湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネの地域学習活動・就労支援活動の実践試行を書き溜めていきます。

12/30 火種くすぶりつつ年越しへ/ドキュメント永山則夫の番組に

2013-12-31 05:40:02 | 地震津波災害ボランティア

2013/12/30 記
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家の中の掃除を終えて、母の希望で、わずかな年越しの雰囲気の食材を買っておこうということになり、買出しの支度をしているところに、弟が突然やってきた。葬儀費用や相続の件の予備相談だった。清算を済ませ、弟の車で父を看取った病院に送ってもらい、支払いを済ませた。祖母のときも、駆け込むような師走の支払いだった。しかしとことん家族の構成変化は、ブルドーザーのように周囲をいやおう無しに巻き込んで、スクラップにしていく。病院の異様に詳しい領収証を受け取りながら、なりゆきに、ため息が出た。

駅前で私と母を車から降ろしてもらい、買出しをはじめたが、黙々と食材を買い求める母の肩に怒りの余波を感じていた。それは、父が母方同居の祖母を黙殺した記憶が父の逝去に生々しく思い起こされていたからだと、夕食時、母が語った。父の宗教押し付けの傷だった。多元的な生活を重ねて成り立っていた我が家に、父は戦前の家父長制を我が家に敷こうとして、トラブルを重ねてきた。それを代弁する価値観を持つ宗教の「真理」を錦の御旗に、私たち家族を再構成しようとした結果だった。曾祖夫母を含む年寄りの多い家庭ゆえの生きる知恵の相互尊重を父は認めなかった。私は結局家族に始まり家族に終わる社会性のない偏狭な密室の人間観を嫌悪するようになったのも、そのせいかもしれない。

子どものころの呼吸器の病と臨死体験や連れ合いを亡くし、家族の外周から物をみる視座をえていたからこそ、橋を失った人々の声が聞こえてきたのだとしたら、父との軋轢の終焉という場に立って、私の立場は特殊なのかという疑問に帰らざるをえない。声を封じられた者との協働のなかに私は立つ。母との夕食は食材の批評の会話に終始したが、胸のうちはまるで違っていた。除夜の鐘の煩悩払いで済めば幸せ。将棋の駒の次の一手を打つ、煩悩と開示の一手の年越しとなる。

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昨日の困った同僚は、冬期講習中の専任講師たちに訪問の報告をいれて叩かれたらしい。専任講師の##から謝罪の電話が入った。しかし##もまた、肉親の死と悲しみの渦中という構図から外にいる、家族の存在を理解していなかった。

先日のフィリピン被災者支援バザーは、塾の卒業生しかこなかったという。3.11があって以降、こうした募金活動は賛同者を減らしている。その解決力の限界を感じ取っているのかもしれない。明日は横浜・寿町の越冬炊き出しに参加してくる。しかしこの手足の萎えはなぜだろう。

これは柚子の話をまとめ切れなかったからではない。先ほど永山則夫のドキュメントをNHKでやっていたが、貧困の連鎖・暴力の連鎖のなかで、銃への魅力へと流れ込まされた彼の生い立ちや、石川医師の脳内歪みの発露とした器質還元主義の鑑定では、社会改善は棚上げになるという心理学屋の視座の歪みに、戦後60余年、何も改善されず残される、社会の歪みに生きる者の疼痛を感じるからだ。

永山則夫の弁護活動をしていた、当時の京成町谷の&&さんや、獄中の永山の奥さんとなった++さんの消息に心が飛んでいた。あのころ、毛沢東を信奉していたセクトの人々の中で、私はそこに馴染まなかった理由が、権威から救援の正当化を行う心が嫌だったことだ。生計の危機と侮辱に晒される貧困と、がんじがらめの自由の中に喘いでいた中間層の疎外とが別物のようにみえている眼差しの限界、その先を私は見ていたからだった。だから、寿町に行ったとき、「私に出来ることは何か」「どこでつながることができるか」という、母に言わせれば「道楽」の問いを抱えてくるだろう。

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明日から、奈良の**先生との対話メールを始めていく。災害時要援護者の生活・医療保健支援の道筋を検討していく。

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おでん種のばら売りが消えたのは、いつごろからだろう。さんざんデパ地下捜索をしたが、まとめてしか買える所がなくなったのは事実のようだ。

ペットレスキューの仲介者が復活した。通信2014/01月号が出せそうだ。


夜間傾聴>ひとり(旗の台君から)

(校正2回目済み)

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12/29 大掃除をとりあえず済ませ/珍客来訪(感謝ではあるが)

2013-12-30 05:56:08 | 地震津波災害ボランティア

2013/12/29 記
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我が家の硝子窓拭きを済ませて、さて野菜の買い込みだと準備をしていると、門前に不審な車が停まっているのに気がついた。近づくと不審な男が出てきた。あれほど「迷惑だから来るな」と言っておいたのに、JR相模原の塾講師の%%だった。

「気落ちしていないか見にきた」という。「『お仏壇』に、これあげて」と料理用の安赤ワインとフランスパン、「これ先生に」と天津甘栗1袋。涙が出た。何も通じていないし、信じられない知識、彼、社会科の講師である。

居座るのが目に見えているので、ジョナサンに引き出した。

父は異端のキリスト教。祭壇を認めない。
「仏壇はないだろう?!」
「え、キリスト教は『ワイン』と『パン』ですよね」
「骨壷にそなえて、復活させる気か?」
「え、悲しくないんですか」
「まず、相手の都合聞いてから来てくれ。」
「じゃあ、これ、寿町に持っていってください。」
「お前ねえ、受験生の『勝ち繰り』のつもりでもってきたろう」
「元気出してください」
「本気で寿町にこれをもっていけというの?」
「はい」<信じられない!
「大晦日の昼に、もう一度、車で家にきてくれる?寿町案内してあげるから。」
「女房と明日からハワイですから、無理です」
「帰れ!」

思わず、声を荒げてしまった。彼はハワイがうらやましかったのだと勘違いしたろう。私は太陽系のはずれの宇宙人だが、彼はアンドロメダ星雲から来た宇宙人に違いない。何にも話が通じないし、理解の仕方が人間業ではない。

弔問(?)来訪者1名。彼の家は八王子である。ごくろうさま。追い帰した。所要時間10分。買出し中止!

