湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネの地域学習活動・就労支援活動の実践試行を書き溜めていきます。

9/29 東京を回ってきました/マイクロFM記事

2014-09-30 06:09:47 | 地震津波災害ボランティア

2014/09/29 記
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東京を回ってきた。江東区役所から門前仲町の友人宅まで歩いてきたが、公用は済んだが、阪神淡路大震災時のミニFMボラをしていた友人を、鶴嶺高ボラ塾に誘う魂胆は失敗に終わった。数年前に脳血栓をやって、半身に軽い麻痺があり、本人いわくろれつがまわらないという。私より5歳上の団塊の世代人である。「皆、ポンコツになっていくなあ、お前も真っ白だし」と笑っていた。失礼な、私は生まれたときから、ポンコツなのに。

秋葉原に出て、ミニFM用の本格的な送信機受注生産の店が生き残っているか確認してきた。2万~3万だせば、屋内通信には充分。災害用に数台準備しておいてもいいのだが、使い方を誤ると電波法違反になるから、私の管理下で使える範囲にしておかなければならない。

「わーくNo.047」の連載「マイクロFM」記事原稿を書いた。以下に転載する。ご覧あれ。

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<シリーズ*災害時、青少年の活動参加(4)>
☆☆避難所内官位マイクロFM放送局を運営する☆☆

///*避難所利用者の要望公開や、連絡解説の役割/*避難所のハイティーンズの活動のセンターへ ///

●避難所の利用者は非常に流動的だ。家族の合流の関係や、ご近所・知り合いとの合流、避難所環境の選択など、避難所から避難所へと引越していく方が多い。このとき、他の避難所の様子などを紹介するのは、地域FMである「災害FM」や「私設ミニFM」だが、この避難所情報は一般の壁新聞やチラシなどには登場しないフラジャイル(不安定)な噂情報に依っている。流言を引き出す危険があると否定的に解釈されることが多い。自分の放送局を開設した避難所の様子をつかみ、状況を地域FMに提供したり、避難所運営会議に提供したりする取材活動があるのだが、ここは実は青少年には非常に難しい。避難者は被災して人生の岐路にたっており、無神経な取材は強い拒絶を生むからなのだが、実際上、協力を呼びかけるべき様々な情報が噴出している場でもあるのだ。
●例をあげてみよう。視覚に困難があるが、家族の関係で福祉避難所に移動できない**さんは、白杖を使いたいが、床が毛布や雑多な荷物であふれている避難所では白杖を使えない。そこで、トイレに近い側の壁際に居場所を確保してもらったが、いざ移動しようとすると、壁に荷物が積み上げられていて、ひとりで移動できない。毎回介助の方にすがるのも気が引けて、困っているというようなケース。色ハンカチを居場所に掲げたら、介助して欲しいという合図。知っていて欲しいという要望。トイレ側の壁には荷物を積み上げないで、外に出るまでの伝え歩きの隙間を空けておいて欲しいという要望。家族の関係で食事の配給を取りにいくにも、今は受け取りにいけないなど、即時の協力要請を声を張り上げるのもはばかられる色ハンカチを掲げて協力者を呼びかける。実はこれ「避難所SOSの旗」という工夫だが、これを周知したり、要望を取材して呼びかけたりするのが「マイクロFM」だ。ここには、成人局員を置いて取材すべきだ。大事なことは、だれに要望を伝えたらいいのか迷う事態が頻繁に起きているのだ。ここに中継窓口を置くのだ。

●発災後、学校は休校になる。このとき中高生たちは、家族の手伝いをしているが、外部の支援者の中にも入りづらい。結局居場所がなく、昼間は近くの友人とたむろしている例が多い。避難所運営会議にも近寄れず、そのつど使い走りのようなことをしていることが多い。避難所運営会議と連携して、中高生に頼みたい仕事を呼びかけたり、放送局が定時放送で呼びかけて中高生の明日の仕事を企画するような活動をしていく。間接的な居場所作り、集団作りの触媒になるのが、「マイクロFM」である。
●阪神淡路大震災時、被災した在日外国人が言葉の問題で困っていた。この外国語翻訳放送による連絡伝達や、要望集約を「地域私設FM」が行った。これは避難所の様子に因るが外国語定時放送も「マイクロFM」の役割となる。
●インターネットが使えない状況で、避難所内無線LANや、Bluetooth が使えるなら、連絡画像の配信が出来る。Bluetoothでは、不特定1:1の出会い配信アプリがある。これらの画像配信ができれば、聴覚障がいの方への支援ができる。これも「マイクロFM」の課題だと考える。(つづく)

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相模大野校、ひとコマ

夜間傾聴:**子の和尚さん(お久しぶりです)
     ひとり

(校正1回目済み)

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9/28 次回の懇話会ゲストの調整を始めつつ/「わーくNo.047」連載原稿から

2014-09-29 05:17:04 | 地震津波災害ボランティア

2014/09/28 記
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「懇話会ニュースNo.010」は、前回の懇話会の MSW 畑中良子さんとの懇談を載せる。毎回思うことだが、災害弱者(要援護者)というくくりで、年3~4回懇談を持つのだが、高齢者関係や障がい者関係の災害関連の話題を組んでいく際、「医療ケア」という話題を現場からくみ上げていくとしたとき、障がいの領域の違いが生に出てくる。視覚障がいや聴覚障がい・知的障がい・発達障がいの関係者の方は、むしろ「介助ケア」の方がしっくりくるだろう。ところが身体障がいの中でも、治療が必要な方や、医療機器が離せない方、精神障がいのように安定剤服用が必要な方とはニーズが異なっている。高齢者関係の方も、保健と介助のニーズの方と、医療ケアが必要な方では、受け取りが違う。こういうニーズの違いを超えて行くには、対話の中に、関連の話題を練りこんでいくという以外、接点はなかなか見つからない。

しかし、一旦「被災した施設の体験談」のような話題をたてると、高齢者団体や高齢者団体も安全管理という点で、その体験は意味を持ってくるだろう。次回は宮城県内の被災した障がい者関連施設と、被災した障がい者親の会の両方の打診をしている。その次が阪神淡路大震災と独居の経験談を考えている。

