湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

1/30 一日中しゃべっていたような一日、消耗戦

2011-01-31 11:58:45 | 引きこもり
2011/01/30 記
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昨日はサザンポでバリアフリーカフェが有ったが、巡回と重なった。橋本からだと帰りが時間ぎりぎりとなる。**さんに言わせると、++さんが怖いからいかないのだろうといわれそうだが、全面否定はしないが、止めが相模大野から入ったからなので、お仕事である。(内輪の冗談ですみません。)

今回の巡回は自転車武勇伝の彼だった。コップの水がこぼれて、危うく本からプリントまで、水浸しになるところだった。今回ノートPCを使わなかったのは正解。波乱万丈の学習指導というのもなかなか面白い。彼も我が家に来たがるが丁重にお断りしている。書籍のトーテムポールのなだれが起きるからだと説明している。実態はケルンに近いが彼がトーテムポールを知っていたから、話はそうなった。

春に出かけようという話がある。若手の協力がなかったら、相模川に沈められそうだから嫌だと言った。話の比喩が通じないので彼が立ち上がって、水がこぼれた。ごめんごめんと謝って、沈めないと訂正し、なんとか対面指導が終わった。

茅ヶ崎には開催時刻間際に着いたが、茅ヶ崎図書館で期限切れ書籍の更新をしたところで、至急呼び出しが相模大野から電話がかかってきた。電話約束の時間は少しゆとりをつけて、一日早く辻堂図書館の更新をやっつけて、母に電話した。「夕食ひとり食べるな」というが、「夕食は食べたくない」と母はいう。胃切除すると食欲が無くなるので、体力が落ちる。外食もありうるので、「飯を炊くな」と指示。

相模大野では、怒りを露わにした親御さんが定時に到着した。要は若手講師の失言問題だった。生徒当人は怒っていないが、親御さんが怒っていた。国立を受けるのは鏡を見てからにしろというような表現をしたらしい。それなら私を呼ぶまでも無い。問題は失言集を親御さんは記録していて、だからこの講師をやめさせろというのだった。こういうとき、私は講師を待機させるが話し合いには参加させない。しかしよくも根気強く失態を集めたものだと思う。

話を変えて彼の授業時のエピソードを聞いてもらう。べた褒めなどはしない。彼のこと、そのことを細かくリアルに表現していく。親御さんの見えない時間の出来事だから、初耳のこともある。生徒本人と対談になって盛り上がる頃には、親御さんの怒りが消える。冷や汗をかく。

親子が帰ったあと、「専任の仕事だろう、外勤、約束切っといて…」と啖呵を切るが、私などの啖呵は誰も聞いていない。しかし「失言集は怖いな」といえば、たちどころにうなづくのだから、聞こえてはいるのだが。しかし、講師の授業の噂は聞き流していてはいけない。結局、彼をどれだけ親身に指導しているかを事例で語らなければ、どう動いても怒りは鉾を収めないからだ。

次の親御さんは手ごわかった。胃切除後の食欲は気まぐれ。ジャーマンポテトを作ったが、ベーコンが嫌だと言って食べない。酸味のある中華春雨鍋は、かき回して終わった。出汁が薄い。二重買いで山に残った食材を使った苦肉の策の料理のすべてを食べないで、結局茶漬けの元で粥を煮込み、軽くタラコを焦がして脇に添えて差出した。これでやっと食べた。私は糖尿病だというのに、ジャーマンポテトと中華春雨鍋を代わりに食べる羽目に。カロリーオーバーである。

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ビッグイシュー東京事務所の清算問題が、まだ残っている。もう2ヶ月ごたついている。情報を鵜呑みにするから問題が起きる。担当者が若すぎる。メールを読むたびに、ため息が出る。

今日はいよいよ、ソーシャル・ファームの国際シンポである。願いが通るように拍手(かしわ手)。シンポ、朝10時から16時半の長い企画。朝早いのでこれで。


夜間傾聴:□□君(仮名)


(校正2回目済み)

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1/29 父の老健から巡回を終え(肌寒さの中に立つ)

2011-01-31 10:44:50 | 引きこもり
2011/01/29 記
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母は揚々として新年発表会から帰ってきた。能弁に知人の話をするが、さっぱりわからない。

地元のひとの語り口と同じ傾向を持っている。例えば…「一本松のとしちゃんが来てさあ」(私は一本松すら知りません)、「常会だったからねえ」(なんの常会か、全然通じません)という具合。身内の語りとの区別が無いので、共通の経験を前提に話し出すが、その部分を指摘しても対象化できない。

ああ、母の語りは夫役の担ってきたものなのだなとわかる。息子に語るには、孤独が見えすぎる。うなづくが少々悲しい。父はその夫役を一度もしてこなかった。今になってみれば、認知の偏りが見える。自分が相手に指示的な語りをするが、相手のいう事は聞かないというか、聞くのを嫌がった。若い頃から家族には頑固だった。しかし他人に対しても、当たりは柔らかくなるが、対話の理解が奇妙だった。だから母は祖父母や「虚ろ」に対して語りかけていた。

ともあれ、事故なく帰ってきたことを善しとした。

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父の入所先の老健に支払いの件で確認に行く。父には寿司折りを持って行く。集団生活の食事には生ものが出ない。食中毒を警戒してのことだが、だから生ものを差し入れると喜ばれる。事務室の前まで車椅子を下ろして、職員の目の届く場所がロビーになっている。事務室にティッシュを借りてくる間に、父は制止を聞かず、寿司をわしづかみにして食べ終えている。周囲は食べこぼしだらけだ。認知症は、家にいた頃よりは軽くなっているが、目を離せないことには変わりがない。会話は受け答えだけ。ここは平塚だという事は、わかっている。

父の衣類を見ると、介護の密度がわかる。食べこぼしが溜まって固まっていた。認知症フロア担当者に衣類交換の話を聞きつつ、父の上着の件を婉曲に話題にする。実はこの上着、防寒のために差し入れた、父のお気に入りだったからだ。嫁の話法である。

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家業の月末の仕事が残っていたので、新宿に出る。相模大野の方の巡回の約束時間があるので、のんびりできなかった。区役所を回って、ひとと会って、行きつけの定食屋で茶漬けを食べる。糖尿病の私にとって、この方が飯の量が少なくて済むが、腹が減る。巡回先で腹が鳴って困ったこともあった。

相模大野のファミレスで指導を済ませ、本校に立ち寄る頃には日が暮れて寒くなった。奇妙なものだと思う。ファミレスには来れても、本校には決して足を向けない。露骨に会いたくない奴がいるかと聞くが、もっと儀式的なものだと説明された。自閉症傾向とはちょっと違う歪みを感じている。この方は、私の定年後、若手の家庭教師がつく。時間の問題で離れると思う。感じ取らなくてはならない陰の部分が大きいので、事務的に動けば消える、そう上司に言ってはいるのだが。

ジュンク堂書店の袋は、なんでこうも持ち歩きたくない色なのだろう。一部注文した書籍が到着していて、それを受け取ったが袋を捨てた。藤沢で買い物袋だらけになって茅ヶ崎駅ビルでとどめ。そういうときに限って携帯が鳴る。テスト屋家業の幕開け。今回は神田岡の水界隈の某老舗。これから東京行きが増える。季節労働者と自称している。定年がないのが助かる。しかしタイミングが最悪だった。道を避けているのだが、通行人が買い物袋に足を引っ掛けそうになる。大概が男性サラリーマン。人間除雪車のような歩き、あれはいただけない。

真っ暗な我が家に戻った。母がいない。どこに行ったのかと思うと、やがて買い物袋を抱えて帰ってきた。これで食材の二重買いが決定。分担しているのに何遍もこれをやってしまう。主婦アイデンティティが許さないのだろう。

山のようなジャガイモと白菜。それをみても文句が出ないのは、自分の方が分が悪いのを承知しているからだろう。白菜がキャベツならポトフが出来るが、ともあれ冷蔵庫の始末に困るはみ出し葉物を優先して鍋に決定。

JR相模原の塾からメールが届いていた。日曜日の授業代行の要請だった。冗談ではない、この日、東京の灘尾ホールで国際シンポがある。炭谷氏の講演があるのだ。ソーシャル・ファームのいわば生活困難者との協働、地域起業の紹介を湘南に導く講演のタイムリミットが迫っていたからだった。しかしふと気付いて笑った。仕事に対して「冗談ではない」は無いなと。でもそうなのだ。だから私教育の世界を居場所に決めたのだから。

母は話したいことが山ほどあるようだが、夕食の始末で席を立ってしまった。掌蹠膿疱症があるので、手袋がないときは、母は炊事に関わらない。手持ち無沙汰の末、TVにかじりついてしまった。

