湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネの地域学習活動・就労支援活動の実践試行を書き溜めていきます。

5/2ジャズフェスティバル茅ヶ崎にBI登場/18日あすなろ会定例会れぽーと/米粒煎餅復活を

2010-04-30 07:39:31 | 引きこもり
父の体調の悪化は、どうやらまた血栓が跳んだと見ていいようだ。今回の2泊3日のショートステイは、着替えの鬼ごっこだったらしい。頻尿状態でかつ失禁が固定し、着替えるとすぐにまた着衣を濡らしてしまう。紙パンツから男性器を出した状態に父がずり下げてしまうためで、これはポータブルトイレに立ったとき、紙パンツを脱ぐ前傾姿勢が取れないため、事前に脱いでいるようなのだが、これで失禁となると、紙パンツが意味を成さない。ベッドが洪水となり、着衣が濡れる。この繰り返し。足元がいよいよおぼつかない状態になって、間に合わずにベッド回りを濡らしてしまう。以前ならポータブルトイレの手前に水溜りが出来たが、今はベッドの出入り口、つまりベッドから立てずに放尿している。ホームでもてこずったらしく、交換記録(日誌)は担当者の悲鳴すら聞こえてきそうだ。

帰宅した父は、いびきをかいて昏々と眠り続け、食事のときだけ、私に起こされてしぶしぶ身を起こす状態。消灯時間に寝ている父に入れ歯をはずさせる場面で、困ったことが発覚した。父は私をホーム職員と間違えていた。

私:「この容器に入れ歯をはずして入れて下さい。」
父:「そんなもの、そこらに落ちているだろう、うるさい。」
私:「口に入っているのが見えるよ。」
父:「(男のくせに)半端者が家政婦の真似しやがって、あっちにいけ。」
私:「ホームの職員さんに、そんなことを言っていたのか!」
父:「タクシーを呼べ、帰る!」
私:「(トーンを落として)ここは家だよ、親父の家。」
父:「勝手にはずせ!」

布団にかけた私の手を払いのけ、ベッドがきしみはじめる。情けなくなった。ホーム職員の方に、こんな差別的な発言をしていたとは。父のバーバリズムは私が幼い頃から胃の腑が痛くなるほどに嫌な思いをしている。

このとき息を荒立てると相手は激高する。呼吸は見えない対話の判断材料となっている。とくに病人・認知症者・酩酊者は異様に過敏なほどに、相手の呼吸を読む…というより動物的感覚が前面にでるのだろうか。ホーム職員さんは話題をはずす。私は間を空けて、薬を飲もうとか、TVつけようかと、別の関わりに転じる。世間話は私も苦手だからだ。

今回は「下痢止めの薬を飲もう」という働きかけをし、入れ歯はずしにつなぐことに成功した。しかし気が重かった。ホームの方にお詫びする必要がある。

このショートステイの初日、新規に申し込んだ特養からテスト入所1泊2日を実施するにあたり、日が迫っているので、すぐに書類を出すべしとのことで、特養に行ってきた。どこのホームでもそうなのだが、指示に従うかという質問が必ず出る。「ご機嫌次第です」と答えている。しかし父も何を言ってもいいということにはならない。関係がうまく行っていれば、悪態は出ないといわれる。しかし今回の発言は、ただの悪態ではない。価値観というか人間観に寄っている。平常時にも差別言動はでるのだ。父を正すことが出来ないものかと思う。

父の体調の悪化から、歩けなくなれば、床が不安定な一階にベッドを移せないから、改築工事がいる。床の布団生活では、父の這う活動がよりやりやすくなり、厨房の冷蔵庫・風呂場の火の危険が重なる。隙間転倒や便器破壊、庭に出るなど目が離せなくなる。活性が落ちても家中が排泄臭に悩まされるだろう。おむつ拒否はよほど体力が落ちない限り続くだろうからだ。母や私は四六時中父から離れられなくなる。限界である。だから入所に持って行きたい。

しかし、この調子では例え入所が決まっても、いつ追い出されるかわからない。だから訪ねたホームのケアマネさんに、「いわゆる頑固爺ぃというか、クソ爺ぃです」と答えた。笑っていたが本当なのだ。

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ショートステイ2泊3日は、送り出し10時半、帰宅14時半だから前後一日は、中途半端に拘束されて使い物にならない。実質は中1日なのである。この中日、水曜日は貴重な一日となる。この日、私は海老名巡回を昼に済ませ横浜・寿町に出た。寿生活館のTさんに5月18日の市生活支援課との懇談会の盛り上げのために、Tさんが誰か関係者を必ず連れてきてほしいと口説きにいったのだった。Tさんとは、なかなか時間を取って話せなかったから、父の時間の制約がはずれたことが嬉しかった。

とにかく忙しい人だ。このときも電話相談が入っていた。話中も割り込みが1回、携帯電話2回という具合だった。しかし目利きのきく人だ。言葉の端々に問いかけが織り込まれていた。同時に構想世界の広さを測る問いの多いことに、少々気が重くなった。

帰りに「さなぎ達」さんに寄り、Taさんにご挨拶。様子を聞いてきた。ビッグイシュー販売からN君が身を引いたことで、お邪魔する場面が減っていたのだ。Sさんには会えなかったが、簡単な情報交換だったが時が埋められた気がした。

この足でそのまま、茅ヶ崎に戻り、市役所に飛び込み、終業時間間際の生活支援課に立ち寄った。事務連絡と懇談会調整のみ。

この日、18時半からは湘南あすなろ会の定例会に出た。

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昨日の定例会は、主に2つの内容だった。

ひとつは、5月2日に開催されるジャズフェスティバル会場のビッグイシュー販売が可能になった件で、事務的な準備の話。

もうひとつが、5月18日の茅ヶ崎市の生活支援課との懇談会の中間報告と事務的な準備の話だ。

1)新号追加と残部処理を東京事務所と調整すること
2)現在あるバックナンバーを活用すること
3)開場30分前に冊子を持って現場集合
4)販売員の活動紹介中の留守番
5)利益は当事者折半。おつりは各自で準備。Oさんが補助。
6)Oさん作、会紹介チラシ増刷。

というようなことが決まった。

販売員さんの入場料は、14円/冊の卸純益と不足分は、従来のカンパや貯金から補填しよう。(確認し忘れていた。)支援者は各自で入場券を購入すること。

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後者の懇談会関係では、市社協や(寒川町担当になってしまうが)保健福祉事務所生活福祉課・保健予防課に懇談会参加を呼びかけることになった。就労支援関係は、今回は資料提供のみ。

資料作りをメーリングリストを使って練り、次回定例会には原案が上っている状態に持って行きたい。

こんなところで時間切れ。今朝は販売員E君が東京事務所に、会場販売用の新号を受け取りに行っている。

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IPSリカバリーのキャラバン隊の当事者さんとの当事者懇談を5月に仕掛けている。これも昨日(木)に呼びかけ資料を作っていた。今日は私の胸部検診の結果を聞くために**病院にいく。その前に社協と保健福祉事務所に行く。病院から家に戻り母と交代して留守番中、文書作成。夜は橋本巡回。帰宅後、夜間傾聴中に18日の資料作りの予定。


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以前、私は引きこもり青年たちと軽度障碍の青年とのカフェ作りを市との協働で作ろうとしたことがある。このときのカフェが和風で、販売品の開発に「せんべい」を構想していた。ニクロム線を使った長火鉢も作った。構想がつぶれて「せんべい」もつぶれたが、これには菓子の専門学校にちょこっと通ったこともあって、残り火があった。

この「せんべい」は誤解を生んでいた。網の上で箸でからからと返して醤油をしみこませていく、いわゆる醤油せんべいが連想され、巧緻運動の苦手な障がい者には無理と話も遮断されて苦い思いをしていた。私のせんべいは、せんべい汁に使ったり、お好み焼き風に使う、家庭では残ったご飯をつぶしてつくるせんべいとおかきだった。前者は鉄板バサミや網バサミを使って焼けるだけでなく、様々な工夫が加えられる。後者は分量と温度の関係を伝えれば網で揚げるだけだったからだ。前者は家庭では残飯整理に昔焼いた米粒せんべいである。悔しいのは米粒せんべいの方。

なんとこれが「コープかながわ」の冊子「M'io」(2010.4.19 Vol.829)の表紙にもろに出てしまった。やられたと思いつつ、冊子を眺めていた。これに日本茶の組み合わせは、結構いい。自画自賛だが、一度現物作って当時の関係者に食わせたいと思った。馬鹿な話ではあるが、やる価値はあるのだ。どなたか真似してみませんか。多少ネタもあることだし。(例:たまごご飯の煎餅等)


夜間傾聴:□□君(仮名)
     中延君(仮名・久しぶり)


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父の怪我に振り回された一日/今日から2泊3日ショートステイ

2010-04-27 14:57:49 | 引きこもり
日曜日の朝、父の寝室に行って驚いた。ベッド柵がはずされ、布団と一緒に父がずり落ちていた。移動してしまったサイドテーブルとベッドの間に父の頭が挟まれていた。3時過ぎに覘きにいったときは、ベッドの端に身を寄せていたが、ぐっすり眠っていたので起こさなかった。明け方、騒動が起きたのだと分かった。

父は手を伸ばすことも出来ないほど憔悴していた。布団は尿浸しで、足首には漏らした下痢便と、びしょ濡れになった尿取りパッドが垂れ下がった紙パンツがひっかかっていた。

宙吊りになった水袋を持ち上げるような状態で、どこから手を付けていいのかわからない状態だった。父を床に落とすことにした。足をばたつかせて父は抵抗し、やっと身体に筋肉が復活したような不思議な感覚を味わった。紙パンツの交換前に身体の異常をチェックしたかったが、紙パンツが周辺に便を飛び散らせてしまうので、包帯用の鋏で紙パンツを切り取り、父の姿勢を直した。ベッドから悪臭が立ち込めた。慣れているとはいえ、地獄。

アルコール入りのティッシュを使って身体を拭きながら、異常を確かめていった。麻痺側の腕にどうやらくじいたような痛みを訴え、同じ側のあばら骨の部分を触ると顔が歪んだ。布団と一緒の宙吊り事故なので、骨折は考えにくかったので様子をみることにした。

母が異常音に気がつき階段をあがってきた。母はダイレクトに父に怒りをぶつけるので、父は母に気がついて起き上がろうともがき出した。口論するにも寝ていては不利になる、臨戦態勢というか。それよりもびしょ濡れの衣服を着替えてほしかったのだが、母は周辺を片付けながら、今日も一日、おしっこで家族を縛り付けるつもりかと声を上げ始めた。「縛り付ける」が父には分からない。「タクシーを呼べ。床屋にいく。」と父は怒鳴り始めた。慌てて周囲につかまり尻餅をついた。布団の上で立ち上がるのは危険だが、すでに立ち上がる力は無く尻餅を繰返すのは、むしろ布団が有った方がいい。

脇の下を抱えるわけにも行かず、布団から転がして父を出し、古い壊れたワープロを布団で包み、低い山を作って父の尻を押し上げた。ここから椅子へ、椅子からベッドへという作戦だったが、母が作戦を理解せず、通り道の椅子をどけてしまったり、布団が傷むと怒り出したので制止。父はやっと登った布団の山にさえ、姿勢を維持できないので、背後から腰を抱えて補助し、椅子に移らせた。倒れ掛かる父の全身。私の腰がきしみをあげた。

母に父の座位を補助させ、私はシーツ交換とベッドの拭き掃除を済ませ、父の腰をベッド側から引き寄せた。母は父をベッドに押し上げた。入れ歯がベッド下に落ち、父の注意がそれを取ることにそれて戻らないので、大きな掛け声で父の関心を遮断。強引にベッドに引き上げた。手を緩めれば、ふたたび身体は床に落ちてしまうからだった。私の両肩と腰が痛んだ。そこにティッシュの空箱が飛んで来た。無理やり押し上げたことを怒っているのだ。自力を失った75kgの体重はさすがに重い。感謝のない介護はさらに重い。ベッド柵を戻して一段落ついた。

父はその日、抗議の断食を始めた。しかし身体は失禁を続け、苛立ちは孫の手でベッド柵を叩く行為を引き起こした。その結果、父はベッドから下りなかったので、紙パンツ交換が楽だった。TVを点けておくと、孫の手を伸ばしてベッド上から電源を切った。鬱陶しいのだろう。しかし私には、利き手を伸ばす動作、身を支える麻痺側の腕、半身ひねった上半身の緊張と痛みの様子を見る機会だった。体重のかかり具合から、大丈夫と判断した。

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翌朝、父はベッド中の尿の海の中で寝ていた。デイサービスに行く時間と、私の内視鏡検査の予約時間はゆとりが無かった。30分早めに父を起こし、ポータブルトイレの排泄を要求する父を背後から抱えて、男性器の先にサラダオイルのボリ容器を切り抜いて作った「樋(とい)」を当てて、父の排尿を手伝った。倒れ掛かるサンドバッグの先でグリップを握るような体制で少なくとも5分は姿勢をい児しなくてはならなかった。前立腺肥大を起こしているので、尿がなかなかでないし、排泄感覚が鈍っている。生臭い。

父の排泄と着替えを済ませ、事前に作っておいた朝食を父の前に置いた。その場で父はカップを落とし、床は水だらけになった。拭かない!決断して階段を降り、あとの面倒を母と到着したヘルパーさんに任せて、シャワーを浴びに飛び込んだ。ところが母が洗濯物を風呂場に干していた。時間が無かった。四肢と上半身を清拭し、洗面。そこにホームから電話が入った。いつもより10分早い。慌しく着替えを済ませ、ヘルパーさんと父の階段介助をしている最中に、ホームの迎えが来てしまった。しかも母は私たちの後ろ、階段の上にいるので、玄関先の対応ができなかった。そこに約束の時間より10分も早く、事情を知らないタクシーの運転手がやってきてしまった。私が焦れば、父はその焦りだけ受け止めて、足元が乱れてしまう。恐ろしく長い時間が流れたように感じた。どうしようもない間の悪さ。

