湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

日本理化学工業大山会長の講演を拝聴しつつ他

2009-07-31 13:27:06 | 引きこもり
夏期講習の応援が入り、昨日は書きこみのタイミングを失しました。31日巡回予定者も30日に登校してきたので,今日は夜の分のみとなりました。

29日(水)、「あすなろ会」の会合を持ち、Big Issue 販売の件でTさん、Nさんと話し合いました。Tさんの大阪行きは、東京事務所に佐野代表が8月初めに上京するとの情報で中止。私たちが東京事務所に行こうということになりました。Tさんの誤解を解くためにも、会わねば事は動かないということ。

中途から飛び込んだNさんについては話は別ですから、湘南販売が可能なら「あすなろ会」としてTさんと組んで、手分けして湘南販売を行い、もし認可が下りなかった場合は、横浜・寿町のNPO「さなぎ達」さんに、引き取ってもらうという段取りを確認しました。販売したいという意欲をTさんとの話に巻き込んで、つぶしてしまうことを避けるためでした。

前日28日、横浜の「さなぎ達」さんにお邪魔し、代表のSさんからNさんの販売研修を8月始めに2回、実地経験させていただけること、「あすなろ会」承認失敗のときは、Nさんを預かっていただけるとの了解をいただいたので、この2点をNさんに確認。これらの研修と東京事務所訪問の交通費を、大阪派遣分の旅費の一部1万円を振り当てることにしました。

しかし彼らとの話は、「捨てるものは命ぐらいのもの」という底にたどりついている若者の「明るさ」があります。彼らが気付いていない「若さの力」です。私は、昔、山谷に流れ着いたものの、日雇い労働が出来ない体力の無い若者の、運転免許を取るための支援や路上見回りを短期ですがした経験があります。底辺の中でさえ腕力と健康という宝を持つているか否かという格差があるのです。具体的には、住所を獲得すること・取得費用を捻出すること、そして学習支援でした。いまから思うとディスレキシア(読字障害)を持った方もおり、その方は結局免許を取れなかった苦い経験をしています。障がいであることは、その頃は、まだ知識が広まっていない時代でした。

そのときのことを思い出していました。路上といういわば極限の状態の中でさえ「身体条件」という格差がある。その意味で言えば、Tさん、Nさんの支援は、ゆとりがあるのです。ただ彼らの支援は、サポセンの中でさえ、共用のコップや箸を使うと不快感を押し殺している人が出てしまう。あえて差別とはいいませんが、この慣れのなさが今後の活動が、決してまっすぐな道ではないことを予感させるのです。環境条件といいますか…。私の役割はナンセンスなのですが緩衝材、危ないナビですが。

「道があるならやるよ」と言い切れる歯切れのよさが、Tさんたちにはある。道が開けて欲しいと願う、これは私の立場。

そんなことで、30日は、せっかくの父のショートステイ二泊三日の二日目の貴重な休息日でしたが、朝からの夏期講習授業代行(演習)を引き受けて、なんとかこなしてくることが出来ました。19年の自営塾を閉じ、完全に契約講師で流れて15年余経ちますが、組織と常道というわからんちんと向かい合ってきたのは、押し出された者の中にある露頭の鉱脈のような屈折した活力に触れることがあるからだと改めて思います。(佐野さんをわからんちんと言っているのではありません。行政や形の決まった支援活動のことを言っています。)

父の部屋と私の部屋の殺虫剤薫煙のために家に戻り、書庫になっている離れに久々に風を通しました。父が宗教の集会場に使うと言い張っていた昔、この部屋は私が書をどかさないという阻止行動で現在に至っていますが、父の衰退という現実から、書庫解禁かなと考え始めています。「わーく」編集部の事務所の件です。ただここは父の語っていたような会合の場には使えないのです。父の宗教に反感を持つ隣人の方と窓壁の2面で1mちょっとの間隔で先方の居間と接しているのです。父の宗教の家族対立で追い出された信者さんが十数年前に、数ヶ月身を寄せていたことがありましたが、その間、反発に、それはもう冷や汗のかきどおしでした。

その抗議していた方が、高齢化され、隣の部屋に蟄居状態で生活されているのです。書庫だから波風が立たずに来たというのが実感。転用は、だから見送ってきた経過があります。どうしたものかと風を入れながら、入室した途端の先方が窓を殴る音を聞いていました。移動局と公共施設巡回の元に戻った状態から、出会いを生み出す定点(事務所)探しを当座諦めて、8月再刊にとにかく進みます。

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在校生の父親との夜の面談予定が朝の授業代行に変更になり、講演会に参加可能になったので、神奈川県中小企業家同友会事務所に電話申込。飛び込みで「県福祉部会設立1周年記念講演会」に参加してきました。

東京の部会から、神奈川の創設早々の企画に参加してきたものの、自分に安定した活動がないために、就労支援の要となる地元中小企業との結びつきを拓くことを躊躇し、代わりに同友会の紹介を地元関係者に続けてきた経過がありました。話は、なしのつぶてというか、その呼びかけは応答なく虚しく闇に消えていきました。

ところが今回、会に参加してみると、養護学校や事業所関係から何人も出席している…。いつものことではありますが、空転の苦味をまた味わいつつ講演を聴きました。先方にしてみれば勝手な思いということになります。私の活動がいわゆる障がい者支援の畑と、一般就労畑の境界にたつ活動ゆえに起こる齟齬なのです。お互い無縁というところが接点に注目した動きが出ているにも関わらず、双方の組織関係者からは片言も話が漏れてこない。この閉じたふたつの領域の接点に私の活動が位置しているのです。

「ああ、あれはちょっと参加してみただけ」という話を夢たいカフェ参加者の組織関係者の方から、3月ごろ、聞いていただけに、ブラインドの予感を感じ取っていたのが当たりでした。少々憂鬱になりつつ、それでも150名をはみ出す会の熱気に、可能性を感じつつ帰ってきたのです。

「わーく」編集部は、NPOとして地域起業します。8月はそういう意味で、「あすなろ会」とも質の転換期に差し掛かっています。

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これを書いている最中、県中小企業家同友会から昨日の会の件で連絡をいただきました。同友会のKさんやTさんにお邪魔して一度、話し合ってきます。すぐできることも、組織にいるものではない私のようなフリーランサーは、極端な迂回路を走り抜けなければならないからです。つぶれたら、境目にいる方たちの代弁者(奢りかなあ)はいなくなるからです。ここは譲ってはいけない。

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それぞれの活動には、いろいろな局面が現れます。そこを解決していかなくては、問題が起きてきたり解決が出来なくなったりする部分です。それを解決するとき、その活動は近未来の見通し吟味にかけます。それを戦略と呼び、その解決活動自身が効果的になるのです。政党イデオロギーのへったくれなど関係ない必要な活動の部分です。勿論その更に先に階級階層などの利害を反映したイデオロギー分岐がうまれてきますが、その手前の出来事でさえ見通しているひとが少ないのにはがっかりします。

就労支援のセンターを作ろうとした私と、育て上げ就労と市民交流を目指した活動とが「設計上」住み分けできなくなったために、事務所候補から降りたというそのことが、また警戒警報発令となっている。講演会参加はとんでもないおみやげをもたらしました。ことは、就労支援の見通しを持つか否かなのです。若者が集まり仕事を生み出していく磁場を作るというこの点を、ふたたびどこかに着陸させなければいけないのです。

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父が14時半に帰宅します。父の主治医から指示を受け取った訪問看護の看護師さんが15時過ぎに来ます。薬が無い、父の夕食の魚がないという具合に時間が食いつぶされ、仕事にまとまりがなくなります。公私ともどもの生殺しの泥沼を超えていくことが私の課題です。いわゆる常道からはずれてひとりで生き抜いていくこととは、引きこもり青年にもかかっていること。つながる知恵を膨らませなければ、泥沼から脱出することは出来ません。爺ぃからで残念でしょうが、「わーく」はラブコールであり、新しいことを生み出す苗場です。

準備の関係企業の相談をしたあと、巡回にでかけます。では。

夜間傾聴:中延君(仮名・今日は行けません、追って日取りを。)
     □□君(仮名)
     入谷さん(仮名・シアトルの生活順調なようで…)

p.s. 私の大切な友人S先生の春先に書かれたエッセイへの応答、とてもかけずにこの時期にまでひっぱってしまいました。失礼しているとは思いつつ…。今夜書こうかと。


(校正1回目済み)

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すみません記事、休みます/神奈川中小企業同友会の講演会に行きます

2009-07-30 15:21:34 | 引きこもり
夏期講習応援団があり、今、家に戻ったところです。
記事、間に合いませんでした。今回の書きこみを休みます。

今夜は神奈川県中小企業同友会の講演会が大船の鎌倉芸術館であります。
それに参加してきます。立ち見になりそうです。

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★★「神奈川県中小企業家同友会/共催 湘南支部・県南支部 福祉部会設立1周年記念講演会★★

以上
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路上生活者支援「あすなろ会」一歩前進/「わーく」下準備進む他

2009-07-29 07:35:31 | 引きこもり
「あすなろ会」のBig Issue 販売が、自助組織では契約できないという問題をどう解決するかをTさんと考えてきました。路上生活者支援活動と自立支援活動の微妙な違いが、実態という重い背景にどう立ち向かうか、踏まえどころの問題があり、かつTさんの責任問題が残っていました。

ただその検討中に、Big Issue 販売員希望のNさんが飛び込んできました。Nさんのことは、今の経過とは関係なく、その望みは実現して欲しいと思うので、現在の「あすなろ会」が販売仲介資格を得られるまでの空白の時間や、もし契約不成立の場合の影響の両面を考えて、初体験のNさんに数回の実地体験を早めにしてもらおうと、横浜で販売を支えている寿町のNPO法人「さなぎ達」さんに、協力していただこうと働きかけをしていました。Sさんのご厚意により、Nさんの件は東京事務所の了解の上ならばOKということになりました。

一方Tさんの件は、判断に人物への誤解を感じるため、直に代表に人物評価をしてもらえば大丈夫ということで、代表が上京される20日の前に、Tさんを大阪に派遣することにして、「あすなろ会」の初動資金・定額給付金+αで交通費を出すことを決めました。深夜高速バス往復なら地下鉄乗り継ぎを含んで1万5千円あれば足ります。藤沢から乗れますから割安というところで、水曜日の「あすなろ会」定例会に間に合うようにと、7/30発・7/31帰着の往復券を購入、Tさんに渡すことにしました。Tさんならきちんと役割を済ませることが出来るからです。

