湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネの地域学習活動・就労支援活動の実践試行を書き溜めていきます。

1/30 災害ボランティアとしての「傾聴」活動とは 他

2016-01-31 05:51:07 | 地震津波災害ボランティア

2016/01/30 記
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災害ボランティアとしての傾聴ボランティアを語るときに、傾聴対象としている被災者のイメージが、ひとによってずれていることを感じる。災害によって人と生活基盤を奪われ、自力再建が不可能であるひとたちの苦悩を受け止めて行くという、本来ケア専門職が抱え込む際・外周の境界に位置する人たちをより太くケア専門職の人たちが抱え込み易くするために、抱え込んでいる方の一部の荷降ろしをする活動として位置づけるか、所詮外部ボラは、長期滞在型を除いて、一時的な関わりが主であるという限界があるがゆえに、その時間の中でつながれる生活者としての被災者との出会い活動としての傾聴がある。

東北発☆未来塾のそこに従来の傾聴活動の技術が割り込んだ気がして「Cafe de Monk」の活動は、被災地という舞台の中で、セオリーを守れば、そこそこ初体験者でも(傾聴ではなく)対話を成り立たせるフォーマットを提供しているように見える。傾聴にも一期一会が前提にあるが、有限の場面設定の中で、お互いの実りをもたらすノウハウが実行された。これは斜に見過ぎだろうか。「腹を割った」対話が難しいなら、あなたは受け止め屋(なげきの壁)になれ。その方が実があるよという経過になっているように思う。

表は傾聴者の養成である。しかしそれでは、傾聴はひとを愛しく思うことが前提になっているが、手の内を見せない傾聴者の自己判断に委ねられていることを忘れてはならないだろう。傾聴は社会への自己表明を失った、あるいは見失った方の回復力を信じ見守る活動であるが、そこに想定されている方は、健常者の群れの中に埋没する声を引き上げるプロセスの中で出会う方たちだ。この設定はもともと「治療」という非対称活動なのであって、限定的なのだと思う。営業研修における「まずひとの言葉を聴きなさい」という教えと似て非なる連続体なのだと思う。

大災害の「本当に」耳を傾けなくてはならない方、この「本当に」という部分が大事であって、その立場からは、語らない・語れない状態の発見に出会う訪問相談と連携して活動することとなる。ところがこれに対して、対話の軋みを潤滑にする活動として傾聴を位置づける立場がある。ところが傾聴は対話という場面からしても、非対称な特殊な関係である。生活再建活動に結び直すプロセスへと引き継いで行く特殊な活動である。

これらの意味から、初体験者に対話させる試みは、対話の契機を提供する食事会などのサロン活動と違い、1:1の対話である必要性から、世間体の軋轢から隔離した場に対話が設定される。番組では、食事会の場でラフに1:1の場面設定がされている。そこが面白いところだが、語りたいが相手がいないという方の受け皿となる。しかし、これはサロン活動の中で行われることで、話題の引き出しや選択のリードの禁止というような厳密な規則を学んでする場であるのかは、企画がずれているように思えるのだ。

今必要なことは公営災害住宅(復興住宅)への転入期に支援の網から抜け落ちる被災単身者・軽度成人障がい者へのサポートと、仮設住宅に集めなおされて薄い隣人の絆が絶たれ孤立する被災単身者や軽度成人障がい者へのサポートが急務なのであり、復興住宅や仮設の長期戦を見通して傾聴の力を提供すべきだと思う。その課題は地域コミュニティに包摂するという方向において、災害ボランティア有志の長期サポートが接点を維持して行くことになるだろうが、この長期戦に耐えうるボランティアが確保できるのだろうか。今後の長期戦の中でこそ、コミュニティ形成と支援の活動にリンクした「傾聴」の活動は、活きてくる。(注:「被災単身者」>アル中毒などの方を含む。)

足湯・傾聴の活動対象を被災者一般におくのは、「まず、ひとの話を聴け」というレベルの話であって、それを無駄とはいわない。ただ現在という転換期の課題に向き合う活動として、埋没しかけている孤立した被災者に「傾聴」活動を提供していくことが必要なのだ。

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相手にされなかった東灘区のNPOに再度メール問い合わせをかけた。週明けの応答があるだろうか。新大阪駅の近くの施設にも連絡したが、担当者不在で連絡待ち状態。某市社協には、OBを含んで面会依頼をした。阪神淡路大震災時の障がい者避難生活サポートの現場体験を語れる方を求めているのだ。

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今日は教材屋仕事。母の足小指筋違いは包帯がとれただけだ。自分の部屋に閉じこもって寝ている。室内は歩けるので手間はたいしたことがないが、止められているのに、勝手にひとり、風呂に入ろうとするので、買い物にも出かけられなかった。やっては、いけないといわれることほど、やりたくなる精神でひとを翻弄しているうちは、母も元気。私もずうずうしく、まだ、生き残っている。

金曜災害ミニカフェ・2月分ポスター完成。


夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)

 

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1/29 傾聴ボランティアの届く範囲を考えつつ/「大災害の生存学」はいい 他

2016-01-30 06:11:22 | 地震津波災害ボランティア

2016/01/29 記
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東北発☆未来塾の金田諦應講師による傾聴入門講座。
主に仮設住宅を巡回しつつ、被災者の話を聴く。このシリーズは「傾聴」の基本を伝えている。「金曜災害ミニ・カフェ」の2月予定ポスターを書いていて、私も変則的な傾聴活動をしているので、録画を見直して、論点が興味深かった。

傾聴の基本は、相手の話を気をそらさずに聴くことだ。

対話ははずみ車のような性質が有って、動き出すと急に加速し、やがて落ち着き、次の話題に流れて行くという、緩やかな振幅がある。閾値を越えない程度のストレスを抱える方は、話す気持ちが強い。閾値を越えれば、心身症の発症・爆発的表現となっていく。

私は傾聴の話を聴くたびに、ふたつの疑問がわいてくる。ひとつは「なぜ相手の固有名詞を奪うのだろう。医療モデルのように医師と患者のように」だ。一見、傾聴は相手の心のひだにまで寄り添うのだが、傾聴しかける側は、「治療」のロジックに飲み込まれていまいか。