1階に父を降ろしたところで、ホームの車椅子を押しのけて、タクシーに飛び乗った。しかし安全策を忘れていたのだ。我が家の車椅子で出かけてほしいというひと言だった。

20分遅れで検査を済ませたところで、母から電話が飛び込んだ。ホームの看護師さんから連絡があり、父を整形外科に見せたほうがいいから引き取るようにとの電話だった。予防線に我が家の車椅子で出かけさせる判断が当たってしまった。きるのと同時に、入所希望を出していた特養から父のテスト入所が5月連休中の1泊2日が決まり、書類にサインがいるという。幸いこのふたつの処理は、道が直線に並んでいたので、タクシーの乗り継ぎで解決することにし、先に新規の特養を訪ねて書式を受け取り説明を聞いた。何処もよく似ているが、持ち物などは微妙に違い、間違えると杓子定規の交換を要求される。髭剃りひとつ間違えても、ホームに届けなくてはならない。長くなりそうなので施設長さんに用事を作って話をしてきた。引きこもり青年、とビッグイシュー販売のEさんの就職の件だった。ケアマネさんを煙に巻いてしまったのだが、なんとか話を伝え、通るタクシーを捕まえて、父がいるホームまで移動、そのまま待ってもらって、父をタクシーに移らせた。

車椅子のない状態で病院着。受付にいた看護師さんを捕まえて、病院の車椅子に移すことを手伝わせ、整形外科外来に急いだ。このとき私は大きな抱え荷物を持っていた。それを持っていては車椅子を押すことが出来ないので、受付に頼み込んで預かってもらった。ところが整形外科は外来診療を終えており、救急外来で見てもらうことに。周辺の看護師さんは走り回っている。私がいなくなると、ひとりで車椅子に座っていないという父の癖が出て、立ち上がってしまう。だから荷物を引き取りに行く暇が無いのだ。問診表を持ってきた看護師さんに頼み込んで、数分父のお守りをたのんだ。

この間を利用して、帰路、病院から我が家のベッドまでの応援を確保する電話をかけた。介護タクシーである。車椅子を持ち込み、その車で移送した後、寝床まで運んでくれるのだ。ところが携帯電話帳に記録がなかった。どうしたものかと困っていると、ふと横を向いた視野に、車椅子の背にかかり付けの介護タクシーの広告板が下がっていた。偶然その表示番号を知り、これでやっと父はベッドに戻れるのだった。

父は診察室にいた。状況を説明し、レントゲンとなった。父は撮影台のベッドに横になって撮影するのだが、ここで意外なものをみた。技師が父の脇腹を抱えて移動していたのだった。私が触っただけで大声をあげた部分を何のことなく抱えられていたのだった。

結果は軽い捻挫。救急だったので保険証や診察券を持っていなかった。今日中に持ってきて会計を済ませるように指示されて、父をベッドに乗せ、用意しておいたおやつを枕元に出して、玄関を飛び出した。バスの時間だった。病院にUターン。会計後、一応湿布薬と頓服の痛み止めをもらって始末を終えた。

終業時刻の迫る市生活支援課に飛び込み、5/18の懇談会の調整。担当者と会えず話は煮詰まらなかった。あすなろ会のOさんからは、ビッグイシューのバックナンバーが100冊溜まったので返本をするようにと、我が家の玄関先に荷物を届けてくださっていた。母の携帯からその本をどうするのかという連絡の頃、私は求人情報を持って鶴が台団地にいた。久しぶりの引きこもり青年H君は、会う気なし。ちと虚しくなって、NPOのネット古本屋さんの顔をみてきた。忙しく空転を重ねている身には、格闘している彼が栄養剤になりそうだったからだ。

そこにIPSリカバリーのキャラバン隊の当事者懇談はどうなったのかという問い合わせメールが入った。精神の関係者と会わねばならない。先方はIPS自体を知らない。どうしたものかと思いつつ、生協で買い物を済ませ、バスに飛び乗った。

父が静かにしているか確認電話。コインロッカーに買い物を詰め込んで、海老名に出た。小田急相模原君と会った。なんとか終バスは免れたが、予定がかき回された無茶苦茶な一日だった。

《気になる書籍》
●「若者と初期キャリア―「非典型」からの出発のために」


p.s. 父、転げ落ちそうになりながら、階段をやっと降り、2泊3日のショートステイに出て行った。昨夜ずり落ち1時、5時前の2回。懲りない。うんざり。

夜間傾聴:橋本2君(仮名)
     ******君(仮名・こちらから)
     小田急相模原君(仮名)


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父の見守り留守番を得て/「月明かりの下で ある定時制高校の記憶」/全国NPOバンク連絡会

2010-04-25 17:30:32 | 引きこもり
父の在宅介護が破綻したとき、救急の対応はホームの救急時の空きベッドの有無に委ねられている。だがその前段程度の、家族介護者自身の治療で家が急に留守になる状態が生まれたとき、なかなかケアマネさんが捕まらず、その家族がサービスを受けている事業所に直接連絡を取らなければならないときがある。私の家の場合、訪問看護と訪問介護のそれぞれが各1ヶ所非常対応の契約を入れているが、前者は父当人が急に怪我や発病したとき、つまり救急車の前段程度の異常のときである。後者の問題は、その時点の事業所の都合で、直接対応できないとき、他の事業所に応援を頼むので、これが時間がかかってしまう。

父の大便騒ぎが治まらない。少しでも便が漏れると、ベッドの上で紙パンツを脱いでしまう。足の状態が悪いので、始めはベッド下に落ちていたが、今は印刷インクを伸ばすときのように、尻でシーツに便を伸ばしてしまう。1日3回の紙パンツ交換が6~7回にほぼ倍増。紙パンツの補充も車が必要な状態になり、通販に切り替えた。いっそう目が離せなくなったことが、介護者にとってはダメージとなる。紙パンツを自分で脱ぐなという話をすれば、手近なものが飛んでくる。全く受け入れてくれない。

しかし、今朝も濡れた衣服の交換と臀部の清拭をしている最中、拭いたばかりなのに、便だらけの紙パンツを持ち上げてはいてしまったり、上半身の濡れた上着を脱いでいる最中に、手を伸ばしてテーブルにある入れ歯を取ろうとして横転しそうになったり、今は脱いでいるのに必死になって着ようとしたり、場面が理解していない混乱がひどくなっている。怒り収まらず、ベッドに戻ってベッド柵を投げ飛ばしてしまう始末。

私は週明け、明日が9:30から胃の内視鏡検査である。9:00に父を送り出してその場でタクシーに乗り病院に直行する。互いに時間の融通が効かないので、こういうこともおきるのだが、これが異常が発見されたとき、父の介護をどうしたものかと頭が痛い。

私は昨日、浦和と東京を回ってきた。昼間は父の旧い宗教関係者の知人に、留守番を頼んだ。さすがに下の世話は頼めないので、そこは母が始末をしたのだが、母が近所で買い物をする間ができた。父がデイサービスやショートステイに何とか出ていってくれないと、私の外出も困難な状態になっている。宗教を信じるかどうかは別として、留守番を承諾してくださったこの方に感謝している。

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昨日は、私が製作時のカンパに協力していた関係で、浦和の現地で有料特別試写会がひらかれたドキュメント「月明かりの下で ある定時制高校の記憶」を見てきた。一般公開は7月3日の東京有料試写会からだが、私の生業の方の子に似た子もちらほら。定時制は、いわゆる社会常識の学歴取得のための学校に合わなかったり、切り捨てられたりした人が8割を占めている。ひとの生涯は千差万別なのに、「普通」と「一般」の煙幕がひとを見えなくしている。重い家庭環境や心身条件を不器用に生きた若者や熟年者が、生きる心の糧とつながりを求めて校門をくぐってくる。採算の鉈(なた)で廃校に追い込まれた浦和商業高校定時制の最後の授業記録が、人肌を感じさせるほど身近な目で描かれている。

登校してくる生徒さんの背景は直接は見えない。しかし、自分の境遇に向かい合うからこそ、学校に出てくる。その一点の信頼を絆にお互いが結びついている。しかし、私のようなサポート校とも言えない中途半端な予備校や、私塾の世界と違うのは、私たちのところは、もうひとつ、進学という方針を選んだ方が月謝を持ってやってくる。目に見える成果を有期限に求められるところがあることだ。親の期待が本人の屈折した意思とは違うかもしれない。しかし、流れがあり方向付けられている世界なのだ。

この記録は定時制が、そのひとりひとりが悩みながらコンディションを整えていく様子が描かれており、レッテルの向こうにひとを感じる優れた作品である。関係者や当事者家族等150名近くの観客も満足しただろう。

しかし同業者として、重箱の隅をつつくならば、ここには「知識の価値」が描かれていない。最後に、廃校方針に抗議する卒業生たちの「支援」が主張されているが、その「支援」が描かれていないのだ。文化祭という協業の場面の豊かな表情が日常の表情と明らかに違うなら、宝物のような時間の記録が薄いのが残念だ。

茨木のり子さんの「自分の感受性くらい」が説教の場面で出てきたのにはのけぞった。既に定番、乙業式にはアンジェラ・アキを歌わせておけばいいとか、正面突破は、茨木のり子だというような教員の定番が出来ている。偏屈な目であるには違いないが、突然,しらけさせられてしまった。

突然浅瀬に乗り上げた場面はもうひとつある。なぜか映倫のお墨付きマークのように、所属政党のマーキングかもしれないが、原爆と沖縄の深い課題が突然挟み込まれる。それまでの教室の深い心のやりとりに、突然神の託宣が降りるようなカットを挟み込むセンスのなさは嫌になる。ここだけでひとつの作品が成り立つようなテーマをなぜちょこんと挟むのだろう。製作者の見識を疑う。人道から授業をしているのではない。生きようとすり合わされば道が見えてくるのだ。

こういういくつかの問題点を抱えながらも、定時制スナップショットと考えれば、よくぞ表情を選び抜いてくれたという作品である。湘南で上映するなら協力したいと考えた。7月3日,一般公開には見に行って損は無い。

最後の浦和商業高校定時制卒業生の太鼓集団「響」の実演の前に、次の企画の時間が迫っていたので、胸に響く太鼓の音を背に先に会場を失礼した。

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浦和の駅前で、なんとビッグイシューの販売員さんに会った。通り過ぎるのも何なので、この際とジョニー・ディップの132号を買ってきた。売れ筋である。

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ビッグイシュー東京事務所に立ち寄り、遅れていた4月上旬分の支払いを済ませてきた。バッグを入れ替えたのでカード・通帳が前のバッグの中だったということだけなのだが、父の一件で何回も同じ失敗を繰返していた。入金時、忘れて持っていかなかったのだった。

販売担当の面々は土曜日で既に退社しており、Sさんに委ねて、早々に三軒茶屋に向かった。急がば回れ、とんでもない事務的ミスをして、事務所を出てしまった。私は事務能力が無いのは、前々からのこと、反省。

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三軒茶屋の市民会館では、NPOバンク全国連絡会が開かれていた。マイクロファイナンスの実践交流の企画だった。マイクロファイナンスというと発展途上国の最下層の方の貧困脱出を図るための自立興業施策というイメージがある。ホームレスや資本の無い無業者のような、資本や担保も社会信用もない者達が、経済自立と社会参加を成し遂げるために、リスクの大きな金融を社会運動として支えていくファンドもまたマイクロファイナンスだ。

案の上、大半は発展途上国へ向けられたJICAや行政法人的な立場の方の話が多かったということもあるが、私はその情報の隙間から情報をつかみとるために、時流を確認しに行ったという野次馬参加である。アリスセンターの水谷衣里さんの講演が聴けたのは収穫だったが、あとは土屋さんの顔と名前を一致させて帰ってきたようなもので、途中の母からの呼び出し電話は痛かった。夜間は留守番が母ひとり。父が倒れたら終わりだから、すぐ帰ってきてくれという悲鳴のような電話だった。信者さんが留守番していたときに、すでに2回トラブルが起きていた。転倒と、ベッド上の噴水だった。

40分遅刻で飛び込み、1時間前に退席とは何をしに行ったか分からないような話である。しかし勧進帳ひらいたようなダイジェスト解説には、それなりのヒントはあった。しかし、多重債務者対象のマイクロファイナンスなど、個々の事例とグループ討論はこれからだったのは残念である。参加は、圧倒的に20~30代の若手。爺ぃは、ちらほら。ファンドだから、受給期待側は私ぐらいのものだろう。水谷さん、どこかで見たような白髪頭と思っていたようだ。Vサイン出すわけにもいかず…。

《参考資料》
●「全国NPOバンク連絡会」

夜間傾聴:中央林間君(仮名・こちらから)
     □□君(仮名)


(校正1回目済み)

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父の体調悪化対策/活動の停滞を避けるために

2010-04-23 12:00:03 | 引きこもり
父が言葉を発しなくなった。下痢の症状が月曜日の夜から始まり、翌日、一日中戦争状態があり、水曜日に治まった。細菌性のものではなく、父の慢性的な便秘が原因。宿便が出た後、痔の鮮血まじりの軟便が噴き出した。しかし、父は漏らすと、紙パンツをその場で脱いでポータブルトイレに行こうと焦り転倒を繰り返し、ベッド周りを殺人現場並みの血(血便)だらけにしてしまう。日曜日に3ヶ月おきの往診を受けたばかりだった。

痔の薬ももらっているので、様子を見るようにと電話で指示されたが、やはりこれだけの血が散るのを見ると、正直冷静ではいられない。内科医としては、父のおむつ拒否は範囲外。それには違いないが、夢うつつの状態のときさえ、効かない手も動かして、もがくように紙パンツを脱ごうとあがく。腰があがらないので、背中側のパンツが残り、脇から下痢便が流れ出す。剥ぎ取るように紙パンツが下がるので、ベッド中、汚れてしまう。

以前、ポータブルトイレをベッド脇に置いていた。ところが全体重をトイレの肘掛けにかけて、トイレごと転倒したり、転倒後、腕の力に頼って、ものにつかまり、身を引き寄せるように立ち上がるので、トイレを投げ飛ばしてしまう問題が頻繁に起きて、位置を引き離していた。今は、数歩サイドテーブルにてをついてたどり歩きした後、ポータブルトイレの肘掛けに手を伸ばし、身を引き寄せようとする。この時、手が滑って転倒したり、身を引き寄せようとして、トイレもろとも転倒してしまう。おむつに替える試みも、父が脱ぎ去ってしまうために、新しいおむつは、つける段階で介護者の手をかきむしり、押し出して抵抗、装着できないのだ。