夜に授業が無い日は、できるだけ母と食事をすることにしている。孤食と言われる前に対策を打っているが、母はそんなことに頓着していない。

私の仕事は、巡回先の子のレポート添削があるが、これも3月からは半減する。代わりに教室の授業と演習補助が増えるから、夜の様子が変わる。やはりこういう変化は愁雲を伴っている。一杯やりたいところだが、夜間傾聴待機前の2時間、レポートに向かう。

書店で「手招くフリーク」「発達障害者支援の現状と未来図-早期発見・早期療育から就労・地域生活支援まで」「検索と発見のためのデザイン-エクスペリエンスの未来へ-」を発見。メモしておいた。

夜間傾聴:相模大野3君(仮名)
     東林間君(仮名)


(校正1回目済み)

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1/28 私の休日

2011-01-30 04:41:12 | 引きこもり
2011/01/28 記
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母の足がやたらにつる。腰椎の神経が触れているのではないかと、改めて神経系を疑る。腰椎すべり症の進行である。地元主治医に昨日再相談した。画像検査では確かにその兆候があるが、手術するほどではないということで整形外科的診断が出ていて、薬物治療が行われていたが、効果が芳しくなかった。

胃切除の影響があるので、別の要素が加わっていると思われていた。治まらないダンピングの吐き気、食事後の小腸の異常運動などストレスとなる症状があり、眼球の異物感と「めまい」という複合症状のような状態は、今回のように足がつるという症状が頻繁になっても、特定の病名診断を出せる状態ではないということを、再診断でも追認することになってしまった。

当人元気なのだ。しかし突然発作的に、めまいや痛みが出る。症状が内部的な疾病のサインではないかと心配になるが、その質問には医者は黙っている。

翌日、東京で稽古事の新年会があって欠席できないというので、心配だったが休診日の木曜日ではどうしようもなかった。母に症状のメモをポケットに持たせることにした。嫌な顔をしたが、何とか説得した。

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私の外勤定年の件は、少々もつれていた。私が茨城県の病院に連絡を取っている頃、私に(人事兼)庶務から連絡がきていたらしい。ずっと話中だったのでと不快感を露わにして、担当者がぶつけてきた難題は、もしも私が巡回希望の学生を見つけ出してきても、通学の意志がなければその学生を認めないというものだった。通学困難だから、訪問にたよっているのであって、意志がなければというのは矛盾。私が開拓してくれば外勤OKとしたことが悔やまれるのだろう。しかしそれは経営者の承諾を得たことだ。すでに担当の手を離れている。

夜間傾聴もいろいろあって、湘南あすなろ会も問題が起きていた。家業の方も手を入れる必要があったので、今日は一日休むことにした。連絡会議はFAXで済ませて欠席。

とにかく寝ることにした。昼間寝るなど何年ぶりだろう。予備の見つかった点眼薬をさして目を閉じた。

3時間ほど寝た頃、母に起こされた。新しい携帯をセットしろというのだ。メールの調子がおかしいのだ。マニュアルが無いからだと店舗の怠慢を母はなじった。店舗は、HPにマニュアルがあるからダウンロードして使ってくれと言っていた。母はそれを聞いていたので印刷して欲しいと言い出した。冗談ではない、何ページあると思うのだ。コストを説明しても母には通じない。トイレに退散、買い物に行くと離脱。

炭谷講演は分不相応なのはわかっている。買い物しながら東京方向に手を合わせて念力をかけた。しょうもない話だが、ソーシャル・ファームの話は絶対炭谷氏の語りだ。

煮魚を作って夕食。これも久しぶりに目的無くTVを観た。必要な番組を選んで私はTVを観ている。だからTVを観ないわけではないが、私はCMの方が面白いといって母が偏屈だと怒らせたが、宴会芸番組よりはいい。今回は母に番組を任せて、食器を下げず、食卓の横に横たわった。

母が呆れていたが、すぐに大いびきをかいていたという。かりかりに喉が渇いていた。自分の部屋に戻って、ストーブをつけた。そこまでしか記憶がなかった。

夜間傾聴:東林間君(仮名・すまん、寝ていた。)


(校正2回目済み)

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1/27 日常の亀裂に思う/実態調査の必要性と断面の作り方の思案

2011-01-28 14:27:22 | 引きこもり
2011/01/27 記
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網膜色素変性症の進行を遅らせる効果があるといわれているレスキュラ点眼薬(眼圧降下剤)が切れた。だましだまし使ってきたが、いよいよ残りが出なくなった。1本余分を確保していたのだが、冷蔵庫を探すが見当たらない。まだ受診日まで十二日ある。網膜色素変性症自体が症例の多い病気ではないので地元調剤薬局では取り寄せになってしまうが、生産数が少ないのでそれに加えて日がかかる。結局東京まで出向かなくてはならないのかと、落胆していた。連続して巡回に変更が続いているからだ。

相模大野に電話している最中、母が「あった」と遠くから声をかけてきた。慌てて上司に対し、担当している生徒の状況報告に電話内容を切換えて場を繕った。ところが母が手にしてきたのはドライアイ用の点眼薬だった。最近この手のすれ違いが多い。母に違いを説明するのに立ち話をすると、「厚意で探したのに悪かったね」と怒り出す。先手をとって「茶を入れる」と言って母を座らせた。説教するわけではない。この手の紛失は大概母がからんでいるから、思い出させるつもりだったのだ。

私が空の点眼容器とそのラベルを取りに行ったら、もう母はその席にいなかった。結局は立ち話に引き込まれ、我慢合戦している自分にため息をついていた。

案の定、母が関与していた。しかしその置き場所はわからなかった。出かける時間が迫る中、頭に点眼薬の効果をなぞらせた。網膜・神経束周辺の血流の増加促進薬、視細胞そのものの治療効果はない。だから数回の点眼が抜けても大丈夫と。しょうもない話だ。明日巡回を休んで病院に行き、担当医にはあえなくても、この手の点眼薬は処方してくれるから大丈夫と自分に言い聞かせた。

考えてみれば、父の在宅介護をしていたときは、予約の変更しない日の方が少なかった。突然起きる事態との糞尿の戦いだった。父の入所から半年、仕事再開と、つなぐ手を失った活動の再建復活が、思うに任せず空転し続けているが、それでもいくつかの芽は着実に育っている。踏み潰さないようにしていく以外ないのだ。

昔、道に迷ったことがある。携帯電話がない時代だ。通行人に目印の場所を聞くことで普段は脱してきたが、そこは閑静な住宅地で聞こうにも人通りが全くなかった。太陽の方向を見るにも今にも降りだしそうな雨空。幹線道路と分岐路の地図のメモを取って、地図を製作することで、家の違いが見えてきた。庭の花や洗濯物が目印になった。屋根の色や建物の形は建売り分譲地で見分けが出来なかったのだ。目的の御宅に30分遅れて到着したのだが、日が落ちたというのに、帰りは既知の土地のように無駄なく駅に出ることが出来たという印象深い経験をした。私は見通しを獲得していたのだ。更に言えば、通行人のありがたさのことだ。対話には、相手を意識した編集を受けた情報がある。フィットすれば導きが速い。周辺が見えてくると差異が浮かび上がってくる。細かい差異は条件が整わないと見えてこないのだ。出会いたいという意志表示は途切れさせずに押す、しかし冷えていないと差異は通り過ぎてしまう。

冷蔵庫捜索を諦めて、出かける前の食事をしていると、母が点眼薬を持ってきた。冷蔵庫に化粧品を冷やしている。点眼薬の袋が小さくて無くなりそうなので、その化粧品を入れたタッパウェアの中にしまい込んだことを思い出したのだ。探すと言っても、さすがに母のものをかき回して探しはしない。わかるはずがなかった。

こうしてアクシデントは一応の解決を見たのだが、父のいた頃とは比較にはならないが、母と顔を突き合わせている時間が長くなった分、語らぬ配慮の行き違いがやたらに目立ってきた。距離を置いたほうがいい、そう思いつつ、前日の冷蔵庫の体当たりのふらつきを見ていると、距離感の難しさを感じてしまう。

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巡回先は今回は橋本側。南大沢なのだが、新しい方ではない。橋本から転居されたのだった。駅前を少し行くと風景は住宅地に急に変わってしまう。マクドナルド前で合流し、御宅を教えてもらった。地元店舗のそばなので、以前の迷子のようなことにはならない。彼は教室に通っているが、吃音があるので質問をしない。だから高機能に加えた二次障がいを抱えていると思っていい。

