湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネの地域学習活動・就労支援活動の実践試行を書き溜めていきます。

ホーム滞在中の父の様子を/放置傘再販の件で奇妙な進展が

2009-03-31 14:26:28 | 引きこもり
父が利用しているホームの滞在中の様子を聞いた。ホーム利用時に往復する日誌に記載されたメモと違って、冷や汗のかき通しになってしまった。とにかく職員の印象が悪い。指示に従わないだけでなく、大声で怒鳴ったり、職員をしかりつけたりしていた。父の声は電車通過時のガード下でも明瞭に聞こえる。その声でホテル職員のサービスを叱るように、清拭中の職員を的はずれに怒鳴ったり、「警察を呼べ」とやったりしていた。機械浴中に暴れたり、夜間徘徊中大声で抵抗したりと派手なこと…。

悪い方の足を完全に引きずるようになって2ヶ月。それにも関わらず、急な立ち上がりや、飛び出しをして、健常者すら慌てさせるような急行動を取っては転倒。自分の身体の状況を踏まえた行動にならないために、職員も目を離すことが出来ない。突発的なのだ。

周囲の利用者や職員が大声に萎縮していると、ケアマネさんに説明されて困った。案の定とは思っていたが、利用して2年目に入るというのに、知人ひとり出来た様子も無く、行事も参加し楽しんではいるものの、働きかける職員以外に交流する様子も無いという。趣味はないかとさんざん聞かれたが、本当に無趣味。困ってしまった。

解決すべき課題を緊急性を基準にならべたが、衝動的な危険行動と転倒については、話のキーワードが「排泄」と「身辺介助」に絞られたので、この前者は介護の隙間に起きることが特に問題になるということで、特に頻尿気味になっている状況解決をすることと、「便秘」時の独断徘徊が特に多いことから、この情報の確実な交換を徹底することにした。おしめを受容してくれれば、タイムラグを作れる。意思表示が強烈な父は放置されることはないが、この受容がこの数年、説得と無視を繰り返す一番困難なことでもあった。

ふたつの対策をうつことにした。ひとつは「頻尿」について治療に踏み出すこと。(尿路感染症・前立腺肥大・前立腺癌・メンタルな症状etc,)もうひとつは、有料ホーム入所を見越した体験的なショートステイ巡回、つまり他の入所施設利用を現行の介護サービスに上乗せすること。活路は明確であるべき。この2点で職員さんの閉塞感にも協力の道をつけることにした。

昨日はそうした課題を抱えて、主治医のところに行った。ここ一月ちょっと、急に排泄回数が増えている排尿時の「つまり感」「残尿状態」が、介助していて目だってきているので、前立腺肥大の進行を疑ったのだった。医師は直接本人を見ていないので診断を避け、まず投薬で確認の取れる尿路感染症の可能性を確認することになった。抗菌剤を飲んで、症状の変化を見るのだった。これなら間接的に予測が出来る。また、本人が失禁発見が遅れるのを嫌がって、薬を避けたが、睡眠導入剤の使用許可の再確認をした。

4月は下旬が忙しい。このときから、従来2回のショートステイ2泊3日を、プラス1回、他のホームで宿泊体験してもらうことにした。連休中は空きがなくなるので、連休前に利用する。

父は宗教の信者さんの前で、突飛な行動と反発を見せてしまった件で、行動自粛というか、部屋から出ようとしては、やめていることが分かった。これで止まるなら、問題行動が半分意思的なものであったことがわかる。

階段下に夜間にもバリケードを作り、階段入口には母の古い財布についていた鈴を扉のノブにつけた。しかしその仕掛けも昨夜は必要がなかった。ただ部屋の中、椅子を引きずる音がしたり、小走りの足音などが聞こえていたが、転倒はしていなかった。

そんなわけで、夜間傾聴が早々済んだ昨日は、放置傘の急進展があったので企画書の手直しをしている最中、マウスを手に絡ませて眠ってしまった。目が覚めたら日が昇っていた。久々の体験だった。

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昨日は近場で買物を済ませた。一度家に戻り、父の関連のホーム・医院・薬局まわりを済ませ、紙パンツと尿取りパッドを両脇に抱えて再帰宅。デイサービスからの帰宅時の階段介助を17時に済ませて、夕食の下ごしらえを母に引き継いで、巡回に出かけた。この巡回で出る途中、九条の会のOさんたちに道で出会った。Big Issue 誌販売再開への協力依頼を済ませたが、路上生活者支援は連絡が一方通行になるのが難、販売員Tさんの準備の進捗状況が見えないのだった。

今回の巡回は、大学合格している方。社会人からの再出発なので、余計な口は聞く必要が無いけれど、年齢差のある集団。年下の目が気になる模様で、大学は高校と違って、その辺はラフなはず。しばらく集団生活してこなかったしんどさは当然でてくるので、初夏までは時々会うことを確認していたので、相手が爺ぃでは仕方ないけれど、都内を4月中旬にぶらつく約束をし、本校に了解を取った。

彼はフィギュアスケートのフアンだったので、彼の語りは段々そちらの方に。私の知人がやっていた塾は、日体大のそばだったが、そこを卒業して、高齢者の健康インストラクターをしている子(?)がいて、キム・ヨナに似ているとかなんとか、この子は彼の幼馴染で妹的な存在。きっとくしゃみしていると笑って、今回の巡回は終わり。ノートの最後の印鑑とサインもしっかりと。

ただ、4月は何をやるかね、学習カウンセラーだと、何かやらないといけないしというわけで、紀伊国屋書店をぶらり回って時差を確認させられたが、まあ図書館にはあるので、岩波新書の霜山徳爾氏の著書でシビアな話をすることで一致。また、一回ぽっきりの話となる。難しいのは嫌だというので、意地悪を。フランクルやるよりは、いいだろうということで。僕の門出のご挨拶。

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放置傘の急進展とは、名古屋のエコザモールのHPに出くわしたからだった。JRの放置傘をめぐっての情報だった。

●「鉄道忘れ物リサイクル傘販売のご案内」

要は、JR交渉をしたとき、先方も状況を知らない方が紋きり対応されたことがわかった。

もうひとつは鉄道会社からの寄贈の動き。これも改めてのもうひとつのヒント。

●「北総鉄道株式会社から忘れ物傘2000本が寄贈されました」

ただこれは、支援者開拓には繋がらない。この辺がひと思案。JRC取り組みの線を深める道となりうるか。

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明日、乳児期の外傷性の遅滞を抱えていた女性が、我が家の自営補助から、A型の事業所に初出社することに。小学生時代から知っている子だから、就職祝い、何をあげたらいいか…さあわからん。どうしようかと…。

<気になる書籍>

●「虐待された子どもたちの自立―現象学からみた思春期の意識」
●「 LD・学び方が違う子どものためのサバイバルガイド ティーンズ編―自立と社会生活へむけたLD・ADHD・広汎性発達障害アドバイスブック」

●「域社会と協働するコミュニティ・バンク―米国のコミュニティ銀行・クレジットユニオンとNPO」

●「犯罪からの社会復帰とソーシャル・インクルージョン」
●「非行から子どもたちを救うために―八王子医療刑務所の体験をもとに」


夜間傾聴:□□君(仮名)
     相模大野3君(仮名)
     中延君(仮名)

(校正1回目済み)
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父の入所を考え始めて/年度末。4/2の19時のPJまでに流れの整理を

2009-03-30 11:47:46 | 引きこもり
3/29午前7時、父が宗教の冊子を片手に階段を降りて、中途で私が発見。門前で集まっているから行くのだと父が言い張り、ともかく座らせたが、戻ることを父は納得しなかった。連日の騒ぎで、私が疲れていたのか突然耳鳴りに襲われた。気になっていた右側だった。

今は午前7時であること。この時間に集合はありえないこと。お昼に信者さんが訪ねてくること。(嘘)懇願して四つん這い状態で階段を昇らせた。戸惑いを見せながらも、昼に来るならと、ベッドに入った。

父を戻した後、階段を降りようとして、右目が霞んでちらつき、オブラートの隙間から玄関がちらりと見える状態となっていることに気が付き、私も寝たばかりの布団に再び潜り込んで、眼圧降下剤を点眼した。前日のように両眼の異常ではなく、今回は右目だけ。いつしか眠っていた。

9時前に、母が突然私を揺り起こした。父の事件だった。父の2階の居室脇には、トイレがあった。昨年、父がおむつを拒否して、紙パンツを流したために、汚水があふれて、真下の厨房の屋根が水浸しとなり、厨房が使えなくなる事件があって、その修繕の際、老朽化した管の交換は工事のし直しとなるということで、上下水を止めて、使えない状態にしていた。その場所は、ベッド柵などの物置きにしていたが、父が柵を引き出すので、入口のアコーディオンカーテンを紙テープで開かない状態にしていた。それでもテープを力任せに破り、柵を持ち出すので、柵を別のところに移し、洋式トイレの便座の上に、すのこやら、空き段ボール箱などを積み上げておいた。しばらくは、騒ぎは収まっていた。

ところが、母が悲鳴をあげたのは、父がトイレの中に入れておいた物をすべて部屋に投げ出し、水道栓が止まっているトイレで、糞をし、トイレットペーパーの山が押し込まれたのだった。母は父に工事屋を呼べと迫った。父はいきり立ち、親子電話の子機をつかみ、間違った操作の上に、母が差し出した電話番号メモの番号を押して、ちょうどハンドマイクを持つように受話部分に向かって「もしもし」を繰り返した。昨日と全く同じ状態。耳に受話部を当ていないその様子が異様だった。

父はベッド柵が気になっていたのではなく、トイレを使おうとしていたのだと分かった。父は自分が掃除すると言い張った。ゴミは1階に運ぶと言い出し、母と口論になっていた。このまま、私が入れば2:1の話となって、父はだんまりを始め、私らがいなくなったとき、また思ったとおりのことをはじめるだろう。私は前の外出しようとした件とともに、父の宗教の信者さんの前で、状況を見せながら、家族が危険から父を守ろうとしていることが、私らがいなくても宗教団体の兄弟姉妹がすべてやってくれるという論拠をつぶすことにした。

父の信教の自由まで侵すことはしない。しかし、もう外出して集会参加などをすることはしないと、信者さんに語らせた。我が家の父のもとに訪問することは拒まないと伝えた。

「危険なので階段をひとりでは、降りないこと」
「排泄はポータブルトイレを使うこと」

この2点を約束させた。不服な表情のまま承諾したので、また破られるだろう。今日、ホームのケアマネさんと相談し、有料特養ホーム入所の準備に入るつもりだ。今朝も、

0:42排尿後、転倒悲鳴<救助
2:22悪夢の寝言(語り、大声、ベッド柵を蹴る叩く。)
3:28室内徘徊家具転倒<様子を見に行く。
5:20排尿
6:17室内徘徊カーテンを開ける音・つまづきそうな小走りの足音。
6:25起床、TV大音量<止める

こんな調子。8時には朝食、12時に昼食となり、午前中は電話・訪問客があるが、父は昼間寝ている。私も生業や夜間傾聴があるから、父の対応はいまのところ何とかなっているが、交代とはいえ、家族の睡眠時間が保証されない事態が長期化することには耐えられない。通院すらホームで預かってもらわないと出来ない状態では、2泊3日のショートステイだけでは治まらないからだ。

