湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

自学教材ヒント集に《調べてつくる料理(04) 調味料としての『塩』》を載せました

2005-02-28 07:05:29 | フリースクール
以下は教材ヒント集の解説です。

●自学教材ヒント集《調べてつくる料理(04) 調味料としての『塩』》
http://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=tobipub2



(注)塩とたばこの博物館サイトは、ノートンの保護者機能などでガードされてしまう場合があります。一時解除してご覧下さい。


 今回は「塩」。特に調味料としての「食塩」が中心で、塩味が活きる食材として「はまぐり」を選んだ。元が食いしん坊だものだから旬の食材を使った料理を選んでみた。

 実のことをいうと初めは漬物・干物と塩のことを考えていた。しかし両者ともビギナーの料理という点からみると、首を傾げざるを得なくなり、当事者の関わりがしっかりと定位している料理を選んだ。

 「はまぐりと菜の花のパスタ」にしたが、細いスパゲティを使ってもいい。バターを仕上げに落とす向きもあるが、食材の香りをたたせるために本文には紹介しないことにしたが、好みで入れてもいい。しかし、菜の花のかわりに大葉(しそ)を使う場合は入れると香りがぶつかってしまう。はまぐりを「あさり」に代えても大きな破綻はないが、味わいは「はまぐり」の方が上である。

 貝類の鮮度は大事。口が開いているものが新鮮という解説もあるが、ストレスでのびている場合もある。震動を与えてしっかりと閉じるならいい。しかし実践的には冷凍物を解凍して店頭に出しているので、閉じているのが普通。これは流通と保存形態が変わってきているための経験の差が出てきていることなのだ。火を入れて開かないのは勿論ダメ。貝と食中毒まで話を広げたが、結構これはこれで話がひろがるので後日回し。

 はまぐり関連で言うと、はまぐりは蝶番が硬いが貝柱を切ると貝が開く。しかし内部を傷つけてしまうのでグラインダーで蝶番を削ってみた。しかし、貝が割れて飛び散る事があったり、手を滑らせて危険であることがわかったので注射針で高濃度の食塩水を注入してみた。効果はてきめんだが、一般には注射針が入手しにくいだろう。昆虫標本を作るときに使う注射針は太すぎて隙間に入らない。調理人のひとはどうしているのだろう。こうして開いたはまぐりを解剖する。デジカメ接写をして記録してもいいし、スケッチしてもいい。魚よりも解剖しやすい。

 また「はまぐり」の工芸品「貝合わせ」の筋から、平安朝の遊びや着物の紋様に話を広げる道もある。

 以前小学生が「しじみ・あさり・はまぐり」の違いを自由研究で扱ったことがある。小4の子だったが、大きさや形の差まではよかったが、「料理の使い道のちがい」という転倒した方向に話が流れ、味覚の差は消え、生息環境と種には思いが至らなかった。調理学や生物学筋からアミノ酸の成分分析や、生態分類学の筋の図鑑や解説などがオンライン上に無くて苦労した。今も「微小貝図鑑」はあるが、大きめの貝はサイトが無いのが現状である。これは地域図書館の図鑑に頼るのがいい。結構面白いのが魚屋さんとか漁師さんの説明。

 次に「菜の花」の話だが「菜種油」を取るために栽培されていると僕は思っていたが、豆類の次に植える畑の土壌改良剤として使われていると最近知った。この植物の名前は、「菜」かときかれて動揺した。正解は図鑑でどうぞ。アジアの原種なのだろうか。菜種は商品栽培作物だ。商品経済の発達過程を追ってみる手もあるだろう。郷土史関係が糸口になりそうだ。また、油の作り方も調べればサイトから出てくる。そうそう「菜の花や月は東に日は西に」と詠んだのは江戸中期の俳人与謝蕪村。「文学作品の中の菜の花」こちらもあるだろうがお手上げ。


●アブラナ(油菜)
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/aburana.html

●武石のともしび博物館 栽培から自前…菜種油づくり、開始
http://www.shinmai.co.jp/sityoson/199711/97111504.htm

●なたね油のできるまで
http://www.ea-gent.co.jp/ryohin/special/nataneoil/nataneoil.htm

 また、パスタの話では、うどんの乾麺との原料と製造工程の違いを追うのもいい。スープを使ったパスタの場合は、あてはまらないが、茹でた後の蒸気をたてる水分抜きの調理法をついでに覚えておくのもいいだろう。この水分発散の方法は理髪店や美容室の蒸しタオルの温度調整法と同じ方法だ。

 やっと塩の話に行き着いた。調味料としての塩の重要性はおにぎりまで量を使わなくても、白米の飯にわずかな量の塩を加えるだけで、白米の甘みに輪郭がついて豊かな味わいになる。サツマイモ・ジャガイモ・サトイモなどで試してみれば、塩の偉大さがわかる。塩は過剰な量にしなければ、地の味をつぶすことなく味をひきたてる。

