湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネの地域学習活動・就労支援活動の実践試行を書き溜めていきます。

すみません、未整理ですが、この間のメモです

2009-11-29 15:12:42 | 引きこもり
ここ1週間、特に父の介護の件で、小刻みに時間が取られ疲れていた。キー音がするたびに、昼夜を問わず、母を呼ぶ声で私を呼ぶ。これには辟易としている。母の掌蹠膿疱症(しょうせきのうほうしょう)は、急性期に入っている関係で、ゴム手袋をして炊事しても、指先の皮膚が切れてしまう。母の分も炊事洗濯が割り込んでくるので、まだ数日は交代できない。部屋に戻るが、マウスを持ったまま眠ってしまう状態が続いていた。しかし、私の周辺では活動の大事な動きが続いていた。

順番はばらばらになるが、ここ数日に出会った人たちの話から書いていく。まとまりがなくて申し訳ない。

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私の巡回先は、ある予備校と私塾に、進学を目指して再挑戦を試みる人たちを回る。私と出会う方は若い方の場合は母親が、青年の後半に入った方では、私たちを個人的に知る支援者の同伴や、進学費用に限界を感じつつ迷いながら門をくぐった本人が入学時の面談を通して回ってくる。いずれも授業に馴染まず、こころに不安や困難を抱えている方が、私のもとに、ぽつりぽつりと回ってくる。

私は******君(仮名)からバイト先で知り合ったという友達の紹介を直接うけた。「金がないから進学できない」と「言葉の上で」嫌がる彼を説得して、親御さんに連絡を取らせてもらった。実はこの方は、まだ申請未登録なので、接触について本校から注意を受けていたが、報告を入れても、やるなとか違反だとか言ってこないので、この注意は「慎重に”やれ”」という警告と解釈。続投決定。親御さんと二日間、勧誘ではなく、久々の長い傾聴電話をしていた。家庭は困窮している状態ではなく、彼自身、親への依存が嫌なのだということが分かった。彼も私を遮断するということでもないので、彼には改めて勧誘という立場に立った。久々だった。いつもは請負い仕事だからだ。

しかし、アスペという診断を受けていた******君が、彼の世話を焼いている様子に驚くと同時に、支援者が自分自身を注意しているつもりで、その実、症状のレッテルを貼っていたことも見えてきて、恥かしくなった。******君によれば、彼もアスペなのだそうだ。

今朝,9時過ぎに******君から電話が入った。昨日、彼の同伴で入学手続きを取ったという。授業に出れば彼は、私の手から離れていく。矛盾をちょっと感じるが、引き止めるのも変な話だ。電話を入れてきた******君を、お互いだが変な奴だなと思う。拍手である。

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私と同じ巡回しながら、心理カウンセリングをされてきたKさんとも会うことが出来た。多芸な方でカメラマンの仕事もされていた。お話を伺っていると、私は攻めの話し方から離れられないことを感じるが、彼には懐が深さを感じるのだ。なるほどなあと思いつつも、中でも、その語りの中に情熱を感じさせたのが各地のNPO連携による生鮮食料品ネット作りと、そのシステムへの障碍者雇用の話りだった。

この分野は商業ベースの展開もあるほどに、ニーズがある。しかし人の力と経験がかかり、流通に詳しい人間を加えないと、諸変動や拡張困難の波をかぶることになる。これは若松町のたい焼き屋さんのリーダーもそうだが、そこに専念出来る情熱がいる。

私のように、つなぎ屋というか網屋は異質の活動を仲介するがゆえに、手綱も手放せない。内発的な転換が始まる時代を私は意識している。だからその接触を推進する役割から引くことが出来ず、それゆえにKさんの話には乗り切れなかった。私は泥の田に立ち皿回ししているようなものだからだ。Kさんの活動には協力しようと思う。だが泥の田の発酵と腐敗は紙一重、そういう場に立つ者として、自分が抱える状況から出発しようと思うのだ。彼には親の会を紹介し、無念だが彼との話を終えた。私は泥の田をいまさらに意識していた。可能性の判断ではなく、必要性の中に私の立場がある。

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話は変わる。サポチガ有志がビッグイシューの販売員Tさんたちにアルバイト仕事の声をかけたところ、彼らが法外な高額見積もりを出し、その調整時にTさんたちが感情的な暴言を吐いたということで、問題がおきた。社会的挫折を味わってきたひとたちの活動は、様々なトラウマ的な偏りや古傷があって、きれいごとではすまない。大人の場合、酒がらみが出るし、常識や融通も利かない。酒は坊主の言ではないが「般若湯」である。Tさんは酒が抜けないうちに、サポセンに現れた。ふたりの見積もりの異常値の原因は相場を知らなかったことと、作業時間の想像力がなかったのが原因、一日仕事と単純に判断して出したらしい。弁護したが、これは繰返してはいけない。抑圧された方との連携は、とんでもないところがぼっこり抜ける。冷や汗をかいた。

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販売員TさんとEさんは、一昨日の夜はワードを使った会報作りに挑戦。Tさんは、KJ法を使って原稿の一部を仕上げた文の一節を、実際に打ち込んでみた。冷や汗をかきながらも、キーを捜して、なんとか仕上げた。場面を踏めば焦りが消える。画面確認の弱さも慣れて消えてくる。お疲れ様でした。Eさんのアドバイスもあって次回へとつながった。

Eさんはもともとネットワーカーである。ただワードのような文書作りをしてこなかったから、機能を手探りで覚えている。フォントの扱いや、画像の挿入など、苦戦しつつ完成。

ここが超えられたら、あすなろ会の活動は加速するように思う。2時間半の長丁場、じっくりではあるが、自助組織としての活動は動きつつある。

会員Oさんの紙面構成や、メインタイトルのアドバイスがあって、会報は「(湘南)ホームレス便り」となった。「湘南」をつけるかどうかは意見の差があって次回回し。少しづつ、Oさんと私とで、PCスキルをバックアップしていく。

最新号131号の追加分が担当者のポカミスで、発送が遅れた。土曜日に到着予定と遅れている。ところが手書き伝言板形式でサポセンの場に出向かないと連絡が取れない。Eさんがプリペイド携帯を持っているので、彼から連絡してくるが、いつも食事時なので父との格闘時、応答をするため落着いてからかけてみると、節約のために電源が切れている。メールは公開していないので使えない。こうして、私が足止めを食ってサポセンに行かないでいると、連絡がとれない。いつもサポセンの窓口担当の中の有志の方の厚意に依存しているわけにもいかないからだ。今は有志の方にバックナンバーを出してもらっている。

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これは、一昨日、引き継がないで解決したのだが、携帯ネットワーカーでもある都内の学生さんの身が危ない状態になった。大森海岸君(仮名)が、つながっていた関係で、早期に予兆をキャッチして、私のところに彼から相談が飛んで来た。最終的には、いのちの電話に引き継いだ。

その少年は万引きをしてつかまった。警察沙汰になったことで、退学になると直結して悩んでいた。この世代の子のもろさを感じる。大森海岸君がいなかったらと考えると…、何とも孤独である。私が車に乗っていた10年前なら、他に手がなければ彼のところに夜間、出向いていたかもしれない。しかし今、オンラインという世界では、言葉の世界で綱渡りを支える以外ない。難しい。いつもそれを感じる。今回は土日が挟まったので、私が親御さんと会うことを勧めたが、彼はそれを当然嫌がった。私との話はそこで終了を迎え、彼を何とかいのちの電話に引き継いだのだが、嫌というのを分かっていて、あえてそれを口にした自分に疲れを感じていた。オーバーフローである。

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大阪・西成の「ホームレス問題の授業づくり全国ネット」から「『ホームレス』と出会う子どもたち」(画像参照)というDVDが送られてきた。寄せ場に生きる子どもたちが、自分と家族を見つめるために、大人のように炊き出しおにぎりを抱えて夜回りをしている、その記録である。小中高の授業書という形で映像が提供されている関係から、学校現場でも問題の重さに比較して導入しやすいだろう。ライブラリー版ではないので、個人観賞用だが、あすなろ会の会員の範囲で観る場を12月中に設ける。

しかし訪問を受けた高齢ホームレスの方は、やるせないだろう。このDVDに収録されている場面は、ホームレスの人たちは、過去そして現在も背後に家族や仕事の経歴を背負っている人たちであり、「どうですかぁ」(関西弁)のひと言でつながることの出来る絆を持った人たちであること。それが印象的だ。鶴嶺高の先生もそうだが、その後の扱いはともかく、まず見てほしい作品だ。何らかの企画に仕上げて、皆さんにも見てもらえる機会をつくるつもりでいる。

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26日の木曜日に、就職できないために結果的に引きこもっている地元の方と会った。大型の運転免許などを持っているが、事情があって日曜日に確実に休める条件を付けたら、不況下、全体の仕事の口が少ないところなので、全く仕事がなくなったという。彼は引きこもり経験者なので、現在の年齢でそれが再び始まったら、再就職できなくなるという危機感が強い。

月曜日にハローワーク藤沢に、久々にお邪魔して、出来ることを探してくるつもりだ。月曜は父がデイサービスの日なので、16時半までに家に戻らなければならないので、藤沢に用件をまとめて始末してこようと思っている。

この方は配達業も意欲を持っている方なので、とりあえず若松町のたい焼き屋さんを覘いてもらった。湘南おやじの会のTさんと会ったので、ちょっとご挨拶。しかし、別件、小箱ショップの申し込みをするのか否かと問われて、「わーく放送端末」を置こうかと迷っていたが、置くつもりと応答した。月4千円+電気代である。常時表示のプログラムがうまく稼動していない状況では、宣伝効果が薄い。どうしたものかと思っている。

