湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

10/30 「わーくNo.059」校正済み P.1/2/7/8より」(p.3~6は後日)

2015-10-31 05:41:16 | 地震津波災害ボランティア

2015/10/30 記
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「わーくNo.059 β版」の校正を行いました。峯本佳世子氏の紹介記事を書いています。また神戸のNPO打診がひとつまとめられないかメール交換をしています。了解がとれれば、次回公開します。

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胃の内視鏡病理検査の結果が出て、ほっとしています。胃内壁は正常でした。整形外科の足腰の治療も薬半減になり、薬の離脱に入りました。あちこちポンコツで、いやになります。糖尿病は一生のお付き合い。

「わーく」印刷は明日。11/1号にすればよかった…。

以下は「わーくNo.059」の一部(全8頁)

夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)


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「わーく OnlinePicUp No.059」

(P.1表紙)
☆☆「福島大鈴木ゼミの『いるだけ支援』に教わったこと/学生だからこそ出来る支援の形」☆☆


●NHKの「目撃!日本列島『“いるだけ”で何ができるんだろう?』」が紹介する支援に手ごたえを感じた。熱心な支援者がすでに行っている長期滞在支援であるが、「3ヶ月」という企画に微妙な匙加減を感じた。福島大学行政政策学類の「鈴木典夫ゼミの会」のゼミ生に出した宿題 「3ヶ月の『いるだけ支援』」は学生さんにはベストな支援であると感じたからです。方法は3ヶ月間、ただゼミ生が仮設に移り住み、仮設入居者と生活をともにする」それだけ。この支援は、仮設入居者の方々と仮設の日常生活のお付き合いを通じて、被災とは何か、そしてどのような悩みを抱えている方々がおり、それを自分達が支えようとしているのかということを肌で感じるものだ。

 彼らは「盆踊り」を企画したが、別に企画しなくともよい。ただ入居者の方々と積極的に交際し、お手伝いをすることが義務付けられているだけだ。「盆踊り」は入居者の方々への良い置き土産になったようだ。若者が仮設コミュニティにいるということは、入居者にとっては若い活気を持ち込む価値がある。

 仮設の3ヶ月間を終えたゼミ生から、実にいい感想が出ている。「これってボランティア、超えちゃっている」とか「災害ボランティアじゃないよ。田舎のじいちゃん、ばあちゃんのところに行くような感覚になったんだ」「これからもちょくちょくのぞきにくる」という言葉だ。

 東日本大震災から4年半余経った今、本当に必要な支援は、公的な場の交流から、私的な対話重視に望まれる場面は転換しているように思う。被災者の多様化するニーズと、何気ない出会いの話題に込められた気持ちの交流から伝わることは、実は深く、そしてリアルだ。学生さんという柔軟な時間があるからこそ出来る、的を射た教育的支援活動ではないか。

 「わーく」では引きこもり青年や社会人や、特に家族を持った方々に勧める支援として「被災者宅への民泊と対話」だと提案してきた。家族づきあいできたなら、なすべい課題が見えてくるだろうと言って来た。ただ一般の御宅にお邪魔することだから、先方の負担が大きい。また「"ナイター"と称する"対話"」は、やはり家庭の事情隠しという他人行儀な遠慮の壁が潜む。

学生さんでないと実現が難しいが、「いるだけ支援」は、その難点を解決してくれたように思う。この支援実践を教育関係者に紹介して行きたいと思う。


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(p.2)「<連載>個人医療情報QRカードの検討 018」

<マイナンバー・カードを生活総合カードにするのは危険/機能分割し、災害対策『お薬手帳QRコード版』を作ろう!>

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●10~11月に、マイナンバー・カードの交換券が配布され、予定では来年1月から希望者に「マイナンバー・カード」が配布される。マイナンバーカードは、所得管理や身分証明証になるが、それ以外の生活諸場面の多機能を持たせる予定になっている。特に特定健診の受診記録や、生活必需品である生鮮食料品の消費税2%分の申請による年度末還付などの機能が考えられている。

●しかし、例に例えると運転免許証や健康保険証を掲示して、ポテトチップスを買うだろうか、分散管理されているとはいえ、カード紛失時の個人情報悪用の危険性を感じてしまう。「悪いことをしていなければ、秘密にする必要はないだろう」という論理、税務管理上の利便性はあっても、当人の必要性は納税手続き上の場面しか見えない。機能を多機能化していけばいくほど、自分のすべてを国家に預けて行くような不快感を感じる。このカードに商品ポイントカードや病歴管理を載せるのはどんなものだろうか。従来の機能分散は、ひとつのセクションから個人の全体像が見えないところに、個人のプライバシーが保たれていた。所得管理の必要性は行政の必要性であって、機能拡大は追加の付加価値。この機能拡大はするべきではない。

●「お薬手帳QRコード版カード」は、災害時の治療上の必要性と、生存情報管理の必要性から生まれた。「お薬手帳」の携帯性向上と、プライバシー保護の向上を目的にしている。処方箋書式の変更によって、治療中の病気名と常用薬リスト、緊急連絡先(自宅・職場)そして基礎情報の氏名・年齢・性別・住所そして、任意情報として体重・血液型・アレルギー情報・病歴概要をQRコード化してカード台紙に貼り付ける。それが「お薬手帳QRコード版」だ。応急処置後、入院や通院治療の際、役に立つ。看護師や医師の皆が持つ携帯アプリで読み取りができ、それはメール転送でき、エクセルにも直接読み取れ、手書きカルテより効率的にカルテ化できる。直接は文字情報よりも、記号のために秘密性が高い。自己表現できない乳幼児・傷病者・障がい者・高齢者・外国人の医療情報を保証する。また災害時の生存情報集団発信が出来る。こうした防災カードを公認の任意カードとして、コストと利用柔軟性を考え、わざと古いメディアで提案するものだ。このカードは、マイナンバー・カードの拡張機能として検討されているが、機能分散を担う別カードとして、あえて提案する。(つづく)

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(p.7)
「10/21 阪神淡路大震災(都市型災害)の経験に出会うために、神戸に行ってきました」