母が以前階段を踏み外してくるぶしをひねった。今回の下痢騒ぎで階段の往復が増えて痛みをまた訴え出したので、父の介護は私の外出時は、実質放置状態になっている。月曜のデイサービスの往復のとき、家族と話す時とは別人のように、ヘルパーさんと大声で歓談していたことが母には耐え難い屈辱に受け止められている。その心理効果も無視できない。

私も家族の立場に立てば、子どもの頃から言葉と間接暴力行為の屈辱を受け続けてきたから、スティグマの影響を否定しない。しかし、私自身、トラウマの連鎖に自覚的になったのが学生時代。一応の切換えは出来ているつもりだ。これがなかったら、父の介護は放棄していただろう。父は名前の無い「人」として関わる場面が多い。紙パンツ拒否騒動や転倒から起き上がるときの、利き手依存の引き寄せ行動を制止するときの衝突の場面だ。母にそれを真似させるのは無理だ。

不登校・引きこもり青少年に伴走する立場にいる関係上、就職相談を受けることも多い。このとき医療や介護従事者になりたいという方が結構いる。私の提唱する「ケア・パートナー」型就労も、保護的に他者と関係を持つために、同様の問題を抱えるのだが、ひとと関わる仕事は、ひとが従順とは限らない。このとき、自分が相手を矯正している歪みや、自分の心には偏りが常にあり関係に歪みの影を投じていることに自覚的であることを彼らに伝え、場面が通じる子以外は、やめたほうがいいと伝えている。

これは教育者もそうだが、その場合は一対一の関係の比率が出るなら、その比率と深入りの確率が身の振り方次第で調整できる自由さがある。私は観察者という眼差しに異論を持つので、自浄的(自省的)な自己管理(自己変革)が成しうるかという点で、同質ものを孕んでいるのは同じだ。現実には信じられないプロが蔓延しているのも事実。しかし、これからその世界に入るものには、自分をも壊していく選択になりかねないと、慎重に話している。

父の件は、次第に母とのチームワーク体制では無理になってきている。私の検査の異常は、痰に血が混じっていたことだ。歯槽膿漏の血と考えたが鮮血ではなく、その時点で膿んでいるところもないし、胸部レントゲンにも異常は認められないので、気道、咽頭、食道までの異常が疑られているが、癌や腫瘍以外は即座に介護に影響が出るものではない。しかし、父がベッド上の寝返りが困難になってきており、明らかに状態が悪くなってきたことが、介護者への負担となってのしかかってきている。これが一番問題になっている。

父がホームとして利用しているホームは男性入居者枠がない。これが今回問題を複雑にしている。有料老人ホームの資金が無いので、新規の多機能型の事業所に籍を移せば入所の可能性は高まる。しかし、介護は体制と職員の質が決定的なので、テストを重ねておかないと、父が入所後爆発すれば、元の木阿弥である。せっかく摺り合わせができた事業所を捨て危険な勝負に出ることになるからだ。今私が焦って入所候補事業所を回っているのも、現在のホームに基礎を置きつつ、ショートステイで新規の事業所のテストを重ねていくという方針を前提にしている。入所の可能性は待機者3~400名の状態では、在宅介護がどれほど重くても、即時入所できるかということは、運の要素が強いのが現状だ。当人の健康状態の条件よりも。介護者の条件が悪化しているとき、その部分は果てしなくグレーゾーンであって、優先順位も事業所の判定会議だけでなく、ケアマネさんたちの判定会議で調整されている。だから状況をケアマネさんのところに常時提供しておく必要があるが、現在の家庭の事情を即座に入所によって解決できるわけではない。

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私が検査を受けている間、母が父の介護をしたのだが、幸か不幸か父は眠り続けていた。私は整形外科に2年間某病院に入院したので、この病院の実態を見ているので、ここは使いたくなかった。そして父が強圧的な医師と看護師に対し即日爆発した某病院も使いたくなかった。ここは故**君が救急外来で昼夜恐ろしい対応をしたところでもある。ここを除外すると市内は選択肢が無い。結局医師の質が低い某病院で検査を受けることにしたが、CTは我が家から遠い連携病院に行かなければならなかった。結果は30日にでる。しかしまだ、これから内視鏡検査が待っている状況だ。

訪問看護師さんを間に入れて父を看てもらったが、その場面では父は従順だ。問題は排泄のために動き出したとき。さすがに階段を降りようとはしないが、ベッドに戻るときも、ベッド上で無理な姿勢のまま身動きが出来なくなり、腕や頚部に無理がかかり痺れを訴えることもあるから目が離せない。

時間の隙間を利用して、呆れられるが買い物袋を下げたまま福祉事務所に野宿者支援を中心にした懇談会の案内を届けたり、ハローワーク関連にIPSリカバリーの当事者懇談の情報提供をしてきた。障害福祉課と雇用促進課は改めてじっくり資料を持ち込んで話す予定。横浜・寿町へは、昨日の雨に祟られて出かけなかった。

今日はこれから午後、湘南あすなろ会の関係で、カウンセラーの方と話し合いを持つ。某工務店の会長のKさんも参加する。少しでも拡がった話しになればいいのだが。

終了後、寿町か稲城長沼に調整話に出る。久しぶりの巡回をすませて帰宅の予定。夕方、母の友人親子が電話で出動できるように在宅待機してくれる。こうした支援があってなんとかなってきた。明日は浦和で定時制高校関係の集まりがあり、帰りにビッグイシュー東京事務所で支払い。日本財団関連の方と新宿合流CANPAN話、シブカサの方に連絡を取って、夜からは三軒茶屋でNPOバンク連絡会の会合に出て帰る予定。夕方までは、母の友人親子に拝みこみ母のサポートを頼んである。

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●「自閉症スペクトラムと問題行動-視覚的支援による解決-」に、「わーく」画像放送に通じる発想あり。ヒントを得るために、部分コピー読み(移動中部分コピーを持ち歩き読む方法)を始める。

4/22夜間傾聴:******君(仮名・母親)
       小田急相模原君(仮名・こちらから)

(校正1回目済み)

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すみません月曜日から父の介護に振り回されています、午後記事を書きます

2010-04-22 07:52:23 | 引きこもり
父が月曜日夜以降、父が下痢を起こし、大便騒ぎに振り回されている。階段昇降が困難になり、火曜日の朝、痔の出血も大きく、訪問看護の臨時依頼をし、薬で様子を見ている。食事を拒否しているが血糖値が300台に戻り、介護タクシーで連れ出そうとしたが、便意を催し通院させるなら救急車が必要になっている。昨日、やっと食事をとってデイサービスに出て行ったが、ホームでは眠り続けていたという。

私自身の方も、自覚症状がないのだが、昨日の定期健診で食道(または咽喉部)に異常が見つかり、今日も9時からCT検査ということになった。今日は巡回を移動したので、午後からは書きこみ出来る予定。

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茅ヶ崎市生活支援課との懇談会話が決まった。これがセイフティネットの芽になってくれればいいのだが。チラシを完成させ、関係者に配布中。(偶然、社協前の路上で市長と会い、チラシを手渡した。)15名程度の関係者の懇談会になりそうだ。今回は目的が、行政新体制下の懇談交流なので、積極的に公開はしない。5月18日13時半から、茅ヶ崎市民活動サポートセンター集合(人数に寄って近隣会場に移動することあり。その際は窓口にお問い合わせを。)一般参加可。

今日、寿連絡会のTさんとコンタクトが取れれば、午後、横浜・寿町にでる。

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IPSリカバリーの当事者懇談会の話の根回しが一向に進まず困っている。父の体調悪化と私の再検査が原因。IPSリカバリーの概略資料を書き始めている。これも5月実施にしたいので、憂鬱。

某、精神障がい関係団体の方と会う約束が出来た。しかし連休明けなので、時間が足らない。メールがないので、苦手な手書きに挑戦中。先方の目がつぶれる悪字なのだ。失礼。

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母の友人の独居の方が逝去後、子どもの頃分かれたきりという弟さんが現れ、母に会った。遺品分けをした関係者を回っており、なにやらトラブルの気配。生活保護を受けていた故人をさぐる、嫌な気分。

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時間切れ。父の世話、ざっと済ませたので、これからCT。全く…爺ぃだなあと思う。

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4/18 湘南あすなろ会の花見

2010-04-20 15:57:11 | 引きこもり
18日、午後から湘南あすなろ会の花見があった。会場のOさん宅は、我が家の近所。この日、あいかわらず父の看護関係の用事が重なっていた。日曜日を利用して3カ月おきに主治医が往診にくる、今回は丁度その日だった。午後からとわかっているが時刻がわからない。順番にだからとは知りつつも、これでは予定が立たない。専業主婦の時間の速度に合わされると、間が開いた予定が散乱して、時間が食いつぶされてしまう。夜は卒業生の職場復帰の仲介で経営者と会うことになっていた。

しかし往診は案外早くやってきた。14時前に往診が済んだのだが、さて困った。我が家の門前は空き地があるのだが、車を複数台停められる。医師の車の前に、父の宗教の関係者が車を停めてどこかに行ってしまった。医師の車が出られなくなった。連絡をまわすものの、誰の車かわからない。

結局、父の宗教団体の関係者に事情を話し、医師の車だから、急いでいるのでダメなら警察を呼んで撤去すると、意地悪だが通告した。10分後、車は移動し、医師の車は脱出することができた。しかしびっくりしたのは、その数分後には車が1台加わって元通り空き地は駐車場にもどったことだ。

花見の集合時間前、販売者Eさんの携帯に電話を入れて、若松町のたい焼きショップでお好み焼きたい焼きを頼んだ。生協で合流し、差し入れの食材とビールを仕込んだ。その内の1本は私の糖分・プリン体を減らしたビール。しかし、初めから参加できないが声が聞こえそうな近所でもあり、宙吊り状態だった。

駐車場騒動が終わって、飛び込んだところ、Oさん宅の桜は満開。これは花見になったなあと見上げていると、どうも周辺がうるさい。就学前の子と小1の男の子集団が、怪しげな私たちのバーベキューを見ているのだ。Oさんが呼ぶものだから、わんぱく6人組が「知らない人と話をしてはいけないんだ」とか「知らない人から食べ物をもらっちゃいけないんだ」といいつつ、肉とたい焼きは見事に無くなった。笑いの種ができたからよかったものの、Oさんの奥さんや、近所の若おばあちゃんと話すことができた。

私はつい理屈っぽくしてしまうので、この手の企画が苦手なのだが、Oさんは人柄もいいので、あすなろ会のメンバーもたのしめたのではないだろうか。翌日の生活支援課訪問の約束をして散会した。

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アルコールが抜けた頃、私はある食品卸会社の経営者の御宅にお邪魔していた。運転免許があったので、ある青年の職場復帰のダメ押しをしてきていた。問題は無断欠勤の癖が抜けたかどうかというところだった。青年は本校の卒業後、ビジネス専門学校に入学したが中退。IT関連の資格をとったものの就職に結びつかず、本校経由で私と再会していた。こちらは私が無理して彼をこちらの事務に押し込んだ経過があったが、職場仲間とうまく行かず休業。半年間引きこもってしまったが、いじめの主が退職したことをうけ、再出発するところだった。軽い障がいを持っていたが、理解のある経営者だったので、休業ということで処理、再出発することができた。

久しぶりの成功だった。頭を下げてお暇してきた。

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帰りにジャスコによった。深夜の買い物ができるのは便利だが、急がないと01系統辻堂駅行きに乗れない。あせってバス停に戻ったが、日曜日は終バスが早かった。大荷物だったので南口に渡らず、タクシーで帰宅した。

と、母が茶の間で座卓にうつ伏せになっていた。父が便意を催しているので、やたらに立ち上がり、椅子を倒したりして、2階から大声で母をよぶのだという。階段昇降で疲れたのだと言う。

近々なにか起きるなとの嫌な予感。ともあれ我が家の一日が終わった。このあと2時、5時すぎと父は寝惚けた大声をあげ、不安にみちた怯えた声がしばらく続いた。

夜間傾聴:中央林間君(仮名)
     □□君(仮名)


《気になってる記事から》
●「男、ネット通販・借金200万円超 愛知・一家殺傷」
●「「ネット解約され立腹」 家族刺した容疑の30歳長男」
●「貧困から脱出へ一歩 府中の派遣村」
●「12人に業者?付き添い」
●「介護職員雇用支援:県事業「働きながら資格」 受け入れ施設、応募殺到 /静岡」


(校正1回目済み)
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4/10~17 の抄録 茅ヶ崎市生活支援課との懇談会 IPSリカバリーキャラバン隊と当事者懇談

2010-04-19 07:17:00 | 引きこもり
仕事と父の夜間介護が重なり、部分書きしてある日録を仕上げていくことが困難になりました。2010/04/10~17 の間の経過は、大事な部分を抄録の形で記録させてもらいます。18日以降から書いていきます。

2010/04/10~17 記
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茅ヶ崎市の新設課、生活支援課ができたことを契機に、官民の関係者の地域懇談会を開くことを準備している。湘南ライフサポートきずなのTさん・Mさん、ちがさきHL支援の会のUさんの了解を得て、湘南あすなろ会の3団体で、15日午後、懇談会開催の招待状を生活支援課に持ち込んだ。

野宿者担当不在のまま、F課長に閲覧していただいた。しかし、判断は「担当者不在なので日程は」という形で、空転。課の今年度の方針の中に、「民間団体との協働で行いうる部分について懇談し、ネットワークの芽を作る」ことを考えて欲しいことを要望し、出来ることなら課長じきじきの参加をお願いできないかとをプッシュをして帰ってきた。戸惑いというより、野宿者支援関係者をご存じない対応。これにはびっくりした。

翌16日(金)、課の日程を含んだご都合を伺いに、私と当事者Eさんの二人連れでお邪魔した。前日のことがあったので、判断材料にと、湘南あすなろ会の便りとビッグイシュー140号(E君へのインタビューが記載されている号)を添えて、資料提供を同時にしておこうと同課を訪ねた。しかし、今回も担当者不在だった。週明けの19日(月)に、再度お邪魔する予定でいる。

