湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

5/29&30 茅ヶ崎市市民活動推進課の市民と行政との協働「アイデア提案」に応募

2012-05-31 04:55:45 | 引きこもり
2012/05/29&30 記
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市市民活動推進課に、行政と市民活動の協働の課題アイデアを募集する企画があり、この間、防災対策課に提案してきた2つの課題を改めて募集用提案書に書いて提出した。前年度、3月時点で「災害初期避難誘導員制度」「QR-ID緊急医療情報カードと避難生活への利用」の内容をA4半分ほどの欄に書き込んでいく。このとき、担当者さんたちには、このアイデア提案企画の前から、経過を話してきたことが裏面に出て、いつの間にか、ここを省略しても相手に伝わるという部分が入り込んでしまう。今回は広報企画課など他課にも流れていく。今回は後日のプレゼンとQ&Aを前提にしてよいが、コンセプトが伝わっていなければならない。プレゼンの基本だが、かなり崩した形で原案を書いてしまった結果、返って修正に時間がかかってしまった。

先週金曜日に、市民活動推進課が仕掛人になって、協働カフェがあった。このとき、バズ・セッションが行なわれたのだが、2つの案への行政の驚きを感じさせてもらったので、何を改革していくものなのかをはっきりさせる、いいかえれば文脈をはっきりさせて、実現可能性も主張していく部分を入れ込んだ。

ただ最後に、他の都道府県や市町村の議論のなかに類似の議論はないか、医療情報のQRコード化を既に行なっているところはないかという周辺情報を掴んでおく必要があった。ところが類似の企業営業活動が見つかってしまった。QRコードのカード作りと、症状・服用薬の変化に合わせた更新をその企業が担う形で料金が設定されていた。QRコード化は、あくまでも自分の身を守るためのもので、それに応える営業活動ということ。つまり震災と災害時集団医療と避難生活の改善という文脈はない。したがって、目的を伝えることに、より絞って提案した。また、この和歌山の企業の存在を伝えるため、HPのコピーを添付。茅ヶ崎市がこの企画を取り上げるとき、この企業の特許や考え方の確認を踏まえる必要が出てきた旨の添え書きをつけた。

正直言ってがっかりした。しかし、防災という社会活動の文脈に入れ込むことのオリジナリティーは損なわれていないことがわかったことは、冷や汗をかきながらも腰を据えなおしだと、歯をかみしめた。

「災害初期避難誘導員制度」の側も、これほどの無しのつぶてなのは、類似の活動が「防災リーダー」制度としてあり、防災の諸活動を市民が担う仲介指導者育成を行なってきた。その活動で十分という判断がある。もうひとつは一NPOの提言であり、優先順位が低いとされたのではないかということだった。とにかく防災対策課は忙しい。その谷間に落ちたと推測された。

つまり「防災リーダー」のように、災害対策指導員の四肢となって、地域自治会などをリードしていく、より訓練された市民側指導者を作る活動は、台風や水害、ゆっくり燃え広がる大火のような見通しをたてて動く活動には威力を発揮するが、震災や津波のように突発的な災害には立ち上がりが遅い。このタイムラグに対応し、「津波てんでんこ」の自主判断・自主避難の現場誘導者、隙間を埋める者として、「災害初期避難誘導員」という限定的な資格を講習会受講終了資格として、広範に育成することを改めて提案した。

行政への提言は非公式な場面では、なかなか通らない。だから議員提案のような形を取って議会に提案が委託されるのだが、私のように、同意するものどうしがその都度、やれる範囲で共同すればいいというネットワーカー論に立つ者は嫌われる。利害集団の枠組みからはずれていくからだ。だから、今回のような公的な協働企画公開の場面が与えられるのは助かる。今回の提案提出によって、たとえ不採用になっても、無視だけはできなくなった。

今回の提案は茅ヶ崎市の関連課、市民活動推進課、広報企画課(秘書課)に伝わっていく。このあとのプレゼンと前後して、宮城の南三陸災害研修ボラバス企画と平行して、岩手の広田半島周辺、就労と見守り支援のキャンプ場合宿案を持ち出そうと思っている。陸前高田の「広田半島黒崎温泉保養センター」や、今は仮設が立ち並ぶ「モビリア・オート・キャンプ場(小友町)を調整して、広田半島の民間交流、現地ボランティアと連携した(湘南からみた)行き先を開拓していく企画を遠野の金太郎ハウスの小規模版作りを考えている。集中して行なうのは「見守り支援」「夏期学習支援」を広田町に広げていく。

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ともあれ、QRコードIDカードの利用場面について、再検討している。三井君への車の譲渡の件は、車検整備中なので、当面は止まっている。部品代・手間賃・陸前高田>湘南片道交通費・湘南>盛岡>陸前高田交通費・譲渡費用が残っている。この部分を捻出する算段で、あちこち電話をいれていた。勝率5%。あと5万円以上。
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月曜日に、私に最期の言葉を残して命を絶った故++君に会いに行った。刃は心にまだ突き刺さっている。このまま、刃は私の墓の中に持っていくが、**子の要請で大森駅に行く前の墓参とした。

**子は親から叱られたのだろう、大森には現れなかった。会う時刻の一時間前に「行かない」とメールがあったが、既に大森の駅前の飲食店で昼食を済ませていた。まだメールがあるからいい。橋本駅から医療少年院沿いの道を終バス間際、南橋本駅にむかって走って帰宅に間に合わせたときなど、彼の家に入れてもらえなかった。空転をかみしめる思いを何m積み上げることになったかは、はかり知れない。

素人にもそれなりみ通じる書籍
●「災害現場でのトリアージと応急処置」

読んでいる。QR-IDカードは災害発生時、被災現場で役に立つのか。

そして大事な本に出会った。久しぶり山中恒氏と木下晋氏の●絵本「ハルばあちゃんの手」

入手。私が守ろうとしているのは、まさにこの手。働く女性の手だ。風の盆のような衣装がでてくるので、北陸のばあちゃんがモデルになっているが、このデッサンの手が、まさに広田町で生活支援する相手の手だ。

夜間傾聴:なし

(校正2回目済み)

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5/28 活動の閾値に達し(2)

2012-05-29 05:35:17 | 引きこもり
2012/05/28 記
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ひとつの作業が終わらなければ先に進めない。しかし先の処理が終わるまで待っていると必要以上に時間が経ってしまう。そこで今のうちに出来るとことはやっておきたいと考えるのだが、その意図は他者には伝わらない。結局大回りをすることになって、前の処理とのマッチングにずれが出来てしまうなど、マイナスの面がうまれてしまったりと思うに任せない。

土曜日に教室から横浜の県サポに直行し、かながわ東日本大震災ボランティアステーション24年度活動説明会に参加した。ボランティアバス運行の1年延長や、遠野の金太郎ハウス運営の1年延長が決まったことは大きい。

だが新しい情報が出てきても、その活動にどのように係わるのか、センターの積極的な話は出てこなかった。最後のQ&Aと要望の際、私は

1)他都道府県のボランティア派遣活動の現地企画がわかれば、
  現地持ち込み活動の重なりなどが回避または利用できる。
  センターに届く他都道府県活動をHPなどに紹介してもら
  えないか。