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昨日、茅ヶ崎駅北口歩道橋で九条の会のOさんと話をした。Big Issue 茅ヶ崎販売再開に協力してくれる方がいるとの情報を、販売員Tさんからもらっていたからだ。快く協力してくれる旨の話となり、販売員Tさんに会いに行った。ところがTさんは、サポートまでは無理と言われたとしょげていた。いつも何やら話がずれてしまう。困ったもので…。しかし、じわりと輪が広がっているのを感じる。

4月2日が地域就労支援PJの月例会だ。今回は秋の新協働スペースの運営実を立ち上げる。参加者の輪を拡げていく受け皿。PJは学生さんなどの周辺からの支援者開拓や運営実が自立するまでの応援諸企画の提案推進を行うことにしていく。

湘南おやじの会も連続講演会をやるという。PJは協働スペースのモデルになるような諸団体を回りたい。ここにはJHC板橋会も入っている。「わーく」は、もう少し路線が見えるところを回りたい。これについては、別の機会に。

8時、朝食準備。9時にはデイサービスの迎えが来る。一度、中断する。

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今日は、昼間、父の関連の通院、薬をもらう。紙パンツ・尿取りパッド・消臭剤の買出し。放置傘の件のチラシ作り。夜、巡回1件。

夜間傾聴:******君(仮名・今夜、よろしく。)
     小田急相模原君(仮名)
     入谷さん(仮名・君の方が字がきれいだ。全く…。)

(校正1回目済み)

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トラブルが起きていました/Big Issue 茅ヶ崎販売カウントダウンへ

2009-03-29 09:52:23 | 引きこもり
父が異様に静かだった。ホーム滞在中の状況を聞いてみた。肩をかばっているようだという。転倒したときに打ったのだろう。骨折しているわけではないので様子を見ているが、父は誰が聞いても自分の症状を話さない。医者に行ってもだんまりを決め込んでしまうので、問いを作ってyes/noで応答させることが多い。語ることが自分の弱点を晒すように感じているのか、その話になると救急車の中の救命員からの質問ですら横を向いてしまう。来客との会話となると、大声となって場を仕切ってしまう。ゆったり対等な会話が出来ない。心が荒れ閉じているのだ。

一日この調子なら階段騒動も起きまいと、母が大学病院に出かける矢先、母が服を着ていると激しい落下音がした。私が慌てて2階に上がってみると、食事の盆を投げ飛ばし、歩行器を抱きかかえた状態で、父が部屋の出口で仰向けに転がっていた。やったことのない下膳をしようとし、階段の手前で転倒したのだった。下膳は初めての行為だった。

母は「出先になるとなんで邪魔をするの」と父をなじった。ホーム職員なら、「手伝おうとしてくれた」と父をまず褒めて、「だけど」と切り返し、行為の危険性を説くだろう。しかし、生活を共にしてきた家族の場合、父が出先になると、爪きりがないとか、急な失せもの探しや味噌汁の塩加減で怒り出すのを知っている。だから下膳とて、その心の流れが見えてしまう。褒める気にはなれない。

転がったまま、恐ろしい形相で母を睨んでいる父の傍らで、周辺の食器の破片を私は黙々と拾っていた。ふと顔を上げて驚いた。お椀が、開けっ放しになったポータブルトイレのバケツの中に落ちていたのだ。周辺は味噌汁と尿でべたべたに汚れていた。

推測がついた。食事中、尿意を催し、トイレの蓋を開けた。立小便をしようと立ったが、飲みかけの味噌汁が気になり椀を手にした。ところが排尿と味噌汁は両立できなかった。バランスを崩して味噌汁を落とし、尿をこぼした。事態に慌てて、文句を言われるのが嫌だから、食器を遠のけようと思いつき、盆を1階の厨房に持っていこうとし、途中で転倒したという筋書きだった。危険度の認識は全くない、結局、私たちが油断していれば、父は盆を持ち、下手をすれば歩行器を使って、段の奥行きの無い階段を降りてくるつもりだったのだ。

こみ上げてくる疲労感を押さえ込んで、歯を食いしばって、掃除機を持ち出し、破片を取った。母は車に乗り遅れると、父を放置して出かけていった。脇に退けた歩行器を起こし、歩行器に掴まるように指示した。立ち上がるときに腰に私の手を添えて補助し、なんとか立ち上がらせた。ベッドサイドに移動させて、座位を取らせ濡れた上着を交換、次に寝かせて膨らんだ紙パンツを交換し、洗ったばかりのパジャマズボンを履かせた。おどろいた。着せている最中、入れ歯をつまんだまま、父はすでに寝息をたてていたのだった。

洗濯物の予定が増えたとつぶやきながら、洗濯機の渦を眺めていると、頭上でトイレの蓋が閉まった。閉塞感がこみ上げてくる。階段下に車椅子のバリケードを組んで、茶の間に毛布を引き込んで仮眠を取った。

1時間半も寝ただろうか、家の塗装修理の営業マンが突然、飛び込みセールスにやってきて、そのチャイムの音で目が覚めた。と同時にドドドッという、つま先走りの音がして、すぐに父が倒れた。階段に出る辺りで、また転んだのだった。玄関をノックする音がして営業マンが入ってきた。私が必要ないと断る背後で、父が「はい!」と大声をあげて階段を降りようとしていた。

営業マンを放置して、バリケードをかき分け、父を押しとどめた。「落ちたら死ぬのがわからないのか!」と怒鳴ってしまった。その場で腰を強制的に下ろさせ、営業マンに「帰ってくれ」と怒鳴った。慌てて扉を出て行ったが、父は自分がまた怒鳴られたと思って、いきり立った。場所が悪い。身体を殴られながら、父を押し上げるように2段上の踊場まで持ち上げた。入れ歯が音をたてて階段を落ちて行った。

冷却の間をあけて父を立たせたが、いうことをきかない。やっと椅子に座らせたところ、父は急に尿が出たくなったのだった。神風ならぬ紙風が吹いた。ベッドサイドに父が尿意に押されて慌てて戻ったので、排尿後、習慣どおりベッドに誘導。ベッドに転がったところで、父は枕をつかんで私に向かって投げつけた。

階段下に落ちた入れ歯を洗って、父の枕元に行った。布団を裏返しにかけて、父はすでに眠っていた。

茶の間に憂鬱を抱えて、私は戻ってきた。巡回の時間には母の友人親子のサポートが入る。しかし、この状態では迷惑をかけてしまう。

ふたつ対策を打った。我が家のサブの電源ブレーカーを切って、停電状態を作り、どのブレーカーが庭の電源のブレーカーなのかを確かめた。門と玄関のチャイムと、井戸と風呂場の給湯器電源がひとつになっている。井戸はすでに使っていないし、給湯器は家の中の操作スイッチから電源を切ることできた。このブレーカーを落としておけば、チャイムは鳴らない。次に睡眠導入剤を使うこと。夕方には母が帰ってくる。ブランク数時間を眠らせてしまう。邪道と知りつつ、まるで犯罪者のような気分でそれを実行した。チャイムが鳴らないことや、湯が出ないことを引き継いで家を出た。

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今回は海老名まで出てきてもらって合流したので、移動時間を短縮できた。環境問題に関心があるというので、古典、レイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」から話を膨らませた。この時期ならではの脱線個人授業。教科を横断して話をした。一度は読んでほしい作品である。その価値を知っての変化球だが、ざっと感想を聞いたうえで、私は斜に見るひとなので、軍国少女と環境学者の眼差しの類似点という嫌味な話をし、感動を語る彼女を中和していた。

横道に入った話題は、外枠裏舞台が話題となった。甥のロジャーはすでに老いている。その時間差が「何か、やだ」という感想の話題になった。(それほどに作品の力があるのだが。)環境という視点に気が付くには、幼少のときからの体験が大事か、いやいや、大人だって即わかるとかいう話にずれて行った。豊饒な自然を感じ取ることが背景にあって崩れていく自然に危機感を感じるのか、日常の変化が再現不可能なほどに崩れていくから感じるのかと言う、ちょっと違った環境の話は、やがて時間切れの中断。この手の議論は結論を出すことが目的ではないので、「満足してもらったから、まあいいか」で帰ってきた。ゴアが「不都合な真実」の続編を出すから、映画観なと言っておいた。魑魅魍魎百鬼夜行の塗り壁お化けの大本営が出るのも環境問題、視座は大事。

夏場は高卒資格認定試験があるので案外場が作れないが、年末と今の年度末は話は脱線する。しかし、この子は別格だから変化球論議が出来る。「判断する私とは何か」という議論は環境問題ではなく、学問の根底への誘いだった。

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相模線内でうとうととしていたら、携帯が鳴った。母からだった。奇妙なことに気が付いた。携帯の文字盤が読めないのだ。ちらちらとオブラートが被った視野が焦点が合わないのだ。焦って目薬を差す。

母の電話は父の様子がおかしいからすぐ帰れというものだった。

戻ってみると、父は茶の間に横になって眠っていた。階段を降りてしまったのだった。睡眠導入剤の効果だろうか、揺すっても起きないのだった。話によると、母の友人が足音に気が付いてすぐに、滑り落ちる音がしたので階段に回ってみると、父が階段途中で座り込んでいたという。持ち上げられないので、降ろしたという。困った。判断は逆なのだ。正解は四つん這いにして、押し上げるのだ。

しかし恐れていたことが起きてしまった。ともあれ、父が目覚めるまで待つことし、母には夕食は自分で作ってほしいと頼んだ。目がおかしいから、少し休むと伝え、布団に潜り込んだ。母が水を持ってきた。不安なのだ。父が目覚めたら私を起こすようにと伝え、目を閉じた。

30分ぐらい経って、口論で目が覚めた。父が出かけると大声をあげ、パジャマ姿で玄関扉のノブを握っていた。

「すぐに夕食だから、2階に準備してあるから、食べてからにしないか」と私は父を誘った。「電話をもってこい」と父が言うので子機を渡した。父はインターホンに話すように、電話に向かって「もしもし」を繰り返した。受話部分を耳に当てないその様子に、母が青ざめて口を覆った。

子機を投げ捨て、父はドアノブにしがみつき、片足に履いたサンダルを脱いでしまった。「ご飯だから、食べてからにしよう」と耳元で話した。仕方ないという顔をして、父はゲタ箱にしがみつき、廊下に戻った。

調理時間が勝負、かすんだ目のまま冷凍食品を炒めた。母が父を看ている間に、準備を整え、2階に父を誘った。母は階段昇降補助は無理なので、墜落時はもろともだが、腰をがっちり持って、部屋も母に椅子を持たせて、途中、中継点の椅子に休ませつつ、ベッドに誘い、ベッドサイドで冷めた夕食を食べさせた。

紙パンツ交換を済ませる頃には、外出の話は立ち消えになっていた。

左目は視力を回復していた。しかし、右目のちらつきは、異常だった。眼圧を思い、眼圧降下剤を付けて目を閉じ、仮眠を取った。

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幸い視力は回復したものの、夜間傾聴は休んだ。しかし、父の徘徊は容赦なく明け方までに5回続いた。階段を降りようとしたことが1回。6時からは、母が交代したが、私の枕元には、非常時用に、内線機能のある子機が置かれていた。

それでも眠ってから視野はだいぶ回復したので、午前中、眼科に行った。ヒアルロン酸目薬を差していてくださいといわれて、特別な処置なし。昼を母に頼んで、借りていた本を図書館に返して、15時合流のBig Issue 茅ヶ崎販売再開相談時刻を待った。

