湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネの地域学習活動・就労支援活動の実践試行を書き溜めていきます。

父の居ぬ間の洗濯ならぬ大掃除と…忘年試写会か試写忘年会か

2009-12-30 14:22:19 | 引きこもり
父がショートステイに出て行ったその直後には、緊張から解放されたじわりとした疲れと落ちるような眠気がやってくる。何はともあれ手を離れた時間、父のベッド周りを中心にと、ともあれ大掃除に腰をあげた。夜中も0時過ぎまで、家具を動かしているので、ご近所は迷惑しているだろう。(すみません。)

昨日は2つの困った電話が。

ひとつは父のショートステイ先の、ホームからの電話だった。

父はエレベータ前の車椅子から職員が離れたときに、勝手に立ち上がり転倒した。またか、である。高い位置からの尻餅だったようだ。とにかく対話が出来るのに指示を何も聞かないというものすごさは、足が更にもつれてきた最近でさえ,かけらも変わらないのだから呆れる。耳が聞こえないのかと疑ったが、離れて対面会話しているのを見ると、やや片方の耳が遠いが聞こえないわけではない。指示の意味が分からないのかとも疑った。これはかなり怪しいようだ。一例であるが、「歩行器をつかんで」という指示が出ても、歩行器をつかむまで、別のテーブルや職員の服などをつかんでは探す動作が出て、他のものを探して目の前の歩行器にたどり着く。一度歩行器をはねのけてもその探索は続く。歩行器が嫌いなので、子ども用のテーブル椅子を差し出しても同じだ。この椅子は移動中継点に自分から使っているもので、拒否はしないのだが。介護者の指示で何回も修正されて歩行器や椅子を握る。思い込みがあったときは、自分の方針で突き進んでしまう。このとき、途中で急に目に入るものがあると、突然そちらに気が移り、もとの行動が忘れられてしまう。ADHDの方が見せる転導性の様相に似ている。ホームでは父を専属の医院に連れて行ったらしい。それを聞いても、父の腰のことよりも、今夜は帰って来るなと念じている自分がいたのだった。

もうひとつは、大田区の友人の塾で講師をしていた頃の塾生、**子君からの竜巻のような電話だった。**子君は外傷性の脳萎縮がある子で、IQボーダー状態のため、教科学習に苦しんだ子だ。子と言っても、もう20代の後半。自営の文房具兼書店の、自称「おかみさん」だった。客層が子どもと近所の高齢者ばかりであり、親御さんが結婚適齢期を過ぎてしまうと、今年、福祉作業所に転職させていた。

春先に、就職する喜びを爆発させたような電話が入ってから、ほぼ一年、年賀状の住所を忘れたから教えろと電話をかけてきた。無事に働いているが、同世代の方がいないということで、母が他の職場でバイトしろと、地元商店会仲間を通じて、隣駅のスーパーマーケットのアルバイトに求人面談させられたという。仕事がレジだと本人は喜んでいたが、対人関係がスローで、臨機応変に切り分けを要求される職種が向いていないので、バックヤードを勧めた。これがいけなかった。バックヤードの男はブスで、お客さんのイケメン探しを妨害するのか、妬いているんでしょと大声で反発してしゃべり始めた。参った。40分。ハゲ見に湘南に行っていいと言い出した。彼女はてんかん発作がある。湘南はいいから、池上本願寺でおデートしようと切り返し、難無きを得た。私の彼女だとあちこちに電話している子なのである。

この子の近所の友だちで高機能自閉症の子は、今、品川区の行政の現業職員である。またもうひとりの計算障がいと多動がある子は、自分の家の飲食店の若旦那として商店会青年部を仕切っているらしい。

芋づる式にこの手の情報が彼女から入ってくる。しかし、その情報は彼女が直接得た情報ではない。母親が親の会の縁で、しばしばその方たちと出会って、近況を聞いたものの受け売りなのだ。彼女は遠方に出られないことと、対話が自分ペースになるために、対人関係がうまく行かない難を抱え、彼女は今も苦戦している。

母親によると、爆発できるのは家族とサポート校のもと担任、そして私の5人きりなのだそうだ。ともあれ、五指の中に入れてくれてありがとうというところだ。

K2インターナショナルからも、いつの間にか年末年始の挨拶の葉書が来ていた。

私は今、自分の部屋の本とパンフレットの山を崩して、期限切れのチラシ類を選んでは捨てている。全然はかどらない。父がいない時間をこうして浪費していてはと、今夜、あすなろ会の忘年試写会を終えたら、母を外食に誘うことにしている。

何はともあれ、たちまち年は暮れていく。

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以下は、あすなろ会資料なり。

209/02/30
(湘南)あすなろ会  飛田


 2009年は、茅ヶ崎のビッグイシュー販売再開を実現することが出来た、出発の一年でした。佐野代表を迎え関係者の交流会を行い、県立鶴嶺高校のボランティア分科会授業も実現できました。すごいことだなと思いつつ、路上生活者の自助活動が一層の共感の輪を拡げていけるような次の段階に入ったことで、「次のステップ」に駒を進めるための、的確な見通しを探る議論が必要と感じています。これは、その提案です。


☆ ビッグイシュー販売を拡げよう

   茅ヶ崎販売から湘南販売体制へ >辻堂・藤沢への拡張は可能か
   販売3人体制への見通しはあるか

   販売体制の整理
      最新号とさぽちが協力者との良い関係を維持するために
      最新号一日遅れを改善するために
      BIの安定供給 >水曜日の定例会以外に、月曜受け渡しは
      BN卸販売の安定化>ロッカー表活用/注文分・BN料金ルール
      銀行振込み方式の本人通帳実現>ポ****の住所協力を


☆ 支援者と協力した企画の推進

------ 鶴嶺高校講座のような連携企画を勧めよう
   (活動CMと支援者確保・BI販売促進)

    鶴嶺高校講座第二ラウンド(春先?)
    各種フリマ等地元イベントへの出店
      3月13日さぽせんワイワイまつり>BIブース販売
      さぽせんフェスタ etc.

☆ 独自活動を進めよう

      2月20日(土)19時~「『HL』と出会う子どもたち」上映会
             茅ヶ崎市女性センター第二会議室

      救急連絡先ガイドブック発行と配布

      ワン・コイン基金の実現準備
     (BI販売以上の領域に拡張する可能性をつぶさないために)

      5月BI販売者全国会議への参加資金調達の件

      公園法・道路交通法・PL法・古物販売法
      マイクロファイナンス等の
     「お勉強」懇談会の月1回実施    etc.

以上

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これから忘年試写会です。


夜間傾聴:□□君(仮名)

(校正2回目済み)

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持久戦まもなく小休止、年末の駆け込みスケジュール

2009-12-29 07:43:02 | 引きこもり
今は午前4時10分、大声で父が母を呼んでいる。またかと父の部屋に上ってみると、ベッドの上の照明を煌々とつけ、深夜番組のTVをつけた父が「お茶にしようと言っているじゃないか」と怒っている。今は午前4時であることを告げ、窓の外の夜空を見せた。表情を変えず、ただ黙る父。錯誤を修正されるときの父は不安定な動揺や困惑を見せない。電源が切れたようにぷつりと言動が途絶え、脳裏の闇に引き込まれているかのようだ。

尿失禁の場合が多いので、声をかけて横たわるように指示。紙パンツをチェックするが、今回は乾いており、尿意便意を問うが応答は吸い込まれたままだ。始め出会ったときの「おう!お茶にしよう」「お茶にしようと言ってるじゃないか」と私に言い放ったときの対話の躍動は、断ち切られたままだ。

私がTVと照明を消し部屋を出て1分。案の定、父は闇の中を立ち上がり、つかまり歩きでトイレに立った。小便が防水シートにこぼれる音がして、トイレの蓋の座面が大きな音で閉じた。しばらくの静寂の後、つかまり歩きでベッドに戻った。おそらく、パジャマズボンはぐっしょり濡れているだろう。尿意を告げなかったのは、父の無反応は失態から身を守るために私を遮断したのではなく、その場では実際、出たくなかったのだ。これはホームから帰ってきたときも、ベッドに誘導途中に便意を確認したときも必ず「出たくない」と答え、ベッドに横たわらせて別れた直後にベッドからトイレに立ち上がるのだ。誰が誘導しても同じことなので、介護者の介入を避けているのではないようなのだ。

このような昼夜逆転の錯誤は、軟便騒動の夜中や、ホームに出かける日の早朝、「玄関に迎えが来ている」という具合に、場面を限定し興奮を伴って出てくる。夜中に階段を降りてくるのも、こんな日だ。

前夜18時、私が大掃除初日と夕食の準備を済ませて出勤、まもなく大和を通過する頃、母から父が失禁後尿の中に座り込んでいると携帯連絡が入った。私が家に戻った23時過ぎ、父は自力でベッドによじ登っており、着替えをすませていた。母が床を拭いたペーパータオルの山が甘い悪臭を放っていた。母の話では、幼児用のテーブル椅子を横において、父をよじ登らせたという。30分は試行錯誤の連続だったとか。私は父に「ただいま」と言い応答を待ったが、父は「TVをつけてくれ」と、既に点いているTVを指差した。

これが予告編というわけだった。午前2時。「**君(ホーム職員)が入れ歯を持っていってしまった」と私を呼んだ。闇の中、布団を被っており目は閉じたままだった。寝惚けたのかと布団を直し、そっと紙パンツチェックし、階段を降りた。その2時間後だった。私のように夜間傾聴待機で夜中起きている者でも、待機の合間、別の作業のないときは仮眠を取っている。それが父の症状でかき回される。

午前中は、私の生活を知らない方やCMの電話、夜中から捨ててはいけないといわれる厄介なほぼ連日のゴミ捨て、日のあるうちにと干さねばならぬ布団や洗濯物、父の朝食、ホームへの父の送り出し、身辺介護・看護の受け入れ、午前中以外都合がつかない方との面談や巡回、授業支援、昼前後の社会活動企画など睡眠は分断される。生活の必要の中の力技は、現場に行ってから眠る。だから、私は予定の隙間を拾い上げては必要の読書と仮眠に割り当てる。ここは私のライフラインであるが、ここが見事に父の錯誤によって吹き飛ばされていく。これからもっとひどくなることを思うと、持久戦の短期見通しが必要となる。施設入所の方向で我が家は動いているが、有料ホームとの折り合いがつかない。母が寝込んだらとお互いに思う。これは介護を支える他の家族共通の光景だろう。高齢者介護は個人責任を超えている。子育てと同様、社会の課題なのだ。

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今日から大晦日まで、父はショートステイ2泊3日に出て行く。出来ることなら三賀日もとケアマネさんに頼んで断られた。4日がデイサービス、翌日5日から2泊3日のショートステイが認められて、正直、ほっとしている。

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私の契約している予備校の冬期講習は、高齢講師は明日30日で御用納め、4日から再開となる。塾の方も同じだが、3日に新年会が塾企画で行われる。高校生は別集団を組んで抜け出すらしいので、成人中心組(もともと3日出てこないが)は、勝手に組んでは出掛けていく。だれも小学生の面倒を見ないのがすごい。

昼間の大掃除を見越して30日は、昼間の授業コマを取る講師が多数派だが、高齢講師は半数が無給欠勤する。私も今夜巡回を最後にその無給欠勤の半数に入ることに。30日は夕方から「(湘南)あすなろ会」の忘年会で「『ホームレス』と出会う子どもたち」の試写を行う。父を預けているので、どれほど気が楽かしれない。終了後、母を外食に引き出す。18時過ぎには忘年会を引き上げる。

