湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネの地域学習活動・就労支援活動の実践試行を書き溜めていきます。

7/30 糖尿病治療薬の治験の騒ぎ/被災者の日常生活支援への構造転換と私の活動範囲

2011-07-30 15:04:06 | 引きこもり
2011/07/30 記
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昨日は朝から糖尿病治療薬の治験に参加していた。医療用市販薬の相互作用の検査なので、その都度の環境や体調のメモが必要とされるが、面倒くさい。毎食前の薬があり食後の薬があると、一日中薬に振り回されているような感じがする。朝、私は必ず排便があるが尿検査があるので、尿は我慢して医者に行かなくてはならない。前日21時以降の食事禁止は慣れたが、家で採尿させてくれればいいものを、錠剤やカプセルの空包装紙も回収となるような妙な管理が入るので、医者で採尿しなくてはならない。

ところが医者のトイレでは尿が出ない。水をあおって再挑戦するが出ない。血液検査などを済ませたが、出ない。医者は12時で休憩に入り15時まで休みとなる。食事をしてもすぐならば採尿可能ということで、場所を駅ビルの障がい者乳幼児用トイレに移して延長戦となり、えらい目にあって尿を採った。

相模大野校の授業の方は治験と重なるので休んだが、午後から橋本で個別指導があった。これは夜に移動させてもらった。診察のとき、依頼した東部病院の24h心電図検査の結果が届いていて、波形にびっくり。あなた、死んでますねと医者。汗で肌に取り付けたセンサがすぐにとれてしまうのだ。波形は一直線。残りは震災時の地震計の波形のように無茶苦茶。検査不可能ということでとりやめとなったはずなのに、結果が出ていたのだった。8月1日が胃癌の検査である。母の強い要請があったからだが、通院が日課になる年齢の招待のような気がして、今回の騒動は、たまらなかった。

午前中で終わりの予定の検査が13時半まで延長ということになり、急に空いた時間帯を使って、父の入所している老健に行く前に、サポセンを訪ね、買い物をロッカーにいれて議員を訪ねた。陸前高田・大船渡の企画の件である。第一の企画は同業者組合の話にかけられたが、県の関係者が入っているので、県の会議待ちになっているのだろう。結果連絡はまだ入っていなかった。

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サポセンはまた空振り。話を持ちかける相手は小田原に飛んでいた。今回の提案は「避難生活の継続支援」に後方支援をシフトしていく切換の提案だ。しかし、その状況認識は一般化しているわけではなく、地元に復興を委ねるという形で退潮が始まっている風潮の中で、意識あるものが現地に応援にいくという形に活動が閉じ始めている状況にある。長期滞在型の現地ボランティア以外、被災地の状況打破につながる「絆」は情緒以外に実質を持たないのだろうか。奈良のMLでは、被災地の地域差が取り上げられていた。現地に行ってその茫漠のした被災現場のがれきを撤去していく蟻のような作業には耐えられても、がれきを山と集めて、がれきから炊き出しへと移ったという経験者もいたが、山のがれきは重機が搬送するので地元業者の仕事であると、仕事を取るなという批判を受けた結果だった。こういうよそ者批判は耐え難いものがあるという話だった。それは思考の硬直化でしょうという私の指摘は、またかいなと無視されて、どんな状況にも目的を粛々と遂行する奉仕の気持ちを忘れているという論議に流されてしまった。しかし被災者と手を結ぶ私たちのなしうることは、労力奉仕や物資提供に終わるものではないはずだ。その「絆」を「避難生活の継続支援を軸とした生活再建支援」活動に込めて、その先の芽を見通していく必要がある。

それを誰に語り湘南で手を結んでいくか、そう考えると、媒介にする活動が必要だが、それ自身をどう立てていくか、粘らなくてはと思う。

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父の老健についたころ、ぱらぱらとにわか雨が降りだした。父の好きな煎餅を近くの雑貨を売る薬局で買い求め、老健に飛び込んだ。クリーニングと衣料貸与は外注なので、その料金は講座引き落としではなく、毎月支払いをしに行かなくてはならなかった。支払いを済ませ、認知症フロアに上っていくと、父は広告の紙を丸めて棒状にする手作業集団の中にいた。作業するわけでもなく、ぼんやりしていたが、近づくと私に手を振った。

その作業指導に区切りがつくまで、フロアの職員さんと話をしていた。被災地に行ってきた話をすると顔がほころんだ。私は東北の出身なのですという。出身地を聞く前に入所者さんの用が割り込んでしまったが、細い糸でつながったように思えた。「絆」の始まりとはこんなことなのだと思う。

車椅子に乗った父を玄関フロアまで運び、煎餅を食べさせながら話をする。耳がいっそう遠くなったので大声で話さなくてはならない。家ではこのとき、父と私の発語のタイミングが重なり、互いに短気だということがわかったが、ここにいる父はすべてを投げ出している。質問には明快に応答するが、中身がはずれている。その奇妙なやりとりが、少し離れた事務室には筒抜けである。冗談を入れても父には通じない。事務室からくすくすと笑い声が聞こえる。なんということもない近況と母の通院話をして、父をフロアにもどして老健を出た。

父は七夕のスナップ写真を焼き増ししてもらうのだと言っていたが、これは勘でしかないが、職員が話題のつなぎに使った言葉を復唱しているように聞こえてならなかった。小さな声で、それって「葬儀用の顔写真」だよと言ったのだが、事務室は咳払いとともに急に冷えていた。当たりなのだろうが、禁句なのだ。父は掃除は朝やってくれるのだとわかっていなかったのが幸い。しかし、バス停で帰りのバスを待つ間、大粒の小雨がぱらついても傘をさす気になれなかった。

被災地を歩きながら、生活の痕跡すら押し流された街と被災者の足跡を思った。しかしそれも、社会の中では集団に所属しない者の思いに通じる感覚に通じていた。

平塚で買い物を済ませ、平塚の市民活動センターに立ち寄った。父の老健詣の帰り道に立ち寄るコースになっているようでもあった。

被災地の復興に熱意のある業者を通じたサービスのギフトと、その架け橋を通じた直接民間交流の絆作りの形を話すと、平塚の災害ボランティアの壁展示写真を
見せてくれた。私がへそ曲がりなのかもしれないが、お祭り型の支援で元気の出る方は、もともと元気のある方で、私は黙っている方のほうが心配でならない。元気は抑圧に転じうる。つぶやきを消してしまう力もある。だから、私は淡々と続いていく日常生活と生計につながるもうひとつの活動を作る時期に来ているとなおさらに思うのだ。保健師さんと話したときの人手不足のため息も、ボランティアへの諦めが込められていた。昔の映画の題を思う方は私と同世代だろうが、「被災地から遠く離れて」である。そのため息に別の視角の絆がつくれないはずがないのだ。しかし、捨てたものではないといいきれないで受け止めている私がいた。

だから平塚の**さんには申し訳けないのだが、壁の写真は私の胸を打たなかった。

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茅ヶ崎に戻ってある議員さんの事務所を訪ねた。ペットレスキューの講演会に参加してくださったのだが、当日の参加者は私の直接応答した方がひとり。(これから「わーく」のペット新聞作りの編集員となる)**さんが仕組んでくれたらしいタウンニュースを見た方がふたり、市議団のポストのチラシ投函から参加された議員さんと、動物と街づくり関連のが3人、自閉症の関係の知り合いの方が1名、そしてこの議員さんと、私と講師。これだけだったことや、湘南あすなろ会の活動休止のことを踏まえて、それに加えて新しい活動提案をする私に苦言を語ってくださった。

被災地大船渡でその避難所の生活のお世話をしていた方が、実は東京のホームレス関連の支援団体の「もやい」の方で、社会的弱者への眼差しは、ホームレス支援も、被災者の支援も、困っている方に協力する意味で境は無い。しかしことを解決していく意味で、見え方(領域という視角)は様々となる。活動は活動参加者、私なら私が継続して担っていくものだが、

1)不登校・引きこもりの若い子達の(特に障がいを抱える子の)支援
   *「わーく」編集部
   *被災地の犬猫の飼い主さんを支援する湘南の会準備会の通信編集担当
   *訪問学習カウンセリング
   *夜間傾聴
   *就労支援(ハローワーク付き添い・専門学校進学相談等)


2)湘南あすなろ会
   *無業者化した軽度発達障がいがらみの方の就労支援
   *ビッグイシューの定価購入による愛読者サービス
   *砂防林パトロール参加
   *寿町訪問行事参加
    …以上は個人参加、会自身は定価購読以外は休止。

3)発達・知的・精神の領域にまたがる障がい者の就労支援
   *湘南オンラインフレネ(研究活動)
     携帯電話副次機能利用によるスキルアップ
     社会的企業の地域展開と社会参画型就労の研究
     障害者雇用部会等への参加
   *被災地の犬猫の飼い主さんを支援する湘南の会準備会の飼育協力担当

4)災害ボランティア(個人的に推進する活動)

   *「あしなが基金」などの巡回募金協力
   *被災地の犬猫の飼い主さんを支援する湘南の会準備会の運営
   *他2団体(文字放送関係/支援金作り)

5)災害ボランティア(中間支援者として)
   *被災地の業者経由のサービスのギフト活動
     地元専門職の店の再開を見通した被災者支援
      中小企業家同友会・市民活動との連携
…軸は同業者組合と市民活動の間に立つこと
     被災地仕出し屋さんを通したメッセージ付半調理食材の配達
     (孤立化防止策のひとつ学生との連携=第二企画=)

以上が私のいわゆる社会活動の範囲だが、5)は、私はおまけ的な参加となる。活動形成は私が主だが、それは同業者や賛同者の活動に、または学生さんの活動に、古いたとえで言えば大久保彦左衛門的係わりを行なう活動にしていきたい。虫がいいか。しかし可能性のある活動を提案していくのが中間支援者(活動作り屋)の仕事だ。ここは自分のホームグラウンド( 1)・3))とも違う世界だ。

