湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネの地域学習活動・就労支援活動の実践試行を書き溜めていきます。

8/30 避難所・地域における回復期と治療支援&保健活動を切り出す(2-22)他

2015-08-31 05:55:27 | 地震津波災害ボランティア

2015/08/30 記
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(前回の続きから)

災害時の医療は救急であるがゆえに「点の治療」となる。外部支援医療関係者が入れば、ますます診察を受ける医師が毎回別人という状態が頻繁にでてくる。避難所移動が重なれば、カルテが引き継がれない。問診では一から病歴を問うことになる。時間不足が理由に、前日から現在の症状把握に終えることになる。傷病者の容体経過を踏まえた治療、いわば「線の治療」が成り立たないために、頻度の高い症例に、紛らわしい症状や潜在化した病いが見落とされ、誤診断と対応の遅れの危険が伴う。

医療関係者からは、検査時間の遅れを解消するために「ドライ・ケミストリー」という方法を災害現場に入れるなどの工夫は紹介されてきているが、「救急カルテの継承」は議論が必要だ。

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避難所に入らず在宅生活の継続を選んだ方は、障がい者だけでなく寝たきり高齢者を介護している家庭がある。また、畜産農家のような仕事上の都合の方や家屋破壊が少なかった方もいるので、在宅避難生活を送る方は「わずかな方」ではない。避難所と比べて、医療・生活情報が圧倒的に少ない。情報仲介搬送ボランティアが必要だ。

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中規模・小規模避難所では、対人関係のトラブルが深刻化する。大規模避難所では気兼ねに抑えられていたが、小・中避難所では一室に数家族~数十家族が同居している。ある家庭では家族を失い、ある家族は安否がわからないままだ。一方では家族が再会することができた家族もいる。嘆き悲しみと、喜びの混在している状態だが、空間が狭いために、互いに知り合いとなり、それゆえに、家庭の事情の差異に微妙な問題が起こりやすい。避難所では禁止されている飲酒が実際発生し、家族間に深い傷が残される例もある。一方協働炊事が始まるなど結束も生まれやすい。

(つづく)

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後期夏期講習が終わった。オンライン指導が中心なので、まだ完全に終わってはいない。パソコン画面を長時間見ているせいで、視野のちらつきがひどくなって、目薬をさして畳にごろりと横になった。今夜は「カレーライス」で手を抜いた。

「わーくNo.057」を書いている。金曜災害ミニ・カフェの予定で9月4日(金)は「石巻日日新聞」の紹介だ。

夜間傾聴>ふたり

(校正1回目済み)

 

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8/29 避難所・地域における回復期と治療支援&保健活動を切り出す (2-21)

2015-08-30 05:48:53 | 地震津波災害ボランティア

2015/08/29 記
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(前回からのつづき)

避難所に入れない障がい者とその家族は、発災時の直後、自分の家族は自分で守らねばならないと危機感を持った。行政に相談し、倒壊を免れた市庁舎の会議室を臨時に世話してもらった。宿泊は無理だという。他の家族も部屋に入ってきた。特別支援校は津波で道がなくなったところを横断しないといけない。電話が通じない。教員の携帯電話を何回かかけたが、中継局故障で通じず、場所を変えて1時間後、メールの応答があった。職員不足で対応できないとのこと。今後は学校にいくと通告してくれた。今晩は、毛布を提供するので車で寝てくれとのことで、避難所の近くの駐車場に車を止めて、一応ひと晩、陣を張った。

自閉症者は環境変化に敏感だ。加えて避難時は生活パターンも、成り行きまかせのところが多くて、描くことができない。最悪の状態がつづく。早く生活パターンを安定させたかったが、その夜、彼は昂奮し自傷行動がでてきたので、ガソリンが続く限り走り続けることで一夜を明かした。

(つづく)

この避難所の話は大規模避難所の話が前提になっているが、中規模・小規模避難所の話が欠けているという感想をいただいた。これについては、次回、福祉避難所の話と両方書いて行く。

 

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私の母の介護の計画を担当してくれるケアマネさんが変わった。先日挨拶にいらしたのだけれど、若いなというのが第一印象。母から要望を聞き取っていったのだけれど、見事にすれ違った。困ったなと母と話している。

母は介護度のサービスは利用していない。長年家族の介護に関わってくると、現在の母に必要なサービスが無いと判断したからだ。母の周辺は次々と亡くなったり、認知症を発症して、気楽に話せる友人が減っている危機感がある。現役自営業者とか趣味の世界の指導者、もと教員というような足は弱まっているが気持ちはしっかりしているというような知り合いが残っただけだ。自立した自分の世界を持っているひとが結局生き残った。母としては自分の世界の話は聞き流されてしまうような不満を持っている。私には社会の階級とか階層が投影されているように見える。

この交友関係の広がりが崩れてきていることから、趣味の世界や出身地の旧友から広がるたての交友(年代差のある知り合い)を作ってきたが、最高齢に祭りあげられる疎外感が伴うという。

地域にそのひろがりを得られないかと、父の存命の頃から、捜していた。先方から近づいてくるのは、宗教関係であり、高額健康食品販売であったり、息が合う関係を求める人たちは絶滅危惧種の感があった。

そこで、老健や特養を通過した父の世話を焼くと称しつつ、施設見学、とくにデイサービスをみてきたが、塗り絵に銭太鼓、唱歌斉唱と下手な書道(母はもと師範だった)、風船とばしに、座席に座った楽な体操、カラオケ演歌と、効能はわかるが全部嫌いなものばかり。帰化高齢者はどうするのだろうと文句を言っていた。ワンパターンなのだ。なにより心身の程度差をわきまえない年寄り扱いをする職員の親切さが無礼にうつっていた。元気ならカラオケ演歌という宴会文化(なんでゆっくりできないの)と家庭事情への深入り以外話題のない同世代利用者は最悪だということは、私も同感だった。

ケアマネさんの問いかけに事情を説明した。きょとんとしている。だって楽しいですよという。しかたなく私が最近の事例で説明した。

母はTVドラマを見ている。しかし、前述の例外を除いて、だれもTVを見ていなかった。就寝時間が20時で起床が5時、録画操作が出来ないせいだとか、最近のTVはつまらない(確かだが)という。見ても歌番組ばかりだった。ドラマの筋が追えないし、内面の機微がわからないんだろうと母は見事に分析した。高級な難しい話をしようというのではない。見ず知らずの「どことかのなんとかちゃん」が「どうしたこうした」という話をするので、寝屋川の子たちと話すと、寝屋川さんって知らないと応答があった。「フナッシーの天敵はばあちゃん」という話で、生放送でフナッシーが高齢者のそばで演技した。すると「中に入っているひと、大変だねえ」といたわって、画面が突然切れてMCの「天敵論」で茶々が入った。この場面理解が出来ないのが嫌だと録画見せられつつ話したのだ。

デイに行っても、つまんないんだとケアマネさんに話した。全く通じていなかった。

母の友人が車椅子生活になって有料老人ホームに入居。ぼけていないが、食道楽。茅ヶ崎市内のおいしいお店でバリアフリーになっているところを知らないかとケアマネさんに聞いた。

昨日電話があって、ファミレスならどこも車椅子OK。悩むことない、センターの職員と話したんですよとのこと。がっかりして返事する気にもならなかったと母は話した。食道楽の意味はB級グルメではないのにと話す。