この方と「たい焼き」を食べた。糖尿病なので半分残したが、おみやげを買うことで許してもらった。取り残された彼の立ち寄る場、過剰に巻き込まれないひとの活気が、こういう停滞中には大事なので、彼に仕事待機中、雑談をしに立ち寄れるようにと仲介したつもりでいる。

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多摩センター君(仮名)が進学を諦めて、縁故就職した。関わっていた私にはちょっと虚しさが残るが、彼の事情もある。橋本組がひとり減って寂しくもあるが、エールを送った。社長が彼と同世代。スナップを見せてくれたから大丈夫だろう。

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新小岩の東京シューレ葛飾中学校で、23日(月)、「フリースクール全国フェスティバル 2009」が開かれていた。私は出かけることが出来なかったが、大森君(仮名)と大森海岸君(仮名)が覘きに行ってきた。小学生世代の方とは、ひとり例外はいるが、しばらく関係が切れていた。例外とは、年数回知り合いの父親のメールに割り込んで、お子さんのメールが追加されてくる。ホームスクーリングをしていたが、中学生になったら母親とイギリスに移住するとのこと。父親は仕事上インドを中心にして行き来しているから、抵抗はないらしい。しかし、大森君たちのみやげ話を聞いていると、社会階層が違っているなと思わせる子の話が多い。私は不登校・引きこもりの方の支援から、発達障碍の学習面の困難や、精神の方の生活と学習支援に関わってきた。手帳を持つ知的の方とは、旧養護学校の筋からのご縁が薄い関係で、直接の支援は卒業後の青年期の軽度の方との関係になっている。しかし、大森君の話から、障碍は社会階層を越えて横断するが、不登校の子の多くに発達障碍の重なる子がかなりいるのだが、その不登校の子には、いわゆるリベラルな家庭環境の方の話が多いことに気付かされる。

私のいた大田区の私塾のときは、逆に社会階層が低かったことを覚えている。親御さんともに教科の学習意欲が低く、障碍と重なると選択肢が狭い。同じ不登校・引きこもりの活動をしていながら、選択肢の様相が違うのは気になるところなのだが、これは大森君や大森海岸君に、そのまま言ってもピンとこないかもしれない。しかし社会活動は、社会の断面を露わにすることを考えれば、だからこそ見えるところなのだと思っている。格差社会とその改革の話は、その様相の多面体をまるごと抱え込まないと、解決力を持たない。その媒介の経路をどう見通していくかが要に思える。フェスティバルに、変化の兆しが見えるかと期待していたが、葛飾中が既存の学校とどう違うのかという話も、大森君たちとの話では空転してしまったのだった。欲求不満が爺ぃには常に残ってしまうのだ。

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28日(土)スペアちがさき主催の「発達障害者 就労支援に必要なもの」に参加してきた。参加者が予想に反して少なかったのだろう。しかし、返って話がよく通って、私にはよかったように思う。しかし初めての参加者の方が少ないのは、なんとしたことか…。

講師の小林浩一さんとは、いろいろなところで、知らずにお目にかかっていた。今回初めて名前と顔が一致。障碍者就労支援関係者がまわるところは重なってしまうほどに狭いのかと思いつつ、裏話だが実は歯科技工士の「今日」さんは「郷」であろうと推測していた。世間は狭い。13日に錦糸町の会合にお邪魔する予定。

例えば裁判官が言葉の通じない孤島に漂着したら、彼は裁判官であるだろうか。社会の中で関係付けられて、その方はその方足りえている。その関係性をそぎ落として個人の特性という形で取り出しても、それは「固定的な指標」になるだろうか。その特性のジグソーパズルとして適所探しを就労支援とするのは、一見正しそうで外来の医師の見立てのように実は粗いものではないだろうか。障碍者の就労支援は「マッチング」であると言われると、「共鳴」でしょと反論したくなる。

これは経営者団体の就労論議のときも、「採用という枠にはまる従業員」という形で、片方が固定されて変わらないことが前提になっている労働自身が、就労活動自身を底の浅いものにしていると思っている。障碍者就労は、賃労働の対価で生活を買うという構造の難しさゆえに、逆に労働そのものの価値が問われるという本源的な面白い位置に活動が立っている。ここを見据えない就労支援は、企業はめ込み技に質が浅くなってしまう。

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子どもネットワークのTさんとお茶を飲んだ。母からのメールで、母の友人親子が来ていることがわかったから粘れたのだ。

久々だったが、私と元市議のOさんが、交互にチラシを入れていたころからの知り合いなのだが、Oさんは引退後、すっかり経営者になっていたとのTさんの話。どうしているかなと思いつつ、Oさんの事業所の平塚のはずれでは、時間的にきついなと考えていた。

保育労働と就労支援は、どこで一緒にやれるのだろう。対象世代が離れているから、逆に距離置いて話すことが出来るのかなとも思うのだが。12月10日に「こんなやさしい歯医者さん」ということで、歯科衛生士の高瀬幸子氏が講演する。18時半から、茅ヶ崎市役所分庁舎6Fホールにて。お邪魔しますので。

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セカンドブックアーチのYさんと会った。障碍者就労支援の件もそうだが、「わーく」の取材が目的だった。しかしエネルギッシュな人だ。彼にチームができたなら、面白いことも十分可能になるだろう。

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父の宗教仲間が昼に現れた。父は緊張するのか、客が来ると排泄が始まる。今回も宗教の話が終わって帰って行ったが、後片付けで父の部屋に入っておどろいた。父が、拭き掃除用のキッチンペーパーのロールを持って、排便しているのだった。キッチンペーパーは繊維が長い。水に溶けないから、下水に流すことが出来ない。だから間違わないように、父の見えないところに袋に入れてしまっておいた。トイレのバケツに投げ込まれたら、処分が大騒ぎになってしまうのだった。

父から聞くと、紙がないから取ってくれと信者さんに頼んだら探してくれたということらしい。トイレットペーパーはベッドの下に落ちていた。父はベッドから不安定な「つかまり歩き」をしてトイレに移ってしゃがんでいるのだ。転倒の危険もある。それを放置するのはやむをえないとしても、彼らは家族に連絡せずに帰って行った上に、親切のつもりだろうが、袋の奥から一番いけないキッチンペーパーのロールを父に渡していたとは…。介護したことのない人の知識の程度は、こんなものなのかと、彼らのスーツ姿にうんざりしている。

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以上
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すみません、プライベート版だけ先に書きこみます

2009-11-26 13:25:00 | 引きこもり
2009/11/25 朝、記
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父が初めての4泊5日のショートステイから帰って来る日、朝電話が鳴った。何回もあるとうんざりする。やはり宿泊しているホームからの電話だった。今回は先方の声が異様に緊張していた。

またである。父がナースコールを押さずにトイレに立ち上がり、横転。手を突いたとき、手首を捻挫。内出血を起こした。管理下の怪我なので、申し訳ないという謝罪の電話だった。普段行きつけのホームでも、勝手に歩き出して転倒し、注意した女性職員の制止を振り切り抵抗する騒ぎが起きているので、慣れないホームでは、言う事を聞かないのは当然ありうることだった。ここは病院なみに抑制的な指導が飛ぶ。だが強制させると父は、たちまち切れてしまう。

帰宅した父の手首は、きっちりテーピングされていた。血流が止まらない程度だがしっかり固定されている手馴れた仕事が見て取れた。よほど痛いのだろう。手首をかばうので、身体の左右のバランスが一層崩れてしまい、玄関から上りこむ場面で、父を抱え込む騒ぎがあって、頼んでいる介助者が私と衝突してしまうハプニングも。とにかく体重が70kgを超える。積み上げた土嚢が崩れてくるというか、水袋がのしかかってくる感じである。

階段が問題だった。素人考えだと、怪我は掌(てのひら)だから歩行には関係ないとなろうが、家具や、危なくなったときに介助者につかまる、その「つままる」ことが出来ない不安感からか、一段おきに腰砕けになって介助者に寄りかかってしまうのだった。一段ずつ、利き足からあがっているので、一段おきの交互の足運びによるものではない。

ベッドに戻ってから、ちちは尿意をやたらに催してはベッドから降りて立ち上がり、たちどころに転がってしまう様になった。父は大声をあげて私や母を呼んだ。

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2009/11/26 朝、記
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父の手首のケガは食事のトラブルや寝返りの失敗に及んだ。足の衰えを腕力で支えていたこともあって、ベッド内の姿勢を変えるのも、ベッド柵にしがみつき向きを変えたり起き上がるのも困難になって、じれた。時々、ベッドが大きく揺れた。その都度、2階の父を見上げるように天井をみたり、家事中断して父の様子を見にあがるため、家族は手を放せなくなっていた。

ところが翌日の水曜日も、恒例のデイサービスの日だったのだ。朝8時に食事を出した。昨夜は片手で食べられるようにと、おにぎりと、細かい惣菜、カップのお茶という工夫を入れていたが、食事途中で尿を出すので食事が中断、カップが移動中、手を引っ掛けてこぼし、衣類や床を濡らしたり、移動中に飲み薬に気がついて、倒れそうな現状を忘れて飛びつき、薬を持ったまま転倒という異様な行動を起こしたりして、目を離せなかった経過があったため、焼きビーフンを食べ終わるまで傍で介助していた。

やがて階段介助サービスの担当者の方が到着して、父の部屋に上ってきた。状態の簡単な説明をして、私はソファーの上に積んである父の衣類傍らに腰掛けた。いつもの職員のKさんではなく、代理の方が来ていたので要領もわからなかったこともあるが、いつもなら父が食べ終わるまで、父のいないベッドメイクをしているが、代理の職員さんは、父の真後ろに立って父をせかすように、今日は出かける日であることを伝えていた。父は咳き込んで、食事途中でベッドに戻ってしまい、毛布をかぶってしまった。