父は眠り続けていた。当たり前である。夜間5回も歩き回れば、昼間起きていられるはずがない。このことで昼間の展開はゆとりができた。

Big Issue 東京事務所のMさんと私が合流できたが、販売員Tさんと、カトリック教会関連のEさんが来ない。Tさんは、たまり場を覘いても会うことが出来なかった。Tさんは、地元市会議員と同姓だった。初めて家に電話があったので、うっかり市会議員の方と間違えて、今回は販売員さんの事情に関係した話が出るので別の機会にしてほしいと断った。これを販売員Tさんは来るなと言っていると勘違いして、場に現れなかったのだった。Eさんは東京事務所からの電話で集合場所の連絡ミスがあった。しかし、年度替りの時期なので旧年度中に済ます手続きもあったので、Mさんと会うことにした。

茅ヶ崎駅頭の状況を見てもらった。また、茅ヶ崎サポセンを見てもらった。再開に向けた話を歩きながらしていると、イトーヨーカ堂前で、なんとTさんが。Mさんを茅ヶ崎に呼んでよかった。Eさんとは連絡が取れなかったので、後日また4者の場を設定しなおすことにして、とりあえずTさんの販売再開前に解決すべきことを整理した。Eさんを交えて改めて詰めなおすが、これで再開はカウントダウンに入った。

今、「大阪夜の風景」という、大阪の販売員さんたちの写真展が行われている。この画像でもいいし、「関東昼の風景」でもいいから、写真展やりたいねえと話した。放置傘話とともに、これはペンディング。

ともあれ、目の調子が最悪だった。南口のスーパー「たまや」の黒いカートにパックされているトマトが、眼を凝らしてもオレンジに見えるのだ。ヘタの部分が下向きにパックしてあるが、小ぶりなオレンジに見えてしまう。通路の向こうが霞がかかっていた。巡回を中止。家に戻って休むことにした。

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翌日も0時過ぎると父の奇行が始まった。十字ドライバを握り締めてボルトがないと階段を降りてきて止めた。カーテンにぶら下がって金具が取れてしまった。椅子に下半身衣類を下げた状態ですわり、ホームはまだかと私に聞いたりと、1時間ごとに、何かが起きていた。そしてついに、朝7時。父は庭で転んだ。私がトイレに行っている間の出来事だった。休ませながら2階に戻したが、私たち家族に限界がきつつある。日曜日、ケアマネさんは休み。様子を見て対応を考えてもらう。まもなく10時、あと1時間ほどで、父の宗教関係の信者さんが父を訪ねてくる。あと1時間、とにかく仮眠。

夜間傾聴:28日分 □□君(仮名)
     29日分 中止

(校正2回目済み)
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「取り残され病」というべき憂鬱/八木原講演の「ジョブサポーター」の波紋に考える

2009-03-27 14:13:23 | 引きこもり
この間、巡回の方を日送りしてきたので、昨日は集中して巡回してきた。八木原先生の明学大にも学部が異なるが入った子(?)がいて、この子は今回が最終巡回。あれやこれやと話し込んだが、私はサイドガード屋だから教室の授業を担当しているわけではない。だから会話の中に、ときどき見知らぬ子の名前が登場する。その友人に会うためにと、裏の引っ張り上げの絆があって、進学にこぎつけることが出来た。人の力は大きい。引きこもりの子たちの課題は、絆の課題とさえ思う。

最終巡回が教室面談となり、親御さんとの三者の話になると、私は気が重くなる。多くは親御さんが「お礼」目的で、場の自由さを奪ってしまうからだ。ご自宅への招待が来る場合はなおさらだ。だから親御さんにお願いして、いつもの駅前巡回の形にさせてもらっている。

ノートを持ってこさせて、「終了、おめでとう」と書き私の印を押すのが、私の小さな自己主張。邪魔にはなるまいと思う。そんな爺ぃの思惑とは別に、彼らは飄々と通過儀礼をこなして、しゃべっている。これが私の成果。一瞬で会話を生み出してしまう講師もいる。私は戦争しないと和解が無い。本来不向きなのだなと思っている。

残り(失礼)の連中は、卒業ではないので、WBC何て見てないぞという私を大仰に化石となじる奴との罵詈雑言が面白くて、新年度もよろしくなという挨拶に終わる。ひんやりと言葉少なく、無表情で辛辣な笑いを引き出す子もいる。いずれにせよ、その辺は個性、会話が成り立っていればいい。

そんな訳で、昨日は1+2段重ね。一応の区切りを繰り返して、時間は短かったものの、異様に疲れが残った。昨日は父の帰宅日。14時半に一度帰宅し、また出かけていく。行き来だけで4時間が消える。図書館やひと気の少ないカフェを利用するから、3段目となると、終了後、食事するのも「一休み」の気分にはならない。だから、さっさと食事を済ませ、コインロッカーに入れた買物袋を取り出して、両脇に抱えて帰宅した。

この時期になると「取り残され病」ともいうべき憂鬱が、花粉に乗ってやってくる。レースから外れたものの寂寥感というか、眩暈が自分の時間軸を見失うのだ。この時期は無理をしない。小さな目標をわざと立てて、視野を狭くしてしのぐ熟達者もいる。私は無理に新年度方針なるものを提示して頑張りループの中に引き入れることはしない。彼らは生活の中で、先々マラソンのような場面がやってくることを(過剰に)予感しているから、進むも避けるも無理が出る。「無理」をお前が言うなんてと思われるが、免疫と遠眼鏡が出来れば藪こぎは何とかなる。人生の窮地は不可避だから立ち止まる判断力があれば、進んでいいと思っている。ところがこれが本人にはなかなか見えない。家族が癒しの場にならないことは、同世代に先んじて、彼らは百も承知だから、寝転ばればそれ以上は転ばない知を智とし、その見切りを踏まえていければ、雑草になれる。

巡回のとき話した連中が読めば、またでたよと思うだろうが、引きこもりが「直った」などと言っても、窮地は生涯には、百万もやってくる。だから「取り残され病」の時期には、その耐性を育てるために、寒さを分かち合うことが肝要だと思っている。伴走は孤独と言う炎天下でさえ凍え死ぬ寒さがあることを知るものの役割だろう。

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父はむっつりと口を「へ」の字に曲げて帰ってきた。入浴時、父愛用の眼鏡が落ちてレンズが外れてしまったという。父は読み書き用以外は本来眼鏡を必要としない。そのせいか扱いが乱暴で、枕の下敷きにしたり踏み潰したりと、年十数回も眼鏡を壊す。父の足が悪くなってから、眼鏡屋に連れて行き調整することが厄介になってきた。だから今回もどうするか悩んでいる。上着のファスナーも片手麻痺で巧緻運動が困難になってきているので、上着は、ついに閉じることが出来ないほどぼろぼろになって戻ってきた。マジックテープ型に切り替える時期が来ている。

今回もホームの就寝後トイレ探しの徘徊が頻繁にあって、宿直の職員さんを困らせたようだ。頻尿対策の指示が日誌に書き込まれていて、職員さんに被害が出たなと恐縮している。昨夜も私がポータブルトイレの清掃をしている最中、バケツの無いトイレで放尿し、しかも本人無自覚という事件が起きていて、場の把握が出来ず、注意しても制止が全く効かないことを痛感している。母なら大口論となっているところだ。

幸いショートステイの後は、疲れるのか熟睡。私が朝食を出すまで父は眠っていた。

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八木原先生の講演のなかで「JHC板橋会」の実践に織り込まれている「ジョブサポーター」の概念が参加者の関心を呼んでいた。「私の仕掛け、我が意を得たり」とも思っているのだが、この「就労形態」は地域起業の絵を描くにあたって勘所にある概念のひとつだ。ただ私の従来語ってきた「ケア・パートナー(協働就労者)」の概念よりも機能的だ。

八木原先生へのお礼のメールの中で、書かせてもらったことを、一部引用する。

------ここから------

「ケアパートナー」とは、「お世話気味(非対称)の同僚・兄貴分」のような生活の部分にも重なる協働同伴者のこと。実は引きこもり青年・社会的挫折組青年の意欲を引き出すための「ケア」という「他者へのお役立ち・必要とされること」の意欲誘引の含みを載せた就労形態でした。ところが従来からの障がい者支援活動関係者は、手帳を持たない方は視野の外だったために、自分たちの生きていく「世界」作りに関心が向けられ、地域社会の中に生きていくという視点が弱かった。だから「パートナー」というと「家族」と短絡してしまうのです。「ジョブ」「サポーター」は、そこを突き放して見せてくれたという点で、フィットしたのだと思います。

「ジョブコーチ」は必要はわかるがプロの仕事、自分たちには無理だがしかし就労支援に加わりたいという、そんな思いに形を与えてくださったのです。

------ここまで------

地域起業するときに、大事なことは「公共的な社会のニーズに応える」という社会的企業の原則に則ること。地域社会の一員として仕事を媒介に社会参画していく道を収入の源泉として描く。このとき「対人交渉」の壁をどう越していくのか、不確定な場面を切り抜けていく方策がなければ、特に精神・知的・発達の障がいがある方の就労は困難だ。

これを従来の施設職員や家族でサポートすることには限界があり、ここに「サブ・スタッフ」的な同伴仲介者の存在が必要となってくる。ここに、転換の契機を必要としている引きこもりや社会的挫折、軽度障がいの青年の力を積極的に入れ込んでいこうという発想が生まれた。それが「ケア・パートナー」だった。

配達業を例に取れば、自転車や車を使って2~3人のチームを組んで仕事をする。これが就労の最小単位となる。ケア・パートナーは、特に接客や仕事のバランスを考え、同時に連れ合いの青年の調子も意識していくという「結果的リーダー」の立場に立つ。なぜなら彼もまた社会参画の模索者だからだ。このチームに生成している諸変化を交流させ、安定化させていくのはスタッフ会議とその中の常勤スタッフだろう。この常勤スタッフは、仕事が地域との交流の場であることを意識している。出来事が拡げる様々な地縁を結び、機会を広げるスタンスをとる。

従来の事業所は、障がい者自身の利用のために運営されてきた場だった。これを繋がりの契機を保証していくネットワークの結節点として運用をシフトしていくということ。地域に根ざすという志向性を持つこと。この辺に「同僚・兄貴分」のような「サブ・スタッフ」の存在を取り入れていく。だから、それは従来の事業所には構造転換を伴うことで、障がい者の現状を知らないものと映っているだろう。いわば障がいを持った方の個々人の資質を評価し配分することと、その実現の起動支持者としてジョブ・コーチがフィットしていた、

しかし、障がいは人的環境を含むその人の環境によって大きく様相を変えていく。その絆の力の評価を取り込むことを能力の静的評価の医療モデルの残滓によって分切れていない。能力の動的な把握を絆の部分に求めていく枠組みが「ケア・パートナー」だ。友達的な存在であるがゆえに、就業の場を離れて生活の場面でも緩い協力関係を持つと言う特徴がある。

だから入れ込みの場面とその意義を、いわば手帳を持たない「部外者」から提案されて、従来の発想からは価値が見えないというか、それは「家族」ではないかという解釈に邪魔されて仕組まれた構造が読み取れないという空転に晒されてきたのだった。

