湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネの地域学習活動・就労支援活動の実践試行を書き溜めていきます。

10/30 県派遣チームの看護師。保健師さんの紹介を待ちながら/他

2012-10-31 05:00:45 | 引きこもり
2012/10/30 記
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風が冷たい。持病の方は治まりつつある。県が引き受けた被災地支援チームの看護師・保健師さんの中で、何回か被災地を訪れている方の確保の件が、難航しているようなので、進捗状況を確認するために、再度県庁を尋ねた。やはり当人が拒否し、別人を探しているらしい。茅ヶ崎の保健所はといわれて、何のために横浜に出てきたのかと思いつつ、よろしくお願いしますとお願いしてきた。

最悪のときに備えるつもりで、デイ・サービス事業所を経営している**さんも打診した。災害看護の専門家だが、精神の施設関係に関わり、石巻と山田町の支援に入り、現在は高齢者施設の経営陣に加わっている。多忙な方とはわかっているが、もうひとつ現実的な問題として、講師料が高かった。その半分が被災地に送られるので、手が届かなかった。黒田さんも有料であるが、絶対欠かすことのできない人材だった。しかし**さんの場合は、語りが一般向けになっていることもあって、今回の災害支援活動の状況を拓くという難題とはベクトルが違っていた。しかし質問にはきちんと答えられる人材であり、講師候補にはいつも残っていた。

結果は当人がいないので、伝言してくれるということで、この方とは、震災以前、精神の集まりのときにご挨拶し、相模原のバイポーラの青年の件で、助言をいただいたことがあったので、もし県の方が決まった場合も別件でお邪魔することもできた。しかし、この方も応答待ちの状態であり、時間が刻々と過ぎていくことへの念じるような気持ちは抑えらえなかった。

横浜線でJR相模原に出て、訪問指導の今後について塾長と話し合った。来年度の前哨戦のような話である。とにかく油断していると終バス過ぎになってしまう。今日は時間が早かったから関係ないが、南橋本まで送ってくれるのは助かる。帰りに寒川図書館に寄って、災害関連の書籍を更新した。3.11以前の書だが図版が多いので、「東京直下大地震 大惨事を生き抜く知恵と対策」を1冊加えた。資料は2005年版なので、古い。

母には和風野菜スープを作っておいたので、帰りに副菜を買っておけばよかった。父の宗教団体の転職組みの##さんが、庭師として朝から来ていたが、私が出かけてしまったので、庭の作業が終るまで出かけられずに足止めされてしまったと母。私が訪問しどうにいくことは、かねがね無視され、自分の孤食の文句をいう。しかし今回は、露骨に食事の準備をアピールしておいたので、文句は出なかったが、どうにも息がつまる。

**子のメールに応答。拒食症状が出ていた。薬も吐いてしまうという。明日、私は遠縁の関係で東京の病院に行くので、五反田で会おうということになった。帰りは相模大野である。いつも長時間東京に居ることができない。

茅ヶ崎サポセンからメールが届いた。11/13の県立鶴嶺高校のボランティア塾のプロジェクタのテストはしなくて大丈夫かという連絡だった。わたしのように、あれこれ手を付けている人間にとって、こうした指摘はありがたい。忘れてしまうからだ。しかし、最近サポセンにいく頻度ががくんと下がっている。これは、災害ボランティアでも、ボラセン連絡会、タージ南三陸中心に活動や、高校生の交流という活動のすべてが、私の作ってきた岩手・気仙地方の活動や、初期災害避難誘導員制度提唱とか、QRコード個人医療情報カード提案などがその連絡会から賛同者の声があがらなかったこと等、岩手勢との連携がとれなかったことによっている。今回のボランティア塾も、釜石の奇跡といわれる、津波てんでんこ、自主判断・初期誘導の推進者であり、避難所にあっては、子どもの遊び相手や、雑務屋の役割を担った高校生たちの活動の位置の話をするという切り口が、なかなか他の分科会との相互乗り入れにはつながらない現状がある。岩手の生活支援の連携がとれないからだ。

巡回文庫も、私が定期的に巡回先に顔を出して、状況をつかまねばならないが、生活支援の眼で現地を眺めてくれる滞在ボランティアさんがいないので、産業復興支援と学生駐留に重点を置いている%%君たちとは空転してしまう矛盾があって、私が被災地に行かなければ活動が止まってしまう問題を抱えている。広田町はそこに行くだけで一日が費やされてしまう。宿泊費・交通費を含めると3万円弱は一回にかかる。そのゆとりが講演会につぎ込まれるので得られないという事態が足を引っ張っている。次回だけは、そのまま送ってもらう以外なかろうと思っている。

翔の会が12/15JAさがみ茅ヶ崎支店の5F会議室で13時半から講演会をひらく。講師は池田昌弘さん。参加を申し込んだ。しかし日程がまた狭まった。重なりはできない。早く県の紹介が実現しないか、堪えて待っている。

明日、被災愛玩動物の保護と新しい飼い主さん探しNo.13を少し配る予定。

黒田裕子さんの著作「災害看護」を読み進めている。


夜間傾聴:橋本3君(仮名・母親)


(校正1回目済み)


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10/29 平塚共済会病院に/「高齢者」定義を「都市部」と「田舎」に分ける理由

2012-10-30 05:48:02 | 引きこもり
2012/10/29 記
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朝晩の喘息と風邪の合併症が始まって3週間。特に台風や秋風を運んでくる前線通過に敏感に反応する我が身にうんざりもし、しばらくなりを潜めていた持病の数年目のひどさに呆れもした。風邪を薬で抑えると、昼間眠気が襲うが、喘息の方は嘘のように治り、また夜半冷えてくると再発する。地元のかかりつけ糖尿病専門医は、喘息治療は全く駄目。ネブライザーの器具もない。結局10余年前、片耳の突発性難聴を起こした頃からの付き合いの平塚共済病院耳鼻咽喉科に行って、ネブライザー治療とステロイド剤をもらった。治療としては新しくも無いが、茅ヶ崎市内の病院よりはましなのだ。おかげでついでに風邪の方も治まっている。

ここからだと少し歩かねばならないが、バス路線を移って父の老健に立ち寄った。月末には父の衣料のレンタル&クリーニング代の支払いがある。しかし行事などで、他の入所者の家族と知り合ったが、介護者で男性は私だけ。事務所で支払いを済ませて、父の入所フロア(認知症フロア)にあがって職員と話をした。

父は摘便の最中で、調子がよくない。先月末、私がセンタールームに行ったとき「飛田さん、息子さんがいらしたわよ」と声をかけてくれた70代前半の女性が、今回は様変わりして、深いせん妄状態に変わっていた。この激変に驚かされた。父は不機嫌な顔をして、声をかけても応答しない。ただ寿司折を持ってきたと告げ、父の宗教信者の名前を言って近況を聞かせると、突然笑顔になり応答した。つまり認知の異常からむっつりしていたわけではないのだった。父は部分的に記憶が抜けていたり、短期記憶が抜けているが、むしろ半身麻痺の影響の方が大きい。風邪を移してはいけないので距離を保ち、入室時には手の消毒をしていた。長居もできない。ともかく父を飲食許可のあるフロアに移し、好物の寿司を食べさせたが、食べさせながら、私が曾祖母の介護のころからであってきた「高齢者」の方々と、被災地など田舎の「高齢者」と、だいぶ言葉の指す「高齢者」の様子が違うことを考えていた。父にしてみれば迷惑な話だ。