何を言っても応答しなくなった。視線をあわせなくなった。嘆かわしさを堪えているような表情が出た。久々だった。なだめすかして、今回は行きつけのホームのデイサービスであると説得して、なんとか起き上がらせた。歩行機のグリップが片手握れないので、対面した職員さんの肩に手をかけて誘導することになったのだが、悪い側の足を振り子のように振っては、斜めにしがみつくように身体が流れ、職員さんを突き放しては、倒れこんでしまうのだった。

職員さんを信用していないし、また出かけるのが嫌だったのだろう。

誘導を交代するが先に進まなくなり、職員さんに部屋の端にある椅子を取ってもらい、父を腰掛けさせて説得した。階段下にはホーム職員さんたちが車椅子を押して到着していた。母とそのお馴染みの職員の方の大きなおしゃべりが聞こえて、階段下から私を呼ぶ声がしたのを契機に、父は強引に立ち上がり、相撲をとるようにがっぷり四つの形で私にしがみついた。

階段途中で倒れそうになること3回、玄関先で危ない状態になることが1回。やっと10分遅れで父はホームに出て行った。網膜色素変性症の私の目の視野に、流水の影のような縞模様がちらついて、困難を超したときの動悸がしていた。椅子には母が腰掛けて、手首のケガが父の生活全般を困難にしてしまう状況に呆れ、帰宅後の作戦会議となってしまった。

私は父の居室の整理とベッドメイクをし、その手直しを母がして、とりあえず前半戦を終えた。私は着替えをして、相模大野に向かった。

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いつも尻尾を振って歓迎してくれる、訪問先のチワワのP君が尻ごみ、私に吠え付いた。私を応接間に通してくれたのだが、彼もじっと私の顔を見ていた。目が真っ赤ですよと教えてくれた。目薬を差し忘れていたのだが、犬は目の色までキャッチしていたのだろうか。

今回は2軒回ることが出来たが、2軒目はJR相模原から10数分歩いたあたりに有った。ここから17時前に家にもどるには15時過ぎには移動していないと父の帰宅待機には間に合わなかった。橋本を経由するか、町田・藤沢を経由するかいつも悩まされた。間に合う相模線は2本しかなく、それに接続する横浜線も2本しかなかった。2本目は茅ヶ崎駅からタクシーとなるのだった。なんとか帰宅できたものの、県北の巡回には車かバイクが必要だった。仕事を湘南に移していかなくてはと思いつつ10年が経っていた。いつもより混んでいる相模線で仮眠。

帰宅した家の1階は無茶苦茶な状態だった。母は自分の寝室で寝息をたてていた。間もなく父の宗教の信者さんが階段補助をするために現れ、私は時間の間に洗濯と食器洗いを済ませていた。間もなく、父が帰宅7分前と、送迎車からの連絡が入り、父が帰ってきた。表情が明るいのには安心したが、足の状態はあさのときと同じだった。手をかばうから、身体がバランスを崩す。階段途中、後ろ向きに2回転倒の危うい場面を味わった。父に覆いかぶされて階段下までまっさかさまの紙一重の状態である。信者さんはふたりでやってきた。ところが新人さんは、私の後から階段を登ってきた。私が落ちれば、彼は巻き込まれてしまう。下で待つようにと指示するが、一向に意味を解してくれず、2回目の転倒の危機のときは、後から手伝うつもりで手を伸ばしてきた。意味がないのだ。私が声を上げると父がぐたりと身体をまかせてしまう。急場しのぎの人材は介護には向かないのだ。

お手伝いの礼を言って彼らと別れたが、私には夕食の買い物と下準備が待っていた。生協で買出し。野菜を刻んで、炊飯器を仕掛けて家を出た。訪問カウンセラーとカメラマンをしているKさんと会う約束があったからだ。父の件があったので、約束の時間を30分遅くして正解だった。Kさん、騒々しいところで申し訳けありませんでした。

その30分後から、あすなろ会の定例会が開かれていたが、このことは別の投稿で。

ホームから迎えが来たと父が怒鳴っているので、父の部屋から外を見ると、工事の車が止まっていた。朝の6時、私の就寝5時から1時間後である。母に9時まで寝かせてくれと頼んだ。


夜間傾聴:大森海岸君(仮名・傾聴にあらず)
     多摩センター君(仮名・こちらから)




(校正1回目済み)

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父のショトステイ先を探しつつ

2009-11-24 06:50:06 | 引きこもり
また父のショートステイ先から朝方電話がかかってきた。ナースコールを押さずに、おむつを下げて夜間、父が転倒膝に擦過傷を作ったという話。夜型の仕事に、朝型の要請がかかる。正直言って睡眠不足は極になっている。一昨日、翔の会主催の講演会は、実は前半、朦朧としていた。私の隣のKさんはびっくりしたのではないかと思う。

母は来月中旬に白内障の手術をする。今では日帰りの手術だが、眼科主治医が東京なので、連日消毒に通わなくてはならない。ところがこの頃、また冬期講習の予備要員ではあるが教室通いをしなくてはならなくなる。しかも、父のショートステイ先が空きが無いという最悪の事態が迫っていた。手術だけは地元でしようかという案もあったが、そんな状態で高齢者が介護などもってのほかと医師にたしなめられた。

父の身辺介護もそのような長時間は無理ということで、私が休むことが問題になっていた。私はハンデを抱えた生徒の学習支援を長年やってきたが、私の所属するふたつの予備校&私塾とも本来そういう子の指導に関心が無いところなので、私の後継者を作っていない。つまり定年間際だから、休めば退職の機会に化けてしまうという厄介な状態にあった。

父の一時預かり先を市外にもとめ、または入院という手もあるが、つい最近、検査入院当日、看護師の服とカーテンを引き裂いて暴れ、即刻強制退院させられた経過があったために、病院は無理だろうという結論をだしている。この入所先探しがこの1週間私を縛っている。本来仕事に使っていた家事介護の間が、追いたてられているための睡眠不足なのだ。小刻みに用があるので、まとまって眠ることが出来ない状態が続いていた。すくなくとも今週一杯は、市民活動と仕事と家事介護の谷間に仕事がくる形となってしまう。びっしりと用事がつまっているのではなく、その間は仮眠できる。ただ熟睡ができないのが堪えている。

あすなろ会も順調だが、バックナンバー販売が始まると、金銭管理が混乱する。この辺をOさんにまかせる必要がある。追加30部(50部がTさんの要望)を東京事務所に連絡をした。体に鈍痛を感じ始めたので、昨夜は集中して睡眠をとった。

夜間傾聴:中央公園君(仮名)
     ******君(仮名)


(校正1回目済み)

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翔の会主催発達障害関連講演とシンポに刺激を受けつつ、年度末企画を考える

2009-11-24 05:51:22 | 引きこもり
一昨日、翔の会主催の「発達障害の理解と支援を考える~生きにくさを支援する~ 岡田 俊氏講演とシンポ」に参加した。JHC板橋会関連の話の中で八木原律子氏が語っていた地域セイフティネットに橋渡しする優れた提案の「ナチュラル・サポート」が県発達障害支援センターのかながわAの方針として出されたのは面白かった。この件については、年度末の地域就労支援PJで、新春講演または年度末講演で取り上げる話を進めていたことだった。この新春講演とか年度末講演の件は後でまた取り上げる。

岡田氏の講演は、発達障害の特性解説ではなく、国際生活機能分類(ICF)にしたがって、生活環境や活動の中に困難を観るという線に従って、生活支援や就労支援に言及する豊かな内容のものとなった。広汎性発達障害やADHDの特性分類の最近の知見が盛り込まれ、情報としても鮮度を感じさせるものだった。特に重複障害の場合の診断基準の話は、納得の行くものだった。

ただ、こうした情報がどこで実際上の活動の必要性とリンクしているかということは、Q&Aのような対話的な論議の中でしか実際は生まれない。時間が押して、Q&Aが削れてしまうことは大変に惜しい。

話は年度末企画の話に戻るが、就労支援PJでは松為信雄氏>八木原律子氏というぐあいに、地域サイフティネットと就労支援にまつわる大きな地図を描くことに成功してきた。今年度は、就労継続支援A型のたい焼きショップと、小箱ショップのコミュニティカフェ「ゆめたい」が開店する中、現行の資産を法的にも利用しやすい旧来の就労支援の形式が取られている状況を踏まえて、そこを一歩踏み出すような転換期の実践を連続性を保持しつつ提案できるかという厄介な問題を抱えている。

リカバリーとヴィレッジ、クラブハウスという地域就労拠点(『センター』は請負的語感が残るので避けた。)から様々な社会的企業活動が生み出されてくるように、コンボまたはクラブハウスの見学を企画化。これに踏まえて…

「ソーシャルインクルージョンとしてのソーシャルファーム」を炭谷茂氏に語ってもらえないかと模索中。また地域起業の小口資金バックアップ基金関連の「マイクロファイナンスを日本で立ち上げることは可能か」菅正広氏や、「IPS の発想を地域に」松為信雄氏というような、この間の年度末講演会と連動する大風呂敷を(他の団体がやらないので<リカバリーは藤沢がやったが…)今後のために拡げたい。

『わーく』編集部の方は、ADD+LDを抱えた当事者が起業するに至る苦心談を懇談形式で2月以降に1回持つ。『わーく』のインフォメーション&DBの基本形式のDAISYにも通じている方。

『わーく』はコミュニティカフェの応援や、地域に潜在化する引きこもり青年や、広汎性発達障碍、ADHD 、鬱や統合失調症などの方の当事者同士の交流促進を図る携帯オンライン画像ネット放送を行っていく。