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窓を拭いて、嫌になった。とにかく残った左目では、メガネの付けはずしをして観ないと、汚れが全く見えないのだ。網膜色素変性症の視野欠損が進行している。視野の外周部で注視しないと見えない。日が落ちてきたから限界と、ざっと手探りで拭き掃除をすませた。PCやスマホは距離を保てばなんとかなる。相手が動かないと、不安定だ。

掃除は皆一斉に始まる。お隣夫婦も大工仕事。これは目のせいではなく、初めは不動産屋のせい。お互いのお付き合いもなく、塀越しで、互いに無視。

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昨日、灯油が足らないことに気がつき、母がGSに連絡した。高い!生活の節約感を強めるのは必然と思いつつ、駅ビル・ショッピングモールの最近の温度設定は何事だ。バブル崩壊と3.11を経た節約は、どこへやら、また室温があがっている。アベノミクスのマジックのせいか。企業からひきしめよ。しかし信じられない。箍(たが)が外れれば、企業は客集めに走る。

我が家は古い日本家屋だ。だから室温管理は非効率だ。またひとつ、電球が消えた。結果的書庫・別名お化け屋敷という私の部屋の電灯である。夜間、タイピングの音がうるさいらしく、響かない茶の間にPCを移動して使っている。引きこもり・不登校の若者への夜間傾聴や通信指導は、30年超えて行っていること。やめるわけにはいかない。しかし不思議な現象がある。部屋が共鳴しているのか、初めの縁側の作業机ポイントは、近隣のお宅の話し声がかすかに聞こえる。隣接していないので、共鳴としか説明できない。それで私の作業場は、離れ・私の部屋の奥・元祖母の居室・現在の茶の間と移動してきた。垂直頭上に電灯があるので、書類や書籍は反射して、字が全く読めないので、古い書見器を使っている。古い金属製のもの。

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冬期講習がなくなったので、今年の年末年始は節約モードに入っている。だから、**先生が「懇話会の価値向上の磨きをどうかけるか」の議論の相手をしてくださるとのこと。申し訳なく、時間に無理の少ないメールでやりとりさせてください。

口火は、自治会・地区社協の枠組み以外の「地域活動の薄さ」です。よろしく。

夜間傾聴:ふたり

(校正1回目済み)

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12/28 何はともあれ大掃除とか

2013-12-29 06:07:03 | 地震津波災害ボランティア

2013/12/28 記
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葬儀の混乱のなかで、開封していなかった封書をあけて呆然とした。近藤さん、楽庵さんが亡くなった。どうして年末は知り合いが亡くなるのだろう。医療福祉の眼がまたひとつ失われた。

江戸時代、付け貸ししていた商人・金貸しが、大福帳下げて、町人を捜し歩いたが、大晦日を逃げ切れば借金が帳消しとなるという、のんびりした話があるが、父の入院・葬儀ところがった今月は、家計は火の車だ。なんとか滑り込んだが、来月持越しは帳消しにはならない。

塾長がフィリピンでトラブルに巻き込まれたようで、塾経由で消息の連絡が入ってきた。以前もフィリピン警察に、いいがかりで拘束されたことがあって、警官の小銭稼ぎだと、地元ボランティアの尽力で、即時釈放された経過があったが、今回は誰かをかばったらしい。逮捕されているのではないようだが、心配して、助っ人派遣の根回しが始まった。

どうしたものかと思いつつ、母の張り切りを無視できず、大掃除をした。案の定、母はダンピングを起こして、気持ち悪いとトイレで嘔吐した。薬は用意があるので、飲ませて寝かせたが、ますます相模原に出かけにくくなって、携帯をポケットに忍ばせて、庭掃除と窓拭きをやっていた。半分終了。日没が早い。

寿町の柚子提供も迷惑となり、私の入れ知恵で、高齢者の銭湯サービスをしている自治体を探して、柚子湯に使ってもらえばいいのではと言ったが、すでに仕事納め後、山北の柚子、どうしたか。直接銭湯に相談という手もあるのだ。

喪中葉書、どうしたものかと思案中。寒中見舞いという手もあるとか。

大晦日だけ、みやげもなく寿町をのぞくことにした。邪魔なだけかもしれないが。帰りにJR相模原に立ち寄ろうと思う。ともあれ明日中に大掃除をすませねば。

小野寺彦宏氏の交通費・謝金を工面した。問題は3月の小山貴氏だ。葬儀で綱渡り。情けない。3/8わいわい祭り、参加のゆとり無しかなと。今回は中央公園、出番なし。

来年3月、相模大野校の理解者・事務長が定年退職する。こちらは潮時かなと感じつつ、株主でつながる首、捨てて次があるかとシビアな選択になってきた。JR相模原の塾は関係なし。

毎年、年越しは駒沢公園に元塾生と顔合わせするのだが、今回は無し。奈良**MLの++先生が対話の付き合いをしてくれることになったから、お言葉に甘えて2日・3日は、懇話会の価値向上の磨きをどうかけるか議論することになった。先生とは以前、自閉症州ペクトラムを抱える不登校中高生の、授業の基本的な枠組みの探索にお付き合い願ったことがあった。感謝に堪えない。仕切りなおしである。

夜間傾聴>ひとり

p.s.母がナポリタンが食べたいといいだした。コンビニの弁当を食べないひとなので、夜中、玉ねぎを買いに出た。出来上がったと茶の間にスパゲッティを運んだら、母はストーブを抱えて壁によりかかって眠っていた。疲れだなと思う。

(校正1回目済み)

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12/27 父の特養に荷物を回収に行き/茅ヶ崎市との協働事業提案のアセスメント

2013-12-28 05:01:20 | 地震津波災害ボランティア

2013/12/27 記
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夕方、父が生活していた特養に行き、父の衣類や生活用具等を引き上げてきた。市役所のアセスメントは、私が出した協働事業の件についてのものだった。行政と私の団体とのアセスだった。両者とも年末総ざらいの感、ため息とともに仕切り直しである。

特養に移ってから半年、それでも小型洗濯機の段ボール箱ひとつ分の荷物があった。タクシーを頼んで運んだが、寝具や下着等、レンタル衣類・紙おむつを除外しても、これほど生活を維持するには必要なのかと改めて思う。

