湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

2/28 民泊とQRカード>目的を絞ること 他

2016-02-29 05:37:10 | 地震津波災害ボランティア

2016/02/28 記
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「わーくNo.062」を書いている。「お薬手帳QRカード」の連載を書いている。

個人の発案で、それを現実化するために考察していると、思いつくことは誰も同じ事で、大手団体が大概先んじて換骨奪胎した実用提供を進めてしまうものだ。その違いは、便利と効率化の線上で開発されるために、それは、必要と事態改善の目的から発案されたテンションを失っている。その結果、自分が温めてきた肝心の目的が、かき消されてしまう苦い思いを蓄積して行くことになる。

以前、私は東北の被災者との長期連携のために、田舎(仮実家)作り・「民泊」交流の勧めを書いた。支援推進者の被災者との私的交流の話で、この私的根っこを育てることで、地域支援の腰が座る。ところが「民泊」は、被災者家族を見守ることであって、被災者家族の日常生活の中に支援者の受け皿を作れと、要求していることではない。被災者家族は民宿化せよという要求ではない。

ところがこの時期、東京オリンピックを頂点とした観光客優待の受け皿作りで、「民泊」を作れの提案が一気に始まった。儲け話に国際交流の調味料がかかったしろものだ。東北被災者との長期連携の「民泊」提案がこのころから、「民泊」という言葉から相手が抱くイメージが変化し、全く響かなくなった。今、この件で私の被災者家族交流の相手を育てることを始めているが、被災復興と重ねるように登場した東京オリンピックの欲ぼけが、「どこまで被災地を覆い隠したら気がすむのか」という、怒りの上乗せをするように「民泊」話が出ているようで、私は深呼吸を続けているのも事実だ。

ところが更に、被災時自己表現が困難な傷病者や乳幼児・障がい者・高齢者・在日外国人等、災害弱者(被災時要援護者)の、医療と保健・身元確認などのを担う医療関係者発行の医療情報カードの提案、これは急性期の病院の大混乱の後始末支援の意味や、避難所の体調管理の意味を含んでいたのだが、この目的に重なる行政提案がなされた。マイ・ナンバー制度である。住基カードの進化形として、行政の住民所得と納税管理の都合上生み出された制度で、そのカードの副次機能に病歴・既往症と生活個人情報を載せられるという形で、戸籍謄本を持って大根を買いに行くような違和感と、プライバシー漏洩への無頓着の中で、万能カードの常時携帯が推奨された。ところがこの提案がまた「副次的」なのだ。

これに対し、日本薬剤師会や日本調剤など薬局業務団体からは「電子お薬手帳」がアプリとして提供し始めた。たしかにこれは、被災時に効果が望めるものだ。しかし、スマホが使える健常者のためのもので、デジタル・デバイドの高齢者や、障がい者、子どもを救うものではない。誰が安定推進するのかというシステムも弱い。アプリの登場によって、開発の要点が絞られたともいえるが、「マイ・ナンバー」と「スマホ・アプリ」という嵐一過の企画推進を考える必要に直面している。

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母の怪我の影響から、食事がほとんど入らなくなり、体力が落ちてきたため、見守りサポートを続けている。気丈なひとなので、自分で立ち歩き、痛みにへたりこんでしまう繰り返しなので、目が離せない。

買い物をネットスーパーにしたが、配達時間帯が思うようにいかない。灯油は高い(というより生協共同購入が安いのか)が、電話注文で購入した。あと数日で1週間になる。仏壇の供え物程度でもやっと口にするようになったが、依然ダンピングが起きて困らせられている。日の経過が寛解を生むと信じて持久戦に入っている。月曜日は通所リハなので、状態はケアマネさん経由で施設業者に伝わっているので、そっと送迎バスに乗せてしまおうと思っている。その隙に、銀行に生活費を下ろしたり、買い物を済ませる予定。食事が戻った時点まで、この状態が続く。橋本の対面指導などの仕事が止まってしまっている。

夜間傾聴:ふたり
     塾長

(校正1回目済み)

 

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2/27 「下神白団地の人々」と神戸東灘区の牧さんの活動/老老介護の第一歩