これは傾聴の場面ではないが、社会活動を行うとき、傾聴者を交えて懇談し、行動を決めて行く場面でさえ、各人の意見表明を行う際、対話中、「つまり、あなた(みなさん)は、こういいたいのですね」と、抽出まとめを言って、自分の意見はいわない。ここでカウンセリングしているわけでもない。

しかし社会活動をするうえで、主張表現は不可欠。職業病だろうか,何をしたいのかが言語とならないのだ。

振り返って、被傾聴者にとって、傾聴者は「なげきの壁」なのだろうかという疑問だ。「寄り添う」ということの意味が肝なのだが…。

私の夜間傾聴は、相手のやり切れない後悔や激情と孤独が噴出する際、ひたすら時を共にする。電話線の向こうの吐息にシンクロして夜が明ける。

足湯と組み合わせる実践もある。しかし、思うのだ。話し出さない方や自己表現できないとか苦手という方々が、公営災害住宅(復興住宅)への転居期、沈黙のまま、闇に再び隠れて行くように思えてならない。ひとは、しがらみのなかを生きている。その中の出会いをどう活かせるかを考えてしまうのだ。例を出そう。公園のベンチで保護された路上生活者に声をかけ、傾聴を仕掛けてみるといい。ひたすら沈黙、または窮屈な施設にひきこまれまいと、作り話が始まるだろう。話したいひとを引き受けるという限定付きであることを自覚している必要がある。

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もうひとつは、阪神淡路大震災の死体検案書5036人分を調べたドキュメントだ。死者の9割は圧迫死だ。ところがその中で外傷性窒息(呼吸運動が妨げられた死)はその大半を占めていた。家屋の全壊などで、柱に挟まれたりして、肺自身は潰されていないが、横隔膜の運動が阻止されて、呼吸できないために死に至る。ところがこの死因は、被災後時間がある場合が多いのだという。2116人は、交通渋滞などで手遅れになったという。

この間隙をなんとかできないのかという問いかけだった。

金曜災害ミニカフェの2月分予定表は,まもなく仕上がる。月曜日に貼り出す予定。

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峯本佳世子氏の著作「地震災害と高齢者福祉」を図書館(茅ヶ崎市立・神奈川県立・神奈川県立保健福祉大附属)に寄贈していたが、茅ヶ崎市立分がどなたかが借りた形跡あり。ちょっと嬉しい。第5章以降をご覧あれ。

●「大震災の生存学」は、問題意識がかなり重なる。神戸に行く前に下調べしておく必要を感じた。


夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)

 

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1/28 「貧困」と「学び」について私見(10)/他

2016-01-29 05:33:02 | 地震津波災害ボランティア

2016/01/28 記
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母が、座敷の茣蓙の淵に足の指の小指を引っ掛けて指を痛めた。幸い転倒しなかったものの、転倒して大腿骨骨折などを起こしたらベッド生活と思うと、背筋がぞっとする。痛がるが今日は木曜日で、開業医の大半は休みだ。幸い整形外科で木曜診療のところを知っていたので、近くてもタクシーを使って医師に診てもらった。レントゲンを撮ったが異常なし。場所がいけないので湿布もクリーム。様子見となった。寝込まれたら神戸に行けなくなると、瞬間思っていた。情けない。

橋本から路線バス。今日は、いつも駅前の店で対面指導をしている++君の御宅にお邪魔した。++君のご両親に年数回面談をしている。普段は塾長が会っているが、陽気な方なので気おされてしまう。彼は救われることも多いのではと思う。

塾長夫婦は教室にいない日なので、そのまま橋本から茅ヶ崎に戻った。神戸に行く前に、書籍「大震災の生存学」の中の著作者の知人が藤沢にいるので、仲介をお願いしていたので、その方と藤沢駅で会う予定になってたが、母の怪我で急遽日送りさせてもらった。

医者と言う人種はどうしてこうも大げさに包帯を巻くのだろう。母は食卓の一角に場を決めて、これ幸いとひとを指図する根拠に包帯を見せる。家に戻って家事に専念となった。

今、金曜災害ミニ・カフェ2月分のポスターを仕上げている。
神戸から帰ってきてから2回行う。


-----(ここから)------

(続きより)

私は某大の学生となったが、私のアルバイト先が、某党の機関紙の雑用係だった。アマチュアイズムのようなものが流れていて、取材の腰ぎんちゃくも可能で、文化面が主。あとは労組まわりがあった。これは取材というより、拡販が目的だったが、他党のように、それが党員確保や党の資金源になるというきちんとした目的を持ったものというより、組織カンパが出版資金源になっていた。このラフさがあったから、私のような偏屈者が生き残って行けたのだ。

しかし私の関心は、ひとの交流と成長、いのちの保護にあり、いわゆる政治諸課題は他人の衣をきているかのようだった。単組配達もあったので、私は学生運動というより労働運動に目が向いた。しかし実際は救援連絡センターの活動と、地域ではフリースクール的塾作りを始めていた。つまりいわゆる党の動員のような形ではなく、支持協力関係というか、ファンクラブ的結束をする仲間を持たなかった。中国派の近くにいたが、語録を振り回すセンスにはついていけなかったし、代議士を祭り上げる気にもならなかった。しかし政治の世界の地勢図と日常活動の様子は勉強させてもらった。

あるデモの救対で歩道を歩いていたとき、私は私の大学生から写真を撮られていたらしく、帰り道私は学生セクトに襲われ、かろうじて逃げたが、以降、大学キャンパスで突然囲まれて襲われたことがあって、軽症だが救急車で運ばれたことがきっかけで、休学。ときどきアルバイトに出る程度になった。

しかし、アパートに彼らがうろつきはじめて、私はアルバイトをやめた。別に私は、恋人とともに、雑誌「ひと」の教育活動を続け、理系教科研究団体の会員となっていた。

しかし今もなお、お付き合いを掌を返したように別人となって、むきになるあの結束はいったいなんだろうと思う。父が某新興宗教団体に入ったときも、偶像崇拝といって、飾ってあったスナップ写真を隠し、観光番組の神社仏閣が映ったときに目をそらすなど、忠誠を誓う集団を私は嫌悪する。発想の自由さは、現実の諸矛盾の中から育つものだが、自主判断は捨てない。

(つづく)

----- ここまで ------

夜間傾聴:なし

(校正1回目済み)

 