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お祭りではない民間交流を組織していくことは、現在の災害ボランティア活動を否定するものではない。その欠点を補完する形で、日常生活に組み込まれるような支援を組織することだ。流されても構わない。私の足跡はここにつけるべきと考えている。特別な意志を持つ方の厚意に任せるのではなく、その世界を皆の参加しうる形へと練っていくのが中間支援者の役割である。

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東海新報の編集長か開業を目指すサービス専門職当事者の方を秋に湘南に呼べないだろうか。謝金を除いて最低4万円はかかる。今後の災害ボランティアの活動の方向を示す会にできるだろう。詰めてみたい。また空転は覚悟の上の話だ。


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相模線の車内で初めて帰りの車中で終点だと起こされた。右目だけ空いていたとか。網膜色素変性症にそのような話は聞かないが、背筋が寒くなっている。


夜間傾聴:旗の台君(仮名・お久しぶり、傾聴にあらず/お料理指南感謝)
     橋本2君(仮名)


(校正1回目済み)

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7/29 被災地の生態系のメモ/茅ケ崎の同業者組合支部の役員さんと話し合って

2011-07-29 09:34:40 | 引きこもり
2011/07/29 記
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私が岩手にでかけたレポートを、あるMLに流したとき、私の気になっていたことが、他の被災地でも見られていたことのようなので、記憶の断片であるが書いておく。

それは大船渡の氾濫した入り江沿いに港湾方向に歩いて、がれきの撤去も進んだ更地を見ていたときのことだった。4ヶ月を経て剥き出しの地肌には、雑草が生え、命が復活していた。ところが湘南の住宅地の草地と様子が違うのだった。植物のことは全くわからないのだが、背丈の高い雑草の群れが少なく、いわゆる根の浅い植物の葉や花が見られないことだった。

3月11日の津波が冬越しの浅い芽や、風に乗って種子のまま地表に落ちていた雑草を剥ぎ取っていったのではないかと考えた。地下茎のように深く根をはる多年草が生き残った…。その植物も、運び込まれた塩分に強いものだけが生き残っているのではと。

もうひとつの体験が「サンビレッジ高田」の周辺の広葉樹林の山林から、周辺に日が照ってくると、セミの声のシャワーがあったのだが、その声が「ヒグラシ」だけの声だったことだ。「ヒグラシ」は7月中に鳴いていてもおかしくは無いのだが、声が目立つのは晩夏や夕暮れ。不可解に感じたのは、他のセミの声の記憶がないことだった。この辺は高台だから津波の影響は受けていない。しかし「ヒグラシ」のみの声のシャワーが延々と続いていたことは、よく見られることなのだろうか、それともセミの種類を限定するように生態系の何かが影響していたのだろうか。これは山林を切り払いたような陸前高田の道沿いでは、気温があがってもセミの声の記憶がないのだ。大船渡側は天候が不順だったから、なおさらにセミのシャワーは体験しなかったのだ。

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昨日は夏期講習を済ませて一度家に戻ってから、同業者組合の湘南地域の支部を検索し、その支部長さんのお店をつかんだ。さっそくそのお店に伺ったのだが、似つかわしくない爺さんが現れたことに、若い女性のお客さんが身を引いてしまったが、幸い店長さんの手の空いた時間帯だったので、その場で事情を説明することが出来た。

私が災害ボランティアであることから話出したので、店長さんも私の訪問の主旨をつかみやすかったようだった。同業者組合のメンバーは、特に東松島に出かけてきたというお話だった。だから私の話も違和感なく通ったのだが、なんと支部の役員の方に、私が尋ねた大船渡の同業者の協働の仮店舗設立時、道具や機材を搬入に参加した方がいらした。そんな偶然の力もいただき、相談は一気に深まった。

その協働のお店は第二店舗も企画中なのだとのお話。ただ避難所、仮設住宅を訪問しサービスを提供することは上部組合から差し控えるように指示がでたとのこと。地元同業者の復活を邪魔することになりかねないということが理由だそうだ。そこで同業者組合は、がれきの撤去作業や炊き出しなど、直接職種と関連のない作業を応援してきたのだという。

しかし、私の提案は地元同業者の自立再開業支援と、地元業者を経由したサービス提供なので、地元の同業者を圧迫することは回避していること。ただ料金が高いなど、まだ被災地の活動との摺り合わせが必要だが、全国の同業者組合が取り組んだことなので、話を企画化しやすいとの評価をいただいた。

この日、よるから部長会があるとのことで、支部の大船渡体験をしている役員の方と別個に話して欲しいと、その方を仲介してくださった。茅ヶ崎駅北口のお店なので、さっそくサポセンで対面することになり、私のラフスケッチは夜の部長会で話し合うこととなり、その場に参加する県の事務局の方に紹介してくださることになった。

私は被災者、特に避難生活をされている方に、日常的な癒しの機会提供を実現することに目的があり、その実現には被災地の方との話し合いを含んで、他地域にも使えるようなモデル化を意識した活動を作りたいと思うと告げ、願わくばその活動の実行委化と参加を認めて欲しいとお願いした。同時に秋口に被災地から、当事者さんか地元新聞の編集長さんを呼ぶ講演会を実現したいと考えていると伝えた。しかしこれには謝金のぞいて5万円程度は最低必要であり、日常生活支援への支援活動の質の転換を促す方向のコーディネートが求められることを伝え、私が何を考えているかを伝えて欲しいとお願いした。

話の快諾をいただいたが、話の結果は県に話がまわってからのことになるかもしれない。ここは投げた賽、待つ以外ないのかもしれない。

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今日は糖尿病治療薬の治験の日、帰りに空模様を見ながら、父の入所している老健を覘いてくる。橋本の指導があるが、相模大野校は休んでしまった。取り出し指導なので、授業に大きな支障はない。

次は第二の企画のラフスケッチを印刷すること。第一の企画で不可解な反発が起きたので、解説を別記することにした。


夜間傾聴:なし

(校正1回目済み)

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7/28 同業者組合を回りつつ/障害者雇用部会86回講演会に参加し

2011-07-28 15:24:18 | 引きこもり
2011/07/28 記
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岩手県の中小企業の企業団体の事務局と、大船渡市議会事務局にお礼のFAXを送る。帰宅後すぐに出すべきだったが、受け皿の厄介さが気を重くしていた。

被災地のこれからの支援は、災害救援から避難の日常生活サポートに比重が移っていく。この転換を意識した方針確定の訪問だったから、おのずと巡回先が異なってくる。自分の活動の企画化を目的にしているので、具体的な支援を先方に届ける訪問ではない。それにも係わらず、陸前高田・大船渡の皆さんは、協力をしてくださった。仮設住宅の生活の比重の増した支援活動の大きな課題は、数年は確実に続く避難生活の中の生活再建と、仮設後を意識した地域生活コミュニティの形成による孤立化の回避だ。後方支援にどにようなことが出来るだろうか。ひとの心の接するところで、抑圧的な人間関係の生まれやすい場に、どのような活動が望まれるのかを考えると、継続的な支援が不可欠となる。それが被災地にどのように芽吹いているのだろうか。後方支援はその活動支援という形に流れを変えたほうがいいというのが私の考えだが、これは現地滞在型の派遣ボランティアを否定するものではない。後方支援、つまり他地域の支援活動デザインの課題のことを言っている。

第一の企画は、地元自営業者の再開業を賭けた協働出店の動きがある。その職種が提供するサービスが、被災者の避難生活を含む日常生活に不可欠なものであり、いわゆる癒しを提供するものであったので、この方たちのサービスを買う形で、被災者にギフトすることをとりあげた。活動形成の初動論議のために、それをラフスケッチ化した。

この企画のラフスケッチは、受け皿の体制が未確定なので、先方と私たちの結びつきによる実現可能性は詰め切れない形になっている。しかし活動の初動形態は綿密な(ソリッドな)計画を作りそこに協力者を乗せることではない。論点を明らかにして、基本は大きな状況に見合った活動として的確に現状を改善打開していく道を明らかにすることだ。使い古された言い方をすれば、「この指とまれ」の語りをすることだ。違う点は、即興の思いつきではなく、実現可能性のふるいにかけた提案であることだ。

それでもなおかつ、初動の手がかりを明確にしておかなければ、活動は漠然とは立ち上がらない。被災地の当事者(活動を始めた自営業当事者)に、具体的な要望をインタビューした。その当座の要望を手がかりに、後方支援側も活動を始めやすくなるだろう。そのことはラフスケッチに盛り込んだ。またこの活動の問題点も明らかにしてある。これは議論の中で解決可能なものが大半だ。

発起人を募り、さらに活動の輪を作っていくという線に沿って私は地元を歩き始めた。当初予想された以上に、手がかりが無い現状に次の一手を打ちあぐねている。時間は生き物である。さて…どうする。

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昨日は県の同業者団体の県支部訪ねた。実質としては肩透かし。ことが荒れないように「担当者不在、資料を預かる」という形も常に他の団体と同じだ。個人が企画を持ち込むと、よほど幸運でない限り、内容吟味の前に拒絶されるのは常道。営業マンではないがそれは当たり前である。だから併行して支部まわりを始める。店長さんに話を持ちかけていく。この場合も私が個人であり続ける限り、会は、なかなか立ち上がらないだろう。矛盾なのだがここを突破しなければ、何も始まらない。茅ケ崎・藤沢・平塚の3支部からまわっていく。

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県支部からの帰り、ちょっとあるが関内に出て、ここから新杉田に出た。駅前の杉田劇場(ホール)で、夕方から神奈川の「障害者雇用部会」の86回講演会に参加するためだった。ここは障害者関連事業所や地域生活・就労援助センター、各地域の特別支援校、特例子会社が集う場で、私のように手帳を持たない方の就労支援をしているNPOはまず見かけない。私は軽度発達障がいや、うつ病・パーソナリティ障がいなどの精神障がいや神経症を抱える地域に潜在する方の支援を、精神の手帳取得や、各特例子会社の周辺サポートの職探しの関連で参加している。

今回の被災地訪問にも、相模原のある就労挫折青年の転身をかけて、有機野菜加工の製造を兼ねた商店とつなぐ話もまとめてきた。対人関係に問題があるので、バックヤードだが、彼は専門学校進学と再就職の選択に悩み、親元を離れる決意をしていた。トライアル雇用だが、被災地という特殊な条件があり、彼を必要としているひとたちとも結べると判断したからだった。縁のなかった違う社会に飛び込むことで転身を試みたのだった。8月から彼の新生活が始まる。