懇談会は5月中に行いたいと思っている。それ以降だと課の新設の鮮度がにぶってしまうからだ。新設課雇用労働課についても同様の懇談会をおきたかったが、担当領域が一般就労であることから、障がい者支援団体からの支援が受けにくいという問題があった。また路上生活者支援の立場からは、住環境と生活の基礎再建という優先課題を踏まえなくては就労に結びつかない事情がある関係から、NPOから提案する内容が、雇用労働課との接点に結びつきにくかった。

まずは生活支援関係の生活支援課とのネットワーキングが必要だった。お互いをつなぐ行動提案は、あすなろ会からは、緊急連絡先カード作りとその配布を提案しようと思っている。これならNPO側、行政も極端な無理をせずに実現しうるだろう。このカード作りは、お互いをつなぐ当座の接着剤のようなものだ。ここから次の可能性をまさぐっていけばいい。

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「輝く未来へ Step up」(都教委)と、サンシティ平塚(進和学園)所長の勝田俊一氏の解説と懇談の会が実現に踏み出している。チラシ原案を作っているが、平塚の関係団体への働きかけをしてみたらという提案を、平塚の市民活動センターからいただいていた。茅ヶ崎に会場を置くが、隣接市町にも呼びかける予定。スペアちがさきの総会に整理して報告したいと思っている。週明けには主催側の関係者との準備会の詰めに入るつもりだ。

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今年は、「わーく」編集部としては、昨年夏、若松町たい焼き屋さんの「ゆめたい」から、事務所と企画開催可能なフリースペースの両方の機能確保の見通しが消えたことで、参加の意味がなくなり、会から降りた関係で、実際上、知的・発達・精神の領域の交流の場を失ってしまっていた。一方、市自立支援協からは、障がい当事者団体ではないということからシャットアウトされている関係から、地域潜在化する引きこもり者、就労挫折組、軽度発達障がい・中途発症精神の未登録境界線の方々をインクルーシブな障がい者の地域起業活動と、横断させた支援の構想がますます通りにくくなった。このような状況下から、領域横断的地域起業に何がなしうるかだろうかと考えていた。

「わーく」の紙メディアと画像放送も技術的な障害と、父の介護という不安定要素から再刊1号出して中止というわけにもいかず、父の転倒の頻度次第で鎮まるのを待っている状態がある。この鬱屈した状況を突破するために、何が可能かを考えた。

その線から「定員制当事者就労懇談実施」を基礎においた今年の方針を出発させることにした。

「わーく」からは、「輝く未来へ Stepup」を企業就労の懇談として共催提案することになった。しかしその時期が、スペアちがさきの6月総会後の遅い7月となった関係上、併行して準備を進めていたIPSリカバリーの当事者さんと支援者の方2名を、5月末頃に招待をかけていた。

精神障がい領域から提案された、ストレングスモデルに乗った優れた活動の息吹を湘南に招きいれようと動き出している。懇談という以上、少人数10名程度を限度とした質を重視の会を考えている。

ところが、まずIPSリカバリーやストレングスモデルのことが、知的または発達障がい関係者に理解が広がっていないことから、参加は慎重にとか、会場利用は無理というような話で提案は難航している。ひとに依頼して間接提案することの困難を感じている。昨年秋、湘南東部医療圏域の研修会に、桜ヶ丘病院の実践を基礎にしたIPSリカバリーキャラバン隊の講演研修が開かれていた。同じ団体に今回お願いしたのは、一方通行的な講演ではなく当事者懇談で、再度交流しようという案なのだ。私の地元当事者は2名しかいない。他の、特に精神の領域からの協力者をどう得るか、個別相談にアタックする時間をどう捻出するかが問われている。

地域の活動に意味のある提案と信じる。しかし現在の関係活動は、地域潜在している方々を意識して立てるのではなく、既存組織からの活動で企画する関係で、未組織関係者の取り込みは二の次となり、横断の意識は無い。それでも私抜きで進めるというなら、内容が通ればいい。私個人は主催は降りてもいいのだ。誰かがやらなければ、地域は変わらない。障がい者就労にインクルージョンの波を入れていくこと、一般就労のセクション協業の形に就労支援活動を育てていくことを考えたい。

こんな状況だからこそ、「わーく」画像放送の機材を眠らせて置くのではなく、始めたいのだ。とにかく風化との時間勝負なのである。動いてなんぼ、墓穴でも掘りぬく必要がある。


夜間傾聴:中央林間君(仮名・4/18)


(校正2回目済み)

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父は自力で立ち上がることが出来なくなっていた(転倒事故の二次障害を防ぐには)

2010-04-17 15:30:24 | 引きこもり
2010/04/09 記
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8日、東京の「あうん」「山谷」「舫」見学から帰宅すると茶の間の明かりが消え、母の寝室の明かりが点いていた。嫌な予感がして母の寝室に入ると、母が「あんな重たい体、持ち上げられないよ。もう、知らない!」と、布団にもぐってしまった。父の居室に行ってみると、父が床に仰向けになって、いびきをかいて寝転がっていた。周辺は尿のしみだらけ。アミノ酸臭が鼻についた。転倒から時間が経っているのだ。

間が悪く夜間傾聴用の携帯が、早々と鳴り始めた。出るとブログには登場いていない高校生が食器を投げて暴れているから、どうしたらよいかという母親の電話だった。普段はおとなしい子で、よほどのことがないと爆発しない。何か異常がおきたと直感し、とりあえず距離を置いて、話が出来る状態にして欲しいと伝え、母親は庭先に出て携帯をかけ続けていた。

彼の弟が挑発したらしい。弟はすでに自転車でどこかに逃げ出しており、彼は母親に怒りをぶつけていた。彼と落着いた頃に話したいから、電話するように伝えて欲しいと伝えた。途端に母親は私の用件をその場で怒鳴っていた。「なんで爺ぃに電話した!」「爺ぃ、出る幕じゃねぇ!」と彼の大声が聞こえてきた。母親もまた不器用なのである。「とにかく落着いた後で」と、母親に伝え電話を切った。

父は気持ちがわるいのだろうか。私がベランダ側で電話をしている最中に、下半身の紙パンツ等をすべて脱ぎ去ってしまった。こうなると体を支えるのは脇の下しかない。黙っているが放置されたことへの怒りが復活してきたのか、紙パンツを交換しようとしても受け付けずに、私の手は蹴飛ばされてしまう。とりあえず床の清掃をはじめ、作戦を考えていると、また携帯に電話がかかってきた。また衝突中の母親からだった。

彼はどこかに飛び出して行った。追いかけられないが大丈夫だろうかというのだった。このとき父はポータブルトイレの脚にしがみついた。このまま脚を引き寄せればトイレが転倒してしまう。私が取った苦肉の策は、私がトイレ椅子に座り込み、重しになることだった。滑稽な状況だが今も適切な行動だったと思う。

母親の話の中に、「物をぶつけて窓を割った」という言葉だった。彼は考えて物を投げる。威嚇なのだ。それが窓を割ったということは、制止が外れていることを示していた。持ち出した物を確認できないかと問い、母親が探す間の時間を確保し、一旦切ると伝えた。これで父にかかる時間が取れた。

父を「風邪引くからパジャマを履こう」と促した。「紙パンツを」とか「おむつを」というのは禁句なのだ。私が普段と違うことを察知してか、トイレ椅子の脚から手を離し、横臥の姿勢のまま動かなくなった。とにかく介護用手袋と紙パンツのセットを準備しなくてはならない。パジャマはやたらに洗うので、一階に干してある物を取りにいかなくてはならない。父から目をそらさず、手袋を急いではめて、携帯から我が家に電話をかけた。父の枕元の子機を取りに行くことは、再び父が脚にしがみつく危険があった。母にパジャマを持ってくるように促し、紙パンツに尿取りパッドをセットした。

母が生乾きのパジャマを持って階段をあがって入室した最悪のタイミングで携帯が鳴った。母には電話相手の状況が読めない。重い父を持ち上げることは出来ないから放置したことを電話の傍らで話し始め、父の表情が険しくなった。

財布がないが机の上に携帯を忘れているという。不思議なことだが、自殺を試みる者は携帯を忘れない。つながりを断つためのつながりのシンボルを身につける、儀式のようなものがあるのだろうか。彼の友人の**君が隣に住んでいるおり、彼の引きこもりに、ときどき訪問してくれていたことを思い出し、母親に**君に頼めと指示。弟に携帯連絡をして、彼の状態もつかんでおくようにと指示。急いで携帯を切った。

我が家の騒動は再燃しつつあった。母が父と、携帯に気を取られている私に怒りをぶつけ始めたからだ。父は脱いだ衣類を母に投げつけ、もがき始めたので、父の背後に抑止をかけた。精神科などで使う拘束の方法だった。

母は呆然として立っていた。その間に「パジャマを置いて、暖かいおしぼりを作ってくれ」と指示し、母を引き離した。

父の抑止中に携帯が鳴った。さすがに出ることは出来なかった。

「パジャマを履こう。冷静になって」と父を諌めた。父は力を抜いた。自宅に電話し、母に「おしぼりは、部屋の入口に」と婉曲に入室を禁じた。

父の着替えがやっと済んだところに、また携帯が鳴った。彼の友人が快諾して手伝ってくれた。彼はコンビニで本を読んでいたという。周囲を散歩して返すからとのこと。弟の状態は聞き忘れたがともあれ、緊急事態は解除されたと判断。次は間を置いて、こちらから連絡する旨を伝えて携帯を切った。

ざっとアルコールティッシュで陰部を拭いてから、紙パンツを着用させたが、この床に寝た状態で、おしぼり清拭を始めるわけにはいかなかった。父の寝転がっていた時間も考えて、危ないが力技を使うことにした。抑止をかけられた屈辱の残り火が、背後からの腰を羽交い絞めにすることを拒んでいた。屈辱を感じることは認知症がまだ「まだら」であることを示していた。

やっとのことで歩行器の補助を使いながら、父は立つことができた。父をベッドに誘導し、横臥状態にさせて、おしぼりで清拭を済ませた。紙パンツは汚れていたが、再度交換する余力は無かった。

部屋を掃除して、ゴミと洗濯物を下ろし、ともあれ一段落したところで、携帯をかけた。先方の母親は外にいた。彼は「帰らない」と友達の進言を断り、駅前通りの方向へ去ってしまったと、彼の友達から家に電話があったので、これから探しにいくところなのだという。

家で待っていたほうがいいと母親に伝え、様子見して、異常を感じたら連絡下さいと伝えて電話を切った。電話を再度してもらっても既に終電はなく、現場にいけるわけでもなかった。

見学会から帰った深夜は、こうして更けていった。母と多くを語る余力が無かったが、簡単な夜食を作って済ませたあと、今回、見学会をまた肩透かしした引きこもり中年Kさんにメールを送った。返事がしぶい。「今は睡眠時間です。9時が起きる時間です。」と私の違法行為(?)に注意していた。参った。彼は寝転がりながらゲーム中のはずなのだが…。

夜間傾聴:□□君(仮名・連絡のみ)
     中央林間君(仮名)



2010/04/10 記
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とにかくだるい。ポンコツである。長年不登校や引きこもりの方とつきあってきたが、今回のように我が家の騒動と、先方の緊急事態が重なったことはそうあることではない。少なくとも5歳は年食ったぞと自分に言う。ともあれ、朝の電話では、彼はいつの間にか自分の部屋で寝息をたてていたそうで、どうやら携帯のジンクスは当たっていたようだ。今日は身動きできないので、明日にでもお邪魔すると伝え、本校にも連絡を取った。危険なものを投げて威嚇する行為は、はじめ第三者が入ったほうがいい。そのあと親子の話が始まればいい。

しかし、フットワークが重くなった。交通事故入院以降、車や原付に乗らなくなったことと、父のことが錨のように私の足を縛り付けている。

9日は、母が出かける日。午前中、父のヘルパーさんが身辺介護に入って清拭と居室清掃・洗濯などをしてくれる。だから寝ているわけにはいかないのだが、億劫だった。父との留守番の一日になるので、家族がいないといけないという話を、無理を頼んで、茅ヶ崎図書館の書籍返却と駅前の銀行ATMだけ済ませるとの条件で、早足でバス往復して戻った。

ヘルパーさんの帰った後は、時間切れで残されたシーツ洗濯や、昼食作りが待っていた。父は気持ちよく寝息を立てている。昼食で起こす私は、割に合わない悪役となる。

母から、日の落ちる前に洗濯物を取り込むようにと、万年変わらない小言電話が飛び込んでいた。早々とケアマネさんから、5月のショートステイ予約の日程調整の電話が飛び込んでいた。父の入所希望申請を出したところのテスト入所を組んでくれないかと頼んでいたこともあったからだった。母に同行する方から、母が出かけたかとの確認電話が入ったり、宅配便が来たりと結構騒がしい。

父に好物のラーメンを出す。ところがベッドから起こしたらトイレだと言う。延びてしまうのにと思いつつ、歩行介助。ところが既に換えたばかりの紙パンツはびしょ濡れ。歩行中、サイドテーブル上のラーメン丼に手を突っ込みそうになって手を払うとペットボトルを握り締めて、あたかも取っ手をつかむかのように上下に叩きつけ始めた。すでに何回も見てきた行動なので、別の指示をすることで気をそらせることにした。「(トイレの)蓋を開けるよ」と、私の身体が父の身体のそばで大きく移動する、それだけでペットボトルのことを忘れるのだ。結局ラーメンは見る影も無く延びてしまった。

調理途中で2階にあがり父を起こし排泄を済ませ、椅子に座らせて階段を降り、調理を済ませて食事を運び上げるという段取りをとれば、このようなことは解決するのかもしれないと思い、前にやってみたが、そうは行かない。父は大人しく椅子に座っていない。ホームでは立ち歩き、家ではすぐにベッドに戻って湿った布団をかぶってしまう。「すぐ食事だから」といい含めても、たちどころに忘れて、ベッドにもどってしまうのだ。たとえ「暖かいラーメンを」と思っても、父はネコ舌、すぐに食べないで延びてしまう。ともかく、なりゆきにまかせなければ、介護者が胃炎になってしまう。

