湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

10/28障がい者就労支援センターから、十数年ぶりの**子再会へ/(連載)鳴石団地から社協へ

2011-10-30 04:53:18 | 引きこもり
2011/10/28 記
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震災の実状を高校生に自分の問題として気づかせていくプログラムとして、鶴嶺高校の授業と冬休みの体験学習の組み合わせを考えていた。被災地側と高校教員の方々の説得はまだ残っている。しかし、このプランを実現するために、土台を固めていく必を要があった。ひとつは高校生に良質のメッセージを届けること。これは実現しつつある。また助成金の可能性を求めていくこと。これは高校生を体験学習させていくための費用が大きい。

今回も、ある中小企業団体の東京支部の知り合いを経由して可能性を探った。昼を食べる機会を与えてもらい、その場で相談を持ちかけた。これは非被災地の団体から補助を求めること自体が難しいだろうという助言をいただいて、依頼は見事に失敗した。確かに一見これはもっとものように聞こえる。しかしそれは被災地の中小企業団体に依頼すべきという意見として受けとると、まったく違うだろう。地元の高校生ではなく、湘南の高校生である。その見返りを考えると、その資金を使ってやるべきことは山積しているのだ。高校のカリキュラムに「災害と私たち」の取り組みがやっと登場しつつある。そことの関連で、教育系の線上にスポンサーはつかないか。少なくとも一週間程度の滞在であれば、番組のドキュメントをTVに売り込むことが可能だが、実際上、予算から夜行バス2泊現地1泊がいいところだろう。本人とっては出かけたこと自身が印象深いだろうが、質の濃い体験をしてもらうには、予算の関係上、時間が足らないのだ。

品川で食事後、私は蒲田経由で、多摩川線の丸下子にある障がい者就労支援センターに立ち寄った。道すがら、本来なら災害ボランティアは引きこもり青年に体験してほしいのだ。すべての引きこもり青年にマッチするものではないが、被災地の災害コミュニティは独特の包容力がある。人生の切り替えになることも十分ありうるのだ。災害ボランティア体験は、矯正ではなく脱皮である。

それなのになぜ高校生なのか。一番無関心を装うのもハイティーンたちである。しかし私は職業柄、その背後に鋭敏な感受性が息を潜めているのを知っている。立場を得たとき、彼らは変わる。その可能性を打診する契機が与えられていると思うからだ。**子の仕事が終わったら、もう一件まわることはできまいかと思った。気仙沼に同業者の厚意で借りた酒蔵で、大船渡の復興の酒を送り出すことに成功した酔仙の取材CM作りを条件に、酒造組合から資金バックアップを得られないかという発想だった。しかしこれは、未成年と飲酒という線から、学校側から問題にされる可能性があると思った。

こんなことを考えながら、大田区の障害者就労支援センターを探すというのは、気持ちが抜けている。これはさっそくバチがあたった。今日は担当者不在というのだ。こういう機関まわりというのは、そのままでは紋切り型の応答しか得られない。しかし、近隣の特例子会社の話や、親御さんたちの尽力で生み出された小規模作業所のパンやクッキーなどのお店の話を切り出していくと、多少地域情報が出てくる。**子のようなボーダーの子の就労の話は、たとえ手帳を使ってみても、優先順位が後回しになったり、仕事そのものがもともと少なかったりしてうまくいかない。だから就労相談担当者でないと、突っ込んでも関連情報が得られないことが多いのだ。受託運営している社福に子にあうのは連絡を取ることもある。これも迷惑顔で押し返されてしまう。いつもこの繰り返し。手がかりがえられたとき、ハローワークに話を返し、すこしずつ業者さんとの話をさぐりだしていく。

**子の件は、翌週4日、予約を取って引き上げることとなった。今度は下丸子ではなく、少し歩いて、千鳥町駅から旗の台を経由して**子のお宅のある荏原町出た。

**子と会うのは十数年ぶりだ。電話や手紙などで交流していたものの、これほど年月が経っているという実感はなかなかわかなかった。ファミレスでおじいさんを交えて話すことと、なった。**子の第一声は、私をひっぱたいて「うそうそ!」を連発。ぴょんぴょん跳ねる様は、年相応に大人びた、中身は昔と変わらない**子がそこにいた。おじいさんが現れると急に萎縮してしまったが、大きな時間のハードルは、あっけなくクリアしていったのだった。

話が一通り終わったところで、**子は現在の通所しているB型の作業所を紹介してくれるという。先方の了解を得て、私は**子と路線バスに乗って作業所を見せてもらった。彼女の担当者と会うことができた。電球の袋詰め(パッキング)・品質検査の工程を見せてもらった。たしかに**子には役不足の作業だったが、福祉的就労の枠内では、身体障がいの方たちの作業しかなさそうに思えた。今度は**子には高度すぎるのだった。

**子と馬込の地下鉄駅で別れたが、宿題が残った。同時に17時をまわってしまったので、次の組織を訪問する時間ではなくなっていた。


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(連載)

 20日、陸前高田の市役所を出て、路線バスの時刻はまったくはずしていたので、私は鳴石団地の仮設住宅を見ておこうと思った。大船渡のサンリアSCには小さなコインロッカーがあるが、私のバッグは入らなかった。民宿に置きに入れば戻るバスがない。結局ずるずると引きずって歩いていた。ブレザー姿で、大きなバッグを引きずっている様は、明らかに災害ボランティアには見えなかった。迷い込んだ観光客の風情だ。しかし人がいない。しばらく歩いてたまに地元の方と出会う感じだ。被災したマイヤ(スーパー)のビルの見えるところまで降りてきて、私は便意を催した。和式しかない仮設トイレに苦しんで、汗だくで市役所に戻っていると、後ろからパトカーが私を呼び止めた。

「どうしました、どちらへ?」

と問いかけられた。目立ったのだろう。怪しいおじさんである。窮地にあったので文句はいえなかった。市役所に用事があって行こうとしていたと継げると、事情を察してかパトカーで、坂の上の市役所まで送ってくれた。被災地、油断してはならないのだった。**巡査さん、感謝!

竹駒の社協に、夏日のような日差しに汗まみれになって歩いていると電話が鳴った。茅ヶ崎の市民活動サポートセンターからだった。なんだろう、まだ岩手だぞと電話に出てみると、それは昨日の東海新報の編集局長さんに相談を持ちかけた講師依頼への回答だった。

我が家の固定電話に連絡を入れたが誰もでないのでと、サポセン経由で連絡がまわってきたのだった。早速東海新報社に連絡すると、講師受諾のこと。ありがたかった。やっとひとつ、訪問の成果が得られた瞬間だった。これから訪問する社協も、紋切り型が予想されていたので、思わず頭を下げていた。

週明けに連絡を取る旨伝えて、汗に濡れた携帯を切った。

(つづく)

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夜間傾聴:橋本2君(仮名)


(校正1回目済み)

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10/27 **子の就労支援準備等/(連載)20日、陸前高田をまわる

2011-10-29 05:50:10 | 引きこもり
2011/10/27 記
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私が東京南部の塾で教えていた頃の**子から、電話連絡が入っていた。てんかんの障がいを持つ子だが、今の作業所の仕事に満足できず、そこの職員との諍いも起こしていた関係で、その運営団体外のルートで、新しい仕事を探すことを手伝って欲しいと頼まれていた。そこの塾を離れて10数年経つ。前の土日(10/22,23)作業所のお祭りイベントがあるから来いと誘われていた。気仙地方から帰った翌朝の企画であり堪忍して欲しいと言った反動で、就労活動が進まないのは困ると不満の電話が入っていた。私には助成金の打診があった。関係団体に一箇所まわる用もあったので、28日に**子の御宅に立ち寄る旨の話を伝えて電話を切った。

