湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネの地域学習活動・就労支援活動の実践試行を書き溜めていきます。

発言することは人を分かつこととは知りつつも

2004-12-31 05:51:07 | 就労支援
 スカウト関連の方で、被災救援運動や障がい児者支援の信じられないほど行動的なSさんから、湘南子どもフォーラムへの苦言をいただきました。世話人実態が何ともお恥ずかしい状態でしたから、誤解訂正の返信も延々と書きましたが心苦しいものがありました。提案は飛田提案のまま、宙吊りなのです。

 しかし、お祭り騒ぎに障がい者を巻き込んだわけではないのです。このことは信じていただきたいと思い書き連ねました。

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 自分が中途半端な状態だと年賀状は、書きにくいですね。昔の進学塾講師時代の塾生が僕の退職後、追跡して僕の住所を知り、年賀状を寄せてくれまして、彼女が結婚、出産という嬉しい近況を届けてくれます。芯のしっかりした子で、自分の世界を持っている子です。今年欠礼の葉書が届き、実のところほっとしています。虚勢張ってもしょうがないのですが、双六の振り出しに戻っている現状からは、なんともねと…。しかし賀状が嬉しいっていうのは、年取った証拠でしょうか。

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 今、僕の脳裏には交通事故前に勤務していた知人の塾の子たちの顔が浮かんでいます。僕は通信塾という仕事や某サポート校や予備校の外勤講師や時間講師を兼任しています。しかし、若手と一緒の場で何かを行うという場面が希薄になっているのを感じます。入院2年のブランクが場を絶ってしまったというところなのです。そんなことも湘南子どもフォーラムに賭けていた理由だと思います。

 情けない形で終了し、再出発をしているのですが、やはり子どもと何かをやっていない空虚さは隠しようがないものがあります。だから、なおさら、いい仕事にしていきたい、そう思います。現状打開を念じて年を越します。

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引きこもり・不登校領域と心身障がい領域の出会いは

2004-12-30 06:06:38 | フリースクール
 学校制度という枠に結果的に縛られていない思春期/青年期の子(青少年)の出会いであることに、実践知の場をみているというところがカギです。

 「子ども」というと年齢層の誤解があるので「青少年」と呼ぶべきでしょう。中学生ぐらいから大学生ぐらいまでの学齢の子のデザインです。小学生の場合は準ずる形でしょうが、今後の課題となっているのです。

 FHCYの方からは、定款作成・財源確保を行うべきとの提言をいただきました。まさに課題です。呼びかけ文は1月早々に作ります。

 テストケースを作っていくこと、これも課題です。まずは、思案に参加する実践家有志を集めるところからのやり直しなので、1月は団体回りです。

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12/29(水)にFHCYの方々と情報交換します

2004-12-29 06:03:42 | フリースクール
明日(つまり今日)「FHCYアジア障害児パートナーズ」の面々と会う。湘南子どもフォーラムの懇談会は、企画研究活動と広報活動が両輪のように必要となってくる。このため、心身障がい領域の諸団体への交流ルートが大事になってくるからだ。

関心のある方は12/29(水)13時半、茅ヶ崎駅改札口で合流しませんか。長居が出来そうな店に移動し、話し合う予定。

懇談会ML参加呼びかけの文を作成中。仕上がったらここのブログに掲載予定。

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地域参画のまなびとは(理科教員たちのML『共足共沈』論議をヒントに)

2004-12-28 06:31:24 | 不登校
 2004湘南子どもフォーラムの関連メールを1フォルダーにまとめておいたCDを眺めて驚いた。メール総数は、到着分だけで1000通近かった。僕が送信しっぱなしの分を入れたら1000通は軽く超える。ひとつの大きな行事にはさらに会員間の見えないトラフィックが隠れている。改めて行事の手間隙の大きさに驚いている。

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 今日で塾の私の担当分は終わり。裏方作業は30日まで続くが、時間のやりくりがつくので、一安心。

 ざっとメールに目を通すと、ふたつの気になる記事があった。ひとつは理科教員関係のMLで「共足共沈」という議論があったこと。もうひとつは青少年支援セミナーのSOF紹介(紹介感謝!)の中でフレネ教育の紹介があった。このふたつに関連する件を書いておく。

