湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

ばて気味ですが/模擬授業に付き合って

2007-04-30 07:11:42 | 引きこもり
茅ケ崎図書館に「The Big Issue」の件で相談に行きました。本が持ち去られたからです。補充の冊子を持ち込んだのですが、手続き取る必要があるというのです。困った話。双方とも基本的にはOKなのですが…。

図書館に注文していた本が届きました。半年ぶりです。この遅さ、何とかならないのでしょうかねえ。

茅ケ崎市民活動サポートセンターの受託運営団体の、NPOサポートちがさき関連の企画準備が始まっていて、昨日は市民祭りだったこともあって、会いたい方に会うのは、会場に行けばいるということで比較的楽だったのですが、何もお祭りのときに…というわけで、話は進みませんでした。もう少し具体化したら、公開します。

今日は相模大野で変則授業がありました。模擬授業といって、教員が生徒役になって授業を受け、批評を聞きます。私は授業する側ではなく、初めに批評する火付け屋の役。ところが実は、授業途中で睡魔に襲われ、後半半ボケ。謝っちゃいました。前半は勿論がっちり話しましたが。

連続講演会は6月にもつれ込んでしまいましたが、ハローワーク筋でお願いしています。また「わーく」No.2は表紙が編集終わった状態。帰りに藤沢でミソラーメンを…。糖尿病でも、たまのご褒美は許してくれるでしょう。(これがいけないのかも。)

今日は、夜間傾聴、レギュラーばかりなり。新しい内容の会話はなく、彼らも引きこもりの長期戦中。連休中にそのうちのひとりに会いにいくことになりました。旗の台です。

限界、ここまで。

(校正2回目済)
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4・28朝日新聞13面岩谷茂氏インタビュー記事に注目(社会的企業)

2007-04-29 06:00:14 | 引きこもり
やっと停滞していた事務作業が始末つきました。「げんき基金」の報告書の言葉訂正やら、市との協働提案進捗状況報告書作成が残っています。あとは「わーく」No.02の編集です。

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*君の入寮の件を話し合っています。彼が受けるのはSST(ソーシャル・スキル・トレーニング)中心。ときどき彼に会いにいかなければならないだろう。やっと彼の社会復帰活動が始まったのだから。親御さんが継続して私とつきあってくださるか、不安が残ります。いずれにせよ、行かねばならぬことです。

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この連休中に伊勢原君(仮名)が沼津に転居します。親戚の方と話し合いました。こちらは長期化するので、許可をいただいて、年数回面会に行きます。

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朝日新聞4/28経済13版の「弱者を孤立させず包もう」(炭谷茂氏インタビュー)をご覧ください。社会的企業の時代的な背景が端的に描かれています。日本の障碍者就労の現状から見ると机上の空論に見えますが、就労を社会参加と考えていくとき、絶対に必要な活動です。最後のスワン・カフェのところで、接客・質的拡張性(真似意欲の湧く魅力的実践)が、当事者性という観点では弱く、例としては、いまいちすっきりしなかったのですが。

UさんのPCがトラブル。アクセスできんぞと、携帯メールあり。先方のシステムがわからないのに、電話で相談はむずかしいものだと思った。

明日は茅ケ崎市立図書館に行き、"The Big Issuee"の補充をしてくる。

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夜間傾聴:*君
     レギュラー2人
メール>サポセン(事業企画書関連)
    関大CHAT(研究誌)

今日の予定:茅ケ崎市立図書館交渉、他

(校正1回目済)
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やっと一区切りです/明日から夜間傾聴再開します

2007-04-28 04:52:03 | 引きこもり
茅ケ崎「げんき基金」の活動報告書の提出締切日でした。市民活動推進課に行って、間際でごめんなさいと謝ると、なんと知り合いが後から数名、やはり持ち込んできたりして、あとは少々気まずい空気が…。

ともあれ、ひと区切りです。

夜間傾聴を中止していたら、レギュラーからケアのメールがきまして、理由を返信したら、罵倒されました。心優しい青年たちだと…思いま・す。

今、メールの応答を書きながら、半分寝ています。2時間ほど前まで、引きこもり青年と市民自治の奇妙なテーマの電話を、ある支援者と長電話していたのですが、電話を置いて1分もたたないうちに、背後の母親を怒鳴って切れる奇妙な電話がありました。何かが起きていますが、相手が非通知の携帯からなので、録音かも知れませんが、ともあれ待機だけはしておきます。初めての方にしては珍しく、当人からの連絡でした。ほとんどは、親からの紹介なのです。始めは、公認傾聴というわけ。

レギュラーからもメール応答が遅いと叱られていますが、今日はこの格好のまま眠ります。
では。


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「げんき基金」レポート、泥縄騒ぎをやっています (^ ^;

2007-04-27 05:51:28 | 引きこもり
私は不精なたちなので、締め切りが来ないとエンジンが…。というのは嘘ですね。エンジンかかりません。

ともかく、成果報告会に何とかまとめたいので、4/30までと書いてありますが、連休ですから4/27つまり今日までの話。

大半は終わっているのですが、連続講演会は尻すぼみになって、そのことをどう考えるかが厄介。

就労という課題は極端に重い。そんじょそこらつついても、絶対に障碍者の一般就労は公的な波に乗らなければ、絶対に無理、そういう判断が働きます。国外を見れば、不可能という発想は消えますが、日本の落差が見えてしまう…。

だから、引きこもり青年と手を組みましょうよという話がひとつ。

もうひとつは、そういう一見不毛な試みの場が、企業就労というより、地元社会・地域就労の形にこだわってみたい。本来、会社組織の規模の仕事は様々な仕事の複合体ですから、管理運営を任せてくれるなら、商店街とかスーパーとかは、様々なやれる仕事があります。PCを使う世界も協業を可能にしてくれます。

だからその具体性をもっともっとリアルな「絵に描いた餅」にしていけば、不可能の文字は消えていくと思うのです。それをやりたい。障碍特性に合わせて企業に押し込んでいくのも道ではあります。職場の人間関係も得られます。しかし長い目でみたとき、その仕事が発展性を持っているか、企業の気ままに翻弄される危険はないか、そんなことを考えると、可能とする道も細いことに改めて気づきます。