 また青物を茹でるとき、色あせを防ぐ。浸透圧の関係。血圧を上げる話や、腎臓病・糖尿病との関係なども調べてみる筋である。ここでは熱中症の治療と電解質の重要性ということで2つのサイトを紹介しておく。世界の飢餓地帯のでは塩が大きな問題となる。ひとつまみの塩が乳幼児の命を握っている。この関係の資料が、今回間に合わなかった。日本の過去の飢饉とは様相が違うことにも注意、日本は海に囲まれた国だからだ。

 塩の概括的な資料は「(財)塩事業センター」と「たばこと塩の博物館」から得られる。ただ後者はサイトは貧弱。疑問点を整理して、博物館に足を運ばなければならない。

 塩の流通の話では「塩の道博物館 塩の道を旅する(千国街道参照)」がある。塩は戦争の火種にもなる。そして海のない国・遠い国では岩塩採掘が大事な役割を持っている。岩塩は昔の海の干上がった場所に長い時間かけて水分が蒸発した跡に生まれている。火山の影響によるものは結晶が小さく雨によって流されてしまう。しかし溶け出したミネラルの層には動物が集まり土を食べている。そうそうアゲハは動物の排尿のあとに集まりミネラルを補給する。僕の小便の最中にアゲハが寄ってきて驚いたこともある。キャッチは速い。

 地層的には安定しているために、岩塩の層のなかに放射性廃棄物を埋めることが進んでいる。この是非も考えてみたい。また塩の精製法などは上記サイトを参照のこと。風土と歴史との関連で生産地などを並行して追ってみるといい。

 塩の合成・炎色反応との関連話も後日まわし。
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東京シューレ主催「不登校とホーム・エデュケーションを考える国際シンポジウム」に参加してきました

2005-02-28 05:53:54 | 引きこもり
 東京シューレ主催の「不登校とホーム・エデュケーション国際シンポ」を覘いてきました。

 参加者150名くらいでしょうかね。英・米・韓・台・ニュージーランドのホーム・スクーリング(エデュケーション)団体の参加があったのですが、特に午後からの「各国のホーム・エデュケーション」レポートは充実していました。

 ホーム・スクーリングとかホーム・エデュケーションというと、PC画面とにらめっこしてCAIやっているとか、ドリルを黙々とやっているイメージがあるのではないかと思いますが家庭で親御さんが子どもを教えていくというスタイルや自主課題をフリースクールに持ち込む形が一般的でしょう。

 僕は家庭で親御さんが教えるというのは、あまりイメージしていなくて、教室という箱に固定されないフリースクール型のゼミ実践を考えます。ハレとケとでもいいますか、子どもの公的な活動(ハレ)のイメージがあります。自学教材ヒント集も各自が独学自主課題として取り組んでくれというのではなく、それも有りだけれど、やりたい者が集まって行うというメニュー(契機)を作っているのです。

 学校の粗っぽさ、いじめなどの原因や、時代と文化的な虚脱疲労などで、不登校・引きこもりに入った子たちの心身の居場所を狭めることにつながると思うので、僕がやるのは、後者。自主課題を親御さんを含む大人たちがバックアップしていくイメージがあります。子どもは親御さんの前では「地」でいかざるを得ない、これがしっくりしない理由です。

 今回も質疑応答のなかで、アスペのお子さんを抱えた家庭教育の悩みなどが出ていましたが、ここから出発せざるをえないという事情を抱えたり、引きこもっている方で、出発点を独学からめていかざるを得ない場合もあります。これらを否定するものではありません。

東京シューレの場合、この辺の定義は広義です。

 英国TCSのセイラ・フィッツクラリッジさんからは、市民権を得たホームスクーリングの様子と娘さんのご挨拶、ニュージーランド・ホームエデュケーターのレニー・ハリソンさんは同国の様々なホーム・スクーリングのスタイルの紹介があり、娘さんのご挨拶。アメリカのクロンララ・スクールのパット・モンゴメリーさんは、スクール創設から今に至る関連エピソードを語っておられました。アジアからは台湾のリー・ヤンチンさんが、シードリングスクール、台北自主学校創設時の行政交渉を語り、韓国からは雑誌「ミンドゥルレ(たんぽぽ)」のキム・キョンオクさんが達者な日本語で代案学校(フリースクール)の紹介を歴史的な眼で語っておられました。日本からは弁護士の多田元さん、こちらはワンパターン。

 かなり具体的な話で面白かったのですが、こうして国際シンポジウムに参加する意義に触れた発言が欲しかったというところです。いずれもCAIやドリルに拘束されているのではない自主的で多様なまなびが紹介されていたのは有益だったのですが、特に台湾のリーさんの活動は学校臭を残していました。

