湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネの地域学習活動・就労支援活動の実践試行を書き溜めていきます。

7/25・26 ゆうちょ銀行口座への送金法の混乱が続き/夏期講習一応講師を

2010-07-28 06:43:07 | 引きこもり
2010/07/25 記
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湘南あすなろ会がワンコイン基金を作ることになって、従来の口座を公開することになった。ところがその口座番号をめぐって、混乱が起きてしまった。それは口座が総合口座なので、ふたつの口座番号を持つことによるものだった。

もとをたどれば、小泉分割民営化によって、郵便貯金が「ゆうちょ銀行」になったことに始まっている。従来の郵便貯金形式の5+8桁の番号を銀行形式の3+7桁に直さなければならないことに始まっていた。

ひとつの口座が
 ゆうちょ銀行間取引の5+8桁

 一般銀行・信金・農協からの送金の3+7桁

この2種類が併存することから、ゆうちょ銀行総合口座は2種類の番号を持つことになった。

まずこの2つの口座番号という事態に混乱のもとがあった。次にゆうちょ銀行に開設した口座が総合口座なので、当座預金とは様子が違うということ。

さらに困ったことに通帳を一度磁気破損していて、通帳を新規に直す際に、店番の280の後に「-2」という番号が通帳に加えられ、キャッシュカードと番号が違っていたことだった。

この最後の件は、振込用紙にでてくる1桁の部分は、「銀行化」する際に、必要としない番号となって、機械では読みとっていないというのだ。この隙間を、通帳更新回数記録「-2」(回目)に利用しており、ここはキャッシュカードの番号の方が正しいという。

では公開時に、どう載せるのかと局に問うと、1桁部は「空欄にして下さい」という応答を得た。さらに混乱が深まってしまった。どう公表すればいいのかと更に問うと、「普通 5+8桁」とすればいいのだという。

「他行からの送金受け入れ口座への変換」

要は総合口座では「他者現金送金>口座」がそのままでは出来ず、他行からの口座宛も手数料が高いという問題。振替口座をもうひとつ開くか、振替口座に変更するかの必要がある。後者の場合は他行からの送金が出来なくなる。

未だ便りに載せる番号は定まっていない。とんでもないところで、問題がおきている。しかし送金手数料が銀行によってかなり違うことを知らなかった。ゆうちょ銀行との相性がいい銀行もあるようだ。

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夏期講習、初めて小学生を担当する。私が塾を開いていた頃は小学生が中心だったから違和感は無いが昔の話だ。白髪爺ィとなれば関係が変わる。相手もマスコミ話は遠慮している。野球もサッカーも通じないだろうとあれこれ心配りしているのが面白い。事実正しいのだが、彼らも苦労している。

しかし私の担当クラスは本来Aさんという専任が切り盛りしているクラスで、学校のいじめや、傷病のため同一歩調を取れなくなった子が多いクラスでは、越学年のキャッチアップが主になるので、本題にはいると様子が変わってくる。課題のエピソードや見方の話に変わってくると、わかれば突っ込んでくる。逆に未だ学習の状態ではない子も混じる。その拒絶の状態も個別の話しかけの中で、状態をつかんでいく。無理に学習に引き込まない。反発が出るので、今日もある子の猛烈な反発にあった。変則TT(チームティーチング)なので、学生バイトの**さんが、しゃがみこんで寄り添っているので、なんとなくハイテンションにならずに、話をしてきた。

後半はいつもの中高生+αのキャッチアップクラスである。おにぎり持参。いびつな自作を持っていくと、奥さんがいたのかと驚いている。うるさいなあと追い払うと、やっぱなあ…と応答。彼はクラスにいないで、私が内緒で食べる事務室になぜか入り込んでくる。枝豆を奪ってはビールがあればなあと残念がる、いちおう成人である。

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グルメシティ城山店とか、光が丘店、ジャスコ茅ヶ崎店あたりが、私の出没する帰りに買い物するスーパーなのだが、深夜買い物袋を両脇に抱えた爺ぃが電車に乗っているご同輩は、まず見かけない。

小学生はこの時間帯うろうろしていないから大丈夫なのだが、中高生は「いる」。つかまると、バスや電車に乗り遅れると、茅ヶ崎・辻堂からの終バスに乗り遅れる悲劇が待っているので、彼らには私は江ノ島に住んでいるなどと嘘をついている。行ったことのあるところなので遠方と了解してくれる。

相模線を使うことが多いので、深夜買い物袋を抱えた白髪爺ぃが、車内で眼鏡を額にかけて本を読んでいたら、まず私である。ときにはポメラをつかってメール原稿を書いている。

今はtwitter 関連の本を読んでいる。「わーく」画像放送の外延のコミュニティの絵を描いている。

昨夜は、きょうされんのパンフを読んで、せんべいによる起業事例に線を引いていた。私は以前、せんべいを使ったカフェ型相談室兼起業工房を考えていた。菓子の煎餅ではなく、煎餅汁というかα米茶漬けというか、その素材になるような煎餅である。かながわ生協の会誌に、突然その煎餅が最近表紙を飾った。煎餅喫茶提案当時は、障がい者に煎餅起業は無理という合唱が起こってしまい、醤油煎餅のレッテルにあしらわれて、遂行できなかった。

しかし本書を読んで、醤油煎餅の実例があるとは、少々驚いた。

●「教えます、仕事おこし―障害のある人が主人公の商品開発 (KSブックレット) 」

ともあれ、深夜洗濯機に向かっている。無事帰宅。明日は、母に付き添い北里東病院に検査と受診である。なんとも悠長な休みだらけの夏期講習だ。チームのA君、ごめんなさい。


夜間傾聴:□□君(仮名)


(校正2回目済み)

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7/24 父が老健のベッドから落下し/夏期講習初日は冷や汗かきどおしのまま

2010-07-26 10:03:57 | 引きこもり
私の夏期講習前期初日、20時からの授業。

昼から出鼻をくじかれる。父の老健の看護師さんからの緊張した電話。

父が朝ベッドから落下。全身尿でびしょ濡れの状態なので処置したけれど、異常がないか様子を見ているが、片手を触るとふり払ってしまう。くじいていないか心配なので、隣の病院に移送しますとの電話。

私にとって見ると、あれほど状態を言っておいたのにと、あまり驚きも無い。父は一日何回も落ちていた。父は毛布などを巻きつけたままベッドを降りる癖がある。不思議なほどに、自分の身体状況に無頓着。落ちるのは、ひとりでベッドからポータブルトイレに移ろうとして、足が交差したまま、簀巻きのまま尻餅をつくのが定番。ときには立ち上がろうとして、周囲に手を伸ばし、姿勢を崩して毛布ごと転倒というときもある。父の居室の床は柔らかくしてあるが、老健はフローリング。だから立ち上がらないように、ベッド近くに手を伸ばすところを作らないようにと伝えてあった。この3週間、口論はやってくださったが、父が勝手に立ち上がらなかったことが異常なのだ。地が出てきたのだ。

看護師は、大きな異常があるとき、家族に連絡してくる。目的は露骨に言えば、家族の立会いが可能なら、責任分散のために呼び出すのが目的。しかし、これから一日何回も父は落ちる。そのつど尻餅で呼び出されてはかなわないというのが実感だ。早速逆に状況を確認してみた。父の片手とは、麻痺している側の手ではないかと問う。父は麻痺側の手を触ると怒る。介護者の手を振り払う。

案の定、麻痺側の手だった。半身不随が進んできていることを承知しているかと問うとさすがにそれはわかっていたが、程度や癖まで情報共有していなかった。骨折の可能性はあるのかとの問いには、その可能性は低い。毛布を巻いて下に落ちたという状態で、立って転倒したのではないという。

それならば、私は27日には老健に行くことになっているので、今回はそちらに行きません、異常があったら教えてくださいと伝えて電話を切った。

そこまでは、よかった(?)のだ。しばらくして病院の看護師さんから電話が入った。別のひとである。ベッドから落ちたので検査をしています。ご家族が立ち会ってくださいというのだった。前の電話の後なのでさすがにまずい状況かと、老健隣の病院に駆けつけた。自宅では母が緊張して着替えをはじめたのを抑えて、母を家に待機させていた。

病院にいくと、父は検査を終えて老健に戻っているという。事務所手続きを早足でパスしてエレベーターで上階へ。父は集合スペースのTVの前で居眠りをしていた。

わざわざありがとうございますと、フロア責任者。父は便を漏らしていた。宿便があるので、排泄時、持病の切れ痔がおきて出血していた。これも情報提供してあったことだ。

経過がわかってきた。父は慢性便秘症である。便が出たくなってひとりで起きようとし、毛布を巻いたままベッドから尻餅をついた。立ち上がれずに失禁。痔が切れた。

これは毎週繰返されていたことなのだと、責任者に伝え、ケアマネさん交えての話のとき、プロフィールは伝えてあること、今日は異常があれば再度連絡をと言ってあったので、病院から連絡があったので来たのだと伝えた。要は、フロア担当者は出血があったので念のため病院に移送した。ところが病院の看護師が、連絡のお節介をしたというのが経過。

27日は、入所調整の相談日。4人部屋ではダメかという話だったのだろうと思っていた。こちらからは、呼び出しの件で、話す課題が増えた。

確かに対応は親切であり細かいのだが、頻繁に呼び出されては何のために入所させたのかがわからなくなる。母に電話して「警戒警報解除」と、空襲もどきの冗談で伝えて一件落着。

自宅に帰ると、母の若い頃からの友人グループが来ていた。皆で大磯に行った帰りなのだと言う。父の様子がおかしいと聞いて、みんなで見舞いにでるところだったという。母と同年齢。ひとりは腰痛で前傾が始まっている、もうひとりは内臓疾患で退院して1ヶ月経っていない。大磯ロングビーチだろうが、炎天下、こんなグループを徒歩で連れ歩く気にはなれない。無茶。

とにかく、私の電話が水際ストップをかけたのだった。授業の下準備に気が気ではない私に、「駅まで送れ」の指令が出て、招かざる客全員をタクシーに乗せて、手早くおばさん軍団を改札口まで押し出した。客のために中華予約をしたのを取り消すのは悪いという母に乗せられて、近くの中華家庭料理の店でともあれ食事。母を交通危険箇所を通過させて、とにかくバスに飛び乗った。授業前30分着の契約、10分遅刻だった。

炎天下の危険なおばさん軍団に母を送るなというどこかで聞いたことのある話をして、授業初日は始まった。寒いジョークに対し、一部受けしただけだった。

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揚げナス味噌いためは、糖尿病者にはハイカロリー過ぎ。翌日は焼き魚を予定。ダイエー湘南台店の深夜営業で滑り込みの食材買い物。深夜は買い物袋を下げているのは私だけ。いつもの調子で辻堂から01系統最終バスに乗ろうとして失敗。歩いて自宅へ。帰り途中の買い物は無理。