Tさんの経過以外の部分では、路上生活者支援の対象の方の背景が、圧倒的には中高年の長年彷徨ってきた方を支える活動という、善しも悪しもかみ締めてきた方たちを対象にしている活動が主流です。「あすなろ会」はそんな力はまだ持ち合わせていないので、路上に押し出されて数年程度の若手の自立支援を行う関係で、組織を大きくせず、そのかわり自主運営の経験を通すという青っぽさを捨てずに通したいと思います。自立へのローステップを積み上げるつもり。このBig Issue 販売再開実現の延長に、市民活動への接点の模索を始めます。この点については、Tさんの同意済み。有償ボラの道を探ります。

大企画の資材搬入とか、会場清掃というような活動を有償で行い、もうひとつの目的は、一般の派遣労働と違いTさんの名前を剥ぎ取らないこと、知り合いを膨らませてもらおうと思います。地元には短期の仕事が必ずあるはず。これらは「住民票がなければ就職できない」という大きなハードルにステップを作る活動です。もうひとつは、ハローワークへの付き添い、人権問題の行政提訴仲介、この程度が現在の「あすなろ会」の成しうるところでしょう。Big Issue 販売は物理的条件も含んで、Nさんを入れれば2人で手一杯。Nさんへも同意がとれれば、Tさんと同じ膨らみを自主的に追ってもらいます。

ただ私は「社会的困難を抱えた若年者の地域就労支援」をしていくので、路上生活者自立支援の「あすなろ会」専任の立場を取りません。会計兼顧問的関わりをします。住み家の確保とか食糧配達・健康管理等生活支援等はポルト湘南・絆さんたちのカトリック教会の方々の奮闘があるわけで、就労支援という部分に特化した自主活動を添えて、積極支援します。

こういう大枠が7/22の会合で決まったので、とにかく出発点であるBig Issue 販売再開に向けて踏み出そうということなのです。

夏期講習の帰り、藤沢で降りて、江ノ電バスで券を買おうとしたとき、大阪の代表のスケジュールを踏まえようと、東京事務所に連絡を取りました。するとスタッフMさんの話によると、8月初旬に1週間、代表が東京事務所にいらしていることが判明。これではTさんの大阪行は意味がないことになり、大阪行は券購入直前でストップとなりました。

もうひとつ、Nさんの処遇に関連して、横浜の販売経験実習(2回位・交通費あすなろ会持ち)の了解を得る件は、快諾してくれました。

急ぎ横浜の「さなぎ達」のSさんの下へ。事務所終了まぎわのシャッター半開き状態で、Sさんが研修を受け入れてくださった。東京事務所の了解を得た旨を語り、あくまでも本番ではなく研修ということで、8月に場を作っていただけることになった。

この際、あすなろ会が承認されれば湘南の販売をしてもらうが、得られないときはNさんを受け入れて欲しいとお願い。承諾を得ました。ただTさんについては、話し合いの結論が出るまでペンディングとすることに。

ともあれ、8月、Tさんは私と東京事務所にお邪魔することに、Nさんは横浜研修と、ことが動いたのです。

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茅ヶ崎・若松町事務所構想を手放した「わーく」編集部はともあれ、紙メディア再刊と放送事業への踏み出しを8月に始めていく。社会的企業として起業のめどをつけなくてはならない。電話は私の私生活用の方の携帯を公開し、機材は放浪できるようにボストンバックに詰め込む移動局(収録用)を整えることに。問題は人材である。音声放送ではなく画像放送が中心なので、ともあれ作り始める。面白ければ参加者が出てくるだろう。8月取材開始。裏面にNさん登場の予定。

夢たいカフェは、一昨日順調に話し合いを進めた模様。これはこれで従来型の「定形業務への就労体験」の場として進めてもらえばよし。協力はする。ただ今求められる活動ではないという認識を譲るものではないので、それはどんなに細々とでも「地域ネットワーク型」「人材掘り起こし型」「本人活動」を「わーく」編集部活動から育てていく。

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父の半身麻痺状態が悪化している。ベッドから立ち上がる場面で、その場にずり落ち、立ち上がれないで失禁する状況が頻繁に起きている。デイサービスに行っても入浴拒否するために、ものすごい悪臭が漂っている。歩行困難と失禁という状態が父を失意に追い込んでいる。

ここから先は家族との消耗戦になる。本人の受容までの峠がある。昨日は昼夜6回落下、最終は午前4時20分。

先日、老健の長期入所は審査が落ちてしまったこともあって、本番の特養入所を相談しに主治医のもとへ向かった。膝のケガが4ヶ月治らないという糖尿病の進行からして、これからの下り坂を入所という選択肢を探っていく方向を確認した。

ベッドシーツが糞のこすれた後だらけで、シーツ交換が頻繁になってきたため、防水シーツ、介護用ラテックス手袋、作業着を準備した。階段を勝手に降りる危険は去りつつあるが、逆に階段介助が難しくなった。

母は部屋の空気に吐き気を催し、洗面所に駆け込んでいるしまつ。限界を見極める段階に入っている。問題は過渡期をどうするかということだ。8月はホーム職員が手薄になる。定期的なデイサービスや、身辺介助はともかく、ショートステイの日が取れない。父はじっとしていないから、特に夜間の体制に問題が起こるからだ。ケアマネさんを頼んでいるホーム内のやりくり分は、半分強にショートの日数が落ちている。

夏期講習も7月いっぱいで前期が終わって休みに入るので、特養訪問を本格化させる。

しかし参った。ものすごい悪臭なのに、清拭を拒絶、着替えだけが抵抗しつつやっと受け入れる状態なのだ。傷の雑菌侵入が心配。

北海道の友人の看護師さんがいる。この方から、防臭にポータブルトイレ用の消臭シートと希釈木搾液の勧めがあったので、交換防水シートと一緒に、防臭シートを買った。昨日は介護用品店からも専用防臭スプレーが届いていた。

帰宅後、父の部屋へ。朝食が手をつけずに放置されており、TVを点けっぱなしで放心した目つきで天井を彷徨っていた。介護忌避の騒ぎを鎮めて紙パンツ交換をし、朝食を下げた。母が置いていったパンも食いかけにして、ベッド下に落ちていた。これでは目が離せない。困った、緊急呼び出しがかかったら夏期講習も終わりである。

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夜間傾聴:******君(仮名・バイト1月目突破おめでとう)
     中央林間君(仮名・今日寄れたら寄ります)
     多摩センター君(仮名・こちらから)


(校正2回目済み)
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「夢たいカフェ準備会」からはずれて

2009-07-28 06:22:47 | 引きこもり
<「わーく」編集部活動準備メモ>

~SNS環境の再開~

テスト環境>@nifty
本番環境>CGI 環境問い合わせ済み 7/26>応答待ち
     携帯掲示板(画像添付可能?)<プラグイン対応か?
     画像ブログ設定

INFOのゲート管理>携帯&他メディア
         ポッドキャスティングと、もうひとつ
  ---- 画像添付メールの受付管理
  ---- 音声処理の手間(今後の課題・人材育成)


~収録環境のパッケージ化(無拠点化)~
 発泡スチロール詰めボストンバッグに機材収納
 収録環境>無料静穏環境は確保できるか
      候補:茅ヶ崎サポセン別室
         社協会議室(かなり音が入る)他

   バッグ・発泡スチロール板購入
   テスト人材確保(初回は茅ヶ崎サポセンで)

~配信テスト~
 バリアフリー環境 固定電話録音と妨害電話のシャットアウト対策
 オンライン環境の検討は、ふたつに分ける。

  フリートーク(ホスト人材設定…参加障壁の解決・個人情報管理)
  インフォメーション放送(静止画・補助音声・PIC補助)定時配信の件

  配信機材の関係でアニメーションGIFを使う。
  ニュースソースは、就労関連情報のバイアスをかける。

~携帯ブログ掲載と紙メディア配信・テスト放送~

  紙メディア配信>A4片面6折300部よりスタート
  画像中心・絵本手法 隔月刊からスタート

  携帯ブログ配信>即時性とニュースの質が鍵
          記者作り

  取材は身近なところから 労力はオンライン放送を主導に


知的・自閉症スペクトラム青年を横断し、精神にも受け入れられる自前のネットワーキング交流文化を。

------ 再び定点(事務所兼スタジオ)を失ってしまったが、8月中にジグソーパズルをはめ込み始める。

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夏期講習を通じて、私のレギュラー諸君より若手の学生と不器用な対話を始めている。初めて出会う人も多いので、学習に取りあえずは話の契機を求め、話していく。すりあわせをしているうちに、講習期間が終わってしまう。結局は授業担当者への引継ぎ役の感がある。

普段の取り出し指導とは様子が違う。教室が荒れ模様のときは、震源を引き離すことが裏の目的のような取出しがある。学習不振と言っても背景は様々。そのままで待てばいい学習不振もある。私が継続して引き受けるのは、教科内容の理解に問題のある子ではない。その理解が認知に問題があったり、生活環境に心奪われる事態が進行している子たちだ。おのずと付き合いが長くなる。

だから講習期間中の巡回も引き継ぎの巡回となるので、営業マンが回っているような気分になる。昨日の巡回など父のデイサービスの帰宅時間の16時半に間に合おうと帰ってくるので、保護者の方と20分、本人と10分の計30分のために往復3時間強かけている。要は学習指導だけで済みそうな子と、心理カウンセリングにつないだ方がいい子を仕分けする役割だと割り切っている。

昨日はシャワーのような雨に出会ってしまった。しかし私以上にずぶぬれの子の担当になった。世の中は不公平、悩みはどうしてこう偏在するのだろう。

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夢たいカフェ準備会の会合が昨夜開かれている。出席しないのは初めてだ。巡回のレポートを書いた後、「『わーく』のゲート管理」の部分を書いた。今月中に協力者ふたりのところを回るが、やはり大局がつうじるかどうか。構造的な細部を語ってみても、ちょっとしんどい。

