湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

*君のアパート生活は無残に終わった/仕切り直しへ

2007-02-28 04:29:51 | 引きこもり
朝8時半、庭先の音で目が覚めた、なんでも屋の%さんが庭師として、突然庭木の清掃を始めたのだった。朝のごみを捨て、就寝したのが7時半だったので、布団を被った。9時過ぎ突然携帯電話が鳴った。*君のお父さんだった。

*君が警察沙汰を起こして保護されたという話だった。隣人の生活音に抗議したが、取り合ってもらえないことに腹を立て、石を投げ窓を割ったり、なま物を周辺にぶちまけ大声をだしたため、通報されて逮捕されたのだった。彼の自立生活が吹き飛んだ瞬間だった。

薬物の切替期の影響を注意していたときだった。昨夜、落ち着きを取り戻した彼と「名刺PJ」を約束しあった翌日の出来事だった。親御さんはパニック状態にあり、時間の余裕はなかったが、*君の担当医に緊急連絡、薬物副作用チェック・診療予定日早期に変更依頼をかけ、保健所保健予防課に24条の強制入院の指示の有無を確認、元町の家に近隣の入院施設と受付状況を確認、茅ヶ崎警察署に直行した。

彼は始末書を書かされていた。親御さんの到着を待って、身柄引取り書を書いたが、*君は親御さんに怒りをあらわに拒絶。私は彼の冷却と解きほぐしをするために、ふたりで食事をすることにした。昨日の話はかけらも記憶していないだけでなく、別人の彼と食事をした。担当医に経過を携帯電話からFAX化送信し、病院事務局からFAXメールを届けてもらう手続きを取った。

彼と食事をして気づいたのだが、彼は全く昨夜の出来事を覚えていなかったというより、いまここで食事をしている彼は別人格のようでもあった。経過を記憶し、親御さんの車ではなく、電車で藤沢に出、いっしょに*病院に向かった。ここで完全に福祉PJへの合流は無理となった。

*病院の救急外来で、今まで処方してもらっていた薬物の副作用の可能性を問うが、「自分は非常勤だから常勤医師の診察をうけること」と軽く拒否されてしまった。明日、つまり今朝の9時半に*君と合流して、*病院に診察に行く。全く他のことが出来ない状態が続いている。

昨日は*病院から茅ヶ崎に、親御さんの車で戻り、アパートから彼の薬と貴重品、冷蔵庫の食品を引き上げた。彼は四肢に力を入れて、声を殺すようにして言った。「今、耳を済ませて欲しい。ものすごい足音が聞こえてくるじゃないか。誰もそれを信じない。何で僕だけが我慢しなければならないのか」と。確かに安普請のアパートから大きな足音や機器の音が聞こえてくる。しかしそれは、道路沿いのアパートの横を抜ける車の騒音ほどではなかった。求職の空振りの無念さをいだいて、一日ここにいたとしたら、この音は気になるだろう。だが抗議の仕方はやはり異常だった。

不動産屋に鍵を返し謝罪。その帰りに「ぽれぽれ」の中西宅に送ってもらい、報告をした。

本業の町田巡回・相模大野手続きは、別人に交代してもらった。連続すれば私の査定に広がってしまう。加減がつかない峠にいる感がある。

実家で騒ぎがおきていないことを祈る。うわついた手ではなく、まずはここで仕切り直しをしてもらおうと考えている。


夜間傾聴:本日は休み
電話:*君関係のみ
   本業・福祉PJ欠勤欠席連絡


(今日の予定)
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*君と*病院外来
サポセンでニューズレター受け取り
徹夜2日目なので帰宅睡眠確保
町田巡回・本校に欠勤報告(相模大野)
「わーく」印刷

(校正2回目済)

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*君の事件の余波/県精神障害者就労支援事業所の会にお邪魔して

2007-02-27 07:17:50 | 引きこもり
*君、救急車騒ぎの翌日ということもあり、仕事の帰りに*君のアパートに寄るつもりで、彼の許可を取った。ところが、大丈夫だとの応答があったので、とりあえず帰宅していた。不安は当たった。22時、*君から緊急呼び出しがかかった。

隣人に抗議を行ったため紛糾という無茶な話に呆れ、兎も角、彼のアパートに向かった。親御さんや私を試している可能性が高かったが、その問いには忠実に答える必要があった。事実その事態が起きているならば、彼を治療の流れに乗せなくてはならなかった。これはなんとしても最悪の選択、避けたかった。

彼を他人の目のある飲食店(バーミャン)に誘い、このトリッキーな展開の中の真実を受け止めるため、少し抑制のかかった場を選び、彼の話を聞いた。愛情の押し売りは愛を生まない。同様に疑惑が引き寄せる愛は偽物である。この枠組みの中からは、決して求めるものを生まないことは目に見えていた。そのもつれた心の糸口を探すために、時間の力を借りた。話は多岐にわたった。しかし私たちは、お互いを現状から脱却させる意志を共有していたから、散歩するように、ひたすらあれこれ話した。

0時過ぎに店を引き上げたが、「話し込んだぬくもり」がお互いの中に残った。これが今夜の収穫だった。

彼の通院する病院の担当医にレポートを定期的にだしている。今回のレポートは6千字に及んだ。彼の体調のこと、認知上の偏りの件、彼の苦しみの核のこと…。来月早々、彼の承諾に基づき、担当医と生活・就労支援者としての私との連携調整を行うことになる。

それは覚悟の上ではあるが、あらゆる企画がストップしてしまっている。ふんばりも限界にきている。しかし放置すれば、彼は怒りと自滅の道に入る。チームが欲しい。そう思う。

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彼の就労支援チームがハローワーク藤沢に誕生している。ここに今回の話を提案しようとおもう。彼の「心の名刺づくり」である。どれほど短時間・低賃金でもいいから、彼は働くべきであると考えた。それがあれば、彼は「自分が何者であるか他者に語りうる」のだ。花壇に水を1日おき30分やれば、彼は園芸業(手伝い)を名乗っていい。

この「名刺作り」から、彼のコンディションを徐々に形作ろうと思う。

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今日は14時から「NPOちがさき」の自主企画福祉PJの会合がある。
今回は「地域福祉活動計画への市民参加と社協協働」
講 師:加藤絵里さん(茅ヶ崎市社会福祉協議会)
茅ヶ崎サポセンにて

ということで、おそらくは閑古鳥。しかしDAISYの話ができる場になるだろう。

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16時には講演が終わる。何とか「わーく」の印刷に入りたい。

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(昨日のメモ)

夜間傾聴:*君(バーミャンにて)
     Q子(精神科医○さんに会った話)
     レギュラー 1名(終了4時半)
巡回:座間(30分のみ)
会議:本校報告提出のみ(相模大野)
   県精神障害者就労支援事業所の会(横浜・県民ホールにて)

-----精神の領域から、講演会講師依頼(4月)<難航中
   県精神保健福祉センターのHさん、改めて正規に依頼書を送ります。
   就労上の参考事例をご紹介ください。
大和市の教材出版Mさんと交流開始。

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(きょうの予定)

自主企画福祉PJ>「地域福祉活動計画への市民参加と社協協働」
「わーく」印刷
3月講師依頼アポ取り
巡回 1件(町田か?)

(校正2回済み)
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*君の危機/社会への緩やかな架け橋を!