夜間傾聴:*******君(仮名)
     橋本2君(仮名)



(校正2回目済み)

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7/23 昨日は湘南あすなろ会の総会でした/父の入所先の老健にて

2010-07-25 11:58:49 | 引きこもり
2010/07/23 記
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蒸し暑い日が続いている。父が入所後約2週間は各階の職員ステーションの隣の部屋で生活していた。それも無難に過ぎて、現在は4人部屋の一角に入っている。個室または2人部屋という要望を老健に出していたが、4人部屋大丈夫との職員判断で2人部屋待機の形となって、様子見が続いていた。父は認知症フロアに属しているが、極めて中途半端な存在となっている。他の入所者さんと比較して経度であり、まだらボケの状態なので、職員さんとの日常会話は十分できる。だが奇異な行動が時々起こるし、因果律に混乱がある。身体症状を無視した徘徊などの行動を起こしては身体機能が追いつかず転倒する。

このため、身体的な困難の方のフロアではハードルが高いし、認知症フロアでは入所者間の交流が空転してしまう。ということで、私の父向けの声かけに留意した個別プログラムが組まれていた。留意点程度のものであるが、その微調整の件で私が老健に行き、ケアマネさんを含むフロア担当者の方と話し合う日になっていた。

この日は湘南あすなろ会総会がある日だったが、時間的に15時開始だったので変更しなかった。あすなろ会の総会が1週間先送りとなったので重なったのだが、私の不手際でもらえた時間と言ってもよかった。

老健のエレベータ脇には、平塚七夕の見物に入所者さんが車椅子で繰り出した様子がスナップ集のような壁新聞となって貼られていた。一般フロアの方だろうか、にこやかな表情の方が6~7人写っており、その車椅子ひとつひとつに職員さんか家族・ボランティアの方か判別は出来なかったが、しっかり付き添っていた。父の入所が平塚七夕明けを指示されたのは、この行事があったからだったのだとわかった。しかしこの行事は雑踏の中を行くのだから大変だろうと思う。認知症の方の参加は無理かなと思われた。

父はいまだに緊張が解けないよそよそしさが残っていると指摘されていたので、若い頃を連想させるキーワードを教えてあった。今回はその試みの結果が報告される予定だった。

話は時々入所さんの立ち上がりや、排泄の身体サインに中断された。放置すると、おしめを取りはじめるという。父はぶちぼちではあるが、自分の過去を語り始めていた。ただ寝起きからしばらくは極めて機嫌が悪く、職員さんを困らせていた。一日の調子の起伏が大きい状態が続いていた。何のことは無い、地が出始めているのだなと思い、職員さんには悪いと思うのだが、逆に私は平坦な状態が続く父の方が異様に感じる。緊張という言葉が出ていたが、まもなく崩れ地が出てくる。その波をくぐれば、父はここを居場所にするだろうというようなことを偉そうに話して来た。一応、現段階通過である。

老健に行くときは、必ずにぎり寿司か鉄火巻を差し入れている。給食では生ものは出ない。食中毒を警戒しての処置だが、だから入所していると生ものが食べたくなるからだ。もともと魚が好きな父は、玄関ロビーの片隅で、両手に寿司をつまんで瞬時に食べてしまう。手をおしぼりで拭けなどという言葉は全く聞こえない。この父に子どもの頃から「しつけ」という身勝手に晒されて来た。その思いが棘のように父の寿司の世話をする際に突き刺さっている。心療的には和解の方向にアイスブレイクさせていくが、私はこの思いを制御できるうちは、棘のまま抱え込んでいこうと思っている。不登校や引きこもりの子たちの中に、深いところで見えない綱渡りをしている子がいる。そのセンサの感度だけは鈍らせたくないからだ。

ひとはどす黒い思念を抱えた存在として丸抱えすべきだと思っている。理想形から現実を裁いてはいけない。迷いつつ脱していく道を探る同伴者でありたい。

こんなことを思いつつ、茶を渡している私の心が見えたなら、父にはえらい迷惑だろうなと思う。共感の遮断が復讐なのかもしれない。しかし介護を避けようとは思わない。公私のふたつの顔以外にも、私という存在は二項対立の力動の中を動いていく。ひとは矛盾した存在なのだと思いつつ、急に空いたエレベータの中から、笑みを浮かべた職員さんが突然現れてどきりとした。どきりとした私にどきりとした職員さんが会釈しながらすれ違った。男である。

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朝、仕上げの原稿ファイルコピーを**さんに送ったコメントをいただいて、ネットプリントにファイルを送った。

相模原の市役所にFAXを送り、家を出て南林間で同僚と会う。調整を終えて平塚へ。夏期講習で出会う小学生の人数は数名。大きなクラスの担当にはなれない。急な欠勤の常習犯だからだ。この子たちは若手には荷が重い子達ばかりだ。学年は今回は2学年で済んだ。全員違っていると複数学級ではないが、一斉指導の場面がなかなか作れない。後半はキャッチアップ。学年など全く関係ないが一応大人だったり、中古の大人だから、落差が大きい。彼が今回も私のフォローをしてくれる。私を誘い込んだのに彼は若い。変な奴なのだ。

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平塚の駅構内で行きつけの店で食事を掻き込み、茅ヶ崎へ。父の汚れた衣類のバッグを抱えてサポセンに行くわけにも行かず、悪いと謝ってコインロッカーに入れた。帰りに回収して帰ればいい。

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ネットプリントでコンビニコピー機から配布資料をプリントアウト。A4版に縮小をかけてコピー。18時にサポセン到着。**さん、当事者の##さんなどレギュラーはすでに揃っていた。サポセンでコピーしていたら、準備不足をまた叱られるところだった。一応セーフ。

変更会則案・会の前年度経過資料・議案書・会計報告・会計出納補表がきっちり束にまとめられていた。非レギュラー会員が二人入って、なんとか総会の態は出来上がり、議事に沿って形式的にきちんと会は今年度方針を議決し終了した。

代表は、当事者&&さんから##さんに交代。
新規に副代表と広報が設けられ、それぞれ会計の一部を分担して、私が副代表、**さんが広報となった。

今回はビッグイシュー卸と販売の業務をはみ出して、地域の関連団体とのネットワーキングが軸になる。このとき、湘南あすなろ会の独自性というか従来のネットワークに加味する役割のような部分が、力量の関係からなかなか打ち出せなかった。しかし水曜日の定例会と街頭販売を定点に、開放性の高い活動を組んでいくことが大事なことなのだと思う。ワンコイン基金も始まることになったが、これが始まると小組織でも監査がいる。

秋は地元大学や高校の学祭・文化祭がある。そこでシンポを開かせてくれまいかと動き始めているが、これを進めることが議決された。若手が参加して欲しいと思う。

また正確には意見の摺り合わせが未熟だが、行政含みの懇談会の定例開催のリード役をすることも決まった。

8月14日(土)希望者で寿町の祭り見学に行くことに。詳細は未定。

舫(もやい)の見学会を秋口後半に実施。基本情報カードはペンディング。提案者の##さんの不調があるが、彼の出番を見失うまいと思う。

この人数で大げさと思うが、会則定款と役員、経過資料が整っていれば、公的支援の道が開ける。今回の総会でその土台が整った。

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夕食をまだ取っていないひとたちと取って散会。実はもうひと仕事待っていた。

コインロッカーから匂いの元バッグを取り出して、乗客数の少ない01系統のバスに乗って帰宅した。中はゴミ袋に詰め込んで匂い封じしてあるものの、それでも臭い。我が家での始末は、当分ないとはいえ、これを送ってくれる**さん夫妻の車に持ち込むことは出来なかった。

母は一日中外周している私に不機嫌である。ボトックス療法の後遺症で目を開けていられない状態では外出も引けてしまう。用事が足せないと言っても、総会を除いて公用である。冷蔵庫をかき回して、なんとか母の好みに合う料理を即製で作って出す。もうメールが携帯にどんどんと入って来るので、母が苛立っている。

洗濯・炊事をとにかく済ませて、私の部屋に避難した。明日夕方から、夏期講習である。明日は変則的な20時からの授業。私など消し飛んでしまいそうなハイティーンからおっさんまでの授業1コマである。

夜間傾聴:□□君(仮名)
     橋本2君(仮名)


(校正1回目済み)

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7/22 北里東病院に軟禁されていました

2010-07-24 16:55:12 | 引きこもり
2010/07/22 記
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朝から暑い。母に連れ添うのか、母に寝ぼけないように見張ってもらうのかよくわからない状態で、八時過ぎにバスに乗った。少し外れてはいるが、通勤通学時間帯に藤沢経由で小田急に乗るのは、まず席に座れないので、相模線ルートで原当麻までいくのなら、なんとか座席を確保できるだろうと狙って乗車。高校生だらけの車内、なんとか二人分の席を確保できた。ともかく日が当たろうと何をしようと、この時間は貴重。とにかく眠った。

原当麻からは、北里大学病院行きのバスの乗り継ぎが悪いのでタクシーで、北里東病院に到着。予約時間10分前に神経内科の外来に入った。

母の病は全身症状があるが、個々の専門科からは症状の名前がつくだけで、例えば神経眼科では「眼瞼けいれん」と診断された。対症療法として、油粒除去手術と並行してボトックス療法を試みて、まったく症状にあわずに副作用だけに悩ませられれいる。全体で起こっている胃切除後の変調を抱え込んでくれそうな科を探して、胃の手術を行った北里東病院に戻ってきた。ただあれこれの神経症状がちっているので、神経内科を受診しているのだ。前回の精密検査では脊椎の症状の疑いがあるものの、椎間板ヘルニアではなかったし、恐れていた骨髄への癌の転移も認められなかった。地元医では不定愁訴と捕らえて、軽い向精神薬を飲まされて眠らされてしまうのが落ちだった。しかし、突発的ではあれ、嘔吐、眼の異物感と疲労時の痛み、視力低下とかすみ。浮遊感、歩行不安定化、足の運びの異常、食欲低下、体重激減、集中力の低下、日常活動の失敗頻度激増という具合に、もしも父の介護を続けていたら、大きな破綻が待っている状態になっていた。日中平常時と夜間発症時の落差もあって、受診時は症状が治まっている場合も多かった。

前回、心療内科や、精神科への転科を進めれるほどに、検査の結果は年相応と判断されたが、疲れたとき突然始まる四肢の激しいこむら返りは、明らかになんらかの異常があった。今回は方策を練る場でもあったが、私には母の症状が胃切除後の後遺症にいくつかが当てはまるので、対策を練って欲しいと思っていたのだが、専門医の沽券(これを意識する人にろくなひとがいない。)にかけて原因を探ろうとしているのだった。東洋医学なら対症療法に徹するところだろうが、彼の言葉に後遺症の可能性を考える言葉はなかった。