喫茶より、静かな我が家で訪問指導を受けて補間を望んでいた。私は全教科教えられるわけではないので、そこは担当講師に仲介することになる。彼は通学しているので、その後は自分で講師の指導を受ける。しかし、相模大野の方と違って、JR相模原の教室は小中学生が主力だ。だから高等部の講師は少ないので、講師の曜日が限定される。だから社会人まじりのクラスは自主運営みたいなものだが、指導内容は不足だらけとはいえ、彼らの孤立は防げている。夜間中学や定時制ほどの結束はないが、人数は入れ替わり一定で推移している。巡回先の彼は、このクラスに通っているのではなく、一般の高等部のクラスなのだが、講師はこちらのクラス担当が彼を見ることが多い。

彼の訪問希望にはもうひとつ意味があった。彼は小学生の頃からある趣味のコレクターで、それを私に見せたかったのだった。面談と学習がひと息つくと、私は彼の自慢話に耳を傾けた。自閉症系の方独特の緻密さが伝わってくるのだ。私と彼との絆のひとつである。

平塚の図書館の書籍更新もあって、夜の相模大野の分は、一度茅ヶ崎に戻ることにした。茅ヶ崎で途中下車せずに、平塚で湘南信金口座を使おうとして、恐ろしいことが起きた。平塚の駅前には湘南信金ATMがないのだ。平塚市内は平塚共済病院か田村十字路に出ないといけなかった。この田村店も2月で無くなる。藤沢も江ノ電側の奥で、わかりにくかったが、平塚駅前に全く無いというのは驚いた。

私は今、みっつのことを探っている。

ひとつは、ソーシャル・ファームに水路を開く地域起業モデルのヒントさがし。確かに「御用聞きシステム」と「資源ゴミ回収と地域交流モデル」の実現の筋はある。しかし、そこの堰を切る水位をあげる道筋が見えないままだ。いずれもボトムアップ一筋の構想ではなく、プランから下ろすトップダウンの政策的要素があるからだ。店舗を構えそこに人を引き取る形の活動や、その営業で人が来るのを待つ形の活動ではとても解決しないほどの生活困難の方の数、就労支援の質が拡がって行きうる性格を持つためには、店舗と資金確保というハードルの水準を下げていく政策的な展開を仕込まなければならない。ここが従来の活動と違うので理解を得にくいところとなってしまう。

もうひとつは、社会的企業の公的ニーズの中身のこと。独居の高齢者の孤立をトップとして、親族と離れて生活している生活不自由の方を含んで、この地域課題を支える活動に、引きこもり・高機能の方の就労先を作れないかというマーケティングリサーチだ。片方では介護保険でヘルパーが支えるから、料金の競争にならないだろうという論理。田舎ならまだしも、買い物代行や居室環境整備などは得点で解決できるというもの。しかし、高齢者を含むネットスーパーの売り上げの急増や、宅配コンビニの高齢者宅比率の増加などは、週に1度の買い物サポートや、清掃サービスなどでは追いつかないことを証明する必要がある。要支援・要介護1・2の幅の独居の方の生活を追う必要がある。私の家族の介護経験から、同居家族の支援がなかったら、不自由をかき分けて生活するような思いをどう証明したらいいのだろうか。決して厚いとはいわないが、障害保険と様子が違う。そこには同居家族(主に親)がいるからだ。

みっつめは、ホームレスの仕事作りのディテールを細かに描くことだ。彼らの中には多重債務などで身を潜めている者もいる。だから仕事が必要でも正規の仕事にしにくい。追っ手がきたら身を隠すという腰掛け仕事としてもつかえる臨機応変さを備えたシステムを作らないと、実効性に乏しくなる。社会的信用からニッチな仕事を産出する仕事に育てたいので、このへんの曖昧さは非常に入れ込みが厳しい。ところがここを機械的に厳しくするとホームレス側のニーズが無くなるのだ。これは歩く以外ないだろう。今年は企画立ち上げの基礎作業を具体的に進めていくことだから、偏見の海を泳ぐ必要がある。

私は相模大野の外勤を契約講師定年となる。交渉で教室の授業の一般の非常勤講師のほかに、外勤の出来高性契約講師を納得させた。外部から巡回を希望する生徒を呼び込んできて、経営側のブランドで契約させる。その利益を折半するという、いわば日給制から外れるというものだった。一斉授業と演習を担当するのは、非常勤と言っても仕事は連日あるのだが、それに外勤を加えるというものなので、この折半条件でも無くなるよりはましというものだ。他業複数収入でなければ続かないものだ。この条件下で足で稼ぐ調査はきつい。書籍・論文・記事などの下調べが中心になるが効率性を高めるために、県立保健福祉大図書館利用再開を含んでいく。フィールドワークはしんどい。パトロール以外の時間を使わないと調べられまい。活動母体を持たないフリーランサーの宿命である。目が持って欲しいとひたすら願っている。

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母にあけぼのの最中を帰宅時に渡した。バレンタインかいなとは。老老介護になりかねないのにねえと応答。夜食に用意した寿司と茶を持って、夜間傾聴の準備に入る。母は呆れを通り越して三十石船沈むぞという。泥舟に乗ったタヌキの心情、こらしめ兎は大嫌いと応答。各自の部屋にぶくぶくぶくとは。


夜間傾聴:中央林間君(仮名・用件あり、こちらから)
     橋本2君(仮名)

(校正1回目済み)

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1/26 雑感、始末の一日

2011-01-27 13:52:12 | 引きこもり
2011/01/26 記
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昨日は「きずな」の藤沢パトロールの日だった。茨城県の交通事故入院の件もあったので参加する予定だったが、巡回日程から無理とわかり断念した。

依然として意識が戻らないとのこと。命に別状なく長期化すると転院が始まる。そうなると、連絡は実質絶たれる。病院にお願いして、彼の手元に手紙を届けたのだが、回復を祈るばかりだ。

手紙には、彼が目覚めたとき,読んでもらいたいと病院仲介者にお願いし、身体が不自由になった今、あなた(彼)の孤立を防ぎたいという内容だった。勿論、**市の関係者さんが相談に乗ってくださっていることは承知しているが、神奈川との関係を再度結びたいと思ったとき、利用してくださいという内容の手紙を書き、同封し発送した。

往復1万円は軽く超えるところなので、簡単に出かけることができない。

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ビッグイシューの卸業務清算がごたついていて、まだ終わらない。金銭がらみのことは実に面倒だ。社会運動は相互信頼の上に成り立っているが、ひとの言葉は鵜呑みにしてはいけない。嘘という事だけではない、誤解もある。婉曲に関わる言葉もあるし、その方の場面表現と切り離すと別の意味になってしまうこともある。関係者が若すぎるのだ。抑圧された方は特に、その方の裏表とも総体で受け止めていかなくてはならないことが多い。学生サークルとは比べ物にならないほどに癖が強い。メールが届き、ため息をつく。

茅ヶ崎から資源ゴミの回収によって、就労の契機作りをする企画に着手している。しかしここでも、企画の文面に出ないいざこざが起きる可能性がある。客の取り合いとか、相性、下手をすれば業者の買取り条件ももつれるかもしれない。また法に触れないかも詳しくチェックしておかなくてはならない。この辺は成文化しにくいところだ。しかし打ってでなければ、資源ゴミ拾いが違法にされ、わずかな収入の先が断たれてしまう。社会復帰の道も一層遠のいてしまう。だから、回収業を各自が始めていこうということなのだ。昔、「企業組合あうん」さんが歩んだ道かも知れない。この成文化できない人間関係や経営場面は経験という形で処理されていくが、しっかりとした大枠と的確な着地点(地盤とあえていいません、発展途上ですから)、信頼関係の育成が活動の成否を決める鍵になる。

会は勉強会をもっていかなくては、ならないだろう。業者のことを支援者も知っておく必要がある。見学会を組んでみようかと思っている。

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もうひとつの私の仕事は、引きこもり青年と発達障がい&精神障がいの青年とのチームをベースにした地域起業だ。独居高齢者が主な顧客となる活動を描きたい。そのための具体的な一歩に「買物難民」MLを開く。引用が多くなるので公開にはしない。来月1日からスタート。参加希望者はアドレスをコメントに書いてください。コメントは、私が許可しないと公開しない設定にしてあります。ご安心を。

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日程が迫っているところで失礼とは思いつつ、炭谷氏に講師をお願いするための手紙を月曜日にオフィスに届けた。期間が短いが茅ヶ崎市の後援を取りたいと思っている。スケールが大きく、密度の濃い話題を提供してくれる方だが場違いは承知。なんとかそこをという思いあり。

性急とは思いつつ、電話を入れさせてもらった。職場の秘書の方に話を聞いてもらった。ソーシャル・ファームの可能性、提供して欲しいと願う。社会的困難な無業者への地域起業の可能性を拓きたい。

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巡回のあとジュンク堂書店で注文を出した。以下のものを含む6点。