問題は、一度現場に出かけてお願いしてくるので、旅費とゲストの謝金・交通費がかかるので、東北と関西というより、数回分まとめて依頼していかないと費用がかかってしかたがない。そこで東北は一回で石巻・女川・気仙沼を回ろうと思う。予算的に、来年入ってからかなと考え始めている。どう考えても、懇談会二回で15万円は必要だろう。すると埼玉の親の会関係も俎上にあがってくる。これなら旅費数万が減額できる。

次回予告を懇話会ニュースに付けたいと思っているので、順番に変動が起きそうだ。内容の大切さに加え、できるかぎり共有できそうな話題を考えて行く。
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「わーくNo.047」を書いている。連載QRカードの頁ができたので、下記に転載する。

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「わーくNo.047」より

<連載>個人医療情報 QRカードの検討 007
    ~高知工専のスマホ安否確認システム~

 =急性期の困難を打開する電子カード研究の現状=

●東日本大震災以降、避難生活上の困難が明らかになってくるにつれ、その場面を解決する様々な工夫が生まれている。私たちが取り組んでいる「汎用個人医療情報QRカード」もそのひとつだ。広域災害では多数の傷病者が一挙に出てくる。限られた医療関係者で事態を解決する無理を軽減する方策を考えた。病歴や服薬情報・身体情報をQRコード化して持ち歩くことで、治療に必要な情報を提供できること、意識のない方・親から離れた乳幼児・心に困難を抱えた方など、医療情報確認に困難があって自己表現できない方の治療には大きな役割を演じます。この部分の工夫は、慶応大や東京電機大等の情報工学系の方たちが、磁気カードを利用する形で研究されていると聞きました。私たちがQRコードを選んだのは、磁気カードリーダーのような特別な機械を準備せず、スマホ・無料アプリを使えば、普通の携帯・スマホでデータを読み取り可能という利点があります。

●このカードは避難所入出管理にも使えます。改札口状の関門を通過するときQRコードを読み取らせていきます。このデータはまとめて、個々人の安否情報としてオンライン上に公開されます。この安否情報については、広島工専の方々が、スマホの専用アプリを通じて、避難所設置ノードに所在データが自動的に吸い上げる形で研究が進められています。(cf. p.7) 個人データはスマホに置きます。確かにスマホにデータを置くというのも選択肢のひとつですが、アプリ組み込みがどこまで進むかが成否の鍵となります。このシステムは安否情報に特化したものなので、急性期の医療情報提供の目的では、所在データの自動収集という核心の機能は、個人情報流出の危険を孕んでおり、マッチングできていません。

●こうした様々な研究が進行しており、安否情報システムは、実証実験段階に入っています。QRカードは机上研究の段階として「複数医療機関の治療データ一元化」の方法をまとめた段階です。次回は、障がい者のSOSカード(健常者に心身の困難の理解を促すカード)とのリンクについて語ります。

----- ここまで -------

明日、東京に出る。また日赤本部を困らせに立ち寄ろうと考えている。もうひとつは助成金の件。某出版社にダメもとで当たると思っている。

夜間傾聴>なし


p.s.懇話会のとき、見せていただいた息子さんの結婚式の写真、飛田、嫌いだと言っていた頃の顔が思い浮かんで、奇妙な感動があった。ただ母親の方が食事療法が大変そう。私みたいに、つっけんどんに、皆との食事を絶つわけにもいかないだろうしと、余計な心配をしている。


(校正1回目済み)

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9/27 「わーくNo.47 金曜ミニ・カフェ9/19分」より/日本医療社会福祉協会にお礼の電話を

2014-09-28 05:12:22 | 地震津波災害ボランティア

2014/09/27 記
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---- わーくNo.47 より ここから----

<<9/19 金曜ミニカフェ・レポート>>(第12回)
☆「救えたかも知れない命~災害4年目の検証~」(June 2014 NHK)

=東日本大震災・災害医療派遣チームDMATの総括~避難後、被災者/家族の医療協力の質は?~


●東日本大震災の被災者救助に活躍した災害医療派遣チームDMAT (Disaster Medical Assistance Team) は、大事故・災害時に多数の傷病者が出た場合、現場に派遣される訓練を受けた災害医療の専門職のチームであり、医師・看護師・業務調整員(医師・看護師を除く医療関連職・事務職員)で構成され、発災直後の被災地に派遣される。東日本大震災では津波や地震で陸路を断たれた被災地に、ヘリコプターをフルに活用し、自衛隊とともに被災者救護を行い、現地の病院や避難所で、救急治療活動を行ってきた。
●この番組を観ていると、奈落の闇が滲み出すような不安が迫ってくる。それは、大型災害の緊急事態が行政や病院は想定内であるだろうと思い込んでいたことが、もろくも揺らいでしまう現実を見せつけられるからだ。「後からなら何でも言える」と反発がでるかもしれない。しかし原発の件もそうだが、外から見ると磐石であるかのようにみえるシステムが、意外なほど簡単に機能停止してしまう現実を見せつけられると、不純要素をもともと組み込んだシステムとか、ネットワークの柔軟性などの研究が、現場に生かされているとはとても思えない事態が進行してしまうことを再確認させられる。勿論それを持ってDMATの貴重な救援活動を否定するつもりは全くない。
●石巻赤十字病院の発災時の様子が描かれていく。多数の傷病被災者をトリアージして、緊急性の高い順に治療を行おうとする。するとそこに次々とイエロータグの方(治療に猶予がある方)が次々に同じエリアになだれ込んでくる。それに加え、助け出された要介護の高齢者が運び込まれてくるという混乱。一刻も早く家族を治療して欲しいがために、レッドタグ(要緊急治療)の方の治療中に割り込んでくる。これは、被災が巨大なために被災傷病者の数が爆発していたことや、医者・看護師の絶対数が少ない上に、地域には分散させる医療施設がない(石巻市民病院は流され,機能停止等)、津波のためにDMATの応援が入るまで時間がかかったという悪条件が重なっていく。外来・病棟・病院の廊下に被災傷病者が溢れてしまうという状態。勿論、医薬品が底をついてしまう。
●次の段階は、施設の低温・混雑した悪環境の中で、イエロータグの方の症状が急に悪化、半身麻痺などの要介護高齢者の発症などなだれ現象が起き、命を落として行くという最悪の経過をたどっていく。緊急外来の対応は、災害時を含んで検討されていたはずなのだが、キャパシティを超えると、システムの崩壊が始まってしまう。地元医師・看護師への命のかかった労力集中が昼夜切れ目無く要求されて、心身の限界に晒される。家族・地域住民協力者は治療を代行できないが、
ただ家族の傷病者を抱えている以外ないのか。ここに緊急医療の穴が開いている。警察の立場からすれば、被災者の二次被災を恐れるから、防寒衣類や飲料水の調達などに、消防団以外は協力を求められない。施設の確保やDMAT用ヘリポート確保以外にも民間協力が見えないのだ。