携帯電話が使えないので、入所とともに疎遠になった方も、在宅サービスを受けていた頃、買い物代行で味噌・醤油と衣料は値段をケチらないでと何べん指示しても、「安かった」とバーゲンものを買ってくる。担当を替えてもらっても同じでうんざりしたと話していた。入所先は同じ茅ヶ崎でも交通の便が悪いところなので、何回もいけないと母がいうので、浜見平の友人の車で送迎してもらい、覘きに行った。初めから終わりまで地獄だとこの方に愚痴られたという。入所者も職員も何も共通の話題がないというのだ。母は近未来を見たらしい。その日、母は能弁で私は仕事中。私はナポレオンには、なれない。両手をあげてお茶にした。

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浜見山の被災犬保護協力を申し出た方から電話が入った。飼遂げる意志があるか問われたという。厳しいですねと言われた。年齢制限も言われ、該当しなかった。70代後半独居が審査に引っかかった。動物愛護の観点、犬の生涯を考えてのことだからと慰めたが、この方の家族の協力は考えられなかったのだろうか、先方のコーディネートの硬さを感じてしまうのだ。

夜間傾聴>ふたり

(校正2回目済み)

 

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8/28 避難所・地域における回復期と治療支援&保健活動を切り出す (2-20)

2015-08-29 05:02:29 | 地震津波災害ボランティア


2015/08/28 記
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(前回の続きから)

発災3日後、これは阪神淡路大震災のとき、神戸・甲南病院では、奇妙な現象が起きていたという。救急外来を訪れる被災者数が台風の眼のように激減したのだ。常用薬をなんとか入手できたり、傷病のとりあえずの治療が行われた結果だと思われているが、実は分散して避難していた家族の安否確認がとれ、一箇所に集まり家族が無事を喜び、また死亡情報に悲嘆にくれていた、家族の移動、これが原因していたと思われる。先方避難所から家族がやってくるだけではなく、治療に有利な避難所に集まりなおしていた。実はこの後者が新たな問題を抱えていた。

移動困難者が避難所の引越しをすることは大変だ。担架や背負うなどの方法で、車を確保して移動した。救急車やヘリコプターは救急用だからだ。先方に避難を終えたが、このとき医療が一度中断していることに注意したい。

前の避難所で受けた診療が引き継がれないのだ。例えば常用薬の二重処方や、自衛隊が持ち込んだレントゲン車による検査結果・バイタルの経過データなども、カルテは一時放置さ れる。移動には救急カルテを持ち歩くか、診断書で仲介する。この期間中に発症した疾病の再発見までのタイム・ラグが感染症などの場合決定的になる場合がある。

避難所常駐、歩行困難な方の介助ボランティアが状況判断をしつつ、この医療情報の途切れのチェックを心がけることは出来ないか。

蛇足:この避難所移動についても、「おくすり手帳 QRコード版」(私達が提唱している汎用個人医療情報カード)があれば対応できる。

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乳児の夜泣きや、認知症のせん妄、徘徊、障がい者の奇声やジャーゴン、意味不明な行動など、一般避難所の集団生活には馴染まない問題を抱えた方とその家族の方々は、被災被害の少なかった施設や特別支援校、数少ない福祉避難所に避難していくが、収容人数は、明らかにはみだしてしまう。自家用車や、バス会社と交渉し大型車を借りて、臨時避難所として使った。線路破損から運行中止している、その電車路線駅の待合室を利用した。自宅が全壊しなかった方は、風よけにブルーシートを張って住まいとした。

こうした方の悩みは、劣悪な生活環境と同時に、公共避難所の配給情報、診察日などの情報が入ってこないというものだ。

ここは本来災害FMが効果的なのだが、介護者が場を空けられないという条件がつく例が多い。だから仲介配達・配食と様子見巡回のボランティアを土地勘のある地元高校生や中学生の自転車部隊のボランティアを育成すべきだろう。

この辺については、次回掘り下げたい。


(つづく)


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講習終了後、一度家に戻ったあと、再度辻堂で面談。夕食の補充買い物を済ませ、気忙しく路線バスに乗ったら、就労に苦労していた++君とであった。川崎方向に通勤しているとのこと。よかった。辻堂の面談は福島の被災犬希望の方で、東京の団体を仲介したのだった。浜見山の方。

今夜は、炊き込みご飯と焼き魚。ご飯仕上がり時間丁度に帰宅。「わーくNo.57」になかなか集中できない。今夜が勝負所なり。

p,s,「病院防災ガイドブック」(2001)図書館に到着の知らせメールあり。資料が古い。ざっと眺めておくつもり。

夜間傾聴>ふたり

(校正2回目済み)

 

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8/27 避難所・地域における回復期と治療支援&保健活動を切り出す (2-19)

2015-08-28 05:39:18 | 地震津波災害ボランティア

2015/08/27 記
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(つづきより)

急性期から回復期に移る頃の避難所では、生死の境にはいない寝たきり負傷者や、発災前からの寝たきり状態の方の周辺の出入りが、家族の安否をめぐって激しく行われていた。緊急時に自分が関われない疎外感や不安感が高まると同時に、認知症などの自己観察力が低下した方も、生活環境の悪化によって、体調を悪化させていく。

ただここで、もうひとつの変化も起こる。自衛隊・医療ボランティア・先行生活回復支援ボランティアや、地元自治会の避難所運営会議結成と活動開始がそれであり、彼らのアクセスが始まる。支援物資の配給・食事の提供のサービスが始まり、救護所における診察・巡回看護が始まる。

支援活動により生活用品・食料が不定期に家族のもとに届けられる。この配給をめぐっては様々な問題が起こるが、これについては後で取り上げる。家族には配給確保という仕事が増える。避難所内の寝たきりの方たちのところにも、これらの物資・食料が届き、食料内容に偏りがあるが栄養環境は改善する。しかしこれらの多忙な配給作業の影で、運営支援者たちの保健的な眼差しは希薄になっていく。ゆえに、週に一、ニ度程度の看護医療の関係者の接触があっても、寝たきりの方の孤立感・閉塞感・不安感は持続して行く。避難生活という不安定な時間が、身体の状態を蝕んでいく。

褥瘡(じょくそう)の悪化、室温とフローリングの床の体温拡散・床近くの呼吸によるアレルギー因子の塵誘引などの悪環境の持続が心理的なストレスと重なり、症状の悪化、ひどい場合は衰弱死へと引き込まれて行く。

感染症を別格として、特に怖いのは、身体を動かさなかったことによる「エコノミー症候群」のような血栓がもとになる脳血栓や心筋梗塞、また、口腔内汚染や食料誤嚥による誤嚥性肺炎が入所高齢者の連続死を招きかねない。衣料配給によって低体温は防げるようになるが、逆に体育館避難所のように、日中室温があがり熱中症の危険も出てくる。おむつ使用者が入浴できないため、充分な清拭が出来ないことが原因で膀胱炎になり悪化、感染症から敗血症を起こし死に至るあらゆる危険疾病が山場を迎えて行く。

この時期に、医療関係専門職の外周にあって、巡回対話と観察を行う素人の目を育成していくことが、家族の「看護介護学習」と併行して必要となっている。実践的には、配達とか、トイレ介助とか、食事の介助という具体的な支援ボランティアが、同時に行う「巡回対話と観察」というあえて非効率な仕事を意識化していく必要がある。大災害時、大人数の被災者を医療専門職の方にすべて預けること自体無茶な話と思っていい。

収容時の「市民トリアージ」に始まり、避難所内巡回支援の医療的な眼差しの獲得とケアは、東日本大震災の教訓を東南海トラフ地震等大型震災の防災活動の、地域環境回復活動・安全避難活動と並ぶ活動として、推進していかなくてはならない活動である。(遠く地域包括支援の萌芽でもある:蛇足)

