湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネの地域学習活動・就労支援活動の実践試行を書き溜めていきます。

青少年就労支援ネットワーク静岡の静岡方式の講演を聴かせてもらいました

2009-08-31 08:16:07 | 引きこもり
投票場は朝から列が出来ており、投票率の高さを感じていたが、帰宅後のニュースで69%台と、その感覚の正しかったことがわかった。

今回の選挙は「自民おろし」選挙であり、結果民主党が政権を取ることになると予想されていた。民主党300議席オーバーと政権交代という、確かに歴史的なことには違いないが、私にはすっきりしていなかった。

各党のマニフェスを読んでみて、子育て支援の話は出てきていても、高齢者介護の緩和についての政策がほとんどないからだった。父の教育(検査)入院の即日破綻と後始末のダメージが、これほど破壊的なものとは、我ながら思っていなかったから、救急のシュートステイ3泊4日が決まっていなかったら、どうなっていたかと寒気がする。私が変則的な夏期講習補助仕事を取りやめ、引き上げなければならないことになれば、引きこもり青年の厄介払い論議の火が復活する。火消しチームを支援活動の背後に走らせておくことがきつくなってしまうところだった。

母は小さいながらも家業の6割以上を支えている。私のように社会活動に走っているものは、いわば放蕩息子のようなもので、父の家庭運営脱落の結果の孤立を抱えてもいた。一家の生業を支えるほどの規模ではないささやかな仕事だが、私のように契約講師の不安定さを考えると、やめるわけにはいかなかった。

その家族の見通しを父の衰えと身勝手がさえぎった。おしめ排出を受容してくれたなら、介護がどれほど楽だったろう。交換時の体重との格闘はあるものの、日程が組めるからだ。今回の騒動は、その実現の可能性を微塵に砕いてしまった。

しかしひどい話だった。2週間、土日を除いて連日講座に出ることと、指示に従わない患者は家族が連日泊まりこめと言い切った。そして抑制を承諾せよと押印を迫った。そして翌朝の強制退院。家族の都合の欠片もない始末だった。父の履いていたパジャマ・ズボンの前側は力任せに引きちぎられており、医師の説明のように「排泄には関係ない夜間せん妄の幻覚」とは様相が違っているのだった。後日わかったのだが、17時ごろ、父を訪ねた父の宗教団体の信者さんのお見舞いには、正常に歓談していたというのだ。とするなら、問題が起きたのはそれ以降ということになる。

介護タクシーを頼んで、父を自宅のベッドに横たわらせて、私は巡廻指導に出かけた。母を残してしまった。それが母の孤立感へとつながったのだと、今になって思うのだ。むせるような尿の悪臭が戻ってきた。おむつ受容の協力を一切しない父が、いつこけるかわからない伝え歩きをして、部屋中尿を撒き散らし、転倒を繰り返している。母は自分の余生を介護に埋もれさせられるのは嫌だと怒りを募らせ、身を蝕んでいる。今回の胃のダンピング(逆流)と嘔吐は薬を飲んでも突然起きてしまう。だからケアマネさんが急遽動いてくれたのが救いになっていた。私も授業担当者ほど長時間拘束ではないが、新規の出会いの引きこもり青年たちを、重ねて巡回する入学者選抜のような巡回を、夏期講習時の取り出し指導と併行して予定通り行うことが出来た。

9月の予定も母の症状があるので、9月2~4日の2泊3日のショートステイが実現した。今夜は父の帰る前に、母と気持ちの取り直しを行ってみた。

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昨日は、三鷹の武蔵野大学のシンポに参加してきた。下記のようなものだ。

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●シンポジウム 発達障害児の将来 ~そのキャリア発達と就労支援~

講演「発達障害のある青年の理解と対応~大学生活と就労支援を考える~」
講 師 北海道大学大学院教育学研究院附属子ども発達臨床研究センター・教授
児童精神科医・臨床心理士 田中 康雄 氏

分科会
A班「佐世保高専の取り組み」  
講 師 佐世保工業高等専門学校教授  松尾 秀樹 氏

B班「NPOでの援助者付雇用の実践」
講 師 特定非営利活動法人  青少年就労支援ネットワーク静岡事務局長
    松下 英樹 氏

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田中康雄氏の話の検討は付いていた。関心は分科会の方にあった。佐世保工専の取り組みは、自閉症スペクトラムの子が集まりやすい実務教育環境にあって、彼らのストレングスモデルに基づく職業教育の試みレポートという、能力開発をめぐる教育実践紹介だった。松尾氏には「彼ららしさ」の受け入れの中から、苦手の克服ではなく、彼らの変容(発達)可能性を浮き上がらせたところに面白さがある。

一方●「NPO法人 青少年就労支援ネットワーク静岡」の静岡方式は、ボランティアによる保護司式の訪問指導の就労支援だ。就労移行支援になるのだろうか、個々の引きこもり青年に伴送して、地域の職場に体験就労させていく活動。講師の松下英樹氏は自民党の国会議員秘書経験を生かして、地元の地縁ネットを駆使して就労体験をさせていく。この体験をベースに企業就労を進めていくのだが、職域開拓を露骨に政治力を使ったというところに、「就労=立身」の発想の残滓を見るのだが、そのまま静岡方式を私の提案している実践に取り込むことは出来ないが、このレポートの現場は様々な問題が噴き出していそうで興味深い。9月下旬静岡大に行くので、「わーく」で取材させてもらおうと思っている。

そんな下心があって武蔵野大シンポに参加したのだが、行政関係者が多いようで、予想外の話は全然無かったが、目的は達成できた。しかし静岡方式は「援助つき雇用」を活かしているというのだが、ちょっと違うのではないかと思わせるところもあった。9/22には静岡大で津富代表と会う。

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帰りは武蔵境から白糸台で降りて武蔵野台に乗り換え、調布に戻って橋本に出るという変則的な方法を取って巡回先に出た。1時間ちょいというところ。武蔵境は小笠毅さんの遠山真学塾が駅前にあるのだが、時間にゆとりがないのでお邪魔せずに西武多摩川線に乗った。遠縁の葬儀で多磨霊園に行ったきり、十数年も乗っていなかった。

橋本の巡回は、多摩センター君と新入り君のふたり。選挙速報が気になるのに、何で学習指導なのかと、それぞれふたりに聞かれて「世の中、そんなものだ」とわけのわからない説明をしてきた。

新入り君は9月4日の高卒認定試験の合格発表前で落着かないのだった。再会を約束して、なんとか夏期講習時の入学勧誘屋を済ませてきたのだった。

おみやげはプリンをしっかり買って、TVの前の食卓に臥せっている母に一応の意思表示を済ませた。

とにかく眠い。即仮眠したが、月末、案の定、今夜は夜間傾聴の申し込みがなかった。明け方、隣の家の車に起こされてこの記事を書いている次第。

クラブハウス等の話は、ふたたび日送り。すみません。


夜間傾聴:なし

(校正2回目済み)


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父の居ぬ間の洗濯のつもりが

2009-08-30 09:07:41 | 引きこもり
父のショートステイ3泊4日のため、緊張が解けたか母の胃切除後遺症のダンピングが激しくなって、昨日は病院に連れて行った。私も異様な眠気に襲われ、面談指導の合間に30分仮眠を取った。

しかし、母を連れて行くところが「病院」なのである。父の一件があったので、その病院には行っていないが、もうひとつの病院も、私が事故入院中3回も他人の薬を運んできた病院である。やりきれなさを感じる。薬があるので、今日は母を置いて三鷹に出る。

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クラブハウスの意義は、引き出しておかなければならない。私はしつらえた箱の中の統合活動のイメージとは違う地域就労支援モデルを探っているが、JHC板橋会などが先見的に始めている活動の意義はかすれてしまうことはない。リカバリーで紹介された「ビレッジ」の活動と含めて、実現可能性を追ってみたい。

●「作品No.1「リカバリー」」

今必要なのは、地域という統合環境の中に社会的企業の手法を使った就労支援活動を育成していくこと。このために、クラブハウスやビレッジのような統合可能性の実践をしっかり観ておきたい。

繰り伸ばしで申し訳ない。ここまで。

(今日の予定)

13:00 武蔵野大学シンポ「発達障害児の将来 ~そのキャリア発達と就労支援~」
18:00 橋本巡回2件

夜間傾聴:小田急相模原君(仮名)
     □□君(仮名)

(校正1回目済み)


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リカバリー全国シンポジウム2009に参加して(2)

2009-08-29 05:51:52 | 引きこもり
昨日は午前中の海老名巡回(空振り)を終えて、帰宅した足で、まもなく終了期限となる成人検診を済ませてきた。身長が2cm減ったのは姿勢が悪くなったと解しても、昨年と比較して体重が6kg減っていたのにはびっくり。

滑り込みの検診を終えて小田急相模原へ。ちょっと久しぶり。少し脱線して「わーく」のネットワークの話をしたものの、「何かメリットがあるのか」とばっさり。きつい一発だった。呼びかける話にはどうやらふたつあって、集まることによって初めて何かが実現できるとするものと、集まるという行為を行うことによって対価として何かを得ることができるとするものの二つ。これは似ていて非なるもの。

前者はその集まり方によって成しうるとする未来待望型、成すのはあなたも一員。後者は現在享楽型、あなたは受益者。私の話すものは、勿論前者。始め少し遊んでみるつもり。その中で、行いうる企画を準備して行きたいと考える。

