湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

12/13 ソーシャルファーム型の地域就労モデルを描き続けること

2010-12-17 17:07:39 | 引きこもり
2010/12/13 記
--------------
右眼の調子が悪い。自分から見て「E」の字に深くかすんで,鼻側が特に見えない。調子の悪いときは耳側、つまり体側側の奥が、瞬間引きつれたように痛い。ところがここ数日は鼻側が痛む。眼球運動を支えている筋肉に異常があるのではないかとか、涙腺に異常があるのではないかと仮説をたてて眼科医に質問することもあったが、検査に異常がないという。母の「めまい」と結びつけると中毒ではと疑るが、医師に笑われてしまう。

元の医師は非遺伝性網膜色素変性症と診断した。しかし患者の会を通じて話を伺ってみると、症状の進む速度はむらがあるが、引きつれのような症状の話は聞いたことが無いという。涙液やドライアイ用の点眼薬を使うと、痛みはやがて治まる。疲労したときのように眼が充血してしみるような状態とは別に、瞬間引きつれ、痛む。しみる症状は別に起きているが、覘いてみても充血していない。

日曜日なので眼科は休み。刺激の少ない売薬のヒアルロン酸系点眼薬を買って、場を凌いで小田急線に乗った。幸い、ちらちらと流水の影のようなちらつきが見えるが左目は、かすみが晴れてきているので、幸い座れたので相模大野まで眼を
閉じていた。眠ってしまう可能性が高いので、iPhoneの目覚ましをセットしておいた。案の定目覚めたら鶴間。熱さまし用のパッドをあててみたら、なおさら痛くなった。血流かなと思いつつ、蒸しタオルを職場の沸騰室で作って当ててみる
と楽になった。

帰りに本厚木に出て3月の講演会の講師依頼の件で話し合った。1月30日にソーシャルファームの国際シンポがある。ここが日程の限界かと思う。

日本でソーシャル・ファームを語ると、家内工業が世界企業を名乗るような実態のうそ臭さが出てしまう。それほどに実践を映した統合的なモデルが社会活動の中に生まれていないのだと思う。地域起業という話がすべて原資の力に矮小化さ
れてしまう常識の壁が超えられない。木が根から枝を広げるような形でしか運動の広がりがイメージされていない。つる草のような絡み合い、つまりネットワーキングの網目のような発想を根底にした成長の論理は、オンライン交流と結びつ
いた諸活動やワーカーズ・コレクティブのような形の活動の例があるが、IPSリカバリーの中に垣間見るような内発脱皮の情熱を組み込んでいく実践には、なっていない。そつ(口+卒)啄の機のような内発性の条件がモデルに捉えられていない。


引きこもりの領域では、着眼点が少なくとも5~6年は後手を打っている。発達障がいの視座や、企業就労を前提にした生活・就労支援センターをポンプとするような送り込みの発想から抜け出せない。実際、特に手帳を有する方の就労は、
身体の方を除けば、当事者活動になるほどの数の就労実態ではない。圧倒的には障害年金と生活保護をベースにした福祉的就労の中にいるし、手帳を取得していない、または社会的挫折の範囲にいる方の自主活動は一部店舗活動の中にしか芽
が育っていない。社会に潜在化している困難を抱えた方や、若年層を超えていく手帳を有する方の力動的な束ねの実践が検討されていない。

ソーシャル・ファームは、大きなヒントを提供してくれる。無媒介な夢物語と切り捨てる前に、ボトムアップの可能性の前に心引かれて立ち止まる、そういう瞬間を生み出したい。

私はそれを消費生活社会、つまり私生活の部分、生み育てそして引き継いで終えていく人の生涯の営みの場としての地域、ここに公共のニーズを求めることによって、参加の価値と協働の場を育てたいと考えている。これによって、個々人を育て上げ、送り出すという発想から、政策的雇用創出の網をかぶせていく。