「わーく」発足時、手をつなぐ育成会に所属していた++子のことを思い出していた。本人会の運営に熱心だった++子は、本人会への私の要請にひとり応じてくれた++子だった。参加後、パソコン操作を学び始めて数ヶ月、彼女は突然亡くなってしまった。内臓障がいを悪化させたのだった。そのことを知らなかった私は、葬儀の終わった御宅に線香をあげにお邪魔した。そこで、自分の死期を予感していたから、新しいことをしてみたかったのではないかと思うとの親御さんのお話を伺って、返す言葉も無かった。「わーく」立ち上げ時、会員参加した若者のたて続く逝去の始まりだった。彼女の描いた山の線画は、いまもPCの中に眠っている。

**子は、この子に似ていた。それだけに、依頼された仕事を中途半端に引き伸ばしてはいけないと思っていた。大田区の就労支援センターが下丸子にある。助成金申請の帰り、下丸子に立ち寄り、その足で**子の御宅を訪問することにした。応答に**子は満足した。ペットレスキューの通信No.2の配布も残っていた。「命の旗」の件の報告を関係者に撒かなくてはならなかった。講演会作りは##さんのご厚意で、茅ヶ崎市立体育館会議室を借りることができた。本来なら##さんの団体が利用していたはずのところを空けていただいたのだった。

私の会の協力者はたしかに数名いるが、ひとりは引きこもり青年である。もうひとりはDVに苦しむ女性だった。彼らに交渉して企画を立ち上げることを分担するのは無理だった。だから順を整理して効率をあげる必要があった。猛烈な空転との戦いでもある。

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(連載)

翌20日、私は陸前高田を中心にまわることにしていた。昨日はすっかり**市議の厚意に甘えてしまった。大船渡市の主要な交渉先だけでなく、仮設住宅の中や、入居者の声も聞くことができた。場所の離れた「さんさんの会」の本拠も訪ねることが出来たし、難関の東海新報社の編集局長さんを口説くお手伝いもしていただいた。震災を丁寧に追っている取材陣の言葉を湘南に届けることは、大事な仕事だった。それが**さんの車に乗せていただくことで、一気に進めることができた。感謝にたえない。

今回はそうはいかない。民宿の第一便を使って大船渡に出たが、鳴石団地便はぎりぎりの時間であり、乗り遅れたら陸前高田はタクシーを使わなくてはならなかった。着いても15時までが勝負だった。大船渡に戻るバスはそのあと19時台まで無く、それでは遠野に出ることが間に合わなかった。だから帰りはタクシー6千~7千円を覚悟していた。往復なら1万円を超えてしまう。だから鳴石団地便はなんとしても間に合わせたかった。

幸い鳴石団地便に間に合ったが、乗客は私と女性がひとり、たったふたりの乗客のバスだった。路線も変更になっていて、竹駒の社協の前は通らない状態だった。そこでまず市役所仮庁舎を先に訪ねることにした。

市役所は被災者支援室と復興対策課局、市議会事務局を訪ねた。「命の旗」の実効性検証を含む配布への協力依頼、仮設における「カー・シェアリング」の推奨。中古車寄贈の可能性の打診、相談員との接点作りを行なった。

被災者支援室では長寿社会課の関係者が仮設の見守り巡回のこととからみあわせ、「命の旗」「カーシェアリング」の2点について話を聞いていただいた。大船渡市と比較して、山積する処理をこなしている状態で、新たな提案は説明を受けるが、検討はすぐに始めることができないこと、担当領域がはみだしているので、復興対策局の方にも情報を流して欲しいという話だった。相談員さんとの接点は市社協さんの方を先に相談してみて欲しいとのことだった。「命の旗」の現物取りまとめは、必ず行政を通じて欲しいとのこと。これは了解。ただ必要本数については明かしてくれなかった。

次に復興対策局に取り次いでくれたので、局長にあうことができた。こちらも話を聞いただけ。資料を渡して話は終わってしまったのだが、茅ヶ崎ではどれだけ本数がまとまっているのかと質問されて絶句した。玉子が先かニワトリが先かに近い話だが、茅ヶ崎では被災地のニーズを踏まえて提供するのを待っている状況であり、実際には災害ボランティアは、環境整備と物資搬送、被災地物産消費以外の関心は聞こえてこない。中古車提供に至っては、被災車の処理やら、不法中古車業者の摘発でてんてこ舞いの状態であり、たとえメインテナンスとガス代の募金保障を含んだとしても、現在は迷惑であることは強く感じ取れた。共用車の現場管理は被災地側の新たな業務となるからでもある。市議会事務局は関連資料配布以外は無理との話で、資料のみ置いてきた。

この見えないガードは、帰宅後理由がわかった。翌日が合同慰霊祭だったのだ。ただこの交渉で、雑談中、私が「冬物衣類は大丈夫ですか」と聞いたところ、高齢者向けは不足気味だが、それ以外は余ってしまうだろうときいた。仮設店舗が少しずつ開いている状態に変化してきている。送るなら、乳幼児や高齢者向けの紙おむつのような消費物資の方がいいのかもしれない。暖房器具もホットカーペットを提供するボランティアが入ってきているとの事。日常生活支援期に入ると、現場のニーズを押さえることがいっそう必要になると感じた。合同慰霊祭の話は、帰宅まで情報が入ってこなかった。

このあと竹駒の社協や、障がい者の作業場、酒蔵などの巡回をしたのだが、それは以降に。

ここでは、とんでもない体験の話を書いておく。

私は市役所から鳴石団地を見たあと社協に行こうとした。地元の距離感、方向音痴が重なって、もと来た道をたどりなおさねばならなかったのだが、実はそのとき便意を催したのだった。仮設の周辺には、仮設の公衆便所が設置されている。だから油断していたのだが、入ろうとするとその仮設トイレはすべて和式なのだった。私は2000年に交通事故で右ひざを粉砕骨折している。その後遺症でしゃがむことが出来ないのだ。列車の中の和式トイレは握る取っ手が前方についているが、仮設トイレはつかまるところが一切無い。壁に手を突けば便器がはずれ、トイレ本体が倒れてしまう。飛び込む人家が全く無い。野ぐそにも、しゃがめないために、段差を確保できないのだった。地獄だった。市役所に戻ってやっと洋式トイレに飛び込んだが、とんだ伏兵が潜んでいたものだ。10年前の夜の寒川町もそうだった。駅前の公衆便所の洋式トイレは常に壊れていて、店舗に飛び込んでも和式だったのだ。このときは相模線に乗って茅ヶ崎までトイレ求めて移動したのだが。寒川はコンビニと図書館が出来てひと息ついたのだが、被災地で同様な困難に会うとは…油断したのだった。


(以下つづく)


夜間傾聴:南大沢君(仮名)


(校正1回目済み)

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10/26 (連続)さんさんの会(大船渡配食サービス・ボラ)の厨房にお邪魔して/介護度更新

2011-10-28 04:54:08 | 引きこもり
2011/10/26 記
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高校卒業程度認定試験が半月ちょっとに迫り、岩手に出かけ休んだ分のつけがまわってきていた。今回はなぜか東京組が多めで、訪問調整は同僚に任せる形となったのだが、逆に東京会場受験希望者が相変わらずいて、その担当をすることになってしまった。昨日はそんなわけで宿題詰めでブログを空けてしまった。申し訳ない。

気仙地方の訪問レポートを先に書く。

東海新報さんにお邪魔したので、**さんにお願いして碁石海岸線をたどって、末崎町の碁石地区コミュニティセンターに本拠を移動したという「さんさんの会」にお邪魔した。

さんさんの会は、震災後、リアスホールを本拠にして、和洋混合のさまざまな調理師さんたちのチームが配食サービスをたちあげ、400食を超える弁当を作っていた。イタリア料理のYさんや、和食のUさんが東京講演をされたときに、私は改めて交流を深めた。仮設住宅に被災者の方々が移ることを契機に、さんさんの会は本拠を移されたと聞いていた。

