湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

5/30 懇話会講師選び混線 金曜ミニ・カフェ紹介 自治体の消滅の話を紹介し

2014-05-31 06:30:05 | 地震津波災害ボランティア

2014/05/30 記
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「わーくOnline PicUp No.43」を作っている。金曜ミニ・カフェの紹介を書いた。その中で、日本創生会議の「20~30代の女性の都市流出」と、岩手県三陸海岸部の自治体の危機(過疎高齢化による自治体消滅の可能性の話を引用した。納得がいってしまうところが怖い。宮城県は内陸部が対象からはずれている。この傾向を見通しての地域包括支援ケアネットの有効性の是非と、訪問治療を支える医療関係者の人材不足のことを書いて、はたと打ち込めなくなった。

非被災地にいる私たちが、どのように支援したらいいのだろう。仮設在住の高齢者のしんどさに、どう寄り添ったらいいのだろう。今、私の中では湘南という都市近郊型震災時の医療ケアとの連携に話をスライドしているが、東北の現場に出かけなくては実際のところの支援にならない。仲介活動がありうるか、生活支援関係団体のHPを覗きながら考えている。

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また、懇話会の話、閖上から応答があった。ケア関係者から紹介された被災者の方だった。寝たきりの父親を抱えて、被災脱出危機一髪だったとのこと。震災津波がいかに恐ろしいかを語ってくれるというのだが、会の目的が仲介する間に消えたらしい。せっかくのご厚意だが、場面が違うので鄭重にお断りした。

むげにせずともと、少々罪悪感があり、落ち込んでいる。

明日、精神看護系の団体に会える様なら、東京に出る。

夜間傾聴>なし

(校正1回目済み)

p.s.私の知り合いに絵本を贈っている。ところが今年は輸入が遅れるとamazon からメールがきた。2週間近く入荷がおくれるという。困った。

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5/29 障害者支援のメモを作りつつ考えた

2014-05-30 06:03:35 | 地震津波災害ボランティア

2014/05/29 記
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障がい者向けのメモを書いていて、ふたつの件が気になった。
ひとつは被災地の高齢化によって顕在化した「認知症」との関係、もうひとつが「遅発性PTSD」のケアと精神障がいとのつながりの件だった。そして東北の集団主義(地域の絆という相互監視)による障がい者隠しの影響下、地域活動としての障がい者保護活動の内輪化があり、NHKも取材事例が少ない。バリバラなどの元気のよい番組を通じて、困難の話が出てくるが、実際上の問題として、陸前高田のJDF岩手の小山貴さんたちと市の行政との間で行われた「障害者の行政参加」の事例以外、手元に見当たらない。

被災地の障がい者の困難の件で、比較的早くから現状把握を行いない支援者にガイドラインを示したのが、全国自閉症協会だった。また「あと少しの支援があれば」の著書の中で、中村雅彦さんが2012年という早い時期に、震災体験談を通じて、障がいを横断する支援を話題にしていた。私が一昨年、震災直後に陸前高田の大洋会の青松館作業所を訪れたとき、伺ったのだが、障がい者さんのご家族が亡くなった方がいらしたことが気になっている。つまり障害と困難ということだけではなく、被災と生活崩壊があって、障害を取り巻く環境改善を抱え込む事例もあった。それを取り込んだとき心身の状態型からだけでメモを書くのでは不十分だろう。

また視覚障がいの方の扱いでは、外出サービスの人材不足から、室内軟禁状態という話が登場する。しかしそれは外出時も道路環境の激変の話を取り上げていない。

NHKバリバラでは、議論の中で身体障がい1級の型の1ヶ月分のサービス利用時間が、東北の被災地周辺の障がい者1年分より多いという、施設入所以外は、停滞の状況がある。

だから、常時医療サポートが必要な方、避難所を使わず半壊の我が家で生活を続けている方の家族ぐるみ支援というむしろ、環境に手を打つ方向で支援を考えて行く。

整理を続ける。

「『わーく』OnklinePicUp No.43」製作開始。

夜間傾聴>なし

(校正1回目済み)


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5/28 二兎追うために 仕切りなおし

2014-05-29 06:05:59 | 地震津波災害ボランティア

2014/05/28 記
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命を絶った私の担当した子の法事。私の一年の区切り。
可能性という魔。

懇話会の講師選択を追えば追うほど二兎を追っていることに気がつく。被災地の障がい者の抱える困難と支援という課題と、家族と財産を失った高齢者の3年目の疲労と孤立について、これを同時に語り、指針を提供してくれる方という発想で、支援者側を求めることに無理がある。

今、私たちが実情を知り、災害に関わることの真価が問われている。緊急性という意味で、被災地の認知症高齢者のことを語ってきたが、今必要なのは政策の低迷による頑張りの限界、疲労と孤立に応える事だ。