2016-02-28 05:58:26 | 地震津波災害ボランティア


2016/02/27 記
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今、いわき市の県営災害住宅(200戸)「下神白団地の人々」(3/4金曜ミニカフェ)をチェックしなおしている。高層アパートゆえの生活孤立。阪神淡路大震災の際、400名を超える孤立死を生み出した体験を活かす場面が来ている。

7月の懇話会ゲストの牧さん(よろず相談室)が番組に登場する。アクティブな方と感心している。

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朝、トイレに行くために、ベッドから立ち上がろうとした母が、再度床にころがってしまった。今回は周辺を片付けておいた為、打撲も軽くて済んだが、立ち上がるために手をつく場所が柔らかいので、滑ったとのこと。

私の就寝時刻が6:30。母の事故が8:00すぎと、土曜午前中診療の地元整形外科につれていくことに。私がトイレに入った隙に、母はひとり、医者にでかけてしまった。初回の転倒時のストレスでダンピングを起こし、母は軽い野菜スープを一日コップ1杯しか食事をとっていない。3日目なので、その意味でも付き添いがないと危ないと考えたが、いないので焦り、クリニックに電話。今、到着したところだと応答をもらった。

事情を説明し、ひとり返さないでくれと頼み、外来は土曜日、ひどく混むので、近くの生協に牛乳を買って、時間調整してクリニックへ。またいない。朝、転倒との話に優先して診察してくれたのが逆効果。隣の処方箋薬局に行ったという。薬局に飛び込むと、母はいなかった。母は裏道を通ってふらふらと歩いていた。母の携帯電話はベッドの中。冷や汗をかいた。

母を着替えさせ、寝かせたところで、生協の灯油共同購入日であることに気がついたが、すでに遅し。巡回はすでに我が家に不在のメモを残して行ってしまった。灯油はこの辺のスタンドで買うと、20リットルボトル/本で手数料込みで600円違う。5本で3000円違うのだ。視覚障がいのある私は車の運転が出来ない。困ってしまった。タクシーで買い物した方が安いという変な地域なのだ。

母は自分でできるという自尊心を持っている。昼になるので、母はそうめんに茄子のしぎ焼きを準備。このそうめんつゆも、茅ヶ崎の夜間開いているスーパー3店まわり、麺はあるのに、つゆが店頭にないという自体に、浜見平の**さんに頼んで、夜間分けてもらったものだった。それを言えば、ヘソを曲げて希望していたそうめんを食べることを拒否しかねなかった。お前の世話にはならぬという奴だ。

昼食を終え、母の眠ったのを確認して、隣の部屋に資料とPCを持ち出し作業するつもりが、眼鏡を吹き飛ばして寝入ってしまった。老老介護の幕開けだと思っている。2時過ぎに電話があって、沈没していることに気がついた。

父の介護は格闘技だったが、母とは神経戦の様相。まずいなと思っている。包括支援センターのケアマネさんとは話が通じているので、この1週間、私が橋本や買い物に出かけるときは、最悪のとき、通院補助と訪問チェック出動をお願いしてある。月曜日、通所リハを行かせるかどうか…。

夜はカボチャとコンソメのポタージュで攻める。やっと飲んで一息。私は買っておいたカマスの干物で糖尿病食。明日は参鶏湯(さむげたん)をアレンジする。

就寝前に母をトイレに誘導。枕元にペットボトルに水を入れたものを置き、掌蹠膿疱症(しょうせきのうほうしょう)の指でも開けられるように、深く締めず、首に細紐をつけて、落としたときの回収策をとっておいた。

夜間傾聴;ふたり

(校正1回目済み)

 

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2/26 ワイワイ祭り前日の金曜災害ミニカフェ/被災者傾聴とは

2016-02-27 05:58:11 | 地震津波災害ボランティア

2016/02/26 記
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明日は茅ヶ崎市中央公園とサポセンを会場に「ワイワイ祭り」が行われる。その会場準備の中、金曜災害ミニ・カフェをやってきた。別に日程をぶつけたわけではなく、阪神巡回の日程があって、日がなかったからだ。従来なら部屋の入口にポスターを貼るのだが、会場飾りつけに重ねるわけにもいかなかった。