神経系統、脳神経系をしらみつぶしにしていく方策を提示された。整形外科に脊椎の意見をもらうということで、このあと午後に整形外科の診察と4時間も間が空いて局部MRI撮影の予約が2箇所入っていた。丸一日の病院缶詰である。精神科に振られるよりは可能性があるが、整形外科はなにやら苦し紛れに見えて仕方なかった。

神経内科受診終了直前に、胃切除後遺症の可能性はないか医師に聞いた。医師は虚を突かれたような沈黙の間があって、消化器科もみてもらいましょうかと私に聞いた。母が手術を受けたのは「消化器外科」。しかしすでに2年もたっているのは、食事を取れずに体力が落ちて、いままで押さえ込んできた諸症状が表面化してきたという仮説の上にたっていた。ならば「外科」ではなく「内科」の領域ではないかと考え、「消化器内科」ではないですかと医師に疑問を返した。医師は「消化器外科」で手術を受けたのだから「消化器外科」でみてもらいましょうと紹介状を書きはじめた。

こうして午後は整形外科の診察と検査の合間に、もうひとつっ消化器外科が入ることになった。大きな病の前兆の可能性はなくなっていたものの、慢性疾患に対して、たらいまわしと飛び石診療が繰り返されるのには、うんざりしていた。もう一ヵ月半経とうとしているからだった。新しい科、新しい病院に回れば、また一から類似の検査が繰り返され、散財していく。データを持ち込んでも、同じことが繰り返されるのは、患者の生き血を吸われている思いがあった。正直言えば、母がこのまま寝込めば、父の入所でやっと得た自由時間を社会活動に振り向けようと考えていただけに、私としても、そう繰り返すことの出来る時間のたくわえは無くなってしまう。母が介護で私の残りの時間をつぶさないでと父に詰め寄った感覚に似ていた。

早めの昼食を軽くとって、午後一番の整形外科を受診、連続して消化器外科を受診、その後、MRI撮影まで時間が空く。その時間帯、相模大野にでようと話をしていた。私の本拠地ではあるが、私なら地域図書館で時間をつぶすが、本が読めない眼の症状が出ている母を図書館に連れて行くわけにもいかず、足の調子の悪い困難が加わったら、遠くに連れまわすわけにもいかなかった。ましてや、診療の間に作業をやる予定でPCを持ち込んでいたから、母ひとりで退屈しのぎをしてもらう必要があった。

整形外科では経過を伝えるだけで診察が終わってしまった。局部MRI撮影の結果待ちということになった。消化器外科は困惑していた。下部(腸)の専門相談日なので胃の方の専門医がいないというのだった。しぶる窓口の口調を利用して、消化器内科の領域ではないかとつっついたので、窓口の事務員は神経内科に連絡を取ったが、結局、消化器外科で診察ということになった。

消化器外科の診察は明快だった。二年も経って出てくる後遺症はないから、診察する必要が無いというものだった。後遺症なら足に以上が出るわけが無いというものだった。めまいで歩けなくなることだってあるし、それは整形外科領域ではないし、胃切除後の治療書籍には歩行困難がめまいとの関連で明示されており、逃げたなと直感していた。

切除後、まもなく症状が出て何年も続くなら後遺症だが、二年も後遺症が無くて突然始まるのは、胃切除とは関係ない別の病気ということですかと医師に質問。続けてダンピングが1年半経って、体力が消耗してきた時点で始まったのは、これも胃切除後遺症とは関係ないのですかと質問。

医師の発言がにごり、後遺症ではないとは言い切れないにせよ、消化器外科の領域ではありませんと言葉をさえぎった。ダンピングは消化器外科の領域ではないというのですねと私が言って、診察が終わった。

母には消化器外科では後遺症ではないってさと伝えつつ、慢性疾患へのままこ送りに正直言って苛立っていた。

午後の熱気の中、母を外に連れ出した。北里大の前の通りは上下線ともひどい渋滞を起こしていた。どうしたものかなと思っているところに「小田急相模原駅行」のバスが来たので究極の選択ではあるが、北里東病院のわき道にすぐに入る路線なので乗ってしまった。小田急相模原君(仮名)と会うときも、いつも出会う喫茶店に苦労する駅前は都市計画の無い歓楽街である。飲み屋はあってもまともな飲食店が無い。だから究極の選択といったのだが、文句の多い母を連れ出す場ではなかった。固形燃料で金属皿を炊くカツ煮はいつまで待っても沸騰せず、玉子を入れられないまま固形燃料は消えてしまった。店員に指示して暖めてもらったが、すみませんのひとこともなく、カツはボール紙に衣がついていたと母は大半を残してしまった。私のザルも、持ち上げると麺玉が丸ごとついてきた。私達親子が近くに住んでいたら、私たちは飲食店の放火魔になっていたに違いなかった。(小田急相模原君は、ここからしばらくバスで、住人ではない。)いってみればわかる。

早めに病院に戻って私は地下の食堂で作業をし、母は飽きたら外来で眠る算段をしてくれと別れた。ところが食券販売機脇をみて驚いた。ラストオーダー15時半、閉店16時とあるのだ。最後の撮影が18時。それではと敷地内レストランにと移動したが閉店時間は同じだった。十数分歩かないと近くに喫茶店がなかった。あと30分で追い出されるのかと、構内の飲食店利用をあきらめて、玄関ロビーで膝にPCを置いて作業を始めた。ところが数分経たないうちに事務員が飛んできて、院内の通信機器の使用は禁止ですと起こられてしまった。日は落ちてきたとはいえ外気はまさに熱気。こうしてPC作業のあがきは終わったのだった。食堂の16時閉店は誤算だった。

大きなバッグを抱えて、私は冷気の届かなくなった廊下の果てのMRI撮影待合所の椅子に横になった。これも5分と経たないうちに、「どうかしましたか」「具合が悪いのですか」という職員の話しかけで何度寝ても起こされてしまった。相手が次々変わるので、これは居眠り禁止かなと思いつつ、腕組しながらうたた寝に方針転換。やっと17時過ぎに、前の患者さんが来なかったのでと50分早い撮影となり、予定より40分早く病院を出ることができた。

私のように自由業もどきの人間でなければ、一日の通院は支えられないだろう。しかし、次の受診は26(月)である。うんざりしている。相模線で帰宅したが、これから食事を作っていたら、まったく作業に入れないと茅ヶ崎・大戸屋で食事。精神衛生上このげんなり感はよくないぞと母に語りつつ、一方でまな板の上の「かさご(鯛にあらず)」のような気分になっていたのだった。

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夜、母の騒動が始まった。疲れたのだろう、四肢のこむら返りと、下痢である。外食が合わなかったと母が言っていた。午前3時になろうとしていた。

ともあれ、あすなろ会の会計レポート、一応あがり、**さんにメール。明日は湘南あすなろ会の総会である。



夜間傾聴:□□君(仮名)


(校正1回目済み)
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7/21 泥縄の一日/書籍「AARPの挑戦~アメリカの巨大高齢者NPO」を発掘し

2010-07-23 11:10:55 | 引きこもり
2010/07/21 記
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市の市民自治推進課に期限遅れの申請書を持ち込んだ。**さんが対応してくださった。期限ものの遅れ常習犯の私を知っている方のひとりだ。黙って資料を受け取ってくださった。かえってまずかったなあと身が縮む。申請書には、今年度始めている当事者懇談路線(身の程と質の濃さを兼ね備えようとする、あがき路線)を反映した文言が入った。

帰宅前に母に連絡を入れた。桃が食べたいというので駅ビルで購入。帰ってみると母が桃をかじっていた。食べたいから買いに行ったという。こういうすれ違いが、父の入所後目立ってきた。電話の意図を計って欲しいのだが、父の介護の喧騒が、こうした行き違いを包み隠していたのだろう。

何か外食してくるだろうと、昨夜の飯は捨てたという。自分が食べたくないことを私に押し付けるなと瞬時思い、この暑い盛り、暑苦しい口論は嫌だと口ごもった。ともあれ、されば期限切れの細うどん玉をゆでて水洗。作り置きの梅ドレッシングをかけてあっさりと食べて、とにかく1時間仮眠。

母の夕食メニューを確認して、仕上げた夏期講習補助プリント印刷を学生バイトの##君に押し付けるメールを出して、家を出た。念のためコンビニのネットプリントのメモリスペースに、いくつかのファイルを入れておいた。先方で高解像度プリンターが順待ちのとき、待機を逃げられるからだ。我が家のプリンターでは再印刷すると画像部分が読み取れない。##君がいてよかったのだ。JR相模原では、教室に行って印刷作業をするのに、半日つぶすことになるからだ。

辻堂図書館に立ち寄って書籍更新。古い書籍だが「AARPの挑戦」日本労働者協同組合連合会の関連書籍で、当時のアメリカの高齢者巨大NPOの活動紹介の書。社会的企業の絵を描くとき、参考にと借りてきた。まだ社会的企業が日本国内で発想が広がっていないころの書なので、ヒントの拾い方に時差を意識しなければならないだろうが、ヨーロッパ圏とは違う本書がアメリカ訛りがあるか期待している。ただこれも夏期講習往復の車内読書のお楽しみ。が…眠ってしまうのが落ちだろうかとも。

今回は相模大野で23日の調整。高解像度プリントアウトと印刷。##君の塾の方は、ふた股自粛。学習相談屋をしてさすがに腹が減った。麻婆ナス丼かっこんで帰宅。

あすなろ会の会計レポートの督促がかかっていた。計画性の無い癖で、**さんにはいつも面倒をかけてしまうが、ともあれ一番厄介な、ビッグイシューの月別販売収支を表にまとめ何とかメールした。

明日は8時半から北里東病院で、母の神経内科と整形外科の受診とMRI検査が一日中ある。午後4時間弱間が開く。MRI予約の関係だ。映画を観させて時間をつぶさせるかと思って映画館検索して驚いた。相模大野・町田は駅から離れないと映画館が無いのだ。どうしたものかと思案中。私は地下の食堂を陣取ってPC作業をやる予定だが、母が邪魔をするに決まっているうえ、徘徊の常習犯だからだ。

生殺しのような時間をどうするか、なるようにしかならないと思考停止。数枚の不足している領収書類は探すのもあきらめた。どのみち大火事まっかっかなのである。あるものがしっかりとってあればいいと思って、とにかく持ち出すストックノートを入れたバッグを叩いた。

午前2時過ぎ。よりによって母がダンピングの嘔吐で起きてきた。セルベックスという胃壁コート剤がないかと家中探すのを頼まれた。医師の処方以外の薬を飲むのは、やめたほうがいいと注意したが、言っていうことを聞く親ではない。作業を中断し、薬さがしを手伝った。実は薬のある場所は知っていたのだが、胃壁刺激で逆流が起きているとは限らなかったから、場所を教えなかった。探していると、どんどん作表の手順記憶が飛んでしまう憂鬱。