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必要としていることは、次の対策。

1)被災地における3年目の高齢者の孤立

   a)仮設住宅に残された高齢者の孤独
   b)仮設住宅に残された家計破綻者の孤独
   c)復興支援住宅に再分断される孤立

・この課題は主に、被災地の高齢者の課題。
 実際には、現場の対話がないと先に進めない。
 地域コミュニティの復活に役にする消息仲介等。
・長期戦化。可能性を摘まれた明日。>獏とした不安
 単身者のアルコール依存等。
・訪問相談員不足と対策の困難。



2)被災地における3年目の疲労

 ・復興の遅い被災地。多重債務(二重ローン他)
  長期戦の限界
  仮設商店のジレンマ。地元に仕事が無い
  沿岸漁業の衰退(高齢化・TPPの影)
  
(福島)
  放射能汚染風評被害・家族の分断
  避難生活と高齢者の孤独


以上は早急に対策を打って行く必要があるが、被災後の高齢者の社会的孤立は、地域の精神保健・社会福祉の関わりがいる。

緊急度が順ずる課題

3)被災地の災害弱者への地域サポート
  ・医療介護福祉人材不足<施設機能停止
   高齢者施設の職員不足の現状
   地元専門職支援
   年末の懇話会>被災した施設の経験をもつ講師

この3点を通して、効果をえるための、地域の医療関係者のチーム型支援を考えて行くこと。おそらく非被災地の支援者が被災地と連携をしていくパイプになるのでは。

「訪問診療」とその議論は、地元拠点病院関係者または支援専門職に語ってもらいたい。必ず役に立つ。

しかし私は、家族を老健や特養に送り出していた経験があるが、高齢者支援の活動をしたことはあるが、高齢者支援の社会活動をしてこなかった。ここに自閉症スペクトラム・うつ病の青少年の進学・就労支援を行ってきた関係から、障がい者畑との接点から、高齢者の課題も協力依頼をかけていた。ここはやはり分けるべきだろう。

私は、これから東京の関係者団体を回る。すでに一定の教訓型の集約を行っているJDDや、視覚・知的・精神関係の団体(これは年末用)と、認知症関係の団体を取材する。被災地現場の空気を持ち込むための準備アクションである。

障がい者関連のメモは、あとで追加する。

夜間傾聴>ひとり

(校正1回目済み)


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5/27 今日は足踏み

2014-05-28 05:45:48 | 地震津波災害ボランティア

2014/05/27 記
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7月の講師の謝金は、私が気仙沼・陸前高田行を1回抜くことで補填することになりそうだ。地元障がい者2団体の方とも連絡が取れたが、そこで意見が異なったのは、避難所の扱いについてだ。片方が自閉症関連の方で、福祉避難所設置について問いかけたのだが、家屋全壊のお宅でも、一般の避難所に入るのは無理ということで、健康状態を把握することは後手になるとのこと。今起きている事態をも情報難民化しているので、自前の避難所作りの議論の方が優先だという。避難生活と心の治療の問題は、あまりリアルではない、高齢者の方でやったらどうかとのこと。もう1団体は視覚障がい関連の団体。訪問治療より、訪問介護のほうがわかりやすいとのこと。

今日は、個別指導と教材屋の原稿校正にふりまわされ、上記以外は話の進展は無い・

ーーーーーー

夜間傾聴:なし
p.s,明日はGHの命日


(校正1回目済み)

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5/26 懇話会講師選び難航中、踏み越えていくために

2014-05-27 06:05:29 | 地震津波災害ボランティア

2014/05/26 記
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懇話会の7月講師の選択が壁にぶつかっている。初めの壁は謝金の金額がおりあわなかったことだ。これについては、先方の理解を得るための目的告白を書き、やっと門前払いの事態は克服されつつある。

2点目は、7月の会の目的が地元の参加者に伝わらないことだ。これは、「わ~く」編集部の「金曜災害ミニ・カフェ」のなかで紹介している避難生活中の要医療災害弱者の話と、対策として検討されている「地域チーム医療サポート」の必要性と「訪問診療・治療」の導入による「地域拠点病院<>家庭医と地域チーム訪問診療」の医療の新分業の検討といういわゆる過疎傾向にある地域医療のスタイルを議論したい。湘南のような近郊都市の医療モデルとの比較である。

災害という媒介があるものの、政府が語り始めている「地域包括支援ケアネット」の推進という文脈の中に、災害時の「地域チーム医療サポート」が先行的に導入の話となる。医療関係者の負担や、家に返された被介護者を支える家族の負担増大をどう考えるかが、生活再建という厳しい状況下で先鋭化して問われかねない。その両刃の剣を振るわざるを得ない地域医療再建の問題がある。

この点については、高齢者・要治療障がい者についてリアルであるが、要治療障がい者の場合は、近隣地域の諸施設への避難入所の率が高く、高齢者の場合と様子が少し違う。

つまりニーズが多岐にわたっているために、地域医療の講師選択がリアルな障がい種別と、一般の被災傷病以外ぴんとこない障がい種別の方が出てくるために、長期避難生活の歪み是正に医療を論じることが、難しくなっている。ALSの方のように、呼吸維持のため、医療が片時も離れることなく必要とされている方もいれば、スポーツもされている四肢障がいの方では、医療の必要性も受け取り方がちがうだろう。