●「13歳から学ぶ日本の貧困―日本をむしばむ“貧困”が60分で見えてくる 」
●「単身急増社会の衝撃」
●「非定型うつ病」
●「ゆびさきの宇宙―福島智・盲ろうを生きて」

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母、「めまい」で冷蔵庫に体当たり。すぐに復活。足というが意識に見える。不安。


夜間傾聴:橋本3君(仮名)
     □□君(仮名)


(校正1回目済み)

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1/25 茨城県の事故入院先がわかって/母の携帯を新調した罰

2011-01-26 18:54:22 | 引きこもり
2011/01/25 記
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茨城県**市の警察署に再度電話問い合わせ。担当刑事さんが電話に出て、病院を教えてくれた。意識はまだ戻っていないという。頭を打っているのですかと問うが、私は医者ではないので病院に問い合わせをと断られた。病院がわかった。意識不明なら転院という形はありえても、急いで追い出すようなことはないだろう。

病院に電話して困った。整形外科病棟とか脳神経外科病棟というような診療科区分で入院患者を整理しているのではないといわれた。名前がより重要になるが、**さんという自称は偽名かもしれなかった。救急入院して手術したHLの男性という話になると、プライバシーの壁が立ちはだかった。問答を十分ほどしていると、窓口係は、やっと入院管理の責任者に取次いでくれた。

事情を説明しても、かたくなに規則の壁に隠れてしまう。対話していると全くとんちんかんな話が返って来るので、事情が飲み込めないのだとわかる。仕切りなおして持久戦に持ち込むと回線を切られてしまう。了解しての規則の壁なら石頭と怒ることも出来るが、無理解と遮断となるとなんとも苦々しい思いが残る。セールスは絶対に嫌だと昔から思っていたが、年の功で、なんとか回線切断はさせないスキルは身についている。

責任者は身元確認のために、こちらから電話すると告げ、すぐに電話をかけてきた。病状はわからないが、身元不明の方が緊急入院して手術したことは確認取れた。問題はそこから先だった。この方が私の探す人であるか確認する手立てが無い。身体的特徴とアルコール中毒であることを告げた。責任者の方は**さんに会っているわけではない。ただ私の指摘が嘘を言っているようではないという判断から、「意識不明」であることを明かしてくれた。市警察署からこちらの病院を確認したこと、退院・転院になったとき、連絡の糸が切れてしまうこと。退院になったとき、**市が彼を受け止めてくれるだろうが、神奈川への執着が彼にあるなら、彼の意向を踏まえて、寄せ場の横浜・寿町などに身を寄せる方法も取りうる。その選択肢を残してやりたい。事故の連絡を知り、手術の当日、彼の命のことを思った。亡くなったら無縁仏として埋葬される。誰か現世で通りすがりであろうとも、つながりを持つ者が最後をみとるぐらいのことをしてやりたいと思ったと彼に伝えた。

結果、彼の意識が戻ったときに手紙を仲介すること、転院したり亡くなったりしたときは、担当者に手紙を引き継ぐことを約束してくださった。感謝である。さっそく、手紙を書き始めている。病状の経過については教えることは出来ないが、転院や退院のときは、連絡するということになった。

きっとありがたくない顔をされるなと思いつつ、茅ヶ崎市の生活支援課や藤沢がらみなので、きずなの関係者に経過を説明しておこうと思う。

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気が滅入っていたこともあって、母の携帯を新調することにした。ところが失敗だった。母の選んだ携帯は、今まで使っていた携帯とはメーカーが違うので、操作法はだいぶ違うのだ。ワンセグが付いていて、今までのキー配置の習慣でついワンセグのキーを押してしまうのだ。なかなか解除できないので、「このTV、いらないんだけど、止めてくれない」と母が言う。キー配置を直せないのかという。「やたらに趣味の悪い絵文字が出てきてうるさいから消してくれ」という。私は母の注文攻めになってしまったのだった。

主婦感覚だが、こういうときは大根とか人参を切り刻んでいると気分が変わる。月末の銀行入金でATM前の列に並びながら、防犯カメラを探す。探していると防犯係やガードマンが、動き出す。怪しいおじさんごっこである。しょうもないことをとは思いつつ、眼を下ろして、支払い口座以外の口座を持ちたいなあと金欠口座を眺める。次回の眼科で遮光メガネを買うことになる。自転車は来月初めまでお預けだなと思う。自転車は資源ゴミ回収PJを立ち上げる際、苦情処理屋の必需品である。

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巡回予定が一日ずれたので、予定を新たに取り込もうとしたが、これは相手がいる話、なかなか調整が付かず、JR相模原の塾の方の応援団をしてきた。取り出し指導なので、私がおいでおいでをすると、横を向くのがいる。そのひとりの++君と仲良く(?)個人指導してきた。今日は厄日と思っているだろう。

定食屋でふろふき大根を食べた。なかなかのお味。

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《神奈川県お知らせ掲示板より》
●「2011・よこはま障害者合同就職面接会」

夜間傾聴:□□君(仮名)


(校正1回目済み)

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1/24 神奈川ソーシャルインクルージョン推進機構のセミナーに出つつ

2011-01-26 10:43:51 | 引きこもり
2011/01/24 記
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母の友人の息子さんが残した闇金の累積債務の件で、しばらく音信が無かったことで、同じ友人仲間が連絡を取ったところ、電話が止まっていた。別所帯なので関係ないかと思いつつ心配していたという間接情報が母の元に届き、心配が再燃していたところ、手紙が届き一安心している。娘さんの嫁いだお宅や、近くの湯治場でしばし休んでいたという。母が電話を入れてみると電話は通った。単純に出掛けに受話器をきちんと置かないで出かけたため、局が臨時に止めたということらしい。闇金の件は嫁さんがつけまわされているようで、警察に状態を相談したとのこと。一応は長期戦に入っているのかなという印象。

日曜に厚木で神奈川ソーシャルインクルージョン推進機構のセミナー「精神障害者の就労実態と当事者主体の多様な働き方~参加型調査結果報告と「働きたい」を分かち合う~」があった。2009年度から、就労現場の実体験対談を参加型調査(フォーカス・グループ・ディスカッション)にかけ、その成果発表会のような形の会合だった。当事者さんの就労意志がどのように職場に伝わっているかを垣間みさせてくれるような発表が続き、働いていること自身の手ごたえをそれぞれの方が文脈に編みこんでいく。それを上野容子さん(東京家政大学教授)が束ねて浮かび上がらせた。お見事でした。質的研究は背後の大きな目的性の自覚がないと川を作っても水が流れないというような不可解な事態がうまれるが、迷子のようなめまいを感じさせない発表だった。

しかしソーシャルインクルージョンの観点からは、それの基礎研究にあたる内容なので、精神障碍者支援に関わる地元の方の局面認識が私にはない。その溝を埋めていく作業がしんどかった。つまり内輪の傾向が強かったように思う。

横浜・寿町からの参加者があり、簡単にご挨拶してきた。面識はあったが話すのは初めてだった。

県代表の**さんと会うことが出来た。ひとのスピリチュアルな基底に関心を持った方だ。母の件があるので懇親会に参加できなかったのが残念。

今回実は、ソーシャルインクルージョン推進機構の炭谷代表の参加を期待していた。残念ながら空転したので、失礼ではあるが済生会本部にお邪魔して、講演のお願いを届けてこようと思っている。

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茨城県**市で交通事故にあった**さんの手術の術後経過はどうなのだろう。命に別状は無いという間接情報を得ていたが、警察は病院名公開に慎重だし、もしそれがわかっても、病院への問い合わせは個人情報の壁から、容態把握も難儀することは、以前の経験からも想像がついていた。何ができるか。そのことを考えて関わりを立てないと頓挫する。

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本厚木から相模大野に出て時間ぎりぎりに調整会議に出る。会議の途中、巡回先の青年から連絡が入った。明日は病院に行くので、今夜来て欲しいというものだった。…また、母が孤食だどうのとごねるに決まっていた。わかったと応答しつつも気が重かった。母に巡回に回ることを「通告」して、東林間へ。

昔、通った中華そば屋に入るが、先代は奥で煙草を吸っているが、私を覚えていない。時の流れを感じる。わずかな孤立感を感じつつ、巡回先へ。ここから小田急相模原君(仮名)の御宅は近い。どうしているかなと思いつつ、藤沢経由で帰宅。精神科の予約はかなり前にしておかないと、なかなか受診できない。今回の話も前からわかっていたはずの変更だった。そのことを本人に伝えると、病院を変えたという。開業するというので、そのクリニックの方に遠くなるが通うのだと言う。なるほどこれでは仕方が無い。場所を聞いて驚いた。私の元の職場の目の前だった。大手事務用品卸支社があった場所だ。つぶれたのかなと思いつつ、私が周辺に詳しいので驚いていた。精神科はオフィス街でも商売になる。調剤薬局はどこになのだろうかと余計なことを考えていた。まあ、主治医は継続していた方がいい。