2007-02-26 06:04:00 | 引きこもり
夕食時に私と会って数時間後、*君が鎮静薬の飲み間違いで救急車で病院に運ばれる事態が起き、彼の救援連絡を受けて、引き取りに行きました。親御さんも取り乱している関係で病院にいけば事態が悪化するため、終バスが終わった時間、歩いて彼を引き取りに行きました。彼の食事がいい加減になっていたため、低血糖だったのではないかと思っています。アパートの隣人修復を終えて、とりあえず救急の場は回避。明日、親御さんにバトンタッチです。

ストレス耐性が弱いので、周囲の理解がないとすぐに泥沼化します。こうなる前に、彼の生きていく道が、手がかりでも開かれていたらと思います。彼の場合、社会復帰には時間がかかります。ゆっくりとした傾斜の社会復帰環境と伴走者が必要です。

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本業の巡回指導や会議に影響が出ているので、月曜日は調整優先で動きます。ただ彼の中の葛藤がむき出しになっている状況なので、「あねもね」に応援を頼みました。ただカウンセリングと個人フォローは、危機には消耗戦の様相を帯びます。すべての他の活動が止まってしまうので、支援者は切り抜けも必要になってきます。

現に退院後自宅休息(?)に入ったI君も、問題の根本の親子関係の挫折の谷に落ちたままですし、座間の子は徹した緘黙(かんもく)状況にあります。Q子はバトンタッチしたもののいつ私に依頼をかけるかもしれません。(受け止めつつ受け止められない矛盾。)でもそれは無視はできません。このほかにも、いじめの渦中にいる子がいます。次々に崩れた場合、私のキャパシティは、たちまち超えてしまいます。

重篤な問題を抱えた方には、直接は、あてはまりませんが、社会参加の架け橋は常に残し、彼らの危機に至る前のリターンマッチを可能にしていきたいと思うのです。「わーく」は、そのひとつの架け橋です。

「オールニートニッポン」取材の朝日新聞記事を見た印象は、場が「祭り(ハレ)」でした。私が作りたいのは「日常(ケ)」です。

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夜間傾聴:◎君(レギュラー)
     支援者>仲介

電話連絡:Uさん(アスペ関連情報)
     Kさん(塾屋さん・転居先の塾探し)
     *君の親御さん(じゃんじゃん)
     *君
     中西さん(あめもね・じゃんじゃん)
     伊勢原君母(訪問時間調整)
     私の母(食事のことでむっつり)

(校正2回済)
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*君の試練/日常活動から企画を立ち上げるために

2007-02-25 05:59:27 | 引きこもり
*君が切れた影響が隣人から出て、入居早々問題が起きている。彼がまた切れなければいいがと思う。この隣人の批判が到着する前、私は彼の切れた件について、親御さんと話し合っていた。彼が親御さんに抱く疑惑にも明快に答えていただいた。この直後問題が起きた。彼から「不動産屋に来るように」と手紙が来たとメールが飛び込んだのだった。簡素な文面が逆に対応の迅速さを求めているように感じられた。即座に親御さんに連絡、彼の家に向かうことにした。

立ち退き要求のような極論までは行かないだろうが、彼は当然の帰結でありながらも、大きな難関を迎えた。彼や親御さんには、私ら支援者が緩衝材として入りながらも、彼自身の冷静な応答が求められることになった。終バスを終えたバス停からタクシーに乗り込んだ。土産と称する救急セットをぶら下げていた。服毒自殺防止の胃壁保護剤であり、興奮する彼の心への落ち着き誘導剤だった。暖めてゆっくり飲めばいいのだ。

ところが彼はとうに落ち着きを取り戻していた。拍子抜けしたが、取り越し苦労は喜ぶべきことだった。

*君に私の分の豆乳を温めてもらい、話し合った。彼と今後のことを話した。どうか穏便に隣人関係が済みますようにと念じている。今日の不動産屋さんとの交渉は、親御さんが代行。月曜日に彼に付き添えるように、よこはまの「わーく」相談関連の予定を中止。生業巡回を日を入れ替え今日入れて、月曜日を空けるという日程調整をした。この動き、正直言ってしんどいのだが。

ストッパーをやっていると、三人以上が同時に火事を起こしていると、予定が成り立たなくなる。夜間チームは、担い手がいない。これがいつもの悩みだ。生業の間合いを調整しながら動きやすくして待機する。夜間傾聴は友人のフリースペース的な塾から紹介される「指導が難しい子」相手が大半。中には直接ブログを発見した飛び込みの子もいるが、珍しい。ほとんどの方は東京在住のレギュラーであって、湘南東部の活動の芽にはならない。それでも毎日1~2件は連絡が入る。加えて私の通信塾の子たちの学習添削が入る。だから余力がないので広告は出さない。他の活動ができなくなるからだ。時には傾聴は命にかかわることになる。その活動差し替えのゆとりは残しておかなくてはならないのだが…難しい。

23時すぎ、彼のアパートから帰宅途中、レギュラーの◎から転送電話が入った。彼らは私の巡回を知っている、だから事情を話すと協力して相談を中止してくれる。しかし彼らも問題があるからかけてくるのであって、孤立に耐えられなくなるからかけてくるのであって、だから、あとのフォローはしなくてはならない。

*君の件は「ぽれぽれ」の中西さんにも協力願っている。親御さんと携帯電話で話した後、作戦を手伝ってもらうために電話をいれた。これで一段落。歩けば30~40分の距離だがタクシーで帰宅した。足を骨折してから原付・車をやめていた。しかし移動に自転車は必要だろう。即応できないからだ。

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朝日新聞夕刊に「オールニートニッポン」の記事がでていた。爺ぃが作る活動だから「いかん」のだなあと思いつつ、思いは裏方「実務者ネット」へと飛ぶ。潮の満ち干に晒されないアンカー、先々の相談窓口に併設される「就労しゃべり場」の価値を磨く裏方、そんなことばかり考えているから、構想が飛ばないんだろうなと思う。一方で私は会場の熱気を紙面に感じつつ、その写真に写らない、会場をのぞきながらも壁際で沈黙している子たちが語りだせるような、それぞれの関わりをもてるような仕掛け(システム)のある活動にしたいと思った。

考えてみれば70年反博のとき、吉川勇一さんに、この雰囲気は好きで嫌いだということを語っていた。40年弱同じようなことを言っている自分が可笑しかった。高校生の頃から爺ぃだったのだろうか。

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進まない「わーく」の概説書を再び書いている。小見出しを書いて京大カード式に枠に流し込んでいる。これと「わーく」冊子を持って巡回したいのだ。形式優先の行政とも説得する形で、行政が逃げ出すURL転載許可をとりたいのだ。前の書き込み時の切れた記憶をつないでは、チャートにしたがって描いていく。

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(予定)
3月の講師選定の件、今日・明日中にアポ取りをする。
げんき基金報告書の準備。
DAISY電子出版テスト開始。
巡回2件。
オールアライブしゃカンパ金1名分届け。(日曜休みだった、月曜日に変更)
33歳Wさんを元町の家&オールアライブしゃにつなぐこと。



夜間傾聴:2名(レギュラー◎・伊勢原退院@君母親)
電話:*君関連・生業関係巡回調整・某サポート校
頂き物:*君宅家庭菜園からお野菜(ありがとうございます)

以上

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(校正2回目済)

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記事を休んですみませんでした/*君の暴発 他

2007-02-24 06:27:04 | 引きこもり
*君が暴発。緊急介入で何とか気を取り直してくれ、気がかりなものの帰宅したところです。明日予定を取りやめてご両親と会います。今夜日帰りで名古屋の金城学院大に出発する予定は中止。