この企画を立てるとき、8月21・22日に参加した「リカバリー」と「クラブハウス」の活動が役にたってくる。

●「クラブハウスモデルとは」

●「精神障害者の相互支援システムの展開―あたたかいまちづくり・心の樹「JHC板橋」」

(眠気中止・書き加えていくので、この記事を時々見てください。)
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今回も2メッセージ 09/08/28朝分 強制退院その後の話です

2009-08-29 04:24:18 | 引きこもり
09/08/28UP分

夏期講習の取り出し指導を午前中に済ませた帰り、視野が突然ちらちらと明滅し始め、猛烈な眠気が襲ってきた。相模線の端の座席にもたれかかり、目を閉じた。網膜色素変性症の症状だった。私の出先に母が胃切除の後遺症のダンピングを起こして寝込んでいた。明らかに、ここ数日の父の事件の影響だった。

ケアマネさんには、8月の夏期講習期間中の残り3・4日分の父の預かり先を確保して欲しいと要望をだしていた。2週間の入院予定が突然廃棄されたショックは、大きかった。病院に講座と研修だからと、入院中の家族通院強制があったかと思うと、家族が沈静役に呼び出されたり、強制退院の始末を迫られたりと、家族のことは医師たちの視野に全く入っていないことがわかる。

不可解なことだらけだった。私にインシュリン注射の仕方の実地研修日程や、糖尿病講座の出席確認をした19時台のK医師の電話のわずか数時間後、再びK医師から、患者が暴れて危ないから家族が来て抑えよという指示がかかり、問題はここからなのだが、病院に駆けつけた私は、ナースセンターに一声かけて病室に飛びこんだ。部屋は消灯され、廊下の明かりに照らし出された父は死体のように反応のない状態となっていたこと。頬を叩き、脈を取って生きているのがわかった。その脈を診るとき、私は手首に点滴の置き針をつけていないのを翌日の父の状態から思い出した。あの夜、父は薬で眠らされていた。それなのに、なんで家族が状態を抑えに来るようにと電話をしてきたのか。

帰った父のパジャマのズボンは、前が力ずくで引き剥がされていた。おしめ排泄を嫌がる父の怒りが爆発したとしか思いようがなかった。「体幹抑制・ルートを引きちぎることを抑制するミトン着用」を認めてくださいということで、私は今晩に限りという条件付きでそれを認めて「サインした」。抑制も何も父は死体のようにベッドにころがっていた。この辺の不可解さ。考えてみると、その書類が証拠となってカンファレンスに提出されている可能性があること。ミトンは「点滴針剥がし」だけでなく、「おむつ剥がし抑制」にも使えること。翌朝、「部長確認がとれたので、退院してください。」というK医師の電話に母と父を迎えに行ったとき、父は点滴の置き針をしていたこと。つまり、私が前夜、病院を去ったあとから朝までの間に点滴治療がなされたことだった。薬物からの回復治療なのだろうか。私たちが引き取るとき、父の眼差しは今までにない疲れと放心の薬物治療を行ったときの精神障がい者の眼差しをして、私と医師・婦長たちの話のやり取りをぼんやりみつめていたこと。前日の経過説明への当事者の怒りも無く、空間を彷徨っているのは、会話の意味が通じていないだけでなく、昨夜の出来事が記憶から朦朧としていたのではないかと予測された。能弁なのは、退院後、洗濯をしようと脱がせたパジャマ、上半身は荒れた様子が無く、下半身の前の部分が引きちぎられていたこと。

「夜間せん妄による幻覚症状」といわれているが、私達が入院時に確認しようとした排泄方法のおむつ無理強いが爆発の直因と思われた。当日の担当看護師Mさんから状況報告を得たかったけれど、勤務明けで帰っているということで、状況が「ボタンが引きちぎれて跳んだ」というフレーズがK医師から語られ、排泄をめぐるものではないと明確に否定されたこと。(これ自身が不自然。それも一因とは言わなかった。)

私が夜間の排泄回数を教えてくださいという話に、婦長が資料をぱらぱらと全体を2回眺めた後、「3回トイレに連れて行っている」と応答したこと。父が死体のような状態になっていた22時過ぎから朝まで、たとえそれが睡眠導入剤であたっとしても、薬物投与されていた父が尿意・便意をその回数、看護婦に表現したのだろうか。

水袋のようになった父を起こして、1~2名の宿直看護師が、トイレに連れて行くだろうか。不可解でならなかった。K医師はインシュリンを打っていないと語った。私達に入院中は、正常の血糖値に下げるためにインシュリンを使いますと断言していたにもかかわらず、従来の飲み薬だけで、インシュリンは使っていないとしたこと。場所が変わったからせん妄を起こしたのだろうという説明は、我が家のホームのショートステイ中聞いたことも無い状態だった。父は夜間、おむつで排泄するのを嫌がり、コールマットを十数回夜間に鳴らして担当者を困らせたというレポートの方がリアルである。妄想といわれるかもしれないが、インシュリンを使って、初めての低血糖からせん妄を起こし、おしめを剥がしてしまい、それを止めさせようとして格闘となったと考える場合、私達が投薬治療をい児して欲しいという枠を超えて、インシュリンを使った事故を私に抑制許可のサインをさせて、暴走証明としてそれをカンファレンスの場に使い、退院許可を引き出して事故回避をしてるとしたら…。M看護婦の状況説明がないので闇の中なのだ。

とどめは、初日の1440kcalメニューの昼食と夕食の2回の結果として血糖値が200台にさがっていることより、食事療法による効果ありと説明したこと。これが本当なら私達は今まで苦労していない。この数値はインシュリンの薬効ではないのかと思えるのだ。

ともあれ、父が壊される前に去るのが賢明と判断した。

特にK医師の「これから入院はもうできませんから」という言葉が気になっていた。カルテに父が爆発した件を書かれていた場合、救急外来利用時、応急治療のみで、入院拒否にあわないだろうかと、あれこれ考えてしまう。市の高齢福祉課と病院の事務方の知り合いに相談した。そのようなことが発覚したら医療の公平性の問題になるので大変なこと、だから、ありえないと意見をもらった。今回の経過は、一応聞いてもらっている。いまさら危うい治療現場に戻したいとは思わない。しかし荒れてる。国の流れの在宅医療の現実のキャパは少ない。そこに高齢者医療介護の起きている課題を押し込むのは無理だ。病院に駆け込まない対策をとらなくてはと思うが、選択肢が無い。その地域病院がこの様なのだ。

帰りに主治医の医院に回り、病院からの意見書を渡し、経過の概略を話すが、主治医は終始、苦虫を噛み潰したような表情。家族の話を全く聞かないで、病院のスタンダードを押し付けるから、起立抑制(外出抑制)のところで、排泄が絡んで爆発したと推測される。薬物はまだ従来の飲み薬以上のことをしていないので、夜間せん妄の幻覚によるものという担当者の関わり回避の説明は、おかしいと付け加えた。主治医は、私は病院側の判断もわかりますと、つっぱねて、無言に。

インシュリンを使わず、従来どおりの在宅見守りと入所待機の形に戻すことを主治医と確認。その話の最中にケアマネさんから電話が入り、8月28日~31日の3泊4日のショートステイ決定の話が決まった。夏期講習の関係で夕方から夜の時間帯、私が急な呼び出しをされても家に戻れなくなる件は、こうして解決した。利用者の方が入院したため空きが出来たという偶然。喜んでいいのやら。

父の常備薬を薬局で受取り、その足で買物をしようとして、危うく自転車と正面衝突しそうになり、先方の自転車が倒れ、70代の女性が肘をついた。自転車を起こし、怪我をしていないか確認。お名前を確認、名刺を渡したが、今だ連絡が無い。肘が後遺症がでていないか心配している。私が完全に寝惚けているのがわかった。数日間3時間程度で越えてきたツケが衝突につながっていた。先方が痛い目に会い、私は服が汚れただけという申し訳のない不合理。とにかく家に戻って、仮眠をとることにした。

母は自分の主治医が休診日のために、処方薬を飲んで休んでいた。父の部屋に入ると、何と父がいないのだった。驚いたが理由がすぐにわかった。ベッドの反対側で、ウェットティッシュを全部引きずり出して、包帯のように手首に巻いたまま、転んで動けなくなっていたのだった。今までに無い、初めての行動だった。下半身がぐっしょりと濡れているところから、時間が経っていることがわかった。

どうしたと父に問うと、迎えの車を待たせてあるかという。どこに行くのかと父に質問。父は****(ホーム)だと応答。ずっしりとした父の身体を起し、ベッドに誘導。腕を見て驚いた。かきむしって血だらけなのだ。前夜、父を抑制しに病院に行ったときは、点滴をしていなかった。翌朝、強制退院のために病室に行ったとき、ルートを外し、リストバンドを切っている場面に出会った。その痕を父がかきむしったのだった。ウェットティッシュの包帯の意味がやっとわかったのだが、病院で起きた出来事を覘くようで、気が重かった。

父は数時間、ベッドの反対側の狭い空間に挟まれて、ベッド下に横たわっていたのだった。母は父の異常に気が付かなかった。これから先、私の留守中に危険な事態が起きたとき、発見も含んで遅れることが予測された。その緊急事態を母が支えることが重くなりすぎていることを感じたのだった。