長居せず老健から伊勢原駅に出て、授業前の軽食を取りながら、さきほどの「高齢者」のことを考えていた。

私のイメージに言う「高齢者」は、「心身の生活能力の衰えを抱えている高齢の方」で、健康な方のイメージを含んでいなかった。とするなら、生活孤立を抱える方の課題は拾えていないし、今回の高齢女性のように、ほんのわずかな時間でも、身体の異常を契機に崖から落ちてしまうかのように、体調を悪化させるのも「高齢者」である。この剣が峰の道行きのような危うい元気もある。その健康のキャパシティの無さを無視して、元気な高齢の方として、その発想は、定義に属さない高齢者を切り捨てていないか。そんなことを考えていた。

都市または近郊都市部の「高齢者」は、社会関係から言うと生活上必要な役割を担っていないという特徴がある。「強制された有閑層」なのだ。ところが自営業の多い田舎では、80代も現役の場合が多い。私が「高齢者」保護と言ったとき、現地では、畑の草取りをしていたり、陸揚げされた貝殻をこじあけていたり、漁に出ていたりしているのだ。だから地域看護とか介護というときに、私は「心身の生活能力の衰えを抱えている高齢の方」という定義のなかに「健康キャパシティの狭まった方」を含めるべきか、また現役活動をされている方を含めるべきか考えている。これらの方は、まさに「地域保健」の対象者なのだ。つまり、東北の太平洋沿岸部の「高齢者支援」と、湘南の「防災・生活」支援の「高齢者支援」とは、やはり様相が異なる。無自覚に同一の「高齢者支援」を使うべきではなく、地域差を押さえるべきであるということになる。また「高齢」とは時間的な年齢数ではなく、生活年齢のバイアスをかけて語るべきであることだ。また生活孤立を抱える高齢の方は、看護介護の範疇でとらえるのではなく、生活支援の対象、つまり地域保健と福祉の方でサポートすることになる。

だから「被災時要援護者」は、まず今は狭義の高齢者「心身の生活能力の衰えを抱えている高齢の方」を言おう。サロンや就労している方は保健重点の方だが、仮設のサロンなどでは嫁・娘の世代、仮設コミュニティーのリーダーたちであり、それ以上の高齢の方、仮設の周辺でぼんやりと敷地外を眺めている「親」の世代のばらばらの方々、この後者の方の支援から「高齢者」の定義を広げていくことにする。健康な高齢者は「地域保健福祉」という言い方で区別していく。

●「医療・介護:連携を 石巻市立開成仮診療所で多職種合同研修会 医師や看護師不足課題 /宮城」

先々の「地域医療福祉」の模索が「看護・介護の一体化」という現実的な形ではじまった。「過疎化」「超高齢化」「無医地区化」への地域の歯止めの試み。要チェック。

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**子の祖母が脳溢血で入院。**子が作業所をやめたときと、時期が重なった。電話相談毎回1時間。連日になりそうだ。すでに**子は不安定になっており、症状悪化が気になる。

東京の遠縁の連絡が途絶えた件、区の高齢福祉課に問い合わせをしていたが、書面問い合わせに応答があった。1ヶ月前に民生委員が連絡を取り、その日に入院していた。私たちの身元確認が取れたことで、病院名だけわかったが、存命か否かはわからなかった。関西にこの方の親戚がいるが、そちらも別個に探していた。あさって病院を訪ねることに。

茅ヶ崎・寒川やまびこの母親向け講演会あり。11/8 a.m.10~ 茅ヶ崎市女性センター会議室にて。参加することにした。


夜間傾聴:なし

(校正2回目済み)

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10/28 体調を壊しています

2012-10-29 04:52:23 | 引きこもり
ここのところ、朝晩の喘息発作に悩まされています。

●連続セミナーの改訂版、実行委設立呼びかけ 完成
●「被災したペットの新しい飼い主さんを探しています」No.013猫号
  ---- 福島で保護した被災ペットの展示会(飼い主探し)他 完成

今日の作業はこれまで。

休みます。

夜間傾聴:臨時休業

(校正1回目済み)

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10/27 生活支援と地域医療福祉ネットワーク作りの心の原動力とは

2012-10-28 05:51:08 | 引きこもり
2012/10/27 記
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土日が挟まると、連続セミナー準備の成しうることが減る。全体の骨格が整わねば、呼びかけも後援依頼もままならない。第二回の黒田さんの予定が決まったものの、第一回、県支援者チームからの講演者の応援が入りそうな状態で応答を待つ状況、第三回の被災地側の地域医療福祉ネットワークの見通しと非被災地のボランティアを含む連携の可能性を追うために、被災地滞在支援者と当事者を招待する企画費用の捻出のつまづきという停滞で、刻々と時を失っていく。ただ、ただもどかしさの前に天井を見上げている。

大きな流れの舵取りを誤っていないか、このメッセージをまず誰に送るべきなのか、実現への一番的確な道をたどれているか、そんなことを考えてしまう。私の知人はいずれも災害ボランティアとは異なる教員であったり、研究職であったり、障碍者親の会や、消費者団体関係者等々だったりする。つまりそのそれぞれの世界から大震災を見ている。だから私の行なう提案のどこかで関係者としてつながるが、他の話は他所の話に聞こえてしまう。その意味で、3回の企画のうち自分にリアルな部分は一部なので、実行委といわれると躊躇してしまう。災害ボランティアそのもの方がいないのだ。これが組織作りのアキレス腱となっている。

私の提案している「地域医療福祉ネットワーク作りと相互連携、民間交流」という方針は、被災の影響が、東北・被災地の「過疎化」「超高齢化」「無医地区化」という病を加速化するという危険な傾向への歯止めを同時に意識している。これは災害対策活動の全域をカバーするものではない。しかし仮設住宅からの長期戦への重要な基軸となるものだ。ここの論議を専門家任せにしている危うい傾向から脱したいと思うのだ。

湿った薪のような状況を思いつつ10年になる。政治的な区分をはみ出したカオスのような部分があちこちでうごいているときが地域活動のバロメータのように思うが、よく見ると息の長い趣味の世界の団体までが区分からはみ出していない。ぶくぶくとあわ立つような若手の活動が茅ヶ崎には根付いていない。そういう世界を泳いできたように思う。これは他の方には共感を求められないことだが、だからこそ、今回の提案を実現したいと願うのだ。中間支援とはそういう攪拌と発酵を図る裏の役割を持っている。通じない言葉はこの中にちりばめられている。

連続セミナーは、ふたつの原動力に動かされている。ひとつは災害ボランティアの潮時のような善意のもつ不合理を超える水脈を探り当てたいと願う、災害への怒りを込めた連携への情動のマグマだ。もうひとつは、支援活動から常に敬遠され、マスコミ情報からも抜け落ちていく「プライバシーという遮蔽」の向こうの、被災時要援護者の保護と存在主張を、より具体的で確実なものへと構造的に組み込んでいこうとする屈折した情念である。すべてを一掃してしまう災害と隠れた人災への怒りと、被災者への共感である。

だから被災地との共同行動を生み出すために、被災地のメッセンジャーを湘南に呼び込みたいのだ。

やるべきこと、語り関連付けたい相手はまだある。ただそれらは、私と結びつくことのメリットを考え沈黙している。動き出せ、その言葉を反芻し反復し続けている。


夜間傾聴:橋本3君(仮名・お久しぶり)

p.s.