つまり医療関係者の講師を招待するということが、障がい諸団体の関心をなかなか喚起できない困難を抱えることになる。

加えて、飛田忌避の広がりが有る。ここを「今・ここ」で議論を積み上げて行くこととの大切さが伝わらない限り、再び会の無人状態が起こる。懇話会提案は、誰の主導によるものでもなく、飛田が提案していることは事実だが、その会は互いの発想の泉となっても、主導活動になるものではない。災害の特に亜急性期以降の生活・福祉・介護・医療の議論の公共空間を求めるもので、それ以上でもそれ以下でもない。ただそのことは、どう言おうと経過以外は、怪しむ周囲の判断基準にならない。ただ失敗を繰り返させてもらえるのは、2度は無い。それゆえに、必要な内容であることが、皆に通じる人選でなくてはならないだろう。

金銭的な負担は確かにあるが、それ以上にひとの信用の選択ゆえに、この壁は、越えなくてはならないのだ。

すでにその後の「被災地の施設関係者」の被災体験と被災地域の講師選択(年末か年始)が始まっている。その流れの中で7月の「地域医療」の企画実現がタイムリミットに来ている。

NHK・未来塾では福祉・医療系大学生に北里大の准教授が仮設住宅生活支援の話を語りかけていたが、私たちは現地ではなく、非被災地にあり、そこで何が出来るかという問いに直面している。経験を吸収した湘南の防災、それもそうだろうが、東北の被災者が以前、避難生活を強いられている方がいることへの想像力と働きかけを鈍磨させてはならない。現地で語り合いたい、それが夢でもあるのだが。

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風邪がやっと山を越えた。東北大学大学院関係者向けのメールを書いている。送信は明日か?

夜間傾聴>ひとり(おひさしぶりです)


(校正2回目済み)

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5/25 有賀絵里著「災害時要援護者支援対策」を読む 他

2014-05-26 04:14:06 | 地震津波災害ボランティア

2014/05/25 記
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懇話会講師選びと平行して、災害時要援護者支援活動を進めている関係者の方を取材するために、関連書を読んでいる。先ほど読み終えた本は、身体障がい者でもある茨城大の講師・有賀絵里さんの講演集のような「災害時要援護者支援対策~こころのバリアフリーをひろげよう~」だった。早速入手したのだが、よりにとって風邪を引いて薬の副作用のなかで集中力途切れたが、さきほど読みえた。

しかし、ちょっとこれはいただけなかった。というのは、」半分以上が車椅子生活とバリアフリーの解説に費やされており、そのひとつひとつは安全避難時の障害となる事例の話だった。

後半やっと本題に入ったが、初めての方の手探り策のように、47都道府県宛にアンケートを送った話から始まり驚かされた。被災時の要援護者支援は、その当事者がケース・バイ・ケースで支援の様子が異なっており、極論を言えば、極点旅行者がブリザード時、健常者であろうと要援護者になるように、環境設定によっても範疇は変わってしまうのだ。そういう相対性を棚に上げたとしても、ここで問題にしているのは「安全避難」のことに話が限定されていることに気づいていない。それを県レベルで調査してもあまり意味が無いのだ。障がい者の分類表も三障害当時のものであり、「発達障がい」や「内臓障がい」・「容貌障がい」・「病弱者」のような範疇や、困難が固定していない「傷病者」のような障がいに連続する範疇の外側のことが反映していない。たとえ「安全避難」の範囲に限定しても、その対策は千差万別であり、想定しているイメージがどうも固着を起こしているようだ。

結局、付録のインタビュー「災害時要援護者について語る」のところでケース・バイ・ケースでおわってしまう。無念、本書は使えなかった。

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風邪で身体じゅうのが痛むので鎮痛剤を飲んだ。今度は眠気が来て、味覚が鈍くなった。食材が欠けていたのでしぶしぶ買い物に出た。安上がりにと鯖(さば)の切り身を買い込んで味噌煮をつくったが、味付けが塩辛くなって、もともと青魚のきらいな母は、大半をのこしてしまった。なんともしんどい。

明日、相模原に出たとき、市役所によってみようと思っている。どうやら類似の企画をたてているようなので、ヒントをもらえまいかと思うのだ。

8月いっぱい「金曜ミニ・カフェ」の予定完了。

夜間傾聴:ひとりだが中止(咳き込んで話にならない。)

(校正2回目済み)

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5/24 老人会が成り立たないという話・他

2014-05-25 05:29:42 | 地震津波災害ボランティア

2014/05/24 記
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体の節々が痛む。母の風邪が流感とわかっていたから、早目に風邪薬を飲んでいたが、やはり発熱するときは発熱するようだ。土日の相模大野校の仕事を変更したが、すでに「またか」という感じだ。今日は、母の介護度に応じた指導計画を通所先担当者とケアマネさんが我が家にやってきて、年間計画の話をすることになっていた。

