湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

原稿が操作ミスで消えました。午後書き直します、すみません。

2018-02-28 05:44:18 | 地震津波災害ボランティア
午後書き込みます。すみません。
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2/26 3年前の鬼怒川水害の常総市水海道に行ってきました(上)

2018-02-27 05:11:33 | 地震津波災害ボランティア
2018/02/26 記
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茨城県常総市に行ってきた。水海道駅着11時半。降りて驚いた。通行人がいない。駅前飲食店が皆飲み屋風で、まだ開いていないし店舗数が少ない。タクシーが列を作っているがドライバーがいない。カルチャー・ショック。カレーの香りがする駅前ラーメン屋に入り、チキンカレーを食べたが、ナンが標準のように出てきた。大きい。店の奥からでてきた方がパキスタン風の在日の男性。しかし、このナンが旨かった。カレーもカレーもネイティブな味。市役所に向かう路線バスを見て驚いた。1時間1本も保証されていない。市役所に向かうとき、市役所から障碍者施設に向かうときに自転車に乗った親子にであった。両者ともインド系と見られる在日の方。おそらく外国人を雇用する職場があると思わされた。商業店舗風の家屋が製造業を営み、カーテンがひかれて中が見えない。20分ほど歩いて市役所に着くまで、自転車の親子1組3人のみ。主要道路の交通量は多いが、ナンバーから通過点になっているように感じる。

常総市の水害は、2015/09/091~11台風17号の線上降水帯による豪雨水害であり、鬼怒川堤防の決壊によって市の3分の1が浸水し、行政職員を含む14名被災死と負傷者80名、全壊81戸、半壊7045戸の災害だった。

今回巡回したのは、防災危機管理課・高齢福祉課・社会福祉課(障碍者・生活支援)・議会事務局(市議さん不在・電話で取材)・水海道さくら病院・ひまわり学園(作業所)筑水苑(担当者不在)・社協cswさん(電話挨拶のみ)・県立水海道第一高校(防災担当者不在、帰路車中で電話あ会話)で時間切れ。

大きかったのは市社協が市役所支所側の近くにあって、鉄道駅5駅離れており、時間的に無理。取材内容については、明日から数回に分けてレポートします。大きなところでは、災害の特徴から、避難指示から堤防決壊までの時間があり、人的被害が比較的少なく、床下浸水域の広いベタ水害の地域が広いこと。堤防近くの甚大被災域との格差が大きく、震災ではないために、被害の有無の格差が大きいこと。自発的地元防災ボランティアの話が聞いておらず、障碍者団体(育成会など)の大きな動きは知らないと行政関係者が語っていた。

実は私は帰り道、横断歩道を渡ろうとして、敷石を踏み外して転倒。チノパンの膝の部分を破り、10cm四方の擦過傷を負ってしまった。骨には関係ないが、情けなかった。私は視覚障碍を持っており片目のために、遠近感が分からない。階段の開始・最終段の踏み外しは日常的に起きる。しかし横断歩道の敷石が30cm近く段差があるのは異常。

考えてみると急に歩道が無くなり、急場づくりのガードがあちこちにあり、歩道の荒れが多いことに無自覚でいたが、これこそが広域浸水の痕跡なのだと分かった。歩行者が少ないために、路肩・歩道が修復後回しになっている。自転車走行はなおさら危険だと身を持って感じた。

転倒時の傷は骨には影響がないが、チノパンは帰りに購入することになった。大船渡の時も、夜間の暗闇の側溝に片足を取られ転倒した。単身巡回は危険と知りつつ、病む終えない。

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母は浜見平の友人宅にいた。エンシャ・リキッド持参は笑ったが、確実に食欲は回復している。我が家まで車で送って下さり感謝!

明日は、ティーンズ防災絆教室の準備雑談待機で、いこりあに、14字~15時、前回の火曜災害ミニカフェのやり直しが17時~18時。橋本は無理と判断した。母は電話チェック。事件起きるな!

夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)

p.s.被災猫シロは、今日も帰らない…。

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2/25 被災猫シロは帰らず/ともあれ常総市に持参する懇話会自己紹介リーフレット完成

2018-02-26 05:03:27 | 地震津波災害ボランティア
2018/02/25 記
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被災猫シロは、今日も戻らない。まずいなあと思いつつ、縁側から餌がわかるようにおいてみた。橋本から帰ってみると、餌がひっくり返っている。シロが戻ったのかと色めいたが、母からカラスを追い払ったと聞いてがっかりする。

懇話会のケア関係者向け活動紹介資料が仕上がり、0時をまわっていたがコンビニで印刷、これで自己紹介用のリーフレットを持って常総市を回れる。

チラシ類は私は何種類か使い分けている。

1)関係者向け自己紹介用
2)関係者向け企画提案チラシ+検討資料
3)一般向けチラシ(集客用)

社会活動では、単に行動提案だけでは共同行動の誘いは不十分だと考える。なぜなら提案は時流の中にあって、社会的課題を解決することを目的としているからだ。なぜこの提案をするのかということを書き、共感してもらえた時、共同行動が生まれるからだ。「関係者向け」の大切なことは、「思いつき」を越えて活動を作る側として、手を握ることを目指している。

1)は面会して説明するときの用件提示の名刺のようなもので、直接口頭説明があるときに作るものだ。2)は、この口頭説明の代わりに情勢と企画を記した資料を作り、自己紹介を越えて企画について仔細を語るものだ。3)は、行動提案であり、背景は省略されている。対象はお客さんになってくれればいい。

つまり共同行動を提案する1)・2)と、覗いてくれるお客さんを呼ぶ3)とは、目的が違う。大概は3)を持って、1)の代用としているが、これでは手を結ぶ活動推進者への語りは、闇の中に埋もれてしまう。その方たちがお客さんであっては困るのだ。

しかし、以前**さんが語っていたように、字数が多いだけ、言葉が「難しい語ひとつ」で、文章が読まれなくなるというのも事実だ。しかし抱えている状況認識は類似活動の関係者には、粗筋と資料のような2部構成の2)を渡しておくべきと考える。一般の方とは立場が違うから、吟味していただくということは、無理に崩す必要がないと思う。粗筋があり、資料は追って読んでもいい。そのことが一般向けと同型というのは、文書の目的をはき違えていると考えている。使い分けである。

常総市に持っていくのは1)。掘り下げる必要はない。

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明日は午前中に出発する。自宅に電話されると、また母のうるさいから出ないという「遮断」が出てしまう。急ぎの用の方は携帯にかけて欲しい。母にナンバー掲示をよく見、記録することと言ってある。

