湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネの地域学習活動・就労支援活動の実践試行を書き溜めていきます。

川崎パソボラの方のメールを戴き/母の検査外出後の不調/野宿者支援の転機?

2010-05-31 17:59:04 | 引きこもり
川崎パソボラの**さんから長文メールをいただいた。だいぶ誤解があったようで、お詫びしなくてはならない。私は団塊の世代の尻尾に当たるので、全共闘運動の洗礼を受けている。というより私の子どもの頃の特殊な人生体験を、時代が言葉にしてくれたような社会体験をしている。健常を理想として歪みを正すような発想にはもともと馴染まなかった関係で、特に差別について、ある政党関係者といつも対立する結果になってしまっていた。ところが私のフリースクールの活動と連携していた教育活動は、技術のところで、ひと塾という教育雑誌系の活動をしていたので、この政党支持者との活動は続いていたし、東京南部の知人の塾で一緒に塾を作っていた人たちは、大半が政党関係者だった。だから当時の全共闘運動の島国根性は私の中には無縁だった。しかし、あちこちの活動をするたびに、いつも信者ではないために、はしごをはずされるような憂き目に会うのには、しょっちゅう閉口していた。

これは**さんと同じく、私もパソコン通信300bps時代からのネットワーカーなので、私の行動基準はネットワーキング、一緒にやれることでお互いがつながればいいと考えている。だがこれは、外から見れば私は有象無象と一緒だったらしい。私は親方日の丸のようなバックを持って物事を属して語るのが嫌い。自分の真情で考えたいと常々考えている。社会運動や教育活動をしていると、いろいろな集団に首を突っ込むので、見えない結界が貼られていることがしばしば。そのときは無理しないで別口を探すことにしている。

**さんの講演会を誤解したのは、細かいところまで予定に組まれていて、質問のゆとりもなかったことや、異様に運営する方が緊張しておられたので、好まぬ来客と思われたかと解釈していたことだった。**さんのお話で腑に落ちた。この企画参加者の方がICT のプロの方と障碍者家族の方の混在で話の関心や専門性に落差があったことや、Q&Aに質問が出なかったらどうしようかと対策を打たれていたとのこと。それを私が勘違いしたのだとわかった。**さん、申し訳ない。

しかし、過去のブログに書いたことだが、パソボラが機器操作研修やアプリトレーニングに終始している内容の金太郎飴みたいな講演会が多くて、在宅就労の連携の部分の語りや、仕事の創造性をどう育てているか、出会いをどう活かしているかとうような技術のヒューマンな部分、これは研究者レベルの束ねた場か、現場の生の話が出やすい地域の現場密着した場を回るしか、なかなか関連の経験に出会えないだろうと思う。身体障碍の分野の就労は、やはり精神や知的・発達障碍の分野と比べ雲泥の差というか、仕事の専門性に踏み込んでいけるのですね。その先進事例から、ヒューマンな部分を学びたかったというのが、私の狙いだった。精神や知的・カナータイプの発達障碍の方には、場の力が就労の鍵になると思っているので、身体障碍の事例もきっと参考になると考えていた。

突然、茅ヶ崎くんだりから、川崎の地元活動にお邪魔し、注文つけているのだからしょうもないはなしだなと思いつつ…、**さん、お許しあれ。

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昨日、母は横浜駅そばの大学附属病院で検査を受けていた。完全予約制なので待合室はがらんとしていたのだが、それでも母は疲れたらしく、翌日、昼過ぎまで起きてこなかった。胃の調子が悪いと言って食事を避けるので、水分を取らせて枕をやや高くし、胸の圧迫を避けるように指示して様子を見ていた。

10時半ごろに隣の新築中の家の工務店関係者が車の置き場所について話をしに来た。応対しているとトイレで母が嘔吐をはじめた。日曜日なので工事はなかったが、翌日に車を長時間止めるので、我が家の門前のスペースを使わせて欲しいというもので、私は母の様子が気になるというのに、事情のわからない工務店関係者を、ともあれOKして押し返した。

またいつものダンピング、逆流だった。胃切除した者が一生付き合わなければならない症状で、いかに軽い状態で付き合うかという立て方が現実的と執刀医に言われていた。

体調の悪いときというのは、なぜか、今すぐにやらなくてもいいものに固執して、余分な労力を費やしてしまうものだ。一度休ませた母は、なんとか昼食を取ったあと、朝の萎えた様子はどこへやら、父が帰って来てしまうと枕元で出来ないからと、私の制止を振り切って、押入れの中から夏物や亡き祖母の遺品袋を開き始め、父の部屋はバザー状態となった。そのいくつかを階段下に下ろすのだが、大きなものもあるので、ふらつく母が階段を落ちたら両親とも介護しなくてはならない状態で、結局午後、母に無理やり付き合わされてしまった。

一休みした14時過ぎ、母は四肢と腰の痛みと痺れを訴えて、作業途中で自室にこもってしまった。もともと母が采配をふるって詰め込んだ衣類である。どこをどう入れたらいいのかわからず、私が右往左往していると、母が父の部屋の子機に電話を入れてきた。

母の携帯に電話が入ったという。ショートステイしているホームからの連絡だった。私の携帯の次が母の携帯という順に緊急時連絡の連絡順が決まっている。私は自分の携帯をPCのそばに置き忘れていた。更に母が、工務店の車の約束は、月曜日、父の送りの車が入ったり、父の宗教関係者が車を停めたりと忙しい日ではないのかと電話で付け加えた。

ホームに連絡を返すと日曜日の担当者しかおらず、電話をかけた職員が外回りしているという。連絡仲介をお願いして、今度は工務店に連絡。また日曜日なので連絡が留守電になっていた。

真綿の鎖につながれるのを吹っ切るつもりで携帯をポケットに入れて、夕食の買い物と言いつくろって、5/18懇談会レポートを持って関係者巡回に出た、16時になろうとしていた。

バスの中で携帯が鳴った。母からだった。工務店は我が家の固定電話に、ホームは母の携帯に連絡を返してきた。なんとも間が悪い。メールを使わない相手との通信はこんなもの。バスを降りて工務店に連絡するが、また留守電が邪魔をした。ホームの方は、私の携帯の取次ぎを頼んで、20分後、やっと連絡がついた。肌寒いので、父が持参した衣類をすべて尿で濡らしてしまっているので、追加の衣類を持ってきて欲しいというものだった。ホームは寒川町の小谷である。完全に巡回は止めを刺されてしまった。

家に戻ってみると、母が押入れの始末をしていないと怒りをぶつけてきた。泥沼は避けたい。文句の火種になる炊飯作業を先に済ませ、父の衣類をまとめて再度玄関を飛び出した。直接注意すれば炎上する。携帯を使って母に「寝ていろ」と注意して、電話を切った。17時を大きく過ぎていた。

小谷行きは本数が少ない。出たばかりの20分のバスの次が40分待ちの18時である。31分発の相模線で寒川経由した方が得策と、相模線に乗り込んだ。寒川からはタクシーである。ホームに着いたのが18時。工務店から連絡があったと母からの連絡が入り、母に私の携帯に連絡せよと伝言するように伝えてあったその話がまた空転していた。工務店からの連絡を母が携帯連絡してきたのだった。家族の事務連絡はとにかく通じない。堂々巡りの苛立ちを抑えて、宿直の担当者に手渡し,父に会ってから帰ろうとした。制止されてしまった。家に帰ると主張する父をなだめたところだったらしい。

小谷のバス停に戻って驚いた。私が着いた18時に茅ヶ崎駅行きが出ていた。しかも次の40分発は出たばかりなのだ。これから40分待って次の19時20分まで待つか、寒川からのタクシーを呼んで待つかという状態だった。じっとしているのも何なので、ゆっくりと寒川駅方向へと歩き出した。途中地元の方の車が止まっていたので道を聞いたのがいけなかった。宮山駅の方が近いと途中まで送ってくれたが、土地勘の無い者が幹線道路から外れては、いけない。延々と夕闇の中、道を引き回され、結局寒川駅に戻るという始末だった。20時近くになっていた。

帰宅すると夕食が間に合わなかったからと、母が勝手におかゆを食べてしまっていた。買って帰った惣菜はすべて私の胃袋へ。父の部屋の始末を母の指図で行って22時。何をやっていたのかわからない一日が過ぎていった。介護は真綿の鎖と縄で絞められていくような時間が流れていく。父の徘徊の元気がなくなったと言っても、この状態は変わらない。間もなく父は帰って来る。仕事との切り分けをしないと私が壊れてしまう。母に月曜日の日程を宣言した。

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父との介護戦争は、格闘のような状態から持久戦のような状態へと変化していることを感じる。小谷からの帰り道、迷いながら私は夕闇を蹴飛ばしていた。これからも、今回のような介護上の割り込みが入るだろう。約束をして定時にその場所に着けなかったり、約束のものが準備できなかったりというような信用を失うようなことが続出するだろう。じわりと真綿の締めがきつくなってきたのを感じている。私が蹴飛ばしたのはその真綿。持久戦に燃え尽きさせない意志の自己確認だったのだ。

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湘南あすなろ会の運営も境目に来ている。ビッグイシューという路上生活脱出の活動は、購入者(お客さん)と販売員との間で交わす意志交換の活動である。一般の商品販売活動と違うのは、一般の労働対価の収益活動とは目的が異なる「出会い活動」の上に成り立つ、目的実現の社会活動としての収益活動である。この辺が、私生活時の飲酒問題をめぐって揺らいでいる。営業活動中の酒気帯びだけでなく、販売場所から近い場所の飲酒は、利益が酒代に消えていると思われても仕方ないところがある。私は日々抑圧に耐えているものに酒断ちせよとはいわない。ただ販売活動を一般の収益活動に落とし込めないで欲しいと考える。アルバイト口が見つかり収入が出たときはましてやそうだ。意志を風化させないことは難しいことだ。だから客不在がこれからも続いていくようならば、IDカード取り上げを実行せざるを得ない。他の活動をやっているからというなら、それに満身すればいい。それも自分の意志と判断で活動を作って欲しいと願う。この世界はアシスタントは要らない世界だからだ。

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昨夜、平塚パトロールのSさんから、日程情報をいただいた。6月6日に防砂林の湘南パトロールがあるという。Tさんが提案した生活基本カードは駅頭・公園と同時に、この海岸線の防砂林にも撒く。その下見ともなる体験なので、参加しようと思っている。父の昼間の見守りを母に頼んだが体調次第。

6月5日(土)は昼間、横浜寿町のバザーと、夜間に平塚パトロールがある。この日は、就労支援の講演会もあり、これは午前中企画、生業の巡回が海老名なので、とても全体は参加できないので、ヘルパーさんを頼み、日中のみをたどってみようと思っている。これも両親の体調次第。

パトロールは関心のある方は飛田にご連絡を。tobita@@mbm.nifty.com(@を小文字に変え1つ削る)に。

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6月29日(火)に私の担当するひきこもり青年のふたりと、生田緑地を散策してくる。午前中の苦手な連中だから、昼過ぎ位に向ヶ丘遊園集合となるだろう。彼ら、ここなら出易い。雨天順延である。今回は本校関係者のみという無粋なお達しがあるので、私からは参加しませんかとはとてもいえない。母の友人親子の留守番支援をいただいた。感謝。

夜間傾聴:□□君(仮名)
     中央林間君(仮名)
     入谷さんからメール(びっくり・シアトルで元気)


(校正2回目済み)
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5/29 今夜は多くを語りたくないので

2010-05-30 04:37:25 | 引きこもり
急にがに股歩行になってしまった母を連れて、横浜県サポの近くの神奈川歯科大附横浜センターの神経内科に検査を受けに行ってきました。ゆっくりならいくらでもあるけるようなのですが、四肢がしびれ、古傷が全身痛み、足の指先が脈打って鈍い痛みで休まないと歩けなくなるという状態、眼球の奥の痛みと同時に出て、胃切除後のダンピング、嘔吐も手伝って、気力体力がなくなるという状態が母を襲っています。血圧や個々の部位の診察では異常が認められないという結果が出てしまうのですが、現にがに股歩きが始まってしまうのです。

心因性障害、不定愁訴、自律神経失調症、股関節障害といろいろ言われてきたが、股関節障害の手術以外は治療法がない。父の症状悪化が母に無理を強いているのはわかるが、母に完全撤退されてしまうと、私の時間と作業量がパンクしてしまう。

そういう事情がなおさらに心身症を加速しているのだろうと、担当専門医に説明。基本的な検査をしてもらったが、結果、彼の兼務している北里大学病院の検査機器を使うことになった。検査が済めば横浜センターで済みそうなのだが、神経内科的には正常ですとはいわなかった。

父は月曜日までショートステイに行っている。いつもより1泊多い3泊4日なのが嬉しい。少し休める。母は日曜日命の洗濯をする。私はHL支援の会、きずなの会える面々と、茅ヶ崎市の協働提案立案の件で話し合う。

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IPSリカバリーの当事者懇談の件、神奈川労働局の取材後の秋口講演の件。アスペ青年の起業例、日本クルージョン協会のソーシャルファーム講演等5~7の企画準備を始めている。「わーく」画像放送ネットワーク作りがそれにかぶさっている。中身は3つ。地域就労支援PJのソーシャルファーム提案・「わーく」編集部の連続当事者懇談会と画像放送ネットワーク作りなのだが、提案書類が手ごわい。明日の父のいない一日は貴重なので、できるだけ作業と面会を積んでいくつもり。本業の巡回は月曜日、父の帰宅した後から再開する予定。

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一昨日、私の友人の看護師*さんから電話が入った。ご母堂の訃報。癌と長い間戦ってこられた。ご苦労様でした。

この友人の娘さんに、ときどき、私のベストと思う本を読んでもらっていた。ことしは父の介護激化で準備が遅れていたがさてと思っている矢先だった。

昨日は辻堂駅の飛び込みで命を絶った引きこもり青年の命日だった。現場に立っていると神経質な彼の顔が思い出されてならなかった。

合掌。


夜間傾聴:中央林間君(仮名)
     □□君(仮名)

(校正2回目済み)


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5/27 空転を糧に変える気力を

2010-05-29 08:03:10 | 引きこもり
2010/05/27 記
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水曜日は父のデイサービス利用日だ。疲れたのか父は判定員のチェックの翌日、萎えたように寝起きが悪く、何とか起こして排尿を支持したが、身が左右に倒れ掛かってしまうのだった。このような状態こそ判定員さんに見て欲しいのだが、そうも行かない。結局階段は途中から座位に変えて、尻を一段一段落とすように、階段を下ろさせた。父は相変わらず手すりにしがみつき、立ち上がろうとし、指示を無視して姿勢も正面を向いてしまう。実例をやって見せるが、座位という異常事態を脱することで頭が一杯になっている。学習する状態ではない。なんとか迎えの方に引き継いだが、前途多難だ。

