルで語って来た方なので、パノラマを見せられているような感じがあって、主催者として焦点化が難しいことがある。「仕事作り」と言ったとき、今、ハンデを持った方の就労が困難な時代に、企業就労とは違う自前の職場を立てるという事が、そのひとの資本と熱意つまり当事者の営業資金作りと解決能力に切り詰めて発想されかねない。そこを打ち破っていくのが「社会的企業」の「社会的」の部分、「社会的ニーズ」に応えるという役割を負うことだ。これがないとベンチャー企業の起業と同じことになってしまう。

話はややこしい。企業の仕事というものは、市場を相手にしており、その意味で業務自身が社会的役割を持っている。消費者金融とて、銀行などの貸し渋りなどがあって、資金繰りに困った方の支援をしたいとか、銀行キャッシングの上限の不足分を代行して、消費による生活の可能性を拡げるというような意義付けが出来る。そうなれば、すべての営業活動は社会的企業となってしまう。

社会活動の側に立って考えると、ふたつの意味合いが出てくる。ひとつはハンデを持った方の就労を通した収入の確保と社会参加の意味合い。もうひとつは、市民活動の内発的な活動領域の拡張要求、特に公共圏への拡張と、個々の領域の解決力の獲得要求がある。ところがこれは、市民活動のプロ化と単純化すると過つ。なぜなら社会活動は自然発生的な裾野を持っているが、これを高いハードルによって切り捨てることは誤りだからだ。そうではなく、高い質と展開力を持った社会活動も登場する時代に入ったということだ。

これを持って、社会活動は市場競争による収益力を持たねばならぬと言ったとき、無償でも私はそれを支援するというボランティアの精神を食いつぶすことにはならない。ましてや稼ぐことを目的に、思いつきを基礎に市場に打って出るという活動を「ハンデを持った方」にさせることを社会的企業と呼ぶのではない。健常者とともに協働すること、そのことによってより営業活動を安定化させることが忘れてられては、ならない。

みんなでやる。しかしそれは仕事を見つけることが出来ないでいる方に生活の支え(収益)と社会との結びつき強化を目的とするという、意識的偏りを持った活動であることを忘れてはならないだろう。それ自身が社会的課題の解決でありながら、社会的課題の解決を仕事とする活動、それをデザインしていく。障がい者「のため」ではなく、「とともに」をデザインする。「ソーシャルインクルージョン」のことである。

しかしこれをどう説明したらいいのだろう。炭谷氏の講演環境を整える導入のことである。悩みは大きい。なぜ炭谷氏を招待したのか、それを直感的に伝えることの難しさだ。

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夜間傾聴:中央林間君(仮名)


(校正1回目済み)

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2/11 母の体調の周期/茅ヶ崎市障害福祉課に炭谷氏講演の紹介を

2011-02-16 06:28:01 | 引きこもり
2011/02/11 記
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母のダンピングが再開。しかし前のようにひどくはならない。本人は薬の効果が出てきたと喜んでいたところなので、気持ちが萎えているのがわかる。午前2時。我が家にとっては寝入りばな、私にとっては待機中である。

ひどいときには、トイレで連夜嘔吐。隣人宅のシャッターが閉まるという状態が続いた。ところがここ数日は、突然逆流がおきて、ベッド上で上半身を起こして座った状態でいれば、咳き込むことはあってもトイレに駆け込むことはなくなった。めまいは、相変わらずだ。地元眼科医が母にリフトアップ手術を勧め始めた。母は胃切除後15kg痩せた。全体にふたまわり縮んだ。身長も3cm以上縮んだという。このため、顔の皺が深くなり。瞼が下がって視界を維持するために疲れが出てそれがストレスにつながっていくという。これは以前ボトックス手術をやった理由なのだが、結果瞼が閉じなくなり、両眼の瞼が痛んで寝込んでしまった。それを今度は瞼のリフトアップ手術で繰返そうとしているように思えてならない。ボツリヌス菌毒素の注入のような悪いものがはいらないから大丈夫と信じきっている。手がなくなってきた証拠のように思えてならない。

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相模大野巡回のあと、伊勢丹で食事中、北里東病院の母が手術中入院していた病棟の看護師さんが、隣の席に入ってきたのに気がついた。視線が合ったとき、先方から声がかかった。2年前なのに覚えていた。ひとりは全く知らない方。ダンピングの話をすると、全摘の方の多くは通院して薬をもらっているという。母は3分の2を摘出している。そのほうが良好なのだという。通院を勧められてしまった。その消化器外科から後遺症ではないと断られ、結局、神経内科から移ることが出来ないでいることを言い出せなかった。

