湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

3/30 新年度とりあえずのスタート準備/個別民間交流の流れを作ろう

2013-03-31 06:39:15 | 引きこもり
2013/03/30 記
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ケア懇談会の構想(呼び掛け文)を書いている。4月、人事異動の混乱が少し収まってから、巡回を始める。通信創刊号などと大げさなものではないが、

1)ケア関係者の自分の領域からの災害弱者支援の現状
2)東北被災者支援の今後について
         (現地活動の支援&民間交流等)
3)防災と災害弱者保護の見通しについて
4)災害発生時の災害弱者の安全避難と保護について
5)避難生活中の災害弱者の生活安定保障について
6)急性期以降の専門職活動と社会活動(市民活動)の連携

このいずれかの内容の記事を取り上げる。今回は取材や、
寄稿依頼を含むので、様相が変わる。

次回、3回シリーズ最後「東北被災者生活支援ネットワークとの連携。非被災地から出来ること」を講師に依頼しているが、参加者激減の予想が立つので、タイアップ企画を作り、なおかつ時期を見計らうことにした。通信取材配布活動と、懇談会とは別に、「わーく」編集部の災害関連番組を観て語る会を始めて行く。集客は閑古鳥状態だろう。

初回はバリバラから「被災後の障がい者の生活」について話し合う。次が「釜石の軌跡、異見」を考えている。

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東北被災者支援活動も、だいぶ民間交流の色彩が濃くなってきた。ただ単発ではなく、持続の芽を残した活動を探りたい。

●「東日本大震災:「応援職員の会」発足 大槌町を継続して支援へ /岩手」

●「東日本大震災:友好の懸け橋に 岩手・大船渡支援の音楽祭??相模原できょう・あす /神奈川


●「東日本大震災:福島・浪江町の親子、鎌倉満喫 市民グループが招待 /神奈川」

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茅ヶ崎にも福島の原発避難エリアの方が避難している。福島の方々の相互交流と情報交換の場ができた。ここへ支援する関わりも大事。しかし、東北の避難生活ん厳しい状況についても、なんとかケアの関わりを作りたい。

●「原発事故で避難、死亡率2.7倍 南相馬、施設の高齢者」
●「震災関連死「避難生活の疲労」5割 ケア強化不可欠」

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あすで私の分の春期講習が終わる。現場が見えている講師候補と出会いたい。ビッグイシューは、4月2日以降配布。

父の特養移動確定。父方の法事も四月初頭。生業の危機の後始末、財布ながめてため息なり。言い訳にはならない。

夜間傾聴>なし


(校正1回目済み)

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3/29 NHK「さいかい」を傍らで見つつ/災害看護・かいごm

2013-03-30 05:46:52 | 引きこもり
2013/03/29 記
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3/23の朝に放送されていた「さいかい 東日本大震災 その時、ペットは」を録画しておいた。作業しながら、それを見ていた。被災した飼い主さんが、ペットをどのように考えているかが一目瞭然にわかるシーンがいくつも出てくる。

この手の話をすると、「動物より人間が大事」とか、「女・子どもの甘っちょろい感傷」という批判が出てきて、次に「一部のペットマニアの酔狂というレッテル」が出てくるので、その程度の人なのだなと、一種試金石のように相手を見ている。それは「ペットをどう見るか」ということではなく、「被災者○×さんにとって、ペットΔくんはどういう存在なのか」ということに、彼は目がいかないからだ。

番組では、いわゆる「ペットマニア」は登場しない。私たちの父母や、隣のおっさん・おばちゃんたち、娘さんたちが、避難生活の中の丸裸にされた生活と見えない今後という窮地の中で、家族同様、必要な存在であることだ。気づかないうちに支援者の眼差しは、飼い主を消し去った「『被災者』・『ペット』一般」の束ねた論理に陥り、実際に目の前にたち現れる個別・具体的な出来事・意味合いを捨象して、本質を得たと思い込んでいる。具体と抽象は丸抱えしてこそ、的を射ることができる。カルチュラル・スタディーズなどで議論された視点である。「家畜を殺して食べる人間が、犬猫ばかり命の価値を主張するなんておかしい」という論理もある。命の価値を活動の原点に論じるのも、**さんの形見の缶のプルタブが命懸けの価値を持つように感じるのも人間だ。それをプルタブの属性から立証しようとする愚かさというべきか。

私はあえてペットの価値を論じない。同じ集落の++さんや##さんと再会する喜びの価値を支援者が論じることは意味がない。そこに無事であったことの喜びがあれば、よかったですねえと、ともに喜べばいいのだ。同じ構造がペットの場合に成り立っている。

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気分替えに安物のブレザーを買った。我が家はエンゲル係数が高い。気分の切り替えようにも、「超熟」か「藤沢・神戸屋の食パン」か選ぶ程度のものである。

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黒田裕子さんの著書を読むとわかるが、その著作は看護学生のためにサブテキストとして書かれてる。実に細かい指示が出ている。しかしこの指示を現場で実行するのは難しいだろうと思う。経験の落差というか、当てはめようとする意志が、場の対話構造の情報(相手からの情報)の流入をつかみそこねてしまうからだ。

このケアの世界を直接NPOが支援するのは、避難所健康管理とか訪問看護・介護という場面を、片方では被災者臨時雇用の相談員さんというファクタを考慮しながら、観察していくとき、被災地の現場支援の中で考えるなら常駐ではないことから、直接補佐ではなく、内容を外野まで引き下がった別の関わり支援を考えることになる。

非被災地から活動をたてるときは、大きなキーワードは「私的民間交流の創造」というところが基礎になる。「民泊」や電話・メールによる対話が、孤立感や実際の家庭の窮地のクッションになるだろう。特に仮設単身入居者との交流ができたら意味は大きい。ざっくり「擬似親戚作り」ということになるが、非被災地の支援者の質も問われる。

ここには初動仲介者・触媒としての裏方が先方被災地で「暗躍」していることが実現の鍵だ。

ああ、時間切れ。続きは翌日分にて。

p.s.
cf. ●「事例を通して学ぶ避難所・仮設住宅の看護ケア」


夜間傾聴>橋本3君(母親>炸裂した模様)


(校正3回目済み)

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3/28 春期講習今年も変化球/スマホと視覚障がい者の困難

2013-03-29 06:35:19 | 引きこもり
2013/03/28 記
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春期講習が始まっている。相模大野校の相談は週1回。指導が2回だ。あとはピンチヒッターとなる。今回はJR相模原の塾では、初期の塾の母体の影響で、アジア系ハーフの若者の就労支援が珍しく入ったので、その子の学習指導の手伝いをしている。塾長がジャワからぐるり、彼らの実家や親族がいる子の調整屋をしていたが、日本語学校との掛け持ちができる子たちなので、経済的には裕福な子たちといえる。そのひとりを担当している。バイパス指導や日本社会の説明をするが、私はバイパス指導の方。もろにパーソナル・アシストなのだが、状態が極端に違うので、下準備がいる。4月から1年間コースをくぐるが、私は4月の頭まで。あとは塾長の担当となる。