高検関係動き活発化。今回は当日送迎不参加決定。嬉しい配慮なり。

イチジクのワイン煮を女子にコーチした結果だが、大量に不細工な(ごめん)ワイン煮が、「飛田にやる」と集まってしまった。「糖尿病だぞ、配慮せい」というが、どうやらゴミ捨て場。奈良**MLの諸君に送ったが、まだある。どうしたものか。

風邪が誘発させた喘息がまだ治らない。薬漬け。味が大雑把になって、食い物がうまくない。早く天候安定しないかと。

<予約した書籍>

●「しなやかな社会への試練ー東日本大震災を乗り越える」
●「無縁社会から有縁社会へ」


(校正1回目済み)


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10/26 県立鶴嶺高校ボランティア塾の準備を始めて(男3人何をする?)

2012-10-27 05:52:54 | 引きこもり
2012/10/26 記
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県立鶴嶺高校のボランティア塾分科会のイメージをまとめている。市役所の若手男性職員ふたりが入って、だいぶ船頭が多い。実のことを言えば、生活支援について被災地訪問型と直下被災型の両方を語るが、どちらかに比重をかけないと時間的に中途半端なものになりそうなので、比較的臨機応変に対応可能な女子に対して語りかけようと考えていた。男子の場合、大学生位にならないと機転が利かない子が多いので、友人とつるんで動く機会の多い直下被災型の方がいいように思うのだ。勿論機転の利かない女子もいる。しかしその子は被災地にでかけるだろうか。また一般的な学校間交流やパフォーマンス出前型の活動は、他のボランティア団体に任せておけばいい。私の担当する分科会では、もっと現場の雰囲気を伝えるマイナーなものでありたい。

そんなことを考えていたので、実は看護師免許のある中堅どころの女性に女子をひっぱってもらうと考えていた。管理的な匂いの無いひと。ところが飛田相手で話すとなると嫌がる。その結果職員ふたりでならとなったのだが、大人が高校生を囲って、さあ話せ、懇談しよう、飛田もいるしとなったら、絶対に雰囲気がまずい。その点女性職員が「先輩」的なリードをしてくれれば、話は将来の進路選択にもつながるんではないかと、だから嫌われる皮算用をしていた。ところが、もうひとりの男性職員が決まったら、予定が入ってしまったからと雰囲気を察知して代役を立ててきた。そんな経過から若手男性職員ふたりと組むことになってしまったのだが、ふたりとも生活支援の周辺で被災地派遣の体験があるという。仲介してくれた某課長も責任もあるし、参加すると言い出したのを、もうこれ以上、高校生を囲いたくないので、遠慮してくださいと、丁重にお断りした。(研究授業ではあるまいし、私たち3人と高校の教員がひとりつくのだ。懇談などになるはずがない。)

爺ぃと若手男性ふたりなら、それはそれで話せるが、女子をターゲットにという目論みは、うすれそうだ。時期は急性期から亜急性期、避難所生活の辺りが中心になる。ところが彼らは高校授業に縛られる身。大学生ほど単位を数えて休むなどという器用さはないし、環境も無い。となると被災地訪問型ボランティアでは夏休みや冬休みなどの長期休暇を、その都度手助けか完結プログラムを持ち込む以外ないだろう。直下被災型の場合は、学校が休校になるが、中学生と違い、結構広範な地域から通学しているので、ご近所グループをつなげるものがないと、避難所生活が始まってしまわないと、なかなか単独で動くのは、ふんぎりがいる。しかも三陸海岸線と異なり近郊都市型なので、分散避難の割合も大きく、避難所生活も比較的短期となることが予想される。東北の経験をそのまま湘南に持ち込んでもだめなのだ。JRCのようなリーダー団体がある場合はその辺やることが決まってくるので、壁を体験しないで済むかもしれないが、安易に地域のボランティア団体に「やることないですかぁ」と来るパターンにしてしまうのが勿体無いのだ。彼らなりに考えて動くという一線を崩して欲しくないのだ。

「災害ユートピア」という言葉がある。ひとの善意の発現と受け入れに人々の胸襟が開いている貴重な場面なのだ。社会の手ごたえを感じって欲しいなあと思っているのだ。

だから話す側は、内容の吟味をしておくべきなのだが、話すことはもっとざっくばらんに、ボランティアをやれそうだという手がかりを、つかんでもらえばいいと思うのだ。同時にいかにして、交通費等の経費を大人(親)に金をださせるかという説得力を持つことの薦めをやりたい。

ショット語りとビジュアル資料の勝負かなと思う。同時に今、東北の被災者に届ける何かを継続して考えていくことが、直下被災したときの想像力を身につけてくれるものだ。高校生のご近所サークルを作って、やってみればいい。わからなくなったら、サポセンに聞いて見る。飛田にメールしてみるといい。歓迎する、小規模ツアーだって、不可能ではない。こんな話を具体的に話し合いたい。筋立てた話というより、入門編イメージ作りの分科会。

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図書館から借りた本がかためて返却日になっていた。相模大野から書類の交換をし、帰りに駆け足で辻堂>平塚>茅ヶ崎と回ってきた。この書籍には早稲田の学生さんの支援活動とリンクしたブックレットも多い。折を見て会いたいと思っている。


夜間傾聴:ふたり(片方は母親)


(校正1回目済み)

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10/25 1回目連続セミナー講師無念、県行政に依頼、

2012-10-26 04:11:57 | 引きこもり
2012/10/25 記
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連続セミナーの第一回講師が決まらないであがいている。情けない話だが、テーマを守った上で、行政頼みということにした。自分がこの人をという選択肢をタイムリミットに入ったと判断したからだ。実践的な情報を大事にすれば、被災地で活躍している方という選択が強くなる。しかし交通費が出せない。

セミナーは、今、災害ボランティア活動がぶつかっている矛盾、被災者の生活再建はこれからであるにも関わらず、環境整備と産業復興支援という二本柱も被災地現地に滞在するボランティアでなければ役に立たない。気持ちはあっても、被災地まで出かけられない支援者の受け皿が枯れたまま、非被災地では、南海トラフと首都直下型地震に備えて「防災」活動に舵を切るという選択をしたのです。しかしこれでは東北の被災者は、現地滞在を決意した篤志家に任されることになるのです。

東北の被災の現実を、自分の足元でも起こりうることという論理で「防災」へと移行するが、震災発生と同時に、私にもやれることがあるとか、他者に必要とされるという磁場を感じたり、故郷の危機や人道的な危機という心の源泉が断ってしまいます。自分たちの必要の論理に依存すれば、平常性バイアスではないが、「必ず地震がくる『わけではない』、先にやることがある」という心のささやきが始まります。つまり東北の現実と、ボランティア力の源泉の放棄によって、地盤沈下が始まってしまう。このままで行けば、「生活再建困難」、「過疎化」、「超高齢化」、「無医地区拡大」というところに滑り落ちてしまう。

現在の「防災」は、東日本大地震以上の被害と原発危機の拡散という大事な阻止すべき課題があります。やらなければならないことです。しかしそれは、「東北の支援」と「防災」の両輪がまわってのこと。「東北の支援の壁」の解決をまさぐる彼方、非被災地と被災地の連携・交流が生まれる先にしか解決はないでしょう。この「非被災地と被災地の連携・交流」をめぐっての議論の契機として、セミナーの意味を持たせること。また福島では原発事故で分散移住を余儀なくされている方の課題はまだこれからで、連携の形が見えてこない。こういう災害ボランティアの転換期の意味が込められています。(災害ボランティア活動の局面の課題)