しかし彼との対話は絶対嘘はつけないし、そんな作為はすぐに見抜かれてしまう感覚の鋭さがあります。今夜は待機状態のままです。彼のアパートのちょうど前で交通機動隊がネズミ捕りをやっていて、それが余計彼の、「自分は包囲されている」と感じる心の不安と妄想を膨らませています。私に対しようやく理性を保っている彼の信頼を胸にしまい込み、睡眠導入剤を飲ませて休ませました。

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昨日、14時からの会議は出席3~4人の予想でしたが、お子さんの発熱などで、すわ、私だけかと心配していたところに、メールで論争していたIさんがいらしてくれた、感謝します、Iさん。

3月の予定の打ち合わせや、助成金の状況の話、「わーく」と「DAISY出版」の進捗状況の話など、話は山積していますが、これは個別に巡回報告させてもらうことに。

今回、Iさんと私の間には、茅ヶ崎サポセン関連の経過認識に、スタンスの差があることがわかりました。私の活動は怪我で湘南に戻った後の活動の再立ち上げに、茅ヶ崎サポセンの協働まち研の呼びかけに応じ、茅ヶ崎市との協働事業提案の流れの中に、活動を提案することという流れに乗って、その中で協力を拡げ、活動を生み出すというスタイルをとったわけです。ところが私の活動の対象になる引きこもり関連の市民活動や、障害児者の関連活動はこの協働まち研には参加しておらず、サポセンにも登録だけで、お互いの接点が無いという状況があり、空転が続いたのです。

結果的に私の協働まち研活動は政策提言活動でもあるが、市民活動が行政と交渉する機会の設定ということでは、優れたサポートがなされたものの、民民協働の場面では特異な活動のため、接点が作れないままで終わったということ。この点について疎外感を持っているということです。行政との関係を除いて、私がサポセンの外で作ってきた活動と活動を育てる点では意味がほとんど無かったということ。サポセン内外の活動の民民協働を進める力の弱さを感じているのです。だから私は自主企画福祉プロジェクトを推進する気になったし、その点でNPOサポートちがさきに参加しています。この部分の指摘について、恥の内部公開という話にするのはやはりおかしいのです。指摘は具体的なところの中で行っていますが、その意味で際ではありますが、いいたいことは、協働まち研の中で指摘してきているし、その一線は守っているつもりだからです。

「市民活動だから育てる、だが内容を支持するということではない」ということは公平性を確保するために必要です。しかし市民活動を育て推進するという活動もまた時代の中にあり、そこには時代の価値判断が働きます。それを推進していくには、中間支援者の独自活動ということだけでなく、市民活動を結集活性化していく合流推進者の活動育成が必要です。その育成をどこでどのようにという質判断を行い、その戦略性を獲得していくか、その対象団体にどのような公開支援を行っていくかが問われているのだと思います。私の活動は福祉の領域を横断して協力し合える内容の提案のひとつを行っているのです。就労支援という切り口のなかでも、今私が日常活動に成しているような、「個々人の進路探し」だけではなく、社会活動として流れを生み出していくことが大事なのです。ここに「市民活動だから育てる、だが内容を支持するということではない」という原則を機械的にあてはめるのは筋違いだと思うのです。

次に公開文書に文法上の過ちや、誤字脱字が多すぎる。これはその活動の質まで影響している問題であるということ。これについては、前の記事にも載せましたが、少なくとも数回の校正をかけます。いままで夜間活動の最後に書き綴っていた記事を載せて、時間が取れたとき昼に修正をかけていたやりかたを変え、その場で一度校正し、公開後昼過ぎに再度校正をかけます。過去の記事については、分割して徐々に直していきます。これは時間の空きを探しての活動になります。

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Q子からの電話が入りました。初めての結婚式参加の興奮が伝わってきて、それはほほえましい内容だったのですが、私にはこんな子が、なぜ薬を飲むところに追い込まれたのか、その冷たい風が、依然未解決のまま対話に忍び込んでくるのです。

おみやげをというQ子に、規則があるからダメなのだと説得。この子の問題を完全に預けるには時間がかかるなあと、改めてため息をついたのでした。

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私の友人のメルマガに、素敵なメッセージがありました。社会の不合理に対する憤りの強い引きこもりの青年は、そのエネルギーで自分を裁いてしまう。引きこもり支援は、そのエネルギーを封じるのではなく、当人を生かす原動力に転じさせていくことが大事なのだという内容でした。

その通りです。*君は自分のエネルギーをコントロールできるようになったとき、そのエネルギーは大きな彼の活力に転じます。期待するのではなく、そういうものとして寄り添っていくつもり。内容がちょっと嬉しかったので、「ごかいの部屋」にご挨拶を。

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ハローワークのVさんから、回復期にある33歳の方の居場所さがし依頼がありました。地元の老舗には、その方も回ってきた経歴があるので、時間をいただき、追ってその方に情報があったら知らせると伝えました。

しかし20代後半~30代の方のお話、実に多いのです。生計をたてるという緊急の課題と、その方が社会と取り結ぶひとつの形としての社会活動(社会的企業を含む)がうまく関連づけることが必要な時代なのだと思います。

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この土日、旗の台君のお見舞いに行く。現状では面会謝絶というより、当人の意志として面会は成り立つか怪しいので、親御さんとまず話し合うことが目的。

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今月初めごろから図書館に"The Big Issue"誌を置く交渉をしていたので、待っていたその応答があった。実物を見て検討するとのこと、ただし買い取りは無理。予想通りだった。…しかし販売者の周辺の人間関係が極端で、ここから先、どうしたものかと失速中。

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DAISY製作プログラムのSigtunaが到着した。管理は厳格。解凍後セットアップ完了。これからテストが始まる。まったく…効率の悪い、取得に2ヶ月費やしてしまった。申請は2台分。これから初起動。

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父の通院先の医院に出かけて、父の体調の話を聞いてきた。糖尿病の怖さを理解しない父の困った食事状況を相談する。体調の変化が出てきているので情報提供。週明けに父の通院時、診察してくれることになった。絶対に当人は家族に体調を語らない。サメ肉やカレイの縁側のプリン体が腐敗したような、アンモニアの混じった強烈な便の匂い、風呂場まで染み付いてしまった。なのに血液検査異常なしとは。何かが変。医師は失禁ではというが実態と違う。総合病院、近くには満足できるところがない。どうしたものだろう。頑固爺さん、行けと言っても耳かさないだろうし。

昨日は買い物時間、実に知人によく会った。南口では日下さん、駅ビルでは鐘ヶ江さん、議会が休みか、おやおやという場で。

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夜間傾聴:レギュラー 1名(不調)
     親御さん  1名(豊川市の方、お礼)
     一見さん  1名(高校生かな・レギュラーの弟)

問い合わせ:東京の支援者より 1名
      ハローワーク   1名

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p.s. 担当している子が複数同時に問題が起きたとき、どうしたものかといつも悩む。分担が利かないだけに、切り分けケースをあれこれ考えている。しかし名古屋の会合キャンセルは、ちと痛い。


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文法上の誤りや誤字脱字の多さのご指摘があり

2007-02-23 06:23:01 | 引きこもり
過去ログの修正作業をしています。早朝の就寝前の書き込みが主原因ですが、確かに誤りがありますので、今回の日誌は後ほど間を見て書き込みます。

何日かに分けて修正していきます。では。

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ハローワーク藤沢と*君支援チームを組む第一歩/晴れのち曇り暗雲ばらい