隔離された環境の中で働けというのもおかしな話です。社会への風通しをよくするには、地域就労を煮詰めていく方向が出てくると思います。そのとき、意義のみえる労働が、引きこもり青年を変えてくれたら、障碍者をパートナーとして理解してくれたら、より可能性の扉は開くと思います。

だから、今までの発想とは違ったことをやっているから通じない部分があるのだという解釈は勝手でしょうか。インクルージョンと言った瞬間に、眉につばをつけねばならない、そういう状況をとく糸口があるはずです。

「げんき基金」の連続講演会は、むしろ当事者家族と支援者に向けられるものでした。それをぶわっと一般向けの形を取ったから、余計見えなくなったのだと解釈しています。

さてさて、もうひとふんばり。泥縄エンジン。

今夜は夜間傾聴お休みです。

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中継ぎのような一日

2007-04-26 07:56:09 | 引きこもり
TOTOドロノワ倶楽部のWSに1時間遅れで参加。後回しにしていた生業の方の5月の授業計画書、回数が10回に満たないがシラバスを書く。追い込まれて遅刻。この時期、皆年度を切り替えるからいけない。1月1日や9月1日等が有ってもいい。

基本的なメンバーは変わっていなかったが、私の指先が粘土を忘れていた。ろくろの芯出しや、指先の感覚がちがって、左右高さの違う円筒が出来てしまう。下手なのはもともとなのだが、ずっしりと疲れが出てきた。指導者から、身体が曲がっているよと注意を受けた。案山子(かかし)のようにぴしりと背筋を伸ばせという指示ではない。身体が歪んでいるという意味だ。

昼休みに「わーく」のCMと、今後の調整論議。中西さんが転居後、横浜から出てくるといっても、午前中や夜は活動ができない。軽減分の分担は難しい。私が青少年の就労支援専門状態なので、学齢期の子どものフォローにまでは手が回らないし、向いていない。後任者がいないのが頭が痛い。同じ青年層のDV関連なら構えは揃っているのだが。

作陶作業に不可欠な水が断水していて出ないし、予定の野焼きは雨天に阻まれと、いい材料はなかったが、救われるのが不登校のレギュラーの子たちの変化だった。無口で母親から離れなかった子が、作品を台に載せて悠々と歩いているし、ろくろを前にぼんやりしていた子も、半年の間に青年っぽくなって、作陶技法の質問を指導者にしながら、冗談に笑っていた。柔らかな変化が起こっていた。こうした地味な活動が、もっと地域にひろがっていけばいいのにと思う。

午後早めに切り上げて、中西宅へ。転居作業のフィニッシュ。間を空けずに茅ケ崎サポセンの5/27サポセン5周年フェス実行委へ。私が「ぽれぽれ」の代理をするとは思っても見なかった。相談コーナーを分担してひきうけることにしたのだった。

しかし、昨日のごたごたの影響が出ていた。実行委の最中に呼び出されて、私の提案PJの調停やら、危うしと見た会員の離脱話などがあって、私が田の案の定孤立。企画の中身に思い至らない情けなさ。私は状況打開の糸口提案をする。ところが状況の困難を自覚していないと、ただのよいアイデア実行提案になってしまう。時代背景が希薄になってしまうのだ。その提案がひろがるかどうかは、アイデアの質の面白さになってしまい、水門を開ける行為に、なっていかないのだ。私の提案は、いつの時代にも成り立つようなものから出発しないことに生命がある。社会活動は生ものだからだ。

結局、実行委の配布資料をもらっただけで終わってしまった。

そこから夕飯の買い物。東京から帰宅する母に受け渡して、夕闇の平塚へ。「ampm」駅前店の店長さん情報を得て、約束時間に「わーく」設置依頼をしにいくが、まだ店に出勤してこないとの話。4回目の空振り。伊勢原君(仮名)の親戚の方に電話。

帰り、近所の遅滞の女性に会い、バスの中で少し話す。育成会の作業所に通っていることは、先方で出会っているのでわかっているので、育成会の話。「わーく」には関心がなかったが友達になれそうだ。

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*君と電話で話せた。正直言ってほっとしている。彼のお母さんはまだ入院していらした。

夜間傾聴:休み

今日の予定。蟄居PCづけなり。

(校正1回目済)
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「就労支援PJ」初会合は見事に宙を切った

2007-04-25 07:07:28 | 引きこもり
朝、徹夜状態で新広報PJに出る。広報が最悪の状態のとき、呼び出し要員程度の協力は出来る。半分、夢うつつの状態。しかし、藤沢の協力はほとんど出来ていない。協力できるゆとりが出来るのは、まだまだ無理。イベントごとかなと思う。

ドコモのポイントで送ってきたバッグを、2007フェスバザー用に出した。未使用だから売れると思うが。しかし参った。前回、もろにピンボケをやった件ちくりと皮肉られてしまった。失礼しました。

サポセンの雰囲気が異様。今日の「就労支援PJ」について、窓口スタッフ確認したのか、あちこちから声がかかる。こういうときは、逆に不吉。資料を印刷していると、Hさんが登場。おや?と思ったが「PJ」に関心ありとか。Kさんも話をききに参加。Mさんは、参加団体の監査があるとかで参加せず。私の旧友KuとUさんが参加予定。Oさん、参加の意向だが。会が始まってみると、Kuが来ないので、会終了後TEL。孫抱いては行けないとの話。「孫」かと、ため息も出る。

Hさんは、このPJが就労相談窓口なのか気になって参加とのこと。残念ながら活動はそこまで成長していない。Kさんも「わからないなあ」を連発。障害者の一般就労は極めて難しい。企業就労の場合も、大手は特例子会社を作って、そこに採用している。収入を得て生活の自立を進めるという立て方ならば、活動の方向を企業就労に整えてもいいかもしれない。しかし、アルバイトでさえ、健常者に限りなく近いことを要求されている現実の中で、やっと得た採用枠の職を捨て転職することが難しい状況を持って、よしとするわけには行かないだろう。提案するPJの根幹は「社会参加」としての「地域就労・地域起業」、つまり「社会の中へ」という流れを明確にしていきたいと思う。隔離就労ではなく就労を通して社会参加していくのだ。

その活動は、「地域インクルージョンの形をさぐる研究と啓発」というアクセントがつく。その調査研究や実践交流は、活動方針に差がある諸団体や、認識に差の大きい、関連行政にも実践情報資料として、価値がでてくるだろう。ここに限定した就労支援活動を支援するPJならば、議論活性化の効果も出てこようと思う。