私は送り出しの車の後を追うように門を出た。

ビッグイシュー5月前半の支払いを済ませて、寒川に立ち寄った。IPSリカバリーの当事者懇談を実現するために、協力者が欲しかった。難しさは私の担当している青年のように、当事者がそこにどのような解決の光が期待できるか全くわからない状態からの話だったからだ。桜ヶ丘病院の試みの自由さに着目しても、それは現在の湘南の状態とは違うし、その後のことを考えれば、出会うことによる悪影響ばかり支援者は考えてしまうからだった。結局会った方は応答をしないまま、とりあえず私の話を聞いたという事で空転して話を終えた。空転は無限に繰返される以外にない。無理に実現に煮詰める必要はない。丁寧に関心と共感を手繰り寄せなくてはならない。砂を噛むなら砂が食糧になるまでかみ続けていく。

厚木経由で小田急相模原に出て雑談。今回は彼の本校への通学再開の感想を聞いていたので、話は様々な方向に広がった。彼ともうひとりとともに、6月の下旬に生田緑地に行こうと話をしていた。梅雨に邪魔されなければいいのだが。

藤沢経由で茅ヶ崎へ。つまらないことだが今度は寒川を経由したくなかったのだった。父の迎えの時間16時半が迫っていた。何とか父をベッドに寝かせてから、母に父のことを頼んでサポセンに向かった。

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湘南あすなろ会の定例会。5/18懇談会のレポートを出して、今後の配達分担をきめながら、心は困ったことを考えていた。その場で先日の大船笠間口駅前の白木屋があるビルの裏から発見された、私の名刺が入った男物ハンドバッグは販売員Tさんのものだと確認できた。しかしTさんは明確に自分のものだとなぜか言わなかったのだ。バッグからした異臭はヘビースモーカーのそれと酒の匂いだった。捨てられていた場所は、関係者以外出入りの出来ない鉄製扉の向こうだった。関係者が客の忘れ物をゴミとして捨てたか、酒に酔って当人が潜り込んで置き忘れたか、あるいは盗難に会い、窃盗犯に捨てられたかだった。自分の物と認めた後の明快な物言いが消えたことへの不審が頭をもたげていた。

ビッグイシューは、路上脱出のための自立活動。その収益は生活再建に結びついていないといけない。営業中の酒気帯びは勿論、その収益が酒代になることは、李下で冠を正さずではないが、お客さんの誤解を招くことは避け、生活費の一部として使われていかなくてはならない。この辺の信用が揺らぐことばかりが続いていた。このままでは、彼は資格剥奪となる。彼が提案していた基本情報カード作りも、18日が終われば定例会までの日、何の進展もない状態では、彼の進退は行き詰っている。抑圧されたものの活動は、かならず内輪もめや酒の問題が出る。その自浄作用が問われているのだった。販売活動は聖職者の活動ではない。しかし、自分の目的と決意は明示し続けなくてはならない、販売活動はお客さんとの双方で支える路上脱出の社会活動。ただの食い扶持の販売活動ではないのだ。

警告をしたが、販売中飲んではいないという応答が帰ってきた。彼は客を語ることがなくなっていた。こここそが大事なところ、活動の命なのだが。

定例会で5/18レポートは実名等を改訂することになった。

来月、関係団体の集まりを開く。その日程調整に入ることになった。酒気帯びは、なんとも愚かしいことだが同調者がいる。困ったことだ。東京事務所とはあと2週間の猶予を何とかもらっている。販売場所近くの路上で宴会をするような無神経な真似は、モラルの問題。客の意識と対決するつもりなら販売資格はない。

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Oさんに送ってもらったが、玄関扉向こうの洗濯物と食器の山が迎えてくれるのは、相変わらず嫌だった。ところが母はまた胃切除の後遺症のダンピング、嘔吐に苦しんでいた。家事を済ませ、翌日配達の生協の申込書を仕上げ、今日回る入所希望先の書類を整えると午前2時半を回っていた。父の排尿を手伝いやっとPCに向かったのが3時。この間に夜間傾聴の申し込みがなかったのは幸いだった。傾聴待機。うたた寝をしていた。6時消灯。

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今日は、午前中に病院に行けと言ってあるが、早朝、母はおきなかった。8時ごろ、私は爆睡中、6時に寝たことを知らず、起こされてしまった。今日引き落としがある入金(実はあとで母が一日間違えていたことがわかるのだが)を忘れていたから駅に入れに行くと言い出した。では一緒に出ようと応答し、階段下に父階段徘徊対策のバリケードを作って、ふたりでタクシーを呼んで乗り込んだ。母を強制的に病院で下ろし、私はそのまま駅前のATMへ。

父をそのままにしているので、帰りのバスに乗ったものの気が気ではなかった。母にはメールを打っておいた。調子が悪ければ連絡せよと。母はしばらく帰ってこなかった。父に朝食兼昼食を食べさせた。糖尿病患者には血糖値が急変する食事はよくない。それはわかっているのだが。…私は巡回までの時間とにかく眠ることにした。

起きると母がいつの間にか帰ってきていた。病院で知人とあったので、昼食兼ねてお茶を飲んできたのだと言う。嘔吐は治まったと判断した。

私と母は、百日咳風の風邪をひいていた。薬を飲むと惚ける。昨夜もあすなろ会定例会に食材の入った買い物袋を忘れてきた。Oさんの厚意で車を戻してくださったので、問題にならなかったが、この間、傘やら魚の切り身やら、とにかく忘れてしまう。丁度売薬の咳止めが終わったところなので、風邪薬を飲むのをやめた。

父の足の弱まりから、階段騒動や、ベランダ騒ぎの格闘をしなくて済むようになったことは、精神的に楽になった。しかし、水袋のような横たわった身体を扱うこと、加えて排泄処理負担が爆発した。母が介護から手を引いたことが更に追い討ちとなった。入所の見通しをつけなければ、私自身が介護でつぶされてしまう。

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入所先巡回をひとつ取りやめにして、藤沢側の小田急線沿いのある老健を訪ねた。相談員さんと話したが、先客が居るので日を改めることに。とにかくこちらも空転が多い。思いは思うように動かない。

相模大野で月末の報告をして、湘南台で降りて、ライフタウンで買い物。大庭図書館の不登校児の親子学習会をやっていたNさん宅を訪ねた。また空振り。そのまま辻堂経由で帰宅したが、家に戻ってみると母が忙しそうに洗濯をしていた。わすれていた。明日金曜日から父は小谷の特養にショートステイ3泊4日することになっていたのだった。ショートステイ1日前には、訪問看護師さんが父に浣腸をかけに来る。それを忘れていたのだった。

忘れ物はまだあった。辻堂図書館は特別整理日に入ってしばらくの間休みになる。その期限切れになる書籍を返さなかった。そして夜間傾聴の彼に約束した新書を買い忘れたのだった。通販で送り出すことも出来るが、手渡したかった。ドジであると彼に謝りのメールを送った。

明日から楽になる。母の神経内科検査は土曜日。

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父、22時、午前2時に排便。「2」づくしと茶化して母に伝えるものの臭い冗談は笑えない。始末したおしめの袋は、庭の箱にまとめた分とともに、ゴミ回収の場所へ。就寝3時。5時ごろ傾聴。

夜間傾聴:□□君(仮名)
     ******君(仮名・23時)


(校正2回目済み)

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5/25・26 入所先めぐりと介護度判定員来訪を経て

2010-05-29 06:04:25 | 引きこもり
2010/05/25 記
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父の入所希望先まわりを再開している。昨年末ある不登校の高校生の主宰するブログに「中小企業は『火の車』」と書いたら「中小企業は、そんなに格好良くない」と、何か勘違いされたが、認知症の在宅介護家庭は家計「火の車」日程火事場である。入所希望先まわりのバス待ち時間に割り込ませて銀行の列に並び、銀行入金・振込のATMの列の長さに、焦り耐え難い自分にため息をついた。

父はいわゆる四人部屋は無理だ。もともと支配の好きなタイプだから衝突が絶えないだろうし、まだら惚け状態なので、より認知症が進行している方と同室すれば、家に帰ると暴れ始めるだろう。父の場合は個室、いわゆるユニット型が前提になる。今回訪問したところは老健だが、病院直結棟の古いところで四人部屋ばかりだった。相談員さんに父の気性を告げるとたちどころに、「協調性のない方は無理」と断られてしまった。

訪問したもうひとつの老健は、これも病院系列のところ。認知症フロアがあって、父のような「まだら」の場合も認知症フロアで扱い、個室があるが男性5床。そこの順待ちとなる。そこまではよかったのだが、その後の話が変なのだ。周辺施設では順待ち数百人というのに、ベッド数が5床だから5人待ちですという。健康な方は1~2年で出てもらうが、経営団体の**病院が、より体力のなくなった方の長期治療入院システムがあるので、そちらを予約してもらえば5年でも10年でも老健利用可能という説明。背筋が寒くなった。病院の長期治療入院システムがおそらく個室で高いのだろう。他の事業所と全く説明が違うことで、それがわかったが、こわいこわい、こちらもダメ。

今日は、父のデイサービスの帰宅時間内の制約が合ったので、巡回はこの2ヶ所。結果は玉砕である。母が体調が悪いのは事実だが、加えて母の家事介護を放棄したツケが私に回っており、抜け出すゆとりが全く無くなった。

イトーヨーカ堂通販が大人向け介護用品販売から撤退したらしく、私が紙パンツを買えば交通手段が徒歩なので、他の買い物が大幅に制約されてしまい、買い物は二度手間になる。車が欲しくなる時である。通販が撤退するのは痛い。PC通販は親の面倒を見る年齢層を取りこんでいないのだろう。若い層では、ニーズは乳幼児の方の紙パンツである。

母と私が百日咳風邪に感染したらしく、これが父に伝染すると父のホームの預かりも拒否されてしまう。こうして制約がいっそう増して、なにやら八方塞がりの雰囲気。されば地下にもぐるか昇天するか。3D志向なりと馬鹿なことを考えているが、今週は冷や汗の一週間になりそうだ。

今日はこれから、市の介護度判定員の方が来る。時間は短いが父の状態を整えておかなければならない。眠っていて起きないのでは話にならないだろう。介護度3から4へと移行してくれれば、月々のショートステイ回数を増すことが出来る。もうひとつは入所順待ちが有利になる。しかし父が「馬鹿にするな、こんなことやれるぞ」と頑張れば、判定は低くなってしまう。矛盾の多い判定法なのではあるが。

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2010/05/26 記
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介護度判定の検査員の方が昼前に訪ねてきた。前回の方と同じ方のような気がする。父に会う前に家族から介護状態の問診があったが、母と私とのふたりで応答するが、実際この辺はどうしたものかと母と話しあっていた。というのも、私が入ると家族の介護従事者がふたりとされて判定に不利になるのではないかという話だったのだ。ところが母は父に直接関わることをしてこなかった。乱暴で重量感ある父の身体を動かすことが、胃切除し体重が15kg減り身長が10cm減っている母の状態では無理だという判断によるものだった。これは母の主治医からも止められていた。つまりは母は私の介護補助に回っていたという事情があった。

このことが、母の意識の中で父の状態を語ることへの忌避意識と結びつき、他者から現状の説明をうけるとき「わからない」と言って対話を遮断してしまう状態として出てしまうこと、つまり自己抑圧のストレスフルな症状が言動に出てしまうことにつながっていた。判定員の方から質問を受けたとき、心にブレーキと応答遮断が入って、それと戦いながら応答する状態になってしまうのだった。この父への関わりの抑圧状態は、母の心身症とつながっている。

このため判定員の方には、私が介護家族従事者数に入る不利を承知で、応答は私が行うことを事前説明した。母の状態把握をして欲しいと伝え、この抑圧が最近心身症として母に現れて父の分担比率は大半が私に集中し、私の仕事や活動をがんじがらめにしているので、いつ在宅介護体制がつぶれてもおかしくない状態であると伝えた。

ところが我が家と同じように、妻が夫の介護を支えきれず娘さんが支えているという例は多い。息子が介護を支えている例は、店舗経営の自営業者にはいるが、少数派であることを相談員さんが語ったので、応答できるから大丈夫と伝えて、そこから問診が始まった。しかし丁寧に応答すれば、介護が出来ることになって判定されてしまう。父だけでなく家族もまた板ばさみになる制度なのだ。

父の症状の進行は3月初めごろのある日を境に急激に悪化している。はじめ父が風邪による下痢を起こしているせいではないかと思われたが、麻痺側の手足の状態悪化(掌の巧緻運動・脚の歩行時の前に振り出す筋肉への伝達系麻痺・麻痺側の身体幅感覚の麻痺~ふつかる・体側傾斜~・腕の振り子運動~ぶらりと揺れてしまう~等)が一気に進んで固定化した。更に昼夜失禁が始まり、逆に意識ははっきりしだしていることを伝えた。状況把握はそれ以前よりクリアなのだ。

血栓が跳んだような麻痺の現れようで、昨年末診断のために撮ったMRIによる診断は、じわり小脳と連合運動野の萎縮の進行、飛び散った血栓の影響からじわりとあちこちの小さな萎縮が広がって何が起きるかわからない十数箇所の萎縮部を抱えているという診断があること。特に小脳と連合運動野の萎縮の影響が出てくるだろうという予測を示していた。

このことは判定員さんには、父の主治医から意見が出ているはずだった。

父の5m以上の自立歩行検査はつかまり歩きと脚の細かい振動が極端となったので、危険と診断されてベッドに戻り、不可能と判定された。失禁については、それ以前に常態像としては起きていなかったこと、それが歩行困難による「間に合わない」ものであるか「無自覚」のものであるかの区別の話となった。

男性高齢者の半数は前立腺肥大を起こしている。尿意の麻痺と頻尿が特徴。しかし父の場合は、大便と小便の便意の混乱があって、立って小便中に大便が漏れていく場面が頻発していること。介護の指示は明確な意思によるものではない物忘れが入って即座に忘れられており、ワーキングエリアの機能低下ははっきり観察できることを伝えた。

自分の便のこね回しのような状態はなく、日常の定形会話は訪問者が舌をまくほどに達者だが、時間感覚や場面認識に突然の歪みがでてくることをチェックした。本籍や季節・日時確認は前回よりも良い結果。しかし、長谷川方式の一部慣れもあって、例えば桜・ねこ・電車と父は暗唱していた。だから同じ質問をしないようにという話では判定員さん、苦笑い。

前回ほど父は力まなかったのでよかったのだが、母ではなく爺ぃが応答したことは、違和感が残ったようだ。介護者がいることが、緊急度が低いと判定されたら遺憾。在宅介護はひとりで抱えることは出来ないし、まもなく母の介護も始まっていく段階に入ったことを伝えた。

果たして父の介護度は3のままだろうか。この判定員さんが帰った直後、父がポータブルトイレへと、自力で移る途中、足に椅子を引っ掛けて、椅子を倒し、サイドテーブルごと抱えるように転倒したのには、やるだろうと観念的に思っていたことが、こうも現実的に起こってしまうことに、わかっていたのに虚を疲れたような違和感を感じたのだった。勿論、周辺は尿の海の中、父が捕まるものを求めて床であがいていた。休戦終了の状態なのだった。

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判定を終えて母は昼食を食べずに寝床に潜り込んでしまった。父の転倒が重圧だったようだ。私は古着の介護用ユニフォームを作っている。失禁で背中までびしょ濡れになっている父を抱えれば、私の衣服にも排泄物が着いてしまうからだ。以前は裸で対応したが、私自身がひっかき傷などを負うことがあり、感染症が怖いとわかったからだ。急な自体には着替えていられないから、パンツ一丁になり即応するが、時間が取れるときは着替えて対応する。