特養の生活が終わるにあたって、特養のケアマネさんから最後の介護実施報告の記録承認と、預け備品返却承認の要請を受け、書類に捺印するのだが、その印鑑を私は準備していなかった。辻堂駅からバスで行く特養なので、電話連絡中、印鑑が必要と言われても、辻堂駅周辺のどこで印鑑を仕入れたらいいのかわからず、大慌てしてしまった。何とか入手できたが、段取りを知らないというのは、どうしようもないものだ。祖母の最後のとき、特養の清算は、特養の細かい買い物用に預けた農協口座解約をしたのだが、農協の紋切り型対応との激突に強い印象が残って、特養解約は、特養のケアマネさんが我が家を訪問してくれたために、書類のつまづきの印象がなかった。やはり特養の経営はそれぞれホームによって違っているという当たり前の事実だった。

父の担当者とケアマネさん、施設長の挨拶を受けたが、父の体力減衰を背景にした発病という健康管理への不信感が払拭できなかったため、彼らの言葉は胸に落ちなかった。争う場合、すぐに結論はでない。勝って私の家庭に何の利点があろうか。予想賠償金を受けても高齢者家庭に大きな意味を見出せなかった。むしろタクシーを待たせている料金が無駄にあがっていくことが気になるという「さもしい」心になっていた。

タクシーのボンネットが閉まらず、位置変えして、やっと閉ざして出発、家までの料金は平常の2倍になっていた。

小雨降る中の運び込みを終えて、そのままタクシーに乗り込み、急ぎ茅ヶ崎駅に戻った。葬儀社とのお返し等の最後の打ち合わせ調整の約束時間がぎりぎりに迫っていたからだった。

葬儀社との調整に間に合ったが、さあ、カタログ商品が若い方向けで高齢者向きではなく、調整は30分を超えた。ところがその後には、母の処方箋薬局から薬を引き上げてこなければならなかった。医者もその処方箋薬局も今日を最後に休みに入ってしまう。電話をいれて店じまいぎりぎりに飛び込む旨の連絡をいれて、定時に来ない路線バスに冷や汗をかきつつ、駆け抜けて帰宅した。

苛立ったら負けである。ともあれ今年最後の「扉をきちんと閉めた」、その一言の一日だったのだ。

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市役所のアセスは、市民自治推進課との対話だった。汎用医療個人情報QRカード検討会実施提案について、その評価を説明してくれる場だった。

これについては、評価は事前に文書で通知を受けているが、個人提案が関連活動・関連団体と出会いにつながり、次へとつながっていくシステムや場面が働いていない結果、立ち消えていく現状に手立てを求める意見をだした。

これは市行政だけにいうことではないが、助成金を出すが、活動の公共性の部分の積極採用という意思を打ち出して欲しいと行政に語った。民間側でもサポチガなどの中間支援団体の企画にしても、グループ討論の形式が目的化して、各グループから出た提案を全体に共有するプロセスが省みられない、新たな出会いをその提案から生み出していく意思が希薄であることは、その分野の乏しい現状が背景にある。つまり、新たな提案が次につながっていくためには、勿論公共性の評価選別が入るが、公開された意思的な育成の試みが必要になる。新たな人材代謝が見えない社会活動特に福祉的活動では、新たな活動の立ち上げは、在来組織の内側の活動以外は、地域に芽生える可能性は低い。

一例を災害ボランティアにしてみると、災害発生時の安全避難と外野的応援というか、スタイルが阪神淡路大震災から取り組みが全く変わっていない。活動経験が蓄積されていかないこと。訪問応援イベント・被災地物産購入・カンパ提供に支援が閉じているように思えてならない。そこで新たな質の活動や、議論や提案があったにも関わらず、再建復興活動状況の拡散衰退とともに立ち消えて、またステレオタイプな活動だけが繰り返されていくという事態がある。ここでもまた、経験の意識的蓄積継承と具現化といういわば中間支援のつなぎ触媒活動が大切であるという次の段階に入っている。

これが矮小な言い方をすれば、既存組織が身動きできる範囲に留まる活動以外は、よそ者活動は淘汰されてしまうという現実に、私は抗していきたいと市民自治推進課の方々に意思表明した。

またQRカードは、医療機関の協力という最小ユニットからスタートしていく活動である。この意味でユニット形成には市行政の協力(市立病院の協力)という、トップダウン型の性格を持つ活動だ。課題の内容が市単位のものではなく全国の課題であるから、1年間の協働事業では不足しており、提案は全国をカバーしているところに出すべきという審査論調の背後に、既得活動との衝突が見え隠れしているように思える。しかしその活動は国レベルから降りてきた活動の具現化であり、一方では個人から出た発案は、そのまま即、国政レベルに反映する道はありえない。最低ユニットの実験を踏まえて、育てていくこと抜きには、新たな提案は有効性を証明することはできない。だからその意見はおかしいと反論した。全国が共有する課題を改善する試みを地方自治体から検討していくことが、おかしいと思うことにはならない。

今後は、この提案は関連専門職との接点を持つ方向で、出口をまさぐっていくと告げた。

また私の活動が個人の活動から抜け出ていないとの指摘もあった。従来の活動が既存団体を背景にして、その団体がなしうることを前提に行政に補助を求めるという活動が主だった。私の組織は県内では年齢が私以上の、いわば団塊の世代以上の方が数名、オンライン上ならという条件を抜け出せないひきこもり青年が数名、市内は後期高齢者の人と段階の世代の方で構成されている。そういう小さな団体、特に茅ヶ崎市という枠では、実際社会交渉を行えるのは私だけという組織力に限界のある団体だ。これが前述の内側活動の方法に乗せることはできない。しかし、社会活動は、潜在ニーズを背景に、なんらかの契機で公開されたことが芽になって、提案した活動が拡がっていくということもゼロではない。しかし、その潜在ニーズがない場合は、いみじくも私が実証してしまった。累積6万枚(A5 size)の被災者支援のチラシ投函の反応のように、純粋反応0という厳しい現実がある。被災者の避難生活の現状という認識が共有されていないのだ。だから、個人提案が実態的な社会活動と変容遂げていくには、意図的な出会い活動が動いていなくてはならない。ここ茅ヶ崎は、政党・組織の人脈の契機から立ち上げられている活動が多く、その限界が今回の提案にも出ているのだと説明した。苦い、そして長期地元活動に接している者以外には見えない隠れた影のようなものだった。