階段下に車椅子とテーブル用の椅子を逆さに組んでバリケードを作ってなら1時間程度の介護者の外出ができる。今回も母の帰ってきた23時前までに、ベッド下にずりおち、身動きできなくなったこと1回。派手な転倒2回と目が離せないのだ。擦り傷とアザ以外の重症にならないのが不思議なくらいだ。最近むせることが増えてきたので、嚥下障害(えんげしょうがい>飲み下しがうまく行かなくなりむせる)が始まるのかもしれない。始まると食事中も面倒をみなくてはならなくなる。嚥下障害防止の舌の運動を仕向けても、一切協力しない。憂鬱は募るばかりだ。

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見学会のレポートを書き始めたところで、睡魔。1時間のタイマーをつけて爆睡。肩がつまる。

「輝く未来へ Steo up」(都教委)の上映講演会の会場の支払いがまだ済んでいなかった。週明けに支払いを済ませる。茅ヶ崎市分庁舎B会議室である。チラシを作っておかないと減免が取りにくい。チラシ原案を作らねばというところで、調布桜ヶ丘病院のリカバリーキャラバン隊の方の当事者懇談話と、広報ちがさきへの湘南あすなろ会の団体活動紹介掲載が決まり、原稿が飛び込んできていた。後者はすぐにできるのだが、ビッグイシュー誌と打ち込んで、はたと困った。ビッグイシューの活動は、それほどメジャーではない。しかしそれを説明するほどに字数枠がない。野宿者の自立支援目的の社会的企業と書いても通じない。結局、中途でギブアップ。

買出しに出るためにバリケードを組んで、リカバリーキャラバン隊のIさんたちを当事者懇談に招待するも、私の地元当事者は2名きりである。他の精神を中心とした当事者懇談参加者をどう募るか見通しが立たなかった。今年の初めは、精神障がいの就労の件から、IPS(援助つき雇用)とリカバリー(インクルーシブな一般就労の中で働く)の可能性を、当事者がじかに話して貰う小規模の会合を実現したかった。次が「輝く未来へ」の境界域の方の企業就労話、次が専門性を持ちうる軽度発達障がい系の方の就労について組んでいる。最後は以前、軽度発達障がいを持つ歯科技工士さんを招待し、懇談したので、今回はIT企業を起業した女性プログラマーにモーションをかけている。しかし、いずれの場合も私が地元で接点を持っている方はふたり。例え10名前後の懇談を実現するにしても、当事者をどう集めるか、今、若松町ゆめたい実行委から外れた現在、質をみてくれる方は少ない。今年は20万円程度の出費は覚悟している。ここで境界域の方の領域横断地域就労型の自主活動の芽を育てることは、どうしてもやっておかなくてはならないことだからだ。

キャラバン隊の参考資料をサポチガのMさんに託した。来週精神の関係のところをまわって話を進めようと思う。すべてこれらの交渉は直接話さなければならない。13~15日の父のショートステイの間が勝負になりそうだ。

リカバリー・キャラバン隊の方への当事者懇談依頼文書と、広報ちがさき記事原稿、京大医学部付属病院宛のセカンドオピニオン申請書と、ブログの文書、問題集屋の訂正2稿を仕上げて、夕食の買出しに出た。

買出しの間に携帯に電話が転送されてきた。嫌な予感がした。電話が家中で鳴ってから転送してくるからだ。タクシーで戻ると、父は電話機(子機)を落としたベッドの枕元の隙間に頭を下にしてぶらさがって、身動きできなくなっていた。電話機を落として拾おうとしたらしい。家にもどるまでの20分強、父は逆立ちでいた。いつか致命傷の事故を起こす、そのリアルさを共有できない虚しさ。

屑野菜でスープを作る。スズキを使ったハーブ焼きに添える。生返事でいびきをかいている父の傍らで百万の虚しさを飲みこんでいる私がいる。捨石かな。

夜間傾聴:******君(仮名・母親)


(校正2回目済み)

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湘南あすなろ会見学会レポート(下)企業組合あうんの経験を聴く

2010-04-17 02:51:47 | 引きこもり
2010/04/10 記
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コラボネットのKさんから、引きこもり青年の就労支援モデルの提案をいただいていた。詳細はKさんの了解を得ていないので語れないが、引きこもり青年を熟達者に出会わせ、スキルアップを図ることで社会復帰の可能性を拡げるという、どこか正統的周辺参加論(LPP)を連想させるものだった。いくつかの論点はあるものの、特に「当事者の情熱の行方」が気になってならなかった。

この話と実は今回の「企業組合あうん」見学は微妙に対比が脳裏にちらついて、野宿者の支援活動と引きこもり青年の支援活動の「活動の本質的な差」は、どこにあるのだろうかと考えていた。すぐ応答として出てくる、一見正しそうに聞こえる意見は、つぎのようなものだろう。

野宿者は生存に関わる生活の危機が背景にあり、だから働くことに貪欲(hot)になれる。親のすねをかじっている引きこもりとは抱えているものが違うという俗論で、野宿者は押しやられた者、引きこもりは怠惰の結果と発想し、立場の優劣をそこに置く。引きこもりに対する、事なさぬ結果の自業自得論がそこに見え隠れするが、これは障がい者の世界でも、障がい者と健常者との社会貢献度を持ち出し優劣を貼っていく「働かざるもの食うべからず」論と同根のものだ。

当事者の方のくぐってこられた体験は様々だが、その胸の内に抱え込んでいるストレスが、時には死に結びつくことは、野宿者も引きこもり者も結果論的には同じことだ。アルコール依存症は自業自得とか、触法行為は甘えとか悪とか固定的に発想していきり立つ方と出会うと、私はその人の顔をしげしげと見てしまう。自らを問うこともせず、共感の絆を投げ捨てて貴方は何者なのかと思うのだ。それでもなおかつ、支援の内容が違う。それは住環境を基礎とした生活支援の比重の差と、就労支援の対人不安サポートの質の差だろう。

それはそうと、無業の者が積極的に仕事を「求める」とき、それが周辺に対し「つけ木」の火が薪に燃え移るような行動評価を与えてもいいのかという問いがそこにあった。アクティブな人間が集団の代表のような属性を持っていることは誰が保証するのだろう。自分達の状況を突破するためにチームを組んだとして、その行為が同僚の状況を打開するためというような目的を掲げるのか、チームメンバーの要望を実現することが、結果的に同僚を救うことになるというような事後評価のマスキングを伴うものなのかという差異が気になっている。

なぜここにこだわるかというと、引きこもり者が行動を起こすとき、それは徹底的に孤独であり、社会と私との対話の中に行動を置くからだ。実際、引きこもり者が、他の引きこもり者と会ったとき、彼は親近感を抱くだろうか。どうやらこの辺に差異が潜んでいるように思う。

野宿生活の長い者の活動は、おしやられたもの同志の共感がある。引きこもり者には、お互いが会うことにすら抵抗がある。フリースペースなどで、顔を合わせる時間が長いものには、自分を壊さない範囲の共同性が生まれる。そこにいくまでに心のハードルがある。私は中村さんの話の中から、野宿者だけではなく、引きこもり者たちの地域起業活動が成り立つヒントに聞き耳をたてていた。

「あうん」の歴史を語る中村さんの言葉には、省略されている氷山の一角というか言葉の背景を感じるのだが、そこには事業を成すために決意した同志が、ことを拓く、盟約者集団の大切さのエピソードを語る文脈がしばしば登場する。実際には紆余曲折大変な波をくぐってこられたのだろう。しかし、私から見ると宝物ともいえる同志が集まり、ことが生み出されていく背景を、野宿者は生死の淵に引き込まれる生活の危機があるからだと論じてしまうと、何かを見落としていないかと思うのだ。

そのひとつが、活動の見通しというか魅力というか、それが垣間見える活動、人物への共感がついひとの腰を浮かせるという部分、(「見通し」「魅力」は背景に社会に取り結ぶ時代性が色濃く貼りついているのだが、)ひとの情動が形を得るときの動学が中村さんの語りには潜んでいた。(それはやがて「仕事への誇り」へと結実していく。)しかし、その集団の行動が支持され、同意や協力が拡がっていくことは、歴史の要請やファンクラブの論理で説明がつくことなのだろうか。活動の中には彼らだけが幸せを求め、他に対しては無関心ということだってありうることだろう。何がひとを惹きつけたのかということだ。

ここにもうひとつの論がある。野宿者は中高年の世界の問題で、彼らは就労経験をしている者だから、スキルや自負を持っている。だから出番を準備すれば腰が上る素地があるという論だ。これはかなり私の関心に近いところにあると思う。

私は中村さんの語りに、突き動かされるものを感じていた。それは「働くことの誇り」というか、危機にさらされるからこそ、突き抜けようとする「情熱」のようなものだった。情熱だけで、ことは解決しない。成長するには適切な目配りがあったからだ。結びつくものをしっかりとつなぎ支えあう網目を見通したからだ。

私の疑問は、ことを成すときに、同志を募り、その内で成果を分かち合うという素朴な方法論は、社会活動を行う前提のもとでは、成功者の轍をたどるような形、つまり影響は模倣を待つ形に投げ出される。どのような関係として先陣者が後続者と出会うのかが明確ではないのだ。社会活動は開かれた連携が基本と成る。成果も公共のものとして分かち合うことになる。先陣者が特に経済活動のような収益をあげる活動を行う場合、この収益の目的を離れて、収益自身が目的化しやすいため、連携を活動の中にどう入れ込むのかという部分、言い換えれば内と外と区分するところからの調節として分配が出てしまう。

中村さんの話の豊かな部分は、自分達の行動を部分だと見通していることにある。様々な人や活動に結びつくことによって、より大きな収穫を得ることを自覚していることにある。商業活動の基本であり、市民活動の基本でもあるネットワーキングの発想である。活動はふたつ。ひとつは「わらしべ長者」風自己増殖論、もうひとつはネットワーキングである。前者においては、雇用の受け皿拡張ということだけでなく、その活動が生活困窮者に向けられていること(中古家電セット配達販売等)、後者もフードバンクなどの活動と連携することという公共性を持つことになった。このことが参加者の仕事への誇りを育てることにつながっている。

引きこもり者の地域起業は、その情熱の育て方が違っている。今までのように、心の痛みの沈静化の治療の結果をまって、企業の枠の中にはまるよう、研修を通じて、自分に近いジグソーパズルのコマのなかにあてはめていく医療モデル型の活動があり、うまく社会にあてはまることが就労と抱き合わせとなって設定されていた。当事者の残り火のような関心さがしの結果に近い仕事に摺り合わせていく活動を就労支援と呼んでいた。

精神障がいの領域からでさえ、IPS(援助つき就労)リカバリーとか、ストレングスモデル(得意を生かす活動)という従来の医療モデルを変革していく方向に舵を切っている。その特徴は当事者の情熱の泉源を探る方向である。IPAは、当人のやりたいと思う社会参画・就業を徹底的に支援者がサポートしていく。しかしこれらは、原子的個人の社会へのあてはまり活動の支援であって、他者と織り成す活動として仕事を見ていない不十分さがある。情熱はひとの間に生まれる。それを心の深層から湧き上がる心理現象と間違えている。

このことは、引きこもり者の社会参画・就業活動にも生かされなければならない。中村さんが語った盟約者チーム型の活動は無理。コラボネットのKさんが構想している熟達者と出会わせる活動が、職訓というか学校的なスキルアップから就労へという道も、乗れる者は一部だろう。生産と学習を分けたところに近代学校制度が誕生しているわけだが、このジグソーパズルのコマ化することを踏んであてはめというのは情熱を沸かすという意味において劣っている。正統的周辺参加論が論じた状況論の生産現場の対人関係を基礎にした技能習得と中心化という過程の中に、就業を語るという道の方が現実味がある。

職業心理学のいうメンター制度ではないが、逆メンター制度的な発想を私は提案してきた。メンター制度が、現場の先輩が当事者の就業の相談役となり,職場適合と仕事の効率化を引き出すのに対して、逆メンター制度的方法、それは私は「ケア・サポート」制と呼んでいるが、非対称的チーム就労のような関わりをなすことから、情熱を解き放つ道を踏むことを考えたい。

今は職業スキルという意味において、より保護的な就労を必要としている障がい者の兄貴分のような形で、世話を焼く側に引きこもり者が立ちつつチームとして就労する、個人を基本としないチーム就労を生み出していくことだ。この形は個人の労働協約を基本とする企業就労というより、地域起業の方が親和性がある。この地域起業に、中村さんのいう「協業」の道が開けないかと思うのだ。残念なことに就労組織論としては、中村さんの方法が活かされることには距離があった。しかし、「あうん」のような活動には、接点を感じる。自己増殖論の目配りは参考にさせえもらおうと思う。今が次を生み出す過程であるという自覚である。共感から連携へという点が、引きこもり者活動の冷え込んだ当事者間の特長であるが、「ケア」する側という自負が彼を替えていくだろう。理化学工業の大山会長が語るように、「必要とされる幸せ」が引きこもり者の就労支援の根幹なのだ。

野宿者の就労支援と、引きこもり者の就労支援は、ストレスと屈折のあり方の違いから、まだ距離がある。しかし非正規雇用者の解雇後の再就職の道の無さから引きこもった方の場合などは、仕事があれば参加できるという意味で、野宿者の就労の形に似ている。引きこもり者の両親の死去のような長期にわたる家族崩壊などから、ネットカフェ難民、野宿者という蟻地獄の穴に落ちていくものも居る。野宿者の中には就業経験を積んでいる者もいる。地域起業連携モデルは大阪エルチャレンジやビルメインテナンス協会の活動のように、引きこもり者も包括しうるもデルを考える方向もある。

中村さんの語りは、こうした可能性を思い起こさせる刺激に満ちたものだった。

以上

《参考》
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●解説「正統的周辺参加」
●書籍「状況に埋め込まれた学習―正統的周辺参加」
●「IPS-Tokyo」
●書籍「精神障害をもつ人たちのワーキングライフ―IPS:チームアプローチに基づく援助付き雇用ガイド」
●「障害学によるリカバリー」
●動画「作品No.1 リカバリー」宇田川健
●ストレングスモデル>DINF「障害者のエンパワメントの視点と生活モデルに基づく具体的な地域生活支援技術に関して」
●書籍「ストレングスモデル―精神障害者のためのケースマネジメント 」