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●「災害弱者援護・経験交流茅ヶ崎懇話会」は、年3~4回災害医療と福祉のゲストを招いて要支援者支援の懇談をしている。「わーく編集部」はこの懇談を支えている。第8・9回目のゲスト講師を捜すことを第一目的に、神戸に行ってきました。丸一日の短い時間だったので、事前に打診連絡を入れた上の日程でした。懇話会は「災害時要援護者支援関係者」の集まりで、今回はまず12月末の「高齢者支援」関係のゲスト、そして、来年度4月の障がい者支援」関係ゲストを懇談会講師として捜そうとしていました。

●20年前の阪神・淡路大震災をなぜ今頃とりあげるのかと思われるかもしれません。東日本大震災は、東北3県の太平洋沿岸部が主要な被災地でした。この地帯は第一次産業(主に農漁業)とそれに付随する加工業の、いわば自営業のモノ・カルチャーの町、地縁・血縁の絆の濃い地域という特徴がありました。非被災地からの支援も、「地元商品の購入が被災者の家計を潤す」という論理がそれなりに通用する地域でした。一方、湘南という大都市近郊地域は、様々な職種の人が「賃労働」をしているため、販売収益は被災者に直結していません。その職場に近い、地域との結びつきが希薄な「都市型」といわれる地域です。そこには「都市型」の支援の仕方がおのずと違って来る面があります。この「都市型災害と支援」を20年という長いスパンで追体験させてくれるのが阪神・淡路大震災でした。第二に、街という入れ物への支援から、避難も生活再建も自主解決力の弱い「災害時要援護者」たちを取りこぼさない「ひとへの支援」を関心の中心にすえる人道支援が、まだまだ外野の応援の域を出ない状況に留まっています。懇話会第二回の故・黒田裕子さんの講演の際、復興住宅入居後、絆を失い孤立死に追い込まれる単身高齢者が今も続いているという話に、支援活動は、被災者が復興住宅に入れば終わりというわけではないことを知りました。被災時に心身を負傷した被災障がい者のことも震災の記憶の希薄化によって、見えなくなっています。こうした「要援護者」支援を長いスパンで支えている体験者を捜していました。

●3つの行政・医療関係者と、1つの障がい者施設関係者、3つの支援団体、ひとりの学者さんとひとりの元地方紙記者さんに連絡を取り、すべての行政・医療関係者とひとりの学者さんに出会い、相談を持ちかけ、1件話がまとまりました。「わーく」としては、その経験懇談の中から、若年者の社会参加としての災害ボランティアの企画を抽出していきたいと考えています。「若い力が必要とされる体験」を企画する活動です。

●ゲスト探しの大きな壁は20年という時間の壁でした。災害経験者という条件が出会いを困難なものにしました。行政関係の方がふたりと、ひとつの支援団体代表が来年度ゲストの可能性を含んで継続調整中ですが、峯本佳世子さんという西宮市在住の学者さんが12月末、茅ヶ崎にやってくることになりました。つい最近「地震災害と高齢者福祉―阪神淡路と東日本大震災の経験から」(ISBN:9784861892578)という著書を上梓されています。第8回懇話会は峯本さんをゲストに、関西の長期支援の現状の懇談を行うことになりました。「都市型地域」の要援護者支援の眺望を懇談します。行政の方は来年、議会が終わった時期から後、第9回の懇談を設けます。  (飛田)

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(p.8)
<<11月/金曜災害ミニ・カフェ予定>>
それぞれ pm7:00~9:00 茅ヶ崎市民活動サポートセンターにて

11/6 第40回:
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☆「いるだけで何が出来るんだろう? ~大学生“仮設”で暮らした3か月~」

●6月下旬、福島大学の学生が、被災地では珍しい取り組みを始めた。その名も「いるだけ支援」。仮設住宅に実際に暮らし、「いる」ことで、いつでもきめ細かなサポートをしていこうというものだ。福島県浪江町の被災者が暮らす、福島市の北幹線第一仮設住宅。住民の250人のうち、約6割が高齢者。仮設暮らしが長引き、引きこもりや孤独死も心配だ。果たして“いるだけ”支援は住民に届くのか。


☆「阪神・淡路大震災20年『あの日の記憶をつなぐ~舞子高校 環境防災科~』」


●日本で唯一防災を専門的に学ぶ兵庫県立舞子高校・環境防災科の卒業生に密着。1995年の阪神・淡路大震災の教訓を語り継ぐ取り組みを紹介。

11/20 第41回:
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☆「ハートネットTV『明らかになったDV被害~東日本大震災の女性たち』
☆「ハートネットTV『鉄の扉の中の孤独~阪神・淡路大震災20年後の"教訓"」

●両者とも再検討番組なので、紹介を略します。災害避難生活が表面化を抑制していたDVが、広範に潜んでいた、また災害復興住宅入居後の孤立死急増等、被災後数十年後まで影響が続いています。その事例の記録。

(p.3~6 は、金曜災害ミニ・カフェのレポート。長いので後日)

---- ここまで ----

 以上

 

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10/29 「わーくNo.059」完成、すみません時間切れです、明日へ。

2015-10-30 06:05:32 | 地震津波災害ボランティア

2015/10/30 記
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「わーくNo.059」β版完成。明日、印刷&配布に入ります。時間切れ。すみません。

夜間傾聴:臨時休業

(校正1回目済み)

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10/28 金曜災害ミニカフェ11月分作成と阪神淡路大震災

2015-10-29 06:28:49 | 地震津波災害ボランティア

2015/10/28 記
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「わーくNo.059」に、「No.058配布中止のお詫び」を書いてから、「11月の金曜災害ミニ・カフェの予定」を書き始めた。今回は、2回のカフェは、「阪神淡路大震災・都市型災害と復興長期スパンの視座」と「大学生・高校生の災害ボランティア」を取り上げることにした。

前者は「発災時の教訓と公営災害住宅(復興住宅)入居後の課題」を取り上げた。ここについては、阪神淡路大震災が「20年の経過吟味から、今後の震災がたどる道(未来)予測」や「都市型災害と市民の自主救助とトリアージ」など、都市型災害経過予測と災害弱者救護という、ふたつの課題を取り上げた。未来を覘くために(時間的な)過去をさぐる意味が有るということだ。

