湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネの地域学習活動・就労支援活動の実践試行を書き溜めていきます。

光之村助成活動報告会で報告しました/Big Issue 湘南販売再開へ

2009-05-31 10:18:11 | 引きこもり
打ち身は1日経つと痛みを増す。父は昨晩、痛みのためにトイレに行くことが出来なかった。おむつを拒否しているために、ベッドを降りて転倒し、昨夜は何回もたてなくなって、その場で失禁し、苛立った。私は床の処理で一夜が明けた。

父は電話子機の内線接続が出来ない、というより受信も外線選択キーが分からないので、全く使えない。そこで無線インターホンを使うために、お試し品を業者に持ってきてもらったことがある。ところが、プレストーク方式が理解できなかった。さらに呼び出す相手を待つ場面が想像できないので、対話にならない。そればかりか、ベッドのサイドテーブル上に置いたお試し機を見事に業者の目の前で落としてしまった。業者は冷や汗をかいて品物を持ち帰った。私達が次に考えたのが「鈴」だった。ところが鈴をベッド上に持ち込むために、布団の中にまぎれて父が寝返りをうつたびに鈴が鳴った。周囲に聞こえるので、ご近所の抗議の窓閉め・床鳴らしが深夜始まり、「鈴」案は、あっという間に終わりとなった。

基本は、「夜はおむつで」である。ここを受け入れてくれないために、騒動が起きるのだが、床に作業用シートを敷けば転倒の元となるし、結局、床は尿でびしょぬれとなってしまった。

早朝、窓をあけて換気。ところが私が1階に下りると、その窓を閉めに出かけ、打ち身の痛みに耐えかねて倒れ、部屋の真ん中に転がったまま、大声で私を呼ぶのだった。昼夜逆転の生活をしているので持つが、朝型人間なら、たちまち介護側が病気になってしまう。とにかく寒がりというか風を嫌うので、悪臭払いが出来ない。騙し騙しベッドに返し、カーテンの揺れが見えないように、応接椅子を動かして、カーテンを挟み込んだ。

SECOMの非常用ボタンを父は首から下げている。ところがこれは日常の合図には使えない。ボタンを押すと、家族にSECOMから確認電話がかかってくる。依頼すればガードマンが出動する。以前、いじって問題になったので、今では父はまったくボタンを使わなくなった。

我が家の夜間出動3回。私も、へたばっている。


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昨日は13時から、光之村助成報告会があった。長い活動経歴がある団体が多い中、地域就労支援PJがひょっこり入っている感じだった。吃音・失語症関係の団体・西湘のケアマネさんの研修組織、鎌倉の手話サークル、茅ヶ崎市内の公共施設を拠点とした音楽を通じた高齢者交流と障がい児療育の関係団体という具合で、ふだんなかなか顔あわせすることがない6つの団体さんと交流することができた。

話の持ち時間が15分なので、活動の概略を説明するだけで終わりなのだが、私には、ケアマネさんの研修の話が心に残った。感心したのは、経験交流の密度だった。こうしたケアマネさんのネットワークは県下全域にあるが、市町村によって、行政区分単位であるか、隣接自治体と合同の地域もあるのだとか。しかし、スキルアップだけでは解決できない問題もあるので、行政関係者が研修に参加しているという話は納得がいった。

私達からは、

1)引きこもり・軽度発達障がい・中途発症の潜在する精神障がい関係者等の地域未組織の方々の結集の場を就労支援の立場から提供すること

2)短期就労経験(プレ就労)、就労挫折の方の地域のクッション的な受け皿(セイフティネット)の役割を荷う役割

3)関連団体・地域住民の交流の場(たい焼き屋・小箱ショップ休憩スペース)

4)地域起業を促進するしごと作り

こうした地域掘り起こしを行う場を社会的企業に乗せて展開するという提案をした。元養護学校の教員の方からプレ就労の場の内容について賛同をいただいた。他の方は、びっくりの御様子。

とにかく、父がベッドから抜け出しているので、会の終了後、後の懇親会はMさんに任せて、早々に退席させていただいた。

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昨日、光之村の会に向かう途中、偶然、Big Issue 元販売員のTさんに出会った。何日ぶりだろう。ともあれ彼と連絡が取れ、販売再開の意志を再確認できたので、今日午後、Tさんと相談して書式を整え、団体登録申請を提出する。東京事務所の方との契約が来週ある。いよいよ再開である。再開のときは、小さなお祝いをするつもりでいる。

夜間傾聴:なし

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5/29関東の中小企業家同友会の障がい者雇用促進の講演会に参加してきました

2009-05-30 23:19:35 | 引きこもり
母の出発との間が2時間ほど空いたので、焦って家に戻ったところ、父は居室の真ん中であぐらをかいていました。ベッドを抜け出し転倒。起きたが立てないので座っていたのです。早朝のベッドからの転落騒ぎの結果、膝や肘に擦り傷だらけのまま、留守中にまた転倒。ここまで来ると、うんざりしています。補助して立たせても、打ち身の痛みで歩けないというのに、ベッドから数mも離れています。これがある限り、ホーム入所は無理。

周囲を見渡すと、ふたを開けたままのポータブルトイレに異常。トイレットペーパーが丸ごと、ポータブルトイレの小便の中に浸っていました。以前は、この濡れたペーパーを引き上げて絨毯のうえにころがしていたのですが、その(困った)気力も無くなってきたのです。若い頃から、この手の事件の始末は自分でやったことが一回も無いひとなので、始末する側の状態を全く想像しないのは、認知症の影響ではないのです。嫌な思いをさせられてきた相手を、さらに介護しなくてはならないとき、私は「父」を「人」に置き換えました。私はブラックホールではないからです。

----- ここから前日分 ------

昨日は5月末日締切の届出がふたつ。そのうちのひとつが面倒な添付書式や資料義務が付いていて、関係者の押印がいるので、相手と会えずに閉口した。昼間の自由時間が短時間なので、車や原付に乗っていた頃と比べると効率は比較にならないほどに落ちている。もうひとつは、不精の産物なのだが、市の登録団体更新申請。すっかり忘れていた。これはOKなのだが、協働事業意見交換会の出席申込を忘れていた。昨日が締切だった。

資料の打ち出しを茅ヶ崎サポセンで行い、その足で市役所と下宿屋さん(香川)を回った。残念ながら##さんと会うことが出来ず、小田急相模原君(仮名)に駅で資料を手渡しして、下北沢経由で渋谷に出た。

中小企業家同友会の関東の共催で、ダストレスチョークで有名な「日本理化学工業」大山泰弘会長の講演会兼参加者交流会が行われたのだが、そこに参加した。神奈川同友会の障害者委員会との連携を副産物に求めて参加したのだが、これは見事的中、意中の方と隣席させて戴いた。「わーく」編集部は、ソーシャル・ファーム(社会的企業の一形態)化させていくので、それを見通したNPO参加(同友会は広がりを抱え込む)させてもらった。意外や意外。私の家から自転車なら10分位の距離のところに役員の方がいらした。一度、お時間を割いていただくことにするつもりだ。

今後、7/30 に大船の芸術館で、今回と同じ大山泰弘会長の講演会を神奈川同友会が行う。そこでネットワーキングしていく。もうひとつ、7/9~10に目白の「椿山荘」を会場に40周年定時総会がある。2万2千円かかるので、考えてしまっているが、可能な方は第八分科会に参加してみると面白い。障害者を抱えて運営されている中小企業の社長さんたちが集まる。詳細は 03-5053-5721 全国協議会に連絡を。

今回の講演会のタイトルがいい「人に必要とされ働くことが何より幸せ 働くことを通して実現できる幸せづくり」だった。大山会長の講演は、ある意味、なぞれるほど聴いた。だから新鮮味は全然ないのだが、知的障がいの従業員さんの年齢が高いことが常に感動的である。60代後半になるまで働いている方が紹介された。この方は、大山氏が初めて、今風にいえばトライアル雇用した女性である。その方が採用されて以降、今も現役で職場に立つ。その職場の魅力とは何なのだろう。一般就労の世界で障がい者の実質定年が40代半ばで、心身の限界で自主退職している現状で、この年齢は驚異的だ。その職場の人間関係がよほどフィットしているのだなと思う。日本理化学工業の7割に及ぶ障がいのある従業員の雇用率の突出した高さは勿論だが、熟練した高齢の従業員の皆さんのお話は,何時聞いても感動的である。

ここで語られた「人に必要とされ働くこと」という部分は、就労継続の鍵のように思う。「生計を立てるために働く」という、従来の「生活の買取り」と「消費の欲望の充足」を目的にした労働観の「労働の意味の喪失」に対する回答となっている。特に社会的挫折を抱えた方は、労働を苦行・必要悪としてとらえている。この方に「自分の生計のため」という必要の論理で説得することが更なる抑圧を強いることになる。