こういうことを進めるためには、特例子会社をはじめとした障がいがらみの就労情報や人のネットワークは不可欠だ。今回も老舗「(株)富士電機フロンティア」や、昔ミニFMでお世話になったことのある親会社「(株)ぱど」の特例子会社「(株)ぱどシップ」の講演を聴いてきた。「(株)ぱどシップ」については、今後、身体慣らしのアルバイトの件で、改めてお世話になりそうだ。

しかし考え事をしているとろくなことをしない。新杉田駅ビルのバーミャンで中華丼を食べようとしたとき、胡椒の蓋をはずして、まるまる一本を飯の上にかけてしまった。バイト店員さんが後を向いてしまったので、覚悟を決めて胡椒丼を食べてきた。辛いのは平気なのだが、こんなことばかりやっている。

ともあれ大船で買い物を済ませ、幸福の科学の演説の前を通って帰宅した。なぜ大船はいつも演説しているのだろう。支部でもあるのかなと考えつつ、危うく顔を拭きそうになった胡椒だらけのハンカチをポケットにしまいこんだ。

夏期講習、早く終われと学生並みのことを車内で考えていた。高卒資格認定試験、今回は東工大の大岡山キャンパスまで連れ添うことになりそうだ。カリタスは爺ぃが似合わないのだそうだ。8月3・4日である。青年に爺ぃが付き添うというのは、マンガでしかないと思うのだが。

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豆乳ソーメンに鯖の味噌煮を添えた。短冊状のきゅうりがよく合う。茄子のしょうが焼きと少量のお新香をつけて母に出す。ところが食べない。ケンタッキーフライドチキンがごろりと食卓の下から出てきた。元主婦と話をあわせることは虚しい。事前に言っておいても、自分で惣菜を決めてしまうからだ。主導権にプライドがかかるから、結局母の分はすべて無駄になった。かわりに片付ければ、糖尿病の魔が潜んでいる。

こういう調子の崩れた日は、なぜか夜間傾聴も開店休業である。

買い込んだ東海新報バックナンバーを読み始めている。4か月分、新しい方からさかのぼる形だ。

第二案、陸前高田の商店さんの応答待ち、それがあればラフスケッチできあがり。別途歩き始める。


夜間傾聴:なし

p.s.大船渡中敷地の仮設住宅。玄関先で被災者の方が作業されていたので、視角を上にパンした。覗き込みで取れないのはご容赦を。

(校正2回目済み)

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7/27 母の東部病院通院に連れ添いつつ/県の災害ボラ関連をまわる

2011-07-27 09:24:03 | 引きこもり
2011/07/27 記
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母の東部病院通院に連れ沿う。母の脊椎のレントゲン検査の結果が出ていた。いつも思うのだが、紹介状や診療データを持ち込んでも、どうして一から調べなおすのだろう。しかもその症状の疑いは晴れているものを繰り返したどりなおさねばならない虚しさは、こうたらい回しの結果を聞くたびに苛立たしさも感じてしまう。結局脊椎すべり症を疑るなら整形外科に行きなさいと、判断責任を私たちにふって、今度はむず足症候群の質問。これもいくつかの病院で否定されてきた。患者と話すのではなく、診断チャートをたどることだけに診察が集中しているように思えて、ここも長く通うところではないと母と話していた。抗てんかん薬に使われる薬を飲み始めてから、母は日中の眠気に活動量が大幅に落ちている。その訴えも、素通りしたようだ。

母をタクシーに乗せ自宅に送り、私は駅に送迎マイクロバスに乗って移動し図書館に向かった。

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5日の被災地巡回をしたので、貸し出し期限の書籍が溜まっていた。茅ケ崎と横浜の分をバッグにいれたが4冊はみだした。ホームレス関連の書籍と災害ボランティア関連・社会的企業関連の書籍が大半。これを返しつつ、横浜で県の関係者と会い、夜の相模大野校の夏期講習補佐役(取り出し指導)をこなしてきた。

私の知り合いは、引きこもり関連、就労支援関連、障がいサポート関連、ホームレス関連と教育と福祉関連に偏っており、あの訪問しても誰も応答しないで目をそらす嫌な雰囲気の県ボラセン災害本部以外、県サポでは直結するところがなかった。茅ケ崎のことは茅ケ崎でとふられそうだが、東日本大震災 支援・情報ステーションにも人材探しで立ち寄ることにした。

ボラセンでは予想通りの初対応のような応対に呆れ、県庁に移動して商工労働部の知人を訪ねたが、配転されていて、移転先は全く関係の無い課、ちょっと席をはずしてもらって入れ知恵してもらった。「まあ、そうですね」という感触。感謝。

支援・情報ステーションに立ち寄っても、もっぱら私の話を聞くだけで終わる状態で時間切れ。2階の災害対策支援担当部支援調整課まで足を伸ばせず、次回回しで終わった。茅ケ崎の関係者まわりは、骨つぼを私に託した陶芸家の東魚さんのところに、骨つぼを返しつつ話をしてきただけ。(アポなしで変な時間帯にすみませんでした。)東魚さんの大船渡行きは、私の報告で延期となった。

しかしまとまった相談が出来ない。日が過ぎていくことに唇をかんでいる。

第二企画(陸前高田側の中小企業主と連携する支援)は今夜ラフスケッチを完成させる。


夜間傾聴:橋本2君(仮名・なにか久しぶりの感じだ)

p.s.陸前高田の単身者仮設住宅、山の中。


(校正2回目済み)

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7/26 企画のラフスケッチを持ちながら、協力要請の巡回中(続)

2011-07-27 08:13:00 | 引きこもり
被災地を歩いてきた期間、我が家にいくつかの郵便物が届いていた。その中には、私が訪問した先から早々と参考資料を送って下さった方もいらし、協力してくださった方へのお礼のメールを時間の隙間に書いては送っていた。

その届いたメールには、陸前高田・大船渡とも大きな転換期に入っていることを示す内容が描かれていた。三陸の海岸線3県をフォローする河北新報や、岩手県をエリアとする岩手日報の部分抜粋が参考資料として添えられていた。

大船渡では仮設住宅が、陸前高田では避難所と仮設住宅の課題が「生活コミュニティの解体と保護再生」をめぐって第二幕が始まっていた。

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茅ケ崎の駅前で夕食の買い物をしていると、数年前、茅ケ崎市との協働事業提案をしていた頃、企業コンサルタントの立場から参加されていた**さんと出会った。私は買い物を家に届けるのを諦めて、コインロッカーに詰め込み、この方とコーヒーを飲んだ。出勤時間が迫っていたのであまり時間は取れなかったが、災害ボランティアを始めていることを話した。

その方は直接災害ボランティアを市民活動の形でされているわけではなかったが、職務上震災の影響を意識せざるを得ない状況にあると話されていた。第二幕への転換期という私の話は、地元行政の膨大な復興予算からも長期戦を強いられるので、現地から離れた場からの支援は無理という思いでいたが、民間交流へという流れに乗せた支援は盛り上がらないけれどありうるなという感想をいただいた。

また連絡させてもらうことを告げて別れたが、彼は別のヒントを感じたらしく動き出すようだ。ただ、私のような社会運動の形ではないだろう。心当たりのある方に紹介してくださるとのことで、お願いしてきた。

相模線の時間も迫っていたので、母に夕食は遅くなるので、つなぎになにか軽食を食べておいて欲しいとメールした。

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気仙沼を実家に持つ方が今回高卒検定を受ける。一ノ関の病院から都内の病院に転院治療を受けている家族は相模原に定住を決めていた。貯蓄を食いつぶしての生活だけに、緊迫感が漂っていた。

授業の中で、私の三陸訪問の話は途中、塾生の待ったなしの発言に中断された。実際、現地から避難されてきた家族がいる方が入っている関連も有って、私の長い話に待っていられず、意見を入れてきた。こういう雑然とした雰囲気が実は議論が本物である証しだと私は思っている。

私は3月12日から、被災した印刷所を駆使して号外を作り配布した東海新報の地域密着記事に熱意を感じている。それで4か月分のバックナンバー130部弱を決意して買って、我が家に送ってもらっていた。読み始めた中で塾生にも見せたかった新聞を数日分持参していた。新聞を開くと教壇にそろぞろと席を立った塾生が覗き込みにやってきた。学齢期の子どもとは違う大人が固まると暑苦しいものだ。始めてみる地方紙のローカルな広告記事を指差しては脱線して、大声は出さないが騒ぎとなった。

受験日が迫る教室の雰囲気では全くない教室の雰囲気の中で、気仙沼の彼が板ばさみのように見えて、すぐに解散させて、授業に戻ったのだが、すでに遅し、授業時間はたちまちのうちに過ぎていた。こういうとき、私は地元の講師ではない限界のようなものを感じてしまう。専任の**さんにつないでおくから、今日の質問は**さんにするようにと伝えて授業を終えた。給料泥棒と叱られないのが相模原の塾のラフさというか、いいところだと思っている。相模大野校では絶対に出来ない。

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母はいつもと同じ、孤食への文句をしっかり聞かせてくださった。暖めるだけの献立にしておいたので遅い夕食は過ぎにできたが、相模原ではなく茅ケ崎に教室を開かせろという難題には閉口した。私の塾を閉じたのは資金難だけではない。塾で起きたことへの責任をもって塾を閉じたのだからだ。

早くも、先ほどの脱線授業の余波で傾聴専用電話に電話が入ってきていた。本来の危機の淵に立つ相談と切りわけるために、私の私用携帯にかけなおすように指示したが、専任の**さんがパンクしたらしい。

第二企画の仕出し弁当屋さん経由のギフトの話を書きはじめている。しかしこれは複数の企画を持ち歩かない方がいい。第一企画のプリント増刷のため、真夜中の不審者よろしく、15分ほど歩いた先のコンビニに向かった。


夜間傾聴:相模原の社会人クラスのふたり
     大森君(仮名・傾聴にあらず、ただいま)

p.s. 画像は大船渡の入り江沿いにて撮影

(校正1回目済み)