次回は、要援護者の避難所移動時の話と、避難所入所できなかった方との課題を追う。

(つづく)

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相模大野校は、いよいよダメになっている。夏期講習終了後半年、居残るべきか否か考えている。困難を抱えている子の支援は異端なのだろうか。

JR相模原の方の塾の生徒さんの中に、PT志望の子がいる。茅ヶ崎の駅前で偶然出会った某病院の元PTさん(元、私のリハを担当してくれたチームのひとり。今は管理職。)を捕まえて、缶コーヒーで、立ち話した。喫茶に入るのを嫌がるので、苦肉策。お金かかるよー、体力勝負だしねーとのこと。缶コーヒー、損したと思いつつ、先ほど生徒さんに伝えた。まあ、いくつかヒントは、あったので…。アスペのことは先方、知らないというびっくり場面もあった。

新規の社会人さん、大学進学希望。健常者の引きこもり体験者。年齢ハンデ以外は進学予備校の方がよさそうな感じ。うまくいかないものだ。

NHKの論説番組でマイナンバー制度の特集2回。行政の側の管理上の利便性の論理。病歴・常用薬などは「おくすり手帳QRコード版」の形で分散する方がいい。

夜間傾聴>ひとり

(校正1回目済み)

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8/26 避難所・地域における回復期と治療支援&保健活動を切り出す (2-18)

2015-08-27 05:03:02 | 地震津波災害ボランティア

2015/08/26 記
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(前回のつづき)

避難所生活が5日目に入った。自衛隊やDMATの医療関係者が到着し、限界に達していた地元病院や救護所支援の医療関係者が、交代で一休みできるようになった。しかし自衛隊は、被災建造物や地崩れの現場から、次々と負傷被災者を送り込んでくる。病院は、一次トリアージ後の負傷者の容態変化による併行処置の優先順位付けの厳しい判断に晒されていた。

その負傷被災者の家族や、家族の安否確認がとれない家族が、病院や仮設遺体安置所と避難所の間を激しく行き来した。避難所の掲示板には、他避難所の利用者名とメッセージが、次々に貼り出されていた。電話・インターネット掲示板の回線が安定して通じないために、口コミが大事な情報源になっていた。

こうした安否情報は、避難所の各所で噂されていた。特に、いままで元気で負傷のために休んでいる人たちの耳にも届いていた。自分の家族の安否もわからない。家族が捜しに出ようにも、自分が介護を必要とするために、重石になっていると思いつめ始める。被災前から寝たきりの高齢者たちも、体位変更やおむつ交換・清拭・食事と絶え間なく続く世話を心苦しく感じていたが、彼らの頭の中には、被災以前の地域施設とその職員やケア・マネ、保健師さんたちのイメージがあり、まもなく避難所生活という受け入れがたい状態は終わり、施設のサービスが復活すると考えている方もいらした。

認知症が進んでいる方以外の寝たきり高齢者は、こうしたストレスフルな苦しみを抱えており、家族が被災以前のように揃わない高齢者は、家に戻れぬまま、徐々に虚脱状態に引き込まれて行った。この段階、嘘の希望や期待を持たせることや、逆の無責任な絶望を煽ることは避けなくてはならない。どのような苦しみの中でも、今を丁寧に見つめていけば、そこに手がかりとなる人や出来事の縁(よすが)はある。それを共有するような専門的な心のケアに当れる方の接触が必要だった。

それは無理な要求かもしれない。逆に家族が寝たきりの方々に、ともに生き残っていることの価値を分かち合えるような、それらの方を必要とし、放置しているわけではないということを伝えられるような対話を勧められるような相談相手としての心のボランティアが入っていければ、つまり家族を支えている方たちの相談相手を形作れないか。

回復期に入っていく、この時期。寝たきりの方には2つの方向からのアプローチが必要になっていた。ひとつは、意識のしっかりしている方へのグリーフ・ケア的関わりのこと、もう一つはフィジカルな生活不活発病(廃用症候群)対策的な関わりだ。回復期初期からのかかわりが、従来の大災害の時に立ち上がりにくかったのは、避難所生活そして仮設住宅生活という従来の地域コミュニティが途切れた場面の「見通し」が想定されていなかったことが大きい。この辺は行政との対話が早期に立ち上がる必要があり、地域被災の大きさが制約となることは避けがたいことではある。

医療・福祉・生活支援専門職の周辺に位置する素人協力者の活動が躊躇していたのは、プライバシー侵害を恐れてのこと。従来の地域コミュニティの絆が途切れていることが、むしろ幸いのこともある。利害関係がないというところから、地元のよそ者が避難所内巡回ボランティアを行うことの大切さを感じる。勿論、この手のボランティアのなり手がいないことは分かっている。おそらくは、食事や物資配給とか理髪サービスのような形で、寝たきりの方との接点を取り、配達速度を気にせずに世間話をするボランティアという契機をもった活動がケアの厚みを身につけるということ、そこに専門職がボランティアとの連携指導を保つという関係をつくることだと思う。

(つづく)


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夏期講習の裏支えという通信サポートは時代遅れだということはわかる。むしろTV電話なのでサテライト授業を志向するのは時代の流れだろう。しかし、その場合でも生徒のフィードバックの価値をどうとらえるかということだろう。私のしていたことは、対面指導の補佐として通信メディアを使うという古い形をわざとやっている。スタティックな設問を解く事が学力であるとは思っていないからだ。情緒的な肉声対話礼賛はナンセンスと考えるが、それほどまでに直接対話は豊かだということだ。

今日は珍しく社会人リターンマッチの問い合わせが、JR相模原の塾側から1件入った。来年の受験ではないことがわかったので、通信サポートを取ることになったが、11月の高卒資格認定試験が終わるまで、仮契約の形で話がきまった。塾長がネパール(?)から帰ってこないので、契約承認してもらえるかは不透明だ。

母の風邪話は迷惑な話だが、気分のものだった。今朝、浜見平の友人の車に乗って食事に出かけていった。まあいいかと思いつつ、冷蔵庫の中でダメになる材料にため息をついている。主夫の嘆きかなと。

夜間傾聴>ふたり

(校正1回目済み)

 

 

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8/25 「亜急性期の避難所」は次回から/後期夏期講習初め、秋めいて

2015-08-26 05:43:15 | 地震津波災害ボランティア

2015/08/25 記
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私の後期夏期講習が始まった。定年間際の講師&学習カウンセラーに新しい入校者は、まずまわってこない。暇だが給料が下がらないのだから、ご隠居。最期だから抜き取り指導の人数を上げても、一切無視されている。まあいいか。

大半は、面接後、夜に通信指導。ということで、いま、最終組が終わったところ。私が担当する高校生は不登校・引きこもり体験者が多い。高校卒業資格認定試験は8月に1回目が終わっているので、中だるみの子を引き締め11月の2回目に持っていく。

つい先ほどから「わーくNo.57」の続き原稿を書いている。今夜は「亜急性期の避難所」話はお休み。明日は書きたい。

●「検証3・11 災害医療―誰が大規模災害から命を守るのか 大船渡 医療・保健・福祉活動の記録」

を入手。小針かなえさんは、フリーのルポライターだが大船渡病院など、私が歩いたところも取材しているので買った。

東北発☆未来塾で福島県の「発達障がいの不登校児のフリースクール」シリーズをやっているので録画を見ていた。大学生たちの研修という形だ。しかし見ていて違和感を感じた。そこに参加している子たちを見ていると、軽いのかなと思ったり、後天的な環境の発達障がいではない子も、一括されているのではという違和感だった。発達障がいは先天的な認知の障がいだ。後天的な子とは、子どもに対する親の暴力とか、いじめ、親の貧困などで、心が凍り付いている子たちだ。場面緘黙の子がいたり、ひどい例では乖離を起こし回復途上の子もいる。どうも印象がちがうのだ。