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1/27 神戸行の下調べ、一歩進む 他

2016-01-28 05:44:34 | 地震津波災害ボランティア

2016/01/27 記
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兵庫県健康福祉部OBの中に、阪神淡路大震災時の障がい者救護担当者を捜していた。市レベルの担当者はすでに探っているが、絞りきれないでいる。だから県の方の手ごたえが嬉しい。避難生活上の生命と生活保証という大きな話の中で、現場がぶつかった経験を拾い上げていきたいとお願いした。実際、被災した災害弱者の現場では、予想外の壁が生まれたり、要求される力点の置き方が異なっていたりと、公式報告では抜け落ちて行く実践課題が生成している。

また関係専門職不足の重荷は、周辺ボランティアの有効利用という手探りの中で軽減されるだろうが、一朝一夕即製連携は成り立たない。他県外部支援者の手助けは一時的なものだ。だから長期連携の事例があったのなら、それを紹介してほしい…、こういう無茶なお願いをしていた。

阪神淡路大震災は、東日本大震災と異なり、地域の生活連携の絆の薄い都市型災害だった。そこに滅災地域福祉コミュニティをア・プリオリに乗せても旨く機能しない。地域包摂型連携を生み出すための糸口を対話の中に見出せないか、そんな闇をかき回すような探索であるが、市・県・障害者団体を回ってくる。いつものように、高速バス車内2泊で行ってくる。

もう少し手がかりがほしいのだが。

(実は身体障がい者支援の某民間ボラは、役不足と断わられているのだ。)

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<気になった地方紙記事より>

●「<仮設健康調査>高齢化・独居率なお高水準/宮城」
●<にじいろノート>みんなのための避難所作り/宮城

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「老いてさまよう~認知症の人はいま~」を入手。レポートは、いずれ。


夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)

 

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1/26 懇話会ニュース配布完了 他

2016-01-27 05:29:08 | 地震津波災害ボランティア

2016/01/26 記
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不思議なことだけれど、今日の巡回は交通機関のつながりが異様によかった。しかし包括支援センターまわりの最終個所では少々危ないことも。ともあれ、「懇話会ニュース」の配布が一応終わった。

今回まわった2ヶ所の包括支援センターのうちの1ヶ所は、委託管理団体が障がい者関係の仕事もしていることもあって、「わーくNo.61」の「おくすり手帳QRコード版」のことと、4月予定の懇話会被災障がい者支援の話に興味を持ってくれた。

しかし、もうひとつのセンターでは、内容が「12月懇話会の失敗談だ」と言う私の言葉に反応して、市の委託をうけて運営しているので、市が認めていないものを受けとるわけにはいかないと警戒されてしまった。4年をかけ、その方にニュースを届け、懇話会に職員の方が会を覘きにこられた経過が一言で跳んでしまう虚しさ。全く初対面と同じ状態だった。

組織に関わるとき、営業マンなら日常的に味わっていることだろう。信用ということは、たとえ相手が決まった担当者でも、蓄積があると勘違いしてはいけない。そしてその身の証しは、トップダウン型の活動でない限り、何十年たとうと、明確な実績が生まれない限り、自ら信用を実証することはできない。進むのなら青臭くとも誠実であり続ける隘路を進む以外ない。疑いはニュースの内容を読んでもらえば誤解とわかるが、読まねばそれまでだ。地域連携と専門業務遂行ということの接点の難しさを、改めてかみしめてセンターを出てきた。

この場所は、大昔、私が学生のころ初めて塾の教室として自治会館を借りて黒板の前に立った場所。自治会館が調剤薬局となり、調剤薬局が包括支援センターになった特別な場所だった。時を経て誤解を噛み締めている、その虚しさは、尾を引いている。

日程が決まらずに、神戸・西宮行が2月にもつれ込みそうだ。橋本の対面学習の日程の加減が大きい。

**子は、何を思ったか年賀状を封筒に入れて送ってきた。さては前に出したことを忘れたなと思いつつ、貴重品入れの箱にいれた。メールで問い合わせたが、まだ応答がない。

橋本対面学習1件済み。


<図書館から借りた書籍>

●「イタリアの社会的協同組合」

----- 社会的弱者救済のソーシャル。ファーム

 

 

夜間傾聴:ふたり

(校正1回目済み)

 

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1/25 懇話会ニュース等、茅ヶ崎北部配達/NHK「あの日わたしは」2番組 他

2016-01-26 06:04:52 | 地震津波災害ボランティア

2016/01/25 記
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茅ヶ崎北部を巡回し、「懇話会ニュース」と「わーくNo.61」を配布した。そのうちのひとつ、成人知的障がい者のGHに立ち寄る。配布紙(誌)を読んでくれていることが確認できる数少ない施設だ。

こちらに2紙(誌)を手渡すとき、いつも戸惑いを覚える。被災者支援の「災害時要援護者(災害弱者)」(高齢者・障がい者・子ども・妊産婦・在日外国人etc.)という広範な対象をひとくくりした概念が、常に相手の活動には、はみだしてしまう部分があり、それが無関係として先方の関心を削いでしまうのだ。拒否されないかという不安…。

ミス・マッチングはもうひとつある。「わーく」の例でいえば、「おくすり手帳QRコード版」の話だ。この提案は「災害弱者」全体の生活保健医療に資するものだ。ところが障がい者の課題からすると、防災ということ自身が受け止めがちがう。重度心身障害児者、特に移動困難な障がい者には必要性が伝わるが、下肢に困難がない精神障がい・知的障がい・発達障がい・聴覚障がいの方々は、健常者の災害危機への無関心と重なったり、地域からの支援への不信任・自前で相互扶助を意識ということになると、被災対策自身が無縁なものに見えてしまうという温度差がある。だから関係を直感的にひとこと添えることにしている。

今回は地域包括支援センターや、訪問看護センター・基幹病院等を7箇所巡回した。そのうちのひとつで、知人に出会った。彼はその場で懇話会ニュースに目を通し、呆れて言った。失敗談を流すことで、なおさら関係を悪化させてしまう。自殺行為だという。しかし私は、たしかに事務連絡的な企画紹介を載せて終わりとはしない。先方が興味を持ったら、ちょっとつまんでみる。有益かどうかという判断は、結局先方が共通課題について自主探索するところにつながっていかない。ずっと外野だ。それが虚しい。「この指とまれ」方式は破綻しているのが現状だが、見世物小屋ではないというところが動かねば、懇話会自体がなりたたない。ケア関係者という共通項の専門職への訴えだから、判断を求めるということがあっていいと思うのだ。