 自由な自主選択による教育と言っても、いずれも社会の現場、職場につながっているものではなく、仮想の隔離空間を作ってしまうし、社会参画のことも意識されていないことが学校幻想の根深さを表していたように思います。

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今日はこれから「不登校とホームエデュケーション国際シンポ」に行きます

2005-02-27 03:57:21 | 引きこもり
昨日の横浜・紅葉坂の研修会は、体調とみぞれ雪で国際シンポを優先して休んだ。
明日は、早稲田大・井深大記念ホール(西早稲田キャンパス)にて10時半からシンポがある。
\2,500-

杖をついている変なオヤジがいたら飛田だということ。ブログの読者の方、声をかけてみるといい。

今日はPatricia Howlin の「自閉症成人期にむけての準備 能力の高い自閉症の人を中心に」
(ぶどう社・May 2000)を買ったので読み始めた。

共同作業所の経験を聞かせて欲しい。特に実践者の方、早大昼食を食べませんか。(甘いかな?)





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自学教材ヒント集に《旧刊書籍紹介『絵本パパラギ』》を載せました

2005-02-27 03:40:25 | フリースクール
--- 今回は以下の教材の解説です。

●自学教材ヒント集《旧刊書籍紹介『絵本パパラギ』》



 同質の集団の中からその集団の姿を見ることは難しい。異質の価値観、差異との衝突の光が己の姿を照らし出す。

 前にも父方の実家のおばさんの会話を例に出したかと記憶するが、

「○坂の**ちゃんが、結婚してね…」(知らない人)
「*☆屋の野菜は安いねえ」(*☆屋自身を知らない)

というような同質性にどっぷり浸かった言葉は周囲にあふれている。僕を地元の人と同じ扱いをして、平然と語りかける。「○坂の**ちゃん」・「*☆屋」を、地元ではない相手がどううけとめるかという発想自身がないし、言葉の距離に微塵の疑いも無い。

 今、日本と学校を覆っている文化の霧は、この同質性の霧。マスコミによってそれは地ならしされているから、姿に光を当てることは容易ではない。その内側で充足する者には外側のみならず内側も問うことがない。些細な同質の証をたてて、そこに差異を作ろうとする。これがいじめの根源にある。

 ツイアビの演説はサモアの同質性を抱えている。それがはからずも、近代文明側の者にとって、己の姿を見る鏡になっている。

 ただ問題はもうひとつある。ツイアビの指摘は淀みに沈む文明への疑問を覚醒させる意味は持っていても、それを受けて文明を批評していく精神の動力足り得ない事態にまで、近代文明は肥大しすぎていることだ。それゆえ個人の価値観と生活改革という方向に短絡し、イデオロギー化してしまう。宗教とディープエコロジストたちの動きだ。これでは別の同質集団を生み出すに過ぎなくなる。異質なものとの出会い自身をセルフチェック機能に組み込んだ開かれた社会システムが必要である。

 そういう歯がゆさをかみしめつつ、旧版「パパラギ」を読んでいるが、和田誠の絵がツイアビの言葉の切れ味を鈍磨させなければいいがと思う。

 蛇足だがルリアの「史的認識の発達」(明治図書'76)は、30年代の中央アジアの調査をもとに、この文化の同質性が及ぼす発想の差異を論じていて面白い。論争があった本だが、再刊されないか願っている。詳細はまた取上げることもあるだろう。

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茅ヶ崎サポセンのニューズレターに、湘南子どもフォーラムのオートキャンプが載ることになった

2005-02-26 06:01:22 | 引きこもり
 茅ヶ崎のサポセンのニューズレターで、「4/23日帰り交流オートキャンプ」を取り上げてくれることになった。来週から藤沢・寒川・平塚の広報ルートを当たっていく。

 資金もないのに無謀なことをと昨日も言われてしまった。東京で肢体不自由児向けの遊具工房を自費で立ち上げているひとの言葉なので、さすが耳が痛い。神様なんていやだから、愚公は筋トレして山を担いだのが真相というアホ話を中学生にして、一部受けに終わったことを思い出した。

 しかし構想は逆にもっとニーズに根ざして練られるべきだ。これが常識とのすり合わせだが、すれてはいけない。

 3/20茅ヶ崎市民活動フォーラム用資料をまとめている。リーフレットの予定。これを使って団体まわりをする。4/23オートキャンプはチラシだ。3/20当日、パネルを出せることになった。上杉さんが担当。デザインは僕の出る幕ではない。強烈な一発をということになっている。

 物件がみつかったと知人から電話が入った。場所が戸塚…。これは意味がないんだよねと思いつつ、横浜のSさんに情報を回した。辻堂駅前・茅ヶ崎駅前などというのは虫がよすぎるか。

 炭火焼が出来そうな缶を調達中。来週にも入るだろう。煎餅のほうも実験開始だ。

 鬼が出るか蛇が出るか、いずれにせよ手伝わせる以外なし。
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自学ヒント集に《独学で英語を学ぶ道・会話機器を買う前に》を載せました