父が起きてしまった。4時50分である。派手な落下音。足音がもつれ、転倒した。


夜間傾聴:******君(仮名)
     中央林間君(仮名)

(校正1回目済み)

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協働スペース夢たいカフェの事務所利用を降りました/セカンドブックアーチの講演会

2009-07-27 10:15:09 | 引きこもり
大きな転換をくぐった。事務所展開を振り出しにもどし、候補を降りた。
なんともしんどい日をくぐった。シジフォスのような気分。次の展開へ。
書きこみ中断、陳謝。

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夏期講習の関係で家の母との介護担当の割り振りに問題が起きている。ともあれ夜の巡回前にと、14時から企画されていたサポセンの市民カフェ企画に出席し、NPO古書店ブックアーチの山本高大さんのNPO起業話を聞いた。この件は後で書く。

会の終了後、夢たいカフェ準備会のスペース構成団体から、「わーく」編集部は降りることをMさんに伝えた。長い夢だったけれど、終わりである。

協働スペースに地域活動の大きな意味を持たせようとしたが、協働スペースから、共同オフィスに至るまで、自宅作業と大差なくなってしまった以上、意味が無いのだ。

ふたつの点で、活動の構造が違っていた。

1)地域未組織の当事者の磁場というか網掛けの結集促進活動と比較し、従来の知的・身体障がいの活動にその傾向が強い「育て上げ就労」とを結びつける折衷構想に対しても、参加者に前者の発想が全く伝わっていないこと。

2)当事者(本人)活動の育成、つまり当事者相互の協働の発想自身がないこと。

この点が「わーく」編集部活動の核であって、例え活動自身がお互い違っていても、スペース自身が相互利用できるという状態が崩れた。つまり相互活用できるスペースではなくなってしまい、今後も地域交流の対象が明らかに違っていく。そういう接点を望めないことが、構造的に浮かび上がってきたからだった。

このスペースを「社会的困難な若年者」の地域就労を拓くセンター的な発想の目標を持つ私と、伝統的なコミュニティ・カフェの主婦層を中心とした地域住民交流スペース作りの構想目標とがずれてしまった。設計上もその発想のずれが反映していた。障がい者が「定形の就労体験」が出来る場にはなっても、困難を抱えた青年達が集い、仕事を生み出す場にはならないという、根本的に固い構造が見えてきたからだった。

私の構想が、しんどさを背負った青年達が仕事を通じて社会参画していくという、いわゆるノーマライゼーションを考えていることに対し、店舗展開参加(たい焼き屋さん・小箱ショップ)という受け皿を通じて」、当事者が「従業員として地域に社会参画していく」という形を取る。こうした場合、すでに幼いときから地域ネットワークに組み込まれている障がい者以外は、考慮されていないに等しい。「育て上げ就労」と私が呼ぶのは、そういう活動のことだ。

自閉症スペクトラム・神経症・中途発症精神障がい・社会的挫折・社会的不合理(路上生活・外国籍・差別等)などの青年たちへの働きかけと、彼らを組み込んだ就労支援構想がないことは初めからわかっていたが、彼らと出会う事務所や多目的スペース自身も、次第に無理ということになって、折衷案も成り立たなくなった。

スペースのお客さんとして交流利用前面に立つのが主婦層であって、もともと差別の中にある者どおしは、何らかの働きかけがないと集うことは難しい。やはり異質なのだ。若者が「来てもいい」スペースでは若者は来ない。商品選択の問題ではなく、企画の質が違うのだと思う。

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こんなことから、山本高大君の古書店活動のような若手の活動に、人材が枯渇して関心が向いたのは正直なところだった。しかし、私の活動とその提案はもう何年も障がい者畑の関係者にもまれて、傍観放置の状態に晒されている活動である。政党傾向の谷間にあるしがらみに、もまれてきた活動である。それが若手と合流を図るなどと先方には迷惑千番。だから、しがらみのない高齢者介護関連等のアイデア提供をすることで、私はあくまでも山本さんの活動の外側にいることにした。彼のように勢いがある活動には、社会活動の戦略性うんぬんを吹きかけることに無理がある。

私の活動は他人の活動に頼ることなく、自分の足で立つことが大前提。今必要なことを有効な形で提案している自負はある。吟味してもらえばわかることだ。電子メディアを組み込む活動ゆえに、不本意なことに「非人間的」というようなレッテルにきりすてられてしまう。ダニエル・グラハム・ベルが電話を発明したとき、交換手の女性と話をするから風俗を乱すとか、出歩かなくなるから「足が萎える」という批判の歴史があった。今、電話を使うから「いのちの電話」を非人間的というだろうか。私は活動にゲタを履かせる(中邑賢龍氏)ことによって、活動の質と出会いと仕事の可能性を拡張することを考えている。

今回のことで「わーく」編集部事務所(出会いの定点)は、失うことになったが、「わーく」再刊と企画活動はこの夏から再開していく。ブックアーチの活動とは、接点のある企画提案はしていくが、50をまもなく終えるおっさんの活動は、ひとりで試合をやるようなものではあるが、まず隗から活動を生み出すことで賛同者を募る以外ないのだ。

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山本高大さん(NPO古書店ブックアーチ主宰)の市民カフェ講演会は、若手が6割の、いつもとは調子の違う講演会となった。山本さんが古書販売を始めた経緯とその体験が、就活との葛藤のなかでリアルに語られたので、聴衆は話に引き付けられていった。この辺は天性のものがある。見事だ。

私にとって面白かったのは、起業時点の経過。基礎になる友人知人の輪が出発点となり、次第にやりたいものを「絞り込み・発見していく」様子だった。更には古書が届くようになって、「不用な本をください」ではないぞと気付く、そういう質の転換点に彼が到着したこと。「あなたの大事な本をください」へと活動を切り替えていくところは、実践が持つ重要な意味が隠されているのだった。「成長」という怪物のことだ。彼はそのことに気付く。

この活動は、iPS細胞のように様々な変容の可能性に満ちている。同時に話題の傍流のような質問も、気軽にかわすことの出来る雰囲気が出来上がったことは、活動を行う人の個性の力だとわかる。

野口宇宙飛行士を激励する会・ほのぼのビーチなどの重複する企画の中で、十数名が会を楽しめたのは、自分なりの目的を持った方が多かったということがあったのだろう。返ってこの悪条件は、よかったのかもしれない。

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「あすなろ会」のBig Issue 湘南販売再開が難航していることは、前にも書いた。理由は「支援組織が路上の方を支える形で提供する」のが Big Issue 誌の流儀だった。「あすなろ会」は「自助組織」だ。だから代表も元販売員さんのTさんだ。これでは販売活動が安定しないということ、そして前回の販売の支援者に借金をしているという道義的責任がT氏にはある。けじめが必要であり、それを曖昧にして販売再開は出来ないという、一般的には納得のいく判断のようにも思える。しかし、金がなければ返済できないことも事実。最大のことは、販売員Tさんへの人格の誤解がある。

この件で8・20に関西からBig Issue の佐野代表が上京されるときに、もう一度面会を求めたいと思っている。

ただ8/20までにはかなり日がある。偶然、同じ地域のBig Issue 販売希望者のNさんが、東京事務所経由で知るところとなり、地元のカトリック教会系の支援団体の施設でTさんは面識があったということで、Nさんの販売も考えていくという事になった。ただこれがキャパ一杯である。

先週の水曜日、Tさん、Nさんのふたりと話をして、「あすなろ会」として、Nさんの販売もサポートすることになった。だかTさんすら承認がペンディングされている状況では、Nさんが20日まで待つという事で、数週間日干しとなり、その後も認可の保証がないのでは、せっかくの販売参加希望の芽を摘んでしまうことになる。

そこで横浜・寿町のNPO「さなぎ達」の販売活動に研修として2日ほど販売体験をしてもらえまいかと提案した。Tさんの横浜販売は8/20までは販売は無理だが、Nさんの研修とそのコーチとしてTさんがつくこと。Nさんの研修販売認可を東京事務所出してくれれば、考えてくれることになった。つまりNさんのモチベーションを落としたくなかったことと、万が一、20日、破談だったとき、Nさんを「さなぎ達」さんに支えてもらおうと、顔つなぎをしておきたかったのだった。私達の波乱にNさんを巻き込むべきではないからだった。

東京事務所には、夏期講習の新規巡回が町田にある日、今週の火曜日にNさんの件を確認しに行こうと思っている。

この間いろいろなことが起きている。4~5日前、茅ヶ崎駅前に止まっていた60代の男性が、所持品と自転車を残して忽然と失踪した事件が起きていた。この件は、彼が当日、行政窓口に出かけているので、持病の関係で強制入院させられている可能性が大きいのだが、身辺に何事か起きている可能性も消し去れなかった。カトリック教会が自転車を預かり調査しているが、私達に出来る協力は何かと考えた。行政との仲立ち調整や関係団体への協力依頼をカトリック教会の応援補完出来るかも知れないのだ。

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7/25~26
父の方も異変が起きていた。老健ホームの入所審査に落ちたのだ。診断書に書き込まれていた糖尿病の数値から判断された。その診断書にアルブミンの記入漏れがあるとして注意をうけてしまった。選択肢の狭まりにがっくり来たが、その判断を追うように、父に異常が起きていた。

ベッドから足の力だけでは降りて立てなくなった。手によるつかまり歩きの比重が増え、ベッド下に腰が抜けたように座り込み、立てなくなった。

悪い方の手の企図振戦(意志に従わない、比較的ゆっくりとした振幅の大きな震え。)が始まった。以前から指摘されていた小脳まわりの萎縮が進んだ可能性があった。

結果、失禁と混乱による自己防衛の怒りが始まり、土曜日の夜は、父の静穏を保つ為に、明け方まで分散して4~5回階段を行き来した。4時前、睡眠導入剤を使用。双方神経をすり減らすような蹴り、迷いのある罵倒が続いた。夜間傾聴は中止。午前10時50分まで父は起きなかった。9時に母の出した朝食は冷めてしまった。

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7/26~27
0時40分、椅子ごと父が横転した。あと数cmで柱に頭を打つところだった。これほど繰り返し転倒を繰り返しながら、怪我をしないというのは驚異でもある。それと同時に、打撲の痛みがあまり出てこないのが異様。糖尿病の影響だろうか。膝の傷は触ると顔をしかめるので痛いのだろう。演技とは思えない。この違いをなんと説明したらいいのだろう。