今回は便が出ていなかったので、比較的に処理が楽だった。しかし父を起こすのは私に捕まらせると、私の腰がやられてしまうので、四つん這い状態から、実は利き足を軸に反転して起きるのだが、つかまりにこだわり、全く指示が伝わらないので、両手を股の間に近づけて腰を上げていく、いわば乳児の立ち上がりと同じ形をとらせようとするが、これもつかまりのこだわりが邪魔して、ものにつかまる状態、歩行器につかまらせて力技で引き上げる最悪の方法で起こした。

床にあぐらをかいてしまい、四つん這いが出来ないで座り込んで立てなくなってしまう。この辺の学習は全く進行しなかった。

自閉症スペクトラムの方への指示が、こだわりと衝突したとき、私はそれが炎上しそうなとき、別の回避の道を探っていく。しかし、父が転倒した状態から身体を起こす方法は、あるのだろうか。放置すればその場で次の家具の引き倒しが繰返される。感情の衝突をに至らぬように、ガス抜きをしていくが、これが私の出かける間際に起きたり、来客などの両立しない状態で起きたときなど、やはり困ってしまうのだ。この転倒は連日1回は起きている。

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父との多胎上がり問答を終えて、当初安全策として1時間のゆとりを取ったことがよかったのだが、昼食を取らなかった母と同様、私は昼食抜きとなった。シャワーを浴びて出かけるのが精一杯。尿失禁で汚れた洗濯物の山をまとめて、母に帰宅後に洗濯するから手をつけるなとはっきり指示して出かけた。これでも母は、私の留守中、洗濯物と対決してしまう。それを煮詰めてしまってはならないのだった。

18日の懇談会レポートを何とかかきあげる時期に来ていた。あすはあすなろ会の定例会なのだった。今回は相模大野の保護者面談。引きこもり相談といわれているが、正直って引きこもりたい気分が、私の心の中で漏れ出しているのを自覚していた。

仕事を終えて、藤沢で遅い食事を取った。買い物を済ませたところで、嫌な気分に襲われた。電車に乗りたくないのだ。二駅とはいえ、満員電車に買い物袋5つ6つ抱えた状態で乗り込みたくはなかった。買い物袋を持ち歩く抵抗感はもう既になくなっているが、キッチンタオルなどが貼ったボリュームのある袋を担ぎこむ気にはなれなかった。しかし南仲通理経由茅ヶ崎駅行きは1時間に1本。まだ40分以上あった。結局辻堂駅行きを乗り継いで茅ヶ崎駅に到着。某コインロッカーに一袋残して詰め込み、サポセンに向かった。このロッカーは、買い物をすればただになる。しかしなかなか空きが無いところではあった。

サポセンで文書校正と印刷を済ませて、ロッカーのある場所で追加の買い物を済ませて帰るところで、気持ちが切れてしまった。結局北口駅前からタクシーに乗って、荷物を詰め込んだ。こういうときバス停を越えて、踏切間際で降りることにしている。ところがこれが失敗のもと、踏切のシグナルに急かされて、袋のひとつを渡りきる間際に落とし、中の卵を割ってしまった。こういうひとつひとつの失敗が異様に膨らむのが精神病。その状態を知る者が危うい道に踏み込みつつあった。

帰宅後すぐに夕食となった。父の分を出した後、母とワインを飲むことにした。料理用の白ワイン。これは魔よけ。母は知るよしもないが、奇妙な誘いに乗って、夕食は夜食に切換え、仮眠を取ることにしたのだ。


夜間傾聴:□□君(仮名)


(校正1回目済み)

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5/23・24 母の眼科検査を終えて/ベーシックインカムを引きこもり青年と論じ

2010-05-26 14:43:16 | 引きこもり
2010/05/23 記
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年齢が高くなるほど疲れは、一日置いてやってくる。母は体のだるさを訴えてベッドから起きてこない。こうなるとそれを不思議と察知して父が面倒を起こす。介護者の様子の違いを読んでいるのだろうか。乳児が母親が疲れているときほど、ぐずり、泣き出すのと似ている気がする。

横浜の眼科診察の21日、手首に軽い捻挫をした母を家の前まで送った後、その足で辻堂に戻り、相模大野の巡回に出かけた。辻堂駅は翌日の土曜日の夜から翌日の朝まで、JRは変則的なダイヤになり、辻堂を通過してしまう。面倒を避けるために、藤沢経由の巡回は金曜日に済ませておきたかった。

ところがさっぱり雑用は無くならない。私たちの留守中に、介護用品の店の**商会から留守電が入っていた。FAXを入れようとしたが切断されてしまったという。そういえば、あすなろ会のOさんからのFAXもエラーになっていた。夜間傾聴のFAXは、TIFF形式でPC手動受信しているので、地デジをBフレッツで受信契約したとき以来、FAX受信を試していなかった。メンテしてみる必要がある。ともあれ**商会は、横浜の県サポから徒歩数分のところにある。わかっていれば、商品をついでに受け取って帰ればよかったのだった。

それは粘着力のあるシリコンシートだった。食器を載せると滑らないため、食器が箸やスプーンの圧力に耐え、移動しにくいので食べやすいのだった。食器の糸尻の大きいものを選べば安定する。むやみに取っ手をつけたり、つい立てを立てたりしないシンプルな発想が気に入っている。

**商会に応答を書き、受け取りにいくと書いたものの、土日のは休み。次の月曜日は、父のデイサービスの日で、16時半には家に戻っていなくてはならなかった。包囲網のような時間拘束には、効率化した動きで対応する以外にない。デイサービスは朝9時に父の迎えが来る。寝室をそのあと拭き掃除して、ぐっしょり濡れた布団と毛布を干す。びしょ濡れの衣類を洗濯してベッドメイクとポータブルトイレの排泄物を捨てると、11時になる。

母の昼食を指示して、駆け足でバス停に飛び込む。結局デイサービスの日は、この4~5時間が勝負。そこに食材の買い物が入れば、巡回はひとつ入れられるかどうか。鶴川のときは、乗り換えがひどく、バスに乗り継いで帰ってきたら、移動時間でタイムリミットが来てしまった。

こんなことだから、家の夕食は母に任せたいが、父の紙パンツ交換が体重のある父ではうまく行かない。結局一度帰らなくてはならなくなる。交通費は2回分支給されないので、給与がその分自己負担となる。食事時の父の排泄欲求は、そのまま放置すると裸騒ぎが起こるので、頭が痛い手間のかかる問題なのだ。

そんなことを考えながら、ポメラを使って偶然席の空いた小田急線車中で、巡回レポートを打ち込んでいた。私の眼は両眼とも網膜色素変性症に冒されているので、薄暗くなると古い映画フィルムのようにちらつき、視野の下側が白黒の炎の火事のようなちらつきが常時見えている。このまま右目失明になったら、現状が支えられなくなる。報告を書きながら、どうしたものかと暗澹たる思いになっていた。

家に戻ると、私の部屋の本の山積み状態が整頓されていた。私の作業場はいじるなと言ってあるが、母が片手で整頓していたのだった。その被害があることはあるのだが、人は不思議なもので、疲れていると余計頑張り、普段やらないこともやってしまう。その結果、蓄積した疲労が爆発してしまう。母の時限爆弾はこうして仕掛けられた。

22日(土)父は先方の送りの関係で帰宅が2時間遅れた。母が全く寝床から起きられない状態になっている中、初めから遅れがわかっていれば間に合う仕事が、手がつけられず、待ちぼうけになってしまう。ベッドメイクを確認して、近所の生協に買い物に出た。

買い物途中母から電話が入る。私ひとりでは、父の帰りが出来ないと足止めの電話だった。もたれかかりはしないが、信用されていなかった。母は不安なのである。しかし、こうした日常の小さな亀裂が家族を蝕んでいく。

父は元気だ。不安定な足元を省みず、父は異様な速さで階段を昇ろうとする。動かない側の足がつま先しかかかっていないのに、階段を急いで上ろうとする。元気なときは元気なときなりに危険と隣り合わせなのである。案の定、魔の10段目で、父は足を踏み外し、全体重は私にのしかかった。予測していたから対処ができた。うっちゃりを打つように階段に座らせて難を逃れた。父は私が幼い頃から強引だった。そのために被害が周囲の家族に及び、後始末に苦い思いをさせられてきた。今も指示に従わない無茶な行動は、事故とすれすれの状況のなかで、繰返されている。

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2010/05/24 記
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母は翌日も起きてこなかった。私は日送りで溜まっていた巡回をこなす必要があった。引きこもり青年の湘南のサポート団体の仲介を依頼されていた件で、巡回の移動中、湘南ライフタウンの当事者++さん宅に電話をいれた。この方はすでに引きこもりを越えて、一児の父になっている。家業を継いで湘南台の実家で商売をされている。傍ら横浜で身体障碍の方たちの移動ボランティアをされていて、湘南台や横浜泉区や瀬谷区周辺の市民活動に詳しい方だ。2ヶ所紹介してくれたが、私の全く知らない団体だった。ただそのひとつは、元小学校教員が立ち上げた教育保証活動が重点で、成人の彼の居場所ではない活動だった。本当に東海道線・小田急線の駅前の活動のマッチングはなかなかとれないのが現状だった。

私は父の状態から帰宅1時間圏内に緩やかな制約を受けている。この中なら、逆に先方の非常事態に駆けつけることも可能だ。今回訪ねた青年は、同じ自営業者の家庭の方で、家業を継ぐというところに重圧を感じている方だった。ライフタウンの彼と一度出あわせてもいいかなと考えている。こうしたピアサポートを組織したいと常々思っているのだが、巡回活動からは支援チームを作ることには、なかなかうまく行かない。関係者の出会いが案外少ないからだ。今回紹介してもらった支援団体も私は存在を知らなかった。情報が紅葉坂のネットワークに出かけていないと、情報が古くなっているのは否めないだろう。

私は引きこもり青年や、高機能自閉症の青年などの地域就業活動が根付くことを願っている。従来の居場所からコンディションを整え、企業のひとコマになっていく一連のスタンダードの活動(療育型の医療モデル)に、ひとはつながりの中に意味を生み出して活きている、その潜在化している情熱を活動として対置したいと思っている。その活動のパラダイム転換を込めた活動を生み出したいと考えている。生き辛さを抱えた者が、経験を活かせる活動を作りたいと考えている。その関わりの接面に活動を見るがゆえに、常に活動は横断的であり、境界線の上に立つ。野宿者の活動もその極限の接面を描くがゆえに、私にとってはひとつの活動なのだが、実際は野宿者支援活動であったり、軽度発達障碍者支援だったりと、その領域の活動をしている方たちには、互いは無縁の活動に見えている。媒介していく実践が問われている。価値に気付いている方に出会いたい。移動中はしょっちゅうそんなことを考えている。

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途中、辻堂図書館と茅ヶ崎図書館で借りた本の入れ替えをした。ヴェルナーと立岩真也のそれぞれの「ベーシックインカム」が届いていた。「概要」のところを見ていただければわかるが、所得の社会保証を一元化して基礎所得を提供してしまう。こうしたら、人はどう行動するだろう。税制上、5~6万円の線が想定されているが、目的別保証と違いいわばばら撒きになる。巡回した青年と話していたのは、生活保護に近い金額まで上げた場合の話だった。糊口を継ぐ収入があったとき、ひとはどうするだろうかという問いかけだった。マスコミやTVが四六時中放映している宴会文化に沈むか、子育て、高齢者介護を放棄するだろうか。

年中、就職して働けといわれている彼にとって、この問いは刺激的だった。論点を避けるように、そんな政策は非現実的だと彼は切り捨てた。人が文化を生み出す動物だとプラグマチックに断じるところから性善説を論じれば、影として性悪説が対置される「ファンクラブの対決」をしても意味がないので、先験的な概念を下ろすのではなく、自分の経験に類似した考えられる場面を想定して双方の可能性をまさぐっていく。彼には新党日本の田中康夫氏たちが政治の場で唱え始めていると、いわば「非現実的」という「常識」がすでに崩れている時代にいることを話した。中高生とは違う成人ゆえに成り立つ議論だと思っている。

私は自分の「身の始末」のなかで生計をたてる、「独り立ち」していくことという観念が、「生計のために働く」という労働の矮小化を生み出していると思っている。障碍ゆえに生計活動に携われない者が、人間的価値が低いとは思わないし、働かないことが絶対悪とは思っていない。引きこもり者支援や、野宿者支援の活動が「怠け者」支援などとんでもないという偏狭な論との水際の議論がなされる、強い矛盾を孕んだ領域だと思っている。ひとはボランティア活動を「余剰活動」や「戯れ」にしたがるが、ひとに関わる仕事はもっと豊かであると思っている。ましてや社会活動のように、諸価値の軋轢の中に流れていく活動は、ひとの社会的な存在を問い自己実現へと取り結んでいく活動であるがゆえに、生計活動を大きくはみ出している。

その社会活動の世界から垣間見るひとの活動は、衆愚誘導的な消費活動に私的な活動のすべてを染めていくようなマスコミのプロパガンタをはみだしていくものだ。遊んで暮らすのが善い悪いという切込みとは次元の違う世界がある。引きこもりが、遊興を楽しむ世界ではないのと同じように、身のリアルは存在している。

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私はビッグイシューを辻堂図書館と茅ヶ崎図書館に置いている。かなり読まれているようで、行くたびに異なるバックナンバーが最新号と並んでいる。ところがバックナンバーが時々紛失してしまう。持ち去られるのだ。発見し次第補充している。時には月間数冊のときもある。

5月上旬の販売部数はさんざんだった。連休と雨天、販売員Eさんの就職活動が尾を引いた。指定送付部数をはけなかったのは初めてのことだった。下旬で巻き返す以外ない。金曜日に支払いを済ませたが、最盛期の半分である。

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夜間傾聴:なし


(校正1回目済み)
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引きこもり青年の受け皿は軽作業の職場であってはならないのだろうか/母の精密検査

2010-05-24 06:17:02 | 引きこもり
2010/05/21 記
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母のセカンド・オピニオンの眼科精密検査(内科は曜日変更あり)が21日だったので、瞳孔を開くために同伴者が必要だったため、前日20日から臨時に父のショートステイ2泊3日を決めていた。ショートステイの前日には、訪問看護師さんが父に浣腸をかけにやってくる。痔の容態のチェック・糖尿病の血液採取を同時に済ませていくことになっていた。

今回はデイサービスの帰宅時に合わせて、訪問看護を頼んでいた。父にとっては、帰ってきたら突然浣腸をやらされたということになる。高齢者の身体は若い身体とは様相が違う。浣腸をされても腸液が出るだけで便が出ないこともある。腸の運動が衰えているので大腸に便が降りていない場合があるのだ。小腸は爆発寸前に張っていながら、便秘をしてしまうのだ。こうなるとセンナ系の便秘薬で便を下ろしてくる以外なくなる。ところが父は、このセンナ系の便秘剤にも鈍感なのだ。宿便が肛門近くにたまり、丁度栓ができるようになる便秘の形とは、今回は違っていた。浣腸をしても便が出ないし、摘便しようにも肛門の周りに便がなかった。このため、服薬・注射などの処方を行わねばならず、訪問看護師の自己判断では対処できなかった。これからこういう事態がますます増えていくだろう。どうしたものかと、看護師さんと話しながら、父をひとり残して、ふたりとも玄関を出た。私は障害者雇用部会に出かけたのだった。