作品は東北☆未来塾のガンジー和尚の被災者傾聴3部作を取り上げ、「傾聴とは何か」「被災者傾聴の解き放つもの」「若年者の自らの傾聴体験から開くもの」という論じると面白い世界なのだが、金田和尚の要求するものと、被災者傾聴のニーズの背後に沈黙する層の意識のずれが意識化されていないことへの疑問がある。カフェ形式の集団の場における傾聴と、絶望の淵を彷徨う層に寄り添う訪問傾聴とは、異なること。そこに傾聴ボランティアの錯誤が潜んでいること。では訪問傾聴は成り立つのかという亀裂の淵を論じたかった。誤ればひとは死ぬ。私はふたりを殺してしまった。私は首を差し出す以外ない、そういう修羅の世界との接面である。

夜間傾聴は、明け方の魔の時間の孤立に寄り添う実践だ。命の電話のように、若年者の抱える事情には幅があるが、個人が行える範囲は狭いし浅い。一期一会の出会いの中で危機に晒された話を聴く「命の電話」ではなく、限定的なキャパの個人では、特定の個人を長期的に連れそう予約傾聴が主になるし、命の淵を彷徨う方はPSWさんに、キャパ上から迷惑だろうが引き継ぐことになる。

つい先ほど、3月の金曜災害ミニ・カフェの作品が決まった。

●3/04「下神白(しもかじろ)団地の人々」
●3/18「東北☆未来塾『久美さんのやる気UP塾』3部作」

だ。

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母が飲んでいる痛み止めは、私がヘルペスをやったときに飲んでいたものと同じ古いタイプの薬だ。私は平気だったけれど、胃が悪くなり眠気も出る。そのせいか茶の間に出てきては舟を漕ぎそうになっては、胸の痛みに目を覚ましている。歩かないと後遺症がでるので、悪役を演じて、部屋の中を歩かせている。

永平寺の白粥・曽我梅林の高塩分の梅干・茄子の煮びたし・銀ダラの粕漬け半切れという典型的な病人食。私は粥の代わりに、にぎり寿司。間を空けてオニオンスープ。

「わーく」誌作成中。

夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)

 

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2/25 金曜災害ミニ・カフェ「被災者への"傾聴"を考える」の準備と…

2016-02-26 06:09:53 | 地震津波災害ボランティア

2016/02/25 記
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母の肋骨はきれいに折れていた。単純骨折である。寝たきりではないことは助かったが、ベッドの寝起き、衣服の着替え、食事介助が必要となった。痛みが引くまでのことだが、利き手側だったのがいけなかった。散々祖母たちの介護を手伝ってきたので、大体の世話の仕方はわかっていたが、肩も打ち身があり、触れられない状態なので、介助に困った。痛みが薄らぐまでは2週間はかかるが、まあ1週間はこの状態だろう。母の携帯電話が私の呼び出しブザー代わりとなった。しかし、今日も夜に茶の間に出てくる状態なので、大げさなヘルパーの応援導入などは不要ということが、ケアマネさんとの話の結論となった。

痛み止めなどの処方薬管理と清拭は、「へたくそ」などの罵詈雑言の言い放ち主導権を譲らないのは、いい傾向だと思っている。

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私の目のオブラートを通したような視野は、片目は明るさと若干の色程度の識別が部分では可能だが、生き残っている側の目は薄い霞がかかっている上に、部分的に見えていないエリアがある。
実はこれがこわい。

前日のブログ、ざっと読み直ししたつもりになっていた。先ほどテキストの読み上げにかけて、ぞっとした。修正したので、お許しを。

日本調剤の「おくすり手帳+」アプリをチェックしている。二重処方などの危険を回避する意図は感じるが、「災害対策」の意識の上で作られたものではない。記録も自主的に行うもので、システムの中に位置付けされたものではない。スマホが使えるなら、災害弱者支援は相当に楽だ。この「自主性」を前提に出来ないから苦労するので、やはり「おくすり手帳QRコード版」は、「マイナンバー・カードの副次機能」との間で論じるべきと思う。しかし、このアプリが、「スマホを使える方には利用価値なし」とまでいえるかどうか調べている。