ところがここには、機械操作無理という親御さんの分厚い壁がある。フォトフレーム利用や、就労支援ツールとしての携帯電話付加機能の有効性を説得に使いたい。使用済み携帯は、無料で計算機・メモ・スケジュラー・画像表示機・カメラとして使える。特別支援校の高等部の就労支援授業の中に、この携帯電話の指導案を組み込んでもらうための提案を行いつつ、社会生活・就労のスキルバックアップに使えるため、高等部からも活動の市民権を得たい。

以前歯科技工士さんの懇談を開いたとき、スペア本人の会のまりもさんたちには助けてもらった。全く周辺の関心を喚起できなかったのだ。今回も同様のことが考えられるが、南雲明彦さんたちの仲間の**さんに起業にまつわる話を伺おうと考えている。

また香川大どうしのツール研究者の坂井聡氏、宮崎英一氏たちが出した書籍「ケータイで障がいのある子と ちょこっとコミュニケーション」の就労支援版を中邑賢龍氏に語ってもらえないかと財布開きつつ検討中。

今後は職場取材が始まるので、企業就労の公共DVDを見ながらハローワークの関係者と語る企画も考えている、とりあえずDVDを入手している。このシリーズは県の関係者にも連続企画を10月に申し込んである。

まずは『ナチュラル・サポート』は知的・発達・精神横断の地域生活・就労支援の活動提案なので、ここからが妥当かなとも思いつつ。

<参考資料>

●「日本での導入論に議論活発化 『マイクロファイナンス』のメリット・デメリット」

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11/16Big Issue 佐野代表を囲む懇談会を振り返って/地元の問い合わせが増えているものの…

2009-11-22 07:19:18 | 引きこもり
11/16 茅ヶ崎さぽせん(市民活動サポートセンター)を会場に、ビッグイシュージャパンの佐野章二代表と、販売サポートの宮田さんの2人をご厚意で来ていただき、「あすなろ会」主催の路上生活者支援関係者の「懇談会」を開いた。20名弱が出席。特徴は、従来から湘南や横浜・寿町、神奈川県をフィールドに路上生活者支援を行っている方たちが集まったということで、サポセンの構成団体有志が中心という当初の予想ははずれていた。

その関係で、佐野代表の講演は、ビッグイシューを媒介しつつも、路上生活者を生み出す社会的背景や、その支援の形と勘所の話など、ざっくり論点を切り出し、釜ヶ崎・山谷・寿町のような日雇い労働者のいわば「寄せ場」の活動と野宿者の支援の差を語ることを通じて、湘南の支援の形を固める初動提案となった。

このあと、参加者の自己紹介を加えながら、湘南の支援ネットワークを拡げることについて、意見を出してもらった。ビッグイシュー販売員のTさんと、販売員候補(現在研修中)のEさんから、湘南版のガイドブック作りをはじめる提案があり、改めてガイドブックの目的の性格決定を行う集まりを呼びかけることを決定。早急に呼びかけチラシを配布をすることになった。

キリスト教会系のひとたちが多かった。社会的弱者支援の視点から、領域を超えて活動を拡げることを今回も話が出たが、一緒にやる協働の活動とはどんなものかと考えるが、それが、すでにある活動を拡げていくことではなく、初めから作っていく活動の場合、なかなか個別性(野宿者支援)から拡げることができないつながりの悩みがある。今回の非参加者も路上生活者支援といっても、自分の抱えている活動とどのような関係があるのかが見えてこないのだろうか、特に障碍者支援の方の参加が、事前に拡げていただけに寂しかった。

議会関係者としては、日下景子県議が参加、議論に加わってもらった。寿支援者交流会や湘南「きずな」の高沢事務局長から、ガイドブックの的をもっとしぼるべきとのコメントをもらい、他の参加者からも「希望」という名の支援活動を立ち上げるという紹介も加わった。ともかく、これからネットワークを育てていくうえで、多様な可能性が出てきたように思う。

佐野さん、岩田さんありがとうございました。参加者の皆さん、ガイドブックを作りましょう。

----- この日、販売希望のAさんは、ビッグイシューの面談をおこなった。3日後、あすなろ会にEさんの仮IDカードが送られてきた。まずは茅ヶ崎2名体制で販売を拡げていく。

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ここ1週間、ばかに地元からの就労相談や、支援活動への合流申し入れが増えている。悲しいことだが、その方たちの意向を引き受けることが出来ずに申し訳なく思っている。

私の活動は、手帳を持っていない地域に潜在している引きこもり青年たちと、手帳を持った方との接点に立つという境界線のオンライン&巡回活動なので、家族の方が要望される「居場所」を持っていない。加えて支援者候補の方については、巡回指導が私のスタイルなので、チーム支援の芽が育っていない。その意味で要望の受け皿がないという情けない状態がある。

その中のひとりの親御さんとの面談は、まさにその典型だった。居場所と面倒を見てくれる方が欲しいと私は問われた。私は学習指導や夜間の破滅ストッパーであって、引きこもり青年との活動を模索している者だ。一方では危機の中の前線に介入し、他方では就労支援の場に立つ。だから日常活動を生み出せる立場にはいない。その日常生活支援は現状では、他の団体を紹介することになってしまうことを説明した。これでは私の活動は育たないという矛盾がある。相談入って嬉しくもあり、無念でもあり。

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昨日は久々に、不登校・引きこもり関連の県NPO研修講座に参加した。完全にカウンセラー対象の講座なので、ケースカンファのような内容で、なかなか論点が豊富で面白かった。また後送りだが、後日報告する。

<これからの企画紹介>

●「かながわコミュニティカレッジ」

<気になる新聞記事>

●「精神障害の長男殺害・遺棄事件で父親に懲役12年 徳島」
●「10代自殺10年で最多」
●「学校側、いじめの可能性を認識 沖縄・中2暴行死」
●「中学生6対6のけんかに決闘容疑 大阪府警11年ぶり」

●「お年寄りへの虐待1万5千件 08年度、1割増加」
●「介護施設内で父親殴り、死なせた疑い 42歳長男を逮捕」


夜間傾聴:□□君(仮名)
     中央林間君(仮名)


(校正2回目済み)

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EさんのIDカードが届いた/融通の利かないホームに向かい…

2009-11-21 10:29:57 | 引きこもり
Tさんと偶然、サポセンで出会った。Eさんも一緒だった。Eさん用のビッグイシューの販売員IDカードが届いたのだ。Eさんは、1ヶ月間Tさんの指導で研修する。茅ヶ崎駅頭で、彼らを見かける機会が増えるだろう。是非冊子を手にとって見てほしい。出先だったが在庫チェックが必要になって、確認。イラスト表紙の号の売れ残りが目立つ。ふたりにバックナンバーの販売促進を頼む。

橋本巡回に出かける矢先、父のショートステイ先から連絡が飛び込んだ。持参した衣類と常備薬に不足があるとの連絡。ウィークデイになってしまうので、すぐに届けてくださいとの話。やり取りの結果、一度家に戻り届ける結果に。この手の不足分、施設の内規によって差がある。今回は安全カミソリのことも。あるホームでは大丈夫だが、もうひとつのホームでは電気カミソリ以外は認めないという具合。対応表を契約時にもらうが、何回かホームを利用したり、複数のホーム利用で忘れたりしても、大概、表を失くして間違いが増える。しかし、即揃えて欲しいという要請は酷だ。ショートステイは、家族が遊びに出かけるために年寄りを押し付けるというものというより、家族に抜けられない用事が重なったり、休息をとるために、依頼するサービスだ。その貴重な時間が奪われてしまう。

ともあれ、母には無理な仕事である以上、私が出る以外なく、橋本巡回を駅前合流をやめ、家庭訪問切り替えを先方に頼み、タクシーで家に戻り、用意してもらった荷物を抱えて、そのまま施設に乗り付けた。ところがすぐに戻ることが出来なかった。父が帰ると言い張り、暴れていたからだった。

理由は車椅子生活の拒否。排尿の事前連絡放棄などで注意を受けたことに反発したようだ。立ち歩き転倒を避けるための措置なのだが、いう事を聞かない。担当者を替えてもらえないかと頼んだ。男性職員が入ったら一応治まった。父は一度気に入れないと思った職員のいう事は、すべて聞かない。結局これしかないと説明し、父のわがままを通してもらった。夜間にこれが起きたら、即刻退所という話は、人手不足の実態はわかるが、とんでもない規則。これでは遠出ができない。いやなら他の施設へと、最後は紋きり応答が待っている。

すぐにタクシーが来てくれる場所ではないので、車を待たせていた。父をつれて帰れという話ではないからと自分に言いきかせつつ、こんな鬱憤をもって面接指導などできはしないと、頭を冷やした。

駅前にもどり、タクシー支払い4千8百円、予定1時間半遅れで相模線に乗り込んだ。ところが家庭訪問に変わったことが、先方はいやだった。父親が帰宅する時間だったのだ。宮山を通過するあたりで、先方からキャンセルの電話。急変更の私が悪い。再調整して今回は茅ヶ崎に戻ることに。父の挙動がすべてに影響してしまう。信頼を落とすことにつながる…。夜空に伸びをする以外なかった。

気を取り直して、駅前で食材の買い物。店の前で市議の**さんと出会う。路上生活者の話を議会で取り上げるとの話。最新号のビッグイシューを渡した。買買い物途中で、明日の横浜の引きこもり支援者研修のことを思い出し、帰りに寿町にいるNくんと会う仲介を頼むことを思い出して電話、…出ない。空転ばかりが思い浮かぶ。ぶっつけ本番、帰りに回ってこようと決めた。

家に帰って、荷物を開いておどろいた。レモンがキウイに化けていたのだ。


夜間傾聴:□□君(仮名)
     中央林間君(仮名・こちらから)

p.s. □□君との話を終えたら、限界がきた。電気ストーブを抱えて眠ってしまっていた。端末機を持って出かけるが、おそらく書き残しは今夜になってしまうだろう。すみません。