2005-02-26 05:36:38 | フリースクール

--- 今回も以下の教材ヒント集の解説です。

●自学教材ヒント集《独学で英語を学ぶ道・会話機器を買う前に》
http://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=tobipub2


 今回は独学の英語ガイドのつもりでサイトを選んだ。ところがどうも「独学」の土台が違うようなのだ。つまり中学生が始める「独学」と大学生や社会人が資格取得のためやビジネス会話を独自に習得するというような場面の[独学」が入り混じっているのだ。さらに厄介なのは、高校生が、学校英語とは別に資格を取るためとか、受験補習というようなものまで「独学」に入っていることだ。

 そこで学習内容のレベルと、主宰者の目的記述に注意をして、きれいに分かれはしなかったが、中学生が学校外で学ぶ場合と、高校生が学校外で学ぶ場合に当てはまるサイトを選んでいった。

 僕は英語指導は塾の教科書準拠版問題集添削以上のことをしてこなかった。読字障害や書字障害を持つ子には筆記体優先とかワープロ指導というような臨床的な指導をしてきたが、これとてヒアリング等の膨らみをもたせたものではなかったから、独自の指導法を持つものではない。

 ただ常に見通しをもつことや、経験的な参考になる内容を含むサイトを選んだというところだ。

 だが漠然と問題集をこなしたり、視聴覚機器を買うのは、強い動機が無い場合が多いので、一考した方がいいと思う。むしろサイトを使ってざっと眺めてみて、的をしぼった方がいい。また機器は再生専用機を買わないこと。取材学習に転用できるので、MDプレヤーとMDメディア教材をおすすめする。

 ネイティブのひとたちとの交流の件もあるが、これはおいおい開拓して紹介していくつもりだ。

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公立高入試も波乱なく、「不登校とホームエデュケーション」国際シンポの準備を

2005-02-25 05:59:11 | 引きこもり
 公立高入試の受験生たちが今年は異様に安全圏で、問題が出てこない。今年は早々にかたがついて僕ら受験担当の出番がない。7・8年前にもこういうことがあった。まあ、いいことなのだが、不気味でもある。早々に帰宅した。

 途中駅前で和菓子屋を物色し煎餅の値段を見る。町にあふれている菓子である。しかし、じつに多彩だ。水準までの味に引き上げることができるのか、売れるのか…。アイデア商品にしてしまうと長続きしない。水準は確保しなければ先がない。

 成城石井で醤油を探す。丸大豆の溜まりは高い。我が家の減塩醤油は普通の減塩醤油と違う。丸大豆ものでもある。味の比較が出来るものはないかと眺めてみたが、判断が付かなかった。ヤマモリにいい醤油がある。試してみようかと思案。

 Amazon からメールあり。明日本が届く。

●「自閉症 成人期にむけての準備―能力の高い自閉症の人を中心に」
Patricia Howlin・著  ぶどう社・刊 ISBN: 4892401455 June 2000

アスペルガー症候群の子や、高機能自閉症の子とは軽度の子の体験例しかないから、構想を描くとき経験者の話を積まなければならない。何かヒントがでてくればいいのだが。

 3/20用資料の追加。湘南子どもフォーラムのネットワークの定義を添える。「地域の知り合いの海」を求めること、「緩やかな交流」を求めること。問題はこれはネットワークの開放系の定義であって、これが即、運動論にはならないことだ。運動には結集の芯がいる。これがないとばらけてしまう。そこに「スペース”ラピュタ”」が入る。特に就労支援の側面ではなく「多目的交流拠点」の性格が子どもフォーラムの開放系の定義に馴染む。就労支援はその機能を実現することとリンクする。

 土曜日は横浜・県青少年プラザのNPO研修会、日曜日が早大で「不登校とホームエデュケーション」の国際シンポだ。

 珍しく、落ち着いた一日。

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自学教材リンク集に《調べて作る料理(03) おむすび百態》を載せました

2005-02-25 02:40:27 | フリースクール
--- 今回は以下の教材の解説です。

●自学教材ヒント集《調べて作る料理(03) おむすび百態》


 先ほどまで、アメリカ人とカナダ人(イギリス系)の留学生のひとたちの間に挟まれて、冷や汗をかきながら話をしていた。実は日本語なので助かった。今回の特集がわかっていたので「お寿司」の「しゃり」、「おむすび(おにぎり)」の好みを聞いてみた。

 しかし料理を食べるための主食のイメージはあるものの、ご飯だけを食べるのは美味しくないという意見に占められた。ご飯の微妙な味や、淡白な味付けが食文化の差だが、通じないように思った。