八木原先生の紹介された「ジョブ・パートナー」は職場の先輩的な仕事の援助者の話だ。だからプロ的な「ジョブコーチ」よりは「素人的寛容さ」を含んだ一般的な支援者のなしうる援助の形であり、協働的に働く伴走者でもある。この後者に置いて、「外部指導者」である「ジョブコーチ」よりも発生する様々な出来事に埋め込まれた可能性を柔軟に拾い上げやすい立場にある。この意味で、変容と発達の枠組みを前提理解していなくとも、支援者の関わりに形を与えるものとして、講演の中で評価されたのだと思う。「ケア・パートナー」は生活領域に及ぶ不純な要素を抱え込んでいるが、その共通項において手ごたえがあったと考えている。

今は新ショップ開店と同時に始まる協働スペースの出発点を得て、その可能性を開く試みを実現に向けて踏み出して行きたい。「この指とまれ」方式は、「企画」と実現の「予算」と可能性「評価」を緻密に組んだ実行契約によって、書かれたことを実行するのが活動とする企業型の静的実践型とは異なる動的な目的適合の罠から解放された連携法だ。ネットワークの結節点連携(ノット・ワーキング)を踏まえたとき、成長型の実践法が生まれてくる。野放図の力を封じ込めない組織連携の柔軟な形を導入することが出来るのか、その辺が問われている。

夜間傾聴:******君(仮名)
     小田急相模原君(仮名)
     橋本2君(仮名)

(校正2回目済み)
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東京の眼科専門病院に行ってきました

2009-03-26 11:21:42 | 引きこもり
父のホーム宿泊中に、東京の眼科専門病院に行ってきた。緑内障と神経眼科外来。後者は予約。地元の眼科から右目視野下部の激しい明滅は、眼科の範囲では特に異常は認められないとされていた。同時期に右耳の断続的な耳鳴りが始まっていたので、地元耳鼻咽喉科へと検診を受けたが異常なし(?)、神経内科でもMRI異常なしということで、神経眼科にいくことにした。右目視力が落ちている上、突発的な眼球の痛みがあるので、放置できない状態だったからだ。今回は初診なのでなんとも言えないが、今後は神経眼科一本に。

帰り道、行きつけの古書店に資料散策に行くが、懇意にしていた店員さんが定年退職で会えなかった。恒例の「春取り残され病」第一弾の寂しさを抱えて、収穫なく店を出た。

夕方から、招待されていた私の関係した子の卒業パーティに顔を出し、母の調子もよくないのでと、準備してきたプレゼントを手渡し、中途退席してきた。本当に申し訳なく思っている。

彼のことを思ってバス停でぼんやりしていると、後から、まりもさん親子が私をつついて気が付いた。可愛い息子さんに挨拶して、気が晴れた。まりもさん、感謝。

母は近所の友人のところに買物がてら出かけ、私が帰って間もなく戻ってきた。胃の不調は治まった模様。とにかく家の中が糸が切れたように、ゆったりと時間が流れ、静かだ。父の騒動の大きさを改めて感じている。

八木原先生へのお礼のメールを書き、春期講習に忙しい同僚に、窓際度の高まる新年度の私の絡み方の件をメールしていると、両足がつった。今夜は資料作りの方は休み、専用携帯の方のセットだけして、床についた。

初めての大人の方から、両親の相談が1件。先方の家族が寝静まってからの、珍しく当人からの相談だった。音声電話(携帯)だったので、近所の駐車場まで移動。緊急性がないことを確認して、来週会う約束をした。職場挫折による退職から、大学への行き直しを考えている方。厳しい経過をくぐってこられた関係で、一般論を語るわけにもいかず、微妙なところ。

本校に担当者からの紹介の方の問い合わせありと連絡を入れた。勝手に枠を広げることは出来ない約束になっているからだ。私のキャパを考えると担当することになるかどうかは五分五分。

身体が冷えたため、足のつりが再発。強いジンをあおって、血流を戻す。布団に仰向けになって両膝を立てているのが一番。□□君との応答に誤字が多かったのは、この最中だったから。□□君、許せ。

3時すぎに、どうやら終了ということで、消灯。

夜間傾聴:紹介付き新顔さん
     □□君(仮名・Pちゃん会いたがっているぞ。)


(校正2回目済み)

p.s. 八木原先生の「ジョブ・サポーター」の件、あとで書きこみます。
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3/24の講演会はアクシデントをすり抜けて行われた

2009-03-25 08:32:52 | 引きこもり
長い一日だった。24日は、父が2泊3日のショートステイに出かけていき、午前中いっぱいに、地元の眼科に眼圧を押さえる点眼薬と神経眼科への紹介状をもらって、講演会の配布資料を仕上げ、その日の18時半から就労支援の講演会が控えていた。加えて、講演会に使うパワーポイントが使える会場持ち込みPCを確保するか、講師の方のPP資料とStar Suits Impressとの折り合いをつける必要があった。

母は27日金曜日に、大学病院の最後の定期検査の結果を聞きに行く。合格すれば、かかりつけの地元医に、治療が引き継がれ、年1・2回の定期検査のみになるのだった。この日にちを、前月治療日の16日と母が混同して、「26日大学病院」と、ケアマネさんに伝えてしまった結果、27日までのショートステイが1日ずれて、26日帰宅の、意味の薄いショートステイが確定してしまったのだった。地元医にはMRI画像のコピーも含んでカルテの要約が引き継がれることになっていた。地元医の要請だった。

生活指導があるから、食事担当の家族も病院に来るようにと指示されていた。家族指導とは、結局、食事の説教と、定期検査管理を家族も忘れるなという話だが、27日は母の勘違い申請の結果、父を母の留守中、介護している必要が出来てしまった。しかもホームの空きベッドの関係で変更不可能と言われていた。大人しく寝ていればいい。しかし、この間転倒が派手になり、元気なとき徘徊がひどくなっていたから、目が離せないのだった。

ごたごたの状態の中で、父に今回のショートステイの説得が破綻していた。父は基本的に外泊は拒否。母の治療のために「我慢する」というスタイルをとった。ホームには、入浴と顔見知りとなった職員さんとの話の楽しみがあった。ただ、家族に指示されて出かけることが嫌であり、ホームの食事の量が足らないから嫌がったのだった。

23日就寝時、説得が奇妙な形で破綻した。実際の日程は27日なのに嘘をついて、父を今回が母の最後の検査であり準備もいるからと説得したのだったが、父は「手術はいつなのだ」と言い出し、「俺はホームには入らんぞ」と「厄介払いの拒否」に、暴れ始めたのだった。つまり、この間の通院治療の事情を全く理解していないか、ホーム入所を指図されたと勘違いして、午前0時過ぎまで大騒ぎだった。

父は興奮したまま、部屋を転びながら歩きまわって、水をこぼしたり、衣類の山を崩して汚したりと午前3時近くまで、寝付かなかった。

その反動は、送り出しの目覚めの悪さとなっていた。まさに子どもだった。父の顔をおしぼりで拭くと、黙ってそれを払いのけた。結局出発の10時半まで、ほとんど講演会の準備は出来なかった。

鬼のような顔をして、父は車椅子に乗せられて出かけて行った。

夜間、PP資料のエラーに取り組んでいた。PPで閲覧したときと異なり、画像の枠から文字がはみでて、図版が乱れてしまうのだった。Macの文字らしきものが入っていたが、最後に気付いたのは、画面設定の違いという馬鹿馬鹿しいことだった。

次に、2009/02~3の障がい者雇用をめぐる地域就労の必要性が分かる新聞記事の紹介を書き上げておく必要があった。これは5時前に完成。印刷はサポセンで行うことに。

父が出かけたあと、ホームから父の薬が、引継ぎ袋の中に入っていないから持ってくるようにと電話が入った。午前中は地元の眼科に行って、薬の補充と、今日東京の神経眼科に行くための紹介状を書いてもらう必要があった。その後の印刷の時間を考えると、手痛い過ちだった。結局片道2千円の出費で往復タクシー、診療締切時間には間に合ったものの、父はホームでも職員さんが目を離した瞬間に、車椅子から立ち上がり派手に転倒していた。指示に従ってくれないと帰宅もあるとの話に、うんざりしていた。階段単独昇降禁止のひとつの約束さえ、数分後、約束を忘れて私の後を追うように階段を降りようとする虚しさ。車椅子からの転倒も同様な経過を通っていた。父が排尿などの理由を持っていたかと職員さんはチェックしたが、明確な理由は浮かび上がらなかった。

眼科診療は、すべりこみ。その場で紹介状を書いてもらい、次はPPの入った個人所有のPC受け渡しをキャンセルすることだったが、この混乱の中で電話連絡をしていなかったので、携帯電話を持たない彼と待ち合わせの場所にした平塚図書館(彼は伊勢原の人間だった)で合流。丁重に断って、ついでに図書の更新。昼食を書き込んで、茅ヶ崎サポセンに飛び込んだ。

プロジェクタ接続テスト、A4で33枚、約1千枚の印刷と帳合、機材の搬出が待ち受けていた。そこに講師からの電話が入った。戸塚駅で人身事故。東海道線が1時間近く動かないというアクシデントが起きた。動揺の中で、会場の机椅子などを設営。駆け込むように会が始まった。

初めに私たちの側が、前年度の報告をして、時間をかせぐことになった。やがて参加者の方々が徐々に増え、最終的には20名強。予測の半数の会となった。

間もなく八木原氏が現れ、なんとか講演が間に合ったものの、追加画像のUSBメモリがウィルス汚染しており、PCの警告音。結局画像は使えない事態になった。

JHC板橋会の解説と、明学大社会学部の取り組みの紹介をしてもらったが、今回は支援者をめぐる2点が新しいところとなった。ひとつは「ジョブサポーター養成」の必要性、もうひとつは「関連学部学生さんとの連携」という視点。これについては、後日考えを書いてみる。

元町コミュニティセンターは、時間厳守。21時には、部屋の清掃を終えて会館外に出ていなくてはならなかった。めまぐるしい展開を終えて、食事がてら、PJレギュラーたちの総括がはじまった。これも後日。

終バスが出てまたタクシーで帰宅。母はぽつねんと椅子に座り、約束の夜食を待っていた。ふたりで茶を飲み、自分の部屋に戻ると、夜間傾聴の申込が入っていた。こうしてこの件を請けて、一日が終わったのだった。

朝、灯油共同購入の車が8時に入ってきた。これから眼科に出る。

夜間傾聴:□□君(仮名)


(校正1回目済み)

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嵐吹き抜けた一日

2009-03-23 08:02:36 | 引きこもり
春の嵐が通り抜けて行った一日、茅ヶ崎の椿祭りに趣味の団体参加とやらで、母が強引に出て行った。確かに数ヶ月前からの予約として、練習を楽しみにしていたので、時間交代の約束だったが、父の「看病」となると、やはり気が重い。

一昨日の父の暴発のツケが、翌日回ってきた。激しいスライディングの際に、父はアゴを打っていた。前々から、転んで口内を切ったり、鼻や額に傷を作ったりと、高齢者特有のケガをしてきたが、今回はアゴが痛いと言い出した。入れ歯を入れられないので、固い物が食べられない。下を向けば、口に入れた物が出てしまう。これは関節部かと、かみ合わせを確認するために耳元を触るが、怒り出してしまう。口論をするように事態を説明して触るが、横を向いて布団にもぐってしまうし、手を払い除けるので爪で顔を引っかいてしまいそうになる。祖母のときは、散々だった。アゴが百歳近いと、骨に萎縮があって、噛みあわせが悪くなって、外れやすくなるのだ。何回かの救急騒ぎで、整形外科の当番医が、模型を持ち出して、戻し方のコーチをしてくれた。現に2回ほど、救急車の世話にならずに、朝の外来まで持たせることが出来た。それも祖母が協力的だったから出来たことで、父はそうはいかなかった。