<DVD購入申込済み>

●「教材DVD“「ホームレス」と出会う子どもたち”完成記念上映&トークライブ」


(校正1回目済み)

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父は横転した擦り傷を抱えて4泊5日のショ-トステイに出て行った(戻ってこなければいいが)

2009-11-20 16:00:27 | 引きこもり
----- この部分は2009/11/19 朝、書き込んだものを加筆しています。

--- ここから ---
東京中小企業家同友会の講演会からの帰りは、深夜バスを使うので帰宅が遅くなった。そのバス停で寒さに震えていた頃、母が私を待ちきれなくなって、消灯前の父の着替えを始めていた。母の介護は文句が併行するので、父が苛立ってトイレに立った。そしてトイレの前、動かなくなっていた半身側へと真横に父が倒れ、ポータブルトイレとサイドテーブルの隙間、20cmほどの間に、頭をベッド柵に叩きつけるように倒れ、はまりこんでしまった。油断できないのだ。

この隙間の父の頭側に出るには、ベッドを270度回り込まなければならなかった。この途中で母がつまづいたのだった。足を引きずり、父の頭側に出た母は、どこから手をつけていいか分からず呆然としていたという。そこに父は必死でしがみついたから、狭い空間に母もしゃがみこまされてしまった。

私はそんなことは全く知らずに玄関を開けたところ、母のスリッパが階段したに脱いであるので、先に着替えを始めたなと思い、階段を上っていった。隙間から父の両足がにょっきりはえているように見えて驚いた。悪臭が漂ってきた。下半身が裸、その状態で尿を漏らしていた。母が物陰から、動けないと訴えていた。父が母をつかんで離さないのだった。

周りに崩れるものがないかを確認し、母の救出に回り込んだが、母の頭側に回り込むことが出来ず、ベッドに乗って、父の腕を引き離した。無我夢中で父は私の腰にしがみついた。母は抜け出すことが出来たが、あばら骨を打ったと、部屋のソファーにうずくまってしまった。

母には父の介護は無理である。コンクリート塊の足をつけたポータブルトイレを持ち上げ、サイドテーブルを移動して父をころがした。持ち上げれば私の腰がやられてしまう。うつ伏せから立ち上がらせるまで15分以上かかっていた。指示が理解できないのだ。父を椅子に座らせて清拭、着替え。ベッドにもどしてから、ソファーに座り込んでいる母を介助して階段を降ろした。

バケツを持って上がり床掃除。家具をもどしてポータブルトイレの清掃。母の状態のチェック。汚した衣類の洗濯。食器類の洗浄…。そこに頭上で父の崩れる音。部屋に駆け上ると、父は椅子の脇に座り込んでいた。椅子を支えに引き起こし、父の過敏になった排尿介助、ベッドに戻したところで父が大きなくしゃみ。隣の家の窓が開き、雨戸が閉まった。午前3時を回っていた。

傾聴用携帯が鳴ったのは、それからまもなくだった。□□君が約束のメールを送ってきたのだ。返信をしチャットメールに入る。□□君と交信していると、変換間違いが多いのに気が付く。彼のレスポンスは敏速なので私が追いつかないのだが、その待ち時間がほんわり暖かいのが分かる。それが彼の魅力である。チャットを済ませて、レポートをまとめて本校に送って一段落。午前8時を過ぎていた。ここで父の朝食と紙パンツ交換をして、仮眠となるのだ。普段より3時間遅いが、この8時の父の朝食は変わらないので、帰って連続している分、負担が少ないのだ。


--- 2009/11/20朝 書きこみ分
 11時に生協の配達分が届く。母が出ないので応答に出る。仮眠2時間程度。寝るわけにいかず家族の昼食を作る。14時からは、サポセンで、久々地元の面談があるから、13時過ぎには出かけなくてはならない。海老名の巡回は彼が始めるバイト先のすぐそばで話すことになったが、18時どころか逆に20時の指定がかかった。事情を知ったオーナーが、彼の了解を得て、同席して話す事になったからだった。私は16時から、あすなろ会会員のOさんと前回の定例会報告をすませ、鶴が台のYさんを取材、そこから北茅ヶ崎駅から海老名に向かう予定だったが私のミスと母の電話で空転。一度家に父の薬を届けてから再出発することに。主治医に処方箋をもらって、12系統辻堂駅南口行きに乗って、母ご指名の「ゆめたい」に立ち寄り、あずきたい焼き3匹をしこみ、玄関先で薬とたい焼きを手渡し、すぐにバス停に戻って海老名へ。(全く融通を利かせてくれない…。)

昨日父は転倒時に顔の側面に擦過傷を作っていた。ところが私が朝、父に朝食を出すまで全く気付かなかった。それほどに視線を合わせることが負担になってお互いの顔を見ていなかったのだった。隙間転倒が響いたのか、父はトイレに起き上がる以外は静かだった。おかげで夜間は母からの電話もなく、相模線の往復は貴重な仮眠の場となった。とにかく波があるが無事一日終了。

父は今朝10時から、ショーステイ4泊5日に出る。と言っても1日は施設に覘きにいくので、内実としては3泊4日の感じである。しかし母が喜んだ。父が出て行くのと同時に美容院にでかけ、明日は稽古事の発表会ということで羽を伸ばす。私は横浜でNPOスタッフ研修会「発達障害の傾向がある青少年の理解と支援」に参加する。この日、早稲田奉仕園では試写会「『ホームレス』と出会う子どもたち」が行われている。こちらはDVDを入手することにした。あすなろ会で観てみることに。

今日の巡回も夜。昨日14時の面談のとき、忘れ物をした袋を受け取り、図書館回りして、橋本へ。

p.s. 佐野代表を囲む懇談会と、鶴嶺高の撮影画像をOさんとMさんに分けてくれるように御願いした。あすなろ会会報・『わーく』再刊1号用。今夜あすなろ会記事を書く。

夜間傾聴:□□君(仮名・11/19朝)
     大森海岸君(仮名 同)
     ******君(仮名・11/20朝)

(校正1回目済み)

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路上生活者とフリマ・バザーの実行委員会参加の壁他

2009-11-19 08:22:10 | 引きこもり
Tさんが、市社協のバザー会場の販売を申し込みに行って断られた。実行委員会に参加していなかったのでという理由、申し込みが開催日1週間以内と、遅いことがもうひとつの理由だった。バザー開催の情報を掴む事が遅いことが、段取りが後手になる原因であるが、「だめでした」とがっかりした声で電話がかかってきて、もどかしい気持で話を聞いた。

Tさんの話によると、上記の理由説明のあとで、会場の公共施設の事務所に行って、敷地内の販売を頼んでみてはどうかと勧められたという。「それって、だめですよね」とTさん。公共施設内の販売では、バザー以外の利用者も一般通行人として対象になることもあるが、もともと公共施設内の「販売」はダメなのである。

Tさんとの話では、確かに申し込みの段取りは遅いが、私と一緒に行って、路上生活脱出を目的にした販売であることから、バザー会場内の立ち売りを、検討してもらえまいかという御願いをすることになっていた。

市の推進する地域のフリーマーケットや、ある工場敷地を提供して行われる市民バザーも、この話の前に、実行委に参加していないことで断られた経過の後の出来事で、私も懇談会や県立高校の講演などの話に準備に覆い隠されて、すっかり忘れていた。私に頼らずTさんは正面突破しようとして、三度目の敗退を味わった。その積極的な気持ちはすごいことではあるが、路上生活者の現状に無関心で差別的な社会の中では、切り込み方が直線的過ぎる。さてどうしたものかなと思いつつ、今日、社協に行ってみようと思っている。

社協ではビッグイシューに関心を持つ職員の方が複数名いらして、毎号立ち売り販売の場で、購入後、社協職員に公開して下さっている。今回はこの方も立ち会っているとのことだった。

「私は社協の理事長さんに社会的弱者の就労支援の件で、いつも話を聞いていただいているから、聞いてみる」とナンセンスな発言をTさんにしてしまった。Tさんから「やっぱり偉い人から言ってもらわないとだめなんですよね」と返答があり、自己嫌悪。「販売の意味をまず伝えないと、一般論でさばかれてしまう。お偉いさんから話を持っていくというのは、反則だよ。私の方が変だ。」とTさんに伝えたが、まずいなあという思いが広がっていった。

しかし考えてみると、現実的な問題、実行委員会にTさんが参加できるだろうか。私は市民活動をしている者として、この手の会合にでる頻度負担のしんどさをいつも経験している。勤務時間や家族の家事を割いて会合に出席するからだが、路上生活者には、これも一般論で彼らに時間はあるが、路上生活者という事情を抱える者が公の場に参加するしんどさを考えると、私なら実行委員会論議を踏んで来いとはとてもいえない。参加申し込みをしたり、何回か話し合いに参加する必要はあるが、この辺の、しんどさへの理解を担当者に伝えないと、バザーやフリマ販売は絶望的だと思った。

しかし、それではと、私のような支援者の代理人が出席して事足れりとは思わない。ボランティア講座に呼ばれ、物怖じせず高校の教壇に立ち、自分達の状況を説明するTさん、それはすごいことではあるのだが、声の通らない情けない講師の私から見ても、正直言って状況のつかみ方や段取りが下手なのである。対話の土俵に互いを乗せないと、話は空転してしまう。その段取りの中に、事前に路上生活者の心のハンデを伝えておかなくてはならない。難しいことだが、これは交渉のマナーに関係している。

私は代理役はしない。彼に連れ沿って支援する。ただ今回は見通しが暗いなと思いつつ、今後のことを考えて、彼らの参加の道を緩やかにする交渉をしてみようと思う。もう一度彼の話を聞いてくれればいいのだが。