2)ボラバス遠野着「かながわ東日本大震災ボランティアス
  テーションバス」の現地路線バスとの連携を一考してもら
  えないか。

----- ボランティアバスは集団で動く方のためにある。
   別途個人参加の支援はしないし、予定も無い。

という回答だった。これから生活支援ボランティアが増える。集団移動先の仮設でサポート活動にはいるとき、他の仮設にも足を伸ばすというニーズは増えていくだろう。セットされた場所について、活動を行なうという形からの拡張を求める声は出てくるだろう。それをばっさり切ってしまった。

私が利用した7月のボラバスは、相模原への帰りの際、相模原市役所から横浜線までの距離があり、終電の関係があるとの事で、駅商店街解散とし、全体の出発も20分早めた。そういう柔軟な対応を実際はやっている。だから遠野駅発着の路線バスを使って、行き来しボランティアバスを乗り継ぎ活用できるように、考慮してもらえないかという問いだった。数分の差でボラバスが出てしまうので、数時間前のバスで遠野にいなければならず、陸前高田や大船渡から遠い遠野の拠点が足枷になって、使いにくいという体験があった。遠野発着のみとするなら、その発着時間数分をつながりやすく調整し運用して欲しいという問いだった。

そのころ陸前高田の仮設周辺には仮設トイレが設置された。ところが皆日本式便器なので、私のように膝骨折の後遺症のある者は、大便に苦慮した。しゃがめないのだ。洋式トイレは陸前高田の市役所にあるのだが、その情報を提供したとき、職員の猛烈な反発にあって、驚いたことがある。がれきの撤去などは健康な方が参加するだろうが、見守り支援の方は、年齢や体調にも幅があるはず。その方に洋式トイレの場所情報をつかんでおき、提供することは意味の無いことではないと思うのだが、職員の急変には驚かされた経緯があった。

車の委譲の話の進行の際も、現地との話が進んでいるという報告をしているのに現地に連絡して話をしておくとくりかえすので、金銭まじりの微妙な部分を越えてきたのに、不要としても、同じ応答を何度も繰返すので、邪魔はしないでくれと叱った経過もあった。どうも実践的ではないのだ。

こういうステレオタイプが、準備のあちこちで起きた。高齢者の足になりたいといえば、何度くりかえしてもマイクロバス運用という発想に、話が戻ってしまったり、集会場の作業や食事会ではなく、個別支援の道をといえば、仮設個別訪問は禁止されているという。被災者臨時雇用枠で巡回相談員がまわっているが逆効果も生まれており、保健師さんのネットなどと相談しながら個別支援の道を拓きたいと伝えても、仮設は個別訪問が禁止されていると遮断されてしまうという、公的な窓口の固さが、次へと準備していくところで癌になった。

こういう空転を積み重ねながら、出来るところを詰めてきたつもりだが、「天」と言えば「地」というような発想の隙間を抜けてきた、いわば高原状態が今の静けさなのだ。とにかく車は整備に入った。その車を6/10、三井君に渡し、譲渡手続きを盛岡の岩手県陸運局で取る。その前に三井君は車庫証明を準備、そのうえで、今度はセカンドブックレスキューにお願いしていた巡回文庫をはじめていく。その段取りゆえに、これから半月以上足踏みとなるのだ。実際は活動開始まであとひと月はかかるだろう。このブランクは、実行委のメンバーなどにも活動停滞に映るジレンマがある。大きな見通しと方向を表したパンフレット「今後の災害ボランティアのふたつの道について」を出したのはそういう背景があったのだが、もうひとつ、車を盛岡経由で陸前高田まで運ぶのにかかる費用、三井君が湘南までくる交通費、譲渡手続き費、整備費等まだ金がかかる。冷や汗がでるほどの最低線の分しか費用が無いから、超えた分をどうするかまだ四六のガマ状態にある。最悪時は借金で超えるが、やはり峠、胸突き八丁なのだ。

あと1ヶ月は待っている仮設には長すぎる。来月陸前高田をまわってこなくてはならないかと思案の最中なのだ。契約から2ヶ月が経ってしまうからだ。

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広田半島通信を出せる体制作りを、空回りの上に準備する。
広田町から三井君、地元の方の2名の招待交流会の準備、資金確保。文庫紹介。
秋口、大船渡から大関氏招待、講演会、資金確保。
防災活動 etc.

峠道なのである。


夜間傾聴:**子(仮名・危機、ここ数日深夜相談空転)
     橋本3君(仮名・病院に行ってきた。小休止。)
     南大沢君(仮名)


(校正1回目済み)

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5/27 パンフレット「今後の災害ボランティアのふたつの道について」本文

2012-05-28 06:08:52 | 引きこもり
パンフレット「今後の災害ボランティアのふたつの道について」が完成した。
本文を掲載する。





☆☆☆「今後の災害ボランティアのふたつの道について」☆☆☆
「わーく」編集部

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~はじめに・衰退する災害ボランティア活動の現状について~
(資料に見る現状) GW被災地ボランティア 7割減

●「2012年5月9日 読売新聞岩手版」


~環境整備・産業復興支援活動と並ぶ生活支援の道を作る~

**被災地滞在型ボランティアと受け皿企画の貧困**
もともとボランティア活動とは、他者・公共のために自主的に行動することが基本とされてきた。言い変えると、「受け皿があるところで参加か否かという自由」を自主性として、「受け皿枠の中の工夫」を創造性として営んできた。ところが、環境整備や地場産業復興支援と異なる家庭生活の支援と、ひとの心、孤立を防ぎ喜怒哀楽をともに分かち合う活動が必要とされるに至って、受け皿のデザインを手がける必要が出てきた。

ところがボランティア自身が「受け皿」を意識していないために、この議論はなかなか進展しない。状況を変革するためには自覚的なメンバーの生活支援プロジェクトを立ち上げ、受け皿の拡張を見通した試行と経験交流を早急に進める必要がある。ひとつは個別の社会的課題にとりあえず手探りでも応えていくこと。もうひとつは、皆が参加しうるような「生活支援活動のスタイルを生み出す事」ここに自覚的に取り組むことだ。

**被災地滞在型支援の場合**

 滞在型支援は、ふたつの場合を分けて考える必要がある。ひとつは「移住や長期滞在をベースにするもの」で、地元の方との個別交流を育てられる利点がある。従来の環境整備や地場産業復興支援と同じく、各地域の支援者連絡会(ネットワーク)を通じて協力体制を作り、そこを通じて地元行政や実務者組織と協力関係を作っていく。また非被災地からの支援の、地元への仲介とガイドの役割を担える立場になる。
 ここで注意すべきことは、遠野まごころネットの中でも議論された「生活支援活動」は、他の領域の活動と連絡を保ちつつも「別個に活動連携していった方がいい」ことだ。環境整備や地場産業復興支援活動は、いわば「がんばり」で結びつく「公的な顔」の活動であり、「子育て・介護・保健医療・高齢者/障がい者のQOL向上・食事保証etc.」の家庭生活をめぐる「私的な顔」でつながることが基本になる。それゆえに、非常にデリケートな面を持っている。以下は失敗の事例である。訪ねればいいというものではない。


(資料に見る現状2 背景)高齢者の崩れる心身/
被災者自身による巡回相談支援員制を開始


●2011年10月14日・朝日「孤独 忍び寄る危機」

●「(資料に見る現状3素人訪問) 仮設訪問 半数は「拒否」」


**生活の個別支援拡張と寄り添いの必要さ**
――― 「何のための訪問なのだろうか」被災したことで、家庭にはさまざまな問題が起きている。

家族や財産、仕事の喪失という問題は、高齢の方には簡単に「再建」とはたたない。避難所生活の後遺症で心身の衰えが起き、当人の生存感の衰退が深まるのみならず、熟年の方にも介護の負担がのしかかっている。若い方では、母子家庭が矛盾の頂点となるような、子育てと仕事・介護の両立、障がい者の方の社会的居場所の喪失などが、被災という状況のなかで複合化し、先鋭に問題化している。

