湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネの地域学習活動・就労支援活動の実践試行を書き溜めていきます。

4/28 北里東病院の母の治療に区切りをつけ

2011-04-30 13:57:41 | 引きこもり
2011/04/28 記
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母の「突然のめまい」「眼の奥の痛み」「力が入らない不安定な歩行」「食事後のダンピング」という症状が、整形外科からは、「腰椎すべり症」が、手術不要の軽度だが見られるということ以外、決定的な診断がでないまま現在に至っていた。そこに昨年7月末~11月にかけて、下手な眼科医のボトックスの後遺症がかぶり、3年前胃ガン手術をした消化器外科、地元の消化器外科&内科、眼科、神経眼科複数、神経内科、心療内科、神経科・精神科、麻酔科をくぐってきた。しかしどの医師も検査結果が異常なしと出てしまう。その間もときに激しい嘔吐や両足の「つり」「突然のめまい」が出てきていた。日常は歩行が遅くなったこと以外、目に見える変化が無く、突然症状が出るのが特徴だった。

母のこうした症状は、骨格系の「腰椎すべり症」以外は、循環・内分泌系の検査も神経系、脳外科的な検査も異常を認めなかった。こうした経過から、心身の全体症状を眺めるために神経内科に通ってきた。

ところが最近少し状態が動いた。ひとつは神経眼科系の眼瞼痙攣(けいれん)・眼瞼下垂の神経・心理的な影響を断つために、リフトアップ手術を両眼に施したこと。これが従来の「眼の奥の痛み」を解消することになった。また「突然のめまい」頻度軽減につながった。しかし「刺すような眼の痛み」という新たな別の症状が出たがこれも自然に薄らいだ。もうひとつは麻酔科の診断、「栄養失調」だった。胃切除後の食欲不振者の女性の場合、基本的な栄養素まで不足してしまうひとが多いという。結果、アミノ酸・ビタミンB群・ビタミンCを中心にしたサプリの投与となり、これが母の排便を決定的に改善した。この基本的な栄養素が欠けていると腸の吸収機能が衰えているので、どんな栄養素も受け付けないで流れてしまうというのだった。結果、倦怠感の改善が見られ、脚気ではないが「突然のめまい」頻度軽減に結びついていた。

しかし歩行の弱まりや、ダンピングという運動機能低下や睡眠不足を引き起こす状態は相変わらずなので、その突発的な特徴や、介護を中心にした長期ストレス環境に晒された後遺症を考えると心理的な要素を考えざるを得なかった。しかし心療内科や精神科からは10分程度の問診から、うつ病と予測、部屋を明るく保つ(部屋を暗くした覚えが無い)、積極的な外出(連日の買い物、通院、稽古事への参加・指導)、ひととできるだけ接触(長時間電話雑談、稽古事を中心とした世代縦断した付き合い)という指示が出て、母は呆れて受診をやめていたほどの空転があった。患者の現状把握から出発しない医療への不信があった。

今回はそうした病院まわりのひとつの神経内科に一区切りをつけるための診察を受けにいったのだった。北里東病院通院も3年目になっていた。胃ガン摘出手術以来、母のカルテが一番溜まっているので、関係遮断というのではなく、通院頻度を落とし、リハ科や麻酔科のような後遺症関連の通院を試みること。これには整形外科や神経内科などの科からの依頼の形をとらなければならない面もあるので、PT・OTさんの世話になること、全身神経系の眼に晒すことを試みることにした。私は引きこもり青少年の関わりが多かったこともあって、母の状況が不定愁訴を伴っているように思えてならないので、心理系の眼差しも捨てていない。不定愁訴関連の医師に出会おうとすると、振り分け外来の、教科書を振りかざしたような危ない心療に遮断されてしまう問題を突破するために、別途探りを続けている。

北里東病院では、今回は血糖値の継時的変化を見る検査のやり直し結果を見ることになっていたが、実際は今後の診察の見通しを調整する場になっていた。いつも待たされる外来は今回閑散としており、すぐに受診できた。検査の方は私が聞きださないと忘れている状態で、勿論異常なし。話の結果2ヶ月ごとに薬を受け取ることになり、大きな変化が無いときは地元医に任せることになった。リハ科も混雑している本院通院よりも、地元リハ科を探すこと。つまり実質、他院に任せる形に移行した。

家族は継続した観察者であると同時に、その状態に関与している者でもある。だから第三者(医療関係者)の関与は必要だ。しかしそれに足る医療が無い。それを強く感じる。またその治療は修繕のようなものではなく、常に生活するものとしての実像の中から「中へ」と移行する視点が必要となる。

そんな思いを巡らせつつ、母と遅い昼食を食べていた。


夜間傾聴:南大沢君(仮名・こちらから)


(校正1回目済み)

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4/27 糖尿病薬治験失敗無念/いわき市エル・ファロ説明会に参加し

2011-04-30 06:47:36 | 引きこもり
2011/04/27 記
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母の眼の痛みは山を越したようだ。母を地元内科に連れて行き、私は朝からの東京病治療薬の相互作用の治験の2回目に参加してきた。しかし夜間、野菜ジュースを飲んだ時間が12時間前より近かったため、5月2日に延期となって、なにやら過ちを犯して叱られた子どものような情けない気分を抱いて、茅ヶ崎駅前に出た。母の携帯に電話を入れると、ひとりで家に戻っていた。通りを一箇所渡れば、あとは危ない場所も無いので、大げさに連れ添うことも無いのだが、茅ヶ崎駅の階段前で予兆なしで突然しゃがみこんでしまった現場を見てしまうと、やはり体調の不調を訴えているときは、基本的に連れそうことにしている。

夕方から橋本で巡回が入っていたが、まだ11時台。治験は13時まで続く予定だったので、母の昼食は準備してあった。霞ヶ関の方の障がい者系の経営者団体から応答が入ってきており、被災地の店は連絡が取れない状況にあると実質断ってきた。たしかにここは、直接支援の対象になるところなので、セットは出来ないのは無理もないのだった。

丸の内界隈の方は、もう少し支部からの声を作ってからの方がいいと考えていた。

昼がらみになるが市障害福祉課に出かけ、自筆のサインがいる書類を提出した。眼鏡店から書類が届いていた。しかし書類は県福祉事務所にまわるので、判断は連休明けにもつれ込んだ。いよいよ、4ヶ月目に入る。

元ジャスコで昼食。14時からいわき市の知的のGHのエル・ファロ支援の報告会が茅ヶ崎サポセンで、あった。エル・ファロは、施設の損傷はいくつかの施設であったもののGHの方は、なんとか現地でやりくりしたいという要望がいわき市の理事会から突然あったため、茅ヶ崎受け入れが宙に浮いてしまった。しかしその内実は、茅ヶ崎に疎開してきた入所者さんに職員が撮られてしまうと、いわき市の施設のほうで苦しくなる、手が足らないということが1点。もうひとつは、被災しても入所さんのご家族、職員さんのご家族の生活基盤はいわき市にあるので、地元で頑張った方がいいという判断が入っていた。

支援者の、安全なところで過ごして欲しいという発想と、当事者の思いがずれていることが、経過を理事の和田さんから伺って重かった。募金残額はエルファロ再建資金に回される。その収支決算書を拝見し、納得が行った。しかしその金額は、私たちの引きこもり青少年たちや、ホームレスの支援活動では得られない金額だった。障がい者は庇護の対象であるが、引きこもり青少年や、ホームレスは、社会からは自業自得感が強く、社会問題である視点が弱いからでもある。

私の提案(被災地企業経由の公共サービスを買う手法/ペットレスキュー支援を経由した親戚づきあい作り)の呼びかけ文を渡した。災害ボランティアは障がい者支援活動とは直結していない。だから無理も無いのだが、反響は全く無かった。

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湘南あすなろ会の**さんがねぐらを変えたため、連絡が取れないで困っている。連休中に、昼間のパトロールを入れる。徐々に活動を復活させていく。しかし、横浜から買い求めているビッグイシューが、販売員さんと出会えなくなってきている。補充先相談に寿町にいかなくてはと思うのだが、日のやりくりがつかない。

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橋本巡回を終えて、海老名で途中下車し「なめたがれい」を手に入れる。母の今夜の食事、遅くなってもこれなら文句も出まい。

明日は北里東病院に母を連れて行く。


夜間傾聴:橋本2君(仮名)
     淵野辺君(仮名・母親)


(校正1回目済み)


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4/26 被災地企業支援支援型の活動下調べを

2011-04-29 11:58:02 | 引きこもり
2011/04/26 記
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市障害福祉課に電話をかけた。案の定、眼鏡屋から見積書がとどいていなかった。また無駄足をするところだった。連休に巻き込まれるのだろうか。