母の困難は胃がん手術後の後遺症から、身体のバランスを崩していることにある。年から比べれば元気な方だが、突然の嘔吐や、歩行の不安定化がある。また、最近少なくなったとはいえ、突然の眩暈(めまい)があり、体調が優れぬときの歩行は危険だ。

母は同世代の友人が次々と外出できなくなり、先方がメールが出来ないために、固定電話のところにさえ出られないということに、母は落ち込んできている。「固定電話なら子機を置け」という母の提案も「難しいことは出来ない」と拒否されるという。認知症の発症をしていく者もいて、もう少し若い世代とつながりたいと考え始めている。それをケアマネさんに相談していたのだが、紹介されるものは、カラオケの会だったり、演歌で踊る会だったりして、母はうんざりしている。今の介護度では利用できないが、デイケアも故・祖母の介護で、内容を見ており、あの「子ども扱い」は死んでも嫌だと言っている。提供される文化が偏っていると怒る。

今回の話し合いでは、その辺の話も出す予定でいたが、とにかく逃げられてしまった。ただ地元老人会がすでに無くなっているという話は、私の予測を上回るものだった。介護度制度が始まって、デイケアが拡がったことが大きいという。

災害ボランティアの中で、被災孤立や認知症について、老人会や地区社協がどのような思いでいるか気になっていたが、その問いかけ自身を受け止める器になっていないのではないか。

母の健康維持のケアは浮いていた。母は医師の指示によって治療の一環として行っており、母もまた外出の自由を確保するために身体トレーニングを行っているが、周辺の人たちは子どもが送り込んだ方ばかり。女性は何を語りかけても、ご主人や子どもたちが仕切るから知らないという。男は野球と地元の祭りの話しかしないという。なんとかならないのかというのが、母の希望だった。結局母は施設職員と馬鹿話をして終わる。世間は広がらないという。今回もそれを引きずったままで終わった。

ケアマネさんと話をしたが、「地域包括支援ケアネット」の構想は絵に描いた餅のようなもので、ケアマネさんは、今ある課題で手一杯とオレンジの輪を見せてくれた。認知症対策の研修を受けることで取得する輪だった。認知症のシンボルカラーはオレンジなのだ。だからなおさらに、被災時、彼らに任せておいたら折れてしまうと思うのだ。しかし災害は近未来にやってくる。政府の言う在宅介護を支える地域ケアの民間ボラは、結局仕事の無料外注請負にすぎない。そうではなく、まずは災害時のときのケアの話を直接面倒を見ている主婦にだけ求めるのではなく、中高生や学生を引き込んで行く手立てを考えたい。この辺になると、さすがにケアマネさん、お手上げらしい。それはそうだ、この話はサポセンの領域であるからだ。


p.s.懇話会の講師候補に日赤秋田看護大が再び出始めている。ようするに研修に出かけた学生さんたちのことだ。しかし、災害後の精神医療の話や、地域ケアネットと民間ボラの話、都市と田舎の訪問医療の違いの議論には役不足だろう。かといって予想される飛田とのにらめっこで終わる懇話会の悪夢は現実だろう。その意味で湘南にも使命感を持ってくださる方が欲しい・・。土下座だけでは済まないだろうからだ。プライマリケア連合学会の方々が、進まないのは、この辺の忍耐をしてくださる方も見つかっていない。謝金の金額だけのことではないのだ。来月初め、予算はなんとか確保の見通しがついたのだが。

夜間傾聴>なし

(校正1回目済み)

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5/23 金曜・災害ミニカフェを終えました

2014-05-25 03:50:45 | 地震津波災害ボランティア

2014/05/23 記
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風邪をひいた。熱が出たのがわかったので、茶の間の作業を中断した。今回の風邪は珍しく母からうつったものだ。地元医の外来から持ち込んだらしい。今、JR相模原の塾の方も困っていると聞いている。私は教室の授業を担当していないので、そちらからの感染は無いが、このまま相模大野校の方に行くのは、様子見したほうがいい。

3回目の「金曜・災害ミニカフェ」を行った。やっと本題の「支援の潮が引いたあとの、被災者の忍耐の限界の時期の寄り添う支援とそのあり方の模索」・「近未来の大規模被災に備えた長期避難生活対策」へと、直接つながる話題を取り上げた。

被災3年余。この時期は、長期避難生活の矛盾が噴き出してくる。遅発性PTSD(心的外傷後ストレス障害)や認知症・うつ病・アルコール依存症等、その極限としては孤独死に至る方が社会の影で増加する時期だ。避難生活長期化の疲労・家族の喪失・生活設計の破綻・未解決借金の累積等、個人の頑張りだけではとても背負いけれない問題が、被災家族にのしかかる。生活再建のために気持ちが追い込まれれば、社会的弱者としての障がい者・体力を失った高齢者にあきらめと心理的な圧力がかかる。そういう意味で、被災者の中では、「裾野が広い問題」が広がっている。その頂点が「孤独死」だ。この「裾野の広さ」を無視して、特殊な落伍者の問題と決め付け、切り捨てることがおかしいのだ。