一昨日から父の眼差しがおかしい。母が九州・関西の洪水・土石流被害の話をした直後、私と介護担当を入れ代わったとき、父は旧家の近所の浸水地点の話をした。数十年前の記憶である。その後、何回となく、介護中に父は同じ話を反復するようになった。ただ、お互いが間を保つ必要があるタイミングに話が生じているので、場面理解は損なわれていない。しかし、繰り返しが増えてきたところに症状の進行を感じている。

4時台は夜間傾聴にとっても、父にとっても魔の時間である。ある子の孤独に付き添っている最中、父のレム睡眠行動障害のベッドショーが始まり、ベッド下に派手に落ちた。電話を切ること自身がこの方の恐れにつながっていることはわかっていたが、トイレを装って一度電話を切った。急いで父の部屋に飛び込むと、湿った毛布に素巻きになった父が、毛布から脱出しようと周辺の家具につかまり、周辺の家具を次々に倒していた。

時間との戦いだった。父をベッドにあげて、作っておいた尿取りパッド入り紙パンツをはかせ、パジャマズボンを交換。照明を消して、階段を駆け下りた。案の定、専用携帯が鳴り出した。疲れたのだろうから寝るとの先方の電話。この先読みが危険なのだが、あえて夏期講習の疲れを理由に予測を認めて、傾聴中断した。呼吸ひとつまで先方は読み取っていく。だからこの切り替えはしんどかった。

再び父の元へ。ただ8時半には、ホームのデイサービスの迎えが来る準備ということで、階段介助と着替えにヘルパーさんが来る。だから睡眠導入剤を使うわけにはいかなかった。

7時すぎ、父が排尿に立った。サイドテーブル上の固定電話の子機・日めくりカレンダー・非常用ボタン・ティッシュなどすべてが床に落ちてしまった。これを拾っていると私の仮眠時間が保てなかった。電話子機と非常用ボタンの電源がいるものだけ拾って、30分仮眠を取った。朝食を作り、熱いお絞りと水を添えて父の部屋に持ち込んだ。なんと父はまた、椅子に腰掛けていた。眠らなかったのだろうか。

スイカを添えたのがいけなかった。振戦があるため、食事が遅く、食べこぼししてしまう。出発時間の迎えを待たせて、父は不安定な足運びで階段を降りた。

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夏期講習の取り出し指導と巡回が私の仕事。昨日は夜の巡回のみ。相模線の常連になっていた。日曜の夜間は若者しか乗っていない。ポメラでレポート下書きをやっていられるのは相模線ならではである。しかし奇妙な追従。下書きを始めると、みな携帯とゲーム機操作が始まった。伝染するのだ。そこにガードされた張り合う個人空間を感じるのだった。

今日は午後から取り出し授業、茅ヶ崎に戻って父の主治医のところに向かい、買物。16時半には父のデイサービスの帰宅受け入れ。夜1件巡回、塾の方で会議。帰宅予定23時半。タクシーは避けたい。

夜間傾聴:7/25~26 中止
     7/26~27 中央林間君(仮名)
          非公開(中断)

(校正2回目済み)

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春日武彦氏の講演会は満席でした、が…/糖尿病患者の傷の治癒障害

2009-07-25 07:23:24 | 引きこもり
4ヶ月前の父の膝の傷が一度治ったはずなのに、また直径2cmほどの赤剥け状態となり膿み始めた。症状の進んだ糖尿病患者は傷の直りが非常に遅い。怖いことは、そこから雑菌が入って化膿し始めると、すぐに壊疽のようなひどい状態になりやすいということだ。足の親指先の水虫から壊疽になり、指のみならず膝下の切断になってしまう症状は、重症糖尿病の特徴でもある。

クラビット錠の残りがあるので、それを与えながら様子を見た。本人が痛がるのだが、以前のような周辺の腫れとむくみの症状は見えない。悪い方の足に出来た傷なので、父は伝え歩きをして階段上に現れるようになった。「医者に行く」と言い出して、ここ二日間押し問答を繰返している。

父は排便が困難になると、1階のトイレに入ろうとする。22日(水)のデイサービスからの帰り、階段を介助付きで登るとき、便意を訴えて父が強引に1階のトイレに突入しようとして、私が阻止。その場に階段介助ボランティア**氏の10分遅刻電話が入ったことで、間違いなく後から**氏が来ることがわかっていたので、ひとりで階段介助して父を2階の部屋に、トラブりながら父を押し上げた経過があった。普段のポータブルトイレで排泄をさせた。一度1階のトイレを使わせると、階段を降りてくる確率が急に上がるのが、介護から得た経験だったからだ。

その経過上に起きた問題なので、傷口周辺の肉が盛り上がって完治した傷が、外出したい為の理由付けに見えて仕方なかった。デイサービスの帰り、紙パンツ交換のとき、私は父の膝に新たな傷が無いことを確認していた。傷はそのあと付いたものだった。部屋の歩き回りは従来通りであるし、転倒して出来た傷を掻きむしったように見えてならなかった。

傷はかさぶたがとれたように赤剥けのクレーターの様にみえた。木曜日、母が眼科検査のため、東京まで早朝から出かけていた日、突然傷が出来て痛みを訴えだした。しかし、私が階段下に下りてしまうと、傷があるにも関わらず、階段上に向かう途中の通路で何回も転倒を繰り返した。歩行器のU字型の外側に身を置いて、片手の杖の代わりのように突いては、歩行器ごと転がるのだ。危うさを学習せず、繰返す不可解さ。

父の要望を聞かない私の誘導で父はベッドに戻されると、母を「タクシーを呼んでくれ」と大声で呼び出した。そして昨夜夕食後、父は排便してからは、ぴたりと膝の痛みの訴えは止まった。傷は勿論本物であり、また消毒交換をしなければならないが、不可解な傷への本人の関心が突然無くなったのは、クラビット錠が炎症を抑えたせいなのか、理由がすっきりしないまま、事件は収まっていった。半袖パジャマ到着。

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代わりに母が手足の「引きつり(こむらがえり)」を訴え、帰宅後、寝込んでしまった。天候が悪く湿った風が吹き出すと母は手足の「つり」を訴えた。父の暴れることだけではなく、母が家事を全部放棄したため、夏期講習の雑務が残されているところに重なった事態に、深夜、翌日の朝食の握り飯をコンビニに買いに出かけ、なんとか朝食に備える始末。二人同時に寝込まれると全くお手上げである。

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23日の木曜日、母が診察を受けに東京に出かけたために、夏期講習補佐の予定があって、父をひとりにする時間帯が出来てしまった。巡回指導の場合、連続して巡回できるわけではなく、間に待機時間が出来てしまうので、その間、駅のホームや図書館などを利用して、一度帰宅する手間と費用を稼いでいる。路上生活者の気分。買物を済ませてロッカーに入れておいて巡回したり、ホームのときは待合席で仮眠を取った。図書館のときは、持ち込み本を読み進めた。しかし雨の日はそうもいかなかった。

相模大野の本校の、取り出し指導中に母から電話が入って、戸締りがいい加減だったと怒りの電話。面談中断。これ幸いと面談中の当人が逃げ出してしまった。こういうときは、追っても、ろくなことにならない。家に連絡を取り、後で巡回することに。最後の巡回が相鉄線でつながる海老名だったために、石川町駅そばの寿町のNPO「さなぎ達」さんに、「Big Issue 販売」の新人研修を2~3回させてもらえまいかと頼みに出かけた。しかしこの日、第二・四木曜日は「木曜パトロール」の日だった。

「あすなろ会」に新人Nさんが入ったが、販売体験も無しに8/20の販売員認定を待たせるのは、気持ちが磨り減ってしまうだろう。NさんのコーチはTさんがやり、売り上げはTさんのものとし、ふたりの交通費は私が片道分カンパすることにした。ふたりで千円ぐらいである。

翌日、紅葉坂の青少年センター別館会場に立ち寄り、講演会を早退して、さなぎ食堂を訪ねた。また入口のシャッターが閉じていた。急ぎ、「ポーラのクリニック」(本部)に向かい、会うことのできた*さんに伝言をお願いした。

3度目は今日、町田巡回の前に大回りして寿町に回る。もし、Big Issue 販売を打ち切られたときのことも考えて、顔つなぎさせておきたいからだ。

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協働ショップの撤退のあとの策をあれこれ考えつつ、横浜紅葉坂の県立青少年センターの講演会をのぞいた。「思春期現れやすい精神症状の理解と支援について/多摩中央病院院長春日武彦氏」の講演だった。定員100名のところに170名の参加で会場はびっしり。

地域の相談支援機関や学校が大半だが、辻堂の「ぽれぽれ」の+さんが目の前に座っていた。久々で休憩時間中、今後の事を話し合えたのは都合良かった。

講演は「なぜ思春期」なのかが良く分からない、ただの精神医療の概要説明に終わった。期待はもともとしていなかったが、大半が相談員なのだから、ケース・カンファレンス風に展開して欲しかった。いつも概要ではぐらかされてしまうのだ。

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ある青年の個人宅でテスト用紙を手渡し、試験監督中、携帯が鳴った。茅ヶ崎サポセンのMさんからのML登録ミス指摘の連絡だった。今度は相手に逃げられはしないが、電話のタイミングはよかった。説明中ではなかったからだ。

帰り、吉野家で豚丼を掻き込んで、コインロッカーに入れておいた買物袋と尿取りパッドを抱えて、終バス直後のタクシーに乗った。薄給、タクシーに乗ったら何もならないのだが。

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「知的障害のある人のためのバリアフリーデザイン」入手。

この所に出てくるPICデザインは、「わーく」の画像放送の中にも使われる。横須賀の研究者の方とのメール研は数回で止まっているが、発刊時に再開させてもらう。

長距離走企画、「わーく」出直しをどう整備しなおすかが頭から離れない。


夜間傾聴:******君(仮名・おー武勇伝、よかった)
     多摩センター君(仮名)


(校正3回目済み)