しかし、私が今回の協働事業の立ち上げ提案は、QRカードの案が、何回かの提案と質の評価を受けての経過を受け、それが民間への広がりを生んでこなかった点を踏まえてのことだった。その原因は、病院とのユニットからのスタートという性格を前に、少しずつ理解者との活動を膨らませていく市民活動の常識からはずれるトップダウン型の性格ゆえに、この壁を越えるには、行政の協力という、あたかも卵が先かニワトリが先かというループに、はまるような条件を内包していたからだった。

QRカードの有効性のCMやら、医療関係者との接点作りを今後は進めていく。これは他の私たちの活動と平行して、持続追求していくことを市民自治推進課の方々に意思表示した。QRカードは私たちの活動のひとつに戻ってきた。しかし、私が言い続けてきたこと、「誰もいないからその活動は出来ないというのは嘘だ。誰かが軸にならなければ、いかなる活動も成り立たない。」ということだ。「そのために、お前は何をしてきたのだ」という問いかけに答えられない活動は命を持たない、そう思うのだ。

市民自治推進課の課長さんも同席してくださった。今後の懇話会という種まき活動のことを含んで、QRカードの今後について、意思表示をさせていただいた。アセスの件、了解しました。ありがとうございました。本当に必要なことを守っていけたらという提案、耳を貸していただき、感謝しています。


夜間傾聴:**子(**子からの喪中の葉書の件)

p.s.きょうの弔問者1名。

(校正3回目済み)

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12/26 初七日過ぎれば一段落か

2013-12-27 04:36:13 | 地震津波災害ボランティア

2013/12/26 記
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今年は年末に連休があった。これが父の死後の事務手続きのゆとりのなさに拍車をかけた。今日葬儀費用の送金をしようと、玄関をでると、門前で、集金人とぶつかった。バスの時刻を逃し、先きに業者がやってきた。このために銀行到着が15時過ぎとなり、ATMでは10万円を超える送金は、機械が止まってしまい、送金が出来ない。そこで直接、業者の事務所に行って見た。ところが経理担当者が巡回中とのことで、アポとってほしいと拒絶された。領収書がないというのだ。連絡を取ってもらい、1時間後、やっと支払いが出来た。

私の母は5年前、胃がんの摘出手術のために18日に入院していた。父の他界が18日である。魔の18日だという話が、母の付き合いの弔問者が来るたびに、母が話題作りに利用していた。そんなものである。「孤独や窮地」は、こんな場面に訪れるものではない。無論「群衆の中の孤独」はありうるが、このような類型化した場面では「孤独や窮地」ではなく、「幻滅と徒労」が積み重なっていく。まとまった休息は、初七日が過ぎればとれるようになるだろう。送る側が親戚縁者がなく、もっと高齢者ならこれでは持たないだろう。なんとも自虐的な話題を母にさせているこの場の意味は、おのずとわかるだろう。合理的ではない慣習には、飲まれますまいっと。

一段落がついて、夕食時私が母の「魔の18日」をつついた。結論は、今度は「NHKの引き落とし」あたりを「泣きっ面に蜂」の話題にしようかと、父の遺骨のある茶の間で話していた。NHKはスケープゴートである。

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明日、27日は午後、茅ヶ崎市の協働事業のアセスだとかで、市役所にいく。何だろう、いまさらねと思いつつ、「要援護者支援の懇話会」の「種まき活動」の意義を発言できたらしてみようと思っている。出来上がったプランとお膳立てを整えて行政に提供していくのが協働事業なのではないし、アウトソーシングを協働事業といいくるめても仕方がない。しかしそのバランス感覚をお前などに言われたくは無いだろう、きっと。今日は何をしにいくのかなと自問している。

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山北の柚子のサンプルが宅配されてきた。小粒で黒いゴマ粒のようなシミのある柚子だった。お礼の電話をすると、寿町に持ち出すのは勧められないという指摘をうけた。理由は

1)豚汁・カレー主体の炊き出しに、出番が無いこと。

2)柚子はよく切れる刃物がないと、薄く切りにくく手間隙がかかる。忙しい厨房には不向き。

というのだ。1)は付属のお新香に混ぜ込めばいいが、メニューを制限させてしまう。なるほどねえと思う。みかんは、余分が無いとか。さてどうする。


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1/17のゲスト、「被災認知症者とその家族」のメッセンジャーとして茅ヶ崎にやってくる小野寺彦宏(よしひろ)氏の宿泊先を予約してある。実際に部屋をチェックしておこう。

認知症者の要となる地域サポートを被災という場面の中で考え直していく。安全避難の切り口だけでなく、避難生活・被災生活の場面のなかで、地域サポートのとらえ返しをしたい。障がい者の地域サポートも大切であるが、認知症者・障がい者「対策」としての地域サポートではなく、サポートすることによって浮かび上がる共同性の体温をうかびあがらせたい。地域は両刃の剣、ひとを活かしも殺しもする。地域に福祉の眼差しと地域重層的コミュニティの触媒屋集団を育成する提案。

●「緊急時の介護」 入手

夜間傾聴>なし


(校正1回目チェック済み)

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12/25 父の初七日

2013-12-26 06:21:52 | 地震津波災害ボランティア

2013/12/25 記
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葬儀を出した家族は、ひとの善意をなかなか拒否できないものだ。ひとの付き合いは、丁度「壊れのある傘状(放射状)」をしている。私にとっても、塾屋の付き合い、教材屋の付き合い、家業の付き合い、社会活動の付き合い等、樹形図の中心に私を置いたような関係である。これが母・私というように図と図が重層的に重なり、ウェブ(蜘蛛の巣)を成している。だから、先方同士はつながっていないので、突然、予定の中に割り込んでくる。

今日は父の初七日にあたる。父方の親戚のネットワークの面々が我が家に弔問にやってきた。そこに損保代理店時代の父の同僚や、自民党市議(他市)の代理人というような情報をどこで知ったのかわからないひとたちがやってきた。それは夕食時にかかってくる電話から判明した。葬儀を密葬にするのは、故人を貶めるものだという主張をしていた親戚筋が、父の付き合いと重なっている方への余計なお知らせから広がっていた。

こうなると、どこまでつながっていくかという居直りに似た好奇心がわく。父の宗教団体の信者ネットも、おばさんの口に戸はたてられない、母の趣味の団体からも香典がとどいた。驚きだった。

葬儀屋の費用清算や、年金の届け…とても冬期講習をやってはいられない。

親戚の面々と話し合っているうちに、攪乱者が誰かもわかった。ともあれ、寝つきの悪い母が、爆睡している。そういう私も疲れた。10時台に起きるので、今回はここまで。

夜間傾聴>ひとり

(校正1回目済み)