----- ここまで ------

日本医療社会福祉協会にお礼の電話を入れつつ、在宅被災者支援の活動の中で、仮設入居者と比較した差別的な待遇の問題は、どのように関わって解消に向かわせているかという話を無理難題と知りつつ伺った。地域ケアネットの芽となる地域連絡会で状況の共有を図るところから始めるということらしい。歯がゆいがそうだろうと納得した。

赤十字情報まで聞けなかったが、これからの被災地探索の際のMSWさんという手がかりを得たように思う。

「懇話会ニュースNo.10」は、「わーくNo.047」のあと発行予定。しかし懇話会は年3~4回懇談する。次回は被災障がい者団体または施設の関係者を呼びたい。交渉は始めているが…。


夜間傾聴>開店休業

(校正1回目済み)

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9/24~26 畑中さんの懇談を終えて(続)

2014-09-27 04:58:16 | 地震津波災害ボランティア

2014/09/24~26 記
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畑中さんの懇話会に**さんが参加してくれた。息子さんの写真を拝見した。なんと結婚式。歳を食うわけだと思う。改めまして、おめでとうございます。息子さんのためにも、健康管理、長期戦になりますが、やりましょう。

高齢者畑の方、障がい者畑の方がいて、しかし今回の参加者の方たちは、福祉・生活・医療畑全般を見渡せる方ばかりだから、畑中さんの語りから糸口を拡げることが出来る。もしこれが、一般講演だったら,例え災害と災害弱者の命の問題として語ったとしても、「防災の話>安全避難と地域の絆>無理だ」という二重の思い込みが災害弱者の家族にあり、話を遮断してしまうだろう。畑中さんの活動から見える被災者の営みを伝えるには、避難後待ち構えている出来事もまたリアルであることを伝えていく以外ない。東北被災者の現状は、実はやがて災害体験をする湘南の私たちが、 石巻地域医療チームと被災者が共感を得てこそ、防災の思い込みの鍵がはずれるのだろう。

畑中さんの語りから気になったことは、やはり石巻を見てこなければダメだという私の気持ちが起きたことだった。陸前高田は被災者の活動が分散している感がして、生活の営みが個人個人で見えてくる。ところが石巻の状況は、巨大な避難生活があって、生活の営みが仮設住宅基盤に根付いている長期戦の構えが見えてくる。微妙なところで被災地が違うと避難生活と復興の感触が違うのだ。石巻にいかなくてはと思う。

畑中さんの話では…

1)巨大な仮設と長期戦の実情について

2)在宅被災者の孤立と支援

この辺の話が、私にとっての新しい切り口だった。
また東北の障がい者の話が希薄なことが気になってしかたがない。それには理由があったが、結局施設・事業所ごとにアクセスしていく必要があることと、関連行政からの取材が道なのかなと思う。


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24~26日に職人が入っている。私の就寝時刻の午前6時から2時間後の8時には脚立を持って庭に入ってくる。軒の塗りなおしや、ベランダまわりの修復を母が頼んだせいなのだが、昼からと約束しているのに、8時には作業がはじまる。約束が違うと毎朝怒って、暖簾に腕押し。相手がぬらくら逃げている間に、結局目が覚めてしまう。

今日26日は、生業の関係で江東区を訪ねることになっていたがダウン。とにかく寝ダメした。これで作業は全部終わりだというが、茶碗を洗いながら舟を漕いでいた。

p.s.「わーく No.047」作成中。


夜間傾聴>開店休業

(校正1回目済み)

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9/24&25 石巻MSW畑中さんの懇話会は無事に終わりました、心配かけました

2014-09-26 04:56:05 | 地震津波災害ボランティア

2014/09/24&25 記
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畑中さんの懇話会が終わった。25日介護報酬の研修会が会議室の上の6階コミュニティホールで行われており、その影響が出たものの、懇話会は成立した。参加者の方々に感謝します。

畑中さんには、懇談のイメージの伝え方が中途半端だったために、開始まで不安感を抱かせてしまったようで、申し訳なかったけれど、参加者が被災地情報0の方ではないので、多様な質問を契機とした対話がふくらんだ。

印象的なのは、石巻の仮設入居者の数の多さや現状についてだけでなく、民間賃貸仮設だけでも4189戸・10845名の方が避難生活しているという話に、被災者支援活動に関係してきた私も、まだこれほどの方が避難生活されているのかと、改めて驚かされた。マスコミ情報では、被災地の状況が伝わってこないのだ。

仮設入居を石巻市は住民の反対を押し切って抽選で行った。このため、被災前の地域コミュニティは破壊され、入居者の隣人が見知らぬ地域の方となり、様々な生活上の問題が顕在化してしまった。

畑中さんたちMSW(医療ソーシャルワーカー)は、初期は仮設戸別巡回訪問を行っていたが、その後、仮設訪問は社協が担当し、「みなし仮設」・「在宅被災(全壊・半壊の自宅で生活)」家庭の担当となった。これらの人々は、避難所に食料や水、支援物資を受け取りに行くが、「受け取り資格者は避難所入所者だけである」と、物資受け取りが出来ない差別を受けていた。あらゆる避難者支援と生活情報の外側に置かれている状態の上、隣人と出会うことも少なくなっていた。その意味で、「お茶会(おちゃっこ)」は、互いを結ぶ大事な企画となった。

3年半たって、避難生活をしている方々は「支援疲れ(よそ者対応疲れ)」を起こしているという。発災時、絆を有り難がる感覚もしらけ、とかく涙腺が緩みがちになっているという。