 おにぎりは、ひとつは兵糧の歴史、もうひとつは簡易弁当の歴史の中から生まれてくるが、しかし江戸時代までは現在の「おむすび」を連想しない方がいいようだ。ただゼイタク品として店で販売した「おむすびセット」(竹の皮包み)は、今のものと大差ない。旅籠の炊き出し弁当はどんなものだったのだろう。庶民の家のおむすびは豆や雑穀、ふすまなどと握ったようだが。

 おむすびにスポットが当たったのは、昭和30年代以降の生活のゆとりから始まる、リクリエーションの流れの中ではないか。大正から昭和にかけて、おむすびは握られてきたが、マスコミ操作を通じて野外の家族の食事が出てくるのは、やはり戦後だ。

 現代では、そのおむすびの輝きも失せつつある。「ほか弁」と[コンビニ」の影響である。70年代まで、道端や野外でむやみに物を食べるのは行儀の悪いことという観念があった。山野や海浜で会食するような場合をのぞいて、街に食品を持って食べ歩く姿は、あまりみかけなかった。これを崩したのが[コンビニ」の拡大だった。

 この食べ歩きの解放と同時に、スナックとしての「おむすび」が売られ定着していく。これによって、旧来の残り物始末おむすびは残っても、戦後の価値あるおむすびは淘汰されてしまった。

 韓国でキムチを入れたおむすびが日系資本コンビニの有力商品になったというニュースをきいて、おむすびが、日本固有の料理なのだと知った。

 今回は、「おむすび」の基本レシピを上げたが、ラップ太鼓型おむすび&穴あけ具詰め方式なら、なんとかなるからやってごらんというところだ。ゆで卵つけたら、それは豪勢と昔の人は感じるだろう。あれこれ連想しながら、食べてみてほしい。

 また、おむすび日本固有論が正しいかどうか、調べてみてほしい。またおむすびの歴史のいいサイトがあったら、飛田まで連絡下さい。>tobita@mbm.nifty.com
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3/20茅ヶ崎市民フォーラムに湘南子どもフォーラム紹介を

2005-02-24 06:06:57 | 引きこもり
する話が進められています。市民活動分野がばらばらなので、まとまった話は期待できませんが、市長参加のシンポジウムなので、やりきるべきだろうということで、準備をしています。

昨日の打ち合わせ会の話で、「パネル」をだすことになりました。
4/23日帰り交流オートキャンプのお誘いの内容になりそうです。チラシ・資料とあわせてCMすることになりました。

体調が悪いので、今日はここまで。
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自学教材ヒント集に《地球の歴史を読む1・人類登場前の地球》を載せました

2005-02-24 05:59:43 | フリースクール
--- 今回は以下の教材の解説です。

●自学教材ヒント集《地球の歴史を読む1・人類登場前の地球》


 今回はNHKのドキュメントビデオを紹介した方がいいのかもしれないと思った。俗にいう学習参考サイトから進化の関連が消えているというか、更新されなくなっている。指導要領を意識してのことだろう。一方では手間のかかる大きな企画サイトが科学博物館・自然史博物館から消えている。これは地球史が新しい知見が入り変化し続けている為、対応の手間を億劫がっているのだろうと思う。

 そんなこともあって、通史の国内サイトが本当になくなってきた。人類史のサイトも埼玉県立博物館に埋れてしまった。残念でならない。博物館の場合、サイトに対する質問に答えなければならず、専門学芸員のやりくりと関係してくるので維持が難しいことはわかる。

 東北大学理学部自然史博物館の通史はすでにおなじみのものだ。ただ資料集としてまとめた感が強いために、漠然と眺めていると年表が出ているだけのサイトに見える。だがここは、慎重に文字を拾って欲しい。卵が先かニワトリが先かの論議のようだが、ここを眺めてから紹介書籍をみてみると、イメージが深まる。

 湘南にも二枚貝などの化石の出る露頭がある。また埼玉や群馬まで足を延ばせれば、話を展開しやすいのだが、身の回りに世界を限定すると珪藻土や建材・化石標本ぐらいになってしまうのがつらいところだ。採取の話は続編で。
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これから、子どもサポートあねもねのドロノワ倶楽部陶芸WSです

2005-02-23 05:41:21 | 引きこもり
3/20の昨日の打ち合わせ会の報告もでると思います。

昨日は、中西さんが火曜日常駐している辻堂「ぽれぽれ」に寄ってから出勤。帰りに水曜日の出席予定者名簿を届けにドロノワ倶楽部に行きました。

SOFが第二水曜日に設けている造形プロジェクトは、ついに閉鎖となり、責任者M氏にお詫びの挨拶をしてきました。1年間の命、声が届かない虚しさもあります。不登校の子は、ひとりの参加を嫌がります。そして相手ができても初対面の子や、相性の合わない子と顔を合わせることを嫌がります。ここが始めるに当たって、重い扉でした。ある広がりのある活動があって、それがそのまま粘土造形を始めるという形で無いと、足の引っ張り合いのような形で工房に出向いてくれないのです。予想されたこととはいえ、やはり重い。今日は何回か、ため息をついていました。