「賃金」という媒介を通して「生活を買い取る」という事は、「労働そのもの」が生活の充足を生むという道を迂回することだから、「お金を使うという欲望」を「教えること」が「大事」という知的障がい関係者の逆転的な課題が生まれてしまう。「賃労働と消費」という枠組みの中にある労働の本源的な意味が、「人に必要とされ(て)働くこと」という言葉の中に潜んでいる。個人の労働対価としての賃金は、徹底して個人的なものである。しかし労働の中に潜む集団性・社会性というものが、障がい者就労にはピュアな形で問われている。

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大山氏の今回の講演は、春先に放送された「カンブリア宮殿」の映像を織り込んでいた。原料の計量と配分の工夫とか、操作する道具に先の開いたフォークが紹介されていた。労働の質を支えるツールは、現場の中から大山氏が工夫されたものだ。しかし、ノズルから押し出されたチョーク材料を、長さを切りそろえ、自社開発のUの字太さゲージや目視で、規格外品を取り出していく、この工程の映像に驚かされた。それは見事に熟練しているのだった。この熟練を生み出す背景には、「賃金が欲しいから働く」ということを超えた職人意識のような情熱がある。そこが保証されたとき、ひとは変わるのだ。

働くことは、他人(ひと)とつながること、社会とつながることだ。このつながりにおいて、私は「ケア・パートナー」と呼ぶ「チーム就労」を考えている。お客さんとの間だけでなく。職場仲間と共同作業の中に、「人に必要とされ働くこと」が響いてくるのだった。

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JHC板橋会のワーキング・トライの**さんや、##さんと会った。6/2にお邪魔するところだ。JHC板橋会は「ピアサポート」が大幅に取り入れられている。これを見学してくるつもりだ。

中小企業家同友会の今回の講演会は、160名の参加者で、成功裡に終わった。経営者団体独特のにおいがある。しかし、障がい者雇用には熱心な団体である。どのような連携があるか、この次までにモデルを考えてきますと言い残し、会場を去った。


夜間傾聴:□□君(仮名)
     中央林間君(仮名)
     中延君(仮名)

(校正2回目済み)
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すみません、記事掲載、遅れます

2009-05-30 11:37:28 | 引きこもり
早朝、父が自分のベッド上の照明を直そうとして立ちあがり、ベッドから転落。病院に連れて行き、今、帰ってきたところです。「修理するのが、なぜ悪い!」と怒っているので、無事だと思いますが、冷や汗かきました。

原稿途中です。13時から光之村助成金報告会に出席し、終了したらすぐに家に戻ります。原稿はそれから仕上げて書きこみます。

すみません。

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父がホームから帰ってくる日に/米国タイズ財団ドラモンド・パイク氏の講演を聴いて

2009-05-29 11:33:20 | 引きこもり
母が私の疲労を考えて父のホームからの帰宅を午前中から午後に移したために、昨日の日程が無茶苦茶になってしまった。そのひとつ、歯科往診サービスも、午前中に医師が現れて、玄関先で連絡の不備を謝った。医師の地域巡回の木曜日の日程が合わないので、後日再調整となった。親の体調不良を理由に本校の会議も欠席。担当者には変更理由の嘘が見え見え、後日厳しい指導が待っている、…仏ならぬ年の功も三度までとか。無断の変更を母に注意したので、母はすべての家事をボイコット、ふて寝。家族は理屈ではないとは、このこと。災難のような一日だった。

とりあえず急に間が開いたので、作りたての6/2のJHC板橋会見学のチラシの元ファイルを、メール添付で、この間の参加者のアドレスがすぐ分かる一部の方に送信した。まったく泥縄である。今日の中小企業同友会に持ち込む資料も、無理やり、あちこちのチラシ類から抜粋録状のメモファイルを作った。初めこのファイルを編集して、父の送迎車が来るのを待った。

新しいホームの職員は若い。普段利用しているホームは、職員がベテランなのでそつが無いが、父には若い人の話が分からない。「全然」は「ない」を呼応するが、既に口語では肯定的な意味合いにも「全然」が使われている。「本当ですか」、これは「まじっすか」を翻訳したらしいが、驚きの意味合いで使っても、父には「俺を疑っている」ということになってしまう。そういう言葉のずれが、対話の空気のようなものの違和感に繋がっているらしい。

私が父の部屋の古くなった照明を直している最中、退職した父の介護担当者が突然尋ねてきて、父と雑談を始めたのだが、父は若手の話の通じなさをあれこれ話していた。おや、正常だなと思わせる瞬間だが、注意して聴いていると、話が断片的で、これは応答なのだと気が付いてから、ベテラン元職員さんが話題をリードして、実は話させていることが分かった。

この方の帰るのを待っているわけにはいかず、天の岩戸に引きこもっているつもりの母に、後の対応を無理に押し付けて、家を出た。

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県立図書館に購入希望図書として、「ストレングスモデル―精神障害者のためのケースマネジメント」を頼んでいたが、それが入荷したとの電話連絡が歯医者との交渉中に入っていた。重なるときは、重なるのである。紅葉坂に立ち寄って受け取ったものの、本書も予想外に早く来てしまった。ここしばらくは、集中して本を読むことが出来ない。意欲回復に留まらない内容なので、期待しては、いるのだが。

紅葉坂から日本大通りまでは歩くと、ちょっと距離がある。商工労働部に立ち寄る時間が無くなって、神奈川労働局のお膝元で、カフェで労働局の**さんと話すことが出来た。コーヒーはうまかったものの、取材依頼は難航。講演の線を確保しておいたが、路上生活者関連の話題は苦いこと…。かろうじて目的達成。

時間が無くなった馬車道を、アメリカ、タイズ財団創始者のドラモンド・パイク氏の講演会に滑り込んだ。社会的企業関連の情報が入るかと期待してたが、財団の沿革と中間支援の機能説明が長くて、Q&Aあたりから、やっと話が始まったと思ったら時間切れのいつものパターン。一癖ある参加者がごろごろしている会場を、欲求不満のまま、父が階段踊場で転がっているから、早く帰れというメールに急かされて、予定の帰りの買物も駆け足で、ともあれ雨の中、傘と格闘して帰ってきたのだった。

余談だが、会場の万国橋会議センターは、水上に立っている。なかなか面白かったのだが、地権はどうなっているのだろう。全然知らない会場だったので、途中、要所要所に雨だと言うのにガイドさんが立っているのは、助かった。ご苦労様。

パイク氏の話の中には、貧困層へのボランティアを育成している話がいくつもでてきていたが、富の集中自身が資本主義社会の必然なので、貧困層に関わるとしたとき、社会の絆創膏的な活動や、政策補完のような形になってしまうことに無自覚なのが気になる。

2005年のカトリーナの米国南部被害はその典型で、強烈な格差社会ということを是正するということになれば、政治化せざるを得ない。この部分が市民活動の仮面のような構造があるということなのだが、ヒューマニズムという無理を抱えるボランティア活動の、さらに中間支援と言ったときの公平さとは何か、人の生死すら、社会現象として不平等に振り分けられている現実に対し、命は平等の論理を押し通していくことが、社会矛盾を覆い隠していく役割に繋がると思うのだ。

パイク氏の話がすっきりしないのは、中間支援をしている「あなたは誰なの」という問いが盲点のように抜け落ちていることなのだ。不公平な力との均衡の結果として社会が成り立っているという力動の認識が希薄で、悲惨と救援の現象レベルのロジックに掬われているように思えるのだ。活動資金が何百億ドル集積するようになろうと、その靴の上から足を掻いているような不可解さが払拭できないというのは、どんなものだろう。


<2005年カトリーヌ・ハリケーン関連資料例>

●「アメリカ「カトリーナ後」の孤立主義と自滅主義」
●「カトリーナが洗い流せなかった貧困のアメリカ : 格差社会で起きた最悪の災害」

夜間傾聴:□□君(仮名)
     中央林間君(仮名)

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眼鏡配達夜間便とか

2009-05-28 14:49:35 | 引きこもり
父のショートステイは綱渡りのように、最終日を迎えた。眼鏡がないから持って来るようにとホームから、21時に電話が入った。眼鏡は持たせてあるし、もう消灯の時間だから翌日でもいいのではという私の問いに、当人が興奮しているのでという。渡してある眼鏡を見せているが、それではないと父が言い張っているらしい。とにかく電車通過のガード下でも楽に声が聞こえるほどの大声の持ち主なので、他の入所者さんの迷惑という話が始まると、夜間引取りが必要になってしまう。しかたなくタクシーを使って、適当に見繕った父の眼鏡ふたつを持って、夜のホームに飛び込んだ。辺鄙な場所である。帰りの交通機関がなくなるので、タクシーに待ってもらった。

着いてがっくりきた。父は高いびきで寝ていたのだった。

「幼児が寝る前にぐずるようなことが、高齢者の方にも起きます」という宿直の職員さんの説明を苦々しく聞き、ともあれ眼鏡を渡して「持ち物表」を変更してきた。待たせていたタクシーに乗って帰宅。全く…料金5千円を優に超えていた。