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7/26 企画のラフスケッチを持ちながら、協力要請の巡回中

2011-07-26 12:08:15 | 引きこもり
2011/07/26 記
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大船渡・陸前高田からの帰宅後、夏期講習が始まっていたので、とりあえず、時間の隙間に、地元湘南の社会活動関連の知人友人のところをまわって、報告といくつかの企画のラフスケッチを提供してまわっていた。

結局、4案が形をとることになりそうだが、まとまりの進んだ第一案をプリントアウトして、ともあれ2ヶ所に配ってきた。企画化後、被災地の方と再調整の連絡を踏まえなくてはならないものばかりなので、あまり具体的に紹介できないのが残念だが、大枠としては、2案が「被災地地元リーダー育成支援を含んだ、地元中小企業(または地元活動)を経由した被災者サービスギフト発注型支援」であり、他の1案が被災者の方から紹介された活動、他の1案は地元の声を湘南に届けるための地元オピニオンリーダーの招待活動だ。このほかにも、単発の交流案や、裏づけ資料調査を踏まえるべき未成熟案がある。

しかし活動の中間支援者というものは悲しいものだ。その都度地元の賛同者の結集を図り、そこでやっと企画に命が吹き込まれるからだ。その賛同者の結集が、散ったクモの子を集めなおすようなものだからだ。まずはラフスケッチを持って、発起人のひとりになってくれそうなところを説得して歩く。ここは商店会や同業者組合のようなところや、災害ボランティア的な活動をされている社会活動団体や個人をまわる。

第一の企画は、被災地企業さんの復興支援を通した被災者へのサービスのギフトなので、湘南の側も商店さんの協力がマッチングする課題だ。私は保守も革新も活動の同意が取れる方と結びつく。企画という政策協定があれば、ネットワーキングできる。教育と福祉畑で活動してきた者にとって、その領域を超えた企画を立ち上げるための呼びかけは、いっそうひとの手がかりが少ないだけに、説得には困難が伴う。

被災地の、ある自営業者の、特に2世たちが引き継いだばかりのお店も被災して流されていた。その職種は日常生活を送って行く上で大事なサービスを提供する職種で、その仕事が被災者の避難生活にとって癒しにもなった。そういうお仕事の同業者たち10名弱が集まって再開業を目指した仮のお店を共同でひらいた。ところが貸してもらった建物の関係でお店が居住地から遠いので、利用者が一日3~10人という状態が続いており、職種上移動営業には適さない部分もあって、利用者を拡げられないという問題を抱えていた。

私は給与所得や年金所得者・障碍者や生活保護受給者のように、従来のイベント型の支援からも抜け落ち易い、支援の届き難い方や、身内を失い孤立した方などにも届く支援を作りたかった。日常的な生活支援、生活コミュニティ復活とリンクした単身者見守り活動を、地元から立ち上げる意欲的な地元の方との連携支援が息の長い活動作りには不可欠と思い、この地元の活動を経由して被災者支援を立ち上げようとした。そのカップリングの具体例が、実際に被災自営業者さんたちの願いと結びつくと判断し、いわゆる社会的企業風の企画を提案としてまとめていた。

その案を持って湘南の地元周りを始めている。

まずはNPOサポートちがさきと地元議員関連に相談を持ちかけた。しかし前者は**さんが研修でお留守。議員さんには聞いてもらったが、この展開、同業者組合や地元商店会さんとの相性がいい活動という関係で、まずはその方面の賛同者を得るための巡回から始めさせてもらっている。

次に、偶然出会った障がい当事者家族団体の個人的知り合いに話を紹介した。障碍者関連活動と直接関連のある活動ではないために、まあともあれ聞いてもらった。スルメという表現をいただいた。ドーナツの真ん中ではなくてよかった。

次がオンライン活動を基軸に地域活動も行っている**さんたちが、湘南限定の地域通貨活動をしているので、そちらにもお邪魔した。ところが**さんはあいにくお休み。同僚の方に話を聞いてもらったが空転。

圧倒的多数の中高年被災者を中心にしたご近所づきあいの地域コミュニティ形成を見込んだサービス提供の骨格が伝わらず、私のような年配者に多い「オンラインコミュニケーションは人間性希薄」と断じる古臭いレッテルを張る人間と私を間違えているらしく、為にする批判が連続して、つながりが切れてしまった。**さんには、面倒を残した格好になってしまい申し訳ない状態となり、結局提案を撤回することにした。

地元の受け皿が整わないので、被災地では「こういう支援が出来るが、何らかの形がとれないか」と、被災地の地元諸活動に対し直接提案できないもどかしさがあったが、これが現実なのである。

私は他の活動のときも、所属を持たないがゆえの百万の空転を飲み込んできた。交通事故のリセットから10年、つねに湘南では浮き草の思いを、相模原では商売の縛りの息苦しさを積み重ねてきたが、賛同者探しをツイッターに乗せる気にもなれないのだ。ひとのつながりの心労を踏まえた方とつながる機会が増える反面、圧倒的な数の思いつきの方への説明の労力も増大するからだ。

今日も、旅行で遅れていたビッグイシューの配達がてら、県の関係団体や個人に接触する。夜から相模原の授業なので時間制限があるが、賛同者と出会いたいという思いのみが強まっている。

(つづく)

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7/24 とりあえず雑感から(陸算高田・大船渡行)

2011-07-24 14:43:26 | 引きこもり
現在、企画化の案件が2件。体験できたことや、気付いたことの断片の書き出し整理。企画化まではいかないが、整理しておくべきことが1件ということで、今とにかく書き出すことを始めている。昨日は茅ケ崎で福島県の民主党県会議員の講演会があり、今日から夏期講習も始まる。相変わらず授業は「おまけ」であるが、普段より生活の隙間が少ない。レポートのピッチがあがらないことは、お許し願いたい。

また、日記の空白部分や、ペットレスキューの講演会レポートも書き残している。これは順不同となるが分散して併記していく。ブログは記録でもあるので、見にくいとは思うが、これもまたお許し願いたい。

今回は、訪問の印象の断片から書こうと思う。

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台風6号の接近の影響…訪問は7月18日(月)夜~22日(金)4泊5日で大船渡・陸前高田を歩いてきたのだが、この間ずっと進度の遅い台風6号の影響を受けて、晴れても時間が短く、雨は水曜日夕方から霧雨が降ったが、全般は薄曇りで、夏の日射を避けられてよかった反面、出慣れていない証拠で半袖しか用意していなかったため、朝夕重ね着しても寒いという予想外の展開となった。夜中、宿を抜け出し、周辺を散策という具合には行かなかった。

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岩手県交通の路線バスのこと…地元の常識は来訪者には無愛想でしかないこと。今回出発と帰路はけせんライナーの夜行バスを利用した。車中2泊である。私はけちけち旅行をするので夜行バスを利用する。新幹線を利用する柄ではないと思っている。出かけるときは関西方面だったため、岩手県交通は初めてだったが、座席は設計上の想定身長を超えているため、首が疲れ、足が伸ばせないで窮屈だった。座席数はゆとりがあったが、車内の照明を走り出すとすぐに消灯してしまうのには閉口した。携帯にメモを取り、メールを書くのも、持ち込んだ新書を開くのもためらわれた。関西方面の他社夜行バスと様子が違い、寝る以外なく、懐中電灯なども周囲に迷惑な状態は堪忍して欲しかった。

また乗客だが空席があり、学生、フリーター風の方や、英語圏の体験旅行者(バッグパッカーまで行かない中途半端な感じ)で占められており、地元帰りの若い女性と私が年配者ということになり、いわゆる災害ボランティア風の同行者がいないのは、時期を逸しているか、皆さん車を調達して現地に行っているかのように思えた。いやいや新幹線だという思いは現地に着いて、閑散とした避難所や、市役所、ボラセンなどを見て、時期を逸しているのだと知った。いや、私は被災救援期後の活動を探るためにきたのだから、それは当然ではあるのだが。

岩手県交通の便の少なさには悩まされた。しかも中・長距離バスが定時に来ないだけでなく、バス停が生き残り分しかなく、時刻表などの情報はインターネットに頼らざるを得なかった。3日目、「陸前高田ドライビングスクール」で仙台からの便で大船渡に移動しようと1時間前からバス停で待ち続けていたが、定時から更に30分経ってもバスが来なかった。結局、タクシーを呼んで移動したが、便を選べば無料区間(後述)を5千円かけて移動することになった。ハプニングを考えて所持金はゆとりを持たせていたが、池袋まで帰れてしまう料金が飛んでいくのが虚しかった。被災地の災害ボランティアの場合、大概無理して拝み倒して車に便乗させてもらうのだが、その相手がいないのではどうしようもなかった。とにかく、ひと気が少ないのだ。

最終日も出発を陸前高田においていたが、その「サンビレッジ高田」は山中の体育館を避難所に使っていたが避難所を撤退、周辺に街灯も無く、時々通る車も夜には途絶えてしまう。隣の「ドライビングスクール高田」までは4km弱あり、周辺には人家が無いので闇の中で3時間半を過ごさなくてはならなかった。若い頃、四国や岩泉周辺の鍾乳洞内泊体験をしてきたが、ここで前回のようにバスが来なかったら携帯電話の圏外、どうしようもなくなってしまう。

携帯のスポットの場所を探し、不安定な電波状態で盛岡の予約センターに電話を入れた。ここも17時までなのでゆとりが無かった。券をセンター・営業所に持ってきて一度解約し、買いなおせという指示に、マニュアル人間臭を感じて抗議。被災後無人化している山中の停留所に3時間半、客を待たせるつもりかというが、電話が不安定なので切れてしまった。再度かけ直して、幸い同じ職員が応答に出てリセットにはならなかったが、談判5分。上司の確認を取るとの言葉でまた電話が切れた。再度賭けなおすが話中が入り、終業時間3分前にやっと話が成立。延長差額料金250円支払って、大船渡側から乗ることが出来た。ところがこれは、目的地に着くとき、1駅延長して大船渡に降りたときは、延長料金が400円だった。なんとも不統一な話なのだった。ここは最終の鳴石団地発立根行の無料バスに乗って、移動できたが、飛び乗ったバスは仙台発の有料バス、ところが災害ボランティアとわかり、大船渡のひと駅、無料にしてくれる状態だった。とにかくバスの運行が不安定。私のように歩きで来ている者は見かけなかったのは当然なのだろう。地元すら無料バスは高齢者と通学の学生だけ。車社会なのだった。

