湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

2/27 「『巨大地震』TBS-TV 池上彰解説」は、つまらなかった

2013-02-28 06:29:34 | 引きこもり
2013/02/27 記
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今夜は教材屋の作業。やりたくないのではなく、現状打開の思案の道が今日は錯綜して、無性にため息がでた。TVの傍らに座り直し、長いからあとでみようと思っていた「『巨大地震』TBS-TV 池上彰解説」をのぞき見た。

つまらなかった。全体のトーンが「我が城の防衛」でしかなかったからだ。陣地の減災と安全確保は語っても、家族や隣人の窮地、災害の結果二次的に起こる津波や原発避難などの言及がない。自動車事故の暴走車かわしのような印象を受ける。災害は命の危機を伴うが、生死さまよう家族や隣人の病院搬送手段が絶たれる。孤立し緩やかな死に引き込まれる。

偶然前日に起こった栃木県内陸の群発地震を、即座に資料に組み込んでいたのはさすがだったが、そのことが活きていない。過去の資料でも構わない扱いだった。資料は震源10km(のちに3kmに訂正)というのは、浅いのか深いのかという問いに使われたり、最近の災害情報はすぐに訂正されるが、情報は不確かなのかという話題の肴として使われていた。

災害は物理的影響とともに社会的影響も、トータルで情報化されなくてはならない。また、混沌という闇の中のアリアドネの糸のような、避難の見通しをさし示さねばならない。今何が起きているのか、空を飛ぶ鳥の眼のような視座(鳥瞰)を提供することが目的となる。

池上彰が語りすぎて、実写資料・インタビューのような編集に時間がかかるものは、受験指導の授業のように抽象整理を通して、これを覚えておけという、薄い災害理解の上にエッセンスを載せたという感じ。視聴者の腰は上がらない。ニュース解説では、つまらないのだ。

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路上生活者のビッグイシューのメール販売が終わったとかで、来月から寿町の路上販売員さんのもとへ、買い出しにでることになった。私の日常生活圏は平塚~藤沢の駅周辺と、相模原市内全域・大和市の一部だ。だから横浜線沿線は縁が無い。月に2回、そのために石川町駅まで出かける必要がある。

県サポもLプラザも定期的な用はない。紅葉坂か県庁・寿町をうろついてくるのかなと思いつつ、すっきりしないのだ。都心まで行くなら、山ほどやることがあるのだがと、憂鬱の雲が…。

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朝、母を東京の定期診察に送り出し。いつもの睡眠不足パターンで、相模大野校までその足で向かった。教材屋の仕事がばれて、小学部の教材をやらないかと迫られた。うんといえば、ピンチヒッターの講師の職が消える。徐々に定年退職の素地作りが始まっているのを感じていたからだ。向いていないですよと断ったが、百鬼夜行、こわいこわい。

これでは休憩室で仮眠をとれない雰囲気。書類抱えて、さっさと藤沢に戻った。

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災害時要援護者支援の活動の立ち上げについて、協力者と今後のことを相談する場を開ける話も、日程の調整がずれて、そのまま帰宅。爆睡モード。たし算で5時間モード。最近は週1・2回ある。見合う成果がないのは悲しいが、やらねば先は開けない。

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黒田さんの講演会資料に添付した資料を講演会レポートに添えて参加者に配り始めている。ただ視覚障害の**さんに、どう提供したらいいか思案している。

通信を発行しようと考えている。年4回、これならなんとかなる。読み上げソフトがあるとはいえ、視覚障がいの方に、読み上げで意味が通じる記事を書かねばならない。

S君の次の就労相談の仲介を、県OBに頼んだ。適切な指導を受けられればいいが。応答待ち。

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夜間傾聴:**子(兄貴から)


(校正1回目済み)

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2/25 「あの日 わたしは・証言記録 東日本大震災『東京都東大和市 宮迫志裕さん』」を見て

2013-02-27 05:31:02 | 引きこもり
2013/02/26 記
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帰宅し、収集した資料に目を通している。その中で、都市型被災の内側から見た体験談がTV番組に出てきていた。

●NHK総合10:50-10:55「あの日 わたしは・証言記録 東日本大震災『東京都東大和市 宮迫志裕さん』」

だった。東大和市の大会に出ていた愛媛大学フィギュアスケート部の部員・宮迫志裕さんが震度5の地震に会う。立川に移動し、JRの動くのを待つが動かない。地理もわからない土地で、指示された避難所に移動。行政職員の仕事が爆発する中、手伝いを申し出る。それは

「外出時被災と自発協力からボランティアへ」

という非常事態の中の自発行為という大切な場面が語られているのだ。市民に求める支援は、市民を束ねる民間組織自治会や、地区社協に組織活動を委ねて作り出していくという発想がある。それを前提にすれば、支援は地域に固定されてしまう。個人が自発的に支援協力するその気持ちを拡散させず、活かされていくようなシステム・受け皿を作っておくことが必要なのだ。

3.11の東北太平洋岸被災の直後、困難な到達経路を探り、早々と支援に駆けつけたボランティアたちがいる。ひとつは組織化された災害ボランティアたちであり、もうひとつは、居ても立ってもいられなくなった個人の自発行為の集団だった。この自発行為は、がれき撤去や避難所運営の形でボランティア活動が定着していく。この後者の働きが存在を認められたのが、東日本大震災のボランティアだった。

つまり、従来の地付き防災活動と併行して、個人の自発活動が認知されたのが東日本大震災だった。災害があったとき、そこにかけつける組織化されていないボランティアたちの特技は、初めから予定できない。臨機応変な活動を作るためには、彼らの存在を意識した受け入れ活動が必要だが、これは各地の災害対策本部やボラセンの活動などで吸収し、一応の成功を生んでいる。ただそれを自覚的に取り込み、地付き防災論並みに積極的に自発活動を評価していく防災論、いや災害ボランティア論が求められている。

その典型的な場面が「外出時被災」、所属地から離れた場所で被災したとき、私はどうするだろう。その想像を関係者が膨らませていくことで、柔軟なシステム・受け皿ができるのだと思う。

「外出時被災」は、その意味で人間がシャッフルされている状況で、特に災害弱者をどうすれば安全避難させられるだろう。マスコミで取り上げれているのが「通勤難民(帰宅困難者)」(例:●「新宿区の帰宅困難者対策報告書」)だが、健常者の場合で考えられている。しかし、茅ヶ崎のようなベッドタウン・生活圏では、通勤人の困難もあるが、近隣の作業所や施設に出かけた障がい者や、買い物に出かけた妊婦さん・乳幼児連れ親子、通院途中の高齢者等々の多様な帰宅困難者が被災し、混乱した交通手段の状況に晒される。

その場で、災害弱者の様々な困難を理解し安全を確保する自発行動者の育成、見知らぬ近隣避難所に連れ添い、またはその避難所から、あるいは直接、災害弱者を家族のもとに送り届ける活動も必要となろう。ただ被災した場所は、自宅から比較的近いことは幸いといえるだろう。

黒田流でいえば、ここで「地域トリアージ」の手法を使い、軽症傷病者を治療のため、医療関係者に安全誘導していく。重症傷病者は救命措置を実行し、場所は動かさない。

再放送があると思う。ごらんあれ。

2/27(水)19時~「巨大地震」TBS-TV 池上彰解説で4時間?
録画も面倒なり。

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S君の就労支援、仲介者探し中。明日、返事をいれる。

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**子の家族から連絡有り。体調悪く寺から自宅に引き取ったとのこと。また様子がおかしい。要注意。