 前者は東大の佐藤学さんが、習熟度別学習の問題の指摘の中で、「レベル別に分けた少数の子ども相手に、教員が範囲を絞って丁寧に教えると、子どもは理解し教員も満足する。が、蓄積結果をみると子どもも教員も成果が沈んでしまう」というものだった。

 単純な競争原理を肯定するわけではないが、教育は背伸びなのだ。同時に眺望(見通し)を獲得する行為なのだ。機械的に輪切りにされた習熟度別学習はまなびを寸断してしまう。

 理科教員たちの議論は、わかりやすく教えるために始めた「おもしろ授業」が、手品の面白さに終わり種明かしの面白さに踏み込んでいないという議論と重なり、一生懸命教えるがたちどころに空転が始まって、「おもしろ授業」不感症に引きずり込まれる悩みと、系統性に深まらぬ苛立ちへと導かれてしまうという話になっていた。

 しかし話は、「なぜだろう?なぜかしら?を解明する楽しさが伝われば生徒は寝ない。 」というところに、なぜか話が落とされてしまうのだった。本当だろうか。ことは更に深いところに隠れているのだと思う。

 学校教員は学校制度の空気の中で生きている。だから、授業の欠陥は改良をすれば超えられると考える。しかし、子どもの知的好奇心の衰退のように見えるそれは、学校知という教室環境の特殊な学びの中で起きていることであって、子どもの生きている社会歴史環境が消費社会にどっぷりと浸かっていることに無頓着だ。佐藤学さんが「逃走する子どもたち」と述べたように、基礎基本と実践を分離した学校制度下の学びが制度疲労を起こしているということに思いが至らない。モラトリアムの形に隔離された場の学びが効力を失ってきているのだ。

 旧フレネ教育は、その学校制度下の枠組みの中で、子どもが社会へとはみ出ていく実践だった。しかし、この方法もそのままでは古色蒼然としている。

 教室という場ではなく、子どもの社会参画の場面から学びを再構成できないだろうか。学校制度の柵を超えて子どもの成長を支えていく地域の場面を描けないかと思う。

 この辺が見えるのは、おそらく不登校・引きこもりの子達からだろう。結果的に学校の管理から降りた立場だからだ。SOFの学びへの誘いと短期ゼミ風の学び行動は、学びの糸口を開く学びへと特化している。(cf.教材ヒント集)その糸口の先の探求にも伴走協力していくのだが、これもまた子どもの脳内の知識の刃物研ぎを教員が操作して行うわけではない。学習の中の他者の存在、協業の中のずれが彼を磨いてくれるだろう。

 青少年支援セミナーに紹介していただいたフレネは学校教育からはみ出したフレネだ。フレネの方法論には言及しないが、まずは関係性を変容させていく学びへと転換していく試みなのだ。

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 実は、社会歴史的文脈の中に学びをおくということは、今回の湘南子どもフォーラムの飛田提案の中にも自覚的に取り入れられている。

 引きこもり・不登校の青少年と心身に障がいをもつ子とそのご家族との日常交流は、従来の実践としての見守りと癒しの延長上に、自分を再構成していく試みとして位置づけられる。

 全体会の場では提案し切れなかった三層構造の第二層は「団居(まどい)」と創造の層だ。


1)「日常生活の近隣の出会いと共生」

2)「地域共同作業所の協業デザイン(喫茶・販売など)」

3)「協同起業デザイン」(または巣立ちの『企業就労デザイン』)


 ここには、ニートを背景とした不登校・引きこもり群の思春期の子たちが中心となり、人材的に労力を提供しながら、企画参加していく。このことにより彼は多様なひとと出会い、友を作り出していく。心身障がいを持つ子には、友人候補との出会いを提供し、その関係は中にはともに起業していくこともありうる。勿論、その触媒となるコーディネーターの役割がなければ、ことは頓挫してしまうだろう。

 しかし、こういう枠組みへの参入離脱は相互承認の上で自由であるし、ここにまなびを見出すこともできるのだ。ひとは必要とされる者を抱えるとき真価を発揮する。ここにまなびの層を重ねてみようと思う。

 この実践は心身障がいの分野からは新しい枠組みではない。そこに屈折した人材がやってくる、その出会いのなかで、お互いが共生の力を感じ取ってもらえるのは絵空事ではないだろう。