この話を母にすると意外な顔をした。気持ちの通じない看護師さんだったのにという。職場の勤務環境はある程度知っている者でないと、わからないものだと母にいう。この件で母にとって北里東病院の株(印象)はだいぶあがったようだ。

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巡回後、急いで茅ヶ崎に戻った。行政関係は窓口業務17時までという縛りがあるが、企画紹介の話などは多少のクッションがある。しかし、午前中が昼夜逆転できつい私にとっては、慌しい。

今回は障害福祉課に行き、公私両方の用件を足してきた。私を担当した若手の**さんは私と話すのは初めてだった。面食らったらしい。用件は視覚障害の手帳取得申請用紙をもらったことと、終了後、炭谷氏講演会への課の取り組み依頼だ。市の後援については、NPOサポートちがさきから別ルートで申請していた。

今回の企画は、企業就労を目指すいわゆる一般就労へ近づこうという方法、法定雇用率を盾に障がい者雇用を進めるという、手帳取得者の本道の流れ。一般の職場への雇用と同時に、特例子会社などへの就労を行う道。もうひとつは従来の授産施設や小規模作業所への就労。福祉的就労の道。就労継続支援A型(雇用契約を結び賃金を支払う形)最低賃金を越えることが難しいどころか、労働時間も短いが月1万円台という場合が多く、むしろ通勤し日中活動として仕事をするという居場所的性格が強い。炭谷氏が提唱するのは、「仕事作り」の道。「一般的就労と福祉的就労の狭間」に位置する就労の形だ。ここには篤志家の原資と助成金という資金縛りがあってなかなか実現が難しく、製造業・販売店舗・清掃派遣業が多い。それを社会的企業と健常者との協働の形で出発させたり、従来の枠を越えて行こうとする特徴がある。

市民活動にも、解決力の強化と公共部門への進出によるコミュニティ形成という方向で企業的手法を導入する動きがある。「コミュニティビジネス」とか「ソーシャルカンパニー」という社会的企業の志向だ。これは市民自治の発想につながっていくが、企業の公共部門進出、行政の外注獲得と区別が曖昧という問題がある。そこは利益分配のところが違っているのだが、基本的には職種は問わす純益をあげることが目的になっている。

炭谷氏の提唱する「ソーシャルファーム」の動きは、心身にハンデを持っていたり、社会的不利な立場に置かれた者の生活と社会参加を就労の道から実現しようという目的があり、「ソーシャルカンパニー」の一部分を成している。運営資金を単純に個人出資や助成金に依存するのではなく、社会的ニーズに応えることに主眼を置くことによってエンジンを得る、市場参加一般ではなく社会の側の必要性を引き込んでいく傾向が強い。それによって行政や企業との第三セクタを作っていったり委託を受ける法人を作っていく動きもある。もうひとつは健常者との協働のこと。障がい者企業を作るのではなく、協働の企業を作っていく志向がある。協業の形、職種、労働形態の吟味によって、事情を持った方の働きやすい形を作っていくために、健常者との協働によって運営を安定させていく。勿論、本来の就労の形に近づくという意味合いである。収益性は市場という大博打に賭けるという発想ではなく、公共のニーズという市場によってガードをつけていくという下地を意識している。行政や社会にとっては、事情のある結果的無業者の半公的企業作りによる就労の場の提供という面がある。就労当事者にとっての自己有用感を高める基礎となっていく。

この辺をざっと説明し、「仕事作り」なんですよと、危険覚悟でまとめた。儲かる仕事を探して自主的に頑張るという、健常者との協働を無視した解釈が復活しかねないまとめだったからだ。確かに**さんは面食らっていた。しかし、企業的手法が求められていることは確かであるし、肩書きがすごいしと思っているでしょうと私が意地悪な質問をして、**さん、動じなかったので、通じたか通じなかったか両極端なのだなと思いつつ、お願い倒してきた。

市議関連はアポをとっていなかったことと、時間切れで今回はここまで。生協関連に飛んだ。鶴が台の入口に生活クラブ生協がある。ここに依頼を出して快諾を得た。かながわ生協も店舗から依頼を仲介してもらっていたが、応答は来ていなかった。今日(11日)からの三連休が依頼巡回を邪魔していた。応答が無かったら、来週湘南台(円行)まで行かなくてはならなかった。土日や休日がそこが確実な休みになっていない私にとって、足枷になってしまう。