明日は午後から雨が上がると天気予報が出ている。せめて曇りでもいいから雨が降らないで欲しいと願う。

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先日の鶴間の講演会の名刺を整理していると、私の通う教室と同じ相模原市の看護師さんがいらした。事務所が車ならすぐのところ。たまに巡回が入る事があるので、そのとき事務所にお邪魔してみようかと考えている。

シロの餌の件を母に頼んで、これで今日はおしまい。夜間傾聴、臨時休業。また叱られる…。困ったもので。

夜間傾聴:臨時休業
(校正1回目済み)

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2/24 被災猫シロはまだ帰らない/常総市の巡回日程と人物確認をつけている

2018-02-25 06:06:50 | 地震津波災害ボランティア
2018/02/24 記
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楢葉町の被災猫が失踪してから1日経った。白い毛の雌の老猫である。田村郡の にゃんだーガードのシェルターから、動物愛護団体の++さん経由で私のところに届き、地元の看護師さんのところに収まり、看護師さんの転居で、私のところに出戻った猫でシロと名付けていた。不妊手術済みなので、野良化しても増えはしないのだが、夜の寒さが気になった。出ていった縁側の戸を隙間を開け、電灯をつけたままにして、戻るのを待った。この辺は野良の縄張りがきついようなので、負傷も気になる。生き物は命の危機を覚悟しなければならない。それがこんな形でくるなんて…と、作業中、キーボードを乗り越えて邪魔していたことをついつい思い出してしまう。

常総市の巡回路とツテをまとめた。市役所と鬼怒川は近いようだが、障碍者・高齢者団体の聞き取りを優先。しかし片道2時間半は遠い。

幼子と母親の被災関係の会が3月にある。予約がとれたので「懇話会」と「地元ティーンズ防災絆教室」の件を持ちかける。後者は接点が良く見えない。自立性が高いので、育児と保健衛生の医療・物資保証の話をむしろ紹介してもらう方がいいのかもしれない。

一昨日の医療・看護系の防災講演会の参加者の中に、藤沢の高齢者施設職員の方がいらした。お名前はそれ以前から流れてきていた方だったが、大和で出会うとは思っていなかった。歓迎せざる客だろうが、一度会えないか試みてみるつもり。…しかし、茅ケ崎市内のアクティブな方とじっくり話したい、そう思う。

「防災教室」はひと味足らない。実行委形成段階で、大きな企画を束ねるイベントが必要。今、全国の類似の若手掘り起こし活動を探しているが、見当たらない。立場や領域が異なる方々が、教室企画で足並みをそろえるのだから、行政課長が適任だと思うのだが、募集時の魅力、若手側が乗れる人物がいて欲しい。そのままでは閑古鳥が鳴くのは目に見えているので、いわゆる組織動員が必要だと思う。トップダウン型になってしまうと、これもまずいが市内の学校を説き伏せる必要もある。このひと味の部分で躊躇しているのだが、時間だけが過ぎていく。すでに空転の期間(市議会と人事異動)に入っているので、実行委は5月連休明け、教室実施は夏場と考えて準備する。

私個人としては、入試直後と泥縄確定申告は最悪の時期だが、年度替わりの前に、大枠の見通しをたてたい。「懇話会」の「医療ケアの必要な身体障碍児者家族の被災」のテーマは、既存の参加者の出席が怪しいので、こちらも見通しをたてる必要がある。適任者と会えないものかと闇夜の鉄砲を撃っている。

被災猫の話が夜間傾聴の話題になっている。殺したら飛田殺すからなと物騒な意見もあって、気をもんでいる。

夜間傾聴:ふたり

(校正1回目済み)
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2/23 常総市探索の日程だてをしつつ/被災猫しろの失踪

2018-02-24 05:39:10 | 地震津波災害ボランティア
2018/02/23 記
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26日、常総市の水海道周辺をまわる件で、日帰りだと時間が少ないため、巡回予定を組んでいる。市役所・社協・団体回りを置くと、鬼怒川堤防決壊箇所が最後になる。とにかく障碍者被災状況の資料が少なく、視覚障碍と高齢者施設関連が少し出てきた程度だからだ。

昨日の講演会参加者の中に、青年会議所のマイクロで、昨年被災地を回ったという方がいらして、手がかり情報を得ようと質問攻めにしたが、詳細情報は得られなかった。生の声がひとつでも得られればよいと考え、幻の資料を求めて行ってくる。

問題は母だ。ひとり風呂に入らねばいいのだが。

昨日の講演会参加者の中に、熊本地震・益城町に出かけた歯医者さんがいる。鎌倉おおふなクリニックの長谷川院長とともに、メール打診をしてみようと思っている。医師は無理かなあと…。

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我が家に辿り着いていた楢葉町の被災猫のシロが行方不明になった。母が洗濯物を干しに、部屋の戸を開け放ししたのが原因。心配してるが、いまだ戻らない。白は被災猫の新しい飼い主さんさがしの活動の中で、市の某基幹病院の看護師さんに委ねられた猫だ。数か月後、転居が決まり、動物が飼えないのでと、私のところに戻された猫だ。困ってしまったが、命を粗末にできないので、我が家でどたりとTV前を占領していた。失踪が気になる。

教材屋仕事、月曜分までと延長戦をしている。市役所に確定申告申告書用紙を取りに行った帰り、ヤマダ電機で猫餌を買い込んだ。缶詰を目の前に置き、それを見ながら作業している。

夜間傾聴:開店休業

(校正1回目済み)

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2/22 「熊本地震に参加した医療・介護職の立場から」の鶴間講演に参加しました

2018-02-23 05:35:44 | 地震津波災害ボランティア
2018/02/22 記
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「「熊本地震災害に参加した医療・介護職の立場から」講演会(共創カフェ@やまと主催・デイサービスハッピー鶴間にて)に参加した。医療・福祉介護者の集まりだった。講師は長谷川太郎医師(湘南おおふなクリニック院長)後半は立食パーティ型フリートーク。高齢者関係だろうか47回目とのことで、常連さんの中に新参者ひとり。

話題は、益城町広安小学校避難所に長谷川氏(防災士でもある)が個人参加支援活動をしてきたときの報告。時間不足で突っ込んだ話にはならなかったけれど、健康維持のための物資試算や、災害専用トイレの紹介など、防災行政職が喜びそうな実践データが紹介された。参加者は医師や・キャンナスの看護師の面々・薬剤師・高齢者施設PT・大和市議・鎌倉市長の松尾氏等20名強。

