2020/10/30 記
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10/29 続き
半身不随の旧友に会いに、松戸の特養に行ったが、コロナ対策で面会不可。一度戻ったが、奥さんの仲介で、再チャレンジ可能になり、ホームに戻った。
職員の方と玄関前で会い、提供されたポリ袋入りのスマホのLINEで、彼とTV電話が出来た。彼の方も、別の職員の方がスマホを支えてくれたのだ。
ところが、彼は私のことが、はじめ誰だかわからない風の出だし。私は慌てたが、彼はすぐに思い出してくれたが、たちまち泣き出し、会話は顔合わせしただけで終わった。5分ちょっとの会話。職員に礼を言って、ホームを去った。
帰り道、私のスマホが鳴った。奥さんからだった。「会いたくなかった。でも会えてよかった」と、彼から伝言がとどいたという。その複雑な心情から、時の流れの奔流を感じて、奥さんに「ありがとう」と、慌てて礼を告げる以外、何も話せなかった。彼は私の数歳年上だが、旧友3人とも、社会活動から消えることになったことに、私は衝撃を受けていた。
私たちが現場の記憶を咀嚼翻訳していかなくては、今が見えなくなるという危機感がある。歴史という「鏡」の喪失である。
昔、私は灰谷健次郎氏の「朝の少女」という作品を読んで目眩を感じた。作品には素朴な島暮らしが綴られていた。夜が明ければ、また同じ日がくりかえされる死と再生の反復の神話的時間。時間が矢のように直線に流れていくのではなく、循環の輪のように繰り返される世界では、進歩とか変容が見えなくなる。
80年代からリーマンショックをへて、コロナ前に至るまで、日本の時代が、大きな社会変化のうねりがすすんだにもかかわらず、庶民は消費文化に飲み込まれ、誰もが社会は利用するものとしてしか登場しない、そんな消費文化の家畜化の閉塞を生んだのはなぜか。それを通じなくとも、突き抜けて生きてきた者が語る必要がある。
コロナは擬制をむき出しにしてみせた。だから、コロナ分断に手足をしばられようとも、語れば通じる可能性がある。ただ、その前に、語り部の寿命が尽きつつあるとは。帰り道、そう思うと、胸がつまった。
(つづく)
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夜間傾聴:ひとり
(校正2回目済み)