駆け込むように年が過ぎ去っていく。30日は持久戦のメインテナンスである。

p.s. 夜間傾聴・緊急相談は休みがない。自宅が針の筵(むしろ)の引きこもり青年(中年?)の何人かは、駒沢公園でまた集まるらしい。私はパス、パスと言ったらパス。


夜間傾聴:旗の台君(仮名・この時期になると活性化するのはなぜ?傾聴にあらず。)
     橋本2君(仮名)
     ******君(仮名)


(校正2回目済み)

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島田さんの講演「社会と心のよりよい関係」を聞きながら

2009-12-28 11:41:53 | 引きこもり
2009/12/27 記
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今は27日・朝10時、格闘技第二ラウンド終了して、ひと息ついている。5時前に1度助けを呼ぶ声。2度目は朝食中の9時。ポータブルトイレに移る最中、朝食の盆を引っ掛け、全部朝食を床に落としてしまい、それに心動かすゆとりなく、その場で失禁…地獄である。地獄とは睡眠不足の地獄。糞尿地獄と介護幽閉の地獄。気力で切り抜けないと、つぶされてしまう。

昨日、神奈川ソーシャルインクルージョン推進機構の定例会にお邪魔してきた。母の外出帰宅時間との入れ換えのゆとりの無い参加で、ゆとり無さが何も生まない話を聴いてきた。島田啓介さん、平和活動の仏教者ティク・ナット・ハンの翻訳者である。私はディープ・エコロジーとか理念伝道型社会改革運動は嫌いなのだが、今回は島田さんには悪いけれど、来年度の講演会の見通しを立てるために参加したというのが本当のところだ。

ふと我に返る時間、ぼっと我を忘れて過ごす時間、その時間は孤独の時間ではなく限りなく社会と連鎖していく時間であるという「瞑想」から、社会を捉えなおしていく。一貫しているのは、自他の観察と解釈。事象の成り立ちから行動原理を引き出し、その行動原理共感布教から社会変革を引き出していく。宗教的な言い方に翻訳していえば、今、私が常に因果に組み込まれて生きている、その質を還元一元化していくこと。価値観の切り替えによって生きれば、皆の気持ちが変わり世界が変わるという一見正しそうに見える前提の動学を問うべきだろう。私はこの錯視をともにしない。私は生産活動から離れないし、地獄の中に、かつ生きる。

神奈川ソーシャルインクルージョン推進機構の中に、精神障がいの領域から仏教的な社会活動をしている方がいらっしゃることは了解できた。包摂の論理といものは、宗教的世界との親和性があることも、追認できた。なるほど多彩である。面白そうだなと思いつつ、どこでつながれるかという点で、広場に飛び込んだという以上の内容は見えなかった。

私は炭谷茂氏の語る社会的企業「ソーシャル・ファーム」の紹介が心惹かれるのは、他の社会的企業論と異なり、社会的困難者、障がい者の起業に深く関わっているからだ。企画をたてて資本を作りプランを実現するという立て方の前提が実は高い壁を作っている。マイクロクレジット(マイクロファイナンス)の原資の動きのように、自己増殖のリゾーム的な連鎖と、差異を原動力とした発生のあたかもウィルスのような活動を前提とした分散型社会的企業は出来ないものか。ネットワーク論に乗った社会的企業である。

ヨーロッパにあるような「ホテル」立ち上げによる雇用の創出というような出発点に入れ物を準備するような活動は、第三セクターの道からそれを実現している。しかし、ユヌスのグラミン銀行活動ではないが、萌芽活動を促進する道も、萌芽活動があれば有効だろうし、グラミン銀行自身も自主運営が可能。ホテルは小さな共同体であり、そこに様々なひとを組み込んでいくことはできる。しかしホテルがレストランに拡張されたとしても、学校を実現することはないだろう。もっと柔軟な自己組み換えを可能にするような実践は出来ないのだろうか。そのキーワードのひとつに「ソーシャル・ファーム」がある。担い手がはっきりしている社会的企業が必要だと考えている。社会活動が組み込まれた社会的企業と視点である。

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12/27
夜間傾聴:橋本君(仮名)
     ******君(仮名)


2009/12/28 記
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父の下痢は漢方薬を飲ませて、なんとか抑えた。しかし、頻尿は続いている。朝食を済ませた直後に、濡れた紙パンツの交換を行った。しかしそれから一時間もしないうちに、父は母を大声で呼んだ。母はこの数日間の昼夜を問わぬ排泄戦争に疲れ、胃切除後遺症の嘔吐を早朝から繰り返し、父の声に応じなかった。私とて節々の痛みや、行動中の意識喪失のような不調が続いている。それほどに介護は破壊的である。

父の声に部屋に行ってみると、下半身の下着をぐっしょり濡らした父が立っていた。紙パンツ交換をしてくれという。チェックすると、1時間前に交換した状態で、汚れはなくさらりとしている。

父は「昨日から紙パンツを替えていない」と私に交換を迫った。私が紙パンツ交換を1時間前にしたばかりだといい、パンツ内を触ってみろと言った。父はうろたえて無言になった。その記憶がないからだった。下着への失禁は、立小便の失敗によるもので、その下着を替えて欲しいという事を紙パンツを替えろと言い換えていたのだ。周囲に尿が撒き散らされていた。なぜ紙パンツの中にしてくれないのかと問うが、それが嫌だということもあるが、排泄はトイレにということは「当たり前」という発想を問うことができない。

下着を脱がせると、父はおぼつかない足取りで紙パンツ置き場に向かい始め、危うく転倒するところで、私が支えるという始末だった。紙パンツが乾いているということ自身が自己修正につながらない。私が交換しないなら自分でやるというアピールだった。支えた私を振り払って、父は紙パンツの袋に手を伸ばし、尻餅をついた。私を睨み付けていた。父を説得しベッドに戻して紙パンツの袋を手の届かないところに移動した。

私は午前中海老名の巡回を済ませ、14時からのビッグイシューの駅前受け渡しに向かう予定だった。着替えをしていると父が転倒した。父は紙パンツを履き換え、下着を履こうとしてソファーから落下したのだった。私が父の部屋から出た直後、母が部屋に入り、事情の分からない母が、紙パンツの置き場を直していたのだった。脱ぎ捨てられた紙パンツは、全く濡れていない、便もついていない状態のものだった。とするなら、交換した下着も、乾いているのにまた再度取り替えなおしているという、奇妙な強引さが浮かび上がってきていた。やると決めたらやる。

2階のトイレを破壊したときも、壊れた便器をまた使うために、周囲に大きな物を置き入口のアコーディオンカーテンをガムテープ留めして入れないようにした。それにもかかわらず、父はカーテンをこじ開け、荷物を放り出して排便したのだった。状況の奇異さに気付かない。

認知症の状況把握の困難症状は、あちこちに現れた。父は再び階段上に現れ、降りなければダメだろうと怒鳴り始めた。歩行器も使わずに、左右の壁に手を突きつつ、階段上に現れたのだった。ホームからの迎えが来たと息が荒くなっていた。今日は日曜日でありホームに行く日ではないことを告げ、ひとりで階段上に出てくることが危険であることを諭したが、眼差しがあちこちに移っておちつかない。これは遠出はだめだと判断し、巡回を日送りする連絡を入れた。夜の講習補助(学習相談)も無理と休むことにした。

母と相談し、14時からのビッグイシュー受け渡しと、寒川・平塚の書籍期限切れ図書の返却更新をしてから帰るという2時間半をもらった。寒川からは田村十字路までタクシー、バス時刻表を見通して移動。八幡入口で平塚の中央図書館に出て帰宅した。相模線周りでは間に合わないのだった。出掛けにMさんから、Eさんの住居決定への協力申し入れがあり、中古生活用品の提供話をしてくださった。しかし、Eさんの入居の詳細が分からないため、受け渡しの期限があるために話はご破算になってしまった。

14時、Eさん、Tさんと会った。これで30日、1月2日と会えば、年末年始の販売の混乱は避けられるだろう。しかし、セッティングをEさんの携帯頼みにしたので、Tさんは状況をつかんでいなかった。Tさんは、まだ冊子は不要であるという。150冊の冊子は80冊Eさんに売れただけで、70冊は抱えて図書館周りと買い物をするため、1泊のコインボックス行きとなった。600円が消えた。こういう細かい無駄が、しょっちゅう積み重なっていく。

家に戻ると父が自室の真ん中で、あぐらをかいていた。母は父が倒れたが怪我していないようなのでと放置していたのだった。腹ばいにして自力で立ち上がる方法を伝えながら、椅子を傍らにおいて、父を誘導して起こし、ベッドではなく、ポータブルトイレに誘導、排尿させてからベッドに戻した。間一髪正解だった。膀胱は爆発寸前だったのだ。

家の掃除も手がけられず、洗濯と夕食作りで一日が終わった。このままでは契約解除になってしまう。ふたたび午前2時。父の部屋から父の足を摺る音が聞こえてくる。医師からもらっていた睡眠導入剤投与を決めた。

年賀状を書いている。何とも虚しい。

12/28
夜間傾聴:□□君(仮名)
     旗の台君(仮名・正月企画の相談<ちと無理)
     地元相談者++さんの親御さん
(求職活動再開は5日からと告げる。)

<入手書籍から>
●「友だち地獄」
●「発達障害が引き起こす二次障害へのケアとサポート」
●「教育の職業的意義―若者、学校、社会をつなぐ」


(校正1回目済み)
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すみません、また介護戦争です(クリスマス休戦なし)

2009-12-26 09:14:10 | 引きこもり
父の下痢は3日目に入った。風邪や中毒によるものとは様相が違い、大腸の機能低下による脱水不全の完全消化した軟便が頻繁に出るものだった。足が弱まっているために、起き上がりポータブルトイレに行くまでに便が出てしまう。夢うつつ、ベッド上で失禁した際も、紙パンツを下げた状態で寝ているので、ベッドに軟便が染み付いてしまう。そこに転倒や、室内徘徊が加われば、一気に部屋中が汚染されてしまう。

金曜日の午前3時10分、凄まじい音とともにポータブルトイレを巻き込んで父が転倒した。父は椅子枠の下敷きとなり、尿バケツは消臭剤と糞尿の混じった青い液体が、張り替えた床材をはみだして絨毯部分に流れ出した。父は真っ青に濡れたトイレットペーパーを片手で握り締めて、逆の手は、外れた入れ歯を探して、濡れた汚物の山をかき回していた。

私は23時の定時の着替えの際、父が屁を頻繁にすることが気になって、父を誘導してポータブルトイレに座らせていた。5分ほど座らせていたが、父の目が虚ろになって、座位が崩れてしまうので父をベッドに返していた。だから、用心にすぐに父の部屋に飛び込める体勢は取っていた。上着を脱ぎ去り部屋に駆け込んだ。しかし、地震の事故現場のようなこの事態には、正直言ってさすがにうろたえた。

全体把握と父の身辺把握をというものの、二次災害が起きそうな椅子枠と、糞尿汚染した入れ歯を口にしかねない父の行動制止、骨折等症状確認が同時に対応を求められていたからだった。前回、類似の転倒を起こしたとき、父の身体を触った瞬間、激しい拒絶が起こったことを思い出した。声を出して、父に自分の行動目的を告げて、父の汚れていない身体部分を軽く叩くように症状確認し、椅子枠を父とは反対側に倒し、瞬時の間を作って介護手袋をはめ、父の体位をゆっくり転がして、椅子枠から離しながら、痛みの反応を確かめた。私の行動を事前に父に告げ協力を求めることで、父の関心を入れ歯からそらしたのだった。