特に注意が必要なのは、親しい方が身近におらず、家族のみに人間関係が閉じている方の孤立化であり、被災ストレスによって許容値の狭くなった家族の間の諍(いさか)いから、外部の助けを得られないような社会的隔離状態を作らないことが大事だ。

見ず知らずの他人が突然のりこんできて、「さあ、悩みを話せ」といわれても、話せるはずがない。例え元気な方でも、他人にはいえない悩みや孤独を抱えている場合もある。家族の前では話せない抑圧した思いを抱いている被介護者もいる。食事会や喫茶に出て「元気」「大丈夫」の言葉を聴くことが苦痛な方もいる。そういう孤立する人々、特に単身高齢者、お荷物視される障がい者・認知症者、狭い仮設の部屋で逃げ場の無い嫁姑の対立のあるお嫁さんの闇というように、深い悩みは支援の隙間に落ちてしまう、本来生活支援の中心にあるべき方々への支援は、正面突破は論外、や集団交流だけでは解決しない。

顔見知りの方と作業をすることによって、孤立感を克服する試み、食事会・喫茶も大事な生活支援だ。しかし、集団による何気ないいたわりや態度に苦痛を感じるひともいる。

つまり、ひとつの処方箋で解決できないのが生活再建だ。しかし、支援員制度が、個人の内面に割り込むようなことになっては、問題が大きい。この状況を突破していけるのは、集団に疲れた人の「生活の個別支援と寄り添い」のプログラムを立て、実行することである。散歩・通院・買い物等の寄り添い、旧居
住地域の友人との再会のバックアップ等々。

密室のような環境ではなく、散歩中の対話
と傾聴のように、言葉が出るのを身近で受
けとめていけばいい。集会所プログラムや
共同作業のプログラムと連携して、効果を高めていく。

**被災地に中継点を作る場合**
災害ボランティアが生活支援に取り組む際、困ることは被災者の方々と以前からの知り合いではないことから、距離感に悩むということがある。滞在・移住型支援と異なり、短期間、支援者の余暇を使った支援ということになると、個別支援という領域は、地元実務者または滞在・移住型支援のカウンセリング経験者という範囲に限定されてしまう。
短期支援者には無理な領域ということになってしまうのだろうか。

これは個別支援企画が未だ検討の歴史が浅いからだ。他の支援活動よりも明確な形で、専門職の助言が必要となるチーム的な活動を基盤にすることが要求される。複数の支援者が、無計画に同じ被災者の方に接点を持とうとすれば、被災者の方の迷惑以外の何者でもないことになる。しかし直接的なカウンセリングでないならば、短期支援者の入り込む余地はある。ただその采配を地元実務者に任せるのは、煩雑さと重責が重なり現実的ではない。精神障がい研究のなかで検討されているACT(包括的地域生活支援プログラム Assertive Community Treatment)に準ずるようなチームサポートの枠をアレンジしていくことが現実的だと思われる。

つまり短期支援者は、ここのチームが準備する活動をチームの一員として実行し、結果を返してもらうという形だ。散歩・通院・買い物等の寄り添い、旧居住地域の友人との再会のバックアップ・生花の個別配達等々という形で実践し、その人との対話や様子を口頭で報告してもらい、要注意の方には、その後の地元サポートに委ねていく。(実務者数の圧倒的な不足は承知の上だが。)

この個別支援活動チームが地元の受け皿となり、支援活動の中継点となる。生活支援の中の個別支援活動は、より組織的な関わりを前提として拡張していく。個別支援活動チームは、短期支援者の参加の機会を広げるために、喫茶や食事会・手芸などの見守り支援のセクションとして、支援者の入口をつくっておくべきだろう。
  

**非被災地における被災地生活支援の場合/「民間交流」へ**
非被災地における生活支援活動の場合、一般の方は、被災地の家族の実情のイメージがないうえに、個人の生活に立ち入ることへの抵抗感があるため、支援活動をつくる必要があっても、なかなか活動自身が立ち上がらない。また協力したいと思っても、手立てが見えない。

この壁を超えて、災害ボランティア活動の生活支援への拡張を拓く鍵は、「仮設生活の不自由さへの同情」のような浅いレベルに留まるものではなく、「失われた家族」と「断ち切られた未来」という重圧を課せられた家族と、「奪われた余生」という悲しみや虚しさを抱える高齢者の、いつ自分自身にも降りかかるやもしれぬ事態という気づきと理不尽さに立ち向かう共感を、「家族と人生」という観点から、呼びかけられるような活動はできないものだろうか。

被災直後のチラシ配布やカンパ活動への通行人の暖かい支援を思い浮かべている。それはマスコミ報道の影響の同情と単純に解してしまえるものではない。そこには、実家や出生地の惨状、知人・友人・親戚の被災と窮状という自分に連なる想像力が働いていた。

被災地に生活する人々の現状を届ける優れた活動としては、写真展・ドキュメント映画上映会などのビジュアルな情報提供や、一対一の絵葉書文通などがある。しかし状況をしっかりと伝える試みは、「ひとの交流」にあるだろう。インターネットメディアを使ったTV会議なども使えるが、私たち非被災地の代理経験メッセンジャーとして、高校生・地元大学生を被災地に送ったり、手の空いた大人の被災者や実務者を招待したりする試み、「民間交流」を組織し、「ナイター」ではないが膝を交えた懇談を積み上げていくことが、小さな試みのように見えるが、実は大きな意味を持ってくる。

この「民間交流」は、交通費・宿泊費というようなコストの壁が出てくる。このとき初めて「被災地産商品の販売」を伴って費用負担軽減を図る活動として行なう。今までの被災地産物品販売活動は、純益を復興支援にと呼びかける活動だったが、せちがらいという批判も有ろうが、旅費捻出のためと訴えていく。勿論助成金も申請

具体的な「旅費実費」捻出販売をうたっても、「民間交流」懇談会実現のためと目的を明示して「商品販売」すれば、実費の一部補助となる。大事なことは、この交流で得たことを皆に企画に載せて還元していく。その意味で文通は文化習慣に馴染まない場合もあるが、「葉書絵」は間口が広い。文字媒体ゆえの深さも見込める。このときの文通は、実名と実名の交流だ。寄せ書き提供のような集団対手段ではない、より心のひだにふれ、気持ちの吐露につながる個人と個人の文通を組織する。

**民間交流紙の発行**

 地元の声の交流を図る。地元の各地災害ボランティア共有の交流紙を発行する。被災者の仕事と家庭の状況が浮かぶものにしたい。裏面は被災者の日常紹介の記事というフォーマット。PDFファイルの形で各団体に提供し印刷配布してもらう。要望や生の声の取材は各地域を巡回する団体や駐在員が行う。特徴的なことは、災害ボランティアの共有通信紙であること。諸行事企画レポートを載せるための交流紙ではなく、各号テーマは持っていても、身辺情報・家族情報を主軸におく。