 心身障がいの関係者と出会うのは、見聞を開くためではない。そこに自分を再出発させ、友を得る場を考えているのだ。


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 e-mail年賀状を書き終えた。

 ロジャー・ハートの「子どもの参画」を読み始めたが、接点のなさに驚いている。この辺はいずれ、レポートする。論の立て方が違うのだ。

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藤沢大庭図書館待機の仕事納めでした

2004-12-27 06:09:55 | 不登校
 今年最後の藤沢大庭図書館待機をしてきました。毎月第一・第三週の空き曜日(水・木中心)14時半から16時まで、不登校(選択登校)の子とその家族の方との接点を求めて2年が経ちました。

 当人3人。親御さん1人が利用。ほとんど教材ネタ調べに通っているかのような状態です。雑談室でおしゃべりしたり、読書ガイドやノートパソコンの使い方のコーチのときもありました。しかし最近は陶芸の窯元電話仲介が1件あったきりで、閑古鳥が鳴いています。

 図書館が開館している限り、かならず「いる」という状態をキープしています。

 辻堂駅から大庭隧道経由「湘南ライフタウン」「湘南台駅」「慶応大学」行のバスに乗り「大庭小学校前」下車、目の前です。

 tobita@mbm.nifty.com に連絡をくれると携帯電話が鳴ります。正面玄関左手の談話室でお待ちください、杖をついているので、目立つとは思いますが、そのおっさんが飛田です。

 来年は「1月13日(木)14時半」から再開します。陣中見舞い歓迎 (^^; です。
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湘南子どもフォーラム後継ML詳報です

2004-12-26 23:32:25 | 不登校
 ----- 昨日、ふたつのMLを発足させました。具体的に動き出すのは年明けですが。

●湘南子どもフォーラムネット(交流会)

 11/28茅ヶ崎駅前2会場で行われた第一回湘南子どもフォーラム・文化祭の連絡網を存続させ、交流しつつ論議をしていこうという実行委総括に基づいて入れ物(MLシステム)を準備したものです。

 自主再登録制なので、今後の運営は呼びかけ団体「あねもね」に託されています。活動開始日時は未定です。現在休眠状態です。


運営:「子どもサポート・あねもね」
システム管理:tobita@mbm.nifty.com 飛田
会員資格:湘南と近隣地域の子ども支援運動関係者
運用:随時参加申請受付(上記。あねもね関係者の簡易口頭審査あり)・過去ログ公開


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●湘南子どもフォーラム懇談会(仕掛人会議)

11/28の湘南子どもフォーラムの開催の中で現れた温度差。それは現状認識の差であり、企画牽引者の人材不足の問題でした。どんな運動にも中心になる集団が必要。今回は子ども支援団体の領域越境を試みたことを受けて、各団体の実践経験者(仕掛人)集団をめざします。

 茅ヶ崎市民活動サポートセンターを会場に、月1回か隔月1回の公開懇談会を持っていきます。具体的な企画作りを媒介に、自己課題を抱える子による地域の社会参画交流の流れをめざします。(詳細はSOF日誌をご覧下さい。)


運営:SOF飛田と仕掛人集団作り賛同者
システム管理:tobita@mbm.nifty.com 飛田
会員資格:湘南と近隣地域の子ども支援運動推進者
運用:随時参加申請受付(上記。指示待ち参加はお断りします。会の入会承認が必要です。)
会誌:議論のDBサイトを立ち上げます。(1月予定)過去ログは非公開。


以上です。
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地域の子どもの出番作り企画実践者集団への連携候補団体提案の巡回を始めました

2004-12-24 04:08:34 | 不登校
 昨日は、障がいシンポジウム実行委員会主催の「シンポジウム『障がいがあっても選びのある暮らしを』~地域で働き、地域で暮らす~」(茅ヶ崎市役所新庁舎コミュニティーホール)の集まりにお邪魔してきました。

 やはり就労活動がクローズアップされていましたが、就労先の企業が熱心に研究をしている話に、ちょっと違和感。全国系列企業と地場産業の様子は落差があるのではないかと思わされたが、やはり心身障がいの世界でも、抱える困難の状態に幅があって、なかなか統一した問題意識にならないことも感じさせられました。