Hさんは、目的が違っていたからと離れ、Kさんは「周囲の稟議を経てからやったらどうか。話をきいてもさっぱりわからない。」と、出発早々、不吉な予感どおりになった。勿論、地域の関連団体に呼びかけていくが、結局具体的な進展のないまま、先送りされたのだった。的を射ねばことは動かない。時代をしっかり押さえて進むなら百年の冷や飯も耐えるだろう。その口かなと思いつつ、話は5/2の理事会と全体会承認に向けて動き出した。

「肝が変質しない限り、どんどん盗み真似してくださいそれが市民活動」という持論に変更は無い。必ずことは動く。
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*君に久々にメールを出した。そろそろ彼のお母さんが退院する頃だからだ。眠っているのだろうか応答が無い。

今日は、10時からTOTOドロノワ倶楽部あねもねWSがあり、中西さん引越しの日となる。浜竹「ぽれぽれ」のカウンセリング活動と、このWSは午後から継続するので、当面大きな変化は無いが、地元がさびしくなる。私は不登校の小学生相談には向いていないが、引きこもり青少年の相談の協力は、まだ出来る。「ぽれぽれ」のIさんと先日会って、協力関係を確認してきたが、欠落は大きい。しかし、なんとも雨天。なんとかあがって欲しいものだが。

夜間傾聴:伊勢原君(仮名)親戚より

自由が丘のドトールコーヒーから電話が入った。傘を忘れたと思いつつ、なんと「格差社会」の新書も忘れていた。中に栞がわりに名刺をはさんでいたのでわかったようだ。感謝。ただ、なんとも調子が乱れている。鴨居に頭をぶつけたり、じんわりと疲れが出ている。今日の夜間傾聴は時間をずらしたが、レギュラー以外には通じないことだ。

東京に通っていた頃、太郎次郎社からの帰り、戻った塾で軽度発達障碍の塾生の喧嘩に巻き込まれた。彼は限度を知らないので、震える足をふんばり、彼を別室に分けて彼の怒りを浴びた。やがて静まり、彼が受けた侮辱を語る頃、私の眼鏡はひしゃげ、上着は破れていた。この姿のまま、茅ケ崎に好奇の視線を浴びながら帰宅したが、彼は今,一児の父になっている。すっかりやさしい父親になってお弁当屋さんをやっているが、退いていたら彼は相手を窓から突き落していた。誰もそれが心の障碍のこととはわかっていないが、こととはそういうこと。当人や親御さんならわかる、そういう仕事をしてきた。引いていたら、ことは悔いにかわる。これは大事なことなのだ。

(校正1回目済)
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サポチガに「就労困難な若年者の地域就労促進PJ」を作ろう

2007-04-24 09:38:57 | 引きこもり
総会を前に、いくつもの事務処理が重なってうんざりしている。ここ3日間午前中会議や企画が連続して、夜間傾聴に影響がでる。今日は前回に続き、広報PJの引継ぎである。

今、きょうの午後からの「就労困難な若年者の地域就労促進PJ」のPJ準備会の資料を書いて頓挫した。

伊勢原君(仮名)の親戚から、静岡転居を前にして、彼の様子がおかしいとの連絡が入り、彼の現在の主治医で、私と懇意にしてもらっている*クリニックに、彼を迎えに行ったため、時間が足らなくなったのだった。待機時間中、臨時同居の親戚の方が入院の話題を頻繁に出していたことがわかった。薬を出してもらった。しかし暴露すると、私の脳裏には、もうひとり、*君の顔が浮かんでいた。彼もまた、待たされている。彼の強い論理志向は妄想をも生む。自制できているだるうか。伊勢原君には失礼だが、私には、君の怯えの中に、メビウスの輪のように連続したもうひとりの青年がオーバーラップしていた。そろそろ*君と会うべきだろう。

時間配分がきっちり出来る友人を、私は尊敬していた。私は優先順位が出来てしまい、なかなか並行処理が出来ない。切替に飲み物を入れたり、トイレをはさんだり、いろいろ試みるが、うまくいかない。

そんなこんなで、今回の夜間傾聴は、堪忍してもらった。持ち帰りのレポート添削やら、面談前調査資料収集やら、給料が減るがチームの若手講師に半分を押し付けたりして、生業より儲からないボラの方をまとめることにした。私に今も妻子がいたら、えらいことになっていただろう。複数収入の立場ではなかったら、凹凸調整などしようもなかっただろう。

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昨日は、PJ参加者の時間調整で、冷や汗をかいていた。お互い無茶苦茶なスケジュールで動いている上、先方には家族がいたからだった。市議選が間際まであったので締切間際まで先方が捕まらないのだった。事業企画書を予算を除いて清書して、翌日のPJ日程を早朝サポセンにメールした。ところが昼にメールが届かないのだった。窓口スタッフのいつも落ち着いたIさんが、督促電話を取ったが、ばかに焦っているのだ。それは午後、福祉PJの会議に出て納得した。どういうわけか中高年の会が、ぎっちりサポセンに、すし詰め状態になっていたのだった。無理に御願いして申し訳なし、Iさん。

福祉PJは、昨年度の様々な領域を鳥瞰する講演会をやってきたツケがでてきた。役にしないから、参加をやめると語る会員が増えたのだった。昨年度は、とりあえずお互いの抱えている問題を知ろうということで、ざっと流す方針をお互い決めていたのだった。それを批判されてしまい、なんとも困ってしまったというところ。

今年度は、若年者就労支援の課題が分かれたので、主要会員の関係から、高齢者福祉か障害児福祉の筋を軸にすえて展開し、並行して、サポセンを通じてどのような世界が拡張されるかを考えてもらおうと言った。ところがリーダーOさんの報告では、「サポセンに何が出来るか考える」という話になっていた。

「サポセンに何が出来るか」と問うのは、サポセン会員の一般利用者に対して考える発想であって、サポセンを背負い込んでいない方にはかみ合わない発想だと思う。福祉PJの仕掛人は、Oさんと私であって、他の方は賛同者以上ではないのだ。

Oさんは、すでにNPO法人格を持つような展開をされている方をつなぎ、そこに共通の管理運営のノウハウを提供しようと考えている。それに対し私は、家族に困難を抱えて困っている方の地域協力を通じた解決力獲得を媒介していく、自立支援的な発想をしている。市民活動の触媒のような役割を考えている。ベクトルの異なる二人が描くPJなので、どうも話がずれてしまうのだ。福祉は提供者の課題ではないと思うのだが。この論議は次回まで持ち越しとなる。