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父の入所している老健に行く。久々。調子がいいのか、私が見えると手を振っていた。しかし、フロアは女性ばかり。男の比率が一層減った。面々の顔が入れ替わっているのは、特養に移ったり、入院生活が始まったからだ。後期高齢者の支援をやると避けて通れないのが老化と衰退、やがての死。背筋が震えた。

突然、大下で「旅の夜風」のア・カペラが始まり、「次の##さん、準備いい?」と大声。すぐに周辺で合唱が始まり、父はしかめ面で天井をみている。職員さんに聞くと、「##さん」は入所者ではないという。苦笑いしている。歌っているのが新人さん。父は怒る気力がない。

老健を出て、急いで駅ビルで買い物。昭和30年代の和風の献立、糖尿病対策。母、箸でつついただけでおわり。全く…。


夜間傾聴>ひとり
     **子(家族より)



’(校正1回目済む)

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2/24 来年度の連続セミナーラフスケッチを描いた/S君の就労相談行他

2013-02-26 06:32:44 | 引きこもり
2013/02/24 記
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来年度の災害弱者支援連続セミナーの構想をたてています。企画のことや、予算のことで、参加者の方からの進言がありまして、その応答を書いていました。

セミナーの個性・目的・予定などまとめたメールを書いたので、その抜粋を以下にのせます。まだ来年度のラフスケッチ段階ですが、ご覧下さい。

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セミナー育成の目的は、ざっくり言えば、

1)被被災地後方支援の立場から、東北被災者
の継続支援のエネルギーの水路をたてていくか。

2)生活・就労・居住にシフトしていく被災地
のニーズによりそう、現地長期滞在型ボラの活
動の質の焦点(生活支援)化。

というような「東北被災者継続支援の内容検討」
という社会活動の必要に応じる論議。

「孤独死」や「自殺」というような矛盾の頂点
にある対策課題に連続して広がる生活破壊・生
活苦に対する生活再建連携支援の骨格作り。

これらは、水をかけられてしまった焚き火の再
燃にふんばる災害ボランティアのニースに答え
るものです。その中に「災害時要援護者の救護
支援」が出てくる。

-------

もう一つは、

3)東日本大震災の状況報道などにも
ブラインドまたは無視されてきた災害弱者の支
援とそれを通じて自分たちの防災の予防対策作
り。東北の災害弱者継続支援と災害弱者防災の
一体展開。

これは、災害ボランティアと行政・議会の共通
課題で、セミナーの中心課題となるものです。

「東日本大震災の災害弱者と生活再建支援」
「災害弱者の地域防災」

のふたつ、「災害時要援護者の救護と支援」と
いう個性を持った災害ボランティア活動の補完
支援活動なのです。報道にブラインドされてき
た高齢者・障がい者被災実態と避難生活を見失
わず災害対策活動を作っていくこと。ここにあ
ります。

支援活動が退潮期に入る中、一般向け活動でそ
れを成すには、ステレオタイプ化した支援活動
の説得という時間のかかる問題が控えています。
逃げるのではなく、時間的余裕の無い喫緊の課
題だからです。

第一に、拡散している支援活動に、このような
大上段ふりかぶった見通し立て活動を一般向け
活動に託すのは無理だと思います。

だから「要援護者・災害弱者」を支援する関係
者が議論となるにこしたことはないですが、そ
れは、まず無理なので、関連ゲストを呼んで、
話の口火を切ってもらう。リアルに論点を掴ん
で考えるという懇談型講演会を作りたいのです。
行政を入れたいんで、路線化の志向は各自の所
属団体に持ち帰ってもらって活かしてもらうと
いう野球のファームのような場を作りたいので
す。内容は、災害ボランティア全域に及ぶ必要
は無く、補完的(実はまったく補完的というよ
り扇子の要)領域の講演会です。

できるだけ現場の関係者を頼み、視界がクリア
になる内容を仕掛けたいんです。だから、いわ
ゆるお偉いさんに限ってはいない。ただ被災地
や阪神淡路の関係者から呼ぶことが多いので、
交通費がかかります。また少人数(3~4人)
ですが、長期休暇を利用して、ピンポイントの
見学会を年1回入れたいので、ガス代、車調達
費、1泊宿泊費がかかる。全額参加者負担では、
怪しいので、民泊含んで宿泊費はセミナー負担
で行きたい。

現場が見えるひとを育てたいんです。

来年度は

JR茅ヶ崎駅駅長

大店舗会災害担当者

包括支援センター担当者

医療介護機器販売レンタル業者

民生委員

等、地元関係者との懇談も視野に入れている
ので、交通費は一概には言えないんですが。
なかなか成立するとは思いませんが。

活動の活性剤活動の感じです。ただ、切れ味
だけは、通していきたいのです。

今、映画「障害のある私たちは訴える」上映
や、「QRコード医療個人情報カード」実現の
話は、セミナーとは別に、活動をたてます。
これらは、話が別です。

回数は地元ものはできるだけ多く、それとは
別に、遠方からの招待・1回のドライブを入
れて、年4回かっちりしたものを入れたいの
です。

被災地の訪問介護・看護業者
被災地の障がい者施設関係者
被災地の行政職員(または社協)
被災地滞在高齢者支援研究者

一般向けよりは、少し難しくなりますが
A4両面版通信を、このかっちりした企画
ごとに発行します。

金がかかるのは、被災地関係の話は、現
地に行って口説いてくる資金が要るから
です。阪神淡路も行きます。

私は前述の18万円を出すと、被災地や
関西に行く金銭的ゆとりがなくなります。
年2回は行きたいので、副業を始めます。

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S君と就労相談窓口めぐりをした。横浜STビル関係だ。
うまく話がまとまってくれればいいのだが。

なんと寿町の*沢さんとばったり出会った。お互い、何事ぞと。

相鉄線乗り継いで相模大野校の授業にでる。

帰宅すると着替え中に**子の兄さんから電話が入った。**子は、近所のお寺さんに3泊、軽作業をするため、退院して移ったとか。まだ無口らしい。

以上
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2/24 薄い白髪をばっさり切って/黒田さんのレポートメールを参加者に

2013-02-25 06:33:47 | 引きこもり
2013/02/24 記
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2/18の黒田裕子氏懇談講演会の参加者に、レポートを書いてメールしている。ただ黒田さんの話の論点をめぐった話は、救護・ケアに関わる専門職に、ボランティアがどう連携し、効果をあげるかとか、福祉避難所に至る保護と安全誘導に地域連携と併行した防災士予備軍のような要援護者の友人というか支援者を育て、特に外出時被災に備えるかという議論に触れる話が、いくつもでていた。その元の議論に遡る話までは書ききれないが、「災害時要援護者の救護・援護」という課題の緊急必要性が伝わればいいと思っている。ひとりひとりかいているので、しばらくお待ちを。

-------

路上生活者・無職者への支援活動の「舫(もやい)」の事務局関係者の方々の中には、東日本大震災の生活支援、特に無職単身者の孤立防止活動を加えた生活支援活動をしている方がいる。そんなつながりで、直接「舫」は被災者支援活動に参加しているわけではないが、先日、湯浅誠氏と話し合える状態を作った。連続セミナー第3回は、支援者退潮期の被災地生活再建活動ネットの後方支援について語ろうと思っていた。日程の関係で、年度をまたいでしまうが、4月に延期させてもらうことにした。