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「児童福祉施設での虐待、09年度59件 厚労省初集計」という1/21の記事に驚いた。「初集計」というところだ。いわゆる普通の生活をしている方には、情報が届かない。届いても受け取るだろうか。常に関心を寄せている社会活動がなければ、行政まかせだとこんな状態だ。放置閉鎖した空間の人間関係が歪むことは、関係者なら誰でも知っていることだ。放置した側も悪い。

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母は受話器がはずれているとどうなるのか、懸命に私に問いかけている。局の側で回線を切っておくのだという話が意味が通じない。食事させてくれと遮断し、おいかけて話してくる母に、いささかうんざりして食事を終えた。考えてみれば以前は父が話し相手になっていたわけではなく、父の介護に振り回されていたのだ。ゆとりが出来たから生じたこと。母を家に放置するのはまずいなと思いつつ。えい、ままよと洗濯物の山を洗濯機に突っ込んだ。

夜間傾聴:橋本2君(仮名)
     駒沢公園君(仮名・お久しぶり、傾聴にあらず)



(校正1回目済み)

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1/23 市第一回市民参加条例ワークショップに参加/湘南あすなろ会定例会があった

2011-01-25 06:00:07 | 引きこもり
2011/01/23 記
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深夜1時頃、母のダンピングが始まった。やめろというのに、ご近所のおすそ分けの白玉入りぜんざいを寝る前に食べた影響だろう。このところ早朝が冷える。昨年から母は夜間1~2回トイレに行くようになっていた。それ以前は日が昇るまで眠っていたから、加齢か変調を来たしているかのようだと母と話していた。ダンピングが始まったときは、2~3回トイレ通いをして咳き込んでいるが、昨夜はそれが長かった。前回の受診から、心療内科筋は母は受け付けないと判断した。今は精神科も諾とはしまい。選択肢が狭まって困っている。一方、長い眼で見ていると、母の「めまい」は徐々に治まっているように見える。おそらくはボトックスの副作用から抜けてきた証拠だろう。睡眠導入剤をダンピングがひどいときに飲んで、睡眠時間を取った結果、寝不足からくる症状が緩和したことも大きいと思っている。

母は昨夜、その後出てこなくなったが、寝室でむせる声が時々していたから、深く眠っていない。その影響で私が朝10時からの会合に出て行くとき、母は寝床から出てこなかった。土曜日の診療は午前中なので、ひとりで出て行くこともあるまいと判断し、昼食の下準備をしておいたので、市役所企画に出かけた。

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茅ヶ崎市の第一回市民参加条例ワークショップに参加した。ホームレスの仕事立ち上げの下準備として、茅ヶ崎の路上生活をしているが住民票を持たない者の扱いについて、行政の判断をつかもうと考えていた。「市民参加」と言ったとき、その「市民」に「ホームレス」や、他地域からの「参入ホームレス」が入るのか否か。つまり行政の支援を受けられるのかという疑問だった。

前回条例作成委員会にでたとき、市行政との会の進行を巡ってシビアな論争があったので、新参者には、つかみどころが無かった印象があったので、今回も野次馬かなあと思いつつ参加した。

案の定、さらに激しく行政との対立が起きていた。公聴会とか意見交換会などは、形式的に参加者の意見を聴いただけで終わり、結局は行政の提案が承諾したかのように通され、利用されてしまう。この骨抜きが今回も起こることを先取りして衝突しているのだとわかった。

延々とその関係のやり取りが行われていて、新参者出る幕ではないというところ。次回も延長戦だろう。番外質問の割り込む余地無し。まあ、会合ではなく直接行政に問い合わせしてもいいのだ。

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夜18時半から湘南あすなろ会の定例会があった。間が空いていたが、海老名巡回を入れ込んだ。海老名のサンマルクは席が接近していて、個人情報を話せる状態ではない。結局図書館のロビーを使ったり、騒がしいがガストを使ったりする。彼女は若手の多いガストを嫌がる。ジョナサンやサイゼリアを使うこともあったが、彼女の知り合いが来るのだ。自宅は遠いし、訪問は嫌だというのでどうしたものかと話している。

丸井の食料品売り場で、半端もの生鮮食材を買い込んで茅ヶ崎に戻った。量があるので駅のコインロッカーに入れて、駅ビルのすし屋で軽く腹ごなしして、茅ヶ崎サポセンへ。前日に、路上でBIの元販売員##さんと偶然出会ったので、今回は彼がいた。しかしもうひとりの**さんが、BI東京事務所から「若者ホームレス」の資料集を届けただけで、慌ててサポセンを出て行った。仕事が入ってしまったのだという。

今回は、

1)茨城県**市で交通事故に遭った++さんの報告と対策

2)BIメール販売(東京事務所から\300/冊で買取り、もうけなしで再販する。)状況報告。
----今回は市社協さんと、ぽると湘南さんが定期購読を了承してくださった。

3)資源ゴミ自主回収と住民交流の企画研究開始承諾
----社会的起業。

4)3/5ワイワイ祭り・豚汁鍋で参加>鍋を借りられた件

ということについて話し合ったが、1)は、入院中の彼に早めに手紙を出すこと、3)は、細かな部分を次回検討するということになった。

-----

食材をコインロッカーから出して、帰宅すると母は布団をかぶっていた。調子が悪いようだ。猛烈に眠いという。食事をした跡があるので、冷蔵庫を覘いて肉制限水炊きを作って食べた。母の言うとおり孤食はうまくない。

とにかく寒い。ストーブの調子が悪いが、昼間時間的に直せないので、夜は大きな音を立てられないしとぶつぶつ言いつつ直していると、母が起きてきた。どうやら体調は大丈夫のようだ。後片付けを済ませて、母を強引に寝かしつけ、物置きに灯油タンクを取りにいく。シャッターを開けねばならず、抜き足差し足…ではないが、そっとタンク交換をした。天を眺めるが、昔のような星は見えない。渦巻く漆黒の渦がせわしなく波打っている。情けないが完全に片目状態。庭の影の敷石も見えない。

夜間傾聴:東林間君(仮名)

p.s.金欠。自転車後回しに。次回の眼科、受診後眼鏡を作る。金が危うい。情けなし。


(校正2回目済み)

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1/22 茨木県で交通事故を起こしたHLの**さんは、命に別状無し

2011-01-24 10:10:29 | 引きこもり
2011/01/22 記
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元湘南のホームレス茨木県の交通事故の件は、身元等参考になるような情報は、茅ヶ崎のホームレスへの問い合わせからは全く得られなかった。というより街中では昼間ホームレスの姿が減っているので、駅南口海岸寄りを歩いても出会わないのだった。時間的にゆとりが無いので中央公園をざっとまわってひとり、寝ていて応答がなかった。ポルト湘南(GH)にいく時間もなかった。

夕方茨城県**市の警察署に電話を入れた。現場担当者不在だったが、担当刑事を紹介してくれた。術後の状態を確認しようにも、病院を教えてくれないので、警察に入っている伝聞情報を聞くことになる。しかし、「命に別状は無い」との情報しか得られなかった。ともあれ救急の事態は脱したと判断してよいだろう。地元にホームレス生活支援のボランティアがあるか確認したが、この方は電話担当のようで、全く詳しいことはわからないと応答。関係者は今不在ということだった。

電話を切るとすぐに、今話していた方から電話が返って来た。出先だったので慌てたが、ボランティアの件、市内では聞いたことが無いという応答だった。確認をまわしてくれたのだった。お礼を告げて電話を切った。

命に別状がなければ、症状にも寄るが、整形外科の範囲だと1週間も入院させてはくれまい。交通費を出すから湘南に返すという話も出ていた。茅ヶ崎市の生活支援課と**市の関連課とのやりとりになるのだろうが、彼の意向を尊重することになればいい。しかし大概は選択の意思表示がなく言葉が淀む。世間とお上の重圧が彼にのしかかって感じているからだ。怪我を抱えて対応状態がよくわからない簡易宿泊所生活に入るのなら、いっそ横浜・寿町などの寄せ場で保護を受けた方がいい。支援者の眼もあるからだ。だから病院を聞き、退院する前に安否を問う形の手紙を病院宛に出すつもりでいる。FAXさせてくれれば、退院空転しないで済むのだが。接点、彼の手を離してはいけない。お節介と彼におもわれても時期ではない。