2007-02-22 06:51:32 | 引きこもり
*君のハローワーク藤沢チーム作りが一応終わった。雇用・能力開発機構のヤングジョブスポットからの出張の%%さんと*君と私が話をした。今回は*君の希望を書式に残すことと、即時就労の職場探しのヒントをつかむこと。長期のスパンで*君の本命である彼に適した仕事探しを行っていくこと。

従来*君に関わってきたハローワーク藤沢の担当者は、今回は他の求職者相談に追われていた。しかしついたての両側で個別の相談をしているのだから、話の内容の大事な点は、求職者が入れ替わるときに交わされていた。*君の予約は他の人たちと異なり、求職相談ではなく適職探しだったために、相談の開始時間が少しずれていたからだった。

*君は緊張していた。しかし事前に伝え聞いていた相談の形が、予想と違っていたことへの違和感が、なおさらそうさせていたのだと思う、こんな話に慣れていたら逆に困ることではあるのだが。今までのハローワーク藤沢で語ってきたことが、全く引き継がれていなかった。彼の今までのカードを見ながら新たな書式を作っていくのなら、もっと安心感が出ただろう。この辺のひと工夫がハローワークに欲しかった。

彼の心身の状態を語るたびに、彼の「言い難いが実は求めている」という本音の部分は相談の関心から外れていた。その状態ならこの職種と、現在採用の可能性のある仕事の話へと、一般論的に流れが決まってしまい、希望していない職種が出ても反論しにくくなってしまうのだった。私も進学相談を受け持つ。だから状況解説と希望の吸出しは注意して関連付けている。

彼は金銭的な関係で親に負担をかけまいとして、生活費の一部を稼ごうとしているため、紹介される研修とアルバイトの日程が重なってしまう悩みがあった。だから研修が紹介されるたびに、このジレンマが彼の中に高まっていた。*君は理性的な語りができるから、つい自分を殺してしまう。普段第三者を入れない対面相談の習慣から初対面ゆえに一般論を語るアテンダーと、割り込むタイミングがえら得ない私。

結局、彼は求めていない分野紹介を抱えて帰ってきた。私は「今回が入り口、まずはチーム発足の事実だけ、もらって帰ればいい」と思っていたが、フォローが甘かった。*君は不満を抱えてアパートに戻ったのだった。

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私は3月の講師選択の件で、田園都市線の江田に用事が出来て、彼と別れた。彼からもらったグアバ茶に辟易としながら、家に戻った。講師依頼の件はすれ違いで当人と会えなかった。21日を3月21日と勘違いしたようだった。無駄足を避けようと長津田から町田を経由して相模大野に出たが、乗り継ぎの悪いこと30分弱かかり、結局巡回先も当人が拒否して、やむをえず湘南台周りで空振りのまま帰ってきたというお粗末。

今日は14時から連続講演会の打ち合わせがある。偶数月は会議なのだ。

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気になったので*君に電話。案の定、病的に不安が高まっていた。今夜彼のアパートを訪ねることにした。綱渡りである。この綱が太くなり、やがて地につくことを願っている。しかしな、*君。グアバ茶は**いぞ!

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中邑賢龍さんの魅力、どう引き出すべきか。かなり変化球もOKと見た。

テレコムかな…電子身辺補助具かなと。

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マイクロソフト助成金申請を終えて/3月講師は難しい選択

2007-02-21 06:27:11 | 引きこもり
やっとマイクロソフト助成金申請が済んだ。申込書は短いのだが、構想のエンジンにガソリンを入れるような願いだから、是非通ってもらいたいと考えた。それには現在社会の課題の適切な改革案として、そして未来を準備する新たな枠組みとして、構想の価値が先方に伝わらなければならない。それでテキストディタに書いては消し、書いては消し…。結局最後は一気に書き上げてしまった。

拡張型の企画は予算が難しい。ある達成レベルを想定して予想経過を抱え込み、予算化する。だから可能性に応じて発行部数を徐々に増やしていくような、拡張型企画はそのまま予算に追えない。もうひとつは「わーく」は実社会のマスコミ営業ごっこ(勿論収支は社会的企業としてきっちり収める)のプレ就労であり、取材と称する「職場見学」であり「経営陣との出会い」であり、職業人・専門家との対話から「感化を期待する活動」なのである。

だからマイクロソフト申請に重要となるSNSネットの部分は、いわば「情報の血流の部分」であって、ネットのシステムの構成はOpenPNEや、NOTA2,DAISYであったりする。いずれも開発途上の刻々と変わるシステムで、構想計画のオンライン・テレコムとして描くことが難しい。つまり描ききれない部分が常にあって、申請の核心、ネットワーキングの部分の魅力がいまひとつ切れ味が悪い。携帯ネットとしても、若手ユーザーが面白がってくれないとまずは続かない。機能や操作性だけではないのだ。こればかりは、試験運用だけでもスタートしていなければ、見通しが利かない。

構想、あとは念力かけるだけ。

助成金関係では「DAISY 湘南」について「げんき基金」にかけるか、それとも「わーく」そのものの「ミニ講座・取材費」を俎上にあげるかという問いもある。悩ましい本当にそう思う。これだけやっているんだから、助成金をくれと主張できる若手人材が欲しい。

なにやら分譲住宅を売る不動産屋の気分になってきた。実は、スペアちがさきの皆さんに品川裕香さんの講演会主催団体になって欲しいとお願いして、無念、断られた。事情がそれぞれあるからやむをえないが、受験生の気分にもなっている。不動産屋と受験生…何だそりゃとため息をついている。

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昼間、茅ヶ崎サポセンで「さぽせんニューズレター」の印刷をやった。二色刷りである。分色多色刷りは十年ぶりくらいだろう。そのころの印刷機はインクが乾かなくて両面刷りで汚れ・印刷ミス(くっついてしまう)が連発して、そこに色を重ねる多色刷りは、よほどゆとりを考えないとぴたりと収まってくれなかった。トンボを飛ばすが機械の遊び(ゆるみ)が多く、無駄な労力だった。

印刷してすぐにインクが乾いてくれるので、かなり詰め込んだ配置でも、なんとかなっている。個人宅少量印刷が高嶺の花の時代で、汚れる謄写版からジアゾコピーが出たときは画期的と思ったのだとJさんに話したら、宇宙人の寝言のように話が宙に浮き上がって空転してしまった。歳の差は悲しい。

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DAISYのデモ版をサポセンの関係者に見てもらう。DAISYの基本フォーマットは平凡で、統合ソフトとしても、機能がいわゆる先端を切っていない。しかしこれは国際標準とし、息の長い関わりの可能な基本ツールを目指しているからだ。

少しその重要性が伝わったようだ。「わーく」から派生した起業第一号ソーシャルファーム(社会的企業)となるだろう。初夏までに研究会を立ち上げる。協力が得られないかと思う。

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*君の就職活動が始まっている。明日はハローワーク藤沢に同行し、*君生涯の就労支援連携チームを立ち上げる。サポセンは月例会員総会だが、欠席することにした。帰りに彼を藤沢サポセンに連れて行きたいのだ。

今夜は22日の私の提案会資料を作っている。14時。まさかひとりではあるまいなと思いつつ、悪夢を振り払っている。明日は牧野さんに教えていただいた方を訪ねに、*君の話のあとに江田に回る。お願い通るや否や。


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電話:Q子母・*君・児相・他3件
夜間傾聴:レギュラー冷やかし覘き 1名
巡回:なし(明日、夜間町田1件)
Amazon に上野・ソーヤー本、古書買いエントリー

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柔らかな菜の花をいただいた。はまぐりを買って帰宅。さあて、明日はパスタからかな…と。