父の場合、関節部かあごの先か、触ると激しい反発をするので、ついに諦めた。重症ならば熱を持ってくるだろう。様子を見ることにした。食事が騒ぎだった。食欲は衰えていないので、要求するが、もともと半身不随気味なので、片手の食事をしていたから、正常な側の手を打撲していたので、スプーンすら不安定で、大半をこぼしてしまうのだった。

立ち上がったときも、身体を支えて周囲に掴まるために「握る」という動作に支障が出て、身体を背後から支えないと、立ち小便が安定せずに、周囲に尿を振りまいてしまった。勿論寝た状態でおしめや紙パンツに排尿することは、意識的には絶対にやらない。周囲に尿を振りまいても、頑としておむつを拒否してしまう。

さらに連絡用の機器が使えない。電話子機の内線呼び出しの2タッチが覚えられないというか、説明を拒否する。父が突然工事業者に電話して、旧型ISDN機を、はずす必要の無いインターホンを、無理に交換させた。ところが説明がわからない。よく人命に関わる精密機と付き合う仕事を職業にしてきたなと感心する。考えてみれば認知症の始まりだったのだ。結果、茶の間の親機しか使えない状況がしばらく続いていた。親機は受話器を取ればオンフック状態になる。子機は外線・内線の選択の上、ナンバーキーを押す。この選択がわからない。私はキャッチホンが、自己中心的な先方に失礼な機能であることと、会話が絶たれる不快さから絶対に付けないが、父は便利と導入し、機能を使いこなせなかった。意地があってインターホンを付けようとすると、使用を拒否することが分かって、無線型インターホンを返品する困った事態もくぐってきた。

だから父は大声で私たちを呼ぶ。そのせいで階段に出てくるのだろうと、私たちは初め考えた。ところがそうではなかった。ベッドから階段までが、一度は転ぶ状態なので、持ち前の大声でどなれば、隣の家が返事をして玄関を開けているほどに、声は聞こえるからだ。逆に言えば、私たち親子の口論は、私の声を取り除いた父のわめきとして、周囲に聞こえていた。昼夜問わずだから、夜間は父の扱いは萎縮してしまう。

こうして、父の体調が悪いときは呼ばれるたびに階段を上がり、用件を聞かなくてはならない。目の前に内線子機があるというのに。食事・排泄の介助を含めると四六時中、父についていなくてはならないことになる。拒否すれば歩き出し転倒する。体調の悪いときは、父も自分の状態に苛立っている。こうして昨日は、家の内外に嵐が吹き抜けていたのだった。

早朝から約束の17時半まで、悪臭立ち込める父の部屋で作業するわけにも行かず、階段下に陣取って待機をすることになった。

オンライン注文を使い、食材を買って、各人の夕食の準備をした。父の粥の固さ報告をメモし、誤飲対策の方法を書き加えた。祖父母のときと違い拒絶するからだ。母と玄関先で入れ替わるように、駅に出た。

3/24のパワーポイントデータが、八木原氏から届いていたので、配布文書を印刷する必要があった。また、懸案のアンケートや、進行予定表を仕上げる必要もあった。しかし嵐は夜半通り過ぎるとあって、巡回を早く済ませて帰宅したかった。結局作業は翌日に日送り、潮風を感じつつ、相模線へと回った。

今回はブログに登場しない会員。巡回先も悪天候で本人が家を出たがらないために、母親が車で送ってくる騒ぎ。母親が別席で待つ状態では、学習指導など深まるはずもなく、平然ともうひとつの通いの居場所の悪口を語る彼の顔をじっと見ていた。「君はその前に気付くべきことがある」と、実は指導手法としては禁句となっていることを切り出した。恐ろしいことに、彼は全く気が付かなかった。気がつけば苦しくなる。だから他のカウンセラーは言わない。説教はしないが、金魚鉢の狭さを感じない金魚は金魚でしかないのだ。

空転会話を引きずって、終バスの前のバスに乗り遅れた。路上生活者の**さんがいたが、情報交換するにも天候が気になって、タクシーを使って帰宅した。車内には、もう夜間傾聴の******君から、開始申込メールが飛び込んでいた。

アンケート案の修正をしながら、傍らの自作おにぎりをかじりながらの応答を******君が知ったら、笑うだろうか。ソファーにふんぞり返って指図しているのが爺ぃというわけではない。ともかく昨夜は、ちょっとステレオタイブを叩いても該当者が世間にいないよという話だった。よく世間を見てみようよ。針穴からだって世界は見える。

夜間傾聴:******君(仮名)
     多摩センター君(仮名)


(校正1回目済み)

p.s. 事務、今日午後に持ち越しです。

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徘徊者と追跡者の鬼ごっこは体力勝負だとか/生涯を見通した活動を作るには

2009-03-22 08:24:08 | 引きこもり
海老名の巡回を1件こなして早々と家に戻っていると、Kさんから電話が何回もかかってきた。専門職の技術を習得していながら、なかなか就職に結びつかない。勿体無い人材が、受け皿を失っている。思うに任せない不向きな職種に糊口をついでいたが限界を感じて退職しているようだった。解決策を出せるわけでもなく、彼の怒りや苛立ちを受け止めるのがせいぜい。なんとかならないものかと腐心している。

夕食の準備をして、後は母に任せて、18時前に茅ヶ崎サポセンに着くために出かける準備をしていると、2階で激しい足音がした。不安になって父の部屋にあがっていくと、父が不安定に揺れながら、ベランダに出るガラス戸に天井から下がった遮光カーテンを閉めようとしていた。何回も転び、危ない目にあっているのに、ベランダに出て、後始末をしているのが直感的に分かった。

「危ないから、私に任せて」と声をかけるや、何を思ったか父がベッドに向かって「走り出した」。数歩進んだとき、スライディングというか、水泳の飛び込み姿勢のように宙に浮き上がって、ベッド間際のポータブルトイレとサイドテーブルの隙間に叩きつけられた。あと10cm進んでいたら、額をベッド枠に叩きつけてしまうところだった。パジャマがはだけ、腫瘍のように膨らんだ腹をむき出して、父は小便臭い防水シートを敷いた床に横たわっていた。両腕が左右の家具にぶつかり、反り返るように落ちたので、悪い方の腕が全く動かなくなった。起きられないので上半身を持ち上げ、ベッド枠に掴まらせた。

母のインドメタシンを、今度は父が使うことになった。骨折していないか様子を見ていたが、次第に何が起きたかが分かってきた。補助鍵をひきちぎりベランダに濡れた掛け布団(昭和初期の重たい綿布団。父の好み。)を干し、それを取り込んだ。そのあとサッシを閉めて、カーテンをかけようとしたのだ。

補助鍵をはずしたり、不安定な足で布団を担ぎ上げていた。大きな音は押入れの板戸に布団を担いだ不安定な身体を打ちつけ、板戸をはずしてしまった音だった。父の打撲が骨折していなそうなので、約束の時間を守るためにタクシーを呼んで、サポセンに5分遅れで飛び込んだ。

遅刻する旨の連絡をしていたため、約束の相手が20分ほどして現れたため、先方の時間切れで話し合いは流れてしまったのだ。3/24講演会のアンケート用紙の中身を相談することと、当日のプロジェクタまわりのチェックと、当日の予定表を作り印刷することという事務的な基礎作業だった。

私のサブPCはパワーポイントが入っていない。StarSuiteなので、サポートしていない機能がある。そにための事前チェックだった。

話し合いが流れたならば、残りの作業は自宅の方がいい。ジャスコでポータブルトイレの消臭剤などの追加買出しをすませてきた。

ところが、茶の間に腰を下ろすやいなや、激しい家具の転倒する音をともなって父が床に叩きつけられた。この頻繁な転倒は異常だった。2階に上がってみると、ものすごい悪臭。

父は仰向けに転がり、父の上に歩行器が乗って、その歩行器の上に逆立ちしたポータブルトイレが乗っかっていた。トイレのバケツは防水シートの上に倒れ、床に落ちた布団の山に支えられて、完全に横倒しになるのが止まっていた。周辺は尿のしぶきが跳んでべたべたに。

どこから手を付けたらいいか、わからないような状態だった。電話の子機で母を呼び出し、乾いた雑巾と新聞紙を持ってくるように指示し、私もパンツ1丁になった。父の上に乗った家具を下ろそうとすると、濡れた手が私の脚から腕をつかんでくる。1個15kgあるコンクリート塊4つに脚を埋め込んだトイレが逆立ちしているのは、横から手すりに体重をかけて、父が起き上がろうとした結果だった。頑丈な土台に乗せた椅子型トイレはそう簡単に動きはしない。そのコンクリート隗(物干し支えの土台)が横倒しになったり、転がったりと転倒の激しさを物語るものだった。

やっとの思いで家具を払いのけると、父の脇に十字ドライバが転がっていた。固執していたトイレのネジ止めをやろうとして転び、立ち上がろうとポータブルトイレに横からしがみついて、トイレ椅子が転がったという経過。高さ調整するために余分に開けてあるネジ穴をネジが脱落したものと思い込んでいたのだった。

嫌なことを思い出した。昔、十字ドライバ固執騒ぎを起こして、諌めた祖母の目に危うくドライバが刺さり失明するところだったのだ。状況がつかめずに、謝りもせず、自分の部屋に閉じこもってしまったのだった。

またかよ…心の中でそうつぶやいた。

ベッド周りの清掃はただごとではない。このまま拭けば、家中の雑巾が尿の匂いが落ちなくなってしまう。新聞紙とボロ布で大半をすませ、防臭剤を撒いた。その様子を父はベッドに横になりながら、魂の抜けたような眼差しでぼんやりとみていた。一日二回の大きな転倒事件は衝撃だった。

処理を終えてシャワーを浴びていると、母が「私の手には負えないよ…」と浴室の扉の向こうで話すのが聞こえた。介護度3では、長期入所は無理。いよいよ有料ホームかなと思い始めている。祖父母のときのように、昼間留守番の私費のお手伝いさんを入れる経済的ゆとりはもう無い、父で5人目である。しかし入所も本人の同意が得られない。暴れたらホーム契約を打ち切られてしまう。どうしたものかと考えていた。

案の定、夜間0:30・4:20の2回、父が階段上に現れた。作業中だから対応できたものの、この水際作戦とて、いつまで持つかわからないのだ。

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今回の彼岸の墓参は、母と相談して取りやめた。家を空けることが出来ないからだ。親戚でも伯父が年末に半身不随になった。ペースメーカーを付けていたが、いよいよ寝たきり生活が始まっていた。介護度3と4の完全な老老介護だ。坂の多い町なので、買い物代行と同伴通院と、寝たきりの伴侶の清拭だけサービスを使っていた、家の中を他人に公開するのが嫌だというのだ。

洗濯物が終わって午前1時。母の今日の外出準備を手伝って1時50分。その間に階段問答が1回。夜間傾聴待機が終わって5時。その直前に父を階段上から押し返す。7時に母が起きてきて、これから父は朝食。とにかく仮眠はそのあとに。