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@niftyは口座振替日が早い。給料日前に落ちるから、貧乏口座大丈夫かと確認を取って胸をなでおろす。契約講師は日給+成果給。巡回の外勤講師は後者の年額が大きい。手をかけても私と対立してキャンセルされる方もいらして、こういうときは減給こそないが、成果給が出ないから、副業をしていないと苦しくなる。しかし自営のときは波が大きかった。延べると返って現在の方が良かったりする。フリースクールは組んでいる相手が就職で抜けたりし、後半は企業のように雇用の形で活動を維持する専任・バイト講師の人件費が大きかったからだ。それでもなんとか19年続いた。

ため息つきつつ、橋本巡回。2件、結構場所が離れている。バスの乗り継ぎの時間がかかる。効率を考えたらやっていけない仕事。車巡回なら別ではあるのだが。内容を紹介できないのが難だが、学力差の大きな巡回だったが、いずれも引きこもり現在脱出中ということで共通点がある。普通の学習指導と様子が違う。

バスの関係で橋本ではなくJR相模原から橋本経由で北茅ヶ崎に戻りサポセンに立ち寄って印刷。駅前に出た。乗り継ぎの悪さはじんわり自分の人生をあぶりだすようだ。バス停を蹴飛ばしてはいけないのだが。

今日は不調。これにて。

炭谷氏、23日の厚木の会合で会えなければ、失礼だが三田の済生会本部に書状を届ける予定。


夜間傾聴:橋本3君(仮名)
     中央林間君(仮名)


(校正2回目済み)
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1/21 辻堂駅HLのNさんが茨木県で交通事故に

2011-01-23 08:10:13 | 引きこもり
2011/01/21 記
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朝6時50分ごろ、携帯が鳴った。寝入りばななので即応できたが、相手は警察。しかも茨城県**市警察署交通課からだった。何事かと思った。身元確認だった。

話は、こうだ。湘南に数年は生活し、最近は辻堂駅エレベータのところに寝泊りしていたホームレスが、**市で交通事故重体だという。ポケットから、私が年末に横浜・寿町に誘ったときのメモが出てきた。身元確認をするために連絡したという。今も意識が無いという。

私が彼に会ったのは、2年前からになる。茅ヶ崎駅北口の路上で出会った。その後しばらく会っていなかったが、昨年秋から辻堂駅南口のエレベータのところで再会した。自称**さんは、完全にアル中。その後何回も話しかけたが、空転を続けていた。確認のために、きずなのMさんに時間を待って確認することにして、警察の担当の++さんには、私の知る経過と彼の自称**と名乗っていると伝えた。

驚いた。ここのところ見かけないとおもったら、茨城県で事故を起こしていた。郷里に帰ろうとしていたのだろうか。仕事開始時間にMさんに連絡。一度茅ヶ崎市内の病院に入院歴があった。しかし身元ははっきりわからなかった。**市警に連絡。情報を伝え、病状を聞く。そのまま手術に入れない何か医療上の問題があるらしく、手術は午後と聞いた。意識は以前戻らない。

茅ヶ崎市生活支援課に電話を入れて、協力を求める。いくつもの情報を得て、行政も動き出す。辻堂駅は藤沢市の管轄なので藤沢市にも連絡を取ったが、普段連携しているところではないので、極めて事務的。次に**市の行政に連絡。

彼は**市が医療保障する。ただなかなか病院名を教えてくれなかった。結局手術は翌日になった。そのことで脳や内蔵破裂のような事態ではないな、ということを感じていた。

手術は夕方行われた。容態の連絡の無いまま、一夜が明けた。

こういう場合、私たちに何か出来るだろう。巡回の時間が迫っていたが、あてどなくホームレスを探して歩いた。ひとり出会ったがそれは、泌尿器に障碍を持つ女性ホームレスだった。この方は統合失調症を抱えているので、ただ演歌が返って来ただけだった。

人の影に埋れて生涯を閉じるなど、不本意であるか否かに関わらず、誰かとつながりの接点を持ち続けて欲しい。手を離さないで欲しい、そう思った。

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巡回は海老名。指導中も、ときどき携帯に眼をやっていた。警察からの連絡を待っていた。命取り留めるといいねと彼が言う。薄い上掛け一枚で眠れない夜を過ごしていた、なりたてホームレスの方と平塚で出会ったときのことをなぜか思い出した。自分の状況を受け入れられず、行政の非情を訴えていた。その方の鼻のまわりに出来ていた油脂の粒が光っていたことが、妙に生々しく思い浮かんだ。悲しげに沈んだ沈黙の裏には、異様に生々しい「ひと」が隠れていた。急に酒臭い彼の赤ら顔が浮かんだ。

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茅ヶ崎に戻って軽食とって、市民文化会館に飛び込んだ。和田清氏の後援会主催の「障がいのある人と犯罪~障がいのある人の権利を護るとは?」堀江まゆみ氏の講演が予定されていたが、事前に講師風邪で講演中止と聞いていたので、何をやっているのだろうと不安な気持ちで扉をあけるとコの字型に机を並べて、見慣れた顔が並んでいた。

少人数は、それはそれで話が深まっていい。当事者の親御さんなどは、身が細る思いを語った。発達障がいの方は、ひとの間合いの取り方が苦手だ。知覚過敏などが起きている方もいる。不慣れな方が彼を触って突き飛ばされれば、もうこれで傷害となってしまう。皆が見慣れるという事が大事なこと。違和感が告訴などを増幅させてしまう。傷害保険で切り抜けていくが破産の恐怖があるという。

一方では札幌「三丁目食堂」事件のように、知的障がい者が監禁されて働かされていた事例もある。自己表現の苦手な障がい者もいる。

親御さん、話せば多少は元気になる。それ以上のことはなかなか。

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母、連日の外食に不満を溜め込んでいる。困ったものだ。昼か夜か食事を共にしないといけないのはわかるが、私の巡回は相模原市である。時間がかかる。早く出ると昼が、遅く出ると夜が引っかかる。母はわかっているが、孤食はいやなのだった。

夜間傾聴:橋本2君(仮名)


(校正1回目済み)

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1/20 ソーシャルインクルージョン推進機構代表の炭谷氏への講師依頼状を書いた

2011-01-23 06:32:02 | 引きこもり
2011/01/20 記
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母のダンピングが4時過ぎに1回。今回は短時間で終わる。固形物が多いという事でもないらしい。今日はNPOサポートちがさきの昼食会の日だが、相模大野の月例会議が入っていた。昼食の下準備をしておき、家を出る。

巡回までのわずかな空き時間に、同僚と遅い昼食を取る。巡回訪問が多い仕事をしていると、教室の出来事や時節柄の動きなどに疎くなる。若手は概括が下手なので、40代の##さんと食べることが多い。しかしこの人は、生徒のことをよく知っている。担当外の子もつかんでいることも多いので、私と接点のある子のこともわかっているから助かる。ただこの手の話題は飲食店でやるわけにも行かず、弁当を買い込んできて面談室でやる。いつも親や生徒が座る席に私が座る。見え方が変わるから、なんとなく親子が受ける気分を感じ取れる気がする。ざっとご時勢伺って、講師間の出入りや経営陣の様子も感想程度に聞いておく。これでペットボトルのお茶一杯のおごりは安い。弁当奢れと迫られるが、品質が落ちるぞと逆に脅して、お茶に落着く。会議だけでは必ず情報不足の問題が起きる。自衛策でもある。

相模大野の巡回が一件。いつもは自宅訪問している子だが、今回はこの青年の家族が入院している北里病院のそばの店。私の母の通う病院は北里東病院で、別院で少し離れている。彼とは通院の帰りの合流。

彼は来年受験だから、ちょっとは気が楽。いつもは自宅訪問しているので、これが駅前巡回の契機になればいいがと思う。彼はサッカーが好きだ。一方私は全くスポーツ音痴。それでも話す、彼は話す。とにかく細かい徹底した記憶。

時間を見て、原当麻駅に出て帰宅。彼もバスの乗り継ぎで帰る。

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日本ソーシャルインクルージョン推進機構の炭谷茂氏への分不相応な講演依頼。資料をまとめた。23日に県の会合があるので、再度のお願い。日程が迫っているので無理を知りつつ。地域起業の種を蒔いてもらうために。

夜間傾聴:□□君(仮名)


(校正1回目済み)

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1/19 「協働」を必要とする活動はあるのだろうか

2011-01-21 16:38:48 | 引きこもり
2011/01/19 記
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図書館の書籍更新が重なってやってきた。館外からの取り寄せ書籍は借りられる日数が短い。すぐに期限がやってきてしまう。相模大野の昼間の駅前巡回を済ませ、辻堂図書館で書籍更新をした。母から銀行の窓口で忘れ物をしたとの電話が入って、辻堂の某銀行に連絡を取り、15時を過ぎていたので母の代理でとりに行くのも裏口からだった。他人には大したものではないが、本人には大事な書状が入っていた。