しかし社会的関心の潮は引いている。NHKが黙ってしまったら、東日本大震災は過去の出来事にされてしまうだろう。13万人もの方が避難生活を続けている現状を、ひとの運のせいにするのだろうか。福島の場合は、ましてや人災ではないか。

課題は家庭の事情の問題になった。「プライバシーに関わることに触れることは出来ない、非被災地にいる私に何が出来るだろう」という発想は、問題の発端、災害の社会性に蓋をしている。私たちは災害の責任を個人で負う限界を目の当たりにしている。それを個人の問題にすりかえている。

映像は編集の主観に晒されている。しかし、その映像が持つ信憑性は高いことがわかる。その根拠は、予想される被災のストレスの大きさだ。家族や財産を失い、再建するにも年齢上、再出発が切れない方が、語る相手もなく悶々としている状況は、想像に難くない。その論点を、お互いの中に鮮明にしてくれるのが映像だといえる。答えが映像の中にあるのではなく、私を今起きていることとリンクする営為といえる。よそ事にしない。ただそのことが会の唯一の「作為」だろう。

今回の番組は、

●「NHK 被災地の福祉は いま(3)相次ぐ新たな"心の病"(相馬市)」
●「TBS報道特集『震災と自閉症』小野寺 凌君の被災3年後」(気仙沼市)

の2本だった。

前者は遅発性PTSD(心的外傷後ストレス障害)の話だ。相馬市の精神科医・蟻塚亮二医師の話が基軸になる。東北は「世間に迷惑をかけない」という縛りがきつい精神土壌にある。それが手伝って胸のうちに収めてきたトラウマが、コップから水があふれでるように、限界から発症してくる病のことだ。

被災地の仮設住宅は、再出発できる者が抜けていき、取り残された高齢者が病んでいく。こうした、いままで障がい者の範疇から抜け落ちてきた社会病理の中の心の病が広がっている。従来の精神障がいの枠では救えない人たちだ。

しかし、従来の障がい者の枠組みの中の方でも、環境の激変と理解できない恐怖体験から、自閉症の当事者とその家族も、被災の余波に直面している。ここでは、こだわり行動が強まり、パニックが頻繁におきる現状を報告している。被災という厳しい状況の中で、小野寺君は施設に一時入所した。所属していた特別支援校が被災したからであるし、生活再建のために、親は家庭を安定させなくてはならなかったからだ。その環境の変化が彼の状態を悪化させていた。

成人視覚障がい者の方が、震災津波で激変した道を歩けなくなり、付き添いのヘルパーさんの人手不足から孤立し、こころを病んでいく話は、懇話会に招待した小山貴さんのカバーエリア、陸前高田で起きたことだ。

「孤立」という点で、地元の専門職もまた自らの家族の喪失を味わっていたりする。この3年目の状況を、少なくとも専門職の双肩に委ねるほど酷なことはない。心をくだけるのは、関係者だろう。そこになんらかの支援の道を考えていく契機を作りたい。懇話会は、「現在の被災地のいぶき」を伝える役割がある。被災地の、災害弱者とその家族のニーズをみつけだすための懇談をおこなう。公共の情報交換の場という限界を持つ。

しかし今回の番組を観る会は、雑談、感想の交流を通じて、なんからかのアクションが生まれることを祈る。今、東北で起きていることは、近未来、南海トラフや首都直下型の震災の形で自らに帰ってくる課題だ。

考えよう。徹底して考え続けよう。

現実は、今回も参加者がいなかった。しかし、問い続けようと思う。おそらく懇話会のゲストも「災害と精神医療の話」が中心になるが、私とゲストの空転に終わるだろう。しかし、湘南にもこの話が広がっていかなかったら、何十年も同じ過ちを繰り返していくことになる。


夜間傾聴>風邪発熱のため中止

(校正1回目済み)

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すみません、風邪をひきました

2014-05-24 02:41:11 | 地震津波災害ボランティア

明日昼間に書き込みます。

 

飛田

 

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5/22 「金曜ミニカフェ」、PTSDの話に入る

2014-05-23 05:54:51 | 地震津波災害ボランティア

2014/05/22 記
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親子で風邪をひいた。マスクの怪人よろしく、メガネを息で曇らせつつ、相模線車内の私の隣は、半袖の方がいる奇妙な光景。雹・竜巻警戒警報がでており、気温がやたらとかわる。そんな日、母も調子を崩していた。

今回の懇話会は宮城県にほぼ決まりだ。しかし医師を捕まえることは、こうも厄介なことなのかと思う。明日は「金曜災害ミニカフェ」だ。上映予定画像を映して、論点を整理した。