もうひとつは、東日本大震災について、災害時要援護者(高齢者・障碍者・傷病者・子ども・乳幼児の母子・外国人等)の情報がなかなか非被災地に伝わってきません。転居を繰り返す生活環境の変化の谷間に沈んでしまいがちな方の矛盾は、阪神・淡路大震災のときは被災後数年の孤独死(高齢者の病死が多い)が、手当ての厚い地域をあざ笑うように起きています。岩手・宮城を中心にその傾向が予測されます。障碍者の被災時の安全確保や、避難所生活と利用施設の状態を知り、防災にいかしていくこと。災害時要援護者の保護を支援活動・防災活動にしっかり入れ込んでいくこと、その情報収集と活動の枠組み作りの議論の口火をきることがセミナーに込められています。(災害時要援護者の状況把握と活動への組み込みの課題)

この二大テーマを見失うことなく、セミナーを実現する道を探しています。このために、何ヶ月も無策のままでいるというわけには行きません。状況はどんどん変化し、非被災地の熱は冷めていくのです。

そのために年内に、一度会を開きたいと考えています。今日打診したのは、昨日紹介した

●「東日本大震災 高齢者、障害者、子どもを支えた人たち」

の編纂を担当した東京都社会福祉協議会高齢者施設福祉部会・知的発達障害部会の担当者、身体リハビリテーション協会はいずれも埒があかなくて空転。帰りに神奈川県庁に立ち寄って保健福祉局をまわって、長期間現地支援に関わった保健師さんたちに適任者はいないか打診。これは手ごたえがあって、数日間待つことに。第一回目は12月に開催できるかという段階に入りました。

ただ県庁を回っていて感じるのは、災害対策活動では包括的な概念として「要援護者」という実践的くくりで語られる対象が、高齢者・障碍者・傷病者・子ども・乳幼児胎児を抱えた母子・外国人等それぞれ担当課が違い、横断的な要請は、縦割り行政に弾かれて、関係者が出てこないのです。今回は最後に心当たりがあるという、支援者チーム経験者の方を確認してみると言ってくださったことです。しかも二大テーマを踏まえてくれるというのです。

応答待ちの状態に入りました。

これが駄目なときは、横須賀に飛びます。今回の働きかけは、今月中になんとかしたいと考えているのです。


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もうひとつは、実行委作り。市障碍者連絡会や、特別支援校、高齢者地域包括センターや事業所、災害ボランティア団体・関連行政の個別巡回が必要なこと。今第三回は、被災地医療福祉ネットワーク作り関係者とモデル地域住民のふたりを予定。受注生産型産業復興支援・相互民泊推進民間交流活動(擬似親戚作り)や、高齢者外出支援(通院・買い物・訪問等)、防災ではQRコード個人情報カード利用・災害初期誘導員制度等提案の内容吟味。

11/13のボランティア塾への準備…やることが山積している。

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父の宗教仲間の**さんが庭師を始めた。従来の生活保護脱出労働をしていた++さんが脳梗塞で倒れてしまい、急遽依頼したのだが、期間が開いていたので枝葉のゴミが70リットルの袋で5つ出た。燃えるゴミで持って行ってくれるか心配と困っていると、携帯が鳴った。父の入所している老健からだった。父が風邪を引いたので、個室に移動して様子見してよいかという確認の電話だった。断れば病院行きになる。明日、立ち寄ることに決定。急いで訪問時間変更の連絡をいれた。こう変更が多いと信用問題となる。

●「月刊 ゆたかなくらし 2012年10月号 特集:広がる孤独死・孤立死」
  (本の泉社・刊)

注文済み。


夜間傾聴:なし


(校正一回目済み)


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10/24 第一回の講師さがしをしています/東京の社協の書籍に…

2012-10-25 06:09:53 | 引きこもり
2012/10/24 記
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昼間のうちは落着いているが、夕方から再び喘息が復活。糖尿病の主治医は私に合わない風邪薬を出すので、職場に近い呼吸器科に行って薬をもらってきた。喘息で薬をもらうのは何年ぶりだろう。いつも市販薬で直してきたが、今回はしつこい。

連続セミナーの黒田さんの予定が大幅に変更になったので、交通費負担が少ない近隣の生活支援関係者を当たっている。障害者と被災の視点から探しているうち、ある書籍にぶつかった。東京の社協の出版物だ。飯田橋にいくと、いつもすえ物のように動かない職員に苛立つのだが、出版物だけは落差のある立派なものが出る。しかし県図書館ルートに乗っていないので、茅ヶ崎市の図書館に希望を出して買ってもらうことにした。

●「東日本大震災 高齢者、障害者、子どもを支えた人たち」

何だよ、被災地の社協の取材物かよと文句をいいつつ、東社協の知的障碍関連の方や、本書の編集担当者にアクセスした。被災地ならば是非という候補は何人もいる。自閉症協会の関連からも候補を探ったが、偉い人が多くて予算が合わない。被災地の障害者関連の支援をしている方を探ったが、短期のかたばかりで、講師としてはいまひとつ話題が狭い。そんな状態で足踏みしている。高齢者畑の方がまだ残っているが、果たして1回目から関心を持って地域の関係者がきてくれるか不安がある。

昨日日送りした塾生の指導を時間が遅くなるが、夜の医者の帰りに入れた。美容師さんの息子で、親が仙台に行ったと話を聞いてびっくり。近々ご両親に合わせてもらおうと思う。相模原は招待するにもちょっと遠すぎるのが難。

「東日本大震災 医療と介護に何が起こったのか」を読み進めている。本書でなければ見かけないデータもある。被災者に伴走してというが、活動が切れている非被災地からでは、その「伴走」が難しい。少々ヒントになる資料もあって、滞在ボランティアに仕掛けて欲しいことをあれこれ考えている。相棒がいないと橋がなかなかかからない。そういう難がある。

体調が悪いので、いまいち調子がでない。明日は何とか、道が開けないかと心当たりを数箇所回ってくる。

夜間傾聴:今回は臨時休業


(校正1回目済み)

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10/23 低気圧通過、持病が出て朝を待っています

2012-10-24 05:50:58 | 引きこもり
2012/10/23 記
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夜半から朝にかけて突風と局地豪雨とのことで、待機していたが若干強い風が吹いた程度で収まった。私は天気図に台風が現われる前から喘息が起きる。私の場合は、ディーゼル排気ガス・ハウスダストと季節に要因がある。大人になってからは、ひどくならないが、それでも季節の寒暖の差が大きくなると、息苦しくなるので、事前に薬で抑えていく。ところがどこをどうしたのか、今回は薬が無くて、クルシュマン螺旋という太い糸状の痰が詰まり、風邪薬で代用して咳と同時に痰を排出していたが、久々に軽い息苦しさを感じていた。風薬は内分泌を抑えるのか、ドライアイ状態と目のかすみが強くなり、PCは休みを入れて蒸しタオルで目を暖めて治して過ごした。

昨夜の夜間傾聴は、自己表現力がある青年だったので、携帯電話応答をしなくても、メールで済んだので、声を潜めて話したり、近隣の公園まで移動して話す必要がないので助かった。私の担当ではないが高検を直前に控えての不安の話だった。**子からも電話が入った。祖母が脳卒中、救急車で入院したという話で、留守を任されて母親と喧嘩をしていた。事態が理解できていないために、祖母と自分とどちらが大事なのかと食い下がったという。この辺のバランスが悪い。息苦しかったら、明日も電話していいかと問われ、ほっとしている。説教はしないが、事態の説明は伝えたからだ。