高齢者の課題は高齢者関係の団体が、障がい者関連の課題は障がい者団体がというように、広範な概念としての「要援護者」支援をフォローする横断的なテーマがなかなかないことに腐心している。現在の状況が、災害弱者支援の横断サポートの必要性が浮上しているにも関わらず、その「横断的」な活動がなかなか生まれないという矛盾がある。

メールを出し終えたら、来年度の構想を描きながら、「被災時要援護者支援にアクセントをおいた災害対策セミナーを生み出そう」と呼びかけるチラシ作りにはいる。

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相模大野校の事務長が、なんでSNSやらないのかと聞くのだが、私は今まで、完全会員制のメーリングリストや、SNSを他の場面で使ってきて、熱心な固定会員の応答に日々の時間が大幅に使われてしまうことにうんざりしているところがある。といっても大半は閑古鳥が鳴き、ときどきうなづく相手がいる程度の独走マラソンをやらされることが多かった。対話がふくらめば膨らむほど、一部の人間にしか通じない枝葉の議論に振り回されるのはうんざりしているのだと応答した。

浅く広い結びつきというには、私の抱える活動は裏方アクティブの活動の面があって、むしろひとりでも深く協働できる相棒が必要なのだ。オフラインの場に連携の場がなければ、そこから先に進まないと思うのだ。

それはそうと、今日はSくんと、就労相談窓口をまわる。即座な成果は怪しいが、端緒がつかめればいいのだが。


夜間傾聴:ふたり


(校正1回目済み)


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2/23 ワイワイまつり最終確認/情報探索の途上なり

2013-02-24 05:54:13 | 引きこもり
2013/02/23 記
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サポセンに行く。朝10時から3/2のワイワイ祭り参加者の最終確認があったのだが、夜間傾聴が5時を割り込んで続き、教材屋の仕事の残りと、ブログ原稿を仕上げたら7時近くになっていた。サポセンまで40分。これでは睡眠時間がとれないので、欠席する旨のメールを出して、教材もメールを済ませて、寝る前の後片付けをしていると、母が咳き込んでベッドから飛び出してきた。胃切除した者の後遺症、ダンピング・逆流である。胆汁が逆流してくるんだからたまらない。

母の介助をして部屋まで送り届け、ふと窓を見ると夜が明けていた。なんだかんだといつも7時前後が就寝時間となる。

起床が11時。午後になることはない。午前中授業や会議があるときは徹夜状態で出かける。だから電車の中の1時間前後と、眺めの昼休みは、必ず大いびきをかいている。

東海新報の記者さんに問い合わせの電話の時間を昼休みにいただいて、陸前高田・広田町のオンデマンド車の情報と、推進者の連絡方法を教えてもらうとした。情報は記者の糊口を継ぐもので、そう簡単に情報提供してくれはしない。粘って少しヒントを頂いたが、12時半を回っていた。知り合いになった民宿の親父さんも、聞き出さねば語ってくれない。これは性格的なもので、生活支援関連の情報は、全くわからない。歯がゆい。

黒田さんのレポートを今夜はまとめて、視覚障がいのセミナー参加者の**さんに提供する。そんなこんなのことが頭の中を走り回っていた。

サポセンについたのが16時前になっていた。サポセンでは、茶封筒に当日の予定などをまとめて入れたものが用意されていた。受け取ってすぐに橋本に向かった。サポセンでは社会的起業の企画で混雑していたが、コミュニティ・ビジネスと役所の外注との区別がつかないから、社会的要請を企業的手法をとって解決する活動を狭義に考えるべきと思っている。「ソーシャル・ファーム」である。だから時間があっても参加しないななどと、偏屈こねながら、夢うつつ、橋本でとにかく、飛田はなぜ災害ボランティアなんてものをやっているのかを説明しながら、授業を終えた。

発達障害白書を車中で開きながら、白河夜舟、空中遊泳をして返ってきた。これはいかんとスマホを見ると、湯浅誠氏と話せる場がとれないか問い合わせていた。東北の生活保護取得者の中の単身者の状態を「ホームレスと社会」誌を読んでみたらどうかとのこと。事務局の誰かが返信してきたのだとわかった。
近々「舫」にお邪魔する。大船渡の##氏のことも聞いてみる。

黒田さんの講演の中で、福祉避難所と発達障がいの方の生活が気になって、数少ない現地レポートが発達障害白書のなかにあるとのことで、確かに関連記事はあったが、目的にふれてはいるが、帯に短し襷しなのだ。実は来年度の連続セミナーに福祉避難所の生活体験者を呼びたいのだ。

ここしばらくは、延期された3月企画と来年度予定について、まとめていくことになる。

夜間傾聴>昼間のみ

(校正1回目済み)




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2/18 その3 黒田裕子氏懇談講演会の報告/2/22 子どもネット講演会参加し

2013-02-23 06:26:44 | 引きこもり
2013/02/21 記
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(その3)
~災害発生時の救護活動への社会活動連携~

黒田さんの講演は、在宅被災者の救護を起点として、救援者のネットワークへの背景の説明へと話を拡張していく。救援者とは、消防団とか町内会指示を受けた地域住民を含んで、自衛隊とか警察・赤十字というプロ集団のことで、市民活動のような自発的運動体は位置づけや、連携のスケッチすら見当たらない。時間が経てば、全国の災害ボランティアが集まってくる。この段階でボラセン等が対策本部の形で集まってくるが、退職看護師の会のような有資格者以外は、蚊帳の外に放置される。実際には救護場面では、障害物撤去や死傷者身元確認等の限定的な連携が行われるが、救援の公的団体の指導下の動きとなる。しかし、救急医療から災害看護に引き渡された傷病者は、介護の枠の中で、ボランティアの連携の場は広がるのだ。ここでさえも、地域の絆からはみだした市民活動的介護ボランティアが働き出すのであって、地区社協・地域自治会の管轄外の動きが意味を持ってくる。

「外出時被災」のようなシャッフルされた状況の中で、災害弱者の保護という課題は、混乱した集団から安全確保して避難させる自発的な「準・防災士」のような活動が必要になる。研修と資格試験を受けて、防災士になるという道も大事なことだが、いわば活動の裾野、自発的保護の社会活動の登場が期待されている。

地付き援護者育成の枠組み外の、都市型災害対策の社会活動を考えたい。その思いが初めて登場したかのように黒田さんに聞こえている現状こそ、検討が必要なのだ。

(つづく)


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サポセンに3.2の障がい者避難のビデオ上映と懇談を企画していたことで、BDプレヤーの接続チェックしてきた。大丈夫。

湘南子どもネットワークの講演会に参加した。3/5の「東日本大震災-障害のある私たちは訴える-」試写会、湘南上映のために試写会を見に行かないかと誘った。空転、応答なし。無念。

S君と25日に就労相談関係の窓口に行くことに。いい話がでるといいんだが。

p.s. ●「防災士とは」

夜間傾聴:ふたり


(校正1回目済み)
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2/21 2・18講演会後遺症やっと切り抜けたようです