障がいを持つ方の家族の話はあまり聞かないが、それは学齢期は、特別支援校の数が少ないために、遠方通学が無理となり、寮の寄宿生活を行っていることや、成人の方も軽度の方は、漁船や店の個人経営者のもとで、いわば丁稚奉公型の生活をしているため、親元からは被災状況が見えない状態があるという。ただ特に精神の方はそうだが、東北の方は「世間に迷惑をかけない」という抑制型の生活観が拡がっているために、成人以上の方は軟禁状態の形で隠されている例もあると聞く。

だから障害者の被災・避難状況は、家族の会などの当事者に聞いてみないとわからない。畑中さんにお願いして、石巻の現状を知る手立てをおそわった。今秋、母に旅行制約をかけられてしまったが、石巻には出かけるつもりでいる。

(つづく)

夜間傾聴>9/24 ひとり、9/25 開店休業

(校正1回目済み)

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9/25の懇話会ゲスト、石巻の畑中さんの懇談準備

2014-09-25 05:00:28 | 地震津波災害ボランティア
畑中さんのお知り合いのMSWさんも、参加されるとのこと。茅ヶ崎勢が心配。

まだ、準備が終わらない状態なので、今回の書き込みを、2日分、まとめて行います。今回休み、ごめんなさい。
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9/23 無事姪の結婚式を終え/9/25祈るような気持ちで

2014-09-24 05:50:00 | 地震津波災害ボランティア

2014/09/23 記
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姪の結婚式、私だけが参加し、大きな面倒も無く帰ってきたが、好感をもてる質素なもので、母にその印象を伝えた次第。彼女が乳児のころから知っているので、爺ぃになるはずだと納得した。父方の親戚筋は事前に墓参

予想外に早く帰宅したので、雨天前の庭掃除をさっそくやらされて、虫刺されデング熱がどうのとは無駄な抵抗。

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9/25 の畑中さんの懇話会、雨天確定。困ったなと思いつつ、失礼なく畑中さんと懇談できる進行を考え続けている。背中に刃を突きたてられているような緊張と、後日必ず活きてくる大事な仕事と念じる気持ちが表裏貼りついている。石巻市の地図資料を作りながら、志津川病院・石巻赤十字病院の被災の録画番組を見ている。急性期、医療関係専門職の地獄を番組は、なぞっている。トリアージのグリーン・イエローの方が、救急外来のレッドの方に覆いかぶさるように運び込まれてくるだけでなく、持病による要介護の方が次々と運び込まれてくる混乱した事態。地元の医療関係者だけでは、とても軽減できない。この医療関係者もまた家族に被害が出ているかもしれない事態に思う。石巻の様子は、この病院内の地獄をやはり畑中さんには、語っていただくことになるかなと思った。安全避難後の避難所・仮設の健康保全の話が中心といいながらも、この場面ははずせないと感じている。

なんとか要介護の方と、グリーンの方を別のエリアに集めたとしても、被災後数日中に、体調を急変悪化させて亡くなっていく方が出る厳しい状況。低体温と持病・誤嚥の窒息や肺炎の方が続出してしまう現場。看護・介護サポーターの苦しみが伝わってきた。DMAT等の医療専門職の外部支援者たちも、広域災害時では道路事情も影響して到着まで数日間は無理の状況に、その間の応援は空白になってしまう。

やれることはないのか、介護サポートのレクチャーをした上で、自分の家族と単身者の健康保全援助をする即成ボランティアも考えなくてはなるまい。寝たままの高齢者に家族が食事を食べさせようとするとき、そっと高齢者の頭を持ち上げ、支えることが自然に出来ることは、実は気づかれないが経験のいることだが、その感覚がなければ、まず他者の介護はできないことではあるのだが。

しかし番組を観終えて、またかと思うことがある。また、障がい者が視野からはずれているのだ。膨大な課題が目前にある。医療と介護福祉専門職の外周にあり、家族と専門職の接面に立つ民間地域ボランティアのビジョンを描き出すこと、これは夢想なのだろうか。

今まで地域住民は、指導者の誘導に従う羊のように描かれてきた。しかしミクロの目でみれば、家族の世話と支援の受け取りに尽力する健常な家族がいる。家族に範囲を制限されながら、地域から見たとき、力を未組織のまま、統括機構(運営本部)が出来上がって行く。この部分の有効配置によって、災害弱者のサポートは多少軽くなるだろう。

猛烈な量の課題が山積しているが、東日本大震災を過去の話とし、南東海トラフと首都直下型大地震をまださきのこととする忌避傾向があるのは事実だ。しかし専門職活動と連携した民間医療生活ケアのボランティアを立ち上げていくことは、急務と私は思うのだが、「私は」といわざるをえない状況がある。動いて欲しいと願う。

今日メールボックスに何通かの関連メールが届いていた。「隗より始めよ」である。考えてみれば、十年間いい続けてきた。頼るつもりはない。しかし、考えて欲しい、そう思うのだ。

石巻市地図完成。当日配布する。

夜間傾聴>塾長

(校正2回目済み)

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9/22 人を呪わば穴ふたつとか さっそくバチが当たった一日

2014-09-23 05:33:13 | 地震津波災害ボランティア

2014/09/22 記
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姪の結婚式は、体調がよくない母か、私だけがいくことになった。披露宴の人数変更が夜になってから、混乱したらしい。叔母の息子の席をつくるためだった。冠婚葬祭になぜこうも執着するのかさっぱりわからない。時代がわかってしまうが、私の学生時代の友人は、ふたりだけの結婚式をハネムーンがてらハワイで済ませ、披露宴を知人の居酒屋を借り切って会員制で済ませた。(ハワイというのは、なんとも古いのだが…)田舎にいくほど仰々しいが、それは当人の結婚と同時に、家の姻戚を結ぶからだ。我が家に日常的に顔を合わせる親戚はいない。それだけに、冠婚葬祭あるたびに、故・父や白髪の与太郎叩きのカタルシスを求める神経が知れないのだ。

堪忍袋の緒のかわりに、メガネのつるを泊めるネジが急にはずれて消し飛んだ。せめて、「あいつら、しょうがない」と偉そうにさせてくれてもいいと思うのに、なんとも情けない。レンズとつるがはずれたメガネをもって、風呂場の中の湯気でぼんやりしているような視界のまま、メガネ屋に行ってネジをつけてもらってきた。年に1回は、かならず起きる珍事なのだが、裸眼では、予備のメガネの在り処をさがすことができない。橋本の個人指導もあったので、海老名の知り合いのメガネ屋で直して、その足で橋本に向かった。結婚式場で事故るよりはいい。この事件で、また懇話会への参加要請巡回がつぶれてしまった。背筋が寒くなっているというのに。あと3日。