入れ歯を父の手の届かないところに投げ出し、父に動くなと制止をかけて間を作った。母に協力を求めるために親子電話の子機をつかもうとして、笑い話ではないがジレンマにぶつかった。両手は手袋が糞尿汚染している。そのままでは、子機をつかんで鼻先まで持って来ざるを得ない。それは糞尿を鼻先に嗅ぐことだった。換えの手袋は新しい箱を窓際まで取りに行かなくてはならなかった。父の身体から離れれば、父は独自行動を始めてしまう。これは今までの経験から分かっていた。覚悟を決めて子機を握り、母を寝惚けてつまづかないようにと、清拭用のボロ布を湿して電子レンジで暖めて持ってくるように依頼した。間をおかずに呼び出せば、階段が危険。母が目を覚ます間の緩衝作業を作ったのだった。

動くなと父に声をかけつつ椅子枠を完全に押し倒し、父の下半身の衣類を脱がせ、キッチンペーパーで大雑把に汚れを取り去り、アルコールを染ませてある市販のトイレティッシュ(本来はトイレ掃除用。刺激成分確認済み。)とトイレットペーパーを交互に使って身体の汚れを拭き去った。母がやってきたので、母に交換用の紙パンツと着替えを窓際の山から出すよう要求し、暖めたボロ布を受け取った。

紙パンツを先にはかせてから、母の協力を求めて上半身の着替えをした。紙パンツを先にはかせるのは、父が全裸になると胴体のつかみどころがなくなって、行動抑制が出来なくなるからだった。下着は真っ青に汚水を含んで汚れていた。下着を取り去り、母に室温を上げる指示をして、父を椅子に座らせ、打撲等を表情確認しながら母と協力して清拭を済ませた。ベッドの汚れは少なかったので、キッチンペーパーで糞の汚れをふき取って、父が椅子に座っている間に、使い捨て作業シーツ(平おむつの倍幅版)をシーツの上にガムテープ留めして、父の通り道となる椅子からベッドまでの床を拭いてから、着替えを済ませた父をベッドに戻して横たわらせた。

後は二人の協働作業が必要なポータブルトイレの復旧作業部分をチェックして、段取りを決めた。母を休ませることを優先し、床清掃とトイレ復旧作業をはじめ、私は汚れた靴下を脱いだ。逆性石鹸液を一階の洗面所で作って、交換用の靴下を履いてから、消毒液バケツを持って上った。

危なかった。汚物整理をしている母の背後で父がベッドから降りて、歩こうと立ち上がっていたからだった。紙パンツとズボンを下げて、ポータブルトイレに近づこうとしていた。何万回諭しても、父は紙パンツ内で排泄をしようとしない。今換えたばかりの紙パンツを下ろした状態で、立っているのである。まだ椅子が安定していない。とりあえず新聞紙を敷いた椅子に座らせ、母に尿取りパッドで陰部を包むように指示。二人仕事のコンクリートブロックの位置決めと椅子のセットを強引にひとりで済ませ、バケツをセット。父を誘導して便座に座らせた。虚しさがこみ上げてくる。表情にそれを見せれば、たちどころに私の表情は母を苛むことになる。私は父の頭を背後からにらみつけていた。紙パンツを汚さないために、部屋中糞尿で汚し、私たちの自由を奪っている白髪頭だった。

ちろちろと尿がわずかに出て、終わらないうちに、父は私たちを無視して尿をこぼしつつベッドに戻ろうとした。母が切れた。何のためにパンツを替えたのかと父を怒鳴りつけ、父はただ攻撃に防衛体制に入る獣のような怒りの表情を見せ、足早にベッドに戻ろうとしたので、転倒の危険を感じて私が制止、後から羽交い絞めにし、即座に緩めた。続ければ、父は振り払いむきになる。その場で紙パンツを上げてズボンを上げた。クールダウンである。緊張が尿意につながったと母を説得。父への爆発しそうな思いを飲み込んで、母を1階に降ろした。介護殺人が起きるのも分かる。しかし正常状態を想定した判断は、間違いは間違いなのである。

掃除とトイレ復旧を終えて部屋の照明を消したが、私は階段を降りず、階段の踊場で、闇の向こうの父の行動をしばらく見つめていた。案の定、すぐに父はベッドを降りてトイレに迎い、便の排泄をして、トイレの蓋を大きな音をたてて閉めた。

私は照明をつけて父をベッドに誘導した。驚いたことに父は私の登場を驚かないのだった。父は目的を達成して、私のガイドを当たり前のように受け止め、ベッドに横たわった。トイレバケツの中は、トイレットペーパーの山なのに、糞の汚れはまるでついていない、つまり便は出ていないのだった。中断されたノイマン型ロボットの制御プログラムのように、状況と関係なく続きを完結する行動を父は遂行していた。臨機応変に行動修正することをしない。むしろ手順完結を持って安心を得ているのだった。認知症の影がそこに見えていた。

ぬるま湯温度でシャワーを浴びて、先に自分の身体清拭を済ませていた母を寝室にもどした。午前5時になろうとしていた。これで2日目である。前回は訪問看護のOさんに電話し、主治医との仲介を頼んだ。薬は処方されなかった。市販の乳酸菌整腸剤が有ったからで、私はOさんが午前中対応してくれることで、同時刻の知人の大事な仲介忠告話を済ませることが出来た。しかしさすがに2日目の同時刻の授業支援業務は無理を感じた。FAXを入れて、休むことにした。

洗濯時間と介護用品補充と食材買出しを含めると、父が一日2回無茶すれば、私は仕事が出来なくなる。母も外出が出来なくなる。綱渡りをひしひしと感じる。29日から父は2泊3日のショートステイが入っている。ともあれ、父の朝食の9時まで、睡眠をとることにした。メールが携帯にどんどん届いている。クリスマスプレゼントのCMスパムメールである。


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母は昼過ぎまで起きてこなかった。しかし目の手術後の消毒通院で午前中出かけなければならなかったはずなのだった。父の朝食を作ったときに声をかけたが、布団を頭からかぶったまま、応答がなかった。10時からは、父の身辺介護のKさんが我が家にやってくるのだった。母はそれでも起きてこなかった。Kさんに事情を説明し、私は仮眠を取らせてもらうことにした。すぐ2時間後に昼食作りが待っているからだった。母は私の促しに応じ、タクシーを呼んで、今年最後の通院に出かけて行った。しかし、この日、すべて駆け込むように、訪問歯科が昼に現れたり(母の予約応答がこないので現れた)集金2件、地元家電店の地デジTV売り込み、父の宗教信者のアポなし訪問など、電話をいれると、30分も静かな時がない一日が過ぎた。本来私は授業補助(取り出し指導)をしている日、母は出かけたまま、地元友人宅に立ち寄り、家に帰ってこなかった。

ビッグイシューも年末は我が家に届くことになっていた。サポセンが休みに入るからだった。追加注文がEさんの携帯を通じて入っていた。東京事務所に連絡し、発送確認をした。バックナンバーもサポセンから1月4日までの分を持ち出しておかなくてはならなかった。

今日(26日)は13時から、神奈川ソーシャルインクルージョン推進機構の定例会がある。炭谷氏や阿部氏を講師説得しに行く。父の件を体調確認だけ、連日ではあるが訪問看護のOさんに依頼。携帯連絡で母と話し、19時まで父の介護を頼んだ。これから厚木に出かける。途中茅ヶ崎駅前で地元引きこもりの++さんの就労支援中間報告を昼前に駅前で会うことになっている。今は午前9時。父の朝食の時間である。結局仮眠は中断、徹夜となった。

夜間傾聴:中央林間君(12/25 仮名)
     □□君(12/26 仮名)
     旗の台君(12/26 仮名)

p.s. Kenneth J. Gergen の書籍「もう一つの社会心理学―社会行動学の転換に向けて」が増刷されていた。駆け込み注文。年内はこれで終わり。

ベッド内で山のような排便発覚、朝食と併行して出かける朝から始末再開。


(校正2回目済み)
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活動を内輪から拡げる困難さ/ふたつの上映会をめぐって

2009-12-24 08:04:44 | 引きこもり
冬期講習の準備で私の「周辺が」忙しい。私は自分の仕事で必要となる相手を捕まえるのに四苦八苦している。中心と周辺職の悩みの違いだ。相手の存在分布の高いところに網を張って待ち構える。しかし先方から連絡しなければ連絡が取れない非対称性は、悲しいが請負仕事の闇の中である。やっと相手を捕まえてアポを取った。

火曜日、作業を終えたのが午前5時。灯油販売の定期巡回に8時から起こされて、午前中の用事を済ませたものの、意識は起きていても身体が寝ていることが分かって、ともあれ予定通り期限切れの書籍更新をしに県立図書館に出かけ、次の予定までの間をしばらくうつ伏せになって仮眠を取ることにした。紅葉坂は駅から坂を上るのがしんどい、鼓動が収まらず義務のような仮眠。黄色信号であることは、わかっている。

館を出る前に、いくつかの検索をかけた。しかしリファレンスサービスは、検索エンジンやOPACより使い心地が良かったことは一度もない。彼らに専門検索の予備知識習得者が余りにも少ないことが原因なのだが、宝くじのような、はかないヒットを求めて話し込んだ。

いくつかの検索項目があった。

ジョブコーチ・特例子会社・公園法・エル チャレンジ・マイクロクレジット(マイクロファイナンス)・第三セクター・欧州&アジアのソーシャルファーム・米国ソーシャルカンパニー・XMLマクロ

用紙にかかず、メモをも見せて項目の多さとヒットの可能性の少なさに私の要請は嫌われた。結局、既に知っている情報以上のものは提供がなかったが、障がい者によるコミュニティショップ運営レポート風の書籍の分布が、副産物で少し見えたというところ。

アポを取った相手は大和にいた。相鉄線で大和に戻り、私の仕事の引継ぎと、冬期講習の学習相談予定の調整をすませ、これで事務的な山場を越えた。やっと定時にはまる仕事に移れると思いきや、町田の**君の様子をつかんでくるようにと連絡が入る。これは講師の++君の担当である。断ったが、家から電話がかかってきた。すぐに帰るようにとの母の話をこれもまた断った。

その夜は茅ヶ崎サポセンに移動して、前回の試写会のやり直しではあるが、スペアちがさきの八城さんにプレゼンをした。その結果、次回のスペア1月定例会に上映企画を提出することになった。都教委の就労支援ビデオ「輝く未来へ Step up」を八城さんは、登場企業の人事担当者の方を招いた方がジョブコーチを招くよりいいのではないかという判断。私はその担当者は、自分の企業の範囲だけを語るので、他の職種への普遍性を含ませて語ってくれないだろうと思う。ならばいっそ、語りなれた特別支援校の就労担当Sさんと掘り起こし屋(インタビューワー)の掛け合いのような形で話をしたらどうかとも思う。

しかしこれとて、手帳を持たない地域潜在化している精神や広汎性発達障がいの方たちの就労の件が弱くなる。一般就労の相談室などからゲストを呼べば、障がいへの配慮が薄らいでしまう。適任者を探してスペアの1月例会に提案予定だが、当日は映画「プライドインブルー」の試写会をするというので、話が煮詰まるかどうか怪しい。学齢期の方の親御さんとの発想の距離・関心の差が、この作品選択だからである。

この企画はNPOサポートちがさきの地域就労支援PJが呼びかけとなって、スペアちがさき、「わーく」編集部の共催、特別支援校と関係親御さんたちの会の後援で実現したい。