2013-02-22 06:11:16 | 引きこもり
2013/02/21 記
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2/18 の後遺症が続いている。今日、やっと訪問指導に入れた。**子は、近所のお寺の清掃の住み込みアルバイトとして、数日、宿坊に泊まることになった。事情は了解済みなので、軽作業をノルマなしでやるということで、実質休養をとることになった。一時避難というところだ。地元ならではの話。よかった。

しかし、こういう対処ができることは希だ。しこりが必ず残る。橋本3君については、親御さんが車の免許を取らせられないかと、当座の目標作りを始めていた。私は彼の気質から、事故が起きそうなので反対している。当人は、やる気なのでそれがいっそう「飛田、ぶっ殺す」につながっていた。この件は彼の専属のPSWさんが反対意見をだし、親御さんが方針撤回をした。

そんな中、親御さんから今日、彼は面談日だと私と学習をする店に出かけていったが大丈夫かと問い合わせ電話が入った。大丈夫と親御さんに伝え、がたがたと貧乏ゆすりをする彼の空気抜きをしながら、なんとか彼とつながれた。彼は予定が変更されることの方が嫌なのだが、事態の対処に彼自身が迷っていたからだった。大きめの紙を持参し、今後のことの約束のフローチャートを描いた。定時に話は終わり、彼はフローチャートを持ち帰った。いつもの「さようなら」の挨拶はなく、淡々と別れたところに癒えない傷が見え隠れしていた。

もうひとりは、夜間傾聴。被災地に行くと言い出した。こういうときは、逆に危険なときだった。言葉はそう言ってしまったが、身体はいきたくないのだ。自分の宣言したハイ・ハードルに後から苦しんでしまうのだ。彼にできる被災者支援を考えた。あれこれ考えているうちに、被災地に行くのがすべてではないと納得してくれた。続きは今夜、第二ラウンドとなるが、被災地活動の絶対化の呪縛は解決したので、おそらくかかってこないだろうと思っていたら、案の定、彼の定時には電話がかかってこなかった。

不器用だが、自分を偽れない愛おしい若者たちである。命がかかる天井からの刃が常に下がってる背筋の寒さを感じたが、これは私が負っていかねばならない仕事上の宿命のようなものだ。

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黒田さんの後の講演予定者の方の日程が合わないこともあるのだが、東北から呼ぶと交通費だけで3万円かかって払いきれない。ところが彼は東京にも活動を持っているので、彼が東京に出てきたときに、茅ヶ崎に寄ってもらえないかと交渉している。そんな関係で、調整がむずかしい。

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夕食用に「ほうとう」のうどんと材料を買って帰った。だしだけは贅沢にとるつもりで、「ほうとう」というよりキノコ鍋のような料理となった。

母が食べる食べる…戦時中「すいとん」を海水にアラメで色付けした醤油で食べたという何度聞かされた話か、それを話し始めて、機嫌よく食事を終えた。いつもなら、この量では胃切除者の宿命の夜間、ダンピングが起きるのに、今夜はkないで、ひんやりとした朝の空気だけが流れてくる。現金なものだと思いつつ、ダンピングにも、精神的要素が大きいことがわかるのだった。

私には炭水化物過剰、糖尿病の食事療法には程遠いのだった。

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連続セミナーのチラシの裏に、通信を載せることにした。


夜間傾聴:ひとり


(校正3回目済み)

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2/20 2/18後遺症?

2013-02-21 05:46:24 | 引きこもり
2013/02/20 記
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**子の面会謝絶が解けたということで、見舞いに出かけた。**子は、やつれた顔をして視線を合わせない。この子は年に数回、向精神薬自殺を計る。その意味で親御さんも私も互いに語る言葉がなかった。家庭内に高ストレスの状態があって、今回は私が引き金を引いてしまった。**子は煮詰まると、家庭の風呂場で座り込み服薬を試みる。医師が注意していることもあって、総量が足らず、致死量は飲めない。ただこのようなことを続けていけば、心がずたずたになってしまう。

**子に片言の挨拶をした後、1時間ばかりここにいるからと、ご両親を開放した。母親は一睡もしていない。父親が車で送り返し、父親だけ病院に戻ってきた。

**子は背を見せたまま、何も語らない。ただトイレに私が立とうとすると「いかないで!」と大声を発し、また沈黙する。

帰りに**子の通っていた作業所に立ちよった。父親が作業を休む旨、話をしていたので、状況を質問された。しかし、この作業所、昨年12月に退所していたのだが、父屋はそれを知らなかった。そのことが親子の距離を感じさせた。

私は以前、**子から作業所に彼女なりの辞表を預かっていた。それを届けにいったのだが、室長代理の++さんと話をしてきた。病院ではもう一日様子をみるということだが、見舞いには、まだ行かない方がいいと思うと進言した。

------

町田経由で橋本に出る。「飛田、ぶっ殺す」の飛田だと、彼にいうと椅子を蹴飛ばし威嚇してきた。しかしこれは、高度のコミュニケーションである。3年前の彼には成し得なかったことだ。持っていったみかんを食べてきた。

「茅ヶ崎に遊びに行く」
「来るな、うるさい」
「行くからな」

こんな会話だけで、顔合わせで終わり。
相模線の中で、ひさしぶりに入力作業を行った。

17時を過ぎてしまったので、横浜の若者就労関係の窓口に予約の件は明日に任せる。

新人講師の研修。これは専任講師の見張り付きで、爺ぃ講師の役割。今回は辞退しようと電話を入れたが、専任がでるなり、3月予定表を渡され先手を打たれてしまったが、「辞退する」と伝えた、なにやらしらけムード。

後手後手で一日が終わる。

Sくん、明日メールする。横浜に行こう。


夜間傾聴:**子(父親)
     橋本3くん(母親)


(校正2回目済み)

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2/18&19 その2 黒田裕子氏懇談講演会の報告 他

2013-02-21 04:43:38 | 引きこもり
2013/02/18&19 記
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(その2)
今回の講演会は、医療・福祉の目で防災・東北被災者の有効な生活支援の見通しをたてていく、その素地となる先進活動と情報を提示し意見交流を行うというノード(結節点)の活動だった。

第一回で県保健福祉事務所の保健予防課の講演をお願いした。この話を口火に、今回の黒田裕子氏の「要援護者の保護と医療・生活支援」を焦点にした

「被災地の災害看護活動から考える生活復興期の支援~災害時要援護者の支援を中心に~」

というテーマを語ってもらった。

訪問災害看護活動の視点に「地域トリアージ」という概念があるという。限界ある人材の中で有効性と効率を考えた、飛田の使い慣れた言葉で言えば「パーソナル・ケア」の「パーソナル」にあたる個々人の状態の個別性を、「適切に分類して対処しやすくする」という、いわゆる「仕分け」のことで、これを地域に適切に対処できるように情報をファイリングしておくという、徹頭徹尾施療者のための行動基礎情報なのだった。

福祉の立場からは、「共感と伴走」というケアの視点が入ってくる。しかし、これは安全避難の後に活きてくる概念だ。災害看護の場では、保護と安全確保ということが第一となる。これは被災から避難・治療生活、生活再建という時間軸のどこの論議なのかということで、内容の重要性の比率が変わる。災害を一括して語ってはいけない。常に時期と場面を意識して考えていかねば見誤る。

黒田さんの説明は、被災時の住民のガードに携わる方の話にシフトしていった。防災構想の大局の中で、どの組織がどのように対処し連携していくのかという点に概括的に触れ、セルフチェックの手法を使って、「あなたは的確な行動をとれるように準備していますか」と問う。この部分の話はさらりと流れたのだが、この論法は基準となる構想をバイブル(真理)としているので、社会活動(市民活動)畑からみると硬直化しているように見える。