時間のアクロバットだったが、平塚に飛び、サンシティにお邪魔。閉じる間際に飛び込んでお願い。その足で平塚市民活動センターに行く。すでに遅番の方と交代していて、話が通じないので、メモをつけて資料を置いてきた。

茅ヶ崎に戻って香川に。下宿屋さんにお邪魔。資料を渡して、職員さんにお願いしてきた。スペアちがさき関連の方にも手渡し。こちらは別途来週に代表の++さんにお願いする。香川優先は単純に、この後、橋本に出る必要があったからだ。

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橋本3君(仮名)と会う。学習を済ませて行きつけのラーメン屋に入る。外食が多くなって糖尿病の私にとってはまずいのだが、彼は長時間同じ場所にいることには向いていなかった。講師の**が勧めたという「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」を持ち出して、本を読んでいると言い出し、私に感想を求めた。いまさらなんでこんな本をと思ったが、講師の**のセンスを疑ったものの、面白いかと聞きなおした。ドラッガーのことは飛田に聞けと言ったらしい。**はろくなものではない。しかしびっくりした。

帰りは北茅ヶ崎で降りて、ジャスコで深夜の買物を済ませ、北口側から終バスに乗る。一本前に乗り遅れたが南口に回る気にはなれなかった。その時間調整にも買物が役立つのだ。母に孤食の小言を言われることを封じるために、一応食事に不足はないかを聞く。どうやら浜見平の友人親子と外食したらしく、機嫌が良かった。父の老健から三連休に訪ねるという父の宗教の信者さんから連絡があったという電話が来たのだと母が話す。携帯の長電話は趣味ではないが、寒空バス停で待つことを思えばと思うと、母の話にうなづきながら、帰りに中央公園をチェックして帰ろうと、別のことを考え、菓子パンを手に取っていた。

公園を巡回。どうしたのか##さんは不在。別のところで寝ているらしい。菓子パンを別のひとに渡して、駅前に買物袋を下げて戻った。しかし01系統の終バスが遅いのは助かっている。冷え込んだ身体にはバスの中も暖かい。買い込んだ使い捨てカイロを早く撒かなくてはと思いつつ、帰宅した。

玄関入るなり、私の衣類が綺麗にたたまれて山積みされていた。ぞっとした。案の上、小言である。急いで風呂場に逃げ込んだ。

こういう気後れしたときは、夜間傾聴もどうもうまくかみ合わない。気持ちの柔軟さが保持できないのだ。今回はレギュラー非公開ひとり。


夜間傾聴:なし


(校正1回目済み)

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2/10 生活時間の再編/炭谷氏講演会の下準備を

2011-02-15 08:37:34 | 引きこもり
2011/02/10 記
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母のダンピングが寝る前の薬を変えることで改善してきた。母はこの夜間のダンピングを警戒して、夕食の固形物を噛んで出してしまう。そのため比重は昼食に移るのだが、ここに時間をかけると、一日の仕事に影響してしまう。夜間帰宅後、作り置きして昼に暖める形で補償したとしても、その11時から少なくとも13時は確実に家にいなければならない状態になる。私の夜間作業と傾聴待機後の睡眠時間を確保すると、起床10時で4~5時間なので、そのくらいは欲しい。ところが母はダンピング後、睡眠導入剤を飲んでしまう。すると目覚めが11時台にずれこんでしまうために、昼は微妙な戦いが演じられることになる。比重を夕食に分散したい私と、できるなら夕食を食べたくない母との緩やかな時間管理の問題が生じている。父の在宅介護が中心だった頃は、もっぱらずたずたにされた時間を飛び石をこけずに渡ることに力点が置かれていたために、生活と栄養管理のような問題は吹き飛ばされていたと言っていい。親子二人とも老いていく。そのための生活サイクルを形作ることが浮上してきているということなのだ。

私の相模大野の外勤、つまり通学困難な子たちの巡回が3月で定年を迎える。以後は教室の相談役や授業講師になるのだが、訪問指導が60才か65才かという論拠は希薄で、むしろ経営上の都合という側面が強い。JR相模原の私塾の方の外勤巡回指導は定年制がないのでもっぱらこちらの巡回となるが、もともと経営規模が小さいので拡張できず、結果として訪問指導は半減状態になる。後継者の若手が引き継ぐ形なら納得もいくが、縮小部門となっているので、私の代で絶えてしまうことが寂しい。引きこもりの方たちの現状は変わらないというか、社会的要因が深化してきている関係で陣を引く時代ではないと思うのだ。