こうした医療上のトラブルは、病院や医師を相手にした問題は家族が泣き寝入りする以外ないのだろうか。賠償請求のような裁判沙汰に昇華せずとも、医療相談が必要な場面が幾多もある。内容の専門性も絡むために、病院サイドの方が相談役となることが多い。これでは、曖昧さを含む当事者の思いは封じ込められてしまう。病院の医療相談室などがこれにあたる。実際は双方からの相対的距離をある程度は意識していてくれるが。だから行政窓口にその役割を期待するものだが、今回の高齢福祉課のベテランへの相談は、病院側との心を割って話し合ってみるといいという。間違いではないが、医療問題は立場の非対称性にあることが忘れ去られている。これは話しても無駄だと思ってしまう。私の場合、その病院に戻りたいとも、賠償を求めているのでもないし、高齢福祉課は医療の監督責任の立場にあるのでもないことはわかっています。ただ介護の場数を踏んでいる事例を知りうるものとして、強制退院という事態への救急対策の知恵を拝借したかっただけ。幸い、ケアマネさんの奮闘で、ショートステイの場を確保でき、夏期講習期間(8月いっぱい)中、何とかなったのだが、こういう回避策の相談だったのです。

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父は強制退院となってしまった…が

2009-08-27 06:07:51 | 引きこもり
朝、9時40分、K医師から「部長確認が取れたので、退院して欲しい」という連絡が飛びこんだ。K医師は昨日朝10時、病棟で私達を迎え、夜21時すぎに、父が暴れているからすぐに抑えに来るようにと連絡をしてきた。HPによると、S医師のもと、2人の常勤医と2人の非常勤医、合計4名の医師が科を支えているようだった。これは後の話し合いで3人であることが確認されたのだが、勤務シフトの長さが異常だと感じた。これでは親身な治療は無理だろう。しかし、昨日は、これから連日付き添いをつけるようにと指示しておきながら、「部長の確認がとれたから退院するように」とは、正直といえば正直だが、利用者を馬鹿にしている。

電話で原因は何かと問い詰めた。高齢者には「夜間せん妄」を起こす者が多く、暴れた場合、安全な治療は出来ないとK医師はいう。昨日は「家族が来て患者を抑えよ」「夜間泊まるように」「体幹抑制・ミトン着用を許可せよ」と言っていた。今回、一日かぎりの条件付きで、抑制を認めた。ところが病室に行ってみると、頬を叩いても死体のようにぴくりとも反応せずに寝入っているのだった。抑制もなにもない、呼びかけても応答がない状態になっていた。薬物を使ったことがわかった。それなら私は、抑制承認のために呼び出されたのかと思っていた。それが翌朝、即刻退院せよというのだ。

HPによると、水曜日は科横断のカンファレンスの日と明記されていた。つまり「部長確認」とは、このカンファレンスの場で、粗暴な患者の強制退院が承認された可能性があるのだった。

婦長・翌日の病室担当者(格闘となった担当者は帰宅不参加)・今日の担当の栄養士・K医師と私達の話し合いの場が持たれた。私は父の排泄の方法と夜間対応の回数を婦長に確認した。私が22時直前に帰って以降、朝までにトイレ誘導は3回だという。持ち込んだ車椅子は使った形跡がなかった。前輪の向きひとつ変わっていなかったからだ。ナースセンターから持ち込んだのだろうか。しかし死んだように眠っていた父をベッド柵をはずして病棟1名の当直ナースがトランスファ(移動)できるだろうか。ましてや、ナースコール使用が怪しい父が、薬物投与から目覚めた状態でトイレ3回要求できたことが不自然だった。おむつ受容ができていないので強制すれば暴れるから、ポータブルトイレかトイレ誘導で対応するように、何回も要請したが応答なしの状態で入院した経過の中の事件だった。

婦長が手元の記録資料をざっと全部眺め、3回と資料を読むのではなく、私を見つめて3回と言っていた。回数が記録されているのか読んでみたいところだった。

同室の患者さんの迷惑をかけたとK医師。同室のTさんは、糖尿病のひとにはよくあるのだよと、この会議の直前に母に話してくれたのだった。

K医師から提示されたのは、採血した結果の資料だった。血糖値が大きく下がっており、食事で血糖値が下がったのだから、食事療法で対応可能ということ、昨日は(なんと)インシュリンは使っていないというものだった。昼と夜、2食が1440kcalの食事メニューだった結果が、この血糖値の数字だという。インシュリンを使わず、食事制限しただけで父はせん妄を起こして暴れたいうのだろうか。この間、家で朝食のみで夕食が21時過ぎになってしまったことが何回もあった。父は空腹でせん妄を起こしたことはない。階段をおりてこようとしたときは、食事が抜けたときではなく、翌日出かけることが事前にわかったときだけだった。

●「せん妄(Wikipedia)」

●「メルクマニュアル家庭版せん妄83章せん妄と痴呆」

私はおしめの強要、自力でトイレに行こうと立ち上がったが柵があるという状況で起きたパニックに思えてならない。父が3日の周期から便が出る時と重なり、おむつをはずして、トイレに行きたがったときのトラブルに見えた。

ところがK医師は排泄が原因ではなく、「夜間せん妄」であるという。せん妄があれば治療が受けられないのかと聞いた。暴れるのはそうですとの回答。K医師は、病室担当の看護師Mさんは、つかみかかられてボタンが引きちぎられて跳んだと真顔で語った。一般の方はきっとたじろぐだろう。しかし私は、引きこもり青年の訪問のとき、精神に重篤な症状を発症している方と出会うことも希ではない。このとき、その方は私を家族や教員などの強要者と勘違いすることがある。このとき、服破られ着替えなく、敗残者のような面持ちで電車などに乗ることがある。その意味で「ありうること」であって「恐るべきこと」ではない。この辺の感覚が違っている。父は幻覚に怯えあばれたのだろうか。私は関わり方・対応ミスが生んだ怒りによるものに見える。

だから現場の経過を当事者の看護師に語ってほしいと思う。ところがこの看護師は、会議に参加しておらず、報告を受けたという婦長が代弁しているのだった。担当医は24時間を超える勤務をしつつ説明の会議に参加しているのに、当事者の看護婦Mさんが事件が起きているというのに、勤務明けということで出席していないのだった。「せん妄の幻覚による粗暴な行為」が原因という論で、医療看護の行為を頬被りする論は、専門用語の振り回しによる抑圧とともに、厚顔な論としか言いようが無い。

専門用語は、対象の本質をより的確に捕らえるために編み出された言葉であり、関係専門家間を越えて一般に使う場合は、対象の説明に置換不可能な深みを提供するための必要に応じて使われる言葉だ。

父の粗暴行動に慌てた経過が浮かんでくる。父は介護タクシーに揺られて帰宅。ふらふらの状態で介助されながら、自室のベッドに横たわるなり、下半身の衣類や紙パンツを下げて眠ってしまった。入院は初日にして吹き飛び、この日、ホームや市役所関係課、夏期講習期間中(8月)だけでも、父を預かってほしいということで、可能性のあるホームをまわった。

この日、具合悪く、主治医は他の医院と違って休診日であるし。ホームのケアマネさんも当直明けで休んでいた。交代の非常勤ケアマネさんが仲介。直接私が施設を探す許可を得ていた。今回タクシー代が7千円に達していた。開封した薬品類は買取りとなるだろう。

「あすなろ会」の定例会は、横浜販売を始めたNさんや、憲法擁護関連市民団体の有志Oさんが参加、にぎやかな会となった。詳細は次回。

夜間傾聴:******君(仮名)


(校正1回目済み)

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父の入院初日、父はトラブルの結果、死体のようになってしまった

2009-08-26 06:15:10 | 引きこもり
父が検査(教育)入院した。入院したその日の夜、早速病院から呼び出しがかかり、病院のお粗末な対応に問題が浮上、もめている。

父の主治医が、父の入所待ちの状況打開のため、父の状態経過を細かく検査し、体調を現状維持するために軽いリハを踏まえておこうという話で紹介状をもらった。その地元病院の内科に先週外来受診、紹介状の相手のS医師の承諾にも関わらず、担当医は別人K医師が応じた。これは良くあることだが、K医師は経過を引き継いでいない印象で、糖尿病治療入院の初診患者への対応を行い、25日からの入院を承諾し、当日出来る限りの検査を先に行った。入院時には治療経過を観察することを重視した検査を行うと説明していた。

25日、介護タクシーを使って父は病院の内科に入院した。ところが婦長の挨拶の後、突然不可解な説明が始まった。糖尿病とは何かから始まる連続講座の予定説明だった。土日を抜いた2週間連日の家族向け講座のスケジュール説明だった。仕事を持っている家族なら2週間欠勤しなければならない。当人の血糖値は、いままで薬物投与で高値安定方針で通していたにも関わらず、正常血糖値までインシュリンを打って値を下げ、以後もインシュリンを家族が打てる状態を作ると言い出した。

K医師に説明が目的に合わないことを訴えた。そう言っているそばから、今、血糖値が高いから正常値までインシュリンで下げる、退院後は用法を守るようにと言い続ける紋切り型と戦うことになってしまった。

これには、ケアマネさん召集の介護関係者の会議のなかで、もしこれからインシュリンを日常的に使うことになると、老健はおろか、今までの特養ホームも利用条件が合わなくなり、医療対応しているホーム以外は使えなくなるとの厳重注意が指摘されていた。このことは主治医の紹介状にも、入院目的として反映しているはずだった。

ところが、看護師の説明では、教育入院は患者の治療と家族の教育のためにあるとして、全講座に家族の担当者が出席するようにと説明。回復リハ科は今年4月から廃止となって当人のリハはなく、当人への症状理解を進める教育もないという。教育入院とは家族の中の担当者の教育であると説明があった。

ならば当人の入院は必要ないではないかとの私の指摘にも、規則ですとばっさり。K医師は高い異常な血糖値は下げて、家族の治療の出発点を作るとマニュアル対応を変えないのだった。

