言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

アクセス7万――懇談會盛會

2008年06月22日 08時24分48秒 | 日記・エッセイ・コラム

 しばらく、國語問題協議會の京都懇談會の準備でこのブログを見る餘裕もなかつたが、昨日、それも盛會のうちに終り、今朝覗くと、アクセス數が7萬件を越えてゐた。ありがたいことだ。のべ數とは言へ、決して大衆うけするやうな文章ではないのに、これだけの數の方に御高覽いただけるのは、ほんたうに嬉しいかぎり。改めて感謝いたします。ありがたうございました。

 さて、昨日の京都での懇談會、たいへんな盛況だつた。Img_0703 講師の若井勳夫先生(京都産業大學教授)が懇親會で御話しくださつたが、「言葉は人間そのものだから、それぞれの人の人生がかかつてゐる。これほど熱意をもつて一人一人が語るのは、なによりの證據だ」とおつしやつたのには、その通りだと思つた。

  また、講演で早川聞多先生(國際日本文化研究センター教授)Img_0704 は、「日本人ぐらゐでせう。これが他國の文化だつたら飛付いて絶讚するやうな豐かな文化なのに、自國のものであるととたんに卑下してしまふといふのは」と指摘してをられたが、それもまつたくその通りだと思つた。

 近畿地區での初めての試み、まづは成功で安堵してゐる。愛知縣からも多く來ていただいたし、學生も來た。それから飛び入りの方も數人ゐらして、この對應には參つたが、それでも多くの人の熱情が國語問題に注がれることを喜びたいと素直に思ふ。

 御越し頂いた皆樣、有難うございました。

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