なんとか作表を終えて**さんにメールで送った。怒られるわなと思いつつ、夜間傾聴レギュラーの□□君に添削FAXを送って終わり。いつもどおり夜が明けていた。8時まで後2時間半。仮眠。絶対原当麻ルートである。相模線なら座れる可能性が高い。


夜間傾聴:□□君(仮名)
     橋本2君(仮名)



(校正2回目済み)

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7/20 蒸し暑い朝、これから出かける前に

2010-07-22 13:31:52 | 引きこもり
2010/07/20 記
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これから市市民自治推進課に、遅れた申請書を持って謝りに行く。しょうもない話なのだが、調剤薬局に自分の薬を頼んで、携帯電話が入って、外で応答したら、もう薬のことを忘れて、「まぐろの切り落とし」を買って帰ってきてしまう、ボケをやっているような状態なので、「マイクロファイナンス」を読みながら財布を忘れて外出など朝飯前なのだ。ノイマン型の思考の方があっているのかなとも思う。

昨夜は母は安定していた。父のように起きられなくなるというような状態ではなく、ふらつきながら出かけてしまうような状態だが、嘔吐やめまいと歩行困難があって、反射的な行動が出来ないための事故や、めまいに座り込んでしまう事態が起きかねないので、付き添っている。食事の嗜好が極端になって、好き嫌いが激しくなり、目に見えて体力が落ちた。食えと言っても、したかかに、私にわからぬように残して捨ててしまう。

気温の感じ方は極端、母は寒いと言うが私は汗だくである。胃切除1年後に急に現れた現象。体力の減退が引き金になって、突然現れた。体重の激減と身長の縮み、食欲の減退の結果だった。それでも母は同世代の方と比較して薄着だという。炎天下、重ね着している高齢の方をみかけるが、母はそこまでは行っていない。

夜間傾聴が久々に長かった。先方に断りつつ、話をしながら作業をさせてもらった。緊急性が無いときは、お互いがかえって気が紛れ、話題も出来る。彼の孤独に連れ添うだけなのだが、たわいもない会話だが、それは重い意味を持っている。引き上げ終了が4時半、私の起床が8時半である。だから公開電話線はモジュラージャックを抜いてしまって眠る。

ところが夜間から捨てられない仇のようなゴミ捨てや、宅配便が結構午前中やってくる。だから、ぶつ切りの睡眠が常習化する。市市民自治推進課に書類を届けたら、帰宅してとにかく仮眠を取る。夏期講習が始まってしまえば、この仮眠がとれなくなる。

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父の入所している平塚の老健に昼前に電話を入れた。父が大人し過ぎるからだ。案の定、父は食事の量で担当者と悶着を起こしていた。あすなろ会の総会までは身動きできないから、23日の金曜日に謝りに行ってくる。

溜まっていたメールの中に、やはり父親の介護をしている方がいらして、入所させたが転勤になって、父親を連れて行くか問題になったのだと言う。特養から出して先方の特養を探すといっても、入所できるとは限らない。結局父親を置いて転勤したが、大学生の息子さんが独立して、アパートから電車で2時間かけて、時々様子を見に行っているという。お金に困っている方ではないが、ひとの介護のことはそれなりに、共通の悩みとなる。腸の弱い方なので、入院となれば転勤先に引き取ることになるのだろうかと自問されていた。田舎なので医療環境が整っていないというのだ。

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介護は女性の仕事という意識も何人かのメールには漂っている。老健に父親を預けている方は、老健を脱走しようとして、何回も水際逮捕されていて、酒が飲みたくなって抜け出すのだから、そっと酒を飲ませてやればいいと奥さんに酒を持たせようとして夫婦喧嘩となった話を聞いた。彼は老健を一度も訪ねたことがない。監視付きの別荘のように思っているので、一度は覘きに行けと応答した。私よりもひと世代若いのに、介護を男の恥と思っている。だから老健なんぞ妻が行けばいいという。恥もかけない男なんだとちょっかいメールを返した。ひとの価値を知らないのは、人間の恥だと私は思うのだが。怒ったか返事が来ない。

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今日は7/15の懇談会の報告を「わーく」の紙メディア版の原稿にまとめて、あすなろ会の会計領収書類の再点検。夜は**君に頼めない場合は、JR相模原に出て、補助プリントの印刷。問題は会計レポート。一度フォーマットが出来てしまえば、来年度からは少し楽になると言い聞かせつつ、開くたびに憂鬱になる。数字の向こうに、その時期の出来事が見えて脱線してしまうのだ。簿記事務は向いていないなとつくづく思う。

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朝の蒸し暑さに、ひとりエアコンを使っている母が、それでも起きてきた。母の朝食を準備して、これから脱出である。

佐野代表の著書、「ビッグイシューの挑戦」を茅ヶ崎図書館に寄贈する。館外貸出も来週になれば可能になるだろう。現時点で、藤沢・逗子・小田原・横須賀・厚木・大磯・平塚・秦野・横浜市立・川崎市立の各地域図書館に登録がある。今日は無理。暇見て持ち込む。

夜間傾聴:1件
     □□君(仮名)
     大森海岸君(仮名・こちらから。傾聴にあらず。)

(校正1回目済み)
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7/19 今年も夏期講習が始まる/知的障がいの方の熟達について

2010-07-21 15:41:43 | 引きこもり
2010/07/19 記
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夏期講習の最終打ち合わせが、私が契約している2社双方の教室で行われた。今年は母の通院が入っているので、基本は夜間。双方とも巡回を除いて23日から入れさせてもらった。父の入所騒動で臨時欠勤が多かったので、受験組の担当には入れなかった。母の現状はそれほど突発的なことはないだろうが、受診日に次の受診や検査が決まる状態で、先の予定が事前に決まらないため、臨時欠勤しないで済む夕方から夜間の時間帯を取った。その結果、前段に久々の小学生の時間帯が入った。これはこれで面白いのだが、私のように声の通らない者は結構苦労する。机間巡視を頻繁に使って越えていくが、コーラスをやっていたソプラノの**さんなどには及びもつかない。相模大野の方は大丈夫だが、JR相模原の方は日々教室まわりなので、駅前からバス、時間を注意していないと帰りのバスがなくなってしまう。以前、専任の車に南橋本まで送ってもらったことがあった。

8月4・5日が高卒認定試験である。今年は会場が地元だが、割り振りが明大和泉の担当になりそうで、4日が母の受診日なので断る交渉をしている。学生さんバイトも本当にいなくなる日程なので穴埋め出来ず、毎年難航する。

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湘南あすなろ会の会計レポートを手がけているが、父の入所騒動(5・6月)の余波が次々といまだに押し寄せてきて、家族構成が変わることの大きさを改めて感じている。私は問題集屋のときも締切前に混乱するので、ルーズであることは認めるが、今回も市の団体登録更新や学習カウンセラーの研修会の講師なのに通院のダブルブッキングをして顰蹙をかっている。市市民自治推進課の方は先ほど仕上がり、20日午前中に出せるようになったが、前の手書き書類が、特養パンフレットに挟まってひょっこりでてきた。これは母の仕業だが、茶の間の食卓は蒸発の名所、魔の空間でもあった。日付から、父の送り出し騒動当日だった。

書式をこれからサポセンでスキャンしてもらい、手書きの清書を行う。私は徒歩なので他の用と重ねて動かないと効率があがらない。辻堂図書館にビッグイシューを入れながら、更新。自分の糖尿病の主治医をまわって、サポセン、夕食の買いだしと母の分の下ごしらえして家を再び出る。今回は相模大野の会議の尻尾に参加し、最終コマの演習巡回を済ませて帰る。

作り置きしたニンジンの煮付けを思いながら、シュリーマンの志というマユツバの話を話す。変だけどねと話すが、なにそのオヤジという空転応答。まあいいかと思う。これがいつもの空振り指導。彼らも時に発作的に思い出すだろう。

15日の勝田俊一氏の懇談会の記憶の断片が、通勤中や会議中に思い浮かんでくる。別のことを考えているのは、ぼんやりしているときの癖のようだ。

知的障がいの子たちは、仕事が熱心だ。彼らの仕事の指先が思い浮かんで、なんとも手先は能弁だと思う。DVDではダウン症の青年が丁寧に車を拭いていたが、それともちょっと違う効率的な洗練された動きがどのように養成されたか、発達の過程に思いが飛んでいく。

ベルトコンベアがあって、製品を小箱に詰めていく行程がDVD画像の中に入っていた。このシーンと、弁当のおかず詰めのシーンが重なった。ライン上流の仕事の結果を下流の作業につなげるという形は、障がい者の職場では見かけなくなった。一列に並んでいても全員が同じ小箱詰めを行っていて、仕上げた箱をベルトに乗せていく。つまり上流の結果を連結してはいない。だから煽られず自分の作業ペースを保てる。勿論ノルマはあるが。ところが弁当のおかず詰めは、自分のふところに弁当の皿がある間に、決まった量の食材を体裁よく入れ込まなくてはならない。同じベルトコンベア作業でも様子が違うのだ。

この作業をしている方の眼差しを私は追った。

いずれ、15日の懇談会の総括を出すが、こうした集中した作業の画像が持つ意味は、引きこもり青年家族にどのような意味をもたらすだろう。忙しくなると、余計別のことを思ってしまう。これはいかんと、あすなろ会の方のレポートを今夜続きを清書していく。

サポセンの文庫に勝田さんからいただいた障がいを持つ子のためのガイドブックを寄贈。「発達障害を持つ人の就活ノート」を希望する予定。AMAZON在庫切れだからだ。


夜間傾聴:中央林間君(仮名・こちらから)

(校正2回目済み)

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7/18 鎌倉の野宿者パトロールに参加して

2010-07-19 15:16:17 | 引きこもり
2010/07/18 記
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茅ヶ崎市の市民団体登録更新がまだ済んでいないと通知が来た。父の入所先探しと、父の転倒騒ぎで息を継ぐ間もなかった5・6月の期間の出来事だった。完全に忘れていた。週明けに市市民自治推進課に持ち込まなければならなかった。月曜日の休日が嬉しい。あすなろ会の会計報告の書式書き直しもあって、憂鬱さは募った。父の入所が決まり、それ以前と比べれば比較にならない心のゆとりが取れるのだが、絶対時間のゆとりはまだ入所の余波に揺すられていた。

昨夜は、そんな状態の必要とはうらはらに、6月はじめに約束していた江ノ島・鎌倉の夜間パトロールを、この段階でキャンセルする気には、なれなかった。前回、辻堂の海浜公園周辺の砂防林パトロールに参加したので、私にとって今回は、その延長上の調査だった。終われば飛んで帰って作業に入ればいいと思っていた。結局バチがあたるのである。

