2010/10/20 記
--------------
昨日、県の図書館は休館日だったが、県生涯学習センターは休み無し。しかし貸し出しシステムが止まっていたので、再度借りる書籍は期限切れもあって、また横浜まで出かけて更新する、まったく疲れた展開となっていた。
母は藤沢の中古和服をあさったり、知り合いの居る店に行って、久々に羽を伸ばしていた。私は出掛けに、昔、救援に入った子と同じ体験をしていた。辻堂駅でパスモのチャージをするために、スーツ姿の青年の後ろに並んでいた。その男性は切符を買うと、ホームから聞こえてきた電車の到着音に焦って改札を駆け抜けていったのだが、何ということか、切符自販機から千円のおつりが残っていたのだった。私は自分のチャージする千円を用意し、その千円札を駅員に届けるために引き抜いたときだった。40代後半の私の後ろにいた男性が、私の腕をつかんで盗むんじゃないよとねじりあげようとした。駅員に届けるのだから、いい加減なことをいうなと声を荒げて手を振り払ってにらみ合った。失礼な。
私はチャージを済ませ、その男性と改札駅員のところに行って千円札を渡し、事情を説明した。男性はそれを信じず、盗もうとしていたと主張。論拠を示せと私。駅員が間に入って、まあ今回は許してあげなさいよと言ったので、私に火がついた。濡れ衣である。自分の前の人が金を残して去って、自分の番になったらその場を避けよというのかと反論。盗みのレッテルを貼って、今度は駅員が上塗りとは許さない。侮辱であると言った。駅長が駅員を謝らせて、双方の連絡先をメモして驚いた。市立病院の職員だった。その課の課長は私の古い友人だった。電話しろと指示し、課長に私の身元確認をするように言った。掌を返すように彼は謝ったが、私には、盗人と思われたことの屈辱感が残った。服装で人を見る。反論する気力がなかったら、私は盗人にされていた。
これとよく似たことが、私の昔担当していた吃音の子に起きていた。IQがボーダーの子で、図体は大きく身なりを構わなかった。スーパーのレジの前の客が小銭入れをレジ前に置き忘れて行った。その子はレジ係にその小銭入れを渡すために手に取った。そのときに客が戻ってきて、彼をスリだと言い出した。反論できないまま、彼は店の事務室まで連れて行かれて、強引に座らされたので暴れた。警備員に押さえ込まれて、交番から巡査がやってきた。彼は必死で私を呼んだ。
なんとも、彼と同じ体験をするとは思っても見なかった。恥かしい話だが、私たちの日常には、こうした偶然の負の連鎖がある。これに持ちこたえるのには、心の力、気力がいる。心身に障碍を抱える者にはどれほどの負担だろうかと思う。この手の話はホームレスの場合はかならずあるはずだ。この連鎖する無責任は差別というべきだろう。
横浜からの帰り、母と藤沢の改札口で合流した。母と食事をしていても、つかまれた手と押し伏せようとするわからず屋の顔が脳裏を離れなかった。これは烙印。絶対に加害者になるまいとした唇をかんだ。母が怪訝な顔をしてみていたが、私は彼のとき偉そうに周辺をなじり、彼はだまってそれを見ていたが、彼が望んだ私はそういう私だったのだろうか。今になって疑問が湧いている。もう20年は経っている。そんな鈍感さに気付く体験だった。
夜間傾聴:□□君(仮名)
(校正2回目済み)
--------------
昨日、県の図書館は休館日だったが、県生涯学習センターは休み無し。しかし貸し出しシステムが止まっていたので、再度借りる書籍は期限切れもあって、また横浜まで出かけて更新する、まったく疲れた展開となっていた。
母は藤沢の中古和服をあさったり、知り合いの居る店に行って、久々に羽を伸ばしていた。私は出掛けに、昔、救援に入った子と同じ体験をしていた。辻堂駅でパスモのチャージをするために、スーツ姿の青年の後ろに並んでいた。その男性は切符を買うと、ホームから聞こえてきた電車の到着音に焦って改札を駆け抜けていったのだが、何ということか、切符自販機から千円のおつりが残っていたのだった。私は自分のチャージする千円を用意し、その千円札を駅員に届けるために引き抜いたときだった。40代後半の私の後ろにいた男性が、私の腕をつかんで盗むんじゃないよとねじりあげようとした。駅員に届けるのだから、いい加減なことをいうなと声を荒げて手を振り払ってにらみ合った。失礼な。
私はチャージを済ませ、その男性と改札駅員のところに行って千円札を渡し、事情を説明した。男性はそれを信じず、盗もうとしていたと主張。論拠を示せと私。駅員が間に入って、まあ今回は許してあげなさいよと言ったので、私に火がついた。濡れ衣である。自分の前の人が金を残して去って、自分の番になったらその場を避けよというのかと反論。盗みのレッテルを貼って、今度は駅員が上塗りとは許さない。侮辱であると言った。駅長が駅員を謝らせて、双方の連絡先をメモして驚いた。市立病院の職員だった。その課の課長は私の古い友人だった。電話しろと指示し、課長に私の身元確認をするように言った。掌を返すように彼は謝ったが、私には、盗人と思われたことの屈辱感が残った。服装で人を見る。反論する気力がなかったら、私は盗人にされていた。
これとよく似たことが、私の昔担当していた吃音の子に起きていた。IQがボーダーの子で、図体は大きく身なりを構わなかった。スーパーのレジの前の客が小銭入れをレジ前に置き忘れて行った。その子はレジ係にその小銭入れを渡すために手に取った。そのときに客が戻ってきて、彼をスリだと言い出した。反論できないまま、彼は店の事務室まで連れて行かれて、強引に座らされたので暴れた。警備員に押さえ込まれて、交番から巡査がやってきた。彼は必死で私を呼んだ。
なんとも、彼と同じ体験をするとは思っても見なかった。恥かしい話だが、私たちの日常には、こうした偶然の負の連鎖がある。これに持ちこたえるのには、心の力、気力がいる。心身に障碍を抱える者にはどれほどの負担だろうかと思う。この手の話はホームレスの場合はかならずあるはずだ。この連鎖する無責任は差別というべきだろう。
横浜からの帰り、母と藤沢の改札口で合流した。母と食事をしていても、つかまれた手と押し伏せようとするわからず屋の顔が脳裏を離れなかった。これは烙印。絶対に加害者になるまいとした唇をかんだ。母が怪訝な顔をしてみていたが、私は彼のとき偉そうに周辺をなじり、彼はだまってそれを見ていたが、彼が望んだ私はそういう私だったのだろうか。今になって疑問が湧いている。もう20年は経っている。そんな鈍感さに気付く体験だった。
夜間傾聴:□□君(仮名)
(校正2回目済み)
私も辻堂駅を毎日利用してますが、辻堂駅の駅員は概して対応がサービス業にあるまじき言動をしますよ。
まるで乗せてやってるみたいな……
こういう胡座をかいた態度がこの駅のイメージを悪くしていくんでしょうね…