この父の慢性便秘対策は、翌日のショートステイ送り出し時のトラブルとなった。階段のトラブルではなく、父の外泊拒否が出てしまったのだった。臨時にショートステイを入れたので、普段行きつけのホームではなかったために、ホーム職員ではなく、ホーム外注の介護タクシーの職員が迎えに来た。このため、きちんと引きつぎが出来ておらず、予定時刻より10分早く迎えにきた。階段介助のヘルパーさんは、いつもの調子で準備していたが、早く迎えが来たので急いだ。これが拒絶の契機となった。殺し文句は「お風呂」だった。尿漬けの体を洗ってくることは、父にとっても魅力だった。延々と説得し父をその気にさせた。しかし冷や汗をかいた。ここで送り出しが失敗したら、日送りしていた巡回の時間に間に合わなくなる。我が家の方で介護タクシーで父を運ばなくてはならなくなる。猛烈な時間を食らうのが介護。かりかりに心が乾いていく。

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この日巡回は小田急相模原と、日送りしていた相模大野の2ヶ所をとにかく回った。しかし私の巡回先は引きこもりというしんどさを抱えた青年の元だ。だから簡単に時間調整をすることが出来ない。相手の調子に合わせなくてはならないからだ。障害者雇用部会の会場で、ある特別支援校の教員の方から引きこもり青年を引き受けてくれるところはないかと相談を受けていた。私は生業のエリア内で、直接相談を引き受けることは出来ない契約になっていた。しかし担当する青年の人数はレギュラー君たちを除いて大幅に増減し、正直のところ有料ならば、湘南東部と隣接市の範囲の請負いをしたかった。契約があるので、常時巡回エリアの方が実際、紹介もあるのだ。しかし、契約違反にならない地元では、偶然を待つ以外ない状態だった。しかし父の状態はこれからますます悪化する。となれば、個人で請負うのは引継ぎ交代要員がいない。無責任になりかねないのだった。巡回をしながら、綱渡り状況にため息をついていた。

私はまず心理カウンセリングの実績のある「ぽれぽれ」に連絡を取った。しかし、歴史が長いために高齢化が進み、当事者宅への訪問カウンセリングが無理との応答。次に引きこもり経験者のMさんの主宰する「ヒューマンスタジオ」に連絡を取り、Mさんの快諾を得た。あとは仲介を行い、Mさんと当事者家族・先生と顔合わせをセットすれば役を終える。私はここに仮名で書いている青年たち以外にも巡回先を持っている。春先に東京南部の青年・中年たちの夜間傾聴を終わらせた。父の不規則な介護が原因だった。そして今、急性期にある、青年ひとりを引き継ごうとしている。仕事への誇りがひとつ地盤沈下していくのを感じていた。

小田急線の車内で飛び込み自殺をした故**君のことを思い出していた。28日が命日である。繰返してはならないこと。今、話している青年たちとの出会いを煤けさせてはならないことだと両手で吊り輪につかまり、顔を隠した。

母の検査の前日20日、我が家と巡回先を行き来しながら巡回を複数重ねて、ともあれ滞っていた数を稼いでいた。

母に「カマスのマスタードソース焼き」を食わせるために、帰宅時間に追われることなく蜂蜜を買った。翌日のでかける段取りを話しながら、父の制約のない急に訪れた緩やかな時間の流れをじんわりと感じていた。

たまっていた事務処理や、ブログ日誌を書いたが、野宿者支援者の懇談会報告や、精神・発達・知的の当事者の横断懇談会予定配布資料を作らなければならなかった。こういうときは、なぜか洗濯をしたくなる。

尿に汚れたシーツや父の衣類の山を0時過ぎに、急に思い立って洗い始めた。大便のときは、バケツで下洗いを数回してから洗濯機にかける。下洗いは手洗いである。悪臭の中、骨折した膝の関係で中腰が出来ないので、床に座り込むか腰を折って直立した脚のまま洗う。筋肉が痛み、つり始めるが、他のことを忘れられる作業である。母がうるさそうに背後を通って、玄関の鍵を確かめに出て行った。干し終わったのが2時。それでも父がいるときの即応体制を取っている重圧感からは解放されているのだった。私の予定を知ってか、今夜、夜間傾聴の申込みメールはなかった。

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2010/05/22 記
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神奈川医科歯科大附病院の横浜クリニックは、県サポに隣接している。寿連絡会のTさんに、県サポで会えないかと打診した。茅ヶ崎市との懇談会の継続の件と、市との協働意見交換会に参加を考えていくので、基本情報カード作りと、図書館海援隊プロジェクトの議論を始めていこうと提案するつもりでいた。

母の待ち時間と診察の時間、抜け出して県サポでの相談などと都合のよいことを考えていた。Tさんは多忙な方。かと言って母を置いて寿町の生活館まで行くわけにいかない。結局猛烈に多弁で切れ間のないTさんの語りに圧倒されながら、携帯電話対談で済ませることとなってしまった。大まかな論点に意見の一致を得て電話を切ったのだが、彼に懇談会の感想メールを頼んだのだが、この時点でも誰からも感想レポートは帰ってこないのだった。これは予測がついていた。主催者がかかなければ、参加者は書かない。困ったものだとTさんに、きっと屁でもないプレッシャーをかけておいた。(彼も書かないな…と。)

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母の診察は意外なことに年配者の医師が担当した。大学の研修センターなので、若い医者かなと思っていたら、どうやら定年退官した教官の天下り先のようだ。それはそれで、母の中途半端な症状を診るのに経験が活きるだろうから、善しと考えた。

母は痛み止めに就寝時デパスを服用していた。ジェネリックな向精神薬である。これが眼科的には副作用があって、服用をやめるように指示があった。デパスは故**君も飲んでいた。他の薬との副作用で、彼の目は若いにも関わらず、黄疸者のそれのように白目が茶色に染まっていたことを思い出した。

地元の眼科医の紹介状を届け、神経眼科への予約電話で目的確認してあるにも関わらず、外来は一般眼科の視力・眼圧検査をし、仕分け医が紹介状をその場で読んで、私たちが事前に電話で申し入れた神経眼科専門医のセカンドオピニオンを求めるという話が、全く白紙にもどされてしまういつもの歯がゆさ、虚しさを感じていた。父をホームに預け横浜に出てきているのである。階段介助の利用もただではない。それをもう一度来てくれとか、予約が立て込んでいるので、この日に来てくれと先送りされて言われる。これはここに限ったことではないが、医師の無神経を疑う。今回の総合診療を請負った医師に、無神経ではないかと抗議した。このことで、先方の指定した6月下旬の予定は6月初頭に変更されたが、なんのための紹介状かと思ってしまう。急を要する病気だったら、1ヶ月先送りなど非常識だろう。

今度は今月末の父のショートステイの最中に、神経内科を受診する。母は胃切除後、15kg痩せた。干物のように背丈が縮んでしまった。75kg前後の父の世話をすること自体もはや無茶なのだ。母の主訴はストレスからくる心身症、不定愁訴の諸症状なのだろうと思っている。母の地元主治医は股関節手術を勧めていた。母は介護している状況で原因確率の低い手術をいう医師の見識を疑っていた。介護をやめろ、舵の手を抜けとい医師は、家事介護に無縁な者の言葉だと言っていた。今回の横浜のほうも一応の基本的な検査を済ませて帰ってきたのだが、四肢のしびれと眼痛は、ここ半月に地元病院で頭部MRI検査も受けて異常なしと診断書を得ているし、それ以前にも地元心療内科から、自律神経失調症の「疑い」という診断も得ていた。その経過は係る医者に語っておいたが、どの医者も明確な処方を出せないでいた。年齢を考えて介護はやめなさいよと医師はかならずいう。それが出来ないから困っているという事情に、一緒に悩む医者はいない。

母は視野が点眼検査薬でぼやけているので、母を県サポのソファーに座らせ、私は「少し待っていてくれ」と、5階の生涯学習センターで書籍を交換して、1階ソファーに戻った。母がいなくなっていた。慌てて携帯を見ると、「(付き添いが)鬱陶しい。買い物したいから先に行く」とメールが入っていた。高齢者は頑固だ。母は好みの店で食事しているに決まっていると探したが、さすがに会えなかった。「危ないから居場所を知らせよ」とメールを出したり、電話をかけたりしたが、母はバッグの奥にマナーモードにして携帯をいれているので、アクセスにいつも気がつかないのだった。

捜索にいい加減疲れて、相鉄ローゼンの地下飲食店街の端に立っていると、手首に包帯を巻いた母が向かいから「がに股」で歩いてくるのが見えた。足が痛いと、ここ半月、歩行が「がに股」になっていたのだ。母を捕まえると、段差に転んで手をついた。手首が痛くなって、薬局で湿布薬を貼ってもらったのだと言った。それ見たことかと叱るが、付き添いが居ても転ぶときは転ぶと譲らない。高齢者は頑固だ。

この事件で、私は巡回先の定時電話を忘れていた。とにかく自炊の面倒だけはかわそうと、母に食事を取らせ帰宅した。じんわりと消耗感がこみ上げてきた。障害物競走のように、なかなか目的のことが出来ないのだ。父のベッドメイクや、紙パンツ補充を済ませて、やっと先方から電話が入った。定時電話を忘れていたことに気付いたあと、母と口論したら、見事にまた電話を忘れたのだった。先方からの電話に、米搗(つ)きバッタのように謝っていたのは、なんとも情けない話なのだった。

夜間傾聴:橋本2君(仮名)
     ******君(仮名)

《借りてきた書籍から》

●「NPOと社会的企業の経営学 -新たな公共デザインと社会創造」
●「自閉症感覚―かくれた能力を引きだす方法」(予約)


(校正2回目済み)
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5/18 茅ヶ崎市生活支援課&雇用労働課との懇談会は盛会で/ 障害者雇用部会と発達障碍支援の10年

2010-05-22 16:30:39 | 引きこもり
2010/05/17 記
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父の介護と母の不調をめぐって、雑用が立て込んで異様に忙しい週が過ぎていく。父の歩行は体調の緩やかな反復を繰返しながら、ある日を境に少しづつ衰えている。きのう出来ていた麻痺側の足の引き寄せが、今日は突然全く出来なくなって、ものにつかまって身を引き寄せる父の試みも、思うようにならぬ状態、すわ、「もはや立った階段昇降は不可能か」と思わせられたかと思うと、便を出したその日から、足の運びが復活。食事終了時、「ベッドに戻るのを手伝うから待て」というのに、ベッド柵を乗り越えて飛び込んだうつ伏せ寝の姿勢のまま、ベッドに何分も倒れていたりした。

その日、父は極端なもの忘れが再開、目の前の熱い食事の好物をさます途中、母が洗濯物を持って入室したために、逃げるように食事をせずにベッドに戻ってしまった。文句の多い母が嫌なのである。ベッドに戻るとき、麻痺側の腕をひねった状態で、うつ伏せのまま姿勢を変えられなくなり、父は大きなうめき声をあげた。母が父の姿勢を直したところ、父は「食事はまだか」と言い出した。つい先ほどまで食事をしていたことを見事に忘れていた。

その早朝、地響きをたててベッドに向かって床に叩きつけられるように父は転倒した。救援に私が部屋に入ると、麻痺側の足がもう一方の足に交差していた。便に汚れた紙パンツを自分で交換しようとしたのだろう、交換用の紙パンツを置いたソファーの近くに、汚れた紙パンツが脱ぎ捨てられており、周囲は固形物の少ない下痢便の汁と、真っ黄色の尿が踏みつけられており、周辺は凄まじい悪臭をたてていた。父の下半身は裸だった。つまり父は歩いたのだった。

父は軽い会話は出来るが、椅子に座った状態から動くなという指示は、即座に忘れてしまう。私が後を向いて介護手袋をしているうちに、父は糞尿に汚れた身体のまま、ベッドに駆け込み、見ると麻痺側の足をベッド面に上げて入ろうとしていた。これは足が動くのかと思うと、ベッドメイクのために父を立たせ床に下ろすと、父は突然尿意を催して、数m先のポータブルトイレに向かってつかまり歩きを猛然とはじめてしまった。ところが麻痺側の足が全く動かず、足を引き寄せられないまま、その場で失禁してしまうという状態が繰返された。

尿漏れに気付かず、目に付いた傍らの食べ残しオレンジを突然手づかみで食べ出し、容器を利き手に抱えたままオレンジごと棒の様に床に倒れこんでしまった。容器は家具に当たってバウンドして部屋の彼方に転がり、父は食べたオレンジを噴き出し嘔吐しながら倒れていた。大局の場面を忘れ、身体幅感覚を忘れて麻痺側半身を家具にぶつけたり、尻ひとつ分ずれて、何もない空間に腰掛けて尻餅をついたりと、不可解な失敗を繰返した。私が入室したとき、TV前から猛然とベッド出入口に「走りこんだり」と、父の足の状態は、まだら周期的に変化した。

一人で歩く場面があれば、それは自立歩行できることになる。ところが排泄に自力でトイレに移動しようとしたときは、麻痺側の足が突然、錨のように全く動かずに転倒した。他の場面でも、麻痺側の足が予想外に、全く動かず邪魔をする場面が繰返された。しかし2ヶ月前までは、麻痺側の足の引き寄せができた。それが今は全く出来なくなった。

3から4への介護度を決める判断材料の一部が「自立歩行」である。父はその境界線を揺れ動いた。失禁と床座り込みが爆発的に増え、昼夜3~4回紙パンツ交換と着替え。緊急出動回数は減ったし、派手に床にもんどりを打つことは無くなったがベッド周辺の、家具すれすれの狭い空間の、いのある危険な転倒が連日1~2回繰返された。父の洗濯物と取り替えた紙パンツの量は倍増した。

母の不調はこうした介護の手間隙が急増した中で、当然のようにして起こった。不定愁訴から鬱へという流れを拡散させ移行させまいと私が手を打っているが、母は胃切除後のダンピングが頻繁になり、母の体力を奪った。母の不調の主訴が眼球奥の引きつれと痛み、瞼内の異物感。加えて朝晩の強烈な四肢のしびれと不眠が始まった。老老介護を余儀なくされている状態の中で、介護チームの双車の片方が外れかかっている。

17日、毎週月・水の父のデイサービスの階段降下時、父が突然歩行の意志を失ったかのように介護者に突然寄りかかり、足が外れて転落の危機が起きた。

即座に、利き側が階段面側になるように階段進行方向ではなく壁を前にして横向きになんとか座らせ、咄嗟の判断で危機は回避できた。

この座位のまま、利き側の手足を使って階段を下ろす方針をヘルパーさんとその場確認後、父に座ったまま降りる説得をし、移動補助を始めたとき、指示は見事に無視された。利き腕で立ち上がるという危険行為に必死にこだわり続け、座らせようとする私ともつれたまま、階段1段飛び越して、下の段まで転がり落ちた。従来のやり方へのこだわりが猛然と始まり、父が暴れた結果、私の眼鏡ははずれ、介護手袋は引きちぎられた。