一夜明けて、今日はショートステイ最終日。父が帰ってくる。母が気を利かせて帰宅時間を10時から14時半に変更していた。夜型の私の疲労の様子を見て変えたのだが、また予定が混乱に陥った。

朝10時半、訪問治療の歯医者さんが現れた。茅ヶ崎南側は木曜日とのこと。困ってしまった。父が帰宅後すぐに入れ歯調整をする約束になっていたのだった。

4日は母の同窓会・私の仕事、午前中会議で、母の友人親子が留守番している。この日は往診がだめなので、次の日が決められず、今日、最終時間に巡回できたら、今日再度連絡をしてくれることになった。私は父を2階に押し上げたら辻堂へ。(今日は**君の命日である。)

そこから横浜に出て、県庁・県立図書館まわって、馬車道で神奈川労働局の関係者**さんに、取材と講演の依頼話。終わってタイズ財団パイク氏の講演会。帰宅後、市提出の文書作って、夜間傾聴という具合。Big Issue 販売Tさんの件は明日動く。

「アメリカの高校生が読んでいる教科書シリーズ」、「経済の教科書」「企業の教科書」「金融の教科書」の3冊を仕込んだ。あとは「資金運用の教科書」のみ。しかし、いつ読めるのだろう。こまったもので…。

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<気になる記事>
●「障害者差別、雇用でも福祉でも 内閣府が白書で指摘/朝日」
●「無届け有料老人ホーム446カ所 処遇に問題70カ所/朝日」
--- これはNHKだと525箇所として報道している。資料の差は如何に。


夜間傾聴:□□君(仮名)
     他1名(引きこもりではない。)

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すみません、goo ブログがメインテナンス中でした/協働スペース運営委会議があって

2009-05-27 10:00:32 | 引きこもり
父がはじめての特養ホームにショートステイすることになり、行かないぞという父と母との間に職員が入ってもめました。「『養老院』に監禁するな」と父。「私はあなたの世話で一生終わらなくてはならないの」と母。やけを起こして、ベッドから歩き出して、前のめりに転倒する父が、起こそうとする職員の手を振り払って爆発。「帰れ!」

この場合、本人の同意が無いホーム利用は出来ないことになっているということで、迎えの職員さんはとりあえず帰ることに。連絡を受けたケアマネさんが仲裁にはいるという、朝の騒動がありました。

3対1という多勢におされてか父が折れて、不機嫌な顔丸出しのまま、再度迎えに来た職員の方に連れられて出て行きました。しかし話はそれで終わらず、到着した見慣れないホームで、職員の**君がいないと騒ぎだし、私は巡回先にいたので、母が予定を取りやめてホームに向かったという事件が起きました。母はホームの場所がわからず、私がカウンセリング中に何回も電話を入れ、ホームの電話番号を伝えるが、母は筆記用具を持ち歩かないので、番号を忘れてしまい、私が番号の語呂合わせを考えるという具合で、結局、巡回相手の彼に謝って、再度訪問することに。

要領が悪いと言い出したくなる気持ちを抑えて、ホームに直行。父はホームの相談相手のいつもの職員さんがいないということで、行きつけのホームと、新規のホームの区別が付いていないことが判明。その説得を同席した母が喧嘩調子をやってしまい、さらにこじれ、先方のケアマネさんがやっと治めたという状態でした。おもちゃの水のみ鳥のように、頭を下げて頼み込んで終了。

母の主治医の予約治療と友人とのショッピングがつぶれ、私の巡回仕事もやり直しと…、介護は予定が立たないという事を実体験した一日でした。先方のケアマネさんからは、父が暴れた場合、夜間でも引きとってもらうとのきつい指示あり。幸い、無難に一夜が過ぎました。

主(あるじ)がいない部屋の照明を直している最中、父のベッドの真上の天井埋め込み照明のカバーが突然落下。サイドボードのガラスがこわれる事故あり。留め金が不安定なまま、長い期間使っていたことがわかったのでした。父がまだ元気な頃自分で直し、現在まで、そのまま使っていたということ、つまりいつか父の頭上に落ちてくる危険があったのでした。

じわりと疲れが。これで2泊3日のステイが終わってしまう虚しさ。

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昨夜(26日)は、共同スペースの緊急運営委が開かれた。港南台タウンカフェが、国の助成委託を受けて、指導者養成の「cafeマイスター」研修を開くために、そこに参加しようというテーマ。私を除いて、メンバーやる気満々。

私は社会的弱者の活力を生む場という目的が、市民活動や地域住民の交流の場一般に傾斜しすぎると、結局は地域主婦パワーの結集の場となり、彼らが掻き消えてしまうことを危惧していた。私には、彼らが社会参画していく地域就労プログラムのビジョンを持っていないと、差別されるものは、普通と当たり前の「公平の論理」に覆い隠されるということにこだわっていた。この自立就労支援プログラムが「たい焼き屋」「共同オフィスの電話番・事務担当」という職種でしか論議されていないことに、疑問を持っていた。

このショップを通じて、何が開かれていくのかという点について自覚的でありたいと思う。港南台タウンカフェ・小箱ショップでも、そのレンタルスペースに展示されている品物が、圧倒的にアクセサリー群であって、男性は無関心、障がい者の利用が、「障がい者の居場所というような特定の方のものではない、皆のもの」という言い方によって、はしごがはずされている不可解さを感じていた。彼らの社会参画のプログラムが開かれていないと感じていたのだ。

小箱ショップに反対なのではない。目的を運営委のポリシーとして据えることと、社会参画的地域就労の地域交流プログラムを生み出そうという話なのだ。

茅ヶ崎市がさわやかプランで就労支援のショップを考えている。それは、こうした試みがいくつあっても、むしろ歓迎であるという発想に、私は疑問を持っている。

個性化が出来ていない協働ショップが並立すれば、結局は営業活動は競争原理に基づくし、交流に重点を置けば、同質のものがならべば、交通の便のよい方に食われると思うのだ。駅から徒歩15分という立地条件はきつい。特に地域住民にアピールする展開をするか、魅力ある個性(機能)を身に付けていかなくては存在意義が消えると思うのだ。

港南台タウンカフェは市民活動畑の活動で、多機能化の部分で社会的弱者の支援活動に接しているということだと思う。立て方が逆のような気がする。

ともあれ、タウンカフェ研修に運営委、今回の会議で「夢たいカフェ」と名前がついたが、「夢たいカフェ」が「cafeマイスター」研修に参加申込をすることになった。

夜間傾聴:□□君(仮名)
     小田急相模原君(仮名・こちらから)

p.s.県人材育成支援センターから昨年度の分科会レポート3分冊が届いた。今年度は、ニート・引きこもり青年へのアプローチを掲げる分科会に参加している。この分科会ひとりだけだったりして。(内輪の冗談です。笑)

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巡回移動、帰宅中の相模線車内から

2009-05-25 11:42:03 | 引きこもり
父がここのところ夜が静かだ。体調が落ちているからなのだが、食欲だけは落ちない。血糖値コントロールを長続きさせるために食事療法を際どく破っている状態を作っているが、母の思いつき飛び込みが入る。長丁場だからこそ、ルーチンワークの慣性力を使うために、食事作りに縛られる。

昼食の後片付けを済ませ、茅ヶ崎駅前に出た。雪や夏日や、雨天のときは南口駅前の路上生活者の人たちの群れが消える。ポルト湘南さんたちの施設を利用したり、他の場所で避難・雨やどりをしているからだ。

日にちだけが過ぎていくので、Big Issue 販売候補Tさんを探すことになる。Tさんは、アルコール依存していないので、日雇い仕事に出ていることがあるが、地元のたまり場を忙しく渡り歩いている。だからつかまらない。週1~2度というところなのだ。今回も、皆、南口駅前の集団は移動していて、動けないPさんだけが、壁に張り付いて横になっていた。彼らに伝言は出来ない。相互不干渉が基本だからだ。だからテレホンカードを寄付し、連絡を待つ。ところがそれも途絶えがちとなる。この集団移動、風船を追うようでもある。

捕まらないので、藤沢のポルト湘南さんを訪ねるが、こちらもアポなしなので空振り。中央林間君の親御さんから本校経由で連絡が入って中止。日雇い労働者の悲哀などと言っていられないので、相模大野に出て印鑑をべたべたと押して帰ってきた。こういう日が一番虚しい。

ぶらり辻堂に戻って、プラットホームに立つ。「わーく」記者の肩書きを望み、境界性人格障害に苦しみながら、社会的自立をかけた命がけの飛翔を試みた青年が、この場所で若い命を絶った。その命日28日が近づいていた。路地の隙間から見えるその一角を忘れたことは無い。手を合わせて、自分の業をかみ締める。ひりひりとした彼の痛みがそこに残っている。それを抱え込んでいく。許されようとは思わない。巡回をやめてはならないと自分に語る。

