湘南オンラインフレネ日誌

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思春期のお子さんとの親子関係を対人スキル改善で乗り越えられるだろうか?

2007-11-10 06:30:46 | 引きこもり
一昨日、茅ヶ崎市女性センターロビーを使った「木曜昼食待機」の初回を行った。今回のことを文書で流したわけではなく、NPOサポートちがさき会員と地域の知人の口コミだけだったから当たり前ではあるが、「0人」からの出発となった。おそらくCMをしても、企画に得体の知れなさが残っているから。誰も来ないだろうが。かりかりに乾いた状況からの出発となった。土日が使えれば「つくる」物事も考えられる。しかし、土日は無理だ。だから、流れの中の出会い…、これだけをどうお茶漬け風の場を組織していけるかの問題だ。これから数年は…の、冷や飯を食う、そのつもりだ、愚かしい勝負を始める。

この場では、今回は「12日のPJ資料つくり」を当てた。常設PCがあるわけでもないから、今後は持ち込みとなる。コピー機があるのが救い。

1時間ほど作業やりながらの待機を行い、帰りはその足で、自由が丘に向かった。自由が丘君(仮名)の静かな挑戦が、みなとみらい線乗車を成功させていたからだった。自由が丘駅から、元町・中華街駅まで、対人恐怖を片手の試行だった。

一度、元町・中華街駅で私の出迎えのあとのUターンが緊張したという。重装備が解けたからだろうか。自由が丘駅改札口では、彼の妹さんが帰路を支えていた。妹さんの車中に飛び込んで、彼は咳き込んだそうだ。しかし嬉しかったと、その日の夜、彼は傾聴開始の第一報をくれたので、私も嬉しかった。

無理はいけない。彼はまだ薬を飲んでいる状態だから、なおさらだった。しかし嬉しそうだった。彼とはいつも自由が丘駅前で会うのだが、彼は歩いて駅前に出る。だから乗り物は久々だったのだ。

次回は少し間をおいてから、渋谷を歩く。

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昨日は、10時からスペアちがさき主催の講演会に参加した。数時間寝ただけなので、かなりピンボケだったのだが、*十人の参加の中、「軽度発達障害」の思春期の方の親子の対話をどう改善するか、対人スキルの講演だった。

しかし、先方への肯定的同意を技術として使い、先方との関係を穏やかなものに切り替えることが、「思春期」の課題なのだろうか。いつもこの手の話を聞くと「思春期以前」との区別がない。なんで「思春期」と取り上げる必要があるのかが、さっぱりわからないのだ。一般論として良好な対人関係を生み出す方法というなら、思春期の課題としては不十分なのだ。

次に講演の中で、思春期の子供の価値観の国際比較の表が提供された。主に極東アジアと欧米との比較なのだが、「友情」という言葉が日本では上位に登場するが、ドイツや米国では上位には見当たらないのだ。講演では、日本の思春期の子どもが「ひとかたまり」になっていることを指摘し、それがいじめの温床ともなるストレスを相互に及ぼしているという文脈に表が使われていた。

しかしこれは教育制度の進路選択のあり方の差が現れているのであって、ならば各国の同世代の子たちの日常の観察を具体的に語るべきだった。なぜなら思春期の多様性をそこに語らなければ、日本の思春期の子を捕らえたことにならないし、イスラムや発展途上国の働く子たちとの共通性も引き出さなければ、「思春期」一般の定義そのものが怪しいものになってしまう、その証拠にすら表は化けかねないのだ。この世代論の危うさは「文化的営みとしての発達」というバーバラ・ロゴフの著作(當眞千賀子訳)を見てもらうと、わかる。私たちは常識の様態学を臨床心理学と呼んでいるかもしれないのだ。

もうひとつは、私と相談した親御さんは、ひとつの傾向を持っている。いわゆるわからんちん、直情型の親御さんは少数派で、むしろ子どもの意見を深読みすらして保護しようとする方が多いことだ。ここに対人スキルの改善を持ち込むことが適切なのだろうかということだ。

これを言い出すと怒る方もいるのだが、そのスキルの練習の様は異様に映る。カウセリングの「傾聴」の手法を使っているのだが、「つまり、あなたはこう言いたいのね」の連発を行うことによって、聞く側は「まっさら」つまり「鏡」となっていることに注意したい。危機に陥っている子に指示強制的なことを行うのは危険である。しかしカウンセラー的集団の運営は何とも難しいのをご存知だろうか。自分から提案しない習慣があるから、話がまとまらないのだ。親がどう受け止めているか、そこのキャッチボールが成り立っていなければ、親を漂白してもしかたがないのだ。感情的にぶつかるタイプ以外の親御さんの想定がなされていないのだ。

話はまったく別の事例になるが、私は右ひざを骨折して長い間クラッチという支えのついた杖を左手についていた。エスカレーターは、乗り降りに危険が伴うので、エスカレーターのベルトに捕まる。すると手の空いている右手でベルトをつかむことになるのだ。

これは左側によって整列する関東流に反することになり、通行を急ぐ者の抗議を引き起こした。関西にでかけ、なんと関西はエスカレーターの乗り心地がいいのだろうかと思ったほどだ。関西流は右整列だからだ。

ではここで、対人関係の困難が生じたのは本人の対人スキルが未熟だからなのだろうか。臨床心理学の闇がそこにある。

会場の中のQ&Aは、こういう場には、関連のひとの出会いと火急の課題を抱えて出口を求めて参加する方がいらっしゃる。今回もかなり危うい相談をされた方もいらした。そのフォローをされただろうか。一人の方は私も存じている方なので、お子さんが重荷を抱え込まないように、プロとの連携を準備された方が安全と思う。この記事のあと、メールを書くつもりでいる。


夜間傾聴:入谷さん(仮名)
     自由が丘君(仮名)

今日は午後、ある市会議員の政策懇談会を傍聴する。夜、戸越中延に向かう。

(校正1回目済み)
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