被災地で起きていることは、いつか私たちも通る道だ。この3年間脳裏に抑圧してきた圧力を払いのけてPTSDが増えている現状は、単に震災の衝撃的体験によるものだけではなく、家計・生活設計の破綻と、家族を初めとした親しい方の喪失という過酷な経験の結果として発症している。

やっと、ミニカフェで、この課題に至ったのだから、丁寧に語りたい。そして私たちにできることはないか、道を開拓したい。

先日のサポチガ総会の際、++さんが「無理をするのはやめましょう。楽しくやりましょう。」と呼びかけていらした。文脈がたどれないので、想いをためていて発言されたものと理解した。しかしこのPTSDの問題は、電車の中で急病人が出たから、次の駅でそばし止るという、少数の方のために全体が停車を引きうけるような意味の、少数派保護なのではなくて、家計・生活設計の破綻や身近な方の喪失といった被災者の多くの方が抱えている多数派の傾向に根ざしたものであることを理解して欲しい。ここでは「元気で頑張ったり・明るく楽しく」という逆の強迫観念が、自分の現状を快活の鋳型に入れること自身が限界にきていることを忘れまい。ただ丁寧に寄り添って行く支援が必要という意味だ。「笑いすらも時によっては抑圧になる」ということ。

水戸巌さんの著作集が復刊された。私は学生時代に救援会に参加していた。そのときに出会っている。遭難死されたのだが、さっそく東京に出かけたとき、書店を覗いてみよう。

これから、サポセンの登録団体誌面の更新原稿を仕上げてから寝よう。

今夜こそ、金曜ミニカフェ、参加者がありますように。突き抜けるべし。


夜間傾聴>ひとり

(校正1回目済み)

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5/21 ペットレスキューの価値/災害ボランティアのCMは?

2014-05-22 05:14:29 | 地震津波災害ボランティア

2014/05/21 記
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昨日のペット・レスキューの「新しい飼い主」さん探しという活動に、違和感を感じている方も多いに違いない。私もまた里親さん探しは、私が考えている目的の傍流活動のように感じている。

私はペットと向き合う時の飼い主さんの心の静穏が好きだ。災害は、この心の静穏を破壊してしまう。私は家族の介護のことで、特養をいくつか覗く機会を得た。その中で私は、ペット・セラピー(療法)という活動の現場に立ち会うことができた。実はこの「ペット・セラピー」は、不登校・引きこもりの傷ついた心に、命の営みの一角のペットとの「交流」という場面に立ち会うことができる優れた方法であることは知っていた。犬猫との交流は、引きこもり青年たちの中間的就労や、トリマーなどの職業の分野への就労への契機として可能性を持っていると思ってきた。その目で、高齢者のペットとの出会いは、より深みに満ちたものだった。

恋愛が本質的に能動的なものであるのと同様に、猫を頬に摺り寄せている老婦人は、猫を愛していた。能動的に愛する自分に出会っているのだ。ペットを飼っている方の「うちの○○ちゃん」という人称で語るそれは、ペットを家族として受け入れているのだ。災害避難の際、人命が大事と、ペットを残して避難したあとに、それゆえに心に深い後悔と悲しみがやってくる。だから、ペットを生きて保護できたとき、それを守りたいと考える方の気持ちは「たかが獣」ではない。幼い子がペットと死別した体験がPTSDを起こすほどに深く心揺り動かされていることは、保護されたペットたちに安住の地を提供することによって、その喪失感を抱く方々への間接的なプレゼントとなりうる。

だから「新しい飼い主さん(里親さんと呼ばないで下さいという、ひとの里親の会からの抗議があって、里親と呼ばなくなってきている。)」にペットを預けて行く活動は、本来は被災しペットを失った方々への贈り物の意味で行ってきた。生命の等価性に基づき、自然保護と結びつけた発想から、ペットの命を保護するという活動ではなく、私は活動の価値をもっと人間に引き寄せて考えている。

しかし楢葉町の「白」は、我が家の通り猫たちとも隔離・座敷飼いをしていて、一度突き返された猫だけに、この状況が持続できない状況になっていた。薬剤師さんの「きじ猫」君は、やはり野良から受け入れた猫で、猫エイズを持っていた。だから「白」が猫エイズということで、不妊手術と予防注射を行ったうえで引き受けてくれることになった。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

今日は「NPOサポートちがさき」の総会だった。順当に議題が通過し、閉会したところで「金曜災害ミニ・カフェ」の予定表チラシを撒いた。説明は加えなかった。災害ボランティアという意味では、誰も接点が無い方ばかりだったからだ。

さっさと夕食の買い物を済ませて気が付いた。これから相模大野校である。まあいいかと青ネギがはみでている袋を両手に、教室に入っても生徒は慣れてしまっている。

風邪気味なので話を少なめにし、演習っぽい流れでお茶を濁した。

先日の講師研修の時の話が変だったと、新入講師が語りかけてきた。もはやこの世代は「窓際族」の言葉を知らない。私のことを、押し出されて窓から自殺するのではないかと思ったようだ。君の想像力はすばらしいよといいつつ、ご心配なくといいつつ、辞書を手渡した。素直に教えればいいのに、この辺が偏屈爺ぃなのである。