スランプかなと、辻堂駅前で時期遅れの清美オレンジを買って帰る。母がグレープフルーツを買って来て、また役割分担反故となり、買い物が重なる。グレープフルーツは薬の禁忌。(コレステロール改善薬)母に言うが父に食べさせなければいいという話になる。私の仕事、巡回と学習相談は、虚しさとの持久戦のようなもの。だから足元を掘り崩すような虚しさには比較的強いつもりだが、小さなすれ違いの力は信頼を蝕んでいく。だから意思的に突き抜ける隘路を探していく。これは私の矜持。

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放置傘を販売するためには、公道を使用できない。道路使用許可は県警の会議の特例(公共性が認められるものに限る。)以外は認可されない。ということになれば、私有地または、公共施設管理者の許可を得なくてはならない。実際は車載の移動販売や、路上販売はゲリラ的に行われているのが実情だが、路上生活者の販売活動は、差別の中にある。だからBig Issue 湘南販売のときにも、匿名者の警察への電話通報の形を取って、辻堂販売が封じ込められてしまった経過がある。藪から石を投げるような妨害が必ず起きる。支援者のネットワークが販売者さんの安全を守る必要がある。卵が先かニワトリが先か、ネットワークは出発点にはならない。事前に実態が整っているわけではないからだ。ではどこでテスト販売を実現させていくのか。

JR東日本・小田急・江ノ電・神奈中さんの許可を取る道を始めている。とにかくまとまった時間がなくてはと思う。父の施設送迎と食事・階段危険監視の時間が一日を細切れにしている状態では、ショートステイのときを狙わなくては日が無い。26~28日がその日。日延べした巡回と特養まわり・担架のショールーム見学があるが、さてどうしたものかと考えている。まずBig Issueの件、Tさんを捕まえないと…。


夜間傾聴:******君(仮名)
     中央林間君(仮名・親御さん)
     大森海岸君(仮名・傾聴にあらず)

(校正2回目済み)
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路上生活者Tさん、風船を追う如く/担架の実物・ホームエレベーターのショールームを探し

2009-05-24 16:17:22 | 引きこもり
茅ヶ崎・辻堂・藤沢のBig Issue 再開のための受け皿環境作りのための書類モデル作り。今日は販売員Tさんを午後探し、書類を作る。夜から中央林間巡回。

ある保守系市議の方から、路上生活者支援への協力をしてくださるというお話を頂戴した。この方は障がい者支援活動にも関心を寄せられている方で、まずは、Big Issue 販売再開のとき、小さなお祝いをするので、参加してくださいとお願いしておいた。販売員Tさんを孤立させないということ、これが一番。

放置傘の方は、駅前の明細地図を作ることにし、人の流れを掴む。傘のサンプルを注文することにした。ビニ傘と普通の折りたたみ傘。JRと私鉄の説得出来る企画書を練る。今日はTさんと会えなかった時は、藤沢のポルト湘南さんとの面会を試みる。地図は登記所で細部チェックが必要なところも。

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父が空咳きをしている。昨日の騒動のとき、母が天窓を開けた。それをそのままにしていたから調子を崩したのかもしれなかった。今日は日曜日である。明日は昼が忙しい。介護タクシー騒動にならなければいいがと思う。

ヘルパーさんの説得が進み、デイサービスに出かける際の出発時の階段介助をある事業者さんが引き受けてくれた。既に身辺介護で、主に清拭・ベッドメイクを頼んでいる方が請負ってくれた。今、2人担架(バッグを切り開いて2つつなげたような形。棒の無い型式。)へと話を進めている。ヘルパーさんの身も守らないといけない。

ここしばらく、大立ち回りにならないが、小競り合いは毎日ある。食事をお盆で運べば、ベッドから片手で盆を引き込もうとして、食事すべてを床に落としてしまうとか、電話の子機をクレドールから落として電池切れにしてしまうとか、洗濯物の中から入れ歯がでてくるとか、それは油断大敵状況が続いている。食事はベッドから降りて、一歩踏み出したところに椅子があり、そこでサイドテーブル上の食事を食べる。ベッド上の食事は、パジャマのゴム部分や枕からうどんがはみ出ている状態を作ってしまう。感染症の広がりと同じく、こうなると一気に衣類は汚れていく。それでも父は食事をベッド上に引き込もうとする。だから根気合戦となる。
以前、来客に茶をだした。恐ろしい話だが、対話中父は客の湯のみ茶碗に入れ歯を入れた。場は凍りついた。用を思い出したと客は帰って行った。その客は、来なくなった。

昨日も、尻を拭いた紙が床に落ちていた。パジャマの片足に両足を入れようとして失敗。諦めて、両足を少し片側に入れた位置のまま、尻を出して寝てしまった。この行為への注意は母は、やらない。すぐに父の防戦がはじまるからだ。枕・ベッド柵が空を飛ぶ。家族への顔である。

高島平のホームエレベーターのショールームの話は立ち消えではない。6月1日(月)に父のデイサービスの間に往復して行ってくる。

往復4時間は交通機関内で終わる。テキスト入力の変換効率の優秀な通信端末が欲しい。B5ノートは車内では重過ぎる。携帯・PDAは辞書が役にしない。多機能の必要は無い。Outolook の予定表・アドレス帳 viewer とUSBポートがひとつあれば御の字。

担架の筋も見ておきたい。階段が狭く、大人ふたりしか横に並べないので、前後でつるす形になってしまう。理想は3人横並び方なのだが。私の相手が出来るだろうか。(「担架の種類と製品情報」「ans商事」

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夜間傾聴:□□君(仮名・親御さん)

(校正2回目済み)
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放置傘再版の再度の企画案を書き終えて(あとで紹介します)/階段騒動一触即発の静寂

2009-05-23 15:29:49 | 引きこもり
父の入所先をさぐって問い合わせを始めているが、近いところは、いっぱいである。その中でもこれはと思うところを見学している。そのひとつから連絡が入り、覗いてきた。お馴染みの相模線を使うのだが、乗り継ぎが多く時間がかかる。入れてしまうと、覗きに行くのが一日がかりになってしまう難がある。新しいので基準どおり個室。しかし、職員が新しい施設だから若い。

しかし入所中、父が暴れたら、あの方たちで対応できるのだろうかという感じ。ここに限らないが、父は入所を納得しないだろうなあと憂鬱になる。糖尿病が一時のようにインシュリンを打つところまで悪化していないので、老健通いを挟んでやりくりで繋ぐかなあと、応えてくれなくなった連れ合いに話しかける。自分の親でしょう?自分で決めなさいよというだろうと失笑。母は自分の残された自由時間を介護で束縛されるのは嫌という結論を出しているので、基本線は私の限界が来たときが入所。そうはうまくいかないのが、施設入所順待ちのベッド争奪戦状況。今回の場所は資金もろとも無理があると結論。

バスが少ないので、巡回先の橋本の予定時刻に間に合うか気は焦った。滑り込みで遅刻なし。こんなことばかりやっているのでは、若手に偉そうなことは言えない。へこんだ気分で巡回を済ませた。先方、お見通しなのがなんとも。基本的に彼らは優しい。痛みを知っているからだが、しかし表現がかなり荒っぽい。

小田急相模原君は、私の予定の急変更で来週に日延べ。メールで用件を埋めようということになった。勝手陳謝。

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朝、寒川に出て、更新忘れで返却期限が切れてしまった書籍を急遽返しに行った。しかし寒川の図書館のシステムは硬い。貸出冊数のことが関係しているのだろうが、オンライン予約は大半が「予約できる図書ではありません」と、アラートが出てしまう。配本がいいだけに、これが困っている。話を聴くと、書架に並んでいる本は、入館貸し出しを基本にしているのでダメとのこと。偶然、その書を誰かが借りていると、オンライン申込でも、順待ちで借りることが出来る。ソフトのお目こぼしという奴。また、私のように夜間人間にとっては、オンライン操作が機械的に3:00~6:00がメンテ閉鎖となると、普段の作業中に使えないことになってしまう。毎日これでは、使いにくいのだ。

しかし比較すると茅ヶ崎図書館の野暮ったさが目に付いて、なんとかならないのかと思った。ISBN-10で検索を掛けて、ISBN-13を掴み、それで検索しなおす、またはこの逆をすると、DBに記入されている旧め再版本全部が検索できずエラー、間違っていた。私が発見して通報したのだが、調べてみますと言ったきり、お礼も何もない。独自の開発ソフトを使っているためのソフトのバグだった。今は直されている。しかし、これなど図書館業務には大きな問題だったはずなのだが。館外取り寄せ用紙のフォーマットも、登録者が住所・氏名・氏名ふりがな・署名ふりがな・連絡先を1枚1枚書かされる。使いにくいこと。何十年前のものかと思う。到着も遅く、ひどいときは半年かかっていた。到着連絡も葉書が主。口すっぱく言って、電子メールによる依頼本到着知らせに直させたが、葉書優先だったのだ。図書館改革の本好きリーダーが職員に、いないという感じなのだ。