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12/24 父の逝去と行政申請、市役所へ/懇話会準備再開他

2013-12-25 05:50:30 | 地震津波災害ボランティア

2013/12/24 記
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葬儀の直前、父の死亡届が出されて以降、戸籍上記録が済み行政上のサービスが停止するまでには時間がかかる。およそ1週間は書類上は生きている。今日、市役所の保健年金課・市民課・高齢福祉介護課に年金停止手続きや、健康保険証等の返却等をしてきたが、年金関係は父が書類上まだ生きているのだそうで、来年まで持ち越しとなった。また父の銀行口座等は、葬儀の支払い等をしようとしても、預金を引き出しておかないと、相続のトラブル対策として凍結されてしまう。大騒ぎになるので引き出しておく。実はこれ、故祖父の葬儀のときの苦い教訓だった。申請の際、父の場合は「親」だから楽だったが、「叔父」「曾祖母」のときは、申請者との関係が実に面倒だった。このような経験は、ありがたいものではない。

しかも今回は、**さんという知人職員が申請を扱った。守秘義務があるとはいえ、いい気持ちのものではない。村役場などではましてや知り合いが担当することが増えるだろう。

じわりと鈍い疲れがでてきた。精神的苦痛というより、朝型人間の逆襲が続くからだ。どれほど言っても、かけらすら気にしてもらえない明日は初七日にあたる。昼前から奇襲されるに決まっている。香典の取りやめも、書面で伝えてあるにもかかわらず、私からはもらえないというのかという具合に、喧嘩騒ぎも起きた。習慣ほど厄介なものはない。この頑迷さこそ、関係清算の儀式としての葬儀という、論理性を超えたメンバーの証となっているからこそ、耳を貸すという行為が無視されるのだ。村社会のリフレッシュである。

来年度、1/17の被災認知症当事者&家族のゲスト懇談を済ませて、3月初めJDF(日本障害者フォーラム)の被災地の戸別訪問支援を行った、岩手県支部の小山貴氏との懇談を行う。ここまでは、ほぼ出来上がっているが、来年度、プライマリィケア連合学会から、石巻・気仙沼・大槌町の関係者を呼ぶ。東北沿岸部山間地の災害後の変化と訪問医療推進活動を推進しているPCAT現場医療関係者を呼ぶ件で、PCAT事務局に再確認メールを出した。湘南の都市近郊部の医療との比較を含んで展開するために、問題意識をすり合わせておく必要があった。

これからの追加では年数回のペースで行うため、今、検討されている要援護者施設関係の被災と地域の協力の話題を立てる。高齢者施設になるか、成人重症障害者施設になるかはわからない。ただこの課題は深刻な家族の被災がからんでいるので、整理しないと連携や防災実効性の絆が見えてこない可能性がある。

これが来年度秋口のテーマとなる。

これに続いて「外出時被災」「短期現地ツアー」を「ミニ・カフェ」として組み込む。地元ゲスト茶話会や、有志実行企画のより小規模(4・5名)の会を挟み込むつもりでいる。

懇話会に来年度は世話人会を何とか発足させたい。ゲストとケア関係者の種まき懇談である。種を持ち帰り育てていく会である。

民間災害ボラ活動が実効性に踏み込むとき、被災地との物理的距離の壁がある。ここを関係性の距離の近さで埋めていく活動、インタラクティブな活動を進めていくための支援者意見交換も欲しい。漠然と被災者をかたらず、「要援護者と家族・ケア支援者」との対話という焦点を持つこと、ここが大事なところだ。

なんとも味気ないイブではある。相模原の塾では、フィリピンの被災者支援バザーをやったはず。私はといえば、平塚駅ビルで、厚切り鮭の切り身を買ってきて、母と食事をしただけだ。なんとも、はや。

夜間傾聴>なし


(校正1回目済み)


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12/23 相模原の訪問指導は鬼ごっこへ

2013-12-24 06:52:29 | 地震津波災害ボランティア

2013/12/23 記
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今日は、JR相模原の教室でフィリピン災害復興支援バザーをやっている。手伝っていると巡回指導が年内間に合わなくなるので、相原や橋本をうろうろ。ところが片方は、私が到着するとひきこもり氏が姿を消した。新卒採用挫折組、入社3ヶ月の憂鬱である。だから、高校生とは様子が違う。私より貫禄がある (^^;

駅前を捜索したが、いない。年末年始や3・4月にプレッシャーがかかるからだ。親御さんに電話了解を取って終了。寒い。

帰りにサポセンに立ち寄る。ビッグイシュー誌を渡し、ロッカー代を支払う。寿町越冬炊き出し関連(参加体験)チラシをつくるつもりで間に合わず。とにかく、中途半端な一日だった。

あと残り少ない昼間の時間を、行きかう家族連れが慌しくなってきた。今夜は残り物を片付ける。1人前のトマト・リゾットと野菜スープ(私)+アルファ、冷蔵庫内はだいぶすいた・。

父の死亡届けや事務手続きが連休明け早々に待っている。

小野寺彦宏氏の宿泊先予約をした。

ま、ぽちぽちと…。

夜間傾聴;ふたり


(校正1回目済み)

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12/22 藤沢に買い物にでかけ…明日から活動再開を

2013-12-23 06:17:29 | 地震津波災害ボランティア

2013/12/22 記
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配布が遅くなったビッグイシュー誌を図書館 に届けたとき、藤沢の**市議とばったりでくわした。3年ぶりだった。駅前のファミレスで30分ほど話したが、私を嫌っていた##さんのご主人が父と同じ日に亡くなっていた。肝硬変だという。年末はなぜか亡くなる方が多いように思える。**氏は某保守系政党の方。藤沢市内の引きこもり青年を、ある専門職活動に仲介した経過があって知り合った。

被災障がい者の避難生活の映画をやったと話すと、彼の脳裏には車椅子の障がい者しかイメージしていないのがありありとわかった。商工会議所経由で被災地の個人商店会に、被災地産の商品を送ってもらう活動をしており、停滞させない方法は何かを 考えているという。お互いかみ合うところなしで、互いに言い合って別れたのだが、なぜかほっとしたのだった。父の臨終の場に経ち合って以降、葬儀に時間を奪われたために、社会活動から離れていたためだろう。つまらない気づきだった。しかしなぜこうも、**氏もそうだが、何でこうもステレオタイプ化した発想から抜け出せないのだろう。ともあれ、##さんは、依然として私を某政党名で呼んでいるらしい。親方日の丸は持たないって。

