言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

岡本太郎とウルトラマンタロウ

2008年06月08日 09時07分13秒 | 日記・エッセイ・コラム

 勤務先の机の上には「太陽の塔」のレプリカが置いてある。15センチほどの金屬製のものであるが、後輩が私の太陽の塔好きを知つて自宅にあつたものを持つて來てくれたのだ。開催が昭和45(1970)年で、その時に買はれたものである。大阪の人は當り前のやうに「自分は何囘行つた」と口々におつしやるが、うらやましい限りである。往時のことを嬉しさPhotoうに語る姿もうらやましい。しかし、誰かがこの前新聞で書かれてゐたが、あの成功が、人は外から來るものと大阪人に思ひ込ませ、大阪を自分たちで創るのだといふことを忘れさせてしまつた。なるほどその通りかもしれない。近近の橋下知事の財政再建の手立てを見ると、大阪の負政(マイナスの政策)のつけを拂はされてゐる感じがしきりである。

 

 まあ、そんな話を書くつもりではなく、その太陽の塔である。ある日、私の机上のレプリカを見て、「もしかしてウルトラマンタロウの角は、それから取つたのかもしれないですね」と同僚が言B6503_1つた。なるほど、銀色をした太陽の塔を見ると、タロウの角によく似てゐる。タロウの放映時期は昭和48(1973)年である。ますますさう思へて來た。今の今までまつたく氣附かなかつたが、たぶんさうであらう。ウルトラマン、セブン、しばらくおいて歸つて來たウルトラマン、ウルトラマンエースに續くものであるが、どうして突然角が生えたのか、これで謎が解けた(?)と思つてゐる。

  たまには、こんな話を御許しください。

コメント (2)
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