私達は介護十数年の経過を持っており、ひとつは入所という次の段階を準備するために、父の症状の現状維持を目標に、急に進行し始めた症状を抑えることを目標に入院したのであり、継続観察を病院に求めていると説明し、インシュリン治療と以降の在宅介護までインシュリン使用が常套かすることは、従来の介護ネットワークをケアマネ交代を含んだ廃止と作り直しを要求するものになるから、受け入れられないと反論。

だいいち二週間十数回連日拘束した家族教育とは異常であること。その話は始めの外来のときに全く話に出なかったことを指摘。私達の介護の十数年はどうなるのだと抗議した。この結果、講座は出られるところだけ出ればよいことになったものの、インシュリン注射法など実地訓練がいるものは、今後必要になるから絶対受けてくれという話になった。話がおかしいのである。

調査項目を順に聞いていき、そこからはみ出る話には耳を貸さないという初めの外来の違和感がもろに当たってしまった。

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インシュリン治療については、検査と入院中の治療の経過によってその範囲で使うことにし、出来る限り従来の薬物治療の継続を図ることを条件に、入院話をとりあえず初日、行うことにした。

父は4人部屋の入口側にベッドが与えられ、L字型にカーテンで仕切られたベッドに入った。ところがTVカードの使い方や、驚いたのは一年ぶりのイヤホーンの使い方が父には、わからなくなっていた。怖い顔をしてベッドから、食事のカロリー表の話を突っ張って家族に説明しているのだった。

看護師に排泄の確認をした。家ではポータブルトイレを使っていたこと。紙パンツ内の排泄は受容していないこと。トイレまでは、移動介助してくれるのだろうかと質問した。

ポータブルトイレをベッドサイドに置くのは、事故が多いので本人の見えないところに置いていること。これは不可解な発言だった。カーテンが空いている状態では室内が眺め渡せたから、見える見えないという言い方自身が状況離れしているのだった。そしてどのように排泄させるかを語らない不可解なこと。これは状況に応じて対応しますという言葉にさえぎられた。ナースコールは使えるかという質問があり、基本的に目の前にあれば使うことは可能だが、視界になければ思い出して探すことは無いから使えないと応答した。

人手が足らないから、結局はおしめ強要だなと思った。ベッドはすべてベッド柵に覆われて、立ち上がることは出来なかった。

夜間のコールマット使用を問うと、コールマットを使用せず、襟首に洗濯ばさみ状のセンサを付けて、これが外れると警報がなる機械を使っているという。これもおかしかった。まだらボケ状態の父が、襟首にコードをつけることに気が付かないはずもなく、犬ではないと怒り出すことも考えられた。

父に頻尿があり、おむつ使用はうまく行かないので、前の病院のときは、拘禁衣のつなぎの腹部に鍵のかかるものを使っており、やむなしと承諾した経過があったと話した。しかし、「つなぎ(拘禁衣)」は使わないので買ってもらう以外ないという不可解な応答があった。

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「プレミアムクッキー」を買ってくれという看護師の指示にしたがって、病院の売店で、クッキーを買った。低血糖時、ブドウ糖パウダーとともに使うらしい。ただの小麦粉の無塩クッキーである。自宅対応も氷砂糖ではダメといわれていた。この売店でK医師の昼食(実はこのあとこれがこれで異常事態を象徴するのだが)の弁当を買う場面に遭遇した。ところが今会っていたのに、なにも挨拶が無い。不可解な印象をうけていた。

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19時過ぎ、病院のK医師から電話が入った。講演が始まるが26~28日に参加するようにという内容だった。呆れてしまったが、27日は看護婦が病室でインシュリン注射のやり方を特別に教えることにしたというので、一応病院に行くと伝えた。26日は無理だが、28日の14:45からの2時間の講座は、参加に無理があるが母か私が出席すると応答。これを断ると教育入院の意味が無いから退院してくれといわれる予感から、応答した。糖尿病概論、母は3度目、私は2度目になる。これでは目的の入所対策も夏期講習も出来なくなってしまう。当初の予定とは全く異なっていた。

21時、再びK医師から、父がせん妄を起こし、指示に従わずに暴れているので、家族がすぐに来るようにと呼び出しがかかった。小便騒動と直感した。おしめを強要したのだ。家族が別の対策を進めるために、父を一時預かり、父にリハや糖尿病理解の説明をしてくれるという当初の主治医の話は、全く違い、家族教育とインシュリン治療という紋切り型パッケージを提供しているだけなのだとはっきりわかった。

急いでタクシーを頼んで病棟に向かうと、K医師が当直医としてそこにいた。今朝10時に診察をした彼は、まもなく12時間勤務を超えているのだった。その彼が、せん妄を起こす患者はしばしば暴れるので、家族が泊まって押さえて欲しいというのだった。これは違反だということを彼は知らなかった。代わりにヘルパーを雇ってもいいという。父の家事援助ボランティアは、別の患者さんの夜間対応をしていた。1泊3万円という。これを聞いていたので、ヘルパーをつけるかという申し出を断り、問題が起きた経過と原因判断を説明するように求めた。

父は、場所も時間も感覚がなくなり暴れたという。これはいつも家庭でも場所や時間感覚がなく、日めくりカレンダーがどんどん進んでしまうことも、初診外来のとき説明していた。それを無視して、低血糖が起こしたせん妄と説明する医師の顔を呆れて見てしまった。

看護婦と「もつれあい」になり、いうことを聞きませんという。私は呼び出されたとき、暗闇の病室に父は死体のように動かなくなっているのを発見し、頬を叩いた。反応が全く無いので、睡眠薬を使ったことがわかっていた。持込みの車椅子は使われず、壁に閉じたままだった。タイヤの位置もそのままに。

なぜいますぐ病院に来いといったのかを問うが、暴れたら抑制することもあるので、承認して欲しい、暴れたら個室に移すので、個室使用を許可して欲しい、睡眠薬と、体幹抑制、点滴保持のためのミトン使用を認めて欲しいと要求された。なんともお粗末な医療だろう。

ホームのショートステイを嫌がったことはない。おしめやトイレ誘導ならそれに応じた当人との確認が出来ているかを問いただした。医師はカーテンが破られ、看護師と格闘になったといい、これではお預かりできないというのだった。

ベッド柵に囲われて父は死体のようだった。このままでは父が壊されると判断した。公共の病院である。明日は担当課に相談に行き、紋きり診療を問う。そしてケアマネさんと連絡を取り、退院後の体制の取り直しを相談する。しかしひどい。話会いではなく、利用者説得の場なのだ。低血糖で異常が起き、重篤な事故につながったらどうなるのだろう。従来から診断ミスや、治療ミス、少し前は管理者の贈賄が新聞で叩かれた病院である。

夏期講習は続けられないかもしれない。嫌な予感がしている。

十数分後、私は翌日(この日は19時の調整の際、出向くのが駄目な曜日と告げていたのを無視して)呼び出された。担当課の相談の結果次第でK医師の交代要求か退院することになる。



夜間傾聴:******君(仮名・こちらから)
     中央林間君(仮名)

p.s.
昨日、病院からの帰り、茅ヶ崎サポセンに立ち寄った。途中、中央公園を覘くと横浜・県民サポートセンターそばの冊子販売を始めたNさんがうずくまっていた。Tさんに会いに来たのだという。水曜日の「あすなろ会」定例会に出て、帰るのだと言う。販売挫折かとひやりとしたが、どうやらそこまでは行っていない様子だった。Nさんに、Tさんとのすれ違いの事情を説明し、協力してもらった。これが幸いして、携帯にTさんから電話が入った。電話代の十円玉をTさんから要求されたら出すようにと窓口スタッフの有志に頼んでおいたことが、うまく行ったのだった。

やっとTさんと会うことが出来、コインロッカーに眠っていた冊子30冊がこうしてTさんの手に渡ったのだった。Big Issue 販売が途切れることは、こうして避けられた。

(校正2回目済み)
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リカバリー全国シンポジウム2009に参加して(1)

2009-08-25 06:53:32 | 引きこもり
私が「リカバリー」や「援助付き雇用(IPS)」にこだわるのは、その活動がいわゆるノーマライゼーションとかインクルージョンというような「健全な社会」を前提とした当事者の包摂を目指した活動よりも、自主活動を基本にした自己変革と自分を取り巻く社会環境「作り」が強く前面に出てくるからだ。

症状に応じて保護的な環境を作り、徐々に彼を社会復帰させていくというのではなく、社会復帰させていくときの障碍を取り去っていくという方向で発想していることだ。モチベーションを当人に持たせていくというのではなく、彼の要望を育てていくと考える。

一見無謀な試みだが、ひとは関わりの中に自らを形作る、言い方を変えれば、共鳴して生きていくものだということに基礎を置く。

しかし、この「リカバリー」は、精神障がいの領域の中に生まれているが、「発達」という概念を受け入れれば、知的障がいの領域でも試みられてしかるべき内容を持っている。自閉症スペクトラム・MRなどの当事者には重なってくるし、ここに共同作業のような自分の力量に応じた協業の力学を入れ込むことが出来たら、社会環境という障碍に隔てられているその障壁をグルーミーに拡散させていくとができる。

知的障がいの領域の中で生まれてきた的確な環境を提供されることによる発達を見据えたTEACCHの本源に一脈通じるものを感じる。一見全く逆のように見える活動だが、TEACCHはそこに「構造化」というより強固な関係性の枠組みを張り巡らせて行く。そこが誤解されている。