明日の金曜災害ミニ・カフェは、ワイワイ祭り前日なので、部屋が予約できないサポセンでは、上映場所が確保できるか心配があるが、「東北☆未来塾」から、被災者を対象にした「傾聴とは何か」を論じることになる。生活再建と待機の方への傾聴と、絶望を感じている方の傾聴を一律に語れるだろうか。若者が行う傾聴の役割と限界を語りたい。

しかし「わーく編集部」・「懇話会」の活動は、お祭りブースの形や、公園のマーキーテント下のように、場が議論やアピールに向かないために、試しにTVに映画などを映して見せるアイデアを考えた。しかし映像がすすけてしまう。選択肢がなく、ワイワイ祭りに参加しなかったが、機会がまた消えて無念さが残る。

…ミニ・カフェ中、母から呼び出しがかからなければいいのだが。

夜間傾聴:ひとり
     塾長の奥さん


(校正2回目済み)

 

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2/24 「貧困」と「学び」について私見(16)/母の肋骨骨折 他

2016-02-25 05:25:24 | 地震津波災害ボランティア

2016/02/24 記
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目がやっと異物混入感が取れ、霞は残るが日常生活には支障がないところまで来た。溜まっている活動を再開と言うところで母親の事故が起きた。(文末)

活動再開は徐々に行きます。

まずは「「貧困」と「学び」について私見(16)」を書きました。
ご一読を。

------ここから--------

(前回から)

私のように、幼少期病弱により生死の境をさまよい、命の果ての存在を知ってしまった体験を持つ方は社会に散在している。ただお互いが出会うことなく、言葉を凍らせている。共通していることは、健常者の未来は自分の未来ではなく、自分の健康の回復をモニターしつつ、独自の道を「常に更新して生きる」という、いわば登山ではなくトレッキング的な生き方を身につけてきたことだ。「現在を十全に行き継いでいく」という前提に立つということだ。

このことは、子ども社会のマイノリティとして世代集団に集団行動への同行の限界という、相手には違和感を生み出す場面を生むことになる。いじめの端緒がそこにある。私の場合には、転勤族の家庭・家父長意識の強い父と「しつけ」という不条理があり、学習と進学の一般理解風競争原理の押し付けという火種がくすぶっていた。決定的な父親との対立にならなかったのは、四世代の介護が常にある高齢者家庭だったからだ。命の一過性の自覚は、介護・医療への関心であったり、対話の言葉の生成しえない苦しみを抱えつつ、命への共感を噛み締めて独自に生きることだった。

教育とは掴み取ることなので、進学競争の中にあるステレオタイプなエゴイスティックな幸せを目指して、常に現在を犠牲に未来へと投機していく生き方とは相容れないものがある。それが「現在」の否定と、時流への追従(学生なら、なぜと問う学習知識の価値の篩を捨てること)忌避であり、私が掴んできた病弱経験から知る「常に更新して生きる」・「現在を十全に行き継いでいく」と対立することだった。

体育実技を除き、教科はトップを走ってきたが、それはいじめの火を振り払うため・家庭の火種を回避するためという卑近な妥協の産物だった。それゆえ、社会活動の参加や、「抑圧された"現在"」のカウンターカルチャーとして、自らの知を育てる活動を膨らませて行ったが、それも大学受験を控えた高校の生徒進学管理の「丁寧な指導」とも激突し、限界を迎えた。

私たちの時代は、その頃、高度経済成長の終わりという曲がり角に来ており、70年安保という政治の季節を迎えていた。ただそこにも、障がいと福祉・医療の個人的課題を根底に持つ、社会的課題の居場所のない、政治へと収斂する変革の季節だった。私はその政治活動にも通じない体験差の言葉を胸に、政治・社会活動に参加し、ひとつは某政党機関紙局の雑務係として、もうひとつはいわゆる救対として、高校離脱(大検から受験したため)後は、高校生への生涯選択の語りかけと私塾創設活動を続けてきた。

後日私は私塾創設活動と、福祉活動へとのめりこんでいくが、大学では救援連絡センターへの協力活動や、某政党の旧世代の左派(親中派)との知人が多かったため、セクトと見なされ、いわゆる内ゲバとかテロといわれる的外れな攻撃を受け、中退と別大学の受け直しを余儀なくされる経過をたどり、政治から身を引いて行く経過を取った。いわゆる団塊の世代の尻尾として、政治の変則的な洗礼を受けている。学校から職場と家庭作りという村社会を行き継いでいく行き方をされる多数の中にあり、社会という穴のあいたマイノリティののかさぶたを剥がし続けることを身に念じつつ、多様性の接点を求めて行くという生き方をしてきた。