岩手県交通は行き先表示が小さな掲示板を挟んであるだけなので、私のように弱視者には全く見えなかった。バスの仕様が正面・側面・後面表示のバスに慣れている感覚からすると、実に不親切で、特に側面表示がないのには慌てさせられた。運転手に声を張り上げて確認しないと行き先がわからない。そこに方言の壁があって思うように会話が成り立たない。一日数本の路線が多いバスを間違えたら終わりの感覚が何回も襲ってきて悩まされた。手を振らないと下車する客がいないと素通りしてしまう。行動がこのバスで制約されてしまった。予想されていたことではあるのだが。

被災復旧まで近距離(?)路線バスは無料だった。フリー昇降区間も多く、そのためかバス停がほとんどない。支柱が折れ曲がったままだったり、とにかく時刻表が不親切だ。せめてインターネット検索ですべてわかるようになっていて欲しいが、検索で時刻表がすべてわかる状態ではない。中・長距離バスは通過してしまうバス停もあって、事前調査が不可欠。地元の人もバスを利用しないので、質問しても民宿すら到着時間を知らなかった。

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道を聞いてはいけないということ…大船渡は盛駅の周辺など、シャッター通りではあるが商店街が残っているが、陸前高田側はいわゆる商店街が流されて復活しておらず、ローソンやマイヤという大手スーパーの仮店舗が出来て間もない状態という具合に市の格差が大きく、陸前高田側は昼間の歩行者も少なかった。大船渡側は避難所が7月いっぱいですべて仮設住宅に移る状況下にあり、以前大きな避難所を抱える陸前高田とは様相が違っていた。

このため、陸前高田で道がわからなくて、たまに出会う人にはすべて声をかける選べない状況だったのだが、民間の人は自分は地元の者ではないと言ってくれるが、事務員風、または警官は信用できなかった。市の社協ボラセンは「ドライビングスクール高田」のバス停を下ってすぐの場所にあるのだが、広い敷地の駐車場に災害ボランティアの車が止まっている先入観があったので通り過ぎていた。更に下っていくと、T字路に出るのだが、被災地は、あちこちの交差点の信号が破壊されたり機能しなくなっているので、交通警官が出ている。ふたつの質問をした。ひとつは市の社協・ボラセンの場所、もうひとつは市役所仮設庁舎の場所だった。

回答は、市役所は「むこう」、社協は「こっちだ」、だった。大阪府警のパトカーが止まっていたことに後で気付いたのだが、この警官は大阪からの応援部隊の所属で地元ではなかったのだった。社協についてから混乱した話をしたが、「社協」そのものが何かを知らないことが多いから警官はやめておいたほうがいいというのだった。社協方向なる方向に歩いていくと車道両脇に人家が無くなり、明らかに予備調査情報と異なっていた。15分ほど歩いた道を戻り、交通警官に再度質問。案の定「社会福祉協議会」の略とは知らず、「社会主義?」と聞きなおす始末で、バス停そばに人家があるから、そこで聞いてくれとの話で、県外からの応援部隊だと知った。なんとその人家が社協だったのだ。30分は完全にロス。

社協で話し込んで、市役所の仮設庁舎の場所を教えてもらったが、交通警官の「むこう」は真反対だった。もとの庁舎方向を地図確認でもして覚えたのかなと善意で解釈していたが、そのあとがいけなかった。市役所の電話交換のガイドさんに電話で道を聞いた。油断したのだが今、市の社協からそちらの仮設庁舎に向かおうとしているのだがと質問し、T字路を曲がったあたりにいるという話に、180度逆に来ており、しばらく行くとローソンの仮営業所があるので、そのあたりで再度ひとに聞いて欲しいと指示された。社協から歩いて20分が過ぎた。社協の職員の方の説明では「すぐ」というので、田舎の「ちょっと先」はひと山越えた先だった経験もあるので、半信半疑で歩いてきた。更に歩いていくと再開して間もないシェルのGSがあった。そこで笑われた。180度逆だよと。ローソンの辺りには市役所はないよといわれて脱力。30分は歩いている。またもとの振り出しに戻る状態なのだった。両側はがれきの撤去された被災地の荒地であり、T字路に戻ったとき時計は16時40分を過ぎていた。

陸前高田については、教育福祉関連課は仮設庁舎側と聞いていた。市役所機能が分散しているからか、教育福祉関連課へと確認を取った上の話なので衝撃だった。私自身も遠野の社協の車から道を聞かれており、よそ者だらけなのだと知った。しかし、地元の若い方、小学生や乳幼児は、小学生の通学時以外は全く出会わなかった。悔しいが20日は大船渡側に約束があったので、陸前高田は最終日21日までお預けとなった。

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ソフトバンクはだめなのか…被災地なので携帯電話が使えないところが多いだろうと予測して出かけた。しかしそれは半分当たっていて、半分はずれていた。陸前高田のドライビングスクール周辺は無事だったが、サンビレッジの山中はスポットが出来てしまい、少し動くと携帯は圏外になってしまった。大船渡市も意外なことに盛駅前は圏外?警察署前も圏外?おかしいと思っているとサンリアというスーパー前も圏外だが、粘っていると急に感度の柱が立った。事態が納得できた。被災後応急システムで復旧させているのだろう、回線容量が少ないのだ。だからオーバーしたとき、圏外表示でユーザーを遮断しているのだとわかった。これは中継局が少ないための遠距離受信によるスポット現象とは違う状況だった。しかし民宿で聞くと、「ドコモだ、絶対」という話。連絡が取れると思ってはいけない。現に綾里の民宿周辺は全く入感しない完全圏外だった。翌日中小企業の方と会う約束の電話が遮断されてしまった。被災した荒地は返って遠方受信のスポットが立つ。見通しがいいからだ。

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街の安全のこと…大船渡の港湾地域、いわて生協から入り江沿いに太平洋セメント工場の周辺を歩いた。小さな段差があって、片目の私にはその遠近感(奥行きがわからない)があって、大きなザックを担いだまま、2回転倒してしまった。みっともないが、現実は現実。薄暗闇の駐車場をまたいでツルハドラッグに突進したら突然金網がたちはだかって衝突とか、ろくなことをしていないが、街灯の無い街を歩けば、更地になった被災地の道路側は、排水口のコンクリート板があちこちではずれている。なかには土の詰まったマンホールが口を開けていることもあって、むやみに自転車を送っても事故を起こすのではないかと気になった。しかしそれは私がよそ者であることを実証しているようなものだった。更地の近くは走らないという常識が出来上がっているのだった。道路整備は、がれきの撤去に集中しており、人家の周囲は道路の修復をしているが、更地は後回しになっていた。夕闇が降りれば全くの闇。20時を過ぎれば商店街すら真っ暗なのだった。大手スーパーのサンリアは18時閉店。それ以降はツルハドラッグや薬王院チェーンの薬局兼コンビニしか店がない。

しかしこれは「安全」といえるかわからないが、大小の便意は、やはり用心したほうがいい。喫茶店やコンビニが圧倒的に少なく、17時以降、早朝の便は盛駅の公衆便所が役に立った。私の場合、片膝を粉砕骨折して復活させたハンデを持っているので、腰より高いところに登れなかったり、駆け足が出来なかったり、しゃがむことができなかったりする。つまり和式トイレは使えず、洋式でも座面が低いタイプは立ち上がるのに苦労する。そのために田舎に行くと、洋式便器が少なくて(寒川でさえ、公衆トイレが壊れていることが多いので、地獄の街となる。コンビニのみが頼りとなる。)ここの駅前トイレは手入れが行き届いており感謝している。転んだのも、この足の障碍が残ってふんばれないからだが、案外大事なことなのだ。

しかし私が利用した障碍者用トイレは、自動化しており照明のスイッチが無く、部屋に入ると明りが換気扇とともに作動する。しかしその後のセッティングが悪く、しゃがんだときの便座の圧力センサが感応後、しゃがんで1分もたたないうちに照明が消えてしまう。闇の中の排便となる。尻を浮かせしゃがみ直すと、また点くのだ。つまりつい照り消えたりしながら幽霊屋敷状態で排便することになる。すぐそばでタクシーの運転手さんが待機しているので、気が気ではなかった。

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荷物置き場のこと…分厚いザックを背負って現地入りしたが、得意のコインロッカーがない。やむなく食堂に入ったとき、女将さんに相談した。しかし気まずそうにして断られてしまった。震災以降様々なボランティアがやってきては食堂を利用し、荷物を置かせて欲しいと頼まれた。ところが1週間経っても取りに来ないひともいて迷惑した。マナーを疑るのは悪いと思うが、預からないと決めているというのだった。ちょっとした理由で、お寺さん周りをしたが、ボランティアの宿泊所請負ったところもあるが、柱や床が傷だらけになってしまったという。家が流されている状態で、その位のことは我慢すべきというひともいるがお寺は檀家さんの物。私有物ではないので、一段落した今、ボランティアさんの荷物置き場にはしたくないし、紛失の責任も負えないといわれた。なんらかの形で地元の方のところに一時的に置かさせてもらうことが一番だが、細心の心遣いを忘れずに。私は事情を話して、駅裏商店街のあるお店に頼み込んだ。道で出会った方と話しているうち、預かってくれることがいつの間にか決まっていた。これは助かった。