あぐらと両腕を組んで猫背姿勢でPCを操作すると多少楽だ。これで台風や大きな低気圧が通過してしまえば、嘘のように治ってしまう。ピッチを緩めて作業する以外は、特に無い。麻薬患者の禁断症状のような気分で朝を待っている。こういう時は、年数回程度。その数回の一回がやってきている。

●「東日本大震災 医療と介護に何が起こったのか」

これに目を通している。共産党系の医療関係者の書籍だが、資料的価値が高い。玉石混交の玉の方だ。

夜間傾聴:**子(長電話なり。急場を超えた。)
     ひとり(臨時・顔見知りなので。)


p.s.今回の相模原訪問は日送り。


(校正1回目済み)

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10/22 連続セミナーの目指すもの/慢性期~復興期の支援活動の基調を考える

2012-10-23 05:30:01 | 引きこもり
2012/10/21 記
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17日の河北新報に、災害時の地域医療を支えるために、岩手県がケアの専門チームを作った話が載った。災害派遣医療チーム(DMAT)の介護・福祉版である。社会福祉士、介護福祉士、介護支援専門員、精神保健福祉士などが協議会を作り主に避難所の高齢者・要援護者にあたるという。従来の急性期を超えるために大事な一歩である。今まで臨機応変に避難所や市町村単位の連絡会議ができ、ネットワーキングしてきたが、制度化したところに価値がある。

しかし、構成が医療専門職の活動として定義しているところが、旧態縦割り行政の尻尾を引きずっている。実際上、衛生管理や入所者把握、患者移送はボランティアの力をかりなければ、迅速な対応は人員不足で出来なかった。看護介護福祉の現場対応は、家族や地域の人手、滞在ボランティアの人手によって、避難所内通信チラシつくりや、支援物資搬入が行なわれた。こうした保健医療との重なり目を持つ活動との連携抜きには、煩雑な周辺活動にそれをこなすことで手一杯になっていただろう。むしろ専門職の連携によってなすべきことを場面と切り離さず機能的に定義して、外周部との連携の姿をネットワーキングとして明文化しておく必要がある。

●「岩手県、災害時に高齢者や要介護者支援 派遣チームを編成」2012/10/17 河北新報

急性期の話はこれくらいにしておこう。避難所から仮設住宅への転居が進み、仮設住宅(みなし仮設を含む)を生活の場として、復興諸活動に動きだす時期、慢性期から復興期にあたる時期のこと、その多くは長期戦を余儀なくされる時期のことで、平常時に隣接するこの時期のことをもっと重点的に考えていかなくてはならない。必要はあるが支援が弱体化する時期だからである。

ひとつは失業保険が切れ、生活を貯蓄を食いつぶすか、生活保護に頼りながら生計を立てなくてはならない重い課題が被災者を襲う時期であるということ。東日本大震災では、ここに被爆避難という家族孤立の分散避難の課題や、帰郷困難という生活大転換の問いが加わった。避難の長期化は特に高齢者にとって生活復旧の可能性をタイムリミットによって摘む意味を持つことになり、生活再建意欲は大きく削がれてしまう結果となる。また、農林水産業の収益性低下とTPP等の自由化の圧力によって、故郷に残り先行き不安のある第一次産業を受け継ぐか否かの人生の岐路の選択が問われている。幼い子を抱える親は、ここに残るか否かという、子育て環境選択が加わる課題が起き、在宅介護が予想される家庭では、被災を契機とした地域医療の崩壊の中の選択が問われてくる。被災程度が低かった地域や家庭では、若手を中心とした近隣家族の転居によって、東北の病である一層の「過疎化」「超高齢化」が迫ってくる。身内を失った残された家族の重い選択である。

こういう人生選択とその板ばさみに苦しむ時期が「慢性期から復興期」という時期の基調をなす。高ストレスと家族孤立の時期であり、これが行政と専門職による解決課題とされるのだ。地域の絆が薄れ無策が続けば、単身または高齢者夫婦のみの家庭で孤立死が生まれてくる。高齢者のそれは主に病死である。

こうした社会的課題に関わるのは、行政や地域福祉であり、地域医療介護関係者である。

この時期の支援活動は、従来の環境整備活動や、慰労の活動だけでなく、精神衛生上の課題、特に高齢者の課題が問題になる。

先日、連続セミナーの課題について、障碍者の不利益の救済や、自主活動の作り直し等、居場所作りと健常者社会とのつなぎなおしが課題になる。

むしろ、災害避難や避難所の生活(急性期の)の方が障がい者にとってのリアルなことと写るだろう。

この地域医療福祉ネットワーキングは、地域傷病者のためのものというより、地域保健福祉の精神保健の緩やかで広範な観察と手当てが必要な時期となり、多様な被災者伴走活動との連携が必要な時期となる。

これを生活支援活動と呼ぶなら、この生活支援活動は、その更に外周に就労支援活動があったり援農・援漁活動、学習支援活動、街づくり活動などの接面を持っている。その他の接面においては、家庭の介護者がなす在宅看護介護活動があり、有償活動として訪問介護・居宅介護事業所がある。いわゆる積極的な家庭保健実践者の位置の要に、生活支援活動のタイ・ベルトのような、領域横断活動をする専門職コアの外周部活動を感覚器・神経系のような恒常的な存在を滞在ボランティアのなかから生み出す必要がある。その多様な接面において、短期被災地訪問活動や、非被災地の支援活動が入っていく。地域ネットワーキングの体現者のような活動だ。

この活動は非被災地にはなかなか見えない活動だ。だからひとつは短期被災地訪問活動の企画化と提唱、民間交流、例えば民泊企画化と擬似親戚作りのような交流促進活動を企画化していく作業が必要になる。地域ネットワーキングとその恒常体現者としての生活支援活動そこを媒介して、被災者とのつながり方を提示し、推進していく活動を始めていく時期なのだ。

ここの具現画をかかねばならない。専門職との連携の中で、ここを検討していくことが、被災者とその支援の可視化につながり、如何に連携の実を取るかという見通しを提示することが、長期戦をこす体力すなわち裾野の支援をつけることになる。

そこを考えたい。被災者の困難に伴走する実行の芽を作りたい。


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連続セミナーを呼びかけられる災害ボランティアが「湘南にないか」と探して一日が過ぎた。母はリハに。気持ちが急いていけない。的確な手をどう打つか…。



夜間傾聴;橋本2君(仮名・母親)
     ひとり


(校正2回目済み)

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10/21 市民フォーラム「市役所の使命とは!」は薄っぺらかった

2012-10-22 05:23:12 | 引きこもり
2012/10/21 記
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「市民フォーラム・市役所の使命とは?」を午前中、覘きに行った。福島県須賀川市の石井正廣副市長がゲストなので、福島県の中通り、内陸部の被災状況を知りたいのが半分、残りが災害ボランティアとの連絡が半分だった。」

シンポ形式だが、恒例の質問時間駆け抜けが起き、ため息。発言が押せ押せになって、最後のQ&Aがすっとぶのだ。見渡す限りの白髪頭。しかも災害ボランティアが見当たらない。茅ヶ崎市の市庁舎は老朽化が進み、今は仮設プレハブ庁舎に窓口業務が移っている。新庁舎の立替えをめぐって、修繕か新規建設かということで、もめている最中だ。災害ボランティアがいないのは、このシンポが立替え賛成派のシンポだったのだ。