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17時になると外食をせず、粗末な食事を、量、とってしまう糖尿病に自覚のない頑固な父親の時間拘束を感じつつ、*君のお母さんが入院している市立病院に向かった。面会は拒否されるのだが、退院の日程をつかみたかった。*君とふたり、ナーバスな戦いを自宅で続けるのはよくない。病院から押し返されたときの心身が心配だった。結局個人情報を得られるはずもなく、婦長さんと話をして帰ってきた。

駅で父の弁当を買い、家に置いた足で茅ヶ崎に戻り、横浜から自由が丘に向かう。自由が丘で面談している最中に伊勢原君の連絡がはいったのだった。クリニックは個人ルートを使わないと、診療時間は過ぎている。連絡をしておき、伊勢原君たちにはクリニックに先に行ってもらい、私は自由が丘を30分早くUターンし、平塚の駅前で伊勢原君たちと合流した。すべて終わったとき、なんとも…自分が夕食を食べていないことに気がついたが終バスに間に合わせた。

外食して帰宅後2時間仮眠。再び電話で起こされるという状態。だから午前中の会議は使い物にならない。このまま、つぶれるのは絶対に嫌。だから逆にこの状況を緩和する活動を実現したいと思うのだ。

今日はこのまま、広報PJに出る。品川さんが来るが、夜のLD懇話会参加をやめて眠ることにした。

今日はここまで。

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----- 書き込もうとしたら、gooブログのメインテナンス。邪魔するなと怒っても、仕方なし。この間の悪さ、何とも社会の縮図ではないか。ひたすら心だけが突き抜けていく。

(校正1回目済)
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「ヤングジョブスポットよこはま」復活!!

2007-04-23 05:58:06 | 引きこもり
*君のお母さんの容態情報が途絶えている。気になる。*君の今後のことの仲介は、お母さんの復帰を待つ。今日、病院にお見舞いに行く。

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いろいろな状況の変化が起きた一日。嬉しいNEWSが続いている。

1)茅ケ崎市議選に支持議員が当選したこと(名前は避けます)

2)「ヤングジョブスポットよこはま」が
  総合人材サービス業「日総工産」(本社・横浜市港北区新横浜)の資金援助で
  復活!

( cf. http://www.kanaloco.jp/localnews/entry/entryxiiapr450/ )

NPO法人「ユースポート横濱」の岩永さんたちが委託運営する。

「ヤングジョブスポットよこはま」の最大の特徴は、当事者性。求職当事者の自主性が生きている相互交流・ミニ講座運営。これは「就労にハンデがある若者」にとって、一番滋養になるプログラムだ。

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Newdays 平塚・辻堂店の「わーく」展示期間が終了し、本紙を回収した。店長さん、お騒がせしました。

アスペを抱える□さんと就労相談する。職場の対人関係で苦労された方で、技能職を探しているが、なかなか見つからない。私は職業斡旋の資格を持っていないので、この間の採用面談の様子や就労条件を伺い、より情報がありそうな機関を紹介する。一風変わった会話となったので、喫茶店となり席のカップルが退散していった。どうもすみません。

話を終えて、香川の下宿屋さんに書類を届けに行った。日曜日なので交代勤務の職員の方に仲介していただいた。

そのまま相模線で入谷に。生業の巡回。ずっしりと重い話を抱えて茅ケ崎に戻る頃には、市議選の最後の演説が終わって奇妙に静かな駅前になっていた。


夜間傾聴:伊勢原君(仮名)親戚
     自由が丘さん(仮名)
メール: SNS環境設置サーバから問い合わせ回答
     *タウン紙、「わーく」支援カンパ要請却下連絡


今日の予定:福祉PJ会議
      *君お母さん、お見舞い
      自由が丘さん宅巡回
      県労働局関係宛連続講演会講師依頼メール作成

以上

(校正1回目済)
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社会をひとくくりに見る落とし穴/地方選が投票日です

2007-04-22 07:05:22 | 引きこもり
NPOサポートちがさきの自主事業PJとして「就労困難な若年者の地域就労促進PJ」結成を提案している。賛同者が集まってこなければお流れだけに、輪郭をしっかり作り、活動のバックグラウンドの情報調査研究・関係者交流・企画啓発を狙うPJとして仕上げた。官民協働の第三セクタ的な実務センターの芽を育てる畑である。大風呂敷だなあと思いつつも、社会的企業の素地ができたらいいのだがと思う。もろにトップダウン型の活動だ。正規の事業企画書を書き上げ、仕掛け人の稟議にまわした。

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Newdays平塚・辻堂店に「わーく」を1週間置かせてもらったが、期限なので挨拶周りしながら様子を見てきた。案の定1部も減っていない。風評が広がらないとこの手の冊子を引きこもり青年が手にすることは、まずありえない。オンラインが面白いということになると動き出すという卵・ニワトリ論議のような関係がある。配置する場が無ければ活動が成り立たないが、これから「店の邪魔」という形で崩れてくるから、対策と新規店開拓が必要となる。夜間傾聴の正念場ともろに重なってきた。

店長さんや店員さんに感謝して、次号発行の際、考えてくれるようにお願いしてきた。今日はその期限切れの「わーく」の回収なのだ。

来週は午前中が会議ばかりとなった。困っている。昼寝の場が必要。また病院待合室かなと思ってみたり。

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バージニア工大の事件は、不安定な心の持ち主たちに衝撃を与えただろう。末路を見るように落ち込んでいるひともいるに違いない。マスコミは銃の暴力に論点をずらしてきているが、ボーダーや、アスペを抱えるひとたちの孤独を見失うまい。

私は担当している青年に毒の半分を飲むよと言った。私は彼らの短絡物語の虚実を語り続けるだろう。

今日も午後アスペの中年男性と会う。彼は宴会共同体への恨みを持っている。幸福な結婚生活者への怒りを抱えている。またある女子高校生は、いじめの相手への殺意を語る。脱落した者の救いの無さに無頓着な社会に恨みを向ける。私は社会とひとくくりされた人々が決して束ねられるものではないことを語る。しかし決定的には、彼らが復帰または再出発できることによって、平板な物語を書き直す道を探っていく。