質疑応答があり、熊本地震避難所の高齢者の割合が30~40%に達することや、健常者よりも支援を必要とする者の方が、避難所に集まりやすかったと応答があって、在宅・避難所外避難者との関係や、福祉避難所の様子や収容者数が気になり、避難所の発災後何日目かが気になった。

私からは、上映された画像の中に中高生の配食協力が多く取り上げられていた件で、その様子の追加情報を求めたが、避難所では分散した細かいミーティングが、あちこちで行われ、彼らがどこで指示を受けていたがよくわからないとの話。ただ災害ボランティアというとボラセン統括下と、状況に合わない物資持ち込みの軽率者のイメージが強くあって、いわゆる外人部隊のレッテルがあったので、地元ボランティアの育成活動を主軸に置いていることを伝え、ボランティアを束ねると見間違うと私。団体支援は、いらない(青少年団体や学校等のイメージ)というまたレッテルが登場したので、私たちは地域の個人のティーンズの自発行動者をキー・パーソンと考え、自主参加をデザインしていること、いわゆるケア関係者ボスを自主参加者が事前に出会う活動が大事と考えている旨を伝えたが対話は途切れてしまった。指示待ち集団は必要ないというところで一致しているのに、誤解は解けなかったようだ。

フリートークの場で、松尾鎌倉市長に「ティーンズの防災絆教室」の資料を渡した。キャンナスの方々には、3月下旬お邪魔するとの話をお願いした。今回の参加の収穫は、長谷川氏の医療視角からの語りの存在と、ケア専門職の方々に面通しできたことだろう。歓迎されざる客だろうし、とても懇話会講師にとは謝金が合わない方たちだった。高齢者ケア関係のテーマなので、毎回お邪魔とはいかないが、災害関連のテーマの時はお邪魔したい旨の希望を主催者に伝え、二次会は遠慮させてもらい急ぎ帰宅した。

無理な相談もいくつかお願いし困らせてしまい、申し訳けなかったのだが、私は医療・福祉介護等ケア関係者支援の外周支援活動をデザインすることを目指しているのであって、ボラセン采配の外部ボランティアとではない地元ボランティア育成を主眼にしている点、それだけで異様に思われる方が多いのは、遺憾に思う。

会場の壁に青い鯉のぼりの寄せ書きが貼ってあった。被災し亡くなったお子さんのために、署名鯉のぼりを子どもの日に被災地に飾るのだという。しかしそれから私は有珠山噴火災害のときのカブスカウトT氏たちの鯉のぼりの絵を被災地にの活動の余波のアイデアを感じてしまった。あのとき、私たちは「火山灰を全国の教室へ・噴火災害の授業をして下さい」という活動をした。全国400の学校で授業が行われたが、これもまた従来の外部応援型のこいのぼりが残り、噴火災害を各自の自主活動に委ねる形の活動は常識外ゆえに消えてしまったのかなと、誰も知らない憂鬱を感じていた。

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母はひと騒動起こしていた。浜見平の友人が、見守りのために母に電話をいれていたのだが、母は電話がうるさいと、留守を決め込んで、電話に出なかった。かける側は様子がおかしいと判断。様子見に我が家まで覗きに来てくれたのだった。迷惑をかけてしまった。頭が痛い。

私が用意しておいた夕食は、まったく手つかず状態で放置されていた。寝る間際に食事をするとダンピング(嘔吐)が起きると、私の帰宅の遅さを叱った。ため息が出たが、急ぎ調理。母の言う23時限界には間に合った。

災害時の子連れ避難の会合をもつ話があって、申し込みをしていたが、登録完了のメールがあった。

夜間傾聴:ひとり
(校正1回目済み)

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2/21 読み飛ばしして下さい/私の生活パターン/明日「雲元地震被災者支援・医療看護職の報告会」に行きます

2018-02-22 05:28:11 | 地震津波災害ボランティア
2018/02/21 記
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教材屋の仕事が再開した。在宅仕事が増えると家事も増す。母の訴え。鍼灸治療を受けた日は、副作用がでる。今回はひどくて、下半身ががくがくと揺れ、とにかく下半身が火照って一睡もできなかったと憔悴した顔。生活リズムを崩すのはよくないので、軽くゆでたささみを切り塩昆布と和えた一品に、少量の熱いごはんと煮豆。間をおいてエンシャ・リキッド半分。太長ネギの味噌汁、キウイ。時間を空けてから着替えさせて、ベッドに寝かせた。今日は東京の主治医通院をやめさせた。自分の昼食終えて後片付け。洗濯を済ませて、14時仕事に切り替える。

この仕事、解法解説だけでは済まない。別途時流をつかまないと予測材料を講師たちに提供できない。漫然とネットを探ってもダメで、同業者間の情報交換中の違和感の部分を掘り下げる。これが時間がかかるが、枯渇すると業者から声がかからなくなる。防止策でボスの名前をつかみぶらさがるのだが、私のボスなど、とうに死んでいる。目立たず、有効打を最低限打って生きていく。ああ、これはいじめの取り巻きに近いなと、姿勢を正し座りなおす。最後につまらぬ選択をした駿台文庫の並べ直しして終了。山本義隆なんてのもある、若い人は知るまい。

銀行入金・滞納金(先月なのだけれど、茅ケ崎は督促がくる。)支払いのため駅に出て、食材を仕込む。急ぎ家にもどって夕食作りつつ、生協注文カタログをひろげ、マーク。(これが連続でも3時間かかる。)カブと白みそ関西風野菜煮込み・焼ししゃも・自作牛肉の山椒佃煮(減塩)・少量の白米ご飯。間をあけてエンシャ・リキッドと無糖焼きリンゴ。母、完食。炭水化物を調整して私の夕食。後片付け終了して21時半。母の清拭。介護終了。

22時半より机に向かい、社会活動関連の情報収集開始。0時からは「夜間傾聴待機」ここからだらだらと教材屋・塾屋・生業のやっつけ仕事が始まり、ここで「懇話会」や「わーく」の思案・文書作成。飽きたらFBやツイッター、ML。5時に傾聴待機終了、「魔の時間」連れ添いのピークは4時台。月1度は要注意。最後に朝食準備と、洗顔を終えて、午前中電話遮断のモジュラージャックはずしをして、ゴミ袋を担いで、外にゴミ捨て。6時就寝。この間に母が1・2回トイレへ。うるさがられつつ、転倒危険排除の見守り。40年近く相手かわりつつ、この繰り返し。すべては生活意識慢性化排除と構想力のひとりの闘い。脱力は貴重な睡眠なり。もう直ぐ終わる母と自分を送るまでの有限勝負。