社会活動は基本は「探り当てていく活動」、「ひとや現象と対話しながら解決に導く活動」だから、実践と企画更新は一体のもの「過ちを活かしていく活動」ともいえる。いわば「過ち組み込み済み」論、臨機応変性が、組織の遂行論を超える命のようなところでもある。

ところが災害の場合は過ちは命に関わることであって、やり直しは無い。被災後、企画は企画で見直しをされていくが、更新のスパンは長く、固有名詞は消し去られ一般化される。

日常的に災害対処法を啓蒙し、訓練を受けた者が迷える子羊を領導するという基本線に沿って、防災活動は展開されている。

ところがそこに、はまることができない事情を抱えた方たちが「要援護者」なのであって、それを無視して有効性のなたに「ひと」を整形すれば、「ひと」の全体性は失われ、削ぎ落とされた体幹がただ残るだけということになりかねないのだ。「要援護者の保護・支援」とはそういう「ひとの多様性に寄り添う」ということだ。

抜け落ちていくひとたちを保護するために「地域トリアージ」が行われる。そこに「自助・共助・公助」という論が日常待機の枠組みとして登場してくるが、この「自助・共助」が難しいひとたちの防災論、自分らなりの「自助・共助」論が成長しうる防災論はないかと考える。

発想は被災前・被災時・避難生活時・生活再建時という時間軸を意識しないと、ひとを丸抱えした防災論はありえなくなってしまうと思う。災害が去った「避難生活時」について考える場合、救急医療の観点は退き、治療と保健の福祉に近づいた視点が重要性を増してくる。

黒田さんの話は、この後、避難所生活と看護の話へとシフトしていく。茅ヶ崎の避難所は現在8箇所、福祉避難所は3カ所だとの市行政担当者から話が出て、避難所の数について黒田さんから比較的進んでいる地域という評価があり、それでもまだ被災者を収容しきれないだろうという行政担当者の悩みのコメントが入った。

阪神淡路大震災のとき、この「地域サポート」と「地域トリアージ」が行われていなかったために、単身者の孤独死は一千名に及んだ。自殺者も増えるが、生活破綻・病死によるものが主だった。そのことについて、私は意見をはさみ、東日本大震災の被災者の中から既に「孤独死」が始まっているが、阪神淡路大震災のときと同様、「孤独死」が際立ってくるのは被災後数年経ってから、つまり二年目の現在の課題ではないかと黒田さんに問いかけた。

「孤独死」は「地域の絆の問題」だと応答する黒田さんのその視野には、どのような人々が写っていたのだろう。田舎の集落の場合、地縁・血縁の結びつきは濃い。日常生活のプライベートな部分まで、互いに明け透けに見えている。一方、分譲地やマンションのように、広域から集まった「ひと」で地域ができている場合は、隣人を知らないことが珍しくない地域である。一般に後者の地域は否定的に扱われ、「田舎モデル」の地域の絆作りが必要という論のもとに、防災活動が空転する。それは住民の公共意識の浅さなのだろうか。

黒田さんの応答は、教科書通りの「防災・防犯の必要性に基く地域コミュニティ作り」だった。ある家庭は高齢者の介護を抱え、ある家族は週半分は仕事の関係で家を留守にし、ある家族は三交代勤務で夜勤がある。ある家庭は水終売を営み、ある家族は宗教に夢中である。またある家は事情があって単身生活を行い、ある家族は10人家族である。ある家族は、せん妄を伴う若年性認知症の方がいる…という具合に、多様であり、そこには噂や差別による傷つけあいや無理解が潜んでいる。早起きはいいことだ式に、防災コミュニティを当てはめていくのだろうか。民生委員や地域自治会役員によるプライバシーの集中管理おこなわれても、それは相互理解・相互扶助というひとりひとりの自覚的行動育成には直結しないだろう。

この従来型の防災シフトは現在の防災構想が、都市型の特徴である「外出時被災」の、いわば地域コミュニティの手の届かぬところの防災というシステム的な穴を持っていることも、新たな防災ネット論が検討されるべきなのだ。集落の地域コミュニティは、農漁業の社会的生産の背景や、地域が同一職種に属するというような歴史が生み出したものだ。それを安全避難の都合でコミュニティ像を社会にかぶせていくことに、疑問を感じないだろうか。

被災直後、黒田さんはそのコミュニティから独立した職業として、人命救助や安全確保にあたる。避難が済んだ時点からの看護ケアと避難所運営スタッフつぃて、災害コミュニティを立ち上げる。見ず知らずの家族も混じった仮想コミュニティである。

「外出時被災」については、誰も研究経過を語るひとがいない。見知らぬ他者に囲まれた時の被災は、要援護者には過酷な状況となる。

指示が聞こえない聴覚障がい者や、私のような見かけからは健常者に見える網膜色素変性症の視覚障がい者、指示が理解困難な知的障がいや、発達障がい、精神障がい、外国人、指示通り動くことに困難のある妊婦さんや乳幼児連れの親子、高齢者や身体障がい・病人の方なども、集団にシャッフルされてしまう。こうした方を安全避難させ、次に家族と再会させる活動が方法論を持っていないことがあるにも関わらず、みごとにこの「外出時被災」については、論じられることもなく、無視されていくのだった。

災害看護の立場からは、急性期(被災直後)、地域に派遣され地域住民の命を守るという立場からすれば、「外出時被災」は守備エリア外にはみ出してしまう。その意味で、今回の会で数回「外出時被災」について、私は黒田さんに水を向けたのだが、すべて空振りに終わってしまった。

結局、講演は、被災時の「救急医療と災害看護」「避難生活管理の留意点」を紹介することで、災害時の看護師の活動の重要性は語られたが、それは関係者向けの会という意味では、全体像を語るには、漠然と全体のシステムを語るのではなく、逆にピンポイントのテーマの立て直しが不可欠だった。黒田さんには、研修型の語りから経験紹介の語りへの誘いが必要だった。

参加された方を満足させる内容であったかと問われれば、いささか心もとないのだが、「要援護者の保護・支援」が喫緊の課題として、今問われているという感触は感じ取ってもらえたのではないかと思う。

-------

私は黒田さんの講演と以下のような(すれ違ったが)バックアップを行った。

以下の資料の「河北新報」の記事は、会員登録をしなければ読めないものがある。無料会員登録をすれば読み取ることができる。状況を読み取る大事な記事「☆」である。注目すべき記事は「★」をつけた。是非「☆」の記事は読んでいただきたい。



●「郡山から避難の男性 都内の宿舎で孤独死 死後約1ヵ月」(2/1)
●「被災50代男性2人、雇用促進住宅で昨年暮れに孤独死 八戸

☆「被災地の75歳以上の女性、仮設でこもりがち 厚労省調査」(2/10)
☆「仮設暮らし一層厳しく 仙台の入居世帯、不安くっきり」(1/21)
☆「震災後、けいれん増加 気仙沼市立病院患者」(1/29)
★「要援護者対策に遅れ 災害時全体計画、策定54.3%(宮城)」
★「震災時の周産期医療の実例を報告 岩手・遠野でフォーラム」(2/4)
★「障害者働く場、念願の再建 被災地女川町のNPO、4月にも」(1/23)
●「福島へ介護支援 参加を 府中の有志PR」(2/3)
★「陸前高田市 デマンド交通スタート 広田・小友気仙町対象 自宅と病院・商業地結ぶ」(2/2 過去記事検索で2/2を)
★「「陸前高田の在宅療養を支える会」震災1年11カ月、念願の発足
ケア充実へ連携強化」(2/11)