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すみません夏期講習の関係で今回はお休みします

2009-07-24 12:34:01 | 引きこもり
紅葉坂の講演会の方は立ち寄ってきます。
帰宅は22時すぎ。その辺りで書きこみます。

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「わーく」編集部の今後について/「あすなろ会」にN販売員候補参加/情報のエアポケット

2009-07-23 07:10:01 | 引きこもり
私は市自立就労支援協には三障がい(身体・知的・精神障がい)当事者団体ではないということで、オブザーバ参加や傍聴も許されていない。結局誰からか間接情報を得て動くことになるが、今回は情報収集の暇がないまま、茅ヶ崎養護関連の方の部分情報と、先日の準備会中の参加者の方の発言からの情報から予定を取り違えてしまっていた。社協会場の問い合わせをしたら、ユースボランティアの会合だった。前回、内容が全く異なるふたつの情報があって、すっかり後手になってしまったと感じさせる経過があったので、また拾い落としか、という苛立ちがあった。

話は変わるが、私の夏期講習は授業を行うことではなく、そこに生まれる弾き出される子を受け止める「取り出し個別相談とキャッチアップ」「演習応援と補助授業」という外野の仕事をしている。教室待機や、電話要請にしたがって穴埋めしてくるという、ファームのコーチのような仕事である。だから「待機・備えよ」という時間が増える。本来の外勤講師(巡回屋)に、講習期間、飛び込みの新顔君の対応が加わっていく。待機即応予定が不安定に拘束してくる、そういう期間になる。

教員の予定情報も通勤している者の口情報が運営情報となって、職員会議に出かけたら、もぬけの殻だったり、いつの間にか担当予定の子が切り離されていたりすることが起きる。外回りだから教員間の立ち話が運営を変える内輪の経過から外れてしまう。確認変更が事後承諾だったこともしばしばおきる。こうしたずれを防ぐための非公開掲示板があるが、誰も記入しない。掲示板が必要なのは契約・非常勤講師たちだけだからだ。

これに抗議しても、むしろ誰に情報を聞き出せば情報が確実かを知る方が現実的という困った状況がある。夏期講習のように運営情報が集中する期間では、情報が契約・非常勤講師の頭越しに情報が飛び交っている。そこに更に事件が起こる。

昨日の勘違いも講師情報と同質の会議情報のずれがあった。しかし、一昨日の準備会の議論の質の変化の中にも、私の参加していないところの話が基調になっていくために、議題の前提がどんどんずれていくが、そこを埋めていく説明がなされていないために、どんなに私が準備会上の発言の一貫性を主張しても、意味を成さない空転が生まれていた。

私はこのショップと協働スペースを、障がい者支援活動のなかに生まれてきた就労問題の打開を近未来(現在~4・5年先位)につなげる、いわば時代性を反映させる課題としてあれこれ考えてきた。ところが「いま・ここ」で経過を踏まえてうみだすべきことという共通認識が、実は生まれないことがはっきりしてきた。今までのショップ活動をよりよく運営するアイデアを実現する、その効果を追うところに流れをおく、いわば従来の活動の再生産を基調にしているために、戦略性を失っていることが起きている。構えの違いがずれと対立を生んでしまう齟齬が浮き上がってきた。

私は当事者が運営参加できる集合の場とその展開が、地元住民との協働へと拡張していくという活動する者から発想する。軽度障がいや社会的挫折者のリード展開(サブ・スタッフ化)の手法によって、中・重度の方のインクルージョンやノーマライゼーションを実現するという道を考えた。

ところが従来の事業所展開では、助成金・補助金の法的な枠組みに沿って、入れ物に何人当事者を「受け入れ」ていくかという形を取る。支援者による受け皿作りである。手帳を持つ当事者の相互関係は視野にないし、その方の力を借りることなど世迷言になってしまう。この活動は障がい者生活就労支援活動の中に閉じており、手帳を持たない一般就労との境界線の分野では、実行が当たり前のようなことも、福祉的就労、手帳を持った方の世界では非常識になってしまう恐ろしさがある。

私の関わってきた心病む青年たちは、私の活動に関わってきた有限の若者たちの中でさえ、私の活動年数とほぼ同じ数の方が、自殺や自殺未遂の極限をくぐっている。彼らの虚しさや苦しみを軽度と始末する論は成り立たない。結果が引きこもりや、安易を求めるかのような無業者の姿をとるとしても、障がい者の苦渋比較によって裁かれるような質のものではない。

軽度障がいの方や引きこもり分野では、発症回復の患者の治療=実践のような、医療モデルに押し込んだ能力育成と適材適所への配置を「就労支援」と呼ぶ。しかし、充電量的能力観を基礎とした活動を脱皮する試みが始まっている。しかしその軽度障がい・社会的挫折の分野も、医療モデル以外の実践から学ぼうとしていない。ましてや、障がい者の境界線のところと引きこもり者との重なり部分に至っては、特に発達障がいの視野を媒介に、活動上のつながりがやっと見えてきた段階にある。

つまりお互いが何をしているか、全く知らないし見ようともしてこなかった。就労支援の現場では、K2インターナショナルや、浦河べてる、部分的には世田谷スキップやJHC板橋会、赤い屋根の豆腐引き売りなどにありながら、その実践の当事者性(相互関連)というところに気が付かない。これでは社会にあふれでた社会参画や仕事を必要とする無業者の若者の解決にはつながっていかない。障がい分野に閉じた活動の中身も個々は決して悪いことではないのだが、出来るだけ長い期間雇ってほしい当事者の方を支えることに終わってしまう。次へと連鎖の火を広げていくような活動にはならないだろう。今行われている案は、地元市民交流を生み出したとしても、街に潜在している障がい者が事業所に集まる社会参画活動とは違っている。障がい者が、個々街中では出会っても単独の姿でしか見かけない不可解な状況をどう見るのだろう。重い差別やディスコミを抱えて、当たり前のように市民交流するだろうか。そこには運動の構造の違いが浮き上がるばかりなのだ。

ならば「わーく」という別の種を撒こうと考えた。

平塚の市民活動センターに相談しに行こうと考えた引きこもり青年が、ビジネスビルの2階という環境のために抑圧感を感じ、エレベーターまで足を運んだが、息苦しくなって帰ってきてしまったという話があった。不登校の子が学校の門前で嘔吐までして立ちすくんだ活動初期の頃の光景が浮かぶ。それと類似の事態が事務所側の話の中に出るに至って、この協働スペースに入る必然がなくなったと考えている。

現在の支援活動のように、自宅の深夜、近所の方の抗議を気にしながら活動を続けている限り、本人たちの出会いと交流は生まれないだろう。その意味で出会える事務所は最低限の活動の出発点である。現行の協働スペース論議に、そのまま腰掛けるか立ち去るか、あたかも後から付け足された事態のようにレッテルを貼られ変化していく状況ではあるが、「いま・ここ」で始めるべきことの時代性、その打開を見通す本人活動の育成を分野横断していく機運が、全く地域に感じられないことに正直言って背筋が寒くなっている。

私がなすべきことは、語り続けること。「あすなろ会」ではないが、個別支援を徹底しよう。引きこもり青年となしうる「わーく」を再刊にこぎつけること。まずはここからである。

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昨夜「あすなろ会」の定期連絡会を行った。Big Issue 東京事務所に連絡したことでTさんとつながった新人Nさんが会に参加した。湘南販売の体制の上限となるが、Tさんの誤解を解くためにも必要な人材だと思った。収支の確実性を確保する方策は整った。こちらは、次回の東京の定例会前に佐野代表に会ってもらおうと思っている。大阪の件は資金は私の貯金から、Tさんと二人分の交通費を捻出できた。しかし実行は、東京事務所の方と、もっと話し合ってからにすることに。代表の怒りを買えばTさんの販売の可能性は断たれる。Tさんは前回までの支援者の方への借金返済計画を先方と話し合ってきた。販売再開には協力してもらえるという。販売再開に向けて手紙を作ってもらうことにした。Tさんの信用回復がかかっている。

湘南販売3人目以降は、保管場所等管理の問題がある。当面このふたりの活動を盛り上げていく。

次回は路上にて明日相談。

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今日は、母が眼科検診(眼底正常・かすみ目・視力低下etc.)が私の通っている東京の眼科まで午前中早々に出かける。私は巡回が夜、昼間は父の見張り番。

夜間傾聴:中延君(仮名)
     多摩センター君(仮名)

(校正2回目済み)

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「わーく」編集部活動の転換を

2009-07-22 12:01:53 | 引きこもり
夏期講習が始まって2日目、昨日の子の担当を私が続けることになった。同僚は小中学生を担当していて、昨日の子の家は遠すぎて、手一杯だというのだ。今朝の子は中3。同僚の自宅の隣の駅だ。結局私はこの子の担当を手放す形になって、朝の巡回は中止となった。

13時から、自立就労支援協議会を覘く。拒否されたら相模大野の応援へ。OKなら、終了後サポセンにて「わーく」の非事務所展開の予定仕上げ。夜に「あすなろ会」の確認。大阪行き2人3万円の捻出計画。Tさんの信用汚すまい。とに、わからずや。

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昨日の夢たいカフェ準備会は、中心人物3人が欠けていた。その日は無理と言わない雰囲気が気になる。

進捗状況の話が出るが、やはり予定通りには準備が進まない。予算をめぐっても、まず必要なものを網羅してとの話が、前回から経費を極力節減しての基調に変わっていた。その程度情報が全く入ってこない。

当初からの無理を押しての計画受諾が不可能へと変わっていく。愚かしい。時代の要請が見えないのなら、従来のショップ再生産に終わる。本人活動を育てなければ、ICFに結晶した障がい観の転換に基づく就労支援の力を引き出すことは出来ないだろう。

8年目、ふりだしに戻る覚悟。

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「わーく」再刊はそれと関係なく進めていく。もともと一般就労と福祉的就労に関連する別々の活動の境界線に立つ活動。両者の常道からは見えない活動。効率と競争の利潤追求第一の企業の論理からはみ出した生き方を模索するベクトルと、企業就労を社会参画の道として、社会の中に入る大変だが喜びの道と見る身体・知的障がい畑のベクトルは、すれちがっている。前者に近いのが精神障がい者の道。発達障がい者の道は両方を含んでいる。