取材した被災者の交流会との関連を密に保つ。

**茅ヶ崎市防災活動への参加**

 東日本大震災の体験を地元還元していく活動に参加し、組織力を高めるために積極参加したほうがいい。「わーく」編集部では

・災害初期誘導員制度の提唱
・QR―IDカードの発行と利用

のふたつの提案を茅ヶ崎市防災対策課に提案している。詳細は別の機会に。

eof.
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5/26 活動の閾値に達し(1)

2012-05-27 04:57:24 | 引きこもり
2012/05/27 記
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ひとつの物事が閾値を越えるとき、必ず闇をくぐる。その時が今なのだと思う。災害ボランティアは、被災者の死の縁を越えたそのすぐ脇で踊っていることを忘れてはならないのだと思う。1年余の時を過ぎて、非被災地の人間が被災者を訪ねるのは、断ち切られた人と生活の不合理さへの言い知れぬ怒りや悲しみがあるが、私はその憤懣の底に、沈黙している共感があるのだと思っている。大事な人の危機に動き出す他者は、激情に突き動かされてるのではないのだと思う。

そのことに気がつけば、目的は事態を動かすことであって、個人の功利は卵の殻のようなものだと思う。殻を割り閾値を越える場面は、私にとっては、車の譲渡を通じて、私なりの被災者との接点を生み出す事だ。

車検整備の業者さんが呆れ、私の昔の塾の卒業生が親父面して他者に車を提供する異常さという分別説教されても、私には若い頃、とんちんかんな解釈だったが、黙って支持してくれた年配者がぽつねんといたことへの嬉しさを今も忘れないでいる。だから踏み出せる。その後の活動の戦略は、私だけの決め事だ。

昨日の茅ヶ崎市職員との懇談の後考えたのだが、何はどうあれ、また7月には大船渡、陸前高田を歩こうと思う。土地勘や情勢の推移を探り、自分が成し得る仕事を拾い出す作業をし、知人と会うためだ。扉を開け!

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広田半島という土地に友を得、私は次の絵を描き始めている。文庫の流れ、なんでも屋風家庭訪問支援や地場産業活用法、在宅の高齢者と障碍者の実情調査などだ。広田半島通信というブログを持ったMLの開設などだが、まだすっきり言い切れないでいる広田教育・福祉ボランティア夏冬ツアーを民間交流風に仕立てる作業が残っている。

QR-IDカードの話は、追って書き込むが、時期熟すのを待って扉を開ける、少し息のつまる舞台の奈落の中にいる。

夜間傾聴:橋本2君(仮名)
     **子君(仮名)

(校正2回目済み)


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5/25 車、車検整備に・自動車税済/茅ヶ崎市と「アイデア提案カフェ」

2012-05-26 05:45:57 | 引きこもり
2012/05/25 記
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朝11時。車の持ち主さんに印鑑証明とサイン・実印捺印をいただき、インプレッサを回収しました。順待ちがあるので月曜日に車検整備、着手です。自動車税も支払い、やっと動き出した感じです。しかし予算がぎりぎり。譲渡証明もそうですが、陸前高田までの経費・車検整備費が心配。補完資金カンパを求めて、昨日も卒業生のつてを回ってきました。収穫0、厳しいです。

昨日は茅ヶ崎市とNPOサポートちがさきとの交流会。「アイデア提案カフェ」というのですが、市民活動推進課・秘書広報課・生活支援課をはじめ、いくつかのセクションから参加がありました。20名強。

ここで2つ、資料とともに提案を行ないました。

ひとつは、広田半島生活支援と図書巡回活動の開始、広田町と三井君の話。
もうひとつは「QR-IDカードと災害対応システム」の提案。

前者は非被災地(湘南)との民間交流の勧めの話。現地ボラ支援の話。
後者は防災、傷病者を始めとした社会的弱者の被災時医療支援。

納得してくれたようです。後者は市との協働の課題として公式提案の道が開けました。

土曜日は夜17時から、県サポ・ホールで「かながわ東日本大震災ボランティアステーション」の事業説明会。チラシを持ち込みます。

広田町の三井君も印鑑証明や車庫証明に走り回った模様。


cf. 「冷蔵庫は扉を下に倒れる」
●「耐震試験 冷蔵庫 耐震固定なしの対照実験 釧路地震波」
●「東日本大震災_ボランティア活動(大槌町)2011.5.1_冷蔵庫を運び出す」


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塾の卒業生に車提供資金補完カンパを求めて電話作戦。
父の老健に、衣類の交換と支払い。父に会うが、認知症の進行の影。
次回は濡れタオルがいる。目やにが溜まっていた。生活がわかる。


夜間傾聴:橋本3君(仮名・母親)
     南大沢君(仮名)


(校正2回目済み)

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5/24 明日、車が業者さんに渡り車検整備がはじまりました

2012-05-25 04:16:35 | 引きこもり
2012/05/24 記
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いよいよ譲渡手続き開始。朝11時に旧所有者さんから、車を業者さんの工場へと入れることに。陸前高田の方でも、準備を始めた。

今日、橋本3君の関係改善の手助けをした(つもり)。
町田、相模大野から一度帰宅後、辻堂に出て買い物。路上生活者支援のポルト湘南**さんとバス停で出会う。

すみません、車の件でせかされています。これで。


夜間傾聴:**子(仮名)

(校正1回目済み)
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5/23 車の車検・陸前高田への日程決定/広田半島通信の実現を

2012-05-24 05:14:01 | 引きこもり
2012/05/23 記
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車の譲渡には様々な段取りが必要。自分自身が車を手放してから二十年になる。だから手順も一から教えてもらわないと、まったくわからない。調べると話がまた違う。こういう暗中模索をしながら、とにかく持ち主さんの迷惑にならぬように、迅速に段取りを三井君に伝えなければならなかった。

持ち主さんにも市役所にご足労願って、印鑑証明証を発行してもらわないといけない。

三井君の方も、譲渡の受け取り側の条件を整えておかなくてはならない。市役所や警察署に出向き、印鑑証明証と車庫証明証を準備しておく必要がある。ところが車庫証明証を取るには、岩手県の書式を受け取り、借家敷地や貸駐車場の持ち主の許可のサインと捺印が必要。車庫証明申請書を出すときに2800円弱の証紙を貼る。中三日の間に車庫現場確認があって、その上でないと許可が出ない。

ここから後も、車検整備費や神奈川県の自動車税がかかり、持ち主さんの駐車場から、盛岡の岩手県陸運局経由で、陸前高田市広田町まで車を運ばなくてはならない。この移動を三井君自身がやる。免許取立ての彼11時間近い高速道走行である。任意保険を勧めている。

話は前後するが、車を整備に出すときに、持ち主さんから書類にサイン・捺印してもらい、三井君に受け渡す。

三井君は、湘南から、岩手県陸運局に車を乗り付けて、譲渡手続きとナンバープレート交換を行なう。しかし岩手県陸運局は盛岡にあり、陸前高田まで路線バスだと片道4千円の距離を走らないと帰れない。

陸前高田から夜行バス7500円と茅ヶ崎までの1000円、茅ヶ崎から盛岡経由陸前高田市広田町までの交通費を合わせ、三井君に渡す。諸費込み10万円+整備費。当初の半分にした。こちら側から広田町に車を運ぶことが出来なくなったからだ。バザー分回収して、まさに、ぎりぎりセーフ。目標予算20万円の半分になっていた。このときは、陸運局手続きや車の移送を業者さんに委託するつもりでいた。