だから、災害ボランティアの活動の中で語られる「絆」という言葉ほど、私には村社会への回帰という幻想に満ちた両刃の剣のような「地域コミュニティ」を無神経に使っていることは承諾できないと感じているのも「路肩からの視座」を持つが故だ。"絆"論の結束と排除の論理は、たとえば、安全避難の必要性から導きだされる、人の生活の香りのしない「地域コミュニティ」論にしても、情緒的"絆"論にしても、決して災害弱者自身の言葉を反映することはない。徹して実態をつかみとって行く対話作業の中からしか、先は見えてこない。

(つづく)

----- ここまで -----

夜中、母が部屋で転び、肋骨を単純骨折した。へたりこんだ状態で、後ろにころがった、それで引き出しのノブに衝突したら肋骨が折れたらしい。

母が異常を訴えたのが翌朝なので、腰痛用ゴムベルトで応急処置した。ゆっくりなら歩けたので、近くの整形外科に連れて行った。帰ってきたら発熱と嘔吐がはじまり、先ほど看護を終えた。

ここ1週間は動けまい。私も近くの生協と我が家とクリニックの行き来に縛られそうだ。うーん、明日、地域包括支援センターのケアマネさんに相談する。

 

 夜間傾聴:ふたり・塾長

(校正2回目済み)

 

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2/23 夜間傾聴と目の疾患のこと

2016-02-24 05:24:27 | 地震津波災害ボランティア

2016/02/23 記
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気持ちは焦るが、目の回復が徐々にしか、変わってくれない悩み。幸い私は教育カウンセリングの立場から、ガス抜きの方法を知っているから煮つまりはしないが、作業量が大幅に減る悩みは、やはりじわりと焦りに変わる。

JR相模原の塾の下請けのような形で、追い込まれた青少年と夜中に付き合っている。明け方闇の水面に浸るが、こんな私だから、ちょっと背が高いだけの違いかもしれないと伝えている。あとは経験値。

自由が丘に住むパニック障がいの当事者同士が1児を抱える夫婦になっている。彼らは私との夜中の声かけ仲間。彼らに言わせると災害が起きたとき、一番厄介なことをやりだすから、潰れるねと宣告されている。でも隣にいるという活動は、卒業生を生み出している。

同じような、いわゆる「命の電話」をしてきた**さんと偶然辻堂駅の券売機のところで出会った。探していたという。話はこの手の支援活動をしている方の突拍子もない発想だった。「厄介なこと」そのものだった。中間プロセスが省略されるから、今かかわっている*名の方に、とんでもない厄介なことを言っているのではないかとも思う。

今夜は湯豆腐作りの話をして夜を越えた。二極性の青年である。対話は目を使わずに済む。悪あがきなのではあるが。

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「わーく」に使う神戸の画像を捜している。長田の大正筋商店街の失火当時の被災画像が「大正筋商店街」があった。画像があれば。そをシェアさせてもらうことにした。
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夜間傾聴>ひとり

(校正1回目済み)

 

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2/22 日本調剤アプリのチェックを行いつつ

2016-02-23 06:07:22 | 地震津波災害ボランティア

2016/02/22 記
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母に頼まれて、リハ通いの時の年配男性運転手さんが転居でお別れとなるので、出来るだけ「時代遅れな役に立たないもの」をあげたいと言い出して、リハの婆連で渡すので、プレゼントを準備してくれと突然言い出した。豊なひとで、何あげても野暮ったいから、変なものがいいという。婆連で話したがひとりとして同意を得られる提案がなく、母の一任となったという。趣味は旅行と高齢者とのおしゃべりという変わった人物。

探りを入れたら、冗談のかたまりのような人物だという。

突然言われて、ぽろりと「アンティーク・トイカメラ」と言ったら、すぐに準備せよとなってしまった。スマホが当たり前の時代、昔と違って安物デジタルカメラをもらっても、嬉しくも何ともない。以前、丸善でロシア製の2眼レフもどきをみたことを思い出した。5×3×1cm位の大きさで、掌に乗る。USB端子で仲介して充電と、メモリでPCに画像を渡す。目が痛むので母に入力させて、通販で入手した。古臭く、チープな感じ。