地域就労の絵は、松為先生の話ではないが、生涯を見据えたときに内的必要性が生まれてくる。老いは誰にもやってくる。障がい者を支える人の輪、知り合いの輪は生活圏の地域に育てておかなくてはなるまい。公共サービスの制度的生活支援を持って老後を語る貧しさは、論を待たない。だから企業就労というよりも消費・再生産の私生活領域を支えるという市場を二重の意味で対象にしていく活動が意味を持つ。ひとつは地域就労・地域起業という就業が成り立つ基盤であり、もうひとつは知り合いを作り支えあうことによって人の輪を育てるという活動だ。裏方ではなく、無理なく人と出会う活動が重要になる。

かわいそうだから・お手伝いして・あげる結びつきではなく、当たり前のように・一緒に生きていく結びつき、その絵を「わーく」は描きたい。その媒介に社会参画的就労活動をおく。

そこから出直す道をどう描くか。


夜間傾聴:□□君(仮名)
     中央林間君(仮名)

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p.s.
燃えないゴミを出した。「BNS3FM」という昔の活動の放送機材をミキサー除いて処分した。切り替えである。

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さて、食事したら会議に出かける。つまみ出されるや否や。

(校正1回目済み)

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寄り道しているときではないのだが古書店「ブックアーチ」と特養ホームをつなぎ

2009-07-21 15:26:41 | 引きこもり
夏期講習が始まった。午前中1人のキャッチアップ後、保護者面談。こういう抑圧的な組み方はどうも性に合わない。早々と終わって、これから午後巡回してから、夕食の買物をして一度家に戻る。19時から夢たいカフェ準備会。

今日はEee PC-901を担ぎ出し接続している。小柄でも重い。電源なんぞ持ち歩く気になれない。相模線のような車内の操作だと、キーの作りからミスタッチも多めになってしまう。

昨日は、父を預かってもらっている特養ホームと、鶴が台のNPOの古本屋さん「ブックアーチ」をつなぐお節介をしていて、企画が動き出すとちょっと面白いことが起こる。その野次馬提案で、ここ数回ホーム理事長さんと、ブックアーチの山本さんを出会わせ、その企画はじわり動き出している。昨日はそのプレゼン資料を作っていた。山本さんはパワフルな青年だ。私の「わーく」が「藪こぎ3年」に入ろうとしていることで、ちょっと道草したくなった。本格稼動すれば、それはそれで私の出番はなくなるのだが。

集まった本や雑誌をパッケージにして、周期的にホームに配達する。ビジュアルな新中古雑誌を通所・入所の高齢者の皆さんに見てもらうが、内容をその世代の話題提供になるものを選んで届けていく。

ホームの自由な時間のとき、その本が手に取られ、内容に触発されたり、思い出を喚起されて話題がおしゃべりにつながったり、特に職員さんとの話題につながったりすればOK。

中には、これを作ったり、やってみたくなるものが出てきたとき、ホーム職員さんの仕事を応援する地域ボランティア探しを古本屋さんなり、直接市民活動サポートセンターに相談してもらい、関連ボランティアとつなぐという活動提案だ。交通費など実費の問題も残るのだが、それは調整可能。本を触媒に多様な変化を望むことが出来る。

こんな例がある。

化粧品のパンフレットを見せて、年配の女性の方の爪にネイルカラーを塗って遊んだら、他者の目に気付いたか、生活が積極的に変わってきた。

猫のグラビアを見ていて、猫をなでたくなった。アニマルセラピーの関係者につないだので、猫がホームにやってきた。

一輪挿しのページを見ていて、空き瓶コレクターに頼んで花瓶を用意し、花屋さんに頼んで後援会に花を届けてもらった。部屋に自分の一輪挿しが登場した。花を育てるガーデニングにつながった話も。

旅行雑誌を見ていたら、行った事のある場所の記事に出会った。その記事を仲介に思い出話が膨らんだ。郷里を思い出して話が広がり、同郷の友達が生まれた。etc.

情報は記憶・アイデアを喚起する。情報はネットワーキングに乗って生きてくる。そのことをつっついてみたのだ。まあ私の本業が始まるまでの余芸なのだが。あとは「ブックアーチ」と「特養ホーム」の脳みその柔らかさと情熱にかかっている。押し付けずほどほどにという選択も、これはお好みで出来るお仕事。

これはホームだけに限らない。膨らむ要素があることに気付けば、それは火種になるはず。ま、ここまで。

------

相模線で書き込みをしていると、あっという間に茅ヶ崎についてしまう。塾の面談中に、もうひとつの予備校の事務局から電話が入って、巡回が消えた。本人が、どうしたのか本校に現れたからだった。これはいい知らせではなく、家で何かが起こっている証拠なのだった。同僚が話を聞いているから、事態の悪化はしないだろう。こういうとき、訪問講師は困ってしまう。交通費補償はあるが、給料は出ないからだ。出来高払いみたいなものだ。

家に戻ったら、父が部屋の真ん中で昼食を食べていた。母は自分の部屋で、ふて寝を決め込んでいた。転倒したがベッドに戻れない。口論の末、お盆の上に昼食を載せたまま、転倒した父の傍らに置いて、母は階段を降りてきてしまった。父は父で、食事に気が付かず、そのまま居眠り。数時間後、冷えた昼食に気付いて、少しずつ食べようとしていたところだった。

部屋の椅子や歩行器を近くに置きながら、うつ伏せ姿勢から片膝立ちと両手を股に引き込むようにしながら半回転して立ちあがる方法を見せる。私の膝は骨折後もこの膝立ちが一番困難。痛みに冷や汗をかきながら父の姿勢を合わせさせ、椅子の脇に立ち上がらせた。椅子の補助だけでは立ち上がれないというのは、今までの経験からわかっていた。歩行器の中に誘導したが、どうやら悪い方の腰を打っているようだった。今までは、「伝え歩き」と「ベッド這い上り」が自力で出来ていたが、今回はこれが介助がいる状態に後退していた。

紙パンツの中身はすっかり濡れて、交換したあともポータブルトイレに出向こうとした。やむなく背後から父の姿勢を支えることで排尿可能になる状態だった。

シャワーを浴びてから母に状況を聞いたが、手を引いて持ち上げようとしたらしい。それは絶対に無理。やれば母が壊れる。

最悪のときはSECOMの非常ボタンを押してガードマンを呼べと言ってある。1回5千円かかるが、私が急に対応できないときもある。

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昨夜、「わーく」の編集日程を描きながら考えていた。

「わーく」の事務所作りの準備企画をすることにした。小さな懇談会である。「あすなろ会」のBig Issue 販売再開の際に準備しているお祝いの会5~6人より少ないなと思いつつ、ともあれ9月再刊をすることに。この方が実質的なり。「わーく」の方向性を描いた号になる。

「わーく」の仕事は本人活動を軸にした地域就労支援センター作り。その仕事を買い物代行を中心とした地域起業をプレ就労的に重ね合わせていく。「子ども・若者支援地域協議会」の一翼を担えるように、環境を整備していく。独自性は本人活動、この一点。

今回巡回が流れた方は、今から考えると、前日、その予兆があった。こじれなければいいのだが。電話相談は本当に経験だけが頼り。鈍っているぞと自戒。

昨日は、帰宅後仮眠。ところが母の計らいでそのまま午前3時40分、父の転倒音で目覚めるまでぐっすり。幸い夜間傾聴の申込みは無かった。なかなか事態を拓くことが出来ない。手詰まりのときは、自分で手を詰めているものなのだが。さて。


夜間傾聴:□□君(仮名)


(校正3回目済み)

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とんでもない浜降祭の夜/「わーく」編集部事務所設置メモ(1)

2009-07-20 16:25:21 | 引きこもり
浜降祭とやらで連休最後の日、明け方が妙にざわついている。

昨夜は、父が洗濯物の山から着替えの下着を探して、その洗濯物に足を取られて転倒、失禁した。下半身裸だったので始末が騒ぎとなった。父は内緒で着替えたかった。それが崩れたの素直に協力してくれなかった。加えて、紙パンツを始末のつもりで、ポータブルトイレのバケツに、また投げ込んでしまった。尿に大きく膨らんだ紙パンツと、悪臭の塊となった父の「始末」を午前3時過ぎにやっていた。父は腰を打ったので、自力で立ち上がれず、混乱しているので、歩行器などにしがみつかせることも、次の転倒を起こすだけと判断し、静まるまで床に横たわらせていた。

その場で清拭と紙パンツ交換したのだが、ベッドと違い、同じ平面で操作をするには、膝をついて仕事をすることになる。私の右足は膝の粉砕骨折から回復した状態なので、膝をつくことが出来ない後遺症が残っている。足を投げ出し、その姿勢で交換しなければならなかった。この姿勢で父の体重を転がしたり、持ち上げたりするのは、限界があった。父の反対側に回ることも、一度立ち上がって再び足をのばして座位を取る手間がかかった。清拭など地獄である。

父を椅子に座らせるところまで進ませれば、処理は一気に楽になる。なんとか父をベッドに上げた途端、父は尿意を訴え再び出直し、ポータブルトイレで背後から支えて排尿させた。尿瓶活用が楽というネットワーカーの知人の勧めもあって、尿瓶を用意したときもあったが、父はベッド上に抱え込んでこぼしたり、片手が悪いのにベッド上で排尿するので、上体が倒れて尿瓶も投げ出すという事故が頻繁に起きた。こうして尿瓶案は廃案となった。介護者がその都度、その場にいなければならない、そういう制約が出てきたためだった。

夜間の処理のとき、母が起きてくることはしないという約束をしていた。それでも大きな音がすれば2階に上がってきてしまうのだが、今回のように父が自力では立ち上がれないとき、応援を呼ぶことになる。持ち上げる操作はさせないが、倒れないように支える手伝いを頼んでいる。母が入院したらそれも出来なくなる。

夜間傾聴も早々と終わり、父を再度ベッドに戻して、ざわつき始めた通り側の音を聴きながら、自分の部屋に戻って横になったら爆睡していた。

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今、再開「わーく」の事務所作りを始めるにあたって、あれこれメモを取っている。その一部を紹介すると…