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朝夕寒い!使い捨てカイロを路上生活者に配布した。しかし、当たり前の問題に気付かされた。相手がいない。寒さで避難しているのだ。わかっている避難所2ヶ所にいた古株二人に、彼の分だけ手渡した。これは山谷の支援のとき、風邪の薬を撒いたとき、その薬を仲間内から集めて、売りつけるという貧困ならではの悪事に遭遇した経験があるあからだ。必要量以上は渡さないという悲しいが実践的判断なのだ。効率が悪かった。テント村には火がある。早々に引き上げた。

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鶴嶺高校ボラ塾の実践の際のスナップ写真が送られてきた。企画が環境が整わないために破綻した虚しさ。塩を摺りこまれたような気分になった。授業は成り立っていなかったのだ。この事務的なやり方。事態が伝わっていないやりきれなさに、がっかりする。数ヶ月準備してきたことが、コンセント位置・装置機器の不ぞろい・室内の衣類の散乱などひどいものだったのだ。機器は動かなかった。それなのに、配布資料を写したような感想文とスナップ写真。これはない。

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NHKの「あの日 わたしは」5分間の経験記録シリーズで、東松島市の高校生・小山綾さんの番組を観た。当時は中学生だったのだろう。被災した学校の中で被災当日の夜を過ごす。大人達が対策に奔走している中、幼児を膝に乗せ子守りを行った。本人も不安と動揺の中にあり痛々しさを感じるのだが、同時に大人を自由にするという行動、これがロー・ティーンズに求められる。ぎりぎりの判断、役割発見だったのだろう。単純な話し合いの際の思いつきではなく、とっさの実践判断であるという価値がある。

また同じシリーズで、岩沼市のコミュニティFMのMC吉田愛子さんは、刻々と変わる状況と持ち込まれる諸情報を判断し放送していくことで、コミュニティFMの役割を知って行く。そしてFMは地域情報としてリスナーがいる活動であることが明かされる。面白い。コミュニティの活性化の状況を知ることができる番組。

このふたつ、貴重だと思う。

 

夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)

 

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1/24 少しづつ事は進んで行く/2月金曜災害ミニ・カフェ予定 他

2016-01-25 05:18:44 | 地震津波災害ボランティア

2016/01/24 記
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寒い。離れの時計が止まってしまった。電池劣化だが、気温が下がると発電効率が下がり、こういう異変が起きる。明日、使い捨てカイロの路上生活者への配布を行う。

橋本の対面学習のうちのひとりと、彼のバイト先の海老名で合流。彼は4月から専門学校生となる予定。海老名の相模線は歩道橋で結ばれているが中心地から離れている。そのせいかホームも寒かった。

びんの洗浄会社からアスペ氏(29歳)の作業体験OKの報があって、来月から通勤が始まる。町田からの通いとなるが、彼は騒音に弱い。その辺の事情は人事課に伝えてある。かれにも海老名に来てもらう約束だったが、現れなかった。連絡法が固定電話しかないので、留守なら話が通らない。不安を感じたが夜、約束の時間帯呼び出されてもうひとりの就労支援者宅にいたという。同社の社員でもある。安心していいのやら。

金曜災害ミニカフェ2月予定が決まった。

●NHKスペシャル「震度7 何が生死を分けたのか ~埋もれたデータ 21年目の真実~」
●「ガンジー和尚の聴くチカラ」シリーズ

前者は阪神淡路大震災の被災者分布の話。後者は被災者訪問傾聴のトレーニングの話題。後者が微妙。

認知症カフェの公開情報が入ってきた。防災との関係ではないので、地域取り組み探りの糸口がないかチェック中。

<注目している新刊書籍>

●「マイナンバーが日本を壊す 知のトレッキング叢書」
●「災害復興からの介護システム・イノベーション

夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)

 

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1/23 長生きは孤立することなのか 他

2016-01-24 06:13:10 | 地震津波災害ボランティア

2016/01/23 記
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気仙沼と石巻双方の訪問問い合わせに応答があった。気仙沼の方は、ゲストで地元を離れることができる状態ではないとのこと。一方神戸の方は、担当者の方の応答がまだない。月曜まで待って電話する予定。

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母が危篤の友人に会いにいくから、一緒にきてくれと言い出し、有居予定変更して、母を善行の施設まで連れて行った。古い知り合いである。心筋梗塞の発作を起こし、一昨日病院で治療を受けて、看護可能の施設まで戻ってきていた。息子さんひとりの家族で、葬儀となったら手伝いたいと昨夜語っていたのだった。発作はこの2年間で五回起きている。有料老人ホームから始まり、入院を挟んで次々と施設をたらいまわしされ、ホスピス風の看護シニアホームに来ていた。

個室の中で、前回は酸素がかかっていた。ところが今回は、個室の中でラジオがかかり、ミトンで抑制された老いた女性が焦点のない眼差しで天井を眺めていた。様子が前回より回復しているかのように見えた。変調を訴えようにもナースコールがない。ラジオの音で、少々の声ではかき消されてしまう。様子を聞くときに、容体が急変した際、当人が看護師にどう連絡をとればいいのかと聞いた。認知症を起こしており、そういう訴えを自己表現できないから、頻繁に覘いていると応答があった。だったらラジオ音は大きすぎないかと私。音を低くする看護師。

今は「危篤」という状態ではない。息子さんに電話してみる。急場はしのげたが、長いことないのではないかという。

駅前で息子さんと話す。もともと関西人なので、親族はみな関西にいる。仕事に都合がついたら、関西の施設に移そうと思っているとのこと。体力、持つかなぁとのこと。

母がやけを起こしていた。近くの友人をみな奪うつもりなのと、私に怒りをぶつけてきた。長生きするものじゃないねと小田急の車内で声を荒げた。東京の知人は足腰が悪くなった。車椅子出会うのかと母は問う。何も言えなかった。母が懸命に携帯電話を勧めていた方は、携帯をいやがって固定電話があるから携帯は不要と言っているうちに、パーキンソン病を患い、2階の自室からひとりで降りてこられなくなった。こうして1階玄関の固定電話に出られなくなった。子機を持たせろと同居の嫁さんに言うが、わからない機械はいっさい拒否するという。しかもその電話は、既に子機があって、それは書斎で使っているという。子機は複数台接続可能だというが、この嫁さんも子機複数台接続可能という話が通じない。こんなことだらけだ。