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墓石の記銘確認の電話がかかってきた。まだ出来ないのかと思う。父が死んで半年たってしまう。

被災地親の会関係者も調べている。これは7月ではなく秋口の分だが、要点は避難スキルを高めるというより、災害という事態を肌身に感じて欲しいことと、既存の地域システムだけでは保護しきれない事態が起きること。大震災レベルの広域災害では、内陸部の保護施設もパンクしてしまうことを念頭に置きたい。懇話会の目的は比重を避難生活におく。

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朝日新聞が福島第一原発のすっぱぬき記事をだした。原子村の懲りない人々、これには呆れている。他の新聞社の静けさ。様子見なのだろうか。

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5/20 講師依頼、応答待ち/楢葉町被災ねこのお見合い

2014-05-21 05:35:24 | 地震津波災害ボランティア

2014/05/20 記
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一昨日、楢葉町の保護猫と薬剤師さんのお宅の猫がお見合いをした。それがどこをどうとらえ違ったか、薬剤師さんが愛猫を連れて、我が家に午前中にやって来たのだった。

知らないところに猫を連れてきても、怯えて話にならないのは当たり前。私が楢葉町猫を先方に譲り渡す話なのに、何を勘違いしたのか、受け入れ側の猫を連れてきた。これは意味が無い。

テンションの高い看護師さんに、しぶしぶ引率されて、この方のお宅にお邪魔してきた。親子の2世帯住宅で、親御さんが猫を抱えて面倒をみている。相互の世帯が完全独立していて、部屋の密閉性も高く、室内飼いも楽だろう。

嫌がる楢葉町猫の白をケージに押し込んで、先方の車から、お宅に白を送り込んだ。白は戸惑っていたが、相手のきじ猫とは、けん制し合いながらも、なんとかなりそうだった。座敷猫として飼い、外には出さない。

白は猫エイズだから、外出は禁止。相棒のきじ猫も猫エイズだから、単独飼いにはしなかった。

翌日、白が餌を独占して困るという連絡が入ったが、まずは7日間様子を見る。成功すれば、我が家から被災猫がいなくなる。

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雨が降り出した。午後から「NPOサポートちがさき」の総会がある。ここで「金曜災害ミニカフェ」の予定を配り、時間がとれたら協力を求めるつもり。

懇話会講師の件は、先方からの返信待ち。「『わーく』 OnLine PicUp No.43」編集開始。

夜間傾聴>なし

(校正2回目済み)




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5/19 懇話会講師4人から2人へ絞り込んだものの

2014-05-20 06:16:50 | 地震津波災害ボランティア

2014/05/19 記
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7月の講師は、避難生活が生命維持に困難な状態に傾きつつある、緊急性のある方を除いた、つまり現在は避難生活に何とかついて行っているが、心身が悲鳴をあげている状態、災害弱者のケアについて、3.11大震災あるいは阪神淡路大震災の現場事例・エピソードを提供して下さる方という制約をつけて絞り込んだ。

だがこれは、要介護高齢者・傷病者・重度身体障がい・上下肢障がい・自閉症や統合失調症の方のストレス症状等は分けて今回先に企画することにした。避難生活の医療・介護サポートを抜きにしては、状態が被災以前の水準に戻れなくなる危険を孕んだ、いわば黄信号が灯っている方たちだ。関わりとしては専門性が高く、無資格民間の生活支援ボランティアは、専門職補佐というより、家族支援に比重が置かれる。

次回は具体的には、認知症の進行や、軽度認知症・視覚障がい・聴覚障がい・容貌障がい等の方は、11月に取り上げる。ここの層については、それまでの間に「無資格民間の生活支援ボランティア」の連携像を、「わーく」編集部企画の「金曜災害ミニ・カフェ」の場で、映像を吟味しつつ、有効性を探り出し、参加の領域を確保して行く。

この基準にそって、陸前高田が再び候補にあがってきた。日赤秋田看護大の方は、交通費の件で綱渡り。プライマリィケア連合学会関連の方は、いわゆる「地域包括ケアセンター構想」を見通した「訪問治療」の是非が問題となる。現在の地域医療のなかでは、「訪問薬剤師」とともに災害とチーム医療の話があって、むしろこれは、後者の中で地域ボランティアの議論につながるだろう。阪神淡路筋は、むしろ南海トラフ大震災の議論と関連付けて依頼すべきであり、私の準備不足がある。2名のメール返信と、空転電話1回、これが、昨日の作業だ。

夜間傾聴>**子(仙台ドライブのストレス)

(校正1回目済み)

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5./18 懇話会講師選び続く その基準は

2014-05-19 05:51:59 | 地震津波災害ボランティア

2014/05/18 記
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松の芽切りなどの時期で、庭師が入った。庭師のいる時間帯、母は午前通院。午後帰ってくるが、それまでの時間、とにかく懇話会の講師選びの前段調査をしていた。私の仕事のお膝元、相模原市の行政関係者に相談する部分が出てきた。講師候補が決まらないときは、はじめの候補に戻らざるをえない。