その意味で両者はナチュラルな活動であって、特に就労支援の場面にあって、今までの知的障がいの領域の活動の中にあった「育て上げ就労」の限界を超えていくものだ。外部操作的な医学モデルから、共鳴と自主性の内発性を伴った社会生活モデルへの転換が望まれているのだ。自主性は療育の刺身のツマではないという点を実証していく流れでもある。

(つづく)
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走りこむ一日

2009-08-25 05:54:28 | 引きこもり
母の体調が悪い。筋肉痛だ。母と分担してきた家事がのしかかってきている。月曜日(8/24)朝、眠りこけて起きない父をなんとか食事させ、階段介助のヘルパーさんと慎重に父を降ろして、ホーム職員さんに引き渡してほっとしつつ、母の朝食を準備した。胃の切除後、食が細くなり体重が15kg減った。背丈も縮んでしまった。だから父の介護自身が無理なのだ。

父の入院時のパジャマを買ったが大きすぎて、裁縫がいる。こればかりは、目をやられている私には、まっすぐに縫うことすら出来なかった。急遽近所の裁縫店に持ちこんで依頼。その足で午前中の巡廻指導先の海老名に移動。厄のついた敗退力士のように転がされながら、歯止めの白星を求めている気分で、偉そうに学習添削。橋本2君は生真面目に、自分のドリンクのストローの位置を直し続けていて、添削した資料をさっと胸に奪い返した。「大丈夫なんですか、いい歳して」と彼は気遣ってひとこと。「いい歳して」は余分と、ノートを返す。こんな協力を得て巡回が終わり、飛び出して相模線に、競歩で予定の電車に飛び乗った。交通事故で右足を痛めていたから、走れないのだ。

駅の立ち食い蕎麦屋で時間を合わせ、従来約束していたTさんとの待ち合わせの駅南口に立った。日曜日合流に予定変更をかけていたので、メモを見たら来ない可能性があった。15分ほど待ち、念のためメモを置いた茅ヶ崎サポセンに移動して、窓口スタッフの皆さんにTさんが尋ねてきたかを聞いた。今、彼は焦って出て行ったとの話に、彼の住居を目指して追いかけた。彼らの仲間が日陰でごろ寝して私に手を振っている**さんに、Tさんのことを聞いた。駅前に走っていったという。焦る気持ちを抑えながら、約束の南口駅前にたどりついたが会えなかった。彼が電話をしてこないのは、電話代がないか、その習慣を忘れているのだ、節約のために。

サポセンにもどり、個人的に電話代を預けてきた。

30冊のBig Issueを抱えての移動はしんどかった。結局サッシはコインロッカーに預けて、障害物競走をするように食材を買い求めて、家にもどった。にわか雨があり、干しておいた父の掛け布団はびしょぬれになってしまった。

夕食の惣菜を作り置くと、たちどころに父の帰宅の16時半になってしまった。シャワーを浴びたという母の背中にインドメタシンを塗って、留守中の夕食の段取りを依頼。

階段介助のヘルパーさんが到着、父の送迎車も間もなく付いて、伊達眼鏡を忘れたことに腹を立てている父を受け取った。ベッドに父を寝かせ、ヘルパーさんの書類に印を押して帰した後、自分の夕食分を掻き込んで、相模大野に飛び出した。

携帯は鳴らなかった。巡回を終えて茅ヶ崎にもどると終バス1本前が出た直後だった。歩くことを決意。25分歩いて帰宅。夕食の山積みされた食器と父の部屋のポータブルトイレの洗浄とおしめ交換をし、シャワーを浴びたら意識が朦朧としてきた。いつの間にか仮眠。夜間傾聴のタイマー音に起こされて、非レギュラーひとりと話、例の飲酒君だった。もうひとりは多摩センター君(仮名)。

4時前に終わって、今メッセージを書いている。空転の一日。

後半部は、別記。

夜間傾聴:####君(仮名)
     多摩センター君(仮名)

p.s. 何としてもTさんに会わなくては。電話メモが頼りだが、今朝は父を病院に入院させる日。時間が不確定。サポセンメンバーの個人的協力がカギ。夜間は夏期講習巡回。とりあえず閉じ。

(校正1回目済み)
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すみません、また介護トラブルです

2009-08-24 04:22:45 | 引きこもり
二日間の清瀬詣に、少々こたえている。

私が出かけている期間、父を新しいホームに預けていたため、ホームも気にしたためか、土曜日の午後、父は大変なご機嫌で帰ってきた。一度寝かせたベッドから抜け出し窓に走り寄って、窓から送迎車に手を振るという危ないことをしたと、留守番の母から聞いた。窓のそばには荷物が積み上げてあり、それを押しのけて窓から身を乗り出したらしい。

送迎車が走り去って、事件が起きた。戻れないのだ。

父は興奮した調子で母を呼んだ。ヘルパーさんが帰ってしまった部屋の中で、父は座ることも立つことも出来ない姿勢で、母に手を引いてもらい、ふたりして転がってしまった。

母は無理をして周囲の荷物をどかせ、父を持ち上げて椅子に座らせた。最悪の展開だった。父は何とかベッドに戻ったが、その夜、私が帰る前に寝惚けて大声を上げてベッドから落ち、失禁。

母は手足と腰を痛めて対応が取れず、自室で寝たきりの状態で、父はベッド下で2時間、私を待っていた。便が漏れ、すさまじい悪臭の中に座り込んでいた。

玄関の扉を開けるなり、異常事態がわかった。母の部屋に飛び込み、うずくまっている母から事情をきいた。母は結局、翌日も夜まで起きてこれなかった。

父は入れ歯を飛ばして、両手は糞にまみれ、暗闇の中に座っていた。母にもう留守中父を預けることが出来ないことを悟った。父の両手を洗浄、ティッシュで拭いたものの、どこから手をつけていいかわからなかった。

床に作業用シート(大きな平おむつ)、椅子にビニールシートを張って、父を歩行器を手がかりに捕まらせながら、背後から補助する形で立たせ、その姿勢を保持させ、介護用鋏で紙パンツを切り取った。容量を超えた糞尿が流れ落ち、ざっと父の下半身を清拭、椅子に座らせた。父は憔悴しきっていた。誰も助けに来てくれなかった恐れと怒りに、私の清拭を手で払いのけようとし、激情に握りこぶしを作っていた。座った父から頭や背中を折檻のように叩かれながらの作業は地獄だった。とにかく落着くのを祈るような気持ちで父の疲れるのを待った。

尿を背後にかぶっていたので、全身の清拭を済ませて、着替え。周囲の始末をざっとしてから、父をベッドに戻した。戻して頭を枕に付かせる途中で、父は寝息をたてていた。こんな状態の父を何を言って興奮させたのだろう。幸いベッドは汚れていなかったので、ゴミ袋にまとめた汚物と洗濯物を持って、階段を降りた。

母が心配して痛む身体にふらつきながら、作業中の私に連れ添い、経過をまくし立てた。私は危うく切れそうになりながら、庭の汚物入れにゴミを捨てに行って、距離を保ち頭を冷やした。

母を自室のベッドに戻らせて、父の部屋の床の拭き掃除と整頓を行ない「窓を閉めた」。ホームから戻ってきた山のような洗濯物を洗濯し、シャワーを浴びたところで、母が「この時間、薬局は空いていないか」と言い出した。足腰が痛むのだ。出かけるときに、自分で父を始末してはいけないとさんざん注意していたのに、いざ事件が起きてしまうと母は父を持ち上げてしまった、止む終えないといえばやむをえないのだが。母の申し出は、要するに「痛み止めの貼り薬を貼ってくれ」という婉曲なアピールであることを経験上知っていたので、買い置きのインドメタシン液剤を持ち出して、母の背中と腰にそれを塗った。

貼り薬ではないことに不満な様ではあったが、手当の最中、事件の経過を母はまくしたてた。

ホーム職員からの報告では「新聞がないっ」と大声を父が上げたことを詫びていたという。この数年、父は文字を読んでいない。権威の小道具を要求したと直感的にわかった。生まれたときと人生を閉じるとき、その最後は、聖人君子も凡人も同じ裸一貫、その悟りが無い。元気な頃、宗教団体に向けた言説も、来客に取った態度も、それは虚勢に満ちていた。子どもの頃から、そんな父から理不尽な要求を受け続けてきた。息子だからそう思うのだと人はいう。しかし、父はその実害を積み上げ、祖父母を絶望の中で逝かせ、親戚から絶縁された経過をそのまま抱えて半身不随になった。だから認知症のなせる技と知りつつも、依然虚勢を振りまくことは、内心穏やかに見過ごすことが出来ない。ベッドサイドに二時間座っていた父である。拳を振り上げても仕方ないのだが、清拭中の父の拒絶の拳には、息がつまった。

母を落着かせて、香りの飛んでしまったカモミールを入れた。と、再び父が暴れだした。「かゆい!」というのだ。「窓が何時間も開いていた」そこから虫が入り込んでいたのだった。

我が家の周辺は、この十年、林や樹木がなくなった。それにしたがって蚊がいなくなった。その代わり、私はバスの中やファミレスの中でも確認しているのだが、ブユの仲間が地域に異常繁殖している。これが強い痛みを伴った咬み傷を残している。南京虫のように二つならんだ傷を作り、蚊のように傷が消えず、刺し傷ではなく、糜爛(びらん)性の咬み傷を残す特徴がある。しかも殺虫剤のピレスロイド系の薬剤が全く通用せず、殺虫剤の霧を突き抜けて、敏捷にからむように手足末梢を好んで咬む、厄介な害虫が父の部屋に入り込んでいた。この虫に刺されると、傷口中央が、いつまでたっても瘡蓋ができない。重症の糖尿病患者は、この傷口から雑菌が入り、膿んでしまう。ゴマ粒のように小さく敏捷で、服の中にも潜り込んで「噛む」。