以上
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湘南あすなろ会見学会レポート(上)企業組合あうんの経験を聴く

2010-04-14 04:45:26 | 引きこもり
午前中、父には身辺介護のヘルパーさんが父を清拭にくる。その間、私は前日の蛍光灯騒ぎを始末するために、蛍光灯を買いに行き、父のベッド上の蛍光灯交換を済ませた。サポセンにも用があったので立ち寄った帰りに、母に電話を入れた。父の介護を母に委ねて23時過ぎまで見学会企画で家を空けるからだった。

今回も辻堂の引きこもり中年Kさんに誘いをかけていた。一回も会う約束を守ったことがないけしからん奴なのだが、彼曰く「貴方と会う必要性が低いからです」とやられてしまう。全く私の会う人物は不思議な論理を持っている。今回も約束の電車のすぐ一本前に電車があり、彼はそれに乗ってしまったのだった。私が茅ヶ崎発の時間で語り、「その電車が辻堂に着いたら合流」と言ったのが災いした。彼はその茅ヶ崎の時刻、辻堂に到着した電車に乗ったのだった。正確ではあるがずれている。彼は都内の某フリースクールに出かける予定だったが、就労に関心があったので、日常通学に割り込めると踏んでいたので、彼に声をかけたのだった。とてもあすなろ会の参加者の方々には説明がつかない不可解なやりとりだった。

茅ヶ崎からは参加者5名、現地合流1名の6名が参加した。

まず三ノ輪の「企業組合 あうん」の事務所にお邪魔して、中村光男さん(画像)に、「あうん立ち上げの体験談」を伺った。その後、山谷めぐりをした後、飯田橋の「舫(もやい)こもれび荘」のTさんと懇談の予定だった。中村さんの体験に裏付けられた強烈な語りと店舗めぐりを経て、山谷をざっと歩く予定だったが、ナビKさんのサービス精神でおいしい天ぷら屋の夕食に時間をかけすぎて、残りの時間が無くなり、「いろは会商店街」をざっと見たところで、私の方向音痴が爆発。南千住さがしから飯田橋の大久保通りさがしまで、結局30分強、こもれび荘到着が遅れてしまった。ところがその直前の連絡電話やメールが一切応答が無く、到着時、結局空ぶりだった。その後メールへの応答が無いので、何かが行き違っていると、何回も電話をするが機械応答に遮断され、火曜日に2時間を越える話中電話を突破して話すも、話が通じず取次ぎ状態で、それにも応答なし。虚しくなっている。11日、ビッグイシューの花見の際、あすなろ会のEさんが、舫のIさんと出会い、話したところ、当日は休みの日という。完全に何かが行き違っているとわかった。舫はHPからの書きこみ以外応答しないガードがあるのかもしれない。虚しい。近々、私だけでお邪魔してみる予定。

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「あうん」は日比谷線三ノ輪駅2番出口から歩いて6~7分。車の少ない裏通りに面している。フードバンクも利用している共同倉庫を左に見て進むと、駐車場に4~5台の「あうん」の営業車が停まっている。産業廃棄物処理認可のトラックボディ数台の刷り込んだ文字が「あうん」の営業規模を物語っている。やがて左手に「衣類リサイクルショップ」が見え、その先にお邪魔する事務所があった。

お邪魔した2階は高そうな飲みかけの洋酒が何本もテーブルに載っていた。引越しや、部屋の始末の仕事で引き上げたゴミには価値物があり、酒もそのときのものとのお話。この部屋で仕事を終えた仲間と車座を組み、会議をするという。その後の一杯に酒は事欠かないとのこと。納得できた。

私たちは、中村さんたちが「あうん」を起業した経験の語りを求めた。また、リーダーが職場・仕事を準備して関係者がそれに乗るという従来の形ではなく、個人株主連合のような共同経営している運営の特徴について、経営にどのようなメリットをだしているか、その辺に注意を傾けていた。

中村さんの話によると、まずこの活動が野宿者の起業であること。就労の基礎となる住所すら失った者が、就労する際に今から十数年前にさかのぼる頃には、そのバックアップも無く、自立生活センターが出来ても6~7割が非正規雇用で、それも1年も持たずに首を切られていたという。継続して就労できた者は、現在でも野宿者の自立は5%、舫でさえ7~8%ぐらい。だから当時は隅田川沿いのブルーテント生活をしながら、アルミ缶ガラ集めで生活せざるをえなかったという。

97~8年ごろ、有志5人と起業することを決意、フリーマーケットで古着リサイクル販売を始めた。この活動が芽になって2002年に古着リサイクルショップを立ち上げた。片手間の仕事とせず、結束した会員が全力を出すことを約束するも数年間は食えなかったので、フードバンクの食事を食べて頑張った。会員制で資金調達、出来るだけ助成金に頼らず、資金は会費と教会などからの借金を元手に、返済しながら経営を拡げて行った。ひとり月額3万円を目指していた。

便利屋仕事の引越しや解体時の部屋の家電ゴミを元に、中古家電リサイクルの店を立ち上げた。しかし地域はそう簡単に、野宿者の経営する店を認めてくれないので、家電を磨き上げる作業をわざと店の前の路上で行うなど、勤労意欲をアピールして偏見を拭い去った。地元の働くひとが集まってきたが、自分達だけで事を行うという発想を持たなかった。自分のやれる仕事をつないで、地域や関係者との協業を心がけた。生活保護を受けるひとには、個々の中古家電を売るのではなく、生活するのに必要な中古家電をセットで売り、野宿からの脱出の支援を行った。こうして地域の中小企業の労働者家族も家電・古着リサイクルを利用してくれるようになって、便利屋仕事も増えて現在に至っているという。現在は17名のスタッフで年商3500万円になった。

古着は品質を選び整頓されており、家電は見事に磨き上げられていた。値段は驚くほどに安い。仕事が軌道に乗ってくると、個人の廃品回収業のひとたちが、家電を売りに来るようになったという。

私は中村さんの語りに凄みを感じていた。同時に活動が常に開かれており、連携を求めて成果をあげているやり方に感銘をうけた。あうんの仕事原理はネットワーキングと協業、この血流が流れていることに特徴がある。その時々において、仲間と相談して乗り越えてきている。たしかに「あうん(の呼吸)」なのである。

私はビッグイシューとか、放置傘路上再販などの無店舗販売に注目しているが、中村さんは結束(団結)が大事とし、ショップという拠点に力を集中する。これは大きくは、立ち上げの段階の違いと解釈されようが、無業者の就労という場面には、中間の就労体験が必要だと思っている。社員が労働するというより、まずやってみようと立ち上がる単発型、日雇いとも違う就労参加の広範な抱え込みを踏まえるべきと思っている。ただその先は資本がいる。ショップを持つには、その元手をどう稼ぎ出していくかが鍵になる。中村さんは、的確な目配りと原動力となるチームを中心に置いた。その忍耐強い働きが、成果を呼び込んだ。それはただの忍耐ではなく、日々の経営作戦会議の目配りが功を奏している。

中村さんとは、以前東京ボラセンでシンポを聞かせてもらったのだが、中村さんに言った「しびれた。だから見学し体験談を伺いたい」という「しびれた」というのは、言葉の間に見える体験の厚みに共感したからだ。湘南に様々な困難を抱える人たちの協業、ネットワークの起業活動が始まったとき、中村さんを湘南にゲストとして招待したいと考えた。


●「企業組合『あうん』」

私たちは、あうんさんから、山谷の一角を歩いた。何を間違えたか「いろは会商店街」を南北に広がっていると思い込んでいた。この90度のずれが、道の迷いとなって、舫遅刻につながった。申し訳ないと思っている。この商店街は山谷の中心、泪橋(なみだばし)交差点からすぐの東西に広がる商店街で、アーケードが続くので、段ボールハウスが夜間出現する。健在はシャッター通りである。私たちが通り抜けたときも、道端で花札に興じているおっさんたちにであった。丁度この日、私たちよりも早い時間帯に自転車から商店会を撮影した方がYouTubeに画像を載せていた。以下ご覧あれ。寄せ場特有の荷物を持たないおっさんたちが、ふらふらと商店街を歩いている。


●山谷いろは会商店街(自転車カメラDSC-WX1)


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帰宅時、父は床に寝ていた。また問題が起きていたのだが、この辺は「舫」の件とあわせ、次回書き込んでいく。


夜間傾聴;なし

(校正2回目済み)


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社会的企業の落とし穴について/7/15上映懇談会・境界域の就労支援

2010-04-12 11:16:39 | 引きこもり
2010/04/07 記
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従来の組織体の活動は、年間計画に基づいて行われる。だから臨機応変な対応とか、他団体との期間途中持ち込まれた連携が、「番外対応」になってしまう。会費を年間企画費用に配分し、企画実行後、決算を通して年間活動を完結させるというやり方だ。

しかし市民活動、昔風に言うと「草の根活動」は、「この指とまれ」型というか、呼びかけに共感した者が行動し、お互いの影響しあう関係によって世界を広げていくという、いわば集散を前提にしたネットワーキングが生命と思っている。現代の活動は、企業活動の手法を取り入れて、より大きな課題に対して解決力を持つ方向に流れが向いている。しかし、このネットワーキングのアメーバ体のような生命を見失っていく契約者集団活動のような、内と外を持つくくりに社会活動が流れることには、私は基本的には反対の立場である。

一例をあげれば、公開企画で他団体と知り合ったとしよう。その団体が企画している行動にその後、参加を呼びかけられたとしよう。しかしそのことは偶発的であって、年間計画外だから来年度ということになると、それは時期を逸してしまうだろう。この連携活動とか、時局に対応する場面とかいうことに対し、従来の組織活動は、「番外対応」の中に「連携」とか「臨時対応」というような場面を抱え込んできた。しかし、ネットワーキングそのものを活動の原則に取り込んだ活動というものはできないのだろうか。

会費をその都度の実費分担とし、年間計画は節目としての自己確認の合流共同企画の場と考えるならば、登録会員制のような硬い組織体である必要が無い。たしかに古い自然発生的な社会活動は、社会活動自体の負の遺産(磨耗風化経験)によって、解決力を身につけることが要求されていることと、社会のニーズの多様化によって、「この指」に、即座に止まらなくなっているのが実情だ。

企業経営体は、その経営体自身の利益を求め、例えば株式会社なら株主に利益を配当として配っていく。しかし社会活動の場合、その活動は声を上げた方の背後に、同様の問題を抱えた方が拡がっており、その活動の拓いた成果は、その背後の方にも、解決という実りが分配されていく。つまり活動は公共性を帯びる。このことは社会的企業の中にも、収益の分配は次の活動資金にプールされていくと指摘されており、登録会員や株主の収益として「内側」に分配されていくのではない。

社会活動に企業活動の手法を取り入れることは、あくまでも解決力の獲得・持続性という社会的信用の獲得のために用いられるが、これが「活動の社会性」というと、論点が曖昧になってしまう。

商店の活性化を街の活性化と同義に語られたり、商品販売が消費者の便利や要望に応えることと言い換えられたりすれば、商業活動はすべて社会活動になってしまう。常に企業活動は社会とつながっており、この論理を持って、社会活動の企業的展開を語ってしまうと、結局、経営活動一般も公共ビジネスと同義語となって、特定利益者の収益活動が目的化すれば、社会活動の根っこの部分を殺してしまうことになる。微妙な違いのように見えるが、利益分配の切り口から見れば、その違いが見えてくる。

地域起業を行う場合も、この契約者集団の事業活動の形の殻をかぶり続けなければならないのだろうか。そのことによって自然発生的な賛否集散の流れを生命に転じる活動はできないだろうか。公共ビジネスが、結局、行政のアウトソーシングの請負いに化けてしまう愚は、避けなければならないだろう。

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「輝く未来へ Step up」の上映講演会は、境界域に癖球を投げているようなものだ。作品自体は都の障がい者就労支援の成果報告集なのだが、うまく行っている例を集めた結果、高機能の方の就労の様子が集まった。その知的・精神障がいの事例をたどることを通じて次のことを行いたいと考えている。

★軽度発達障がいや鬱、および家庭崩壊やいじめ、再チャレンジなどの様々な条件によって就労困難な状況に陥っている方は、ハローワークの一般就労部門の紹介により、紹介状をもらい企業面談をするが採用に至らなかったり、採用後も職場人間関係や仕事に、うまく、はまれなかったりして苦労している。この層は、手帳を保有する障がい者の就労活動とも切り離されて、堂々巡りしているうちに引きこもってしまう例も多い。この層は障がい者就労と接する境界域の就労活動として掘り下げる必要がある。今回の会の対象は、この境界域を彷徨う当事者とその親御さんを対象にしている。

★逆に障がい者支援活動の側からは、福祉的就労からはみだし、障がい特性のフォローを十分に受けられないために、個々人の就労スタイルを確立できないでいる高機能の方とその親御さんに、その具体的な企業の就労事例を観てもらうことによって、選択肢イメージを広げてもらいたい。DVDが取り上げている事例は東京都内の企業30社の紹介だが、その半数近くがチェーン店のため、神奈川県内の事業所も採用枠と就労状態の推測がつくという効果がある。

★今回は「企業就労」、特に特例子会社の就労が取り上げられるが、この企画自身、就労支援の連続企画の流れに位置づけられたもので、本来の大きな狙いは、社会参画的な「地域起業」、手帳の有無等によって別個に作られて来た活動の、協業的な横断起業デザインを行うことにある。今回の企業就労を探る方向の支援活動は、地域のインクルーシブな就労環境となる横断的支援セイフティネットの支援環境を生み出していく一助とする。企業就労チャレンジ・企業開拓も地域起業も、その方の要望を支える形で支援する支援者ネットワーク形成である。