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「わーく No.047」を懇話会の場に間に合わせたくて、金曜ミニカフェ9/19の番組感想を書いていた。災害派遣医療チームDMATの東日本大震災の総括を描いたドキュメントなのだが、巨大な災害に大混乱を起こしている対策本部の様子が描かれていた。また石巻赤十字病院にスポットを当てて,急性期の病院外来の麻痺状況が現行のままなら、これは湘南被災時に、たどる道でもある。実のことを言えば、ここの統括をしていらした石井正医師を懇話会ゲストにと打診したことがあって、見事に失敗した。謝金もそうだが、医師不足の現地を離れるのが見通しがつかないとのことだったからだ。

この番組の中で、津波に飲まれたが救助された女性が、ヘリ移送を試みて、ヘリの要請を本部に出したが、情報が埋もれてしまい、要請後4時間たって情報が発見され、ヘリが到着したのは更に2時間後、女性は機材のある救急車の中で亡くなってしまったという例が描かれていた。情報の津波に飲まれてしまった。

またトリアージのグリーンだが持病などで体力がない高齢者が、被災三日後、突然肺炎で次々、危篤になってしまったことも登場する。誤嚥性肺炎である。この件については、やや詳しく、記事を書くつもりでいる。

今回はここで。

夜間傾聴>ひとり

(校正1回目済み)

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9/21 石巻の畑中さんをゲストにした9/25懇話会是非ご参加を

2014-09-22 05:37:21 | 地震津波災害ボランティア

2014/09/21 記
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姪から謝りの電話が入ってきた。彼岸の結婚式というのは非常識だが、日程のやりくりがつかないのだという。なんだ、叔母の乱入の話ではないのかと思ったが、その話もでてきたが、なにやら混線していた。立ち入ると、もつれてややこしいことになりそうだから、叔母の息子の席も作ってやれと進言。すぐに調整してくれることになった。

電話を切るとすぐに叔母から電話が入り、父の墓参に行ってきたという。家族がいかないのかと文句。ご想像にまかせますと伝え、電話を切った。頭が痛くなってきた。くだらない。

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私はどうもgooのメインテナンスにぶつかる。それで今回2本、公開した。

先日、サポセンで金曜ミニカフェの上映をしていたのだ が、終了後、理事の**さんが、この企画を駅ビルでやらないかと話を持ちかけてきてくれた。偏屈爺ぃだからではないつもりだが、企画の性格が違うから、感謝してお断りした。

災害ボランティアは、状況を読み問題を打開していくという戦略的関わりではなく、「お手伝い」なのだ。私は「投げ銭型支援」と呼んでいるが、「伴走支援」でもない。被災健常者を対象にして夢を持ち込み、そこに現実を流し込もうとする。とかく、今抱えている問題は「元気」と「明るさ」の押さえ込みで隠れてしまう。その「お手伝い」では、歯が立たなくなってきているのが現状だ。だから、継続して関わるケア関係者が、現場実務互いに議論をしていこう、現場のリアリティを失うなという企画が懇話会なのだ。だから一般公開呼びかけではなく、ケア関係者向けだから、人通りの多い場所でやってみても積極的な意味はないからだ。

その日、路上生活者の炊き出しボラ参加方法を問い合わせする型がいた。皆で私の上映活動を話しあったのではないか。

13万人の方が未だ避難生活をしており、湘南も首都直下型地震と南海トラフ大地震の端が伊豆半島を回りこんで影響を与えるという状況下で、手を引くことはありえない。ケア関係者の懇談を実現したいのだ。話して、後腐れなく散開をよしとする会である。しつこく路線化をはかり、現状打開を行うのは「わーく」の方だ。こちらは青少年の社会参加の道として、災害ボランティアという活動紹介をおこなったりしたのだ。

懇話会は苗床。そこからさきをどうするかは、懇話会自身が決めることではない。

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高知工専がスマホ・アプリを使って、避難所の自動安否確認集計機能を実現した。衛星通信を使えば、インターネット回線遮断を回避できる。QRカードと親和性の高い試みなので、注目している。

●災害時にスマホで安否確認 高知
9月21日 21時16分 NHK_NEWS

夜間傾聴>ひとり

(校正1回目済み)

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9/20 連休と姪の結婚式前の雑事なり/10月の金曜ミニカフェ予定作り

2014-09-21 06:24:04 | 地震津波災害ボランティア

2014/09/20 記
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お彼岸だというのに、姪の結婚式が23日にある。予告無く叔母がやってきた。長居する人なので、相模大野校の仕事を済ませてきた。案の定、叔母は帰宅時、相変わらず口角泡飛ばして噂話をしていた。畑中さんの懇話会への参加要請を残された時間、説得して回ろうと予定していた矢先、叔母の申込みをしていなかった息子と私が入れ替われという失礼な話を持ち込んできた。

私はもと過激派でバツイチ、社会活動にうつつを抜かしている宿敵キリスト教系宗教信者(父と混同している)だから、自分の息子に席を譲れという。毎年お盆や正月、私と父は針の筵に座らされた。異端糾弾というか、わからんちんが、私の未成年の頃、公務執行妨害で捕まったことやら、バツイチでなにやら、政治のこと(災害ボラや路上生活者支援のことらしい)を懲りずにやっていると、私が爺ぃになっても、この方は執拗にいい続けている。江戸時代の化石のような話に、某仏教系過激新興宗教の信者がつるんで人権感覚どこへやらで、私を説得にやってきたのだった。宗教にしても思想にしても「信じる者は救われぬ」というのが私の信条。

しかし、当事者の姪の方も、混乱を歓迎しないため、祝辞は母に任せて、私はカロリーの少ないものをつまんで、まあ、おとなしくしていようと結論付けた。正直ここまでくると、世界中のわからんちんに、なんでもいいから、社会活動を邪魔するなといいたくなる。これだけは曲げてはいけない大事な仕事だ。