じりじりと老後生活に足を取られていく感じがある。湘南あすなろ会の資源ゴミ契約回収事業の立ち上げや、夜間傾聴のてこ入れを加えていくが収入も若干落ちる上、短時間出勤率が上るので、私のなしうることが出勤時間と食事に支配されていくことに対策が必要になっている。毎日通勤されている方には、贅沢な話と映るかもしれない。しかしそれは仕事の質の違い。短時間仕事でむしろバックグラウンドの準備時間が長い仕事の場合は、授業時間のたて積みのような配慮がないと出勤してすぐに帰るという感じが否めないのだ。

炭谷氏の講演は、就労支援の第三の道、地域の仕事作りに焦点がある。ここを通じて原資を当てにせずに立ち上げられる仕事作りが出来ないか、それが私の個人的な理由も背景にして考えるところだが、幸い片目はここしばらくは持ちそうな話なので、その限られた時間の中で、何を実現できるのかを考えている。父の入所が残した宿題である。不登校・引きこもりそして軽度発達障がいの方のサポートという私の中心課題がある。そしていじめ・差別・貧困という中心課題に重なりつつはみ出している失業・無業者の課題がある。今はこのはみ出し部分に属する(半端・余分という意味は無い。)ホームレスの課題を手がけている。もう一歩就労支援の束ねの中で、地域の活動に形を与えたいのだが。

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炭谷氏の講演会の打ち合わせを受けて、タイトルの修正と企画会議招請状の文書手直しを行った。2年前、調整に使っていた就労支援PJのMLを復活させて年に一度の感じだが、お久しぶりですという感じで、講演会の概要をメールした。昨年は若松町ショップ作りで休止していたので、ML参加者には唐突だっただろうと思う。早速**養護の**さんから応答があった。本当に2年ぶり、嬉しかった。就労担当からはずれたとのお話は、他の方から伺っていたが、是非口コミバックアップをお願いしたいと思っている。

今年は見学を再開させようと思っている。企業見学もいいが、今年は連携を構想できる職場を重点にしていこうと思っている。同質の仕事を立ち上げるためのモデルとして見学を立てるのではなく、特別支援校や親の会の就労先探しのように先方に預ける形ではない、立ち上げる仕事との関連を考えるいわば先方迷惑型見学である。勿論仕事が立ち上がっていない段階で先方にお願いすることはないが、下心付き見学というところだ。今のところ1社だが。

HL関連も、地元の金属回収業者のところに行きたいと考えている。まだ会の確認がとれていないが。

手直しした文書を持って、明日から企画会議参加要請巡回を始める。

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海老名で橋本2君(仮名)と合流。遠いと注文が着く。茅ヶ崎と橋本の中央が厚木で、それよりもひと駅橋本寄りだからいいじゃないかと変な理屈で説得したが、このレトリックの胡散臭さは見え見えである。橋本の駅前周辺で出会えるところは限定的なので、御宅にお邪魔することが多くなる。彼には町田の方がリアリティがある。彼も意地があるので八王子などと私を挑発したりもする。まあ、頻繁には海老名を使わないからと説得して授業。

はやぶさが長年の宇宙飛行を終えて地球に戻ってきた。回収した衛星は満身創痍の状態。しかしそのダメージは、飛行中の宇宙塵や放射線などの影響とともに地球の大気圏突入のストレスも大きい。この話から橋本2君は、大気圏突入まで見込まなければならないって嫌だねという。ひとの関係では、いわゆる癒しがある。ところが引きこもり者には、そのようなことを意識できないという。孤立無援の復帰は大気圏突入だという。突入後は焼け焦げの残骸かいと私が切り返す。うっせいなと彼の言葉に突っ返される。いつものことなり。

私は、水菜を茹でた芯の透明感が好きだ。赤カブを切ったときの実の白さが好きだ。彼を買物に付きあわせさせ、珍妙な買物となる。彼の好むものが私は避けているものばかりだし、私の買うものは彼の興味を引くものがなかったからだ。

水菜や赤カブなどは、うまくない。むしろ嫌いだと彼はいう。アボガドは腐っているという。そうなのかと応答してアボガドを買う。まさにダブルバインド(違うか)。彼の加工食品とマヨネーズ好きは世代的なものだろう。マヨネーズや食べるラー油は、味音痴になるからやめとけと私がいうので、好みが全くかみ合わない。「しょうがないから付き合った。あの爺ぃ何やってんだか」という眼差しをうけて別れた。

夜間傾聴:橋本2君(仮名・説教されてしまった)
     中央林間君(仮名)


(校正1回目済み)


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