弔問客は、母の趣味の活動の方たちに広がった。母に任せて、買出しをしてきたのだが、骨壷の下に敷く白い布という母の注文には参った。全くわけがわからないのだ。葬儀屋が早いだろうと某葬儀店に立ち寄ると、先方もパニックを起こした。物がわからないし、さて値段もわからない。電話をかけまくり、やっとそれらしい商品を出してきた。「風呂敷」とある。500円らしいというので、言い値で買ってきたが、母に見せて、役立たずよばわりされてしまった。これは骨壷を包む風呂敷で、シートではないというのだ。以前も数珠を頼まれて宗派が違うと怒られた。まさに鬼門。知るかと居直りたくなる。今日も弔問客3組なり。

寿町の越冬炊き出しに行くことにした。30日か31日。柚子を確認している。山北産。昔、山谷の炊き出しのとき、輸入物チョコレートが入ったので供出したが不評だった。今回も雑煮か粥に入れる程度。使い捨てカイロを探っていたが、父の件で機会を逃した。せめて柚子をものにしたい。交渉中。

奈良**MLの会員さんから、弔問メールをいただいた。個別に感謝のメールを出したいところだが、MLに流したメールで、お許しを。

八丈島の++先生、ブログごらんになっていたのですか、驚き。三宅島以来ですね、恥ずかしいような…。感謝します。首都直下型地震の件で、またご厄介になろうかと思っています。

夜間傾聴>なし

p.s.明日、サポセンに行く。活動復活。

(校正1回目済み)

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12/29 自宅に弔問客が現れ…

2013-12-22 06:23:47 | 地震津波災害ボランティア

2013/12/21 記
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父の訃報を聞いた某宗教関係者の方や、そこを通じて拡がった母の知人関係者の方が、突然我が家にやってくるようになって、予定外、足止めされて困っている。ご近所さえ知らない状態なのに、弔問者は、ぽつりぽつりとやってきては、挨拶をしていく。

今日は3組、来訪者があった。職場関係者の中で、このブログを読んでいることがわかっている方には、大げさに広げないで欲しいとメールしてある。犯罪を犯しているわけではないのだから、簡素にということで、弔問お断りということではないのだが。

父の埋葬には、もうひとつ課題があった。宗教上の信条から、仏式の先祖の墓には入らないという意思があることだった。散骨とか樹木葬なら本人の意思に沿ったことになるが、母と私、そして父の宗教関係者以外の親戚縁者は、父が認知症を発症する前、つまり10年ほど前、生前の父の意思表示を親戚筋にして猛反対を食らっていた。それを思うと、無縁墓ではない簡素な集合墓とか、印が残る樹木葬などを探す必要があった。藤沢の大庭墓苑には藤沢市民なら集合墓があるが、茅ヶ崎市民は使えなかった。樹木葬は、母が長距離歩くことになる墓地はダメということで、鎌倉・伊勢原以外は全滅となった。ところが、この二箇所の両者とも、市民優先で人気があるため、待たねばならない状態だった。そんな墓地探しを始めていたところの弔問客だった。

今日の墓地見学はあきらめて、返却日の迫った書籍 を図書館に返し、夕食の食材を補充してきた。年末の大掃除はまだ終わっていない。


夜間傾聴>中止

(校正2回目済み)


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12/20 父の葬儀は家族葬として無事終わり…

2013-12-21 05:35:17 | 地震津波災害ボランティア

2013/12/20 記
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父の信奉していた宗教では、仏教を初めとした異教の葬儀、儀式に対する拒絶がある。父の場合は「偶像崇拝はしない」「復活があるから葬儀・墓は拒否」ということになる。

ところが、葬儀は、今を生きている者のためにあることを忘れている。死者の欠落を調整修復する、生きるものの営みという社会的側面だ。実はここにも更なるバイアスがかかっていることに注意したい。欠落の先を継承・修復と決め込まず、変革・終了させたい場合、緊張を余儀なくさせられる点だ。父の宗教への違和感は、考え方や信奉する神の正当性の対立に見えるが、そこには本質はない。

父は葬儀をするなと言っていたが、父の意向を尊重しながら、親戚・縁者の関係も再構成しなくてはならなかった。その結果が「家族葬」だった。親戚に出席者をしぼり、最低限の再構成の場を保障するのだ。親戚はもともと異文化には非寛容だった。父のように異質な宗教にこだわったり、私のように、社会活動を軸におき家族を営まない者は、社会人欠格者とみなされた。村社会的結束以外は認めない。だから家族葬とは、恥じるべきもの、死者への冒涜、再構成時における家継承の立場確認の無視とみなされた。

招待する者を選別して式を構成しないと、従来の葬儀と同じ規模となってしまう。父方の父の甥や姪たち、つまり私の従兄弟たちは、ある市内に住んでおり互いに日常交流があった。ところが私は市外、法事のとき以外は交流がなかった。家族葬を決めたとき、私は彼らの代表を斎場が地元になる市外の従兄弟に代表にお願いすることにした。これが火種となり、「代表を認めない」と、もめだした。かくあるべし、それは全員参加だった。父の没後二日間しか準備期間がない葬儀なのに、夜通しもめて、結果的には、本家長男の出席後、初七日に残り全員我が家にくることになってしまった。父の生前、父の法事出席拒否の度、私と母が責められた。私は彼らを家制度の権化のように感じていた。面子としきたりが支配する関係は、村社会のような相互依存度の高い社会では調整弁の役割をするが、都会のような社会基盤のばらばらな社会では空疎であり、逆にいうとその形式を守ることによって、ようやくお互いがぶらさがっている法事依存関係がある。

家族葬は、葬儀社が一時預かりしている遺体との再会から始まる。父は数年前と比較してふたまわり、20kgも体重が減った。老健入所でカロリー管理食で4年間弱生活し、最後の1年は特養に移って、嚥下障害に悩まされて食事量が減り、体力を無くしていた。その結果、ふたまわり近く身体が縮んでいた。