実は昨日、Uさんと偶然会った。このビデオに関心を持ってくださった。しかし話が茅ヶ崎養護で就労支援関連で上映会を考えてみるという方向の話だった。いつものことだが、私は就労支援は地域に根付かせねばと考え、特別支援校をそのコミュニティセンターに置く行政の考え方では、地域分散している困難を抱えた方の結集の話がまた放置される。手帳人脈の壁への危惧を感じていた。この作品の知的障害の分野の画像は、その大半が高機能やMRの方の事例が大半で、作品の事例は手帳枠の就労例ではあるが、その子達とシームレスな、地域潜在化している子達との質の連続に、私は映像の裏の価値を見出している。だから高機能・MR(遅滞)広汎性発達障がい系の方の就労支援企画から、作品利用企画を拡げたいと考えるのだ。地域に実態としての就労当事者の活動がないからとはいえ、彼らは個々に実際にいるし、自分の困難は自分に完結させる発想のままで問題を抱え込んでいるから、互いに結びつくことを嫌悪さえする層としてある。しかし問題は解決の手立てだけでなく、将来の生活保護制度を成り立たせなくするほどの規模で、問題は厳然としてある。その見通しのない発想に、企画の精気を奪われるような幻滅を感じている。

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昨日、クラブハウス活動関連の研究者の応答があった。地域に就労支援のセンター的な第三セクターを作っていく活動の米国のなぞりをしていくために、明学大の八木原先生のように、実践現場にいる方に相談者になってもらいたかった。第三セクター形成にはプランが提示されなくてはならない。しかしそれが、抱えている困難な現実の課題から生まれたのではない、突然現れた中空のユートピア案であれば意味がない。現存する育てる芽をだれがどう支えるか。ソーシャルファームの議論との、いわば大風呂敷を敷くのが私の役割だと思っている。社会的企業体としてセンター自身が雇用し職域を拡げていく活動である。

自己完結的ではあるが、面白いのが「ホテル」運営などという例もある。しかし資本がいる。入れ物ごと準備して、さあ始めようという様な出来合いシステムのスイッチを入れる、硬直した企業式「予算と実行型」ではない形、種から拡げ育てられる「成長型ネットワーク」プランがいる。その活動が地域に開放された活動としてどう姿を整えていくか。

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父の腹具合が悪い。便秘の宿便が出た後、軟便が爆発する。ポータブルトイレに行くまでに漏らしてしまう。おしめを受容してくれないので、下半身裸でいたり、紙パンツを下げているから、ベッドから床まで凄まじい状態となる。一日二回この騒動をやられたら、介護者は掃除洗濯で一日が終わっていく。入所へと介護を方向付けたが、つかまり歩き、まだらな認知症の現状では介護度3の状態で、優先順の優遇は得られない。昨日は近場の一事業所に様子を聞いた。なかなか折り合いがつかない。

ヘルパーさんから、紙パンツのまとめ買いの話が届いた。6袋のカートン箱120枚で1万円ちょい。サンプル取り寄せを依頼したら、私の出先に現場の上司が突然現れた。これが困る。食材の買い物を諦めて現物をチェックする。ホームで使うものだという。ぎりぎりのところだった。薄く、ギャザーの作りこみの素材が粗末なのだ。おむつ交換の鍵は「かかと」の扱いにある。無茶な突込みをすれば素材が持たない。またシールではない尿取りパッドでは、父の乱暴な上げ下げのうちに、中でずれてしまう。テープタイブでは、はずれてしまう。考えさせてくれと相手を返したが、私がトイレに入っている間に、パンフレットを見た母が注文をしてしまった。安いからというが、2割引は安くない。口論になりそうになったとき、デイから帰宅したばかりの父が、下半身どろどろの状態で、階段まで出てきてしまった。嘆きに息が詰まった。こうして通院がひとつ、つぶれてしまった。

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(湘南)あすなろ会の定例会が19時、サポセンであった。私が母の目の手術から1週間ほど動きが取れなくなっていたとき、九条の会のOさんが「湘南HL頼りNo.002」を作って、茅ヶ崎歩道橋で、400枚配布した。今回は県立鶴嶺高校の「ボランティア塾」の一分科会で講演をした記事を流した。手ごたえ・反響があったとの話を聞きながら、次を思った。

彼らはNo.003を出す話をしていた。これは歩道橋上の配布と対話のスナップ。この発行ピッチはすごい。まずは「路上脱出☆湘南あすなろ」をご覧あれ。Oさんの力作である。

大阪西成区の子ども会が、炊き出しをして路上生活者の巡回をしている活動レポート「『ホームレス』と出会う子どもたち」の上映会日程が決まった。来年の2月20日(土)会場と時間がまだ確定していない。それは追って紹介する。


夜間傾聴:□□君(仮名 12/21中断,23)
     中央林間君(仮名 12/23)

p.s. 都教委のDVDビデオを返却した。

(校正3回目済み)
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ハローワーク藤沢のワンストップサービスに連れ添いつつ…

2009-12-22 07:11:23 | 引きこもり
20日、茅ヶ崎市役所のドットコム(喫茶)を会場に、「ばりあふりーカフェ同窓会」が開かれた。障がいの枠を越えて地域の当事者の就労支援の思いを交流させるパーティーなのだが、ドットコムや、若松町のたい焼き屋さん、鶴ヶ台のカフェグランマなどの職員(当事者&支援者)が実行委を重ねて企画を組んだ。

市長や、地元中小企業関係者が参加。自己紹介をしながら、なごやかなひとときをすごした。

我が家では、身辺介護の**さんが14時から来ていて、母が布団などの女性の目からの買い物に出るために交代を求められていた関係で、私は中途退席させてもらった。介護サービスを受けるためには、家族がその場にいなければならないというのは何とも矛盾である。

イトーヨーカ堂と駅ビルで食材の買い物をして、急ぎ帰宅した。私が参加したのは、自己紹介から立食パーティーに移るところまで。

カフェドットコムの庁舎1Fは、耐震工事が必要なので取り壊しとなる。現在のドットコムは来年春先、現在の場所を閉鎖し、臨時に他の施設に避難する。

それぞれの事業所でがんばっている当事者は活力に満ちている。ただその途中でマイクをまわされたひとりが、自宅の苦しみの状況を訴えだした。会場に緊張が走った。そのとき、Iさんがその方に走りよって手を握り、目と目を合わせて、悲しみ・痛みと混乱に寄り添った。パニックの手前、ナイス・フォローだった。

当事者たちは重い生活を過ごしている。しかし、それでも働いているときは充実している。微妙なところだが、ひととつながりその労働によって社会に参画する。その充実感が覆い隠してくれるのだ。(問題が治癒して次が進むのではない。誤魔化しではなく、問題の治癒は次の転回のカバーの背景で、解決を携えて核心が浮き上がる。解決はその出来事の矛盾の抽出という経過反復ではなく、抽出している側の配列の価値観の中にあるからだ。それは解決から解放へという直線に並んでいるという思い込みを作りこんでいる中にあるからだ。)

公と私の暗黙の了解が破れた一瞬だった。私は出入り口側に立っていたのだが、ふとみると、隣の関係者の方の目がうるんでいた。そうなのだ、だからこそ、お互いがつながりながら、積極的に生きようとしているのだ。そのお互いの関係が瞬時崩れ、断面が見えたハプニングだった。

家に戻ると、父は寝息をたてていた。下半身裸のまま、床に寝そべって毛布をかぶっていた。ヘルパーさんがベッドメイクのために、父を椅子に座らせたが、尻餅をついて立てなくなったのだという。父はそのまま眠ってしまった。やむなく。ヘルパーさんが毛布をかけたのだという。

大きな餅を棚に返すような大仕事だった。父は私が買って帰ったおやつを見たとき、ベッドから自分で降りてきた。つまり、身体の状態ではなく、心が萎えていたのだった。

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この異常は、翌日の事件の前兆だった。父は腹をこわして、便をまき散らしてしまった。トイレットペーパーが手から落ちて白い紙の道を作った。それを拾おうとして、ポータブルトイレから転がり落ちたのだ。

ベッドにも失禁しており、汚れた手で周囲をさわったために、糞尿汚染は部屋中に広がってしまった。

私の留守中の出来事だった。母は父の着替えと清拭をして現場を引き上げ、自室に閉じこもって寝てしまった。老老介護は無理。厚木から戻ったのが22時過ぎ。そこから父の部屋の清掃を始め、拭き掃除から音をたてないように、痛んだ椅子の解体まで終えたのが午前4時を過ぎていた。仕事が残っている。今夜は徹夜。午前9時に主治医に行って下痢止めをもらう。明け方、自分自身を音をたてないように清拭。昼前に藤沢でひとと会う。午後、横浜の県立図書館で期限切れ書籍の更新をしたあと、図書館で仮眠を取る。18時にはサポセンで。スペアちがさきの**さんに「輝く未来 Step up」を見せる。

下痢止めは一度家に戻らないと。しかし、これが続いたら身が持たない。

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一昨日、ばりあふりーカフェに出向く直前に電話が飛び込んだ。なんと十五年前に私とミニFMをやっていた##からの電話だった。彼は鬱の治療を受けていることを聞いていた。私の家の近所に住んでいる。

何年も会っていないのに、「絢香のDVD限定版」を探してくれというのだ。相談する相手(私)のキャラを間違えていないかと応答したが、彼はまじめである。ビッグイシュー最新号の表紙に絢香が出ていたので、顔はわかったが、全くわからないお手上げの世界だ。探してみるよと応答したが、なんとも心許ない。

しかし、要するに私を忘れていなかったのだ。11日、調布からの帰り道、相模線で耳鳴りを堪えて目を閉じていたとき、寒川を過ぎたあたりで、同じ車両に彼が家族とともにいたのだった。間が悪い感じが残ったが、その修復のラブコールだろうと解釈した。彼は生真面目である。しかし絢香はわからない。困ったものだ。

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昨日21日は、ハローワーク藤沢の「ワンストップサービス」が行われていた。午後一番で地元相談者の●●君を担当者に仲介するために、藤沢駅改札口で待ち合わせしていた。引きこもり青年は両極端だ。分秒にこだわるタイプと、時間にルーズな昼夜逆転タイプだ。今回は後者のタイプの方なので、1時間は待たされることを覚悟していた。途中、サポチガのMさんが改札を走り抜けていくのが見えた。こういう待ち時間が一番疲れる。

ハローワークを利用するときは、自分が利用するという意識を持っていかないと話が空転する。心の相談をふまえて、求人情報相談を受け、私がオブザーバとして面談に立ち会った。地元の方をつれて藤沢にいくのは久々だった。

関連情報は、給料水準をさげたために、かなりの数の求人が出てきたが、彼は首をたてにふらなかった。後日、話し合った後、日を改めてハローワークに行くことにしようと思っている。建前と本音の見極めが必要に思う。

16時半にはデイサービスに出ている父を迎えに家で待機しなければならない。家に戻って、夕食食材を整え、下ごしらえをすませたところに、ヘルパーさんがやってきた。ホームから帰ってくる父を私とふたりで、2階の部屋にあげる役割だ。

無事、父をベッドにあげたのを確認して、再び外出。厚木に出た。途中、小田急相模原でレポートの受け渡しをすませて、神奈川ソーシャルインクルージョン推進機構の++さんと会った。就労支援PJの年度末講演会の講師打診だった。

若松町ゆめたいショップに一度足を運んでもらうことに。

父の事件は、この話し合いの最中起きていたのだった。

朝8時には灯油屋が来る。夜間傾聴は中止したが******君、すまん。

夜間傾聴:中止

(校正3回目済み)
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やっと母の眼帯絆創膏が取れました。ブログ再開します

2009-12-20 09:11:58 | 引きこもり
母の白内障手術をして3日。やっと落着いた。ブログを休んで、申し訳ない。

母はアレルギーがあるので、手術そのものというより、それが目の周りのアレルギーを引き起こすので、手術前からステロイド剤で発症を封じて手術したが、やはり絆創膏が取れても、眼鏡がかけられなかった。強度の近視なので、この間、分担仕事が出来なかったのが、原因。今は炎症も引いて回復したが、やはり今度は両手の掌蹠膿疱症(しょうせきのうほうしょう)が始まった。アレルギーは、やはり引き金のようだ。