帰りに「喫茶友達」に寄ろうと思ったら携帯が鳴った。父が「階段を降りる」と、ひと悶着起こしていたのだった。

夜中、父は部屋を徘徊していたが、比較的静かだった。新しい歩行器の使い方も慣れたようなので、一息ついたが、朝起きてからの騒ぎとは…。用件は中断されるものと覚悟して立てなくてはならない。

茅ヶ崎駅からタクシーに飛び乗った。到着すると、父はポータブルトイレの椅子に足を組んで、不機嫌の塊のような顔をして、ふんぞり返っていた。母が歩行器を取り上げたら、その場で転んだらしい。立てないので母が手を貸した。母が「そんな足で階段を降りるつもりなのか」と、ちょっかいをかけたらしい。父が爆発した。

肩に食い込むバッグを床に投げ出して、抵抗する父を説得しつつ、立たせてベッドまで何とか移動させた。父は私達に背を向けて寝転がった。階段下には父が持ち出した腕時計が落ちて転がっており、母のスリッパが階段に飛び散っていた。「もう沢山だから…!」と言って母は階段を降りて行った。腕に激しく掴まれた跡が残っていた。

母に茶を勧め、経過を聞いた。

「これから東京に出かけるが、早く帰るから、階段だけは危ないから降りないで」と父に言ったところ、

「お前は私と違って、しょっちゅう東京に行かないのだから行ってくればいい。私も、今日は昼間休んでしまったから、夜から出社するから」

と言ったという。父はこうして母が「出かける」といわなくても、私達が留守になる気配を感じると、自分も落着かなくなり階段を降りようとする。部屋の扉が閉まっていれば扉を体当たりで壊し、制止すれば障害物を押し分けようと、腕をふるう。出社とは約三十年前までの話。そのころの記憶が混乱して脳裏に沸きあがっている。

客と出会うと、流暢に挨拶をし、ねぎらいの言葉まで掛けることができる。だから来客は父を軽症と決め付けてしまう。しかし5分も話していると時差の異常に気が付くだろう。一度据え置いた話題に戻ることが無いことに違和感を感じるだろう。じわじわと父の今が消えていく。一度1階のトイレに中座して出て行った客が再び戻ってきたとき、「やあ、いらっしゃい」と挨拶されて面食らうなど、それは日常茶飯事である。年寄りを看たことのあるものだけがわかる短期記憶、認知のほつれが、どんどん拡がっている。

じっくりと半身の麻痺が広がっているために、歩行器は杖の形から「コ」の字型に機種が入れ替わった。この歩行器に寄りかかって階段最上段に父が出てきたところで、母が制止。部屋に押し戻したところで、父が尻餅を付いた。母の暴言。父の爆発という経過だった。

「何だよ、危ないな。もみ合っている問答の最中に携帯電話かよ」と私。
「ポータブルトイレに座らせたら固まったから、電話した」と母。

ともあれ母は、私に留守を任せてすぐに出て行った。私の夜の巡回がシビアになった。バリケードを階段下に作っておけば父が諦めるという判断で、母の帰宅との1時間の時間差空白を埋めるつもりでいた。しかし大きな歩行器のまま階段上に出てくると、歩行器と一緒に落下しかねない状態があった。

母と話し合っている最中に、すでにポータブルトイレの前で父が排尿している音が聞こえてくるのだった。巡回開始時間を30分遅らせてもらった。しかし、買物も出来ない。

父を1階に下ろせば悪夢の再現となる。ガスの元栓を閉めても、調理器具を袋戸棚から投げ出して奥の元栓を開けてガスを使う。やかんも鍋も何回空焚きし、ボヤ騒ぎを起こしたかしれない。燃え上がった火を近くにあった乾いた布巾や雑巾で留めようとし、燃え移り発火した布をあわててなげだしてしまう。周囲に可燃物があったらたちどころに家は丸焼けとなる。襖という襖、障子という障子は転倒とつかまり立ちのために、すべて破られ戸が倒れ、カートとテーブル家具の隙間に棒状に転倒する。風呂の空焚き、庭や門前、元気だった頃はバス停での転倒。毎月救急車騒ぎが起きる。だから20畳を超えるスペースの2階の父の居室に閉じ込めた。その経過を無視して、足の悪い者を2階に閉じ込めたら降りられなくなるし、危険だから1階にベッドを移せと関係者が言ってくる。だから、母が切れた。自分もすぐに寝たきりの状態になるというのに、この自由時間を父の介護の犠牲にしろというのかと食って掛かる場面もあった。

家族という否応なしの人間関係の団子の中にひとは生きている。その窮屈な世界の距離感を私は引きこもり青年のそれと同じ息苦しい課題と感じている。家族は幸福と牢獄のような両極の間を振り子のように揺れ動いている。社会の当事者は、有限な命の質の争奪の中で、重なることに意味を見出す知恵が動いていない。戦場の子どものような萎縮した知恵に気付き働きかけることが、私の活動なのだと思っている。敵も味方も無い。難局だからこそ突き抜ける知恵を生むことである。

父が眠ったので、歩行器を隠し、バリケードを作って買物をすることにした。歩行器が無ければ、階段までに数回、転倒するだろう。しかし今の父の足は階段を降りることが出来るほど安定していない。それを逆用する。一度家に戻ってから、巡回に出かける。

夜間傾聴:******君(仮名)
     多摩センター君(仮名)

(校正2回目済み)
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横浜の小箱ショップと、お好み焼き店見学会を済ませ/重なる日は千客万来

2009-05-22 14:35:24 | 引きこもり
午前中、父の訪問看護と訪問歯科、訪問介護の3つが2段に重なった。入れ歯や眼鏡などの調整を含む治療は、訪問サービスがある。ただ作業が何回か分かれるために、日程が何回かに分かれるので長引く。歯科は今回が2回目。訪問看護は突然やってきた。採血して父の主治医に届け、糖尿病の検査をする。私が翌日に薬をもらいに行く。今日は、もともと午前中2段重ねだったので、準備はしていたものの、飛び込み看護にはびっくり。加えて突然庭師がやってきた。今も縁側の向こうで切り落とした枝葉をかき集めている。

重なるときは重なるもので、昨夜は夜間傾聴が荒れて、駐車場に携帯を持ち出しての話をしていた。親御さんがスイミングクラブの申し込みをしてきてしまった。ストレスにいいと知り合いに進められて登録した。しかし息子と言っても24歳である。彼は、そのやり方に反発し、反発したら夫婦喧嘩に火がついた。彼が嫌気がさしてネットカフェに出てきた。虫の居どころが悪かったせいか、店員さんと口論を起こして警察沙汰となり、親に連絡されるのが嫌で、私のところに緊急メールを飛ばしてきた。成人なので始末は自分で付けられるはずなのだが、警察やネットカフェの尻拭きをした。傷害・破損がらみではなかったので、それは案外すんなりと済んだのだが、彼のもやもやが、なかなか消えなかった。こういうときは説教じみてしまう。こちらからは電話を切らなかった。彼の話は堰を切ったように、悩みではない様々な話題が、打ち上げ花火のように、あちこちで炸裂した。ひとりでいれば、話はたまる、そんなものなのだ。携帯の電池が切れるまで、ぐずついた空、傘持ち出して聴いていた。

今日は橋本の駅前巡回が1件。本人がOKすれば小田急相模原が1件ある。目をつむると吸い込まれそうに眠い。

昨日は、港南台の「小箱ショップ」と、石川町の「お好み焼き・ころんぶす」の見学会をやったのだが、後半の「ころんぶす」のパワーに圧倒されていた。事情を抱えた青年たちがK2-インターナショナルの支援のもとで、運営参加するお店である。ひとは繋がることによって、一皮剥ける。ここは、ゆったりと運営されているお店ではなく、自分達の表現を全力でぶつけているお店だ。

港南台・根岸につづく3号店なのだが、試しにそこの「お好み焼き」を自分で焼いてみるといい。つなぎの粉が味を際立たせるために、ぎりぎりまで割合を絞ってあって、具がまとまらないのだ。それを店員さんに焼いてもらうと、手際よく、中がふんわりと、かつ外側が香ばしく焼けるのだ。店に客が立ち寄り帰るまで、毎回少しずつ改良された仕事で迎えてくれる。引きこもり青年は、凝り性が結構居る。これが彼らの力だと思うと、ちょっと嬉しくなった。

だから昨夜、おもちゃ箱をひっくり返したように多彩な話題が炸裂したとき、うまい出会いがあったら、彼も面白い仕事をするだろうと思っていたのだ。

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見学会は、障がい者関連の支援者・事業職員・市議の面々のいわば「関係者」の見学会だった。

辻堂で茅ヶ崎組と合流。根岸線「港南台」から数分、ブックスキタミのビルの2Fの「港南台タウンカフェ・小箱ショップ」にお邪魔した。周辺は住宅地の入口。駅前商店街が切れたあたりのもうひとつの人の流れの塊に位置していた。こどものお稽古事や靴の廉売ショップ、飲み屋雑居ビルが通り沿いにあって、すぐ裏は閑静な住宅地に化けてしまう。つまり地元の人の生活拠点に隣接し、通勤通学の駅への道沿いに、このお店があった。駅を反対側に超して1分たらずのところには、常設フリーマーケットの広場があり、このタウンカフェで相談された品物が出品されている。壁の貸しスペースには、ぎっしりと趣味のアクセサリーなどが詰まっており、地元の市民活動の製品を通して、相互交流の雰囲気が膨らんでいた。