母はiPadを使い始めた。しかし相手の世代が違いすぎて少々気に入らない様子。

久々に白ワインを買った。夜の仕事をするから酒は1年に数回、ビールをコップ一杯飲む程度だ。お清めといいつつ、母と食事を摂る。健康の大事さを味わう一日。

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異様に疲れた。夜間傾聴待機終了前だがここで終わる。

夜間傾聴>開店休業

(校正1回目済み)

 

 

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1/22 金曜災害ミニカフェ「Tomorrow『あの日、音のない世界で』」を観て 他

2016-01-23 05:09:31 | 地震津波災害ボランティア

2016/01/22 記
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金曜災害ミニ・カフェを行ってきた。

●「Tomorrow『あの日、音のない世界で』」

である。避難した避難所の中では、利用者の秩序を守る約束事が決められていく。ところがそれは、ろう者を意識していない声を使った対話で決められたもの。ろう者にそれは伝わらない。その為に、物資配給や水の使用の取り決め破りの非常識人として、レッテルが貼られてしまう。その行き違いに本人が気付き、自分が耳が聞こえない者であると、プラカードやチラシを作って健常者に伝えることで、村八分寸前の状況を脱する。親切な方が現れ、状況説明をしてくれるようになる。

しかし釈然としないものが残る。なぜ問題発生時に、彼女に声をかける者がいなかったのか。なぜ眉をひそめて彼女から距離を取るのか。なぜ彼女は規則をまもらないのかと考える前に、集団の規律破りと発想するのかという疑問である。

仮に彼女が場の雰囲気を察知しなかったら、どうなっていただろう。いじめの温床・極限としての成敗(村八分)がそこに見える気がしてならない。「規則だから守るのが当たり前」の論理には、自主判断の陥穽が見える。

いくら状況を親切に説明してくれても、常時行動を共にしているのではない限り、場の理解にはズレが生じる。それが原因で集団のなかに第二の問題が発生したとき、集団は「障がいがあるなら注意して状況をつかむ努力をすべきだ」という論理を持ち出さないだろうか。ろう者とつきあうという自分を問うことなく、困難を抱えるものの努力を求めてはいまいか。親切にしてくれた方は沈黙するのではないか。そういう悪夢がちらつくのは、悲観論者なのだろうか。

番組は、ろう者の立場改善に取り組むろう者代表が、普段地域の健常者との交流を積極的に行っておくべきという持論から、地域の防災訓練に参加する。しかし説明はすべて声で行われ、ろう者がいることに気がつかない。1時間ほどして帰ろうかと考えたが、運営委員と消防署員に、ろう者であることを伝えて、やっと配慮してくれるようになった。

しかし、それでも消防署員は話し続けて、運営委員の仲介筆談に任せてしまう。人工呼吸のテンポを伝えるのに、離れたところから手を叩いて、テンポを目で確認とれるようになったのは前進だが、彼が思ったことは、「ろう者が被災傷病者を救助する場面もありうる」と感じたこと。このとき、周囲の協力をどうとったらいいのだろうと考えていたという。

番組はさらに変わり、手話を拡げる活動に、知り合いの輪をひろげて、楽しそうに練習している場面が出てくる。そして地域のコミュニティの中に、障がいを持った方のコミュニティが積極的に関わる必要性をのべて番組が終わる。これもまた唐突な気がする。多様性を認める健常者への発想の転換は、日常的な接触を通して相互理解を深めるべきというところに話を落としたいのだろうが、なぜ今まで交流が育たなかったのだろうと問うことはないのか。「世間に迷惑をかけない」・「規則は守るのが『当たり前』」という「常識」が破れるとき、集団制裁をしたり、無視して切り捨てる「常識」が頭をもたげる危険、自主判断をすり抜ける心のネグレクトというざわめきが起きたまま番組は終了した。

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包括支援センターと訪問看護センターまわりを続けている。今日は2箇所で終了。今回の訪問看護センターは、私の祖母と父の看護をお願いした方の所属するところだ。残念なことにお留守だったが、私のことは通じているところなので、話を聞いてもらえた。発災時の救急病院のパンクという事態は、考えなければならないし、高齢看護師も頑張らなくてはならないだろうねえと語っていらした。読んでくれているのがわかって、感謝した。包括支援センターの方は、顔を覚えてくださった方がいらして、会議中だが後で必ず読みますと言ってくれた。今回はちょっと嬉しかった。

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橋本の対面個別授業は、私が高速バス愛好者であることを気遣ってくれた。運転手の後ろが一番安全なのだと教えてくれた。来年度に入ったら、石巻にいってみるかと言ったが、応答はにぶかった。引きこもりの心の棘がまだ疼いているのだ。

しかし、寒い。飲み食いすれば糖尿病の血糖値があがる。前回A1Cが悪かった。しょうもないなと、白湯を抱えている。


夜間傾聴:開店休業中

(校正2回目済み)

 

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1/21 「懇話会ニュース」と「わーくNo.61」をもって東海道線海側をまわった

2016-01-22 05:47:39 | 地震津波災害ボランティア

2016/01/21 記
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「懇話会ニュース」と「わーく」を今日も巡回配布した。茅ヶ崎市内東海道線の海側を中心に回った。車があれば一時間位で終わるが、片目の網膜色素変性症で運転する車は凶器だ。路線バスを乗り継ぎ、地域包括支援センターや、訪問看護ステーションボラセンを回った。12月に懇話会予定のニュースをもって回った時に、説明させてもらった方と全く会えない。「何でしょうか」と問われては、どうしようもなかった。

戦争騒ぎになっておらず、事務所待機や電話番の方がいるところでは、説明のやり直しをさせてもらった。ある包括支援センターでは、何で包括支援センターが防災をやるのですかという問いが返されて戸惑ってしまった。アルバイトの方なのだろう。
高齢者の方を救出するのは、消防署と町内会だというのだ。発災時の人命救助と医療搬送、要援護者の安全確保と避難補助は確かに直接、包括支援センターは出てこない。しかし避難所に入ったときから、役割は出てくる。問題は防災が安全避難一辺倒で理解されていることだ。