父の炎上を冷やしつつ、なんとか階段を引き下ろしたが、現状打開策の新たなことは、なかなか始められなかった。父は憮然とした表情で出かけていった。

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この日、朝10時から「市会議員と話す会」が催されていた。路線バスに飛び込むようにして移動。集まりの悪い会場の奥、一般就労のテーマのテーブルに着いた。前夜、夜間傾聴を縮小しようと整理に入っていた矢先、レギュラーのひとりから、早朝の魔の時間に、私とたわいもない雑談することがどれほど支えになっているかという、夜間傾聴縮小反対の訴えを聴いた。

彼は進学を選び、バイトをしながら自分の症状軽減を待った。バイトというのは、引きこもり状態のままでいることを、彼の努力不足として同居の祖父母が許さなかった。彼のように症状と付き合いながら働くという事例の多さを私は常日頃、感じていた。しかしバイト先は心の障碍を理解しているわけではなかった。このような就労前就労のような、居場所とリンクした、地域のプレ就労の場の設置の大事さを論じた。

同時に、就労を企業へのあてはめの発想から抜け出す必要があり、川崎の日本理化学工業大山泰弘会長の「働く幸せ」の主張のように。「人とともに活きる」中に就労を置く発想への転換(労働価値と社会参加)から考え直していく必要がある。この「ひととつながる」営みとしての就労をプレ就労は本質的に孕む必要があるという労働の価値論議をしていた。S議員と元町の家・松の実会の方たちと話すことができたのは収穫でもあった。

このプレ就労の場は、地域のセイフティネットの機能を併せ持つものでありたい。またその場が地域起業と結びつくものであるなら、社会的企業の苗床になるだろう。その事例として高齢者・乳幼児子育て家庭等への買い物代行の可能性も論じてきた。ある方は、行政の「すぐやる課」(世田谷区)のような公共のニーズと結びついた就労窓口と結びつきながら、協働事業として地域の仕事作りをする大きな企画が意味を持ってくる。この話は、野宿者プレ就労の話とともに、行政との協働の意見交換会のなかで提案する中期計画の基調として取りあげる。似たことを考えている人がいることを知ったことは、この会参加の収穫だった。

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17日、父は帰宅後明け方まで、何回と無くベッドサイドの椅子を倒し、ベッド内の失禁を繰返した。椅子はポータブルトイレまでたどり着くときの、つかまり歩きの際に倒したものだった。眠れない母は、ふらふらと厨房と洗面所をその都度歩いては、ダンピングを起こして咳き込んでいた。母には新たな父の加重介護負担は無理だった。いずれ近いうちに、母は現在の介護も出来なくなるだろう。そのとき、父の在宅介護は限界にくる。

週に2回のデイサービスと、月2回の2泊3日のショートステイ、週1回の身辺介助2時間では、支援を得ても、昼夜の時間拘束と加重家事を私だけで支えることは不可能だ。身体の状態で判断される介護度基準では、家庭の事情などの状況が特記事項の中で判定されるだけで、なかなか介護度3から4への移行は難しいと聞く。父を入所させる方向に動き出した現在、その順待ちの期間、よりショートステイを増やしていくためには、介護度4への移行は死活の問題なのだ。

私は昔から父の家事介護への妨害ネグレクトの結果、曾祖母以来4人を父の代理として介護してきた。5人目が父権バーバリアンであった父の介護なのである。母の遺留分を確保すれば、有料老人ホームを利用する経済的なゆとりはすでに無い。介護は家庭責任を越え、公共との人権の綱渡りであることを痛感している。

----- 母の精密検査は21日にある。


2010/05/19 記
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13時半から、茅ヶ崎市生活支援課と雇用労働課との懇談会を行った。「きずな」「HL支援の会」とともに、参加者19名の盛会となった。生活保護と就労への接点をまさぐる試みがスタートした。

野宿者の支援活動は底無し沼のようなそれぞれの方への支援が待ったなしに要求されてくる。その個別支援と生活立て直しの支援は、だからこそ絞込み継続した「炊き出し巡回」「住環境支援」「生活保護取得支援」のような形をまずすえて、そこを基盤に、それぞれの方への支援を行ってきたという歴史がある。

新参者の湘南あすなろ会は、ビッグイシュー販売を軸にしながら、特に就労支援にアクセントを置いた活動を考えている。地域の生活支援で手一杯の状況に就労支援の芽を加え育てる緩い議論・懇談の場という、+αの価値を加えた場が地元の関係者のニーズと合ったというところだ。

懇談会は自己紹介と現在取り組んでいることを交互に出し合って行った。従来の生活支援活動のメンバーに、雇用労働課長と湘南あすなろ会4名が参加したところが、従来とは違う形。

あすなろ会としては、ただ懇談と言っても、その懇談の価値はそれぞれの団体の状況に応じて拡散していくので、一緒にやれそうなつながりの活動を提案することにした。ひとつは野宿者の必要情報を載せたカードの作成と配布、もうひとつは文科省図書館海援隊プロジェクトに参加する茅ヶ崎市立図書館の生活就労支援コーナーや官民協働企画の実施の提案である。

詳細なレポートは追って印刷物としてだすつもりだが、この懇談から就労支援の芽を生み、育てるには継続した情報交換活動が必要となる。この役割をあすなろ会が担いたいと思っている。

この懇談の前日、参加できない方の連絡が相次ぎ、正直言って会の存立には冷や汗をかいていた。行政との懇談は、講演会のように外側から傍観することが出来ない。その重さや、そこから引き出される可能性が、自分の課題と接点があるかという点が問題だったのだが、ともあれ関係者のニーズに出会った感がある。

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この懇談会から早めに家に帰ったのは正解だった。父が痔を再発させて痛みを訴えていたのだった。シーツは転々と血だらけ。母は父の介護をこの日、完全放棄した。見方を変えれば、その方が良い状況だった。父はヘルニアの危険があった。連絡した訪問看護師から、様子見という判断があったものの、父の肛門は普段と様子が違っていた。介護していなければわからない変化だった。その一方では、仕事の橋本巡回が迫っていた。やむを得ず巡回を日送り。介護タクシーを呼んで主治医の下へ。ついでに入所希望申請の資料のために新規にレントゲンを取ってもらった。

ベッドに父を帰して、食事を済ませたところで、茶の間に座り込んだら、いつの間にか私は眠っていた。胃の薬の安中散系の漢方薬を買ったが、サポセンに忘れてきていた。この薬は母が飲んでも大丈夫な胃壁コート剤。

とにかくショルダーバッグ以外の手荷物は、やたらに置き忘れてしまう。今回の懇談会の資料にと、ビッグイシュー東京事務所から路上脱出ガイドを20冊送ってもらっていた。それを昼、茅ヶ崎駅の立ち食いソバ屋に置き忘れ紛失してしまった。私の異常は私自身わかっていたので、IT講習などで東京事務所に通う、あすなろ会のEさんに、予防対策に10冊予備に持ってきておいて欲しいと伝えてあったのが、もろに的中してしまった。恥かしい限りだ。私の携帯電話のバッテリー切れを初めて体験するなど、この間、私の注意力は散漫になっていた。

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2010/05/20 記
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昨夜、就寝時、父と少し話すことができた。母の体調悪化と対策としてのショートステイ日数増加の承諾を、父にそれとなく取るつもりでいた。父はとにかく腹がすいていた。しかし寝る前に糖尿病の父に食事を出すわけにはいかなかった。

父:「ホームでは、10時と午後3時、それから夜食が出るんだ。」
私:「一日6食かい。」
父:「夜は30~40人の職員さんが泊まるから、炊き出し係が居る。」
私:「ホームの職員さんは泊まるのは数名のはずだけど。」
父:「みんな働いている。」
私:「??」

父:「*子(母)は手術済んだのか?」
私:「2年前に手術は終わっているんだけど…。」
父:「今では、その日(即日、日帰り)に帰れるのだ。」
私:「おふくろの病気は何だかわかっているのか?」
父:「胃の病気だ。」
私:「盲腸じゃないぞ。」
父:「**(父の友人)も盲腸だった。」
私:「胃ガンだ。」
父:「**は癌ではなかった。盲腸だ。」
私:「おふくろは胃ガン。」
父:「**は盲腸だったんだ。」

父:「朝飯はまだか」
私:「…(今、23時半、夜ですって。)」

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昨日は母を東京の稽古事の方に昼間追い出し、気分転換させた。父はデイサービスだった。帰りは16時半。その間に不足している尿取りパッドや洗剤などを買い込んでおかなければならなかった。

昨日はNPOサポートちがさき(略称:さぽちが)の総会だった。午前中に買い物を済ませて、いつもの16時退席の形で、総会に参加するつもりでいた。

ところがここでホームから連絡が入った。父が車椅子から勝手に立ち上がり、尻餅をついたというのだった。ホームの近くの長岡病院に診てもらっているというので、要請に応じて様子を見に行ってきた。おかげで総会到着は15時半を回り、16時過ぎには、会ったばかりの父を迎え入れに、タクシーで家に飛んでかえらねければならなかった。

私にしてみると、あの程度の尻餅は毎日家で起きていると感じる。保証の問題があるから呼び出されたのだとはいえ、デイの意味が無くなる困った呼び出しだった。父の勝手な立ち上がりのために、瞬時に介護タクシーや薬代やなにやら、別途1万円程度の金がその都度消えていく。たまったものではない。

父に排尿を強要して、紙パンツを交換して、おやつを出して、さてとと階段下に車椅子とテーブル椅子を組み合わせたバリケードを作って急いで家を出た。この日19時から新杉田で障害者雇用部会があったからだ。18時前には母が帰宅する予定で、介護の数十分の穴だった。

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「障害者雇用部会」は、電機神奈川福祉センターの主催する勉強会から発展して生まれた施設・行政・企業・市民等の就労支援ネットワークで、公的な関係者の多い情報交換活動である。

今回は横浜市発達障害者支援センター長の関水実氏の「発達障害の理解と配慮」という講演だった。発達障害の支援活動はこの10年間に大きな変貌を遂げてきた。大枠としては、知的障碍を伴うカナータイプの自閉症と、高機能群の活動は支援の形が大きく違ってきている。この辺の事情と、もうひとつは大人の自閉症の対象拡散の話が重なり、高機能自閉症やADHDなどの支援が精神障碍との支援活動の形の結びつきを濃くしている状況が語られた。

この非カナータイプの自閉症スペクトラムの方の支援の形は、従来、私が引きこもり青年の支援活動の中で語ってきたことにますます近づいてきたことを感じさせられた。ことは常に後手なのである。

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この講演会の受付で手続きを取っている最中、異様な電話が入った。大船駅の職員(実は駅前ビルの職員)から遺失物を預かっているとの連絡を受けた。大船に取りに来て欲しいという。

私は18日、茅ヶ崎駅構内の立ち食いソバ屋で「路上脱出ガイド」を置き忘れ、取りに戻ったときには袋がなくなっている事件を起こしていた。遺失物とは、私はこのことだろうと思っていた。

講演会の帰り、笠間口駅前の薬局前に立ち寄った。遺失物は私のビニ袋ではなく、男物の茶色いハンドバッグだった。白木屋のあるそのビルは、鉄製の鍵のついた扉を開けると、隣のビルとの隙間に物置場があった。そこにハンドバッグは捨てられており、金目のものはなかった。

おそらく盗品。足がつかないようにビル裏に捨てたのだという。毎日その場所は確認しているので、バッグが捨てられたのは、17日。中を開けるとヘビースモーカーの煙草の匂いがし、手帳には私の名刺と、丁寧にパウチ状に挟み込まれたもうひとつの名刺には24日(木)とメモがあった。24日が木曜日なのは2009年9月か12月だった。その私の名刺は昨年8月に作ったものだった。24日は12/24があすなろ会の忘年会だった。その関係者はひとりしか対象者がいなかった。その手帳に書かれた住所は、九州に戻った、とある荒れて、ビッグイシュー販売者の販売妨害をしていたある人物の住所のようだった。

ハンドバッグは私のものではないとわかり、私が回収することは出来なかったが、駅前交番に届けられる予定。販売妨害していた九州の彼は、私を殺すとまで言っていたので、丁寧に名刺が挟み込まれていたのを見て、背筋が寒くなる思いがした。販売妨害者か忘年会参加者か、どちらの方の所有物かわからないが、いずれも野宿者関係者のものだった。

夜間傾聴:省略


(校正2回目済み)

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当事者懇談IPSリカバリーと、若年障碍者就労支援ビデオと講演の共催団体間資料作りを

2010-05-18 10:30:12 | 引きこもり
はやばやと応援団が現れた。11時からお願いしていたのだが、母の友人親子が現れた。娘さんは母親を残して用事を済ませるとのことで、車で戻って行った。9時から留守番にきてくれたが、2時間違うと焦る・焦る。

今日は13時半から、野宿者支援団体と市生活支援課・雇用労働課との懇談本番である。しかし、私は引きこもり者と障碍児者支援関連の当座ふたつの企画の準備が重なっていた。ひとつはリカバリー・キャラバン隊との当事者懇談企画であり、もうひとつは、ワンパターンの「輝く未来へ Stepup」(都若年障碍者就労レポート映画)を逆用した高機能自閉症・アスペルガー症候群等発達障碍関連、及び知的障碍関係の就労支援の視点から、ひらつか生活・就労支援センター所長のお勝田俊一氏を招き、解説風のシンポを行う。7/15午後である。6月に共催団体のひとつスペアちがさきの総会があって、目的などを解説する。その説得用の資料を作らなければならなかった。

その関係で今日は12時までに、PC担いで茅ヶ崎サポセンに行く。

なんともせわしない。背後で父の着替えが分からないとの声が飛んでいる。昨日中に一部を書いておいてよかった。とりあえず、ここまで。

夜間傾聴:******君(仮名・夜行きます)

(校正1回目済み)

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いよいよ市生活支援課&雇用労働課との懇談会です/母の不調と介護の集中を越えるために

2010-05-18 06:56:00 | 引きこもり
母の家事・介護放棄が始まって、昼夜まとまった時間が作れなくなって困っている。父の体調の振幅が激しくなって、それに振り回されている。身体の状態が半身麻痺の進行に伴い、歩行困難が深刻化したことが影響している。片方では脳神経系の異常による失禁が始まり、さらに歩行困難から排泄が間に合わないという意味の失禁が拍車をかけている。

半身麻痺の影響から尻があがらなくなって、ベッド上の体位変更が父の思いどおりの姿勢にならなくなった。利き手の血行不良や褥瘡(じょくそう)防止のために時々家族が、ベッドの頭側を立てたりと覘かねばならないため、猛烈に仕事が増えた。体位は父の寝癖の習慣で、全く動かないわけではない。押さえつけられた利き手のしびれに鈍感になっているのだ。これからますます介護からはなれられなくなる、それが玉突き式に母の心労に結びついた。母の心身症的な訴えが始まり、母は午前中ダウン。家事・介護忌避が始まった。