そんなわけで変則的な授業をやっている。同時に自宅作業が増えた。作業中、以前東海新報の記者さんから紹介を受けた方の被災地ガイド・ボランティアをしている方から、メール依頼していた件で、連絡が入った。ある仮設住宅の区長さんが神奈川に出かけてもいいと言っているとのことで、仲介をお願いした。来ていただいても、仮設住宅の生活する方の細かい目を行き届かせている方でないと、失礼だが懇談講演会の役にたたない。特に災害弱者保護の視点を持っていないと空転してしまう。その旨をガイド・ボラさんに説明し、お願いして、電話を切った。区長さんは陸前高田の方である。

山田町の方は、それはそれで継続探索しているが、結局は会ってみないとわからない。しかし障がい者関係との接点は難しい。出会えないからと、正面から電話することになるが、警戒されて、私が障がい者団体関係者ではなく、個人ゆえ、臍を噛むような思いを重ねて門前払いされている。通信がでれば、それを送って多少はわかってもらえるだろうが。

切り替えのときは、いつも講習とかさなるので、企画準備に足かせがかかるのだが…作業終了の伸び。

話は変わるが、いわゆる片手操作型携帯電話が、スマホに押されてNECが折れたようだ。視覚障がいの方たちはどうしたものだろう。あのつるつる面では、操作が出来ない。声をあげていかないといけない風潮だなと思う。

13時すぎから出かける。

夜間傾聴:ひとり

(校正2回目済み)

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3/27 ケア関連活動準備の状態 他

2013-03-28 06:46:16 | 引きこもり
2013/03/27 記
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「訪問看護と介護」誌2013年3月号「あれから2年」を入手。岩手県の仮設巡回をしている保健師さんの中で、心のケアに熱心な方、日本障害フォーラム(JDF)と接点のある方。避難所運営のケア経験者という条件をすべてクリアしている方を探し出す一環の作業だ。新年度は、いわゆる偉い人というより、現場を踏んでいる方を見つけ出したいと考えている。

実際のところ、高齢者訪問介護と障がい者訪問介護の担当者は、分業されているようで、これから懇談型講演を組んでいく上で、リアルな語り、示唆に富む語りのゲストを呼んでいきたい。勿論、新年度提案は飛田案であって、固定的なものではない。対案があれば、検討していこう。

まずは、3回シリーズ最後となった CSWの眼、大関輝一さんを追っている。(詳細別記事にて)

シリーズは、急性期の安全避難のテーマというより、避難所生活開始時点以降、いわゆるハネムーン期以降の避難生活サポートに視点をシフトして、NPOとの協働の形を探り、さらに東北の被災者の現在の現状と要望そして民間交流を含む、いわゆる「ケアの視座からの連携」の道を拓きたい。

私が昨年作ってきた地元民宿経営者や地元NPO関係者の情報網では、家庭生活の状態までなかなか必要な情報が得られない。ふたり病院関係者がいるが、神奈川に呼び出す状態ではない。また訪問ケアではないので、通院外来の様子に留まる。

また陸前高田市が障がい者の被災追跡調査を行ったので、地元施設関係者に打診を進めているが、私が施設関係者とか行政の関係者ではないことに、警戒されてる点があり膝談判しないと電話・メールでは先に進まない。東北に行きたい。思いが募る。

以前、大船渡の椿油搾油を施設で始めた大洋会が、食用ホウズキの栽培に踏み込んでいるが、「椿油」・「ホウズキ」というだけで、皆の常識が跳んでしまう。「椿油」はNHK「キッチンが走る・伊豆大島編」で、日常的に食用に使われているシーンが収録されている。大洋会はいわゆるニッチな商品に活路を見出している。そういう就労サポートに対しては、販売促進的支援と同時に、その仕事に従事している方の被災の影響、家庭生活のエピソードを知りたいと思う。

今は山田町のケア関係者に打診しているが、津波体験を語り直す方が多い。これはセミナーが、ここから一歩踏み出したいと考えているので、生活と健康に眼差しが及ぶひとがなかなかいない。被災した高校生という傍らから批判的に避難活動・家庭生活を眺めた話から仮設生活を浮かび上がらせらようともしているが、電話では大人の常識が壁になって、狙いが伝わっていかない。

夏場の少人数ドライブ(現地まで深夜バス、現地でレンタカーも可)は、仮設・病院・行政を最低2泊3日で回りたいと思う。運転免許のある方と組んで、論点を持ち出す形のツアーにしたい。単純に現場視察と体験型にしないのもいいだろう。

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母が東京の病院に定期外来を受診。私は橋本に出かけ、帰りに神奈川エースにたちよって空振り。平塚の**さんが紹介してくれた書籍(パンフ?)は買えなかった。母とは横浜合流だったので、淵野辺まで出て、予定通り横浜合流。ところがダンピング気味との母の訴えで、結局は中華街は取りやめ。地下の喫茶で休ませてから、帰路。やっぱり何かを食べておきたいというので藤沢下車で魚定食を食べてきた。

ケアという視点は個的で空気のように気づかない。状況動けと念力をかけているのだが。

p.s.被災地ミニFM関連の再調査、始めている。引きこもり青年たちに、うまい語り屋がいる。商業放送のように曲や宴会乗りをイメージする人が多いが、全然的外れ。

夜間傾聴>ひとり(なぜかまた小学生)


(校正1回目済み)

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3/26 日本グラフィックデザイン協会「やさしいハンカチ」展2の変容を考えた/他

2013-03-27 06:24:21 | 引きこもり
2013/03/25 記
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橋本まで睡眠や読書ができるのが相模線。最近は、たちどころに眠ってしまう。橋本から乗り換えて、今まで一番遠方なのが「多摩プラザ」から徒歩10分。印象的なのが入谷から座間まで歩く途中のファミレスで教えた子もいた。ひと気のない農地を歩く例だった。しかし多少土地勘のきく小田急線沿いの子たちの訪問が、これからは橋本周辺重点になるのだろう。経営陣の方針から、引きこもりの若者への意識がどんどんなくなっていることを思えば、相模大野校の方は、教材屋と進路教育カウンセラーにとどめ、JR相模原の塾の出張相談業務屋にシフトしていく時期なのかもしれないと思い始めている。

昼に用件をすませて、塾長に臨時登板させたお詫びを伝えてからすぐ、私は松戸に向かおうとしていた。日本グラフィックデザイン協会主催の「やさしいハンカチ展2」の最終日にすべりこもうとしていたのだった。しかし松戸着15:53では無理。神奈川展は4/20~だが、それまで待つのかなと思う。この間には水戸・静岡展がある。

JAGDAの発想は、被災地の子どもが描いた絵をプロのデザイナーがハンカチにし、展覧会で販売収益を上げ小学校に還元。またハンカチ7,000枚を東北の子たちに贈るという活動だ。