訪問看護ステーションでは、「いりません」と返されることがあった。市の指示に従って動くので、民間が、とやかくいうことではないというのだ。これはプロ意識が強い組織ほど、自主判断を危険視する傾向がある。システムの中で動くという意識が強く、現に体験してきた大震災の経験は、上層部が検討することという理由で、ニュースを見ないというのだ。

前号を持っていて良かったのだ。前号には懇話会が招待した方々の一覧表が載っていた。活動の概要が見えたからだ。なんとか捨てないで一読してもらうところまで説得が成功したが、次回からは、訪問の必要がないので、ポストに入れるようにと、感想という自主判断を放棄することは変わりなかった。これは訪問看護ステーションに限ったことではなく、組織がデパートのように様々な機能施設を抱えている組織もまた自主判断停止の対応が強い。その組織の城内でことが済んでしまうので、城壁の外の声は届かない。虚しいが可能性は汲み尽していきたい。

懇話会の失敗談など文章化すべきではない。次の企画を載せればいいというのが普通だろう。しかしそれでは、懇話会が求める考え続けるケア関係者の支援は、いつになっても一般講演と代わらない。巣穴で口を開けて親鳥を待つ幼鳥のように、新規の情報をつまみ食いするだけのよそ事人間を増殖させるだけだ。今後の企画の改善点を搾り出す意味で、搾る作業が次回懇話会まで、読者に預け放置するのは、結局は具体思考が育たないことになってしまうと思うのだ。

だから書く、ひとに寄りかからず、収斂していく方向を暗示するエピソードを、プライバシーを傷つけない範囲で、書くべきと判断している。

<<購入した書籍>>
●「南海トラフ地震」(岩波新書)


夜間傾聴>ふたり

(校正1回目済み)

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1/20 懇話会ニュースと「わーく」紙配達開始…しかし厄日だなあと…

2016-01-21 05:53:39 | 地震津波災害ボランティア

2016/01/20 記
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ビッグイシュー誌、配布開始。
「わーくNo.61」
「懇話会ニュースNo.016」
の配布を続ける。

とにかく配布時間帯が16時を過ぎると先方が急がしく、話が出来ない。配布時間帯は案外短い。今回、地域包括支援センターは、電話番のアルバイトの子のようで、事情から初めてのように全部話さないと、受け取ってくれなかったり、出口に向かう際、振り向くと内容を見ずにゴミ箱に入れようとしており、思わず制止することも。要の部分を伝えて渡さねば、全てが無駄になる。話が通じる人が、今回はすべて席をはずしていた。

個人宅は留守、夕闇の中、地下道入口で翔の会の**さんとすれ違った。またいつもの調子。右側からすれ違って見えないのだ。雰囲気を感じ振り返ると**さんだった。また誤解が拡がる。このブログを見ている方と、市障害福祉課の何人か以外は私の目の障がいを知らない。悪い方向に転がるのは速いものだから、弁解無用。自分のやるべき仕事を貫く以外ない。

ともあれ今日は厄日と諦めた。

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前回のゲスト峯本佳世子氏から頂いた著書「地震災害と高齢者福祉―阪神淡路と東日本大震災の経験から」を茅ヶ崎市図書館・神奈川県立図書館・県立保健福祉大附図書館に寄贈したが、登録が済んでいた。ご利用下さい。要は第5章、それ以降に注目。第1・2章は沿革なので、そこで折れると肝に至らない。第5章から読むことをお勧めする。

峯本氏が紹介していた「減災福祉コミュニティ(DWAT)」の議論の中で、「ひよどり台防災福祉コミュニティ」(神戸市)・「東京都板橋区の住民防災組織」の比較の資料を手がかりに、「コンパクトシティと災害弱者保護機能」の話を調べている。出てくるのは発災時対応の話ばかりで、避難生活の生活医療福祉システム像が見えてこない。障がい者像も四肢障外の身体障がい者ばかりで、発達障がいや精神障がい、傷病・病弱者等の支援構想似論及する資料がなかなか見当たらない。これは発災時対応が防災ボランティアの議論とばかり、矮小化されているからだ。

障がい者の活動は、同一障がいの当事者と家族の結束で被災を乗り越えてきた経過と、民生委員が中心となって、登録障がい者の救出と包括支援という道が、一向に進まない事態も、この地域のコミュニティと被災当事者のコミュニティとの齟齬に阻まれている。発災時の救出対応の速さや、医療へとつなぐ力を考えれば、必要性という範囲で、地域の住民連携は必要となる。しかし、認知症高齢者を含み地域住民のコミュニティは寛容ではなく、ここに道筋をいかにひいていくかという問題意識は、ケア関係者の中間支援者的センスの持ち主の想像力にかかっている。

この意味で「コンパクトシティ」は、解決力のある構想とは思えない。歩行困難や寝たきりという身体状態の高齢者以外は、収まりきれないのだ。先方の応答があれば、来週この「ひよどり台防災福祉コミュニティ」主導者と会ってくる。また障がい者・単身高齢者を含む生活福祉交流拠点としての「コミュニティ・サロン(カフェ)」が成り立つのか現場情報の手がかりを掴んでくる。

実は石巻についても、災害公営住宅の様子見があり、神戸の応答が鈍かったら、石巻か仙台(医療関係と自閉症親の会関係)を探ってくる。金欠ゆえ期間も開けねば実現できないが、ともあれ、今回の懇話会の轍を踏まないように、現場を感じるゲストを招待する。ここ数日のメール応答が山。

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明け方、就寝時から日の出後1時間ほど、寒さに布団の中で眠れず凍えていた。よりによって、生協の灯油配達日で9時前に起こされて、午前中は冬眠入りかけの熊みたいな状態となった。古い日本家屋は寒い。今夜は毛布を一枚増やしたが、ふと路上生活者たちのことを思った。今夜、また残りのホカロンの配達をしてくるつもりだ。

夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)

 

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1/19 懇話会ニュース印刷完了

2016-01-20 05:17:37 | 地震津波災害ボランティア

2016/01/19 記
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「懇話会ニュースNo016」を印刷。内容は前日のブログと助詞チェックで引っかかった部分の修正の文面。配布は明日から。