明日夜、鶴間の「熊本地震災害に参加した医療・介護職の立場から」講演会に参加予定。浜見平の友人に、母の電話サポートを依頼してある。夕食のパスタの一式(加熱のみ)準備完了。昼から橋本に出るため。

p.s.
FBで紹介されていた

「介護するからだ(シリーズ ケアをひらく」細馬宏通著
ASIN:4260028022

を注文。人間行動学自体への疑問あれど。

_____

作業しつつ、NHKの旅番組の空の画面を見て寒気を感じた。旅行者は街に溶け込み、空は幸せに満ちて憧れすら誘うのだ。次に川沿いのベンチが出てきて、突然背筋がさむくなった。昔、中央公園のベンチで、路上生活者の五所川原さんが凍死したことを思い出したのだ。時季は今頃。彼の見上げた冬空を私は連想した。共感する契機すらない同じ孤独者が見上げるもうひとつの冬空。他人に強いはしない。ただ私は彼の寒気を忘れまいと思う。

この差は、相互理解不能に見える。五所川原さんの冬空から、旅人の包み込まれる幸せを断罪するのは、愚の骨頂だろう。ただ世界の裏表を知ることは、私の心の厚みに関係している。私は慄然としたこの感覚を忘れまいと思う。

夜間傾聴: ひとり
(校正2回目済み)
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2/20 空転を突き抜けて/医療ネット関連のしきり直しへ

2018-02-21 05:51:48 | 地震津波災害ボランティア
2018/02/20 記
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昨日の外出が疲れたか、母は「ままごと」のような食事を済ませて、また横になっている。これ以上休めないので、母を言い含めて、橋本に出る。熱は下がったが、頸が深いところで痛むという。昨日の頭頸外科系耳鼻咽喉科は初診ということになるので、葛根湯をはじめとした効かなかった薬が、クライアントがどう治療遍歴を語ろうが、一から出直しで処方される。お薬手帳を開いてもくれないのは、病歴のわからない初診クライアントには、安全優先で処方するからだ。私ならお薬手帳を見ろと医師に注文を出すが、母はそれほど対立的ではないから、買い取った薬を放置することになる。

まずはサポセンで「第93回・火曜災害ミニカフェ」を済ませて,北茅ケ崎から橋本に出る予定だった。しかしサポセンについてみると、また部屋が占領されていた。サポセンは予約制ではないから、先着順に部屋を使う。共用開放スペースで上映すると音が出る。利用他団体の迷惑になる。これが開放スペースでできない理由なのだ。お母さんが二組、幼児と遊んでいる。これだけなのだが、彼女たちは、25日の「ワイワイ祭り」準備グループの保育室になっているのだ。

虚しさ感じつつ、カフェを2/27(火)17時からに移動した。

機材を抱えて橋本へ。帰り、いつもの海老名の途中下車のゆとりなく帰宅。家では母がいなくなっていた。勝手な母への苛立ち半分で、母の携帯に電話すると、母の寝室のトートバッグから受信音が、虚しい…。30分ほど待っていると母が帰ってきた。首の痛みが強くなったので、近所で鍼灸治療を受けたとか。

夕食の準備と洗濯。母と夕食を済ませて、21時半、やっと作業に入る。17時頃、私の携帯に地域包括支援センターの**さんから、訪問調整(状態確認)の電話が入っていたことを思い出し、在宅訪問可能の日程を書いたメールを**さん宛に出した。

忘れていた「舫(もやい)」の++さんにも単行本「新地平」の購読とりまとめの件をメール。久しぶりの奈良***MLのPSWの%%さんにラブコール。懇話会に熊本地震対応PSWさんを紹介して欲しいと依頼。とにかくくまもととなると、招待するときの交通費・宿泊費が馬鹿にならない。

「わーく」の「災害時・御用聞き支援」を書く。ここには、医療機器・常備薬配達ネットが背景になくては効果が半減する。医療機器販売と薬局のネットワークを語れる方と話したい。今回は「弁当宅配関連活動」との連携を書いた。大船渡では「さんさんの会」に同行した。

2amに専用携帯に夜間傾聴の##くんが。統合失調症。幻聴さんの参加もあるが、薬で今回は治まっている。

夜間傾聴:ひとり##君

(校正2回目済み)





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2/19 「災害時の認知症をもつ人の支援」講演会に申し込み…

2018-02-20 05:47:56 | 地震津波災害ボランティア
2018/02/19 記
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認定NPO法人パーソン・センタード・ケアを考える会主催の「災害時の認知症をもつ人の支援」講演会(5/26 13:00~17:00 首都大東京荒川キャンパス 大視聴覚室 ¥2,000-)に申し込んだ。まだ先の事だが講師が現場関係者なので興味を持った。(http://www.pcdc.or.jp)4月に入ったら、ヘルパーさんの調整を行う。

2/22 19:00~21:00 鶴間の「デイサービス・ハッピー鶴間」の「熊本地震災害に参加した医療・介護職の立場から」に参加する。浜見平の友人の**さんが母を電話サポートしてくれることに。
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常総市の障碍者団体を調べたが、1か所しか返信がない。視覚障碍関係。インタビューに応じられる者がいないという応答。明日電話することに。仮設にはお邪魔することに。昼間出かけていたので、行政に資料の中身の再確認をしたが要を得ない。空振りがこわいが出かける。

明日は「第93回・火曜防災ミニカフェ」だ。「明日につなげよう 復興サポート 人と人とのつながりが 命を救う(岩手県釜石市・大槌町 NHK-G 50分)を取り上げる。

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母を耳鼻咽喉科の中の頭首外科専門医のクリニックに同伴する。目的の医師が曜日が違うとのことで会えず、笑われて帰ってきた。考えすぎ、全く問題ないと思いますよと院長。しかし症状は出ているのだし、頸の深い部分の痛みはでているのだ。現在の主治医は消化器内科・消化器外科、それに整形外科が加わっているが、視点を変えてセカンドオピニオンのつもりで、訪問したのだが全くの空振りだった。検査すらなかった。

バスを待っていると、母の背中をつつく高齢のご婦人が。私たちが昔、浜見平に住んでいたころのご近所さんだった。驚く母。それは喜びに変わり、お宅にお邪魔することになった。駅まで私はつきあったが、それ以上は邪魔者。一度家に戻って、夕食の準備と、「ティーンズ防災教室」の関係者向けチラシの作成の続きを手掛けて、約束の時間に母を迎えにお宅近くのバス停まで出かけた。携帯で到着を知らせたが、またいつもの母の癖、勝手にひとり帰宅してしまっていた。ひとりで大丈夫というのだが、エンシャリキッドで食をつないで、足元がふらついている状態なのにと、今回は強く叱った。反発した母は、夕食を食べずにベッドの中へ。振り回された一日が終わった。高齢者はこれが出るから憂鬱なのだ。