ハンカチという着想が面白いと思いつつ、これは勿体無い、中途半端な活動だと直感した。彼らは被災地の子どもに着眼しながら、全国の子どもが見えていない。以前、気仙地方で、トヨタ系の出資の「夢の車」企画があった。被災した子に「夢」を持ってもらいたいという。大人が勝手に描いた子ども像に、被災に無縁な夢を描かせる企画と、ひどいセンスだと思った。被災地だろうが、被災地に無縁な地域・家族の子が描く車は、質がおそらく大差ないだろう。被災との関係が出れば、その夢の凹凸を大人が扱いきれなかっただろうに。

JAGDAの場合も、被災地の子どもが原画を描き、デザイナーが仕上げる…ここまでは、描く子どもがこの企画の流れを理解しているのかが疑問である。問題はせっかく作ったハンカチを被災地の子どもに戻して贈るというくだりだ。折角、素敵なコミュニケーション・ツールを見出してくれたのに、デザイナーの方が、全国の子どもや支援の気持ちのある大人たちの気持ちを理解していない。この時期、生活再建に動き出している被災地の方々へのつながり方・協力の仕方がわからず、気になるが何もできないと思う状況に、民間交流のカニの穴を開けてくれたのだ。

私は決して非被災地の子どもに絵を描かせて、ダイレクトに東北に送れというような無神経なことをいいたいのではない。大人の理解が浅いところで、子どもに絵を描かせれば、ステレタイプな「がんばれ」「絆」が噴出するだけだろう。

交流集団を大きくすればろくなことはない。相互理解のプログラムを走らせた上で、互いに共通の場で描き、交換すれば、キルトの活動のそれのように、記憶の断片の交換となる。その絵の指導の場面で、技術指導の形でデザイナーさんたちが協力してくれれば、このハンカチ展は、様々な連想企画のバリエーションの枝を広げるだろう。企画力と腕力(実現力)があれば、相互のメッセージが届けられる。

中間支援者とは「火付け屋」だ。時代の要請を読み、様々な参加の可能性のある提案、様々な変容の起こるやわらかさを持った提案を善しとする。

帰りに市社協とサポセンに立ち寄り、サポセンではハンカチの話を伝えてきた。

私が医療保健活動を調べていて偶然得た情報だが、現在は民間交流を進める必要がある時期に入っている。私の検討している医療・保健福祉活動とどこかでつながるかもしれない。サポセンには土台があるのだから、ハンカチに感じることがあれば、活動の網目をデザインしてみたらという意味だった。

私が担う余力はない。ただこれを発火させるには、ゆめたい展・ハスキーズギャラリー展ではなく、旧イオン展やイトーヨーカドー展などの大店舗会の参加促しや、文化会館展示室展の市民行事便乗型だろう。寄付金も企画にひねりが必要。またコンテスト形式をとれば、非被災地の作品も、ステレオタイプを封じることができるだろう。Tシャツよりも、受け入れ易いだろう。

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これからの精神医療・保健生活支援活動を進めていく上で、訪問看護介護の保健師さんと連携していく活動は、民間の社会活動の構想がしっかりしていないと、専門職に連携の必要を感じさせる懇談講演形式の災害カンファもどきは出来ない。今私が再開しているのは、東北の障がい者・高齢者・失業分断家庭の現状を今のうちに、できるだけしっかり把握しておく必要がある。

現地に行きたい。思いがつのる。

NHKドラマ「ラジオ」女川の若者の巣立ちが愛おしい。と同時に、わたしが浜見平と遠藤で流してきた「ミニFM」チャット。あれから20年になる。フレネが子どもが取材で学ぶ姿に着目したが、私が東京南部の塾で行った企画「まっすぐに行くんだ」や、二年半続いた「ミニFM」(これは有珠山噴火のとき虻田町の臨時FMと避難所FMに受け継がれた。)の思いもあって、記者役の若者の変革のツールになるのだと、ぶつぶつ言いながら録画を見た。

コミュニティFMでは大きすぎる。インターネットに音声を載せるのは対象の質が違う、そんな生々しい活動がありうることを語る相手がいない寂しさが、じわりと浮かんできた。引きこもり青年を放送に巻き込んだ活動は、平時には、活動が支えきれないだろうなと思いつつ。


夜間傾聴>ひとり


(校正3回目済み)

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3/25 活動再開/JDF映画「生命(いのち)のことづけ」+障がい者被災救護関係者探し

2013-03-26 06:25:34 | 引きこもり
2013/03/25 記
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後始末のために、東京の小川町でひとと会う。これでおしまい。

停滞していた件で、教材出版社に立ち寄り、横浜へ。県サポで図書の更新。ボラセンには行く気にもならない。寿町で「あしがらさん」を上映したメンバーと接触するために、仲介者に電話打診するが、当事者と連絡がつかなかった。

横浜にいるのならと、有隣堂書店の医学書コーナーで「ノーマライゼーション」誌のバックナンバーを問い合せたが、結果はからぶり、直接注文ルート以外は入手方法がないことがわかった。なんとも無駄足が多い。

通勤混雑が始まる時間に茅ヶ崎に戻り、市社協に立ち寄ろうとしたが月曜日。諦めて買い物を済ませて帰宅。全く何度言ったらわかるのか、母は玄関に鍵をかけて、私の留守中、風呂に入ろうとしていた。転倒したら危ない。そう言っているのに全く頑固だ。これのおかげで長時間、遠出が出来ない。

日本障害フォーラム(JDF)のドキュメント映画「生命(いのち)のことづけ ~死亡率2倍 障害のある人たちの3.11~」(30分)の上映権付きブルーレイは、1万円する。試写会に行ったがピントの甘い即製作品だった。静止画像も多い。これはいずれ誰かが湘南上映するだろうが、「障がい者にとっての震災」が語れる人物を探しているが、今、調整している方はCSWの方で、社会的弱者一般、貧困に取り組んで来た方だから、黒田裕子さんたちのような、阪神淡路の地域セイフティネットの東北版を語ってもらおうと企てているので、医療サイドか福祉サイドの適任者を見つけなくてはならない。この方とタイアップして上映を行うのだ。医療サイドで現場関係者はいるのだが、過疎化・病院統廃合と何日も日をあけて来ていただくことは、茅ケ崎側から見返りが提供できないこともあって、控えている。困った。

今日は横浜国大で陸前高田支援をしているメンバーが講演会をしていたらしい。産業復興・環境整備の関係から支援している方が主催。間際の連絡で、今回のこともあったので覗きに行くことができなかった。茅ヶ崎からは気仙地方の支援はできないのだろうか。明日は、市社協の件と高齢者人材派遣センター関係の用事を済ませて、「災害医療と被災者の保健」の題字作りでサポセンに寄れたら寄って、橋本で確認がとれたら訪問を済ませてくる。だめなら相模原の塾長に感謝し、おごりの夕食。