私は市民活動サポートセンターというその手の情報の集積点にいる。その場にいながら、私は何をやっているのだろうと思いつつ、考えてみると、この手の情報は関係者の口コミに閉じていて、私も漏れてくる情報を引き出すようにして情報を得ている。しかし、公的な企画なり、その分野の行事企画の準備日程が、聞き耳をたてていないと流れてこないのは、私の活動が地域の市民権を得ていないなと反省しつつ、この手の内輪の壁の沈黙探査をTさんにかぶせるのは酷だと思うのだ。

だれも意地悪しているのではないと思うだろう。しかし、流れていないところには本当に情報は流れていない。口コミが親和ネットに閉じているのだ。

やることがまた増えたなと思っている。気付けば問い合わせする。しかし見えない、聞こえないでは、企画に気付かないからだ。

バザー、フリマはビッグイシューの理解者、路上生活者支援活動の理解者を増やしていくには格好の場所だ。だから門前払いの轍を踏まないように、打開策の糸口を開いておきたい。

これは私の関わっている長期引きこもりや、自閉症スペクトラム、ボーダーの青年たちの活動にも同様の問題が出てくる。社会参画の敷居を下げる、契機提供の環境整備しておくという必要があるということだ。

Tさんには、「あすなろ会」の会誌を不定期でもいいから、出そうよと話している。しかしここも発行のスキルアップが必要なことを別件資料作りをしたとき感じていた。紙面を会員のOさんに今回は頼んだが、非効率でも、発刊配送の段取りを彼らに参加して、つかんでもらおうと思っている。

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今回、ビッグイシュー佐野代表を囲んだ懇談会の話を書くつもりでいた。これは次回に回させて戴く。申し訳ない。

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昨日は父のデイサービスの日。朝8時半から階段介助のヘルパーさんが来る前に朝食。を作って食べさせた。いつも9時にホームの送迎車が到着する。少し目覚める間を空けて行い、父の心身の目覚めの時間を取った。

ホーム男性職員のFさんが迎えにくる時だけは、誘導に従い、歩行器や、階段際下段の一時休憩用の椅子も不要のまま、ホームの車椅子に座り込み、出かけていく。この信頼度の違いが、ちと癪に障るのだが、特に夜間騒いだその日は信頼度というより、父が寝惚けており、ベッドから椅子に誘導中に居眠りを始めることもあったから、間を置いたのだった。

父の異常はすぐにわかった。歩行器を利用すると「コ」の字が麻痺している側の方向に回ってしまうのだった。階段を降ろすと、悪い方の足がぶらりとつり下がり、振り子のようにゆれてしまうのだった。最後の段、父は足を滑らせ、私に覆いかぶさって、危機一髪、私は父を椅子に投げ出したのだった。

肝を冷やした。

送り出すときがこの状態なので、帰宅時の16時半から17時の受け入れの階段介助は、慎重にしなくてはならなかった。昨日は父を誘導した直後に出発し、18時半からの渋谷で行われる東京中小企業家同友会の会合に飛び込む予定でいた。どう考えても30分遅刻だった。

ところが昨日は送迎車が渋滞に巻き込まれて、到着が17時20分となり、押されて渋谷へは一時間近くの遅刻になってしまった。母から後を追うようにして、マフラーがないとか、父の着ている下着が我が家のものではないというような、メールや電話が飛び込んできていた。母に様子をきくと、父は今、寝ているという。父の体調が悪く、勝手に歩き出したり、危ない状況が生まれやすい状態だっただけに、母はひとり不安だったのだろうと思う。

会合では、私のように非企業の参加者は、テーブルは、いつも「その他」のグループに束ねられ、障碍者採用の気持がある経営者との出会いと職場開拓の接点作りには、なかなかそのままでは結びつかない状態だった。大東コーポレーションの特例子会社、大東コーポレートサービス(株)の山崎社長の講演とQ&Aを兼ねたバズセッションの最中に、母からメールが飛び込んできたのには参ってしまったが、一応の収穫を得て家に戻った。

父は下半身を脱いでいたが、転倒も階段昇降もせずに、ベッドに座ってTVに見入っていた。まもなく0時になろうとしていた。辻堂駅から深夜バス23;33があったので、タクシーを避け20分近く待っていたため。帰宅が遅くなったのだった。

母がむっつりしたまま、事件が起きたらどうするのかといわんばかりに、黙って寝室に去っていった。父が事を起こしたら、訪問看護師さんや、SECOMの介入を求め、私に緊急招集をすぐにかける約束があった。決して自分で始末しないようにと話し合っていた。しかし、こうして実際の場面となると母に不安がのしかかってくるのだった。相模大野や町田、橋本などの仕事の巡回先も行かないで欲しいといわれると、やはり悩む。母にとって渋谷は論外だった。

父の部屋に行き、夕食の食器がそのままになっているのを下げようとすると、私の背後で箸を持った父が、「食事は、こっちに置いてください」と私に声をかけた。私の持っている盆には箸が乗っていなかった。父は箸を離さなかった。私を職員と間違えていた。これにはため息がでた。活動は、うまく隙間を抜けて行く以外にないのだ。

今日も昼間1件相談。夕方Oさんと相談をしたあと、すぐに19時から巡回だった。調整がついたら18時台に面談時間を早めてもらうことにした。海老名である。

<入手した書籍>
●「僕は、字が読めない 読字障害(ディスレクシア)と戦い続けた南雲明彦の24年」
●「発達障害白書2010」
●「奇跡の医療・福祉の町 ベーテル 心の豊かさを求めて」
----- 最後の書はキリスト教的ユートピアの紹介。信者・賛同者の寄付を土台に営まれる自給自足都市の話。この閉鎖系の発想が注意しないといけない発想。私の発想とは異なる。が、面白い。




夜間傾聴;******君(仮名)

(校正2回目済み)

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11/13茅ヶ崎・若松町コミュニティカフェ「ゆめたい」開店の遅ればせレポート

2009-11-18 07:54:30 | 引きこもり
日がどんどん過ぎていってしまう。

13日の茅ヶ崎若松町の「コミュニティカフェゆめたい」開店日、私は夕方お邪魔した。店の看板というのは不思議なもので、それが掲げられたことで、店の意志が見えてくるのだ。看板がかかった火の夜中、私はバスの車窓から看板を眺めていた。

参加を見合わせてた店に踏み込んだとき、ごろりと男手がたい焼きをさばいている姿、行列に押されるように壁に張り付いているスタッフ女性軍の緊張しているが疲れの見える表情だった。開店したんだなあと逆にそれが教えてくれるような光景だった。

しかしもうひとつ、視野に入るすべてが縮んで見えた。たい焼きを待つ行列が外にならぶようになったとして、車椅子の方が入ればかなり狭くなってしまう。この行列が治まったとしても、小箱ショップの商品配列はまだ工夫が必要だった。後で知ったのだが、諸品はとりあえず配置したのだという。透過光で映える商品は、街路側であろう。視座も片側からではなく背面から見る必要がある。これからの配置の工夫で、変わっていくだろう。

しかし、始まったのだという興奮と併行して、このスペースが、落着いた居場所になりうるだろうかという疑問が起きてきたのは、やはり現場に来ての感覚だろう。もう少し落着いてからまた覘いてみようと思った。たい焼きを焼くメンバーの表情とも出会いたいし。

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案外遠方からのお客さんが多い。関係者のCM効果なのだろうか。

たい焼きの焼け具合は次回のお楽しみという事で。

●「施設では茅ヶ崎市内初 障害者と雇用契約~「夢ある街のたいやき屋さん」が11月13日にオープン~」
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認知症とプライド

2009-11-18 07:10:19 | 引きこもり
父のせん妄について、鶴嶺高の講演授業後の夕方、私の古い友人に電話、経験を伺いました。私と同じ私塾講師であり、10年前に認知症のご母堂を看送った大先輩なのでした。父とは異なりアルツハイマー型の認知症で徘徊がありました。奥様が視覚障碍を抱えており、別居の妹さんの支援を受けつつ介護をしていました。それは壮絶な戦いとなっていまして、徘徊中のご母堂を路上から連れ戻すときに警察に通報されるなど、特異な体験をされました。

その頃、都内の精神科を転々とされたようで、それは介護老人ホームから他害の件で追われたものの、入院には躊躇した結果、ご自宅で突然逝去されたという話なのです。

父の主治医は紹介状を書いてくれるだろう。だが入所待ち状態で精神科受診して何が得られるのだろうという思いでした。勿論精神科を牢獄のように思う誤解はしていないつもりです。薬物が父のQOLを下げ、他害を抑えられたとしても、今の困難は歩行可能という状態に規定されているところがあって、寝たきりになれば、またそれはそれで問題が噴き出てくるが、そこへの移行は短いと思えるという迷いは、先輩の経験対話を通じても晴れませんでした。

結局、主治医の診療時間を過ぎてしまい、その間も父は部屋を徘徊して、家具を倒していました。しかしその追い詰められるような気持は、昨夜最終(?)の紙パンツ交換の際、突然転換したのでした。

「気違い病院に入れたきゃ、入れればいい」

という虚勢を込めた言葉でした。母が口にしてしまっては、いるものの、見事な状況認識、差別用語ではありますが、せん妄と乖離を口にするのは早いと思わされました。

介護者との関係の信不信という直線的な関係ではなく、そのもうひとつ裏。泥沼と知りつつ、先送りをすることにしました。薬物をめぐる話であってOT(作業療法士)さんと組めないかなという思いも出てきたのでした。