あねもねの方は大人たちが集まり、そこにコロンブスアカデミーの青年たちや、SSWの活動で交流している当事者親子が参加します。

これが親子だけでもダメ。微妙な線のうえに成り立つ活動です。

まあ、明日から切り替え、切り替えということです。
愚痴ついで、午前中企画反対派は自分だけ?4時間後は堪えます。

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自学教材リンク集に《音を創ろう・集めよう2/環境音の世界》を載せました

2005-02-23 05:22:07 | フリースクール
--- 今回は以下の教材の解説です。

●自学教材ヒント集《音を創ろう・集めよう02/環境音の世界》


 5年ほど前「黎明プロジェクト」という試みがあった。現在は発展解消して「Dialog in the Dark Japan」という国際プロジェクトになっている。

●「Dialog in the Dark Japan」http://www.dialoginthedark.com/contents/whats_did/index.html


から自己紹介の部分を引用してみる。

> ダイアログ・イン・ザ・ダークは、日常生活のさまざま
> な環境を織り込んだまっくらな空間を、聴覚や触覚など
> 視覚以外の感覚を使って体験する、ワークショップ形式
> の展覧会です。1989年ドイツのアンドレアス・ハイネッ
> ケ博士のアイディアで生まれ、その後、ヨーロッパ中心
> に70都市で開催、すでに100万人が体験しています。
>
> 参加者は、その中を普段どおりに行動することは、不可
> 能です。そこで、目の不自由な方に案内してもらいます。
> 案内の人の声に導かれながら、視覚の他の感覚に集中し
> ていくと、次第にそれらの感覚が豊かになり、それまで
> 気がつかなかった世界と出会いはじめます。森を感じ、
> 小川のせせらぎに耳を傾け、バーでドリンクを飲みなが
> ら、お互いの感想を交換することで、これまでとはすこ
> しちがう、新しい関係が生まれるきっかけになります。

 カメラマンの金井真介さん、「里山から考える21世紀」実行委の土岐小百合さん、(株)ユーディットの関根千佳さんたちの提唱する運動だが、河合隼雄氏らユング系の臨床心理研究者や、アフォーダンスを研究する認知心理学系の研究者が関心を寄せている。九州芸術工科大の岩宮眞一郎氏らが作っている

●サウンドスケープ学会
http://www.saj.gr.jp/

とも一脈通じている発想がある。ここでは視覚を制限することで環境音を中心とした感覚の世界を取り戻すことに目標が置かれている。もうひとつの目標が視覚障害を持つ人との交流企画になっていることだ。

 黎明プロジェクトのころ、金井さんとメール交換したことがある。発想の柔らかな方で、僕の持ち出したネイチャーゲームの視覚絶ちゲーム群や沈黙ゲーム群に関心を示されていた。

 紹介した「Sound Bum」は人間社会と自然環境の音の旅行記となっているが、改めて音だけの記録を聴いていると僕らは音の洪水の中で「生きている」という実感、生命感が伝わってくるのだ。

 僕は自然音を特別視しない。なぜならそれを捕らえる営みが文化的な行為であるからだ。環境音の世界が人間社会の音の影に隠れた自然音を同等に復権させていく営みであるからだ。

 視覚障害の人との交流の話は、以後のシリーズの中で語っていく。

-----

(参考文献)

●「音さがしの本 : リトル・サウンド・エデュケーション」
R・マリー・シェーファー, 今田匡彦著
春秋社, 1996.12 ISBN: 4-39-393438-5
 (茅ヶ崎市立図書館)
  0112336631 /76シ

●「サウンド・エデュケーション」
 R・マリー・シェーファー著 鳥越 けい子〔ほか〕訳
 春秋社, 1992.4 ISBN:4-393-93415-6

●「サウンドスケープ : その思想と実践」
 鳥越けい子著 鹿島出版会, 1997.3
(SD選書 ; 229) ISBN: 4-30-605229-X

●「世界の調律 : サウンドスケープとはなにか」
 R.マリー・シェーファー著 鳥越けい子 [ほか] 訳
 平凡社, 1986.12 (テオリア叢書) ISBN: 4-58-274401-X
別タイトル: The tuning of the world
(茅ヶ崎市立図書館)
 0110354453 /763シ 本館 B2

●「音の風景とは何か-サウンドスケープの社会誌-」
 山岸美穂・山岸健 著  日本放送出版協会・刊 June'99
ISBN:4-14-001853-4
(藤沢市民図書館)
  0008310013 総合館   761.1
(平塚市立図書館)
004547675 中央館  /761.13 /ヤ /A