 今、僕が考えている引きこもり・不登校+ニートの領域からのラブコールは三層になりそうで、ここが未整理のまま発言はどうかなと思いつつ、ボランティアスタッフとしての引きこもり・不登校・ニートをしている方たちとの地域の出会いをコーディネートできないかと問いました。日常生活場面の参加と、実は「起業」もデザインできないかということも考えていて、こうなると、「企業の中に入る(就職)」というイメージとも違ってきます。

 この辺の論議はどの選択肢が正しいという話ではなく、お互いが実現可能性を煮詰めていく「合わせ鏡」のような自己チェックの性質のものです。

 当日の会には旧知の友人がいたり、研究会MLへ、自閉症児・者親の会の役員の方が参加するという申し入れも有ったりと番外の価値がありましたが、全体としては論点ダイジェストとしての価値があったように思えました。

 もう少し協力の輪を広げてから、公開企画実践者集団を立ち上げようと思います。

 新年は早々、関係団体への新年のご挨拶を兼ねた呼びかけチラシを、撒くことになりそうです。今回は一般参加ではないので、一本釣り方式がいいのかなと思案中。

 来週、中高生以上のボランティア参加が可能か、就労体験が可能かというような具体的なことがぶつけられそうな方に会います。そのアドバイスを受けて、発足する会合の呼びかけ文を作ります。


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湘南子どもフォーラム・文化祭のまとめ02推進者集団がいなければ

2004-12-23 04:44:33 | 不登校
 今回起きていた問題は、要するに扇の要の役割をする世話人の関わりが、ばらばらであったことが原因している。世話人構成は、様々だ。私はもともと教育運動の教員筋から運動に関わっている。そこに地域振興運動と市民運動の筋から子どもに関わっている人がいて、あとの2名はスクール・ソーシャルワーカーだ。だから、よほど互いに話を煮詰めないとスタイルが皆違うから、掲げる理念だけでは、イメージがずれてしまう。

 こういう厄介な組み合わせの上に、今回の「信頼問題」が起きた。ここにその具体的な事例を書くのは、やめておくが、自分が引き受けた仕事を立ち消えにさせたり、連絡を絶ったりというような事態では、企画全体を支えていくこと自身が無理になる。参加団体が各自、自分のパートを守って交流が生まれなかったり、事前の準備が私が大半を支え、参加団体から協力が得られないほど混乱する様々な事態が押し寄せ、奇跡的に乗り切ったというのは、ただごとではない。その危機を世話人が共有していなかったというところに、初めての企画だからでは済まない「ずれ」が潜んでいる。

 提案は予想外の反響を呼び、その意味では成功なのだが、もうこの「祭仕立ての企画」は支えられないことが、はっきりしてしまったことに話の不幸がある。企画が会議形式でも、その中に「子どもの企画参加」は考えられる。しかし、「祭仕立て」の様々な仕事の中の方が多様な参加方法とその多層な参加レベルが成り立ちうる。「子どもの企画参加」の器が広いから、残念でならない。団体を招待し、ホストとお客さんとして会議に臨む固着した形式から、半歩でも踏み出せないものかと思う。展開力は企画の中で成長させていくもの。それが育てられなかった。従来のスタイルからついに抜け出せなかったのだった。

 提案内容をめぐっての路線の議論であるなら語り合えばいいが、この手の信頼問題は話せば和するというものでもない。そういう資質と経験の断層が見えてしまう。加えて個人評価が問題に、なっていく。

 提案議論の煮詰めは、今回のネットワークを今後続けていけばいいという提案があり、私は反対した。

 推進者のいない運動は育たない。扇の要はばらけたのだ。ではどうしたらいいのか、そこが議論されないで継続論議にすれば、自然消滅の道にはまり込んでしまう。

 今の世話人集団は動かない。周囲のとりまとめに重きをおき自分を語らなかったり、引き受けた個別の仕事を私が聞くまで皆に多忙を理由に返さなかったりというような無責任な状態では、とても「構想を膨らませ、参加者を喚起させる」役割を担うことは出来ない。一度解消し、企画実践者集団をこの指とまれ形式で作り直す必要があると反論した。

 様々な事態が多重に処理する場面が間際にはかならず登場する。最低限間際2週間は連日連絡を取り合い、各自連日1時間程度は企画に何らかの関わりが持てる状態でなければイベント型の企画は対応できないだろう。そのレベルの活動可能な人材を「呼びかけ集めて公開育成していくこと」が先だと語った。マイクのコード一本が断線したために、コンサートは成り立たなくなったり、水場の利用が断水で不可能になったりという事態は日常茶飯事。時代を読むだけではなく、ここを予測防御したり対応に動ける雑務可能な人間がいなくては、企画は成り立たない。ただの不慣れでは済まない問題が企画の裏にはあるのだ。

