湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

6/6 ホームレス地域パトロールに参加してきました

2011-06-08 15:55:30 | 引きこもり
2011/06/06 記
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母の友人からの鎌倉散歩の誘いは、私の「仕事」の都合という困った口実で延期された。父の七夕見学もそうだが、危うさと隣合わせの付き添いは、その後のケアに広がりかねないから避けたいというのが正直なところだ。母は足元がかなり衰えてきているので、延々と歩くことは本人も避けたいと考えている。その妥協の産物だったのだ。

その鬱憤のようなものが、茅ヶ崎駅の構内上下エスカレータの通勤時間外閉鎖や、辻堂駅の南口エレベータの頻繁なメインテナンスへの節電対策批判へと移っていたが、私はエスカレーターの下りはいらないとする健常者の発想の浅さこそ問題と茶を濁して、母の絡め手から離脱していた。脚、特に膝に障がいが出ている高齢者や障がい者は、下りの方が足へのダメージが大きく不安定なのだ。体重を持ち上げるからのぼりがしんどいだろうと考える二者択一の発想は、下りのそれへ発想が及ばない。その次元の発想の節電は底が知れている。

ともあれ、文句を言っている間は健康と理由をつけて、母に形の悪い握り飯と惣菜を作って冷蔵庫に入れて、自分の昼食は駅の立ち食いざるソバと決意して辻堂に出た。13時から砂防林のホームレスの定期パトロールだった。メンバーは常連さん、私を入れて5名。

ところが集合場所に行っても誰もいない。おかしいなと予定表を見るが正しい。リーダーに13時半ですよねと、屈折した電話を入れ、私が予定表に13時と間違えて記録してしまったことに気付く。30分買い物をしてしまえばコインロッカーに入れておけば夜の授業の帰りが楽になると、駅前のマーケットで買い物を済ます。腐りやすいものはだめ。

ところが戻ってみるとコインロッカーがすべていっぱいになっていて、食材抱えて砂防林パトというわけにいかず焦った。5分ほどすると、二人の幼児を連れた母親がコインロッカーを開けて、子どもの上着だけを中に残して閉めようとしていた。とっさに飛び込んで、これから海岸方向で仕事があるのだがと、半分正しい事情を説明して、コインロッカーを譲ってもらった。怪訝な顔をされたが、譲ってもらえて難を脱したのだったが、母子が去り、そこへ食材を入れようとして気が付いた。臭いのである。幼児のおしめを入れていたのがわかった。風を通したが匂いがとれない。時間が迫っている。ええいままよと、買い物袋を中に入れて蓋をした。子どもの上着を入れようとした母親はその匂いに慣れてしまっているのだろう。

駅前パトロールを始めたころ、泥酔者と帰宅通勤客との諍いに割り込んだり、冬場の構内立ち入りへの駅員通報の立会いをしたときなど、油と嘔吐物の匂いにめまいがしたことを思い出した。砂防林は海岸線にあるが人目につかないところにブルーテントが張られている。しかしここのひとたちは一国一城の主であり、生活が全面的には崩れていない、むしろしっかりしている。駅前のアルコール依存症の身を捨てているひとたちの方が、それだけに悪臭を放っている。これも慣れがある。心身に問題を抱えている方も駅前の方が露骨に見える。

時間が来て、集合場所には古株の面々が集まっていた。私はHL当事者の**さんの姿を探したが参加していなかった。彼は今、廃品回収の仕事をしている。そちらの方が忙しいのだなと思ったが、当事者活動を始めていくときに、湘南は依然として古参中高年が主流なので、活動の立ち上げは支援者の「腕力」というか強力サポートがないと立ち上がらないと思うようになった。時流の若手の流入が少ないのだ。ネットカフェには、しょっちゅう候補者のような若者が立ち寄っている。しかし地域定住しないで流れ去ってしまう。地域に日銭稼ぎなどの職がないからだ。