地方選挙の影響で新しい企画は足踏み状態だったが、やっと月曜日から実質の動きが始まる。東日本大震災の中で地場の企業の活躍と連携するためには情報がいる。こちらから特定のアイデアに基づく切り口で調査しているが、被災地の動きはまさに生もので、すぐに状況が変わっていってしまう。企業に依頼するサービスの配達先も避難所や仮設住宅だけではなく、障がい者のグループホームや避難所兼用の作業所なども手がけていくには、まずは情報が無いまたは遅いので、被災地の障がい者の家族・関係者のアドバイスを貰う必要がある。その方の現状をどこからどう調べたらいいのか、医療関係も一般の人間による支援は入りようがないのか。(ex.入院患者さんの給食食材の調達など)できるだけ緊急度の高い順を「現場ニーズの中から」見出していくこと、それには被災地の関係者と結びつかないとできないだろう。また震災当初、被災地のホームレス支援団体が仙台で炊き出しサービスをしていたが、情報が途切れている。彼らの消息をたどり、被災地のホームレスの状況(おそらくは脱出)をつかんでおきたかった。

今日は相模大野なので、PCを使って検索をかけていた。日赤が目的別の支援金募金を作っているとの話もあって、それと区別した活動をどう企画化するか考えていた。

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相模大野校の講師の中にも東北出身者がいる。ただ彼と話していると、本物の無償ボランティア活動と偽者の利益目当てのボランティアがあるという言い方が出てくるので、その利益の大半はおそらくは実費だろうと反論している。がれきの方付けを通じて、復興のための土木建築関連参入のために入り込んできている暴力団関連の偽ボランティアは、狙う金額が彼の想像するものとは全く異なっている。彼に社会的企業を説いても、彼の分別の影に、彼の遮断が潜んでいるので、意味が無いと思えるのだ。ただその彼もあしなが募金については、中間搾取の可能性などと言わないので、募金させている。

帰りにサポセンに寄って、湘南あすなろ会の##さんから連絡が無いかチェックした。電話がないので、寝場所を変えられると連絡が取れないのだ。


<気になった記事>

●「iPS細胞で難病治療法研究=京大研究所と大日本住友」
*網膜色素変性症は再生治療以外に見通しが無いので、治療法に一歩前進かと。


夜間傾聴:なし


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4/25 市長選・市議選が終わった

2011-04-29 04:42:09 | 引きこもり
2011/04/25 記
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市長選・市議選の投票日。母は相変わらず、強い光が眼の奥の痛みになるらしく、今日も外出せず、新聞を広げては「字が読めない」と訴えていた。母が居眠りをしている隙に投票所に行って来た。悪天候に災いされてきたが、何とか当日は日も持って、論戦の軸が市役所の建て替え問題では、市議選が東日本大震災の自粛ムードで低調なので、投票率が下がる様に思われた。となれなば、組織票が薄い候補に不利と思われた。市議選は同じ票田の食いあいが、お互いの足を引っ張らなければいいがと思っていた。障がいと社会福祉、教育を見通しを立てて関わってる候補は少なかった。それだけに結果が気になっていた。

投票所を出て、家に考え事をしながら歩いていると、目の前に母が現れた。誰に投票しろとは言わなかったが、イメージ連呼で実際の場面も終わるような候補には注意したいと言っていたので、まあ投票する気になったのは益しと思っていた。私は政治という統治の権力争奪をめぐる代議員制は限界を持って関わる立場に居る。社会活動が議員選挙のためにと逆立ちする発想は間違いだと思う。社会活動の自立性を保ちつつ、その課題の解決の糸口をつかむという意味で代議制の選挙に関わる。だからなおさらに、母に無理強いはしなかった。

母の投票を待ち、少々複雑な気持でいた。昼間の巡回を母の不調を受けて日送りしていたからだった。母は(遠くまで)歩くのが嫌だというので、近くの天ぷら屋で夕食を済ませることになった。天ぷらは糖尿病の私にとって注意すべき食材だが、刺身で済ませ、揚げ出し豆腐で食事を終えた。母はいつもよりも食欲があり、眼の痛みも避ける要領がわかったようだった。暗い部屋で明るいディスプレーや携帯画面を注視すると危ないということも身に滲みたようだ。月曜日に地元眼科にもう一度行きたいと言い出したので、母の体調は半大丈夫と判断した。

市長選は現職の強みだった。TVKの選挙速報を見ながら、私は明日の市障害福祉課と母の眼科通院補助のとき、プリントアウトを間に合わせるために、震災救援活動関連の呼びかけ資料を作っていた。

市長選は早く決着が着いたが、市議選は0時を過ぎるというのに開票率は上らなかった。現職の票は強い。残念なことに、私の知り合いふたりは、及ばなかった。

候補にねぎらいのメールを出した。
正直言おう、やっと選挙が終わった。これで明日から話を聞いてもらえる。



夜間傾聴:なし


(校正1回目済み)

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4/24 手術後母の症状の再発/やっと選挙が終わります

2011-04-28 09:06:20 | 引きこもり
2011/04/24 記
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こんぼ亭月例会「リカバリーのことを語ろうじゃないか」(平成帝京大池袋C)に出かける予定でいた。帰りに家業の件をこなしてくるつもりでいたが、母の変調で崩れてしまった。

眼瞼下垂の手術の神経・心理的影響に期待していたが、母が深夜、何事か洗面所で水を長時間出していた。暗闇の寝床で携帯の画面を見つめたら、突き刺さるような痛みを感じたという。左目瞼の下側が再内出血して腫れていた。母は顔を冷やしては涙液で眼を洗浄していたのだった。明るいものを見なければ平気とのことで、天井の明かりを消して休ませた。起床時、母が枕に顔を伏せている。様子がおかしいので起こして話を聞くと、今回の症状は腫れと関係なく、両目とも明るいところを見ると眼の底のほうにずしんとした痛みがでるのだという。

已むを得ず午前中、母をかかり付けの地元眼科医のところに連れていった。私は光量の調整に異常があるのではないかと仮説をたてていた。虹彩の機能だけではない、瞼も睫毛を利用して光量調整に関与していたからだ。丁度帽子のつばの役割と言おうか。ところが医師は「手術の結果、まばたきの回数が減っているのだろう」という。結局「手術後の経過に任せる」と医者から言われたと、ドライアイ目薬を貰って帰って来た。

母の話を聞くと、今まで突然「めまい」を起こしてしゃがみこんだ時の「眼がずしんと痛い」と訴えるときの痛みとは、痛みが同じではないという。実は反面、少しほっとしていた。帰り道薬局で買ったガーゼを湿して眼の上にかぶせて寝かせた。

夜の巡回だけはと思っていたが、怪しくなっていた。これからこういうことはしゅっちゅう出てくるだろう。夕方まで足止めを喰らっていたので、母の夕食は、必要なら茶を温めるだけにして、握り飯を作って母の枕元に置き、巡回に出た。眼の調子が悪いとき、汁物はこぼすので、茶を冷ましてペットボトルに入れた。母の好みのように冷めているのがいやなら、暖めればいい。

これから被災地企業経由の支援の件と、ペットレスキューの応援関連の巡回をするとき、被災地の動きと支援関連の現状がわかるような資料を添付するつもりでいたので、その追加分を巡回途中、コンビニでプリントアウトしておいた。

伊東に出かける間がなくなることに少し焦りを感じていた。

有珠山噴火のときも、祖父母ふたりの介護が現地行に立ちはだかっていた。その後も関西への学会参加以外は外泊を避けてきた。これは2000年末の交通事故入院2年間後、すべて途絶えた活動の再建に、松葉杖生活が続いていた本人の体調管理のことが大きかったが、祖父母を見送ったあと、間をおかず父の脳血栓が起きて介護に入ったことが原因していた。

回数を制限し、即刻帰ることが出来る交通の便のいいところに外泊先を制限していたから関西という結果になったのだった。翌年、私の足の麻痺も徐々に改善し、なんとか松葉杖から解放されたのだが、当時は傘をさして買い物袋ひとつを提げる事も出来なかった。今も走ることとしゃがむことが出来ないが、自主リハを行いつつ父の介護の激突も超えた。

昨年来、今度は母の体調が重なるように悪くなっていた。その状況から、やっと待機順が早くなり、昨年7月に父を老健に入所させることが出来たが介護に拘束され続けていたから、自分の活動は地元活動と後方支援に限ってきた。私は母の状況を身体的な視覚の神経系と腰椎の故障に加えて、不定愁訴があると思っていた。私と母との間にも依存性の根を張る病でもある。これにからめとられると、生業だけでなく、社会活動にも影響が出かねない。だから心理的な距離感は意識して関わっている。

来週からは母と私自身の病院&市障害福祉課詣でが待っている。新規提案まわりの中に日を捻出する。連休が邪魔だった。おそらく横浜ペットレスキューの北浦さんは現地に行っているだろうからだ。今日まで統一地方選が邪魔をしていた。やっと投票日を迎えて、選挙が終了。周囲も社会活動に耳を貸すようになるだろう。芽を育てねば…思うに任せない日々が続いている。

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今回の巡回はJR相模原の方の新規の方が入っていた。3月末から飛び込んできた方だが、淵野辺からバスの、東京側の方なので時間がかかった。町田市や八王子市の方は急場の対応が遅れるので、私が担当するのではなく、専任の地元担当の範囲で押さえて欲しいと言って来た。しかし講師ひとり卒業後の補充がまだ利かない状況では、そうも言っていられなかった。心の障がい歴のある方なので、古株の担当の方が無難な方だからだ。

しかしひょんな話から、彼と話が出来るようになった。彼は柴犬を飼っていた。名前は彼と同じ名前。何を投射していたかはこれから見えてくるだろうが、彼はドッグレスキューの話に深い関心を持っていた。一応の糸口がつかめた気がしていた。