 実際、それぞれの参加団体には自分の団体の中で、こうしたイベントを自力展開出来る力のある集団もある。しかし「その力を引き出し相互に合わせる」のが世話人の役割だ。これが今回雑務係とも、私一人の状態だったのだ。

 午前中の全体会は会場内50名(企画参加団体10名)、このとき模擬店の準備や搬入作業していた企画参加団体構成員が20名。その時点では70名が企画を支えていた。午後2会場+路上に分散したが模擬店完売となるお客を確保してる状態でありながら、およそ半年、その裏方は8割方私一人が支えていたし、当日の雑務処理に奔走していたのも私一人だったという矛盾。無事すんだかのように見える当日の裏は、実は綱渡りだったのだと語り、実行委ML参加者は皆沈黙した。

 折角の問題提起も支えきれていない。だから、「この指とまれ」と語っても、実質は「ひとりの旗揚げ」になるだろうと私は語った。それでもいい。ことは始めなくてはならない内容なのだからだ。

 最終の総括会議の実行委の際、螢雪ゼミナールから、年配の関係活動経験者のK氏が初登場、この旗揚げに合流したので「ひとりの」は避けられたものの、厳しい再出発となった。

 実行委の提案団体だった地元交流会が、これから休眠する子どもフォーラム・ネットワークの仲介をする一方、企画実践者集団を当座茅ヶ崎サポセンに集まりとして立ち上げ、公開性を持たせた論議を積み重ねることにした。地元関連団体をゲストにして、話し合いを積み上げていく推進者養成活動を始めていく。MLは年内(無念K氏はPC苦手、ひとりのML?)、会は名称を考えて新年早々に会を立ち上げる。

 どうかこのブログをご覧になっている特に近隣の方で、やってみようかと思った方は、飛田に連絡をいただけないだろうか。アドレスは下記。

tobita@mbm.nifty.com(@は半角に直す。)

(完)
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湘南に子どもの自立支援企画実践者集団を立ち上げる準備をしています

2004-12-22 04:43:35 | 不登校
新年早々、茅ヶ崎サポセンで仕掛人の会をもそもそと作り始めます。

 サポセンと、ここのブログに日程を書きます。偏屈おじさんの会にならないよう、おばさんも参加してくれると嬉しいんですが…。勿論若手歓迎です。話はサポセンで晒していきますので、見物可能。MLを年内に立ち上げますが、みんなFAX派なんですよね。私が仲介翻訳(入力屋)しますが、野次馬してみたい人はいませんか。MLは、仕掛人用で、一般向けMLは新年にでも作りますから、前者は審査があると思ってください。「お手伝い」は落選しますので。

飛田までご一報ください。> tobita@mbm.nifty.com(@は半角に)

総括02は今半分位までしか書けていません。もう少しお待ちを。

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湘南子どもフォーラム・文化祭のまとめ01私の提案

2004-12-21 04:47:40 | 不登校
当日会場論議が成り立たない事態が起きましたので、提案者の私の提案は総意には熟していません。その上でなおかつ、以下のまとめ(総括)を行います。

----- ここから -----

 やっと湘南子どもフォーラム・文化祭(11/28)のすべてが終了しました。これで従来のSOFの活動に戻れます。

 今回の企画は半年にわたって準備されたものでしたが、引きこもり・不登校領域から呼びかけ、心身障がい・地域子育て(ち)などの他の領域の子ども支援関係諸団体が、子どもの「いま・ここ」を取り戻すために、協力関係を取り結ぶ、その一歩として企画したものでした。引きこもり・不登校領域のものにとっては、特に中高生以上の青少年(抑圧的ないやな響き、他の言葉はないのでしょうかね)の地域の出番を考えました。

 しかしここでも「子ども」という言葉の意味するところの差、子どもの権利条約では「18歳未満の者」という定義がありますが、小学生以下をイメージしている方と、成人している方を含む青少年層をイメージしている方があり、すりあわせがどこまで出来たかは、未だはっきりしない部分を残し、それが議論に微妙な影を投げかけていたように思います。