須賀川は3.11に震度6強の地震に見まわれた。建物倒潰5千棟弱、死者10名、行方不明1名(1歳)という話だった。内陸部は津波がない分地味なため、マスコミで報道しないことが多い。

会としては、右肩下がりの時代の市役所の地域コミュニティの中心という機能を発揮する環境、災害本部として市民を出会わせつなぐ働きに即移れるか、技術論的アプローチで、新潟県長岡市の新市庁舎が画期的であることが紹介されていた。ガラス張りで議会がまるまる外から見える話など、如何に優れた庁舎を作ろうとしているかを説明していた。

しかし大概この手の話は、歴史的な経過とか、どういう状況の打開策であるのかというような、関係論が欠落している。便利、効率的など機能が議論の中心にあるときは眉唾ものと思っていい。

結局半分しか用事が出来なかった。

帰りに市民活動サポートセンターに立ち寄り、障がい者団体のレターケースに呼びかけ文を投函してきた。

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時間に余裕があるので、駅ビル最上階の椅子で仮眠1時間。橋本へ。
心療内科のチェック。東京側なので情報が無く、シャブ浸けブラックリストに医者を記録した。

母親と話。ひととおり話をつけて、塾長とバトンタッチして横浜線で横浜経由で茅ヶ崎へ。日高屋の塩糀つけ麺・赤のまずいこと。塩気が欲しくて、酢と醤油を混ぜてつゆを作り,掻き込んで食べてきた。

大船渡市の大関輝一氏へのラブレターを書いている。

夜間傾聴;ひとり


(校正1回目済み)

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10/20 永山則夫のNHKドキュメントを見ながら

2012-10-21 03:58:29 | 引きこもり
2012/10/20 記
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永山則夫のドキュメンタリーを観ながら、この記事を書いている。凄まじい貧困と家庭崩壊と暴力を体験している話が延々と続いていく。

私が永山則夫とであったのは、私が学生の頃、弁護団活動の手伝いを始めていたとき、永山弁護団のメンバーと知り合い、永山則夫の「無知の涙」をいただいたときだから、逮捕後かなり時間が経過していた。彼と獄中結婚したKさんと、もうひとり永山が過ごした北海道の網走に生まれ、青森の板柳町に育ったFさんから、変わった弁護士さんを紹介してもらったときのことだ。

私が病弱という通じない言葉を抱え込んで生きてきたので、貧困と暴力の連鎖という目に見えない力の存在が理解できた。その後Fさんは毛派系の活動に活路を見出そうとしていたらしい。私は鵺(ぬえ)のような社会の構造が見えたからと言って、それ自身が直結して解決への道となるとは思わなかった。はいあがる道が困難を極め、ひとりぼっちのキャッチボールを強いるような無理解をかえていかなければ、結局はなにもかわらないと、永山則夫の写真に語っていた。路上生活者支援とか部落のことに関心を寄せていったが、私の中には、病弱という独自の生き方を探らねばならない者が、スタンダードな教育の特に理解のショートカットを駆け抜けるような現在否定の生き方が、トンネルの先に私自身が見つかるような世界を提供してくれるとはとても思えなかった。自分を探り当てていくような生き方の先にしか、私の道は無いことを直感していたと言っていい。かさぶたを剥いでいくような差異を自覚して生きる道を選ぶことは、貧困と機会の偏在という見方だけでは覆い尽くせないものがあった。その世界は不合理を断罪する正義すら鈍刀にみえる世界だ。

だからマイノリティとその存在を無視していく流れに抵抗を持つ。一回性を生きるひとが差異と連携の中に世界を切り拓く知恵に共感する。しかしこのけもの道の道中のような世界に接する者はいずれ離れていく、鵺のような大気をかき分けているものだけが再会する。私は「絆」などと軽くいうことはできない。あるときは力であり、あるときは枷(かせ)のようなものだからだ。災害ボランティアは家族を信じている。しかし、永山則夫や、私のような「鵺」が見えるものにとっての被災者支援・災害対策活動とはどんなものになるのだろう。

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9:45開会の企画に参加する。帰りにジアース教育新社(中村雅彦氏の著作出版社)の編集の方との接触を試みる。

夕方、橋本に出る。

夜間傾聴:ひとり(この時代に薬漬けにされていた。塾長の担当の青年)


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10/19 茅ヶ崎市民フォーラム「市役所の役割とは」参加準備中

2012-10-20 05:55:03 | 引きこもり
2012/10/19 記
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黒田さんの講演日程の会議室取りをしているが、公共施設は3ヶ月前、つまり11/18にならないと申し込みが出来ない。場所がない事態が起きかねないということで、施設チェックをして、備えた。公民館などもいざという場合考えなければならない。

まだ黒田さん以外の方の日程(第一回11~12月、第三回3月)も決まらない。これが決まらないと招待できないので、堂々めぐりをしている。yesもNoももらえないことは堪える。

10/21市民フォーラム「市役所の使命とは!被災地より見えた市役所の役割」がある。茅ヶ崎市役所コミュニティホールにて9:45開会。無料。福島県須賀川市の副市長石井正廣氏を招待し、神大の南学氏、東大准教授加藤孝明氏がからむ。服部茅ヶ崎市長も参加するが、無難な話しか出ないだろう。

朝の企画は痛いけれど、災害ボランティアの参加も多いだろうから、本当はこの日にチラシを入れたかった。関係者向けの実行委参加要請文を作って、手渡しするつもり。そんなこんなで、また煮詰まってしまっている。

第一回と第三回の講師(予定)を交渉段階で公開できないのが難。遠野まごころネットの関係者と被災者、障がい者施設関連の方を予定している。問題は資金繰り。実行委が成り立てば多少楽になるが、立替えが必要になろう。

来年度も引き続き、隔月講演を続けたい。

被災地病院関係者(地域医療)
助産師
運輸関係
学校教員
消防関係(防災・救急医療)
看護師
獣医師
生活支援災害ボランティア
etc.

じっくり話し込みたい。相手の体験を聞くのではない。被災者としての自分、支援者つぃての自分として、つながりを意識して聞くのだ。贅沢だが成果はあるだろう。これらはいずれも彼らの働きぶり紹介ではなく、ボランティア活動との接点を探るのが目的。

今回は、時間切れ、ここまで。


夜間傾聴:橋本3君トラブル対応

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10/18 連続セミナーの実行委結成呼びかけ文を作っていました

2012-10-19 04:59:39 | 引きこもり
黒田さんの講演が決まったので、実行委結成呼びかけの文書を作っている。以下はその本文である。

---- ここから ----

<連続セミナー*東日本と防災(全3回)
   仮設生活と地域福祉医療~~被災者の孤立を防ぐために~>

------- 災害対策活動の質の切換えを議論しましょう。セミナー実行委を作りませんか。


   
~はじめに~
 東日本大震災以降、災害対策活動は様変わりしました。特にボランティア活動が私たちの中に市民権を得たことは大きなことだと思います。原発の危険性と科学技術を支える体制の危うさと同時に、巨大災害と隣合わせで日々を過ごしていることが私たちの共通認識になったのです。災害ボランティアはその意味で、社会的な重要性を増しています。

 出会いと善意の橋渡しとしてのボランティア、被災地の必要に即応するボランティアから、互助の精神を持ったボランティア、継続性と役割を持ったボランティアへと成長することが問われています。