淵野辺駅前はとにかく飲食店がだめだ。夜は乗り継ぎの多い町田に出たくなかった。橋本から茅ヶ崎に出た。帰宅すると母は起きていた。何人かから明日の投票は欠席しないようにとの電話がかかってきたという。実際今回の選挙は投票率が落ちるだろう。そのとき組織票が弱い候補は危なくなる。候補は誰とはいわないが、投票には行ってくれと言った。今回は同じ基盤の食い合いの選挙だ。共倒れにならなければいいがと思ったのだ。

夜間傾聴:なし

(校正1回目済み)

p.s. 多重に仕事が増えています。記事が遅れてすみません。28日の経営者団体の全国会の理事長に時間を頂戴しました。被災地の企業との接点作り、ここが山となります。

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4/23 相変わらず無駄足百回なり/被災地企業のファンド作りの評価/ペットレスキューの会場について

2011-04-25 14:56:01 | 引きこもり
2011/04/23 記
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眼鏡屋から修正済み意見書と見積書が、市障害福祉課に着いているはずなので、市役所に出かけた。期待はまた裏切られた。課では担当者が居ないのでわからないとして、追加提出した書式3種類の署名捺印を確認して、その分だけ、やっと受け取った。月曜日まで、また土日が邪魔をしてお預けである。話を決断してからもう4ヶ月、手続き開始から3ヶ月が過ぎている。月曜日に行ってもまた空振りだろう。事前に電話を入れることにした。

母が起きてこない。疲れと脱力感、これは緊張が解けたせいだと自己解説していたが、怪しいなと思って枕元を見ると、抗ヒスタミン剤の錠剤が抜けた空きシートがころがっていた。以前地元医がくれたもので、母がアレルギーを恐れて飲んだらしい。当たり前と思いつつ、母の寝姿に、本人には聞かせられないが、寝たきりまでのカウントダウンの年齢が近いかなと嫌な想像をする。

母が昨晩放置し、見事空振りした私のミネストローネを捨てつつ、今回は和食と決めた。結果、冷蔵庫から取り出した豆腐づくしとなる。若手が居たら文句が出るだろう。出来上がって母を呼ぼうとすると、ちゃっかり茶の間に待機していた。体調はまあ大丈夫だと安心した。

市役所の帰り道、市議立候補の演説の前を通った。同じ票田の食い合い。大丈夫かなと思う。私自身の票は一票しかない。家族知人票といっても相模原票ではしかたがない。支援したくも茅ヶ崎に慢性的に基盤がない状況を改めて実感する。

買い物を済ませ、某議員事務所に立ち寄る。留守番の**さんに災害ボラの切換の件を話す。結局、先方は自分の畑の作物の調理の発想。社会活動は、市民というお客様を迎える形になるとダイナミズムを失ってしまう。差異との出会いが活動を変容させていく。自分の登場が求められる活動、手の届く参加の自由さと変容の柔軟性に支えられるネットワーキング。それがない。

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三陸の漁業関係者が企業復興のファンドを作るらしい。企業活動復興には確かに有効な手段だ。しかし被災者の生活再建という意味からすれば、地元民雇用というところを媒介して間接的に役に立つが、直接の生活支援にはならないし、生活環境に急務の生活インフラ整備にもつながらない。企業が豊かさを回復していくこと自身が、即地元生活者が豊かになるということも、そのまま直結してはいない。何より生活再建と復興に、被災者自身が取り組んでいくことに、直接結びついていない。しかし商品を買うより資金を供託した方が企業にとっては即効性がある。

私が提案した、被災企業復興の支援を通した生活支援という方法は、企業復興支援が目的ならファンドの方が優れている。しかし、被災者の生活再建の支援という面からすれば、地元行政なり企業をバックアップして、地元還元サービスを買ったほうがいい。この場合の企業は、公共のニーズに応える社会的企業に似ている。ここで行われている公共サービスを、支援者が被災者のために買うという活動は、その活動が被災者自身の活動形成活性化の触媒のような活動となるデザインが必要となる。本来の市民活動支援交流に、万能ではないが解決力の大きな企業・行政の力を取り込むためのデザインなのである。

奈良**大有志MLにそのことを書いたが、ファンドと公共サービス購入の違いがピンと来なかったようだ。ファンド自身を否定しているわけではないが、金銭による支援の効果を企業再建に閉ざすなという警告の話なのだ。その企業活動が雇用以外、地元還元する保障がないからだ。

28日の経営団体への説明は、地元向け公共サービス購入型の支援活動の事例をもっと、このファンド型支援の隙間を埋めるものとして浮き上がらせる必要を感じた。被災者の生活再建支援の長期戦に支援者は、どう関心を持続して伴走するかという課題だ。緊急支援を除いて、復興活動は行政と地元に任せればいいという移り気に陥らないように、仕組みをどう始動していくかという話。これは無理な接合ではなく、自分が求められていること、自分の支援の効果が見通せることこれが支援転換の重要な要件となる。

まずは典型的なモデルを始動させたい。そう思う。

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時間の余裕があったので家に食材を持ち帰る。即座に「刺身は嫌だ」と母が言い出した。読まれていた。まあ已むを得ないとカマスの干物でパスタを作る。和食案崩壊。夕食の時間が早いと文句いわれつつ、相模大野に出かけた。一度家に帰るとやはり再度出かけるのはしんどい。授業用のメモを忘れてきたが、長いことこの仕事をしていると授業も何とかなってしまう。しかし惰性は生徒にすぐに伝わる。まずいなと反省しつつ授業へ。

今回は1コマしかない。前段に組み合わせていた巡回が流れたからだが、テンポのずれを明日に引きずらないように、ロイヤルホストで遅い夕食。しまったと思う。刺身があったのだ。こういう日常の物忘れが増えてくると、約束の日程を忘れたりという大きな失態につながる。落着けと自分に言っているそばから、薬を飲もうとして水をこぼしてしまった。

帰宅するときれいに皿に移した刺身が待っていた。食事を済ませてきたとは言えず、酒飲みたくてと、料理用にストックしていた日本酒を注いだふりをして水を注ぐ。このあとの作業を考えると、実際酒を飲める状態ではないからだが、水と刺身の組み合わせは拷問に近い。母の立ち去るのを待って、茶で刺身をかき込む。馬鹿な話である。生臭い口を洗ってやっとPCの前に座ることが出来たのだった。何をやっているのかと思う。猛烈な空転と戦うのは、肩透かしと杭を地に打ち込むこと。深呼吸。

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ペットレスキューの湘南からの支援は、やはり里親探しと活動資金支援になる。この提案を行う道筋をたてるには、迷惑と思われても北浦さんに会う必要がある。

活動紹介の場と、オンラインTV交流、里親お見合いという流れは前提にしていいだろうか。行政は同時にペットの殺処分も行っている。窓口という意味ではペットショップや獣医も関わっている。動物愛護協会などの筋では、被災地家族との交流を生み出す筋がかすむかもしれない。

動き出す時期が遅いことは承知の上で、湘南では飼い主不明の犬を中心として、相性を確かめるお見合いをセットすることになるのだろうかと思う。北浦さんを無理にお願いしておいて、誰も出席しない情けない状態を作るわけにはいかない。どう地域を説得していくか。協力者を得るか。舵取りが問われている。

また突貫方式で行く以外ないなと思いつつ、空転を食い尽くす覚悟を問う。芽が欲しい。

TV会議はスカイプを使って行うのがいいだろう。人数がそれほど大きくないが、一般の会場を使うと安定した回線設定に苦労する。慶応湘南Cや、文教大は遠すぎる。湘南工科大に協力要請できないか。

勿論iPhoneにBroadcasterやWebCameraやSkypeをインストールしてあるので、贅沢言わなければこれでいける。最悪時の選択ではある。商工会議所筋が持っていれば便がいいのだが。

案ずるより生むが「難し」。当たって砕け放題という筋をまた繰り返す以外ないのかなと思う。選挙明けから動き出す。

夜間傾聴:橋本3君(仮名・親御さんと)


(校正3回目済み)

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4/22 母の瞼の抜糸は順調に済み/遠隔地の被災地犬の里親探しを可能にする段取りを考えた

2011-04-25 05:19:47 | 引きこもり
2011/04/22 記
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朝から母の瞼の手術の抜糸に連れ添う。瞼の周囲のアレルギー反応は治まり、回復も順調。手術から2週間経って、相変わらず足腰の急な脱力はあるが、いわゆる「突然のめまい」は沈静化してきているようだ。アレルギー反応があった頃、眼鏡を長い間きちんとかけていることが出来ない状態で、眼鏡のフレームをずらせていたため視野が不安定になっていた。これも越せたようだ。

執刀医が診察の合間抜け出しては手術室で処置をする。だから待たされることは承知していたが、その前に眼圧の検査や、診察が挟まるとは思っていなかった。だから午前中いっぱいかかってしまった。

眼科用の手術糸は細い。ゼラチン糸を使っていると聞く。左右それぞれ7針縫ってある。瞼の表に出ている結び目を切って抜いていく。一時の麻酔薬らしい目薬を指して、数分間で抜糸は終わった。手術後腫れがひどく心配したが、最後は拍子抜けするように後の出血もなく、あっさりと終わった。

