2011/04/28 記
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母の「突然のめまい」「眼の奥の痛み」「力が入らない不安定な歩行」「食事後のダンピング」という症状が、整形外科からは、「腰椎すべり症」が、手術不要の軽度だが見られるということ以外、決定的な診断がでないまま現在に至っていた。そこに昨年7月末~11月にかけて、下手な眼科医のボトックスの後遺症がかぶり、3年前胃ガン手術をした消化器外科、地元の消化器外科&内科、眼科、神経眼科複数、神経内科、心療内科、神経科・精神科、麻酔科をくぐってきた。しかしどの医師も検査結果が異常なしと出てしまう。その間もときに激しい嘔吐や両足の「つり」「突然のめまい」が出てきていた。日常は歩行が遅くなったこと以外、目に見える変化が無く、突然症状が出るのが特徴だった。
母のこうした症状は、骨格系の「腰椎すべり症」以外は、循環・内分泌系の検査も神経系、脳外科的な検査も異常を認めなかった。こうした経過から、心身の全体症状を眺めるために神経内科に通ってきた。
ところが最近少し状態が動いた。ひとつは神経眼科系の眼瞼痙攣(けいれん)・眼瞼下垂の神経・心理的な影響を断つために、リフトアップ手術を両眼に施したこと。これが従来の「眼の奥の痛み」を解消することになった。また「突然のめまい」頻度軽減につながった。しかし「刺すような眼の痛み」という新たな別の症状が出たがこれも自然に薄らいだ。もうひとつは麻酔科の診断、「栄養失調」だった。胃切除後の食欲不振者の女性の場合、基本的な栄養素まで不足してしまうひとが多いという。結果、アミノ酸・ビタミンB群・ビタミンCを中心にしたサプリの投与となり、これが母の排便を決定的に改善した。この基本的な栄養素が欠けていると腸の吸収機能が衰えているので、どんな栄養素も受け付けないで流れてしまうというのだった。結果、倦怠感の改善が見られ、脚気ではないが「突然のめまい」頻度軽減に結びついていた。
しかし歩行の弱まりや、ダンピングという運動機能低下や睡眠不足を引き起こす状態は相変わらずなので、その突発的な特徴や、介護を中心にした長期ストレス環境に晒された後遺症を考えると心理的な要素を考えざるを得なかった。しかし心療内科や精神科からは10分程度の問診から、うつ病と予測、部屋を明るく保つ(部屋を暗くした覚えが無い)、積極的な外出(連日の買い物、通院、稽古事への参加・指導)、ひととできるだけ接触(長時間電話雑談、稽古事を中心とした世代縦断した付き合い)という指示が出て、母は呆れて受診をやめていたほどの空転があった。患者の現状把握から出発しない医療への不信があった。
今回はそうした病院まわりのひとつの神経内科に一区切りをつけるための診察を受けにいったのだった。北里東病院通院も3年目になっていた。胃ガン摘出手術以来、母のカルテが一番溜まっているので、関係遮断というのではなく、通院頻度を落とし、リハ科や麻酔科のような後遺症関連の通院を試みること。これには整形外科や神経内科などの科からの依頼の形をとらなければならない面もあるので、PT・OTさんの世話になること、全身神経系の眼に晒すことを試みることにした。私は引きこもり青少年の関わりが多かったこともあって、母の状況が不定愁訴を伴っているように思えてならないので、心理系の眼差しも捨てていない。不定愁訴関連の医師に出会おうとすると、振り分け外来の、教科書を振りかざしたような危ない心療に遮断されてしまう問題を突破するために、別途探りを続けている。
北里東病院では、今回は血糖値の継時的変化を見る検査のやり直し結果を見ることになっていたが、実際は今後の診察の見通しを調整する場になっていた。いつも待たされる外来は今回閑散としており、すぐに受診できた。検査の方は私が聞きださないと忘れている状態で、勿論異常なし。話の結果2ヶ月ごとに薬を受け取ることになり、大きな変化が無いときは地元医に任せることになった。リハ科も混雑している本院通院よりも、地元リハ科を探すこと。つまり実質、他院に任せる形に移行した。
家族は継続した観察者であると同時に、その状態に関与している者でもある。だから第三者(医療関係者)の関与は必要だ。しかしそれに足る医療が無い。それを強く感じる。またその治療は修繕のようなものではなく、常に生活するものとしての実像の中から「中へ」と移行する視点が必要となる。
そんな思いを巡らせつつ、母と遅い昼食を食べていた。
夜間傾聴:南大沢君(仮名・こちらから)