母の夕食の下準備を終えて、父が元ご厄介になっていたホームに、父の山のような使い残しの紙パンツを使ってもらうことになっていた。デイサービス送迎の無い土曜日、その紙パンツを回収にきてもらったのだが、母が決めた時間に母当人が外出してしまい、私の予定が中断されるという、中途半端な事態のやりとりを終えた。母が帰ってこないので携帯電話をかけた。携帯は母の部屋で鳴っていた。母はやがてぶらりと帰ってきて、出発時間が気が気ではない私と、また口論寸前となった。その時、父の宗教仲間のAさんが現れた。父の入所先を聞いて帰って行ったが、私だけではそう何回も父のいる老健を訪ねるわけにも行かないので、間の何回かは他の人が様子を観てきてくれると助かると思っていた。そう思いを伝えてAさんに訪問をお願いした。母はその会話の間に、さっさとベッドに潜り込んでしまった。母のトートバッグが足元に見えたので、茶の間に持っていって驚いた。母は鍵も持っていなかったのだ。私が出かけてしまったら、母は庭先で立ち往生するところだった。父のいない我が家の管理を改めて母と確認しなければならなかった。

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大船になんとか定時に到着したが、誰も来ない。10分過ぎた頃、以前会ったことのある方が眼に留まった。案の定パトロールの方で、他の方は遅刻すると連絡があったという。江ノ島なら帰りに藤沢経由で家に戻れる。ところが今回、私は鎌倉の班に入って欲しいとのことで、駅周辺のパトロールという事になった。現地合流者との約束時間も、すでに誰かが遅刻することを条件に組んであったことを知り、失笑した。

現地は3人の熟年女性が待っていた。鎌倉カトリック教会の信者さんたち。こういう活動は、宗教がらみではないとなかなか候補者がいないのかもしれない。しかし、大船で合流していた方の政治的立場調べにはうんざりした。私はもと過激派。今は意固地のおじさん。それでいいではないか。レッテル貼りは堪忍して欲しいのだ。しかしといっても、宗教団体の感覚は私の肌にあわない。隠微なファンクラブの匂いがするのだ。無所属ゲテモノおじさん2登場を期待していた私の予想は、あっけなく下ろされていた。ソロプチミストの会の会員さんもいるようで、社会階層が違う方かなとも思ったりしたが、まあ関係なし。

初めに生涯学習センターのロビーに集まって調整。そこに女性の路上の方が偶然登場。その方と話をした。パトロールの面々とは長年のお付き合いのようで、指示語の先がなにを意味しているのか、それが私にはわからない隠語のような会話を聞いていた。明らかに精神の病を抱えた方であって、行政の保護がどのようになっているのかが気になった。

センターを出て、生活保護を受け入居している元路上の高齢の方の御宅を訪問。訪問して孤立していないかチェックするというので、センター傍の本覚寺の境内を抜けた。このとき山門の扉止めの敷居に足を引っ掛け、私はもろに前に倒れてしまった。私は夜間の外出時、網膜色素変性症の鳥目症状を緩和するために、小さな懐中電灯や携帯のライトを使用する。急に影の部分を抜けると、影の中のものが全く見えないのだ。ところが今回、路上生活者の方を訪問するのに、懐中電灯を持ち歩くのは、照らしては失礼だからやめようと、意識的にバッグの奥に忍ばせていた。その結果が、無残な転倒だった。2000年末に粉砕骨折した右ひざも強く打ち付けてしまった。幸い内出血で済んだものの、翌日は紫色のアザが膝に拡がってしまった。痛みが無いことが幸いだった。

皆に気を使わせたので、私の両目は網膜色素変性症で、特にひどい右目は失明間近の状態にあると話したのがいけなかった。私は今度は老人扱いになってしまった。しょうもない話だが、山積する書類作りの間をそっと抜け出してくるから、バチが当たってしまったのだった。

訪問した御宅で、当事者さんと話をした。ここには定期的に訪問しているようで、鎌倉の野宿者が昔の海岸地区コロニーを解散後、定住者は高齢レギュラー化している状態があり、その総数は鎌倉駅近辺のわかっている範囲内で十名弱という話。

江ノ電側の鎌倉駅前で、黙り続ける路上生活者さんにチラシを渡して話。こうして呆気なく巡回は終わった。まだ稲村ヶ崎方向はパトロールがフォローし切れていないのだとのお話を常連支援者の方から伺って、大船で散会した。

アパートの方は、几帳面な方のようで、生活空間はきれいに片付いていた。私の部屋のパンフレット・書類と書籍山積みの部屋と比べれば、我が家はジャングルというか化け物屋敷に見える。女性の手による面倒が入っているなと、あちこちにその影も見える。外出が減れば、彼の生存確認のチャンスは失われる。独居の孤立死は最悪。路上の衰弱死よりも目に見えない危険な状態にあるという。彼は歓迎の茶と自慢の鉢植えを見せて私たちを楽しませてくれた。手を組み、嬉しそうな微笑が印象に残った。

江ノ島パトロールには、今回参加しなかったが、夏場、奥の岩屋参道のはずれに住んでいる方がいるそうで、夜間訪問は足元が危険で、出来ないとの話だった。

私は徐々に地元の野宿の方の顔を覚え始めた。中高年の方が圧倒的な湘南の状態は昔からの地方定着型そのものだった。都市部で起きている若年無業者の野宿化は、湘南各駅を通過するような形では見かけるが、まだ大きな変化にはなっていないようだ。

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作業しようと座ると両膝が飛び上がるほど痛い。うつ伏せは、メタボの腹が邪魔して苦しいのだが、なんとかこの姿勢で入力している。あと一日の勝負である。浜降祭、関係なしなり。


夜間傾聴:******君(仮名・こちらから)


(校正2回目済み)

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7/17 横浜の神経眼科への付き添いと副作用の件で医師との口論を

2010-07-19 11:26:34 | 引きこもり
2010/07/17 記
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母の神経眼科受診の付き添いで横浜へ。ボトックス治療の副作用が治まらない。顔を突然引きつらせて、その度に急に立ち止まってしまう。雑踏の中でこれをやれば、ひととぶつかってしまう。10日から3週間で効果が出て、3ヶ月ほど効果が続くといわれていた。この突発性の痛みと続く視界維持困難、特に字が読んでいられないうえ、歩行が障がいされる状態は、約1ヶ月間、母の行動を縛ってしまった。散歩のように外出はしていても、遠出は無理だった。

だから診察は、副作用の障害保証を回避しようとする医師と、なにも効果がなかったではないかという母との口論のような状態となった。母は悪いことばかりだったし、眼鏡を交換したら、近くを観るとき使っていた古い眼鏡が急につかえなくなった上、4度あがっても視界に大きな変化が無いと、初診を担当した論文を準備して、丸めて振り回して怒っていた医師が嘘をついていると主張した。

しかし、治療前からあった眼の中の異物感とふらつきは、治療で治ったのかというところから論点を押し出していないため、医師から感情論と突き放されてしまう。そこを私が母の援護射撃で補正するが、また母が壊してしまうという押し問答のようになっていた。医師からは、今考えられる最善の方法と居直られ、苦情を繰返す母を、医療訴訟の警戒だけになっているから、引き上げようと母をなだめて部屋を出た。施術には見事にその副作用対策の内容が書き込まれた同意書があり、そこにサインしていたからだった。訴訟に持ち込むかどうかは、これから相談すべきことで、感情をぶつける母の言葉を逆用されかねなかったからだ。

母は地下道は方向がわからないから嫌だと言い出したので、ぶらり駅前のターミナルを回り込んでジョイナスの地下に誘導。食事をさせて帰宅した。

私が注意したにも関わらず、干したままにしたシーツが夕闇の湿気を吸いなおし、そのことに母が八つ当たりするのを回避しながら、とにかく山積した巡回に、再び茅ヶ崎駅へと逃げ出した。橋本は10分遅れ。またかよと怒る橋本2君に両手を合わせて、いつもの指導に入らせてもらった。しょうもない話なのである。

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母は蛙がつぶされたような姿勢でうつ伏せになっていた。いつも上向きで寝ないといられないと訴えていたから、これは異常なのだった。胃のダンピングがあって座っているのが疲れたから、うつ伏せになったと母は説明していた。胃切除した方は大半の方が牛乳が飲めなくなる。その牛乳を飲んだのだと言う。父のように命に直結する危険行動ではない分、気が楽なのだがトイレの扉は開けっ放し、洗面所の蛇口から水滴がひっきりなしに漏れ落ちていた。これでは、やはり長時間ひとりにしておくのはどうかと思うのだ。

15日過ぎてからという作業が山積していた。帰りに買ってきた握り飯と即興で作った残り物の湯通しサラダで食事。糖尿病で逆に理由付けしているような食事で、母のほうはハイカロリーにしないと体力が持たない。地元医から経栄養の管を入れるかといわれたとの話に、やめてくれと応答した手前、料理に腐心している始末。露骨に好き嫌いが出るからだった。サツマイモとバターの裏ごしを作り置いたクレープ地に包んで、寝る前だからと少量食わせた。作り置いたアボガドサラダは食べたようだった。胃切除した者は、少量ずつ、一日中食べている食事法で栄養を取る。糖尿病では最悪の食事法。日に1~2回は私の担当となる食事。ただ父のときのように緊急事態ではないので、捕らわれるつもりはない。

非公開アドレスにメールの答が必要なものが50通を超えていた。ええい、ごめんなさいとばっさり20通を削った。応答が無い方ごめんなさい。

やっとひと区切りと…思いたい。

図書館の期限切れ督促にびっくり。忘れていた。


夜間傾聴:自由が丘夫妻
    (仮名・ブログを読んだらしい。ご心配かけ申し訳ない。)
     橋本2君(仮名)


(校正1回目済み)

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7/16 懇談会が無事済んだものの…

2010-07-19 05:22:23 | 引きこもり
2010/07/16 記
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懇談会が終わった。様々な問題を残したが、予想の20名弱の集まりを実現することが出来た。DVDを返送しながら、上映の価値があったかを自問していた。

今回の懇談会前にチラシを1800枚ほど流している。最終は昨日の横浜の青少年センターで行われた不登校・引きこもりサポート関係者の研修会への持ち込みだった。発達障がいの重なりのある子へのサポートを考える講演なのだが、茅ヶ崎・円蔵の新泉心のクリニック院長の朝倉新氏が行っていた。関係者と言っても家族ではない行政・学校関係のいわばプロの支援者達が中心。だからもどかしさはあったが、こちらにも配布をお願いした。だからこの間、いわゆる関係者には会は衆知のものになっている。しかし思いは家族には、なかなか届かないのだ。

懇談会は、組織動員の集まりとなった。今回はいわゆる軽度障がいの方と社会的困難を抱えた方などの、ボーダーの方を対象にした会なのだが、ここの層の様相は鵺の(ぬえ)のように得体が知れないところを持っている。多様な特徴を丸抱えしているので、一筋縄では定義できない難しさがある。この層の方々は規定の制度の狭間にある。