来週わたすとのことで、婆連はリハの前に集まって、秘密会議をやっていた。5人で5千円なり。明日はストラップを買いに行くのだそうだ。

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「わーく」の原稿を書いている。といっても段落ごとに休憩で目を閉じる状態だから、効率が悪い。

日本調剤の無料アプリで「電子おくすり手帳QR版」を発見し、いじりまわしている。これで一見私が抱えていた災害弱者の自己表現が難しい傷病者の病歴・服薬中の薬品名を明らかにするものだから、スマホの利用が前提とするのは無理。この辺の事情を書く。

阪神淡路大震災当時の写真集を眺めている。長田の写真もある。巡回レポートのイメージ整理中。

ビッグイシュー配達、残り1件に行く。海老名帰りで立ち寄ったが、1冊増やして欲しいといわれたが、次号からにさせてもらった。寿町の販売員さんから買うので、まとめていかないと交通費往復分が自前なので赤字が膨らんでしまう。茅ヶ崎販売が、当事者2人がいなくなって、読者さんを維持しているのだ。

今回は、母の余計なことを書いたので、ここまで。

夜間傾聴:なし

(校正1回目済み)

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2/21 来年度予定を考えています、ひとつは「わーく」に取材記事を入れたい

2016-02-22 05:53:59 | 地震津波災害ボランティア


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巡回の際、神戸大学の関係にも連絡を取っていた。応答が無かったのだが、昨夜メールが入っていた。次回、7月の懇談会準備のとき、よろず相談室の牧代表にあいみ95月の連休明けでも、お邪魔することに。了解済み。災害弱者関連資料。

「わーくNo.062」の全体構想が決まった。来年度の予定を書いていた。ところどころで、取材記事をいれようと思う。気仙沼の某団体が第一号になりそうだ。

夜間傾聴:なし

(校正1回目済み)

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2/20 すみません、記事の前半が欠けていました。直しておきました。

2016-02-22 02:45:21 | 地震津波災害ボランティア

目の不調、不注意ミスが増えています、すみません。

 

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2/20 懇話会ゲストに期待するもの/記事:震災の仮設住宅、5年間で190人が「孤独死」

2016-02-21 05:50:18 | 地震津波災害ボランティア

2016/02/20 記
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目の不調が続いているが網膜色素変性症の進行が原因なのではなく涙腺の炎症なのだそうで、網膜色素変性症に"よくない"ということらしい。地元眼科に今日も行って来た。ちらつきとかすみが残っているが、今は前の状態に戻っている。頭の上に終末への砂時計があるようで、詰め将棋が一手進んだような緊張が潜む。

今回の神戸巡回の件は、どれも正確には未決定。日時調整や、よろず相談室の牧さんとは、電話ではあるが、一度きちんとご挨拶してテーマを相談しなければならない。

巡回から帰ってきた18日の朝日新聞一面に、次のような記事が出ていた。

●「震災の仮設住宅、5年間で190人が「孤独死」」(2016/02/18 朝日)

阪神淡路大震災でも、仮設から現在までの復興住宅の生活のうちで、1130名の方が震災影響下の「孤立死(私は孤独死より正確に思う。)」が起きている。東日本大震災では、更に多くの方になるのではないかと危惧する。

孤立死(孤独死)は、氷山のようだ。家族・仕事の喪失、家計の破綻、生活の悪化等によって、体と心を蝕まれている方が背景に潜んでいる。私の私塾ルートからも、東北の子の進学困難が問題になっている話が時々舞い込んでくる。家族と家計の追い込まれた姿が浮かんでくるようだ。

牧さんは、こうした被災者の長期訪問支援をされている。被災障がい者・高齢者の支援エピソードを知りたい。繰り返される災害への対策からは、常に抜け落ちはみ出して行く「事態」を反芻する作業を行いたい。