説教臭くなってきたので、この辺で一度区切ります。


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昨日(7/22)陸前高田・大船渡から帰宅しました

2011-07-23 02:43:48 | 引きこもり
大阪府警・長野県警の交通機動隊の宿泊宿の隙間に泊まって、それなりの手ごたえを得てきました。

とりあえず、帰宅のご報告を。

ぼちぼち描いていきます。企画がいくつか出来そうですが、茅ケ崎側の受け皿が整うか怪しいので、打診後、その結果を含んで書き込みます。

とりあえず、19日に大船渡の堀川周辺を歩いて心に焼き付けてきた被災の1シーンです。流れの方向に鉄骨がひしゃいでいました。

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7/17の講演会報告と被災地訪問期間休止のお知らせ

2011-07-18 09:18:56 | 引きこもり
今日(7/18)これから陸前高田&大船渡に出かけます。7月22日朝帰宅の予定ですが、21日が地元企業団体役員の方との相談なので、23日朝帰宅に延長されるかもしれません。ただ台風が20日から邪魔しますので、未知数です。

実はiPhone3Gでアップロードを試していたのですが、文字コードが違い、送っても文字化けしてしまいます。管理は可能なのですが、無念。この出かけている期間、ブログ更新を休止します。23か24あたりからまたご覧下さい。

また、7/17の講演会は、11名の参加、一般参加が少なかったものの市行政の方の参加があり、今後に受け渡されました。様々な話題もでてきましたが、すみません、時間切れということで、帰宅後までお待ち下さい。



飛田
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7/13 岩手大の県本部と連絡が取れ/福島20km圏内放浪動物を国が捕獲へ

2011-07-16 11:41:32 | 引きこもり
2011/07/13 記
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やっと岩手大学の県本部の**さんと連絡が取れた。私の日程の大枠が決まらないと、お願いが出来ない。そんな関係があって調整が遅れていた。私は陸前高田の往復バスを押さえていたので、基本は陸前高田と大船渡と考えていたが、遠野や盛岡に一日割かないと無理かなとも思っていた。ペットレスキュー関係も一部は大船渡にあるが、機能しているか確認がとれていなかったので、盛岡往復が入るかというところだった。岩手は広い。用件は盛岡が半分を占めていたのだが、現場を見ていない災害ボランティアは見誤ると自分を戒めた。そんな関係で**さんが地元に戻られる日に面会できれば、それに越したことはなかった。

**さんは、ただごとではない多忙な方で、予定が立たない。盛岡で会うのは大きな迂回ということで、役員の方が大船渡に着く、私には最終日の21日にお時間をいただき、**さんとはメールと次回訪問を盛岡にすることで、今回は事前に地元企業さんを紹介していただき、先に回っておいてから21日の面談に臨むことになった。

地元新聞社の方とも連絡が取れた。しかし滞在中直前連絡でないと、どこにいるか確約がとれないとのこと。携帯アドレスなので画像を送っては失礼かなということで、クラウドの私のアドレスを伝えた。FMラジオを持参すると大船渡のコミュニティFMを聴くといいとアドバイスを受けた。コミュニティFM関連は、もともと訪問コースに入っていた。しかし東魚さん製作の骨ツボはどうしたものだろう。

アップル動物病院とララ動物病院に立ち寄り、17日の講演会のダメ押し。講師の笹部圭以さんの紹介をする。

夜、大事な新聞記事が出た。政府の指示で、行政が福島の原発20km圏内の動物の強制保護に踏み切った話だ。放浪動物の保護は遅すぎるが、これで、保護した動物をどうするのか、瀬戸際の判断になってきた。とにかく頭数が多い。私たちは自分たちの力量から、所有権の混乱に力を割けないために、飼い主さんのはっきりしている犬猫から、新しい飼い主話をすすめていくことを決めていたが(またそれが、被災者との民間交流に馴染む道でもあるので)早急に力をつけなくては殺処分に間に合わないことも感じ、動物愛護の観点のもうひとつの柱を忘れずに見ていく必要がある。下記をご覧あれ。

●「20キロ圏で犬猫、強制保護へ」
●「警戒区域のペット救え…獣医師ら捜索、除染も」

一方、被災地単身者の自殺も既に120名を越えており、励ましを越えた日常の接触の活動支援を作っていかなくてはと思う。この単身者の状況把握も東北行の取材に入れていく。

●「お墓に避難します…南相馬の93歳女性自殺」


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母、薬が聞いたのか、夜中のダンピングが治まっている。腰部のMRI撮影が私の旅行中となったので、いつも申し訳ないが浜見平の親子にお願いした。ところがその受診時間、都合がつかないとのこと。帰りに夕方家に様子見に来てくれるというので、お願いした。異常があれば連絡してくれる。


夜間傾聴:南大沢君(仮名)


(校正1回目済み)

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7/12 母に付き添い茅ケ崎東部病院神経内科に/乳幼児用骨ツボの支援?

2011-07-16 09:26:38 | 引きこもり
2011/07/12 記
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北里東病院神経内科の母の受診に区切りをつけたので、地元の東部病院にかかりつつ、某クリニックの順待ちをすることに。東部病院は消化器系の神経内科があるともきく。何ヶ月も待たされるより、良いかもしれないという気持ちもある。目的はひと通りの検査。また、お盆前に脊椎すべり症関連でMRIを取っておこうという話もあった。お盆がらみだと診断医が休みを取る可能性があるからだ。

午前中、母は初体験の東部病院の通院バスに乗った。70代以降の方ばかりで満席だった。予約しておいたのだが、MRIは次回回しとなったが、母の足首が歩くとすぐにむくんでくることで、予測がついたらしく、検査に以前やったことのない検査がひとつ加わった。処方箋には、お馴染みの薬ばかり。

母のように病院通いがしょっちゅうの場合、知り合いに出くわすことが多いのだが、東部病院では全く出会わなかったと母は感心していた。通院地域が明らかに市北部と寒川だろう。

昼を浜見平の親子と駅前で食事することを決めていたので、私は丁度来た寒川行きの通院バスに乗り込み、母を浜見平の友人に任せた。

寒川は町議会議員宛に7/17のチラシを持ち込んだのだが、始めて事務局でストップがかかった。引きこもり・障がい者・教育・**さんの湘南あすなろ会企画…と何度もお邪魔してきたのに、今回初めて通過しなかった。問題が起きているのかも知れなかった。

丁度、議員控え室にいらした**議員に面会を求め、話をした。私はあちこちで衝突するからどこかで変な情報を得ていたのか、この間異様に警戒されていた方だったが、今回もばっさり。いい話の方が少ないので慣れてはいるが、事務局の対応といい、地域に何かが更に加わっている感じがしていた。

寒川は町が大きく変わろうとしている。翔の会関連のセンターも移動した。今回の話は、災害と単身者の地域的孤立の件に接点を持たせたペットレスキューの話なので、障がい者関連の団体の方々とは、領域が違っている。だから訪問しても仕方ない。町の獣医師さんも休診時間に入っているので、巡回もロスが多くなる。

ライオンズクラブを覘いたが明りが消えていた。駅前の動物病院前を通ると駐車場で医師らしき方が車を手入れされていたので声をかけた。獣医さんだった。チラシを渡して簡単に説明。待合室に貼ってくれることに。

11日は茅ケ崎寒川獣医師会の会合がある。どうか「協力」の方針がでますようにと額に念じる。

帰りはバス。ふぉと神奈川の千葉さんのところに寄って、東北に行く件について、情報提供しようとしたが、お店が休業日。娘さんに会うことが出来たので、事情を説明し、チラシを読んでもらうことに。千葉さんは南三陸町の支援などに市の支援活動に活躍されている方だ。

なんとも空転続きだが、気を取りなおしてご近所の陶芸家の東魚さんのところへ。この方とは長い付き合いだが、しばらく会っていなかった。まだ交通事故の杖を私が突いていたころからだから、ずいぶんたつ。

東魚さんも幽霊を見たかのようにびっくり。すぐに近況話で盛り上がったのだが、とんでもないおみやげをいただいた。乳幼児用の骨つぼである。災害にどうかかわるか考えた末のことだという。梵字の地蔵菩薩が描かれた骨つぼだった。これを無料で届けたいのだという。うなってしまった。どう仲介したらいいのだろう。お子さんを亡くした方には当然語れぬ。かといって行政も戸惑うだろう。

私と連絡が取れた住職さんに連絡を取った。宗派が違うので、地蔵盆を行っている大船渡、麟祥寺があるとの情報を得て、住職さんに相談することにした。今回の東北行に骨壷が加わった。聞いた事のない支援である。

サポセンに立ち寄り、17日の会場資料を作る。なんとも**さんの意味深な笑みが気になったが、まあよし。大きな自然薯を手に入れたので、一度家に戻った。骨つぼサンプルを見て、母も仰天。

三浦半島の**さんの就労相談の件で、横須賀ハローワークにアポを取る。

その後で、相模線で橋本へ。走り続けだが、骨つぼショックがカンフルになったか、橋本3君と南橋本君の巡回指導。帰りは終バス。さすがにばてて。ブログ書く気力なし。


夜間傾聴;なし

(校正1回目済み)

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7/11 東北行のための準備の一日

2011-07-16 07:57:40 | 引きこもり
2011/07/11 記
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東北に出かけるための下準備のために、PCとにらめっこ状態。問い合わせても行き先の停留所がわからなかったり、その路線バスと時間的に会わなかった場合、地元タクシーがどの程度復活しているのががわからなかったりと、現地との漫才のような電話の会話が続いている。先方に、何がわからないのか伝えることがなかなかの難関。方言がまじるということも大きいが、地元の常識が私には一向に常識ではない。地域の名前が出てきても、Googleの地図と首っ引きになってしまう。一番困るのは被災復旧の地域差情報が無い。

時期的に小学校が夏休みに入るのか、青森のように関東とは違った日程になっているのかがよくわからない。ぶっつけ本番で教頭さんを捕まえる以外ないのかと思う。

現地に着いてからの行動は、対策本部に移転している機能もあるので、先に遠野に行くべきなのだろうか。19日朝~22日夜までの勝負なので、時間を無駄にしたくない。しかし路線バスの少ない本数の路線が、時間が接近しているので乗り遅れてアウトという場面が続出しそうだ。

もうひとつが携帯のエリアだ。綾里崎は、未復旧の場所がある。また碁石海岸筋も怪しい。携帯プロバイダの提供地図では、未復旧ではないが復旧でもないという場所が多い。地図が粗すぎて行ってみないとわからないところも多い。またボランティアさんの散り具合もわからない。遠野にいかないとだめなのかなと思う。