今回驚いたのは、配食サービスの対象を、独居の方など必要性の強い方に絞って、広範囲のエリアを配達されているということだった。ともかく専門の方が弁当をつくるので、素人作りではない、いわゆる「旨い弁当」なので、希望者も多かったろうと思う。そこを「対象を絞り込んだ」ということに骨っぽさを感じていた。

厨房はリアスホールとは桁ちがいに狭いものだったが、その場にいらした調理師Uさんの迫力に気おされつつ、なんとか調理の現場を見せていただいた。

100食ちょっとを作っているとのこと。陸前高田が近くなったので、そちらへの配食も考えているとの事。しかし、私の東京で会ったUさんは、目の前にいるUさんの息子さんとのこと。初めびっくりした。玄関先には、違う方が迎えてくださったからだ。先方も事情がわかって、しばらく私の話につきあってくださった。

私の関心事は、仮設住宅の見守り支援のことだった。大船渡市は北上市の資金の応援を得て、被災者70名の臨時雇用として、見守り巡回相談員制度を9月から始めていた。このため、見守り巡回の中心は、仮設自治会と、これらの相談員のネットワークに委ねられていた。さんさんの会の方々には、配食サービスを通じて、夫婦や独居の高齢者の方々や、比較的軽度の障がいを持った方の様子が垣間見られるか、そこまではうかがい知ることが出来ないというのか、その活動の経験をつかみたかった。つまり、被災した方においしものを食べていただくという本来の目的とは別の、副産物的機能のことに私は関心があった。

敗食時、特に様子がおかしいとか、応答がしばらくないというようなことはわかるが、それ以上は…というお話だった。私は阪神淡路の出来事を繰返してはならないと思っている。孤立し生気を失せていく高齢者の方々や、見えない先行きにアルコール依存症や心身症になったり、命を絶っていく50代、60代の「崩れていく人々」の続出に歯止めをかけたかった。

長期滞在型ボランティア以外に、後方支援からでは何も出来ないのかという悔しさがある。ましてや新聞紙面からは本当にうかがい知ることが出来なくなった障がい者の人々の状態などましてやである。

「命の旗」の有効性や、今後仮設コミュニティ作りの有効な契機となる「カー・シェアリング」の援助策のヒントをつかむような会話にはならなかった。職人気質のUさんは無口な方で、私の質問に応答するような会話だったからだった。

さんさんの会の今後に、「頑張ってください」と挨拶して、私は配食サービスの現場の課題を見せていただいて、サンリアSCに戻ってきたのだった。

サンリアSCの隣には、Yさんの新規開店のお店があるのだが、ご挨拶は翌日にして、日も暮れるので吉浜の民宿に向かったのだった。この一日、市議の**さんは私の運転手になってくださった。感謝。

最後に、民宿の場所に迷った私は、林道のような道の先で、野生の鹿の夫婦に出会った。到着後、鹿のことを聞いたが、珍しくも無く、畑を食い荒らして困るのだと、ぼそりと言った。環境の差に驚いた。

(つづく)

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父の介護度認定の更新テストがあった。家族が立ち会わねばならないので、父の入所している平塚の老健に行った。父の介護度は3。以前は4だったので、入所して改善があったというべきなのだろう。だいたい年1回あるのだが、今回のように、誤嚥性肺炎と急性腸炎で短期だが入院した場合、一度退所ということになるので、再入所には介護度の確認が必要だった。

路線バスの本数は気仙両市のような一日4本などという状態ではないが不規則なので、午後はぽっこり穴の開く魔の時間がある。それにもろにかかって、到着は10数分遅れてしまった。ところが父は昼食後、寝室に戻って昼寝を始めていた。話しかけても、うるさいとばかりいうしかめっ面をして、起きてくれないのだった。好物の寿司も煎餅もたちまち無駄足に終わってしまったのだった。

仕方が無いので、茅ヶ崎市から委託を受けた同老健のケアマネさんと、相談室で話し合うことに。入所生活の観察から大まかな父の心身の調子を確認した。私は在宅介護をしてきたとき、父と格闘に近い立ち回りをこなしてきた。だから、そのころの状況なら全身のほくろの位置までわかっている。老健では、入所生活観察の状態から,チェックシートの回答をつくり、それに違和感がないか家族に確認を取るという手順を踏んでいたのだった。父が目を覚ましたとき、検査を行い大きな変化があれば、確認連絡が来ることになった。父の認知症が少し進んだような気がしていた。入院騒ぎとなった誤嚥性肺炎は、珍しいものではない。しかし発見が遅れれば、すぐに炎症の熱が出、重症化する。その都度、10数万円かかるのではたまったものではない。老健に、食事後の誤嚥チェックを必ずして欲しいと要望を伝え、平塚経由で茅ヶ崎に戻った。市社協に立ち寄り、講演会共催の依頼をし、外回りを終えたのだった。

しかし地域の諸団体の反応が遅い。これが悩みだが、講演会は比較的通りがいい。家事で要請活動を中断したくないと思うのだが、こればかりはどうしようもない。在宅仕事分をできるだけしておけば、個別指導の訪問などの時間の融通の利く職種なので、やりくりができる。先に進みたいと思うが思うに任せない。

母と外食で夕食を済ます。母の調子はいいようだ。


夜間傾聴:橋本2君(仮名・久々に母親と話をした)


(校正2回目済み)


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10/27 東海新報社の講師の方からお叱りをうけました、申し訳けありません

2011-10-27 15:56:52 | 引きこもり
まずこちらから連絡をとらねければならないところ、東海新報社の講師予定者の方から、まだテーマ等、具体的な話は始まっていないのに、ブログに記載するのは問題ではないかというお叱りをいただいた。

高校生が相手ということで、彼らが自分自身の問題として災害を考える契機をいただきたいと思っていた。そのときに、彼らと同世代の被災者のことを語っていただければ、より身近に今回の大震災を感じてもらえると思い、お願いの時点でその旨を語ったことが、共通項になっていると思い込んでいた。

講師の方とテーマについては、相談しながら決めていくということはセオリー。特に高校生たちに良質の出会いを実現できることから、なおさらに言葉が走ってしまったこと、お詫びします。

お電話をいただいた中のお話でも、高校生に響く言葉をお持ちの方であると、実はお叱りをいただいた中でも、反面安心した次第です。それはそれ、これはこれです。粗忽な対応申し訳けありませんでした。

高校生にとって貴重な出会いが活きるように、担当の先生とも話し合って、場の環境を整えていきたいと思います。

飛田 拝

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仕事が立て込んでいます、ブログ、一回パスします

2011-10-27 04:25:20 | 引きこもり
ごめんなさい。

陸前高田の作業所と湘南の作業所をつなぐ試み、昨日、湘南の関係者に提案しました。

東海新報社編集部の方が湘南にやってくる。
11/22 午後、2段目の大人向け講演会を実施予定。

夜間傾聴:南大沢君(仮名・こちらから)


(校正2回目済み)

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10/25 大船渡の美容師協働のお店「絆」の「カット券」/東海新報編集部講師が決定

2011-10-26 05:46:37 | 引きこもり
2011/10/25 記
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19日の大船渡訪問では、次に丸森の美容師協働のお店「絆」と「東海新報社」を訪ねた。