本人ではないと証明が厄介。風体が貧相だと、なかなか通してくれない。家には母がいるので確認電話を入れてくれと言ったが、こういう時に限って母が出かけて電話に出ない。何とか運転免許証で当人確認したが、関係を疑られた。失礼な。

問答の末、母の小物入れは回収できたが、私の眼の状態、次の運転免許更新が通らないとなると、身分証明書がなくなってしまう。正規雇用ではないので、予備校・塾とも社員証を出さない。まさに怪しいおっさんになるわけで、自営時代もそうだったが、困ったものだと思う。主婦だとあっさり通す不合理さ。

むっつりとして辻堂駅のホームを歩いていると、サポセン窓口スタッフのSさんと出会った。しかし、むっつり状態にいると、なかなか私はそこから切り替えられないから営業は出来ないなと、かねがねおもっていたが、会ってしまったSさん、引くこと引くこと。私がいけないのだが。

しかし母のミスが増えた。まずい傾向だなあと思う。それなのに東邦大大森病院の心療内科は二度といかないと母が怒っている。問診がまずかったのだが、もともと母は医師を信用していない。病院との付き合いが長いと、外来のいい加減さを経験しているし、私の不登校の子たちへのシャブ漬けへの怒りをしょっちゅう聞いていたから、言葉だけで治療したという心療そのものを怪しいと思っている。向精神薬は体調を崩す元だったし、他に手はないのかと母はいう。そんな関係で打つ手がなくなってきて困っている。神仏・民間治療などもってのほか、父の件もあって、関係者をたたき出してしまう。私も大嫌いだが、母は迫力がある。

17時滑り込みで、平塚市役所の駅間出張所に間に合って書籍を返し、その足でOさんの作った湘南HL便りを市民活動センターに届けた。引きこもり青年の就労支援活動関連の話をしていたが、高齢者介護の関係の市民活動情報をつかめないものかと相談するとびっくりしている。私には地域起業の鍵は、高齢者の生活サポートの領域だと思っているのでつながっているが、相手には不登校・引きこもりだったり、HL支援だったり、今度は高齢者かいというばらばらの印象。これがとことん、ひとと話すときの障害になる。常識的に横断しているわけではないから、つながりを説明中、相手が飽きてしまう。だから直感的な活動モデルが重要なのだ。異なる領域の同志が絶対に必要。しかし出会えないなあと思う。

田口ランディさんの講演があった会の後半のシンポで、松の実会の森氏が提唱していた精神障碍の方の地域生活サポート、ACT。これは精神の方の医療・生活支援の様々な関わりのプロの24Hのチームサポート、これも職種横断を言われるが、このサポートは、当事者さんのバックアップの形。私にはIPSリカバリーの方が、本質的な構造転換を含んでいて、自立支援に触れる活動だと思うのだが、社会参加と就労の肝は「協働」にあると思っている。この意味で、優れた提案だがIPSリカバリーも当事者サポートの形が中途半端のように感じている。

実際、「協働」を実現するには、絶え間ない支援者のバックアップが必要だし、専門職の眼差しが必要だ。セイフティネットの芽から育てるのか、当事者活動から育てるのかとあれこれ探っているうちに8年が過ぎた。炭谷氏のソーシャルファーム紹介講演の依頼がどうしても壁にぶつかってしまうのは、湘南に領域横断の地域サポートの芽が生まれないからだ。この活動を芽にして風媒花ではないが種を広げて行きたいと言えない受け皿の難がある。HLの就労支援では資源ゴミ回収の地域サポートの提案を描いている最中、湘南あすなろ会がビッグイシュー販売活動を終えて、分散している。どうしたものかと思っている。

平塚の雑談のとき、こうした領域横断の話は無理だったとは思うが、一方の「新しい公共」をめぐる市民活動連携の話は、いわゆる社会問題の解決を目指す生々しい活動は枠外に消えて、収入と家族の安定した方の活動に偏した見えない壁がある。語るには語る方の条件と、聞き耳を持つ側の条件がある。後者がなければ対話にならない。無自覚の壁は構想の構造に立てられない仕掛けを入れ込んでおかないと、抑圧された方の活動は永久に日の目を見ないだろう。

何か空転が息苦しくて、平塚の市民活動センターを出てきたのだが、こんな顔を見せるわけにもいかず、JR相模原のクラスに演習の途中から割り込んできた。センター試験を受けた子は休んでいた。国籍の違う冗談に気後れしつつ、まずはお仕事終了というわけで、差し入れのウーロン茶でわけのわからない乾杯をしてきたのだった。時期が早いだろうといえば、問題が解けた記念、気にするなといわれてしまった。

カレーライスが自宅で待っていた。外食したことの無いひとの発想だと母にいうが、これも通じるはずがない。パックを熱湯に浸した。

夜間傾聴:相模大野3君(仮名)
     橋本2君(仮名)


(校正1回目済み)

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1/18 父の老健に来客あり/母の失火。ボヤ騒ぎが起きて

2011-01-20 08:48:32 | 引きこもり
2011/01/18 記
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父の老健に父が信奉していた宗教の知人が訪ねてくれた。巡回を済ませて、彼がいるうちにと平塚側から老健へ。あいにく彼とは行き違いになったが、父が不可解な顔をしていた。**男さんが来たと、遠縁の方の名前を出す。ああ、誰だかわからなかったのだとわかったが、顔かたち全く違ったタイプの人なのでびっくり。話し込んでいるうちに、父が私を弟と勘違いしていることもわかった。

(弟は)義母さんの介護で抜けられないから、ここには来れないよというが通じない。態度が淀んでいないので、なおさらに発言が奇異に感じる。認知症が進んでいると感じた。

フロアスタッフの方から、(訪問者は)弟さんですかと聞かれ否定した。父の友人ですと応答すると、ずいぶんお若い方と交際があるのですねと感心した口調。しかし話が段々険しくなってきて、勝手に連れ出されると困ると言い出した。ここの老健では、面会は階下の玄関ロビーで行う。当人を車椅子で連れ出して話を終えたらもとのフロアに返すということになっている。そこを担当者に確認して連れ出さなかったということらしい。しかし、エレベータにはパスワードが付いているので、同乗したのかなと予測したもののそれ以上はわからなかった。

私と交際のない人なのでと堪忍してもらい、玄関ロビーを出るときに、目の前の事務所で、父の様子を尋ねる。不可解なことに、今日は玄関ロビーに出てきてはいないというのだった。どうしたのだろう、父の様子もおかしいしと思いつつ帰ってきたのだが、この事態、母に説明するが、母が途中で自分の思いを話して中断するために、母にとって話の筋がずたずたになり、話が通じない状態となった。以前の母と様子が違うのだ。場面設定が心に描けなくなってきており、困ったなと思っても、当座打つ手なしと夕食の食材補間の買い物に出た。

この日、この母の様子の変化がとんでもない事態を引き起こした。私が買い物を終えて着替えていると、焦げ臭い。慌てて厨房に飛び込むと、母の背後に火の手が上っていた。油煙ではないので、やかんに水が溜まっていたので消し止めることが出来た。さすがに慌てた。原因は、不調な側のレンジに火をつけるために、レシートをたたんだものに火をつけてやかんをかけた。そのレシートをいい加減に消してゴミ袋に入れたため発火したとわかった。冗談ではない。火事を出すところだった。

ただこの事故が起きたとき、母のふたつの行動が気になった。ひとつはすぐ背中で火の手があがって煙が立ち込めているのに、それに気付かす茶碗を拭いていたこと。もうひとつは、私が消火に飛び込んだとき、避難する行動に移るときに足がもつれたことだった。母は多重債務を抱えた息子さんを亡くした友人の電話を直前に受けていた。気がそちらにむいていたことは確かだが、足のもつれは看過できなかった。

最近は、頻繁ではないが以前の母がしなかったような不注意な行動が出始めていた。その日のTV番組の予定を間違えて、思い込んだ曜日に繰り返し戻ってしまったり、縦横表集計の数値を電卓に入れるとき、項目をどこまで集計したかわからなくなり、何回やっても途中で止まり、私の助けを求めるようになっていた。認知の衰えが出てきている。これと治療中の足のもつれの件、日常行動でも危険を伴うようになってきたのかと思う。