一方「拓人こうべ」の福永年久さん(代表)には、被災直後から仮設生活に至る被災障がい者の避難対応と支援の話を伺いたい。

いずれも東日本大震災の沿岸集落のような村共同体があった地域の被災と異なる都市型災害なので、支援の形成を知りたいのだ。

巡回の報告と論点の整理は、会合のテーマと日時が定まらない段階では「懇話会ニュース」に馴染まないので、「わーく」誌の中で検討する。いま、その「わーく」を書いているところだ。

金曜災害ミニカフェは、発災時の被害拡大を招いたものを明らかにしていく番組だったが、「通電被災」・「幹線道路大渋滞」の影響の話に留まった。震災関心の風化のなかで、感震ブレーカー(スイッチ)の設置拡大も立ち消えになっている話などは参考になったが、外部支援到着後移行の避難所生活支援の様をシリーズ編成して欲しかった。

そんな感想をメモとりながら、ディスプレーなどをサポセンに返して、窓口スタッフの方と神戸巡回の話をした。そのとき、ミニカフェは月二回、50回(25ヶ月)を経たというのに、「被災犬・猫」のことで神戸に行ったのかと問われて、愕然とした。何も通じていない虚しさだった。

目の霞みと両足の鈍痛という情けない状態もあって、黙って帰宅したが、感震ブレーカー(小皿に乗せた玉が、震動で落下し、ブレーカースイッチを玉の重さで落とすという簡単な補助仕掛。)の件と共に、今回の「わーく」に書くことは豊富だ。ともかく帰宅したかった。


夜間傾聴:ひとり

(校正2回目済み)

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2/19 7または9月の懇話会にと、東灘区の「よろず相談室」の牧秀一さんと接点ができました

2016-02-20 03:24:19 | 地震津波災害ボランティア

2016/02/19 記
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神戸の東灘区の牧秀一理事長(よろず相談室)と接点が出来た。7月または9月に湘南の懇談会に立ち寄ってくださいとお願いしていた。無理かなあと思っていたので、ほっとした。感謝です。

目の調子がまだ戻らないので、とりあえずここまで。来週の「金曜災害ミニカフェは、ワイワイまつり前日なので、部屋のコーナーでと考えたが、迅速に部屋を片付ける条件でOKを取った。

夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)

 

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2/18 体調悪化、一日休みます

2016-02-19 04:08:48 | 地震津波災害ボランティア

2016/02/18 記
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朝の東京到着は、ゆとりを持って東海道線始発に乗れる時間だった。洗面して驚いた。眼鏡を戻しても視力が出ずに、無性にまぶたが渋かったのだ。このまま時間を待って慈恵医大眼科に行くか、主治医の診察が無理で、レジデントをあてがわれるなら、地元医に寄るかと悩んだ。目薬をさしてすぐに、視野のちらつきは異常だが見えるようになったので、後者、地元医師にみてもらうことにし、見えている間に停車中の始発電車に乗り込んだ。席で目を閉じていた。

しかし歳だ。帰りの千円高いバスのリクライニングシートのデザインの悪い柔らかさに、首と片側の腰椎が鈍い痛みが取れなくなっていた。選択は正解だったのかもしれない。処方している薬を抜かないようにと注意を受け、再度PC・携帯の一時的使用禁止が言い渡された。ともあれ、寝床に直行。母への報告も何もころがったら、両足がつった。大阪・神戸市内は町が古く地下街は案内板が字が小さいために、やたらに無駄な階段昇降を迫られた結果だった。情けないがのた打ち回り、風呂場の温水シャワーを足にかけ、芍薬甘草湯を飲んで急場をしのぎ、ストーブの脇に毛布を持ってきてころがった。昼すぎまで熟睡して復活した。目もなんとかもどった。まぶたの痙攣も直っていた。

母とふたり遅い昼食を作り、食べさせたところで、諦めて寝床にもどった。今日は一日、回復にあてた。

中途半端な軟らかいリクライニングシートは、腰椎に負担がかかる。行きの硬いシートの方が調子がいいのだ。特にマジックテープで貼り付けてある風船枕が最悪。もうこの会社の高速バスは使わない。首がいまだ痛みがとれない。

明日、金曜災害ミニカフェ時、「懇話会ニュースNo.017」発行は、あきらめた。

夜間傾聴:臨時休業

(校正1回目済み)