こんなくだらないことで、懇話会の参加要請巡回を潰されるのは、迷惑千万なのだ。早めの夕食と偽りつつ、辻堂まで叔母を引き出し、食事して改札口に送り出した。

信じがたい叔母の珍事で夜になってしまったので、懇話会の参加要請の方は、ともかくアドレスがわかっている方にメールを送った。

先程まで、「わーくNo.047」に載せる金曜ミニカフェのプログラムを組んでいた。(図参照)まだ利用する部屋の空きの確認がとれていないが、来月は3回ある。畑中さんの話を受けて地域医療ケアネットの芽を取り上げたかったのだが、また夢物語というか、政府の現状無視方針便乗とか表面つらでレッテル貼られそうだが、ケア会議の進化版を探しているが、出てきたら「No.048」で取り上げる。

明日は休み。

夜間傾聴>ひとり

(校正2回目済み)

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9/19 金曜ミニカフェではDMATの総括を紹介しました

2014-09-20 05:07:26 | 地震津波災害ボランティア

2014/09/19 記
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風邪を引いた。冷たい風が吹くと、くしゃみの連発、困った。

畑中さんとの懇談を前に、「金曜ミニカフェ」を詰めておきた
かった。先週の9/12は「避難所の多くの高齢者が誤嚥性肺炎を
を起こして命を落としていた」という話。水の制限のある避難
所では、口腔の衛生を保つことが命につながった。この番組に
は描かれていなかったが、すし詰めの避難所環境に耐え切れな
い家族は、自家用車内に避難生活をしていた。

また、車椅子長時間利用者にも、体調の急変・急死が起きてお
り、それはエコノミークラス症候群と呼ばれ、足の血管に生じ
た血栓が心筋梗塞や脳梗塞という重篤な症状を引き起こしてい
た。被災時の低体温症とともに、被災という緊急時に、保健基
礎医学知識をもって、被災者自身が身を守ることが、重症傷病
者の看護・移送に医療関係者が追われている背景で起きていた。
この部分について、医療関係者と被災者有志の連携をどうとる
のかという議論、つまり急性期・亜急性期のケア連携の課題が
あることを提案しておいた。

そして今回は、DMATの総括の話が出てくる。情報の一元化
という形で情報班がドクター・ヘリなどで、重症患者を効率よ
く移送しようとするが、誤情報・患者の体調情報などの混乱に
より、救助できる命が救えなかったエピソードが紹介される。

これらは、安全避難と急性期・亜急性期の災害弱者の問題を提
案した番組だ。これで、仮設入居以降の「仮設の見えない
人々」の訪問支援の話とともに、石巻という場にあって、どの
ような医療・保健生活支援をし、どのような困難な事例に出会
ったかを畑中さんから、情報を得ようという魂胆だ。

特に被災3年半を迎え、明日への解決力の弱い災害弱者が仮設
に残り、孤独死などの問題をひきおこしやすくなっているとい
うが、大きな仮設を抱える石巻、人口減少著しい女川の様子を
紹介してもらいつつ、地域保健医療ケアネットの議論を、畑中
さんとの懇談に載せて語ってもらいたいと思っている。

実は、今日は藤沢保健所で私の主治医の「網膜色素変性症治療
の現状」という講演があって、予約をしていた。母の暴走の後
始末で全部消し飛んでしまった。おそらくiPS細胞移植関係等の
最新情報(加齢黄斑変性症患者への細胞移植等の話だろう。い
けなくなって残念でしようがない。(ちなみに照明つき拡大鏡
は連休中にショールームに行く。)

連休が本当に邪魔だ。今とにかく、畑中さんと懇談希望の方を
集めなくてはと思う。明日は、とにかくメールで招待をかけて
いく。

県立鶴嶺高ボラ塾申し込みを「済ませた」。今回は「マイクロ
FMワークショップ」だ。

夜間傾聴>ひとり

(校正1回目済み)

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9/18 昨日の後始末巡回、手抜きです、すみません

2014-09-19 06:10:21 | 地震津波災害ボランティア

2014/09/18 記
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橋本で訪問指導。母親から犬とか猫とかを飼うと、引きこもり青年にはいいから飼いなさいとクリニックで言われたがどうだろうかと相談を受けた。そんな平板な発想をする医師がいるのかと違和感を感じたので、話を聞いてみると整形外科の看護師だった。母親が足の小指をテーブルの角で引っ掛けて骨折し、治療をうけていたのだった。

実はこの言説、慎重に見極めないといけないのだ。以前あった別人の話だが、実家で飼っていたシマリスをもらってきたと、今回の話と同様の価値観で息子に与えたところ、秋も終わろうとしていた頃、飼い主になった息子がケージに手をつっこんだところ、いやというほど噛み付かれて指の肉が削げ落ちるほど大出血する騒ぎになった。冬篭りのリスの本能だった。それを知らず、彼は箒でシマリスを追い掛け回し、叩き殺した上、尾を引きちぎるという異常行動を起こした。親が救急車を呼んだので、本人は抵抗し、病院に運びこまれたときは、錯乱状態になっていた。逆効果だったと母親は語ったが、息子の状態から考える大事なことを忘れていたのだ。愛憎がらみになることは、医師に相談すべきなのだ。

とにかく、今回は手抜き。ここまで。

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夜間傾聴>ふたり

(校正1回目済み)

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9/17 東京方向の用事を一気に済ませてきました

2014-09-18 05:39:11 | 地震津波災害ボランティア

2014/09/17 記
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母の暴走があってから、外出が少々不安になっている。家に戻ったら、工事が進んでいたりしないかという困った事態なのだが、一応母は納得したようなので、それを信じるしかなかった。

今日は、いくつかの用事を重ねて済ませてきたので、帰りの路線バスに乗るまで忘れていたが、不安がよみがえり、門を開けた時点で胸をなでおろした。屋根も芝生も、そしてブロック塀も変化が無かったからだ。

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家業の方は、申請だけで済んだので、若松河田の日本障害者リハビリテーション協会主催の「『ドイツソーシャルファーム』の実地調査報告会」は遅れずに済んだ。「ソーシャルファーム」とは、「社会的弱者のための社会的企業」のことだ。

災害ボランティアに力を集中していたので、社会的弱者の就労支援関連の企画参加は2011年の3月8日、つまり3.11の数日前以来だった。3/8は済生会理事長の炭谷茂氏の茅ヶ崎講演を行った日だ。