このブユはダニよけハーブ、特にハッカを嫌がり、低温を嫌がる。肌寒い環境では活動を停止する。またコバエ用捕獲剤に捕獲されるため、殺せないが脱することは可能。熱に敏感なのでパソコン周りに飛んできては、ディスプレーを忙しなく横切る小さな影をみることがある。誰もが蚊だと言い張り、穴がふたつだと南京虫だと言い張る。これが邪魔してか、殺虫剤メーカーも対策殺虫剤を出さない。

とにかく父は、手足と顔がいくつもの「咬み傷」だらけとなった。生易しい塗り薬では効果が無い。ズボンの裾から上ってくるので、私はズボンの裾を輪ゴムで閉じて対策を打った。強いかゆみ止めに、弱いステロイド剤を重ね塗りして、笑い話ではないが古い「宇津救命丸」を父に飲ませた。祖母のときに効果を確認していたからだ。

こうして、午前3時、やっとすべてが終わった。ブユ対策は翌日、父に厚着をさせて、エアコンをフル稼働にした。窓を開けておいた。外に虫を追い出す作戦だった。蚊の勢力が後退する中、乾いた環境の水気がある場(炎天下の葉の裏など)に潜んで勢力を拡大している。資料には汚泥に幼虫が繁殖とある。下水が怪しいのだ。とにかく傷が治らずに跡を残す厄介な虫だ。

効果は今夜の父の様子からわかる。作戦は成功したようだ。

夜間傾聴に対応しつつ、旗の台君(仮名)からきつい御叱りを受けた。これでは心配で自分の相談を持ちかけられないというありがたい忠告だった。誰もが私を従来のカウンセラーからすれば失格ということはわかっている。タブー破りばかりなのである。自己弁護は情けないのだが、拘束しないねばりというしょうもないスタンスが自分のものだと思っている。うざっと思った相手は仕方なしという変なキャラで、巡回も重ねている。(旗の台君のように)長い付き合いの連中とは、なんとか付き合ってもらい、生き延びている。感謝。

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母は翌日、持って行ったヤクルトをあおるだけで、夜までベッドから出てこなかった。胃切除した者は食欲を落としてしまう。余計、この痛む状態はよくなかった。

父は、相変わらず紙パンツの排泄を嫌がり、周辺に尿を振りまいている。月曜日にデイサービス、翌日から2週間、病院に検査(教育)入院する。洗濯物交換には行くが、家で鬼ごっこしているよりは楽になる。連日になるが月曜のホームのデイサービスの次は「病院」である。父が疲れていても病院で過ごすならいいだろうと判断したのだった。

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リカバリー・シンポについては、メモを書いているが、私のこの間の主張のバックアップを受けたような気持ちになっている。特に「IPS」(援助つき雇用)の微妙なずれと雇用の射程の問題を書いていく必要を感じている。また「ファウンティンハウス」の「クラブハウス」構想の件で、当事者活動の共同性について書きたいことがある。精神障がいの分野からの提案であるが、特に自閉症スペクトラム、MRの青年たちとの接点への拡張の話や、就業と文化の話もある。

とにかく、時間が細切れ。明日は8時に父に食事を出した後、8時半にヘルパーさんを迎え入れ、9時にホームのデイサービス迎えの車が来るので、階段介助をしてもらい父を玄関に降ろし送り出す。

母をタクシーで主治医の医院に送り出したあと、駅前で銀行の入出金の始末。昼に夏期講習1段目の海老名巡回。14時に茅ヶ崎に戻りBig Issueの受け渡し。買出し。家にもどって家事。17時に父を迎え入れた後、相模大野に向かい夏期講習枠第二段。本校の取り出し面談。済ませて帰宅という状態。ポメラ(テキスト文入力専用機)で書き込みを作る予定。

まだ成人検診を受けていないので、父の入院を利用して検診を受けてくる。これは火曜日以降。

古書店セカンドブックアーチのY君と、父のいるホームの施設長さんとを活動の仲介をするのも今週。

遅れ、本当にすみません。



夜間傾聴:□□君(仮名)
     旗の台君(仮名)
     多摩センター君(仮名)

(校正2回目済み)

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リカバリー全国シンポ初日、参加してきました

2009-08-22 03:25:59 | 引きこもり
リカバリー全国シンポジウム2009の初日、参加してきました。
当事者活動のたちあげ、「わーく」の活動のたて方に間違いなしの実感。

JHC板橋会のクラブハウス活動分科会に参加しました。ニューヨークのファウンテイン・ハウスをモデルにした活動。収穫がありました。詳細は明後日。

二日目、朝6時半までに出発します。今回はこれで。

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リカバリ全国シンポ12009(清瀬)に21/22両日参加します

2009-08-21 05:39:46 | 引きこもり
また、書き込み時間が乱れますが、お許しください。

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父の体調が壊れ、格闘していました。穴の開いた3日分、介護話ばかりですみません

2009-08-19 09:59:20 | 引きこもり
ここ数日、体調を悪くしています。父の認知症との騒動が続いているためなのですが、私の20~22日の研修参加準備や、25日からの父の検査入院(教育入院)の準備の雑務がさかのぼってきています。ブログ、休みがち、お許しください。

以下は09/08/17 朝発信予定だった原稿です。かきかけですが。(そのあとに09/08/18の分、09/08/19の分と続けます。

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09/08/17 朝

6時50分、父が突然階段を降りてきた。上から3段目で阻止。もみ合いになって、私の眼鏡が跳んでしまった。つい先ほどまで、セカンドブックアーチのY君宛てのメールを書いていた。高齢者施設訪問の「紙芝居」という企画を、私がどう評価するかを訊ねるメールだった。突然ミシミシと音がするので、階段下に飛び込んだら、引退力士のような父の腹が見えていた。

昨日(7/16)、父の部屋から物音がするので部屋に入ってみると、私の目の前をパジャマを降ろした父が松の廊下よろしく、片足を強引に引きずったまま、駆け抜けたのだった。びっくりした。私が入ったことで、押入れから飛び出したのだった。しかしそれは、決して走ることが出来る状態ではないので、ベランダ側のソファーに体当たりして弾き返され、父は回転して床に倒れこんだ。

体調を壊し、ベッド上を眠り続けていた父が、目の前で急に走り出した。「**男(父の弟)が来た」というのだ。父の弟の**男さんは、脳溢血の後遺症で外出できる身体ではなく、我が家とは絶縁状態にあるので、既に二十年以上会っていないのだった。こうした前日の突貫事件の経過から、今回の階段事件は、夜間は再びせん盲などの異常行動が出ないように注意していた矢先の出来事だった。

ベッドに戻してから間を置き、落着いた頃におしめ交換を行った。本人の協力が得られないおしめ交換は、重労働となる。おしめ半分をたてに巻き込んで、身体のベッド接触面に差込み、身体を反転させ、ベッドの反対側のおしめの部分を引き出し、次に上を向かせ、おしめで泌尿器部分を包み込むように囲って、留めテープで止めていく。この身体の「位置がえ」を父は協力しないのみならず、振り払おうと手でおむつをちぎってしまう。これを片手で抑制し、蹴飛ばされないように、足の蹴りが止む状態を待って徐々に仕上げていく。病院などでは複数名で対応したり、一時抑制(手足を縛る)して、出来上がったら拘禁衣を着せて、T字ファスナー部に鍵をかけ、自分でおむつをはずせない状態にしてしまう。

「まだらせん盲」が始まっているとはいえ、完全に会話が成り立たない状態ではない場合、どこまでおしめ拒否の主張を認めるべきか悩むが、この格闘を一日何回もやっていたら、私の足腰がつぶれてしまう。現在も父が壊したサイド・テーブルの蝶番の修理で、部品を買いに行き修理するということで昼間がつぶれ、あと1時間もすると父が帰ってきてしまうのだった。

介護は小刻みに間の空いた「時間食い虫」との闘いだ。楽しむとはとてもいえない。今日は母が東京の病院から帰ってくるのを待ち、交代で茅ヶ崎サポセンに印刷に出かける予定。

明日は茅ヶ崎若松町の「コミュニティカフェゆめたい」の小箱ショップオーナー説明会に出る。21・22日とリカバリーフォーラム2009/社事大(清瀬)」に行くので、20日再開の夏期講習後期開始の予定調整に相模大野に出かけ、帰りに同じ相模大野のクリニックで、網膜色素変性症の神奈川当事者の会JRPS入会手続きを済ませてくる。治療法がないというのは、全く気が滅入る。

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09/08/18 朝7:40

昨日(8/17)、急に私を呼ぶ声がした。階段を上る途中、茶碗の割れる音と同時に父の倒れる轟音がした。濡れたあしめを片足にぶら下げた父が尿まみれで倒れており、反対側の足首にはベッド柵がはずれて囚人の足輪のように取り付いて、宙を上下していた。サイドテーブル上においた朝食は吹き飛び、ベッドシーツは尿の海、シーツの出入り部分は便が擦れて付いていた。

足首の骨折が疑られたので、即座に携帯で母を呼んだ。2階の子機電話はベッド下に転げ落ち使えなかった。

糞尿まみれになるため、上着・ズボンを脱いで、介護用手袋をつけた。父は起き上がろうと、上向きであがくが寝返りができない。もう数センチ寄っていれば、修理したてのサイドテーブルは、また逆立ちしていただろう。