母の担当分がここ2週間、もろにのしかかってきている。その状態をキャッチしてか、父の家族への抵抗・非協力の無言の自己主張が始まり負担は急増した。目に見えぬ負のスパイラルが生まれつつある。介護者の不機嫌や焦りを被介護者は鋭敏に察知する。子どもも認知症高齢者もだ。介護がいっそう難しく重さなるように、父が非協力的になってしまう。

負のスパイラルの環を断つのは、引きこもり青少年が相手では有るが、もともと自分の仕事だ。しかし、いざ当事者家族の立場に立つと、なかなかうまくいかないことを感じている。

父の失禁は、おむつのように自分でつけはずししないような完全管理下に置かなければ、紙パンツ着脱鬼ごっこで介護者がつぶれてしまう。排尿の度に大便が漏れている。大便がついた紙パンツを自分で脱いで、足元に下げた状態でベッドを降りようとして転倒、我慢していた便や尿が、立ち上がるまでに間に合わないで床と周囲を汚し、更に自分で着替えを取ろうとして歩いたり転げたりして、便のついた手であちこちつかまり、汚れた尻で、昔の謄写版のロールのように汚れをベッドから離れた絨毯(じゅうたん)に刷り込んでしまう。その結果、部屋中を汚してしまう。たまらず「ひとりで始末しないで呼んでくれ!」というが、父はまずます意固地になってしまう。

この戦いが一日数回、ひどいときは3~4回糞尿スプラッタを始末する。すべての掃除始末は1時間では終わらない。これが昼夜果てしなく続く。すやすやと、なにもなかったように父が眠るベッドも尿浸しだ。介護者補助の着替えの途中で、私らの手を振りほどき、ポータブルトイレに突然行こうとしだし、途中、間に合わず漏らす。父は今、着替えたばかりである。こうして着替え洗濯物が普段の倍以上出てくる。昼夜終わりのない仕事がのしかかってくる。

先週、火曜日から2泊3日のショートステイが入った。しかしホームでも持参衣類や紙パンツが不足したり、職員さんの指示を聞かず喧嘩になったりと、結局仲裁にホームまで覘きにいくことになった。私たちは危機を感じて入所希望先巡回を2ヶ所追加して申し込んだ。

しかし、仕事はやればさらに仕事は増える。医師の診断書(コピー)が半年の期限を切れていて、再発行をたのまなくてはならなかった。検査の往診が3割負担なので5,300-、診断書更新発行が3,200-と約1万円が即座に飛んでいく。半年おきの往診の時間が15分の値段である。訪問看護師がくれば、訪問看護手数料を医者が請求する。ヤクザな商売だなと思う。入所はどこも300~400人待ちである。施設を数当たるには、日勤の者も平日昼間歩かなくてはならない。それぞれ一回では終らないから、有給を使っても間に合わないだろう。目に見えない医療負担が家計を蝕んでいく。

昨年度は母の手術と入院があった。任意保険で高額医療費の補填をしたが、それが所得とみなされ、確定申告の医療控除額を保険額が超えていると、保険額を収入とされ、更に医療控除が認められないで、医療控除0円として、差し引かれてしまった。還付金もない。安全のためにかけてきた保険が収入として、家計の首を絞めるおかしな現象も起きている。

ともあれ、入所希望先を西湘方向に2ヶ所まわり書類をもらって、1ヶ所は相談してきた。入所順は介護度3は後回しになるとはっきり言われてしまった。

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父の主治医が頼んだので、金曜日の午後に往診に来た。月末に市の介護度判定員が調査に来る。だから今回は定期往診というより、医師の所見を書くための往診だった。介護者の気持ちを踏みつけるように、父は「男の名がすたる」とばかりはりきってしまい、快活に応答。(ただし定形会話の挨拶のみ。即応するので軽く見られる。)ベッドから身を起こし、床に足をつけて立ち上がって見せた。(勿論一歩歩けば倒れるのだが。)医師から、判定時にこの元気だと介護度4にはならないねと笑っていた。当人の頑張りが、家族をつぶすのだから皮肉なものである。

母のほうは、大学病院への紹介状を書いてもらわねばならなかった。内科は近所なのでいいが、眼科は付き添いか、帰路タクシーが必要だった。先週は介護と医療主導で過ぎていった。

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18日の茅ヶ崎市生活支援課と雇用労働課との懇談は、いよいよ今日である。先週は野宿者の生活基本情報緊急用情報のカード原案をしあげた。やればやるほど矛盾が生まれてきた。今回のカードは、支援者団体をつなぎ、行政の参加を促し、就労支援に個性を持たせたセイフティネットを生み出す契機として位置づけたものだ。しかし、役所窓口照会のような頻繁に流れる情報ではなく場面を意識した必要情報を載せなくてはならない。ところがこの提案目的が通じないのだ。

**屋に行けば、パンの耳が手に入る。ブルーシートは、**が安いというような情報、生活保護はひとりで行ってはいけない、認定してくれないというような具合の情報になってしまう。肌で感じてきた情報である。だからそれ自身が良い悪いというようなものではないが、鳥瞰した視座で情報を見渡したとはいえないのだ。地表から見た身の回り情報であり、その多くはある店舗を紹介する形のものだった。ましてや、生活保護を認定してくれないという情報を当事者の課が受け入れるはずもない。行政との協働という筋道がピンと来ないのだ。なんとか支援者側が整理したが、とても協働の利を引き出せる状態とはいえなかった。場数を踏んでいない結果だった。こうした直接の生情報は、むしろ「湘南ホームレス便り」の連載記事にすべきだろう。

もうひとつは、文科省の推奨する「図書館海援隊プロジェクト」の湘南版作りの提案である。その資料を整えた。資料はかなりボリュームがある。企画には図書館の管轄の教委がまだ参加していない。就労支援とどのように関連付け、生活支援課や雇用労働課にどのような参加を求めるのかが資料に埋もれているのだった。文科省資料は、いわばお墨付き。その上でどのようなプランを描くかが鍵なのだった。ここは支援団体間で事前に話し合わねばならないことも多く、同時に、この茅ヶ崎市立図書館を場にした活動を、どうセイフティネットへの力として流し込んでいくか、そういう見通しが必要というところが、なかなか議論にならない。すべて経験が足らないのだった。

湘南あすなろ会の自己紹介などは、手馴れたOさんの手によって1枚のチラシに治まった。この会議の直接担当者以外は、やはり会議を予定していなかったようだ。遠方の方や、昼間ゆえの仕事や用事の重なりのある方など、間際のキャンセルが相次ぎ、最少10名位の担当者懇談になりそうだ。今回は議員さんは遠慮してもらった。新設課との懇談から連続協働企画をまずは誕生させるつもりなので、これから参加の場面があるからだ。

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先週は、障碍者畑の方の就労支援企画準備の方も進んだが、話が長くなったので、別稿とする。

《気になる記事》
●「都心ホームレスの3割、知的障害の可能性 医師ら調査」


夜間傾聴:省略

(校正1回目済み)
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5/11 父がショートステイに出て行き/ベーシック・インカム系の書籍が面白いので

2010-05-13 16:05:05 | 引きこもり
2010/05/11 記
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父を2泊3日のショートステイに送り出した後のぼっこり空いた虚脱感漂う時間に、この日録を書いている。デイサービスの翌日のショートステイなので、父に負担がかかっているのはわかるのだが、母が不調を訴えている現状では、一日でも手が空くことがありがたいのだ。

ショートステイの前日は訪問看護を入れて、看護師さんに父の浣腸を頼んでいる。慢性便秘の始末なのだ。父は特養と老健を利用しているが、特養が主。特養は夜間看護師さんがいない。基本は生活の場だからだという。わかったようなわからんような…。ともあれ特養としては、浣腸のような手のかかる行為は現場でやりたくないのは、煩雑な現場を見ていればわかる。父の糖尿病の採血検査も兼ねているので、介護度の点数が減ってしまうが受け入れている。

宿便があり、ひどいときは1週間を超えて便が出ない。これは固形物の無い水便漏れがしょっちゅうあるので、余計長くなるのだろうが、腸の運動が明らかに弱まっている。食欲が糖尿病が手伝うのか衰えない。おそらく脳の食欲抑制機能が低下しているのだろうと思う。食事量が減ったのは、この2週間ほどだ。

慣れとは恐ろしいもので、父は以前はポータブルトイレに座って行う浣腸の苦痛に歩き出して格闘騒ぎを起こしていたが、最近は苦痛というより、ふとベッドに帰ろうとする。浣腸の効果が出るのを看護師さんが待っているのを、治療が終わったと勘違いする。着替えのとき、衣類を積み上げてあるソファーまで取りに行くと、裸のままベッドに帰ってしまう。それと同じ状況が起きていた。状況判断が出来なくなり、短期記憶が失われて忘れてしまう。幸い浣腸の効果は失われていないが、痛みを感じなくなってきたようだ。結局、看護師や私による摘便(当然、医療行為)によって、宿便の障害物を取り去ると、信じられないような量の軟便が噴き出す。男性家族介護者で適便処理経験者は、医療関係者を除いてはまずいないだろう。

ところが最近、父の軟便の量が半減してしまった。水便が日々出ている影響もあるだろうが、小腸がまだ張っているのだ。大腸まで出てこなければ浣腸効果は少ない。別の症状の前駆症状で、なければいいがと思う。しかしものすごい悪臭である。腸粘液を垂らして危ない足取りで歩き出してしまう父を制止していると、私が藤沢北部に自然教室を兼ねた塾で、老犬を看取ったときのことを思い出してしまう。羽の折れた野鳥の応急治療や、持ち込まれたヤマネ・傷病犬猫の応急処置をやらされることがしばしばあった。そこで子どもは命に触れたのだが、私も生き物の生死の境を学ばせてもらった。父の状態はその臨終間際の老犬の悶死の光景と重なった。立ち会った子は数日間学校に行くことが出来なくなり、犬の埋葬をともにすることでその子は立ち直った。大きな身体が泣いていた。私は偶然、高齢者の多い家族に生まれ、私は父の前に、叔父、曾祖母、祖父母を20数年介護してきたから、父は5人目。だからいくつかの似た場面を思い起こしてしまう。

藤沢北部、現在の湘南ライフタウン周辺は、昔、馬も飼育されていた。炭鉱で見た同じ形の生活保護世帯のタール色した市営の木造住宅が並んでいた。今の団地群からは信じられない光景だ。塾のいろいろな出来事がここに埋まっている。その後、予備校や塾講師として東京・神奈川を流れてきたが、フリースクールっぽい子どもとの付き合いがぶっつりと切れ、どうやら思いは成仏せぬまま、より緊急性の高いテーマの活動と介護の二股に裂かれた日々を送っている。命を支えるという意味では、介護は重要であるということは百も承知のことである。しかし我が家の介護の歴史の中では、父は常に家事介護の残酷な妨害者でしかなかった。父への怒りの思いを越えて介護しているつもりではあるものの、手が止まる場面があるのも事実だ。

看護師さんの処置が終わって、看護師さんと部屋の後片付けをしながら、介護度の3から4への変更が妥当かという話題を語っていた。眼にしみる悪臭の中の会話だった。階段介助をしてもらいながらも階段昇降が出来ることや、定形会話ではあるが即答できることが逆に判定上の問題になりそうだという話だった。頑固は判定基準にならないかと冗談を言った途端、耳が遠いはずの父が大きな咳払いをした。

父の部屋を出て、茶の間で情報確認をした。ベッドに上るとき、麻痺側の足から入るので、練る時の頭の姿勢が180度逆になってしまうことや、尻が上らないので、ベッド上で向きを変えることが全く出来ないことを伝えた。最近では、ベッドから降り立つとき、足が交差して尻が脇に出ると横転してしまうことや、ベッドからの尻餅落下がやたらに増えていることを伝えた。落ちてしまうと自力脱出できないのに、立たせて歩行器や対面介助をつければ、調子がいいときならなんとか歩行できる。しかし、すぐに横揺れを起こし、姿勢が崩れてしまい、歩く気力が続かなくなってきたことを話した。

いくら足で立ってと言っても、立てずに抱え上げてもらうことを期待するので、力技が増えた。これでは母には介護は無理だ。先日は振り払った歩行器が数m跳んだ。女手では怪我をしてしまう。私の腰がいよいよ疲労痛を起こし始めている。時間の問題で限界だねと、他人事のように話した。この看護師さんは市の判定会に出ていた古株。通るか通らないかは、見ればわかるのだ。

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日があけてしまい、今は5/12の0時過ぎである。

昨日は母を眼科に送ったときに、行きは行きで南口の常連野宿者のIさんに停留場で出会い、帰りはポルト湘南にいるWさんに路上で会った。奇妙なひとと友達なのだねと母が驚いていた。私は橋本巡回が迫っていたが、母がタクシーの車中でダンピングを起こしそうだというので、約束時間を遅らせていたので、時間を焦っていた。昼に図書館の書籍を交換して大きなバッグに抱え込んだまま母が駅のバス停に来るのを待っていた。

Iさんからは販売員Tさんの話を聞いた。Tさんは臨時の別収入の道が出来たようだ。ビッグイシュー販売に立たなくなったのは、ゆとりが出来たことが多いようだ。それは生活自立の目的からすればおかしなことだ。しかし野宿者の背伸びの難しさは無視できないほどに大きい。

「完全従事社会の可能性~仕事と福祉の新構想~」を借りた。「ベーシック・インカム」とその周辺の地域と家庭の無償労働の位置づけをめぐる試論のような書で、ヒントが得られそうだ。そこで展開されている労働観の転換は、Iさんのような強制された自由を甘受させられている人をも包み込んでくれる。そんな鞄の中身の話をしたが、何言っても世間は変わらないからとばっさり言われれば、元も子もなくなる。

Iさんと立ち話をしているとそこに怪訝な顔をした母がやってきた。某特別支援校のSさんという方から電話があったという。Iさんを驚いた顔で見る母。ごめんと謝った。Iさんはそ知らぬ顔で場を離れた。野宿者支援活動は、こんなことだらけだ。悪いなと思いつつ、溝を埋める術がないのが現実だ。

Wさんは無口だ。路上で会って、時間も余裕がなかったので、ダイレクトにTさんの話をした。やはりTさん自身の話と違っていた。まずいなと思いつつ、少なくとも信頼を損ねることだけは、お互いにしたくないものだ。

家に戻って、母を茶の間に座らせた後、バッグの重い書籍をすべて下ろして、軽くなったバッグをかついで橋本に出かけた。

この日は本当にいろいろなひとと路上で出会った。引きこもりの青年ふたりを抱えている**さんという親御さんともであった。長い付き合いである。しかしことは解決していなかった。不登校・引きこもりは短期勝負で関わってはいけない。ご挨拶だけで別れたが、ちょっと気になっている。

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母の神経内科の2回目の受診日程が決まった。月末である。

夜間傾聴:なし


(校正1回目済み)

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5/10 茅ヶ崎市立図書館の使いにくさ/18日懇談の資料作り/半身不随者の階段昇降