ビッグイシューを横浜の販売員さんから買ってきた。懇話会ニュース配布と一緒に提供する予定。

兵庫県の県社協と連絡を取った。少し話す時間があって、長期医療・生活支援の災害ボランティアの存在チェックを依頼するものの、先方は安全避難後1年程度の支援イメージしかないことに困った。若い方なので、訪問支援があることはご存知だが話が東日本大震災になってしまい、阪神淡路大震災のイメージが、被災家族と心のケア関係者の活動のようなニュアンスなのは、仕方がないのだろうか。訊ねても無駄のように感じられる。パス。当時の医療関係者と接点が作れないか探索、難航中。

糖尿病定期診断。A1C悪化。夜食が影響か。

夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)

 

 

 

 

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1/18 「懇話会ニュース No.016」β版 を作りました

2016-01-19 05:54:51 | 地震津波災害ボランティア

2016/01/18 記
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懇話会ニュースNo.016 β版を作った。ご覧下さい。校正後、印刷配布します。

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<<懇話会ニュース No.016 β版>>

●昨年12/21、西宮から阪神淡路大震災後の被災地をめぐり、地域サポートによる高齢者福祉活動を行ってきた社会政策の研究者・峯本佳世子氏を招待した。峯本氏は東日本大震災後の被災高齢者の支援を行いつつ、都市型災害と言われる阪神・淡路大震災の高齢者福祉の状況と比較をしながら、被災21年となる兵庫県沿岸被災地の高齢者地域コミュニティ包摂支援を考え続けて来た。21年間の自治体行政と地域包括支援センターによる地域ケアを見直す仕事をされてきた。

●懇話会では、故・黒田裕子氏から、災害公営住宅の単身被災高齢者が、民間借り上げ公営住宅の期限から、住宅を追われるなど20年経っても、被災問題は終わっていないこと。孤立死急増の実情を伝えてもらっていた。都市型災害の20年、長丁場を支えるボランティア活動は、どのような活動を行ってきたか、神戸市のいう「防災福祉コミュニティ」や「コンパクト・シティ形成」による災害弱者の地域包摂などの地域行政の試みを、たどりなおしてみることを、峯本氏にお願いした。私たちは現場ケア関係者の体験紹介を重視する立場であるが、ふたつの大震災を20年という長いスパンで、一度鳥瞰してみるというステップを踏んだのだった。

●峯本氏は自著「地震災害と高齢者福祉」において、「減災福祉コミュニティ」を地域包括支援センターを中心に置いた形成プランを構想しつつ、阪神/淡路大震災の20年の事例紹介を交えた提案を準備されていた。ただ、障がい者の地域支援については、整理しきれていないことを語られていた。実は、懇話会への招待のため、湘南の各施設・関係行政課を歩いていて、ひんやりとしたものを感じていた。それが今回、懇話会参加者の減少という形で現れ、冷や汗をかくという状況となった。

●後日、峯本氏へのお詫びがてら、この件についてメールでお話させていただいた。高齢者支援というとどの家庭も抱える道として、地域包摂の課題は語られるが、障がい者関連団体との空転はどこにあるのかということだった。障がい者の場合、日常生活において「世間の迷惑」という異物視・差別観が強く、地域社会は決して微笑んでくれるものではない。ここで地域コミュニティと言っても、その重荷を背負わされたまま、必要性だけで地域包摂を語っても、そこにリアリティを感じないのは、当たり前ではないか。だからこそ、同じ困難を持つ当事者とその家族は、自前の結束で事に当ってきた。その溝が今回の巡回や、当日の懇話会にも現れていたのだろうということだった。

●しかし、懇話会は被災時、避難生活の運営をケア関係者に委ねられて、陸前高田では市職員の自殺まで追い込まれる事態が発生している。東北の特養に至っては、介護職員が集まらず、空きベッドと職員の過剰負担が生まれる事態が続いている。阪神淡路大震災の場合も、被災障がい者支援と言っても、被災時負傷によって身体障がい者となった方をさしていたりと、災害時要援護者支援は、ケア関係者の課題として論じられている。その轍を踏まぬために、民間の地域協力者・地域支援者をどう育て、連携を生み出して行くのかということを、現場経験を鍵にして探っていこうという試みの価値はあると信じている。

●だから「講演」ではなく「懇談」なのだが、全体を鳥瞰してみるという企画は、理解を得られなかった。しかし初めて某市議さんが覘いてくださった。自分の疑問を持ち込み懇談の果実を持ち帰っていただくというスタンスの会である。その価値を認めていただける方なら、どなたにも開かれている。ただ問いかけの内容次第で、懇談は浅くも深くもなる。無責任に聞こえるかもしれないか、ご利用願うものだ。

●今月の末か、2月初め、私は神戸・西宮または石巻を訪問し、障がい者団体と地元行政担当者に会って、4月の懇話会ゲストをお願いして回る。今回は、避難生活を半壊自宅で過ごしたり、通所施設の被災などで、孤立する障がい者の被災経験を紹介していただける方、特に地域関連行政担当者(当時)に行政支援を探っていければと思っている。

●今回、峯本氏から自著「地震災害と高齢者福祉」を参加者資料用として頂いた。参加者に1冊づつ、市立図書館・県立図書館・県立保健福祉大図書館に各1冊を寄贈したので、ご利用下さい。

----- ここまで -----

夜間傾聴:開店休業

(校正1回目済み)

 

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1/17 センター試験と阪神淡路大震災21年 他

2016-01-18 05:36:42 | 地震津波災害ボランティア

2016/01/17 記
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阪神・淡路大震災から21年、式典に出た奈良県内高校教員の友人からメールが届き、帰宅した彼と電話で話した。彼は式典参加が2回目。東日本大震災で災害に関心を持ったので、前は4年前だという。高齢者は、その頃からも比率が高かったが、いわゆる学生世代が減ったような気がするという。孫連れの家族もいるが、企画を支える若い連中なる眼差しで、捜して見ているせいだろうかという。

センター試験も重なっているしなというが、大学生には関係あるまい。朝、宅配便に起こされて、昼食(朝食)もそこそこにメールをチェック。退職した相模大野校の方から、私が担当した子は、順調な仕上がりで、全員、試験を受けているという。短気な子がいたので、少々気になっていた。既に私は部外者だから、深く話すわけにいかないが…という綱渡りの話だった。