火は消し止めたものの大変なことになるところだった。不注意を叱るのではなく、危険回避の方法を相談し、ルール化した。

1)レンジに火がつかないときは、軽く息を吹きかけてみる。爆発的に火がつくので注意。

2)父の部屋の電話の子機を厨房とトイレの中間に移動設置する。

3)玄関のスペアキーをひとつ多く作り、財布にいれっぱなしにしておく。

4)携帯電話を家の中でも持ち歩く。習慣化できれば2)の必要なし。

--- 鍵のかけ忘れは起きていないので省略した。

単純に最低限のものの約束を確認した。これを書いて貼り出すことには、母が猛反対。来客時恥かしいらしい。

-----

いくつかの発達障がい系企画に参加申込。巡回を変更できる強み。


夜間傾聴:なし

(校正2回目済み)

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1/17 センター試験が済んで/笹塚で「月夜のみみずく」爺さんに化ける

2011-01-19 13:13:17 | 引きこもり
2011/01/17 記
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センター試験が終わった。自己採点の報告が入る相模大野とJR相模原の教室を回ってきた。私の担当する子たちは大きなミスはしなかったが、終わった開放感に背筋を伸ばすタイプがいないので、専任たちは息切れ対策に苦労したらしい。他のクラスと事情が違うので、出かけた時間が早かったので直接当人に会えなかったが、安心して見ていたひとりとは、その場にかかってきた電話で話すことが出来た。しかし、どうして一番心配な子は連絡が取れないと決まっているのだろう。「連絡が来たら携帯に電話頂戴」と専任に頼んで、次のJR相模原の教室に向かった。

こちらはひとり。教室で待ち合わせをしていた。やはり雰囲気に飲まれてしまったというが、まずまずのところだったようだ。模試体験をしていないこともあるが、気持ちのコントロールが苦手な子なので、それが無事やり終えたことを褒めた。実際彼には大きな試練だったのだ。

我が家のTA故障の結果、思いもかけないテスト屋のトラブルが発生していて、日曜日だというのに橋本まわりで笹塚に出た。火消し成功したものの、いい気分ではない。こういう時、酒を飲むんだなと思いつつ、笹塚の図書館前を通り過ぎると突然車から声をかけられた。地元ではなし、知り合いもないしと振返ると、ネイチャーゲーム協会創設時、ごたごたと議論をしていた小学校教員の**さんだった。同じテスト屋に入れ違いに入って、私が来たことを知ったのだという。それにしてもテスト屋とは方向が違う、よくわかったものと問うと、この方の家が図書館のそばなのだという。探すのをあきらめた帰りだったのだろう。

この方とは、いろいろな話をした。後に光村国語の5年版に採用された「月夜のみみずく」("Owl Moon" Jane Yolen 工藤直子訳)をネイチャーゲーム協会に紹介したのも私たちだった。私たちは「体験」は蓄積するものなのだろうかという話をしていた。ちょうど協会創設前に出版されていた絵本だったが、その瑞々しさは類を見ないものだった。幼少の頃体験した印象深い経験は何を拓いたのだろうということだった。その議論の背景には、ネイチャーゲームは果実を鋭利な刃物で切断したような、または果実の表面を布でふき取ったような瑞々しい面を見せてくれる。しかし教養主義の棚に陳列すれば、たちまち精彩を失ってしまう。そのことを単なる警句にするのではなく、逃げ去る感動とどう付き合っていくのかを考えていたように思う。

丁度このころ、私は小机で野本三吉さん(加藤彰彦さん)とであっていた。シュタイナー教育を大幅に取り入れた不登校児・軽度発達障害児の居場所を立ち上げる場に、ネイチャーゲームを持ち込む試みをしていた。しかしそれは、本流のネイチャーゲームの体験型の持ち込みではなく、場面作りの立場でそれを行っていたのだが、それはシュタイナー教育の体験提供と生の発現伴走という心の磨き方に疑問を持ち出していた時期だった。野本さんは子ども期の歴史的なぞりをされており、なかなかかみ合う議論にはならなかったが、一方では一律の子ども育成論に発達障がいの異議が申し立てられていた時期でもあった。直線的な発達の速度差のように遅れが語られ、より優れた体験が発達を促すという発想は誤りであること。多様性ということを巡って、体験をどう考えるかを探っていた時期でもあった。

久々の出会いに、彼女が車を置いてくる間、再度笹塚駅前に戻って待っていることにした。彼女は工藤直子さんと出会っており、面白い話を伺っていた。もう少しまともな格好をしてくればよかったなあと後悔しつつ、1時間の相変わらずの能弁に聞きほれていた。

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藤沢に戻り急ぎ買い物をして家に飛び込むと、母が不機嫌な顔をして厨房の椅子に座り込んでいた。DVDを借りに茅ヶ崎のTSUTAYAに行って登録しようとしたが、身分証明が後期高齢者保健証ではダメだといわれたというのだ。前回登録しようとしたとき住所が明らかにならないので、私は運転免許証か公共料金支払い証がないとダメといわれていた。後期高齢者の保健証は、他の保険証と違い小さなカードではなく、大きなB6大のもので住所も書いてある。住所が明らかになるのだからいいだろうと持ち込んだら、断られたというのだ。退職者や主婦は身分証明に困る。公共料金支払い証など、ものによっては公開が嫌なものだってあるだろう。ましてや婆さん、DVD数枚持ってどんな詐欺をするというのだろう。また紋きりマニュアル人間が対応したなと思い、次回は連れ添うと言って、金魚のうん*呼ばわりされてしまった。冗談ではない、まためまいで座り込まれたらどうするんだと思いつつ、白髪を掻いていたのだった。

夜間傾聴:相模大野3君(仮名)
     橋本2君(仮名)



(校正1回目済み)

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1/16 シンポ「住み慣れた地域で、安心して暮らしていきたい!」に参加し

2011-01-19 09:51:16 | 引きこもり
2011/01/16 記
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(続き)

茅ヶ崎市障害者団体連絡会主催のシンポ「住み慣れた地域で、安心して暮らしていきたい!」(茅ヶ崎市役所分庁舎コミュニティホール)に参加した。基調講演に田口ランディ氏(作家)、後半のシンポジウムは、コーディネーター:田口ランディ氏、シンポジスト:一宮寛氏(松の実会)、戸高洋充氏(藤沢ひまわり)、森秀雄氏(松の実会)、司会:上杉桂子氏(茅ヶ崎・寒川やまびこ)という面々。

田口ランディ氏は、家族の壮絶な体験の持ち主。(「田口ランディ Wikipedia」)境界性パーソナリティ障がいの父との激突や、統合失調症を抱えた兄の餓死という体験を語る中で家族の絆の発見をしていく内容。私は昨年東海大学湘南Cで行われた発達障害学会のゲスト講演で田口氏の講演を目にしていた。分科会の重なりで拝聴できなかったが、家族の内側から語られる体験談の生々しさは、彼の言うとおりだと思った。家族というリングで行われる格闘技は、避けて通れない肉親という関係の中でそれでもなお家族の絆というところに収束していく。

しかしこれは、口にしてはならない言葉だと私は思う。問い続ける過程から私は死ぬまで離れられないものと思っている、現在進行形なのだからだ。この微妙な裂け目の中に、講演化された体験が演じられた抜け殻であることを嗅ぎ取ってしまう。他者に語るという事の難しさなのだと思う。もうひとつのこわさは、語りの構造的な影の部分、状況があってその中で自分はこうしたという語り口である。人の関係の中では、常に自分は後手にまわることはない。自分が先んじて対策を打ったり、切り開こうとしたりする部分がからみ合っている。ここが語りからぼっこりと抜け落ちる。熱心に語りながら実の田口氏はそこにいない。そういう闇が広がっていくのを留めることはできなかった。

壮絶な体験の彼岸で、どうしても家族という檻、またはリングから手を伸ばしきれない「外部」、そこに今回の「地域」というテーマがあった。幸いQ&Aの会場から「評価できない」という個的体験の穴を指摘する声があがり、企画全体が体験の罠にかからずに済んだが、後半のシンポは自己紹介で終わり、田口氏の講演や企画テーマ「地域」にも接しないまま時間切れになってしまった。孤島のような家族という中に押し込められた生き方が、連絡船のような他者とかろうじて接している。そういう状況をどう越えていくのかという模索がどこにあったのだろう。嵐の跡の我が家の夕食の時間が迫る中、糸の切れた人形のような感覚を抱えて先に会場を出ていた。

企画とは別に、もうひとつ気になることがあった。半分ビジネス的な新年の挨拶は別として、妙に挨拶されるのだった。完全無視の年末までの状況とは違った何かがあったのだとわかる。塞翁が馬。常に状況は連鎖する。一喜一憂する必要は無いのだが。

同時に片目となった今、距離が近ければ近いほど失認が起きる、前の話とは別に突然人物が現れる体験をした。隣席、寒川の**さん、失礼しました。

夜間傾聴:□□君(仮名)
     旗の台君(仮名・傾聴にあらず、お久しぶり)


(校正1回目済み)
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