神戸に行く前に、西宮・東灘・中央・長田の災害ボランティアと医療・行政関係者に電話やメールで問い合わせをかけていた。日程的な問題や、政党的ふるいかけに遭い、数団体は破談になってしまっていた。また今回は震災障がい者の話があるだけで、障がい者の被災を語る団体がみつからなかった。20年と言う年月によって、支援活動体験がたどれなくなっていた。

来年松の内が取れてから、もう一度、神戸長田・中央・・東灘と大阪豊中を訊ねてみようと思っている。政党的なふるいは失礼だと思いつつ、内容の質の高さがあるので、NPOを訊ねてみる。また行政には依頼書をもちつつ2市に行く。

あと2ページ。

仙台と気仙沼・大船渡の巡回もせねばならず、来年実現する。

夜間傾聴>なし

(校正1回目済み)

 

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10/27 「わーくNo.059 」に「誰もが助かるように3部作」感想を

2015-10-28 05:58:10 | 地震津波災害ボランティア

2015/10/27 記
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母の熱が下がり、ほっとしている。普段元気なひとだからとは思いつつも、高齢者の元気は綱渡りのような元気の場合も多く、つまづくように急激に体調を悪化させる場合が珍しくないからだ。耳鼻咽喉科に連れて行ったが、空気乾燥が原因で風邪もどきになったらしい。

ひとりでも平気だと、遅刻してリハに出て行った。

NHKの「シリーズ・誰もが助かるために・3部作」(計90分)の「わーくNo.59」用の感想文を書いた。(下記)

関西の某病院の理事長(もと院長)から追加電話あり。医師や看護師が複数名入れば、3ヶ月の余裕があれば出かけるとの話だった。勿体無いので、心当たりの関係2団体にメールを出した。うちでは無理だ。

---- ここから ----

●ハートネットTV「シリーズ・誰もが助かるために」  第1回「避難 その時」

*陸前高田では123名の障がい者が亡くなった。障がい者の4割が、発災時、誰の支援も得られなかったという。被災死亡者の2倍の死亡率だ。障害者フォーラムの調査からわかってきたことは、障がい者の死亡と同時に、助けにいって亡くなった方もまた多いこと。しかし「非常時だからしょうがない」と結論づけていいのだろうか。

*2013年災害対策法によって「避難行動要支援者名簿策定の義務化」と「個別支援計画の策定(ガイドライン)」が決まった。しかし、その名簿の活用、支援計画の準備が進まない。多摩市馬引沢自治会の例を検討する。障がいの状態を踏まえた計画をふまえて、支援員さんを中心に実際に避難を試みる。埼玉県の筋ジストロフィーの梶山鉱平さんが避難方法の訓練を呼びかけており、そのことを通じ通じ、当事者が周囲を変え、日常的な接点を生み出して行く。

*これが発達障がいや、知的障がい、精神障がいの方の場合はどうなるのだろう。何を準備しておけばいいのか、決められた支援者がいるとは限らない状況を考えると、どう地域の支援を生み出していけばいいのか等々、課題がますます膨れ上がってくるのだ。


●ハートネットTV「シリーズ・誰もが助かるために」  第2回「避難所生活を支える」

*避難所の環境に適合するのは無理のため苦労する、石巻の重度の発達障がい者・浅野敬志さんと、脳性麻痺のある伊勢知那子さんの事例を追った。浅野さんは環境音が苦手。パニックを避けるために、結局、半壊した自宅に戻らざるを得なかった。伊勢さんは、呼吸器使用と提示吸引が不可欠で、停電環境を避けるために、拠点病院までの避難をドクターヘリによる移送を依頼した。ところが病院は,生死の境にある重症患者さんを優先するためにと、知那子さんは元の避難所に帰されてしまう。行政とかけあっても話はからまわりした。それは、役所には「みんな等しくあまねく平等に」という発想がのこっており、特別な支援を必要とする障がい者をも、その原則に従わせようとして、知那子さんは「合理的な支援」を求めて臨時仕立ての福祉避難所への移動を決めるが、介護する家族が分断される事態に、自宅にもどらざるをえなかった。

*福祉避難所も多様なニーズに支援者不足の壁にぶちあたる。結局、全国の専門職ボランティアに依頼することによって、山を越えた。福祉避難所の運用については、訓練を通じて要援護者さんのニーズに答えられる多職種ネットワークを育てていくことで、実行力を高めて行く必要が有る。


●ハートネットTV「シリーズ・誰もが助かるために」  第3回「"生活不活発病"を防げ」

*避難所入所後の高齢者の間に「生活不活発病」が広がっている。南三陸町では、災害以前歩けていた高齢者の3割が歩行困難に陥ったという。今回は釜石市の特養に入所している平野悦雄さんを例にとった。災害以前、徘徊のある認知症を発症していたが、避難所では入所者への迷惑を考えて、じっとさせていた。仮設に移住しても、外に出さなかったところ、やたらにころんだり、自分で食事することも困難になって、特養「あいぜんの里」に入所することになった。車椅子上で両手は抑制されており、胃ろう。避難生活が悦雄さんの自由を奪ってしまった。こういう方が多い。そこで高齢者の方々に出来る役割を持ってもらいカフェで交流する試みが始まっている。大船渡の「居場所ハウス」(来年度懇話会で招待予定)が素敵だ。

---- ここまで ----

夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)

 

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10/26 足踏み状態です

2015-10-27 05:45:32 | 地震津波災害ボランティア

2015/10/26 記
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母がリハから帰宅後、不調を訴えて母に付き添い、かかり付けの医者へ。前日の遠足時、風邪を引いた模様。熱が高く咳き込むので、処方薬を飲ませ寝かせたが、ダンピング併発。薬を吐いてしまうので、夜間傾聴の電話待機を行いつつ、体力がまだあり咳が止まったので大丈夫と思うが、母の経過観察中。明日は私の胃壁の病理検査の結果が出る。年寄りばかりの家庭は、こういう憂鬱なことが続く。作業も今夜は集中力がなくなって困っている。