近視の人間は白内障手術後も、術後の視野が色が抜け明るくなる程度で、劇的な見えの変化はないというが、母もそんなものらしい。私の網膜色素変性症も、白内障なみに手術で解決すればいいのだが、死んだ視細胞を復活させる技術はips細胞操作、まだ数十年は無理だ。

とにかく家事と時間細切れの介護に振り回された。間を見て活動を維持したが、集中した時間が取れなかった。

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この間に、Oさんの応援が(というよりお任せ)あったので、「湘南ホームレス便り No.002」が原稿が上った。県立鶴嶺高校のボランティア活動授業の1分科会30名の授業を任せてもらった件を紹介している。

ホームレスが生活保障制度の谷間の世代、中年熟年層に集中している社会の構造の問題であることを寿支援者交流会の高沢幸男さんの応援を受けて説明した。しかし、派遣切りやニートの話という、高校卒業後間近い、若年失業問題の話は時間切れとなったのだった。そんなこともあって、またこういう機会が続けてあれば不足分も話せるのだが。

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土曜日、都教委の就労支援ビデオ「輝く未来 Step up」(2008)の試写会を行った。すべて上映すると2時間近くかかるので「知的障がい」の部分だけ。他は身体障がいなので、今回は除外。

今は若松町「ゆめたい」運営に力が注がれているので、初めから試写会は実現が怪しかった。特別支援校卒業生たち(手帳あり)を基盤に活動している方たちと、地域に潜在している精神障がいの中途発症者や、手帳なしの発達障がい者や、精神障がいの方たちとは視野が違うから、ましてやLD・ADHD・広汎性発達障がい関係とか、引きこもりや神経症関連の関係者には、「結集を求め、地域に束ねていく運動論」がいる。このビデオは「企業就労」のビデオなので、就労の地域組織活動筋とは、ずれている。それがなおさらに、空転を生んだ。予感したUさんが客寄せ応答(感謝)をしてくれても、私が意義説明を追加してしらけるという、メーリングリスト上の出来事があって、時間帯も悪いが結局ひとり、実際の上映時の手間のチェックをしただけで、誰も来ない状態で終わった。

しかし技術的には、ひとり試写会をやっておいて良かったのだ。サポセンで準備されていたのは、はじめ一般のDVDビデオの液晶ディスプレーのセットだった。これでは画面の項目選択が出来ない。セットのクモの巣配線と断線寸前のコネクタに苦しまされて、予定時刻を30分過ぎてあきらめ、貸し出しノートパソコンに切り替える始末。

ところがセンターは、部屋が仕切られていないこともあって、すべてのパソコンの内部がミュートではなく消音設定してあるために、ファンクションキーを使っても音が出ないし、設定を変更しようとすると、ゲストIDではプロテクトがかかっているという状態だった。断線間際のコネクタがついているDVDプレヤーの下に箱で底上げする作業が飛び込んで、1時間は全く内容吟味に入れなかった。

私は何回もメインテナンスの悪い貸し出し機に悩まされてきた経験から、自分のノートPCを用心に持ち込む習慣がある。しかし、画面が小さく音も小さい。せいぜいふたりがいいところだ。プロジェクタをつないでも音がPC側からしか出ない。今回のディスプレーも、一応PC接続可能であるが、3本のビデオ端子を使わないと音がでない。

結局PC側で音を出して、映像を出したものの、企画論議は全く出来なかった。

私は地域就労支援PJと、「わーく」編集部、スペアちがさきのジョイント企画、企業就労レポートではあるが、つまり地域分散化している手帳を持たない方の、またこれから就労年齢に入る方のご家族に対しての就労イメージ作り企画に育てたいと考えている。作品登場者が高機能の方ばかりといところからしても、あてはまると思っている。

今日は14時から茅ヶ崎市役所内のドットコム(スナック)を会場に、「ばりあふりーカフェ」の忘年会がある。その前に、スペアちがさき(軽度発達障がい系の支援者・親の会)の関係者と連絡を取り、会えたら夜に提案をしてこようと思っている。

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図書館から借りた書籍が期限切れになって、返すタイミングがなくて困っている。日曜日は開館17時までだ。午前中は両親の介護で出られない。午後はばりあふりーカフェのような企画を休まないと、県立図書館は返却が無理だ。平塚市立図書館も延長が出来ない。時間が師走の家事と介護で細切れに制約されているのが難。来週は冬期講習のバックアップが始まる。巡回が溜まっているので、相模線内からの書きこみが増えそうだ。

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北海道の知人の娘さん宛てに、クリスマスプレゼントを贈った。恒例行事。しかし通販がなかったら、厄介なことになっていた。クリスマスカードが入れられないのが欠点。

"Someday"という絵本をご存知だろうか。女性のライフサイクルの中の子育てを連鎖させて描いた作品なのだが、性分業固定批判の見地からすれば、"Mother Tree"と同様の限界があるといわれそうだが、女性のわが子への愛情の物語とうことで見れば、それはそれで成り立つと思う。この絵本は母親向けにまとめて絵本セットとして、発送依頼した。

●「Someday」
●「ちいさなあなたへ(日本語版)」

私の分は「自閉症児のための社会性発達支援プログラム―意図と情動の共有による共同行為」(筑波大附小学部授業実践から)と、「支援から共生への道 発達障害の臨床から日常の連携へ」「マイクロクレジットの文化人類学」「すべてのひとにベーシック・インカムを」、の4冊を一緒に注文。いつ読めることやら…。

夜間傾聴:土曜日から再開
     □□君
     小田急相模原君(仮名)
     大森海岸君(仮名・傾聴にあらず)


(校正3回目済み)

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母の白内障手術につかまっています

2009-12-17 14:54:09 | 引きこもり
母が17日、白内障の手術をする。眼科から術後4回の診察&消毒の日程が示された。手術の当日と翌日は付き添わねばならないだろう。指定時間18日午後は休診なので午前の診察。ところが18日10:30に父がショートステイから帰宅し12:00まで身辺介護がはいることになった。父がひとりの状態よりはいいが、もう一日預かってほしかった。身辺介護は家族が付き添わねばならない、奇妙な決まりがある。私はタクシーで自宅<>眼科間を往復することに。

18日の無理をかわすために、父の宗教団体の信者さんに留守番依頼を頼もうとした。何といつも協力してくれる信者の**さんが新型インフルエンザで高熱を出している最中だった。彼に接触した信者さんに緊急診療が拡がって大騒ぎとなっていた。身近に感染が拡がってきたことに驚くと同時に、短時間だが父のひとり留守番が問題になった。この件でケアマネさんと会って父の帰宅時間を午後に遅らせることが出来ないか再交渉。応答待ちとなっている。

手術前のここ数日、母が手術準備の診察のために家を空けた。印鑑証明もいるということで、市役所を回ったり買い物もあった。生活が手術後数日は変わる。着替えや洗髪、父の介護の待機のローテーション変更など、やりくりが重なっていた。

生業の方も来年度の予定提出や、冬期講習バックアップ屋の企画書が期限を迎えていた。予測されたことなので、強引に書き上げたが、火曜日は、あすなろ会の日程変更した定例会をすっかり忘れていた。しょうもない話である。月曜日までは、落着かない日々が続く。

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一昨日は、地元依頼の就労支援の関係で、ハローワーク藤沢に行っていた。第二回の「ワンストップサービス」の日程を調べるためだ。下記の映像をご覧あれ。

●ハローワークで住宅などの相談も 30日に試験的実施(09/11/30)


旧政権時代にもあったではないかという話もあるが、この年末年始、派遣村の再開は避けたい。だから多重債務や解雇・雇用打ち切り、住宅確保、生活資金一時貸付相談等の比重がかかるが、社会的困難を抱えるが手帳申請に至らない境界線の方の相談は、いいとは限らないが、手帳枠中心の専門相談係とは違ったメンバーに会うことが出来る。当事者の彼の承諾のもと、連れ添うことに、予約を頼んだ。ついでに知人回りをして、状況をつかんだが、資格を活かすなら一般就労、ところが一般就労の求人は正規雇用は一件も出てこない。パート・契約のところ2件は最賃。見通しも無い。転職何でもやるというならまだいいが中年再雇用情勢は、資格を書かないほうがいいと暗黙の指示。給与の件。

「ワンストップサービス」は今回12月21日(月)、多重債務・住宅確保相談は予約制。

次に石川町の労働プラザに、私からはまだ就労の状態ではないと思えるもうひとりの方の親御さんを連れて相談仲介。親御さん連れなので寿町の用事を済ませるわけにもいかず、帰り道、親御さんを平塚の保健所の○○さんに出会わせ、家庭内暴力の件で効果は虚しいが対策を打つ。

親御さんと別れて、茅ヶ崎で知人の仕事相談調整。議員関係への「湘南HL便りNo.001」配布の反応にスタバからメール応答。食材担いで帰宅。巡回は無し。

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昨日、父を2泊3日のショートステイに送り出した後、海老名巡回を済ませた。引きこもり青年の巡回は、昼夜逆転している方が多いのでなかなか午前中がらみの時間帯が使えないのだが、彼の場合はそれが大丈夫。薬のせいだというが、それらしい内容の薬は見当たらなかった。

最近分かったことだが、父親が自営仕事で使っている車の清掃と磨きの役割を任されていて、走行距離がまもなく約束の距離を越えて、彼に譲り渡されるらしい。仕事で昼過ぎから使うので、午前中に手入れをしているというのが真相のようだ。その話をするとき、苦しみを抜け出した20代後半の彼の表情が少年に戻る。私はそれが楽しい。彼はそろそろ円居(まどい)を抜け出し通学するかなと思っている。

ただ何回も帰宅するのは、正直言って虚しい。家事と介護をすませて平塚に出て、地元ふたりの職場探し+体制取り直し支援の関連で、**さんと会った。依頼を済ませて、藤沢に出た。地元某大の学生。「わーく」の技術スタッフ若手応援団になるかと話を進めている。大森海岸君(仮名)とつないだ。地元スタッフが欲しい。話は固めたいと思っているのだが。

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父の件で、ケアマネさんが突然家に来た。とにかく人の出入りが忙しい。私がいないときでよかったのだ。中断されたら影響が大きいからだ。父の年末年始の予定確認だった。父は大晦日までショート2泊3日が入っている。来年は5日から2泊3日が入ることになった。4日がデイサービス。つまり三賀日は家にいる。毎年2日の東京南部の旧塾生、旗の台君(仮名)たちとあう会は出来そうもない。

しかし父がホームで指示に従わないで転倒するのは何とも頭が痛い。職員数が減る年末年始、これをやると家にもどされてしまうことも起きる。母から再度入所先話を切りだしたようだ。転倒が治まらないと難しい。4日、私は茗荷谷に朝から行っている。デイの送迎は無理だ。新年早々何か事件が起きそうな気がしてならない。

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話は変わるが、BBソフトは困った会社である。破棄した携帯に組み込んでいたセキュリティソフトの代金を半年を越えて、まだ落とし続けている。HPから連絡を取ろうとするが、メール受付のアドレスがなく、直接連絡が取れない選択式の書きこみ連絡になっていて、苦情の受け皿がない。営業所の所在地も分からないので、引き落としを止めさせるのに一苦労してしまった。銀行に引き落とし契約破棄の連絡をまわせばよかったのだ。銀行も迷惑顔で渋々受け付けた。窓口があっても苦情を入れるのに一日中電話がつながらないメーカーもあるから、ここだけではないが、住所も分からないのは反則だろう。

このごたつく年末、バージョンアップをしろと連絡してきたところもある。しないと年内にサポート打ち切りと通告してきた。設定が初期化されるからカスタマイズはバックアップデータの一時避難に、自社の空きスペースを利用せよという。二重に冗談ではない。このソフトハウスに連絡した。

「規則でそうなっています」ではないだろう。時期の性急さと、データ漏洩の可能性をどうするのだと抗議した。後者は自分のPC内の別ディレクトリにバックアップすればすむという。前者は譲らなかった。作業は1時間を越えた。組み込みソフトが、その会社の避難スペースを呼んでしまうためストップ、標準(?)ではない手作業で初めから組み込まなくてはならなくなったからだ。茅ヶ崎の消費生活センターに通報したが、市役所の係は知り合い。完全事務的に話がすすまないので、何かうんざりした気分になった。年末は、みなどさくさに駆け込もうとする。データ漏洩の危険の件だけ引き受けるとのこと。

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今、母の手術が始まって、着替えを取りに家に戻ってきた。いつの間にか庭師のHさんが手入れをしていった。不在通知1件、留守電1件。申し訳ない。とりあえずアップロード。

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すみません、生業が立て込んでいます

2009-12-16 15:53:38 | 引きこもり
また2日分合わせて、今夜書きます。
ごめんなさい。

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神奈川ソーシャルインクルージョン推進機構の会合に参加し

2009-12-15 12:12:57 | 引きこもり
2009/12/14朝 記
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地元の軽度発達障がいを持った方の求職活動支援の関係で、ハローワーク平塚から引き出した4件の求人票の応答に、本人が返事を留守電に残していた。すべてNo!