2010-05-12 11:37:18 | 引きこもり
2010/05/10 記
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市外からの図書借り出しは、期限更新が出来ない。茅ヶ崎市立図書館は、誰が買わせたかわかるような癖の強い書籍がたまに入っているが、全体としては藤沢や寒川の図書館に劣る。在庫数というより目利きの司書が担当係にいない感じだ。茅ヶ崎は某書店も読書人のいない書店というか、的外れなものしか置いていない。これは私が若い頃からの「伝統」で、そのころは茅ヶ崎の文化程度を見るようでいやだといっていた。今はここまで言わないが、読者がそれほどいるはずがない予約した図書に半年待たされるのは、ざら。開架書籍のひどさを競う平塚市立図書館でさえ、予約は一ヶ月以上になったことはない。私はベストセラーのような人気のある書を読んでいないので、予約は、順待ち数名で治まるのだから、取り寄せが遅いのは、図書館運営の質の問題だろう。

数年前になるが、オンライン検索システムが出来たとき、ISBN-10 とISBN-13 の検索が、同じ図書のはずなのに全書籍違う書籍が検索されてしまうバグを見つけたので、担当者と話した。その場で異常が再現されたので、業者に直させるとと言って、その後は、なしのつぶてだった。図書館にとっては大事のはず。4月に今度は私の予約が同じ本を係が2回登録したのか、予約限界の10冊を超えて11冊で表示されるバグがあり、それを指摘したが、けんか腰で担当者が議論を吹っかけてきた。まだ言いたいことがあるのかというので、貸し出しも予約も、画面タイトルの色ひとつ変える心配りがないこと、第一、貸し出しと予約を2回パスワードを入れさせるなんて野暮ったいシステムだと伝えた。業者に意見として言っておくといったが、私には業者とは実は自分と言っているように聞こえた。バグ指摘が二度と言ってこないように不快感を与えようというのか、攻撃のように対応する係の質のひどさ。今後図書館海援隊プロジェクトで深入りする相手だから、なおさらうんざりしている。

今日は月曜日なので休館日だが、ビッグイシューの本に紛失があり、補充分を届けた。裏口から届けたのだが、警戒されるのはわかるが、面倒くさい表情が露わになるのには、こちらもうんざりさせられた。

私の若い時に教えた子が海老名市立図書館にいる。海老名巡回のとき、時間にゆとりのあるときは、ちょっと寄ることがある。うんざりした顔だけは、やめろよなと言っているが、結構クレームがあるようだ。海老名ではなく相模原市の橋本図書館にいてほしいのだがと言って、困らせている。橋本図書館は休んでいると、すぐに私を起こしにくるのだ。うつ伏せがいけないらしい。

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父のベッドシーツの補充と防臭剤を買うと母を納得させ、デイサービスの父の居ぬ間の用足しをするために、市役所の窓口で用事を済ませたあと、サポセンにまわった。昨日まとめた新聞記事は、そのいくつかは18日の野宿者支援者懇談の場で資料に使う。「襲撃続発、狙われるホームレス 行政の排除も進み孤立化」「職探し、図書館がお助け コーナー設置、支所も積極助言」を加える。昨日の「「買い物難民」に宅配や送迎支援、研究会提言へ」や、「ツイッター街づくりに商売に」、そして「空き家活用地域の力と知恵で生かす」などは、「わーく」編集部の活動「無業者就労支援」の線からの構想に接する話だ。野宿者の課題とは段階が違うが、大きく生活困難者の地域包摂ネットの行政横断構想で簡単に紹介するつもりだ。緊急連絡&生活情報カードつくりは、東京事務所から誰か覘きに来てもらうので、「路上脱出ガイド」と一緒に見本をプレゼンする。その資料を印刷していたが、時計を見ると父の帰宅まであと50分。路線バスのつながりは最悪の時間に入り込んでいた。慌てて中央公園まででてから、タクシーを拾った。

父の帰宅時間には間に合ったが、父の予定に細切れにされていると、まとまったことが全く出来ない。タクシー騒ぎがこう頻繁になると、自転車がほしくなる。自転車は昔骨折した側の足が、乗り終えた後、見事につってしまうので、購入がのびのびになっていた。両親の不調が出てきた今、本来なら車が欲しいが、私の眼、特に右目は網膜色素変性症で視野の中央部が霞んでいて間もなく失明する。運転は危険だ。だから他者を乗せない自転車をせめてと思うのだ。TV購入分割残金があと数回、すんだら買うと、自転車業者組合のボスの店で、機種物色をしては、いるのだが。

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父の半身不随状態は、いっそう進んだ感がある。玄関から階段までの2mが歩けない。周囲につかむところがない不安があるのだろうが、麻痺側の足が全く動かなくなった。私が背後の守り役なので、珍妙だが麻痺側の腿(もも)を前に蹴飛ばして歩行を進めている。

階段は間もなく昇降できなくなるだろう。このとき、父を階段に座らせて昇降する方法を準備している。果たして学習できるかが問題なのだ。今回、下から4段目で父が腰砕けを起こしてしまったので、さっそくその場で切り替えてみた。今回は階段昇降を頼んでいる手馴れた方と組んで試したが、結果は立てないことに当人が慌てていて危うい状態だったが、何とか昇ることができた。一般には知られていないが、これは身体障碍の当事者が自然にやっている仕草から学んだものだ。

まず麻痺側の足が下側になる向きに、階段壁に向かい全身を横向きに座らせる。利き手、利き足が階段面に接するが、麻痺側の半身には体重がかからない。この姿勢で、利き手を座面段より一段上につき、腕に下向きの力をださせ腰を一段上の面に利き足を突っ張り、利き側の手足の力でもち上げる。腰を上段面に乗せ、次に半身を引き寄せる。この繰り返しで「いざる」。麻痺側を使わず、残存能力を使い階段を昇る。下るときはこの逆だが、下りは一段ずつ尻は落とすだけなので楽だろう。

問題は階段に座らせたり、立ち上がらせる最後の場面だ。不安定でも1~2段は立って昇れるなら、最後まで上りきらず、1~2段手前で補助してたちあがらせてしまう。最上段の床から立ち上がらせるよりは楽に身体を立たせることが出来る。

今回ぎごちなかったのは、当人の混乱だけでなく、支援者の動きのフォーマットが出来上がっていなかったからだ。この形を担当者と相談する時間を、次回取ることになった。座った位置からの昇降なので、当人の転落不安はかなりちがうはずだ。

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父の夕食は冷凍物の刺身を解凍した。しかし悪い癖で食事中に排泄したくなり、ポータブルトイレに移ろうとするのだ。この途中で排泄が間に合わず、床がびしょ濡れになる。転倒するときもこの場面だ。ここを見張っていると私は用事に出られない。父は往復で20分弱かかってしまう。食事を作り、済まさせ、父をベッドに戻し、下膳するまでで1時間を超え、周囲の清掃、食器洗い、汚した衣類の洗濯を含めると2時間弱かかる。これが日3回、5時間は介護に消えていく。用事は起床就寝時のおむつ交換や着替えなどがそれに加わるから、6時間は毎日拘束されていく。父は勝手に階段を降りる元気はなくなったが、かわりに、ところかまわず失禁騒ぎが起こる。利き手を下にして寝てしまう肘枕の癖があるので、利き腕がしびれてしまう。就寝中ときどき手をずらせてやらないと、次はこの利き手がだめになってしまう。深夜2回は巡回している。

どうしても母とのタッグで介護を支える以外ひとり介護は無理なのだ。

だから現在は入所を前提に、動き出している。入所優先度もあがるので、介護度3から4へと上げて欲しい。切に願っている。

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明日は母を眼科に送った後、北茅ヶ崎から橋本に出て巡回予定。

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Tさんが捕まらない。寝場所は知っているが、その夜間は夕食始末と、父の排泄騒動の最中、または巡回中。ひと息つくのが23時半頃、それから彼の寝床に訪問するのは決心が要る。どうしたものか、悩んでいる。

夜間傾聴:なし


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空転は創造のもとであるのだが…/新聞記事に注目

2010-05-12 09:11:40 | 引きこもり
2010/05/09 記
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4日に休診日で空振りした神奈川医科歯科大の横浜研修センターの方を、ちょっと嫌な予感がするが、当初の予定通り母の眼科検査病院に選んだ。神経眼科は北里大が学会本拠地なのだが、神経内科を含んだ検査日の曜日が、父のショートステイ予定との相性が悪く、両者とも日程的には一長一短なのだが横浜に決めた。それでも結局神経内科は2回通院することになる。月曜日に電話予約する。

昨夜、ビッグイシュー基金の定例会に立ち寄ってすぐに帰宅したのが正解。母は自室でダウンし、父は尿の水溜りの中でいびきをかいていた。だから、母の治療は早めに治療に結び付けたい。現実的な問題として、私が外出することが出来なくなる。

ビッグイシュー東京事務所には、先にIT講習を受けにEさんが行っていた。私は家事と巡回前バックアップの煩雑さに紛れて、4月下旬分の支払いを終えていなかった。土日の銀行休みが入るといっそう支払いが遅くなるということで、金曜日に東京事務所に事情説明と支払いに行こうとして、母のダウンというハプニングで足止めとなり、出かけるのが翌日となった。この日東京事務所は定例会準備で混乱しているだろうから、Eさん仲介に、領収書を定例会会場に持ってきてほしいと頼んでおいた。その後、担当者からの電話連絡もあって話は通ったと思っていた。

淵野辺から町田経由で新宿三丁目に着いた。花園神社脇から歩いて新宿文化センターに。すでに約束の時間を20分遅れていた。会計担当者・販売担当者に会場入口でサイン。ところがSさん、きょとんとしている。そう、また連絡は*さんで途切れていた。受け渡しは、「なにもこんな日に」という思い。私が避けたいと思っている状況に結局引きずり込まれていた。会場のEさんの証言で、領収書伝達が中途で忘れられてることが確認されたものの、とにかく担当者本人ダイレクトの話でも口約束はたちどころに忘れられる。とにかく事務連絡が通らない。

今回のように、先方にとって事態の全貌が見えない状態では、誤解がどんどん拡がっていく。NHKが取材に来ていて空席がないが、壁側の席があるから定例会に参加すればいいのにと担当者。前月Mさんに話した急ぎの事情も、今回のことも、他の担当者に伝達されていないのだった。外部関係者が、時間の隙間を利用して効率的に動こうとすると、そのことが相手に理解されないで誤解が生まれるという集団付き合いの厄介さ、事情説明が通らない消耗感。これは実は物語の構造に似ているのだ。

例えば、A,B両君は互いに友人でありながら、C子さんという女性に恋していることを互いに知っている。ある日A君はC子さんのマンションを訪ねたとき、B君がマンションから出てきた。A君は「C子さんに会っていたな」と思い込む。ところがB君はC子さんの家を知らず、目の前のバス停の路線バスを待っていた。日差しが強いのでマンションの入口の日陰に入っていたというこんな筋書きだ。物語はこのずれが様々なところに影響して、互いの断層は深まっていくという具合。

現実や人の社会は、おそらくその誤解や認識ミスが無数に錯綜して流れているのだろう。ただそのレッテル(認識)が次々に、都合の良い情報を吸い寄せていく傾向があること。これには自覚的でありたい。この差異肥大の特徴は、慣性活動(日常活動)を続けている集団、または制度的にしか互いがつながっていない集団にあっては、アウトサイダーというか周辺に押しやられ違和感を持たれる個人、または別の流儀の人物は、慣性活動の中の基準で推測されていく。よほどのことがないかぎりその判断は修正されることがない。この「人の隙間の軋轢」が人の位置を決めていく。その摩擦に抗して烙印を超えていくのがひとの意志のポジションとなる。意志は共感を求めて目的を提案していく本道があるが、この結合の摩擦は回避することが出来ない。

問題は、この「すれ違い」の構造を無視して、辺境の提案者たちが当人の心理の歪みや偏りとして解釈されていくことだ。心身の異常が生む病理として処理されていく。精神疾患や軽度発達障がいの世界に接する者は、医療モデルの社会的関係の捨象という危うさを自覚すべきだ。一般社会のやり取りの歪みに対置するものは何だろうか。少なくとも修正ではあるまい。それは腫瘍を肥大させるだけだ。聞き耳を立てつつも愚直に道を進むことだ。内側の論理に流れる集団に深入りすることではないのだ。

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通販で父の紙パンツを補充した。しかし何とも急なピッチである。幸い我が家は古いが広さはある。現在利用中の介護サービス事業所の扱う介護用品のまとめ買いも考えてみた。特養ホームなどに卸す大カートン(6袋入り)を買ってしまうのも手だろうと値段表を確認したことがあったが、サンプルを分けてもらったが、市販のものほど種類がない。ギャザー部分のゴム縫込みが粗く、職員の操作がしやすいように緩くできている。父は紙パンツを脱いでしまうので、尿取りパッドがずれないことが条件だ。股下や背中から尻尾が出てきてしまうのだ。このところで「緩め」という作りが使いにくいとわかった。価格は安めだが父には使えなかった。

市販品をまとめ買い出来ないものかと、通販担当者と話をした。LLサイズは通販では2~3袋で品切れとなってしまう。そこをなんとかならないかと直談判した。問題点はふたつあった。ひとつは注文予約制がないこと。もうひとつが定価販売であり、安く出来ないこと、この2点だった。まとめ買いのメリットが出てこないのだ。担当者は車に積めば6個ぐらい入るでしょうという。車がない人もいることがわかっていない。宅配便頼んだら、値段が高いものになってしまう。

4千円以上買わないと送料が無料にならないから、余分なものも買わされる。相手も相手だ。「奥様ですか」の最悪のひと言。これは私も今度はおむつをして交渉にいこうと思った。60も90も若手には大差ない高齢者なのだ。全く…。

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《気になった記事》
●「「買い物難民」に宅配や送迎支援、研究会提言へ」
●「ツイッター街づくりに商売に」
●「空き家活用地域の力と知恵で生かす」朝日社説
●「若者向けワンルーム"県内離れ"で過剰感、職なく地方志向か/神奈川」
●「年長フリーター防げ今春高卒行政が支援」
●「大学生らの「家庭訪問」事業で、不登校生徒の4割が学校に/横浜」


夜間傾聴:******君(仮名)
     橋本2君(仮名)
     大森海岸君(仮名・傾聴にあらず)


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5/8 県サポからのモバイルアクセスは久しぶりです

2010-05-11 08:35:03 | 引きこもり
2010/05/08 記
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土曜日は私の口座の銀行はATM入金が出来ない。小さいが取引が月曜日に落ちるのだが、恥かしいことだが私のこの口座は通過口座なので、余分な貯金はしていなかった。金曜日までに入金と考えていたが、そんなことは重々承知しているのに、待ったなしの介護が入ると忘れてしまう。用心にメモを取っていたことをも忘れていた。他口座から振込入金する手を考えた。銀行HPを見たら、この口座はネットバンキング登録していなかったが、ネットバンキング出来る他口座からだったら即日送金可能とわかり、手数料を取られるが月曜日前に入金できることがわかり、普段使っていないオンラインバンキングの某銀行の口座から送って入金確認をした。少々時間がかかったが、きちんと入金できていた。面倒なことになると冷や汗をかいてしまった。事務処理能力が無いのだなと反省している。