私はTOTOのドロノワ倶楽部(陶芸)に通っていた関係で陶磁器に目が行くが、これは少数派。女性のお店だなあという感じ。

このお店は、茅ヶ崎の秋に開店するたい焼き屋さんの横に出来る協働スペースのモデルになっているお店だけに、得失をしっかり観させてもらった。沿革と運営のスナップショットでまとめられたビデオを拝見し、店長さんのSさんの説明を伺った。ただ釈然としないのは、障がい者の企画の中の居場所というか、誰のためのものなのかということだった。

私の立て方は、問題解決の延長に企画を立てるという線を中心に置く。ところがSさんのお話の中には、「障がい者のものをうけいれるとすると、一部の方の活動になってしまう。だから障がい者の方を含むすべての市民に開放された場に」という論があった。確かに排除の活動は間違いである。しかし、障がい者だけでなく、私らおっさんも少々窮屈な感じがする。インテリアや展開のセンスの良さは素晴らしいのだが、アプローチに身体の方への配慮も見られなかった。残念だなと思う。

ここには若者サポートステーションを主な経由者として、引きこもり青年たちや関連学部生も累計16人がショップの店員体験をしているという。その中の根付いた方がスタッフになっているとのお話。こういうショップ展開の市民活動は確かにいい「団居(まどい)」になる。ただ、ここは主婦パワーのお店だなと思う。狙いが市民活動のノード(結節点)という意味なら、いいお店だが、ここが障がい者とどう結びつくかという疑問を抱えてお店を出た。展示品からして、経営的に赤字を出さないで展開するには、行政や助成金の支えが必要だろうと思われた。いままでのショップ展開と比べると、風通しがいい。それは確かなのだが。

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次に昼食を兼ねて石川町の労働プラザに行く道の途中にある「お好み焼き ころんぶす」に立ち寄った。

ここはOさんというリーダーが、TOTOドロノワクラブに金沢八景から集団参加されていたころからの、約10年弱のお付き合いのある活動だった。当時から活動は、家庭に事情がある方との共同生活が大きなウェイトをしめていた。いわゆる非行の青少年を含む引きこもり青年たちの集団を丸ごと預かり、社会的自立を初めから目的としていた団体だった。

茅ヶ崎にも、たこ焼き屋台をイベントに持ち込んでもらったのだが、その味は凝りに凝っていた。親団体の運営補助支援を受けながら、ショップを支える形で就職口を起業していった。それが「お好み焼き」屋さんなのだった。

ただこの団体の特徴は、とにかくパワフルなのだ。石川町駅前店にしても、店舗運営のプロが養成されている。店長のNさんの語りも熱っぽく、店をぐいぐいと引っ張っている。私が結局は偏屈なのだが、私が関わって来た若者は、ゆっくりじっくり型だったり、慌て者で失敗を重ねてきた子達が圧倒的多数だった。だから、このてきぱきは、社会的挫折組の復活の道筋に見えて、私の就労支援の形へのもうひとつの課題、「適材運営を抱え込む参加多様性がある企画」が成り立ちうるかという課題を残した。

手さばきから、店内の心配りは、この年齢の若者にしては素晴らしいものだと思う。接客の職業が競争社会であることを脳裏におけば、こういう展開になるのかなと思いつつ、反面、こちらも対象者というところで、高いハードル、「うーん」だったのだ。

障がい畑の見学者の方には、「引きこもり青年たちは、傷がい者支援活動のサブ・スタッフ足りうる人たちであることを見てほしい」と言ってあった。ガンバリズムの視点に偏ったかなと反省。

ま、うまかった。惜しむらくは、私は糖尿病だから、量を満喫することは出来なかったことだ。

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父の部屋には昨日も歩行器の交換が入ったり、新しいヘルパーさんが挨拶にみえたりと、かなり人の出入りがあった。これが二日目なので、今夜あたりの父の興奮が心配。

疲れて眠っている父の傍らのポータブルトイレ洗浄をそっとすませ、これから相模線である。

夜間傾聴:上記の口論トラブルの方は普段載せていない方の話です。
     ******君(仮名・彼ではありません。)

(校正2回目済み)
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父の歩行器を換えた>夜間トラブルに  後編は見学会終了後に

2009-05-21 04:40:24 | 引きこもり
父の歩行器をより本格的な「コ」の字型のものに換えた。調子が合わないのか、消灯後、2時近くまで、いじりまわし、歩いては倒れていた。その都度、飛び込むが、倒れているのは歩行器だけ。本人は尻餅をついているだけだった。しかし危ないことに変わりは無い。排尿に付き合っていたら、3時をまわり、4時に景気良く歩行器が階段を落ちてきた。

危ないではないかと叱ったところ、ベッドに水をこぼしたから拭いてくれと、階段上まで出てきて私を呼ぼうとしたところ、歩行器が墜落したというのだ。肝が冷えた。これは絶対父も落ちかねないことがわかった。しかし派手だ。

ベッドの水とは、尿のことだった。作業用シート(吸水性)を拡げて清掃。終わったら4時半。これでは見学会出発が8時半。徹夜になってしまうので、歩行器を取り上げて強引にベッドに送り込んだ。

こんなごたごたで、」夜間傾聴の方は多摩センター君、緊急ではないとの承諾を得て、今夜はお休み。
(後)編はすみません、休みます。

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「わーく」の人材集めに(前)

2009-05-20 13:12:49 | 引きこもり
久しぶりに授業の代行に引き出されたので、帰りに寒川に立ち寄った。図書の更新のこともあったが、寒川町の駅前開発が、改めて急速に進行していることを感じた。この町は、茅ヶ崎市と共同歩調をとることが多い。しかし、それも長くは無いなと感じた。

社会活動を作っていく上で、行政区分は目に見えない壁を作っている。茅ヶ崎と平塚は、工房絵さんのように地域横断している団体を除いて、先方の活動状況などは、自分の活動に実際に重なるというより、「参考」の響きがある。これは藤沢とて同じこと。というのは、茅ヶ崎に10月過ぎに始まる協働スペースの利用について、平塚の工業団地に隣接している地域に、ある業界新聞の元記者の方が住んでいらして、今年3月、寒川町に息子さんとともに転居。落着いた頃と勝手に判断し、お邪魔したのだった。

引きこもり青年は、家族単位で潜在化している。そこを行政や医療機関の相談という形で、親御さんの先導で現れる方から接点を作っていく場合が多いのだが、この方式だと、いまだ就労には早過ぎる方が多くなって、その方は居場所スペースを持たない活動には、ほとんど無頓着と言っていい。求めるものが違うのだ。

もうひとつは、塾のような民間教育団体から入っていく方法がある。私が歩んできた活動の大半はこの形から入っている。しかしこれも、不登校という学齢期の方を基盤に信頼を積み上げていく延長に成り立つ世界で、いわゆる「若年者」という年齢層の方に直接接点を求めるのは、膨大な海原に網を投じることに似ている。

この寒川の方は、教育系と出版系の境を歩いてきた方なので、退職後「わーく」の活動に参加してもらえまいかと、折に触れお願いを繰り返してきた。「わーく」自身は、運営が軌道に乗れば若手が行うが、「わーく」の経済活動として「DAISY」を走らせるためには、企画販売活動には、教育現場を見渡せるセンスが不可欠なので、「わーく」の裏方爺ぃ軍団の方に参加をお願いしてきた。実は私のコラム仕事は、彼の辛辣な批評活動から、おこぼれ頂戴絆創膏活動だったような、始末仕事だったようなところがある。「DAISY」はまず視覚障がい・聴覚障がいの方へ、そしてやっと知的障がい・発達障がいの方への道が切り開かれつつある。この後者、知的障がい・発達障がいの方のデザインをどこに乗せるかを一緒に考えて欲しかったからなのだ。

お邪魔して間もなく、息子さんのお嫁さんがお子さんを連れて戻っていらした。息子さんは面識がなぜかないのだが、お嫁さんは茅ヶ崎のジャスコなどで買い物中、よく出くわして、先方に迷惑をかけてばかりいたので、この方を通じて、私の悪い噂は、ご隠居さん(すみません)にも伝わっていたといっていい。

奥さんが現役でプロの福祉系活動を続けておられる関係で、私と「わーく」を始めると、奥さんの方の活動を逃げている根拠がなくなるということで、私の「両方とも始められては?」という話をふさいで、うんとは言ってくれなかった。お嫁さんもお孫さんが小さいので、留守番が忙しくなることに暗に反対というところだった。基本的に、こういう方は「面白がらせ」好奇心に火がつくのが一番なので、時々お邪魔していた。