私たちはバスで海岸線に出て、二手に分かれて茅ヶ崎南東部から藤沢南西部まで2kmほどの距離の砂防林をまわる。詳細はかけないが、私はこの人たちが地震津波に会ったり、集団暴行やいたずら窃盗にあったとき、最後の砦さえ吹き飛ばされてしまう。そんな悪夢を思い浮かべていた。地震があれば彼らは逃げる。その敏捷性を持っている。駅前・公園のホームレスとは様相が違う。その辺の小さな安心はあるのだが、足の悪い方がいたり、出入り口が狭いので、暴行を受けたときの逃げ場がないことが気がかりでならなかった。

彼らの情報で、海岸への通路のところで、前日に首つり自殺があったことを知った。今直している柳島キャンプ場への通路や、波うちぎわでもここ10数年の間に一年おきほどの自殺例を聞いている。その人生の破局の隣で余生をこなしてる、したたかさすら感じさせる生活を、心に焼き付けておこうと思う。しかし私の活動の主戦場は若者。そこにどうたどり着くか、それを闇の迷路をいくように、こつこつと壁を叩いて歩を進めていることを感じている。

3月11日のあの日。私は辻堂図書館から電車運休を予測して13系統のバスに乗って、浜見平団地終点から競歩の足取りで海岸線にたどりついた。柳島キャンプ場から馬入橋の下まで水面の高まる河口から、彼らを避難をさせるために彼らのブルーテントを探した。今ほどに津波の間合いの時間の知識がなかったからなのだが、本来そのとき、彼らに避難を呼びかけられるのは、行政と消防・警察などの公的な人たちだ。その避難要請が迅速に届くように、定住者のリストを彼らが持っていなくてはならないだろう。

パトロールも終盤を迎え、その途中で対人恐怖があると自称する若者が、突然自転車で現れた。言葉をかわしたが、この世代は親元の家に散っているので、普段は見えないのだと思っていた。

辻堂の駅で解散後、私は相模大野校の演習授業まで間があったので、ジュンク堂に寄りレベッカ・ソルニットの「災害ユートピア」の2冊目を買った。1冊目は相模原の塾の講師に奪われてしまったからだ。ここに描かれる特別な共同体の力を私は活かしたいと考えている。アジールの力、そこに挫折者の再出発の契機が見えるのだ。それは「ひと」がむき出しになっている非日常があり、それゆえ屈折を突き抜けるシンパシーが活動を貫いているからだ。相手に光が当たれば自分が見える、そういう世界だからだ。

ビルのエスカレーターに乗っているとき、見たことのある雰囲気の若い男性と出あった。見えない右目を閉じて眼を凝らすと、先ほどの彼のようだった。ところが彼は急に笑顔を封じて立ち去ってしまった。まただと思った。私が目を凝らすと眉間に皺が寄る。すると怒っているように見えるらしい。いつも同じ反応なので、ため息をついた。網膜色素変性症は合併症がない限り、目に濁りを生じない。だから晴眼者と間違われるのだ。聴覚障がいの方もそうだが、この誤解は尾を引くだけに困っている。しばらくは会っても口をきいてくれないかなと、諦めきれない諦めをする。5mも離れていないのに顔の表情を知るのに、どうしてもワンテンポ時間がかかる。この間が鬼門なのだ。鋭敏な対人恐怖を持った方なので、完璧に遮断されたなと感じている。

授業を終えて、辻堂のコインロッカーから買い物袋を出して帰宅したが、母に隠し事をしているわけで、気が乗らなかった。買い物袋は捨て、匂いの移りそうな食材は匂いを嗅いでみた。ひとは生き物であると言葉を反芻しながら、食材を片付けた。ごろり横になった寝具の自分の匂いがわかった。しょうもないなあと思いつつ、屁をたれた。ひとは生き物であるのだ。

明日からまたペットレスキュー巡回再開である。


夜間傾聴:橋本3君(仮名・母親)
     南橋本君(仮名)

(校正2回目済み)

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1 コメント

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ありがとうございました (素直)
2011-06-10 22:30:02
パトロール参加ありがとうございました。
こちらのblogは読ませていただいていますが、お会いしたのは本当にお久しぶりでした。お元気そうで何よりです。

HL当事者の**さんはこちらのパトロールには参加なさっていません。もしかしたら一度もいらしたことないかも?

また、私たちの会にはリーダーは置いていません。

とてもお忙しそうですが、またお時間があったらぜひいらしてください。

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