冷蔵庫がピンチになって、帰り道、イトーヨーカ堂で基本食材を仕入れてきた。しかし時間がいけないのか鮮度が悪く、葉物は買えなかった。

帰ると母が寝ていた。昨夜寒くて風邪を引いたという。夕食拒否との闘い。泉のほとりに馬を連れて行ったものの…あれ、馬だったっけとかぶつぶつ言いつつ、孤食。なにやら秋めいてきた。

夜間傾聴>なし

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8/24 避難所・地域における急性期と治療支援&保健活動を切り出す(17.急性期最終稿)他

2015-08-25 05:47:04 | 地震津波災害ボランティア

2015/08/24 記
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(前回のつづき)

今回は急性期の避難所の話を大船渡・陸前高田で取材したとき、複数の高齢の避難者の話に出てきた話だが、「入れ歯」・「めがね」・「補聴器」というような生活必需品を避難所で紛失したという話だった。昼間の災害なので、さすがに持参しなかったという話ではなかったが、持ち物や毛布などで避難所内で、寝る時にはずしたらなくなったという話だ。避難所運営者は後日、貴重品袋を配布したところもあった。すると今度は「盗まれた」という訴えが出てきたという。一例でも、この手の話がひろがると隣の見知らぬ家族があやしいのではという疑心暗鬼がひろがる。避難所は雑然としていることが原因。

足元が悪い高齢者は、避難所は柱や壁がないフローリングの場なので、トイレや物資配給を受け取りに行こうと立ち上がるとすると「立てない」というのだ。これは、折りたたみ椅子では危ないので、「背もたれのついた椅子」を配って、腕の力を使い「つかまり立ち」出来る様にしたという。夜間の便排泄のためにトイレが近い壁際に席を入れ替えた。ところが人の通行量が増え、落ち着けなくなったという。こうした様々な現場の工夫が、災害が起きるたびに立ち消えになってしまうことは、勿体無いと思う。

視覚障がいの方にとって、一般の避難所ほど怖いところはない。通路が出来ていても、家族の出入りがあるために、日々通路自身が変化している。寝ている方の脇に白杖はつけない。介助してくれる方が常にいないと身動きがとれない。一般避難所は福祉避難所移動のステップと考えたという。

ただ聴覚障がいの方の情報が入ってこない。視覚障がいの方も、エピソード数が少ない。是非、教えていただきたい。コメント機能をご利用下さい。

これで「急性期の避難所」の話を区切り、次回からは亜急性期・慢性期の避難所の話に移る。

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朝、特定健診の胃レントゲン検査を済ませ、駅の近くで朝食を済ませた。前日、一日二回の糖尿病の薬が、検査前絶食に引っかかって服用していなかったので、血糖が急にあがって動悸が起き、午前中の授業は雲の中のようで、初日から早退して家にもどった。仮眠を取って復活したが、昼夜逆転人間には、午後の撮影を認めない病院の診療は辛い。

夜間傾聴>臨時休業

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8/23 避難所・地域における急性期と治療支援&保健活動を切り出す(16)他

2015-08-24 03:56:34 | 地震津波災害ボランティア

2015/08/23 記
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(前回のつづき)

乳幼児の避難のことで、知人からブログの感想をいただいた。買い物の途中、偶然出会ったのだが、時々読んで下さっていたのだ。

言葉が難しいとのご指摘のあと、「赤ん坊は大人用の血圧計が使えないのよ」とのお話。そういえばこの話は聞いたことがなかった。腕の細さを考えてみれば、そうだ。小児科がなければ、バイタルすら満足に取ることが出来ないのだ。広域災害の恐ろしさを改めて感じた。

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家族3人が負傷、体調の悪い母を抱えた主婦が、発災後3日の間に、状況が次々と激しく変わって行ったことに疲れていた。一番困ったのは、母を残して席を離れることが気になることだった。巡回している保健師さんに、「声を上げたり、挙手で合図してください。ひとりで抱え込まないように」と教えてもらったが、現実には誰を呼んだらいいのかわからなかった。

また、混乱している避難所の中では、他者に依頼すると、依頼が立ち消えになるという事態も発生した。依頼した相手の跡をたどることも不可能に近かった。このことは後日、本部を置きメモを残すことや、管理者はめだつリボンをつけることが決まったが、協力が特に必要な発災後3日間は、孤立した家族の負担は大きかった。

また女性の場合は特に、トイレの問題が大きかった。トイレの数が少ないために常に行列ができ、長時間席を空けられない事情も加わって、つい尿を我慢するために、後日、膀胱炎発症者や尿道炎が問題になった。性器の形状から、ひとには語れない尿漏れや、月のものの始末も、プライバシーのない避難所生活では大きな問題となった。運営会議に女性の声が反映している避難所は少なく、段ボール遮蔽も隣をたち歩く人を感じて、気休め程度にしか感じなかった。また持ち物に「鏡」がなく、勿論ケア化粧品もなかった。避難所では水が不足し、シャンプーは使用禁止、石鹸も使用がためらわれた。

一方、高齢者を抱える家族にも、小さな異変が起きていた。床に寝かせた姿勢で食事をする方法に熟知していない介護が起こした危険な食事法だった。高齢者を仰向けに寝かせたまま、スプーンで食事を食べさせていたのだった。

これは誤嚥(ごえん)を起こし、極端な場合気道を食物が封じてしまうのだ。これは水の場合、なおさら発生頻度が高まった。高齢者の上半身を起こして食べさせるのだ。乳児の場合、これは看護師さんなどから指導を受け、ミルクを飲み終えたあと、軽く背中を叩き、飲み込んだ空気を出させるようにするが、これは逆流したミルクが気管に入ることも防止していた。体力のある高齢者は、むせることで誤嚥を避けるが、体力を失った高齢者は、気道の詰まりを吐き出せなかったり、喉元に残る食物かすをそのままに、気がつかなかったりし、口腔内の特に「入れ歯」に雑菌が繁殖し、その唾液を気管に誤嚥することで「誤嚥性肺炎」を起こし、死に至ることも往々にして起こるのだった。

(参考)
●「Tomorrow 肺炎急増の謎~避難所を襲った次なる危機~」(宮城県 気仙沼市)

私事だが、認知症を発症していた父も、老健の運営の不手際で、特養に移ってとどめをさされるように、移動数ヶ月のうちに、誤嚥性肺炎で死んだ。枯れ木が折れるようだった。施設では、父はときどき他人の入れ歯をしていた。ベッドサイドの水のみは、食物の逆流で濁っていた。再三注意を喚起したのだが、手遅れとなった。高齢者の死因の上位を占める病いなのだ。

NHKのドキュメントの中でも、この病の危険性を告発していた。口腔内清浄の大切さは、県の歯科医師会では常識であったのに、医師会ではそのことを知らなかったという。医師会間の情報共有が出来ていなかった。避難所生活の高齢者が入れ歯掃除と食事後の口腔ケアをしていなかったことで、「誤嚥性肺炎」を次々と発症して,亡くなっていたのだった。

こういう医療と保健の目で避難所を見る事、最低限避難所運営会議に医療専門職が関わる必要がある。実態としてはこの現場医療専門職の人数が圧倒的に足らなく、特に発災後3日の急性期と呼ばれる期間、つまり地元で危機に立ち向かわざるを得ない期間は特に、医療専門職周辺支援者のボランティアが必要なのだ。素人にも関わりが出来る形で仕事を切り出して行くことの重要さ。平常時にも仕事がある形で、ケア・ボランティア養成を進めていく必要がある。安全避難と救急法は大事だが、避難後のケアの重要性を更に考えて欲しいと願う。