中距離移動には金が要る。基本は歩くが台風が九州あたりにじわり接近しているから、猛暑と雨の不安定な天気になるのかと予報に首を傾げる。どの位現金を用意したらいいのかわからない。話を付けて地元の車に便乗できる器用さがないから、結局多めに持ち歩くことになりそうだ。長距離バスと宿泊費で3万円弱で押さえたが、ここが結構膨らみそうだ。

iPheneの電池が弱まっているので、電池式の補助バッテリーを持参する。ところがぼったくりのような質の悪い製品ばかりで、コネクタの根元部分が箱から取り出した時点で、内部の針金状の被覆がむき出しになっていたり、電池ボックスの蓋が少しの衝撃ではずれて落下してしまったりと粗悪品の究極の選択になってしまう。結局後者の製品を輪ゴムでぐるぐる巻きにして使う。なんとも野暮ったい。リチウム電池のタイプの方がケーブルの無い分、丈夫そうだ。しかし充電は民宿以外は予測できないし、充電時間を2時間半強、覚悟しないとだめだ。山に行くのと同じように充電型は不利だ。

トイレはポータブルの非常用袋を持参する。おそらくは借りられるだろうが、水と排泄は自立で準備しておいた方がいいだろう。私は眼の関係で置き忘れや夜盲があるので、カメラは持参せず、携帯カメラで行く。クラウドの転送ディレクトリに送って使う。忘れ物名人のハンカチは多めに持っていく。

あるお寺の住職さんと話が出来た。ここには行ってみる。ペットレスキュー関連が一向につかめない。放浪動物の保護の方で、福島に集中しているようにも見える。地元獣医さんも忙しいだろうが接触を試みる。

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こんな具合で、午前中の相模大野校の個人指導を済ませ、藤沢から平塚までを往復して買い物したり、出かける期間に返却期限の来る図書館書籍を返したりしていた。

家の方に横浜弁護士会から電話があったという情報に慌てたが、いたずらというより間違いだったようだ。関係する件も抱えているが時期ではない。春先に明治乳業本社から不可解な電話が入ったが、同姓の方がいたらしく、関係ないのに話し込んでしまったこともある。某墓地管理の勧誘電話から、墓地清掃の仕事の情報へと強引に進んでいけた話もあった。HL関連の就労支援情報につなげないかと思ったのだが、肝心の希望者と取り結べなかった。高齢者事業団のような団体契約が多いのだが、そこは複数契約で隙間があった。今回も農業関連の住み込み仕事がないかと聞き耳を立ててくる。引きこもり青年たちに役立つかもしれない。被災地は無業者の脱皮転換の可能性を持っている。ひとが攪拌されるからだが、今回そこまで狙うには時間が掛かりすぎる。

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先日会った**さんの就労関連情報を得るために、ある特養に電話をかけた。日曜日なので担当者がいないが、空きがあることがわかった。ケアというよりバックヤードである。明日、話を進めることに。

母、すでに夏バテか。豆乳素麺を作るが冷たいものが嫌のようだ。熱い物も残すので困っている。

書籍用に節約してきた衣類の補充、さすがに出かけるのに相手に失礼かと。藤沢で買い物。安物でも新しいものを。

夜の橋本巡回面談中止。


夜間傾聴:なし


(校正1回目済み)

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7/10 横須賀中央駅前で就労相談を受けて…

2011-07-14 15:31:43 | 引きこもり
2011/07/10 記
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夜間傾聴が久々に機能していた。相模大野校の紹介で飛び込んだ在校生だった。原付の免許取得をめぐるものだったが、背景があった。急場はしのいだが、担当者に連絡をとった。再面談は様子見となった。深夜早朝の相談ではないところに、弾力を感じていたのだ。

横須賀の県立保健福祉大学に出かけた。辻堂からだと横須賀からバスということになる。着いて驚いた。テスト期間中、部外者立ち入り禁止なのだった。8日から今月いっぱい図書館が使えない状態だった。テスト期間前にコピーを回収するためにきたのに、一日遅かった。

横須賀の博物館は、ホタル観察のメッカのようなところだ。私が塾をやっていた頃、毎年葉山と野比の観察会に協力してもらっていた**さんはまだ勤務されているだろうかと電話で問い合わせた。そのような職員はおりませんとばっさり。5年前までは話していたが、「そのような…おりません」はない。

県立大学駅前で、就労相談のために待ち合わせした時間まで、まだ間があったが、移動する気が失せてしまった。帰りにアンガージュマン横須賀に立ち寄ろうかと考え、米が浜方向へ強い日差しのなかをぶらぶらと散歩。

そういえば、元茅ケ崎市議の**さんと発達障がい関連の会のあと、アンガージュマン横須賀を目指して歩いたなと、私に劣らない**さんのせっかちな歩みに驚いたことなどを思い出していた。この道は結構奇妙なひとと歩いていた。小網代の研究者の**さんもせっかちだった。社会思想史畑の**さんは、自宅の鎌倉の日差しと三浦の緑の講義を聞かされた、ゆっくり歩いては、周囲をながめている人だった。小泉系の後援会の**さんとは、猿島のフェリーの取材仲介をお願いしてここを歩いていた。結局店に立ち寄るでもなく、大回り、大汗をかいて県立大学駅に戻ってきた。

スワンベーカリーのパンを選び、そこでかじりながら店員さんと話していると、待ち合わせ時間前に、約束の女性が現れた。

県立大学駅前と約束したが、この辺はプライベートな話をしても大丈夫そうな、テーブル間の距離のあるような喫茶店は全く無かった。横須賀中央駅に移動し、ひと気のない喫茶に入って話をした。

内容は書けないが、どういう加減かこの方は茅ケ崎サポセンに突然あらわれて、軽度の障がいを持った方の就労支援をしている私を団体紹介の中から見つけ出して電話されたということが、事実とわかって驚いた。別に三浦半島からしばしば茅ケ崎を訪れているわけでもなく、私に行きついたのだった。そういうアクセスは聞いたことが無かった。窓口スタッフの方からも連絡をいただいていたので、確かだ。

苦労されてきた方だった。社会は閉じていると感じた経験のある方は、少数派なのかなと、ときどき疑問に思うことがある。ダブルバインドではないが、開かれているとする社会集団も実は閉じていたりする。その非言語的な関係性を感じ取っている方は、さるぐつわをかまされたように言葉を失う。見えない淵に立つ方と私は出会う。私もまた、境界線に立ち、深淵を渡るガイドをする。内ゆえにわかることもあるからだ。勿論のめりこみはしない。

例えば橋本3君の苦しみではないが、倒れた自転車を立て直していたら自転車泥棒と間違えられたり、偶然乗り合わせた知人と話しただけで、ふたりで出かけたことに化けてしまうような物事は釈明しようがない。李下で冠を正さずと世俗では説教されるが、李畑で騒ぐべからずが正しい。そうではないかもしれないというクッションのない発想が人を追い込んでいる。これを統合失調症と結びつけていくのはこれもまた早計。誤解と妄想の森に立ち入ることは、経験と知識が要る。しかし係わる者もまた客観ではありえない。

この方の精神の手帳を拝見し、発行に至る経緯をうかがった。ため息が出た。

これから就労支援ということだけでなく、社会参加という拡がりの慣らしをしようということになった。

このあと、夜になって高2の不登校の方の相談が飛び込んだ。この方もまた、サポセン経由だが、三浦の方とは関連がなさそうだった。心療を中心に回ってきたが薬漬けにされて、怖くなって相談先を探していた。社会参加的な活動体験とからめた就労支援は私のパートだが、臨床心理畑は、辻堂ぽれぽれがいい。その上で、お役にたてそうなら、お手伝いしますと話した。

話が重なる時期ということがある。しかし、こうした底流の水脈から離れてしまった感を抱えていただけに、これは嬉しかった。地元の活動が慢性的に干上がっていたからだ。

帰りに平坂を上って、アンガージュマン横須賀にお邪魔しようとして、時間のゆとりがないことに気がついた。横須賀中央駅の地下で買い物を済ませてバスに乗り横須賀駅に出た。この判断はよかったのだ。茅ケ崎に早めに戻れ、茅ヶ崎寒川獣医師会の先生達と詰めた話をすることができたからだ。愛犬家に電話をし、その方から別の方を紹介していただくという方法を取らざるを得ないが、この方が現在飼っている愛犬との関係を考えて、もうこれ以上受け入れはできないと考えると、取次ぎをしてくれないのだ。そこで道は途切れてしまう。これを越すには関係団体に呼びかける方法しかない。まもなくである。どうしたものかと講演会参加者確保は、自分の団体が一応なりとも動き出さなくてはツイッターを使う気にならない。役員さんの医院を回りながら考えていた。

元の塾の卒業生に電話を入れたが、動物のことになると応答が重くなった。手ごたえがあったのが、藤沢御所見地区の**さん。しかし日程が折り合わなかった。今後の協力者になって欲しいとお願いした。しかし、獣医師会は茅ヶ崎・寒川地区ではなく藤沢獣医師会の管轄になってしまう。

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広報陸前たかたのバックナンバーをDLし、情報チェックしながら夜間傾聴に入った。昨日の相談の担当者の**さんと話しこんだ。うらやましくなるほどに若い。つぶしてはだめだよねえと、ふたりでうなずく。

私が原発作業員をかって出たという噂が職員室で流れていた。ちがうよ、プルトニウムを発掘に行くと言っていたと伝えてくれと言って笑った。イメージの貧困が蔓延している。陸前高田と大船渡がなんで原発なのかさっぱりわからない。そういう**さんも倒潰に注意してという。人と会って調整しに行くといっても通じないのだ。

寺院と(夏休み中か)小学校に行く。避難所を回ってくる。大船渡のコミュニティFMと、新聞社の支社を回る。病院と障がい者・高齢者の施設関係者と会う。会えたらペットレスキューの関係者と会ってくる。

盛岡とはいわないが遠野・住田町いずれかにいかなくてはならないだろう。

ポメラでは役不足だが軽量だからPCの代わりに持っていく。携帯エリア大丈夫なのかなと調べるがよくわからない。

夜間傾聴:昨夜の子の担当者と話す。(chat)