「絆」では、盛岡本部との話の中で「カット券」構想が膨らんでいた。災害ボランティアサイドから見れば、今、考えなくてはならない活動の戦略は、被災救援期から日常生活支援期への活動の転換を如何に行なっていくかというところにあり、元気付けのお祭りや、冬物物資提供という従来の支援様式が次第にリアリティを失っていく時期に対策をうつ必要があった。全体でみたとき、8月をピークに被災3県への被災地訪問ボランティア総数が半減していること。感覚的なものであるが、後方支援の場面でも、チラシ配布や募金への通行人の反応が鈍くなり、被災地の復興は被災地と行政間に任せておけばいいという感覚の程に崩れてきている。しかし実際は、孤独と生活再建の生活難と向かい合う時期であり、被災者格差が開いていく時期であり、社会的弱者が困難を一層募らせていく場面である。ここで私たち、長期滞在できない支援者に、非被災地に生活する後方支援者に、何がなしうるかが問われている時期なのだ。

私が提案したのは「命の旗」や「美容(理容)カット券」というツールだった。これらのツールを媒介に被災者の生活とつながっていくことが問われていた。活動をするには資金がかかり、ならば、支援金募金でいいではないかというと、店舗に放置されている募金箱のように、それでは後方支援の活動にはならない。募金という形式をとっても、黄色い旗になり仮設入居者の整髪に行き来する「券になる」という彼方に届く実感を媒介しなければ、それは活性化しない。

盛岡の美容師ネット(美容復興支援会)の本部との交渉の中で生み出されたものは、「カット券」という方法だった。ただこれがまだすっきりしていないのは、ネットの方では「待ち受け店舗」型の活動を立ち上げており、私たちが望むのは、「仮設訪問巡回」型の美容サービスだからだ。しかしネットが訪問活動をしないというのではない。訪問トレーラー美容室を考えたりしているからだ。ここはむしろ、「カット券」を使った実例をテストケースでも、ともかく立ち上げることだ。

私たちが「カット券」を買い、ネットが特定の仮設の全員または独居・高齢者夫婦・障がい者等を優先して券を配布または、購入時指定された仮設に直接出向くことで、サービスを伝えると同時に、地元美容師さんに自立開業の一助にしてもらう両面性を持った活動だ。

ここでは、500円ワンコイン募金で、「カット券半券」を証拠に購入者に渡し、残りの半券をネットの地域店舗に受注分として渡し、派遣サービスを実現するとしよう。実際のカット値段は約2倍弱なので、その差額は契約時に相談しなくてはならないのだが、いずれにせよ、大船渡の丸森で待ち受けていても来客は少ないだろう、そこは打開すべき課題として残っているはずだ。

その辺の行動力を見定める意味で、協働のお店「絆」を訪ねたのだが、7月訪問時の店長は不在で、話は煮詰まらなかった。一番大きなことは本部のやりとりを現場の美容師さんが全然しらないということだった。市民活動のセンスからすれば、市民活動では、現場主義の協業的なネットワーク全体が動くが、ここでおこなわれているのは企業の論理だと感じる。分業の論理だ。得失は当然異なる。ただ美容行為が行なわれる場の美容師さんのリアリティは、ネットにどう還元されるのだろう。ここが不安になるところなのだ。

元気にやっているか見に来ましたといいつつ、仕事の進展を見極めたかった。この辺は、1名美容師さんが入れ替わっているが7名体制で続いているということはわかった。

私はこの募金者が受け取った「半券カット券」が、地元湘南の美容師さんの同業者組合加盟店で「割引券」として使える仕掛けも考えている。ただその構想のシステム化が出来たとしても、誰が売るか。私ひとりが街頭で売っても活動にならない。その辺の活動立ち上げには行動する賛同者が必要だ。ここがいつもカリカリに乾いている。まず隗より初めよ、いや隗だけやっておればいい。調子がよければ参加するというのでは、市民活動、あまりに情けないのではないか。

ここから先の絵は複数の手によって、描きたい。そう思うのだ。


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「絆」のお店のすぐそばに「東海新報社」がある。3.11の震災勃発の翌日から、手配り報道を始めた筋金入りの地方紙だ。社説の保守論調が気になるものの、記事の目配りと、きめ細かい報道はそれだけで評価される。

私たちは7月訪問時、突然の訪問で当然であるが、極めて冷ややかな視線を浴びた。承諾していただけないかなと不安だった。しかし、それ以上に地域横断したきめ細かい丁寧な同紙の視点には、高い価値があると思った。今回、県立鶴嶺高校ボランティア塾の講師ということで、編集局長にお願いを思い切って仕掛けた。「被災者高校生たちのエピソードを交えて、高校生にも自分たち自身にも降りかかる問題であることを伝えていただく」というのが私の希望と語った。この辺は改めて講師の方と話し合っていく。

編集局長さんからも、高校生のことなら高田高校の先生に話を持ち出したほうがいいのではないかというお話があった。高田高校は校舎が被災し、大船渡の仮校舎で授業が行なわれている。しかし7月時点で講師は無理といわれていたこともあった。それ以上に今回は状況のつながりの多様多義な震災のフェーズを意識した若者への提案としたいということもあった。

行動最終日、陸前高田の照りつける日差しの中で東海新報社さんから連絡が入った。講師の件OKと。嬉しかった。

講師は御社の編集部の方だった。これから交渉が始まる。この方は、高校だけで帰してしまうのは勿体無い人材だった。ボランティア塾の終わった午後、茅ヶ崎で講演会を組みたいと思う。公共の会場はどこも予約がいっぱいだった。やっと親の会の**さんのご厚意で会場を譲っていただいたので、今日から講師の方とのメール交渉が始まる。

(つづく)


夜間傾聴:なし


(校正3回目済み)

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10/24 仮設住宅訪問(大船渡)/県立鶴嶺高に東海新報編集者の方が講師に

2011-10-25 05:14:31 | 引きこもり
2011/10/24 記
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出かければ、その間の後始末が待っている。授業や訪問の始末を済ませ、JR相模原の塾の方は、私の報告会が企画されていて、これ以上のキャパが私にないので、申し訳ないけれど断ってきた。加えて、まずいことに図書館の貸し出し延長HP操作を忘れていたために、あちこちの地域の図書館の書籍が期限切れになってしまった。月曜日は県立図書館の書籍を県サポの生涯学習コーナーと、辻堂図書館のポスト投函可能書籍を始末してきた。

県サポでは帰りに11Fのかながわ震災ボラステに立ち寄り、気仙地方再訪の簡単な成果報告をしてきた。講師選定と、作業所との交流の件である。

こういうときは、なぜか厄介な雑用が重なる。我が家のガスレンジが壊れ、明日一日、いつくるかわからないレンジ交換の為に一日が潰されていくのがたまらず、父のときにお世話になった浜見平の親子に母のサポートをお願いした。実は25日、父の入所している平塚の老健で、父の介護度認定の更新があり、家族立会いに行くのだ。思うに任せない。そんな状態、お許し願いたい。

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19日、私は訪問先大船渡の市議の**さんのご厚意で、車で、一番典型的な戸数の仮設住宅を訪問することが出来た。私が紹介されたのはその仮設の自治会長さんの御宅だった。70代ご夫妻は2DKタイプのお部屋で、狭いことは狭いが、周辺の音が筒抜けという状態ではなかった。畳もどきが4畳半2間に敷かれており、カーペットで畳と床板との滑りを防いでいた。防寒対策として二重窓工事が済んでおり、壁のむき出し断熱ボードは、工事用の紙粘着テープで止めただけの状態だった。

印象としては、炎がむき出しのストーブは狭くて使えないだろう。ボランティアからは、ところによっては、ホットカーペットが提供されている。気仙地方は、雪は太平洋側なので少なく、冷え切った北風に道路が凍るという。隙間が紙テープでは、隙間風が防ぎきれないだろう。入口から直線でキッチンに、出入りのときに、吹き込んだ風は家中を冷やしてしまう。衣類とこたつで乗り切るというお話だった。天井には部屋ごとに火災報知機が取り付けられている。仮設のような家作りでは、火災が発生したらたちどころに全焼してしまうだろう。トイレはタンク型洋式。大船渡は大・中規模の仮設には常駐の相談員を置いている。