<気になる記事>

●「カルテや介護記録、ネット共有 気仙沼と石巻」

---- 気になる問題が見える。これは次回に。


夜間傾聴:**子(お久しぶり)

(校正1回目済み)

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3/24 前日の記事に誤りがありました、すみません

2013-03-25 05:21:49 | 引きこもり
2013/03/24 記
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本当に愚かしいことだと思う。しかし、その愚かさが複数重なると、その当事者の目的とは別に、交点となっている私には、別の意味が生じる。直接出逢えば解決していたことも、疑心暗鬼に食われる。私には金銭的な才覚がない。しかし偶然の結果だが、生業の危機は解決した。内容は書けないが、単純なこと。互いのメールが保存されていたこと、臆せず会う事だ。

しかし、我ながら「しょうも無い」なあと、思うことがあった。突然の倒産話の際で、私は生計のことではなく、社会活動がまた中断することへの無念さを脳裏に煮詰まらせていたのだった。

そんなお粗末な内心を隠しつつ、偉そうに双方の早とちりをたしなめて、二度とすれ違いが起きぬように対策を打った。

実はここ数日のブログの書き込みが雑で申し訳ない。3/24の

●「高田小で情報杭建立 情報端末で写真、動画気軽に」(「過去記事検索」より3/23をクリック)

についての書き込みが、記事の内容と合わないことを書き込んでいた。高田小の情報杭「みんなのしるし」は、今後の防災対策の「情報ターミナル」という多機能情報中継点とは無縁の、「震災語り部」つまり「震災モニュメント」なのだった。慶応大学で研究されている「情報ターミナル」は災害急性期の避難諸情報の中継点だと、早とちりしていた。

高田小に設置されたそれは、確かに今後の情報提供技術として検討されているそうだが、コンセプトをまだ整理してはいないようだ。情報杭の慶大型ターミナルの短い批評のつもりで書いていた。問題は記事をなぜ読まずに、慶大型ターミナルと決めつけたのかということだ。正直なところ、戸惑っている。ここ数日の生業の危機に振り回された結果と思われるが、申し訳ない。また前日のその部分は、あえてそのまま残しておく。

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昼過ぎ、今回の関係者のひとりが我が家を訪れた。母を交えて「ずれ」の調整を行ったのだが、出勤は新入塾者の訪問指導を塾長に代わってもらった。火事場の消火後の空白のとき、まとまった話ではなく、「おやつを食べていなかった」というような、日常茶飯事がふいに思い出すものだ。辻堂図書館が17時までだと思い出し、遅れていたビッグイシュー誌配布をするために、辻堂に出た。

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「ノーマライゼーション」誌の3月号が東日本大震災から二年の特集をしており、川崎市立図書館で開架しているとの話で、その部分コピーを入手できないか問い合せた。「それは可能ではあるが、茅ヶ崎市民は茅ヶ崎図書館で申請してください」とのこと。時間がかかるので、おすすめではないとの話。

帰宅後、料理用安白ワインを引っ張り出して、母と乾杯。だが「人間万事塞翁が馬だからね」と私が口をすべらしたものだから、親、説教してどうするんだと、延々昔話を聞かされるはめに。

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<気になる新刊書>

●「地域創造研究叢書 東日本大震災と被災者支援活動」

●「震災日録――記憶を記録する」

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p.s.
4月2日は発達障害の世界啓発デー。一般向けだがまとまっているので、ごらんあれ。

●「政府広報オンライン/特集・発達障害って、なんだろう?」

夜間傾聴:ひとり


(校正2回目済み)

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3/23 横浜「みはらしポンテ」/陸前高田の情報杭方式をめぐって 他

2013-03-24 05:19:56 | 引きこもり
2013/03/23 記
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横浜市中区に「みはらしポンテ(つり橋)」という障がい者の日中活動の3障がい一体サービス提供施設ができる。新山下3丁目あたりらしい。生業の方が山場だが、月曜日(25日)県サポの帰りに回って見てくる。開会式の日のようだ。ちょうえつ災害対策、どのように行っているのかも関心がある。

●「平成25年3月、中区障害者支援拠点「みはらしポンテ」 がオープンします!!」
●「PRリーフレット」

しかし思うのだ。あちこちの団体、後援会等の災害関連企画を見ていると、なぜ安全避難の関連企画ばかりなのだろう。地味ではあるが、被災後の避難所・仮設住宅生活の要援護者の避難生活に対する企画を考えていかないのだろう。どうも活動が啓蒙活動に偏しているように思う。活動の底が浅くなってしまうではないか。

過去の経験が緊急避難法だけに紹介され、被災直後の災害救援・看護介護や、避難生活に活かす論議が関係者のものであって、一般向きではないことを持って無理と断じることはない。

山田町のゲストの話は、応答メールで時期を7月ごろまで延ばした。

震災前の2010年のルポだが

●「反貧困のソーシャルワーク実践―NPO「ほっとポット」の挑戦」

を読むと、これは「社会福祉士(CSW)」さんたち有資格者の活動であるが、相談活動の立ち上げから一気に活動を広げていった軌跡が描かれている。生活困難者の相談ニーズの強烈な背景があることを証明するものだが、時代をしっかり捉え見通しを拓く活動は根を広げることができる。そしてそれが内在する公共性を開花させたとき、活動は推進者の両肩から分かち持ちの形へと移る。

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●「高田小で情報杭建立 情報端末で写真、動画気軽に」(「過去記事検索」より3/23をクリック)

避難所に公共情報の取得ポストを立てたという話。現在は観光案内などに使われているが、これを応用した優れた試み。情報はスマホやPCにダウンロードして使用。この仲介にはICカード型個人医療情報カードとの馴染みがいい。

しかし高齢者をはじめとした非スマホ層のことを考えると、私の提唱しているQRカードの方が使いやすい。情報をDLして持ち帰るというより、そのポスト自身にディスプレーとスピーカーをつけておく。つまり情報はその場で見る。

大人数の滞留が起きると批判が出そうだ。しかし、QRカードに事前に生存表明と送り先を登録してあれば、ポスト側で固めて送る方法が取れるし、個人認証が働くので、個人メールボックスをポスト側に置くことができる。

スマホに入れて持ち帰る情報は、公共の情報で、もともとそのポストに「取りに行く」性質のものではない。メール一斉配信や、避難所掲示板や所内放送によって伝えていくほうが原始的だが伝えやすい。号外形式のチラシ配達ボラ(学生活用など)やラジオ配信の小エリアFM(ミニFM)ボラに任せたほうがいい。ICカードや、スマホ方式は保存性がいいことだ。配食献立とか衣類配布日等情報量が多いときに威力を発揮する。しかし紙メディア派もいることを忘れてはならないだろう。