「社会的企業」という言葉は、ひとによってとらえ方が全然違う。それをわけているのが、「なぜ『社会的企業』を必要とするのか」という点が違うのだ。企業活動というのは、もともと社会的なものだから、利潤追求以外、あえて「社会的企業」と語らなくても、「住民の雇用」という社会性を語ることができるし、有用な商品・サービスを提供できる。それならあえて「社会的」企業という必要もない。この辺を曖昧にして、流行語のように「社会的企業」とか「ソーシャル・ビジネス」、「ソーシャル・カンパニー」ということばが、語られてきたのは、企業活動による公益的側面を強調する活動が、解決財源を持つ企業体が社会が求めることに応じ始めたことや、NPOの活動が、より大きな社会改革につながる活動を求めたとき、財源確保のために企業経営の手法を取り込む活動へと拡大してきたという背景がある。しかしこれらは、社会的企業の経営者の自由選択(気まぐれ)に委ねられている活動である。

ところが今回の報告会で語られた「ソーシャル・ファーム」は、社会政策的な背景があったり、社会的弱者の自己救済的就労の形であるところが異質だ。経営利潤は、次年度の資金になることや、従業員給与に分配されて、利潤の内部留保は許されない。

「ソーシャル・ファーム」には、すっきりした解説がある。下記の事例を紹介する。(注:ただし、この定義はインクルージョン的視点が弱いのが、難点。)

●「ソーシャルファームの考え方」

ヨーロッパでは、ドイツ・イギリス・イタリア・フランス・オランダ・フィンランド・ギリシャ等で、国政レベルで承認し、運営に助成金を出すなどして、社会的弱者の雇用を実現している。ソーシャルファームの規模は従業員100名に近い企業も多い。

今回はドイツのソーシャル・ファーム企業体が6つ紹介された。

●サルド・ジャーナル・サービス(Saldo journal Sarvices)
(http://www.saldojournale.de/ )
●グレンツファールホテル(Hotel Grenzfall)
(http://www.hotel-grenzfall.de/ )
●インテグラ(Integra)
(http://www.integra-berlin.de/home/ )
●エルコテック(Elkotec)
(http://www.elkotec.de/ )

●ハウス5(HAUS 5)
(http://www.haus5.info/ )

●モザイク(Mosaik)
(http://www.mosaik-berlin.de/ )

感想の詳細は、追って。

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石巻赤十字病院の支援者***さんと会った。千葉の歯科医の方が紹介してくださった。短期ではあるが、亜急性期に支援に入った看護師さんだ。大混乱の外来・病棟の話を聞かせてもらった。ちょっと懇話会のゲストには、関心の視点が異なり、「専門職としての災害看護」に関心を寄せていらした。この方の件も後日。

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渋谷から東横線で横浜に出た。ビッグイシュー最新号の仕込み。ここで相模大野校から電話。やむなく大和経由で相模大野へ。おかげで、ビッグイシューの販売員さんの支援に来ていた東京の指導員さんと、話し込まないで済んだ。茅ヶ崎販売が崩壊した不快な出来事を蒸し返したくなかったのだ。

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畑中さんの出身母体「日本医療社会福祉協会(SWHS)」から連絡が入った。最後の段取りの話。話をしながら思った。前回、茅ヶ崎のケア関係者が参加しなかったという悪夢のことを払拭しきれなかったからだ。東京では、昨日の地震は、本当にこわかったという話を巡回先で聞いていて、湘南とのこの地域差はなんなのだろうと。ただただ、祈るような気持ちで電話を切った。

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夜間傾聴>先日の鬱の子の母親
     塾長の奥さん(ふーむ)

(校正3回目済み)

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9/16 母の暴走、その後/9/25は現場論議の懇談でいいのだ

2014-09-17 05:19:39 | 地震津波災害ボランティア

2014/09/16 記
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高齢者事業団の方が、朝9時、我が家の襖・障子の張替えにやってきた。寝込みを襲われない様に、8時前には起きて準備していた。睡眠時間2時間。猛烈に眠い。

本職の方だなあと思う。どんどん襖や障子が引き剥がされて、私の巣まで剥き出しになった。足の踏み場も無いような書籍やファイルの山と、東海新報やら福島民報・河北新報の切り抜きなどが散乱している。壊れたディスプレーも部屋の真ん中に転がっていた。何より恐ろしいのは、認知症の父と私が格闘し、幻覚の出迎えに父が出て行こうとした襖の穴。中の枠まで折れているので、そのままになっていた。顔から火が出そうに恥かしかった。説明のしようがない惨事の痕跡だった。ここだけは交換して欲しくなかった。私の仕事場である。

さすがに異常事態を察し、「作業、どうしますか」と聞いてきた。母はこれも計算の上だった。家には仕事もボランティアも持ち込まないという主義だったからだ。私の教育の現場は教室ではない。地域にある。教材屋も職場に出かけて作業する仕事ではない。結局、私の部屋の周囲は手をつけないということになった。余談だがもともと性格がきつい者が認知症になったとき、いつも笑顔でとはいかない。結局徘徊を阻止するために、父を2階の書斎で寝起きさせるようにした。その頃のレスリングの跡である。

橋本に出かける頃には、襖も障子も見違えるようになって戻ってきた。母は外装の瓦や芝生やブロック塀まで業者にやらせようとしていて、それは阻止して終わったが、もう一方の社会活動は、私は中学生の頃からやっている。半世紀通じない話に、冷や汗をかいている。

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今日は平塚方面から伊勢原経由で橋本に大回りした。特別支援校に立ち寄ったからだ。盲・聾学校は改めて後日、いくことととし、平塚の福祉会館関係と、某障がい者関連施設にチラシを置いてきた。東海大関係者は時間切れ。

明日は、家業の関係の都行政への申請と、フォーラム参加、父の月命日と、ビッグイシューの仕入れ、石巻赤十字病院支援者と面会を済ませてくる。自閉症協会のSOSカード関係の話もあるのだが、回りきれないので諦めた。今回の訪問指導は、さぼりだ。