気持ちが分からないでもない。彼は有資格者。彼の苦手な能力を使わずその資格を活かす仕事を探していたが、担当者によれば、条件をつけなくてもこの一年、一件も求人が出ない状態だという。出てきた4件は、時給が彼の就労時の3分の1もでない。最賃に近く、短時間シフト勤務だったからだ。精神の手帳枠取得条件で探すと、今度は資格が活きなかった。

彼の自宅に電話を入れ、彼には「ワンストップサービス」2回目が年内にありそうだと伝えた。県の仕事サポーターのKさんのご厄介にもなるつもりだ。

もうひとりの方は、ある結婚式場の清掃と会場セット補助の仕事を親御さんが見つけてきた。私に「親から求人情報を渡すわけにはいかない」と説明があった。この方は、親御さんが息子さんの結婚を気にされており、そこで衝突が絶えなかったから、その気遣いの最中に見つけられた求人情報なのだろう。しかし当人は、今まだ就労可能な状態ではない。

私の巡回は進学を前提にしたものだから、学習指導が主。直接、就労支援というわけではない。進学に行き詰ったり失敗した方が、私の担当となる。しかし進学に失敗すると無理に専門学校や職訓校につながず、しばし気持ちの整理をすることがしばしばある。

その中には本校の選択からはずれるが、進学を断念される方がいる。そのほとんどが通勤挫折組の就労経験者だ。障がい枠から入って退職した方は、特別支援校の進路担当者が再び担当したり、ハローワークの専門窓口担当者が福祉の事業所に渡りをつけて、双方で探すこともある。

しかし、ADHDや広汎性発達障がいのように、手帳取得していない方とか、神経症的な波をくぐった方が私などにたどり着く。就労経験があるので、進学挫折した場合も就労への心の架け橋が残っている場合があるからだ。そんな方は、本校からは追い出しのような形になるが、就労ガイドのつなぎをかけて契約を切る。今までは放置していたのを私がつながせたという経緯がある。

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13日(日)ソーシャルインクルージョン推進機構神奈川の会合に参加してきた。「地域で働き、ともに生きる」というテーマは、「ソーシャル・ファーム」の発想からきている。炭谷茂氏からはソーシャルファームの定義と世界と国内の実践紹介があった。清水義悳(よしのり)氏からは高齢受刑者の社会復帰支援の現状が、福田久美子氏からは大阪のビルメインテナンス会社設立とエル・チャレンジの実践紹介や、住吉公園を拠点としたジョイントベンチャーとしての園芸福祉活動のリゾーム(ひげ根)的成長の様子、古本流通実践の紹介などが紹介された。私の提唱していたいくつかの事が、すでに大阪では実践されていたのだと知った。最後に阿部寛氏から、地元で働く吉住さんの就労に至るまでの経過紹介や、神奈川で生み出して行きたい職場の県外の事例紹介を交えた呼びかけがあり閉会。内容的にずっしり詰まった講演会だった。

閉会後、福田氏にご挨拶。エルチャレンジの入札制度への挑戦の件以降がつながったこと、HLの販売活動の収入の最低保証制度について「マイクロファイナンス」の考え方を使ったらどうかと提案してきた。大阪の活動は社会的困難を抱えた方たちの横断実践が進んでおり、神奈川との落差を感じた。話を切り出せないもどかしさがあるのだと話した。

講師依頼の件は、別の場で話すことに。

<参考>
●「ソーシャル・ファーム」
*「ソーシャル・ファーム(Social Firm)」DINF
*「わが国におけるソーシャル・ファーム発展の可能性に関する考察」寺島彰氏 論文
*「『ソーシャルファーム』町田福祉園のGMコラム」
「マイクロファイナンス」


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2009/12/15 朝記
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都の教育庁所蔵の「輝く未来へ Step up」の都立特別支援校卒業生の職場レポートDVDが届いた。2008年の作品。視覚・聴覚・肢体不自由・知的障がいの4編に分割整理されており、学校教員・当事者家族・企業採用担当者・支援者向けとなっており、完全な一般公開はしていない。

都内の障がい枠採用を行った職場、特例子会社の仕事の場面を書く1分位づつまとめているのだが、中にはチェーン展開の職場もあり、また同業種の場合などから神奈川の就労の参考になる映像だ。30社強が紹介されている。

この映像からは、当事者の喜びと健闘が熱っぽく伝わってくるのだが、単に就労の喜び紹介ということではなく、職場の雰囲気や、作業の複雑さや連携する身体がわかるいい画像だ。仕事のまなびは場に共鳴している。そこに脱皮が起こる。連携や四肢の動きや眼差しに注目するとそれが見える。各社ごと一部反復が出来ないので忙しいのだが、手帳を持つ方のご家族よりは、その関係の情報が相対的に乏しい、手帳を持たない広汎性発達障がいやADHDなどの家族の方などに、ジョブコーチなどの解説をつけて提供するなら目的に合う映像だ。

23日には返してしまうので、その間、関係者に声をかけて、映像を見ておきたい。又貸しが出来ないので、こせこせと少数で観賞することにする。

2009/12/19 14時~15時(?)
茅ヶ崎サポセンにて


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14日(月)13時半、父のベッドシーツや、防水カバーが定時(13時)に届かない。父がデイサービスに行っているときにと考えていたのに、16時半には自宅待機していなければならないのに、足止めを食らっている。14時にはあすなろ会のTさんと会う予定だった。業者が来たのが13:45。間に合わないので電話するが話し中。バス停に出たところで父の部屋の掃除をしてくれるTaさんが車を止めた。これから家にいくところ、誰かいるのかという。冗談ではない、母が断るのを忘れて外出してしまったのだった。母は東京で携帯に出た。やむなくTaさんの車の助手席に乗って家に戻った。

16時までの作業、私が報告書に確認印を押さなくてはならなかった。15時半で切り上げてもらって、バスに飛び乗り、**さんのところに連絡に飛び込み、その足で市議会に。用件だけ足して、帰宅。父を迎え入れ、バリケードを階段下に作ったとき、父が転倒した。腹が減っているという。ラーメンを食べさせて16時半。バスに乗り遅れて駅まで20分弱歩く。

買い物を済ませたところで、母から約束の食材を買ってこなかったと携帯連絡あり。父が窓の壁の隙間にころがっていると連絡があってすぐ、父の宗教団体の信者さんが来たので、父を引き出したと連絡あり。17:40。

あすなろのTさんとは、19時にもビッグイシューの出し入れの約束があって、サポセンで作業しつつ待機。来ない。中央公園に暴走族がいて出られなかった模様。20時前にサポセンを出て帰宅。一日中空転していた。予定が予定にならない介護。HL支援。少々気落ちして、23時まで仮眠を取った。

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まずは父の介護の話から(12/14朝に)

2009-12-14 14:59:46 | 引きこもり
父の足の状態がよくない。ベッドから立ち上がるとき、寝転がった状態から起き上がるために、脚が交差している。この交差を戻す事が出来なくなった。悪い方の足が垂れ下がっているからだ。このため、床に足をつくことが不安定になり、腰を抜かすようにベッド下に落ちてしまう。普段、悪い方の体側を下にして、悪い側の腕で頭を支えるように肘をついて、横になっていることが多く、腕や下側の下肢の血流が悪くなるので、姿勢を変えさせていたが、いつの間にか同じ姿勢に戻ってしまう。そんなやりとりをしていたが、状態の変化は急にやってきて、悪い状態に固定した。血栓かなと思いつつ、日常の姿勢の影響が加速しているのは明らかだった。

ベッド柵の利き手側に子ども用のテーブル椅子を置いて、腕力の手がかりを増やした。ベッドサイドに腰掛けたら、間を置いて、足の交差を直してから、床を意識して立つようにと指示したが、ベッドサイドに腰をかけると、立ち上がろうとする意識に焦り、指示が耳に入らない。それでも数回試みて、なんとか立ち上がって、伝え歩きでポータブルトイレにたどり着いた。

ところが悪い方の足側がトイレに寄せることが出来ないために後にあり、斜めに排尿することが極端になって、尿の大半を外に撒く状態になってしまった。防水シートを敷いてあっても、尿たまりの上を靴下を履いたまま歩き、ベッドに戻るので、周囲とベッドが濡れてしまう。

対策を考えた。父が片手離しで立って排尿できるかを確かめた上で、「樋(とい)」を作ることを考えた。いつも私が排尿を手伝うわけにはいかないから、樋の先をバケツに向けて、樋に排尿することを試みた。樋はサラダ油の容器を図のように切り取って、取っ手を持って操作する。

ところがここで珍事が起きた。父が試作品の口の部分に亀頭を押し当てているのである。父に「樋」の意味が伝わっていかなかった。父は試作品を「尿瓶」と間違えたのだった。ペットボトルの水を使ってバケツに水を誘導してみせた。ところが父は「わかった」と言ってベッドにもぐってしまった。わからないのだと思う。この理解の柔軟性が欠けていくのも老化の現われ。何回か繰返そうと思い、無理することをやめた。

「樋」は使う前後、どのような状態で管理したらよいか考えた。バケツの中や、周辺に放り出されたら、残った尿で新たな事件が起こるからだった。落とさないようにポータブルトイレの手すりに紐で結びつけた。父の部屋には、背丈の高い円筒のゴミ箱があったので、買い物袋をかぶせ、尿取りパッドを半分に切ったものを袋の底に敷いた。このゴミ箱をポータブルトイレの傍らに置いて、「樋」を差し込んでおき場所とした。

この作業は寝る前に行ったのだが、父は夜間起きてこなかった。昼夜逆転して、夜中排尿騒ぎは3~4回起きていたのに、試作品が抑圧になっていることは明らかだった。今朝はおそらく紙パンツがびしょびしょだろう。母はトイレに座って排尿すれば済むことと笑っている。しかし、これをさせると噴水というか湧き水というか、亀頭の向きを制御せず、いくら説明しても失敗する。次回の排尿までには間がある。その間に注意は忘れられていく。嫌なことは覚えないということは、どこまでも通っていく。ホームでも男性はプライドだけでなく、学習しないと嘆いていた。この座って排泄ということは、大便時、同時に尿を始末していることを考えると不思議でである。なぜ排尿のときは座位のまま出来ないか、これはおそらく習慣を超えられないのだろうと思っている。とするなら「樋」は奇抜。受け入れないで当たり前。そこに新たな方法を根付かせようとするのは、厄介な話になるのは必至。ばかに静かな天井を眺めている。
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情報が溜まってしまいました、今回は放出です