●「音の生態学―音と人間のかかわり―」コロナ社・刊
 岩宮眞一郎著 ISBN: 4-3390-7694-5 May 2000

●「芭蕉の音風景 : 俳諧表現史へ向けて」
 堀切実著 ぺりかん社, 1998.6
ISBN: 4-83-150835-7

●Sound scape design / Hans U. Werner.
Akroama, 1997
ISBN: 3952033529(pbk.)
著者;Werner, Hans U.
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自学教材ヒント集に《性と妊娠出産の基礎知識》を載せました

2005-02-22 04:48:29 | フリースクール
--- 今回は以下の教材の解説です。

●自学教材ヒント集《性と妊娠出産の基礎知識》




 日本社会には強烈な標準家族像がある。常識はもともと実践知としての処世術なのだが、実践知は理由を問わないから、常識も根拠を問うことがない。処世術一般と違うのは、演技として基準を使いこなすのではなく、基準の中に自身を形作ってしまう。慣習の部分を成すものと言っていい。慣習は身体規範、常識は行動規範の差異がある。

 この常識的家族像の家族構成員として個人が位置づけられるとき、その役割を果たさぬ者、範疇に入らぬ者が疎外される。進学だけではない。結婚し子どもを産むことからはずれた、子どものいない夫婦、独身者、母子家庭が地縁・血縁から常識からの差別を受ける。

 性と社会的分業(性的分業ではない)、家族制度ほど、見えにくいものはない。この空気のような存在を対象化していく学問が、今回紹介する領域だ。文学は常識と同じ実践知の論理の中で異化していくために、シンボライズを行っている。科学は一般化を伴うため、芸術分野の「批判とは何か」という稿を起こした方がいいと判断し今回は扱わなかった。

 資料探索を進めているうちに、日常の皮膜を剥くような行為に青少年の意識の接点があるか不安になってきた。柳田学にせよ、文化人類学系にせよ面白そうなところは部分であって、紹介サイトにはなりにくかった。

 片方では、保健分野の資料群があって、医学的性教育の企画が進んでいた。むしろこれらは将来父母になるための準備の企画である。しかし青少年にとって日常の異化を際立たせる切り口が「性」であることもあって、安直な接木をしてしまった。

 接木をして考えてみると、独習者にとって性知識ほど、表立って得にくいものはないわけで、氾濫する性情報の中で真偽を問うことが難しい。ならばひととおりの知識を提供している安定したサイトを紹介し、つれあいと共に作る家庭の親子像をたどることにした。まさに常識の内部探索である。

 どのような道筋を歩んでいくにせよ、これらの医学的性知識は役にたつはずであり、妊娠と出産という家族の始まりを見ることによって、異性観や「大人観」を持つ手助けになると思った。しかしことは以前解決していない。医学の切り口からは家族制度は切れない。どのように生きていくかのもうひとつの社会観を作る手助けになる人文科学系のサイトをえぐりきれなかった冷や汗をかいている。

 学校外で独習する者にとって、自分の近未来どのように生きていくかは大きな問題である。提供した資料は取り巻く慣習や常識の対象化には成っても、自分の将来を描くキャンバスにしかならない。そこにどのような絵を描くかということは、むしろ文学をはじめとした芸術畑の仕事なのだ。その意味でなんともつながりが悪いが吉野弘の「奈々子に」を引用した。生まれ来た我が子への率直な表現だと思うが、その愛に冷や水がかかっていることがお分かりだろうか。背後にある諦念を嗅ぎ取ったならそこから各自、論を発してもらいたいと思う。

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鎌倉の煎餅屋さんに会ってきました

2005-02-22 03:18:48 | 引きこもり
 横浜からの帰り、夕方、鎌倉の煎餅屋さんを回ってきました。「手焼き煎餅」と言っても、干した素地煎餅を作るまでは機械でやっているようで、最後のたれをつけて焼くところが「手焼き」になっているという状態のようで、焼いている煎餅とは別の煎餅が、作業しているところの前に山積みになっているのは反則かなと思ったりして、久々に腹膨れるまで煎餅を食べました。

 しかし作業は見飽きないものです。炭の遠火で手早く焼いていくのですが、焦げが均一になるようにトングではさんで両面を反転させていく様子は、根気のいる仕事だと思いました。しかし、よく見ているといくつもの商売上の都合が見えてきます。

 結局初めの候補は、依頼しても無駄ということが、見えてしまいました。

 次の候補は、用意しておいたペットボトルのお茶を飲みつつ、お店の前で煎餅を食べながらご主人に話しかけていました。無言のまま黙々と煎餅を焼いていて突然

「なんで店(うち)じゃなくちゃいけないんだぃ」

と、ぼそりと応答があり、

「どうやら本当においしい手焼きに出会ったからです」

と返事をしただけで終わりました。何回か足を運ばないとダメと思っていますが、「どうやら本当に」という失礼な言葉がひっかかったかなと思っています。正直なところそうなんですから。