似ているんだよなあという思い…。引きこもり青年の家庭のことでした。

夜間傾聴:□□君(仮名)
     ******(仮名)
     多摩センター君(仮名)


p.s. 5時台、父の押入れ捜索>転倒>大声 ため息つきつつ、ベッドへともどす。大声は最近顕著になっていました。就寝後これで3回目。オムツは乾いているのです。

(校正1回目済み)
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昨日のビッグイシュー佐野代表を囲む懇談会は盛会でした(詳細後日)

2009-11-17 09:39:37 | 引きこもり
報告したいレポートが山積しています。手が放せない状況があって、徐々に書いていきます。

昨日のBig Issue Japan の佐野代表を囲む懇談会は20数名の会となり、路上生活者の問題とは何かという基本的な課題を佐野代表から語っていただき、様々な関わりの方から、論点が噴き出して、今回限りではとても収まらない内容となrました。ガイドブック作りの話もあり、追ってレポートします。

今日は、11時半から県立鶴嶺高のボランティア講座に行きます。

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父の認知症の悪化。せん妄が入り、夜間室内徘徊と家族を呼ぶ大声。階段戦争が始まっています。親戚の葬儀等の重なりで、私たちの動きがおかしい事を察知しているように見えます。

今日は、夕方、主治医に精神科への紹介状を書いてもらいに行きます。高齢者外来と言っても、地元は実態が見えているし…。搬送手段見通しがらみで、相手を決めることになりそうです。

今回は、端折りですみません。

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葬儀の混乱を超えました、すみません/学芸大の発達障害者の居場所と就労支援地方版研究会に参加し

2009-11-16 07:08:56 | 引きこもり
父の急なショートステイは、周辺に無理を強いつつも、なんとか本人を納得させつつ、ホームに送り出すことができた。問題はホームで一眠りしたあと、いつもと様子が違うことに気付くことだった。葬儀の件は大半が忘れているだろうが、中途半端な記憶が帰宅を促すかもしれなかった。無事2泊、連絡なしで過ぎてほっとしている。

母の嘔吐が母を困らせていた。単なる不調というのではなく、胃切除した方は、一生突然のダンピング(逆流と嘔吐)に各人程度差はあれ、苦しめられる。父の兄の急逝のため、母と私は父の実家の通夜の手伝いに向かうことになった。先方は老夫婦だけで生活していたが、父の宗教の教義によって母の両親が病症の枕元で仏壇を焼き、墓を偶像崇拝として遠方に移したことで死期を早めた経過を察し、父との兄弟の縁を切ることになっていた。だから母や私への恨みがあるわけではなく、通夜にかけつけた母は、拒絶されることはなかったが、一線を引かれている状態は変わらなかった。

通夜に男手はいらないと、初めから排除されていた関係で、私は、もともと予定していた東京学芸大の「発達障害者の居場所作りと就労支援」の研究会に参加し、帰りに母を迎えに行くことにした。

しかしこんなときでさえ、冗談のような失敗が起きるところだった。母の嘔吐の介助のために、結局寝たのが4時、家を出るのが7時半という状態で、寝入ってしかったためにバスが1本遅れてしまった。ところが辻堂駅に来たのが
「JR湘南新宿ラインの『小金井』行」だった。使ったことのない車両だったが、近くまで直行できると勘違いし、席に座ることができたので、居眠りをしてしまった。幸い池袋で異常に気が付き、新宿に戻って「武蔵小金井」に向かうことが出来たが、「小金井」とは宇都宮線の栃木県下野市の駅だった。普段気にしていない証拠だった。

武蔵小金井は、重い記憶がある駅だった。また直接構内にはすでに15年は行っていなかった。今年も10月にLD学会が開かれているが、前回は1994年のこと。正門脇のコンビニもない時代のことだった。

今回の研究会は北信圏域と滋賀県が中心の関係者の会であり、全くの部外者だったが、何人かの知人研究者からショートステイと就労支援を組み合わせた研修プログラムのことや、新職域開拓の話が紹介されていた関係で、お邪魔してきた。内容は企業就労一本だが、いわば引きこもり青年の地域サポートを含んでいたので、生活・就労支援の枠組みの窓口が広いことが、地方型の特徴となっていた。神奈川の枠組みと違う話が得られた。特に地元就労の受け皿が小さい地域の就労支援は、若年健常者の県外流出の留守宅の話のような特殊性を持っていただけに、高齢者介護支援などの地域課題への地元起業の発想が入りやすい状態にあった。この辺を私は聞き耳を立てていた。残念なことにその部分の情報は入らなかったが、種子島のような特異な就労事例とか、大阪「み・らいず」のようなフリースクールが混在しているレポートはその出会い方が新鮮だった。「困り感」とか「生き辛さ」という国際生活機能分類以降の視角変更が互いをつないでいた。都内都教委の障碍者就労支援担当者のOさんと、話すことが出来、みやげもできた。

新宿で帰路一時下車し食事。東京に出て父の実家に向かった。

私の従姉は女性の従姉が多く、すでに20年近く会っていない者もいた。遠方の者は、休みを取って車で駆けつけた家族もいて、宴会のような騒ぎだったが、母は部屋の片隅で孤立していた。嘔吐で疲労が溜まっているので、無理して親戚と戦わす、一応役目を済ませた母を説得し、長居せず、先に帰ることにした。友引の月曜日を避けた火曜日の告別式は、この状態から、私たちは遠慮できると判断し、通夜だけでふたりとも帰宅することにした。鶴嶺高校の講演会は、母が父の世話を出来るので、こうして初めからの出席が可能になった。

忘れていたのは、今日の懇談会の金策だった。新札を降ろすことが出来なかった。失礼かなと思いつつ封筒に。

母と帰りに寄った店で食事中に、藤沢カトリック教会の*さんから電話が飛び込んだ。最終相談となったが、鶴嶺高校の方が来校者制限で調整が必要になるかのしれず、今日の懇談会後対策を打つが、学校は四角四面の防犯対策がからむ場なので、頭が痛い。

しかし、あすなろ会会員Oさんや、ゲストの*さんの方からも、今まで交流のなかった教会系の方を含んだ出会いが実現する。湘南版ガイドブック編集をとおしてネットワークが立ち上がることを期待している。

しかし今回の学芸大の研究会から、私のホームグラウンドは、引きこもりと軽度発達障碍の青年の地域就労と自立を支援するところにあるのであって、「貧困」に活動領域を拡げる場合、両領域にまたがる課題、例えばマイクロファイナンスの更に小さな「ナノファイナンス基金」のような企画を立てていくことが中心になる。貧困の課題の正面からの取り組みは、問題意識とは別に、実態の活動が拡散してしまう。だからしっかり会員を増やしていくことだ。

朝10時半には父が帰って来る。父には父の叔母が無くなったことにしているので、話に要注意。しかし、生きている方を殺してはいけない。ごめんなさい。

若松町ショップ開店の報告は、また、後になってしまった。申し訳ない。


夜間傾聴:□□君(11/14・仮名)
     大森海岸君(11/15 傾聴にあらず)
     留守中の電話、ごめんなさい、出られなかったのです。

(校正2回目済み)

p.s.みやげ話あり、スペアちがさきのYさんと会う必要あり。

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父を臨時のショートステイに追い出したところです

2009-11-14 15:24:57 | 引きこもり
今朝、父の兄弟が急性心不全で亡くなった。86歳だった。先方も年寄り夫婦だだけで住んでおり、私の従姉妹たちは他の家に嫁いでいて、そこから通いで老夫婦の面倒を見ていた。心臓にペースメーカーを埋め込んでいたが、妻が夜中にトイレに立ったとき、すでに息を引き取っていた。夜起きている我が家に電話が入ったのが3時前。我が家は昨日まで、母が胃切除した後遺症のダンピングの嘔吐で夜中じゅう苦しみ、その物音に気付いた父が「大丈夫か」と危うい足取りで階段を降りてきてしまう板ばさみ騒動があっただけに、皆疲れて、私以外は寝入っていた。急に気候が寒くなったせいかと母と話していたが、これはこれで、困った問題の種になりかねなかった。父が葬儀に行くと言い出すことだった。

直接の世話は娘夫婦たちがやることなので、私たちは急に飛び込んだ葬儀の通夜の手伝いに出ることにした。段取りが遅れたか斎場の関係か通夜は明日の日曜日となり、告別式は一日空けた火曜日となった。ここで困ったことが起きてきた。日曜日私は武蔵小金井の学芸大に早朝から16時まで行っており、母が通夜の応援に出るとなると、父がひとりになってしまうことだ。いくら早く戻っても帰宅が18時には、なってしまう。今回は私は抜けることが出来ないので、夜の明けるのを待ってケアマネさんと相談した。

父は便が溜まってくると機嫌が悪くなり、家に帰ると言って暴れるので、訪問看護師さんに、浣腸をかけてもらい、その条件の上で、臨時に今夜から2泊3日のショートステイを組んでもらったのだった。

しかし、父に理由を尋ねられたとき、そのままのことを言えば「葬儀に出る」が始まってしまう。父方の親戚とは、父の宗教をめぐって昔ひと波乱あって半絶交状態だった。だから父の出席は父の体調問題だけでなく、その関係も蒸し返すことになった。先方から電話が来たことで、一応許可が出たと判断し、母は通夜を、私は通夜(母の迎え)と告別式に出ることになった。ところが告別式は「友引」の月曜日を空けて、翌日の火曜日となったのだった。この時間帯、鶴嶺高校の講演会の時間なのだった。

私はゲンを担ぐ方ではないが、ビッグイシューの懇談会は前回、台風上陸で延期となった。今回は告別式である。サポチガ経由の情報では、季節性インフルエンザで学校閉鎖になった市内の小学校があり、鶴嶺高校も学級閉鎖が始まって、下手をすると参加者が激減するかもしれないという情報が入ったからだ。