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今回はマイクロソフト助成金申請締切前で手抜きです

2007-02-20 07:16:11 | 引きこもり
茅ヶ崎サポセンの広報、ニューズレターの仕上げのお手伝いといっても校正だけだが、堪忍してもらっている。途中*君の母親と話し合う時間がはさまり、賞味30分も手伝えなかった。

*君のお母さんとは、今回珍しく緊急の話題がなかった。*君が気持ちを一新しているからだ。困ったことにそれが無理していないかと老婆心を起こす。まあまあ、それがいかんのだと自制する。

昨日はとにかく家にもどって、マイクロソフト助成金の申請仕上げに集中した。「わーく」や、モデルが閉じることになってしまったが「ヤングジョブスポット湘南拡張版」や「DAISY電子出版」などのすべての企画にテレコムが入り込んでいる。だからその部分を正確に評価し、その価値を支えてもらうように申請書を書く。言葉は繰り返し宙を舞い、そのものを表現しきれない。果たして狙いが通じるだろうかと悩む。

来年度は講演会の内容が、諸構想に必要な専門情報に偏る。だから啓蒙型の講演というより研修会に近い。だから市のげんき基金が出ないだろう。ここに他の企画が加わる。個人出資は月数万は下らないだろう。金策をどうするか。「わーく」が出たら、企業まわりを再開する。人手が欲しい。賛同者が欲しい。

今夜は夜間傾聴を休んでいる。

*君から電話。明日面接試験を受けるという。道が開きますように。ただ祈ることしかできない。

p.s. まりもさん、どうも。個人的なブログなので読みにくいでしょうがよろしく。
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時間勝負になってきた、が…

2007-02-19 05:43:07 | 引きこもり
旗の台の子が入院した。食事を取らないために、内科入院である。体調に激変があるわけではなく、栄養補給と体調検査の予防策なのだそうだ。困ったなと空の手を打ち合わせる。当人の了解を取っていないだろうと予測された。マイクロソフト助成金申請締切りは20日。身動きがとれない。親御さんと電話で話をしているが、当人と話したい。

当人は鬱状態にあるという。病院に事情を話して、特別に今回だけFAXをさせてもらった。本人に届いているはずだが、応答が無いのだ。往復の時間が大きいので、自由が丘の子は日送りしていた。しかしこれも意味がなくなってしまう。今以外ない…。

このとき、四谷の障害児教育系の会合に出てDAISY出版の金策をしていたのだが、夜の約束があるので、中途で会合を抜け出す覚悟をした。五反田に出て池上線。途中の駅からすぐの病院に着いたが、当人が検査中とかで病室にいなかった。ナースステーションに聞いたが、まだ時間がかかるという。手紙を書いて封書を枕元に置いた。悪いが待っていられない、しんどくないときに電話するようにと書いて、蒲田に出た。

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茅ヶ崎に着いた。まっすぐ茅ヶ崎サポセンに向かう。

スペアちがさきの八城さんに合う。品川裕香さんの講演の件・「わーく」の件 etc.

八城さんは笑って話を聞いていた。

私は大げさだが状況分析の上に活動をおく。それが大風呂敷に聞こえる。しかし見通しを持って動きたいと思う。状況が困難だから実現不可能に聞こえる。それは大所帯の組織がやることと手放してしまう。私は「わらしべ長者」論を取る。

八城さん、笑いながら、堪忍してよと思っていらしたと思う。いやいや…スペア期待しています。ご検討宜しくお願いします。

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サポセンを出て、近くのジャスコで買い物をしている最中、同僚から電話が入った。旗の台の子が電話番号がわからないからと、教室の担任に連絡してきたのだった。封書が無くなっている?まずはともあれ、入院は自分の選択でもあるということがわかった。

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今日の夜間傾聴は緊急の場合を除いてここ二日間、堪忍してもらってる。

書き込みも詳細は、20日夜までお休み。ごめんなさい。

今日は午後から広報のニューズレター発刊作業、夕方*君の親御さんと会い、家で最後の追い込み。


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茅ヶ崎市との協働・意見交換会/朝日新聞夕刊1面に社会的企業の

2007-02-18 06:20:09 | 引きこもり
家族の昼食を済ませ、時計を見ると13時半。食事を必ず3食・そして米飯という父は外食を嫌がる。それを健康法と呼ぶ。母と交代で支えているが、こんな融通の利かなさを二十数年、食事時、出かけずに人に押し付けてきた父。男だから居直れる。食事でひとを縛ってきた。放置すれば、やかんの丸焼きとなる。食事準備中に風呂に入る、入ってから食事すると気持ちがいいではないかと平然と主張する。病床の枕元で食事はどうするんだと怒る。作る立場に想像力が及ばない。これは仕事についていた若い頃からの傾向で、退職してから激しくなった。私はこういう人間になるまいと思って生きてきたから、五十になっても同質の傾向の男性に噛みつくことになる。時間を合わせられない苛立ちを抱えて、13時開始の市との意見交換会を傍聴するためにバスに駆け込んだ。

すでに14時をまわった会場に飛び込んだ。またまた驚いた。前回と様子が違うのだ。福祉は福祉のテーブルに輪座して議論している。前回は質問者提案者と関連行政担当者が提案ごとに別テーブルに着いて、それ以外の方は傍聴者として周辺に座っていた。だから、提案者になれないという意味で、今回は意見交換会に出ないと言ったのだった。

ところが今回は「湘南ふくしネットワークオンブズマン」「翔の会後援会」「福祉ネット湘南村」が関連行政担当者や、他のNPOとともに同席し、合同で話し合っているのだった。この運営方法は、まったく事前情報が伝わってこなかった。これなら意見を述べることができる。あえて欠席ということもない。

茅ヶ崎サポセンでは、理事や会員が連日同じようなメンバーで会議や個人的な話をしている。ここで練られ、実行されたのだと思う。「口コミ」である。「翔の会後援会」のAさんも提案については面食らっていた。

結局、官民・民民のネットワーキングの必要性と継続した会合の場を持つことの確認以外、提案は出たもののそのまま持ち越し状態になったようだ。

湘南オンブズマンは「後見人」制度により社会的弱者を守るため「後見支援センター」を作るべき、専門性の高いNPOと行政との協働をさぐろうという提案。「翔の会後援会」からは、障害者・子ども・女性の「虐待」に対し解決につなげる社会的仕組みと窓口機能が弱いという提案。湘南村はセンターを増やすのではなく包括支援センターによって臨機応変に、対応できるNPOに振るような放射状のネットワークをつくる必要を説いていた。

いま・ここで生成している社会的な課題は、一度制度提案として丸められ場に投げられる。しかしこういう話をしている背後にも、社会の問題は生まれ、当事者は泣き笑いそして迷い苦しんでいる。そういうリアリティが常に生成しているのがボトムアップの活動の場。そこに孕む解決に導く施策としての政策の議論はトップダウンの活動だ。今回の議論はそのトップダウンの議論だ。いつになったら生身の課題を語ることができるのだろうかと思う。靴の上から掻くような思いがある。ボトムアップの活動のリアリティが反映していないのだ。詮無いことと思いつつも、虚しさを押し殺している。

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私の就労相談窓口設置提案は、内容の肝にあたる当事者間活動を無視して、対面カウンセリングと就労技術伝授という、従来の若年者就労相談窓口の「企業はめ込み型」の指導を基準にする「常識」につぶされてきた。当事者が手探りで仕事をつかみとること。起業することを含み、社会参加と就労に媒介された「生きていく価値観」に互いに触れていく意見交換をと私たちが主張すれば、行政は他団体の実績例を見せよという。だから類似例の無い新規の提案はそこには成立しない。