(校正1回目済み)

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7/9 今回は私的な話だけです>父の七夕に連れ添って

2011-07-14 05:00:30 | 引きこもり
2011/07/09 記
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母のダンピングがひどい。前日の食事が堪えたのかと疑えば、そういうことでもなかった。母は大半を残していた。母の寝室は亡くなった曾祖母の部屋を壊して改築したところにある。母は夜中に、曾祖母のおかしな言動を思い出していた。認知症が進んだ結果、妄想があったのだ。馬が出たと大声で私らを呼んだ。隣の家で車が着いたところだった。赤いライトが窓に写って明滅していた。そういういくつもの古いエピソードが、新しい部屋にしたにも係わらず思い起こされ、母は死の影を感じてしまうというのだった。夜中にのう盆を母のところに届けていたが、そんな母の思いには気がつかなかった。故・曾祖母の立ち歩きを制して布団に寝かしつけていたのが私だった。ベッドを嫌がったのだ。二十年近く前の話だ。ひとが壊れていくことを目の当たりにした強烈な体験だった。だから母が急に曾祖母を思い起こしたことを、不思議とは思わなかった。母にとって今回の連想は初めての体験だったという。私が右ひざの粉砕骨折と医療ミスで2年間入院をしていたとき、天井の模様がひとの顔に見えて、眠れない夜をすごしてきたことを思い出した。

まずいなと思いつつ、気晴らしに今夜は外食しようと、浮かない顔をしている母を誘った。母に根菜を煮て冷やしたスープを作っておいたので、少し暖めて勧めた。

父の七夕見学は13時半過ぎの合流の約束だった。少し時間があるので、茅ケ崎図書館の書籍更新をして、平塚に向かった。今年の平塚七夕は、自粛ムードだ。電車が少々混んでいる程度で、乳児の姿も少ない。平塚駅からバスに乗ったのが失敗だった。路線が迂回しているのだ。平塚の市民センターまでなら歩いた方が早かった。遅刻5分。

遅刻を詫びて、父の車椅子のところに行くと、おやおや、老健が貸し出したのだろう、つばの広い麦藁帽子をかぶって、帽子が風で飛ばされないように、父の首にしっかり結びつけてあった。周囲を見渡すと、平塚の様々な施設のマイクロバスがひしめいていた。私たちの集団は、私を除いて全員有償ボランティア。制服のピンクのエプロンをしていた。家族は私だけだった。入所させれば家族は離れる。寒々とした現実。

車椅子の集団が紅谷町の通りを往復した。父に声をかけて飾りのことを指差すが、父は上を向くが、すぐに下を向いてしまう。違和感を覚えて父に聞くと、「見えない」と言った。納得した。父の首は硬くなっていて、大きく上を向くことが出来ない。しかしそれだけではなく、麦藁帽子のつばが邪魔になって上が見えないのだった。頑丈に結んであるので取れない。はずすとき、どうするのだろうと思った。ボランティアさんに冷やかされながら、飾りの下を往復した。私たちだけ、自由行動の時間を貰った。わずか10分だが、父の念願の焼きそばを食べさせることができた。ビールも解禁。思い出作りという嫌な言葉が脳裏に浮かんだ。しかし父は淡々としている。勝手に立ち上がる活力も無くなっていた。そういえば他の入所者さんも、眼差しは宙を舞い、とても七夕を認識しているとは思えなかった。

時間前に集合場所に集まって集合写真。見物の間も何回かスナップ写真を撮られていたから、翌日、白髪頭が麦藁帽子を押している写真が老健の壁を飾るのだなと思いつつ、死と拮抗する高齢者企画の独特の雰囲気をかみ締めて、父を再びマイクロバスに乗せた。

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家に戻ると、母の元気は回復していた。しかし寝不足していたので、帰るまで寝ていたようだ。母は平塚の七夕に行った事がない。話は父が焼きそばを食べた様子を聞いては笑っていた。父は片手が完全に麻痺している。だから私が容器を交互に持ちながら、父の必死の箸使いを補助して食事させていた。あんなにビール好きだった父が、ビールを二口ほどでやめ、ほとんど残してしまった。深部体温が下がっているうえ、気温を感じる機能が衰えているので、ビールが冷たくて嫌なのだ。緩慢な死への衰え?母にも言葉には出来なかった。好みの変化に驚いたというような報告を母にしたが、その父の様子の部分だけ母が関心を示した。

忍び寄る死の影のことは、生の充実と表裏一体のものだ。この拮抗を意識して手綱を手放さなければいい。

今回はこれで。

夜間傾聴:南大沢君(仮名)


(校正2回目済み)

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7/8 就労希望者から連絡が入り/地元獣医師会の防災計画との関連談義が

2011-07-13 03:56:53 | 引きこもり
2011/07/08 記
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突然私の携帯に30~40代の女性から、就労支援の問い合わせが入った。驚いた。携帯に問い合わせが入ってくることは今までなかったからだ。三浦半島側の方だった。外出中だったので、改めてこちらから電話を入れることを約束して電話を切った。

9日に私が県立保健福祉大図書館に、取り寄せコピーの資料を貰いに行くので、県立大学の駅前で合流することに。電話で話を伺って、いろいろな事情のからまった方と知った。精神の手帳を持っている方で、私の活動の主流である地域潜在しているハンデを方たちとは、少しポジションが違っていた。

私は、茅ケ崎の災害対策本部の動物関連の役員の獣医さんのところをまわっていた。11日に関係者の会合があるとのことで、私の活動への協力をお願いしていた。私の依頼とは別に、獣医さんやペットショップの方の今回の巡回は、話に耳を傾けてくださるように状況が積極的に変化していたので、市民活動と連携したケアのネットワークの中で、今後の活動を展望したいと、少し時間をかけて説明していた。

当日飼い主さんや、関心を持った一般の方が会場に、どれほど足を運んでくださるか、全く未知数だった。しかし、関係者には活動の主旨が届いたと思われるほどに、受け取りが好転してきた。いつものことだが、講演会に誰も来なかったときの悪夢を常に感じている。実際何回も干されたことがあるから、なおさらのことだ。それゆえに、話の通じる方たちへの巡回アクセスは嬉しい。なればこそ、徹しなければならないと思う。常に決定の外に待たされるフリーランサーゆえの不安である。直接誘う仲間がいない宿命のようなものだ。

私の活動提案は常に屈折している。状況にコミットするために、戦略性を持たせようとする。「何で今、よりによってペットなんか」という顔をする方が多い。被災者のニーズに応えつつも、「民間直接交流を拡げるべき」という狙いを実現するには、打ち解けた対話では、被災の現実そのものであるより、互いに気兼ねなく対話し続けられる話題、仲立ちの話題が互いを架橋した方が長続きする。

「ペットだ何て、ボケてんじゃない」という方も実際出てくる。なぜ民間直接交流なのかということも、震災から4ヶ月、緊急避難支援期を過ぎて、生活再建・企業復興期の時期の入口に立ち、支援活動の質を「長期伴走型の生計支援」に切り替えることや、その対象者が縁故避難者を含んで8~6万人状態が当分続くという認識がないと話が通じない。

相変わらず公的募金や被災地産商品販売協力と現地作業というところに留まれば、先行きに悲観し自殺に走ったり、仮設住宅の中で孤立死する単身高齢者が出てくるという深刻な事態が既に起きていても、支援はなかなかとどかない。そういう歯がゆさ自身も共通認識ではない。

被災者との対話促進をどう作り出していくか、ここの議論が全く出来ない。被災地外の方は、原発で自分の生活環境の破壊に眼が移り、「東北は大変だ」という遮壁を作って、災害の話には飽きが来ている。退潮の影響を、どうかわしていくかという、活動の質の転換点に立っているという共通基盤がないのだ。

獣医さんたちや市関連行政の方たちは、茅ケ崎・寒川地区の被災時動物保護プランの契機に、ペットレスキュー活動支援の民間活動が、民間活動の芽として使えるかという発想がある。私たちも出来る限り自前の活動を拡げ、湘南の防災へと膨らみを持たせて行きたいが、まずは被災された方への寄り添いの活動を、現地の活動支援という連携を意識して長期安定化と共感の深みへと踏み出させていくことがその大前提になる。

地元獣医師会の獣医師さんたちには、「被災地と連携したケアのネットワークを作りたい」と説明している。一時預かりや譲渡される犬猫も被災しており、善意の引き受けは、生き物ゆえの困難や危機をくぐる。そのとき、地域サポートがないと飼育が続かない。そのサポートには地元獣医さんの協力が不可欠だ。この辺の相互理解のための地域対話が、やっと始まった。

月曜日に会合があるとのこと。この講演会の話が紹介され、検討されることになった。共感してくださることを祈るばかりだ。

「たかがペット」の世間の発想の世界に、私の活動は既に拘束されていない。しかし、そこにどのような直感的な共感をなおかつ拡げられるか。犬猫を引き受けさせられるという警戒感が先立つような反応が強い市民活動の関係者との鬼ごっこの壁を、政治の眼(戦略性の眼差し)で越える者もいないのが実情だ。だから、この獣医師さんたちの間接協力に応えるには、動物愛好家たちを巡回し、協力を得る以外ない。想像力と持続する志によって、必要性と、直感的共感の道を併行して探り続けている。

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岩手県は広い。私の目的の企業主の方は、陸前高田出身の方だが、岩手大学構内に県本部を置き、そこで活躍されている。だから陸前高田や大船渡で会えない場合は、そこから盛岡に出かけなければならない。宿泊地が2泊とも大船渡市内だから、盛岡往復しなければならない事態も織り込んである。往復5千4百円見込んでおかなくてはならない。ならないづくし、車の無い不自由さを感じてしまう。

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明日、テスト屋からのささやかな収入がある。明日は父の老健の七夕だ。父を車椅子に乗せて、平塚の紅谷町の七夕飾り通りを通ってくる。自由時間があれば、父と、父の好きな焼きそばでビールを買うことにしよう。すずめの涙程度だから、これを充てよう。


夜間傾聴:南大沢君(仮名)


(校正2回目済み)


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