<気になる記事>
●「不況 障害者の生活直撃 作業所への発注激減」
●「べっぷ優ゆう:障害者の朝市が地域を活性化 NPO法人、福祉会合で実践報告 /大分」
●「障害者の就労を支援するための車両および軽トラックの配備/日本財団HP」
●「雇用に保護主義台頭、英・米・豪・アジアで「外国人排除を」」
●「有料老人施設の届けなし、生活保護者受け皿 群馬の火災」
●「進まぬ身元確認、入所者の孤独浮き彫り 高齢者施設火災」
●「もっと生きたかった」

夜間傾聴:中延君(仮名)
     小田急相模原君(仮名)
     町田さん(仮名・傾聴にあらず)

p.s. なにやらNHKの連続ドラマが地域FMだそうな。私の考えている障がい者SNS携帯ネットワークの核に、5分間インフォメーション番組作りがある。タイムリーというか、真似だと誤解されるのかなと複雑な思いあり。


(校正2回目済み)

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八木原教授から3/24資料が届いた/学生ボランティアフォーラムは

2009-03-21 08:44:13 | 引きこもり
3/24の講演会資料が講師の八木原教授から届いた。JHC板橋会と東京都の関連資料。力が入っている。参加要請再プッシュをしなくてはと少々焦る。まもなくパワーポイント資料が送られてくる。いよいよである。

昨日は県サポ12Fで行われた「学生ボランティアフォーラム」に参加した。学生さんと言っても、ボランティア活動とか国際交流を専攻した方で、きっちり地域交流活動や国際交流活動の報告があり、第二部のバズセッションで、自己紹介してきた。帰りに相模大野巡回1件。

今回の大学の活動地域が横浜・県央なので、湘南茅ヶ崎は遠く、勧誘は達成できなかったが、まあ面白い話で、学生さんとの連携のヒントをいただいてきた。

今夜は、3/24八木原教授宛・学生フォーラム報告者Hさん、東京の某ハローワーク宛のメールにすっかり時間が取られてしまった。

夜間傾聴は******君(仮名)とのメールが、彼の復調感じさせ収穫あり。

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父の体調が良くない。一日中、眠っているが、食事のとき強いると、あっという間に食事がなくなるので、前日の排便戦争に疲れたのだろうと思う。ときどき、こういう調子になるので、様子だけ見ている。返ってこの方が、階段戦争がない分、楽…と思いきや、明け方父の居室のTV大音量2回。冷や汗をかいた。4時15分・5時20分の2回。なぜTVを見てはいけないのだという目で睨みつけられた。

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今日は、午後、3/24準備で茅ヶ崎サポセンへ。

夜間傾聴:******君(仮名)
     旗の台君(仮名)

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居室整備ヘルパーさん、私の部屋は覘くべからず…なり

2009-03-20 11:08:20 | 引きこもり
母が案の定、身体が痛いといいだした。昨日は医者の定休日、今日は休日。土曜の午前診療まで待つかと、薬局に行きインドメタシン製剤を買ってきた。私は、3/24の資料作り・講師の方へのメール・巡回2件が控えていた。

母に緊急時、自分で始末せずに携帯電話することというが、不安だから遠くに行かないで欲しいと要求されて困った。幸い(か?)1件巡回は日延べ連絡が入ったが、他の1件は、やはり行かなくてはならなかった。相模大野からバス。母を諭して、念のため、母の友人(支援者)や、ケアマネさんに連絡するようにと言ったが、間に悪いことにケアマネさんはお休みを取っていた。訪問看護師さんは昨日、20日はお休みと伺っていたので、そうなると母の友人に負担をかけてしまう。結局、私の同僚に私が体調を崩したということで、ピンチヒッターを頼んだ。彼とてお彼岸、家族の予定が入っている。私の状況を知っているから、無理をしてくれたのだと思う。同じ方に日送りする形にならなかったのが幸い。信用問題だからだ。

父が階段にこだわったのは、排便だった。朝、父は腹痛を訴えた。何回かポータブルトイレに座っては、「出ない」と言って、トイレットペーパーの山を作った。前日に訪問看護師さんに摘便してもらっているので、便秘のはずがなかった。強迫観念かなと思いつつ、父の要求に応じて作業シートを敷いて浣腸をした。慢性になっているので即座に反応しない。自家製ユニフォームで介護しているが、家族が有料特養ホームに入れるのも無理ないなと思いつつ、父の顔を見る。牽制して睨みつける眼差しに深みは無い。内臓脂肪でパンパンに張り詰めた腹と、不釣合いなやせた足。そして腎疾患が進んでいるか、異様な生臭い尿の悪臭。

ポータブルトイレのこだわる父は、敷いた尿取りパッドの上では便を出さない。肛門を押さえて、肩をかしつつトランスファ(移動)、トイレの椅子に座らせるが、「出ない」と焦って即座にベッドに戻ろうとする。それを制止して、私は父に引っかかれる。手術用ラテックス(ゴム手袋)が破れて交換。30分もこれを繰り返すと、私もふらふらになってしまう。

母が階段下でおしぼりを温めて待っていて、これが一日二回。やっと山場を越してシャワーを浴びるが、介護職不人気なのが身にしみる。買出しに抜けるわけにも行かず、冷蔵庫と格闘して2食なんとか済ませるが、この排便騒ぎは3日おきに起こる。それを予測してホームを利用して、負担軽減を図るのだが、それも都合がつかないこともある。介護は人権を守る深部の活動である、と言っても何をいまさら血迷っているのかといわれそうだ。

私>ペットの傷病だったら徹夜、いとわないよね。
母>そうねえ…。
私>親父は「厭わっちゃう」から、ペット以下か。
母>そうねえ…。
母>なりたくないねえ。

階段単独昇降・おしめ拒否、この2点がなんとかなれば、四六時中の拘束から離れられるのだが、説得は無理。父の身体が追いつかなくなるまで衰えを待っている皮肉。

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20日夜間の様子>1時ぴたり・2時45分・5時7分・5時51分・6時30分・7時2分の排尿/1時7分・5時9分の2回階段トライ/9時朝食・10時30分訪問身辺介護居室整備ヘルパーさん・11時30分昼食

介護者眠れるはずなし。13時より、県サポにて「学生ボランティア・フォーラム」に参加予定。

夜間傾聴:□□君(仮名)
     橋本2君(仮名)

p.s. >大森海岸君(仮名) ご心配ありがとう。当分一杯やれる暇なし。すまん。酒なしなら短時間可能。

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喜びが始まれば代償請求も高くなるとか/通じない言葉の場に立って

2009-03-19 16:07:50 | 引きこもり
駆け込み所得申告やら季節労働からで、巡廻指導を日送りしてきた分を固めて巡回してきた。小田急相模原から橋本に回りこみ、相模原から上溝に出て、寒川で図書館の本を返し、駆け込みで茅ヶ崎に戻った。午前9時の父のデイサービス送り出しと、午後4時半の帰宅受け入れまでの短時間巡回だったので、ノルマをこなしたという感じ。質不十分で申し訳ないなと思っている。ふたり巡回と教室立ち寄り中の相談ひとりだった。なぜタイをしているのかとシビアな追求あり。これ、面談用というわけで…。

新年度から、相模原の塾の方の学習困難児クラスのディスレキシアの子の訪問指導が1件入った。多動傾向があるので、私に取り出し指導が回ってきたのだが、小学校中学年世代の子の個別指導は久々。不登校からの復活の子なので、教科外の指導も親御さんから依頼されており、彼をダシにして理科や美術関連のフィールドワークを少し入れてみようと思っている。父の件があるので遠出は、逆に湘南に呼び込む形かなと作戦を考えているのだが。相模原からバスのお宅は遠いから、湘南に出かけるのは遠出に感じてもらえるだろう。教育研究者筋のお宅なので、親御さん自身がなさればいいのにと、ボロ隠しの予防線を張っておいた。

デイサービスは、全くゆとりが無い。父の帰宅時間に自宅近くのバスがなかなか合わない。待ち時間20分近くずれるので、今回もタクシーを使ってしまった。戻ると父の宗教の信者さんが、階段介助に待っていた。祭りの神輿(みこし)を扇動する役のように、彼は父に極力触らないように離れて、私と父の格闘歩行の道筋誘導をする。これでは援助効果半分である。汚れ仕事は無理かなと、階段介助開始前の情報交換の間に、お願いしながら思うのだ。

介護者が焦ればろくなことにはならない。だから気持ちを絶って関わることになるが、いま・ここの父との交流の中に、心開いていかなくてならないのだが、この切り替えは熟練だろう。どんな誘導をかけて、ベッドに入る前に、尿意確認しても、父はベッドに心が向いている。ベッドに父を移せば信者さんは早々に帰っていく。ところが枕に頭がつかないうちに、布団を「蹴飛ばし」床に下りようと起き上がり、不安定な状態で立ち小便の体制に入ろうとする。これがこわい。

今回はベッドに入るとき、父が四つんばい状態になってベッドに入り込む。彼が前をサポートし、私は後ろにまわり、腰をがっちり支えていた。父は利き手に頼って身体を移動しようとする。その手が柵にかかったとき、父の肩に手を添えていた(方法が逆ではないか)彼は手を引っ込めてしまった。間の悪いことに、父の手が滑って、父の膝がベッド枠にぶつかりそうになった。私はつかんでいる腰の部分を引き上げた。と、父は鞠をつくようにふわりと浮き上がり90°回転して利き腕の上に身体が落ちた。あやうく肩をひねるところだった。

しばらく父は起き上がらなかった。

手を「グー・パーしてみてください」と彼。父は言葉を無視して起き上がった。その様子を見て、彼は早々に引きあげていったのだが、先週は父が膝を打ち、今週は投げ飛ばされたのだ。父は無言で立ち小便を始めた。怒っているのか応答がなくなった。

18時からNPOサポートちがさき(さぽちが)の全体会があった。父が自力でベッドに戻ったことを確認して、慌てて着替えてバスに飛び込んだ。駅前で駆け足で買い物をすませて、5分遅れで会場に飛び込んだ。

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ずらり年配者ばかりなり。地域と市政の問題が語られているが、メールを出し忘れていた暴力行為の一件の始末や、夕方1時間の母との階段監視の隙間の不安などがぐるぐると脳裏に渦巻いていた。

批評はその件への参与を前提に考える。直接・間接は問わないが、そこから離れた会話を私は避けている。障害物競走中に寄り道したくないというのが本音。後期高齢者医療のことや市立病院の赤字経営の話は火急の問題だ。しかし、そこに親や、今までの介護体験の話を抜きに大局を語りたくないと思った。語れば介護への男の無理解が出て衝突することになる。その説得などに余力を裂きたくないのだ。

今私が関わっている社会的弱者との諸活動にしても、嫌な顔されるだけの方もいる。時間ぎりぎりまで、同席していたが、挨拶して早々に退席し、外食をかき込んで、家にもどった。

家では事件が起きていた。父が階段途中で足をひねって座り込み、母が父を引き上げていたのだった。

1時間の間に父は階段を降りて、手すりにつかまった状態で、ころんだ。足をひねり戻るも行くも出来なくなって、うずくまっていた。そこに母が帰ってきて、慌てて父を立たせようとした…。母は顔を真っ赤にして泣いていた。