 私たちの生きている時代、ばらばらに生きてきたはずの私たちが、町も人も洗いざらい持ち去った津波を見て憤り(いきどおり)、当たり前のひとの生活が、いとも簡単に覆されてしまう現実に寒気を感じる心は、つながりを取り戻し始めています。すべてのもののメッキがはげたようなところに居て、不運なひとへの哀れみではなく、私たちが危うい社会に一緒に生きる生き方を再構成しようとしているのです。社会の背景も、私たちの経験も、古い自助・自律の災害救援活動をはみだしてしまいます。だから、大衆安全誘導型のステレオタイプな災害対策活動も、このままでいいはずがない、そう思うのです。




~東日本大震災・生活再建期の支援活動を~

 被災してから避難所に当座の生活を移した時期(災害救援期)の様々な支援活動は、昨年秋の仮設住宅入居を境に、被災地に長期滞在する以外意味がないかのように見えています。こうした現状とは別に、被災者の生活再建・町の復興支援は、仮設から更に災害復興住宅への集団移転や、福島では町自身の移転まで、これからも試練が続きます。支援の壁と現状進行のずれに無策のまま、被災地を訪問する熱意を持った方々に任せている現状を、早急に打開していく必要を感じるのです。

 災害ボランティア活動は、私たちの共通の共通経験を背景に、被災者の継続支援と、活動の泥舟からの乗り換えとしての「防災」ではない被災に学ぶ「防災」を活動の両輪として、行政とともに、見通しを立てて活動していく必要を感じます。東北の被災者のニーズに応え、防災も準備していく活動です。家族や財産を失い生活再建の手がかりを求めている被災地を見つめることは、そこに近未来の私たちを重ねて見つめることです。幸い私たちは中空からではなく、阪神淡路大震災のような過去の大地震の体験を東日本大震災と比較しながら、今後を見つめることが出来るのです。

 阪神淡路大震災では、被災後一・二年経ってから、仮設入居者の孤独死を経験しています。多くは家族を亡くした高齢者の病死でした。長期の避難所生活で足腰を痛めて、介護度要支援の方が増加し、介護度5の寝たきり方が減っている、これは被災ストレスの影響で命を落とした結果といわれています。避難所から仮設、仮設から災害復興住宅へと長期転居が続けば、「新築するとお年寄りが亡くなる」といわれるほどに重いストレスが高齢者を見舞います。仮設から災害復興住宅へという移行期をどのように過ごしたらいいのか、それと同時に被災から避難所生活、仮設生活へと至る、集団から排除されやすい障がい者や乳児を抱える家族が、とかく孤立しがちなこの時期を従来の震災復興の経験では、どのように超えてきたのかを、検証する必要があります。また、地域産業復興だけでは補いきれなかった東北の「過疎」、「超高齢化」、「無医地域化」という課題に迫り考えて行きます。この見通し作りと対策は、私たちの「防災」の場でも、活きてくるでしょう。

 この議論を始めるに当たり、生活再建の地域医療福祉の被災地支援経験のある専門職の方から、議論の口火をきってもらいます。とりあえず、普段は影となっている被災者・現場専門職・長期滞在型生活支援を行なっている方と3回の議論をしていきましょう。遠方から講師を招きます。交通費・謝金等およそ12万円強かかります。来年度に入らなければ助成金もありません。皆さんのご支援をお願いします。内容を分かち合うためにも、セミナー実行委を作りたいと思います。実行委参加をお願いします。ご連絡下さい。

         (連絡先・略)



<第一回>(詳細未定)

  2012/12 予定
  中期滞在型支援者


<第二回>

  テーマ:被災地の災害看護活動から見た生活復興期支援
       ~社会的弱者の支援を中心に~(仮題)

   日 時:2013年2月18日(月)13:30~
   場 所:茅ヶ崎市内 (未定)
   講 師:黒田 裕子氏(阪神高齢者障碍者支援ネットワーク理事長)


<第三部>(詳細未定)

テーマ:被災地における地域医療福祉ネット作りと被災地訪問支援者
      ~陸前高田・大船渡の場合~
日 時:2013年3月予定


以後、来年度には、陸前高田高田病院職員・大船渡市職員・大槌町障がい者施設職員を交渉中。(2013年度)


---- ここまで ----

夜間傾聴:なし

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10/17 黒田裕子氏講演確定!/東京巡回は堂々巡り他

2012-10-18 04:41:45 | 引きこもり
2012/10/17 記
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今回は嬉しい話がひとつある。連続セミナーの黒田さんが、2/18の日程が他の話と調整が必要になっていた件で、私はまた、企画が流れるのかとメールを開く前まで、ため息をついていたのだが、メールを開いてみると、13時からに予定を調整してくださったことに驚いた。

震災前、障碍者就労支援の企画を2回ほどたてたが、1回目は障碍者の店舗作りの運動について、店舗が地域交流の場になっているというより、参加障碍者の収容施設になってしまう傾向の指摘を書いたことが直因で、店に賭ける障碍者の願いを無視するものとして私を批判し、企画直前に身を引かれてしまったこと。これは「町田・赤い屋根」の高級豆腐の配達引き売りチームの試みの新開地を説明する意味でかいたものだったが、助成金の発想通り、豆腐工場参加者が利用者になる不思議さ、そのことに言及したものになっていた。積極商売している「赤い屋根」さんのことではない、念のため。もうひとつは、震災をめぐって、子ども達に復興後の夢を描かせたという活動について、被災前と被災後、大差ないSF地味た作品ばかりだったこと。被災した家族の子に、こんな空々しいことを書かせるべきではないと、教員に言ったことで、被災地の某小学校教員が子どもの夢を踏みにじったと怒り出して、被災状況を語っていただく企画が流れてしまったことがあった。家族を失い,原発のおかげで他地域の仮設に移り住んでいる子に、科学の夢の宇宙基地のような町を描かせる方がどうかしていると私は今もそう思っている。いわゆる舌禍である。

だから、企画の講師を承諾してくださって、途中で変更が入るときは、企画が流れるときだと、正直のところ先に落胆していたのだった。今回の講演は生活支援期(慢性期)の支援の有り方を方向付ける被災者支援活動の大事な局面にあるだけに、ありがたかった。これで正規の呼びかけ文をつくって地域の関係者に参加をよびかけられる。

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今日はNPOサポートちがさきの全体会がある日だった。しかし、助成金団体の担当者との話を予約できたことと、**子の親御さんとの話のことが日程が重なっていた。全体会に欠席届を出した。しかし、空は暗雲が立ち込め始めていた。

**子は、自分に不都合な話は両親に伝えていなかった。また親御さんからの話も私に届かなかった。だから時々、親御さんに直接会って調整してきた。言葉を脚色し、双方に都合よく伝えて利を得るという精神活動は高級だ。知的障がいの子はそうはいかない。今、**子が通っている作業所は、視角障がいを除く身体と知的の方たちの作業所だ。だから**子とは障がいの困難の質が違うので、なかなか悩みを分かち合える友だちができない。そこにある事件が起きていた。親御さんも介入できない、他人には瑣末なことなのだった。

馬込から大門まで浅草線一本でいけるので日赤にたちよった。年度末の資金のあまりを助成金あつかいしてくれないか打診するずうずうしい話だった。しかしそれは前段から無理な話だった。申込資格が、法人であること・何年もの活動実績があることが条件だった。セミナー実行委では申請もできなかった。