拡大読書機「よむべえスマイル」のマニュアルを読んでいる。印刷物の読み上げ機能よりも当座は拡大機能を使うことになる。読むよりも、やってみた方が早いのかもしれない。

明日、神戸の未定の依頼者の職場に電話を入れる。多少情報が入るかと思っている。

「わーくNo.059」、編集あと3頁。全8頁・今月内発刊予定。

パキスタン・アフガニスタンで大地震。

夜間傾聴>ひとり・後半中止

(校正1回目済み)

 

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10/25 「わーくNo.059」トップは「福島大鈴木ゼミの『いるだけ支援』に教わったこと」

2015-10-26 06:13:39 | 地震津波災害ボランティア


2015/10/25 記
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「わーくNo.059」のトップ挨拶の話題は「福島大鈴木ゼミの『いるだけ支援』に教わったこと」です。


---- ここから -----

★「福島大鈴木ゼミの『いるだけ支援』に教わったこと」★

NHKの「目撃!日本列島「“いるだけ”で何ができるんだろう?」」を見ていて、これだ!と、ついリモコンを握り締めてた。

福島大学行政政策学類の「鈴木典夫ゼミの会」のゼミ生に出した宿題「3ヶ月の『いるだけ支援』」が学生さんがなしうるベストな支援であると感じたからです。方法は3ヶ月間、ただゼミ生が仮設に移り住み、仮設入居者と生活をともにする」だけ。この支援は、仮設入居者の方々と仮設の日々の生活のお付き合いを通じて、被災とは何か、そしてどのような方々を支えようとしているのかということを肌で感じ取ることを狙ったものだ。

彼らは盆踊りを企画したが、別に企画しなくともよい。ただ入居者の方々と積極的に話し、お付き合いをすることが義務付けられている。盆踊りは入居者の方々への良い置き土産になったようだ。若者が仮設コミュニティにいるということは、その活気に価値がある。

仮設の3ヶ月間を終えて、ゼミ生の実にいい感想を聞いた。「これってボランティア、超えちゃっている」とか「災害ボランティアじゃないよ。田舎のじいちゃん、ばあちゃんのところに行くような感覚になったんだ」「これからもちょくちょく遊びにくる」という言葉だ。

東日本大震災から,4年半余経って、本当に必要な支援は、公的な場の交流から、私的な交流に場面は転換しているように思う。被災者の多様化するニーズと、何気ない出会いの話題に込められた気持ちの交流から教わることは、深く、そしてリアルだ。学生さんというフレキシブルな時間があるからこそ出来る、的を射た活動ではないか。

「わーく」では引きこもり青年や社会人や、特に家族を持った方々に勧める支援が「被災者宅への民泊と対話」だと指摘してきた。家族づきあいできたなら、課題が見えてくるだろうと言って来た。ただ普通の御宅にお邪魔することだから、先方の負担が大きい。また「"ナイター"と称する"対話"」は、やはり家庭の事情隠しという他人行儀の影が宿る。

学生さんでないと実現が難しいが、「いるだけ支援」は、その難点を解決してくれたように思う。この支援法を大学関係者に紹介して行きたいと思う。

下記を参照されたい。なお近畿地方の方は11月1日に、紹介番組「目撃!日本列島「“いるだけ”で何ができるんだろう?」」の再放送がある。NHK同日の午前中らしい。

> 商号(学生団体)福島大学災害ボランティアセンター
> 商号(かな)がくせいだんたいふくしまだいがくさいがいぼらんてぃあせんたー
> 業種ボランティア団体
> 所在地960-1296
> 福島県福島市金谷川1番地
> 電話番号(代表)080-4076-1878
> 設立日2011.05
> 代表者名鈴木 典夫
> 代表者名(かな)すずきのりお
> 担当者大矢直輝
> ホームページURLhttp://fukudai-volunteer-center.jimdo.com
> e-mailfukudai_volunteer@hotmail.co.jp

同番組の記録

2015年10月17日(土)午前11時30分~午前11時54分 NHK-G

http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/1614/1077199/index.html


NHKの紹介は上記のURLの通り。


----- ここまで -----

懇話会の来年の障がい者支援関連の懇談は、年度末議会が邪魔をしている。かと言って1月では、予算が続かないということで、来年度の4月になりそうだ。阪神淡路大震災の際、現場実務に携わった経験のある行政または施設関係者とそのOB・OGを招待する予定。今、依頼をかけている方は、某行政の部長職なので、難関ではあるのだが、都市型の成人障がい者被災の課題を見つめて行く。

ただ、4月というのも開きすぎの感があるので、1月ごろにインタビューをかけ、懇話会ニュースに載せられないか考えている。

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母が遠足に言って来た。文教大のそばの公園で弁当を食べてきたという。マイクロバス送迎なので、つまらなかったと、夕食に準備した煮魚を猫なみに食べだした。食欲あればよしと飯を食べさせたのがいけなかった。夕食前、急にダンピングが始まり、世話をしていたら、私の食欲も失せて、その反動が深夜にやってきた。冷蔵庫のゴキブリをやっている。

神戸からの帰り、**子の希望に合わせて、**子の傾聴をした。睡魔との闘いだった。翌日親御さんから謝罪のメールが届き、当人さんが叱られてへこんでいる模様。事実、足や肩の痛みを我慢して聴いているうち、舟を漕ぎそうになったのだが。深夜2時過ぎに当人から電話が入り、しばらく話した。また睡魔が…。

<<気になった記事>>

●「介護施設に「カジノ」、効果は 疑似通貨でパチンコなど」(朝日)

----- 効果はともかく、この発想、嫌いだなあ。


夜間傾聴:**子
     ひとり

(校正1回目済み)

 

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10/24 神戸行で集めた資料を整理しつつ

2015-10-25 06:13:06 | 地震津波災害ボランティア

2015/10/24 記
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関西にでかけて仕込んだ資料の整理を済ませた。次に誰を関西から招くべきかの参考資料。神戸新聞に立ち寄れなかったのが残念。