浦河べてるの家の**さんに、カタログのお礼の返信。発災時押しかける災害弱者をどう捌くかという操作主義がまだ残っていて、傷病・疾病のトリアージの仮診断の医療行為のセンスを、プロフィールのわからない被災・災害弱者の捌きに使おうとする無謀さ。失礼極まりないことを再度指摘。前回の研修時、既にプロフィールの明らかな11の事例を捌けという場面設定の粗さは無謀としか思えないことを織り込んだ。

防災活動を語るとき、健常者の負傷や発症、高齢者一般・乳幼児の母子をもって災害弱者を語る傾向がある。寝たきりの高齢者や障碍者を平常時に検討しておかないと、発災時、目こぼしされたり避難環境の粗さに合わせられなかったりと、そういう理由で破壊されていたとしても危険な自宅に戻ったり、車生活を始める。こういう災害時の避難所外をつなぐ活動の中に「御用聞き支援」は重要な意味を持ってくるので、平常時の高齢者の生活支援に語られる「御用聞き支援」とは、言葉の意味で厳格に使い分けたい。(平常時の生活支援も大切な活動だが、災害時の支援を明快にしたい。)

夜間傾聴:開店休業

(校正1回目済み)

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2/18 防災教室のチラシ配布の日程を考える

2018-02-19 06:03:54 | 地震津波災害ボランティア
2018/02/18 記
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橋本の訪問学習を済ませる。ひとりは今年度受験ではないので、キャッチアップ学習。浦河べてるの家から、カタログが届いていたので、コピーを手渡す。以前、板昆布を買ったことがあるが、品質はいい。

以前、浦河べてるの家の避難訓練の映像を見たことがあるが、ちょっと特徴があった。発災時緊急避難訓練の画像だが、施設から高台に利用者さんを誘導するものに特徴があった。それは地図を使わないことだ。地図は利用者が自らを鳥瞰するという客観視の高度な認識を要求する。日常の生活世界の世界の広がりとは違う。関西が住所を東西南北で語り、関東が前後左右で語るのに似ている。べてるの訓練は、関東式、ランドマークの連鎖で避難路を確認して進む。

落ち着いて高台まで、安定して移動できるようになったと聞いた。

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帰って母の居室を覗くと、椅子に座って手紙を書いていた。ここ数日、すぐに横になって眠っていたので、大きな変化だった。エンシャリキッドの効果だ。室内であるが、歩き方もしっかりしてきた。

母は片側の首筋の痛みを訴えて微熱があったのだが、整形外科ではなんともないと言われ、内科でも内臓疾患ではなく、風邪薬の副作用だろうとしか診断してくれなかった。母には不明の「めまい」が持病となっており、視角を変えて、耳鼻咽喉科の頭頸部外科の医者にみてもらうことにした。微熱をただ抗生剤で抑え込むだけなの?と思っていた。月曜のリハを休ませ、関連地元専門医の外来に,連れだすことにした。

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常総市の資料は、主に身体障碍者の避難生活の資料メモを編纂したものらしい。予定通り26日に現地訪問し、行政・障碍者団体回りをしてくる。堤防は見に行かない。時間が足らなそうだからだ。母の見守りには、浜見平の友人が時間を空けてくれた。

「わーく」の執筆が進まないので、先に「夏には第一回目の防災教室をやりましょう」という、関係者向けの呼びかけチラシ。初めての方には過去の説明チラシを参考につける。一般向けではないので、発足までの必要情報を絞り込んで入れる。

5月の連休には実行委を発足させたい。2月後半から3月にかけて、市議会がある。この期間は市議も行政も社会活動の呼びかけも無視されたり、後回しにされ、年度替わりには人事異動がある。行政関係への働きかけは実は1月中に済ませておくべきだったので、これからは地域団体・防災ボランティア関係優先で話を進めるべきという、実は一番厄介な道を進むことにした。

二兎追う者は一兎も得ずという意味で、懇話会の「重症身体障碍児者の被災」テーマの懇話会招請活動は、微妙な切り分けが必要となる。

ともあれ「防災教室発足呼びかけ」優先で巡回をここ数日中に始める。

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余談だが、買い物をしていて棚から「豚足」が無くなっていることに気が付いた。サラダチキンの流行が通過したとはいえ、豚足はすっかり淘汰された。POSを使っていると、こういうことがおきるからいやだ。訪問学習の雑談の中で、これを語ったら、先方も豚足愛好家。「豚足ファシズム」と、ふたりで名づけた。

夜間傾聴:ひとり

(校正2回目済み)

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2/17 災害ボランティア活動を振り返る

2018-02-18 04:39:41 | 地震津波災害ボランティア
2018/02/17 記
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地元医が午前中だけやっているので、母の食欲の件で相談に行き、エンシャ・リキッドを処方してもらった。祖母の命を支えた流動食の缶詰だ。祖母の時に食事をさせる側に母はいたので、味や効果は知っていた。脂っこくていやだなといいつつ、半分ずつ2回に分けて飲むことを承知した。少しほっとしている。とりあえず、先ほど1缶、完飲。味の文句、雨あられ。

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映画「life 生きていく」は東日本大震災に翻弄された家族の回復の道をたどった話。鎌倉は継続支援している活動があるところなので、映画とともに、いい話ができたらと思っていた。

阪神淡路大震災のときもそうだったが、いわゆる外部ボランティアは仮設住宅ができて大半が去り、災害公営住宅ができはじめて、ほぼ地元活動にバトンタッチする。ところが20年を経て、地元活動を担ってきた人たちが高齢化して、地域の取りまとめと支援をやめ、巡回に支えられていた単身高齢化被災者が窮地に追い込まれてしまう。そういう長いスパンの支援の視野を反復しないような活動を仕掛けていくという経験を活かした活動が必要だと思う。街のコミュニティ・デザインに関連するところだ。人生が頓挫させられるのが災害だから、それに取り組む現場経験は受け継がれていかなくてはならないと思う。これが「懇話会」一般向けではないが、行政目線では見えないことも沢山ある。しかし、引き出さねば浮き上がらないのも現場の経験。厚志が利用する場であって、啓蒙の場ではない、この辺が弱いところ。政党どうこうの島組根性を越えて、利用すればいい場なのだが。