大門から東銀座を経由して八丁堀に出る。日遊協は引きこもり関係の企画にも協力をしてくれたところだ。東日本大震災にも節電などの協力をしているという。ざっと話をしてきたが、収穫は門前払いではなかったこと位だ。企画を完成させて送れば読んでくれるという。それ以上ではなかった。

八重洲ブックセンターに立ち寄り、助産雑誌・保健師ジャーナルから、東日本大震災関連号を入手した。教育関連は不作。旧態然とした道徳教育と生活単元学習作文指導が闊歩していて、出来事を越えた思念が育っていく前に着地点が設定されているような、子どもの制度化した身体しか見えてこない。強固な学校制度を見る思い。不登校の子は居る場も無い。

cf.
●「助産雑誌」Vol.166 2012/06 ~東日本大震災の記録~ 医学書院刊
●「保健師ジャーナル」2012/10 ~災害時 活動マニュアルをどうする?~ 医学書院刊

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帰宅すると母はひとり風呂に入っていて、肝をひやした。ひとりのときに風呂に入るなと言っておいたのに、屁でもない。風呂場は高齢者の事故死の場。寿司の出前が届くように手配しておいたのだが、食べたくなかったと、寿司が丸ごと日干しになっていた。アンパン1個で夕食を済ませていた。どうしたものか頭が痛い。勿体無いからと私が2人前食べる。駅前で丼物をたべてきたので、糖尿病患者としてはアウト。

石巻の中学校の情報入手。鶴嶺高校ボラ塾の懇談会のひとりがその中学校に派遣されていた。話題をチェックするものの、難しい。

夜間傾聴:塾長(別名、小言という)


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10/16 連続セミナー実行委参加呼びかけを看護学校に他

2012-10-17 05:41:52 | 引きこもり
2012/10/16 記
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日本財団のCANPAN_PJの案内が来た。明日、東京まわりを控えて、連続セミナーの説明チラシを準備している。セミナー実行委作りの呼びかけ文だ。CANPAN_PJの中に助成金紹介があって、25年度の助成金だが締切が10/31だという。今回は間に合わない。今回の連続セミナーのその先をも考えていかねば申請は出来ない。

セミナーの主眼は、仮設住宅生活と被災者支援住宅入居への長い移行期の支援活動を途切れさせないために、非被災地の支援活動の生活支援活動への転換の核を提案していくことにある。東日本大震災からの教訓に基づく地域防災と東北の被災者支援の両輪となる活動の提案である。加えて長いスパンでみたときの震災後の東北の壁、「超高齢化」と「無医地域化」への対策を準備して行きたい。

今回、シンポ&講演の3回シリーズを、困難の集中する「被災時要援護者(社会的弱者)」にスポットをあてつつ、効果的なネットワーク・システムを探るための議論の口火を切ろうと考えた。

東日本大震災で議論が頓挫してしまった炭谷宏氏の「ソーシャル・ファーム(障がい者のための社会的企業)」提案のときも、市と社協の後援を得て60名の会になったにも関わらず、会の実行委は形成できなかった。掲げたテーマは、タイムリーな議論でも、継続論議していくプラットホーム的な場が形成されない困難さがいつも茅ヶ崎にはつきまとう。だから今回の提案も、それほど順調に進むとは思っていない。

流行を次々と追うように、次は「防災」だという発想は間違っている。支援者が引きあげていく東北では、これからが生活再建・産業復興の長期戦の時期に入っているという矛盾がある。高齢化が進む東北で長期戦はきつい。そういう状況が、本番はこれからという被災地と非被災地のタイムラグが生じている。ここを非被災地と取りむすんだ支援活動を描くことで、超えて行きたいと思うのだ。大きな鍵はケアの視座、地域医療福祉ネットワークに関連づく支援活動の方向を探ること。

もうひとつは「パーソナルな民間交流(フレンドリー・ネットワーク)」推進の視点だ。被災地への見学・交流という活動もあるが、今回は「民泊」を通じた家族交流(擬似親戚作り)を推進する視点の提唱だと考える。非被災地にいて、現地になかなか出かけられない者にとって、現地に出かけてのお手伝いの活動は、何をしているのかが全く見えない。これでは支援活動が尻すぼみになるのは目に見えている。非被災地に居てもなしうる支援活動の絵を描かなければならない。「防災」との両輪の活動が必要になっている。

この間、様々な立場の方と交流してきた。その中で特徴的だったのは、専門職の活動だった。障碍者施設職員の方の活動は、同じ立場の施設への支援、高齢者福祉関連職の方は、仮設集会場サロン・手仕事作業所へと向いた。これは土木建設についても同様なことが言えた。ところが領域を横断して、被災者の中の災害時要援護者を支える活動や、被災者の生活に関わった通学支援や通院・買い物支援に入り込んだ活動は、まだ少数派である。むしろプライバシーや、責任がからむ活動として敬遠されているのが実情である。

こういう大局というか、活動の時代認識というものが、双方にないと、言葉が通じないという状況がうまれる。片手間の援助に戦略がいるのかという反発もある。善意を提供することがすべて良いとするなら、昨年初夏から夏場に生まれた救援物資の質の偏りと過剰という現象まで善しとしなくてはならない。ひまわり畑を作った地域にひまわりを贈ったり、関西の60ヘルツの家電製品をそのまま切り替えず東北におくったりというような、ちょっと相手のことに心くだけば、すぐわかるようなトラブルを送り込むような事態がある以上、「すべて良い」とはいえないのだ。その「相手の状態・要望を知る」ということが「戦略」へと連なることなのだ。

私が連続セミナーを提案するにあたって、私の知人や関係団体の担当者と話していて感じるのは、大局観の空転ということと、出来合いの企画を持ち込むのを待つという姿勢のことだった。描けば以前の就労支援活動の提案と担当職員との対話のように、結論の出ている企画を押し付けるのかと反発されてしまう。そういう空転は組織対組織だと強烈にでてしまう。だから今回は、実行委は個人参加にして呼びかけている。このままでいいとは、とても思えないと感じる方と一緒に活動したい。

今日は、この間歩いた看護学校の事務長さんに電話をかけ続けた。電話を切られることはなかったが、いずれも来年度2月の資格試験がからむからと断られてしまったが、1件だけ、企画を市や社協などの公共性を保障(後援)してくれれば、教職員の担当者参加させてもいいという内諾を得た。

個人医療情報カードのQRコード化の件で、関心を示してくれたサプリメント販売会社にも声をかけてある。営業所が仙台・盛岡にあり、営業所が地域復興支援をしているとのことで、アレルギーがなかった。

あとひとりは陶芸家の方。看護師さんの資格も持っているとのことで通りがよかったのかもしれない。

こうしたいわゆる一本釣りは、行政職員や市会議員にも投げかけている。大概は、様子をみて決める人たちだ。今日は昼間授業があったので、電話攻勢もここまでだったが、当たりは主観だが、悪くない。必要は感じているのだと思う。

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父の老人の乾燥肌用保水クリームを老健に届けた。日も落ち暗闇の中の訪問というのは、雰囲気が違う。父はかゆいところを血まみれになるほどかきむしってしまう。在宅介護のとき、父が使って調子がよかった保水クリームを届けたのだ。

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北里大サークルから丁重な断りのメールが届いた件を事務長に伝えた。場つが悪そうな顔。ついすみませんと謝ったが、何か妙な話である。

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今日の釣果(?)2名。悲しい…かな。

明日、助成金関係の担当者周りをする。夕方から雨の天気予報。早めにでかけよう。


夜間傾聴:なし


(校正2回目済み)

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