地方選の名前の連呼や、「勉強します、がんばります」という無策と選挙の空洞化は、前回の障碍者福祉を市議候補と語り合う場面において、大半の候補が語ったことばだ。そこに照らし出される地域社会のやりきれなさは、脱落を余儀なくされた者の恨みに通じる道となる。市議候補たちには響いているだろうか。

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事業企画書は5/2に審査される。通過したら、公開する予定。

夜間傾聴:新規の少年(レギュラーP君のつて)
     ○子君の母
メール:大船市民活動センターの5/12~13イベントの仲介
    生業、相模大野の子のレポート。

今日の予定:NewDaysの「わーく」回収。(平塚・辻堂)
      %さんと会う。(藤沢かな)

(校正1回目済)
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バージニア工科大の惨事に思う/企画に腰を据えるために

2007-04-21 05:37:38 | 引きこもり
バージニア工科大のチョ・スンヒの生育暦関連の報道が出始めて、読んで、涙が出た。この時期に彼の理解者がいたら、彼はこんな自爆的行為に身をやつさなくてもよかったはずだ。彼の間違いは、ひとを自分の対極に押しやってしまったことだ。「ひと」と束ねてレッテルを貼ってしまう。そうではない「ひと」をも押しやってしまったことだ。

「犠牲者、8カ国から 世界的学者や苦学生も 米銃撃事件」(朝日新聞2007年04月20日20時45分)に大切な記事が出ていた。リンクは出来ないからasahi.com (www.asahi.com)から覘いてみてほしい。彼の言う「富裕層」「お前たち」は、そこにはいない。苦しみの向こう側に私を解釈するための物語を作ってしまった彼がいる。視点を過てば、そこから先の情報は、その価値基準に整えられてしまう。事実と呼ばれるそれらは、恣意的な選択がかかっている。「客観的な事実」という幻惑の怖さはそこにある。

いつも思うのは、ひとが単一の社会に生きて、多様な社会の重なり目に生きる場を作り出していないことだ。その社会の挫折がその個人の破滅に直結してしまう余裕の無さ。競争社会とはその単一性を前提に、勝者の支配を合理化するための罠なのだと思う。そこからすると、チョ・スンヒの憎悪はその陰画(ネガ)に見える。

ひとはもともと固有の立場と体験を抱えて生きている。その共通項を作るのが時代であったり、集団という偏在性だったりする。自分をずらしてみる方法論と、重なり目に生きる多様性が育っていたら、こんな乱暴な「ひと」束ねが、いかに表面的なものであるかが見えるはずなのだ。いじめの土壌は、はずれることが破滅に見える偏在性が働いている集団であり、束ねる強権が隠れている。それを見切る分析力は、情況下に置かれた者には難しいことだ。多極・重なり目に生きるとは、「和」さないということでもない。私を一極でくくらないということ。物語を壊し続ける心の強靭さを留保することだ。その生みの苦しみに、もし彼の理解者がいたとしたら…。

そんなことを思うと、出会いの中を通り過ぎていった子たちの顔が浮かび上がってくる。チョ・スンヒ流の発想でいえば「全世界が彼を敵と立ち向かう」ことがあろうと、私は彼の痛みに泣く。願わくば「そのひとり」でありたいと思う。彼は愚かだ。そのために泣く。

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睡眠不足を若干解消して、サポチガの印刷物を抱えて茅ケ崎高校と西浜高校を巡回。

「わーく」の紹介を進路指導担当者の方に見ていただこうとしたが、お留守。教頭先生にちょっとみてもらった。全日制の場合、あんまり反応が返ってこないのが常だが、引きこもっている生徒さんの件で、少し興味を持ってもらえたようだ。ただ私を含めて紙面の感想は、「このままでは読まないね」なのだった。笑いながら、経過をみていただくことになったのは、ちょっと嬉しい。

5月の連続講演会講師依頼の件、電話すれども当人がいない。とにかくつかまらない。このまま連休にもつれ込むのはまずいので、依頼FAXを流した。

NPOサポートちがさきの自主企画PJに「就労に困難のある若年者の就労促進PJ」を提案した。就労支援者の活動のバックグラウンドとなる「研究・啓発と関係者交流」の場を作る提案だ。ところが、声をかけている障害児者当事者家族支援者の会関係者は、まだ地方選のただなか。投票日まで全く話にもならない。ところがPJ設立準備会の日程は、来週中に開かねばならず、その日程は至急公開しなければならない状態にあった。下手に設定すれば、私だけぽつねんといることになりかねない。さて…困ったぞというところ。

来週は福祉PJが(月)午前中、広報PJが(火)午前中、ドロノワ陶芸が(水)午前中、生業の親子面談が(木)午前中と続く。健常者の横暴と言っても仕方ないので、夜間傾聴は午前4時から7時とし、早めの睡眠をとることにした。夜間傾聴の意味をもつ2時から5時の闇を支えられないが、お許しあれ。

#さんのお母さんと会う。横浜の弁護士会を紹介。いずれ仲介することになる。
入院中の*君のお母さんもまた同じ病院にいるが、訪問を控えた。

入谷の約束があったが、自分の体調が完全ではないので、様子を伺い、延期。

皮膚科医院にステロイド軟膏をもらいに覘いたが、幼児でいっぱい。あきらめて、薬局でフルコートを買い込んだ。まだ両足やけどのように真っ赤。抗ヒスタミン剤を飲んだ。またボケる。困ったものだが、やむなし。

PJの事業企画書をバス停待ち時間30分の間に打ち込んだ…が、目の前をバスが通り過ぎて行った。渋滞で遅れていたのだった。虚しさを感じてタクシーに乗った。火事場に座れと*君に言ったなあと失笑。二兎追うもの分身の術とは行かぬものかと。

携帯が突然見知らぬ番号で鳴った。またかと出ると、市民活動推進課から、「げんき基金」の活動報告書4/30までですよとの督促の電話。早く地方選、何とか終わらぬものか。空をながめて唸っている。

(校正1回目済)
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今回おやすみ

2007-04-20 06:19:11 | 引きこもり
茅ケ崎養護学校に資料を届けた帰りに、香川にお邪魔した。下宿屋さんは、残念お留守。茅ケ崎に戻って、夕食の買い物を自宅に届けて、再び辻堂へ。藤沢経由で相模大野の巡回指導を済ませて帰り道、おかしくなった。四肢がしびれてきたのだった。