先日の「わーく」の懇談会の中でも指摘されたが、都市部はホームヘルパー制度が高齢者や障がい者の生活支援を安い料金で行っているので、なんでも屋的な企業は競争にならないという指摘がある。それでは立ち上げはホームヘルパー企業なのか、それならやはり原資はある程度いるし、実際、競合は無理だという論だ。

実際、なんでも屋の経営状態は引き手あまたの状態ではないし、おおきなニーズとして表面化していない。しかし、ホームヘルパーが近郊都市部の社会をカバーしている率は、過疎地と違うとしても、支えきれていない層が厚いことから新入
参加できない状態ではない。しかし、社会的弱者ならではの独自の領域が見込めるからこそ、ここにこだわるのであり、それは活動を通じた社会参画を担うという部分だ。彼らを地域社会の潜在力として登場させる視点があるからだ。仕事を
有償社会活動として捉えるのだ。これは賃労働としてのホームヘルパー職の求人開拓ではない。

まもなく始める「買い物難民」読書会MLは、まず現在社会問題化している高齢者の地域生活困難の実態を整理するところから始めるが、仕事の切り出しを通じた社会参画の見通しをかんがえていく。

もうひとつは、路上生活者支援の野外就労モデル作りである。これは現在リサイクル部門への雇用拡大活動として、公園や行政現業部門の切り出しを行うこと。これは大阪の公園PJや、今回資料が得られた英国エデン・プロジェクトの中のPJ内管理諸活動のように、具体例がある。犯罪予備軍や放蕩癖のレッテルを返上したときの、運営責任を分かち合ったときのひとの変容がそこにある。社会的な挫折と同時に就労体験をも抱えている、そういう特性・専門性を組み込んだ構想の中に立ち上げられるモデル、若年層のみならず中高年を含んだモデルが必要。絵に描いたしっかりとした餅を沢山描かねばならない。

日常生活支援活動や、湘南あすなろ会が手がけている自立支援活動は、サービス提供活動の範囲にある、逆に言うと不可欠な活動であるが、就労支援を通じた自主活動の芽を育てていくモデルが必要だ。社会の歪みや個人の偶発的な挫折から
の復活のモデルである。

------

本厚木から時間のロス承知で平塚駅行のバスに乗った。相模線への厚木からのせわしない乗換えがとても嫌だった。必要の時間に組み込まれて、夜間傾聴前の時間がことごとく潰れていく。空想だ妄想だと指摘されようとも、ソーシャル・フ
ァームは実践者の手で描きなおさなければならない。せっかくウォーム・アップしたところから降りたくなかった。そこにもう少し手がかりを見つけて置きたかった。幸い夜の巡回は先方のコンディションが悪いために日送りになっていた。

回り道して、夕食の遅い買い物を済ませ家に戻ったときには、19時半近くになっていた。どこをどうしたか、家事はすべて済んでいた。従妹から見舞いのお礼の電話があって話し込んだらしい。

-------

今回の夜間傾聴は大繁盛というか、もとの塾生、東京南部組からの連絡が入っていた。新年会の誘いだった。偏屈と思いつつ、今回は封印自粛と応答。アホかと彼らに傾聴されていた。来年度、予備校側の外勤が終了する。(非常勤は残る。)採
算が取れない部門については、60才を区切りにしたいのだろう。その水面下の継続交渉を続けているが、結論は1月中につく。社会活動として引きこもり青年との接点を維持するには、塾の側だけでは長続きしない。湘南オンラインフレネの
フレネマニア教員たちふたりはとうに悠々自適なる生活に入っている。ちっとも湘南ではない連中なので、新たな活動を作っていく必要を感じているという私の話に、慢性火事場症というありがたくない診断つけて断られている。神戸や川越まででかけて口論もないだろう。

夜間傾聴:□□君(仮名)
     大森君(仮名・傾聴にあらず)
     駒沢公園君(仮名・傾聴にあらず)


(校正1回目済み)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 12/12 絵本「終わらない夜」... | トップ | 12/14 医者巡回のような一日を »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

引きこもり」カテゴリの最新記事