棺への献花だけで出棺。火葬場で荼毘に伏し、待ち時間に会食して父を偲び、骨あげして終了という簡素な無宗教形式だった。親戚関係がほぼ全員不満を抱えていた。しかし父の意思はもともと、「葬儀をするな」だったのだ。父の宗教は個人遺影・位牌を作ることや、墓の建立、輸血の拒否があり、生前から法事の拒否の際に、親戚からの批判が集中していた。「このようなみすぼらしい葬儀は故人がかわいそうだ」という者も自説を曲げず、母と私は異端となっていた。しかし故人に話を押し付けた発想は、私には了見の狭い想像力の欠如した主張にしか見えなかった。

とにかく葬儀を終えて、父の遺骨は目の前にある。母は疲労で早々と床についた。ぼんやりと、今からでは喪中の葉書は出せないなと考えていた。父の他界は予想外の速さだった。

こういう粗末な葬儀をする者だから、私も母も涙ひとつでていなかったし、まわりも素っ気無かったのだと、回状がまわっているという情報も入っている。しかし、父に苦しめられた想いこそあれ、懐かしく思い起こされる思い出が無いことに、今更ながら愕然とするのだ。解放されたと感じてはいけないのですか、と、骨壷につぶやいていた。

夜間傾聴>中止

 

p.s. 無理に代表をお願いした近隣の従兄弟のご夫婦には、ご迷惑をかけた。ご助力いただき、感謝している。

(校正2回目済み)

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12/19 今回は葬儀前日なので、休みます

2013-12-20 02:44:06 | 地震津波災害ボランティア

2013/12/19 記
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明日告別式である。夜間傾聴は「中止」。
一日だけ書き込みも休みます。


夜間傾聴>中止

(校正1回目済み)

 

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12/18 私事のみですみません 父の臨終と葬儀準備の一日

2013-12-19 05:34:48 | 地震津波災害ボランティア

2013/12/18 記
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20時過ぎ、父は誤嚥性肺炎で、この世を去った。60年を越す親子の戦いがやっと終止符を打った。頑固な人だった。人を服従させる不合理な要求をし、宗教に凝っては、真理という金科玉条を盾にしようとし、家族はそれを受け入れなかった。曾祖母・祖父母の介護が始まり、男の役割論を主張、ケアの一切を侮蔑して協力せず、30年間、私が父の代行をした。だから、父の介護が始まり、それも格闘技のような日々となり、父が老健に入所することで、やっと静穏が戻り、次は特養に移る頃には、父の半身不随と認知症が進み、息子がわからなくなっていた。そして約10年目の今日、父は意識なく、昏睡のまま、激しい生涯を閉じた。

だから、私には無残な疲労感だけが残り、異様なほどに悲しみは乾いていた。

葬儀は20日密葬とし、荼毘に伏される。

今日は葬儀屋や、父の兄弟等の連絡調整に追われた一日だった。父の宗教では葬式をしない。肖像写真も偶像崇拝として排除される。祭壇も認めない。しかし、親戚からは葬儀実現を求められる。習慣を論拠にした要求が、私と母に非常識という「レッテル」を貼られ続けた。

マンデラの死をいたむ民衆が、彼を歌い上げることで悲しみを表現した。そのニュースを見た母は、悲しくないのかねえと、呆れていた。文化のギャップ。それと似た事態が父の宗教の価値観と社会常識という対立を起こし、その谷間に私たち家族は落ちていた。

とにかく、サポセンの全体会は急遽欠席となり、電話調整に追われた。自慢と身近な葬儀との比較話が話をこじらせた。面子としきたりは、父ではないが私も嫌いだ。想像力の欠如がそこにあるからだ。

葬儀社のいう「無宗教」も「折衷形式」の意味だと改めて感じた。

塾や予備校の予定も変更。金策もゆとりなくなんとかせねばと、葬儀予定のみちの処理をなんとか、無事走らせることができた。

とにかく、葬儀の準備で消耗戦の一日が終わった。

鶏がらのようになった父を傍らに看取りつ…


夜間傾聴;中止

(校正2回目済み)

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12/17 慈恵医大眼科受診と/父の対策を打ちつつ 他

2013-12-18 06:02:11 | 地震津波災害ボランティア

2013/12/17 記
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慈恵医大眼科を受診してきた。薬が全く変わらない。交通費の方が高い状態だと、マンネリ化に嫌気がさす。もともと網膜色素変性症治療は、関東では慶応大・順天堂大や千葉大などが熱心に取り組んでいるが、順天堂系の統計臨床医学専門の医師の紹介で、慈恵医大に通い始めた経過があった。もともと網膜色素変性症は、iPS細胞治療(網膜再生の臨床適用の実験段階)以外、完治の可能性はなく、進行を遅らせるだけの治療となる。医師を代えてみようかと考え始めた。患者の会に接点を持つ順天堂大にセカンド・オピニオンをかけようかと考えている。左目はなんとか維持したいのだ。

父の状態は平行線をたどっている。私が東京に出かけている間に、母が代行して父の病室を覗きに行っていた。葬儀社との相談連絡や、父の兄弟への連絡などは、携帯から行い、相模大野校やJR相模原の塾へは、冬期講習講師から降りる旨の連絡を取った。母の老々介護と精神的孤立は避けなければならない。八つ当たりだが、一昨日にもかかってきた*石材の墓石販売が、母の怒りのターゲットになっていた。故・祖母の姓の電話ということは、20年近く古い名簿を使って電話しており、名簿から抹消せよと毎回言っているが、馬の耳に念仏なのだ。故人名とは失礼極まりない。

慈恵医大の会計は異様に混んでいた。年末だからだろう。処方箋薬局で支払いをやっと済ませて、母に電話。父の状態に変化なしとのことで、帰宅途中だった。気がやや咎めるが、せっかく東京に出てきたので、私の友人の娘さんに毎回送っている優れた絵本を選ぶために、雑司が谷の専門店に立ち寄った。

通販が主なので、店舗にはその一部しか置いていないが、店主が博識なので、総合大手店舗のような、問い合わせに対するたらいまわしがなくて済む。優れた絵本は独自の世界を抱えており、子どもだましのようなレッテルを許さない魅力・迫力がある。事前に数点、私の好きな作家の作品や、コレクター趣味の仕掛け絵本などを覗いた。私が今回選んだのは、新作ばかり。ところが、在庫がない。店主とあれこれ話したが、古典ばかりとなって、「なんでも鑑定団」風の作品2点を発送してもらった。