とりあえず、母を2階に移動させ、服を脱いで、父に肩を貸した。階段のおんぶ昇降は命がけ。幸い距離半分ほどで2階に戻れるので、母にシーツを敷かせ、そこまで荷っていくことにした。父は体重90kgに近づいていた。背負えば目がくらむ。安全のために踊場で向きを変えて墜落を避ける位置まで移動してから、母に指示して寄せてもらった椅子に父を腰掛けさせ、そこからシーツに横たわらせた。父の紙パンツが緊張で生暖かくなり、その生臭い匂いが嘔吐を誘った。

仮担架を作って父をベッド脇まで移動したが、母には担架の片方を持ち上げる力がなかった。シーツが、はだけないようににぎらせて、床を擦るようにして移動した。父はベッド柵に掴まり、自力でベッドに入ることが出来たが、私が前後不覚、動悸が早鐘のよう、視野が真っ暗になって手探りで椅子に腰掛けた。

母は父の紙パンツを交換して、私は手すりに頼るようにして、ふらつく膝を保護しながら階段を降りた。血圧が上がっているのだろう耳鳴りも始まっていた。

茶の間で休んでいると、母がお茶をついで、傍らに座った。

なぜ降りてきたのかを父に聞いたという。「話したいことが沢山あるではないか」という返事が返ってきたので、「いいたいことがあるなら、聞いているから話なよ」と母が応答した。勿論話題があるわけではないから、父は困ってしまった。その結果「下(しも)が汚れたから、風呂入ってくるから、ちょっと待ってろ」と、父は立ち上がり階段に向かおうとしたというのだ。

介護者の状態を全く理解していないだけではなく、自分が階段途中でうづくまってしまったことや、シーツの担架で運ばれたこと、今、体験したことを父は忘れていた。「階段を降りなければ」という意志だけが残っていた。

母は「疲れちゃったよ」と語る。「明日身体が痛くなるから、横になれ」と指図して、眠らせた。高齢者介護は負け戦の戦争。介護度3では長期宿泊は無理。精神の認定基準が無いから、徘徊は最悪なのだ。訪問看護師さんが今朝予約となっていたので、状況を報告するFAXを事前に入れた。再度父の部屋に戻って、寝息をたてる父の脇のポータブルトイレを清掃するため、バケツを1階に下ろし作業。山積みさえていた食器を洗い、洗濯物を洗濯した。まもなく午前2時。

緑内障治療の眼圧降下剤の目薬を注すと、どっと疲れが出てきた。ここで目をつむると眠ってしまうので、PCの定型作業を始めた。3/24講演会の資料作成・八木原先生へのメール・暴力行為を伴った件の最善策提案のメール…。

幸い夜間傾聴の申込メールが来なかったので、身の痛みを堪えてごろりと休むことが出来たが、2階ではすでにポータブルトイレの蓋が、大きな音をたてて何回も閉まった。頻尿である。午前3時20分、案の定父が階段を降りようとした。午前7時50分、再び父が階段上に立った。午前8時、家族の朝食を作る。午前11時、訪問看護師さんが来る。結局私が眠ったのは5時から7時半ごろと、午後1時半から3時半ごろまで。

父の様子がおかしいので、今夜の巡回は結局日延べとなった。訪問看護師さんとのにこやかな父の大声の会話を冷え冷えとした心で聞いている。母は世の中、不公正だという。「(父のように)空元気で話したいかい」と私が茶化す。ふたりとも身体に力が入っている。疲れている証拠。私たちは「愚か」ですか?

夜間傾聴:なし

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県社協主催のフォーラム「3/17 精神障害者の自立と支援の視点」に参加し

2009-03-18 12:17:00 | 引きこもり
県社協主催のフォーラム「精神障害者の自立と支援の視点」にお邪魔した。「プレイバックシアター」の即興劇(サイコドラマ)を見せてもらった。共感をキーワードにした展開なのだが、始めは狙いが良くわからずに戸惑った。観客の体験をインタビューし、その中のキーワードから連想される劇が始まるのだが、パッカーションが微妙な場面展開の推進力となり、リーダーらしき女性が、「パスポート」とか「バス」というようなストーリーの鍵となるような場面や筋の結節点を作り、それにそって共感のしぐさが繰り返されていく。アジアの民話語りの大道芸にヒントを得ているのだろう。

この劇には観客は、いらない。演技者が他者の体験を追体験しているかのように、心身を響かせているが、他者の体験の場面を正確に追えなければ、相手の体験に近づくことは出来ない。それとてガラスの向こうの出来事の模倣に過ぎない。キーワードのような孤塁をつなぐ感覚の喚起なら、生成したものは演技者のものであって、共感という勘違いをなぞっていくだけだろう。

この劇は、自分を発見していく身体の営みの契機づけという意味で、無意味ではないが、相互勘違いと共感の根本的な間違いが潜んでいるように見えた。これをエンパワメントと結ぶのはどうかなあと、疑問符だらけで、第二部シンポに突入した。

後半は差障りがありそうなので、具体的な団体名は避けるが、自己決定・自己選択の本人活動を育成するために、他者との絆を確かめつつ生活自立を図っていく営みとして、活力エンジンのような形でエンパワメントプログラムを進めるという位置づけなら、共感の部分だけ取り出していくということが出来るのだろうか。この取り出し方には、私自身途方にくれるほど、接点を見出すことができない。治療プログラムというセンスだからなのだろうか。浦河べてるのミーティングの手法のように、むやみに抽象せず、出来事を分かち合うことで十分ではないか。むしろその協働実践にこそ意味があるように思うのだが。

シンポの話し合いは、すでに共に長い時間、交流を積み重ねてきた方々が、話をされているので、経過の隙間を想像で埋めながら話を聞いた。当事者の方の語りがもう少しあれば、活動のホットスポットが見えてくるのだが。

まずはともあれ、飛び込み野次馬参加させてもらっかのだが、社協のMさんに感謝。

3/24のチラシを配ったり、講演会を紹介することが今回の目的ではなく、10月スタートのショップから動き出す諸企画への若手協力者とくに、障がいに馴染みを持っている専門職の卵を探しにきたのだ。

収穫といえるかどうかはわからないが、20日に「学生ボランティア活動フォーラム」があるということがわかったので、こちらも覘かせてもらうことにした。

今回の集まりの中で語られていたことだが、社会復帰が一律、当事者の幸せに結びつくとはいえないだろうということ、これは私も賛同する。その時点の彼に一番マッチする道を歩むべきだろう。

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桜木町から某就労支援カフェに立ち寄る予定だったが、父の動きが急に活発になって、様子がおかしいのですぐ帰ってきて欲しいとの連絡があり、予定変更して変えることにした。

何のことはない、父はいつもの便秘。便意が落ち着きをなくしていた元凶だった。私が帰宅する頃には、すでに排便を済ませ、疲れて眠りこけていた。昨夜もおかげで、寝言以外の大きな異変なく一夜が過ぎた。

むしろ母の方が食事を食べないので、苦労させたれた。大学病院で検査を受けた往復の外出に疲れてしまったのだった。もともと好き嫌いが多い上、胃切除したことで、食が細くなっていた。スープものの目先がえを行い、遅い夕食を済ませたのだが、これで私が寝込んだらどうなるのかと思う。

SFCの講師陣の中で、障がい者の生活のQOLに関心がある方を探していたが、やっとその方の著書に出会うことができた。前述のフォーラムが開かれた県サポの5階にある生涯学習センターに県立図書館の本を取り置いてもらったのだった。そんな関係で著書に出会うことが出来た。4月までにつまみ食いできないだろうか。これは後日報告する。

<気になった記事から>
●「要介護認定:重度の寝たきり「介助なし」修正 厚労省方針」
●「商店街丸ごとギャラリー」
●「新たな雇用安全網、国会で論議へ 与党対策に民主独自案」
●「民主、雇用法案修正「腰砕け」 施行日前倒しのみ」
●「雇用保険 「加入半年」に短縮で合意 施行日は年度内に」
●「3年で40万人雇用創出目標 情報通信分野で総務省」
●「不況でママの求職急増中/横浜のハローワークは1・6倍」
●「育児休業:「不利益」急増 解雇、降格、パートに変更…相談1.5倍に」


夜間傾聴:□□君(仮名)
     中延君(仮名)

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青色申告無事終了/空転を維持する日常定型仕事の力

2009-03-17 10:40:42 | 引きこもり
青色申告最終日、暴力行為の疑いのある相談事例の件で朝、関係行政担当者から電話あり。なんとか状況説明を行政へと引き継いで、母の大学病院定期検査支度を済ませて、障害物(?)競争をクリアするように申請相談に。家族の衝突事件のような場合、発生時間が夜間早朝の場合は、警察しか地域対応していない。中でも加害者性を持つ相談は判断が難しい。青色申請中も眉間の間にサーファーカットの彼の顔が浮かんでは消え、消えては浮かび…。

辻堂の**さんと、道で出くわす。自営や複数収入の者の年中行事、お疲れ様。

父をデイサービスに送り出していたので、気持ちの上ではゆとりが取れたものの、障がい児の親御さんは特に、自由時間が朝型となるが、生活時間があちこち寸断されているというものは、じんわり介護者の寿命を削っている感じがする。

とにかく所得申告相談の長蛇の列の後、やっとクリアというか勝負持ち越しの感が強いが、なんとか期間内に間に合ったが、駅前に戻るのは昼になってしまった。母から電話があり、「まだ薬の処方箋が出ない」と母が文句言っているうちに、急に電話が切れ、また電話が入った。母が携帯の充電を忘れたのだ。合流の約束は、厄介なところではなく、明快なところで合流確認しようとするが、母が自分に有利な対案を出してしまうために、電話が切れる。数回空転して、ついに電話がつながらなくなった。

最後に私が言い切った場所で待機2時間。母は来なかった。母は家に直行、帰宅していた。とにかく空転の続く日というものがある。デイサービスからの帰宅時刻は17時前後になる。ゆとりを持って帰宅したものの、ヘルパーさんと、父を階段誘導を行っている最中に宅配便が来た。母は気付いていないが、同じ介護用品をお互い二重に注文をだしていたもので、返品すべきものを受け取ってしまった。こういうチーフのいない家事の重なりは、不要な用を増やしてしまう。営業所に連絡を取り、回収にこぎつけると、2階から、ヘルパーさんの悲鳴があがった。

父は帰宅後、かならず排尿をする。だから、ベッドに乗せる前に尿意確認をして、排尿の希望があるときは、すまさせてからベッドに入れる。悲鳴は確かに悲惨な状態だった。意思確認してベッドにあげる途中、布団をかけて終わろうとするヘルパーさんを跳ね除けて、父が突然ベッドから降りようとし、布団ごと落下。その場で父が失禁したのだった。布団から衣類まで、丁寧に紙パンツを下げた状態でびしょぬれにしてしまったのだった。ヘルパーさんの両手もびしょびしょ。

準備してあったスリッパふたり分を片手に、私が部屋に飛び込んだのは正解。処理している最中、父は動転して騒ぎ怒り出し、母が部屋にあがってきて、3人がかりで始末を終えた。

しかしヘルパーさんはプロである。「手を洗ってください」という私の勧めを「大丈夫です」と断ったのだった。経験の長いヘルパーさんは、先方宅での手洗いを慎重にするのだ。家族に中に、非介護者を「汚い物扱いした」と、心ない批判をする者もいるからなのだ。事前に車の中におしぼりを何本も用意しておき、そこで手を拭くのだ。「プロですね、おしぼりでしょ?」と私。「え?」とびっくりしているヘルパーさん。とにかく難局を越えて、私は急ぎ厨房に戻ったのだった。

