入ヶ池(1)
天満大池と同じく古い建造の伝承を持つ入ヵ池(にゅうがいけ)についても紹介しておきます。
今日は、稲美町の天満北山の真楽寺(しんぎょうじ)に、伝わる「入ヶ池」の伝承です。
入ヶ池の伝承
都が明日香(あすか)にあった644年、藤原弥吉四郎が天皇の命令を受けて西国に行く途中「蛸草村」で、一人の老人に出会いました。
その老人は「この野を開けば必ず末代まで繁盛するだろう。お前がここを開墾するがよい・・・」と言い残して姿を消しました。
ある年でした。きびしい夏の日照が続き、水が乏しくなりました。
毎年、水が足りなくなるので、上流の広い谷に水を貯める池の築造にかかっていました。
しかし、せっかく築いた堤は、その度に大水で流されてしまいました。
村人は、とうとう工事をあきらめてしまいました。
ある日、藤原弥吉四郎の孫にあたる光太衛(こうだいえ)が夢で不思議な僧に出会いました。
その僧は「お前のおじいさんは、川の上流をせき止め、池を築いたがうまくいかなかった。
これは上流の水が強いためである。だから、特別な工夫が必要である。
堤を六枚の屏風の形にし、北側の堤のところから越水(うてみ・洪水吐)を造って、水を越えさせるがよい。
そして、工事中に美しい女が通りかかるだろうから、捕らえて人柱にすると堤は完成するであろう・・・」
村人を集めて池の築造がはじまりました。
人柱になったお入(おにゅう)
池づくりを始めて間もなく、夢のお告げどおりの美しい女が通りかかりました。村人は捕らえて切り伏せて、人柱にしてしまいました。
その後、池は立派に完成し、どんな大雨にもびくともしなくなりました。
この美しい女は「お入(おにゅう)」といったので、この池は「入ヶ池」と呼ばれるようになりました。
しかし、いつしかこのことはすっかり村人に忘れられていきました。
ある日、村の若者が、入ヶ池のそばを通り帰る途中、女に出会いました。
姿は大きく、目が丸く髪が赤い女でした。
若者は、驚き逃げ帰ろうとした時、その女は「私は鬼ではない。私は、この池の人柱にされた、もとは山中に住んでいた蛇の「お入(おにゅう)」である。
たまたま、人がたくさんいるので女に姿を変えて来てみると、思いもかけず切り殺され、人柱にされてしまった。
村人は、立派な池ができて喜んでいるが、私の魂はうかばれません。それに、誰も私のことを覚えていないのが寂しい・・・
いま、このような姿で現れたのである。おまえは、これから村人に伝え、私の菩提(ぼだい)を弔ってくれ。そうそうすれば、いつまでもこの池を守り続けるであろう」
そういうと、姿がなくなりました。
村人は、お寺を建てて「お入さん」を祭りました。それが真楽寺です。
以後、村人は幸せに暮らしたということです。(no3422)
*挿絵:お入(おにゅう)
◇きのう(4/9)の散歩 (11.261歩)
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