今回は参加者全員がつかみきれないもどかしさを感じただろう。ただこれから就労にお子さんが直面する若い世代の親御さんだけでなく、まさに渦中の親御さんや、繰り返しの失敗の泥沼に困り果てている方の親御さんも参加されていたので、障がい者就労の画像が、一般就労を重ねる親御さんにとって、つながりが見えにくかったと思う。特別支援校の先生方が開拓した職場は、地域の潜在化している軽度発達障がいや、社会的挫折を抱えた方の職場としても「優しい(理解のある)」職場である。こうした企業への就労の道を探った方がいいと思われる方もいる。今回のテーマは、その方への仲介の情報提供にもなっていた。

講師のサンシティひらつかの勝田氏も、従来の観客と層が違っているので戸惑ったかもしれない。多くの地域の支援者と、県や市や町の議員さん(3人)と親御さんたちだった。特別支援校を通した映像の本来の対象になるご家族は、2名。そんな関係なので、どこから何を絆として画像を結びつけたらいいのか、参加者の構成を意識しながらの手さぐりとなるのだ。

それが懇談時の発言停滞につながっていた。いくつか種火を提案したが、話の穂が継げない状態だった。情報提供という面でも、戸惑いが正直なところだったろう。それでも連続就労支援企画の口火を切った自負はある。

詳細は追って書き込むが、ともあれ報告を。

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懇談会を終えて、家に戻ってから、ベッドに横になっている母を連れて市立病院に行った。徳州会病院の方が近いのだが、母は眼科検査を市立病院で行った関係で診察券を持っていた。外来で事情を説明し、初診治療をしぶる医師を説得して、栄養剤の点滴とふらつき対策の薬を打ってもらった。タクシーで家に戻る途中、生協で買い物をすると母が言い出して。私は困惑した。不定愁訴に似た物言いを続けているので、ストレス症の様相が濃い気がする。

とにかく眠い。今回は沈没である。

夜間傾聴:緊急を要するもの以外中止。


(校正2回目済み)

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7/15 懇談会を前にして

2010-07-19 04:36:10 | 引きこもり
2010/07/15 記
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いよいよ懇談会が始まる。サンシティひらつか紹介の画像用のサムネイル資料を茅ヶ崎サポセンで印刷、「わーく号外」を仕上げ印刷。

母が不可解な電話が来たという。なんのことはない大森海岸君(仮名)が茅ヶ崎に来たので連絡してきたのだが、全く間が悪い。懇談会前日である。18時半からは、湘南あすなろ会の定例会もある。会計レポートがずさんと怒られているので、懇談会過ぎまで、とにかく待って欲しいと、修正を日延べしている最中である。とても定例会遅刻は出来ない。「君は間が悪い男だ」と、謝っているのだか居直っているのかわからない応答で、大森海岸君に今は会えないことを電話で謝った。彼も要領を得ない男で、母は間違い電話と勘違いしたと笑っていた。これがあるので、彼は営業職にはつかなかったのだ。

懇談会で上映する「輝く未来へ StepUp」の画像の見直しと、各企業の担当者の企業側からの採用基準の説明の要点メモを作った。すべてレポートを見ると1時間半は、かかってしまう。就労についてのイメージつくりに切り口を与えてくれる部分をピックアップした。

ANAケータリングサービスや、オリジン東秀の担当者さんは、生活支援的な部分を家族母親と連絡簿のような交換日誌によって、当人のコンディションを整えることを大事にしていることを語っていた。オリジン東秀では、就労を社会的自立支援活動なのだと語り、地域ネットワークで各人を支える大切さを代弁していた。大事な視点である。靴のちよだ(靴卸売りセンター)担当者さんの語りは、西久保店の担当者の語りと比較できて面白かった。靴のサイズや色、種類などを箱詰めすることで、箱の表示分類に作業を絞り込んだ。その結果、靴自身を見分けさせる課題の手がかりをつかんで成功した。靴に表示されているさまざまな属性を箱のラベル区分で単純化した。TEACCH風の作業行程表の導入など企業側の工夫はうまくフィットすれば、当人が生き生きと働くことが出来る。

こうした様々な企業のみどころをメモして、会場に提案できるように最終準備を整えた。読字書字障害(ディスレクシア)の青年の画像は企業側の説明がないと何が起きているのかが慣れない方にはよく理解できないだろう。きびきびと働いている青年の映像でしかないからだ。高齢者施設の清掃の場面では、就労後、仕事に対する価値が見えなくて、仕事がずさんになり、企業担当者の指導の結果、清掃の目的が見えるようになって、成長していく様子が語られる。障がいがあろうとなかろうと、当人は仕事の中で自分を成長させていく。ベッドメイクや、移動補助などの仕事に意欲を湧かせ、ヘルパー2級取得を目指しているという姿が映し出されている。

働くことによって、彼らは脱皮を遂げて行く。そのゲートが採用面談なのだ。「この程度の能力適性だから、この職を」という具合に入社面談にかけるのではない。特別支援校の進路担当者が高等部2年生の頃から職場実習を行い、その中で企業側との採用についての摺り合わせを行っている。

実習は当人の経験作りと適性見極めだけでなく、企業側の準備の場でもある。こうした準備段階を踏まえて就労に結び付けていくが、特別支援校の進路担当者は就労後もその子をめぐって、当事者の見守りは勿論、企業側の主に就労の土台の生活面や個性についての相談にも応じている。高等部卒業後3年間はフォローしている。企業側にも頼りにされている大変な役割である。中には作業の現場サポートをジョブコーチがつく方もいるが、ジョブコーチは当人の慣れを見極めて職場を段々離れていく。(フェイドアウト)しかし、こうした手厚い裏方サポートを経て、職場定着が行われていることは、手帳をもっていない方の親御さんはご存じないだろう。

こうしたサービスと比較して、ハローワーク通いや採用面談を自分で行わなければならない状況と比較すれば、就労レポートを観る意味がわからないと思う方も多いに違いない。中途からとは言え、こうしたサービスに乗るために、精神の手帳取得を通す方法もある。また、こうした障がい者就労に対し、インクルージョン(社会的包摂)の観点から、より柔らかな対応を準備している企業も現れている。その出会いをどこでどうセットするか、その辺を語って行きたいと思うのだ。

私の仕事は、進学補助なので就労支援はボランティアとなるが、就労の意味を踏まえていないと、専門学校や大学の学習も長続きしない。下手なアルバイトも逆に労働体験が不合理の山と感じ取って無業者(ニート)の道に迷い込んでしまう契機にもなる。その場面でも相談相手になる必要があるのだ。職業に目的を持たせると言ったとき、就業は、希望と目的があるから働くという発想は嘘が入っている。決定的には居場所と出番があるから、頼りにさせるから働くという人間関係的な現実のファクタをそこに入れ込まないと、能力主義的な陥穽が待っている。

果たして会にどれだけの方が参加してくださるか、正直不安でならないのだが、とにかく質の高いプレゼンを行いたいと思う。お願いした勝田氏の提案がどのように進行するかも即興に受けなければならない。どこまで今までの講演会を越えることが出来るか、うまく行くようにと念じている。

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湘南あすなろ会の定例会があった。

販売員の**さんが、平塚パトロールに参加した。平塚の状態についての報告をきいていた。今回はその当事者の方の状態の話はともかく、私たちがビッグシューの販売からはみだしていく試みだけに、参加に無理がないかということも話のひとつの基準になった。私は17日の土曜日に江ノ島・鎌倉パトロールに参加する。やり直し総会を前に、行動提案の準備が検討されたのだった。

茅ヶ崎市の社協の新聞「社協ちがさきNo.73」に販売員**君の取材記事が2段抜き記事で載った。あすなろ会のブログに紹介される。乞うご期待。

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母は神経内科からめまいの緩和薬をもらって服用し始めてから、四肢のこむら返りが減ったという。脳内血流増加の効き目があるという。身体の血流も増えているのかもしれない。ただ、だるさ、眠気を訴えており、意識的に昼間眠らずに起きているが、ボトックスの後遺症がひどく、突然顔を引きつらせて痛みに耐えている。横浜までいかなくては対応できないのかと悩んでいる。同一傷病は複数の医者にかかれない。保険の問題があるからだ。専門分野を大学病院が、日常の健康管理と治療を地元医がという分業は実質成り立たない。制度が後追いしている。身を引きつらせて座り込んでいる母をそのままにして置けないので、懇談会を終えてから、木曜日であるが地元病院に連れ出すことにした。足のふらつきがあるが、母は近場なら出歩いている。むしろ精神的な面、塞ぎこみを避けるための判断だ。専門科の狭間、統合的な診断を求めて神経内科に通ったのは、総合診療科(茅ヶ崎中央病院のような初期振り分け科ではなくて…。)が無いからだ。

ともあれ、午後から懇談会である。


夜間傾聴:□□君(仮名)
     橋本2君(仮名)


(校正1回目済み)

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7/14 一日中病院周りで過ぎていく

2010-07-18 19:07:02 | 引きこもり
2010/07/14 記
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とにかく一日中眠気との戦いの一日だった。茅ヶ崎までが20分、そこから原当麻まで1時間、タクシーに乗り継いで15分。1時間半では北里東病院にたどり着くことが出来ない。予約が10時なので8時半には家を出なくてはならなかった。就寝時刻が4時とか5時の人間にとってこれは地獄だった。よりによって火曜日は家庭ごみの日、前日から出してはいけない規則あるから、爆睡しても睡眠不足は残る。

母は神経内科から整形外科へと回されていた。めまいと足の歪みの原因がつかめないために、診療科をまわされていた。脊椎と骨盤の検査を受けて神経内科に戻ることになっていた。これは夜、意外な話につながっていくのだが、ともあれ整形外科の検査までは少し時間があった。

母と地下の食堂で食事。ところが私は食べながら眠っていた。眼が覚めたら母がいない。母は既に放射線科に入っていた。さすがに放射線科は付き添いで入室するわけにも行かず、おもむろにポメラを開いて日誌を書き始めたが、まとまりがつかない。諦めて自動販売機で缶コーヒーを飲む。一向に母が出てこないので、放射線科の窓口で聞くと、すでに撮影は終わっているという。整形外科の外来や神経内科の外来に行くが見当たらない。しかたないので診察が控えている整形外科の外来で待っていると、母が苛々しながら現れた。食堂に行ったり、売店を覘いたりと母も私を捜していた。病院内の携帯使用禁止となっていて圏外なので、互いの連絡がつかない。前のときは、母が北里大学病院(本院)見学に抜け出して、今回は私の食事中の居眠りが原因と、しょうもないことが起きる。

MRIがこの日、空きがなかったので、レントゲン検査では明快な診断などおぼつかない話だが、神経内科でもやっている検査をデータ共有している院内カルテがあるのに、なぜもう一度やるのかと担当医に質問した。局部レントゲンではなく、もっと範囲が広い。あせっていた。初診ははじめ担当医がいて専門医に回る。若い医師は、経過を見ているという得意の医師の得点稼ぎの嘘もつけないで慌てているので、追求のしようもなかった。