次回は、情報不足から、まとめきれなかった断片を取り上げ、「急性期」の話に区切りをつける予定。

(つづく)

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明日は特定健診で胃のレントゲン検査を受ける。だから夜は食事絶ち。絶食は糖尿病にはいいのかもしれないが、口寂しい。

病院から直行で後期夏期講習へ。職リハ大会も、早大の自閉症カンファレンスも、講習準備があって参加できなかった。いつも8月末は何かの大会があるが、今年は何とも寂しい。9月に入ったら阪神訪問で、懇話会ゲスト講師依頼を拝み倒してくる。1月の障がい者関係講師は宮城県にする。阪神の都市型災害と障がい者は、テーマが絞りきれないというか、20年目として講師対象者がなかなか見つからないのだ。阪神は高齢者関係から捜す。

夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)

 

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8/22 避難所・地域における急性期と治療支援&保健活動を切り出す(15)他

2015-08-23 05:19:52 | 地震津波災害ボランティア

2015/08/22 記
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(前回のつづき)

破傷風の初期のうちに治療を受けることが出来た娘は、発災後3日目にDMATが到着し、ヘリではなく病院の車で陸路を使い、親戚のいる隣接県の病院に移送された。健康回復まで、親戚が世話を引き継ぐことになった。

破傷風発症頻度は、それほど高くはないが、異常を察知し治療をうけるまでの間にすでに重症化していることが多く、潜伏期間が3~21日と幅があり、早期発症者ほど重症化している。今回の事例は発症が速く、破傷風治療経験者の看護師さんがいたので、早期治療に結びつけることが出来たのだ。

娘は中学校校庭に流れ着いた瓦礫撤去に協力し怪我をした。そこから破傷風菌が侵入したと見られる。錆びた古クギなどで負傷したとき感染することがある。日本の場合、被災後の瓦礫撤去に機械や道具を使うことが多く、汚染泥や瓦礫に対する衛生観念があるので、素手の作業や危険個所への立ち入りの可能性が低いが、発達途上国などでは、感染率は比較的高くなる。発症すると治療できる医療機関が少なくなるので、注意が必要。強直性痙攣から呼吸困難を起こし死に至る。

(参考)
●「破傷風とは/NIID 国立感染症研究所」

父親の内臓損傷と骨折の場合は、手術の経過を見て、早期転院を求められる。大規模災害のとき、病院のベッドは満床状態が続くため、処置を終えた患者さんは、ヘリなどで被災地周辺の病院に移送される。震災津波の被災では、転落・瓦礫圧傷と骨折・溺水・感電・火傷などが複合して現れる。船上火災被災者のように、流出オイルの発火や、家屋火災の被災者が火傷負傷を負っていた。前者は火傷が瓦礫海水に曝されている。

陸前高田で聞いた話だが、津波の溺死者をひきあげたとき、衣服が破れ、激しい擦過傷の中心部が火傷を負っていたという。津波の波速が激しいため、海底と衣服の摩擦で火傷になったらしい。津波のエネルギーの大きさを示す話である。

避難所には、知的障がい者施設の、職員含めて10数名ほどの団体が到着した。戸外に出歩かぬよう、体育館避難所中央にスペースが与えられた。ところが、自閉症の子の反復行動の外見の奇行と立ち歩きが、見慣れていない避難者の警戒を引き起こし、昼夜を問わず奇声を発して、翌日には追い出された。

福祉避難所は数が少なく、寄宿可能な他施設の受け皿が準備できず、中には、バス会社と交渉してバスを避難所として利用した例もあったときく。

精神障がいの方の場合は、もともとストレスに弱い特性もあり、常用薬の確保が大きな課題となった。異常緊張・不眠から始まり、統合失調症の方のせん妄・幻聴などの症状や、てんかんの方の発作なども危惧された。行政を通じ、小規模避難所の開放をお願いし疎開、その間に精神科を捜して薬を確保した。交通事情の制約もあり、精神科・心療内科などの関係科の医師と接触がとれない場合、救急科扱いとして処方箋を得たり、常用薬に限り薬局が法外緊急措置として、処方箋なしで薬を出した例もあった。

障がい者が負傷して、家族などの仲介者がいないため、治療には様々な試行錯誤があった。在日外国人等の治療で用いられる「評価スケール」を持ち出す例が多かった。視覚化は評価できても、質問の目的理解は、理解困難だろう。やさしい言葉に翻訳すれば通じるという迷信に気付かなくては、良質な治療は生まれないだろう。

●「痛みの評価スケール」(p.2参照)

(つづく)

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後期夏期講習の準備をしている。エアコンを使うお宅には無縁だが、室温が高い我が家では扇風機に頼っている。古い日本家屋は隙間だらけで、エアコン設置しても効率は悪い。

庭があるせいで、虫が多い。蚊のように口器が注射針状の虫ではなく、ブユのように強いアゴを持ち、糜爛性(びらんせい)の毒で肉を溶かしすすりとる、食いちぎり型の害虫が増えて困っている。まさに「噛まれた」跡が赤く腫れ、いつまでも痒く、跡が残るのだ。

見難いPC画面を、片目の視野外周部で読み取る私は常時緊張と集中を強いられるのだが、これらの虫が集中を妨害する。一般の殺虫剤は一切効かないので、掌に、弱いピレスロイド系忌避剤を塗って、虫を避けている。生態が分かれば駆除するのだが。

「急性期シリーズ」は、あと数回で終わる。「慢性期」資料を準備している。ただ視覚障がいと聴覚障がいの方の生活体験資料が少ない。困っている。

特定検診を受けている。しかし合計2千円程度のオプションをつけたが総額1万円弱は高い。いい加減な総合診療科の**医師がいなくなったのだけは、ほっとしている。


夜間傾聴>ふたり

(校正2回目済み)

 

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8/21 避難所・地域における急性期と治療支援&保健活動を切り出す(14)他

2015-08-22 05:04:51 | 地震津波災害ボランティア

2015/08/21 記
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(前回の続きより)

急性期の避難所は、ひとの入れ替わりが激しい。とりあえず地区指定の避難所・近隣の避難所に入ったものの、散り散りになった家族の消息を求めたり、入院できなかったトリアージ緑タグの傷病者が、より安静にできる環境を求めて移動していく例が多いのだが、被災翌日から、若夫婦の移動も増えて行く。これは、乳幼児を抱えてのことだ。

避難所には較差があった。それは蓄積物資や周辺から送られた支援物資が早々に供出できる避難所と、とりあえずの居場所のみの避難所との差だった。自治体指定避難所、特に学校や公共施設の避難所と、地元の寺院が場所を提供しているような民間避難所や、小集落の公民館避難所との差だった。

乳児に必要なミルクと哺乳瓶が揃わなかった。おしめも入手が困難だったし、飲料水が不足するために、粉ミルクを溶いたり、濡れタオルで尻を清拭することに、即座に困ることとなった。

またアレルギーも大きな問題だった。清拭不十分な肌は、たちどころにただれ、配給される食物も成分が明らかではないと、下手をするとアナフィラキシー・ショックを起こして、子どもの命の問題になりかねなかったからだ。

しかし、夫婦には大きな悩みがあった。乳児が昼夜を問わず泣くのだ。追い詰められている避難者は苛立っている。泣かせるなと怒鳴られたり、なかには「親のしつけ」と説教がはじまった。

