湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

7/30 糖尿病治療薬の治験の騒ぎ/被災者の日常生活支援への構造転換と私の活動範囲

2011-07-30 15:04:06 | 引きこもり
2011/07/30 記
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昨日は朝から糖尿病治療薬の治験に参加していた。医療用市販薬の相互作用の検査なので、その都度の環境や体調のメモが必要とされるが、面倒くさい。毎食前の薬があり食後の薬があると、一日中薬に振り回されているような感じがする。朝、私は必ず排便があるが尿検査があるので、尿は我慢して医者に行かなくてはならない。前日21時以降の食事禁止は慣れたが、家で採尿させてくれればいいものを、錠剤やカプセルの空包装紙も回収となるような妙な管理が入るので、医者で採尿しなくてはならない。

ところが医者のトイレでは尿が出ない。水をあおって再挑戦するが出ない。血液検査などを済ませたが、出ない。医者は12時で休憩に入り15時まで休みとなる。食事をしてもすぐならば採尿可能ということで、場所を駅ビルの障がい者乳幼児用トイレに移して延長戦となり、えらい目にあって尿を採った。

相模大野校の授業の方は治験と重なるので休んだが、午後から橋本で個別指導があった。これは夜に移動させてもらった。診察のとき、依頼した東部病院の24h心電図検査の結果が届いていて、波形にびっくり。あなた、死んでますねと医者。汗で肌に取り付けたセンサがすぐにとれてしまうのだ。波形は一直線。残りは震災時の地震計の波形のように無茶苦茶。検査不可能ということでとりやめとなったはずなのに、結果が出ていたのだった。8月1日が胃癌の検査である。母の強い要請があったからだが、通院が日課になる年齢の招待のような気がして、今回の騒動は、たまらなかった。

午前中で終わりの予定の検査が13時半まで延長ということになり、急に空いた時間帯を使って、父の入所している老健に行く前に、サポセンを訪ね、買い物をロッカーにいれて議員を訪ねた。陸前高田・大船渡の企画の件である。第一の企画は同業者組合の話にかけられたが、県の関係者が入っているので、県の会議待ちになっているのだろう。結果連絡はまだ入っていなかった。

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サポセンはまた空振り。話を持ちかける相手は小田原に飛んでいた。今回の提案は「避難生活の継続支援」に後方支援をシフトしていく切換の提案だ。しかし、その状況認識は一般化しているわけではなく、地元に復興を委ねるという形で退潮が始まっている風潮の中で、意識あるものが現地に応援にいくという形に活動が閉じ始めている状況にある。長期滞在型の現地ボランティア以外、被災地の状況打破につながる「絆」は情緒以外に実質を持たないのだろうか。奈良のMLでは、被災地の地域差が取り上げられていた。現地に行ってその茫漠のした被災現場のがれきを撤去していく蟻のような作業には耐えられても、がれきを山と集めて、がれきから炊き出しへと移ったという経験者もいたが、山のがれきは重機が搬送するので地元業者の仕事であると、仕事を取るなという批判を受けた結果だった。こういうよそ者批判は耐え難いものがあるという話だった。それは思考の硬直化でしょうという私の指摘は、またかいなと無視されて、どんな状況にも目的を粛々と遂行する奉仕の気持ちを忘れているという論議に流されてしまった。しかし被災者と手を結ぶ私たちのなしうることは、労力奉仕や物資提供に終わるものではないはずだ。その「絆」を「避難生活の継続支援を軸とした生活再建支援」活動に込めて、その先の芽を見通していく必要がある。

それを誰に語り湘南で手を結んでいくか、そう考えると、媒介にする活動が必要だが、それ自身をどう立てていくか、粘らなくてはと思う。

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父の老健についたころ、ぱらぱらとにわか雨が降りだした。父の好きな煎餅を近くの雑貨を売る薬局で買い求め、老健に飛び込んだ。クリーニングと衣料貸与は外注なので、その料金は講座引き落としではなく、毎月支払いをしに行かなくてはならなかった。支払いを済ませ、認知症フロアに上っていくと、父は広告の紙を丸めて棒状にする手作業集団の中にいた。作業するわけでもなく、ぼんやりしていたが、近づくと私に手を振った。

その作業指導に区切りがつくまで、フロアの職員さんと話をしていた。被災地に行ってきた話をすると顔がほころんだ。私は東北の出身なのですという。出身地を聞く前に入所者さんの用が割り込んでしまったが、細い糸でつながったように思えた。「絆」の始まりとはこんなことなのだと思う。

車椅子に乗った父を玄関フロアまで運び、煎餅を食べさせながら話をする。耳がいっそう遠くなったので大声で話さなくてはならない。家ではこのとき、父と私の発語のタイミングが重なり、互いに短気だということがわかったが、ここにいる父はすべてを投げ出している。質問には明快に応答するが、中身がはずれている。その奇妙なやりとりが、少し離れた事務室には筒抜けである。冗談を入れても父には通じない。事務室からくすくすと笑い声が聞こえる。なんということもない近況と母の通院話をして、父をフロアにもどして老健を出た。

父は七夕のスナップ写真を焼き増ししてもらうのだと言っていたが、これは勘でしかないが、職員が話題のつなぎに使った言葉を復唱しているように聞こえてならなかった。小さな声で、それって「葬儀用の顔写真」だよと言ったのだが、事務室は咳払いとともに急に冷えていた。当たりなのだろうが、禁句なのだ。父は掃除は朝やってくれるのだとわかっていなかったのが幸い。しかし、バス停で帰りのバスを待つ間、大粒の小雨がぱらついても傘をさす気になれなかった。