石巻の畑中さんからメールが返ってきた。石巻の現状というような大きな話と、現場訪問活動の直面する課題というようなエピソードとをどう話すべきかと不安なご様子だった。私からは災害弱者の避難生活の状況と地域サポートシステム作りを織り交ぜた、訪問支援の困難さ体験(開成団地のような大所帯仮設を抱えている特殊性もある。)を語ってほしいが、全部を語りきれるはずがない。すべてをカバーしようなどと考えず、懇談で鬼が出るか蛇がでるかわからないが、被災地の空気をともあれ運んで欲しいと、抽象的な物言いで、私の返信は再び畑中さんを混乱させてしまうだろう。誰が参加してくるか見当がつかないが、懇談とは部分であり、阿吽のような非言語の納得が横行する方法。部分理解をよしとする対話形式だ。それでいいのだ。

睡眠時間確保のため、ここまで。

金曜日にまたミニカフェをやる。今回は報道陣も含んで、東日本大震災支援の検証がテーマ。今、関連書を読んでいる。区切りで寝る。

夜間傾聴>開店休業

(校正2回目済み)

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9/15 母の暴走止まるか/現地訪問の再企画と9/25懇話会招待巡回再開

2014-09-16 04:39:22 | 地震津波災害ボランティア

2014/09/15 記
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母は、ずれた瓦の修復にまで予約をいれていた。冗談ではない。業者に電話して、予約を解除した。個人経営の工務店で助かった。休日でも話が通ったのだった。庭の芝の敷きなおしは、予約の事前に制止できた。とにかくそれをやられては、身動きができなくなるところだった。

母は休日でもリハがあって、母の孤立感は、本来なら包括支援センターのケアマネさんに相談すべきところだが、後からリハ施設に追いかけていき、職員さんと話しあった。しかし、男性の軽度の方は囲碁や酒の会をしていたが、女性が入ると、母がお茶汲みになりかねないという。80代男性は奥さん任せが圧倒的だしねえとトレーナーさんは、首を傾げた。流動が激しく、率先行動を避ける高齢女性の集まりは、なかった。

しかし、母のような、こういうことをされるとなおさらに、石巻・女川か大阪・神戸かいずれかに出かける陰謀を、トップ・シークレットとして、粛々とすすめることにした。懇話会のゲスト懇談企画を続けるためには、直談判がどうしても不可欠。予定はすっかりかわってしまったが、年内には動き出す。

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今日は休日だから留守が多いだろうと思っていたが、従来配達していない5施設を追加巡回して、配達してきた。相模大野からの帰りなので、短い時間帯だったが、一応配布を終えた。

ある施設は、個人宅を改造したところなので、そこに管理者が住んでいらして、先方、びっくりしていたが、休日でも、話は聞いてくれた。知的障がいや精神障がいの方は、一見医療ケア・サポートは必要が無いと思えるが、精神障がいの方の場合は、安定剤などを服薬している場合、これが被災で絶たれることになる。いざというときに、語る医療従事者さんが発災時にはいなくなる。またアルコール中毒者の場合なども、医療的生活サポートが、止まるという問題が起こる。

知的障がいや身体障がいの方たちは、医療サポートというより、生活のケアサポートと言った方がいい。翔の会関係者は、ここにあたることもあって、畑中さんの人選がいまいちしっくりこないとこもあるようだ。

それでも浜見平団地の喫茶「カレッタカレッタ」では、先方、面くらいながらも、話を聞いてくれた。(お店は繁盛していたにもかかわらずだ。)しかし、鶴が台団地の喫茶「カフェ・グランマ」は、お休みで、ポスト投函のみ。

他の2施設も、片方はお休みで、チラシをポスト投函してきた。もうひとつは、バスが辻堂からなので、時間切れだった。

一方、巡回済みの方からメールをいただいた。大事な企画進行中との話で参加できないとのこと。拡がらないなあと、企画内容上の空転を感じていた。

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メールは、もう一通。気仙地方のお医者さんからのものだった。懇話会参加は時間が避けないので無理があるが、気仙地方に来たときは、事前連絡があれば泊めてあげるとのお話。さっそく感謝メールを返信した。畑中さんがゲストに決まる前、某医師会に打診していた。間が空いたが、その返信と受け取った。

今後の訪問企画を作る上で、宮城県の某施設は、路線バスが走っていないらしく、現地でタクシー移動が必要とわかった。大船渡の盛と、陸前高田とも往復タクシーで、1往復料金は1万円を越えた。石巻

それだけに、宿泊していいという申し入れは、大変助かるのだ。

大事なテーマはいくつもある。その内容に適したゲストの招待を実現し、まずは少数懇談するという基本構造自身が、伝わらないきわめてシビアな状況にある。震災は何十年か先のことという発想や、来たらどうせ逃げ切れないという発想だろうか、もともと災害対策活動は、圧倒的に安全避難活動とのイメージが濃く、訓練は忌避されてきた。勿論、医療ケア・生活支援という活動への空転もあるが、わけわからんことばかりやっている私への遮断も大きい。先のブログで、諦めない活動、継続することの大切さと語ったが、賛同者が活動立ち上げを始めるならば、私はいくらでも裏方にまわる。そんな下らぬ主導欲はない。深い問題だからこそ、持続する人間が必要なのだ。それが私の仕事だと思っている。

被災現場の空気を感じて欲しい。そこに感じるものから、災害対策活動を生み出して欲しいと願う。現場主義を徹した懇談を積み上げたいのだ。周囲には、公的な会議や、新規の地域ネットもある。懇話会はそれに成り代わるものではなく、触媒、カンフルのような存在でありたいと思う。悪く言えば医療ケア・生活支援限定のロピー。それでいいではないかと思うのだ。

時間があるかぎり、25日の懇話会の呼びかけを続けて行く。

17日、「ドイツソーシャルファームの実地調査報告会」が東京である。家業の仕事とともに、報告会終了後、石巻赤十字病院支援関係者と会う。亜急性期と呼ばれる時期、汎用医療個人情報QRカードが有効であるか場面チェックが行えればいいかと思っている。その際、宮城県の自閉症者の家族の会関係者との仲介の可能性がメール交換で生まれてきているので、今後の懇話会のゲスト選択の俎上にのせられないかと思案している。

明日は平塚盲・聾唖学校にお邪魔する。

夜間傾聴>開店休業

(校正2回目済み)

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