病院にいくには時間が遅すぎるので、そのまま帰宅。抗ヒスタミン剤の副作用だった。そのまま、就寝。3時過ぎまで約3時間半、爆睡した。

いま仕事の方を書き終えて、とりあえず、今日はここまで。

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*君の視野の狭さを叱った。ここ数日は関係話を凍結。



夜間傾聴:#さん母へ
     自由が丘++宅へ
メール:選挙関連のものばかり


今日の予定:今日だけ、ちょっと休みます。>医者にいく

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*君のお母さんの入院/NPOサポートちがさき全体会への就労支援PJ提案

2007-04-19 07:05:08 | 引きこもり
寒い。2月下旬の雨の中、コートと傘を茅ヶ崎サポセンに置き忘れたり、窓口スタッフのTさんを、藤沢のパン屋さんにアルバイトしている別人と間違えたりと、無茶苦茶な状態になっていた。睡眠時間と薬物の影響である。虫刺されと蕁麻疹で四肢は赤く腫れたままだ。リンデロンという強いステロイド軟膏を塗るだけでなく、アレルギー症状を抑える抗ヒスタミン剤を飲んでいた。その結果はPC入力時に「jjjjjjjjjjjjjjj…」という具合。

朝型の隣人が8時に訪ねてくる。私の就寝時刻が7時だから、起こされれば徹夜に等しい。訪問二日目、さすがに耐え切れなくなって、事情を説明。午前中は寝かせて欲しいと頼んだ。翌日はさすがに来なかったが、その翌日、夜更かしは体によくないと忠告しに、私の家の訪問が再開された。朝型人間は「普通」と「常識」をたてに、夜型生活を認めない。本来母親を訪ねてきたひとなので、母に対応を任せて寝ることにした。9時、耐震工事のCM電話が鳴った。音を消したところ、ローソン営業担当者の方から、わーく設置の申請内容の確認電話が飛び込んできた。今日は睡眠時間2時間を切っていた。夜間傾聴を続ける限り宿命のような試練である。

追っ付け仕事で、NPOサポートちがさきの全体会向けの新企画提案の「企画書」を仕上げて、前日にサポセンに送った。窓口スタッフの方に御願いした。ところが修正版ではないβ版を送っていたのだった。

そんなこんなで、全体会の新規PJ提案は、企画書を読み上げるのをやめて、要約解説にした。

格差社会が生まれており、その矛盾の源泉が「正社員の過密労働」「派遣・パート労働の低賃金不安定雇用の増大」という雇用状態にあることを語り、健常者の一般雇用の人事はシビアである事例をあげていった。障害者一般就労の現状、押して知るべしなのだ。

採用面接の際、引きこもり青年に対し職歴の空白を指摘し、不採用をその場で言い渡したり、吃音があることを、スーパーの品だしバイト不採用の判断基準にしたり、アトピーの青年を食品部門すべての採用から門前払いしたりという現状がある。

企業側の意識改革を進めないと、ことは解決しない。障碍枠の就労の場合も、特例子会社に障碍者を隔離して法定雇用率を達成している状況で、自立支援法下、企業就労枠が拡大しているとはいいつつも、その質や量(採用者数)ともに厳しいものがある。

もうひとつの受け皿が「地域就労」。地域社会の中に様々な力をコーディネートして、活かしていく道がある。企業就労を進めながらも、地域就労・地域起業を追う活動として、就労に困難のある若年者の就労促進PJ」を提案した。

NPO中間支援活動の団体のPJなので、就労と支援の形を研究・啓発する就労支援者懇談会を提案した。市や県、国の行政関係者との意見交流も非公式の形で進め、就労支援活動のバックグラウンドを耕す活動を始めようと訴えた。理事の方々は飛田の非常識発言に悩んでいたが、案外大人しい提案にほっとしたのではないかと思う。一方、障碍児者・家族の会からすれば、支援者の悠長な提案に思えるかもしれない。いわば官民のロビー作りの提案だからだ。

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*君のお母さんが心労で救急入院した。*君のメールではじめて知ったのだが、サポセンから病院に駆けつけたが、面会を拒否されてしまった。当然のことではある。

*君はその事態に無頓着に、自己防御の主張をメールに書いてきていた。彼はまもなく開放病棟に入寮する。しかしそれは彼の言うとおり「隔離・切捨て」ではない。彼にはどんなに苦しくとも未来がある。それを自ら折ってはならない。「避難・仕切り直し」と目的をもって入寮すべきなのだ。

彼には、あえて母親を隠し彼流に「敵」として例えて語ったが、倒れた敵を追い討ちかけて蹴るのはおかしいことなのだ。ましてや病に伏したものの前で、自己主張とは自分以外に思いが及ばないのは、歪んでいるのだ。彼の主張は判断凍結とした。

ひとを許容できる柔らかな心をとりもどすために、*君は療養所に行くべきなのだ。

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夜間傾聴:入谷宅(仮名・親子)
     大森宅(仮名・家族)
     レギュラー1名
メール:中西さん
    某選対事務所(丁寧に断った。)

今日の仕事:会計締め(げんき基金)
      相模大野巡回
      とにかく睡眠補充

(校正1回目済)
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*君らの闇と悲しみに連れ添うこと/就労支援PJを誕生させよう

2007-04-18 06:20:31 | 引きこもり
*君と会った。硬い表情と歪んだ眼鏡から、彼が落武者風に見えてならなかった。主治医から開放病棟への入院を言われた帰り道だったのだ。暴れたのは彼には違いない。しかし何でここまで苦しまなくてはならないのかと思う。仕切り直しである。先方が彼に合えばいい。しかし合わねば地獄。僕はパイプ屋となる約束をした。湘南から片道4時間の道のりである。彼は心の傷を癒すところから始まる。対人交渉の技能を整える訓練をすることになる。退院後のグループホーム探しを請け負うことにした。長期戦に入る。

先方の検査日、彼に同伴して先方の病院にいくことを、現在の主治医経由で先方の担当医に伝えてもらう手続きをとった。彼と親御さんと私になるだろう。私は望まれない監査役となる。彼が辛いのは、待機期間が長いことだ。身の置き所のない時間が流れ始めた。祈るような気分で、喫茶店を出た。