この車が到着し次第、セカンド・ブック・アーチの古本を贈って文庫活動開始となる。とにかく目的と方法をしっかり固めておかないと、先日の新聞記事のように、訪問お断りになってしまう。被災者緊急雇用で採用された仮設巡回相談員は、基本は素人。プライバシーに立ち入ってかき回してしまう。その轍をふまずに、実を得る方法の工夫が難しい。

(ex.) ●「仮設訪問 半数は「拒否」」

紙メディア+ブログの「湘南=広田半島通信」を作る。これはブログかSNSの会員制ツイッターでいくかまだ決断がついていない。

三井君には、巡回文庫屋&被災地訪問ボランティア仲介者と、家庭生活のなんでも屋(買い物・通院・家事手伝い等)をお願いしたいと思う。勿論彼の空き時間を使っての話だ。湘南バックアップや、民間交流企画は私があれこれ仕掛けていく。

夏場に広田住民と遠野まごころネットの大関さんたちと三井君の三者を招待した講演会ができないか考えている。大関さんが東京の舫(もやい)にくる時を狙っているのだが。次のまた開催資金作り見積もりが始まっている。生活再建と見守り支援を重点に置いた、これからの活動の方向を議論するのだ。

私には茅ヶ崎の防災提案(QR-IDカード・災害初期誘導員制度)がある。これはこれで進めていく。

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親御さんの説得交渉は成功し、前回のトラブルは一応終息した。しかし当人には後遺症が残っている。納得にはまだ時間がかかる。重なるように橋本3君の抱きつき騒動の消火の防戦は、親御さんと塾長、私で対応している。しかし交通費がかかる。塾長がけちるのがいけない。(笑)

教材展で付き合いが復活した教材屋と話をした。企画屋が八丁堀で集まるとの話を聞いて割り込ませてもらった。ほとんどがソフト屋のようだ。避難所におけるQR-IDカードのシステム作りの話を持ち出していく。カード作りは障がい者の仕事と、仕事を確保したい。県自閉症協会とか、育成会に話を持っていく前に、作業所の協力が欲しい。ここが梃子でも動かない。再度の行政提案は6月下旬。


夜間傾聴:橋本3君(仮名・母親)
     南橋本君(仮名)


(校正1回目済み)


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5/22 陸前高田の広田町文庫巡回etc.に車の譲渡スタート

2012-05-23 05:24:05 | 引きこもり
2012/05/22 記
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車の譲渡について、段取り相談も兼ねて車検整備業の**さんの工場に行く。車に乗るなら任意保険不可欠との話。私からも伝えよう。

岩手県の陸運局に譲渡申請とナンバープレート交換に車を持ち込まねばならない。陸前高田から盛岡まで車で2時間位と遠い。代行業者さんではなく、自己申告ぢてもらう。その前の車庫証明も3・4日取得まで時間がかかる。

業者さんがここ数日中に車を受け取りに行く。いよいよスタート。

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QR-IDカードについて市社協に経過を報告。6月末報告書を添えて市に提案する。

しかし冷蔵庫に紙防災個人医療カードをカプセルにして入れておく方法はYou Tube をみてもわかるが「震度7」シュミレーションに画像でもわかるが、

冷蔵庫は軽いタイプは扉が開いて、内容物が飛び散る。普通から重いタイプは飛田の側に倒れる。室内の天井落下のがれきの下で、扉を下にして横倒しになっている。これでは扉は開かない。この冷蔵庫カプセルが、全国展開しているのは、どんなものか。茅ヶ崎の消防署で私とぶつかったのは、QRコード印は傷がつきやすいからだめと指摘された。今、健康保険証の裏にQR-コードのシートを貼って耐久実験をはじめている。

そんな話を社協の++さんに経過報告した。

被災地へ>陸前高田広田半島(見守り支援)諸企画
市内へ >QR-IDカード企画 震災初期誘導員制度化

夜間傾聴:なし

(校正1回目済み)
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5/21 網膜色素変性症の進行/被災地に車を峠に入る

2012-05-22 06:13:21 | 引きこもり
2012/05/21 記
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慈恵医大眼科に行ってきた。左目は乱視の程度が進んでいること。
右目は視野狭窄の進行は認められないという。実感と違うので医師に言うと、既に見えなくなっている部分が濃くなっているのかもしれないとのこと。私の主治医とは、次回来年の3月初めまで会えないことになった。進行が止まっているからということだろう。どうも実感と合わない。これからは3月おきに薬をもらったり、検査を受けるが、その際の診察は誰の診察になるかわからない。実感と合わないことを言ったところ、疲れ眼があるかもしれないので、その目薬を出してあるとのこと。日食を直接見ていないだろうねと、医師。昼夜逆転人間にとって
午前7時台は地獄。みていない。

車譲渡の資金の最終集金が無事終わった。これで車検整備に入れる。今日業者さんに連絡を取る。ただ当初の予算の半分の金額。修理、ぎりぎりの状態、ともあれ突入。

岩手の陸運局は遠い。盛岡だからだ。ナンバープレートや、名義変更を個人でやらないと高いことはわかったが、運転免許取立ての三井君が、陸前高田まで長時間高速道路をひとりで走るのが不安でならない。彼が湘南まで来るには約8500円交通費がかかる。陸運局までのガソリン代も\2,000-ではきかない。

とにかく峠にさしかかった。車の譲渡は助成金の対象にならない。

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生活再建支援の枠組みを書いている。これは三井君の活動に乗せるのは無理だと思っている。目的の実現のためには、橋渡しのプログラムがいる。三井君が乗ってくれればいいが、彼にはSETという活動がある。その接点にプログラムが登場できる良いのだが。

しかし巡回指導員さんの仮設独居高齢者扱いが、なんとも無骨。連日訪問したりと、逆に支援の接点を閉ざしてしまうことが、入居者の方々の反感を買っている。ここは一番注意しなくてはならない。

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**子から午前1時に電話が入ってびっくり。信頼と依存は紙一重。1時間ほど傾聴していた。

夜間傾聴:同僚(仮名・両生類)
     橋本2君(仮名)

p.s.(cf.)
●「自動車の名義変更手続き方法」


(校正1回目済み)

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5/20 地方版新聞記事より

2012-05-21 05:31:18 | 引きこもり
今回の消火活動(?)は専任に引き継がれた。実は緊急出動に退職した**さんが快く受け止めてくれたことが嬉しかった。交通費は私がたてかえたが、無賃労働である。

ともあれ私の今回の訪問は必要がなくなり、先手を打って夜の訪問を変更していた結果、一日予定が何もなくなった。明日は慈恵医大眼科である。その前に最終の集金日。事前連絡を入れたが留守。約束の日は22日だからやむ終えないことではあるのだが。大丈夫なら21日は午前中に会う予定。

朝日新聞岩手版に「しょうもないなあ…」と思われる記事が載った。

●「仮設訪問 半数は「拒否」」

読んでみるとわかるだろう。露骨に単身高齢者仮設宅を無秩序かつ無策に訪問する。これは嫌がられて当然だろう。遠野まごころネットは、さすがに関係者のネットワークを踏まえているが、大船渡死被災者臨時雇用として100人単位で巡回相談員として雇用されている方は、いわゆる臨床の研修を受けたわけでもなく。戸別訪問とは、入居者の方はさぞ迷惑だろう。素人にやらせるのは無理だ。「何か相談したいことが無いですか」という無神経な問いを何人もが被災者にぶつけている。この間の抜けた問いへの応答を初対面の見ず知らずの方に、心開いて、するだろうか。