11月末、継続論議の糸を残して窓口設置構想が切り捨てられた時点で、周辺で様子見をしていた人が離れていった。行政の頭にあるのは従来の委託業務の発想、活動実績を見せよ、活躍している若者をだせという形で固まってしまっている。私はこの提案のボトムアップの活動が、様子見の谷間、3年間生み出せないままでいる。

以前なら不毛なトップダウンの活動の労力引き上げ、ボトムアップの活動に振り向けていただろう。ぱらぱらと私の前に登場する若者は、引きこもり、苦しみをぶつけてくる。それに対し、自分のなしうることを、自分の所属するフリースペースの無いまま、全力応答してきた。スペースを確保するにも、三度目の挑戦だから個人資金は底をついている。

スペースは必要だ。しかしそこを拠点として拡張する形の活動は、抱え込める子の数に限界がある。数直線上の点の稠密構造のようにスペース運営は手間隙の労力の底なし沼のようなところもある。トップダウンの政策提言を踏まえなければ、社会的な解決は難しい。*君やQ子のように、彼らの葛藤の伴走に力を尽くすことはまったく異論が無い。しかし、第二・第三の*君やQ子が生まれてくる。踏み出さねば社会環境は変わらない。

だから提案には具体的な像を描く必要があった。それ自身ボトムアップの活動であり、将来に当事者間活動の「就労しゃべり場」を内包した「わーく」発刊活動の提案である。これは導火線のような活動であり、「DAISY 湘南」(電子出版ソフトハウス)のオンライン製造販売の起業準備だった。行政には「就労支援実務者ネットワーク」の第三セクタの官民協働立ち上げを改めて提案した。

萌芽としての「わーく」発刊活動は、大きな資本金を必要としないアメーバのように増殖していく伸縮自在の組織である。当事者活動を組み込み、さまざまな企画を排出していく「仕掛けを仕掛ける」仕組みなのだ。一方、「実務者ネット」は新規窓口開設等企画提案と推進の場であり、困難を抱えた青少年の自助努力の企画挑戦のセフティネットでもあるのだ。同時に「わーく」等当事者活動の本体の見守り役、スタビライザなのだ。私の提案は、若者が活躍できる環境を彼らに苗床の形で提供していくことなのだ。

当事者の泣き笑いの顔の見えない蒼の洞門の掘りぬき活動を私は、やっている。この空転に解決の道をつけていくこと…。首を振り、付け根の肩こりをごりごりと鳴らして会場を出た。

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相模線に乗り入谷駅に出た。雨の中、座間駅方向に抜けて目的地についた。今回の巡回するお宅だった。現役高校生の年齢である。外国生活が長く、帰国後いじめに遭った。現在に至る複雑な事情を聴いて、今回はまずは顔合わせだけで入谷駅に戻った。見逃してはいけない。その子の股の間に押し込んでいた両手。その手首に傷が見えた。私にまわしてきた理由は、これかと生唾を飲んだ。

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ふと*君に妙に会いたくなったというものの、両手に遅い夕食の魚や野菜の買い物があふれていた。姪が逃げ出す格好である。食はひとの命を支えること。臆することはないのだが。

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ブログのアクセス数がここ2日ばかり3倍近く膨らんだ。今日はもとの数に戻っている。大体100ちょいがアクセス数ではなくID数になる。私は皆が真似のできるスタンダードを目指している。気に入ったらあちこちで真似してくれればいい。それには構想の完成度と提案の情況はまだまだだなと思う。所詮相互に情報を利用しあうだけのブログ、広報宣伝のメディアには、既存の対話に乗った掲示板誘導の先に置くHPの方がいい。一方通行の情報掲示メディアの限界は、テレコムの歴史が示してきたとおりだ。

しかし一体なんだったのだろう。「わーく」は某大手職業紹介誌関係者に、スポンサー依頼提案した直後だった。関係があるのだろうか。

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昨日の朝日新聞夕刊の一面に「ロストジェネレーション」が「社会的企業」を取り上げている。是非ご覧あれ。asahi.com からは有料になってしまうようだ。ここで取り上げられている例は、「よりよい」社会を作るためだったり、矛盾に立ち向かう「社会正義の活動」だったりしている。これってやはり変だ。視点が偏っている。

社会的弱者への差別・排除に抗することは、当事者の必要に迫られた活動である。支援者とてなぜ活動するのかその必要性は問われるだろう。支援者の根拠を社会正義におけばブッシュと大差ない危うい主観主義になってしまう。この隙間があるから『ソーシャル・ファーム』であって、行政請負業者の割り込みを許す『コミュニティ・ビジネス』ではないのだ。(注:『ソーシャル・ファーム』については、障害保健福祉研究情報システムDINFの『会議』をご覧ください。)

「オール・ニート・ニッポン」の山本さんは、新年度講演会に招待してみたい方だ。

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今夜の電話:支援者  2人
夜間傾聴 :めずらしく0人

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蓄積の見えぬ仕事ではあるが…/Q子、怒る

2007-02-17 06:49:04 | 引きこもり
朝、クラーク国際学園の方から電話が入って1時間早く起こされた。中3の子がいたら紹介してくれないかという内容だった。中2がぽつねんといるが、私のところに相談がくるのは高校生学齢以上の子達だ。30代の方もおり、対象者がいない旨を告げて電話を切った。私は疎外されているが、入試、ほされて5年になる。感覚はさびついている。

茅ヶ崎サポセンのニューズレター編集が進んでいる。といっても広報の皆さんにお任せなのだが、午前中以外は、出来るだけ協力しようと思っている。今日は原稿が市民活動推進課に回っているとかで作業はないのだが、口コミ情報で、いつも話がずれるので、サポセンに顔を出した。

特にこれという話もなく、サポセンを後にし、茅ヶ崎の育成会事務所を訪ねて「DAISY」のデモ版をおいてきた。Sさんとの約束がある。だからSさんのバリア解除がないと、内容の約束はできない。資料提供ということで、私の活動の現状と話が途切れることをなんとか避けるものでもあった。PC・テレコムものは、説明する前に皆が逃げ出してしまうから、直感的な内容先行掲示が必要。立ち止まってくれないと、話にならないのだ。案の定封筒内のものの解説は、宙をきった。月曜日に皆さんとデモ版をみていただくことで、引き上げた。

市の障害福祉課に立ち寄り、近況報告と17日の意見交換会は欠席する旨のダメ押し。4月の協働事業提案は出る旨確認。

*君の母親と、アポ取り。

Sさんと会えるかもしれないと、「とれいん」に立ち寄った。Sさんは不在、事務所にいる方も、相談にいらしている方の相談途中だったので「22日14時」のSCFの会合の再確認をして資料は渡さなかった。その足でまわった「ニコル」もお留守。

最後に茅ヶ崎市社協にたちよって、原田さんを困らせてきた。「DAISY」のデモ版DVDを貸し出し図書に加えて欲しいという申し入れであり、ボランティアセンター所属の諸団体の特に、図書館の図書録音をされている方々への情報提供依頼でもあった。近々会合にお邪魔するつもりでいる。原田さんは、また新規の提案に驚いていらしたのだ。

私はこの数年間、時にはストリングラフィー演奏会主催者であったり、引きこもり青年の就労支援活動をする市との協働事業提案者であったり、NPOちがさきの福祉PJ推進者であったり、いろいろなことを持ち込んできたからだった。…でもいつも同じ風体のおっさんなのである。話を聞きながら、受け取った資料(DVD)の操作ができるか、そちらも気になって仕方がないようだった。