看護用の鋏を使って接着部を切り取り、おしめをはずし、反対側のベッド柵の足かせを慎重に片手で支え父の下半身を軽くし、腰を移動させた。近くに椅子を引き寄せ平オムツを敷いた。柵の付いた足首に損傷がないかはずしながら、骨折や出血の箇所を確認した。ベッドから降りるとき、父はいつもベッド柵に足を突っ込んでしまう。自力脱出が難しいらしく、立ち上がることで足かせが自然と抜けるという方法で脱出してきた。ところが足の調子が悪くなって、その足で身体が柵から宙吊りになる事故が増えてきていた。ベッドの面を低くしたのは、足首の損傷を避けたかったからだった。

無意識には違いない。しかし、柵をはずしているとき、父はひたすら足を硬直させて伸ばし、私を蹴り上げ続けたのだった。蹴りが肩をかすめたが、実際危ないところだった。父が状態を読めていない証拠だった。柵は真下に落ちた。内出血はあるものの、父は立ち上がることが出来たので、当日のケアマネさん召集の会議は中止しないことにした。

急場しのぎの作り直し朝食を両親に食べさせ仮眠。昨日は夜間傾聴待機をしているうちに眠りこけてしまった。□□君と橋本2君に迷惑をかけてしまった。(申し訳ない。)昨夜は、サポセンに立ち寄り、Big Issue 誌の仲介受け渡しを行った。土曜日に追加注文しておいたので、まもなく50部達成となる。Tさんの気負いは大したものと感心している。火水曜日分提供をすませていたので、ケアマネさんの会議の後、サポセンに出向くのは、やめにした。

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20日から初めて利用するホームは、異様に申請資料が多く、個人情報を過剰に調査する書式があって、その部分を私は書きこみ拒否した。先週の金曜日のホーム側の判定会では、診断書のアルブミン値の空欄を埋めたという事で書式受理とかで、ショートステイが使えることになった。今度は利用手続きの書式が十数種類。捺印箇所だらけだった。翌日の20日から利用することもあって、直にホームに届けることになっていた。バスの乗り継ぎが悪く、片道45分かけて届けた書式は、帰りのバスが駅前に着く頃に、「空欄がある」と携帯に連絡が入り、呼び戻される状態だった。

生活歴記入の用紙は特に仔細に書き込むように出来ており、A4裏表5面に及んだ。食事の調査がA4両面で2枚3面(一面は書きこみ事例)。こうしたものは、家族からの聞き取りで、看護師が書き込んでいくものだ。出身地や子どもの頃のエピソードや、学歴・勤務先・結婚日等々書き込むことになっていた。職員の会話作りの話ネタにしては、やりすぎ。結局、昨日(8/18)のケアマネさん召集の長期計画確認の場まで据え置きとなった。病院が経営母体のホームは異常にうるさいところが多いようだ。形式ありきである。

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09/08/19

8/18朝、父はおむつを完全に投げ出していた。部屋の真ん中に父が横たわっていたので驚いた。つかまる所がないので、立てなかったのだ。下腹が張っていたので、急いで椅子を使って立たせ、ポータブルトイレに移動。立小便の形で立たせると。ぐらりと身体が萎えた。眠ってしまったのだった。70kg台の大人が眠ってしまうと、とても支えきれる状態ではない。腰を前に押すように、「起きて、頑張れ」と声をかけた瞬間、ボタボタと力ない尿があふれ出し、慌てて脇のプラスチック製の空のゴミ箱を曲芸技のように取り上げて排泄器にあてがい、後から羽交い絞めの状態で局面を脱出した。「しっかり立って!」と声をあげると、何でもいいからつかまりたい様子で、水の入ったペットボトルをつかむと、スタンプを押すかのようにボトルでテーブルを叩き始めた。水浸しになるので、父の体位を変更させベッドに誘導した。

全身から汗が噴き出した。紙パンツに交換しながら、このまま、小箱ショップに出て行ける状態ではないと判断。6時台だった。

急ぎシャワーを浴びて、見守りを母に委ねて、相模大野に夏期講習(後期)の調整に行って来た。20日から夏期講習が再開される。ところが私は職リハ学会(8/20・21 神戸学院大)に参加する方に分科会資料を指定、収集を頼み込んだ。リカバリー全国シンポ(社事大・清瀬)の8/21・22の日程と重なっているためだった。本校の調整も後期初日20日を巡回1件を済ませて21・22日を休み、23日から出勤としておいたことのダメ押し確認しておくためだった。急ぎ、16:40の父のケア関係者の会議前に帰宅した。

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父のケアに関わる事業所職員さんが狭い我が家の茶の間にひしめいた。父のケアは、歩行能力の維持と、施設入所という一軒矛盾した課題に向けて舵を切った。報告を交流させることによって、父の課題をはっきりと浮かび上がらせる意味合いがあった。

25日から2週間、病院に検査入院(教育入院)する。この期間をフルに使って、入所先候補をつかみ出す、歩けなくなる前に。

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先週土曜日にBig Issue 誌の追加注文を入れて、東京事務所から経理の書式を送ってもらった。これを使って、今後の販売の舞台裏を支えていく。

初動資金が乏しいTさんに、50部のプレゼントをしたので、これが回転資金の一部となる。今夜定例会がある。今朝の父は疲れが出たのか、なかなかおきなかった。おむつはぐっしょり濡れて、しかし帰っておとなしくて介護する側には助かった。身辺介助と階段介助のヘルパーさんと、父を階段下まで降ろし、ホームの車椅子に乗せて、無事デイサービスに出かけていった。16時半までの間が勝負どころである。

20日から利用するホームの職員との打ち合わせが11時からある。これに出席し、海老名の駅前巡回(レポート受け渡し)をした帰りに寒川図にまわり、帰宅時の父の受取りをし、夕食を作って、19時から「あすなろ会」の定例会のために茅ヶ崎サポセンに出る。帰宅仮眠後、1時から夜間傾聴。これが今日の私の日課。

ブログに不規則な穴をあけて申し訳ない。

書きたいことが実は山積している。「わーく」の新プランのこと、特別支援校高等部担当の方と相談したいこと、ビッグイシュー販売回転資金支援貸付依頼の事などなど。

夜間傾聴:□□君(仮名・昨日は申し訳ない)


(校正1回目済み)

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Big Issue 茅ヶ崎販売順調な滑り出し/ひとり墓参を済ませて

2009-08-16 07:27:33 | 引きこもり
昨日15日、茅ヶ崎駅北口歩道橋時計塔脇あたりに立って、「あすなろ会」のTさんがBig Issue 誌の販売を始めました。午前中は南口、午後は北口と長時間頑張って販売していました。20冊近い売れ行きだったようで、まずは順調。

私は販売再開のポスター作り等に前日連れ添い、これで一段落と思ったら、父との介護戦争の睡眠不足が一気に噴き出して、ダウン(といっても、父『対策』は休みなしですが)ともかく布団の上で眠らせてもらいました。この日、夜間傾聴は、飲酒騒動の彼だけ。なんというか、不器用な生き方のものは、ほんとうにあちこちで仕掛けたつもりが無くても事が起きます。自分を含めて嫌になります。

私たちがサポセンでポスターを作っているとき、我が家では、母が目を離してる隙に、夕食の直後というのに、「腹が減った」ということで、父がひとりで階段を降りてしまいました。パジャマと紙パンツを下げたまま、いざるのではなく、立って階段を降りたのです。前方に転んだら、軽くて骨折、寝たきりに。直線階段なので、下手をすれば即死です。父が茶の間の片隅に転がっていたとのこと。

今までなら肝を冷やすところでしたが、こう繰返すとなると、母は介護の虚しさがこみ上げて怒りを覚えるといいます。私は父のまばたきの少ない放心した表情と見境のない檄昂の自己防衛の振幅に、感情を失った心身の深い冷えを感じます。

父は意地になって、階段手すりにしがみつき、片手の力で階段を上ろうとしましたが、数段で身動きが取れなくなり、とっさの判断で、母が父を段に座らせたところに私が帰ったという経過でした。以前と違っているのは、父が失禁していること。明らかに状態が衰えています。寝たきり長丁場戦争への前哨戦と受け止めています。

今度の火曜日に、父の介護・看護関係者が我が家に集まり、今後の計画をたてます。25日から2週間、父は某病院に検査入院(教育入院)します。ここを境に、階段を降りられなくなる前に、父を「入所待ち」前提として対応を切り替え、居室を降ろして、1階の徘徊戦争という在宅の悪夢の道を回避します。

父は元気だった頃、宗教を振り回し、母方の祖父母の見送りの時点まで、非人道的な教義の押し付けをしました。数少なくなった親戚から「絶縁」となってしまった関係で、昨日は「盆の迎えも送りもなく」、父を母に留守番を任せて、ひとり墓参に行ってきました。慣れたというものの、この墓参は自分には、やはり重いものがあります。祖父母の介護と父の妨害の盾となりつつ、有珠山噴火の災害復興支援活動を災害教育活動に仲介している活動の最中、交通事故を起こし、内科にいた祖母と同じ階の整形外科に2年間入院したことがありました。

2年もたてば、作ってきた社会活動は壊れてしまいます。戻る活動無く、浦島太郎状態で松葉杖で再出発したときの自己チェックの場が墓参でした。

今年は、Big Issue の件があるので多少息をついていますが、以前からの引きこもり青年への指導巡回の仕事再開を細々と続けていくこと以外、活動スタイルと主張の決まった爺を受け入れる団体はなく、茅ヶ崎市との協働事業提案団体育成に、境界線の分野からの火急の要請である地域就労支援活動を軸に参加し、これも境界線ゆえに、従来の活動にこもる団体の壁を破れず、空転。以降結果的に中間支援者として活動してきたのです。

