2010/06/19 記
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埼玉県戸田市の県立戸田翔陽高校の「元不登校8人が語るシンポジウム」に参加する予定でいたが、両親が寝込んでいる状態では、さすがに出かけられない。母の心身症状は、眼の奥の違和感と時たまの引きつり状の痛み、続く浮遊感と歩行不安定化というもので、内科・眼科の地元医の範囲では原因不明というものだった。大学附属病院系の神経眼科・神経内科にそれぞれ受診したものの、眼科では眼瞼けいれんという診断、神経内科は30日に診断が出るが、ストレスによるものが大きい。それをそれぞれの専門で診断しても、統合像が得られるのだろうか。医療の穴がそこにあるように思えてならない。
以前、母は症状が出始めの頃に心療内科に通ったことがある。「短い」問診(世間話)のあとに睡眠導入剤を中心にした内服薬の山が処方され、母は日中も眠くてかなわないと、いわゆるシャブ漬けを感じて通院をやめた。
今回は眼科のボトックスに苦しめられている。眼球周囲の圧迫感と痛みが続き、注視が困難となって日中活動に支障が出ている。10日目ごろから2・3週目に効果が出始めるというので、まだ途中なのだと思いつつも、これほど辛い治療なら、数ヶ月で効果が無くなりやり直すということは、もうやりたくないと訴えている。これを予測しているのだろう、施術時に同意書を取られた。まずかったのかなと不安が募る。
母はようやく家事をこなしている状態で、介護にはまったく入れない。父は父で、極端に歩行が困難になり、ベッド下への尻餅が増えた。一旦落ちてしまうと、利き腕の力で身体を持ち上げることにこだわり、あぐら状態をし続けるために全く立てないまま、何時間も座り込んで、垂れ流し状となり、ずぶぬれの床に寝そべってしまうことがしばしば起きた。決して家族を呼ばない。これで便が出たらどうなるのかと背筋が寒くなる。
近々、父の介護関係者の調整会議が我が家で開かれる。年に1度程度の会議なのだが、特養・老健・訪問看護・訪問介護・行動介助・介護用品レンタルなどの関係者が調整を行う。ケアマネさんが、今後の大きな方向を提案し、足並みを揃えて行くのだが、今回は「父の居室を1階に下ろすこと」が問題になる。
私も母も、これは的を射ていないと思っている。以前父が元気だった頃、父は風呂場の浴槽の栓を抜いたまま湯を張ろうとして、外部機タンクが過熱。ガス会社に通報が飛んだり、ひとりで入ろうとして転倒事故を起こしたり、火を扱ってやかんを3回丸焼きにし、そのうち一回は傍の油の滲みた木箱に引火。ボヤ騒ぎを起こしたり、冷蔵庫をあさって、血糖値が上ってバランスを崩し、治療中、庭や階段下で倒れていたり、襖を突き破ったりしていた。この危険行為を避ける意味で、20畳ほどある2階の父の書斎に軟禁することになったのだが、今は自分で階段を降りるトラブルも減ってきていた。
問題はデイサービスやショートステイなど、外出時階段通過が危なくなってきたことだ。サービス提供する事業所としては、安全な1階をと主張するのは当然だが、私は父が完全寝たきり状態になるのは近いと思っているが、母の衰弱を観たとき、古い我が家の床補強から部屋改修をしてまで、引越しを行っても、介護が私ひとりになるのはすぐだと見ている。父は長期ショートステイを介護度をはみ出して繰返すか、入所待ちを拡げて確率を上げて、入所させていかないと、1階の介護も短期だろう。1階の在宅サービスで在宅入浴などを入れれば、家族は立ち会わなくてはならない。その細かい時間束縛が、家族の残りの自由をも奪っていくだろう。病気になれば3ヶ月おきの病院キャラバンと病院探しが家族にのしかかってくる。それも外泊型。となれば、なんのために1階に居室を移したのかわからないという事態が考えうるのだ。
高齢者介護はブルドーザーの運転のようなものだ。通った道は荒地と化す。父の排泄物臭の滲みた2階は改修をしてもしばらくは使い物にならない。古い家である改修せずに転居かと母と話している。1階になればその分父と隣接して過ごすことになる。全体を排泄物臭を滲みこませて生活するのは、父の安全の対価としては大きすぎるというか、柔軟性に欠いている。