次回は8月、こうして症状放置のまま時間だけが過ぎていく。少々苛立った母は、年よりは時間かけると死んでしまうと訴えて困らせていた。診察が翌日とか数日間隔なら納得もいく。それが1ヶ月後とは何事だといいたくなる。

結局窓口の電話調整で神経内科に1回間にはいってもらうことになった。小回りが利かないどうしようもない実態がある。

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母を茅ヶ崎駅でタクシーに乗せ、遅刻寸前の時間にJRに飛び乗った。今度は自分の分である。電車は丁度満席、立って眠る技。扉の脇のコーナーに寄りかかって、なんとか目的駅へ。幸い眼科は駅から近い。

時間に滑り込んで、まずは検査。視野検査は、視界に微弱な光の点が移動する。その点が見えたらボタンを押すことで、視野の状態を調べる。とにかく眠い。集中がすぐに途切れてしまうのだ。見えてボタンを押すまでの反射動作が鈍る。見えても指が意識して押している状態に後退してしまう。

さて診察となって、医者が驚いた。急に視野が狭くなっているからだった。網膜色素変性症は治療法が無い。プロスタグランジン製剤の点眼薬とビタミンAを続け、網膜の血流を多くして、症状の進行を遅らせていく以外に無い。視神経が死ぬので復活は無い。IPS細胞による再生医療は、あと10数年は治療現場に現れる可能性が無い。右目の失明が近いねといわれる。憂鬱のきわみ。しかしたったひとつの楽しみがある。半年一度の視野検査、視野が広がったら彼は何と診断するのだろう。ちょっと楽しみ。

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ビッグイシュー東京事務所に立ち寄ろうとした。ところが会議だと言う。なにやら最近タイミングが合わない。仕方なしと、相模大野の本校にご無沙汰の挨拶。藤沢経由で帰宅した。小田急使えば安いとつぶやきつつ、東秀の中華丼を抱えて帰宅。侘しいなあと思いつつ。

とにかく両目とも、古いフィルムの映像を見るように、フィルムの傷が流れて明滅を繰返すような視野になっている。右目は中央部にかすみがあって周辺が見えている。困ったなあと思いつつ、失明したら本を読む代読者いないだろうなあと思いつつ、文字スキャンで音声ソフトという視覚障がいの方のツールを意識している。

それにしても、この医師、神経眼科学会のボス。母のボトックス療法の後遺症を観てくれるかとカマを書けたら、急に態度が変わった。母のカルテをだしておいてくれと指示した。ところが予約の空きは10月下旬。冗談ではないのだ。視野検査のときも、背後に研修医にメモをとらせ、8割が検査結果の専門用語。素人にはちんぷんかんぷん。診察は患者に情報を提供するもの、私には急に狭くなって進んでいるという以外話が無い。やっちゃ場だってせりの専門用語が飛び交う。権威付けやるなら藪である。母のかかった医師も、眼鏡の度が合っていないから強い眼鏡に直せといい、地元医は眼が疲れるから少し度を弱めておくという話をしていたという反論に怒り、次回の診察時に自分の論文を振り回して怒っていた。これもまた藪。直してなんぼでしょと言ってきたのだが、ボトックス後遺症、ひどいものだと思っている。ふたりとも学会の権威だから始末が悪い。手が無いかなあと思う。

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7/15 懇談会メール配信終了。

昨日、勝田さんには事前にみてもらうために映像を届けた。当日待ちなり。

AMAZONからの本、受け取った。「就活ノート」がまだきていなかった。7/7刊。


夜間傾聴:なし


(校正1回目済み)


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7/13 今日は母と北里東病院へ、私は東京の眼科へ(しょうもない話です)

2010-07-18 17:42:04 | 引きこもり
2010/07/13 記
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今日は8時から母の受診に連れ添うため、徹夜は避けたいので簡略に。

昨日、茅ヶ崎養護を回った帰り、44号線をタクシーで越えて湘南養護と平塚養護2回目のハローワーク平塚を回った。講師の勝田さんが平塚の方なので、平塚方向もと考えたのだが、特別支援校はどうしてこうも駅から離れているのだろう。平塚の両養護学校も伊勢原駅行きと秦野駅行きのバスを追分バス停で乗り換えるアクロバットをやって、そこからまたタクシー。ハローワーク平塚に滑り込み、巡回は17時前に収まった。車が欲しい、痛切にそう思った。

茅ヶ崎養護では、親御さんルートでチラシが流れているにもかかわらず、進路担当の先生方に情報が伝わっていなかった。結局は足を運んで確認していないと話は通らないのだと改めて感じたのだが、ぜひ参加をと拝み倒した。急な話で失礼してしまったのだが、なんとかうなづいていただいた。ところがこれは、かなりの無理であることが、そのあと、湘南養護学校を回って知ることになった。それはこの懇談会の当日、同じ時間に県進路担当者の会議が重なっているとの話だった。今回の懇談会は、当日の夜、チャリティコンサートが隣の文化会館で有り、通しで参加される方は少ないだろうという話があった。なおさらに進路担当者の会議である。この日、茅ヶ崎養護の先生方を困らせて、S先生が懇談会参加を決意してくださったのは、ありがたかった。

17時を回ると巡回できるところが少ない。茅ヶ崎に戻って分庁舎の売店担当している++さんを捕まえた。ところが身体障がい系の方には、今回の話が伝わっていない。++さん焦って身体のTさんに取りついでくれたが、話は呆気なかった。当日は富士登山の企画があるので参加できないとのこと。育成会の関係も改めての連絡がつかず、どうしたものかと正直言って孤立感がちらり顔を出していた。就労支援関連の活動は、なかなか人が集まらない。これがジンクスになっていたからだった。

県労働プラザの関係者の**さんからは、時間帯が昼間なので無理とのメールをいただいていた。参加不参加のわからない沈黙はしんどい。勝田さんに数名の会では申し訳も立たない。ダメ押しをと、選挙活動なみにメールを出し続けた。いずれも昼間は動けないというものだった。この時間帯を夜に設定すると、今度は主婦が夕食と重なって動けないと言い出す。休日は会場が予約できないという状態になる。

母にイワシを食わせるぞと冗談。こうなったらイワシの頭に柏手打つ以外にないかとの意味だったが、いまさら血流考えてもダメだし、生臭いからいやだとにべも無い拒絶。結局、二ッ谷の和食店に母を呼び出し、夕食回避。生臭いといっていた母は刺身を食べていた。

AMAZONからクナッツとドディエの「インターネット・カウンセリング-Eメール相談の理論と実践」と、「発達障害の人の就活ノート」「市民メディアの挑戦」を頼んでいた分が不在通知で届いていることがわかった。「就活ノート」は新刊。15日終わらなければ読む暇も無いのだが。


夜間傾聴:□□君(仮名)


(校正1回目済み)

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7/11・12 7/15 懇談会の運営上の注意点/ビッグイシューに若手販売員の波が

2010-07-18 16:24:13 | 引きこもり
2010/07/11 記
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父の居室の始末が宿題として山のように残っている。しかしひとりの人間が生活を移すということは、これほど様々な物事が絡まっているとは、改めて驚いている。父が利用した施設から先ほどショートステイの利用料残金請求通知が来たが、引き落とし方法が変わっていることに気がつかなかったり、父の部屋掃除用のモップのキャンセルを忘れていたりと、今まで支えていた様々なサービスを解除して行くときの細かな混乱が、入所半月にしてふたたび波がやってきているように感じている。

父の入所した老健に父の好物の寿司を持って行ってきた。私が覚えたバス路線以外にもう一本路線があったりと新しい発見がある。ただ老健の開設団体の所属病院が救急病院をやめた(夜間勤務医不足)という話や、個室がトラブル処理室だったりする当初の話ではわからなかった実態も見えてくる。

集団の給食では中毒を避けるために生ものが出ない。だから差し入れは父の好物の寿司と決めているのだが、到着してそれ以前の状態で驚いた。集合スペースのテーブルごとに数名の入所者さんが両手すりの椅子に座らされていた。この光景は、どこの認知症フロアでも似た光景なのだが、TVを見るわけでもなく目の前の方と顔を合わせているにもかかわらず会話が全くない。父の隣の方は眼が中空を泳いで夢をみている風だったし、対面している方は無表情にぼんやりと、私が目の前を横切ることさえも反応を示さなかった。父はまだら惚けであり、職員さんに声をかけられれば定型会話は出来る。今は休憩のお時間なのでとの職員さんの説明があったが、恐ろしいことにそのフロア、誰も会話していない。父のボケが進行するなと直感はあったものの、職員さんへ要望を出す以外、引き取れる状態ではない。

後を向いている父の肩をそっと叩いて振り向かせた。父は「丁度よかった」といつもの口調で笑顔になった。寿司の話をすると腹が減っていたと応答する。その寿司の話に同じテーブルの入所者さんは誰も関心を示さない。

父を車椅子に乗り換えさせて、玄関先のロビーで寿司を食べさせる。お茶は自動販売機でと思っていたが、小銭を持っていなかった。近くの自動販売機はすべて千円札を通すがつり銭切れで、人の行き来の少なさを物語っていた。そんな関係で土日にボランティアさんが開いている喫茶コーナーでお茶を取り、寿司を食べさせたが、やはり足を運んでみないとわからないことがいくつも出てきていた。

父は、あっという間に寿司を平らげて、私の話にうなづくばかり。ここが平塚であり、名前を******ということなどを伝えるが、全く関心がなかった。父を元のフロアに戻しつつ、途中出会う職員さんに私が会釈をするが、今までの父は職員さんの会釈に応じていたが、全く反応しなくなっていることに、認知の後退を見てしまった。

帰りに豊原分庁舎に、私の担当していたアスペの方の情報交換をと立ち寄って、土曜日だと気がついた。自分もまた曜日感覚に鈍くなっていたのだった。来週早々、母の北里東病院の診察があり、地元主治医との間の分業をどのように設定するか、母と地元医と私の三者で相談する。また私自身の網膜色素変性症の視野検査が火曜日に控えていた。15日にはサンシティひらつかの勝田俊一所長の就労支援懇談会が待っていた。私にとって土日は準備の障害物、時間が足らない焦りを抑えている。

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今夜21時から、NHK-BS の番組でビッグイシューの特集番組があるという。販売者**さんから、絶対観ろといわれている。果たして。


夜間傾聴:自由が丘夫妻(仮名・傾聴にあらず、お久しぶり。
      パニック障碍その後談)
     ******君(仮名)
     仕事1件、同僚に引渡し。



2010/07/12 記
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日曜日は準備で巡回できるところは限られてしまう。私が接点を持っている地元当事者さんと7月15日の会合への招待話をする。引きこもり関連の方には今回の話の共有部分を明らかにするのはなかなか難しいのだ。