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伊勢原君(仮名)に会った。飄々と眼差しは遠方を舞い、心は深みを彷徨っている。薬を飲んでいた。ブルトンの「ナジャ」の初めに「あら、シメーヌだわ」という印象的な一言が出てくる。ナジャは夢と現(うつつ)の境界を歩いている。彼も境界にいる。僕は幻聴君との会話が終わるのを待った。発症前の彼よりもずっとひと臭くなった。「Tobitaさん、どうも」と挨拶を忘れた頃に繰り返す。「いつもお世話様」と切り返すと微笑む心に裏がない。まもなく親戚の紹介で、親戚の地元の沼津にある病院に入る。こちらも系列グループホームですごすことになる。

しかし思うのだ。*君といい伊勢原君といい、特殊な体験をしたものは、社会の絆が作れない。うなぎを掴むように、絆はすり抜けてしまう。実は絆なんてものは無くて、私たちは群れているだけなのかもしれないと、ふと思う。話しかけても、かけ離れた話が返されるならば、そこに分け入るひとは、まずいないだろう。媒介を求めても差異が互いを引き離してしまう。だがこれは彼の症状が成せるものなのだろうか。寄る辺の無さを作るのは、距離を取る人々の何気なさの集合の効果に、誰も自覚を持たない社会にあるのではないかと思えてならない。

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NPOサポートちがさきの新年度自主事業PJに、「就労困難な若者の地域就労促進PJ」を始めないかと、きょうの全体会に提案するつもりでいる。

市民活動に政治活動は、あわないという反論が出始めている。*君の騒動への介入が異様に写っているのだと思う。

社会の問題を抱えて、それを協力して解決しようとすれば、それを政治活動と呼ぶというのは、逆に市民活動を趣味と親睦に押しとどめることではないか。福祉の世界も外野の参入のような場面、(例えば老人ホームの慰問とか、視覚障碍者の車道横断時の善意の手助けのような場合。)に限定すれば、寝たきり独居老人の訪問介護(おしめ替え、入浴など)や夜間巡回などは重すぎて市民活動ではないという論も出るだろうし、横断頻度の高い交差点に信号をつけて欲しいと願えば、政治活動として排除される、そういうものなのだろうか。

社会活動は多様性を孕むものとして認めるべきだし、「特定の個人的利害の受益者」「分かちえぬ利益の独占」があるかどうか、つまり公共性を担っているかということが、社会活動の許諾の基準になるだろう。

ゆがみの無い、その範囲の活動は市民活動として認めるべきなのだ。しかしひとつルールがある。異質な他者の価値観を認めると言うこと。被害が及ばぬ限り、排他を認めないということだ。

果たして就労促進PJが公認されるかどうかはわからない。NPOちがさき会員の複数名が参加していなければ、PJを認められないということであれば、PJは現在のところ、流れてしまう。このあたりが出てくるのかなと状況の重さを感じている。

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三井住友カードがデータ入力作業の一部を障害者の在宅就業に提供したとニュースに出ていた。船橋市のe-ワークスネット、文京区のジェイスが提供しているのだが、こういう就労形態にPCは可能性を開いてくれる。

その部分についても就労支援PJは考えていきたい。ただPJは、組織の性質上、研究・啓発を担う。実際にそれを実践していくのは別組織となる。

(校正2回目済)
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茅ケ崎市・市議候補に障碍福祉の意見を聴くが…/個人をフォローする活動の限界

2007-04-17 05:29:47 | 引きこもり
*君から連絡があってほっとしている。今日は彼の主治医の診察日なので、彼の迷いが鬱積している可能性があったからだ。

春先は、傍流に押しやられた者には生き辛い季節だ。沈黙が決して静穏を意味しているのではなく、水面下で何かが起きていることの方が多いのだ。

神奈川県県民部青少年課から、活動状況アンケートが来て書き込むのに困ったことは以前書いた。ボランティア養成のために、既存の活動団体のキャパシティを調査しているのだろうけれど、フリースペースを基盤に展開していることが前提になっているために、私のところのように「オンライン上」で展開している活動ははみ出てしまう。

そこに参加者数を書く表があったのだが、書き込んで笑った。全員成人としたいところだが、小3がひとりいるのだ。お父さんの技術指導下で娘さんがメールを送ってくる。まあこれは例外ではあるのだが、隔週のお楽しみの話なのである。

しかし成人と書いたその文字の背後の闇の深いこと…。

短期回復の神経症の方は少数。前の塾経由、通過の方の紹介(これが大変な方が多い)、知人のカウンセリング活動の紹介のルートから入ってくるが、何らかの精神疾患を伴っている方が多い。私は心理カウンセリングの資格がないので、医師や、心理士の補助というか、夜間などの緊急時の危険回避屋(ストッパー)というような彼らが対応しきれない時間帯を「夜間傾聴」の形で支えている。年からして、そう長く続けられない仕事だとは思っている。

伊勢原君(仮名)は知人のつてで、ヨガを始めている。ところがさっそく、問題が起きた。曜日を割り当てられても、体調からその決まった曜日にいけないというものだった。統合失調症の彼を受け止めてくれる所が少ないからだ。電話で先方の経営者と話をした。結局担当者への早めの連絡と、他の曜日に空き席が出たときに、彼の参加を許すというもの。

○子は再び主治医のところへ。

これは生業の巡回仕事の関係だが、ADHDと診断された方が自由が丘に、うつ状態の方が座間に、行動障碍の方が相模大野に、そして成人期のアスペの方が藤沢にという具合だ。

私は磨り減って、お互いは接点無く、ばらばら、「わーく」には程遠い方ばかりなのだ。

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市会議員候補者に、障碍福祉の考え方を聴く会が昨日、茅ケ崎市役所分庁舎コミュニティホールにて開かれた。

様子がわからない初回の立候補者と、ある政党関係の議員候補さんたちが並んだ感じ。しかし逆に、参加しなかった候補たちの政治センスが読めて面白かった。しかし2候補除いて、あとは現職まじえて、「ご意見を聞きこれから勉強する」というステレオタイプ化した発言にあきれ返ってしまった。それほどに障害者福祉行政は立ち遅れている。

一方、「わーく」の参加呼びかけ配布は、私が10時ぎりぎりに来たのがいけないのだが、閉会後12時から会場を使う団体があるということで、会終了後は、ごたごたの大騒ぎで会場撤去。その結果10部程度の配布で終わってしまった。会参加者の3分の1ほど。