介護度が4に上った現在、ショートステイ回数を増やすのではなく、長期化すれば、階段昇降の回数は抑えられる。座位横向き昇降の方法を使えば、落下の危険は大幅に抑えられる。寝たきり状態までの過渡期の対策になりうる。これは関係者の情報だが、団地5階からの転居を拒む高齢者を下ろすことや、車椅子の入れない石段の上の家から、送迎車まで移動を行っている現状があるから、我が家の階段介助も座位移動の方法を考えれば、部屋の引越しは必須条件とはいえないだろう。基本は入所。そこに舵を切るべきと判断している。
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これほど土日が邪魔と思ったことはない。入所希望先周りや、母の友人親子の応援も土日は避けてもらいたいという先方の意向に沿うと、家族は土日抜け出せないことになる。事業所の相談員さんが休みなので、事が進まないのだが、施設資料をもらいにいくことで、偶然相談員さんと会えることがある。即相談とは行かないことが多いが、次回の予約はその場で取れる。
朝、なかなか起きない父を起こして、おむつ交換。水袋のように寝そべり、寝返りや腰を持ち上げることも協力しない状態の中、力技で乗り越えた。おしめなら、横臥状態を作らせて、左右半分ずつおしめをセットしていく。ところが父の場合は紙パンツ(リハビリパンツ)なので、どうしても腰を上げなくてはならない。父を抱え込み持ち上げるが、どうしても一人では上らない。びしょ濡れの毛布を丸めて背中に押し込み、それを腰骨から下に下ろして、隙間に紙パンツを引き上げていく。破れずに尻にはまるのは尻ゆえ「うん」かと状況を茶化してみても、鼻先の悪臭は消えない。母は中腰が一番いけない。元気でも手助けをさせるわけにいかない。上げている最中に父が屁をたれて、外からぬるりと嫌な感触がした。便だった。はかせたばかりのパンツを鋏で切って、散らないように抜き取り、ゴミ袋に。問題はその次の瞬間だ。父が不快感から姿勢を変えておきようとベッドを尻でこすることだ。母に助けの大声を出し、父を押さえ込んだ。
しぶしぶ上ってくる母に、作業用シーツを尻の下に敷くように指示。上半身裸になって、父の両足の間に挟まって、両足を持ち上げ、父の腰を浮かばせていく。そのとき父は失禁し、しぶきが顔にかかってしまう。息を止めてシーツ挿入を促し、離れて一呼吸する。地獄である。
母に予備の紙パンツを持ってこさせて、ひたすら突っ張り蹴り上げる父の足を「蹴るな」と指示。一切無視する父の蹴り行動が治まるのを待って紙パンツをはかせ、背中から尻にかけて清拭。上半身の着替えをさせて、一度ベッドから下ろして立たせる算段。立たせて私が父を支えている間に、母が紙パンツを上げた。これはふたりだから出来ること。この父の状態では、介護者ひとりで立たせることは難しい。注意したにも関わらず、ベッドは便がついてしまっていた。作業用シートおむつを上にかぶせ、周囲をシーツ上、ガムテープで押さえてしまう。しかしこれも、尻の上らない父は尻を引きずって、ベッドに戻す最中に破いてしまうのだった。排泄ゴミを捨て、シャワーを浴びながら四肢と顔を念入りに洗うが、自分が医療関係者のような決意をしていなければ、状況に押しつぶされていただろう。
父の主治医は診療時間が午前中。今日は父の薬と医療用浣腸、それに入所希望申請添付資料に、診断書が独自の書式で、他の書式を認めていないところがあるために、診断書を2通申し込んでこなければならなかった。
バスが既に出ていた。時刻表を確かめ、逆方向の辻堂駅に出てJR東海道線下りで茅ヶ崎駅に戻って、バスに乗り継いだ方がわずかに早いことがわかったが、バス停前をタクシーが通ったので乗ってしまった。一瞬のバスの乗り遅れで千円違う。診断書1通数千円。しかも入所できるとは限らない。ぶつぶつ金勘定してタクシーに乗ったが、動かない。早く出してくれと言ったら、運転手さんに、何処へ行くのかと聞かれてしまった。惚けている。最悪なのだった。座りなおして気がついた。またチャックが開いていた。しかも介護用ユニフォームズボンのまま。