今後は形成外科兼眼科ではなく地元眼科医に通院する。3ヵ月後、ここで最終診察を行い経過観察して終わり。

駅前で和食の昼食を食べながら、突然母が箸を落とした。テーブルが坂になっているわけでもない。私は母の目を覗き込みまばたきではなく、眼球が振動しているか探した。母はまばたきひとつせずに、私の顔を見ていた。昨年来の眼球の振動は観察できなかった。

私が異常を自覚するほど私の右目がかすみ始めたとき、私は右側への注意が散漫になる体験をしていた。右側から走り込んで来る車の発見が遅れたり、右側に置いた傘やハンカチをやたらと忘れるようになったり、欄間に右側の頭をぶつけることがはっきりと増えた。今思えば網膜色素変性症の症状が一気に進んだための現象だったのだが、この視力のアンバランスが母に起きてはいまいかと思っている。そういえは、ここのところ部屋の扉を抜けるとき、スリッパに足を取られてふらついていたが、その頻度に異常を感じていた。箸のつかみそこないは、空間認知に異常が出ている可能性がある。手術後しばらく眼鏡フレームを斜めにかけていた。左右の視差が出ているかもしれないと思った。しばらく注意していかないと、転倒は大腿部骨折につながる。血圧に関係ない急なしゃがみこみとともに様子見していくことにした。

とりあえず、抜糸は予想外に順調に終わったことを好しとしておこう。

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母を茅ヶ崎駅に送り、私は相模線で橋本に出た。この約1時間を使って、ペットレスキューの紹介と里親探しを実施するときのハードルを整理することにした。

犬の飼い主さんから、家族の犬を譲り受ける場合、私たち湘南の在住者との間に距離がある。ひとつは、飼い主さんと私たちが、どこでどう出会うかということがある。ペットレスキューのボランティアさんの仲介を受けるが、そのときも、大事な家族を手放すことだから、直接話し合う必要がある。また当事者ならぬ当犬と新しい飼い主との相性を見るお見合いの会が必要だ。ここがうまく行かないと、長続きしない。

被災地と近隣のところなら、一同、会してお見合いを行えばいい。ところが遠隔地となるとそうもいかない。それならば、まずはオンラインで当事者の犬たちの画像を見ながら飼い主さんたちと話す必要がある。その上で候補犬を連れてきてもらい、新しい飼い主候補さんとお見合いをする。そこで成立すればOKということになる。かなりの手間だ。ペットレスキューさんもそうだが、企画化してスポンサーをつける必要がある。候補は頭にあるのだが、できるだけ迅速に話をまとめていかないとレスキューの意味が無い。もうひとつ、初めて犬を飼う人のため、手間のかかること、食費・医療費・etc.の費用の概算の情報を伝えられるように情報を準備する必要がある。飼育は具体的なことだからだ。

自転車提供の件もそうだが、市に選挙が終わった時点で企画化を申し入れできないか考えている。スポンサーもだ。25日から動き始めることにした。

相手は生き物。物とは違う。手がかかるのは当たり前ではあるのだ。

時期が遅い。やっても動かないかもしれない。しかし誰かが動かなければ、何も始まらない、このことだけは確かなのだ。まずは獣医・ペットショップへの電話か巡回からだ。日大善行Cの諸君に有志はいないか。情報がほしい。

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橋本からJR相模原に出る。この前のように、巡回先で終バス乗り遅れが起きるとお手上げになる。今年度は本部に自転車を買ってくれと塾長に頼んだ。歳だからやめておけといわれた。あまり言うと巡回やめろになりかねないので、他の講師にも便利ではないかと煙に巻いた。結局1台中古があるから置いておくとのこと。結局私が占領することになるが、どうかまともな自転車でありますように。おそらく塾長の使い古しだろう。

フィリピン語(タガログ語を標準化した公用語のひとつ)のゼミをやるから来いといわれて断った。それは私の活かし方ではない。塾長がしょうもないなと諦め顔、そう、諦めなさいって。

日誌に書き込んでも、生徒は誰も読んでいない。だからホワイトボードにメッセージを残す。紙に書いてマグネットで止める。こうしないと、すぐに書き加えられてしまうからだ。犬好きはいないかと書いてみた。

また夕食が親子丼である。母にはミネストローネを作ってある。孤食と拗ねずに食べてくれと拍手(かしわで)を打っておいた。夜の授業の帰りはさすがに夕食の時間には戻れない。しかし何で茅ヶ崎の駅前にはセブンイレブンがないのだろう。USBメモリから直接印刷することが案外、外出すると難しくなる。他のコンビニではA4がサポートされていない。画像のプリントをすることが目的になっているからだ。茅ヶ崎高校前で降りて、プリントアウト。そこから歩いて帰宅した。天気がよくない。

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あしなが育英会の仙台事務所からの情報を得られないかと、打診を始めている。単に被災地の親を失った子の状況情報だけではなく、地域の関連行政の動きの実情を知りたいからだ。地域マスコミの大枠像がつかめたので、特に地域企業の動きを多少効率的に収集できるだろう。

夜間傾聴:なし(こう干されると、逆につらい。)


(校正1回目済み)

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4/21 眼鏡への道遠く…/サポチガのスタッフ送別会に参加しつつ災害救援活動の転換提案を

2011-04-24 04:38:31 | 引きこもり
2011/04/21 記
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19日、私は午前中使い物にならなかった。体力が落ちているのを感じた。慈恵医大眼科の意見書を持って、市障害福祉課に行く。眼鏡屋から見積書が届いていなかった。意見書を出そうとすると、前回必要な書類を行ったはずと叱られてしまう。眼鏡屋の見積書が郵送になっているということが通じないほど、課内を担当者が走り回っていた。またかと思いつつ、同意書やらなにやら、自著署名が必要な三枚の書式を渡されて意見書は突き返されて帰って来た。うんざりした。遮光だけの補助申請に手帳作りからもう3ヶ月になろうとしていた。東京との往復が7往復になろうとしていた。補助は交通費で消えてしまう。何をやっているのだろうと思う。

眼鏡屋に連絡すると慈恵医大の眼鏡屋のコーナーで待っていたという。郵送の話ではなかったかと問いただすが、かみ合わない。念のために意見書をFAXして欲しいとのことで、あ、忘れていたなと直感。一応コンビニからFAXしたのがよかった(というか)。眼鏡屋から家に電話が入り、家から携帯に電話がまわってきた。医師の記述に間違いがあるというのだ。私が作ろうとしているのは遠近両用眼鏡。それが遠方用の眼鏡の仕様になっているというのだ。意見書は一通3千数百円する。診察のとき、遠近両用のめがねを作るという情報が立ち消えになっていた。訂正に慈恵医大まで行くのか冗談ではない。眼鏡屋から、病院詰め担当者が意見書の修正をしてもらい、見積書とともに市障害福祉課に郵送するということになって、一息ついた。病院が無責任だと思う。どこにいってもこの責任のなすりあいと粗雑な扱いに出会う。

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橋本3君と駅前で合流。彼の武勇伝を聞いて、つい笑ってしまった。彼はまじめである。時計のように丁度の時間に合流するが、実は彼が通路の角で、時間合わせをして走り回っていたのを、私は気付いていた。ひと気の多い場所は彼が落着かないので、店に断って空いているソバ屋さんで授業を行うことになった。喫茶はひとと騒音に満ちているからだった。うっかり笑った理由について述べて、彼はそれを聞いて不満足ながら納得してくれた。時間になって、活字のような緻密な字の詰まったバインダーノートを預かって別れた。

20日、相模大野の授業を済ませて、PCを借りて提案チラシ(cf.4/20記事)を印刷した。夕方からNPOサポートちがさきの全体会と送り出しコンパに参加した。後半は窓口スタッフY君の送別会だったが、もうひとつ、今回の提案を実現する協力者を探すため参加したかった。会にとっては予定外のチラシである。関心空転の中で、チラシの目的を説明した。中間支援組織が東日本大震災のボランティアを結びつけるとき、今後の推奨すべき基本構造のひとつであると説明した。

被災地企業の社会的貢献または責任(CSR)のように、企業資金資材を使って被災者支援、避難所支援を行っている企業を、被災地外の支援者が応援するという今回の活動は、お気づきだろうか、利益分配のところが違っているが社会的企業の運営構造とよく似ているのだ。企業は公共のニーズに基づいて企業活動を行い、私たちは企業のサービスを買い取り、企業によって被災者にサービスを届けるのだ。企業にとってこの活動は、営業活動の一部分だが被災復旧下では、再建の一助になろう。何よりも社会奉仕活動が、単独の活動ではなく支援者に支えられているという精神的価値は大きいだろう。家族企業のような小規模経営の場合、企業再建の出発点にすらなりうる支援規模も現実味があろう。

すでに被災農家の支援として、非被災地の店舗で、被災地産の野菜や果物を特設コーナーなどで販売することなどが行われている。しかしこれは代理(間接)支援つまり、義援金募集を見返りのある、商品との交換に改善したものだということがわかる。私が支援の長期戦に耐えられる支援構造として、被災地の諸活動との直接の結びつきを求めていることとは異なり、同情を組織することが前提となっている。同情は相手と我が身を別の高みに置く行為で、共感を遠のけている。ここを変容させていくことが求められていることだ。決して間違いとして非難することではないが、観客の座に居る限り長期戦には飽きがやってくるのだ。