人と防災未来センターの「講師所属団体情報紹介依頼」を担当者に伝えてもらう件、伝言ゲームの恐ろしさを踏む結果となった。阪神淡路大震災は20年が経っている。当時の現場担当者で、障がい者保護の体験者を捜すのは退職者も多く、困難が伴う。発災以降の保護活動を語れる公助の立場にいた担当者と接点を持ちたいので、所在等の情報があれば教えて欲しいという依頼に対し、「1)センターの語り部は派遣をしていない。2)経過については被災誌資料があるので、それを読むべし」という応答だった。若い方かなと思いつつ、社会活動が連綿として引き継がれている評価と認識がないなと、情報が得られないなとは予想してはいたものの、やはり箱ものの感を禁じえなかった。直接会っていたなら、こうはならず、「センターはそういう仕事の場ではないので」と断わられていたろう。この辺は、組織内震災体験者の爺婆でないと、非公式の言葉を漏らすその元の知識がないのだ。

メールには、了解しましたと書いたが、ため息をついていた。

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母が明後日、施設の遠足とのことで、手伝わされていた。以前、亡き父の所属していた老健の職員に阪神淡路大震災の被災体験を持つ方がいらしたので、念のため職員さんに、阪神淡路大震災の話がわかる方ご存知でしょうかと質問して驚いた。」やだな大震災は東北ですよ」というのだった。彼はスポーツ団体の関係で昨年仙台に行ったのだという。ありがとうと質問を閉じたが、20年は遠いと改めて感じた。

「わーくNo.059」に「No.058」休刊のお詫びと神戸巡回の報告を入れる原稿を仕上げていた。阪神淡路大震災のとき、いわゆる民間ボランティアの存在が特徴付けられたが、評価となると東日本大震災のときまで待たねばならなかった。しかし、全国から被災地に集まったボランティアの「お互い様(共助)」の発想の価値は、阪神淡路大震災をざっくりとらえる意味で、不可欠のものだが、水俣訴訟の際語られた生活者の視座からというひとの自らを問う視点は、「善行の酔い」が邪魔して深まらなかった。だが阪神淡路大震災の時代は個人の社会活動参加にウェイトを置いてみたほうがいいとされる。しかし私は質の高い活動は、地元の行政や医療専門職のなかにあると思う。私自身、災害ミニFMの後方支援をしていたので、外巻きではあったのだが。

前回のブログに載せたような、湘南の高齢者と東北の高齢者の地域的差異から、よりフィットしている活動を煮詰めていくために、都市型といわれる阪神淡路大震災の、特に対話型の諸活動を捜す必要があった。この鍵を握る方と合いたかった。峯本さんは、その地域の繋がりに、役割的に明かりを点してくれる方だと思う。その見通しの中で、ひとを求めつづければいいと思っている。峯本さんの著書の提案は、それはそれで重要だが、
ひととの出会いをひらく書でもある点で、その二極を追うつもりでいる。

峯本さんは西宮という場は、NHKバリバラのMC玉木さんの地元だという。玉木さんは茅ヶ崎にいらしたこともあるので、候補からはずしたが、面白い地域だなと思う。

まずは、今日、そのつながりの整理を終え、母の誘いから頬かむりして逃げ出していた一日だったのだ。

夜間傾聴>なし

(校正1回目済み)

 

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10/23 懇話会に峯本氏を招待した理由について

2015-10-24 06:04:30 | 地震津波災害ボランティア

2015/10/23 記
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今回の峯本佳世子氏招待は、阪神淡路大震災の救護支援に携わった方と接触することの難しさを感じたことが背景にある。阪神淡路大震災を取り上げるのは、東日本大震災の要援護者支援とひとくくりにしてきた高齢者支援を取り上げるたびに、湘南の高齢者像とのずれを感じてしまうからだった。いわゆる都市近郊型という湘南の地理環境が見えてくるからだった。

被災三県太平洋沿岸部は、農業・漁業とそれに結びついた生鮮食料品加工業に家族全体が自営的に就労している姿があって、高齢者もまた、体の続く範囲で働いている姿を見かける。一次産業のモノ・カルチャーのなかに、家族がどっぷり組み込まれている。それが媒介する地縁・血縁が濃厚に残り、隣人が親類のような感じで生活している。これが高齢者の元気を支えており、それであるがゆえに、寝たきり状態や認知症発症者の高齢者の闇もカードの裏表のようにまた濃い。この地縁・血縁の絆の強さと、家族的就労従事による高齢者の元気さが目立っている。お互いの支えあいの強さと、特殊事情(家庭の事情)への抑圧という掟があり、それが世間体と迷惑意識の形で表出している。地域の常識の範囲内の苦難援助が存在している。

このことが、外部支援者にとっては、田舎の知り合いへの支援というような微妙な距離を生み出し、それゆえに善意の提供と支援者の外野的関わりを許容することで、ボランティアという緩い関わりをまた育てることになった。

しかし、阪神淡路大震災のとき、支援者が見たものは、家族の危機への共助・公助の薄さであり、たちどころに孤立にさらされる災害の恐ろしさだった。つまり被災者と支援者に明快なバリアはなく、地域産業復興が東北より中心に定まるわけではなかった。就業者は賃労働人口が多く、自営業が東北よりは割合が低いのだった。ゆえに高齢者は定年退職者や、家族の被扶養者、つまり早期に無職の状態にあり、隣人と同じ職場が仲介する家族である確率も低く、地域が高齢者間の絆を育んではいなかった。

災害時の高齢者支援と言ったとき、東日本大震災の流儀で湘南の高齢者支援を考えるわけにはいかないのだった。湘南は都市のベッドタウンであり、家庭の中に高齢者がおり、単身高齢者は、趣味的なつながりや、病院通院やペットを仲介とした浅い関係で結びつく以外は、家族という陣地をもたぬがゆえに、地域では負の関係に陥りやすく、孤立する。

被災者支援を行う際、阪神淡路大震災では「生命の保全」という共通項が全面に立ったのは、被災の影響が個々人に与えた格差が非常に大きかった。地縁のような強いセイフティネットが形成されていなかったことが、ボランティアの存在意義を高めていたともいえる。