知的障がいや、知的遅れを伴う自閉症などの方は特別支援校の支援を受けて企業就労していく。今回の映像は手帳を持った、そうした支援を受けた方の就労レポートのために、精神のように中途発症したり、普通教育の場で苦労してきた方の就労には段差があって、つながりが見えにくい難点がある。

しかし軽度発達障がいや鬱(うつ)の方々には、精神の手帳を取得することによって、制度を利用することが出来る場合もあるし、企業の側も特例子会社とはいわずとも、法的雇用率の完全実施の時流に乗って企業のCSRの一環として就労に理解をしめすところがでて来ている。企業就労という事について言えば、全く無縁な世界ではないのだ。この辺の事情を上映前に確認して話を進めていくことにしようと思っている。

もうひとつの見所は、出会いの力、場の力。就労という人生の大きな転機のなかで、仕事という関わりに中で当人が大きく変貌していく。ひとの可能性ということについて、注目して欲しいのだ。勝田氏などの仕事は、この職場へのバックアップにあたるのだが、そのご苦労はこの映像の背景に隠れてしまっている。就業の習熟度の高さが今回の画像の製作者のテーマになっている。舌を巻くような場面もある。知的障害の方は一般的に熱心だ。その特性が活かされた結果なのだが、その一生懸命さが精神や引きこもりの方々には鬱陶しく見えるだろう。企業も多くは安定した就労を求めており、精神の症状の体調の波動と、集中力の途切れや、引きこもりの方の職場対人関係の挫折後遺症などの就労、交通事故後遺症などの高次脳機能障がいの方の就労とは、抱えるものが違っているのだ。

私は就労支援の連続物の企画の中でその辺の質を保証していく以外無理かなと思っているが、それは参加者の方々には事前了解を取ること自身無理だと思っている。私には就労にはもうひとつの形、地域起業の道があると思っており、この場面では障がい別就業というような発想ではなく、違いある上体の方たちのコーディネートによって、その差異がひとの変容をもたらすというチーム就労型の就労をも射程に入れている。その形が精神や引きこもり等の方の就労によりマッチングした形が得られると思っているので、適材適所を主眼に配属された方が、これほどに職場に適応して働けるという映像は、地域・チーム就労の方の可能性を見通す映像とも、なっている点に意識がある。だから、今回の画像はふたつのベクトルを持っていることになる。

企画の成功と失敗の境目は、この辺の目的が参加者さんと共有可能かという点にかかっている。

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今日はとにかく、7月15日の件で回りきれなかったところを巡回し招待攻勢をかけていく。茅ヶ崎養護の進路の先生には是非出席願いたいと思っている。

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昨夜21時から、NHKのBS放送でビッグイシューの取材番組があった。テーマはビッグイシューの活動の意義の紹介の事もあるが、路上生活者支援の活動に質的な変化の波が押し寄せてきているという内容だった。昔から路上生活者支援活動は中高年の方の支援活動といわれてきた。ところが昨今、路上に20・30代の若い方々が増えていて、この方々への支援は、従来の初動資金提供のビッグイシューの関わり方では解決できない問題が浮上しているという。方法さえ提供されれば、一生懸命冊子を売って初動資金を稼ぐ中高年の方々と違って、食えないから売るが、労働そのものに価値を見出せなくなっている方が増えているのだという。この方々には、ビッグイシューの販売以外に、サッカーやダンスなどの登場の場を提供することによって、生きることへのメリハリと多面的な出番を提供することによって、販売もぼちぼちと脱皮していくケースが増えているというのだ。思わず私は引きこもり青年のことを思い浮かべた。

販売者の**さんがしっかり映っていたのには笑ったが、湘南の路上生活者支援活動を支える方々からは、この若手の登場への時流への感触は鈍い。私はもう少し湘南の現状把握をしておきたいと考えるようになった。砂防林や駅頭、公園のパトロールや炊き出しに参加していこうと思っている。都市型と地方型ではその姿が違っているだろうという予感はあるが、この辺は不安定就労と若者の就労状況に触れる場面に接しているかもしれない。心理職の言葉が少なくなる社会的要因の部分を押さえたいと願っている。

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母のボトックス後遺症が鎮まらない。明日、午前中、母の診察に相模原まで同伴し、帰りは茅ヶ崎駅で母をタクシーに乗せて、私は駅から東京に出かけ視野検査を受ける時間に滑り込むことにした。今日は7/15直前のダメ押し巡回の追い込みに使う。生業は母を出汁に謝ってしまった。15日以降に巡回を詰め込んだ。


夜間傾聴:□□君(仮名・こちらから)
     ******君(仮名・専門学校の事務長さんと会う機会獲得)


(校正1回目済み)

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湘南あすなろ会総会は流会し/父の介護後遺症と母の発病その後

2010-07-10 17:00:58 | 引きこもり
湘南あすなろ会の総会は流会となった。準会員の**さんの奥さんが亡くなった。長い間彼が看病していた。介護の重圧を知るものにとって、**さんのご苦労は思いに余りある。地縁・血縁社会が崩壊した現在、介護を在宅に完結させるのは間違っていると思う。支える社会環境がないことは、舟板一枚の地獄の上で踊っているようなもの。社会制度を使うことは、当事者との絆を断ち切ることではない。そういう短絡的な思考が、介護者を縛っているのだ。しかし、実際社会環境は整っていない。高齢者介護と傷病者介護は様相が違うところもある。しかし、連れ合いを失う悲しさは、いずれ通る道の高齢者介護の思いとは違っていよう。

私の会計レポートは、会計メモという方が合っているようなものだった。一応間に合ったが、我が家の父の入所混乱や**さんのご不幸によって、総会準備が後手にまわった。結局、レギュラー+1名の状態で、総会を22日(木)に延期することになったのだった。21日は会場の定休日だから22日となった。

いくつもの議案がある。代表の交代。これは今回茅ヶ崎市社協の団体紹介欄に3段抜きで紹介された当事者**さんが今年度の代表になる。防砂林巡回や炊き出し参加など、ビッグイシュー以外の活動も地域ネット参加の方向で拡げていく。私としては、ネットカフェ巡回の応援がほしいところだ。

面白いところでは、来年は市の花火大会の日の宴会案がある。野宿者にとって互いの思いを交流させる機会となるだろう。都内のような大きな集まりではないが支援者とも十数人位の集まりにはなるだろう。海岸線や相模川にブルーシート生活をする者には場所取りは庭先のようなものだ。宴会は私の苦手。これはレギュラーさんたちに任せることになるだろう。

もうひとつは生活困難者の領域横断型セイフティネットの芽を立ち上げること。来年度の市との協働へと名乗りをあげられる体力を作っていくことだ。文科省図書館海援隊プロジェクトが追い風になればいいが、教委の壁は厚い。

ビッグイシュー湘南販売のひとつとして、3人体制作りを進めたい。これは東京事務所と相談しつつ進めることになる。

放置傘路上再販の件は、今月、私の眼の網膜色素変性症のセカンドオピニオンを求めるために京大医学部附属病院に行くついでに、大阪釜ヶ崎を回る話から、仕入先を定める話になっていた。これが父の入所で吹き飛んだので、今年度は実験販売が出来れば上等というところに後退した。

いずれにせよ、住環境や、ハローワーク関連のプロの方も通過している関係で、あすなろ会の日常活動を脱皮させていく総会になる。

卑近な話だが、会計レポーターとしては、執行猶予がついて実際上ほっとして、作り直しを始めている。

**さんとは、ネットワーキング論の私と政治的な立場は違うが、身内を支えてきたことに勝手に共感を寄せる者である。いずれ時間を置いて話し合いたいと思っている。

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総会明けのはずの金曜日、朝10時からスペアちがさきの定例会があった。父の突然の入所騒ぎから、あちこちが綻びた始末の最終日、よりによって朝企画があるのは地獄だった。このブログに登場していない方のドタキャンへの不信感は強かった。夜間傾聴は2時間半に及んだ。彼には併行して事務仕事をすると宣言。携帯のバッテリーは熱くなってしまった。不眠への付き添いは実質的に出来たと信じている。月曜日、彼と会う。

母の嘔吐が激しくなった。神経眼科のボトックス療法の副作用が出ていた。瞼の周辺にボツリヌス菌の毒素の希釈液を注射する。筋弛緩効果によって眼瞼けいれんの治療に使えるという、本来美容整形のリストアップに使われる処方だ。術後10日~3週間で効果が現れるとの話で、めまいと眼の中の異物感対策として行われた。ところが初日から怪談ではないが青あざが涙袋上部に出来、数日間母は痛みにのた打ち回った。しかしそれは、事前通告されていた症状だったので様子を見ていた。あざは引いたが、目をつぶることが出来なくなった。風が吹くと眼が痛み、白目の下に感想皺から出来たと思われる傷か出来始めた。字を読もうとすると痛みが走った。眼の周囲の筋肉が緊張するからだ。こうしてまもなく4週目に入るが、めまいはひどくなり、眼の異物感も一向に治まらなかった。

この日、耳を疑っては母は地元の耳鼻咽喉科を受診した。検査の結果全く耳の異常ではないという結果が出た。そのとき、意志から眼球の振動を指摘され、神経眼科の診断の「眼瞼けいれん」が裏打ちされた格好になった。

「眼瞼けいれん」は視神経と眼の制御部分の脳の神経との神経回路と眼球の筋肉制御のフィードバック異常から起きる脳の病で、眩暈、頭痛、嘔吐、歩行困難などの神経症状に拡がっていく。対症療法も確立していない。初期症状が眼球の振動と眩暈から始まるが、生活に大きな影響を与える病だ。

神経内科は決定的な診断を下せないでいるが、脊椎の加齢変形と骨粗しょう症が見られるとして探っている最中。脳神経の難病の初期症状との疑いは晴れたが、これも決定的な診断は与えられていない。

とにかく急激に歩行が遅くなり、反射がにぶくなった。ハイストレスも勿論影響している。この外出時の危険と、文字を読むことが出来なくなったことから、遠出ができなくなった。本来外出が好きな人間なので、部屋にこもることは無いが、雑踏に出るのは危険な状態だ。

また夜間の胃切除者が味わうダンピング(逆流)が強まり、食事が取れなくなった。父の介護が決定打を打った。限界で父の入所となり破綻は免れたが、四肢のこむら返りと足のほてりと動悸、嘔吐が連日母の体力を奪っている。養生食と通院補助が当座、父の介護後遺症として残っている。私のほうは、今週一杯で事務的な混乱は収拾がつく。

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土曜日は横国大で研究者のフォーラムがある。佐藤学氏の講演があるが、見送った。専門職養成関連の話だが、その背後にある流れが私の関心事だった。その後のビッグイシュー定例サロンも見送り。久々に開いた「13歳の進路」(村上龍著)をぼちぼち眺めている。

明日日曜日から、切換始動していく。


夜間傾聴:---------- (仮名)
     中央林間君(仮名)


(校正1回目済み)
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