福島原発の場面を除き、災害局面の転換点のなかで活動構造の転換はこの直接性(現地にいるか居ないかという場所の問題ではない)が、大事なことだと思う。

しかし、この災害ボランティアに関与している会員だけではないために、私の資料提案への反響は全く無かった。しかしこれで私は経営者団体との交渉の際、そのことが特攻隊の突っ込みになることだけは避けることができる。CSRを行っている被災地の企業さんを紹介して欲しいといえる。24日の投票日が過ぎれば、選挙協力していた団体も、貸す耳ができるだろう。

ここから先を書くと、夢想といわれかねないが、私は被災救援復旧活動はアジール(聖域・治外法権のある空間)性の力が働いている。疑心暗鬼のガードがはずれている時空がある。ここに繭の時期に入った引きこもり青年たちを連れて行きたいと思っている。ひとに必要とされる関係がふつふつと沸いている場面に立ち会って欲しいと思っている。この発想は触法青年の更正の場面でも使われているが、これは人情に触れるという発想が強い。私が望むのは共感と協力の体験を望むものだ。祭りの時空のように消え去ってしまうものではなく、ひとをつなぐものの感性的な体験は日常に帰っても、世界の皮が一枚めくれるようなリアルな世界が透けて見える。繭が割れる場になりうる。

奈良**大有志のMLにそのことに触れて書いたが、沈黙が走ってしまった。拒絶ではないが応答しようが無いという感じだ。


夜間傾聴:なし


(校正1回目済み)

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4/19 病院周りの合間に被災地の情報収集をした一日

2011-04-23 17:20:47 | 引きこもり
2011/04/19 記
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朝8時半から北里東病院で母の内分泌系の検査があるというので、夜間の作業は早めに切り上げるつもりでいたが、必ずこういう時は何かが入る。今回はある問題集の監修者が土曜日に入院し、工程が大幅に変わった。裏方は従う以外なく、結局母に付き添った後、私の慈恵医大眼科に行ったあと、出版社に調整にまわらなくてはならなかった。経営者団体を回った後か先か、17時の壁の前で営業マンなら日常の渡り歩きをやらされることになった。夜の巡回は昨日変更を先方に頼んでおいたのは正解だった。昼夜逆転生活は、こういうときに問題になる。

相模線を使うのは正解だった。母は満席のとき、扉の隅によりかかってしまう。こうすると、途中、席が空いても座ることが出来ない。背丈が低いのでつり革に手が届かないのが問題なのだ。結局私が母の席の陣取りをやるはめになり、年甲斐も無く車内に飛び込みバッグを振るった。不服そうなスーツ姿の熟年男性が私の前に立ち、その男性をすり抜けるように母が席に座って、やっとふくれっ面が治まった。席が無くなり、何人かが立っている程度の状態は、この時間、東海道線では考えられなかった。慣れない事をすると、糖尿病の血糖値コントロールの薬の副作用が出て、芯から冷えて汗が噴き出し動悸が止まらなかった。

病院はそれでも外来患者さんたちが来ていて、予約診療のみの東病院でさえ近場とおもわれる人たちで受付前は混んでいた。そこに名物の院長が院内巡視で外来をまわっているのに出あった。母の手術は彼の執刀だったので、私たちを覚えていた。少し話をしたが、彼は完全な朝型人間。話を終えるといつものサンダルをつっかけて、大またで立ち去った。

今回母は検査だけである。しかし30分後、1時間後、2時間後、3時間後のチェックがあり、心電図がその合間に入った。結果私は4時間外来に待たされるので、地下の食堂を行き来しながら、食堂ではPCを開いて経営者団体の非公式プレゼンに使う資料の手直しをしていた。出版社の方は工程調整なので、別件の原稿と書類は出来ていた。

母は暇を持て余していたが、検査室の前に拘束されていた。歩き回ってはいけないと釘を刺されていたからだった。それでも母はトイレを理由に消えうせた。病棟にあがって、看護師と話そうとしたらしい。ところが2年前の顔見知りの看護師は既に病棟勤務から異動になっていた。

母のいない外来待合室に私が様子見に戻るたびに、看護師に注意を受けた。しばらくすると母は、そ知らぬ顔で戻ってくる。とにかくこの年齢はいうことをきかない。看護師の目の前で、処方された薬の交換会が始まってしまうのも、この年台である、確かにサプリと大差ないものばかり抱えているからだが。

食堂でコーヒーを取ったとき、グラニュー糖を久々に入れて、やっと動悸が治まったのだから低血糖だった。どちらが病人だかわからなかった。治験のメモに記録した。

眼瞼下垂のリフトアップ手術は、母の要望した手術だっただけに、術後経過は当人は満足している。そのメンタルな効果は大きいと思うが、病院に着くまでに、母が大きく震えた場面が1回あるので、油断は禁物だった。

病院の椅子は眠っていても何も言われないから、相模大野側の巡回のときは、時々病院待合室を仮眠の場に使っていた。ところがさすがに横になるとうるさいうるさい。大丈夫ですかと声をかけられ起こされてしまう。

4時間は長い。プレゼン資料も、病院近くのセブンイレブンでプリントアウト出来たので、駆け込みで資料の修正を終えることが出来た。USBメモリからの写真以外のプリントアウトは他のコンビニでも備えて欲しい機能である。

母と相模大野の駅前の自然食の店で遅い昼食を取って、母をせかして茅ヶ崎に戻った。駅前で路線バスに母を押し上げて、私は御成門の慈恵医大に向かった。時間はぎりぎりである。遮光眼鏡の意見書が上っている。それを受け取りに行ったのだった。眼鏡店の見積書は障害福祉課に郵送の段取りとなっていた。

意見書を受け取り電話で霞ヶ関の某財団に遅刻させてもらえまいかとずうずうしいお願いを受け入れてもらった。資料は早朝、FAXしてあったので承諾をいただいた。感謝だった。もう一件は、某中小企業団体へのアポ取り連絡だった。こちらにもFAXが届いているので、話はスムーズに進んだ。28日、理事長にお時間をいただいた。これとは筋の違うドッグレスキューの関係で、動物愛護協会の関連情報をつかみにいく必要もあった。これは後日。

里親の状況を知っておきたかった。前回、北里東病院に行った帰り、母と別れた後、母が玄関扉の鍵が開かない事件を起こしていたので、確認したが母は帰宅していなかった。近くの地元医のところに薬をもらいに出ていたというのだが、何のために私が付き添ってきたのかわからなくなるようなことが起きるので、やるだろうとは思っていたが、バスを途中下車して地元医のところにいることを知り、少々苛立っていた。

日比谷で乗り換えれば霞ヶ関はすぐだ。スーツ姿の流れと逆方向に急いだ。担当の**さんは私の話を丁寧に聞いてくださった。こちらには、ふたつの内容でお邪魔していた。社会的企業を目指して運営されてきたお店が東北地方にはいくつもある。今回の地震と津波の影響で壊滅的な被害にあったところや、生き残り地元復興活動に尽力されているところを教えて欲しいと願った。ところがまだそこまで情報を把握できていないとのことで、そのいくつかの部分情報をいただいて、コーディネートの難しさを改めて感じていた。いわきのエルファロでは無いが、生活が破壊されているために、一般の企業とは違って後回しになっている例が多く、むしろ避難所の中の障がい児者の処遇について、これは改めて取材する必要を感じた。こちらは後日、某新聞社の記者さんに面会を求めることにした。

何よりも横浜ドッグレスキューの北浦さんと連絡を取る必要があったが、病院周りが足枷せになっていた。眼鏡の手続きの一件が終わらないと、伊東にお邪魔できそうも無い。事務手続きの煩雑さを改めて感じる。

母から夕食は自分で食べてきて欲しいと家から連絡があったので、淡路町に出て、出版社の担当者と食事がてら工程調整。神田から相模原の塾をまわって、授業と巡回の調整を塾長と話しこんで、終バスで帰宅した。さすがにしんどい一日だった。定年で夜間傾聴が半減したのが助かっていた。

仙台からメールが届いていた。多賀城市に心理カウンセリングに入るのではなく、複数の市の子どもたちを分担して、一度家に戻ってきたと知人のメールにはあった。関西と仙台の往復である。私費で行動するといっても限界がある。実費支援だけでも行政が何とかできないものかと、気になって仕方が無い。おちついたら彼女の話も聞きたい。巨大な未曾有の実践現場が広がっているのを改めて感じている。有珠山噴火のときもそうだったが、介護で足を取られている現状は、即役に立つ専門性を持たない爺ぃとしても、気が急いてならない。想像力の勝負だと自分を説得しつつも、届かぬ思いを抑えこんでいる。


夜間傾聴:相模原君(仮名・初)


(校正1回目済み)

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4/18 被災地企業社会貢献支援活動と、ペットレスキュー里親探しの複合効用メモ