行政や医療関係者は、乳幼児を抱える夫婦について福祉避難所の優先入所を勧めているが、人数分のスペースを取ることが出来ず、夫婦は行き場所を失い、乳児用物資と空きスペースを求めてあちこちの避難所を彷徨うことになる。折角見つけた避難所も、今度は配給物資が届かず、大きな公共施設避難所に物資を分けてもらいにいくことになる。

ところが安否確認のために入所者名簿を作り始めている公共施設避難所では、自治管理者が「名簿にある現入所者以外に配給物資は渡せない」と拒否する石頭担当者が必ず出てくる。阪神淡路大震災も東日本大震災のときも、あちこちで、この拒否が問題になった。

福祉避難所や、一般避難所別室利用の乳幼児を抱えた夫婦に対し、「暖かいミルク哺乳瓶と換え乳首・おしめ・濡れペーパータオル・パンツ」を探し出して提供する地元の配達ボランティアが必要だ。必要な品目がわかっているので、地元中高生の自転車配達部隊でも大人の指導者がいれば、運営できる。

震災のあとは、きれいな川の流れであっても、食器や哺乳瓶を洗ってはならない。上流に動物の腐敗死体があったり、上流でトイレを済ませる者がいたりする場合があって、行政・保健所の水質検査を踏まえる必要がある。これは井戸でも同じだ。保健師さんたちが、この辺の末端管理を行うが、衣類とはいわずとも、食器等の水洗は大きな問題だ。これは避難者が勝手に水洗してはならないのだが、東日本大震災では食器にラップを敷いて、複数回使ったり、紙で食器を拭き取ることが拡がった。自衛隊や他自治体の給水車が飲料水の配給が始まっても、水は不足した。食器洗い・洗顔・衣類の洗濯・入浴・トイレの水洗などの水は、清浄度の段階をつけ、段階的に利用・節約をした。まず集団生活、特に疲労を蓄積している集団では、厳重に感染症対策を行わなくてはならない。食中毒・インフルエンザを初めとした伝染病では死者すら出かねない。

この話題の家族、妻の話に戻ろう。体育館の床は硬い。すし詰めのスペースで、母のおしめを交換する時、隣の家族に匂いを気兼ねせねばならない。普段、トイレに誘導して排泄させていた介護も、トイレが遠方になり、母の体力が萎えていることもあって、おしめで済ませてもらうことになった。実はこの行為が母の衰弱を早めていくことにつながっている。歩けなくなったり、立てなくなったりするのだ。(廃用症候群または生活不活発病。詳細は後記)しかし、肩を貸してくれる人は少なく、夜間は無理という介助の板ばさみがある。

(参考)
●「「動かない」と人は病む」大川弥生著

床が硬いために、母の体位も時々変更する必要があった。「褥瘡(じょくそう)」防止対策だ。すでに褥瘡を作ってしまっている高齢者や身体障がいの方は、褥瘡から感染症をひろげ、悪性腫瘍・アルツハイマー病・うつ血性心不全・関節リウマチ・骨粗しょう症・深部静脈血栓症・パーキンソン病・慢性閉塞性肺疾患・末梢血管疾患・尿路感染症などに悪化して行くことがある。この体位変換が介護の時間制約を起こし、介護者の疲労を蓄積させることになる。巡回看護師・保健師ら、医療関係者が処置を手伝ってくれるが、こんにゃくを持ち上げるように、非常に重い。人数の少ない巡回看護師・保健師さんに頼るわけにもいかず、特に夜間巡回してくれる地元ボランティアがいたなら、どれほど助かるかと思う。しかし、ベッドではなく床に寝ている方の体位変換は、介護者の腰に大きな負担をかける。ボランティアをする方も、腰を痛めるリスクを抱えることになる。

(つづく)

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「金曜災害ミニ・カフェ」を行った。各5分の被災体験談番組だ。

●「あの日 わたしは~宮城県仙台市・今野真理子さん」
(2015/07/14 NHK 放送)
●「あの日 わたしは~宮城県南三陸町・齋藤淳子さん」
(2015/07/27 NHK 放送)
今野さんは障がい者作業所「みどり工房若林」の施設長。利用者さんとともに無事避難できたが、作業所は流され、避難所生活が始まった。工房には精神障がい・引きこもり・知的障がいの成人利用者さんが在籍していたが、避難生活が始まったとき、利用者さんが避難所運営を自主的に手伝うようになり、生活改善が一気に変わっていったという。居場所と役割が与えられたとき、ひとは脱皮するが、災害ユートピアの典型事例。大事な証言。

また齋藤さんは、20年余の筋金入りの引きこもり歴を持っている。震災直後、津波避難と他者との出会いの恐怖の板ばさみに遭いつつ、必死の思いで部屋を脱出する。自治体放送の避難指示を担当していたアナウンサー職員の被災死に衝撃を受け、引きこもり体験の語り部として、復活を果たす。この2作品はいずれも、社会的役割が与えられることの自立への大きな契機と力になることを実証しているように思う。


●「あの日 わたしは~岩手県大船渡市・葉澤健一さん」
(2015/06/02 NHK 放送)
●「あの日 わたしは~宮城県東松島市・大泉照男さん」
(2015/07/09 NHK 放送)

葉澤さんは、下肢障がいで「車椅子」生活を送っている。工場のライン作業中被災。同僚に車椅子を押してもらい無事避難する。被災時何をしてもらいたいかを明らかにしておくことの大切さを語る。

大泉さんは、高齢者特養ホーム「不老園」の臨時職員。発災直後、車に高齢者と職員2名を乗せて避難を図る。しかし道は渋滞、避難所200m手前の踏み切りが遮断状態になっており、避難が遅れた。踏み切りで津波をかぶり、職員の3人は、流れ着いた屋根に乗って助かったが、車内の入所高齢者さんたちは、車とともに水没。職員は負い目を抱えることに。

東日本大震災では、多数の障がい者・高齢者が逃げられずに亡くなった。これら要援護者の方の命を救う道はなかったのか、改めて問うことに。

話題が分散した会合だったが、今野さんの番組は特に皆さんに観てもらいたいと思う。NHKアーカイブスに入るだろうか。

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夜間傾聴…塾長の奥さんの紹介の方、息子さんが引きこもっている。

(校正2回目済み)

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8/20 避難所・地域における急性期と治療支援&保健活動を切り出す(13)他

2015-08-21 06:08:01 | 地震津波災害ボランティア

2015/08/20 記
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(前回のつづきから)

震災津波に被災したある家族の妻は、津波から救出されて助かった母を抱え、夫・娘・息子がそれぞれ入院している状態で、母の看護をしていた。幸い全員命は取り留めたものの、そちらの看護まで出かける状態ではなくなっていた。それぞれの看護師に事情を説明し、当座の看護・介護は母だけに絞り、避難所の一角に、母と自分のスペースを作ってもらった。

避難所は地区で定めた中学校の体育館であり、すし詰め状態になっていた。濁流の汚染海水をはかせて、身体を毛布とストーブで暖めた以上の治療は、抗生物質もなくそれ以上の処置が出来なかったので、回復力頼みのまま、ストーブのそばに居場所を作ってもらっていた。夜の体育館は冷えた。夏場は蒸し風呂のようになるという。

毛布だけではフロアは硬く体温を奪われるので、臨時に体操用のマットを借りて、その上に毛布を敷いて母を横たわらせ、ありったけの配給衣料を挟んで、毛布をかけた。

上向きの姿勢は苦しそうなので、横たわらせたところ、咳き込み始め、搾り出すように嘔吐が始まった。避難所のあちこちで咳き込みの声が聞こえていた。避難所全体が嘔吐物で末臭く、換気のために天窓をあけると冷気が吹き込んできた。