★若松町たい焼きショップ活動の元には、就労参加の要望が頻繁にもたらされているという。障がい者就労の継続就労支援A型の事業所は少ない。最賃保証されている事業所は障がい者就労畑では破格である。特殊な事情があるゆえ成り立ったとはいえ、そこに求職者が集中するほどに就労ニーズは高い。一方、地域潜在化する一般就労境界域の就労困難者も、近未来、生活保護財政が破綻するほどに危険水準を上げており、潜在ニーズは高い。このニーズに応える地域ネットワーク活動を育てていく必要がある。そういうガバナンス型の目的志向活動が必要であり、今、それぞれの領域(例えば、障がい者就労・軽度発達障がい者就労・引きこもり者就労・路上生活者就労…等)を地域協働型就労という地域デザインが始められなくてはならない。その機運を高めていく活動が必要。今回はその意味で、あまり縁の無かった活動が出会い、協力の芽が生まれる点に注目したい。これは今後の当事者・支援者交流へと成長させていきたい。

この点で今回の企画は、準備段階、広報と勧誘の共同作業も大事にしたい。今、茅ヶ崎市内には様々なセンター志向の動きがある。しかしその動きも、障がい者就労領域からの支援が主であり、境界域の方の活動からの活動は、依然療育の立場からの支援という横断志向の弱い活動に留まっている。この拡散した力を結びつける活動が必要なのだ。

まずは、7月15日、上映懇談会を成功させたいと願っている。

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明日8日、湘南あすなろ会の見学会を行う。母のストレスのガス抜きのために、今日一日、母を東京の通院帰りに手足を伸ばしてこいと、実は裏のあるサービスを提案した。母の帰宅23時前まで、在宅編集&添削。

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桜がきれいだ。しかし今年は、余暇が楽しくない。こと成ってこそ、ゆとりに喜びが伴うもの。宙吊りの余暇は、いただけない。


夜間傾聴:□□君(仮名)
     橋本2君(仮名)
     大森海岸君(仮名・フォトフレーム話)


2010/04/08 記
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母は22時ごろ帰ってきた。この年になると、遅い時間までつき合ってくれる友達がいなくなるという。皆、介護と無縁ではなくなる。諦め顔で服を着替えている。話していいものかどうか躊躇(ちゅうちょ)していた。父の事件のことである。

デイサービスから父の帰宅後、どうしたものか父のベッドの上の蛍光灯の一本が点かなくなった。父がそれを直そうとして、ベッドの上で立ち上がろうとして失敗、ベッド柵を乗り越えて床に落ちた。

父は顎(あご)を打って、入れ歯を吹き飛ばし、顎先に小さなアザを作った。入れ歯が外れやすかったので、口腔内に怪我をせず、返ってよかったのだ。父はベッド柵に残った足の踝(くるぶし)をひねったが、もともと麻痺した側の足なので、私が助けに入ったときには、ベッド柵の間に挟まれるように踝が残っていたが、はずすとき、痛みの反射があったものの、その後の立ち上がり補助のときは、すでに足が床についていた。ときどき足を守る行動を取るので痛いのかも知れないが、声をかけても応答が無い。失敗を指摘されるのが嫌なのだ。その後の排泄補助もいつもと変わらないので、治療せず、様子見を続けるに留めた。とにかく頑丈である。打ち身もあるだろうが、寝惚けた父の打った胸部や四肢をさわっても、何の反応も無いのだ。糖尿病のせいもあろうが、翌朝、痛みが出なければ大丈夫だろうと判断したのだった。

こんな状態だったので、あえて母には話さなかった。ところが母は、父の部屋から折れたボールペンを引き上げてきた。腕力で折ろうとしてもなかなか折れるものではない。母は床に落ちたボールペンと、切れた蛍光灯を指摘する父の言葉から事件を察知してしまった。これでは家を空けることが出来ないと怒りを露わにした。

蛍光灯は、残りも古くなっているので、全部交換するからと応答して墓穴を掘ってしまった。母は見学会の話などかけらも覚えていない。父が気にしているから、明日買って交換してくれといいだしたのだった。蛍光灯のために、見学会を欠席するわけにはいかない。

この大型の蛍光灯はコンビニには置いていない。この時間だとジャスコも食品売り場以外は閉じている。結局、翌朝蛍光灯を買いに出て、取り付けてから見学会に出ることになった。紙一重、見学会集合が午前中だったら、衝突しているところだった。常にこのような綱渡りなのだ。4本のうちの1本の故障なので、父が蛍光灯交換を翌日まで待ってくれればいいことなのだが、一度気にしだしたら昼夜構わず立ち上がってしまう。失敗経験が生かされない異常。

これから父の朝食を出して、買い物に出る。これ以上、何事も起きないで欲しいと願うばかりだ。

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午後から、あすなろ会の見学会がある。天候もまずまず。茅ヶ崎駅前集合後、新橋乗換えで上野に出て、日比谷線で三ノ輪に出て、コラボネットのKさんと合流、企業組合「あうん」にお邪魔する。

夜間傾聴:橋本2君(仮名)



(校正2回目済み)


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「輝く未来へ Step up」上映講演会講師決まる

2010-04-11 07:24:22 | 引きこもり
2010/04/06 記
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スペアちがさきのYさんから、「輝く未来へ Sepup」(都教委)を利用した上映講演会の場所を確保しないと空きが無くなるという督促が来ていた。講師も選ばなくてはならない。今回の対象は、軽度発達障がいや、精神障がい、引きこもり、就労挫折再チャレンジ組等のいわゆる手帳を取得していないが一般就労には困難がある方の親御さんに向けられている。発達障がいのなかでも高機能の方などが含まれる。障がい者当事者団体にとっては、見慣れた、きれいごとの凡作に片付けられそうな作品であるが、福祉的就労から一般就労へと可能性を拡げて来た方の、環境条件等の補助付きの現場が、逆に新鮮に見えると思う。このグレーゾーンの方の就労は、一般就労や、精神の手帳取得を通して、特例子会社等障害者雇用枠を使う就労の就労イメージを膨らませてこなかった。

ハローワークも一般就労の求人紹介状をもらって、ジョブコーチ的な支援をえないまま就労して苦労することが多かった。私たちが探る社会参画的地域起業の道や、地域中小企業等への一般就労というような様々な道を、今年度は当事者懇談を軸にイメージを膨らませていこうと思っている。(「わーく」編集部)その連続物のひとつ、企業就労の話を膨らませてみたい。

ところがこの境界線を語りうる人材は非常に乏しい。今回は思い切って、サンシティ平塚の生活就労支援センターを訪ねてみた。ふだんから、私が塾を続けていたらやってみたい内容の実践情報もあり、職業リハビリテーション学会の関係者もいらっしゃるので、個人を絞りきれないまま、ぶっつけ本番でお願いしてみた。

なんと、所長の勝田俊一氏の承諾をいただいて、やっと基本骨格が出来上がった。少人数で申し訳ないのだが、企画構想を至急整理し、CMに入ろうと思う。講演というより懇談。具体事例をだしてもらおうと思う。

場所も取れた。日程は7月15日の午後である。

サポセンに赴き、Mさんに話す。地域就労支援PJで取り上げられないかということだ。この企画が7月で前後するが、5~6月に桜ヶ丘病院の「リカバリーキャラバン隊」の精神の当事者の方との交流懇談会を定員15名以下で就労支援の形と職場領域の拡張話、支援の形の話をしてみたい。やっと、この準備に入れる。こちらは昨年藤沢市保健所がホストになって、湘南東部医療圏域の研修に講演をしているので、ご存知の方も多いと思う。今回は「講演」ではなく「当事者懇談」として実施しながら、IPA やリカバリーの就労支援の形の体制の可能性を感じてもらえたらと思っている。「輝く未来へ Step up」上映講演会の準備が軌道に乗ったら、至急こちらに移る。

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私が留守の間に、父の便が爆発した。根菜を蒸篭(せいろ)蒸ししているので、イモ類の摂取効果かと思っている。参った。紙パンツが足らないのだ。店が閉まってしまう。食事の準備を母に頼み、閉店間際の薬局に飛び込んだ。この大人用の紙パンツはメーカーによって大きさがかなり違う。いつものリハビリパンツが在庫なし。どしようかと迷いつつ、同じメーカーの一段上のサイズLLを決意して買った。このサイズが合わないと漏れてしまう。危うく無灯火の自転車にぶつかりそうになった。網膜色素変性症の私の眼は闇が見えない。俗称「鳥目」だからだ。私が怪我をしたら母がつぶれる。冷や汗をかいた。

家に戻って父に履かせてみる。結果は大正解。1パッケージの枚数は減るが、漏れないで済みそうだ。


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湘南あすなろ会の見学会が8日にある。E君が資料集を手直し印刷しているはず。

《入手した書籍から》
●「治りませんように-べてるの家のいま-」


夜間傾聴:中央林間君(仮名)
     ******君(仮名・こちらから)


(校正1回目済み)
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油の中を泳ぐ…急がば回れというけれど

2010-04-11 05:50:20 | 引きこもり
2010/04/05 記
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新年度の企画は一斉に始まるがなかなか思うようには、段取りが進まない。出来る限り出向いて主旨を説明するが、その説明にはどうしても資料がいる。この資料作りのまとまった時間がなかなか作れない。家族の介護である。ひとを挟むと、思いが伝わらない。

母の言葉を借りると、80に近くなると疲れが翌々日に出て長引くという。介護や外出等体を動かした結果、翌々日には翌日よりも疲れで寝込んでしまったり予定通り行かなくなる。父の介護は半分は見張りだ。排泄や食事・ホーム利用サポートなどが日程を縛るが、父の転倒や階段落下・危険行為(ソファーの上の立ち上がり・ベッド柵放り出し・家具を抱えた転倒等)対策など連日起こる身体の危険に控えていなくてはならない事態だ。

それはひとりでは支えられない。勤務や買い物・社会活動もままならなくなるからだ。在宅介護はチームで当たらざるをえない。ところが在宅介護支援を事業所を使うと、その仕事中、誰か家族が居ることが義務付けられて、家族は外出できない。だから父をショートステイのような形で外泊させないと、効果がでない。介護する家族が我が家では、母と私のふたりと、月に1・2回、母の友人親子が留守番をしてくれる。だから老老介護ではあるが、母が体調を崩すとたちどころに私が動けなくなる。いつ動けなくなるかわからない者は、なおされに信用されない。だから足で稼げない分資料を作るが、結局はほんとうに必要を直感的に感じる企画を打ち出していく以外ない。

母が父の介護で打撲や筋肉痛を味わったことが契機となって、長距離障害物競走のような介護から降りたいといいだしている。こうして、深夜、書き込みをしている天井では、キー入力音を敏感に察知した父が起き出して、片足を引きずって部屋の闇の中を歩いている。昼夜逆転である。物が落ちた。

私は夜間傾聴や夜間作業をすることで、父の夜間の見張り対応をしている。足音が階段に近づいたので、父の様子を見に行ってきた。父は「誰か来た」という。キー音を気配と感じ取ったのだ。##さんが迎えに来たから、***に行く準備をしてくれ」という。##さんは故人である。出かけたのは十数年前のこと。カーテンをあけて、真っ暗闇の外を見せるが、こういうときは父は半分夢の中。よほど調子のいいとき以外は、そこから事態を判断できない。だから食べ物で釣る。和菓子やおにぎりなどを食べようと誘い、夜間早朝デリバリー、ケータリングよろしく、眼をそらさせる。食べ始めれば、出かけることを忘れている。尿にぐっしょり濡れたかけ布団をかけて、眠らせる。昨日は食事中、落とした箸を取ろうとして、椅子ごと転倒した。

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母を水曜日に、東京の通院帰り、羽を伸ばしてくるように進めた。早く帰宅しなければというゆとり無い日程から解き放つために、今回だけ湘南あすなろ会の定例会がなくなっていた隙間に、仕事の巡回を入れていた件を取りやめにして父を引き受けることにした。しかし実はこれには、もうひとつの裏があった。翌木曜日の8日、あすなろ会の見学会があって、東京に出る。この留守番は母が行うので、嫌だといわれると身動きが取れなくなるからだった。不純である。

母や私は、肩こりとか四肢のつり、眼痛などのストレス症状が出る。痛みに対し、ツムラ68(芍薬甘草湯(シャクヤクカンゾウトウ))という漢方薬を頓服として処方してもらっている。昔から使われてきた薬だが、筋弛緩効果があって、効き目が早い。ところが、胃の半分摘出手術をした母には、逆流が増える。結局安静にとなるので、限界かなと思ったときは、母の友人の親子に頼むことになる。ホーム泊は月の単位で事前予約で実施しており、よほど急な事態でない限り、臨時に父を預かってくれない。

ともあれ水曜日の約束が成り立ったことで、父の転倒時には呼び出し連絡せよと条件をつけて、母が近所のクリニックから帰ってきたのをバトンタッチして、講師探しに出かけた。

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ハローワーク藤沢に出かけ、講師対象者を探りに2階専門相談課にでかけた。ところがびっくり。平塚の県商工労働部の仕事サポーターのKさんが、ハローワークに配属されていたのだった。精神障がい畑の方だが、受け皿は広い。現場事例にも事欠かない方だ。私が心にイメージしていた講師候補数名に入っていた。思わず相談席に着いて、企画の講師をお願いできないかと切り出した。それは配転されたばかりで無理だと、受けてくださらなかった。

こうなると、領域の受け皿の広い方は平塚のサンシティの方々だった。進和学園の広がりの中で、社会参画的な色彩の強い様々な活動を抱えており、何回か見学をと機会を作りつつ、その度に父と緊急出動に阻まれて実現できないでいた。明日お邪魔しようと予定し、買い物を一度家に届けて、海老名巡回に出かけた。

《入手した書籍》
●「仕事がしたい!発達障害がある人の就労相談」
---- 事例が豊富。私は「発達障害グレーゾーンの若者の支援」の章が気になる。一般向けの書で就労に関連する基礎知識紹介もある。梅永雄二氏のお仕事。


夜間傾聴:□□君(仮名・中断ごめん)


(校正1回目済み)
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家族の老老介護の限界が浮かび上がってきた/新年度活動の準備は