今日は珍しく朝から、横浜の神奈川医科歯科大の研修センターに母の症状の検査相談を終えて、お馴染みの県サポで書き込みを仕上げている。このあと相模大野から北里大学病院に向かう。神経眼科の内容を聞いて比べて予約を取ってくる。母は以前も同じ症状で某大学病院で「異常なし」の結果をもらった前歴がある。神経科や心療内科も思わしい診断が無く、向精神薬で一日中ぼんやりさせれて通院を打ち切った経過がある。メンタルな影響がかなり強いが、眼の症状は眼科系に、四肢の状況は整形外科ではなく、他系列病院の神経内科に行って見ることにしていた。しかし私が出歩いているように、母と私はふたりで病院回りをすることが出来ない。父の介護の留守番がいる。母では検査の質が同じことの繰り返しではどこも同じ結果が出てしまう。違う検査や知見が得られそうな病院の最終選択(いずれもうひとつの病院も行ってみればいいのだ。)に来ているのだ。

事情を話すと専門医の診察となり、曜日や時間が限定される。眼科は瞳孔を開く検査もあるので、母と私が同時に出られる日にセットしなくてはならない。父がショートステイ中、または留守番がいなくてはならなかった。病院を決めてから母は週明けに地元主治医の紹介状をもらう。脚と腰の痛みから駅から遠いところは避けたい。北里は頻繁にバスがあり、バス停から近いから候補に入っていた。

在宅介護は頻繁な関わり(リハパン交換・洗濯・居室清掃・炊事・徘徊警戒等)が増えて、抜け出す間が減ってきた。介護度の3から4への以降過程は、当人の自立歩行が可能か否か、認知症の進行が鍵になる。前者は無理すれば、数mのつかまり歩きが可能であり、後者は定形会話は卒なくこなすことが出来る。しかし実態は夜間ひとりで排泄に立っては転倒をすることがなくなったかわりに、ベッドがずぶぬれとなり、同じ転倒でもベッドから降りるときの失敗によるものに変化してきている。判定が4にならないと、入所やショートステイ幅を広げることが限界に来ているのだ。4の判定がほしいと願う。

今回の病院回りも、現在のショートステイ予定では曜日が同じために、予約診療日が合わないため、どちらも父の介護点数内で動くことは困難だった。

北里大側は私の巡回の本拠エリアであり、私にはお馴染みではあるが、母には遠方に見える。神奈川医科歯科大の横浜センターは研修医が多く若い。さてどうしたものかと思案しつつ、県サポの喫茶室に居座って書いている。

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今日はこのあと北里大を回った後、淵野辺経由でバスを乗り継いで巡回。そこからビッグイシュー基金の定例会(新宿文化センター)に寄って帰宅する。

「街角のセーフティネット-精神障害者の生活支援と精神科クリニック-」を買った。


夜間傾聴:□□君(仮名)
     ******君(仮名・こちらから)

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5/18懇談以外の当事者懇談企画の準備を進めつつ

2010-05-10 14:23:09 | 引きこもり
2010/05/07 記
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母は追い詰められたように、あちこち家事に手をつけては、中途半端に放棄した。外出していると気が紛れるようなので、明らかに父の不調が原因だと思われた。母は内科も眼科も検査の結果、異常なしと診断されている。胃切除後のダンピング(逆流)は、やむおえないものと処理されてしまう。しかし、この症状がひどくなったのは父の失禁がひどくなったときと一致している。頭痛・腰痛・四肢のしびれ・瞼内の異物感と乾き等、一括して自律神経失調症(わけわからんが病い)というわけだが、積極行動の放棄、物忘れ、嘔吐、食欲不振となると放置できない。

話し合った結果、あまり期待できないが、神経眼科と神経内科に行くことにした。胃の手術前、もう1年半近く前だが、頭痛の件で心療内科通院したこともあった。嘔吐を除いて症状は同じだった。慢性的に症状が出るのではなく、突然症状が出る。大学附属病院系で神経眼科と神経内科の両方があり、駅から近いところを探そうということになった。紹介状も眼科と内科の両方で書いてもらうことにした。平塚共済病院も候補だったが、今回は北里大学病院か神奈川医科歯科大附横浜センターを選ぶことになったが、母は駅から近い神奈川医科歯科大の方を選んだ。検査とセカンドオピニオンをもらうためだ。通院は父のショートステイ中しか出来ないということで、結果待ちで判断することになった。電話連絡で予約を済ませ、その日が父の在宅日が一日あったので、臨時にシュートステイを入れてもらうように調整した。眼科は瞳孔を開くので、私の付き添いがいるからだ。

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電話を切ると神奈川労働局から電話がかかってきた。精神障がい者就労関連の取材と秋のシンポ打診の件だった。来週電話確認して、もう一度横浜にいくことになったが、これもこれで、地域の当事者団体の協力要請を得なければならなかった。若松町ショップから降りた影響はすべてにわたる。顔合わせてことが決まっていくので、その場にいないと企画が通らない。とりあえず労働局の方が決まっていれば、企画は秋なので時間のゆとりは取れる。

問題は、IPSリカバリーのキャラバン隊の当事者さんとの対話。先方には今月と言ってあった。私の担当しているふたりの引きこもり青年は、ひとりは完全に部屋から出ない状態に落ちているし、もうひとりは両親と激突して、仕事観を語るどころではない。となると、関係団体を説得して回らなくてはならない。IPSもリカバリーも、その価値が伝わっていなければ、彼らの価値がわからない。キャラバン隊の資料と紹介チラシを作った。後は巡回するだけだが、次のIT起業を成し遂げた軽度発達障がい系の方との懇談を、引きこもり&軽度発達障がい関連の方に向けてセットすることも続いているので、連続企画として提案した方がいいのだろう。「日程を先に決めて閑古鳥」の怖さは、いやというほど味わっているので、ここは覚悟のしどころなのだろう。

東京都の就労レポート映画と懇談を7月15日に準備しているが、こちらもCMを作らないとまずいだろう。すべてが父ではないが糞詰まり状態になっている。まとまり(年間予定)とともに出すとなると、身動きが一層取れなくなるので、上半期単位のような形で数回づつ出していこうと考えている。

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父の体調が悪くなって、下痢が続いているので、紙パンツの使用料が3倍に増えた。ワンパッケージが12枚(LL)なのでほとんど一日おきに買ってくることになる。大きな荷物なので、買うときは他の買い物が出来ない。車の運転をやめてしまったから、徒歩の買い物の限界である。そこで通販を併用しているのだが、2つも買うと品切れになってしまう。LLサイズは在庫が少ない。時にはLサイズしかないということも起きる。駅前または片道20分ほど歩かないと買うことが出来ないので、時間割り振りがじわりと追い込まれてくる。私が考えている買い物代行はこうした事情にもフィットした動きを作ることは可能だが、採算を考えると、まだ詰めが甘いのだ。

訪問、海老名中止。母が動けないときは我が家の周辺は出前が無いので、夕食を作らなければならない。父はベッド<>椅子の間も今は完全に私の補助がないと移動できなくなっている。放置すれば尻餅をついて、床から身動きできなくなる。父の食べる様子を見ながら、心は小田急相模原君(仮名)との約束をなぞっている,本当だ。

夜間傾聴:小田急相模原君(仮名)
     橋本2君(仮名・こちらから)


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5/6 市雇用労働課からの参加連絡が入った他

2010-05-10 07:46:37 | 引きこもり
2010/05/06 記
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父が1泊の入所テストを終えて帰って来る。激戦の結果破れてしまった掛け布団カバーの替えを買っていなかった。もう一枚のカバーは血だらけのものを漂白したのでシミだらけである。20年も昔の爺さんの介護のときのシーツがあったはずと、体調の悪い母が押入れ捜索が始まってしまった。薬でダンピングが止まっているのに無理してはダメだと交代。私はハウスダストアレルギー、特にカビがダメ。たちまちクシャミと涙目状態の、古い布団の出し入れ。咳き込んでいると、母が突然、「違う、箪笥の中だ」と私の部屋の箪笥からシーツを引っ張り出してきた。押入れの半分近い布団と衣類を詰めなおし、私は、とにかく外気を吸いたいとベランダ側に立っていると、母の小言が飛んだ。

私の部屋に飛び込んで箪笥を開けたとき、邪魔な床積みの本と、資料を蹴り崩してしまった。家は物置ではない片付けろという定形のお小言。物置にしまうか、古紙の日の廃品回収か近所の古本屋に持っていけという。冗談ではない、還暦を迎える爺ぃに指図するなと思いつつ、山を直す。干からびたへちまととうもろこしの戦い、ちろりん村を連想、年だなあと思う。

私の本は買うと高いが、売るときは二束三文になってしまう。押入れの下段と2階建ての物置は既に満杯状態だから、はみだした新しい書籍と図書館の本が床に山積みされているのだ。母の言うとおり近所の古書店に持っていけば、例えば玄田有史氏(恨みは無い念のため)の書籍など百円である。バイトの子が本を平然とさばいている。冗談ではないのだ。

シーツ交換がいつしか大掃除になり、改築工事から借金話、講師なんてやめちまえ・サポセンに火をつけたいの話になる。冗談ではない。父の転倒防止見張り役で余生を過ごせというのかと、結局はネットでもないのに炎上。昼間から結果の見えている定例コースを追いたくない。母は古いシーツを洗濯機に押し込んだ。母は、さっさと握り飯ひとつを自分の部屋に持ち込んで扉を閉じてしまった。馬鹿な話なのである、このシーツは今日中に乾かない。見境いの無い八つ当たり行動に気が滅入る。

「フランスの社会的経済」(ティエリ・ジェンテ著)がその山の上にある。生活就労支援の外枠・受け皿の形をフランスにおける協同組合や共済組合、アソシエーションの実践史とその経験を概括的に探るが、私が求める活動事例と経験は得られない。ただ、調査の外枠、狙いは提供してくれる。

共通の利害と課題を抱えた層のエネルギーを束ねるという活動を私は求めていない。よりミクロな立場の差異を化学反応の熱のように取り出せる活動を育てられないかと考える。治水学ではなく、営為学というか社会の営みに近い形を意識的に組織していく活動だ。

今、引きこもり青年の社会参画的地域構想と、野宿者の包摂的就労活動を社会公共的ニーズを媒介に立ち上げ住み分け(勿論共通の活動があってもいい)立ち上げる課題にぶつかっているのだが、国内の経験だけでなく、海外の事例もほしい。今「社会的企業」という言葉が、企業活動の市民活動進出と曖昧に使われ、例えば行政のアウトソーシングを企業がNPO団体に似た名前で請負えば、内容が社会的だから「社会的企業」と仮面をかぶる。企業活動はもともと社会を相手にしているので、社会的影響力がある。それを社会貢献といえば、企業活動はすべて「社会的企業」に、なってしまう。社会的問題の解決(公益活動)と営利分配のしっかりとした社会活動の中に、彼らの就労支援活動を描けないか。企業組み込み(就職)や企業連携(起業下請け)より、一層社会参画的な活動を描けないかと考えている。鍵は社会の営為の中へのネットワーキングである。

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茅ヶ崎市の雇用労働課から連絡が飛び込んできた。以前から私は引きこもり青年の地域就業の形を市との協働の課題として、市のげんき基金や、協働意見交換会の場面で提案をしてきた。私の構想は障がい者との連携ピアサポートの就労活動だったため、福祉的就労と一般就労の境界線ゆえに、従来の形になじまないこと、地元引きこもり青年の訪問活動を超えた自主活動が立ち上げられないままでいること(連携相手がいない)という弱点ゆえに、支持が得られず空転した経過がある。この頃からお付き合い願った行政の方々からの連絡だった。今回は野宿者の生活就労支援セイフティネットの芽をさぐる懇談会(5/18)の参加申込だった。茅ヶ崎の関係新設課「生活支援課」「雇用労働課」の二課と、就業時間帯中という無理があるがここは是非出張研修でと市社協に打診している。関心ある方は複数いらっしゃるのだが。

重い領域の活動だから、NPO・当事者側もなかなか参加を拡げることはできないが、なんとか20名弱位の顔合わせ懇談を実現したいと思っている。今回は生活保護がクローズアップされる。地域の起業就労と中小企業連携話も端緒を切る。緩やかにかつ持続しつつ、そこから活動を立ち上げたい。

さっそく野宿者支援関係のメーリングリストに連絡を入れて、懇談を是非成功させようと呼びかけた。今回は横浜・寿町の関係者が参加する。またビッグイシュー基金からも一応の応答をいただいている。「路上脱出ガイド」の「湘南版」の可能性を考えられるからだ。

次はシンポジウム的な公開企画で、実務者交流をより膨らませればいいのだが。

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さて父は、怖い形相で車椅子に乗って帰ってきた。新しい特養ホームの職員さんと馴染めない風が顔に出ていた。階段をあげるのも、父の慣例に不慣れな方が誘導するので、あちこちで父は不安を露わにした。立ち上がりも腰を引いて重心を崩してしまう。

玄関から階段までの対面歩行がこれほどもつれたことはなかった。いくら事前に担当者と煮詰めても、具体的な場面では戸惑いが出る。父は必死に周囲のものにしがみつく癖がある。誘導を無視して周辺の建具・家具とともに転倒する。その父の両手をつかんで引っ張れば、猛反発が起きる。初対面の誘導者のときは、誘導者の肩に腕をかけさせていても、襖が近づけば襖に、椅子が近づけば椅子に突然しがみついてしまう。その危険行動を事前に伝えてあったが、階段のところでは、階段の手すりを握らせないと、麻痺側のかかとが、踏み込み浅く段中途で宙に浮いたまま全身をそらして抵抗するので、背面飛び込みのように父は、足を踏み外して落下してしまう。見境が全く無い。今回も手すりを持たせるかで判断の違いがあり、父は1段目で座り込んでしまった。引き上げるだけで、双方汗びっしょりになってしまう。

上りは、利き足が先、下りは利き足が後がセオリーだが、その足の動く先に介助者の足が邪魔をしていることがある。これでは安定しない。今回はもろにその形。ホーム職員さんが前、私が後を担当したが、あと4段のところで、魔の背面ダイビングが出てしまい、父の全体重が私にかかった。「座って!」と私が声をあげ、重心を下げて父を座らせた。前回、父を崩した経験がもろに役に立った。同じ場所で父はトラブルを起こす。まさに予測と経験が転落を防いだが、命がけだった。

職員さんが帰って、私は父の部屋の床に座りこんでしまった。その前をベッドからふらふらと立ち上がった父がポータブルトイレに手を伸ばして、トイレに立った。つかまりながら歩けるのである。偶然、母が階段を上ってきて、横転しそうな父を支えたが、父は尻餅をつき、その場で失禁してしまったのだった。床は尿びたしとなった。戦争は再開されたのだ。

父は帰宅後、睡魔に取り付かれたように眠り続けた。ショートステイの帰りはいつもこうだとわかっていたので、近くの図書館に返却期限が来た本を返し、大船で大森海岸君と打ち合わせ。藤沢に戻って移動。相模大野の教室で個別相談を済ませて、コインロッカーに入れておいた買い物袋を取り出して帰宅した。明日は母の病院予約である。


《気になった書籍》

●「反貧困学習 格差の連鎖を断つために」>大阪府立西成高等学校著、サブテキストだが面白い。特に収入と生計の話。

●「ホームレスの人権 一問一答」>支援者向けの概説書で中途半端

夜間傾聴:中央林間君(仮名・こちらから)
     □□君(仮名)

(校正1回目済み)
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