持ち出したリュックに衣類を着せて、母を座らせリュックにしがみつかせた。呼吸が楽になり嘔吐物も気管に戻ることも無くなった。しかし、周辺では嘔吐物にむせて、背をさするような状態の家族があちこちにいた。明け方、悲鳴のような泣き声が聞こえてきて、高齢の方が即製担架で運ばれていった。

衰弱と嘔吐物による窒息だった。眠るように亡くなっていた方もおり、やっとたどり着いたと思われ安堵した避難所も、様々な病の危機が潜んでいた。救護所のトリアージ緑タグの人々も、決して「健康」なのではなく、死が身近に潜んでおり、体力が残っていない方の危機は、発災後数日は危険が伴っていた。救護所だけではなく、救護所に行けば、他の病院や巡回協力している開業医など、数が少なくとも、往診できる医療関係者と出会える体制が必要だ。

この妻は、なんとか母の危機を過ごすことが出来たが、大きな負担を感じていた。深夜の薄暗がりの中で、母の体調が悪化しても、大声で助けを求めることを躊躇したのだ。母が嘔吐したとしても膿盆(のうぼん)を交換に場を離れることもためらわれた。常に様子を見ていないと、嘔吐物を詰まらせる危険を感じたからだった。

避難所では、一時的に席を離れることが困難な方がいる。トイレまで歩行困難な方をつれていく応援が必要な方もいる。特に夜間の支援が必要で、外部ボランティアに頼れない発災後数日、地元医療・生活支援ボランティアが早々に動き出せる状態を作り出したい。本当に、「ちょっとしたこと」が出来ないし、死は傍らの闇に潜んでいるのだ。

(つづく)

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「わーくNo.057」を書き始めている。25日(火)より私の後期夏期講習が始まる。それまでに仕上げたいのだが。

橋本、**君、PT志望固まる。費用・受験準備予測を伝える。指導が変わってくるが、自閉症独特の几帳面さが、対人治療の場で大丈夫だろうか。不安が残る。

夜間傾聴>**子

(校正2回目済み)

 

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8/19 避難所・地域における急性期と治療支援&保健活動を切り出す(12)他

2015-08-20 06:09:35 | 地震津波災害ボランティア

2015/08/19 記
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急性期の医療・生活のケア・ボランティアは、養成されていた地元リーダーに、有志が結集して始まる。防災リーダーや、消防団などが、避難誘導や、傷病者の救護所・救急病院移送、被災者救助を中心に行う。この中で、ケア・ボランティアは、「救護所・避難所開設支援」、「市民トリアージ」、「避難所内配置誘導」、「身元確認」、「子ども一時預かり」、「備蓄食材等の割り振り」がある。

避難後も「避難所内配置調整」や「避難所環境整備」、「保健師活動の補佐」、「看護師による救急治療の補佐」の仕事が出てくる。要援護者は、まず「一般避難所」を経由して「福祉避難所」や「臨時福祉避難所(学校教室一時利用湯)」に移動するので、仲介を行う。

私がここで着目したいのは、避難所に被災者家族の一員であり、休校措置の中でひとりの青少年になったティーンズたちの存在だ。学校の構成員のひとりというより、被災者や地元の家族の一員としてボランティアを行いうる若者の存在だ。彼らは近所の土地勘を持っておりその特徴も活用して行く。

話を避難所に戻して、そこに起こる出来事の事例を見てみよう。

話は、前に登場した5人家族に再登場してもらう。母親はすべての家族の負傷・罹患の危機に立ち会っている。父親・娘・息子は入院し、目の前には祖母がおり、その看護・介護を抱えている。その祖母との避難所生活に出合った事例を次回みていく。

(つづく)

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NHKの「あの日 わたしは」の5分間3.11被災体験紹介シリーズ番組の2015/08/18放送「岩手県山田町・佐藤寿子さん」(薬剤師)は、3.11被災直後、薬局に来る被災者に、医師の処方箋なしでも、常用薬の提供に踏み切る姿が出てくる。被災下という特殊な状況下は、法の枠すら踏み外さねばならないような柔軟な対応が必要となる場面が出てくる。現場主義というかヒューマニズムに基づいた行為は、後日裁かれることもあるだろうが、臨機応変な対応が人を救うこともある。

こうした特殊な事例をも踏まえつつ、今後の話題を考えていこうと思う。

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後期夏期講習の準備。
明日、橋本の学習対話再開。


夜間傾聴>ひとり


(校正1回目済み)

 

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8/18 避難所・地域における急性期と治療支援&保健活動を切り出す(11)他

2015-08-19 05:10:10 | 地震津波災害ボランティア

2015/08/18 記
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(前回の続きから)

急性期の「避難所」と「福祉避難所」の特徴比較をすると、「避難所」では、あらゆる状態の方が交差点のように通過して行く。大きくは、「いのちの危機」から救助された方がとりあえず身を寄せた場所であること。分散避難している家族を探して、噂や家族の約束事に従って、生存情報に聞き耳を立てながら、他の避難所へと移動する。移動の危険がとりあえず去ると、慢性疾患を抱えた高齢者や、乳児の乳の確保などの事情から、避難所内の混雑や、食料・衣料などの物資配給の差、室温差を基準に、より家族の安定を確保できる避難所捜しが始まる。インシュリンが必要な糖尿病患者とか、ニトログリセリンが必要な心臓疾患、透析治療が必要な方や、安定剤が必要な精神疾患の方などが、医師・看護師と接点の取れる病院・救護所に近い避難所を求めて移動が頻繁に起こる。このため、避難所利用者の実態が管理者にもつかみづらい状態が続く。

これに対して、「福祉避難所」は様相が違う。手帳を持っている方とその家族は、避難時の危険がとりあえず去った時点で、事前に確認していた指定福祉避難所に移動する。この移動そのものが非常に困難を伴うので、全壊していなければ、自宅や同じ困難を持つ近隣の方の御宅に身を寄せる。その上で、より近くの障がい者施設や特別支援校など、従来利用していた障がい理解のある方との接点を求めて移動する。福祉避難所の多くは、これらの施設が福祉避難所に利用されるが、主に通学・通所されてきた方が利用する。

成人障がい者、特に医療保護が必要な方は、避難時点でハンデを抱えるために、病院収容が遅れ、居場所探しに困難する。重症・高齢等の在宅障がい者、視覚障がい者、集団利用が困難な発達障がい者、精神障がい者等、受け皿のカスタマイズが必要な方たちは、指定福祉避難所が後手を打つように設けられ、学校校舎教室の一時利用や、他地域への搬送等が行われたりした。また、居場所に困難を抱えるのが、聴覚障がいの方たちだ。一般の避難所と福祉避難所との間で、分散しがちだが、障がい理解と手話理解のある方どうしが、避難所内で結束していく方法をとっている。勿論、聴覚障がい施設がある場合は、そのスペースが避難所に利用される。

つまり、急性期の福祉避難所は、利用者の集合立ち上がりが遅く、まずは「安全移動」・「医療支援確保」・「避難所状態のカスタマイズ」が課題となり、「安全移動」・「物資・食料提供」の部分しか第三者ボランティアや地域自治体指定の隣人協力者の関わる部分が少ない。ボランティアの登場は、慢性期に入ってからと言ってよい。

一方、高齢者の場合は、在宅介護の割合が高く、高齢者施設の収容可能者数に収まらない場合もあり、一般避難所の配置のやりくりの中で生活が始まって行った。実はこのやりくりが高齢者の重症化、死亡者増大という様々な試練を味わうことになる。

取り残された在宅待機・自家用車生活者の孤立をどう解決していくのかという課題を行政・支援者は迅速な解決を求められる。

またこれは、移送(transfer)の際、顕著に現れるが、高齢者の場合は、状況自己打開の当事者としてたち現ることにはならない被救護者であり続けることだ。それだけに適切な措置が重要であることを意識していきたい。

(つづく)


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後期夏期講習の準備を始めた。途中、病院に特定検診の予約申込みを済ませていると、知り合いの介護タクシーのAさんと出会った。発災時の介護タクシーの働きについて取材したいと申し込み、来月下旬に会うことになった。違う視角が得られるか?