雑司が谷は横浜に乗り換え無しで行ける。横浜でビッグイシューを販売員さんから仕入れ、県サポで、県図書館から借りていた書籍(エンゲストロームの活動理論)を更新しただけなのだが、これであとは授業を日送りしたので、駅前で夕食の食材を買い求め、家に飛び込んだ。

教材屋への立ち寄りを…忘れていた。

来年1/17が小野寺氏の懇話会講演だが、謝金の借金(舌噛みそうだ)だった。焦って電話。父を出汁にして相手を落とした。うそつきは、懲役何年かなと思いつつ、振り込んでくれることになったことにほっとしているのだ。++部長、堪忍。

予定がすっかり変わったので、父が持つようであれば、明日、サポセンの全体会だけは参加しようと思っている。小野寺氏の宿泊先協力の依頼の件だ。

母と急場しのぎの夕食を済ませたところ、低血糖か異様な眠気。その場で仮眠をとったが、母には孤立を感じさせたらしい。早々と母は食器洗いを済ませ、寝室に入っていた。まずいなと思いつつ、父の件、こればかりは頑張るわけにいかない。臨戦態勢を維持して、社会活動の最低線は守りたい。

1/17の件で、神奈川県看護師協会に問い合わせをだした。今回は「被災認知症者と家族」の話題なので、障がい畑への協力要請が出しにくい。どう切り出したらいいのやら。被災時の想像力の問題なのだが。

就労支援の件、福祉系は撤退し、中小企業筋の洗い直しをしている。ますます、年内は無理。ハローワーク求人の背景の現場からつなぎなおす方法は、求人の隙間、ひとの信用関係が生き残る現場をたどる。そこで打診成功した上で、ハローワーク仲介を取る。トラブル対策だ。これらは、ハローワーク求人情報に出てくる場合と、パート募集のような直接採用のあいまいさの中から、改めて雇用者がハローワークに求人を出す場合がある。そのあいまいさの世界から求人を釣り上げる。正攻法ではない。そこが通じるかというところ。

横浜・寿町の年末年始の越冬炊き出し活動が始まる。例年、ミカンを供出しているのだが、今年は山北と結ぶのは無理。現地炊き出しも、お客さん支援だろう。堪忍してもらう。柚子の話はあるのだが、使いにくいだろうし、今からでは無理だ。

夜間傾聴>なし

(校正1回目済み)

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12/16 父の危機に/他

2013-12-17 05:24:30 | 地震津波災害ボランティア

2013/12/16 記
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父の入院手続きをしに、病院へ行った。主治医の説明があり、入院申請手続きがあったからだ。

行って驚いた。私は病棟看護師にすぐにつかまり、大事な話があるから、ここにいてくださいといわれた。いやな予感がした。主治医があらわれ、父の容態が危ないという。昨夜の当直医師とは全く診断が異なっている。誤嚥性肺炎重症であり、死期が近いという。アルブミン1.4という異常な数値。長い期間栄養失調状態となり、そこに肺炎を発症したという。老健から特養にうつるとき、健康診断を受けている。そのときは正常とされていた。レントゲン検査も通過している。特養半年、先月健康診断でレントゲン検査を受けたときも異常なしといわれてきた。先月の秋祭りのとき、父の体温が異様に低いので、看護師に質問。その数日後には体温は戻ってきた。あと心配な要素は、インフルエンザ予防接種があるが、このときも、医師の診察があった。だから「長期間をかけて」ということが、納得がいかないのだ。

父の状態は栄養を血液にいれても、受け付けにくい状態まで衰弱しているという。異常でもアルブミン値3あたりが一般的。1.4というのは、会ったことがないという。

特養に入って、父の鼻毛が異様に露出しているので、注意したことがある。これはケアを怠っている証拠であり、その指摘後すぐに、鼻毛は切られたが、今回の入院時、父の額に10cmほどのあざが出来ており、そして肺炎。特養の担当医が同じ病院の派遣であることも気になる。

ともあれ、父はいつ亡くなってもおかしくない状態にあり、親戚縁者に連絡をとるようにと指示があった。

急遽、辻堂のリハに出ている母の元に連絡。タクシーで母を迎えに行き、病院に連れていった。覚悟していたこととはいえ、あまりに急な変化だった。特養への疑念が高まる。

ともあれ、すべてが緊急待機に切り替えられた。祖母がそうであったように、年末は異常事態が起こり易い。父との格闘技も終わろうとしている。

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昨日、喪中葉書が束に送られてきたが、そのなかに60年安保のときの故・樺美智子さんと同じ研究室にいた$$さんの名前があった。静かな、そして深い方だった。私の同期の##の名前があって驚いた。全く異なる分野でTVKの立ち上げや、某地方紙の科学・文化系の編集に関わっていた。動脈瘤破裂だった。

年末は鬼門だ。そう思う。

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**子の世話に協力してくれたご近所の和尚さんから電話があった。年末年始は忙しいから、助太刀にはいれないからという連絡だった。本来ならそれは**子のご両親に語られるものだ。ご丁寧にと挨拶したが、変。

今日、就労支援の件で、面談の付き添いをしてきた。残念だが不成立だった。ハローワーク求人の背後にある、いわゆる「縁」の糸をたぐった求人の隙間を狙ったのだが、彼の要望に応えることができなかった。策が残っていないか、たどりなおしている。

小野寺さんの1/17の宿泊先を探している。ビジネスホテルなら空きはあるだろうが、講演を終えたらビジネスホテルというのも冷たすぎる。宴会をやってという話ではない。地元湘南の関係者と私的な交流(ナイター)を持ってもいいだろう。どなたか泊めてくださらないかなと、打診中。

明日は私の眼、慈恵医大の診察の日だ。すっかり右の目は風呂場の湯気の中、曇り硝子越しの視野のようだ。だから左目が網膜色素変性症で、じわり起こっている。放置すれば失明する。母と外食しながら、改めて母の顔を眺めていた。

<入手書籍>

●「家事労働ハラスメント――生きづらさの根にあるもの」
●「発達障害白書<2014年版>」
●「東日本大震災に伴う「都内避難者」のくらし 今 ひと」

夜間傾聴:ひとり

p.s.

すべての物事が閉じているように見えるときにも、自分がなすべきことは残る。閉じている不合理を断罪するのは愚か。閉じていることを論じることを愚痴と取る心には、社会の矛盾の何も見えていない。だが矛盾は隠れ蓑ではないのだ。

(校正2回目済み)


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