被災地を歩きながら、生活の痕跡すら押し流された街と被災者の足跡を思った。しかしそれも、社会の中では集団に所属しない者の思いに通じる感覚に通じていた。

平塚で買い物を済ませ、平塚の市民活動センターに立ち寄った。父の老健詣の帰り道に立ち寄るコースになっているようでもあった。

被災地の復興に熱意のある業者を通じたサービスのギフトと、その架け橋を通じた直接民間交流の絆作りの形を話すと、平塚の災害ボランティアの壁展示写真を
見せてくれた。私がへそ曲がりなのかもしれないが、お祭り型の支援で元気の出る方は、もともと元気のある方で、私は黙っている方のほうが心配でならない。元気は抑圧に転じうる。つぶやきを消してしまう力もある。だから、私は淡々と続いていく日常生活と生計につながるもうひとつの活動を作る時期に来ているとなおさらに思うのだ。保健師さんと話したときの人手不足のため息も、ボランティアへの諦めが込められていた。昔の映画の題を思う方は私と同世代だろうが、「被災地から遠く離れて」である。そのため息に別の視角の絆がつくれないはずがないのだ。しかし、捨てたものではないといいきれないで受け止めている私がいた。

だから平塚の**さんには申し訳けないのだが、壁の写真は私の胸を打たなかった。

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茅ヶ崎に戻ってある議員さんの事務所を訪ねた。ペットレスキューの講演会に参加してくださったのだが、当日の参加者は私の直接応答した方がひとり。(これから「わーく」のペット新聞作りの編集員となる)**さんが仕組んでくれたらしいタウンニュースを見た方がふたり、市議団のポストのチラシ投函から参加された議員さんと、動物と街づくり関連のが3人、自閉症の関係の知り合いの方が1名、そしてこの議員さんと、私と講師。これだけだったことや、湘南あすなろ会の活動休止のことを踏まえて、それに加えて新しい活動提案をする私に苦言を語ってくださった。

被災地大船渡でその避難所の生活のお世話をしていた方が、実は東京のホームレス関連の支援団体の「もやい」の方で、社会的弱者への眼差しは、ホームレス支援も、被災者の支援も、困っている方に協力する意味で境は無い。しかしことを解決していく意味で、見え方(領域という視角)は様々となる。活動は活動参加者、私なら私が継続して担っていくものだが、

1)不登校・引きこもりの若い子達の(特に障がいを抱える子の)支援
   *「わーく」編集部
   *被災地の犬猫の飼い主さんを支援する湘南の会準備会の通信編集担当
   *訪問学習カウンセリング
   *夜間傾聴
   *就労支援(ハローワーク付き添い・専門学校進学相談等)


2)湘南あすなろ会
   *無業者化した軽度発達障がいがらみの方の就労支援
   *ビッグイシューの定価購入による愛読者サービス
   *砂防林パトロール参加
   *寿町訪問行事参加
    …以上は個人参加、会自身は定価購読以外は休止。

3)発達・知的・精神の領域にまたがる障がい者の就労支援
   *湘南オンラインフレネ(研究活動)
     携帯電話副次機能利用によるスキルアップ
     社会的企業の地域展開と社会参画型就労の研究
     障害者雇用部会等への参加
   *被災地の犬猫の飼い主さんを支援する湘南の会準備会の飼育協力担当

4)災害ボランティア(個人的に推進する活動)

   *「あしなが基金」などの巡回募金協力
   *被災地の犬猫の飼い主さんを支援する湘南の会準備会の運営
   *他2団体(文字放送関係/支援金作り)

5)災害ボランティア(中間支援者として)
   *被災地の業者経由のサービスのギフト活動
     地元専門職の店の再開を見通した被災者支援
      中小企業家同友会・市民活動との連携
…軸は同業者組合と市民活動の間に立つこと
     被災地仕出し屋さんを通したメッセージ付半調理食材の配達
     (孤立化防止策のひとつ学生との連携=第二企画=)

以上が私のいわゆる社会活動の範囲だが、5)は、私はおまけ的な参加となる。活動形成は私が主だが、それは同業者や賛同者の活動に、または学生さんの活動に、古いたとえで言えば大久保彦左衛門的係わりを行なう活動にしていきたい。虫がいいか。しかし可能性のある活動を提案していくのが中間支援者(活動作り屋)の仕事だ。ここは自分のホームグラウンド( 1)・3))とも違う世界だ。

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お祭りではない民間交流を組織していくことは、現在の災害ボランティア活動を否定するものではない。その欠点を補完する形で、日常生活に組み込まれるような支援を組織することだ。流されても構わない。私の足跡はここにつけるべきと考えている。特別な意志を持つ方の厚意に任せるのではなく、その世界を皆の参加しうる形へと練っていくのが中間支援者の役割である。

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東海新報の編集長か開業を目指すサービス専門職当事者の方を秋に湘南に呼べないだろうか。謝金を除いて最低4万円はかかる。今後の災害ボランティアの活動の方向を示す会にできるだろう。詰めてみたい。また空転は覚悟の上の話だ。


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相模線の車内で初めて帰りの車中で終点だと起こされた。右目だけ空いていたとか。網膜色素変性症にそのような話は聞かないが、背筋が寒くなっている。


夜間傾聴:旗の台君(仮名・お久しぶり、傾聴にあらず/お料理指南感謝)
     橋本2君(仮名)


(校正1回目済み)

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