ある候補が就労支援にふれた。もうひとりも障碍者も働ける地域社会をと語るので、Q&Aの時間、質問をした。

ある大型店舗ではバックヤードの品だしバイトの採用の際、吃音があると接客の質の問題があるということで採用しないとか、アトピーを病歴に記載すると、食品部門からおいだされるとか、(注意:次は補足で言わなかった部分『またある女性は癲癇があるために、市内大型店舗の採用すべて門前払いになった。ある中年女性は親指切断の障害者であった。PCも支障なく使えるのにレジのバイトを断られた。客に不快感を与えるという理由だった。』)こういう、企業側の意識改革がないと、障害者の就労支援などと語る状態ではないのではないかと問いただした。まず隗より始めよである。それを抜きに、「就労支援を語るな」と発言した。それは事実、彼の職場採用部門で起きたことも含んでいた。

さすがに気分を害したか、さっさと帰ってしまったが、リップサービスではだめ。如何にイメージ選挙であるかが、浮かび上がってしまったのだった。

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夜間傾聴:#さん母
     レギュラー君1名
     *君
メール:昨日の問い合わせの応答
巡回:町田1件のみ


今日の予定:
面談:   *君のガードに空けてあるが大丈夫そうなので、茅ケ崎サポセン
      *君と16時台に茅ケ崎で会う。
巡回:*君大丈夫なら、伊勢原君(仮名)と面会
作成:NPOちがさきの自主事業PJ立ち上げ申請用企画書作り

以上

(校正2回目済)
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(これは昨日掲示予定分です)コーディネート活動の立場からの地方選

2007-04-17 03:00:50 | 引きこもり
(昨日分です。)

茅ケ崎市の市議選・市長選が始まった。

しかし相変わらず私は、今日からNEWDAYSが1週間、平塚駅と辻堂駅店に「わーく」を置いてもらえること優先で、ともかく「わーく」を持って店長さんにご挨拶をし、就労支援の関係者のところに、当事者探しの依頼のために立ち寄ろうとしていた。ところが誰も連絡が取れないのだ。そう、今日は公示日。昨夜、公示とともに選挙ポスターを掲示板に一斉に貼り出す作業によって、この1週間は、いよいよ大詰めの期間となっていたのだった。自分をピンぼけだなと思いつつ、いつもこの時、境界線に落ちるのだなと思ってしまう。

どんなに現場の仕事から社会改革を行おうとしても、お互いがつながり協力し合うことがなかったら、それは力にはならない。それはいやというほど味わってきたことだ。しかし私が行ってきた活動は、競争原理に歪む社会に取り残されてきた人々の「社会復帰」というより「社会への再構成」をめざしたものだから、理想型として「正常な実社会」を前提にせず、「いま・ここ」から、人をふるい落とす社会を「変革する」質を膨らませていこうとしていた。

ところが、これこそ様々な価値と方法が衝突する道だった。私は先見的な理想を前提にしない。その理想が、個人に起きている事象を強引に翻訳してしまう抑圧に心を麻痺させることを知るからだ。ところが政治は共通利害による統治だから、活動は力を代償に束ねられてしまう。例えそれを飲んだとしても、政党の束ね方からは、はずれてしまう。

例えば不登校の問題は、学校に行かないことに問題があるのではなく、学校という集団に、子どもの学びと生活がかかる人間関係が一元的に支配されていること、つまり立ち止まって、また歩みだす間の自由が閉じていることにある。そしてその立ち止まりには、語りつくせない個人の事情の迂回と闇がつれそっている。(実はこの迂回や闇が原基として創造を準備している。私は産婆の役割となる。)加えて、学校の指し示すまなびが風化していても、子どもは拒否できない。まなび管理に教員と生徒の非対称性がある。

ところが大人の価値観では、解決策が新しい学校建設であったり、わかる学び・面白い学びだったりする。後者は私が交通事故入院前には、矛盾だが、そのコーチで生計をたてていたわけで、子どもがかかえている、いじめや個的な人生体験や疑問に何も応じてはいないのだ。ところがこの子たちを地域で受け止めている者は、カウンセラーであったり、親の会・私塾等であるが、当事者の迂回や闇に連れ添うものというより、諭し封じ込めるものとして突き放し、操作してしまう。では、そうではない活動は束ねられるのかと考えると、「居場所」論の穴が見えてくる。場を与えても、社会の中に育む彼らの活動よりも庇護隔離が浮かんでしまう。ここに束ねが見えてくるのだが、その束ねさえも選挙活動にはなじまないものだ。私と僭称すれば不登校の子たちは、大人社会に何を言えというのか。結局活動しやすい環境を提供せよという形になってしまい、靴の上から足を掻くような事態になってしまう。

ここで話は少し変わる。障碍領域の活動は、今私が書いてきたようなスタンスとだいぶ様相が異なっている。精神障碍の領域の活動が近さを感じるが、他の領域の場合、庇護の発想が前面に出てくる。自立の課題は学齢期以降の課題となってくる。当事者同士のからみによる足場作りよりも、社会へとつながる力の準備が浮かび上がってくる。

「引きこもり」を直接書かず「不登校」としたのは、「引きこもり」は要素が複雑で、「不登校」ほど背景が類型化していないからだ。その核心にある当事者性、当人の生き方としての社会の獲得ということについては共通課題だからなのだ。

この立場と活動のスタイルの異なる活動の接点になりたつ「わーく」の活動は、コーディネートの活動でもあるために、既存の活動のどこにも属せない。加えて、今なすべきことは、当事者と家族・支援者への提案であって、大人社会一般に対しては活動の存在以上のアピールすべき内容にまで熟していないのだ。そして活動の価値が既存の組織の課題の一部を成すが、既存の組織に分散して考えたときに一部でしかないのだ。

「わーく」の活動は、社会に基地をつくる活動ではなく、「社会の中に根付く」活動であることを特徴としている。この「社会の中へ」という部分が、構成する諸領域の活動団体の重篤な困難を抱える当事者への魁(さきがけ)になるだろう。

地方選挙と言う、既存の組織活動の衝突する場面では、それこそ居場所がない。利益代表を送るべくもないからだ。既存政党の硬直化した理想型にぶらさがることを拒否するとき、長雨の止むを待つようなことしか出来ないことがもどかしい。

(校正1回目済)
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