横浜紅葉坂・県サポートプラザは時間的に無理とあきらめて、夕食の買物を駆け足で行い、大関さんの事務所にDAISYの資料回収に寄る。とにかく無茶苦茶に忙しい人である。偶然顔を合わせたのが珍しい。挨拶だけで引き上げ、家に夕食の材料を置いて再び駅にもどり、蒲田に出た。

そこにQ子から電話が携帯転送されてきた。静養のためにと遠くにいかされる。助けてという訴えだった。すぐに精神科医+さんのクリニックに電話。+さんは不在だったが、看護師さんに問い合わせ仲介を依頼した。困ったことに状況を理解できない看護師さんは、親御さんに連絡をとってしまった。結果、親御さんから連絡が私に入った。友人の慶事で山陰に行くので、気晴らしに娘を連れて行こうとしただけとのお話。この説明のすぐ後でQ子さんに電話交代。なぜ親に連絡したのかをQ子さんが怒るという状況が生まれ、一方的に電話は切られてしまった。裏切られたと感じたのだろう。だが後の祭り、どうすることもできなかった。

不可解な経過を抱えたまま、いつもの巡回喫茶店学習指導をはじめた。2*歳の彼女は長期引きこもりの結果、今指導されているのは中2の内容だった。サポート校の夏の海外体験研修(ホームステイ)は行くメリットがあるのかというような質問を受けて終了、旗の台へ。

旗の台では婆様が宿題を持って改札口に立っていた。資料を受け取り、彼は鬱再発で通院しているとのことで状況を聞く。

早く帰れるなら、帰りは要領よく帰らないと終バスがなくなる。大井町に出て品川から帰宅した。途中精神科医の+さんからメールあり。隔離入院の状態では全くないことが強調されていた。慶事の旅行という話を信じることにした。事実経過を携帯に打ち込み返信。何とも後味が悪い。

茅ヶ崎駅に着く手前でまた電話が鳴った。夜間傾聴レギュラーのPくんだった。「これから吉野家だから飯くわせろ」と告げ、吉野家で丼をかきこんで、何とか終バスセーフ。帰宅後そのまま受話器を抱えることになった。幸い短時間で電話を切ってくれたが、いのちの電話とは異なり話にクッションがあるというものの、こちらの気持ちが弛緩してしまうことが多く、それはたちどころに先方に伝わってしまう。すぐに先方の言葉が濁っていくのだ。

早朝5時前に、私が寝たかという脱力感たっぷりの電話がはいるまで、割合静かな夜だったので、夕食の浸かった食器の山を洗いながら、翌朝の父の茶漬けセットを作り、自分のコーヒーを引いた。マイクロソフトの助成金申請を書きながらメールチェック。スペアのYさんにメール。こうして一日が終わる。

横国大の高橋勝さんの
●「教育関係論の現在」(ISBN:4761007907)

到着。開けるのは何日後だろう。

沈没。

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私の一日のパターン/香川の湘南福祉センター下宿屋さんを訪ねて

2007-02-16 06:00:42 | 引きこもり
私の生活は完全に夜型。授業後帰宅してから通信塾(オンラインフレネ)や夜間傾聴をこなしながら、巡回する子のレポートや、教材・ネットサーチ・メール・ブログ書き込み等をやっている。申し訳ないが、先方当事者の命や人生の岐路選択ではない余裕がある対話のときは、話しながら別の作業をしていることが多い。生業ゆえお許しを。

私が話や作業をやめて床につくのが、午前7時か8時。だから11時台まで寝ている。午前中電話をする方がいらして、電話が鳴らないように睡眠モードにしている。ところが、宅配便や生協の配達・庭師のWさんなどは、この午前中にやってきて、門のブザーを鳴らさず、私の寝室横の縁側のサッシ戸を叩く。何回門のブザーをとお願いしても無駄。この普通感覚という無神経な行動にやられて、毎週木曜日朝は地獄となる。

父も朝が早い。3度の定時米飯食事を要求。自分で作れないし、よほどのことが無いとパンを食べないので、結局作ってやらなければならない。この前は袋入りのアンパンを電熱オーブンにそのまま入れて、袋に火がついた。父は電子レンジと区別が無いのだ。電子レンジ加熱の途中でふたを急に開けて、やかんをかけわすれてボヤになったりととにかく危ない。何十年もまったく変わらない。言えば怒る。結局握り飯などを私が寝るときに準備してから寝る。それでも冷蔵庫をかき回したり、部屋を不安定な足取りで歩き回る。午後は食事後眠ってしまう。夜も0時には高いびきをかいている。

だからバスや電車の中ではとにかく寝ている。

しかし今回の生協の配達には困った。縁側のサッシを叩く上、しばらくして父が応答したのだった。商品と交換に次回の注文表を渡す。ところが慣れていないものだから配達員の方に渡し忘れたのだった。母の指摘ですぐに気づいた父は、大声で販売員を呼び戻し、おかげで私は起こされてしまったのだった。結局2時間睡眠の状態で一日が始まった。

朝型人間は絶対に夜型に配慮しない。最悪の人種と思っている。

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両親に昼食を食べさせ、文教大湘南にでかけた。借りている書籍の返却と依頼論文が到着しているからだった。休みに入りがらんとした図書館で手続きを終え、学食脇の自販機のところで学生さんBさんと待ち合わせして、「わーく」の応援を依頼した。どうもすっきりした返事ではない。同席したCさんは、さかんに「がんばってください」を連発。こりゃ脈が無いと、粘るのをやめて、湘南台経由で相模大野にでた。

今日の巡回は順調。通学復帰で今回で私の担当がはずれる。時間がとれたので東芝林間病院で仮眠。藤沢に戻り市議会事務局と市保健所へ。その足で香川の下宿屋さんを訪ねた。

湘南福祉センター下宿屋の牧野さんにアポなしで飛び込んだ。いつもこの調子で申し訳ないのだが、どなたか職員の方がいらっしゃる安心感から、つい飛び込んでしまう。こんなときでも牧野さんは、歓待してくれる。感謝しています。

今回は「わーく」がとんでもない記事収集トラブルで遅れていること。「DAISY」の就労支援・生活支援のインクルージョン・ツールとしての可能性を語り、「わーく」「DAISY」への参加をお願いしていた。

牧野さんから、連続講演会講師にとコミュニティ・ビジネスを展開されている方を紹介してもらった。「DAISY」のデモ版をかけ、学習支援としてだけではなく、書籍選択の自由を獲得する大切さを説明した。PCの利用やインターネットというだけで、新しいもの好きとか、機械マニアというレッテルを貼って、自分を切り離してしまう。「DAISY」は標準フォーマットであり、新規なブラックボックスではない。古臭くも感じるが長期に渡って使用できるマルチメディア統合ソフトだからだ。話に区切りがついたので、次回のお知らせをして、引き上げた。

帰りに夕食の買い物。夜の巡回の予定変更連絡。帰宅すると「職業リハビリテーション学」(改訂第二版)が到着していた。なんとも教科書的である。夕食を作って、一息ついたところで電話が鳴った。夜間傾聴の始まりだった。