屋根は豪雪地帯のものと違い、平坦なパネルのトタン屋根。棟ごとの間隔は狭く、通路としてしか共用空間が意識されていないことがわかる。高齢者と中年身体障がい者の混在する状態で、もとの生活集落の人々は散っているという。やっと最近、車椅子のスロープが出来た。しかし風呂場は仮設の場合床板が地表から浮いているため、風呂のへりが高く危ない。

さらにこの仮設の立地条件が悪い。中学校のグラウンドを使っているが、急坂の丘陵の頂点にグラウンドがある。ここを降りなければ商店に行くことは、高齢者には無理だ。帰りは急坂を登ることになる。やっと最近、食料品業者が週に1度巡回販売にやってくる。生協のような通販があっても、高齢者には使いこなしができないという。見守り支援は精神保健等の役割だけでなく、生活支援も必要という具合に、用事は山積している。

栗おこわとキノコ汁とリンゴをご馳走になって、気がついた。結構業者の出入りがあるのだ。これが防犯の問題になっているのだ。

-------

この後、私は丸森協働の美容室「絆」と東海新報社に送ってもらうのだが、東海新報社は大船渡・陸前高田・住田町・(釜石)をエリアにした地方紙で、同社の編集者の方が、11/22県立鶴嶺高校のボランティア塾で、高校生に語ることが実現した。地方紙だからこそ、地域の取材と、被災した高校生のエピソードを語ってもらう。人数が多いと無理だが、輪座討論のような意見交換型の会にしていけるといいがと考えている。これは今後の相談で煮詰めていく。

今回の講師の方には、このあと大人対象の講演会をしてもらうつもりでいる。被災救援期を追えて、仮設を中心とした日常生活期の支援の有り方を問う内容を考えている。(下記)

----- 鶴嶺高校ボランティア塾用企画書案 ------

塾のテーマ:
「東日本大震災:高校生たちの震災」

授業内容:
気仙地方(大船渡市・陸前高田市・住田町)の地方日刊紙「東海新報」の編集部の方をゲストに招待し、高校の被災や家族を失ったり、家が流されたりという過酷な実体験を高校生たちもしています。高校生たちの被災記事を中心に語っていただき、高校生にも自分たち自身の問題であることに気付いてもらおうと思います。

人数にも寄りますが、できるなら硬い講演会形式にせず、口火を講師と飛田のシンポジウム形式で語り、学生を巻き込んだ議論を生み出したいと考えています。よろしかったら先生も参加して下さい。

東海新報:発行部数2万の地方紙。「東海」の名は、地元では海が東側にあるので「東海」と呼ぶことに由来。  h
ttp://www.tohkaishimpo.com/


------- 以上 -------

大人向け地域講演会の方は、追って書き込みます。

p。s。 ご紹介・講演会のお知らせ

●11/13シンポジウム「震災、つながる、川崎」
*********************************************

県ボラセン発

2011年3月11日。そのとき、人々はどう行動したのか。障害者への対応はどうだったのか。 被災地岩手県の方のお話をもとに、さまざまな立場の人が思いを語り合うことで、 ここ川崎で震災を乗り越えるネットワークが生まれることを目指します。

【ゲストスピーカー】
藤原伸哉さん(社会福祉法人豊心会 釜石・大槌地域指定相談支援事業所「トーク」相談支援専門員)

川上賢太さん(川崎市健康福祉局精神保健福祉センター)ほか

※特別ゲストとして、岩手県の被災者の方にも体験を語って
 いただきます。

【日時】11月13日(日)13:00~16:00(開場12時)
【場所】川崎市立養護学校体育館
   (東急溝の口駅 JR溝の口駅下車徒歩10分)
【定員】200名
【申込締切】11月11日(金)17:00


メール(KYP04423@nifty.ne.jp)、FAX(044-244-7610)
    またはお電話(044-244-7610)で、
    <1>名前、<2>連絡先
    <3>グループで話したい内容や関心のあるテーマを
     お知らせください。

【主催】「震災、つながる、川崎」実行委員会
構成団体:NPO法人療育ねっとわーく川崎
/社会福祉法人なごみ福祉会/社会政策研究会かわさき
【問い合わせ先】:社会政策研究会かわさき事務局
(川崎地方自治研究センター内)
TEL&FAX 044-244-7610 KYP04423@nifty.ne.jp
【後援】川崎市(予定)



夜間傾聴:橋本2君(仮名)


(校正3回目済み)


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10/23 旅行中のつけ支払い中

2011-10-24 04:55:26 | 引きこもり
2011/10/23 記
--------------
相模大野校と茅ヶ崎サポセンに、大船渡の菓子製造元さいとう製菓の「かもめのたまご」のおみやげを届けた。さいとう製菓の社長は、震災の際の自社工場の様子を記録し、DVD写真集を出している。その画像を見せたことがあるので、最近は湘南の駅ビルでも売っている菓子だが、みやげにしたのだった。

今日は14時から茅ヶ崎サポセンで、簡単な報告会を15時までの1時間行なう予定だったので、相模大野は早々に引き上げ、忘れ物があったので一度家に戻り、サポセンに駆け込んだ。

今回の大船渡・陸前高田再訪の結果に影響のある**さんとUさんのふたり+αを報告会に誘った。しかし、この時間帯参加してくださったのはUさんのみ。Uさん感謝します。

つるみね通り動物病院に夕方、寒川図書館からの帰り、ペットレスキュー支援の通信No.02を届けた。Photo神奈川の千葉さんと陶芸家の東魚さんに、みやげ情報を語った。千葉さんは南三陸町の支援をされている。東魚さんは三陸にいる親戚のことあって、大船渡の災害ボランティアに関心をもっている。古い友達。登象バス停付近は一石三鳥という具合。

-----------

溜まっている生業の始末をしています。昼間続きをかけるかな?
今回パスとさせてもらいます。

県立鶴嶺高校ボランティア塾の詳細申告書仕上げ終了。


夜間傾聴:淵野辺君(仮名)


(校正1回目済み)

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10/22 大船渡から歩き始める~仮説住宅にお邪魔して・美容サービスの現状 (2)

2011-10-23 05:53:04 | 引きこもり
2011/10/22 記
--------------

神奈川災害ボランティアネットワーク主催のボランティアバス、今回はG便という岩手遠野・県金太郎ハウス行きのバスを使って岩手入りした。宮城行と違い今回は経験者のみの岩手便ということで、バスはがらがら。たった13名が特大バスを占領した。朝6時、遠野市の風の丘PA着。ここから数分で金太郎ハウスに着く。

私は企画立ちあげ屋として、セットメニューの環境整備と仮設喫茶応援とは、別行動を取った。横浜の本部の方々の判断でバスに乗ることができたのだが、結局私のようなフリーランサーは、自家用車や長距離の夜行バス2泊で動かざるを得ないのかと思う。県の支援はその場合届かない。

大船渡には、路線バスで朝8時台に到着。サンリアSC横の路地の朝市を覘いたがやっていなかった。知人宅に連絡を取った。私は前の訪問で行政関係者や複数の市議、地元教員や商店主の方々と知り合いになっていた。この時間に会っていただけたのは市議の**さんだった。

恐縮してしまったのだが、大船渡の主要な目的地までの運転手をしてくださった。初めタクシー乗り継ぎを覚悟していただけに、嬉しかった。東海大学金目キャンパスの方々と交流があるとのこと。湘南メディアネットワークの会員の方で、子ども放送局をされている。セレスタン・フレネがフランスのフリースクールを立ち上げたとき、彼は子どもに新聞を作らせる教育を行なった。私は教育の髄は再構成にあると思っている。その意味で面白い試みだと思うが、ツール体験の奇異さに振り回されないようにリードしていく必要がある。