活動:「わーく」の発刊(企画・取材・編集作成・配布回収・感想取材)
   ポッドキャスティング(オンライン5分放送と携帯ブログ)の準備検討
   夢たいカフェ「フリースペース」部分企画の非両店舗関連企画の紹介
   携帯写真の募集準備配信・ゲート管理システム作り
   配信端末実験
   SNS環境設置交渉

設置機材:光オンライン環境(翔の会無線LAN借用か、共同回線利用か)
     PC一式(ノート持込・デスクトップ準備あり)
     A4ベッド式スキャナ&Fax A3コピー機
     (共用機?翔の会コピー借用?)
     固定電話(共用、なくてもいい)
     印刷機(これが問題)

     ソリッド録音機
     デジカメ

     編集机・椅子

とりあえず(その1)以上
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夜間傾聴:大森海岸君(仮名・こちらから)
     ******君(仮名)
     ++++君(仮名・小学生母親)

(校正1回目済み)

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「教育・福祉・労働をつなぐ どうする?日本の若者支援」に参加して

2009-07-19 10:32:01 | 引きこもり
一昨日、父には身体介護のヘルパーさんが午前中にくる日になっていた。「明け方、雨模様だったために窓を開けてある箇所があり、寒かった」と父がヘルパーさんに訴えた。ヘルパーさんから私達に、「高齢者の中には朝の寒気が引き金で、救急車騒ぎになる例もあるので、窓の開閉はこまめに注意して欲しい」と要請があった。母が切れてしまった。

父は窓を少し開けて遮光カーテンを閉めておくと、カーテンが揺れ動く度に、窓を閉めに出かけていき、ソファーの上に上って天窓などを閉める危険行動がでてくる。だから、ベッドの位置からは見にくい脇の窓を開けて換気を維持していた。夏場、二階は日の出からすぐに室温があがって蒸してしまう。父は汗をかきながら、それでも暑さを体感することがないので体温調整がおかしくなる。だから換気は開閉のいたちごっこであること、そして開閉量も窓を30cmほどあけておいただけであり、夏場に生死を分かつほどの直射風を当ててもいないと母はヘルパーさんに反論した。

部屋を閉め切っておけば、養豚場のような強烈なアンモニア臭に部屋が煮しめられたようになってしまう。部屋の扉を開けたとき、階段が煙突状になって、悪臭が駆け下り、その風に当たったとき、当人は平気な顔しているが、卒倒しそうになる。夜間、扉は階段徘徊を避けるために閉じているから、香りが露骨に降りてくることはないし、扉が閉まっているので、室温が急に下がるというのも大げさだという内容だった。

母のゆとりがなくなってきたことが気になった。

しかし介護担当が私だけででは日程に無理が出る。ショートステイを増やしたり、入所申込を進めて行かなくては、いずれ破綻する。今、市内外、二箇所申し込みをしてあるが、もう一箇所も申し込んでおかなくてはと思う。

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夏期講習の前の面談が進んでおり、その中の諸問題を起こしている生徒たちの再面談やら家庭訪問の予定を立てて回るように指示がきているが、今年は対象者に新顔が少ないので、電話で済ませていた。しかしそれで済まないところについて、休日の月曜日から回り始めることになっていた。

今年は精神障がいが入っていた子は、すでに退塾しており、わたしにとってはこの子の支援の引継ぎの方が気になっていた。

携帯から預かった子のアポを次々と取っていった。新しいところでは東林間在住の不登校中の兄弟がいる。昔私が別の塾の教員をやっていた場所だから土地勘はあるが、ちょっと気になるところもある。店舗など私を覚えているところもあるからだ。彼らに今の仕事を説明は厄介だからだ。前の塾は塾長が授業中、子どもへの折檻をしていたため、私が抗議した。その日、経過を知らない子どもによる私の私有機材の破壊事件に話がひろがって、躾(しつけ)推進派教員の追及に、踏ん張りきれず退職した苦い経過があった。その他の事は他の地域と大差なしなのだが、気分が落ちる。

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8月のお盆も我が家は関係ない。ボーナスは片方から若干出るが、借金取りAMAZONに消えていく。契約講師などこんなものだ。強制的に休みがやってくる。このままだと、介護の底無し沼に時間が使われてしまう。かといって懸案の「わーく」の取材活動の方も、特にこの時期、相手がつかまるとは限らない。とにかく昼間は類似の活動をさぐることと、我が家に逮捕されないように、当番以外はPC室設備のある某図書館に通うことにした。勿論巡回活動に休みは無い。

夜間傾聴:□□君(仮名)
     東林間さんと東林間君(仮名・兄弟)




7/19(日)の分
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朝、平塚の図書館の返却分を行政出張所に返してから相模原に向かえばいいと思って出発した。しかし土日は市出張所は休みということを忘れていたので、返却ポストもなく、失敗をした。予定に間に合わなくなるので、図書館には行かず、出張所前から駅に戻り、まずは相模原に向かった。この塾は駅前ではないから時間がかかる。

この塾は、予備校スタイルではなくて、いわゆる面倒見のいい進学塾の形。「会議」というより「打ち合わせ」の方がしっくりくる雰囲気だ。今回は不登校の子へは、講師派遣の比重が増えた。引きこもり青年へは家からの連れ出し指導が相変わらす中心になるが、私の提案通り「お茶会」が試みられることになった。もう一案の「食事会」は炊事が支えられないので見送り。当人は案外、オンライン上で匿名の付き合いを拡げている者が多いが、彼らは実際に対面して生身で付き合い始めると、じわり流れが生まれてくることがある。そこからは彼ら自身に任せている。

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金欠なので相模原から池袋までは町田から小田急線を使った。時間的には大差ない。西口地下道を通って正門近くに出る。大概それっぽい人物にであうものだが、全然出会わなかった。まあ構内地図があるからと会場にたどり着いてみると、室内は既にいっぱい。15分前には会場は満席に近かった。偶然荷物が置いてあった席を開けてもらったが、その席は目の前に湯浅誠氏がいた。先方が白髪頭が気になっている模様。8月に舫(もやい)にもお邪魔する予定でいる。

会場ブースにはBig Issue が出店していた。最新号が横浜で入手出来ない状態だったから、渡りに船、雑誌を早速買込んだ。この東京事務所といい、シンポジストたちといい、紹介する活動映像から飛び出す諸スペースの、いわゆるごちゃ混ぜ感のある集団は魅力的だった。この場の主役は参加する当人達であり、私はこの感覚に乾いていた。しつらえた役割と場所に、決められた仕事を与え、そこから仕事と接客経験を膨らませていく方法は、障がい畑の活動のスタンダードなやり方ではある。しかしその庇護を出た関係性を「浦河べてる式」にずらしていくことも出来る。ここでは当事者のつながりが醸す活気だけが物事を解決していく源泉になる。

不登校・引きこもり畑の常識は、障がい畑では異端になる。私はケア・パートナーという、ジョブ・メンター制を私生活まで延長した友人関係を、それを媒介に本人活動の芽を生み出したいと考えている。私達支援者からは「サブ・スタッフ」であり、障がい者からは「兄貴分」のような仲介存在の価値を活かすのである。その貴重な役割を引きこもり青年と近隣大学学生から生み出したいと考えている。規模も資金も、始められそうなところから始め、成長させていく仕事、それを始めていきたいのだ。短期連続取り組みのアメーバのような集散組織を作りたい。その仕事の鉱脈に社会的企業の手法を使おうと思っている。

昨日、あるトラックバックの申し込みがあって、それをOKした。引きこもり青年の就労をめぐって、仕事の質を当事者の側から論じたものだったが、ざっと読ませてもらって、引きこもり青年の悪い癖が出ていることに気が付いた。

社会的企業の手法を使って起業など就労環境を考えるとき、公共のニーズに基づいて仕事をたてるという部分を倫理的なとらえ方をして、「社会の側から見た」「価値の優劣」という判断を出発前から自己規制的に入れ込んでいることだった。

「公共のニーズ」とは、露骨に言えば「仕事の存在の保証」「隙間から始められる仕事」という「必要性」を背景とした話であって、「仕事の優劣」など全く無縁といっていい。自分が社会という「他人からどう見られるか」が基準になっているかぎり、社会の門は開かないだろう。もともと仕事は「すり合わせ」なのであって、出来合いにはまることではない。ここに引きこもり者の自縛の大きな勘違いがある。知り合った相手が喜ぶなら一緒にやってみるのも、そのことでさえ、他人という社会を開く仕事に連なっている。引きこもり者たちは、その身近な関係を育てていく視点を見失っている。社会の評価ほど、うわついたものはない。「公共」の文字に幻惑されてはいけない。

池袋の集会は、教育・福祉・労働(雇用)等という多様な活動の横断的な視点がテーマとなっていた。報告者の様々な活動報告による自分達の最前線に共通項が見え始めているのがわかった。それは生涯という時間軸にそった支援である。また就労雇用をめぐる背景の生活支援の重要性であり、社会的企業的な地域領域横断のプレ就労とセイフティネットの産出がキーとなっていた。若年無業者・引きこもり・路上生活者がやっとひとつの話のテーブルについた感がある。

私の気持ちは変わらない。「本人活動の育成」これが鍵である。夢たいカフェのスペースには期待を掛けまい。腰掛事務所スペースを出発点に、若者の就労センターをどう作っていくか、ここに集中しよう。

下連雀の藤井智さんの文化学習協同ネットワーク活動は、私の古巣の塾活動を思い起こさせ、懐かしかった。今勤務している相模原の塾や、相模大野の進学予備校は全くその自由の雰囲気は無い。もともと余芸と修繕のつもりで私を当てているからだ。お茶会はだから、いわば彼らのしたこととしては画期的。(既存の活動からは月並み。)

宮本みち子教授の話のオーストラリアのグリーン・コアの話は初耳。国の若者支援プログラム。

本田由紀教授の機関銃のごとき語りをいずれ湘南に呼び寄せたいと思っている。しかし、呼ぶ側が面白いことをしていないと無理だろうなと。

K2や、舫(もやい)は取材に行く。日を公開するので、一緒に行ってみたい人は8月一杯、ブログを注視すべし。

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会場ではBig Issue 東京事務所の面々は別として、ふたりの知人にであった。ひとりはワークプレイスの研究者であり、もうひとりは愛知県立大の長谷川俊雄准教授。「若者に夢は必要か」ということで、「目の前の人参は、いらない」ということで相変わらず怒らせてしまったことがあった。すぐ隣の長谷川先生、「ご無沙汰してます」と挨拶したものの、なんとも間の悪い。