●「「避難の手助け受けた」は48% 陸前高田の障害者ら」(1/12)
☆「被災地支援センター 岩手県陸前高田市における障害者訪問調査 第一次報告(速報)について」
●「東日本大震災二年目の検証と インクルーシブな復興」


夜間傾聴>**子(父親)

(校正1回目済み)
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2/18&19 諸事情混乱していました

2013-02-20 06:21:00 | 引きこもり
2013/02/18&19 記
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黒田さんの講演会に関わりきりになると、見捨てられるのではないかと不安が出るのか、私の担当している方全員から、様々な要請や、事件が集中していました。(母もでありました。)

特に**子は、服用薬を飲み干し、自殺未遂で東京南部の某病院に救急車で救急入院するという事件がありました。施設作業をやめて自宅にこもりきりの生活が、ここ2ヶ月続いており、危うい夜間傾聴が時々あり、精神科の担当医と連絡をとっていました。親に注意されながら薬を風呂場に持ち込み、その後、横たわっている娘を親が早期発見し、救急外来で胃洗浄をして、命をとりとめたのです。19日に面会謝絶を承知の上で見舞いに行ってきました。まだ心が不安定な状態なので休んだ後、落ち着いたら退院だそうです。しばらくは様子見。

橋本では、飛田を殴り倒すと言い出して電車に乗って行方不明という話。17日の翌朝、自宅の押入れから彼が出てきたという話。18日、個別指導を延期してもらった件が、危機へ。

@nifty が20日までに2ヶ月分の滞納料金を支払えと通知してきた。そんなばかなと入金記録を手に電話するが1時間繋がらない。放置すると回線が止まる。メールもなしのつぶて状態。あんの上、滞納はなかった。ただ@niftyの都合で、集金を別会社がやるので、自動引き落としの再手続きを行って欲しいとのことで、近くの金融機関の口座に変更手続きをした。以前の口座が、2ヶ月前の料金を落としていたが、今度の金融機関は先月の分の集金に変わり、1ヶ月分のずれが生じていた。金融機関確認やら、繋がらない@niftyへの連絡やらで半日が潰されてしまった。しかし、そんな事情全く知らなかった。@niftyも低姿勢に転じ、ずれの分を入金して欲しいとの話。全く迷惑な。交渉中の電車のホームで怒鳴りそうになっていた。

父の放置された部屋の大掃除が始まった。20日が「燃えないゴミ」の日だからと。業者をいれて騒ぎ始めた。18日当日。帰宅した我が家は、テープでしばった宗教の通信の束があちこちに転がっていた。家電製品やらバッグやら、業者は買い取っていったが、紙ゴミは残った。階段の電球もぶつけて割れたとのことで、電気屋も入っていた。**子の見舞いがそんなに不服かと口論寸前。

訪問指導の日程変更希望者の時間調整2件。


他2件

一斉に動き出すところに不安の影がある。お互いに面識もなく連絡もない。それなのに行動が一致する。山を超えたが、少々疲れている。@niftyは余計なり。


ーー事務連絡ーー

黒田さん講演会

  参加者 14名(行政4名)
  カンパ  7名 (3千5百円)<助かります
  費用  交通費(神戸市施設往復)3万円
      謝金 2万円
  雑 費 約1万円


(つづく)

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2/17 討議資料を作りつつ

2013-02-18 06:36:56 | 引きこもり
2013/02/17 記
--------------
黒田裕子さんの懇談型講演会の前日、配布資料を作っている。
何部作ればいいのかと悩む。

埼玉県の塾屋の友人が昨年末、宮城の仮設入居者に正月のお餅を贈ろうと、市内2箇所の駅頭でカンパをやった。講師2名と高校生の塾生1名で、それぞれ一日ずつ立って、チラシも数百枚撒いたらしい。ところが、結局集まったのが3千円そこそこで、大半は郵送費で消え、宮城から招待したお寺の住職(寺を臨時避難所に開放した)の講演会は10人ほどで、期待して参加した高校生は意気消沈してしまったとのこと。

私からしてみれば、よそ事ではないが、苔むすほどに空転を重ねてきた分、私には意気消沈はない。結局は塾長が泣いて企画を支えたのだが、自分で企画実行したのは、彼は初めで最後なのだとか。大きな流れを作ってきた被災者支援活動が、被災者の仮設入居を境に、店じまいし、地元の防災だと、代わり映えのしない従来の防災活動に流れ込んだから、非被災地支援者が関わりようがなくなった。単純に大衆は「飽きた」のではなく、被災地長期滞在型支援活動以外は意味がないと切り捨てた、手放したというべきか、それが退潮を増幅させてしまった。

これから支援者が激減した被災地では、就労と生活、仮設からの脱出という困難な道が残る。やり直しが難しい高齢者の再出発という道が続く。こう言う高ストレスの日常に疲労破壊が露出する「被災数年後」、復興活動の礎となる家庭がゆらいでいくという意味で、非被災地支援者の退潮は支援者の想像力の枯渇ではないのかと思う。

埼玉の彼は、電機製品も流行が終わってから、やおら買い物をはじめるという堅実な人間だが、ぽっきん金太郎飴のような事しかしないので、見通しを拓くという発想自体がない。「辛い前例だなあ」と、彼への年賀状に書いた。

私は原発廃炉へという流れ以外は、一般向け啓蒙活動や、募金活動をしても、被災者の明日の見えるような関わりや、生活困難打開の見通しが見える活動以外の、善行活動の限界を大衆が嗅ぎ取っているために、空転が続いてしまうのだ。

だから、私はいわゆる「見通し」を立てていく議論を基礎に据えた活動を併存させるべきと思った。偉そうに方針を教える活動ではない。現在の抱える問題をどう考えるか、経験を交流させる活動をもつ意義は大きいと思う。それとは別に、現地に定期的に訪問し、一助となる活動との絆を結んでくる。畑を耕す活動に、もともと高揚はない。地下水を見逃さぬ手応えこそが先を拓く。

彼には厳しいことを書いたが、現実問題、自分も照らし合わせて考えねばならぬ活動は、敬遠される。小さくとも成果を積み上げねば、活動の価値は切り捨てられる。

-------

さて印刷は何部だ。思案の末、12部とした。2部は保存分。情けないなあと思いつつ、黒田さんに呆れてもらうことに腹を決めた。次に続く気持ちが鍵だ。

昨夜コピーをした店で、不足分を刷るために両替をしたのがいけなかった。店にコピーを忘れた。また黒田さんのパワポ資料の印刷も残っている。なにやら、くしゃくしゃな気分だが、突入である。会の前にサポセンに印刷とプロジェクタ受け取りにいく。天気は雨。ふーむ。

防災リーダーの##さんから昼間申し込み電話があった。参加申し込みだった。

こういう時は、周辺も一気にあれこれの要望が登場する。この一日、ちょっと堪忍してくださいと、四方拝の状態。

今夜は徹夜になってしまった。会でボケないといいのだが。

夜間傾聴;なし(別件だらけ)