茅ヶ崎市の行政にはQRカードの利点は伝えてある。ただそれは行政側がQRコードリーダーを持たねばならない。勿論、携帯・スマホでもQRコードは読みとれるのだが。

アイデアの実行速度が被災地は速い。巨大なスライムを持ち上げるような困難を茅ヶ崎はいつまで続けるのだろう。

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父の特養移動が決まった。施設見学をしていたら、職員に知人がいた。以前他の施設でお世話になった方だった。急に身体の力が抜けた。これからもよろしくと挨拶をしたが、福祉の世界は狭い。

今日は訪問指導(JR相模原)と生業の交渉。大きな借金をせねばならないかもしれない。水路は開いたが様子見。新しい墓地の購入は、母が切れたからだろう。なんとも時期が悪い。勝負時が重なった。4月が山。

被災地訪問がまた遠のいた。作ったものが壊れていく無念さを噛み締めている。

夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)

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3/22 年度替わりの停滞の中…

2013-03-23 05:17:59 | 引きこもり
2013/03/22 記
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仙台市が3/18日付けで、東日本大震災についての全資料をまとめて公開した。本にして7百数十頁、PDFファイル総計80MBの量となる。取りあえずDLしたが、国への援助要請の基礎資料とすることと、仙台市の復興の中・長期計画を立てるための出発点を整理したということなのだろう。内容吟味は、とりあえずペンディング。

●「東日本大震災 仙台市 震災記録誌-発災から1年間の活動記録」

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岩手県医療審議会が精神医療とくに高齢者の認知症を意識した計画なのだ。過疎・高齢化・無医化が進む地域の対策を織り込んだ。これは答申を読む必要がある。

●「精神医療など整備へ 次期保健医療計画を答申 岩手県医療審」

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朝から慌ただしい一日。相模大野校で昼食をと、近くのバス停からバスに乗っていた車中で携帯が鳴りだした。特養からだった。男性入所者が退所したので、来月から入れるというものだった。健康診断を受け、証明を取ってくださいというものだった。

相模大野校に欠勤の許可をもらい、老健で調整。いよいよ特養入所だ。

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サポセンにロッカー利用申請(継続)をしにいく。サインを求められるが、書類がところどころ霞んで見えない。視野検査で中央部分の視神経の濃度がますます薄くなり、左眼の外周部、右眼の中央部の大きさが変化していた。字の見える位置に眼球を動かして書面を書くとき、以前と違う距離感を保たねばならなかった。左右が違うので紙面が二重に見え、片眼で見た方が楽だった。書くときは紙面が固定する。微妙に紙面を動かせる「文を読む」ときと異なる違和感。そういえば「ペンで字を書く」という場面は少なかった。キーボード操作や、ホワイトボードペンで書く以外は、機会があまりなかったのだった。

書いている最中、**さんが今後の領収証に途中まで書いてある特別の自作領収証を使うと速いと、外枠をくれることになった。目の調子が悪い私にとって助かる話だったが、「あれ?なんで」とサービスの良さに、逆に居心地の悪さを感じてしまった。全く素直ではない偏屈爺ぃである。

サポセンで、いくつかのタイトルを作って帰る予定だったが、気分が落ち込んで、宿題は家に持ち帰ることにした。

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年度替わりは、忙しい割には、ことが停滞する。職業の違いも露骨に出る。私はこの時期、教科教育系と社会心理系の研究会の外野席が空いているぞという連絡が入る。ところが、塾屋やその他もろもろの仕事や活動は、始めで終わりのような非生産的なことに振り回される。行政や会社関係も人事異動があるから、この時期にことを進めると、4月以降にもう一度やり直さねばならない事態になる。だから来年度の準備に集中したほうがいい。

予備校や塾は春期講習で生徒集めにフル回転しているが、爺ぃは事情のある入校希望者の事情相談に回る。しかし、ほとんどが待機だ。研究会に出て、今回は「被災地の高ストレス下、発達障害を伴う若者の現場情報」と、分野からは番外編になるが、「高齢者の孤立に対する手立て」の意見を求めたいと思っていたのだが、今年もまた日程があわない。

帰り道、近所に桜が咲いているのを見つけた。言い方を変えれば、桜の状態に気がつかなかったのだ。忙しさではない、これからの方向に気が取られていたのだ。生業が決して順調であるのではないが、社会活動の実現打開策のことだ。

山田町のゲストの件は、返事を送らねばならないタイムリミットだった。第3回の++さん招待の件も、東日本大震災の退潮後の的確な被災地連携活動を作る上で大切だが、災害ボランティアが生活支援活動をどう実現していくかという発想を、共有できていない方が圧倒的な状況で、知名度の低い現場の方をゲストにする難しさが、先方の予定とともに,厚い壁となっていた。勇み足か、それとも時期遅延と時間を稼ぐかだった。

JR茅ヶ崎駅駅長さんとの懇談実現は、公的協力がないと難しい。結局、お百度参りを踏まねばならない。これは実行する。

さてどうする。時だけが流れていくのを無理やり、飲み込んだ。


夜間傾聴:なし


(校正2回目済み)




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3/21 セミナーのコンセプトが固まってきた/凍える言葉を抱える時代体験と

2013-03-22 06:36:08 | 引きこもり
2013/03/21 記
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セミナーのコンセプトがだいぶ固まってきた。役割は大きいが、その評価を果たして関係者がしてくれるか、ともあれ企画書を4月に持ち込むつもり。狙いなどの外郭は提案者の仕事だ。「すべて私が決めてしまい、やるかやらないかと迫っている」つもりはない。イメージが伝わらなければ、説得はできない。しかし提案は必要性と実現可能性の概要を指し示さなければ、プレゼンにはならない。求めているのが共同推進者であって、協力者に相手を押しとどめるものではないからだ。これから追加していくコンテンツは事例であって、外枠の評価とともに、対案をもとめ修正を加えていく。

あれこれ書くよりも、通信のメインタイトルを載せておくのでご覧あれ。

はじめは「被災者ケア・スタディーズ茅ヶ崎通信」としようとしたが、説明が面倒なので、いかめしいが「懇談会」を使うことにした。主催に「支援」がつくといちゃもんがつきそうだが、態度を明らかにしないのが公平なのかと問う。

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昨日は墓參の帰り、塾に寄る前に、近くにある社会活動の挫折で命を絶った友人の墓にまわった。墓参は寄り道禁止をいう宗派が多いが、私はどのみちろくでもない人間なので、人倫に反しない限り、自律基準に合致すればやる。

彼のご両親は亡くなっているだろう。すでに40年を経ている。しかし墓には生花があった。姉さんが受け継いでいるのだろう。彼の好きな煙草の燃えかすが落ちていた。

しかし、遠くまで来た。団塊の世代ではないが、彼もまた語れない世界を抱えて、言葉を失って三途の川をわたってしまった。墓苑が閉まるので、ゆっくりもできなかったが、わからんちんと話すより、よっぽど話が通じると思って気がついた。彼と別れた時に、伝わらないからこそ、対話には意味があるのだと言っていたことを思い出したのだ。お前は馬鹿だと言って手を合わせてきたのに、凍える言葉にまだ振り回されている。