(校正1回目済み)
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母の「突然のめまい」「眼の奥の痛み」「力が入らない不安定な歩行」「食事後のダンピング」という症状が、整形外科からは、「腰椎すべり症」が、手術不要の軽度だが見られるということ以外、決定的な診断がでないまま現在に至っていた。そこに昨年7月末~11月にかけて、下手な眼科医のボトックスの後遺症がかぶり、3年前胃ガン手術をした消化器外科、地元の消化器外科&内科、眼科、神経眼科複数、神経内科、心療内科、神経科・精神科、麻酔科をくぐってきた。しかしどの医師も検査結果が異常なしと出てしまう。その間もときに激しい嘔吐や両足の「つり」「突然のめまい」が出てきていた。日常は歩行が遅くなったこと以外、目に見える変化が無く、突然症状が出るのが特徴だった。
母のこうした症状は、骨格系の「腰椎すべり症」以外は、循環・内分泌系の検査も神経系、脳外科的な検査も異常を認めなかった。こうした経過から、心身の全体症状を眺めるために神経内科に通ってきた。
ところが最近少し状態が動いた。ひとつは神経眼科系の眼瞼痙攣(けいれん)・眼瞼下垂の神経・心理的な影響を断つために、リフトアップ手術を両眼に施したこと。これが従来の「眼の奥の痛み」を解消することになった。また「突然のめまい」頻度軽減につながった。しかし「刺すような眼の痛み」という新たな別の症状が出たがこれも自然に薄らいだ。もうひとつは麻酔科の診断、「栄養失調」だった。胃切除後の食欲不振者の女性の場合、基本的な栄養素まで不足してしまうひとが多いという。結果、アミノ酸・ビタミンB群・ビタミンCを中心にしたサプリの投与となり、これが母の排便を決定的に改善した。この基本的な栄養素が欠けていると腸の吸収機能が衰えているので、どんな栄養素も受け付けないで流れてしまうというのだった。結果、倦怠感の改善が見られ、脚気ではないが「突然のめまい」頻度軽減に結びついていた。
しかし歩行の弱まりや、ダンピングという運動機能低下や睡眠不足を引き起こす状態は相変わらずなので、その突発的な特徴や、介護を中心にした長期ストレス環境に晒された後遺症を考えると心理的な要素を考えざるを得なかった。しかし心療内科や精神科からは10分程度の問診から、うつ病と予測、部屋を明るく保つ(部屋を暗くした覚えが無い)、積極的な外出(連日の買い物、通院、稽古事への参加・指導)、ひととできるだけ接触(長時間電話雑談、稽古事を中心とした世代縦断した付き合い)という指示が出て、母は呆れて受診をやめていたほどの空転があった。患者の現状把握から出発しない医療への不信があった。
今回はそうした病院まわりのひとつの神経内科に一区切りをつけるための診察を受けにいったのだった。北里東病院通院も3年目になっていた。胃ガン摘出手術以来、母のカルテが一番溜まっているので、関係遮断というのではなく、通院頻度を落とし、リハ科や麻酔科のような後遺症関連の通院を試みること。これには整形外科や神経内科などの科からの依頼の形をとらなければならない面もあるので、PT・OTさんの世話になること、全身神経系の眼に晒すことを試みることにした。私は引きこもり青少年の関わりが多かったこともあって、母の状況が不定愁訴を伴っているように思えてならないので、心理系の眼差しも捨てていない。不定愁訴関連の医師に出会おうとすると、振り分け外来の、教科書を振りかざしたような危ない心療に遮断されてしまう問題を突破するために、別途探りを続けている。
北里東病院では、今回は血糖値の継時的変化を見る検査のやり直し結果を見ることになっていたが、実際は今後の診察の見通しを調整する場になっていた。いつも待たされる外来は今回閑散としており、すぐに受診できた。検査の方は私が聞きださないと忘れている状態で、勿論異常なし。話の結果2ヶ月ごとに薬を受け取ることになり、大きな変化が無いときは地元医に任せることになった。リハ科も混雑している本院通院よりも、地元リハ科を探すこと。つまり実質、他院に任せる形に移行した。
家族は継続した観察者であると同時に、その状態に関与している者でもある。だから第三者(医療関係者)の関与は必要だ。しかしそれに足る医療が無い。それを強く感じる。またその治療は修繕のようなものではなく、常に生活するものとしての実像の中から「中へ」と移行する視点が必要となる。
そんな思いを巡らせつつ、母と遅い昼食を食べていた。
夜間傾聴:南大沢君(仮名・こちらから)
(校正1回目済み)