このふたつの大災害を経験しつつ、高齢者支援の現場に立っていた方を捜すことは、発災後20年を経てますます困難になってきていた。支援者の高齢化である。

ゆえに災害現場に立っていた方で、その被災ダメージの差異と生活再建の長期的支援経験を取り上げる仕事は、今、なさねばならないことといえると思うのだ。

寄って経つ再建の手がかりを私達は捜さなければならない。その手がかりを介護福祉の社会システムから掴み取る試みをしている研究者がいらした。このことが峯本氏を選んだ理由だった。いまの介護のネットワークの結節点である「包括支援センター」が、力と統治能力があるという期待はしないが、システマチックな意味で「地域コミュニティ」作りの現実的な経路となっていくとする論を考えたい。

勿論、この論には障がい者の地域ネットワークとの関連が検討されていないという限界はあるのだが、個々の施設からの支援という従来の支援パターンを一歩「踏み外してみる」議論、ネットワーキングの価値を検討する視点を含む話題が出せると考える。

これが峯本氏にお願いした無理難題だった。勿論、解決法を知らせるという議論ではない。懇談の話題の切り口を提供してもらいたいからだ。

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金曜災害ミニカフェは、前回やり残したNHKの3部作「シリーズ『誰もが助かるために』」を提供した。論点のシャープな質の高いドキュメントである。


夜間傾聴:ふたり(お帰りなさいという意識なし、全く…)

(校正1回目済み)

 

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10/22 神戸に懇話会ゲストを捜しに行ってきました

2015-10-23 05:25:17 | 地震津波災害ボランティア

2015/10/22 記
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災害弱者の救護について、阪神淡路大震災の経験を踏まえた実践されている方を求めて、神戸市内を回ってきた。

事前に調整していた峯本佳世子氏の地元西宮にお邪魔してきた。峯本氏は新刊「地震災害と高齢者福祉―阪神淡路と東日本大震災の経験から」を上梓されたばかりだが、都市型災害時における高齢者救護を、既存の社会システムを手がかりに、地域コミュニティを育てる方策を一歩進めている。第規模災害発災時の救護と避難以降の健康管理は、地元専門職だけではとても間に合わない。発災後数日たつまでに全国から自衛隊やDMATのような災害医療専門職団体が、現場では各団体の支援系統によって救護活動が行われる。この活動と連携しながら、地元はどういう救護システムをまとめていけばいいのだろう。しかもこの後、全国からNPO団体が支援にやってくる。その受け皿をどう形作り、地元の息の長い支援システム作りにいかしていくか。そこに医療・介護・生活サポートの地域コミュニティ作りを推進する要として、地域包括支援センターを考えた。

現在の地域包括支援センターの力で地域を支えるというのではなく、各NPOの独自の支援をばらばらに委ねていくのではなく、都市型では全く育っていない地域共助の部分を力づけていくように、関連づけていくというように、「地域包括支援センター」の役割作りと、「地域コミュニティ」の大きさの基本単位とてこ入れの重要さを語っている。

全体として、現在有る地域のシステムの把握の再整理と、大震災の教訓をどう取り込んできたかといういわば経過のパノラマのような印象を持った著作となっている。

まだ誰がどのように地域コミュニティを活性化していけるのかという突っ込みまではいかないが、既存のシステムをどう系統化して活かしていうかという視点を整理してくれる。

ふたつの大震災を踏まえて高齢者福祉に活かして行くかという類書の少ない課題にとり組んでいる点で、私は峯本氏の語りを取り込みたいと考えた。障がい者支援コミュニティとの関連が語られていない点が物足らないのだが、ここは峯本氏が意識していることであり、研究の現状段階として今後に期待するところなのだ。

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私は峯本氏の御宅の最寄駅の喫茶で、失礼承知で、いつもの調子でづけづけと話したことをお詫びしなければならないと思う。しかし、懇話会ゲストを引き受けてくださった。感謝します。12月の末、日程調整して懇話会を開くことに。

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私は峯本氏の面会の前に、灘の「人と防災未来センター」に立ち寄り、学芸員の方に阪神淡路大震災時、障がい者の方たちの支援を行ってきた方で、現在もNPO活動などをされている方をご存知ないかと打診にうかがったのだが、この日、担当職員全員が出張されており、アルバイトの方に用件を託してくるという空転となった。特に一般展示の説明を行う当時の被災者の語り部の方が、熱心に自分の被災時の体験を語り、分刻みで巡回しているため、いかにひどかったかという体験談から離脱できなかった。当人には心に刻まれた体験であり、震災を切り抜けた貴重なお話なのだが、私がNPOであり、目的が学芸員さんへの問い合わせに来たのだという説明が、全く通らないのに閉口した。災害を語る上で、震災の悲惨さの貴重な証言であるが、体験という場を越えて、どう解決していくかという鳥瞰の視角が大事。この切り替えの部分に断層があるのはわかっていたが、まいってしまった。

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また応答メールが途絶えていた病院では元院長(現理事長)との面会は果たせなかったが、電話でお話をいただいたが、要は病院の医師や看護師や消防署の救命士のような医療関係者が懇話会に参加しているかという点が、難点となっていることがわかった。懇話会が成長したらお願いしますということで終結。

峯本さんの話のあと某区の社協と区役所に、阪神淡路大震災の障がい者支援をされた行政職員の方と話すことができた。部長クラスの方で、来年はじめは議会があるので、4月初めの参加を検討していただけることになった。南海トラフの余波の話を含み関西は阪神淡路以降の長い期間の検討を踏んでいるので、少々異なる話もうかがえそうな話題が、すでにでてきていた。是非ということで、今後メールで検討をするということになった。

神戸の市役所と社協は時間切れ。東日本大震災のとき、障がい者支援をしてきた施設関係者の方と夕食をいただいた。故黒田裕子の活動関連の方のその後の情報を知ることができた。彼自身は、東京に何回か行く機会があるというので、茅ヶ崎に立ち寄って欲しいとお願いをした。