昨日は、若松町のショップの開店日だった。覘きに行ったが、同じ記事にならべるのは、それこそゲンが悪い。別記事に改めて書き直すことにする。

ともあれ、これから寿町に出る。

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11/11あすなろ会の報告/ 「マイクロファイナンス」を社会活動に利用できるか

2009-11-13 04:11:58 | 引きこもり
一昨日、路上生活自立支援の「あすなろ会」の定例会を行った。主に11/16「ビッグイシュー佐野代表を囲む懇談会」と、11/17「県立鶴嶺高校講演会」のそれぞれの準備がテーマ。

前者では、越冬期に生活支援のガイドブックを配布しようと提案する。ただ、懇談会の台風による延期があった関係で、出発が出遅れてしまった。12月定例会を等を利用して、年内完成を目指したい。11/16を合意の場として、出発する。

後者は、別の会で様子を見た人からの注意点指摘あり。高校生、30分でも飽きて携帯をいじっている。対策がいるということ。めりはりつけて、販売ポーズを見せることに。学校への参加者名簿を完成した。

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母の嘔吐が止まらず、咳き込んでいると父が「どうした?」と階段を降りてくる。挟まれる地獄。夜通し。身体二つなし。ばてている。今回はこれで。

ビッグイシューが大阪で中間支援者の会議がある。「あすなろ会」の状況報告書を書いて提出。14日締め切りに珍しく間に合った。

<参考>
 You Tube に、ジャック・アタリのマイクロファイナンスの画像あり。無担保金融の価値、わかりやすいので下記に貼った。日本でも始めうるので、私の過去のマイクロファイナンス関連記事を読んでいただけたら幸いである。

● 5/6 「マイクロファイナンス」


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寒くなれば寒くなるで…/紙メディア版「わーく」編集作業続く

2009-11-11 18:07:35 | 引きこもり
父の部屋には24畳用のガスストーブが入っている。点火すると1分もたたないうちに部屋が暖まる。外部ダクトを付けている。ところがこれをつけると、毎年騒ぎが起きる。父が出力を最大にしてしまうからだ。

温暖化傾向の外気のときすら、ストーブがつく。室温は25度近くになってしまう。父が脱水症状を起こすが、暑さに気付かない。だからチャイルドロックをかける。すると元栓をいじったり、電源コンセントを愛用のドライバでスパークさせてしまったりする。本人は修理したつもりでいる。まだ元気なころは、電話を使って業者を読んでしまったりした。今は親子電話子機の外線切り替えが出来ないから、それは偶然つながったとき以外は、電話をかけられない。だから元栓やコンセント周りの、ガス漏れ、感電、漏電、空焚き、火災などが怖い。ガスには安全装置がついているが、それでもコンセントにドライバを突っ込んで、ブレーカーを吹き飛ばしたり、当人が感電するのは防ぎきれない。

ここしばらくは、昼間汗ばむ陽気だったが、それでも夜は、下半身裸の父にとってはストーブを弱でつける状態になる。ところが父はスイッチ周りをいじるが、愛用のドライバを出すことなくあきらめてしまったので、疲れているのだろうと思っていたが、「ストーブを強めてくれ」と、階段を降りてくるようになった。これには閉口した。ここ1日半。再び階段戦争が始まっている。

階段に出るには畳長辺程度の通路を抜ける。両側が壁で手すりが無いので、今まで何回もここで転んだ。両側の壁とも、手すりをつける強度が得られないことと、歩行器を使うことで、そのままにしていた。

この通路の真ん中に椅子を置いた。椅子が邪魔になり、椅子をどかさないと通れない状態を作り、椅子を動かす音でいわば鳴子がわりにしていた。ところが最近、歩行が安定しているので、椅子の音がしてから、すぐに階段に現れるのだった。

母と交代で階段を降りる前の父を、あきらめさせ、引き上げさせる算段をしていた。階段を降りれば、方向転換が出来ずに座り込んでしまうし、座れば立てなくなる。ひどいときは2人ががりの力技となるからだ。

部屋に父をもどすときに、通路で父は歩行器と前の倒れた椅子に阻まれ、立ち往生し、母が椅子を直しに行くには、父と歩行器を抜けて部屋の奥に入らなくてはならなかった。母がここで無理な姿勢をして、父の横を抜けようとしたとたん父が倒れ、母がそれに巻き込まれた。

父は相変わらずの状態で倒れた後、座り込んだ。ただ母は父に巻き込まれて倒れるのは初体験で、周辺が柔らかいので、小さなあざを作っただけで済んだが、手を突いた痛みもあって、父を立たせることが出来なくなった。やむなく母は、父の傍らで、父を見張りつつ、動転したせいか電話連絡せずに、私の帰宅を待っていた。

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私は自分の糖尿病の主治医の検査結果を延々と待たされた後に、聞いていた。帰りにサポセンにまわり、あすなろ会の伝言を書き込む用件があったが、先に茅ヶ崎図書館に立ち寄り、期限の来た本を返した。そのとき偶然、ビッグイシュー販売希望者のE君と館内で出会った。Tさんもまもなく来るという。図書館は居場所の無い者にとって、格好の居場所空間なのだ。おかげで茅ヶ崎サポセンに出て伝言を書き込む手間が省けたのだが、ともあれ彼に伝言を託し、時間の迫っていた茅ヶ崎若松町ジョナサンにタクシーを使って滑り込んだ。相手のY君は仕事の関係で車の渋滞があると遅れるという事前の話があったが、サポセンに寄れば、私の方が大幅に遅れるところだったから、ともあれ空転は避けたかったのだった。

Y君とは、「わーく」紙メディア版の取材の件だった。18時から若松町「ゆめたい」ショップで会合がある話がわかっていたので、Y君を若松町ジョナサンまで呼び出していた。紙面の一面は、Y君という立場からの若松町ショップへの参加の事例紹介を介して、若松町ショップの開店を紹介する予定でいた。

社会的困難を抱えた者の生計の状態の話題と、社会的企業の種まきの話をして、取材は後日、お店にうかがうことに段取りが決まった。私は夕食の準備があるので、そのまま生協に立ち寄って買い物。家に戻ると、茶の間には母が、階段の通路には父が横たわっていた。母の話からこの不可解な状態がわかったが、ストーブをつければつけるで、騒ぎの原因となる父の非協力な行動にうんざりしていた。

母の打ち身は、幸い大きなことにならなかったが、通路に椅子を置けば、父を戻すときの障害物になることがわかり、椅子鳴子作戦は取りやめることになった。毛布のす巻きになった父はその姿で通路に横たわり、近くに入れ歯をはずしたまま、「早く起こせ」と文句を言っていた。「通路に出てくるな」と怒鳴りたい気持を飲み込んで、「うつ伏せから起立する方法」を説明してから、実行させた。

余裕の無い者に教えるとき、行動の最中に説明しても焦るばかりで、説明は流れ去ってしまう。ざっと説明してから、実践、途中は補助程度の指示で分けてやる。この方が結果がいいのだ。

父をベッドに戻して周辺を整えていると、父が立ち上がろうとしていた。足は交差し、いつも椅子が置いてある場所に腰を落とそうとしていた。その場所には椅子が無く、腰から転倒するところだった。父は状況を把握して行動する力がなくなっている。一見調子がよさそうに見えても、それは慣れた場所で、一連の行動を発しているのであって、家具の配置など変更が無いときに結果があてはまるのだ。場面と対話して動いているわけではない。だから、ひとが介在するような変化が多い場面では、緊張して動けなくなってしまう。

ともあれ、これでは私の仕事や活動が出来ないので、父には「ストーブは、ずっと点けっぱなしにしておくから、設定は、いじるな」と説得。立小便を終えて、横たわることに必死の父は一応うなづいていたが、理解しているかどうかは怪しいのだった。先ほど転倒しそうになったことも、記憶していないだろう。なぜなら、妻と「違い」自分は平気だったからだ。思いやるかけらもない。父の対応を私がしている間に、母は夕食の準備に取り掛かっていた。

翌日、つまり今日は、母は東京の主治医の治療を受けた後、同じ都内の趣味の稽古事を済ませて夜中に帰って来る。その息抜きの東京への外出が楽しみで、気が張っている。母の容態は一日経った今夜がむしろ危ないのだ。いずれにせよ、母の炊事は水仕事用に手袋をしての作業となる。だからその部分は、私に回ってくる。強い「掌蹠膿疱症(しょうせきのうほうしょう)」である。メンタルな影響が出るのか、加齢のためか、父の介護になって、特に頻繁に発症するようになった。発症すると稽古事も出来なくなってしまう。その影響は特に敏感になっていた。

夕食を準備して私は藤沢経由で夜の相模大野に向かった。会議は既に終わっているのだが、その経過を聞かなければならなかった。車で通勤している年配の担当者は、電話で済ませるという感覚も無い。遠いのは私だけ…でもないか稲田堤(?)がいた。

帰り深夜の若松町ゆめたいショップを見た。看板がつくと、いよいよだと思う。障碍者就労支援活動からすれば、中身が旧態然としているが、これはこれで続いて欲しいと思う。今つくるべき地域起業の芽を育てる道は、また探さなければならないが、20年も25年もここまでくれば差は無い。

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「わーく」紙メディア版の原稿を書いては、紙面にはめ込んで眺めてみている。紙メディア版は対象が関係者で、一般向けではないから、釈迦に説法ではなく、足で稼いだ生情報の中で考えるスタイルをとりたい。オンライン配信版と違う問題にこだわる理屈っぽい紙面になる。

やるべき大局の提案を針の穴から世界を覘くつもり。

夜間傾聴:******君(一昨日…仮名・母親)
     □□君(仮名)
     多摩センター君(仮名)


(校正2回目済み)
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