世間は狭いものと思う。**さんの車で初めに飛び込んだのが、丸森にある元開業美容師さんの協働のお店「絆」を訪問した。前回交流した++さんがお休みとの事で、話が空転するのが目に見えているので、ご挨拶のみしてきた。この活動でも支援活動は矛盾を抱える。

それはこの活動が、被災した元開業美容師さんの自立復活支援に焦点が置かれているが、美容師(理容師)資格の無い私たち非被災地支援者は、仮設を中心とした被災者に美容(理容)サービスを届ける間接支援に焦点がある。このずれは、実際には「まちうけ店舗」型の活動と、「仮設巡回」型の活動との差異になっている。丸森は大船渡から陸前高田に向かう途中の「丸森景勝地」というところにあり、人家は離れている。高齢者が徒歩で来るのは無理で、健康な大人でも碁石海岸線や大船渡一関線の本数のない路線バスに乗らなくてはならない。美容師さんは7名。協働出資者であるが、日々の来客は7月時点で3~10名で、7名の美容師さんの生計も立たない。最近美容師さんたちの支援ネットワークの支援の会が盛大に行なわれた。盛岡にある本部が給与を出す形で、美容師さんたちは生計を立てている。釜石店に引き続き、宮城にも気仙沼だろうか本格的に資本投入した店舗が広がりつつある。

被災者が避難所生活をしていたころ、無料奉仕の形や、ワンコインなどの形で非営業的なカットサービスが避難所巡回する形で行なわれていた。そのころのサービス提供者の方とは気仙地方訪問前に電話連絡が取れ、お話を伺ったが、その方は年齢を理由に仮設の移転の済んだ現在、巡回してサービスを提供する意志は無いとのことだった。

ただそのお話の中で、よその美容師さんたちが来ても、本来は法的には活動できないのだそうだ。営業免許のエリアがあるのだろう。加えて、被災者へのサービス提供は、地元に任せてもらわないと、地元復興の開業自立の妨げと地元同業者からの抗議があったという。つまり地元業者が仮設に出向いて有料サービスを行うという形になるという。その結果が「待ち受け店舗」型支援となっていた。

サービスを被災者に届ける側としては、カットのみでいいと思うのだが、仮設を訪問してもらうことはできないものかと、考え続けた。ひとつは「絆」さんとは別に地元美容師さんと連携すること。これは実際、巡回している方がいらっしゃるので、可能だが出会うことがいまのところできていない。もうひとつは「絆」さんに訪問サービスを平行しておこなっていただくように掛け合うこと。この後者の交渉が盛岡の本部となされていた。ここで「カット券発行」という話が浮かんできている。実際、店舗待ち受け型では、見た限り失礼だが未だ閑古鳥が鳴いている状況に見える。地元開業者の仮設店舗が次第に、仮設地域に出来ている時期に、このサービスを届けるメリットを何処で出すかということになるが、大きな点では、生活必需サービスであるが、失業保険や生活保護でここしばらくは、仮設生活者の多くが窮乏生活に入っている。だから「無料」「割引」カット券を提供していくことには意味がある。

この「カット券」を一気に全体の仮設にというのではなく、仮設地域の的を絞ったり、独居などの弱者向けに提供する形でデザインし、その購入運動を立ち上げて行くという道をさぐるべきだ。私たちに地元美容師さんを束ねる力は無い。ならば、いずれ矛盾が顕在化する協働のお店ではなく、美容受注パッケージとして「カット券」のアイデアを膨らませるべきだろう。

このことについて、**さんは私をある仮設住宅の自治会長さんの御宅に案内してくれた。「命の旗】の件とともに美容サービスの話を聞いてみた。近くに美容院が復活しているので、不自由ではないという。やはりそうかとも思う。すべての仮設が不自由ではないとは断言できないが、対象を独居などの弱者に絞る必要があるのだ。ならば「カット券」は美容師さんの理解者が登場すれば、その方と組むべきだし、現段階は「絆」さんへの提案を深めていくべきだろう。

今回の訪問した仮設は急坂の頂点にあって、足の不自由な高齢の方は外出が無理だ。こういう場面でこそ、訪問サービスが生きてくるのだ。

次回、仮設にお邪魔してのレポートにつづく。



(つづく)


夜間傾聴:橋本2君(仮名)朝


(校正1回目済み)

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10/22 ボランティアバスに乗って、大船渡・陸前高田の企画立ち上げ交渉へ(1)

2011-10-23 05:49:39 | 引きこもり
2011/10/22 記
--------------
18日か21日夜まで、大船渡・陸前高田に行ってきました。
7月の訪問を土台に、今回はいくつかの目的を抱えて行ったのだが
なかなか日程が組めないのに困らされた。一番大きいのは、路線
バスの、一日4本程度という本数の少なさだ。通勤通学時間帯の
最低限の本数に制限されているために、昼間の行動時間帯の移動
だけでなく、乗り継ぎがうまくいかない。自家用車で動かないか
ぎり、巡回の組み換えの自由さが大きく制約されてしまう。この
ため、アポを取った訪問や、訪問の結果次の訪問先が変化してい
くという自然な追求が制限されていた。

18日夜、大和市役所前からボランティアバスで遠野に向かい、
翌朝6時台から行動スタート。初日、遠野から大船渡にでて、こ
の日は大船渡重点でまわり、この日は吉浜の民宿に泊まって、翌
20日は、陸前高田重点で巡回することにしていた。

大船渡では、

1)地元の関係者である知人と再会すること。
2)「命の旗」構想&「カーシェアリング」を行政関係者・市社協
  に打診すること。
3)11/22県立鶴嶺高校ボランティア塾の講師探し。
4)冬休み高校生体験学習宿泊所探し。
5)さんさんの会、サンマ試食会情報収集。
6)余力があれば、以下の場所を訪問する。
  ・被災後、大船渡に仮設校舎に入っている高田高校
  ・仮設住宅にプランタを提供している県立気仙光陵支援学校
  ・美容師さん、協働の店「絆」再訪
  ・東海新報社再訪
  ・仮設住宅遠景撮影
  ・ホテル福留周辺撮影

を実行すること。


翌日予定の陸前高田では、

7)地元の関係者である商店会関係の知人と再会すること。
8)「命の旗」構想&「カーシェアリング」を行政関係者・市社協
  に打診すること。
9)11/22県立鶴嶺高校ボランティア塾の講師探し。
10)大洋会青松館作業所訪問
11)陸前高田ドライビングスクール(朝市体験許可再確認)
12)余力があれば、以下の場所を訪問する。
   ・被災した高田高校の被災状況確認
   ・鳴石団地(仮設)訪問、仮設店舗撮影
   ・酔仙酒造との連絡(ゆめたい小箱ショップとの仲介)

とまあ、欲張った計画を立てていた。しかし前述したように路線バスの制約は大きく、結局「大船渡<>陸前高田」はタクシー(往復約1万2千円)これは不可欠。
「大船渡>遠野」(最終日朝、民宿泊の場合)(片道1万5千円)
「釜石>遠野」(最終日朝、民宿泊の場合)(片道1万4千円)
「大船渡>吉浜」(19日夜、民宿へバス乗り遅れ)(片道7千5百円)
これらは状況に応じて必要に。

長距離夜行バスで池袋<>大船渡をしても1万5千円である。法外な値段に感じてもしかたがない。結局あきらめて、20日は民宿泊を諦めて、サンリアSC(盛駅隣)16:23発盛岡行最終で遠野の金太郎ハウス泊へ。16時台に行動を終えなくてはならなくなった。これは岩手県交通が本数の少ない釜石>盛岡線を10/1から1本バスを間引いたのが原因。帰りの遠野発のボランティアバスに間に合わなくなったのだ。巡回先は、いっそう厳選されることになった。自家用車で動かないと身動きがとれない、そういう印象がある。