2011-04-23 07:37:41 | 引きこもり
2011/04/18 記
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17日0:56 新潟県中越地方で震度5弱の地震。母の瞼の手術の経過は良好なのだが、咄嗟の対応が鈍くなった。まばたきがひっかかるのだろうが、細い部屋の境の扉を抜けるとき、やたらにつまづくようになった。転倒につながりかねないので注意してくれというが、まだ歩行に勢いがあるので急ぐと危ないのだ。回復基調なので様子を見るべきなのだが、目の変調が即座に行動を制約する。いかに人が視覚情報に基づいて動いているかがわかる。瞼と周囲の涙袋が腫れの関係で眼鏡のフレームの位置をずらしてかけているのも一因となっている。

市長選・市議選が始まっているので、支援団体からの声かけがぽつりぽつりとくる。公示前には候補者ではなく政治団体からの政策説明によるものが飛び込んできた。相変わらず電子アンケートに化けた情報収集もおこなわれていた。公示後は、普段かかってきたことがない知人から電話が入るが、茅ヶ崎の防災と市役所の庁舎立替えという、普段話題にもしなかった話が中心で、選挙への促しや名前こそ出さないが、市議候補の打診とわかる。大震災の影響の自粛ムードの中で、連呼が静かな分、公示前の後援会まわりの戸別訪問や、得体の知れない電話が多い。

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経営者団体や財団関連宛の協力要請面会のためにチラシを作っていた。今までの就労支援活動や教育活動、そしてホームレス関連の活動とは直接結びつかない災害ボランティア活動の立ち上げだけに、ひとりからの出発だった。他の活動も協力者有志が少ないが、一応は複数名。ましてや災害ボランティアの立ち上げは、有珠山噴火災害のとき以来。震災救援は義援金送金で協力してきただけだった。それだけに立場と見通しをしっかり立てておく必要があった。

私の関わりは、自分の畑の作物を使った調理法を考えるようなスタンスではなく、むしろその抱え込みアレンジの発想を排する必要があった。まず大きな関わりのスタンスを「中間支援」とした。狙いは「長期戦に切り替わる東日本大震災救援活動の新たな枠組み」を提案すること、ここにあった。

私は常々、市民活動は「真似が出来ること」が大切と思っている。「ある特定の所属集団が状況を動かしていく」と立てる運動のやれることは、所詮その集団の潜在力の枠に縛られるわけだし、たかが知れている。市民活動は互いに触発されて動き出す感染力にこそ命がある。畑と作物調理法で言えば、肉や魚が合わされば調理がより多彩に美味しく仕上がる。ネットワーキングである。アイデアの盗みは歓迎なのだ。アレンジはそれぞれでやってもらったほうがいい、連携はその中で生まれてくる。アフリカの政権交代を観てもらえば得失がわかる。

的確な状況打開について直感的な提案に載せることは企画者の思案がいる。ところがこれを活動の枠組みに入れ込んでしまう方法がある。前者は賛同者の自覚がいるが、後者は活動を成すこと自身、無自覚のうちに導かれるという性質がある。前者を目的性、後者を構造的と呼ぶならば、今回のふたつの提案は、極めて構造的なのだ。

「地元個別企業経由の支援」は、目的性ということでは資金の流れ、活用先が可視化すること、これが「義援金と物資提供の段階」から「長期戦への移行」には不可欠なこととなる。被災地の状況に応じて変容する自由さを含ませたい。構造的には、地元企業のいわばCSRを支援する、被災者には間接支援となる。従来の義援金、支援金、支援物資を提供する活動と併行して行うことは一向に構わない。必要な支援は地元が一番よく知っている。単純に被災地の商品を買おうという活動とは違い、地元の支援活動を買うのだ。

もうひとつの提案は、「ペットレスキュー活動支援・里親探し協力」である。「ペットレスキュー」は、災害発生時から初期の現地出動が必要な活動であり、長期戦へのもつれ込みの時期は、ペットは「一時預かり」の中にある。飼料・健康管理費・ガソリン代実費のような経費の下支えや、里親探しの部分への協力が主な活動になる。しかしのその背景では、ペットを媒介にした被災者家族と支援者家族との、言わば縁組み活動がある。公的な情報だけでなく、知り合い作りを明記し、私的な情報の窓を開くことに、長期戦への対応の構造を埋め込んでいく。ここに里親ニュースのような触媒活動が入れば、交流が始まるだろう。このニュース編集の部分に「わーく」編集部が入ってもいい。

いずれも支援者に被災地の状況の観客から関係者への視座の転換を埋め込み、同時に被災地の状況とインタラクティブな関係の鍵を提供することになる。

このふたつの活動は、その特徴を基本的な活動として提案しており、特に難しいテクニカルな内容を含んでいるわけではない。その発想をそれぞれの諸活動に折込み、模倣することに寄って、実質を膨らませることが出来る。言う事よりもやること。コーディネートをどうするかが問題なのだとする批判は当たらない。諸活動に入れ込み、形作りましょうということだからだ。誰が背負うということではなく、皆かが担げる範囲で担いでいけばいいという提案だからだ。

責任を持って誰かが代理的に成し遂げる、あとはファンが応援するという活動ではない。移り気なファンは長期戦には耐え切れないだろうという状況をどう越えるのかが問題なので、各人がそれぞれ直接に向き合える基礎を提供しようというのが今回の提案の目的だからだ。

自分の畑の作物を使った調理法の制約を抜け出さなくてはならない、そう思うのだ。


夜間傾聴:橋本2君(仮名・用件のみ)
     南大沢君(仮名)

p.s. 「買い物難民」素読終了、総評に移る。
   次回昼間の防砂林HLパト参加の予定。


(校正1回目済み)

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4/20 書き込み遅れてすみません/この数日間に作ったチラシです(2種類)

2011-04-21 05:31:01 | 引きこもり
2011/04/20 記
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チラシを整え、経営者団体に送っています。母の早朝検査もあって、書き込みが遅れています。申し訳ない。追って書き込みます。今回作成したチラシの内容を以下に転載します。今回は「地元企業経由受注型支援活動」と「ペットレスキュー里親協力と知人作り」のふたつの内容を紹介します。

------ 前者の解説の添付画像もご覧下さい。



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**被災地企業の頑張りを介した 被災者への長期支援活動を作りましょう**

企業団体・市民団体・行政関連課・社協各位

                 2011/04/20
              「わーく」編集部 飛田

東日本大震災は、私たちが今だ体験したことのない大規模な災害です。復興支援活動も、長期戦を余儀なくされています。しかし、従来の義援金募金を中心にした支援活動は長期戦に弱く、被災地以外の方の関心は、長引けばすぐに消え失せる傾向があります。しかし、災害の爪あとは深く、粘り強い復興活動が必要です。この退潮を是正するような新しい支援活動のスタイルが求められています。

その傾向の大きな理由のひとつに、義援金の用途が、何回もカンパするほどに差異がリアルに感じられないということ、代理間接支援の弊害が潜んでいると感じます。

また、被災地に目を転じてみると、提供物資の内容に偏りがあり、本当に必要な物資が、いつまでも不足するという事態があります。

これらは、支援者と被災者とのディスコミュニケーションによる結果のように思います。この部分を改善した、関心を持続できる支援活動は考えられないでしょうか。

私たちは、湘南の市民活動の結び目のような場、「市民活動サポートセンター」に属しています。また、地元商店会や、行政との接点も作ってきました。ここからより強力な支援活動を提案できないかまさぐっています。

TVでも活動紹介がありましたが、被災地の企業のなかでも、工場の被害が比較的軽度のところがあり、自ら被災しながら、私費をはたいて避難所を支えておられる地元企業さんがいらっしゃると聞きます。

例えば仕出し屋さんがおにぎりを、パン屋さんがパンを提供するという具合です。この活動を支援する形で、私たちの支援活動を作れないでしょうか。

私たちは、この「被災地の企業さんの商品を買う」のです。そして、まずは「避難所に届けて戴く」。そして避難所閉鎖後は「仮設住宅に配達して戴く」。こうすれば、地元から生まれた支援活動をより長く継続出来ます。注文料金は、その企業さんの復興の一助になります。地元の状態を知る方を支える意味で、より有効な支援を具体的に進めることができます。

用途を具体化することで、何よりも支援する側にとって、「支援金の流れが可視化」できます。ここから先の企画は、現地と支援側の想像力次第です。支援者の生活する地域に応じた、支援企画へのアレンジが可能です。商店会のキャンペーンに利用し、その支援を季節ごとに支援の内容を変えることも可能です。(事例後記)

この着想は真似ができます。活動が全国に拡がる上で、これは大事なことです。モデルケースを立ち上げて、企画を一緒に考えませんか。ご検討をお願い致します。



~避難所支援期の事例~ (仮設住宅・復興期は追って記す)
(注:ここは後日解説します。画像中心で説明しました。)



~支援側の事例(目的明示・可視化重視)~


「商店会キャンペーンに乗せる場合」
  募金:気仙沼のパン屋さんのパンを買って、避難所に配りましょう!
  ――気仙沼・仙台○Δベーカリーのパンを○○小学校避難所へ届けよう
  募金:釜石・浜町の無料ラーメン屋台を市民体育館避難所に送ろう! etc.

「生協・コンビニチェーンなどとの連携キャンペーンの場合」
  募金:南相馬コンビニ○○・避難所移動販売ブースを支援しよう!!