2010-04-08 11:38:53 | 引きこもり
2010/04/04 記
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父をデイサービスに送り出した後、母に朝食を出した。両肩の痛みは回復したものの、母はぼんやりしている。わき腹の痛みはどうか聞くが応答が無い。言葉が無いときは、反応で様子を観る以外ない。座っている母に、新聞を手渡す位置を高くして、腕の上がり具合を観る。わき腹は、昨日の様子を質問しながらわき腹に手を当て、避ける様子で判断する。

手を当てたとき、私の手を払いのけながら、その気も無いのに「もう体力限界だよ。自分が(ホームに)入れば世話しなくていいんだけどなあ」と言い出した。私も若いときに妻を失っている。母がいなければ介護はひとり。「親父と階段、(ふたりで)バンジージャンプかよ。」と応答。「おしめを受け入れてくれれば解決するんだけど、あの**。」と母。それはつかみ合いの大喧嘩になるほど拒絶されるのは、知ってのこと。まだ解離して徘徊始めないからましという具合に、一歩先を想定して満足する以外ないのだろうか。

わき腹をかばいながら歩く母を近所の主治医に連れて行き、その足で生協で買い物を済ませた。家に荷物を降ろしにいくと、母がいる。どうしたのか聞くと、混んでいるから明日行くと言って、ぼんやりと雑巾を持っていた。

中島と平塚の特養&老健に電話。中島の方明日に約束。とにかく父の入所希望申請をあちこちに出しておく以外ない。介護は時間食い虫のようなもの。羽交い絞めされる中で、活動をする以外ない。

「輝く未来へ Step up」の解説をしてくれる講師を探し、電話で打診。県商工労働部の**さんに相談。やはり手帳の有無の境界線の語りは、どちらかを諦めないと適任者が出てこない。平塚のしごとサポーターのKさんは、発想がやわらかい。精神障がい関連に強いこともあるのでと電話をしたがお留守。神奈川Aや、職リハ関係も正面から問いかけても、領域横断適材人物探しには、空振りが見えている。特別支援校関連で横浜筋をあたる。軽度発達障がい関連の就労担当関係の方をあたるが、月曜日は留守ばかり。藤沢の施設関連をあたっても結局、学者筋が出てきてしまう。

そこでいっそと中小企業家同友会筋の関係者を訪ねた。大船で会ってくださったのだが、自分の職場については語れても、就労援助の視点からは無理とのこと。しかし話し合いから、秋口に連続懇談会に協力してくれる約束を副産物に取り付けて、16時半の父の帰宅に間に合わせるために帰宅した。この時間帯が悩ましい。時間中断されるので、まとまった仕事にならないのだ。

夜、発達障がい関連の団体のUさんに相談。話にずれを感じる。就労相談会ではなく、企業就労する職場のイメージを親御さんに持ってもらうことと、年齢がまだ学齢期であるが、まもなくやってくる高校卒業にあたり、子どもの就労をどう考えたらいいか、基本的な視点を具体例の中で考えてもらうという、境界線上の方の親御さん向けの話である。直接その方の表現を求めているのではないのに、プライバシーを意識したのか、参加は慎重にという応答。なにかがずれている。

仲介者をはさむ語りのもどかしさを感じつつも、就労支援企画は当事者・家族がなかなか集まらないという過去の経験を反芻。一般就労と福祉的就労の境、手帳の有無の境、就労挫折組の再チャレンジと旧養護学校卒業生の就労の相互関連のなさ等の断層。地域潜在する方と結びつく道の意義をどう説明したらいいのか。分断されたまま視点が動かないところを動かすには、架橋する実践が仲介されるのが一番なのだが、その展開の力量がないときは、どうしたらいいのかを、ひとり、話しながらぐるぐると部屋をうろつきながら考えていた。

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帰宅時、父の様子がおかしかった。異様に快活なのだ。階段介助のヘルパーさんが対面リードしながら階段を昇るが、口数が多い分、腰が砕けて、父を再起立させること2回、やっと最上段に押し上げた。理由が分かった。紙パンツがはちきれそうに尿を含んでいたのだ。そこから介護者の気をそらせたかったのだろう。即座に交換となった。

用意しておいたおやつを出して、ヘルパーさんに事情を説明。案の定、父は膝との痛みと肛門の痛みを訴え、閉院間近の主治医のところに介護タクシーを頼んで往復騒動。肛門がヘルニアになりかけ状態。手術の必要は無いように見えるが専門が違うので病院で観てもらうようにといわれる。帰宅し、なんとか父をベッドに誘導したところで、便が爆発。またも便意が父の異常の原因だった。こうして、またも急遽、訪問が延期された。本校からは厳重注意の頻度である。

清拭を終えた父は解き放たれたように、穏やかに眠っている。

家を出てサポセンにファイルを置いてきたが、自転車が欲しい。これだけで1時間はかかってしまう。自転車なら半分の30分あれば十分だ。

きょうも、あすなろ会のTさんと会うゆとりが無かった。Tさんは探さないと会えない。今週は見学会がある関係で定例会が無い。心配ではある。

《入手した書籍》
●「精神障害者の「就労」モデルの構築-社会福祉ニーズとの関連を巡って-」
●「若者たち―夜間定時制高校から視えるニッポン」
----- 新聞記事に「映画「月あかりの下で~ある定時制高校の記憶~」(グループ現代)」の上映開始の話がでていた。浦和商業高校定時制の記録。「廃止の浦商定時制記録映画が完成/朝日埼玉版」


夜間傾聴:********君(仮名・母親)
     橋本2君(仮名)
     A子さんから久々のメール(大学入学おめでとう)

(校正2回目済み)
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4/3 映画「ぼくはうみがみたくなりました」を観て/父が階段から落下

2010-04-07 11:26:14 | 引きこもり
2010/04/03 記
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父の排便が済んで、父は勝手に安定した。状況を聞いて母の友人が、今回は娘さん抜きで夜まで留守番を買って出てくれた。さっそく私はそれに甘えることにした。

昼前に政令指定都市になったばかりの相模原市の相模女子大側の方のの御宅の訪問を済ませ、川崎市自閉症協会など参加している制作上映実行委主催の「ぼくはうみがみたくなりました」上映週間の初日、山下久仁明監督らスタッフのフリートーク込みの上映会が新百合ヶ丘の川崎市アートセンターであったので、午後から会場に飛び込んだ。

自閉症の青年・淳一(伊藤祐貴)が、ひょんな出会いの明日美(大塚ちひろ)の車に乗ってドライブすることになる。旅先で偶然、幼児期の淳一を知る老夫婦と出会う…。とまあ劇映画であるが、自閉症の啓蒙映画ではなく、自閉症者の彼が、社会の見守りの中で、生きていけるのかを、ひとの存在そのものの不器用さを媒介にした共感の中に、絆を描いた作品だった。

淳一役の自閉症者の演技は秀逸だった。類型化しているが関係者の心理もぴたりと描かれており、秀作。しかし、なにが物足りなさを感じるのがわかった。脚本が甘すぎるのだ。マンガ・アニメ&ホームドラマの作品によくあるのだが、都合のいい人物がタイミングよく出すぎなのだ。無理解の社会に苦悩する障がい者を描けというのではない。困りとひょんな出来事の偶発的なからみが関係を生み出す部分があっていい。明暗のめりはりが薄い分、小型の甘口作品になっているのを感じるのだ。

会場のQ&Aに入ったとき、客席から年配者の質問があった。この方は、前に「ゆずり葉」をみたとのこと。この作品には自閉症の症状説明が無く、個人を描くのでは、自閉症はひとりひとり違うのだから、個人を追うのは自閉症に対する誤解を生むのではないかという不可解な質問だった。

何十年前の社会主義リアリズム論ではあるまいし、作品を自閉症のプロパガンタにしていないからおかしいという発言が未だに出ることに私は驚いた。痩せた作品論。さすがにスタッフが困って、作品はそういう作品にしたくないという思いの中で、人の出会いの中に生きている自閉症青年を描きたかったと答えた。

質問者は自閉症者はひとりひとり違うから、ひとりにスポットを当てるのは自閉症者像の誤解を生むという。この論理は、聖書の解釈違反を断ずるような正が誤を裁くような語感に満ちていた。日常に生きる自閉症者もひとりひとりの個性ある人物であり、それを描かずして、これが自閉症の定義骨格であると見せられても仕方が無いだろう。個々人の人格の魅力はそのものとして受け取るべきだし、人格が違うからと言って、その中の自閉症の普遍像は消えることは無い。それを見えなくなると断ずる方がイメージ貧困なだけ。

なにか幻滅に転じた気まずい気分を抱えて会場を出た。上映は発達障害啓発週間2010 世界発達障害啓発デー特別企画であり、今週いっぱい続く。

ここから急いで新宿経由でビッグイシュー東京事務所に同誌の追加とバックナンバーを受け取って、再び新宿から小田急線藤沢経由で帰宅した。この日、新宿連絡会の花見だったらしい。佐野代表と水越編集長に出会ったが、忙しそうに次の企画に出て行った。ここは活気がある。スタッフとのとんちんかんなすれ違いは起きるが、いくつかの情報を得たのが収穫。

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この日、帰りにサポセンに寄りたかったが、母の友達の方を遅い時間まで引き止めておくわけにも行かず帰宅したが、先に帰られた後だった。この方がいなかったら、私たちは外出することも出来ない。

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父の食事量がばかに増えている。こういうときは、必ず後に食事量が急に減って、便の危険日となる。そのことを経験的につかんでいたが、もうひとつ忘れていた。父の認知症の具合が悪化し、誤認や失認による危険行動が始まる。この日も、母が自分の部屋で休眠している間に、父はひと仕事が始まっていた。転がしてしまったトイレットペーパーを足にまきつけ、下半身の衣類おむつを下げたまま、階段を降りてきてしまったのだった。

母が父の足音に気付いたのは、父が降り始めてから少したってからのようだった。父の部屋のTVがついていたので、父の足音に気が付かなかったのだ。父は尿を漏らしていた。しかし母は前日の格闘で肩を痛めて治療中だった。父は足の力が弱まっている。上から4段目、手すりに両手をかけながら宙吊り状態になって反転した状態で、必死に母を呼んでいた。

手を放せば背面から、真っ逆さまの状態。母も動転したが両肩の痛みが冷静さを取り戻させた。父の落下に巻き込まれないように、父を頭と足、正面と背面を反転させることにしたのだった。片手を放してと父に声をかけ、父を「落とす」ことにしたのだ。母は父の横に身を置き、何段かは巻き込まれて落ちることを覚悟した。ただ尻を打つだけに姿勢を保とうと考えた。危険な賭けだった。

父は手を放さなかった。結局力尽きて落ちたのだが、母に引っかかった。結局膝を打ち腹を下にして数段落ちて止まった。頭からの背面落下は免れた。母は父の手に強打されて1段落ち、尻餅を付いた。巻き込まれなかった。

父は「幸いなことに」動けなかった。母は茶の間から、ヘルパーさんに緊急コールをかけた。連日の騒動、それでも来てくれるのだろうかと母は不安だったという。父のところに椅子の座布団を持ってあがって、父の頭を守った。これらはすべて私が父の緊急事態のときにと指示していたことを行ったのだった。家族介護者間のシュミレーションは一見馬鹿馬鹿しくてもやっておく必要がある。今回はそれが役立った。

へルパーさんは、父を立たせて、強引に力技で階段最上段まで父を引き上げ、なんとか歩行器に父をつかまらせ、ベッドに移送。父は膝を内出血しただけで済んだ。しかし母は両方の痛みにわき腹の打撲が加わり、連れ添うが限界に来ていた。

私が家に戻ったのは、事件が終わって、ヘルパーさんが帰って15分も経ったころだった。母は洗濯機の脇に椅子を持ち出し、ぼんやりと洗濯機を眺めていた。私は外出していたことへの後悔の念のようなものを感じつつ、これは父を一時も早く入所させないといけないと思うのだった。母をベッドに寝かせ、肩の件で処方してもらっていた痛み止めを飲ませた。

ホームに電話を入れ、ケアマネさんに伝言をお願い。他事業所のヘルパーさんに緊急救援してもらった旨を話した。月曜日のデイサービスの時、父の打撲などの状態に気をつけてほしいと頼んだ。入所申込み先を増やすことにし、半分居眠りしている父の紙パンツ交換をしたあと、階段への通路を家具を移動して封鎖。母の夜間の排泄時、トイレまでの移動に連れ添うことにした。こうして一夜が明けていった。

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山谷見学資料素案「山谷を歩く」をまとめ、Eさんに引き継いだ。
他4つの企画が進行していた。

一つ目は、精神障がいの領域から、IPAリカバリーを推進している桜ヶ丘病院の当事者さんの招請と当事者懇談企画だった。これは引きこもり青年と湘南にじの会への参加要請が必要だった。これは5月下旬企画。それには若松町ショップへの客側からの参加をすませ、M君たちにじの会と一度話し合ったおく必要があった。その準備を進めた。

二つ目は、スペアちがさきや就労支援PJとの共催の形で、教育庁&都教委の就労支援ビデオ「輝く未来へ Stepup」の上映とジョブコーチ的な就労支援者の講演を実施すること。講師探しが必要だった。対象は軽度障碍の子を持つ親御さん、一般就労に失敗している無業青年達。ところがジョブコーチは中度重度の方の指導に関心があって、地域潜在している手帳取得していない方や一般就労挫折組の方への関心が視野からはみ出していて、なかなか架橋できる人物がえられなかった。この講師選びや会場確保がタイムリミットを迎えていた。5~6月

三つ目は「わーく」画像放送の開始。デモ画像作りに難航していた。大森海岸君(仮名)に、電話局開発畑の方との接触が必要になっていた。また携帯機能付きフォトフレームの販売見通しをつかんでおく必要があった。とりあえず若松町ショップへ出品参加する手続きを進めている。

四つ目はなんとしても炭谷氏の茅ヶ崎講演を実現したいのだ。ソーシャルファームの発想を地域就労支援PJが発信先となること。3月講演が失敗したため、7月上旬講演を目指している。これは最低60名規模にしないと失礼。

いずれも地域の就労支援活動を地域起業的な活動を含んで展開していく大きな流れへの支流活動。止まりたくない、父の介護で沈没させたくないのだ。


夜間傾聴:中央林間君(仮名・こちらから)


(校正1回目済み)

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