今回はパニック障碍が長い30代の青年。以前、短期間だが授業をしたことのある方だった。投薬相談がまじったので、それは医者にと断った。その医者が信用できないのだという。この言葉がとにかく皆さんから出る。私は仕事との付き合い方法の場面にしぼって語った。一時間。幸い、以降電話が無いので、メールとブログをかいて3時終了。*君から電話連絡。内容の煮詰まった文は、今はかけない。ただ、「いのちの電話」と違い私のしているのは、引きこもり青年の生活支援と就労支援。即、命の綱渡りの電話は連絡数が少ないので、なんとか始末がつくが、家庭内の大騒動のときは、親子が命を失う可能性があるときだけ介入する。

今日はこれで終わる。明日は情報収集。育成会資料届け。巡回2箇所。間に合えば県サポートプラザ。

以上

p.s.就職情報系某企業に助成金をもらえないか打診。急にブログのアクセス数が3倍になって、今日ぴたりともとにもどった。何かが起きていた。分析は今日の夜にまわし。
沈没。

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早すぎる春一番の風が吹いて/白浜養護学校にお邪魔して

2007-02-15 05:35:35 | 引きこもり
白浜養護学校にお邪魔した。T先生を捕まえてDAISYの講釈然り。かなりPCに詳しい方なので話が通じるのが嬉しい。(以前「音声ファイル」といって音楽を流したら、その方に怪訝な顔をされてしまったことがあった。「音楽」は「音声」ではないのである。説明したら本筋がリセットされてしまい泣いた。)

「わーく」はさまざまな企画・起業を産出する仕掛けだ。この起業の第一号予定が「DAISY 湘南企画(仮称)」だ。作品・教材のDAISY出版を行う。起業はソーシャル・ファームとして展開する。さまざまな形で、さまざまな人の参加が可能な活動を私は提案する。この協業が新たな地域を生む。

ざっと話をしてデモをとPCを動かしたらなんともはや、データをどこのディレクトリに入れたか忘れて大失敗。デモ版DVDを見てもらってお茶を濁した。

学校関係はいい。問題はここからだ。一般団体相手のときは、論点を整理した資料がいる。助成金申請やら、げんき基金申請・市との協働事業提案書類・「わーく」概説・「就労支援湘南実務者ネットワーク」の第三セクタ実現提案(茅ヶ崎市協働事業提案)書類でうんざりしている。

別のT先生から案内チラシをいただいた。

●「人・街・ネットワーク~どう変わったのか、地域の暮らし~」
  主催:地域生活支援フォーラム in かながわ 2006
  日時:3月3日9時半~
  場所:湘南工科大学
  ----- 詳細は下記に
http://blog.livedoor.jp/k_sonet/archives/50849196.html

無念。当日は東京・青海で「第一回特別支援教育全国フォーラム」がある。会場で合流する約束があって、地元の方は参加できない。どなたかのブログでレポート書いてくれないかなと都合のよいことを考えた。

春一番のような嵐の風が吹いて、外回りが難航した。入院した友人の病院は湘南鎌倉総合病院である。大船からモノレールで「富士見町」か「湘南町屋」で降りる。モノレールがめまいのようにゆれる。徐行運転である。傘がさせない。ぬれたコートのまま、病室に飛び込み、当人と鉢合わせする。活動の様子を語るが彼の頭は教組のことしかないようで、就労支援活動のイメージは、小学校教員にしてみれば、あまり関係のない世界なのだ。退院したら、イラストなどの得意なやつを紹介してくれることになった。

巡回訪問:相模大野・町田 2件
夜間傾聴:レギュラー   1名(なんと献立指導。自炊勧めたのが原因。)
知人からの電話:1件(神戸へ転勤。またひとり、気軽に会える相談相手がいなくなった。)

少々疲れているので、これで。




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夜間傾聴に来る若者たちは/巡回に終わった一日

2007-02-14 05:41:34 | 引きこもり
昨日は*君がカウンセリングを受けに、行きつけの病院に出かけ、私は私でハローワーク藤沢に行き特別支援課の方に、*君の就労チーム参加申し込みをしてきた。来週あたりに話がスタートする。適職探しの話であって、求人情報相談ではない。

私の夜間傾聴の登録者の大半は、もとの塾の塾生でさまざまな困難を抱えている人たちだ。しかし私が怪我が原因で塾を退いているので、参加者の多くは塾から紹介された直接面識の無い人たちだ。共通していることは、もとの塾では対応しきれなくなって、私のところに送ってきた人たちなのだ。

それに加えて口コミや、オンライン検索で飛び込んだ人たちがいる。話は厄介だがe-learning をオンラインフレネでやっていて、不登校の長期戦の悩みを別口で登録している人もいる。年齢は8歳~32歳まで幅がある。学齢期の方は就労相談ではなく生活支援である。生活支援ではなく学習支援の方は有料である。

ほとんどのひとが、インターネットでHPを閲覧できる。当たり前のことなのだが私の日誌も読んでいる。その関係で、話し込むと日誌の話題が出てくる。そのとき、話すだけではなく、掲示板などに書き込みをしてみないかと水を向けているだが、なかなかうんと言ってくれない。困難が現在進行形だからだ。

*君のことや、Q子さんのことは、ひとごとではないから心配している。同時に命の危機が日常紙一重なのだ、ということも実感しているようだ。実際、自分も死を考えたことがあるという人がほとんどなのだ。

*君に触発されて、東京のハローワーク行ってきたという%君、「疲れた」を連発していた。ペースを自分に合わせてくれることは稀で、ハローワークの担当者が指図してしまうからだ。しんどくなったら、電話をするようにと話をしている。

------

茅ヶ崎養護学校に、NPOサポートちがさきの「情報ひろば」を届けがてら、DAISY のデモDVDを持ち込んだ。学習支援というより就労支援の話を中心に高校部にラブコールを送った。これはこれで、「わーく」から派生した起業第一号として育ってくれればいいと思っている。

「Sigtuna DAR 3」というDAISYの製作ソフトの再申請を出した。このソフトの操作性がいいならば、話の土台は整ってくる。日本障害者リハビリテーション協会・情報センター宛に書式をメールした。

日本プロバイダ協会の理事のTさんから、朝電話をいただいた。「わーく」のテレコム環境作りの件で、技術的な相談に乗っていただくことになった。特に「OpenPNE」が設定時に動かない件は、何件も問い合わせがあり、また携帯ネット機能もまだ未完成な部分が多いと聞いた。東京で合流、相談を開始する。

とりあえず今回は、音声ファイルの携帯からの掲示板送信は、ファイル形式が社によって違うからだ。mp3形式の送信は、まだ少し早そうだ。CGI を作って、受けでコンバートすれば使えそうだが、開発費がかかる。

茅ヶ崎養護学校の帰り、バス停に立っていると、サポセン理事の益永さんの車が止まり、駅まで送ってくれた。ありがとうございました。

生業の方に移る時間が早かったので、茅ヶ崎高校に立ち寄り「情報ひろば」を届けた。ちょうどバスが来たところで、巡回をしてきた。

帰りに*君宅。病院の様子を聞いて、様子が安定してきたことを喜んだ。焦らず、じんわりと生活テンポを作っていこう。終バスが出てしまったので、おかげでダイエット競歩30分。差し入れ「ヤクルト」。

「わーく」概説SNS部分を書く。
「マイクロソフト申請書」続きを書く。
++さん、親御さんあてのメール送信。
巡回:2件>大井町・旗の台(AM & 昼)
夜間傾聴:なし
夜間電話:6件(支援者ばかり)
浜竹ぽれぽれに電話。DV関係の戸塚の集まり日程が重なっている。困った。

玄米が入る。また粥を作るか煎餅に向かうか。しかし時間が無い。沈没。

以上
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