こうして、駆け足の関西訪問は終わったが、しかし往復の高速バス乗客にはびっくり。行きは3名の貸切り状態。帰りは途中からの乗車客があったが6名という状態だった。行きは私以外は中国人。帰りは、私と女学生さんと彼を除いた3人はアジア就労系の外国人さん。昔、青春18切符で各駅の大垣駅行きに乗ったことを思い出したが、もはや高速バスはおじさんのものではないことを実感。全然眠れなかったが、今は異様にハイになっている。朝のゴミ出しすませたら寝るが、金曜災害ミニカフェは下手したらいびきをかいているかもしれない。

夜間傾聴:臨時休業

(校正1回目済み)

 

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予定の契約ひとつと

2015-10-22 05:45:40 | 地震津波災害ボランティア
2件の進展がありました。
詳しくは今夜。
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バスに乗りました

2015-10-20 21:17:37 | 地震津波災害ボランティア
すごい!乗客3名。
貸し切り状態です。
予感通り。
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10/19 明日の夜は高速バスの中です

2015-10-20 05:52:40 | 地震津波災害ボランティア

2015/10/19 記
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西宮に出かける前に、ビッグイシューの配達や、懇話会の熱心な参加者の昼間在宅の方々への現状連絡をしていた。一応の関西ゲスト候補まわりの予定を知らせた。高速バス2泊の日帰りのようなものなので、多くは回れない。2ヶ所からは、話だけは聞いてくれる約束を取り付けている。しかし、そのうちひとりは協力者であって、ゲスト本人ではないのが残念。

いずれにせよ「人と防災未来センター」や「神戸市役所」などは巡回してくる。離れた「豊中社協」や「宝塚(故・黒田裕子氏団体)は、時間切れかなと。

ゲスト関係の著作や資料を読み込んでいるので、今日はここまで。今晩はバスの中なので、発信できたら載せます。

夜間傾聴:臨時休業

(校正1回目済み)

 

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10/18 20~22日、関西に行きます。書き込み減りますがご容赦を!

2015-10-19 02:45:22 | 地震津波災害ボランティア

2015/10/18 記
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20~22日、阪神に出かけるための準備の一日。塾屋の方の日程調整、夜間傾聴登録者への留守確認、私の担当、軽度障がいを持つ通塾会員さんたちへのメール確認。母の見守り(と言っても1日2回覘いてもらうのだが。)をお願いした浜見平の++さんとの調整、私の目のため、持ち出すPCは、OSとアプリの応答コマンドが字が小さく、設定でも文字の大きさが変更できず見えない点で、携帯の虫眼鏡アプリで画面を拡大して越える。アプリ動作時、タッチ画面に接触しないように、ピントを浮かせて保つプラ板を着脱する動作確認。携帯の補充電源用乾電池と電源ケーブルの接触テスト。日帰り分、着替えのセット。まったく、これらをばたつきながら、なんとか終了。

今は講師**さんの本を読んでいる。概要は知っているが、せめて1冊は読み上げておきたいと頑張るが、目が言うことを効かないので、闘いになる。裸眼で冊子印字紙面から数cmでピントが合うため、横書き改行時、次の行が混乱して読書が進まないという闘いだ。早く「拡大読書機」を使えるようにしないと…。

とまあ、こんなことをしているうちに、一日が過ぎた。

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陸前高田の震災ガイドをしている##さんから、CMメールが届いた。欄外の文面追伸のなかに、見学者の大半が予備知識不足という状況に、実はうんざりしているとのこと。そういわず、続けてくださいとメール応答。もう少し、まともなことを書けないものかと自己嫌悪。

今日は、**さんの本を読み上げることに時間を使いたいので、連載はパス。


夜間傾聴:なし

(校正1回目済み)

 

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10/17 仮設・地域における回復期の障がい者の治療支援&保健活動を切り出す(4-10)他

2015-10-18 06:07:21 | 地震津波災害ボランティア

2015/10/17 記
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(前回の続きから)

仮設入居後の被災者ケアをしていると、孤立死は病死が多いが、被災者全員が大なり小なり抱いている「将来への不安」、亡くなった被災単身者は孤立に苛んで如何ばかりかと思う。自殺等とは別に病死者を扱うが、孤独の深さは比較すること自体無理があるが、そこに病死の影に隠れた不安の深淵をみる。

仮設入居被災者の誰にでも、支援者の心に中にも広がっているものを考えると、被災者ケアの仕事の視野の深みをバランスの取れた行動のなかに、併存させていくやるせなさ。

孤立死を被災単身者の特別な状態としてしまうのではなく、つまづけば孤立死してしまう。だから引きこもり青年にとって桎梏の如く現れた家族の絆は、ここでは安全弁となっている。しかし、宮城県の調査では、被災者家族内の引きこもり青年の自殺率の高さを指摘しているように、両刃の剣の性質がある。ほほえみと激昂が表裏一体にあるような世界でありながら、被災者と親しくなることの意味を考える。

別に難しいことをいっているのではない。被災者の優しさを受け止め見守る作業の魔の座敷わらしを認めていこうと思うのだ。

福島大学の鈴木ゼミの諸君が、仮設に3ヶ月間ただ住み続ける、居続ける支援を行っているという。素敵な支援法だと思う。私が以前描いていた民泊の勧めと一脈通じていると感じた。彼らが積極的に訪問し話しかけて行ったり、盆踊りを仕掛けていったりする中で、彼らの爺さん、婆さんが出来たというか田舎ができたと経験者がいう。こういう支援をじつは待っていた。それで、被災の記憶の悲しみが噴き出してきたとき、彼ら、大丈夫かなと思いつつ、思いを描いてみた。番組はNHK総合の番組だった。

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安い液晶ディスプレーを買った。やっと拡大読書機をなんとか使える状態に近づいた。D-sub15 ピンの接続なので旧型機を買ったが、HDMIからは、変換ケーブルが必要。出力・入力の逆方向の種類があるようで、一度家に戻ってしまった。PCがHDMIなのだ。拡大読書機は音声読み上げ機能がついているので、私はまだ、ここまでは必要ないのだが、遊べそうだ。聞き取り練習しておくのも手かもしれない。