(校正2回目済み)

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2/16 資料と段取り決定/障がい者被災関連映画

2013-02-17 06:08:52 | 引きこもり
2013/02/16 記
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黒田さんの膨大な資料(しかもテーマにあわない)をどうしたものかと思っている。ことは最悪の想定を基準に立てて、それより多めにとって10部とした。

行政の方にも資料を提供しておきたいので、被災地の高ストレスな状況と、伝わってくる医療現場情報をしぼった。話題が高齢者の関係が多いので、障害者の資料を探した。福祉避難所の様子がなかなか伝わってこない。陸前高田市に対し「障害者訪問第一次報告(日本障害フォーラム(JDF)調査)を1月に出しているので、その資料から高齢化する要援護者の状況や、被災時援護を受けた障がい者は48%という数値をどう読むかという話を入れた。障がい者関連の被災地からのルポ映像が2本あがる。3/5に参議院議員会館1F講堂でお披露目がある。また3/2には自立生活センターの上映会が立川で、ある。また避難所の利用者から差別をうけて、困った体験談などがあるが、この茅ヶ崎の地で、被災地とつないで、どのような実践が可能か、活動を立ち上げる契機はなにかというように、資料が状況解釈にとどまることを避ける算段を入れ込んだ。

日曜午後から印刷製本である。講師費用は一部借金して整えた。講演会の参加者数が少なく嘲笑われようと、議論の質と先見性は磨いておこう。継続支援は、湘南被災の時実践性を持った防災活動へ結びついていく。黒田さんからは、阪神淡路大震災(都市型震災)の経験を是非受け止めたい。

もうひとつは、保健・医療支援のバイアスをかけた生活支援の受け止め先を作っておきたい。

いまやっと資料精選が終わったところ。どうか参加者数がのびますようにと手を合わせるが、とても3月の講師準備まで気持ちが回らない。大事な会となるだろう。

介護者の休息を生み出す試み・要援護者の安全避難・障害者の居場所と自主活動作り・被災者家族との民間交流・地元中高生の自主活動組織等、それをどう官民協働の棚に載せるか、ケア専門職との連携組織化…。

始められることと見通しをはっきりとたてていきたい。健常者の防災に埋め込まれないような、声をあげられる風通し作り。

夜間傾聴:なし

(校正1回目済み)

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2/15 黒田さんから当日の講演資料が届いた/個人支援者にメールしたものの…

2013-02-16 05:48:52 | 引きこもり
2013/02/15 記
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泣いても笑っても今日が連続セミナー勧誘巡回の最終日。土日が休みだから、今日、個人の当たり直しをして、終わり。

黒田さんの「阪神高齢者・障害者支援ネットワーク」の担当者の方から、おどろくほど細かい黒田さんのプロフィールが送られてきた。また、被災時要援護者保護の概要の曼荼羅のような膨大な資料が送られてきて、果たして懇談の時間が割り振れるのか心配になってきた。

今回の集まりは、現場にいる者の懇談とリンクしている。しかしこれは、災害看護初任者研修の内容である。さすがに重厚感がある。しかし、さてどうしたものかと思案している。黒田さんのばっさりとした言説も、このままでは帳消しである。無理して時間を割いていただいたので、会の趣旨はメールで伝えなくてはならなかった。しかし、どうも私の注文は、黒田さんの講演を求める方々とは違っているようだ。

被災者支援活動・防災活動を現在の課題にフィットさせるために、現場の生の声と、領域を超えたネットワーキングの芽を育て、特に支援活動・防災活動のNPOとの生活・保健・医療支援連携の中身・切り分けを具体的にしていく作業の道筋にあることが、事務担当の方のイメージの初任者研修になってしまうこと、これは会を始める前に、話し合っておかないと論点がずれてしまう。

当日、私のPCは移動用はLinuxなので、新しいパワーポイントとの相性が悪い。申し訳ないが黒田さんに持参していただくことになった。しかし零細企業の社長よろしく会場係とプロジェクタセット屋も私がやらなくてはならない。事前確認の時間がシビアなのだ。効率化が必要。肝が冷えていくのを感じている。自己紹介を先にして、黒田さんに様子を掴んでもらうことにした。

ともあれ、今日は電話とメール勧誘が先。夜の電話が勝負になりそうなので、同僚を説き伏せて昼間のコマを開けてもらった。帰りの車内からもメールを打ち続けた。8名に連絡で限界。みな相模原・町田と東京南部の面々なので、応答が弱い。

帰りに補完資料の印刷で、茅ヶ崎サポセンに立ち寄った。タージの**さんと会う。案内のチラシを渡した。東日本大震災の生活再建活動はまだ被災からの脱却に至っていない。その必要に応じた支援活動は、とりも直さず近未来の私たち自身の対応経験とスキルを学ぶ場でもある。東北の被災者支援と湘南の防災活動は別のものではない。だから補完資料は、被災二年後に起きている様々な問題の概況の中で、極めて似通った共通項のある資料を精選した。それが五枚。加えて、プロフィールだけでもA4×8枚、それにパワーポイント資料A4×10これには参った。画面は55枚ある。最悪のシナリオでは参加者5名。10部作ればいいのだろうか。この場合、黒田さんは驚くだろう。10名超えたら「御」の字だろう。的をはずしてはいない。まわるべきところは、まわっている。成功・不成功に限らず、通信を出そう。私なりの継続支援。凍えてはいられない。

-------

奈良**大MLで、「バルーンが災害救援に役にするのは、海上漂流か、水面に囲まれた屋上避難者の利用場面だけだろう。むしろGPSではないか」と指摘された。なるほどと思ったが、がれきの隙間に生き埋めになっていたり、意識がなくなっても位置発信するものを考えるべきだということに、思いを変えた。

++さんは微弱波発信機を提案した。私は昔、塾生と作った果実電池の発電証明に圧電ブザーを使った、そのことを思い出した。圧電ブザーは微弱電力で音が出る。これをボタン電池と組み合わせ、3日程度、鳴りっぱなしにできたら、救助の目印になる。一度押すと鳴りっぱなしになるペンダントなどできないか。既に商品はあるだろうなと思いつつ、2/18講演が終わったら、試作を始める。うるさいのがいいのだ。簡単な作り方ができれば、支援活動の中に組み込めばいい。キット化して、障がい者の仕事作りの一助にする。独占商品化ほどナンセンスなことはない。QRカードと2本だてだ。

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某被災地病院から職員の講師派遣は無理だろうとの応答有り。金欠だから捻出できるのは六月以降だろう。しかし逆に、現地研修ツアーを組んだらどうか。被災地の障がい者団体の共同作業所と訪問看護・介護の非公式懇談をする。これならもって行き方次第で助成金対象活動にすることができるだろう。問題意識を持った方だけで行きたい。どう厳選するか。小型マイクロバスを出せるほど活動ができればいいが、すし詰め乗用車でもいい。それには、黒田さんの講演は失敗出来ない。手応えのある会にしたい。

車を運転できる相棒が欲しい。上記の運転の話ではない。被災地は私のように徒歩では、フットワークが重くて仕方がないのだ。現地レンタカーで回ってもいい。

JR茅ヶ崎駅駅長さんとの懇談(難航中)もある。来年度、生き残りたい。黒田さんとの懇談型講演会、なんとかしたい。

夜間傾聴:橋本3君(風邪ひきで寝込んでいるらしい。)
     ひとり(高校生)