 提案者としては、小学校高学年学齢から青年層までという広い幅を考えていましたが包括的な言葉が見つからないために「子ども」といいました。これは上限が引きこもりの年齢層の実情に合わせた幅でした。今回小学校中学年以下の子たちの構想を描いていないのは、そこまで拡げると一括した行動提案がしにくくなるため、議論の先送りをしたものでした。

 私たちの都市社会では、標準からはみ出たものは非常に生き難い社会になっています。居場所がないのです。引きこもり・不登校も歪んだ社会環境の中で登場しているのです。特に学齢期の子は単一の学校空間に包み込まれているために、その場での人間関係や学習の破綻がその子の人格全体の危機に直結してしまいます。従来の引きこもり・不登校の運動が「見守り」を基礎とした社会適応の運動になっていて、なかなか独自の道をさぐることができていなかったことがありました。当人が納得して専門学校なり、大学に行けばその先は視野の中に無く、一方引きこもりの運動の場合は就労活動、その方の「身の振りを定める」形に運動を眺めていました。運動が自分の生計だてのためという境界を持っていたように思います。「当人の生きていく身の振り方」という「個の殻」に閉ざされていたように思えます。ここを食い破る、はみ出す、そういう質を持たせたいと考えたのがこの企画の狙いでした。学校制度から押し出された後も、結局は前しか見てこなかったのだということです。

 人は生涯の中で、様々な人間関係を生きていきます。ともに笑い、ともに嘆くそういう共感の中を生きていくにも関わらず、そこをデザインする運動は各団体の内部で萌芽が育まれているにも関わらず、なしうることはその団体の組織力量にくくられていたために、会の外には育っていなかったように思えます。自分が必要とされているとき、ひとは変容をとげるのです。この様々な、いわば「同時代を生きる者の横の広がり」を自覚的に押し出し、就労という枠を日常の出会いを含んだ「私たちの生き方」を生み出していくところまで、押し開こうとしたのです。

 圧縮して語っていますので抽象的に感じると思います。お互いが必要な関係で取り結べる場はどこにあるでしょうか。子どもを未熟な大人として、学校に囲い込んでいる現状では一般の子ども参画論では歯が立たないでしょう。しかし「幸いなことに」引きこもり・不登校の当事者はその囲い込みからはみ出したのです。ではだれと何を。

 この辺の試みは、以前から就労活動(インターンシップ的活動・バイト等)で行われたり技能伝承を職人に依頼したりという形でありました。先進的な活動では子どもの記者活動のようなものがありますが、提案では地域交流を基礎に日常の出会いや、企画を含んだボランティア活動にまで拡張しようという提案をしています。このボランティア活動を「奉仕活動」と訳すと、それは間違いになると思います。非対称な関係が出てくるからです。自分が必要とし、相手も求めている共生関係を軸としたいのですから。今までは大人の領域・政治的な領域として若い世代を遮断してきた領域です。提案は心身障がいを持つ人とその家族との共生に糸口を求めました。

 「幸いなことに」としたのには、もうひとつの含意があります。自分を見つめるから苦しい。しかし苦しさを知っているから、つながる価値が見えるということです。街の中に自分を受けいれ、関係を取り結んでいける場があるということ。心身障がいの方とその家族からすればノーマライゼーションの流れの中で、大人たちに混じって、偏屈な友達候補が飛び込んでくることになります。痛みを知るから共感できる可能性も大きいと思います。波紋はニートと呼ばれる人たちにも必ず届きます。そこまで動き出せば流れになるでしょう。

 実際は差別や偏見が横たわる世界ですしエゴも出ます。当事者が納得しても、引きこもり・不登校の方の家族が賛同しないことも起きます。平坦な道ではないと思います。ここにコーディネータの存在が意味を持つのです。紹介や企画を提案し、障壁を取り去る支援を行う精力的な地域の活性剤のような大人が必要になります。しかも聞く耳、柔軟な発想の方これが求められるのです。他領域のボランティア活動の仲介の場合も、長期にわたり伴走できる相談役の大人が必要です。

 こうした人材の獲得を狙いとした企画実践者集団・開放された地域の実践するシンクタンクが、地域の子ども支援諸団体のネットワークの心臓になれないかと思うのです。この無謀な提案を起こしたのが今回の湘南子どもフォーラムでした。