なんとか医院に滑り込み、薬をもらったが医療用浣腸が在庫が無いので、月曜日午後に来てくれとの話。午後は時間内に立ち寄れない。とりあえず、家に戻って出直してから家庭用浣腸を補充に買おうと思って忘れてしまった。
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母が食欲が無いから昼食を抜こうと言い出した。手抜きができるように、サツマイモや、うどん玉を用意してあった。父と二人のけんちん風うどんを作って、夏場に食うとはねと母に出す。母はふたくち食べて、ダンピングに遭った。トイレに駆け込む母。うがい用の水を差し入れ、もう一方のうどんを父の2階へ。
なんと父はTVをつけようと、TVとベッドの隙間に伝え歩きで移動していた。先ほどの寝返りも、腰をあげるのも出来なかった状態はなんだったのだ。怒りが喉元まで出ているのを、無理なため息でガス抜きして父を椅子に戻した。次の瞬間、父は急に立ち上がり小便だとポータブルトイレに移動しようと手を伸ばし、うどんの中に手を突っ込んで、熱い!とうどんを椀ごと投げ出してしまった。
父のわずかな尿のたれるのを、トイレにたつ父の横で父のふぐりを支え、身を寄せて転倒を防いでいた。換えたばかりの紙パンツはびしょぬれである。父がうどんを踏まないように、一応ベッドに上げた。こうして県立戸田翔陽高校の「元不登校8人が語るシンポジウム」参加は流されていったのだった。
うどんをつまみ上げ、新聞紙で周囲の汁を吸い取り、キッチンタオルで水分を取っていく。片付けてパックご飯で茶漬けを作って持っていくと、父は高いびきで眠って起きようとはしなかった。気持ちの限界。茶漬けを枕元に残して階段を降りた。
洗濯をしていると、母がAmazonから本が来た。経済的に苦しいときだから協力しろと軽石のような顔をしていた。(年配でなければわかるまい。)私の本は1冊が高い。数冊で1万数千円になる。しかし美術書とは違うので、売るときは二束三文となる。立替えて頭にきたらしい。一冊は松為信雄氏の関係書。もう一冊はブロンウェン エリオットらの、
「家族のカウンセリング―親子・家族の強さを見つけるストレングスアプローチ」だった。実務書なのだが、母にはわからない。堪忍、堪忍と拝んで代金を支払ったが、現金が有ってよかった。銀行で下ろしてこないといけなくなった。
県立戸田翔陽高校に行く予定でいたので、相談・学習巡回は夕方からだった。今回は戸塚区の施設2ヶ所の書類をもらって、湘南台から小田急線に合流した。遠い。車ならなんという事のない場所だが、バスの本数が少ない上、タクシーも通らないから時間がかかる。クリスチャン系の施設の匂いがした。父は同じクリスチャン系新興宗教過激派である。気付くなこれはと憂鬱になる。帰ると騒ぎ出しかねなかった。寒川神社経営の老健も危ない一線だったが、同じ系列ほど語源でもある「セクト」の意地が出てしまう。愚かしいと言っても、話にはならない。
どこの認知症フロアの集合スペース(食堂など)のTVも点いていたことがない。興味も無いようだ。父もTVは見るが,観てはいない。筋書きは全く終えないし、対話番組は、やり取り自身についていけない。だからアクションものとか野球のようなその場その場のメリハリのある画像を楽しんでいるだけだ。それなのに、違う宗旨の言葉尻を気にして、怒り出したりする。親方日の丸で自分のアイデンティティを立てるほど愚かなことはない。私は私。それに選択肢を狭められるのは嫌になる。
原宿交差点に出てきて車を拾う。成果は無い。困った…。追い詰められたような気分になる。
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戸塚の駅ビルにいくと、私の好みのラーメンを買うことが出来る。チーズと安物ワインと、このラーメンを仕込んで用意しておいた大きなバッグに詰め込んだ。湘南台を経由して小田急相模原に移動した。
ところが、彼も憂鬱な一日だったらしい。お宅を訪ねると、出かけて行ったという。携帯で話して、事情が分かった。同じ道を帰る気がしないので、海老名で食事をした。
幸い父はトラブルなく寝ていたが、夜中は案の定トイレに伝え歩きをして周辺の物を蹴散らしているのだった。覚悟して部屋にいかなかった。
夜間傾聴:小田急相模原君(仮名)
(校正1回目)