夕食を下準備して、橋本への巡回に出発した。巡回先の橋本でも面談は本人ではなく、おばあちゃんが現れた。母親なら話すこともあるが、普段関わっていないおばあちゃんだと、話が空転するだけでなく、伝言から微妙なずれが困った影響を与える例が多いので、この場では儀礼的に話をして、すごすごと退散帰宅したのだった。

母が先方からの電話を相模大野校経由で受けていた。母は携帯に私の携帯番号を登録していた。その携帯が電池切れだからと、電話の取次ぎをしなかった。これは事務員の%%さんのネグレクトでもあった。私の携帯に電話をせずに自宅にかけた。間が悪い日は、こういうことが重なるのだ。

父の就寝前の準備をすませ、濯いだポータブルトイレのバケツに消臭剤を入れると、ぐらりと眠くなり、昼には止まっていた耳鳴りが突然再開した。介護は休みが無い。一日一度の眼圧を下げる目薬をさして、1時間横になり目をつむった。

今日は県サポで、県社協の精神の講演会である。帰りに巡回して帰宅予定。


夜間傾聴:******君(仮名)
     多摩センター君(仮名)
入谷さん(仮名・久しぶり、傾聴にあらず)
     ■先生(しんどいですね、引継ぎよろしく)


<気になる記事から>
●「記憶探し 障害の先に」
●「精神医学会「うつ病への誤解」 笹川氏「気弱」発言に」
●「後期高齢者 保険料7、4%滞納」
●「介護保険料、自治体5割が引き上げ 4月改定、千円増も」
●「「育休切り」相談、過去最多に 前年度の1.3倍」
●「育児で意識の差」
●「支援のろうそく アフガン照らす」

----- 在宅育児介護への無理解、相変わらず。地域FMの役割。

<入手した書籍>
●「軽度発達障害~繋がって生きる」

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茅ヶ崎市協働企画自閉症児者親の会関水氏の講演会は盛況で

2009-03-16 09:21:56 | 引きこもり
私は青色申告を土曜日午前中も受け付けていると勘違いしていた。門の閉じた税務署を虚しく通過し、藤沢市市民活動推進センターにお邪魔した。私の所属団体「湘南子どもフォーラム懇談会」は、藤沢の活動がなくなり、縮小していた関係で、休止として、登録を解除してもらった。秋の共同オフィスが出来る時点で「わーく」編集部として再出発するつもりでいる。

茅ヶ崎のコミュニティホールで行われた関水氏の講演会は盛況、予定を超え200人近くが参加する会となった。軽度発達障害の関心の高まりがはっきりと出た集まりになった。この方たちの社会的位置づけ、あえてマッチングという言葉は使わないが、受け皿改革が必要である。

ここ数日の夜間の出来事が、実質2日間の徹夜となり、ダメージが来ていた。関水氏の講演歯切れがいいので助かるのだが、いつも総花的な縦糸を膨らませるスタイルなので、同じ話を聞かされることが多かった。しかし今回は一歩突っ込んだ感があり、発達障害をとらえる枠組みの勘所が語られていた。その点で有意義だったのだが、こちらが集中力を欠いていた。出先に髭剃りを失敗して、傷から血が止まらずハンカチと悪戦苦闘、チラシをお願いして置かせてもらったが、会の後片付けの最中、話していた方が異様な目つきとなった。あれと思ったが、そばに市議の**氏がいらしたので、とにかくショップ作りと、顰蹙を買いそうだが、放置傘の件の協力を要請した。と…別れてエレベーターの中、私は社会の窓が開いていた。完璧にアウト。ダメージに止めが入ったのだった。

父の夜間介護が始まる前に、巡回を休んで3時間ほど仮眠を取った。父は悪い方の足の異常が進み、踝を自由に動かせずに、硬直した状態か脱力した状態のふたつしか維持できなくなっていた。これに伴い、ポータブルトイレの立ち小便の状態が椅子に接近した状態を作ることが出来なくなり、身体が斜めになってしまうようになっていた。こぼすのだ。頻尿状態でこぼすために、作業シートを敷いているが、濡れた靴下で部屋を歩き、そのまま床に入るため部屋中に悪臭が立ち込めた。おしめの方が楽なのだが、決してそれを受け入れないために、昨夜も5回排尿に起き、1回は階段に出ていた。失禁し濡れた紙パンツが交換したかったが見つからなかったのだった。ここをなんとかしないと、家族の体力が持たなくなる。どうしたものかと考えている。

夜間、傾聴外利用者さんの問題発生。闇の応答と対策。出て行ける状態ではないのが心苦しい。

昨日の書きこみ分の中に、愛知県の非正規雇用切りに会った外国人の方が介護職資格を取って、ホームに就職した記事があって、死角に気が付いた。在日外国人の方たちもまた歳を取るという当たり前の事実だ。このとき言葉や習慣を理解してくれる同胞が介護職にいたら、どれほど助かるだろうということだ。

またうつ病に広範に使用されているパキシルに攻撃性が増す副作用がある件、思い当たる深刻な例を私は担当していた。記憶にとどめ、押さえておきたい。

今回の追加記事は、以下の通り。地方ニュースは神奈川隣県しかチェックしていない。

●「暴れる弟押さえつけ、死なせた疑いで逮捕」
●「就労支援シンポ:転職者が体験語る 参加者「勇気出る」--横浜 /神奈川」
●「ハウジングプア、声上げよう 支援ネット結成」
●「米国で連邦政府の職が魅力増す、厳しい時代に安定を」
●「米国人の睡眠は平均6.7時間 不況のストレスが影響か」

夜間傾聴:□□君(仮名)
     ******君(仮名・親御さん)

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書きこみが遅れてすみません、まずは昨日書きこみ分です>藤沢保健所・八巻氏講演会より

2009-03-16 07:25:32 | 引きこもり
朝8時、訪問看護の***さんが家族の様子を見に立ち寄った。9時、ケアマネさんへの事後報告の連絡。同9時、父の宗教の信者さんが車を庭先に置かさせてもらうために、ついでに父を訪ねてきた。11時、常連の信者さんが父を訪ねてきた。こうして、朝型人間の常識の横暴のために私の睡眠時間はなくなった。(先方の事情を確認しないのだ。)

母のダンピング症状は主治医の治療で回復したが、後になって考えると母が父を負担に感じていたのは、体調の後退があったのだとわかった。家族の健康のバランスを取るのは私になったと感じていたが、その当人が母の変調に気付かないほど、父の危険行動と粗暴な排泄、そして自分の睡眠時間管理と振り回されている。父の気まぐれ階段騒動などの危険行動のために、家族が拘束されてしまう事態をどう治めていくか。

介護は家族の内側で解決できる範囲をすぐに超えてしまう。しかし体力があり認知症としても初期であるが誤認・健忘・徘徊による身の危険のある高齢者を補助できる施設の器はパンクしている。だからショートステイとか、実はあまり介護者には役に立たないデイサービスなどを利用しつつ、関係者の枠を広げていく以外ないのが実情だ。このショートステイの日数枠を広げていくことを願っている。しかし、ここで当人が宿泊が嫌だと主張することがあり、その場合、無理強いはできないという矛盾がある。ホーム職員との情報交換を行う日誌には、実際そのような発言が記されており、家族の憂鬱は募るばかりだ。

私の目の異常、特に右目の視野の下部の明滅について、東京の井上眼科クリニックにセカンドオピニオンを求めることにした。耳鳴りと共に、介護の持続の結果ではないことを願っている。介護は中断することが難しいからだ。

午後、藤沢市保健所の精神のネットワークによる八巻香織氏の講演会に参加した。50名の定員枠はいっぱい。今回は藤沢の親の会の参加も多いとのことだが、引きこもり支援活動をしている古参関係者の顔も多く、ここにひとつの関係者ネットが育ってることを感じた。ただ藤沢市の展開という色彩が濃く、なかなか茅ヶ崎・寒川とつながっているとはいえないのが実情だ。

今回はSSW(スクールソーシャルワーク)とヒューマンスタジオと湘南憧(しょう)学校の交点にいる丸山氏に久々に会った。悠生館という共同オフィスを作られたとのこと。地方版に大きく報道されていたことから、ご存知の方も多いかと思われる。自由な交流のたまり場作りの活動3/22には青少年支援メッセという合同相談会を企画されているようだ。特に学齢期のカウンセリングが強いとくちょうがある。私の地域市民活動サイドというより、従来の医療カウンセリングの中から育ってきた活動だ。

八巻氏の活動は、私の生業の相模原・座間・海老名の側のすぐお隣り、町田市に拠点を持ち、ティーンズポストという相談活動を展開されている。話は、当事者の回復は、ひととのつながりが大事という指摘があった点は評価できるものの、絵本の「ファジー」なる芋虫君が蝶になる脱皮の物語が、相変わらず引きこもりの青少年にかぶせている当てはめの空疎さが全くいただけなかった。

「ファジー」は社会をまさぐる白紙の無垢な存在として描かれ、そのストレスゆえに引きこもり、大人世界の誘いに応じて、不可解な力に流されつつ脱皮して蝶になっている。

しかし彼らも現在を生きている能動性ゆえに悩み、軋轢に苦しむいわゆる生臭い存在として描かれることが無い。教育の世界の無垢な子ども像の心療版が投影されており、ここには裏返せば大人の自己像の無反省がへばりついている。おとなはなぜのうのうと生きていられるのかという問いに全く答えていない。その結果、活動は青少年の歪みを世代の特徴、思春期に求め、その内的な葛藤を援助するという専門家の活動が中心に置かれてしまう。八巻氏も離脱できていなかった。彼らの社会参画のまさぐりを大人自身の活動の営為を持って参画を受け止めていく呼応活動が求められる。地域の活動が全く語られないおかしさを、何十年もの引きこもり青年の支援活動は、なぜ自覚できないのだろう。未成熟な大人として、手足を縛って宙づりにした近代教育制度に気付かない限り、医療モデルからはみでることは出来ないだろう。事例少なく概論解説と親の役割解説に終わる講演会のステレオタイプ。肉付けが見られるが経験の秘儀は専門家の胸のうちというのは、いただけない。

●「ただ生きられる世界に:1(立岩教授)」
●「小さなSOS 大きな喪失感」
●「闘病生活 苦悩と喜び 筋ジスに負けず エッセー集を出版」
●「知的障害者を個室に毎日拘束 大阪の施設「暴力」理由に」
●「「うつ病」内科で薬処方 使い方誤り攻撃性増す?」
●「「心の病」でも「休業保障」OK  日本生命が初の保険」
●「うつ病休業は気が弱いから? 自民・笹川総務会長が発言」
●「失業手当てゼロの求職者に新給付制度 与野党が調整」
●「悩み、聴き続けるよ 東京多摩いのちの電話」
●「浜松市在住ブラジル人:47%が失業状態 深刻な状態浮き彫り--アンケ /静岡」
●「ブラジル人6割失業・解雇予告 浜松」
●「ハケンから介護の職場へ 失職のブラジル人」
●「比一家 長女だけ残留  「将来のため」決断 親類の下、同じ中学に のり子さん 「日本は私の母国」」
●「通信制高校のサポート校で卒業式」


夜間傾聴:私がダウンで中止

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