しかし会場おじさんはマイノリティ。参加者が若い。120%の入り。明石書店の知り合いに挨拶して会場を出た。

湘南新宿ラインで乗り換えなしで帰宅したが、途中あれこれ考えていた。私はもうひとり警戒させてしまった人物、Big Issue Japan の佐野代表の疑心暗鬼をとかなくてはならなかった。こんなつまらない誤解で、Tさんの販売員資格を不可能にさせてしまうわけにはいかない。いい仕事が人物評価の誤解で取り込めない勿体無さは、計り知れない。

絆の取材号を出す必要を感じている。

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父へのみやげ>中華丼・鼻毛切り
母への言い分け>アイスモナカ

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夜間傾聴:□□君(仮名)
     ******君(仮名)
     中延君(仮名・来週中に行きます)

(校正3回目済み)
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今回の書き込みは休みます/シンポ「どうする?日本の若者支援/教育・福祉・労働をつなぐ」見てきます

2009-07-18 09:28:47 | 引きこもり
夏期講習前の準備に追われています。これから打ち合わせにでかけ、帰りに立教大学のシンポ●「どうする?日本の若者支援/教育・福祉・労働をつなぐ」を覘いてきます。

今夜は書きこみます。
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泡ただしい一日がすぎて(通院と買出しの一日)

2009-07-17 15:50:05 | 引きこもり
夏期講習の調整が煩雑に割り込んで、今週はなおさらに集中した編集時間が得られずに、書きなぐりの文章で申し訳なく思う。連休明けから前期が始まるが、相変わらず教室では、私は問題処理係兼取り出し指導係。たまに何か穴埋めせよということで前座をやっている。中心は外勤、巡廻指導屋。だから夏期講習はどっかりと時間帯が与えられるのではなくて、ここのほころびを繕ってくれというような個別の中身だから、日程がやたらに変更になる。だから夏期講習は誰々の「通学呼び寄せ日程」となる。夏期は昼間でも学生が街をうろついても目立たない期間と、不登校している若者が思う連中が多いから、「通学が夏期講習」なる特別企画なのだ。完全進学予備校の脱落防止裏稼業も混じっているので、二股でややこしい。

それはそうと、昨日は網膜色素変性症の目の検査。生協の配達やら宅配便、我が家の修繕の担当者など、なかなか出発を許してくれないので、バスに乗り遅れた。少し離れた別バス路線に飛び乗ったら藤沢駅行きだった。渋滞箇所を何箇所も抜けるので、やむなく藤沢本町から小田急線という選択をした。小田急は相模大野・町田をホームグラウンドにしているので、しょっちゅう使う路線なのだが午前中の様子を知らなかった。ほとんどが鈍行なのだ。やむなく藤沢に戻り、何をしているのやらということで東海道線で東京へ。

午後一番で登録しても、外来の高齢者をなめてはいけない。予約してあるのに午前中から早々と通院して登録している。幸いここは携帯電話の番号を伝えておくと、外出していても順の近くになると電話をくれる。少し便利だ。「少し」というのは、初めに検査、次に診察という二段構えになっていて、この検査の中も待ち時間がある。視野検査などは1時間近く待たされる。この間は外出禁止。次に診察に移るところで待たされる。会計で待たされる。最悪なのは、私の目薬は他の調剤薬局だと取り寄せになってしまうので、大混雑している紹介薬局に行かざるを得ず、そこが30~40分待たされる。携帯呼び出しが意味が無いのだ。

開放されたのが17時前。右目の視野がまたまだらに狭くなっていた。進行しているのだ。進行を遅くするのも難しく、ビタミンAの大量投与かレスキュラという眼圧抑制兼血流増進目薬を注し続けて、状態進行を抑制していく。効果も経験値で選ばれた段階で、薬効を証明されているわけでもない。

大手書店で目的の書の買物、すべて在庫なしなので予約する。

●「参加から始める知的障害のある人の暮らし―支援を高めるアクティブサポート」
●「社会福祉学は「知的障害者」に向き合えたか」
●「ベーシック・インカムの哲学―すべての人にリアルな自由を」

帰りにBig Issue 東京事務所に寄る。Tさんと「あすなろ会」の誤解を解くために、糸口をつける話。Tさんをスターに祭り上げるつもりなど毛頭なし。お邪魔できる日程作り。5分ほど立ち寄って終わり。Sさん、MさんではなくIさんを仲介させてもらったのは、前の支援者の方々を良くご存知だからだ。

新宿で食事後、小田急で湘南台へ。駅前の薬局で紙パンツなどの大人の介護用品を置いている店が閉まってしまうため。湘南台なら数店空いている。両脇に紙パンツと尿取りパッド、防臭剤を抱えて辻堂行きバスで帰宅。

家に帰ると大ゴミを搬出するのが明日8時半までと、母が待っていた。昔のゼロックスコピーの台やら、父の汚れた布団、吹き飛ばして壊した家具など5点。
2階から降ろして門前へ。

父が興奮。追い出すつもりかという抗議を沈静化。ラーメン丼ぶり1個割れる。引っかき傷だらけなり。ベッドにうっちゃり。まずかったと後悔しつつ、ベッド柵が飛ぶのをかわす。その夜のおむつ交換は出来なかった。

昼一番の授業代行を済ませて、相模大野から帰ってきたところで書き込んでいる。今夜の巡回は日程変更。

これから図書館まわりと買物。落着いた仕事に憧れが。しょうもない話なり。


夜間傾聴:多摩センター君(仮名)
     入谷さん(国際電話・元気だ!)

(校正2回目済み)
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県人材育成センターの分科会に参加して/Tさんと夕食を食べつつBig Issue再開の話を

2009-07-16 11:32:43 | 引きこもり
昨日は、県人材育成センターの「不透明な社会で不安を抱える若者の対処支援プログラム開発」分科会に参加してきた。何か恥ずかしくなるネーミングだ。10分遅刻したのだが、私がついてすぐ、ここの話は若者就職支援センターの業務と重複しないように「企業内に対象を絞った」プログラム開発とするという方針が語られ、労務・人事担当者に勧めるメニュー作りという不毛な領域に。「どう動いても社員管理の掌の内」という線。それではことは解決しないという事例をぶつけていくことにした。終身雇用制時代の、勝手な切ったり操縦したりの発想こそ問うべきなのだ。

参加者はプロばかりの中に市民活動屋の素人がひとりの感じで、私以外はキャリアコンサルタントと中小企業人事担当者そして行政関係者という面々。立脚点を別に棚上げして、漠然と評論するのも変なのだ。その曖昧な論の中でも、その議論は目的なく状況事例が飛び交う。

私からは、基本は若者という概念で一括するのは無理だということ。お互いが経験した事例を挙げて、仕事中と私生活を横断して支援体制を組むという、従来の企業活動からは事例の少ない、地域協働のモデルとジョブメンター(職場の兄貴分)も労務管理の枠をはみだして、拡張してつながることを提唱することになるだろうという私の提案の扱いに、参加者は戸惑っていた。企業が地域活動と結びついて何かを成すという事自身が、視野に無かったのだ。

父の帰宅受け入れがあったので16時で中途退席させてもらった。

地域のプレ就労の場作りや、地域のセイフティネットでケアの後、職場への段階移行の社内プログラムとつなぐという妥協線を提示したつもりだった。

先日、聴覚障がいの方に寄り添う手話通訳の方から、職場の問題が起きたとき、本人の通訳として職場に入ろうとしても、企業秘密の観点からと参加拒否されてしまう厚い企業の壁の話を伺ったばかりだった。守秘義務のある通訳でさえこの有様。地域活動との連携は遥か彼方、ましてや商売にならない、ということだろう。

しょうもない話ではある。

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父を向かいいれる時刻に、滑り込みで間に合った。水曜日は父の信奉する宗教団体の信者さんが階段介助してくれる。彼が私がついてすぐ、後から到着した。今回は、父は無難に階段をあがることができたが、床歩行の部分が腰砕け。歩行器の中に身をおくということが父にはできない。どうしたものかと悩んでいる。

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紙パンツ交換のあと、父におやつ?を出し、階段下にバリケードを作って、外出した。Tさんと夕食をする約束をしていた。彼はいつも時間を守る。18時に集合場所で会って、今日はサポセンが休みなので定食屋に移動した。割合すいていて粘れる場所なのだが、話す内容がTさんの個人情報がらみだから座る場所さえ選ぶのだ。

Tさんに現状を説明した。Big Issue の販売はTさん個人の路上脱出のためだけにあるのではなく、続く販売員さんも支える形にしたいこと。市民活動の中には、彼らが就労の前段として社会参加できる内容のものがあるので、小さなプレ起業として連携していけないかと考えている。放置傘販売のように、少しでも現状脱出に向かえる活動にも連携が出来ないかというようなことを考えていること。その上で、まずはBig Issue 販売をしっかり続けようと提案した。

Tさんは、再開を待っている購読者さんの中から協力者を自分でみつけてきた。路上で話しかけられるという。同じ場所で署名活動をしていた団体の方や、サポセンの利用者さんの環境団体の方だ。Tさんが販売再開すればもっとその数は増えていくだろう。

Big Issue 販売とその販売員拡張を中心に考えていくが、それは路上生活者支援関連の方が入ってきたほうがいい。就労支援を特長にした路上生活者と支援者の自助団体に作っていく。Big Issue 以外の放置傘再販などの活動もやっていくというつもりがあるかという点を話した。Tさんはもともと環境関係で、やりたいことを持っているので、話の内容はそのつもりでいるとのこと。

直接、佐野代表と話したいということになった。

販売活動の保護協力してくれた議員さんたちは超党派であり、かつTさん個人を支援しているわけではない。路上生活者自立支援に賛同しているのであって、彼らは、障がい者就労支援活動も同時に支援している人たちだ。今後の「あすなろ会」以外のBig Issue 販売活動についても同様の支持をしてくれるだろう。

この辺を佐野代表に伝えようと思う。再度面会の機会を作ってもらおうと、話し合った。

夜間傾聴:□□君(仮名)
     橋本2君(仮名)


(校正2回目済み)

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