あと20年かな、30年かなと言いつつ水をかけたが、冗談ではない、いつ私の思いが絶たれても受け止めていかなくてはならないのがひとの命だ。いつでも首は洗っておく、それが矜持だろう。

母に準備しておいた「ほうとう鍋」を作って、遅い夕食を食わせた。時間が経ったまずい幕の内弁当をつまんで、「ほうとう」とわねと、使い古された冗談をつぶやいては、一日を終わらせた。塾長との缶ビールが誘い水になったか、酒が欲しかった。


夜間傾聴:なし


(校正2回目済み)

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3/20 墓參、とことん切れ目が見えてくる行事

2013-03-21 06:13:50 | 引きこもり
2013/03/20 記
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母方の墓は親戚が高齢化し、子どもがいない。以前は山の斜面に作られた急な階段の多い墓地だったから、母には無理だった。今度の墓地は、階段ではなく坂なのだが、かなり歩く。車ならすぐ近くまで上がれるのだが、田舎なのでタクシーが捕まらない。結局前と同じように私だけ、あるいは弟とふたりで行くことになる。

今回はひとりだ。父方の墓參と重なったので、弟夫婦はそちらに行っているからだ。今度の墓地は見晴らしがいい。しかし山の端は黄砂に霞んでいるのか輪郭がぼやけていた。

しばらく墓の前でぼんやりしていると、いろいろなことが蘇ってきた。親族のことも強烈なことが続いたが、妻のこと、白血病で亡くなった塾生のこと、死に急いだ友人や私の師匠のこと。そして心の病から境界を超えてしまった若者のこと。私にとって墓參は親族との心の再会にとどまらず、黄泉の彼方に去って行ったひとたちとの再会でもあった。

戦争がそうであったように、災害がひとの命を寸断してしまうことが、その不合理をなおさらかきたてるように、エピソードのある死のあとに湧き上がってくる。3.11のとき、おい反則だろうとつぶやいた私の不釣合いな言葉に、自分自身が立ち止まる、そんな情の盆からこぼれ落ちる事態に立ち尽くしていた。その緊張が蘇ってきた。

母はきっとその感覚がけしからんと怒るだろう。親族の墓の前で、「よそ事」に思いを巡らしていることにだ。母は故人に思いを巡らし、私は死に眼差しを向けている。

罰当たりなのかなあと思いつつ、清掃のアルバイトをするかのように雑巾で墓を磨いた。

父方の墓參は私にとって針の山だ。平凡に生き、家庭を築き子を育てるそのことから外れた単身者は異端でしかない。親に背いて結婚し、祟りか妻と尋常ではない「死去」という別れをしたことや、父の家族観からの介護協力拒否に反発して、年寄りだらけの家族の介護と自由の効く塾経営をしてきたことが、親戚からは普通ではないと排除されてきた。だからなおさらに、「普通」に抑圧されている方に肩入れしてしまうのだろうと思っている。しかし間違っているとは思わない。

3.11の活動の中でも、家族の絆と合唱されたとき、単身者は言葉を封じられる。家族の情を否定しているのではなく、自分の生を全うしていく中に、断ち難い形で他者は現れる。私のこの掌も社会がもたらしたものだが私のものだ。私の思いもそれを表現している言語も社会的なものだ。そういう世界の中に親がおり、連れ合いがいる。それを屁理屈というなら、人の生は屁のようだ。

バスの時間はまだこない。休憩所で軽食が食べられる。大きな長いテーブルに向かい合って席が並んでいた。席を選べるような状態ではない混雑なので、隅にすわって、きつねうどんを待っていると、若夫婦が目の前に座って居心地の悪い顔をして、周囲の空席を探していた。うどんが届き、私は「お先に」と挨拶して食べ始めた。すこしほっとしたのか、私の目の前で、寿司折を開けて食べ始めたが、早く食べ終えてくれとばかりに視線を送ってくる男に、「気になりますか」と聞いた。うろたえているので席を立った。帰りに塾長と喫茶店で会ったが、「そりゃ独り者のひがみってものだよ」とたしなめられた。

久々に缶ビールを飲んだ。酒を飲んだのは、湘南子どもネットワークの打ち上げのときからだから10日ぶり。年数回のこと。確かにお彼岸、先祖の墓の前で、震災のことに思いを巡らせているなんて、無粋ではある。

夜間傾聴:ひとり


(校正2回目済み)

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3/19 社会活動を立ち上げるとき/「セミナー通信」発行にあたり

2013-03-20 05:57:56 | 引きこもり
2013/03/19 記
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先週の白金の学会でラブコールを仲介してもらった**さんからメールがあった。「茅ヶ崎に%%という団体がある。紹介するから、連絡を取るといい。」という内容。2つ団体が書いてあり、両者とも私が古くから接点を持っている団体。

「そのことを調べるなら、地元に図書館があるから本を借りてくるといい」というのに等しい「いろはの"い"の字」の話だった。「市民活動サポートセンターがあるから、募集チラシを貼ればひとは集まるよ」という話とでもいうか、それは間違いではないが、そのレベルのアクセスは何十年とやっている。そこを如何に超えるかというところが問題なのだが、その壁のことを**さんはわからない。

この前、私は新しい活動が生まれていく道筋にはふたつあると説明した。ひとつは自分のもともと所属する母集団があって、新しい活動の中身とはあまり関係なく、「++さんのお手伝い」というようなひとのつながりから始まり、生み出され外部を取り込んでいくという活動のつくり方だ。もうひとつは「このゆびとまれ」型というか、主旨が全面に立ち、共感するものが結束していくという、今ではオンライン型の活動だ。

この後者については、たとえばサポセン現場では、チラシをメールボックスに入れたとする。それは数ヶ月経ってもそのままということが多い。ポスターを貼ってもその問い合わせはない。見るのは少数の人間だ。市の広報は登録団体ならば頼むことができるが、それを学生層の募集に使っても、効果はない。

私は東日本大震災以降、そのの関連活動の募集チラシを茅ヶ崎駅頭で何回か行い、朝夕の通勤客ではなく買い物客と高校生に渡すということを繰り返し、地域投函を含んで累積6万枚は撒いている。その場で私に声をかけるのは、関係団体所属の方が圧倒的で、おばちゃん、たまに高校生というところで、スーツ姿の通勤客と学生は皆無に近い。その声をかけてくださった方に私の電話番号と集まりの日程を伝えても、それ以降の反応は全くない。募金や署名活動のような場合は、その場の協力は得られても、そこで関係は途切れてしまう。つまりオンラインのしかもアクセスの多い場で表現を行うような、場の母集団が大きいときに、共感の発火が起こる。