2009-12-12 15:59:11 | 引きこもり
記事が溜まってしまった。9日の「(湘南)あすなろ会」の定例会の話題から書いていきます。

定例会では、次のようなことが話題となりました。

1)あすなろ会のブログができたこと。管理編集はOさん、力作です。
   「湘南あすなろ>http://syonanasnr.exblog.jp/」

2)会報「湘南ホームレス便り」の第一号誕生。
 記事を書いたのが当事者Tさん。構成・印刷がOさん。路上配布しますよ。

3)同紙第2号、編集開始。15日以降に撒きたい。
 表紙Eさん。鶴嶺高生とのボラ授業交流の様子紹介予定。

4)12日、16時から、ビッグイシュー東京事務所がクリスマス会を開く。
 当事者Tさん、Eさん参加。関東の販売員さんたちの交流。新宿の角筈地域センターが会場。湘南は遠方とのことで、ふたりの交通費と参加費をビッグイシューが持ってくださることに。ビッグイシュー事務所の皆様、感謝です。

5)あすなろ会も忘年会(?)
 30日16時から、Oさん紹介の茅ヶ崎・共恵の「スナック 微笑み」にて。会費2千円。(?)というのは、会社が休みとなる年末年始、販売の客層が変わる。例年酔客等の暴力も増え、販売収益も減る。一度、期間の真ん中で顔合わせの場を設けようという話。定例会の水曜日、茅ヶ崎サポセンも女性センター・ロビーもお休みなので、いっそ食事ができるOさん推薦のスナックでという経過。『「ホームレス」と出会う子どもたち』の第一部(30分)を観て、11・2月に上映会を準備。お楽しみはその後で。

6)ビッグイシュー新年号販促対策
 年末ぎりぎりに新年号が届く。これは年末飛田宅受取りに変更をと。バックナンバーは、30日、事前申請分のみが最終。1月は6日が年度初めの定例会。この間の最新号受け渡しは、銀行休みの期間中、現金交換。覚せい剤なみに路上交換。

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一昨日は「湘南子どもネットワーク」の講演会、「『一人ひとりに寄り添うかかわり』~障害者歯科の実践を通して~」(神奈川歯科大附横浜研修センター障害者歯科歯科衛生士 高瀬幸子氏講演)というテーマ。

なかなかじっとして治療を受けてくれない障がい児の治療。具体的にどうしているのかという専門側の治療法のダイジェスト紹介の内容。私にとっては今、関係していない年齢層の子達の話だが、もう二十年近く前の出来事を私は思い起こしていた。間もなく成人になろうとしていた引きこもりの青年が、自室にこもったまま発熱し、救急車で病院に搬送する出来事だった。

外出に極度の不安を示す、この方は精神障がいを起こしていたと思われる事例だ。5年間歯を洗わずにいたため、歯がぼろぼろになっていた。前日歯の痛みを訴えていたが、治療のための外出を拒否。訪問看護師さんの入室も拒否する状態が続いていた。私の知人の親戚の方ということで、私はこの青年を紹介されて一ヶ月。扉を挟んでやっと会話が出来る状態になっていた。そのやりとりからあきらかな解離を引き起こしていることがわかった。親御さんが恥と、外部接触を行わなかったため事態が悪くなっているように思えた。私は保健所と連絡を取り、精神科との仲介を始めてまもなくの出来事だった。歯から発熱へとつながったと予測された。

母親が検温に成功したが39度を示していたので、救急搬送を勧めた。しかし彼はいうことを聞かないため、食事に睡眠剤を混ぜ、寝入ったところに救急車を御願いし、歯科のある隣接市の病院に入院させた。精神科はあるものの入院は出来ないために、歯の治療後、精神科の病院に入院を勧められたが、親御さんの強い意志で、自宅に戻していた。親御さんの判断で私は切り離されたが、彼はまもなく入院したと知人から聞いた。

高齢者治療の場面で、私は祖母の入れ歯作りのために訪問歯科を知った。しかし、保健師さんとの連携による引きこもり者の健康管理は必要性はあるが、医師との連携は寒々しい状態を感じていた。その多くの方は治療外出が可能ではあるが、それでも引きこもりの初期や、精神疾患を起こしている方の過渡的な在宅治療の必要性があると思っていた。

私も歯の疾患が救急医療に結びついた経験はこの一例だけだが、不登校・引きこもりの方と会っていると、歯が無残に黄変している方に出会うことが多い。歯磨き洗浄していないためだが、極度の偏食やシンナー等の吸引の結果という場合もあった。私の活動は以前は塾を経営していたことで、主は塾の運営の中にあったが、訪問を併行して行っていた。だから塾を閉鎖するまでは卒業生を除いて学齢期の子たちが主だった。塾閉鎖後から、主要な年齢層が急にあがって行った。雇用された予備校・私塾が主に中高生担当に当てたことや、私の塾や友人の塾の卒業生の年齢が上っていったことも大きい。

歯科の救急事例のことを一昨日の講演会のQ&Aの際、思いとともに伝えたのだが、同席した歯科医の方が県歯科医師会に問い合わせれば、障碍者訪問診療をしている医師がいるので紹介してくれるとの助言を個別にその場で戴き恐縮している。私の話は二十年前。当時は歯切れの悪い応答しか得られなかったのだ。

講演会の場の雰囲気は歯科診療の話に乗っている風ではなく、関係者がQ&Aをつないでいる状態だった。これがこわいのだ。この師走の時期、よほどの心に係るテーマでない限り、企画は閑古鳥が鳴く。ネットワーク自身の実力ではないのはわかるが、私はこれから新規の講演会等の企画を準備している立場から、背筋が寒くなっていた。どれほどに講演会の目的の同意を取れるか、応答はいつも、完全な無言の彼方となる。それだけに、活動の先を見通す深い価値を持つ必要性を直感させる内容に厳選を余儀なくされるが、それとても相手の既知の価値観に触れていくものでなくてはならないという制約が息苦しい。

昨日、IPS-TOKYO の桜ヶ丘病院関係者の方や、東大先端技術研の近藤武夫氏と接点を作ってきたのも、リカバリーを基調とした就労支援活動の基礎的な部分と方法論をPJや「わーく」の中に活かす目的があった。以前藤沢の湘南東部の講演会でお会いした渥美さん(IPSサバイバー)の名前もあって、ご当人はいらしていなかったが、調布市近辺の活動のいぶきを感じ取ることができた。

中邑賢龍氏と同じ研究センターであることもあって、講演基調はいっしょであったが、就労の可能性をひろげる職場改革を含むツールの話は、是非このおふたりをテーマ別に湘南に招待したいと考えている。

私が疑問に思ったことは、講演内容が高機能の方の話ばかりだったこと。重度の方でも就労支援するのがIPS(Individual Placement and Support<直訳すると「一人ひとりを社会的役割の中で支援する」の略語)である。その意味で寝たきり生活をしている身体障がいの方が、携帯電話を取得することで社会との窓口が広がるように、そのものが就労支援の影の基礎になっていく事例があるはず。それを発達障がいや精神障がいの支援事例として紹介して欲しかった。

どうやらこの辺は、ナチュラルサポートの話も含んで交通整理しつつも、私にお鉢が回ってきた感じがしている。そのわりには、足がすくんでいるへなちょこではあるのだが、いいものはいいのだから、講師と私の二人だけの講演会になっても、踏み出そうと思っている。

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昨夜、私が新百合ヶ丘に到着したとき、母から泣き声の電話がかかってきた。玄関の鍵を持って出かけなかったから、父を残して雨の中、家に入れないという訴えだった。庭は真っ暗。どうしたものかと扉を揺すったところ、父が大声で返事したというのだった。階段下にはバリケードが組んである。ひとりで階段を降りて落下したら、なおさらにケガをする。大きな落下音が聞こえて焦り、母が電話をしてきたのだった。

戻るにしても1時間弱かかる。講演会参加は流れてしまう。結局、近くに開錠屋があるので、検索してそこの電話番号を母にメールした。十数分後、鍵が開いた。大きな転倒音は父が歩行器を階段の上から落とした音だった。

父も緊急事態に転倒を考えたのだった。いつも嫌がる歩行器を使ったのはそのためだった。歩行器の落下で降りることをやめたのは賢明だった。

母から何とかなったと報告を受け、講演会開始ぎりぎりに会場に飛び込むことが出来たのだった。しかし、私の行動はいつ何時、緊急招集がかかるかわからないことを痛切に感じさせる出来事だった。

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今日は「ぼくは海が見たくなりました」の上映会が新横浜の「横浜ラポール」でやっている。残念ながら私は今、在宅仕事。まもなく地元の就労支援依頼者宅に寄って、小田急相模原に出かける。別の機会に見ようと予定を変えた。



夜間傾聴:******君(仮名 12/10&12)
     中央林間君(仮名 12/12)
     大森海岸君(仮名 12/11 傾聴に有らず)

p.s. 先ほど 歯科医の greenan setsue さんから、訪問歯科医関連の情報をいただいた。恐縮しています。


(校正2回目済み)

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なかなか書きこみ出来ませんが

2009-12-11 15:42:35 | 引きこもり
仕事が重なって、今回の書き込みができません。
昨夜は、湘南子どもネットワークの歯医者さんの
講演会、ハローワーク藤沢と「ワンストップサー
ビス」の話、今日は橋本から国領(調布)で行わ
れるIPS-Tokyo の研究会に19時から参加。近藤武夫
氏の精神障碍者のツールによる就労支援という
ちょっと珍しい話を聞いてきます。帰宅0時前、
どうか父の緊急召集がかかりませんように…と
いうところ。

そのあと傾聴の待機中に書きこみます。
すみません。

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下手な鉄砲なのではありませんが…(父の居ぬ間という隙間利用の一日)

2009-12-10 16:22:25 | 引きこもり
祖母の介護の時代、身辺介護で長年お世話になったヘルパーのKさんが事故入院した。東部病院だという。数年前にご主人が亡くなられて、横浜から娘さんが独居のKさんの面倒をみに通っていらした。早朝の出来事だったが、今も付き合いのある元、同じ営業所のHさんから朝電話が入り、勤務先が分からない娘さんへの連絡がとれないのでと、Hさんが当座の助っ人を母に求めてきたのだった。東部病院は行ったことがないという母に、代理で行ってくるからと、売店では売っていなそうな身の回りのものを集めて届けてきた。幸い腕の骨折も通院で構わない程度であり、検査入院一日して帰宅できるというのでほっとした。介護は家庭の深いプライバシーに関わる領域まで踏み込んでいくから、長年のお付き合いは、祖母の死後も残っていく。ビジネス的にはよくないことかもしれないが、これはむしろ自然なことと思っている。

昨日仕込んだビッグイシュー追加分を抱えて、病院からの帰り、サポセンにタクシーで駆け込んだ。販売員Eさんに午前中に本を入れると約束していたからだった。本をロッカーに入れてその足で北茅ヶ崎駅へ。相模線で厚木経由で本厚木に向かった。

厚木のソーシャルインクルージョン推進機構のAさんにアクセス。事務所は本厚木の駅からすぐ。私の昔の職場のすぐそばだった。進学予備校が乱立して町の様相はだいぶ変わってしまったが、わずかながら知り合いの店が生き残っている。Aさんとはアポなしだったので、すれ違い。12/13に研究会があるのでそちらで改めて相談ということになった。