三井君たちにお願いするのは、いつも見かけて話しやすいという状態を作りながら、かつ単身者の様子を敏感にキャッチしているというスタンスを維持してほしいということだ。

もうひとつの顔は気軽な足になること。ただガソリン代実費はとるべきと思う。便利屋的スタンス。広田町では、ばあちゃんやおばちゃんの足になることは意味が出るだろう。

●「コミタク過疎地で快走 岩泉・大川地区」

そして最後は、災害ボランティア・福祉医療ボランティア育成活動のこと。

●「原発避難者の声を聞く講義 新潟医療福祉大」
●「看護体験:命に触れてケアの心を 高校生ら参加-宮古/岩手」

これは学校からのアプローチとは限らない。広田半島には黒崎という宿泊施設に仲介し、広田の様々な支援につないでいく機能である。

実現したい!これを念じている。


夜間傾聴:なし


(校正1回目済み)

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5/18 緊急出動していました/社会活動の戦略性にこだわって

2012-05-20 04:21:04 | 引きこもり
2012/05/18&19 記
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5/18
今回の件は、書ける部分が少ないのですが、今回は親の問題。ひとつは親子の間の気持ちのずれは、同じ屋根の下、どちらかが出て行かない限り、膠着状態に耐えなければならないという現実。仲介に入る場合、親御さんから拒絶されると、当人から頼られても、営業として活動している限り、あらゆる支援を中断しなくてはならないという現実。その状態の中で、当人が支援を求めてきた場合どうするのかという問題。ここからさきは藪の中です。ただ一般的な職業とは違うという事。(じゃなかったら、40年も、やっていません。)

今回は、私が助けを求めた昨年退職した同僚の機転で波は越えられたが、定式化したものはないから、その都度、越えてきた道筋を反芻し経験化しておく必要が出てくる。まだ終わった訳ではないが、よい方向に事が動いた。

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5/19
藤沢で昔の同僚と会い、経過確認を行なう。すっきりしなかった。

全くつながりはない話だが、陸前高田・広田町の若者の活動に賭けて、文庫活動と見守り支援するものとして、申し出のあった中古車を仲介することが具体的するにつれ、笑顔の支援者は無口になった。非被災地からの生活支援の形の可能性の細い道を見るか、様々な活動のひとつとみるかによって、お互いどこまでこだわるかは違ってくる。このときに、車検整備と譲渡手続きの費用負担を、その先の見通しの不安から身を引いて判断放棄から動かなくなるという結果、提案者の金銭上の孤立が生まれている。

個人の自由意志で被災地にでかけ、用意されている活動をこなして戻ってくるということだけでは、太刀打ちの出来ない生活の深みが課題になっている。ではこの問題とどう向かい合ったらいいのか。それには戦略性を持った企画によって、仲介活動を踏むという新しい標準を生む道を探る必要があると考える。

しかしその戦略とは、実現可能性とは、モデルケースが出ていない分、今はこの辺の迷路に入っている。だから、私は常駐活動と民間交流の道への連携を進めたいと考えている。環境整備や地場産業復興の公の顔の交流ではなく、親戚づきあい・友人交流風の交流、家庭生活どうしの交流の道である。その道をどう拓いていくのか、その契機に車の譲渡という高価な切り札を位置づけた。

資金協力が途絶えて、現在は予定の半額、実現出来るがぎりぎりの状態。歯噛みをしていても、ことは動かない。「道を踏み出す」が、喜びは消えている。すっきりしない思いを抱えながらいつも思う、粘液のようなひとの心の中に分け入って息を継いでいく耐久戦の中の思いのことである。実行は来週着手。

気分を切り替えたくて、肩の擦り切れたブレザーを捨て、イトーヨカドーで安物ブレザーを買った。

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「湘南どうぶつ病院」の院長さんの紹介で、「Action for Human & Nature,Animals かわら版」の主宰者のSさんの取材を受けた。教育現場と精神障がい者支援活動を行なっている大学講師の方である。

私がペットレスキュー活動の支援活動として、福島などで保護した犬猫の新しい飼い主さん募集の活動を紹介する形で月刊通信をつくり、茅ヶ崎市内の動物病院・ペットショップの壁に貼らせてもらっていた。きっかけは有珠山噴火災害支援活動の際、ペットレスキュー活動を知って共感したこと。たかが犬猫と思うかもしれない。だが子どもにとって犬猫は家族である。その犬猫をおとなたちは「動物より、ひとが大事」という言葉で犬猫を捨て、子どもたちの手を引いて津波避難を行なった。子どもの割り切れない大人への思いと心の傷。大人もまた究極の選択をしたこと、このことは大船渡や気仙沼の子どもの訴えをきいた。大人は総称では呼べない。保護できた犬猫の飼い主さがしをする大人もいるのだということを語った。馬鹿馬鹿しいと思うかもしれないが、その実証も私はしている。++君や##さんのオンライン協力を得ているが、配布はひとりである。**君に言ったことだが、ひきこもり青年たちに、ひとりだからできないというのはウソであり、自分なりにできることは、やりきる場はあるのだ、結論を先に出すなというメッセージを送っていた。(ひとりだっていいのだということ。)

これがSさんの眼に留まった。1時間ほど取材を受けた。この冊子は学生さんや、東京の精神障がい者団体に配布されるとか。実は私には余談の方が面白かったのだが。

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●「手づくりの石けんと化粧品」

これは陸前高田・大洋会作業所の復興支援の中で、食品や化粧品として、椿油の商品開発をしてきた。この書は化粧品用途の基礎技術の紹介となる。結構役にする。この書を使ってヒントを得ている。

夜間傾聴:橋本3君(仮名・母親)



(校正3回目済み)

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5/18 事件が起きていて、今終わりました、時間切れ

2012-05-19 04:30:29 | 引きこもり
書き込み、昼過ぎに書けたら書きます。
ごめんなさい。
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5/17 「教育ITソリュージョンEXPO」を覘きつつ/車譲渡の進捗状況問い合わせ陳謝

2012-05-18 04:39:23 | 引きこもり
2012/05/17 記
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帰りに成城石井辻堂店に寄って買い物。偶然、「広田産」湯通しワカメ発見。嬉しくなって早速購入。千円弱は少々高いが、期待できそうだ。鳴門産ワカメのようなしっかりしたワカメではなく、柔らかな三陸ワカメが好きだった。成城石井が発売元になっている。発売元からして、成城石井の店舗に新ワカメとして出ると思う。利益は成城石井と地元漁協にいく。この前、陸前高田の広田町に行ったときお会いできた方の顔が浮かんできた。

同じ被災地産商品でも、以前から全国販売している企業商品は買う気にならない。厳密な区別はつかないが、誰が潤うのかということは自覚的でありたいと思う。年金所得者・給与所得者・生活保護受給者は、置き去りになってしまうこと、見誤ってはいけない限界ある支援法なのだということだ。

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半分仕事だったのだが、東京ビッグサイトで金曜日までやっている「教育ITソリュージョンEXPO」に行ってきた。仕事の方は託された目的に合致する展示はなかったものの、以前進学塾専任講師をしていたとき、お世話になった電子教材屋さんが健在(失礼)で、そのときの営業にいた方が部長になってブース内で商談をされていた。その再開が嬉しいと同時に、寂しくもあった。当時の私はキャッチアップ教材の開発を通じた無教室塾(e-learningとカウンセリングを組み合わせた塾)の再開立ち上げを練っていたからだ。これは取材活動と学習が連携するオンラインフレネの基となった。希望というには具体的すぎるが、結局他予備校・塾に乗っかる形で教室を渡り歩き現在に至るのだが、諦めてはいなかった。定年が近づいて考え直しているが、一度消えた希望を再燃させることは、むずかしい。