JR相模原の塾生は、塾長の奥さんが付き添っていった。

今年もまた、センター試験と教室2つと、対面指導2件とぞろ目で通り過ぎた。今のところ波乱なし。

「わーくNo.61」を200部刷って明日から配布しようとしたら、雪が降ってくると言う。出鼻をくじかれた感じだ。

郵送分を投函してきた。日が落ちると小雨が降り出し、寒くなった。

明日は悪天候でも、ビッグイシューの新号受け取りに行かねばというところ。

「震災復興学―阪神・淡路20年の歩みと東日本大震災の教訓」を拡大読書機にスキャン取り込み作業を終えて、時間切れ。

夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)

 

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1/16 「わーくNo.61」のp.1&2 <<阪神淡路大震災から21年・ティーンズの都市型災害に学ぶ>>他

2016-01-17 06:03:10 | 地震津波災害ボランティア

2016/01/16 記
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「わーくNo.61」の3ページのβ版。以下、1・2ページの原稿。


------ ここから -------

p.1(Top Page)<<阪神淡路大震災から21年・ティーンズの都市型災害に学ぶ/被災要援護者支援-被災障がい児者と家族の協力支援->>

●阪神・淡路大震災から災害ボランティアをしていて、なぜ自分が災害ボランティアを行っているのかを考えるときがある。いろいろな人生があって、それが有無を言わさず生活を破壊され命さえ終了させられる不条理がある。義憤ではなく、哀れみでもない。ただ自分はその敵に折れることはないという自分に対する自己表明があって、被災現場には同じ敵に曝されているひとがおり、生身のひととの接点が生まれているから参加していくのだと思う。響き合える出会いを求めているのだなと活動の鏡像を見つめている。

●新しい年が始まり、21年前の神戸のことを思い出す。震災と火災が中心の都市型災害だった。この頃は、飛田が自営半フリースクールっぽい塾を経営しており、塾内にミニFMの放送局を持っており、神戸被災地のミニFMと連絡を取っていた。被災地から欲しい物資や、東京南部に集められた物資を神戸に送る際、行政をを中継しない分配を神戸のミニFMに考えてもらった。物資が滞留しない利点があった。中学生達には現地に行くのは重かったけれど、手紙のメッセージを放送に乗せることはできた。ここでは支援が届かない災害弱者への細々としていても、独立支援ルートを作りたかった。

●有珠山噴火のときは、虻田町役場と虻田中に、ミニFMの会場内放送機を送り、地元の電気屋さんに技術相談をお願いした。また被災地から火山灰を送ってもらい、鎌倉の知人と飛田宅を中継点にして、火山灰を全国の学校教員に託した。有珠山噴火の授業を先生にアレンジしておこなってもらうためだ。全国400教室で授業が行われ、生徒にひとつまみの火山灰が届けられた。話は広がったけれど、被災者の肉声が紹介される情報が載せにくい難点があった。

●そして今回の東日本大震災では、災害弱者と接点を持てる活動の形を摸索しているが、被災障がい者・高齢者との中高生からの支援スタイルを探ること(ミニFM・火山灰に代わる在宅避難者支援や、子守り活動等)、医療・生活等ケア専門職の外周協力支援の形を探ることを進めている。勿論、陸前高田・大船渡への情報交流は継続して行く。つまり、今年も安全避難ではなく、避難生活にスポットを当てた活動を生み出して活きたいと思っている。懇話会の勉強会にもその視点で参加する。金曜災害ミニカフェも50回を迎えるが、被災地を歩く活動を年1回以上行いたい。現地の知人作りである。

(図版)「本年もよろしくおねがい致します」

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p.2<<(連載)個人医療情報QRカードの検討 020>>

【「マイナンバーカード」の生活情報機能を凍結し、「おうすり手帳QRカード」を(3)】

 

★災害時の傷病者は、大混乱の病院・救護所に集められる。医療関係者は自分の家族も被災している厳しい状況下、長時間治療にあたる。この発災時の混乱にボランティアが関わりうるのは、静岡県などで試みられている「市民トリアージ」だろう。応急処置後では、「おくすり手帳QRコード版」をめぐる諸支援がある。

★「おくすり手帳QRコード版カード」は、「マイ・ナンバーカード」と違い、集中管理を行わない。「マイ・ナンバーカード」の副次機能のように、1枚のカードのなかに、深いプライバシーに関わる情報を集中させるような危険極まりない、履歴謄本でパンを買うような発想はない。あくまで自己管理のもとに、災害対策と健康管理のための「おくすり手帳」よりコンパクトなカードなのだ。身元情報・病歴情報・服薬中の処方箋(薬品名)・健康保険証No.・通院中病院名と担当医名と連絡
先・備忘録(アレルギー・献体意志の有無・臓器提供意志の有無等)をQRコード化して携帯する。治療活動潤滑化・電子カルテ作成促進・身元確認がその役割となる。傷病のため意識のない方・乳幼児・認知症発症者・障がいのため言語の自己表現が出来ない方・死者は特にカード携帯は意味を持つ。

★応急処置後、患者の身元確認を済ませ、必要な薬品名や看護上注意すべき病歴やアレルギーなどのチェック・医療不足情報確認ルート確認・カルテ作成等の情報源になる。また、避難所
にあっては、弁当等給食のアレルギー管理や、入所時留意点(オムツ要不要・体調管理留意点・家族の安否情報)に使われる。これは「マイナンバー・カード」で言われる納税状態・本人証明・特定健診受診状態等、行政の管理上必要な機能を集めた行政の管理情報収集迅速化と異なり、被災保身用の「おくすり手帳」だ。記載情報は医者と病院カルテ・薬局の薬剤指導管理以外には情報コピーをしないというQRコードシール運営を行う。薬剤名更新のためだ。

★「QRカード」は、携帯アプリで読み取りする。ICカードのように、専用のカードリーダーが不要で看護師や医師が携帯で読み取り、院内ネット内へのメール発信を行うことで、カルテを迅速に作ることができる。テキストエディタで編集可能な「カンマ区切り」データで送れば、エクセルなど表計算ソフトに入力可能だ。
(つづく)

------ ここまで -------

センター試験が始まった。JR相模原の塾には受験者がわずかだが、教材屋情報の方が入ってくる。一日中デスク・ワーク。合間に「わーくNo.o61」を仕上げた。おいしい、お茶が切れた。通販のお茶が届くまで、結果的「お茶絶ち」。

橋本の対面指導を日送り。月曜日で大丈夫か。


夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)

 

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