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2/17 神戸の巡回終了、次回講師、決まる

2016-02-17 20:27:51 | 地震津波災害ボランティア
2016/02/17 記
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神戸の懇話会講師依頼の交渉が済んだ。
阪神淡路大震災の被災障がい者支援活動の講師は、「拓人(たくと)こうべ」(長田区)のメンバーから、調整してくださることに。(4月下旬~5月)

被災高齢者支援関係は、すれちがいがあって、資料のみ届ける形となり、電話交渉に持ち越し。被災障がい者支援も行っている方でアクティブ。是非というところ。(7月または9月)

故黒田裕子さんの元ネットワーク関係者と会う件の前に、活動拠点だった伊川谷の工房にお邪魔したが、一昨年末に黒田さんが亡くなった際、ネットワークと共に、工房も無くなっていた。医療福祉の現場の人材不足の現状をみるようで、黒田さんの孤軍奮闘ぶりが見えてしまった。

次は取材先として、連絡会議の事務局をたずねた。歳が若く、阪神淡路大震災だというのに、何回も東日本大震災と間違えるので、年配者に取り継いでもらう形で、メール交渉に。資料を置いてきた。

神戸市行政は、市民向けの資料しか得られなかった。西宮は時間切れ。

最後に黒田さんのネットワークの元メンバーと会う件は、別人の若い方が現れて、伊川谷工房の話のみの話で、訪問支援は全くわからなかった。面会の主旨が伝わらないもどかしさ。

一応、巡回を終えて、バス待ちをしている。あと1時間半。小雨避難の喫茶店で、粘っている。しかし、目がひどい。霞がかかっている。朝、慈恵医大に寄って帰る。

夜間傾聴:臨時休業(来たら携帯対応)

(校正1回目済み)
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2/15&16 高速バスの車内です

2016-02-16 22:19:39 | 地震津波災害ボランティア
バスはガラガラ。6人で占領状態、学生ばかりなり。とりあえず、今回はこれにて。

夜間傾聴:一応、臨時休業

(校正1回済み)
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2/15 阪神巡回準備完了…で

2016-02-16 06:00:21 | 地震津波災害ボランティア

2016/02/15 記
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神戸にいく準備が、ひととおり終わった。

3団体1医療機関の担当者のところと、故・黒田裕子さんの旧ネットワークのひとりの5名を回る。ひとりは多忙を理由に、警戒されてアポが取れなかった某党系の方だ。いい仕事をしているので、是非会いたいと思っていた。一日の巡回だから、端緒をつけられればいい。峯本さんに教えていただいた方は、年度明けにアポを取り直す。このときは、被災単身高齢者支援関係でたどる。今回の医療機関も留守の可能性が高い。台湾に行っているかもしれないのだ。

来年度から、「わーく」誌と「懇話会ニュース」双方で、ときどき取材記事を企画しようと思っている。障がい領域は多様で、災害支援と言っても一度にくくるわけには行かない。被災高齢者支援の形は、深い挫折と再建不能の高齢の悔やみとの間接対話になる。引きこもり青年の闇と違う生へのこだわりをどう作るか、単にコミュニティで包摂と言っても、その質が問われる。その言い足らない部分を現場の方にぶつけてみたい。

医療ケア専門職は、発災時、傷病者の津波に出会う。少なくとも外部支援が入る3日間と、避難生活の中で崩れて行く災害弱者を支える長期戦の双方で、静岡の「市民トリアージ」の発想にもあるが、地元市民の医療ケア支援の外周連携を具体例の形で示せるような活動を作りたい。

学校のモラトリアム空間が崩れた被災現場では、ハイティーンズの自主活動が期待される。災害ユートピアの時期では、認知症者・障がい者・妊産婦・挫折再起者・在日外国人などの多様な立場の方と協業の場面が生まれてくる。災害弱者の庇護と同時に、都市部では地域コミュニティの萌芽をどう育てるかが問われる。共通の職業(農漁業等)が社宅などを除いて、背景がないので、繰り返しコミュニティは壊れるからだ。何をなすべきか、そのモデルをつかみ出しておく必要がある。

資料を整え、講師依頼書を作った。あとは、眉間に皺寄せ「通れー」と念じる。これだけだ。


夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)

 

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