彼と再会を喜び合ったが、彼はしばらく考えないと私を思いだせなかった。冷たい時間がそこに流れていた。相手にそこまで求めるのは無理というものだった。しかし、思い出話が先方から出てきたのだから、納得せねばと思う。

今回の展示には、昨年の3.11の影響が現れていた。学校は教育現場であると同時に、災害時には地域避難拠点となる。学校管理の一角に「災害避難と安全管理」が大きく取り上げられ、教育機器の間に非常用食料ブースが並ぶという状態だった。

私のもうひとつの狙いは専門セミナー・無料公開セミナー「釜石市の『いのちの教育』~小中学生生存率99.8%はこうして実現された!~」(岩手県釜石市教委・教育長 川崎一弘氏)の聴講だった。正直言って新しい情報は得られなかった。会場で同席した方と名刺交換できたことの方が大きかったのは残念。同時刻別会場の講演「大規模災害に備えるeラーニング活用法」(トーマツeラーニング ソリュージョンズ(株)取締役 弓塩啓司 氏)のような、全く別視角からの話の方が拾える情報が多いのかもしれない。

ゆりかもめは\370-かかる。帰りは17時を過ぎてしまったので、日赤本社への立ち寄りは諦めて、都営バスで東京駅八重洲口に出た。\200-だが、豊津や新富町・八丁堀を経ていくので、40分以上かかる。

しかしゆりかもめに乗ったとき、身震いがした。3.11を経て、海への見方が変わっているのだ。この地域は津波に飲まれるという感覚。高層マンション上階は、避難できない孤塁になる。長期振動や火災が発生したとき、下階からの延焼は免れるのだろうか。昔の映画「タワリング・インフェルノ」の映像を思い出した。

明日は夜、タウン紙の取材を受ける。ペットレスキュー支援の取材だが、巡回文庫と広田半島見守り支援のことや、QR-IDカードの話も聞いてくださるようだ。民間交流を進めることと、家庭生活の援助支援とプライバシーの話など、非被災地からの今後の支援の有り方を同考えるかを聞いてもらおうと思う。

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いやはや、車の提供者の**さん、三井俊介君の両者から車譲渡の件はどうなっているのかとお叱りをいただいた。私の寄付金の他に、私の趣味の物等をこの際バザー売りにだして穴埋めをしていた。当初の予算の3分の2ほどしか集まっていないので、かなり押し売りじみているが、その料金の回収をしていたため、三井さんの要望が出ていた「早めに欲しい」という要望にはお答えできなかった。当初の予定通り今月末、車検整備に入る。申し訳ない。

今、広田町から「ワカメ」と「おやき」を持った地元の方を、招待できないかと「画策」している。Google+のTV会議を使えば地元と話せるが、それには湘南の活動の盛り上がりがないと、手段だけが浮き上がってしまう。またお祭り風になるのも嫌だ。もっと淡々と行きたい。となると、招待の謝金がかかっても招待する従来の形だろう。現在は知り合うことに酔うのではなく、何ができるかを探っていくことが必要なのだ。親戚づきあいのような関係をどう生み出していくか、そこに三井君のような常駐者がどのような触媒になってくれるか、その試みの入口を車譲渡が開くのだと思っている。

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辻堂の駅からバスに乗るとき、いつもそこに路上生活者の**さんと会う。買い物袋をぶらさげて、時間ぎりぎりのバスに飛び乗って、ドア内から挨拶の手を振ろうとしたら、おばさんの背が割り込んだ。「買い物のおつりの300円だけど、さあ」と大声。「いいんだよ、ひとはいつ何時、おちぶれると限らないんだからさあ」と、受け取りをうながした。そして私を押しのけるようにバスに乗り込んできた。バスの乗客は見て見ぬふりを決め込んでいたが、シルバーシートにすわったおばさんは、隣の男性を捕まえて、「ひとはいつ何時、おちぶれると限らないんだから」と、自分の行為の言い分けを始めてしまった。こういうことが勇気がいる社会って何なのだろうかと思いつつ、反復する言葉を聴いていた。

と、この方はある停留所で降りようとしたが、なんとひとつ乗り越してしまったのだった。話しかけられていた男性の前に立っていた若い男性が笑っていたが、ここまで正常心を失ってしまうほど決意のいる行為にしてしまう社会の冷淡さを感じる。特に通勤者の冷酷さを常々感じてしまう。


夜間傾聴:橋本2君(仮名)
     橋本3君(仮名・母親と調整話)
     南大沢君(仮名)

p.s.橋本3君の解雇は棚上げとなった。少し安心。


(校正2回目済み)

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5/16 誤解される発達障がい者のトラブル対策に/サポチガ総会無念なこと

2012-05-17 05:58:34 | 引きこもり
2012/05/16 記
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朝、橋本3君の母親から緊急連絡が入る。母の白内障手術は片目ずつ行っているが、経過は大丈夫だという言葉に甘えて橋本に向かう。彼はアルバイトを始めていたが、異性の同僚に痴漢行為を働いたということでもめていた。母親が前面に出にくいということで、塾長と私が事情を聞いていた。バックヤードで荷物の仕分けをふたりでやっていたところ、彼が胸に手を突っ込んだということで騒ぎになっていた。彼は「聖剣のネックレス」ということを何回もくりかえした。

やはり話は彼女ではなく、ネックレスに興味があったようだった。塾長が経過をつかみ、彼女の立場を代弁して彼を説得し、橋本3君は彼女に謝った。今回の出来事の背景にある高機能自閉症者の関心の有り方、感じ取り方を店長を交えて塾長が説明した。こうしてその場は収まっていた。

ところが彼女の母親が、「危険な病人は隔離せよ」と言い出したので、話がこじれてしまったという経過。ところが昨日、解雇通知が届いたということで、彼と電話話を進めていた。ところが話をひっくり返すような話がその中から出てきた。

彼は荷物を運んだとき、荷物を避けようとして彼女がつまづいた。彼は気を利かせて彼女を起こすのを手伝った。ところが彼女を引き上げる方法が、前側から脇を抱える方法だったこと、「聖権のネックレス」というのは、近寄ったとき、胸元から見えただけの話。胸元に手を入れてはいないという。しかし「聖剣」に異様な関心を持っていることは事実なのだった。彼女は両脇に手を入れられたことがショックだったのだ。今回は彼に立ち位置を確認して、事実確認を定めていくことと、店長に「解雇」は早計であり、事実確認を経てからにしてほしいと頼むことだった。

ともあれ、役割は終えた。とにかく彼の行為は常識的ではない。しかし、「病人」「隔離」というのは、差別である。発達障がいについての昔のパンフレットを店長に渡してきた。

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橋本は遠い。茅ヶ崎に着いたら、NPOサポートちがさきの総会が15時から控えていた。目の前を寒川方面のバスが走り出していた。近いがタクシーを使ってサポセンに7分遅れで飛びこんだ。休館日の会場を利用して行われるので、遅刻の連絡は絶たれていた。