私は炭谷茂氏を就労支援PJの年度末講演会の講師にと無茶なことを考えている。小泉政権時代の環境事務次官だった方だが、変種官僚(失礼)ともいうべき人権への鋭敏な感覚を持っている方であり、障碍者の社会的企業の紹介者として一流の方である。

●「炭谷氏経歴」
●旧企画参考資料「シンポジウム 『知的障害者の経済的自立を考える』」
●「難民ナウ!『日独ホームレス問題の現状と課題-相互の取り組みに学ぶ- レポート』」
●著書1「ソーシャルインクルージョンと社会起業の役割―地域福祉計画推進のために」
●著書2「私の人権行政論―ソーシャルインクルージョンの確立に向けて」

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アポなしで動くのは成果が少ない。とはいえ、私が次に回ったのが「県発達障害支援センター『かながわA』」だった。こちらのほうの目的は「わーく」の講演が主だった。昨年度の年度末講演会の講師八木原律子氏から講演の中で、「ナチュラル・サポート」の提言があったが、精神障がいの領域からだけではなく、発達障がいの領域からも「ナチュラルサポート(以下NS)」の話が「かながわA」のS氏から紹介されていた。「かながわA」は私の訪問巡回圏の相模大野にあったが、私の巡回時間の大半が終業時間の17時以降だったこともあって、しばらく連絡は途絶えていた。ご挨拶がてら、県高相合同庁舎にある同センターにお邪魔したが、急に押しかけても面談中で、その面談が16時半すぎまであったので、終業時間間際の飛び込みでは、きちんとした話には踏み込めなかった。

初対面のHさんにお時間をいただいたのだが、「さて私は何者でしょう」という自己紹介話が、こういうせわしいときにいつも困ってしまうのだった。私を語るには双方からの依頼があるときは、生業とボランティアの二重の紹介をしなくてはならない。ところがこういう二重性は先方の常識からはずれてしまう、それほどにボランティアは少数派なのだった。職と職、親と職以外の出会いに振り分けられない出会いは、基本的には通じないのだ。私は生業のほうの協力網への再登録の件、講演会の打診というふたつの目的があることをまずは語ったが、「あなたは何者か」という話に内容が弾き飛ばされてしまったように思う。やむなく生業と就労支援ボランティアのふたつをしていることを重ねて告げ、生業の方から単純化して語ることにした。

私の巡回する地域は相模原市中心で、町田市・座間市・海老名市・大和市にまたがっている。県外の町田と県北・県央中心に散在している。ところがその話となると、相模原市が政令指定都市になるので、話は市の方の窓口へと、かわされて、かながわAに来た理由にかみ合っていかなかった。受け入れてくれたとはいえ、深入りすれば先方が混乱するだけと思われた。「ナチュラルサポート」の話は、中井やまゆり園の方にお邪魔するということで、話し半ばで時間切れ。

怪しいおじさんなんだろうなあと思いつつ、見慣れた夜空を見上げて無灯火自転車に引かれそうになりながら、「厄祓い」とぶつぶついいつつ、行きつけの自然食品のお店で定食を食べようと暖簾をくぐって気がついた。私はもともと厄なのである。私を祓ってどうするんだと。

こんなことをしているので、19時からのあすなろ会の定例会に間に合うはずがなかった。幸い藤沢行きの特快がすぐにやってきたので、極端な遅刻にはならなかったが、藤沢でまた「神戸屋のパンを仕込んで…」などとやっていたのだから、罪は認める、確信犯でした。すみません。

定例会と、「『ホームレス』と出会う子どもたち」湘南上映会・DAISYと電子出版の話の件は、次の記事で。



夜間傾聴;中央林間君(仮名)


(校正2回目済み)

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師走というのだろうか…

2009-12-09 13:07:46 | 引きこもり
月曜日、朝食時の判断で、父を介護タクシーを利用して力技で階段を降ろし、主治医の診察を受けさせた。その足で直接ホームのデイサービスに割り込むという強行軍となった。父の身体は転倒の打撲のアザだらけである。主治医が状態に驚いたということが収穫のようなもので、父は主治医の診察室で簡単な歩行テストをクリアして、訪問看護後の電話相談の様子見ということを追認することになった。虚しいのは家族である。転倒騒ぎが捏造であるかのような結果に怒りさえ覚えたのだった。

父をホームに預ける時間が短くなって、16時半には玄関で待機していなければならなかった。相模大野の巡回を夜に送り、地元の方からの就労依頼の件があったので、平塚・藤沢を回ることにした。

あいにく平塚の県分庁舎の方は、担当者の方がお休みだったので、しばらくご無沙汰していたサンシティさんに、お邪魔した。その足で先月30日にワンストップサービスを開いたハローワーク平塚へ情報収集に向かった。

こちらも、いつもお世話になっているOさんには会えず、Yさんと相談。手帳を持っていない境界域の方の就労相談を。この辺はケースバイケースで、いつも悩ましい。

いただいて、本人の了解を得ていた履歴書を見せて、もうひとりの方の分とふたりの相談に乗ってもらった。片方は資格もあるし、職歴も長い。引きこもりになったのは、失職後、求人探しに疲れ果てたからだった。もうひとりの方は、仕事のマッチングがとれず彷徨っている状態、ふたりとも年齢がかなり押していた。

障害の状態と、本人の意思確認を済ませたが、いずれも前職よりも格段に下がる最賃ぎりぎりのパート職しか求められないことにため息をつく。片や建築・運輸職、片や化学職(専門職とはいえないが、経歴が必要)。全く求人がなかった。ふたりとも30代後半、業種転換を条件とすれば、すこし求人データが出てくるが契約社員。車通勤でなければ無理なところばかり。

現在引きこもっている方の方には、身体慣らしという条件で、短期間だが資格を活かせる1件と、対人関係が妥当と思われる3件をなんとか引き出した。もうひとりの方は、現在調子が悪いので、状況見として条件検索、0件だった。厳しい、このひとことだ。

石川町の労働プラザの予約は来週。日本財団のOさんに電話、以前話を聞いていた職の空きはないかと問う。某デパートの人事の**さんに電話。求人の件をキャッチ。水曜日の面会の約束をとった。

一応、今回分の用件を済ませて家に戻った。

父は時間通り家に戻ってきた。父の宗教団体の信者さんが近くに来たからと立ち寄ってくださったので、母が帰って来る1時間後まで、父の面倒の御願いをして、少し早く出られたのでサポセンに立ち寄った。あすなろ会の事務始末済ませることが出来た。そこから駅に戻り相模大野へ。

相模大野の巡回は駅前だったので助かった。しかし、兄弟がいる引きこもり青年は何かと比較されるから、その分、違った悩みを持っている。私の担当する方は進学希望なので、弟さんと受験が重なったと親が愚痴ることが多い。私には弟と重なっても進学を決意した彼を評価すべきと思うのだが、出費を担う親御さんは、気が重いのもわからないわけではない。彼のモチベーションを高め、親御さんに事例を紹介し、資金繰りはどうしたかを説明してくれる場所を仲介、本人を本校に通学できる状態にするというのが私の役目。時期的に遅いのだが、今回は彼の話の傾聴に徹した。

火曜日の早朝は、父の夜間徘徊との戦い。しかし、前日ほどの激しさはない。父は疲れていた。多摩センター君から電話あり。++先生の自宅の電話を教えてくれとの話。それは禁止されているので出来ないと応答したが、声の影に就職への不安を感じ、しばらく彼と馬鹿話をしていた。

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昨日は、私の網膜色素変性症の定期健診日。父の昼食の支度をして、午前中に家を出た。ビッグイシューの追加分&バックナンバーの到着確認後、東京へ。

ここは、神経眼科系の専門医を抱える病院。だから予約も3ヶ月先まで待たされる。予約時間は14時だったが、私の番が回ってきたのが18時半。病院が懐かしいポケベルを貸してくれる。順番が5番以内になると呼び出されるが、3時間待たされたのがその5番始めの方の診察のせい。これではサービスがサービスにならない。

隣に風邪の激しいクシャミをマスクなしでしている80代男性が座っているので、私が移動。すると彼がトイレに立ち、その席がたちまち座られてしまい、遠方の私の隣の席に移動してきてしまう。病院ならマスクをかけるように言えばいいのにと思いながら、地下の店に食事避難した。なんと彼も1分も空けずに追いかけてきたのだった。最悪だった。この年齢、父だけで、もう沢山なのだ。

私の診断は3分で終了。検査結果、左目の進行は止まっているが、右目の視野がまだらに狭まっており、対策がない。薬を確実に点眼し、ビタミンAを確実に飲むようにという指示の後、右目の失明は覚悟しておいた方がいいと言われて、わかってはいたものの、失明への準備を始めるのかと思うと気が重かった。視覚障がいの情報を意識しておこうと思う。早くできることをしておきたかったという活動への焦りが悔やみになり、無意味なこととそれを打ち消している。キャッチボールはひとりではできない。歯を噛む。

時間迫って、Eさんから請求のあった50部+10部のビッグイシュー再追加分を受け取りに曙橋の東京事務所に寄る。スタッフの皆さんが丁度帰るところで、ぎりぎりセーフで、追加分を受け取った。

急ぎ新宿に出て、湘南新宿ラインに乗ったが、結局サポセンの閉館21時半には間に合わなかった。

家にもどると食器の山。早々に父が私の帰りをキャッチして大声で私を呼んでいた。父はベッドの下にどうして挟まったのか、身動き取れなくなっていた。周辺は尿だらけ。衣類が汚れるので、急いで裸になって父を引き出した。母は茶の間でTVを観ており父の声が聞こえなかったという。父の昼間の騒動でシーツなどを母が洗濯して、はみ出してきたものを風呂場に干していたために、シャワーを浴びることが出来なかった。裸のまま洗濯物の大移動をしてからシャワー。

座り込んだら、食事の膳を前に眠ってしまった。介護者は私と母のふたりしかいない。その私が倒れたらどうなると母は考えた。涙が出たと後で愚痴られて、目の診断結果はとても話せなかった。私たち家族は命を全うして閉じるために生きるのである。だから何とか残せる仕事をしたいと念じている。異常と思われようとそれは貫きたい。

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大森海岸君(仮名)が、You Tube を利用できないのかと問いかけてきた。画像配信の携帯ネット(フォトフレームを含む)を使って、障がいのある方の本人ネットを作りたいと考えている。そこに You Tube がどう入ってくるのかと問うと、だめか~と大森海岸君。PCや携帯アプリが自在に使えれば苦労はしない。単純明快なシステムでなければ、成り立たない。加えて流通コンテンツの運営見通しの壁が控えている。

今日、厚木にでて炭谷茂氏とのコンタクトを取る。私たちが地域に実現しなければならないのが、「ソーシャル・ファーム」のような自己増殖する社会的企業活動を蒔くことだ。その中には若松町のたい焼き屋さんのようなお店展開も含まれるが、増殖ということに難がある。活動の質の転換点の認識と、その構想の大きな部分及び、それを生み出す糸口の話をPJ年度末講演会で紹介してもらえないかと思っているのだ。他の候補は、再度八木原律子氏のクラブハウス活動と、地域潜在化する方への「働きかけの視座」が弱いが、「かながわA」か八木原氏による「ナチュラル・サポート」の話。枠組みを変え、地域潜在化している困難を抱える方へもつながっていく開かれたシステムを提言していくつもりだ。

昼前に父を1泊のショートステイに追い出し、母が東京に出かけていった後始末を済ませ、これからサポセンでビッグイシューの荷物を降ろし、厚木>相模大野を回る。最後に19時から「あすなろ会」定例会で締め。


夜間傾聴:多摩センター君(仮名・傾聴にあらず、番外編)
     □□君(仮名)


(校正2回目済み)
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