つまりオフライン、地域社会で社会活動を行うときは、前者、もともとあった所属集団から核が生まれるということが決定的に影響力がある。しかし、例えば差別や個的体験の課題の社会サポートを求める場合のように、従来の「縁」を一度断ち切ったところからスタートさせる活動を生み出すときは、呼びかけへの共感を得やすい中身と、お試しステップが見え、見通しが情緒的であろうと感じられ、そのあとに重要性がついてくる。この課題を一緒に考えていこうという提案は闇の彼方に消える。

出発点を明示しても、例えば「ホームレスへの津波避難警告巡回を」としても、なかなか人はあつまらないだろう。レッテルが貼られている上に、実情を知っていなければ人は動かない。それなら気づいた者がまず動き出すこと、結果的にあいつにやらせておけばいいという発想を含んで、空転は活動の前提と割り切って動き出すべきだ。これがなければ、何も動かないだろう。

**さんは、某大学の講師だ。彼にとってみれば、学生の協力が得られないということ自身が通じない。私が私塾を運営していた頃や、教科研究団体に所属していた頃と、明らかに違う。遡って学生時代にあれこれ社会活動に飛び込んだとき、それは実に容易だったことを覚えている。私が教育活動をしていた頃は、その団体の一員という手がかりから、私は取り敢えず次の場を得ていた。つまり参加の仕方の前者に含まれる。ところが所属団体が一般的なものではなく、目的の立ち上げたい活動とは領域が違う爺ぃのとき、初対面団体は、かきまわされると思うのか、面倒と思うのか丁重に門前払いしてしまう。

私は2000年に交通事故入院二年を経験し、活動の場面では一度死んでいる。だから生涯通そうと思っている活動と、ひとの深部に通底している活動に絞って活動をたててきた。このことは人類が死に絶えてもやっているのではないか。冗談だが冗談ではない。つながり方の前者、意識・無意識を問わず、人脈から活動をたてる方法は、茅ヶ崎は固着しているので、外側にいる私が提案する活動にはなじまない。

やりたいひとがやる・個人は拒否権を持つ

これが「このゆびとまれ」式の限界承知で、活動時間がこれ以上わりふれないと判断して突っ込んでいなかったオンラインの活動にも踏み込んでいく。

「防災・保健医療セミナー通信~専門職と市民団体の協働を(仮称)」

を新年度から発行し、手渡していく。記事寄稿依頼を含んで編集する。これがセミナー開催に加わった。

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明日は新しい墓地に墓参する。

気分からすれば、祈るべきことは別のところにあるのだが。


夜間傾聴:ひとり(単身生活を始める不安相談・PSWの友人を紹介した。)

(校正2回目済み)

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3/18 網膜色素変性症の視野検査を済ませ、寿町へ

2013-03-19 05:07:37 | 引きこもり
2013/03/18 記
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慈恵医大病院に行って、予約なので気が乗らない視野検査を受けてきた。それは汚れたガラス窓から外を見ているような右目の視界が、明らかに曇りガラスに変わってきているのがわかるからだった。

検査の結果、視野中央部の残存視細胞が死に、その影響が出ているんではないかという。低高度の日射(朝日・夕日・冬日等)や、光軸をあげた車のヘッドライトの光で、ひどいハレーションを起こしてしまうのは、水晶体・硝子体の濁りによるものではなく、網膜上の問題だという。進んでいない左目も、視野が一部欠けてきていた。

いずれは失明するのだが、それまでの期間を長引かせることはできる。しかし眼底の血流を増やし、眼圧を下げる昔から緑内障に使われていた平凡な薬品を使い続ける以外なかった。

今回はふたつ。ひとつは研修医の女性が同席していたこと、もうひとつは、手帳保持者宛のアンケートがあったこと、ここがいつもと違っていた。

杆体錐体ジストロフィーは…という説明が続くので、私は網膜色素変性症の診断を受け、しかし典型的な色変ではなく非遺伝性という更に症例の少ない状態と説明されてきた。それは違うのでしょうか、それとも網膜色素変性症と杆体錐体ジストロフィーは、言い方が違うだけなのでしょうかと質問した。途端、診断が違うということは大変なことでと慌ててカルテを探り始め、杆体錐体ジストロフィーはiPS細胞治療が数年後に確率が予想されると言い出した。

まず定義だが「難病センター・網膜色素変性症」にあるように、杆体ジストロフィーや錐体ジストロフィーは、網膜色素変性症の一部であって、手術のための細胞可視化技術や、再生医療技術が黄斑変性症の治療研究(症例が多いため)から確立の段階に入っていることを医師は説明した。

どうせ治験段階とか高額医療対象なんでしょうと私が問うと、還付があるでしょう?と応答が返ってきた。レスキュラ(現在の降圧点眼薬)の新薬がでたと聞きましたが、治療技術に変化はないのですかと医師に質問をぶつけた。私の真似をして眉間に縦縞を寄せ、ばたばたとカルテを探り、日本の認可まで時間がかかるからと応答があった。レスキュラは降圧剤としては古い。しかし他の降圧剤と違い眼底の血流増加効果があるので、網膜色素変性症の治療に使われる。すでに4年目、これもまた闇の中なのだった。

突然私の職業を問われた。軽度の発達障害や精神障害がらみの低学力を一因とする、ひきこもり青少年の学習指導をしている講師だというと、うちの子も低学力なんですよと言い出した。研修医を意識しているので、私はある網膜色素変性症専門医が診断したが、不誠実で患者で遊んだので、学会のつながりのない++医師を頼んだ。事情を聞いてその医師は慈恵医大のあなたを紹介した。大学病院は、開業医と違い診察をなかなかうけられない。実際次回は一年後だ。中間の薬を得るときは、他の若い医師が臨時担当する。だから患者のご機嫌取り会話は、やめてくださいと言い、はじめの診断をした##医師と同じ顔をしていますよと私がいう。研修医が笑い出し、怒り出した。起こったのでまた来ます。いなしたら、やめるところでした。今後も専門医としてお願いしますと挨拶をして、診察コーナーを出た。

アンケートには、こうあった。「20年後まで生きられるとして、そのときあなたは、新しい医療手術を受けますか。」自由記載ではなかったのが残念だが、もし自由記載なら「担当医の信頼度に寄ります」と書くだろう。結局はそkなのだから。

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寿町のLプラザに立ち寄った。S君の件ではないのだが、用事をすませて、S君の担当者とあうつもりだったが、あいにく席をはずしていて会えなかった。

今年は職場見学に参加しなかったが、そこで障害者就労関連関係者と同行することがあった。その方と話して、風が強まる中、ビッグイシュー関係者に会いに寿町に足を向けた。こちらもお留守。今はまだ横浜駅で販売しているということで、急遽横浜駅で彼を発見、同誌を買った。

パーソナル・アシストが3月で廃止になるという交代は、政権が安倍政権になった結果だという。いやな情報だった。

根岸線を使って大船経由で帰宅。

少量の「ふきのとう」を入手。下仁田ネギと生食ちくわを塩麹と生姜で炒め、別途「ふきのとうの天ぷら」、豆ご飯という組み合わせを出したが、母はダンピングが始まりそうと、中身も見ずに寝室に。虚しい。