「古本屋さんがキャンペーン支援する事例」
  古書募集:古書で買おう、古河市避難所に、新聞と週刊誌を!
       古書で地元自転車業組合の自転車を買って、行政に贈ろう!

連携が取れた被災地からメールや絵を受け取り、地元店舗に公開等。
SNS(会員制)携帯ブログにて情報交換。

以上




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東日本大震災

*** 被災地のペットを預かり、被災家族の友だちになりませんか ***

2011/04/20
「わーく」編集部(旧SCF)


大きな災害があったとき、ひとの避難に取り残されるペットや家畜たちが常に問題になります。その中には、他人にはたかが獣ですが、家族の一員として認知されているペットたちがいます。特に犬は、避難所でも厄介者扱いを受け泣く泣く手放す場面もあります。がれきの山を片付ける前にアルバムとか手紙のように、その方の生きてきた証しとなるような遺留品を取り出すボランティア活動があります。これも他人には無価値なものです。災害救援活動の中には即人命にかかわらなくとも、当人にとってはかけがいのないものがあり、それをサポートしていく「傍ら(かたわら)」の活動があります。「ペット・レスキュー」もまたそのひとつなのです。

活動は、被災地を彷徨う犬たちを飼い主に再会させる活動、被災状況の軽減のためにペットを預かる活動、里親を探し飼い主との間を仲介、ペットを里親に届ける活動(里親仲介活動)があります。現地で行う捜索と一時預かり、疎開先で行う里親仲介をペットレスキューは行っていますが、ここにもうひとつ注目すべき活動の価値があるのです。

それは被災地の家族とペットを仲介して知り合いになることです。大きな災害は復興活動が長期化します。従来の義援金募金活動はこの長期支援に向いていないのです。そのために、息の長い連携活動が求められますが、ペットをホームステイさせたり、里親になったりするペットレスキュー活動は、被災した飼い主さんと知り合いになることが出来ます。メール交換活動や、一歩踏み出して、被災地の現状を知るのぞき窓が出来るのです。息の長い活動をつくる基礎になると思います。

しかし一方では、高い犬種を集めるチャンスでもあり、暴力団がらみの資金源になるという注意しなくてはならない活動でもあります。これには、仲介マージンが実費以外ないこと、里親<>飼い主が知り合った後は、仲介者が身をひくことが大事な要件です。

私(飛田)は2000年の有珠山噴火災害救援活動に、火山灰を教室にという災害教育の活動を行ってきましたが、そのとき「横浜ペットレスキュー」の北浦さんと知り合いました。それ以来のお付き合いですが、現在北浦さんは伊東市に本拠を移し、ペットレスキュー活動を継続しています。里親は全国に及んでいます。今回の東日本大震災にも活躍されていますが、この「横浜ペットレスキュー」の活動紹介の会を茅ヶ崎で開きます。

里親探しの活動協力の芽を湘南に広げたいと思います。5月初旬と中旬に会館を確保していますが、実はまだ北浦さんと協力調整が済んでいません。現地から戻られたとき、早急に協力関係と日程を決めますが、関心をもってくださる協力者を求めます。

関心のある方は、飛田までご連絡下さい。(連絡先ブログ・コメントへ)

以上

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4/17 ドッグレスキューの評価の過ちについて(すみません)/昼に地震があって

2011-04-18 04:14:07 | 引きこもり
2011/04/17 記
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この間の記事について、知人からお叱りを受けた。それはドッグレスキューの価値のことだ。

私がドッグレスキューのことを、ひとをつなぐ活動であると書いているが、そのペットが飼い主にとっては家族であることをあなたは忘れているという指摘だ。

赤面した。その通りだ。ひとがなんと言おうと、そのペットは、飼い主にとっては大切な家族だ。家族を救うことを、ないがしろにすることは間違いだ。その方の思いに応えることを忘れてはならない。確かにそう思う。そのことに触れてこなかったことをお詫びする。

この方は、私のブログ開設時からの読者だ。昨年お会いしたきり、ご無沙汰している。認知症の書き込みの時、ときどき示唆に富んだご指摘をいただいている。高齢者介護のプロの方だ。昔、引きこもり体験をした方で、その体験からのアドバイスを頂いたこともある。感謝。

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母の地元内科医のところへ、面倒がる母を送り、その足で父の老健に向かった。母はリハがあるので治療は数時間かかる。リハが終わったら電話せよと伝えた。昼食は近くのファミレスで合流して済ませる予定でいた。父は前日、便秘で浣腸をやったために寝不足していて、朝食後眠いというので睡眠を取らせているとのこと。これは在宅のときも悩まされ続けてきたことだ。父は横たわったまま、目を開けずに私の声に寝惚け半分で応答していた。寿司を持ち込んでいたが、とても起こせる状態ではなく、諦めてフロア担当者に挨拶して老健を出てきてしまった。虚しいが仕方が無い。バスで平塚駅に着いて、駅ビルの地下に向かおうとしたとき、ビルがぐらりと揺れた。どきりとしてiPhoneで情報を探ったがサイトはパンク状態。結局ツイッターの雑談から状態を知った。栃木県南部を震源とする地震で鉾田市で被害が出ているとの話だ。しばらくして詳細がわかったが、11:23と11:30の2回揺れていた。

幸い東海道線は運休していなかったが、母の携帯がつながらなくなっていた。結局怯えた母が、茅ヶ崎駅まで出てきていて合流できたのだが、これが震度5や6で揺れたら、確かに不安になるだろう。余震が続く被災地のことを思った。

老健では避難訓練を繰り返しているようだ。ただ以前のように避難用具は奥に隠してしまった。空車椅子などは避難の時の邪魔になるので、各人を平常時に車椅子に乗せた状態にして待機しているようだ。母は私から見るとかなりしっかりしてきたように見えるが、リハの後、栄養剤の点滴を受けた。ビタミン剤を入れたらしい。その点滴が終わるころ、地震が起きたので点滴台が揺れて怖かったという。

母を家の前まで送り、私は南大沢に向かった。母から玄関の鍵が開かないとの連絡が入って困惑した。浜見平の母の知人親子に電話をして、玄関を見てもらった。母は交通事故で右手首を骨折しており、救急入院時、某病院の医師が始め骨折部を引っ張らない初歩的なミスを犯したため、十数年立つのに握力が戻らない。浜見平の**さんに鍵を開けてもらった。鍵が固くなっていたという。地震の影響と思われた。重い扉が歪んで傾いたようだ。シリンダ錠自身はなんともなかった。巡回を終えて家に戻るころには、**さんは帰宅されており、母は家の歪みが気になると話し始めた。我が家は古い瓦屋根の下が私の居室なので、非常に危険だと言った。

県ボラセンが東日本大震災のセンターを作った。個人登録も可能なのだが、現地行きバスが週2回、遠野まででるという。実費で登録者のみの乗車となる。現地に行けないので、まずは仙台に行っている++さんにメール交換した。応答が無かった。

まずは会社が動き出す来週に。


夜間傾聴:なし


(校正1回目済み)

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4/16 慈恵医大に書式を届けつつ/経営者団体にお邪魔、地元企業経由の支援活動を提案しました

2011-04-17 16:47:22 | 引きこもり
2011/04/16 記
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市長選・市議選が終わる24日までは、何を言っても空振りするのは目に見えている。だからそれまでに準備作業をしておくことにした。震災で出す時期を失ったソーシャルファームの炭谷氏の講演会の報告と、助成金の報告文書。湘南あすなろ会の会計報告があり、災害ボラの新たなふたつの視点、現地との人つなぎと、支援の可視化をベースにした現地企業を仲介した支援スタイルの確立という内容を提案して流れを作ること。誰が模倣してもいい、アメーバ式にアレンジ変形しながら拡がればいい、そういう一石を投じること。利用しやすさが力になる。

そんな念仏を唱えながら、よりによって橋本から慈恵医大に向かった。新宿経由で神保町乗換えで御成門に着く。案外早い。1時間ちょい。ここからが難問だった。受付の看護師の壁を超えなければならなかった。私の主治医は外来の曜日が違っているのだ。土日が挟まる。官庁式の預かり拒否、もう一度月曜日に来てくださいと断られる。冗談ではない。病院指定業者が用紙を金曜日までに入れてくれれば、月曜日に意見書を書いてくれるようにお願いしてあるとのことだった。一往復余分に行えば2500円が消える。せこい話だが看護師の自己防衛のために浪費するのはごめん被りたい。

視覚障害手帳の発行時、意見書は主治医ではなく、手の空いた他の医師が出してくれた。このときも、主治医以外とは発想しない石頭の壁と戦った。結局、即日発行してくれた経過がある。このときは検査士の方のひとことがあった。

今回も6往復しなければ補助が得られない不合理さ、その大半が病院の引き伸ばしと行政の石頭があるではないかと、主張した。あなたが厄介なことに関わりたくないと考えると、補助は交通費に消える。それどころか赤字になる。それを承知でもう一度出直せと言っているのか、眼鏡店が主治医のOKを取っているのに、あなたはその話を調べようともしない。おかしいとは思わないかと詰め寄った。