作っては生まれる前に活動は壊れ、その繰り返しです。十年、何をやってきたのかと問うのは、やはりしんどい。これ以上、父の介護に切り詰められたくないという思いが正直言ってあります。必要とされるいい仕事(活動)をしたいと募る思いを押さえ込んで今回も家に戻ってきました。

ともかく懸案の「わーく」編集部の「編集部」実体を生み出すことです。新たな面白い連携可能な活動が身の回りにあるので、打開への質の濃い活動をしていけたらと考えています。

21~22日には、清瀬の社事大でリカバリーの全国シンポがあります。就労支援の要となる「本人活動の可能性」を再確認してきます。もうひとつは「テレコムと文化」の煮詰め。従来のような地域ミニコミをやるつもりはないので、新しい企画は常識に乗ることが出来ないので、レッテルをはがす直感的説得力を持たねばなりません。ふたつの基軸を用意していますが、声が届くにはまだ実績が足りません。

併行して、地道に関係者を招待し懇談会を積んでいきますが、さて招待講師と私のふたりだけ、閑古鳥に話を聞かせることになるかもしれません。PCを扱うので、入口から機械依存批判のレッテルと戦うことになるからです。計算が出来なければ電卓を使えばいいのです。その電卓を使った世界を機械依存とは言わないでしょう。私はその先の世界を描きたいのです。

p.s. 飲酒騒動の彼のお父さんと会いました。専任の**さんへとつないだけれど、さて。

セカンドブックアーチのYさんに、高齢者ホームに、古雑誌の特集文庫配達を通じた回想法の企画提案を彼に仕掛けていまして、その回想法の関連記事が出たので、紹介しておきました。高齢者がマニュキュアしてみたり、浴衣を着てみたり、結構面白い。

●「認知症:症状緩和に『回想法』浦安市、高齢者福祉施設に浴衣/千葉 ◇楽しかった昔を思い出して 浦安市が市民から寄付募り『浴衣で認知症の症状緩和を』」


夜間傾聴:******君(仮名)


<気になる記事>

●「45歳長男をはさみで刺殺容疑、73歳の父逮捕 千葉」
●「同級生にアイロン押し当て、中3男子書類送検」
●「若者を救え ハローワーク「マンツーマン」作戦」
●「09総選挙/定職求む 切実」
●「障害者のお菓子屋さん開店」
<なんで障がい者が隠れて、太鼓なんだろう、このセンス、変!


(校正3回目済み)

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Big Issue 販売員さんふたり誕生!>素敵な一日でしたがばててます

2009-08-15 02:35:48 | 引きこもり
報告は次回に。寝ます、ごめんなさい。

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父の変調対策の数日/NさんのBig Issue 販売出発日です

2009-08-14 09:09:43 | 引きこもり
11日に介護タクシーを頼んで、病院外来に通院。半日かかる検査を受けて帰宅した。昼食は病院内のレストラン。私達にとっては、久しぶりに家族3人が同じテーブルで食事をした。おそらく俺が最後となるだろう。この検査の途中、排尿を促す場面があったのだが、出ないために尿検査は検査入院中に行うことになり、長丁場なので尿意を問うことを繰返したがだめ。ところが心電図の検査中、放心状態でベッドをびしょぬれにしてしまうなど、いままでよりも後退した状態に私達は振り回された。食事の際も、片手で椀を押さえて、椀の中の具を食べる両手を使う動作が、椀を何回もこぼしそうになるほど状態が衰えてきているのを感じていた。

帰宅後、介護タクシーのサポートをお願いして、階段をふたり介助で乗り切り、ベッドに寝かせた。ところが疲れが出たのだろう、数分もたたないうちに昏睡と紙一重の眠りに落ち、声をかけても軽く身体を叩いても応答がなくなって23時まで私が近くにいる間、全く起きなかった。昏睡に近いとしたのは、大声で寝言を言って22時頃排尿に起き上がったからだった。

このとき結局父はベッドから下りることが出来ず、紙パンツを下げた状態でベッドをびしょ濡れにしてしまった。間に合わなかったのだ。しかし私が駆けつけた数十秒の間に、父は再び眠りこけ、奥のベッド柵に後頭部を当てる形で寝息をたてていた。23時すぎまで父は起きなかった。

夕食のとき起きなかったために、温め直しが利く惣菜を中心に軽い夜食を食べさせた。少し血糖値を上げ加減の食事を食べさせた。その夜、父は興奮して眠らず、空のペットボトルをベッド柵に打ち続けて、隣の家の窓がぴしゃりと閉じられ、翌日抗議を受けた。私が1階でPCを使って作業しようとすると、いつも父は鋭敏に2階でキャッチ。咳払いとベッド柵叩きを初めて、夜間作業を中断することが頻繁におきていたが、今回は空ペットボトルをベッドに打ち付け続けたのだった。

朝4時。父はベッドから落ち、足の筋をひねってしまった。とにかく腰があがらないのだった。絨毯に犬の糞のようなかたまりがふたつ。

このあと便意を催して、父の落下との格闘は朝食時間の8時半までに7~8回に及んだ。浣腸を試みるも、拒否。紙パンツすら脱ぎ捨ててしまうのだった。12日は根気勝負となった。11時過ぎから再び眠りに入ったので、訪問看護を頼んだ。かかりつけの看護師さんは年休を取っていた。

様子を見て14時過ぎ、介護を母に任せて図書の返却がてら、買い物し、特養ホームのケアマネさんから請求されていた、新規のショートステイ先に提出する診断書のデータ不足分(アルブミン値)を済ませようとして気が付いた。水曜日は、主治医だけは木曜日ではなく水曜休診日だった。

携帯で父の様子をチェックしつつ、鶴が台のセカンドブックアーチ(古書店)のYさんのお店にお邪魔した。懸案の特養ホームと古書店をつなぐプランと、「わーく」編集部の新規企画への協力要請をするためだった。

ところがY君と話をしている最中に、母から電話が入った。父が転落しその場で失禁。手に負えないので帰宅しろというものだった。病院通院の後は疲れがデルだろうと予測してはいたが、便秘で騒ぎになるとは想定外だった。ただ、今回は腰が抜けたような状態や、悪い方の手の指が麻痺これらから、脳に血栓が飛んだように思えた。2泊目の夜間騒動は体力を消耗するので、睡眠導入剤を使ったが失禁誘導は覚悟しなくてはならなかった。

夜間傾聴を始めることになっていた高校生が、未成年飲酒でつかまった。酒を飲んで追加の酒を買いに行ったら、その店に警官がいた。職務質問を受けた。距離が遠いので、ご両親に経過を伺うことで対応。彼は身元調査のところで、「仕事は?」と問われて黙秘。重ねて問われて切れてしまった。引きこもり2年目だった。警察からの厳重注意で父親が引き取った。実は危なかった。部屋に遺書があったのだった。気付かぬ振りをして、私に本校経由で相談がまわってきたのだった。高校の担任が関わっていたが、単刀直入型なので父親が恐れていた。相談の結果、クッションを置く方向を選び、当人が父親と衝突していないことから、父親主導で解決の道を探ることに。今夜、会えたら彼と父親に会う道を探ることに。

13日。朝から訪問歯科が眠りこけている父を起こして、入れ歯の最終調整。その最中に時間予約を無視した訪問看護の看護師さんが重なる。父の様子見と浣腸をすることに。歯科の往診の片づけ中に、父は下半身裸の状態になり、ポータブルトイレに移動。浣腸を。

室内の空気がどんどん暑くなり、窓を三方開け放っているのに蒸し風呂状態の場で、父は無事開通。すさまじい悪臭の中で、採血が行われ、父はベッドに戻された。父は食事を持ってくるように私に指示。今、便をしたばかりの状態で、食事の要求とは、高齢者の食事が義務的な傾向が強く、空腹感や味わいの楽しみがやせ衰えていることを示していた。父の場合、空腹感は別だが。

とにかく異常な一日だった。便器清掃中、生協・ダスキン・墓地CM電話・宅配便・高齢者事業団関係の++さん等。まるで駆け込むように昼に。

13時突然の一家揃った来客。これで完全に墓参は吹き飛んだ。今日出向く予定のBig Issue 販売のNさんの横浜研修の2回目。この後に回る予定でいた寒川図書館の書籍延長手続きを一日前に行いつつ、寒川の某飲食店に母と訪問客の会食の席をセット。主治医のところに立ち寄って、父の「アルブミン値」が明記されている検査結果の用紙を受け取りタクシーで、新規ショートステイ予定施設に届け、車を待たせて家に戻った。施設は金曜日が判定会だった。

予定外の来客を説得。母を寒川に連れ出してもらい、父の汚物処理と洗濯。

気が付いた。五反田で夜に、昔から関わってきた青年たちとの集まりが昨日だった。至急電話。謝って改めて場をつくるということに。本当に申し訳ない。

父の見張り番やりつつ、「わーく」の新企画の提案書を作成。その最中、Big Issue 新刊、「あすなろ会」初仕事の50冊が届いたと連絡が入る。荷解きを御願いしつつ、心の疲れが吹き飛んだ。こうして駆け込むように一日が終わった。

14日。今日はNさん、Tさんと横浜・寿町の「さなぎ達」さんのところへ出向き、Nさんの販売研修の2回目(最後)に立ち会う。家の様子を見に一度帰宅し、サポセンに出向き販売再開ポスター作りの予定。前述の父親と調整取れれれば、そちらを優先。

夜間傾聴:□□君(仮名)
     多摩センター君(仮名・こちらから)


(校正1回目済み)

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