また暇見て交渉する予定です。

 帰りに東急ハンズ藤沢店に寄って、焼き網を買ってきました。我が家の古い網は、魚の匂いがついてしまっていますから、これで炭は使えないけれど焼く環境は出来上がりました。取っ手が付くと高いから、ただのガスレンジ置き網です。赤外線網が二重についています。約300円、すぐにこわれるでしょう。

(関係書)

●「老舗煎餅」
  「サライ」編集部本多由紀子・著
   Mar.'97 小学館・刊
   ISBN:4-09-343064-0
 (藤沢市民図書館大庭館)
  300127991-2 588.3
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湘南子どもフォーラムの今後について

2005-02-22 02:20:06 | 引きこもり
 今日、3/20茅ヶ崎市民活動フォーラムの打ち合わせ会がある。「湘南子どもフォーラム懇談会(世話人会)」の「スペース”ラピュタ”構想」の資料を書きながら経過をたどりなおしてみた。

1)子ども関連の異領域活動の出会いから
  新たな活動の芽をつくる

2)知り合いの海を。相互協力の輪を。

 このふたつは、「湘南子どもフォーラム」の出発点ともいえる考え方で、現在の「子どもフォーラム」もこの線でお互いが自由参加のネットワークを持っている。

 11月の設立集会は、会の開催に様々な問題を抱え、特に役割分担に大きな問題を残した。このことから世話人がしっかりまとまっていなければ、会は続かないという問題が起きていた。

 今後の問題はふたつあった。ひとつは今後の課題、もうひとつは企画者集団(世話人)の結集という問題だった。

 この前者について、不登校・引きこもり領域としては、学校作りという時代潮流があるが、それが根本の解決になるとは思えず、既存のフリースペース活動もマンネリ化しているという現状があった。転換期の構想をどう描くかというとき、不登校・引きこもりの当事者を「患者と治療」の構図の中に押し込めてしまうのではなく、様々な生き方の可能性の模索に水路を拓くことが転換の鍵となることが浮き上がってきていた。それが「子ども(青年)の社会参画」論であった。不登校・引きこもりの当事者を一個の人間として、社会に生きていくことを支援する、つまり「患者と治療」の発想の残滓を払う自立活動へと道筋をたてる必要があった。

 この「社会参画」論のフィールドが「湘南子どもフォーラム」に生み出されていた。心身障がい領域の活動との出会いだった。

 この契機を育てていくことに、「子どもフォーラム」の今後の課題をおくことにした。その世界はひきこもりの青年にとっては、「働くことの意味」「生きていくことの意味」という人生論的な模索のフィールドともなりうる広がりであり、福祉職への就職や、起業という選択肢の可能性を持たせる場が考えうる方向性を持っていた。これが「地域の社会参画拠点」、「スペース”ラピュタ”構想」に成長していった。

 「スペース”ラピュタ”」は、「多目的交流」の地域活動の攪拌を機能としてもっている。ここが「子どもフォーラム」の具現として意味を持たせている。同時に心身障がい領域の活動と引きこもり・不登校領域の接点として、日常交流と就労支援活動を実現する結び目の場となりうる。

 こうして「スペース”ラピュタ”構想」が、「湘南子どもフォーラム」の今後の活動のひとつの大きな柱となった。

 もうひとつの課題は人材、世話人の結集による企画提言をどう生み出していくのかという課題だった。「湘南子どもフォーラム」はネットワークだ。だから企画参加は出来ても、運営参加まではという方もいる。

--- 知り合いの海を。相互協力の輪を。

 この言葉は今も生きている。協力し合えるところで協力していけばいい。ただそういう緩やかな結集には、そこに企画を投げかけ、牽引していく集団が必要となる。それを世話人会の形でネットワークの核のように、かつ開放された集団として、ネットワークの中に誕生させていく、それが「湘南子どもフォーラム懇談会(世話人会)」だ。中西さんの命名では「飛び出しウサギ」(湘南子どもフォーラムのシンボルは、「拗ねウサギ(クー・ラビット)」だからだ。

 懇談会は今、「スペース”ラピュタ”」の実現の話が主になっているが、この拠点作りの延長線上に「4/23日帰り交流オートキャンプ」を企画した。拠点作りと交流キャンプがネットワークに提案される初回の提案となる。

 これから「湘南子どもフォーラム」は相互理解を進める企画を打ち出していく、それは「スペース”ラピュタ”」の活力になっていくだろう。また「スペース”ラピュタ”構想」は、長期的な結集の軸となっていくだろう。

 今、「スペース”ラピュタ”」は、細部を描く段階に入っている。このことによって、一緒にやっていくひとへの誘いをするつもりだからだ。

 凍結しているネットワークは、そろそろ春の準備を始める必要がある。

 関連団体の紹介企画・子ども文化企画と子ども(青年)の企画運営参加などを吟味提案していくつもりだ。懇談会はその仕掛人となっていくだろう。

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