それもそろそろ限界かなと思っていたら、不可解な話が飛び込んだ。私では「ダメかしら」というお申し出だった。もと小学校教員の方なので、私には、ありがたいのだけれど、「DAISY」はつまらないと、ばっさり斬られてしまうと「わーく」については要注意なのだった。私のような爺ぃよりは増しなのだが、主婦ネットワークの力は強いから、引きこもり青年の始動が後退する恐れがあった。思わぬ展開に、次のラウンドは6月初めと予告編して、お子さんに服を引っ張られつつ。退散してきてしまった。

しかし収穫もあった。寒川の情報もかなり入ったからだった。湘南ライフタウンに住む学生時代の友人も、研究者から予備校講師に転じ、今はエコ系市民活動をしながら、横浜南部で塾を共同経営している余芸ギタリストも候補としている。

しかし、茅ヶ崎市内は全くの無縁無風。中学時代からの半分地元というのに、私が塾を閉じ、東京南部に中心を移してから、浦島太郎そのものとなってしまっていた。寒川とライフタウンは近そうで遠い。オンラインの繋がりをしない人たちであり、ひとりは運転免許がないひとを茅ヶ崎駅からバスの距離のところにどう引き付けていくか、それだけの魅力を初めから打ち出せるか、思案のしどころなのだ。

玄人は開拓には加わらない。よっぽどの魅力がない限り、様子見に身を置く。この「様子見」の坑道をどう掘りぬいていくかが鍵になっている。少なくとも二本。一本は「路上生活者自立支援(Big Isse と、放置傘)」もうひとつが「わーく」(就労支援&地域交流 + DAISY出版)である。茅ヶ崎と横浜、茅ヶ崎と寒川(元平塚)と藤沢(横浜南部)の結束が可能かと、行政区画と活動の単位という長年の採掘活動の一角がやっと掘りぬけるかなというところにきている。それには根付く拠点が必要だったのだと改めて思う。

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明日は港南台・石川町の見学会がある。その場で手渡しできるチラシ(6/2 JHC板橋会見学会)を作っている。印刷が間に合うか。

夜間傾聴:□□君(仮名)
     ******君(仮名)
     旗の台君(仮名・傾聴にあらず)

(校正1回目済み)

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身体を感じ取る力

2009-05-19 07:35:41 | 引きこもり
父がショートステイ2泊を終えて帰ってきた。

「お腹がすいて、おかげさまでだいぶ(体調が)良くなったようです」と送ってくれた職員さんに挨拶をしていた。

冗談ではない、糖尿病の空腹感である。ホームではカロリー管理されているので、食事の量が満足できない量なのだ。「ラーメン」を出せば、スープを全部飲んでしまう。何回注意してもやめないのは、「たくさん食べられるのは、健康の証拠」という考えを絶対にやめないからだ。医師から食事制限の説得を受けても平気。それが空腹の合理化かとも思ったこともあったが、今回のように挨拶までされると、分かっていないのだと思い知らされる。

触感まで失ってしまった片足は、引きずってしまい、全く歩くことが出来なくなった。脳梗塞、血栓が飛んだのだった。この足が転倒したとき、膝に擦り傷を作った。その傷口が2ヶ月たつのに塞がらない。尿で不潔にするので雑菌が入って周囲5cmが黒っぽく化膿しはじめ、慌てて抗生物質軟膏を周囲に塗り、亜鉛の入ったドライ型の止血剤を傷口に拭きつけ、通気タイプの絆創膏を貼った。ところがショートステイの入浴の際、絆創膏がそのままになっていたために、出血がまた始まってしまった。糖尿病患者が足の親指を壊死させることがあるのは、水虫や爪切り時の傷口から雑菌が入り、直らず悪化し続けた結果だという。恐ろしいほどに、傷の治りが遅いのだ。

このように、あちこちに身体の異常が起きているのに、「安静にして、しっかり薬を飲んで、食事を食べれば健康になる」といい続け、帰ってきたら、足と同じ側の手が、ついに動かなくなっていた。半身不随状態である。階段昇降が間もなく出来なくなるだろう。次が口が半分麻痺してくるだろう。食事をこぼし嚥下障害を起こす。言葉がもつれて、意思疎通が困難になる。伝え歩きも危うくなってきた、最悪の道である。

自分の身体の様子、車で言えば車幅間隔が失われている。歩行先の椅子に座るために、反転して腰を落とす位置が大幅に浅くなるので、尻餅をついてしまう。手の届かないちょっと先に、動く方の手を伸ばすが、掴み損ねて物を落とす。検査をしても目の動きは正常。指先の位置に協力して身体が前後左右に微妙に動くが、その身体が巧緻制動を失って、全く動いていないのだ。「横向きに寝ていないで、仰向けになって」というような指示は、全く内容が伝わらなくなって久しい。ものを落とす、こぼす、掴み損ねて倒れるというような異常が続発している。ベッド上から降りるときに、寝ていたときの掛け布団や毛布は体からはずして、それから降りるという手順が、全くわからない。布団を巻きつけたまま降りようとして転落を繰り返す。このとき、全く布団に心が向かないのだ。今注意して、その場でやり直しさせても同じ状態をくりかえしてしまう。今自分の身体がどのような位置にあるかという感覚がなくなっている。

ベッドへの乗り損ないを早速起こして、危うくベッドサイドにいた私が咄嗟に抱え込んだ。

帰ってきてから、食事以外は眠り続けている。0時に尿が出たが、今回は尿が出ないし、昏々と眠り込んでいる。4時過ぎ、やっとトイレ。大声で私を呼びTVをつけてくれという。まだ4時だからと制止したが、私が部屋から出てしまうと、「孫の手」を叩きつけるようにして、スイッチを押し、カタカタと音がしていたかと思うと、突然、父が落ちた!駆けつけるとTVの前の細い通路に首が挟まるように落ちていた。留守中に落ちたら自力で抜け出せない状態だった。

ベッド位置をずらす早朝作業。父はその移動前のベッドに乗り込み、移動作業中に布団をかけようとしている。早朝、母を呼ぶわけにもいかない。ベッドの細かな設定には、実際はふたり必要。やむをえないので、ともあれTV前だけ通路を広げた。

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光之村の遅ればせ事業報告書を光の風作業所に届けた。30日に助成金成果発表会があって、今年の報告をする。ポルト湘南さんとBig Issue1s誌再販売開始の日を決める。

今6/2のチラシを作る作業中。父の8時の朝食を出してから、仮眠を取る。


<気になる新聞記事>


●「働く若年貧困層対象の給付提案へ 経財会議民間議員/朝日」
●「派遣事業所の許可基準見直しへ、現在の4割抵触 厚労省/朝日」
●「心の病気 家族と歩む/神奈川・朝日」

夜間傾聴:□□君(仮名・中断ごめん)
     ******君(仮名・詳しいメールを!)

p.s. 今日は寒川・海老名を回る。時間取れたら県警へ。

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時は旬のうちに手を打ちたい

2009-05-18 05:27:20 | 引きこもり
強風の一日。母の友人親子は歌舞伎座のさよなら公演の「暫(しばらく)」を観てきたと、律儀に電話を掛けてきた。何やら母の電話がにぎやかだったから、それこそ「暫く」の間、内輪の話題として蒸し返されるだろう。

それはそうと、ジョブコーチの会費やら、**学会##研究会等の年度切り替え会費をすっかり忘れていた。前者は6月まで執行猶予らしいが、後者は大丈夫であるが、ちょっと気まずい。今日、支払いを済ませるが、請求が来るまで忘れていたのは初めて。父の介護に裂かれた時間の大きさを改めて感じている。

今、生業を除くレポートが4つ、路上生活者支援関連の取りまとめがふたつ、地域就労支援見学会の実務が2件、「わーく」発刊の取材が1件、テスト放送収録が1件。どれをとっても、会費納入団体とは全く無縁な活動ばかり。この隙間を埋める活動は、当分復活しないだろう。父は今日14時半に帰ってくる。なにやらため息が出る。

ドアの蝶番に油を差した。部屋中に防臭剤を撒いた。2泊3日の父の外泊時は、掃除や修理、シーツなどの大物洗濯などの雑務で終わっていく。もう一日あれば自分の用がこなせるのにと思うが、ホームの割り振りの都合で実現できないでいる。

明日は父の帰宅後、主治医の町医者に行き、いつもの糖尿病と血栓防止剤をもらってくる。食事と家事・介護の生殺しで一日がおわるだろう。焦っても仕方が無いが、隙間の自由時間の日常のルーチンワークとの奪い合いの感がある。

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いわんこっちゃない、障がい者社会参画的就労は自前防衛線を育てておかないと…。不況下、地域就労活動の価値を磨きださないとと思う。(下記)

●「障害者の解雇、昨年度8割増 就職数は7年ぶり減/朝日」
●「2009/02/10障害者の解雇倍増 厚労省、経団連に雇用確保申し入れ/朝日」

地域の絵を描かないとと思う。既存の活動の延長にありながら、単純集中や単純拡大ではない見通しと質の転換を伴う企画の絵をと。

夜間傾聴:□□君(仮名)