(校正2回目済み)

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2/14 保健所・育成会・香川一族を巡回し

2013-02-15 06:57:44 | 引きこもり
2013/02/14 記
--------------
茅ヶ崎・手をつなぐ育成会を訪ねた。また誰もいない。私の動けるのは午後だ。どうやら事務所が空いている時間帯が違うらしい。チラシにメモ書きして投函してきた。

県・茅ヶ崎保健福祉事務所にたちよる。何回も訪ねるので、呆れている感じだ。隣で話をしていても、課が違えば勧誘もやり直しとなる。**さんは、アホなおっさんだなあという感じで私の話を聞いている。なんであろうと話を聞いてくれればいい。百万回話せば参加するよというのなら、百万回話す。

ともあれ、参加を促して、門を出てから振り返り、柏手2本。念力をかけてきた。

バスで香川に出る。下宿屋さんやら、「ゆい」さんやら、包括支援センターに足を向けたところでタイムリミットとなった。

ともあれ、今日はひとり、参加の表明をうけた。金曜に入れば、組織は間に合わない。個人説得に切り替える。

-------

茅ヶ崎市立図書館から予約不可の通知が届いていた。1冊は、看護学生向けの書なので、新規購入することが出来ないという。もう一冊は、「マイケル教えて」という被災猫のコミックだ。厚木市立図書館にあるのでこれを取り寄せて欲しいという内容の予約をかけていた。あまり期待していない書なので、突っ込まなかったが、「コミックは取り寄せできません」とのこと。厚木市立図書館では禁帯出にはなっていない。國井修氏の「災害時の公衆衛生-私たちにできること」は、私と競合して借りているかたがいる。書籍が短期に行き来していて効率がわるい。

橋本の方も、流感が猛威をふるっている。マスク軍団は不気味だ。とにかく遠い。連続セミナーの誘いもなにも、茅ヶ崎と聞くと上の空になってしまう。あと茅ヶ崎養護が残っているが、3回目は、やめたほうがいいと判断した。12/26の初回の会合が行政3課とも、話が違って参加しなかった。忙しくてというのだが、今回は市議会というのは困る。やりくりして参加して欲しいと巡回課とも課長と話してきた。11月から勧誘していたのだ。さすがに少し動いたが、「関係者向けの懇談形式講演会」という話が、なかなか伝わらない。市行政代表1名などと稟議されないことを祈っている。

奇妙なところから反響があった。静岡県の某大の助教の++さんからだった。後日経過を伝えることになった。発達障がい関係の学術団体の大会で一度名刺交換したことのある方で、災害医療という接点がどうも思いつかない。(すみません。)ブログを読んでの話では、なさそうなのがなさらに不可解なのだ。

------

山ほど、立派なカブをいただいた。実は母は、火を通したカブが嫌い。どう食わせるか、漬物にするのは芸がないし…と。

今日は個人まわり。夜、また橋本。
塾長はジャワに旅立った。週明けに帰国とか。厄介なことが相模原の塾生に起きなければいいのだが。塾長の穴埋めは出来ない。

夜間傾聴:淵野辺(弟)君(初)

(校正1回目済み)

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2/13 市役所の連続セミナー関係課を回って、ダメ押し。少し効果あり。

2013-02-14 05:24:39 | 引きこもり
2013/02/13 記
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黒田さんの連続セミナーについて、市役所に行き、最後のダメ押しを行った。茅ヶ崎の災害対策が東北の被災者から、すっかり別の展開に入っていたり、東日本大震災の広域地域コミュニティから孤立する人たちの実像を意識せずに、従来の風水害&小規模火災対策・地域コミュニティ型防災を広域震災津波対策にあてはめたりしている現状のままでいいのか。阪神淡路大震災と3.11から何を学ぶのか、そういう問題を孕んだ現状を整理しなおす機会と呼びかけた課。単純に阪神淡路大震災の都市型災害の体験者であり、危機を打開した救急看護のプロの方を呼んで懇談型講演会を企画した。市議会が始まるということで、機会を逃していいのか、そういう問いかけをしながら、ケア関係課と防災対策課をまわった。

問題はもうひとつ隠れていた。「参加費500円」という部分だった。実費がいくらかかろうが、有料企画は儲けに乗ることになるので、出席できないという判断があったとわかったのだった。黒田さんは神戸在住の方である。謝金・交通費ともに私の私費で補填している現状で、会は関係者だけ10~20名程度の会で、集まっても1万円、それを交通費の一部に組み込むことがいけないというのか、矛盾を感じるが、それで大義を失うなら、この500円を削っても構わないこと、昨年11月から5回お願いしてきたが、また全く白紙のような「検討します」という回答なのかと話をぶつけた。日がないというのは悲しい。参加費有料と市議会で、3ヶ月半空転させてきたのか。連絡をくれれば説明をしたのにと、心情をぶつけた。

その結果、ふたつの課から3人が参加することになり、ひとつの課は連絡すると応答があった。

帰りに身体障がい関係団体の代表の方に偶然会うことができたので、3回目のチラシを渡した。結果は県防災・障がい者関係パネルディスカッションが重なるのでとの応答。

ともあれ、行政がまた少し動いた。

トレインや元町の家にも再度のお願い。これはまた検討するの繰り返し。ともあれ、一歩動いた。

明日も団体周りをする。塾が18時からなので、17時には切り上げなくてはならない。木・金の最後の追い込み。このままでは黒田さんに失礼だ。

-------

S君の就労支援の件で、なんとも間の抜けた電話が飛び込んだ。求人調査ってどうしたのですかという某中小企業総務課からの電話だった。商品配送の運転免許が必要な求人だったので、彼にはあてはまらない話だった。しかしそのことよりも、仲介してくださった方の話が全く先方に伝わっていないことだったし、仲介者によって直接交渉したことが、先方には全く記憶が残っていなかった。足を運ばないとこんなことだ。

父の老健からも連絡があった。ここしばらくは、居住フロアから1Fロビーには降りることを禁止しているとのこと。外部から差し入れの食事は1Fロビーでという規則がある。つまり父に会いに行っても飲食はできないということなのだった。小学生は居住フロアにも入れない。

もう一件は、藤沢側の特養ホームの電話だった。ケアマネの**さん、1月に辻堂サミットのところで、買い物中偶然出会っていた。用件は父の入所希望待ちが出ていてしばらく経つので、現状調査という話だった。もう順待ちは3年を超える。現状を説明したところ、最後に意外な話。黒田さんの講演、関心があるが昼間なので参加できない。しかし、知り合いや交代勤務の同僚に紹介してくれたというのだ。感謝した。買い物の途中で出会ったとき、チラシを渡していたのだった。

現在の老健にも看護師さんを口説いていた。無駄ではなかったかなと思う。

------

母との献立戦争、今夜はカジキマグロの切り身のバター焼きに、塩麹とすったリンゴと若干のレモン汁。親に孤食させるのかの無理難題は突破、勝利なり。かけらも残さず食べた。

相模大野に行く前に、茅ヶ崎駅の立ち喰いそば屋で春菊天そばを食べただけというのに、A1cが悪くなっているので、こんにゃくの田楽ですごした、全く。母曰く、こんにゃくは人間の食い物ではないよとか。はい、はい。


夜間傾聴>橋本2君(母親)
     塾長(グアムに行くそうな。)

(校正1回目済み)




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