もう二十年前になるが、交通事故の長期入院を済ませ、教育活動と不登校・引きこもり青少年との活動を、約束通り自営塾を再開せず、社会参加活動の残り火の災害ボランティアとフリースクール支援を始めた時、入院中温めてきた「ケア・パートナー」制という方法を煮詰めていた。就労を個人単位で考えるのではなく、チーム就労のような方向で話をはじめられないかというものだった。引きこもり青年たちは、社会的な挫折感を持つ者が多く、自己有用感が必要で、実は結構世話焼きが多い気がしていた。当時LDが注目され、LD学会が出来た頃だったが、発達障碍の軽度な青年たちと組ませることで、兄弟のような支え合いによる就労の道がひらけるのではないかと考えたのだった。

ところがここには、運動上の大きな断層があった。引きこもり青年たちの活動は、教育の課題として県青少年センター中心に行われており、一方発達障碍の方は手帳をもつ福祉の課題として、地域自治体にまかされていた。発達障碍も精神障碍も幅が広く、引きこもり青年たちの活動とも親和性が強かった。引きこもり支援活動の側は、引きこもりは障碍ではないと反発。障碍者畑の活動家の方々は、引きこもり畑の活動を知らなかった。「ケア・パートナー」は、いわゆるメンター制のような相談役ではなく、チームの兄貴(姉御)であることが違う。世話を焼き、頼られる関係が就労チームとなると、給与の財源のでどころが異なるために、無理だという。つまり自営の形で実現できないかと考え、三島に事例を見学、ともしびショップとしてカフェをデザインすることになった。

出来立ての市の自立支援協に、訪問支援の「ぽ***」とともに、申し入れたが、ある団体から傍聴者としてのみの参加となり、一方で某政党系の方から猛反発をくらうことになった。所場荒らし批判である。結局、某団体のシャットアウトと、別団体の強迫じみた猛反発の狭間で、境界の活動はサポセンに移った。私たちの支援活動も、「ぽ*ぽ*」も障碍者活動の厚い壁に敗退したのだが、今はいつの間にか軽度発達障碍の団体が何事もなかったように参加している。私はその制度の実現のために当時の養護学校高等部を回り、就労担当者の会の会合に出るようになった。一方で自立支援協の相談役の**さんの講演会などを行ってきたが、某団体の方と別会合で出会うことが多くなり、その団体への活動要請は上からシャットアウトするようになった。やればやるほどに制度実現は遠のいて行った。

一方、引きこもり団体の中には、私の案が引きこもりを障害者と同一視していると反発。結局、「ケアパートナー制」はお蔵入りとなった。私の頭の中には、ヨーロッパの「ソーシャル・ファーム」のイメージがあって、その日本の提唱者の方の講演会を2011.3.8に開いた。元厚労省事務次官で某病院系列の理事長だったひとだ。ところがその3日後に東日本大震災が起こり、すべての企画は消し飛んだ。もともと災害ボランティアを続けていた私は、関係を持っていた引きこもり青年とともに、支援活動に救急参加したのだった。

幸い災害ボランティア活動には、長年の付き合いがあった。有珠山の噴火災害のとき、国内の学校授業に火山灰を持ち込んで授業を組み立ててもらう提案をし、地元と連携して全国400校が授業を行った。子どもは親に現物を見せれば、支援活動につながるという計算だった。そのときの協力者たちだった。しかし主流の支援者は、元気づけと祭りの派遣、鯉のぼりの絵のコンテストを行い、わかさいもとホタテ販売という従来の支援法をなぞり、灰の提供者も某宗教団体系町会議員への転身というなかで、介護との板挟みの最中、交通事故で入院となった。報告される活動はブースをたてて、ちゃんちゃん焼きをするなどという従来の活動にもどり、授業情報交流の夢は、つぶれていった。

ただそのときにつてから、陸前高田と大船渡の地元活動とつながりをつくり、東海新報の記者を茅ケ崎に招待したり、市会議員さんの離れに宿泊所を確保するなどの準備を進めていた。被災再生自転車の確保も済み、被災地見学の下地を整えていった。ところが参加者の交通費が得られず、鶴嶺高ボラ塾の有志は、茅ケ崎市が交流する南三陸にボラバスを出すという話に委ねざるをえず、個人出費で付き合いの長い引きこもり青年を陸前高田に連れて行った。実質は準備もろとも無に帰した。地元中小企業ルートから美容師組合の連携活動や、障碍者団体の椿油の加工販売、かもめの卵社長個人出費の防災博物館の招待枠確保や、某被災高齢者施設への中古自動車提供(これは頓挫、陸前高田市議に引き取られた。私の趣味のコレクションと自営塾の残金貯金が車検に消えた。)や、有珠山噴火時代の被災ペットの新しい飼い主さん探しのルートで、にゃんだーガードと,ねこひと会の関係で獣医さんやペットショップと引きこもり青年をつないだりした。ところがこれも寒川町に拠点を構えた某暴力団系の活動と同一視されて、会場は惨々たる状虚となり、私と暴力団との怪しげな噂が立っていった。血統書付きの犬と助成金トレーラーは、儲かるからだ。

陸前高田の障碍者施設産品の椿油は、横浜のフェアトレードのネパリパザーロが輸出の道をつけ、のちに資生堂が購入に入った。併行して行っていた、現在のプロジェクション・マッピングの動く影絵がつくLED照明器具を百人百灯展参加作品とつなぎ、障碍者制作品にしたり、被災地のメッセージハンカチを某私立小学校とつないだりとしたが、価値は認められなかった。その大型装置は今、街をカンバスにプロジェクションマッピングとして花咲いている。つねにこれらは、当時の定型からはみでたものだ。当時斬新な発想で登場していた古本を必要とするところにという優れた活動をしていた++さんに頼んで、グラフィックな実用書を仮設住宅会議室に送ってもらっていたのもこのころだ。

いろいろなことをした。しかしそれは主流支援活動ではないために、拡散せずに封じられていった。サポセンもまた、定型外を受け入れぬ想像力の限界を潜ませていたのだ。

今回の「ティーンズ防災絆教室」も、直下型大型災害の地元準備に益となる超党派の活動だ。市民活動は息が短いが自由意志に元すいている。地域自治組織の活動は歴史があり必要で結びついている。この双方が出会い、過渡期の仕事として「大人の知り合い作り」を進める提案だ。今、ここにもう一味の魅力を付け加えるのに苦心しているが、まもなく提案にこぎつける。偏狭な思いに遮られたくない。そのためにも、のど元過ぎた防災活動の必要性を納得させる一手を考えている。
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茅ケ崎の某小学校の小4(当時)の子に対するいじめを第三者委員会が認めた。人格を否定するようないかなる卑しい行為も許されるものではない。注視していく。

夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)
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2/16 土曜の逗子上映「life 生きていく」観たかった

2018-02-17 04:14:42 | 地震津波災害ボランティア
2018/02/16 記
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明日(2/17)逗子の文化プラザホールで上映される「life 生きていく」参加予定崩れてがっかりしています。母の見守りが成り立たなかったのが原因。風邪をひいて、薬を飲んだら食欲がなくなり、食が細くなった分、悪い循環に入っているので、地元医と相談の上、薬を減らしているが、前々からこういう状況になると食べない癖があり、なおさらに体力が無くなる。開始時間が13:30なので、12:30過ぎ位には電車に乗らねばならず、昼食勝負がかけられない。計画的ではないと動けなくなると思いつつ、有効な駒しか手が打てなくなりそうだ。

引きこもり君だけでは、正直、役不足。随伴者ばかりの活動は弱い。相棒を求めての参加だったが、災害弱者の支援の絵は、描いておかねば広域災害の時、手が付けられなくなる。ここを描いておくのが中間支援者としての私の役目と思っているので、今可能なことの手を打っていく。当面は「懇話会」と「ティーンズ防災絆教室」からだろうが。

災害のふたつの波、第一の波は「生命の危機となる災害の波」。第二の波は「無理解と偏見の波」。避難後、ここを意識しておかないと健常者の床下で命がなくなる。

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ビッグイシュー残部、最後にサポセンに届ける。「舫(もやい)」の集いにも参加不可。

金目鯛切り身を一口大にし、唐揚げ。ゆずポンをつけ、飯には東京で買ってきた実山椒を添えた。板昆布から作った自作茶碗蒸しと、胃切除者の好みの酸味を考えたつもりだが、夕食は少量のアボカド入りリゾットと焼豚数枚。途中で「はるみ」を半分つけておやつがわりにしているが、日替わりも限界。梅干しとしそ昆布の佃煮乗せた飯一口、これではしょうがない。塩気が欲しいのかと考えているが、身動きがとれなくなる。乳製品好きだった祖母の時より厄介なり。

この間、母が外食したり、友人と食事をしているので、その中身を確認している。

母の大戸屋での食事は、野菜煮込みを3分の1ほどつまみ、飯は食べない。友人との食事は、回転寿司。赤身2巻で止まる。これではだめだ。カボチャの裏ごしスープを単独で、無理に飲ませている。母は手間を知っているから、嫌々飲んでいる。

訪問看護関係の知り合いに声をかけている。おっさんと酔狂するほど暇でなしという反応なり。防災士とか薬剤師にメール入れているが応答なし。民生委員筋をこつこつ当たる以外ないのかなと。

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私の知り合いが、某宗教の話をしていた。亡父はそのカルトの信者で、針の筵を敷かれた家族の戦いをしてきたが、父の認知症と半身まひ介護に入ってからは、彼らの結束で通所介助をしてくれた。父は大暴れするひとだったから、彼らなしには立ち行かなかった。そんな恩はあれど、戦場は今も2階に残っていて、黙っていられなかった。また飛田かよといわれそうだが、特異な経験は分かち合うことができない。所詮変なひとなので、お許しを。

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夜間傾聴:ひとり(昨年もいたが、今年も高校入試の弟のために部屋が無くなった君。自己不良品ポンコツ論。肯定も否定も出来ない
毎年苦しむ厄介な時期。)
     塾長(不良品ポンコツ爺ぃ)

(校正2回目済み)

p.s.禁断のウナギに手をつけるか?高いからなあ…。易いの食べないし。


<<気になる書籍>>

●「日本の無国籍者」ASIN: 4004316804
●「注文をまちがえる料理店のつくりかた」ASIN: 4903925216

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2/15 政治的世間話と子ども食堂の話題から

2018-02-16 05:07:45 | 地震津波災害ボランティア
2018/02/15 記
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橋本に出てレポートを塾長の奥さんに委ねる。朝,生協が食品を届けに来たので、そのまま添削を進め、温めるだけ状態の昼食を用意して、遅い出勤となった。奥さんは訪問指導をしている**が怒っていたと伝言してくれた。私がやたらと休むからだ。

橋本からのんびりと横浜線を使って横浜に出て、待ち合わせていたビッグイシューの販売員さんと合流。「舫(もやい)」情報を得て辻堂へ。辻堂図書館と個人購読者まわりを済ませた。自転車が欲しい。今日は夕食を浜見平の友人が母を連れ出して食事してくれる。だから時間をかけて活動できる。感謝している。

辻堂駅南口のスーパー「GARDEN」が閉店するようだ。割引券連発サービスをしている。どこが好景気だと政治を疑う。時期遅れのミカンの袋を下げて巡回したが、1軒は「名護市長選」の若手票の質の悪さ、小泉ファンが地球の破滅より善しなのだと、カップヌードルのCMのような話を聞かされた。もう一人は芸人九条の会の話。それも大事なんだけどね、話したい「医療ケアが必要な障碍者と家族の防災」の懇話会打診の話は、先方には全く関心がない。対話空転は嫌になる。政治は井戸端会議の対話に似ている。大事な世間の話であるが、私生活は棚上げして何も変えていない。私たちは票や物理力ではない。自らの生活の中の政治を語るのならわかるが、いつまでも公人の顔で天下のご時世に乗って流して生きる生き方は、うんざりでもある。これは露骨に言ってかみ合わなかった方たちだ。中身を吟味しないファンクラブの身内に酔うまい、寄りかかるまい。自らの言葉で私を語ろう。

ジョナサンで夕食を済ませ帰宅。23時から作業と夜間傾聴待機にはいる。1:50頃、常連から連絡が入った。今は寛解期の++君。子ども食事会の話を聞いて自分も手伝いたいという。了解したが、話し込んでいるうちに、彼からいくつかの質問が出た。

1)なぜ毎日やらないのか。

準備など膨大な労力と時間がかかる。それを支える人手はなかなか得られない。やれるところから。

2)結局知り合いの子がくるだけなんじゃないの・・

ぐさりと来る質問。「子どもの貧困」に重なる子は利用してくれるのだろうかというと、実は怪しい。本人が居場所らしい親密さを感じないと、会場にやってこない。私たちのような仲介者がつないだり、児童委員さんに話題提供し、チラシや伝言を仲介してもらう活動が背後に必要となる。

別に誰もが利用していいのだが、ここでも場を分かち合うことは難しい。貧困がわかる理解者がいないとね。

補)生活困難等の親の活動があれば、そこから生まれた相互扶助活動からなら、必要とする子が利用するだろうが、一般の活動からは難しいだろう。社会活動はどうしても、社会的な階層や階級制をにじませるものだからだ。