ボランティアバスは、いわばセットメニューである。環境整備と仮設喫茶運営のために、基本的には個人を束ねて被災地に人材を送り込んでいる。瓦礫の撤去や湘南を仲介する企画立ち上げ屋は、はみ出てしまう。最終日、金太郎ハウスの職員(神奈川県職員)の方に情報を残すつもりで、陸前高田の洋式トイレ難と比較し、ここのトイレは洋式でほっとした話をしたとき、行政マン特有の過剰ガードに入ってしまったのには、がっかりした。私は交通事故の後遺症で、しゃがむことができない。だから仮設トイレが和式ばかりの陸前高田は冷や汗をかいたという話だ。

また大船渡・釜石からボランティアバス出発13:30に間に合わせようとするが、両方とも13:28遠野駅前着で、数分差でバスがでてしまうことだった。この日、バスと調整して13:30発を12:00発に変更した。おかげで帰路、終バスに間に合ったのだが、その自由が効くなら時間を14時発なり、数分待つことができると、フリーの連中が使いやすくなるという感想だった。恐ろしい形相でそれは、本部にということと、それは皆の承諾を得る必要があるという応答が戻ってくるのだった。大船渡市・陸前高田市の行政・社協と交渉した時と同じ化け物が、ここにも潜んでいた。

帰りのバスの中、リーダーと私語を交わしていたいたとき、私のよをうなフリーのつなぎ屋がボランティアバスを使ったのは、私が初めてだということ、今後もいないだろうという話が出てびっくりした。民宿を取るとき、復興のための関係業者が宿を占領している状態で、大船渡市内で予約ができたのが奇跡のようだったのだが、このときも災害ボランティアと名乗るとあからさまな侮蔑対応が行われた。両者ともに、災害ボランティアのイメージの貧困が隠れている。この刺さった小骨のような不快感は今回の訪問を貫いていた。現地訪問型ボランティアの総数は、8月を境にみごとに半減している。日常生活支援期に入った現在、心を蝕む生活不安と対峙しなくてはならない時期に、非被災地の人心が離れていく。善意に基づく現地訪問支援ボランティアが後方支援地への関心を失い、自分に閉じた行動原則を取ることさえ半減の状態は看過できまい。新たな活動への拡張を支援の現場では硬直化している状況がある。構想力の問題だというのに。

(つづく)

p.s. 11/22講演会会場がふさがってしまい、やっと1ヶ所確保した。50名ほどの大きめの部屋だが、冷や汗をかいた。しかし17時半開場なので、講師が帰る時間を確保できなくなる可能性がある。開場探しの結果、ペットレスキュー通信No.02が配れなかった。明日は休み。本当に土日が邪魔。ことが進まない。

明日(10/23 日曜)、14?15時、茅ヶ崎サポセンにて報告会、準備レジュメ作成中。

図書の延長手続きを忘れていた。平塚図書館と茅ヶ崎図書館済み。明日、寒川図書館と辻堂図書館が必要。月曜日県サポ。平塚図書館からの帰り、サンシティに立ち寄ろうとしたところで、夜間傾聴の**の母親から電話。専用端末以外の番号を誰が教えたのだろう。昨夜から再開している旨を伝えた。こちらの携帯にかかると長時間電話なので困るのだけれど。


夜間傾聴:案の定、数が多い。
     橋本2・3両君(仮名)
     南大沢君(仮名)
     **君(仮名)

(校正1回目済み)


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10/21 ただいま!だいぶみやげができました

2011-10-22 02:21:40 | 引きこもり
全体では60点というところ。
23日14時~15時 茅ヶ崎サポセンにて
簡単な報告会をおこないます。勿論
無料です。

ここ数日、いびきや戦いで散々でした。
今日は、寝ます。明日から書き始めます。

明日は、

事務手続きで急を要するものかありその処理を優先します。
平塚図書館の書籍更新を忘れていて、返しにいきます。
ぺットレスキュー支援紙No.02配布。

夜に書き込みます。では。

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大船渡・陸前高田・遠野に行ってきます

2011-10-18 05:35:31 | 引きこもり
大船渡に応援にでている相模原市保健所の地域保健課(4F)にお邪魔し、少し印象的な話を交わしてきました。「命の旗」構想には関心を示してくれました。

帰りにJR相模原の塾に挨拶。帰りにペットレスキュー通信No.2配布続き。

ともあれ、行ってきます。帰りは21日深夜です。

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「被災したペットの新しい飼い主さんを探しています!No.02」完成

2011-10-17 04:53:45 | 引きこもり
10/18 の夜のボランティアバスに乗車する前に、ペットレスキューの通信No.2が10/16に出来たので配布しています。

大船渡市・陸前高田市の保健師さんたちのネットワークと「命の旗」について話し合うので、下準備に、大船渡市と交流した相模原市の保健師さんとドロナワですが会います。活動経過を紹介するメモを作りました。土日が邪魔。私のように休みが不定期な者には、予定の中断になってしまいます。

陸前高田の障がい者の作業所を訪ねます。仲介をすることがあって、茅ヶ崎の障がい者関連団体の事前了解をとるためにまわっていました。非公式なれど、一応情報は流れました。動きが生まれることを期待。

県立鶴嶺高校ボランティア塾の講師の選択肢、遠野の行政担当者も。「被災と家族」のこと、「被災地でティーンズは何をなしうるか」の話題を提供できる方を希望。関東の新聞社は間に合いそうに無い。記者と接触時間切れ。

書き込み、出発前にもう一度書き込みます。

18~21日は、基本的に休みます。すみません。報告をお楽しみに。



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10/13 「命の旗」立ち上げの周辺/飯田橋・東京しごとセンターと都社協をまわり

2011-10-15 04:33:05 | 引きこもり
2011/10/13 記
--------------
「命の旗」のチラシを誰も捨てなかった件に、無風ながら自信を深めている。様子見をしている時期ではないと思うが、ともあれ動き続ける。相模大野の授業後、茅ヶ崎に戻り母を行きつけの地元眼科に送って気がついた。木曜日は休診なのだ。判断が粗くなっているのを感じている。大丈夫だと言い張る母を茅ヶ崎駅から路線バスに乗せ、再び東海道線で東京へ。

時間のロスが大きかった。とりあえず、飯田橋から東京しごとセンターの委託研修事業の説明を聞きながら、**子の就労相談の道筋をメモしていった。てんかんの本人会とつなぐ道や、広域就労相談センターの相談から、**子に同伴する道筋を探って行った。東京しごとセンターは総合相談に私の知人がいた。しかしすでに配転になったか、彼と会うことが出来ず、福祉的就労の案内窓口に事情を話して、東京の生活・就労支援センターの状況情報と委託研修メニューを打診していた。ハローワーク大森以上の情報は得られなかったが、**子が求める新しい職種への希望を適性評価していく価値を改めて感じ、三陸から帰ってから、**子と早めに会うことにした。

もうひとつは事業所の情報や、市民活動からの生活支援をしている団体情報を求めて、都の社協に立ち寄った。これは完全に空振りに終わったが、全国てんかん協会のピア・カウンセリング担当者と間接的に連絡が取れた。

社協には、もうひとつの目的があった。災害ボランティアの中で、「命の旗」の話を拡げてくれそうな団体に当たりをつけようと思ったのだった。しかし社協職員が硬い。状況認識が共有できないので、団体を選ぶことを回避するのだ。結局根負けして、関連団体の表を私がピックアップして書き写してきた。コピーするには散りすぎているのだ。話せば初動に係わらなくてはならない。湘南はとにかく超党派で動くことはない。メンバーが固定しているからだが、東京に係わる余裕はなかった。すでにある活動にしか乗らない体質を超えていかなくては、この活動は始まらない。