市役所の市民自治推進課・市社協で用事を済ます。西浜高校ボンティア塾の申込みを終える。「避難所内FM(マイクロFM)の放送を作ってみよう」だ。避難所とはどのようなところか、避難所内放送の意義を押さえ、番組の放送シュミレーションを行う。

夜間傾聴>開店休業


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8/17 避難所・地域における急性期と治療支援&保健活動を切り出す(10)他

2015-08-18 06:01:40 | 地震津波災害ボランティア

2015/08/17 記
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(前回の続きから)

福祉避難所は、その必要性の社会認知度が低く、なかなか整備されない。地元の特別支援校や障がい者施設、高齢者では特養ホームなどの諸施設が当座の受け皿になる。ところが収容人員の絶対数が不足し、サポートする職員の数も、職員の家族被災も重なって、全く足らないのが現状だ。このため東日本大震災の際は、半壊した自宅でブルーシート生活を余儀なくされた例もあった。こうした自主避難者は、遠方疎開を果たした方を除き、情報も物資も諸支援も届かない困難にさらされる。

社会性に困難を抱える成人発達障がいの方とその家族の方は、福祉避難所の混合避難の状態にも適合できず、交渉で地域の学校の教室を開放してもらう例もあった。一教室数家族という利用法となるが、これも仮設住宅が出来るまでの暫定措置とされた。ところが仮設住宅入居時も、健常者家庭の隣だったり、隣接発達障がい者の家庭の相互干渉があったりと、条件が難しく、遠方の内陸部に介護者と自主疎開し、家族がひき裂かれる例もあった。医療補助が必要な重症身体障がいの方は、施設疎開や、内陸医療施設への自主疎開が行われた。医療支援の必要な高齢者の場合も、疎開が行われたが、福島県の双葉厚生病院のように、無理解と避難情報混乱のため、バス内に高齢者の被害者が続出した。要援護者にとって、移動自身が生死に関わる大問題だった。

福祉避難所入所・自主避難家族のように、公共のサポートが未熟な現状では、平常時から他県施設との相互避難契約を含んだ友好交流を進めておき、有期限契約の限界はあるが民間借家への仮避難所認定をもらった避難等を摸索している。

こうした分散避難と多岐にわたるカスタマイズ避難は、公共サービスを届けるための全体状況把握を困難にし、確認できたところからの医療・生活支援ボランティアによる巡回支援を行うことになる。この巡回支援は土地勘のある中高生自転車部隊のような担い手の、新規実践事業となる。よって大事なことは、分散・カスタマイズ避難をしている家族は、家族側からの支援要請を必ずしないと、存在自身が見逃されてしまう。有効な視点を獲得するために、保健師との連携の下に、巡回支援ボランティアを形作る必要がある。ここでは訪問医療や治療薬代理仲介などが必要になるが、薬代・法的検討などのケース・カンファレンスが必要になる。

自治体では、要援護者の事前登録が始まっており、東日本大震災の際は、機械的なプライバシー守秘の壁が、南相馬市・陸前高田市を先進事例に、支援組織に対して情報開示が行われたが、東北のように自宅避難例が多くなる地域特性の場合有効情報であるが、都市型災害のときは、疎開事例が増えるため、開示情報だけでは全体状況がつかめない状態になる。先方の地域サポートとの連携を通じ、巡回を実現する必要がある。

指定福祉避難所については次回。

(つづく)

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「わーくNo.057」を書き始めている。明日はビッグイシュー配布を済ませるが、神戸訪問は後期夏期講習の終わる8/31終了後になってしまった。

鶴嶺高校ボラ塾は、「マイクロFMの役割と避難所内放送シュミレーション」に決まった。

夜間傾聴>**子
     ひとり

(校正1回目済み)

 

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8/16 避難所・地域における急性期と治療支援&保健活動を切り出す(9)他

2015-08-17 05:32:26 | 地震津波災害ボランティア

2015/08/16 記
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避難所利用者の中の健康を維持している大人たちは、家族の生活を支え、避難所内家族の傷病者の看護・介護、入院家族の通院介護と忙しいことに加えて、被災した自宅の整備清掃、家族・親戚・友人・隣人などの消息確認、被災自営職場の整備清掃、財産確認や契約凍結など、際限のない仕事に終われて行く。こういう過労集団の元で感染症が生じたとき、免疫力の弱まった集団は、感染を一気に拡げ易く、深刻化しやすい。この集団健康管理は、保健師・看護師の地域保健が見通しをたてていく。それに従い、協力して行く活動が必要となる。これは、避難所管理運営会議が担うことだ。

ここでいう感染症とは、飛沫感染によるインフルエンザ・肺炎球菌性肺炎・マイコプラズマ性肺炎・百日咳等や、経口感染により腸チフス・パラチフス等、接触感染による黄色ブドウ球菌感染症等、空気感染による結核など多岐にわたる。水が不足している環境であり、身辺清拭すら制限をうけると、感染源としてのトイレ等が問題となる。この避難所内雑用係の必要性は高く、一方で、昼間、乳幼児や児童の世話、傷病者・要介護高齢者のケアを手伝うことによって、日中のおとなを自由にするために、避難所に残る要援護者の、医療生活ケア補助支援かつ感染症防疫補助に関わるボランティアが必要になる。このボランティアについては、集中的に検討する必要がある。

ここで注意すべきことは、外部支援ボランティアや中高生ボランティアのように、関わりが短期的になるボランティアと、地元の大人の長期支援が可能なボランティアの役割分担を明確にしておいた方がいいということだ。例えば身体の不自由な高齢者等のトイレ介助やおむつ交換・食事介助など当事者との信頼関係を要するものは、長期支援者が適している。仮設トイレの増設とか、毛布の配布等は短期支援者に割り振る。

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一方、この避難所を利用できないでいる被災者がいる。障がい者や認知症等の方々は、自治体が設けた福祉避難所や、半壊した自宅で生活している。物資の配達と併行して、訪問健康確認巡回を忘れてはならない。避難所では抵抗力がない身体の方がおり、ノロ・ウィルス感染などには注意する。

(つづく)

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訪問客あり。午前10時頃到着との話で、睡眠時間が3時間を切った。やむなく起きたら、実際に来たのが午後1時。この辺のところが、何回言ってもわからない。先方の車で移動中高いびき。チェーン・レストランで食事して戻ってきたが、認知症の母親の今後について話していたが、介護度のことや、高齢者グループホームと老人病院との区別がなく、頑として説明を受け入れない。ものの盗難妄想で衝突しており、それがアルツハイマー型認知症の特徴であることや、対処法も怒りに流れて受け入れないという始末。

嵐のように去っていったが、不快感が一日中尾を引いていた。
要介護者支援は常に前途多難だ。

夜間傾聴>ひとり

(校正1回目済み)

 

 

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