その講師の場合、関心の中心が「要援護者の安全避難」になるので、3.11関連では、3年余過ぎた被災地の現在の課題にスポットが当たらない可能性がある。また、研修指導の形になるので、高額謝金の問題がある。

昨年7/28日本ストレスマネジメント学会第12回大会のシンポジウムのテーマが「災害時のストレスマネジメント-急性期から復興期まで-」となっており、いわゆる「避難後」の「心身のケア」が具体的に語られ、そこからガイドラインを作り上げて行く議論がなされたようだ。ここの論議は専門職の災害時対応が関心の中心で、大災害が起きたときに、初動3日を含め、専門職の仕事過剰集中が起き、地域住民のボランティアの協力が不可欠となる場面がありながら、 関心がない。微妙な分野であり、プライバシーがからむので、素人と仕事分担は無理という判断がある。

今回、懇話会で招待したいのは、高齢者・身体障がい者・他の重度障がい者にまたがる医療・介護・福祉のいわゆる医療専門職の経験提供が欲しいのだ。場面は「避難所」「仮設住宅」「拠点病院外来」と「近隣在住者の訪問看護・介護」の重要なエピソードが欲しいのだ。また「不安定な福祉避難所」支援や避難時の「通院介助指導」「単身者対策」などが課題となることから、話は拡散しやすい。あくまで「高齢者・障がい者の亜急性期のケア」ということ、そこから、対象講師の関心とが一致すれば講師を依頼することになる。

「あの日 わたしは」の中に小学校の校長さんが、校舎を避難所にしたため,地域住民のトラブル対応に追われる実態があった。それにすれば、地域住民との連携などは、問題発生だらけだろうと思われる。そんなハードルを講師に納得させせられるだろうか。

明日、日赤秋田看護大の紹介をうけた方と電話で話す。

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庭師の作業中、母は帰ってきた。入れ替わりに私が橋本へ。惣菜をかき集めて遅い夕食を母と食べた。

明日、楢葉町の被災ネコのお見合い予定日、案外近いところに住んでいる方なので、歩きで行ってもいいかなと。問題はネコ。移動用のケージにすんなり入ってくれるかが心配。

夜間傾聴>なし

(校正1回目済み)

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5/17 懇話会(7月)の講師選びが大詰めに

2014-05-18 06:08:53 | 地震津波災害ボランティア

2014/05/17 記
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懇話会の講師選定が難航している。ひとつは本当に話を聴きたい被災地病院の医療関係者は、被災地の人手不足の現状の中ではなかなか現場を抜けられないという事情がある。講師が支援者の場合、行政の現地派遣で行った方が多く、長期滞在してケアに当たっている方は案外少ない。チーム・ローテーション対応の統括レポートのような伝聞の話はできても、いわゆる現場経験の空気のようなリアルな語りには距離がある方が多い。問題は脚色を言っているのではなく、的確さの深みのようなものである。

漠然と「被災現場の要援護者のケア」と言っても、「3.11被災要援護者の現在の困難」・「湘南の災害時要援護者の防災及び避難後の長期ケア」に役立つ、経験のメジューム(補填剤)に満ちた語り(これは講演よりカンファに近い)の可能性を持った方を招待したい。これは懇話会を「ケア関係者の懇談会」とした、現状に根ざしたいわゆる地域ネットへの契機を孕むものに育てたいという思いがあるが、取りあえずは、「被災現場の要援護者のケア」への感触と新たな視点が得られればよしとした運営方針に合致するものだ。

前回の小山氏の講演のように、私の企画力と信用度の欠陥から、全く地元の支持を得られない場合も有る。その空転の覚悟の上で選ぶことになるから、先方に失礼することになり、危うい会に来て頂くとなると、なおさらに人選が難しい。面会を求めての現地訪問は、最終日程が6月上旬を考えているので、ここ数日、ルーチンワークはこなしても、脳裏はこのことで占められているのが現状だ。

別の選択肢の、地元の慶応大看護学部の**さんは、3.11に深く関わりつつも、展開は現場活動に主軸を置く活動ではない。懇話会なればこその企画は「現場臭さ」だ。だからプライマリー・ケア連合学会と、今回紹介をいただいた日赤秋田看護大の##さんからのルートから、講師の設定しなおしをしている。JDD関係からも調べているが、高齢者支援の含みが軽く、避難所・仮設住宅生活のいわゆる「避難生活」への無資格ボランティアと連携した医療介護支援にスポットを当てるには、具体的なテーマ要請もいる。医療介護福祉の活動は専門職の活動とされてきたからだ。

ここ数日は、適任者をさぐっていきたいのだ。ブログが手抜き気味になるのをお許し願いたい。

夜間傾聴>ひとり
     塾長

(校正2回目済み)

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