もうひとりの現場責任者らしき看護師がでてきて、書式を受け取った。今日は無理とのことなので、それは月曜日と思っていると告げ、月曜に診療時間のできるだけ遅い時間に受け取りに行く約束が出来た。どこにもマニュアル人間が蔓延している。そのために大怪我しかねない。

御成門から巣鴨に出て、ある経営者団体全国組織の事務所にお邪魔した。飛び込みだが、震災救援活動の協力を求めた。地元企業の紹介と間接支援のスタイルの提案だった。アポなしだったので、会議とぶつかり、改めて月曜日にお邪魔することになった。実際に現地の企業が避難所支援に動いている。湘南側の体制が問われるが、24日以降になれば商店会も一段落するだろう。

終業間際に霞ヶ関に回る。こちらは仲介者と会うことが出来た。企画書を作るように指示されたが、大枠は伝えてくれることに。こちらは企画書をFAXすることになった。初めて面白がる人に出会えた。しかし予断は許されない。

火曜日以降、横浜ドッグレスキューの北浦さんと話し合いたい。ともあれ、会場確保を済ませた。2つのケース。話がまとまるといいのだが。伊東にお邪魔する。

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母の症状に軟禁されていた感が正直言って有った。やっと動き出せた。月曜日は茅ヶ崎まで母を送って、そこから経営者団体のひとつをまわり、慈恵医大に行く。帰りに相模大野に出る。

いま宿題をやっている。まもなくJR相模原に出かける。早く24日が過ぎないかと正直言って思っている。私には親方日の丸、所属組織は無い。だから余計その感は強いのだ。

サポセンから、元BI販売員Tさんの消息を訊ねる電話あり。とにかく彼が捕まらない。古週刊誌を拾って販売することを始めているようなことを知った。地域契約回収の案も、事件でストップしていただけに、生き延びる活動と、地域社会への再組み込み活動との差を改めて感じている。被災地のHLの人たちは避難所には入らないだろう。被災地からの脱出は無事済んだのだろうか。情報がない。

夜間傾聴:南大沢君(仮名)


(校正1回目済み)

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4/15 茅ヶ崎の障害福祉課に意見書用紙を貰いに行き/長期戦下の災害ボラ活動の下地作り

2011-04-17 06:00:07 | 引きこもり
2011/04/15 記
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母がやっと食事を摂り始めたので、昼食後、茅ヶ崎市の障害福祉課に行った。私の遮光眼鏡を作るための意見書の書式を受け取りながら、他の手続きが残って引き伸ばされるのを避けるために、申請手順の再確認を受けていた。

しかし面倒である。意見書の用紙には、障害福祉課から、申請の経過を書き込んである。だから市のHPの用紙DLでは間に合わない。明日、この用紙を持って慈恵医大に行くが、即日書いてはくれないので、月曜日に取りに行く。このとき病院に来ている眼鏡屋に仮コピーを渡し、眼鏡作り着工。翌日、市の障害福祉課に意見書を出し審査を受ける。ここで遮光眼鏡補助不許可なら、全額自己負担で後日眼鏡を受け取る。認可がでれば、これを眼鏡屋に郵送する。眼鏡の仕上がりの連絡を待って、四ツ谷の眼鏡屋に受け取りに行く。そして領収書のコピーを障害福祉課に届ける。

遮光入り遠近両用レンズは、私の度だと研磨時割れ易いとかで、あるメーカー以外は面倒がって扱ってくれない。このメーカーと地元眼鏡屋は取引が無かった。そんな関係で東京で病院指定業者に頼むことになったのだが、往復回数が多いわりに、補助金は上限3万円。遮光のみの補助。それを得るのに6往復を超えるから1万5千円は交通費で消える。馬鹿馬鹿しい。地元で眼鏡を作るとしても、病院には行かなくてはならない。

障害福祉課では、地元で眼鏡を作るものと思っている。茅ヶ崎・藤沢の大き目の店3店で断られた経過を話すが、相手も大変でしたねえという以外返事のしようが無い。制度が固すぎる。

ともあれ手順確認と、障害福祉課からの意見要請の依頼文がその場で用紙に書き込まれ、その細かい字を眺めながら、市のHPからの書式DLでは事が済まないのを確認して、逆に少し申請に来た意味を見出したりしていた。いつも顔馴染みの人たちである。私が話し込んでいると、古株**さんが担当の若手の方に、「大丈夫?」と聞いていく。私は「まだ、ごねていないよ」と言って笑う。よほど厄介な話を持ち込んでいると思われていたのだろう。

相模大野の授業時間がじわりと迫っていた。用紙を慈恵医大病院に持ち込んで、本校にまわるには時間が足らなかった。病院は予定通り、明日持ち込むことにした。

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災害ボランティアの私の当座の役割は、中間支援者としての働きだ。ひとつは、ドッグレスキューのホームステイまたは里親候補作りを通した、被災地に知り合いをつくる活動の立ち上げ。もうひとつは、支援活動の長期戦への切り替わり期を見通した、直接支援への道作り。

地元の被災企業のなかで、食糧と生活必需品を避難所に届ける地元のふんばりをしている製造業を支援することで、支援金の流れを可視化し、その製造業者が作った商品(例えばパンなど)を買い付ける活動を作る。

避難所の被災者への間接支援と同時に、製造業者の復興資金の一助になる。このスタイルを導入する活動。資金が可視化し、湘南の地元も呼びかけやすくなる。先方の必要要請も呼びかけに載せられる。これがあればリフレッシュできるので変化の状況が読める。一般義援金募集活動よりも湘南側のマネジメントと企画力が順当なものであれば、息が長い。

市役所から鶴が台団地の古本屋さんにお邪魔した。特に後者への参加を要請した。持込みを現金だけでなく、古本を集め換金する。それを被災地に送金する。勿論本を届ける活動もありうる。しかし、当座の支援側の結節点、連絡会の拠点が必要だ。その場所への依頼の期待を込めて、話を持ち込んだ。

ドッグレスキューについては、偽ボランティア(暴力団)が横行するところでもあるので、私の話だけでは通らず、様子見ということになった。いくら北浦さんが息の長い方だと言っても、他の方々には初めて聞く活動ということと、ひとをつなぐ活動という背景の意味を理解していないので、言葉だけではなく、紹介の場をセットする必要があった。

会場の予約を一応取ったが、もう少し形を作って北浦さんと会う。伊東に行こう。

鶴が台から、急いでマルエツで買い物。駅のコインロッカーに荷物を入れて、相模大野に向かった。苦情処理1件。授業は、できたてのクラス。とにかく下向いて内職していて何もきいていない。已むを得ずマインドマップ形式メモの紹介とノートの利用法を話す。このメモは書くときはそれほどでもないが、全体図を眺めて話を再現し、いかに図式を活かすかというところに経験がいる。かかせているうちに、うつむきの頭が少し上った。

帰り、うっかり辻堂に下りてしまい、再度電車に飛び乗った。買い物を茅ヶ崎のコインロッカーに入れてきたのだ。

食事は残りのけんちん汁を食べきる、糖尿病には敬遠すべきメニューなのだが。


<気になる書籍~災害ボラ関連~>
★いずれも品切れ。しかし県内図書館に在庫確認済み。古書店でも入手可能。内容は古くない。

●「一人でもできる地震・災害ボランティア活動入門」
●「あなたにもできる災害ボランティア~津波被害の現場から(岩波ジュニア新書)」

夜間傾聴:橋本3君(仮名・こちらから)


(校正2回目済み)

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4/13 母の術後回復、外出が始まって一安心

2011-04-16 07:22:05 | 引きこもり
2011/04/13 記
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母の術後の不調が続くが、11日から眼帯が外れたことは大きい。私の誘導がないときは、茶の間のTV脇に居たり、寝室で眠っている生活だったからだ。12日は私と別行動で、近くの美容院に洗髪に行った。休みの日だったらしいが、厚意でやってくれたようだ。さっぱりしたと本人は言っているが、私には手術時の目印に引いた黒い線が洗い流されて、目の印象が変わったことが目立っている程度だ。

母の地元の友人が、困っているだろうと、惣菜を持ち込んでくる。複数から集まるので取り合わせが悪く、食事担当の私の買ってきたものとあわずに困ったことも起きる。一番は、こんにゃくの煮物や、ひじきなど、目の手術と勘違いして胃のことを忘れ、消化の悪いものを持ち込んでくる。もうひとつの悩ましいことは、事前連絡無く、突然現れて話し込んでいくので、私の方の予定が立たないことだ。

今日は久々に海老名の訪問が、夜に1件あっただけなので対応できたのだが、さすがに相手の様子を知らずに出先に来るのには、ひと言言いたくなった。こちらにも予定があるので、事前に電話をくださいと言った。母が嫌な顔をしたが、言わないとわからない。この方は早々に帰っていったが、相手が不調のときはやはりまずいだろう。

茅ヶ崎サポセンに立ち寄り、**さんと連絡を取るためのメモを入れた。前回分が丸ごと残っていた。以前のように夜に探す余裕がなくなったので、会えずに困っている。

北茅ヶ崎から海老名へ。

北本の塾屋**さんの葬儀の件、別のルートから伝わってきた。改めて、合掌。


夜間傾聴:橋本2君(仮名)
     南大沢君(仮名・親御さん)

(校正2回目済み)

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