昨年度の決算と今年度の予算、役員人事を承認して総会を終えたのだが、今年は就労困難な若年層の就労支援活動が、昨年は東日本大震災対応のために活動が休止状態だった関係も会って、新年度も予算0、自主事業からはずすことになってしまったのが残念。また、私の関わりが岩手県の気仙地方の支援なので、茅ヶ崎のTAJ(タージェ)が推進する宮城・南三陸支援活動に隠されてしまうこともあって、災害ボランティア活動の力を合わせることが出来なかった。これを反映して、自主事業の中に関連活動を登場させられなかった。新年度は災害を謳いつつ、活動は独自に動く体制にまでかため切れなかった。広田半島の支援活動は開始してもTAJ以外、連携を持って行きようがなくなってしまった。独自で活動を成長させる以外ないのだろうか。

総会を終えて、会員**さんと立ち話をした。仮設のこと、車の提供のこと、車予算のこと、現地協力者作りのこと、民間交流のことなど、欲求不満がたまっていた分、**さんには申し訳なかったが、思いの丈を話させてもらった。月曜日が車の費用の最終回収日になるが、委譲の段取りはそれからになる。三井君との相談も止まっているので、待機状態が精神状態上よく無いのだ。

母の状態も良い様なので、明日は教育機器ソリュージョン展示会(東京ビッグサイト)に行き、時間が会ったら日赤本社(大門)に行って来る。


夜間傾聴:橋本3君(仮名・母親)


(校正2回目済み)
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5/15 新聞記事●「救急医療情報キット普及進む」とQR-IDカード

2012-05-16 05:53:27 | 引きこもり
2012/05/15 記
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QR-IDカード関連の記事を発見。

●「救急医療情報キット普及進む」(2012年5月15日 読売新聞岩手版)

個人の医療情報を紙メディアのカードに書き、それをプラスチック容器に入れて冷蔵庫保存する。特に単身者がこれを行なえば、単身者が傷病時、救急救命士や他者がそれを取り出し、治療に使えるというもので、これは東京都港区から導入が始まり、この記事の岩手の諸自治体のみならず、茅ヶ崎市もこの活動が拡げられている。

これは定位置に医療情報があれば、その情報を使って迅速な治療や入院連絡などをとることができるというものだ。

正直言ってそのプリミティブな発想に、ため息がでている。それはQR-IDカードを提案したときの対案のような形で、今、この制度があるので、新たなシステムは必要が無いという話として、ぶつけられてきたからだ。

このシステムの前提は、

1)自己申告医療情報は救急時役に立つ。
2)自宅とその周辺で発生した傷病に対応することが中心。
 (医療情報を個人宅に取りに行くには、身元がはっきりしており、情報があることがわかっていることが前提になるので、傷病発生現場は限定されている。)
3)震災などにも冷蔵庫は家屋被災時にも比較的残っており、情報を取り出しやすい。

という3つの価値観に基づいている。

しかし、私が関連課にお邪魔したとき、「自己申告医療情報は、医療ミスにつながりかねない」という批判があった。しかしこれは、消防庁・自治体が推進しているカードでも同じことが言える。輸血が行なわれる事例では、運び込まれた病院にカルテがあればカルテ情報を採用するし、現場でクロス検定によって血液型の確認を踏んで輸血するので、カルテがなくても医療ミスを起すことは考え難いという医療関係者の言葉がある。

それでは「カードの血液型項目は不要なのか」と問うと、途端に言葉が濁り、共通の回答を得ることは出来なかった。事実、消防庁のHPに掲示されているIDカードには、血液型欄があり、茅ヶ崎市のカードには無い。茅ヶ崎市の方が医療関係者が調べるべきものは項目を削除しているので、この割り切りはより実践的といえる。しかし「自己申告医療情報」が有用であるのか否かは厳密な吟味を経て様式化したものとは言えないようだ。しかしそれを推奨しているという事は、「有用である」という判断に基づいていると言ってよい。したがって私に投げかけた「自己申告医療情報は医療ミスにつながりかねない」という話は、矛盾しているということになる。

次に「傷病発生場所を自宅とその周辺(敷地内)」ということは、自宅生活対応のシステムだという事だ。現在、茅ヶ崎市のカード希望者募集チラシには、特に独居高齢者や障がい者という指摘があって、現在の大地震と津波のような広域災害の被災者を想定したものとは言えそうに無い。また、外出時の傷病発生には対応していない。

次の冷蔵庫は家屋倒壊や津波被災時にも残るため、情報収納場所として適切という判断だ。これはyoutubeなどに登校された冷蔵庫の耐震実験や、厨房震度7シュミレーション画像をみると、一概に安全な場所とも言いがたいようだ。5/15NHK放送の震度7シュミレーションでは、サイドボードが倒れ、それに押し出されるように冷蔵庫が踊り出し、前扉が開いて内容物が飛び散っている様をみた。またいくつかの冷蔵庫耐震実験をみると、踊り出した冷蔵庫は扉を下にして倒れてしまうことがわかる。倒潰した家屋の中、扉が下になった冷蔵庫から、カプセルを取り出せるだろうか。冷蔵庫保存案は机上の発案に見える。以下は冷蔵庫転倒実験動画である。

●「冷蔵庫・耐震実験」

茅ヶ崎消防署の若い職員の方は、QR-IDカードは傷ついたら終わりと反発していた。パウチしたカードが傷つく状態はさすがに想定しないだろう。耐水シールむき出しの場合、現在の症状と服用薬の更新のことを考えて、ソフトカードに入れて使っているが、手の油、醤油汚れ程度は平気であり、軽くふき取ることができる。物理的な弱点を言うなら、紙カードは濡れにより、ちぎれたり縮んだりしてしまう。持ち歩きの際、縁の部分がぼろぼろになってしまう。

これらのことから、より東京直下型・東南海地震と連動した駿河湾地震に対応した大地震と津波への対策色をより中心に置き、外出時の被災に対応した携帯カードの設計を立てるべきだ。カプセルについては、震災以外の日常生活の傷病時の役割を持たせて、保存用として1枚用意しておき、同文の携帯カードにQR-IDカードを推奨していくべきだろう。

QRコード利用のメリットは、古い技術で印刷コストも安く済む。ひとり200円程度ですみ、読み取り機も普及しており、避難所生活の際の多用途仕様であることから、希望制でQR-IDカードを希望の欄のみのせて行く方式で、活用する。カード受付窓口は各医療機関受付窓口に置き、個人情報管理を整えた作業所で作成して同窓口から受け渡す。この意味で市医師会の協力は是非必要である。

QR-IDコードは、防災のデジタルデバイド層救済の意味があったり、避難生活の統括管理に役に立つ。その事例を再度ブログに載せておく。

今回はQR-IDカードの話のみになったが、陸前高田の広田町との連携企画を同進めるかというところで、支援活動のいくつかの大状況について新聞記事の言及があった。生活支援活動と、未だ必要となっている環境整備活動が非被災地の活動の枯渇から、現地参加ボラの減少につながっている話にふれている。

●「5/9 GW被災地ボランティア 7割減」
●「被災地ボランティアバス継続」

また、新たな活動の進展としては、以下のとおり。

●「5/10 仙台市社協「みなし仮設」訪問開始」
●「5/3 みなし仮設訪問で孤立死防止」


貼り付けたQRコードはCVSファイル形式になっています。

夜間傾聴:**子(仮名・珍しく午前1時)
     橋本2君(仮名)


(校正1回目済み)

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