3)食べる側ではなく、自分も作りたい。

やればいいんじゃないの。

こんな調子。ちょっとぐさりとくる質問もあった。

夜間傾聴:**君
     ひとり

(校正2回目済み)

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2/14 たまっていた始末をつけた一日

2018-02-15 05:42:34 | 地震津波災害ボランティア
2018/02/14 記
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前日夜、塾長が投函した郵便物(レポート)が午後、ポストを見たら届いていた。速い。生業で門前仲町の●●で**さんと会う。富岡八幡宮の氏子たちの混乱うんざりするとのこと。いい蕎麦屋を教えてもらった。しつこい風邪が治りきらず、マスクを付けたり外したり。先方も家族全員が風邪をひいたが、自分はひかない。家族に馬鹿にされていると笑っていた。健康が一番。佃煮を仕込んで戸塚経由で帰宅。

ヘルパーさんが母の見守り(覗き)をしていたが、帰宅すると母がいない。携帯でたどると大戸屋で勝手に夕食をしていた。何のためにヘルパーをつけたのかわからなくなる。元気だが咄嗟の「めまい」の持病が怖い。母も風邪を卒業していた。それならいつも通り東京の主治医の通院させておけばよかった。

東海道線車内で携帯が鳴った。庭師が庭木に肥料を入れる季節だがやらないかとの話。今回は見送ると応答していたが、実は午前中に起こされる地獄が脳裏をよぎったのだった。

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懇話会の「医療ケアの必要な障碍児者の被災」の件で、国分寺の友人宅に年賀状に頼って、二十年ぶりに電話を入れた。お婿さんはALSで、娘さんの意向でケアを続けている。難病でも活動が違うが、私よりは身体障碍の情報通だろうと無茶振りしたのだが、神奈川の様子はわからないが、つてを探ってくれるとのことだった。伏線でALS関係もお願いした。

明日ビッグイシュー更新日なので、販売員さんから冊子を買う。東京の「もやい」情報を仕込んでくる。帰りに橋本(別人)で訪問支援済ませて、茅ケ崎着。母は浜見平の友人が食事を一緒にしてくれる、感謝。

「居住福祉研究24・熊本地震の現状と被災地の取り組み」(日本居住福祉学会編・東信堂刊・ISBN:9784798914862)を直接購入申し込み、済み。

「わーく」執筆中。まもなく寝る。公立高入試終わる。今年は私の担当者無し。春一番,吹くか?

夜間傾聴:開店休業
(校正1回目済み)

p.s. 2/17 13:30~逗子文化プラザホールにて映画「life 生きていく」上映。母の見守り次第。



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2/13 地元ティーンズの絆防災教室実現相談の待機と寒川の**さん

2018-02-14 05:35:41 | 地震津波災害ボランティア
2018/02/13 記
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「地元ティーンズの防災絆教室(研修)」を実現するための相談の場は、今回も空振りだが、「いこりあ」を出たところで、寒川の某施設の**さんと偶然出くわし、勿論逮捕しKFCに引き込んだ。迷惑そうだったが、準備していた「懇話会」のチラシと「絆防災教室」の呼びかけ文(旧)を渡すことができた。

ただ字数が多いことに面くらっているので、それはあとでじっくりとと、しまわせた。精神障碍の領域の方なので、自分はいま障碍者の災害時の支援の準備活動をしていることと、集団避難訓練をしているのではなく、被災後の困難軽減の支援づくりを探っていることを伝えた。やっとこれで、接点が生まれたが、その探りのところで、被災地現場の施設担当者の経験を紹介しながら、「内側からみた被災経験」を懇談して、自分の防災活動の参考につかみ出していく場が「懇話会」。さらに県立鶴嶺高校の「ボラ塾」の地域版のようだが、災害ボランティアがティーンズに、若い人手を現場に取り結ぶために、「知り合い作り」を個性とする「防災教室」をやろうとしているのだと伝えた。**さんは、やはり「災害ボランティア」を「がれき撤去の応援団」のような捉え方をしていたので、きょとんとしているというのが実状だった。「防災教室」は健常者側の運動でだけあって、接点を求めた場合、そちらも協力してほしいとまとめたが、ダメ押しに「御用聞き支援」の立ち上げの話を熊本地震の例を取って付け加えた。さすがに「面食らった」という顔から「ま、頑張って」に変わったが、それでもチラシは丁寧にファイリングされたのを見た。

私のアプローチは障碍者団体の側からのものではなく、外周をさわっているだけという限界がある。しかし「ケア関係者」という関連専門職とは接している。また災害時要援護者支援(防災教室では一部分)という場面では、急性期の避難補助や避難所運営支援中心に語られるそれを、「安全避難後」の避難生活サポートにあたる地元長期支援の萌芽(地域支援者ネット作り)として発災前の有志交流を図っているというところだ。急性期支援の従来の形では、平塚などでは活発に避難訓練が行われているが、災害弱者の支援は「命の危機としての第一の波」のあとに「無理解と偏見の第二の波」があるという特殊性がある。災害は個々人の協力「災害ユートピア」の「光」の一面がある一方、「むき出しの利害対立と淘汰」という「影」がある。これに耐えうる支援が不可欠なものとなる。それを準備していく活動が必要なのだが、今の**さんには唐突であって無理だ。活動があることを関心をもって欲しいとただ願うのみだ。

ステレオタイプの発想は、私がかかわった雲仙普賢岳噴火(1991)から同じスタイル、同じ発想が延々と続いている。安全避難と生命確保は大事な活動であるが、避難所以降がぴたりと語られないのは違和感がある。そんな思いの中で、私は活動している。そうなのだ、だから非被災地遊軍災害支援者を災害ボランティアと呼ぶのではなくて、内実を拡張して地元の支援ネット活動を含んだものとしてアプリオリに提案して愚公の山に向かっている。

そうなのだと自問自答しつつ、イトーヨー堂の入り口のソファーで咳き込んでいた。大森は夜19時から、母の夕食を残して再度出かけるパワーが残っていなかった。橋本の++君のレポートを取りにもいけないので、塾長経由で受け取るように手配した。明日は高校入試。応援に行ったっけなと思い出した。一番遠くは沼津まで、古い話だ。

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母に来客あり。故・父の宗教関係者ふたり。弁当を3人で食べていて、夕食は「もう入らない」との母の言葉、大森に足を向けるべきだったのかもしれない。介護の虚しさただよいつつ、客が帰るまで、机に伏せていた。

夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)


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