食事後、座っていられない睡魔に襲われ1時間仮眠。
発達障害者被災時避難生活状況の資料を発見、問い合わせのメールを出した。

生業の方をやっつけて、明日は何もなし。山田町から応答のメールあり。うまくまとまったら、JDFドキュメンタリー映画「生命(いのち)のことづけ ~死亡率2倍 障害のある人たちの3.11~」と組み合わせて障害者被災の講演と映画の会の骨格を作って、呼びかけを始める。


夜間傾聴:ばてているので、中止。


(校正1回目済み)

p.s.●「ドキュメンタリー映画 仮設サイト「生命のことづて」」
  ●「ドキュメンタリー映画「生命(いのち)のことづけ ~死亡率2倍 障害のある人たちの3.11~」完成のお知らせ」


以上

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3/17 切れ味悪い提案ですが…

2013-03-18 06:05:15 | 引きこもり
2013/03/17 記
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3日間続きの大会プログラムの最終日、私が覗いてみたいと思っていた分科会が参加出来ない日曜日にあった。テーマは「東日本大震災における中・長期的支援の方向性」だった。仕掛人は東北勢。「ケア宮城」の活動から見通すという点に注目した。子どものケア活動で教委参加の活動だが、具体的な資料が比較的多いという。資料は後日入手できるが、首都圏アクティブの参加者と出会いたかった。しかし、そこまで仲介を望むのは無理だ。

マスコミなどでも「医療看護・介護の保健活動と、生活再建」の重要性は指摘されているけれど、なかなか中・長期支援の形を指し示す実践事例が紹介されない。問題はプライバシーと薄皮で接している領域の活動を含んでおり、ましてや現地滞在型活動以外、接点が取りにくい。しかしこのことは、湘南で被災したとき、同様の状況に放置されることになる。自主自立も手がかりがあってのこと、高ストレス避難生活・生活破壊からの再建生活、家族の危機という事態は、深刻さを増しており、このまま無視していい状態ではない。

コミュニティ論からの試みもある。しかしそれは、地方のモノカルチャー的地縁血縁生活集団のいわゆる「地域の絆」を無批判に当てはめるものであったり、治療の必要性の枠内の共助集団だったりするために、ひとの情念、特に多様化した生活を送る都市型の孤立した者のつながりのニーズに応えられていない。

その意味で、どこかに非被災地からの連携活動は、切り口を民間交流、特に徹底して私的な交流を拓いていく道を考えたい。陸前高田の広田町復興に関わっている三重大生物資源学部准教授勝川俊雄氏の指摘にもあるように、市町村委託の「民泊」からの交流、日常生活交流の糸口作りなどが、その切り口のひとつとなるだろう。年賀状・暑中見舞いや、消息交流の電話など家族付き合いから始めて行く手があるだろう。民宿としてしまうと被災者家族の負担がかかる。だから短期ホームステイということで、行政が委託する形を考える。継続的な収入源にはならないが、ひとの繋がりを得る。

福島の遠方に分散避難をしている避難者支援を地元で行う等の活動がある。

しかし、孤独死であるとか、過疎化・高齢化・無医化に対する生活防衛支援では、従来の産業復興支援や就労支援と併存して、日常生活の場面支援、往診奨励・地元タクシー組合と連携した緊急通院交通費保障のような大きくは、災害弱者への具体的支援(例えば「今回は大槌町立特養**ホーム支援」というような)が当座の流れかもしれない。これには、支援側がオンライン支援のような大きな集団の中で検討される方向だろう。誰かが現地の実情を常に公正なレポートをしてくれる方がいる。

大船渡のさんさんの会の活動のように、宅配弁当サービスを通じた仮設高齢入所者の健康チェックと組んで、週1特別弁当プレゼント資金を、ターゲット地域として長期提供募金したりというような(苦しいが)試みを行う方法もある。

いや、すっきりしない。

これは、

以前の地縁血縁ご近所付き合いコミュニティ
避難生活のための仮設コミュニティ
復興住宅入所後の自治会的コミュニティ

これが1本、連綿としてつながっていくのではなく、作っては場面変化に伴い解体再編という被災者の所在のなさが、自体を悪化させている。

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「連続セミナー」作り呼びかけを作っている。風通しのいい自主学習会のようなもの。「医療看護・介護の保健活動と、生活再建」関連のゲスト懇談を個性とするケア関係者の不定形の会だ。

今日はこれから、慈恵医大眼科で視野検査をする。右目が明らかに悪化していると取るか、左目の停滞を善しと取るか。

寿町Lプラザに寄ってから暴風雨になる前に帰る予定。橋本訪問学習中止。

夜間傾聴:橋本2君
     ひとり

(校正1回目済み)

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3/16 医療・生活支援活動の協力者探しに

2013-03-17 06:31:29 | 引きこもり
2013/03/16 記
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白金の学会は日曜日まである。庭手入れの母の抵抗で出発が遅れたが、知人とコンタクトがとれた。しかしパネルと分科会チェックが厳しく、しかし間接的に2つの分科会資料入手とパネラーへの連絡ができた。

ひとつは、ひきこもり青年の関連実践をしているサポート校(埼玉)の団体との接点作りがあった。就労支援を熱心にしている団体で、私の知り合いの古い支援団体を介して、打診を試みていた。時期をみて見学させてもらうつもり。

もうひとつは授業実践だが、身体的な共感プログラムが自閉症の子の発達にどう影響するかという話。もうひとつは東日本大震災後の子どもの心の教育現場からの実践話。画期的なものは期待していないが、テーマが昔の焼き直しではないのが救い。

画期的といえば、いや衝撃的というべきか、河北新報が仮設入居者の宮城県調査の一部を記事にした。私たちはただ手をこまねいているだけでいいのか、ではどうすればという問いを、目の前にたちはだかる壁のあちこちを叩いているかのように、被災地に滞在できぬ者のなしうる手立てを考えている。東北の被災者を放置・教訓化して地元防災でお茶を濁していていいのだろうか。以下の記事である。

●「「重症精神障害相当」1割 宮城県が入居者健康調査」
●「狭い仮設暮らし ビタミンD欠乏「運動機能低下」65%」

この支援は、医療看護介護の専門職との協働から始まるように思う。教育系の者は関連付けにくいのだが、この一年、孤独死だけは防ぎたいと願う。

日曜日は大会に参加出来ないが、後日情報をもらうつもりでいる。

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**子の誕生日、大台にのったかと感無量。そう書いたので、明日は「感無量」の意味調べ長文メールが来るだろう。小川町の教材屋に挨拶に行ってから、財布を眺めて直帰。連続セミナー貯金を始める。

下仁田ネギをいただいた。焼きネギして梅干を刻んだもので軽くあえても美味しい。母のおすそ分けのつながりは、後が恐ろしい。

夜間傾聴:ひとり

(校正2回目済み)

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