西宮に行く。人と防災未来センターにも立ち寄る。こちらは執筆依頼の件がある、難しい交渉ではあるが…。持参する懇話会通信をプリントアウトした。

足腰の具合がまだ完全ではないので、土曜日は医師がいないので、クリニックのリハのPTさんに相談した。頓服薬をもらえと切ない応答。母の見守りの方もOK。準備が出来た。

17時にビッグイシュー販売者の++さんと会う。軽度の知的障がいのある方で、ついにメールアドレスを教えてくれなかった。メールは出来ないのだと悲しい声。悪いことを聞いてしまった。寿町でボランティアに参加したそうで、糖尿病が悪化しているので、医療ケアのボランティアがつきまとってうるさいそうな。飲酒禁止令。

さっそく個人購読者宅をまわって、本を置いてきた。定価で販売者さんから買うから、交通費分赤字。

もう10年経つか、ボランティア参加していた##子が、病死し昨日命日で、%%君に立替えてもらったご仏前の果物代を送金。少し前までは土曜日は余計な手続きは出来なかった。時だけがどんどん過ぎていく。

ゲストの**さんの著書を読み進めている。仮プランが明快で、読み進めると構図が目に浮かぶ。

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夜間傾聴:ひとり(対応して話していると、同じ姿勢でいるのが原因か、痛む側の膝の両側の筋肉の痛みがきりきりとしてきたので中断。ごめん。)


(校正1回目済み)

 

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10/16 仮設・地域における回復期の障がい者の治療支援&保健活動を切り出す(4-09)他

2015-10-17 05:20:15 | 地震津波災害ボランティア

2015/10/16 記
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(前回の続きから)

「地元産品を購入することで地域が潤う」という話がでたときに、「かもめのたまご」や「酔仙」を買うことで、被災者の家計が潤うかという反論をしたことがある。この手の発想は家族経営の第一次産業従事者の支援のイメージが強い。しかし、地元大手の賃労働をしている方にその潤いが届くだろうか。年金生活家族に恩恵は届くだろうか。自営業支援のこのスタイルは、都市型の支援活動では、トリクル・ダウンの発想は空想に転じ、使えない。

湘南が大規模災害を蒙って、被災者の避難生活を非被災地域からの支援がどのような形をとるのだろうか。避難所生活時は、生活の不自由さを物資やカンパで直接支援出来るが、仮設入居以降は、非被災地からの支援は明快な支援法を失ってしまう。

地域復興支援に関わるためには、現地の援農・援漁や、現地産生鮮食料品の購入という、いわゆる従来の現地産購入の手が使えるが、地域の生活再建となると、長期化の傾向が有る仮設生活のQRL向上とはどんなものか、都市環境型仮設ではどうか、そのとき自力再建を行う方や、復興公営住宅に移り住んだ方、復興公営住宅の入居を考えている方に、その領域の支援はあるかと考えていると、沈黙している災害弱者は地域企画支援にぬりこまれてしまう。ひとに視点がもどらねばならない。だから医療と保健、教育と福祉という領域の支援が登場し、それが非被災地の方が参加しやすい枠組みを練る、参加の裾野を広げる必要が出てくる。

最近、NHKの「あの日 わたしは」の5分間番組が、いかに被災し、そこから脱したかという話から、「その後、いかに過ごしているか」というまなざしが入ることが増えてきたように思える。また被災者の多様性も明快になってきたように思う。ただ依然として避難以降の話題は出てこない。

大規模災害発災時以降、避難生活のひとの命と健康に関わる医療・介護を担う専門職は、昼夜をとわず、戦争状態の忙しさになる。非被災地からの専門職のお手伝い(仕事は補佐に留まるが)の輪を明示化していく作業がいる。現場の経験がいる。だからつながりたい。専門職派遣の他に、この分野に素人が参加できる構想・枠組みがいる。

(つづく)
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出版社経由の講師**さんから再び連絡があった。やっと話をすることができた。**さんと調整をする相手としてだけは認められた。21日は「フィンランドのソーシャル・ファームの報告会」と重なってしまうが、やっと接点を生み出せた西宮の御宅にお邪魔する約束を優先することにした。

往復高速バス2泊、「神戸に行くのに2泊?」と笑われそうだが、現地泊は、あきらめた。20夜~22日朝、出かけることにした。さっそく高速バス券を買いなおした。**病院の院長さんには、電話を入れたがお休み。体調がよくないとのことで、上記の日程で、会うことができたら幸運と思うことにした。

今、**病院に行けない場合、阪神淡路大震災の被災障がい者の保護活動関連の関係者に会えないか探っている。2月の懇話会は宮城県の3.11被災障がい者の保護活動関連の関係者を招くつもりだが、来年度の懇話会への打診ということだ。今、大阪の1団体が候補にあがっているが、時間的に苦しい。他のゲストはいないか探っているのだ。

この団体は、発災時点の避難活動にテーマが閉じるのではなく、地域コミュニティの再編期としてとらえ、障がい者の社会参加の視点から、就労・地域参加にどう活かして行くかという視点を持っている。しかし経済活動の視点が強いため、地域生活の一員として生きて行く視点が見失われている。そういう難点を持ちながらも、独自の活動を続けている。そのことで、話をしてみたい相手だ。

ともあれ、動き出した。懇話会の懇談を魅力的にしていくために、阪神淡路大震災に学べという3.11議論の幅を広げることを進めていきたい。

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糖尿病治療の地元主治医の診察を受ける。あっさりとしたもので、良好にA1Cも下がってきているとのことで、5分間診察どころか3分間診察で終了した。薬が切れ補充することがなかったら、足を向けなかっただろう。

イチジクを買い込んで赤ワインで煮た。メルロー系の大人しいもの。食べるのは私を除く人々だ。母と母の友人たちだ。

PTの知り合いがいないかと++君がいう。いないこともないけれど、++君とつなぐのが難しい。時間をくれと応答した。

夜間傾聴:今日は##子の命日・関係者2名
     ひとり

(校正1回目済み)

 

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