 しかし、描いた絵とその波紋の大きさを、今回の企画を支えた者の足腰が支えられなかった。結果的には、2+α名の、この指とまれおじさんが、ぽろり会を立ち上げたに留まっています。しかし、的ははずしていません。大丈夫と踏ん張っているというところなのです。

 次回は「湘南子どもフォーラム・文化祭2004」の中で起きた出来事の中から教訓を取り出します。

(つづく)

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11/28湘南子どもフォーラム・文化祭の議論が済み、すべてが終わりました

2004-12-21 04:42:39 | 不登校
経過も公開できる状態になりましたので、まとめ(総括)の形で数回にわけて、次の記事から載せます。ご覧下さい。今回はテーマをめぐる部分の概括です。
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11/28湘南子どもフォーラム・文化祭の総括議論は12/18に

2004-12-14 02:30:00 | 不登校
 11/28の湘南子どもフォーラム・文化祭は、玉砕型のイベントになってしまいました。まだ議論が続いていて、12/18の総括の実行委を最後に解散します。その今後のことについて、なし崩しに流れ込むか、実体として無理ということで、有志でこつこつと作り直すかというしょうもない話なのです。

 こういうと失敗したのだなと思う方が多いと思いますが、抽象的な言い方をすれば「実がなっても根腐れしていて木が持たない」という状態です。報告義務があるなと思いつつ、微妙なところなので書ききれないところが多いのです。

 ひとつは従来のお付き合い仲間の信頼関係の問題、もうひとつは、行動派で自主的な発想の出来る方の欠如の問題。

この辺が今回の問題です。

 午前中の全体会はほぼ満席状態で、提案の波紋は行政やいろいろな関係団体に予想外に大きく広がりました。企業からの協力の話も広がり今後に希望が出てきました。しかし参加団体と世話人会の現状を見ると、それが支えられない状態なのです。仕方ないかなと見切りを付けつつあります。

 次回はその主張の内容を書いてみます。このことをめぐって、実行委のメーリング・リストで空回り議論が始まっています。具体的な話は12/18以降ですかね…。憂鬱。すみません。
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ご無沙汰しています。11/28の総括作業がまもなく終わります…が

2004-12-12 05:08:51 | 不登校
しんどい話。結論が見えてしまっているので、しょうもない
ひとりで進む道かなと思っています。行動者集団が出来なけ
ればダメ。見渡しても該当者がいないのです。

けじめはつけます。
思い込み・勝手と思われても、現実の運動はそうなのだから
しょうがない。喚起する者がいて周囲が活気付くのです。

あと2回で総括を書き終えます。議論が膨らまなければ
SOFの独自の活動を再開します。
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11/28湘南子どもフォーラム・文化祭の総括作業が混乱しています

2004-12-07 04:41:32 | 不登校
路線論争ではなく、信頼問題であることが悲しい。
しかし、異常は異常。ここを抜けなくては先が無いのです。

その論争は、いま中断しています。まだ時間がかかります。
大事なことなので、こちらの実行委MLに書く時間を優先
したいと思います。少なくともあと数日は、かかりきりだと
思います。すみません。

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この二日間、行政関係や地元商店会関係に

2004-12-04 05:42:10 | 不登校
11/28湘南子どもフォーラム・文化祭の報告をしに巡回していました。
やっと一巡すませました。評価は是。

全体会はほぼ満席状態でした。しかし午後は
中心が第二会場に移ったようです。

高浜高校の「傾城阿波之鳴門」はお家芸だけに
なかなか素晴らしい舞台でした。しかし、そのあと
お弓人形が幼児に握手するシーンは、なかなかです。
練習風景の出前とした価値がありました。近くで見ると
あちこちに細かい細工がしてあるのですね。
大人の方でも間近に見るのは初めてだろうと思います。

シュタイナー人形劇の闇と想像の渦巻く、静かな人形劇
とは好対照でした。

午前40名、午後30名というところでしょうか。

むしろ今、実行委の中で論争が始まっています。
「子どもの出番」をめぐるもので、大事な論争です。
こちらにここ数日は力を注ぎたいと思います。

ノーマライゼーションと不登校・ひきこもりの接点を
問う話なのですが、落ち着いてから報告したいと
思います。

何百倍もの熱意がなければ超えられない壁を
どう考えるか。さて。

(ちと休止)
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