(校正2回目済み)
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珍しい母親サービスの一日/人との間・関係脱落の話

2009-05-17 16:27:10 | 引きこもり
ショートステイ2泊3日、父の外泊が始まった。月1~2回の半日留守番をいつもしてくれる母の友人親子にお礼がしたいと母が言い出した。急な話だからと私が制止しているにも関わらず、翌日分の「歌舞伎座さようなら公演・昼の部のチケット」親子2人分を、先方に届ける役割を半強制的に仰せつかった。翌日など、断られるに決まっている。移動中、板ばさみは創造の源とか…、ポストモダン何て知らんぞ、と、下らない独り言をぶつぶつ言いながら、先方の御宅にお邪魔した。

びっくりする娘さんの案内で玄関を通していただき、母から預かってきたチケットを渡した。親子の恐縮する顔。「こういう事は今回限りに」と叱られつつ、受け取ってもらえた。冷や汗をかいた。翌日のチケットを渡すなどと、もらい物を渡すのが明からさまなことを、自分が嫌だから息子にさせるなど、けしからんと思いつつ、役を終えて駅前に戻った。

実は私の知らぬところで、先方と母との間で電話話があって、いつか歌舞伎の派手な「暫(しばらく)」の舞台を見たいと言っていた親子の希望を、母が叶えたのだと後で知った。「3階席じゃないよ」と母。しかし受け取らなかったら、どうするのだろう。そのときは、私が気まぐれな母の付き合いをさせられるはめになったのだと気付いた。冗談ではない、そんなことになれば、朝、間に合わせて出かけるには、また常習の巡回変更の御叱りを上司の##君から受けなくてはならない。ともあれ受け取ってくれたので一安心と、まるで子どもの使いのような役割は一応終わった。

暫の景政とは話が直結しないが、鎌倉権五郎といえば、鎌倉の御霊神社(権五郎神社)の「面掛行列(孕み人行列)」のことを連想した。頼朝が非人職の長吏頭の娘を孕ませたことから、非人の権利主張の行列が始まったのだとする通説がある。江戸時代の封建的身分制度の確立以前からの話なので、土地から切り離された下層民のイメージが当時の非人という言葉に重なるのだろうが、この非人という身分は、江戸時代、罪人(政治犯を含む)・旅芸人等、士農工商の四民の下に位置づけられてきた。歌舞伎の始まりとは切っても切れないご縁だが、鎌倉権五郎景政のように、悪人成敗をする正義の味方のような形では、被差別者の苦難は解決しない。蟻地獄のすり鉢のような社会構造に、別価値の凝固剤を流すような足がかりを作っていく必要がある。

駅前では母が待っていた。父の外泊時の母の楽しみの外食の待ち合わせなのだった。白髪頭の息子を引っ張り出さなくとも、母の友人たちと勝手に会食すれば、私も自分の「制約されない時間」が出来るのにと思いつつ、「介護話は、ひとには出来ないから」という愚痴放出論に説得されて、外食のお供を渋々授かっていたのだった。

胃切除の母を連れて行ける店は少ない。悩みながら先導して店を回るが、16日は公務員給料日の翌日である。店は予約でいっぱい。なんとか席の片隅を確保出来たものの、母の間欠泉のような愚痴を聞きつつ、さて自分はと、面掛行列を考えていた段を話すと、「(…は)死ぬまで直らないのかねえ」という。森の石松ではあるまいし、私の話題はばっさり斬られて、母に「サーブ権」が移るのだった。

父の留守の間の整備と、母へのサービスに終わった珍しい一日となった。今回は昼の巡回だからよかったものの、宅配便とガイドヘルパーと出費の厄日だった。急な変更だけは、堪忍して欲しいのだ。お隣さんの倒産と雇い止めの不況下の、それでも世間にクッションの余力を感じる外食だった。狭い店内、商売以外の不況に関係のある話題は、ひとつも聞こえてこなかったのだ。この余力がある限り、沈んだ人間は無視される。健全なこととは、一概に言えないのだ。

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家に戻ると夜間傾聴のレギュラーからのFAXがいつの間にか入っていた。かかりつけの医師が、体調を崩し高齢なので仕事を退くのだと書かれていた。彼はひどいアレルギー性疾患を抱えていて、心療内科と内科の兼用の医院に通っていた。アレルギー性疾患の方は心当たりがあるが、その中で心療内科と重なる医師をとなると、思い当たらなかった。医院からの紹介は総合病院で遠方なので、もっと近場で知らないかというものだった。しかし、それならいつもはメールで送りつけてくるのだ。それがFAXで送ってきたことに、もうひとつの意味を読み解いていた。

電話を返してみると、予想通り彼の体調が悪かった。母親が横についてFAXをしていたのだという。e-mailよりは、他人が内容を目にすることが出来る伝達メディアがFAXなのだった。医師が代わる不安から喘息をおこしていた。嵐が通過するとき喘息が起きる。新入社員が不調不安を訴える五月病の、その時期の気圧・気温変化が、不登校から継続している引きこもり青年の体調にも影響しているようだった。

10時半から御宅にお邪魔し、話し合っているうち、彼のアレルゲンが健常者には信じられないような身近なものに対して有って、その症状が激化する季節があることというような、私がくぐってきたのとよく似た症状の話が出てきて、息が詰まる場面も。長欠すれば、学習だけではなく日々の出来事や、友人関係の変化から疎くなる。その隙間は当人には自覚的だが、周囲の人間には無自覚という目に見えない抑圧がかかっているところに、教員が仲間はずれを作らないためという、質を無視した「あるべき姿(理想像)」の戒厳令を強いてしまうために、そこに見えないようにいじめが始まるという典型的なコースを彼は踏んでいた。

以前同じような経過をくぐってきた子がいた。その子は軽度発達障がいを思わせるプロフィールを持ち合わせていたために、いじめが火を噴き、矛盾は頂点に上ってしまった。担任と親御さんとの間に立ち合ったのだが、「なぜひどくなる前に相談してくれなかったのか」と担任が親御さんを責めて、「『だから』貴方には相談できなかったのだ」という私の意見と対立してしまうことがあった。

担任は答えが決まっていると当人が思い、養護教員に相談して、「それは君の甘えだ」と相談を絶たれてしまった。こうして彼は人生との繋がりを絶とうと決意したのだった。幸い親御さんの発見が早かったので大事には至らなかったが、そのあとの悶々とした日々の中、彼と私が出会って、襖がちょっと開いたのだった。

今回の彼も病弱というハンデを負っているのだが、彼の場合は学齢期にはある不登校関連組織が彼を迎えてくれた。彼は徐々に自分の世界の立て直しをして行ったのだが、就職をしたあと、ノルマを課せられた職場のテンポに挫折。理由は販促期と季節的な体調悪化の時期が重なることだった。自分の体調のテンポで生きるという事が社会との交点を持てないことに繋がるという不幸が彼に付きまとっていた。

彼は専門学校卒で生きるよりは、大卒への執行猶予期間を選びたいと語った。そんなことから、私が担当として派遣されたのだが、そこに簡単に使う「執行猶予期間」という考えは二つの意味で間違っているわけで、ひとつは大学生活をどう使うかが、そこが活きてくるかどうかが決まってくるので大学が休憩所とは一概に言えないこと、もうひとつ、就職後は、決して一律地獄の闇ではないということだった。

だから彼との出会いは、本校へ通学を促す活動というより、進学の個人指導とともに、手探りのキャリア教育なのだと思っている。

医者の選択については応答に時間をもらったが、こういう医師の紹介ニーズは厳然としてある。今、特別支援教育の高まりの中で発達障がい関連の親の会は、軽度発達障がい関連の問い合わせに忙殺されているようだ。勿論それは医療にも及んでいるわけだが、紹介した医師の治療システムによっては、彼の大学進学や就労が、医療モデルに飲み込まれて、ひととの繋がりの中に生きていくことが、体調調整と適合の過程に矮小化されることを私は警戒している。私は彼の体調を無視するのではない。彼を社会の一員として活かす道を私は探っている。

親御さんはすでに、経済生活自立と結婚の見通しまで口にされていた。親御さんもまた軌道修正が必要に思えてきた。夜間傾聴には名前が出てこない青年の話なのだが。

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帰ってきた家は朝と同じまま、母は居眠りを通していた。疲れているのはわかる。しかし、家事・炊事がそのままはうんざり。そんな状態のまま、コーヒータイムにこの記事を書き上げている。

夜間傾聴:******君(仮名)
     中央林間君(仮名)

<気になっている書籍>
●「アメリカの高校生が読んでいる起業の教科書」
●「アメリカの高校生が読んでいる資産運用の教科書」
●「アメリカの高校生が読んでいる金融の教科書 」
●「アメリカの高校生が読んでいる経済の教科書 」

----- アメリカらしいといえば、納得できる本なり。距離と観るか面白い視座とみるか…。


(校正2回目済み)

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