銀座の地方紙東京支社に立ち寄る時間はなくなっていた。世田谷の横断旗販売業者に電話を入れるが、17時を過ぎていたために、これも空振りに終わった。カタログを我が家に郵送してもらうことに。

東京駅で丸善で書籍購入後、ガード下のなか卯で食事しながら考えた。議員はのぼり旗などの選挙グッズの店を知っている。ここを探った方が、無地旗や割引の件を交渉しやすいのではないかということだった。

「命の旗」実践発祥の地、宮城県警の登米市仮設巡回の様子や、南三陸の様子をチェックする方法は無いかと考えるが、車のないことの制約を感じてしまう。冬がやってくる。あとは18~21日の大船渡・陸前高田の巡回をいかに効率をあげるかにかかってくる。

母にボルシチを買い込む。肉が悪いと食べないので、レトルト物ではだめ。私は忘れ物魔なので、傘とハンカチは常習犯。混雑した車内の網棚に載せると忘れるので、座っている寝たふり乗客の鼻先にぶらぶらとボルシチをかがせながら帰宅した。いつものことである。約束をしたのに母はすでに食事を済ませていた。

陸前高田の共同作業所の情報が入っていたので、新しく取り入れた商品販売を湘南につなぐ活動を加えることに、なんとも新商品開発、毎日新聞が報道していた。そのまま売るのではなく、アレンジを加えたい。これは茅ヶ崎寒川の連絡会に話を持ちかける予定。

もうひとつの難題、11/22の鶴嶺高ボランティア塾講師の招待費(3万5千円+α)。震災と被災生活への想像力を引き出す活動ができないか。謝金・宿泊費は出せる状態ではない。自腹は避けたい。第一候補は交渉失敗。当日午後講演を重ねてはどうかとか、あれこれ考えてはいるのだが、当たって砕けろとしか言いようが無い。高校生の心に響く講師だ。

「命の旗」の件で保健師さんのネットと接触する。みやげを持参できない悔しさがある。


夜間傾聴:南大沢君(仮名)
     **子君(作業所職員のいじめの話、堰を切ったように。)

《参考資料》
●「失業者雇用で仮設住宅団地支援 集会所にぎわい創出へ(10/7)」(タイトルで検索を)

----- これは精神衛生上の巡回ではなく、防災のようだ。
   短期雇用。北上市に、それでも拍手。

p.s.三陸から帰ったら、個別ロール撃破(自分が吹き飛びそうだが)作戦へ。
  今夜はペットレスキュー通信No.2作り。(会員++さん、連絡が途絶えている。夫のDV話あり。心配)


(校正1回目済み)

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10/12 「命の旗」チラシ800枚強配布済み(伝わったか?)/県ボラセンにチラシを配り…

2011-10-14 06:03:20 | 引きこもり
2011/10/12 記
--------------
母の体調が悪い。原因はわかっている。夜間胃切除した縫合した部分以下の腸が激しく動き、嘔吐こそ最近はないが、ダンピングが始まる。かかり付けの大学病院への私の付き添いから逃げ出した罰だといっているが、夜間だけ飲めばいいと処方された抗コリン製剤に頼って、常に傾向としてあった便秘がひどくなっているのだ。交感神経を抑制することで、腸の活動を抑え、夜間の安眠を保障する目的で処方されているが、風邪薬との併用、特に抗ヒスタミン剤との禁忌があるのに、地元医から処方された風邪薬と併用しているのがわかった。夜の風邪薬の服用を避けさせ様子を見ているが、結局、東京の障がい者就労関連のところをまわるのを一日見送った。

「命の旗」のチラシを相模大野校で追加印刷を、私のロッカーにあった紙を全部使って400枚強刷ってしまったが、ちょっと多かったなと思いつつ、午前中、茅ヶ崎駅南口と辻堂駅南口でチラシを撒いた。3時間弱だから昨日と同じくらいの時間をかけたが、とにかく学生は1枚も受け取らない。主婦と高齢者、自営業者がほとんどだ。スーツ姿の男女とも今回もひとりだけ。ともあれ数十枚残しただけで、ほとんどの枚数が入ったといっていい。チラシの色が白だと、受け取り率が下がることは経験的にわかっていた。私は旗やゼッケンをつけていないので、訳わからない変な爺ぃから紙を渡されたと思われるだろうと、今回なら「災害ボランティアです」と声をあげて渡す工夫をしたことがある。しかしこれは逆効果で、そういう内容ならいらないという判断材料を与えてしまうのだとわかっていた。おかしなものである。

「災害ボランティア」なら、衣類や暖房具を送るというような直感的なものでない限り、すでに「災害ボランティア」は賞味期限切れを起こしている。せこい限りだが、渡す相手を特定している素振りで渡すと、学生・会社員には効果が無いが、無視された方が、受け取った方の直後に手を伸ばし受け取るのだ。自尊心を傷つけられるかのような話なのだ。これで1枚は複数枚になる。そんな技巧的な話とは嫌になるが実際そうなのだ。

しかし、今回は「我が意を得たり」というところもある。受け取った方がざっとタイトルに眼を通し、800枚を超えるチラシを撒いたのに、1枚も路上に捨てられたものがないのだった。これは驚異だった。大事なもの、マスコミとは少し違う情報がありそうな予感、そういうものをチラシに感じてくれている。二日前のTVで「幸せの黄色いハンカチ」リメイク版が流れたが、少し影響したかと考えたが、それはイメージしやすさという点で影響があったかもしれないが、それよりも「仮設の孤立」から「孤独死」へという、時期的な局面を連想してくれた結果であってもらいたいと願う。バッグを開けて中に入れる姿も始めて見た。

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18日に出かけるための支度と、ペットレスキュー通信No.02の作成の同時進行で話を進めている。障害者関連団体訪問がひとつ加わった。車ならば大船渡の碁石海岸に移る「さんさんの会」からの道で、陸前高田に向かうが、バスの本数が少ないので、どうしたものかと思っている。車が欲しい。今の視覚障碍5級の私では、自分で運転することが出来ない。行き先は絞り込んでバス時刻表と首っ引きで決めていかなくてはならない。おそらく、今回の施設訪問は美容師さんたちの活動ともつながる可能性が出てくるだろう。

チラシを持って、県サポの災害支援本部にお邪魔した。金太郎ハウスへの飛び込み宿泊の可能性がある件のお詫びをした。**さんという若い方と話したが、名刺をいただいたが私の名刺がきれていた、失礼。どうやら街歩きの別行動は、私だけらしい。すみません。

今回撒いた改訂版チラシを10数枚手渡しをお願いしてきた。私の通院時間が迫っていたので、会釈で本部から飛び出してきた。

茅ヶ崎にクリニックの終業時刻寸前に飛び込み、検査の結果を聞いた。結核菌などは認められないとのこと。安心したが18日からの三陸泊は冷えるだろう。防寒対策を打っていこうと思って、また大きな荷物を思い出した。うんざり。今回は2泊宿が同じ。荷物を小分けにして、民宿にあずかってもらうことにした。

あまりにも動物福祉推進協会の電話が通らない。おかしいなと原簿を比較していたら、電話番号が「340」が「430」と登録していた。さっそく連絡するも18時を過ぎてしまっていた。また明朝だ。

とにかく飯田橋に明日たちよる。

おおきなめばるを買い込んで煮魚。母の食欲、ややもどる。食欲の無さ、困ったことだ。

p.s.茅ヶ崎の小中学校は2期制。明日から後期が始まる。


夜間傾聴:橋本3君(仮名・母親と)
     南大沢君(仮名・久しぶり)


(校正1回目済み)

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