ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

お爺さんが語る郷土の歴史(135) 文観を追え(12)、真言律宗の足跡(4)・十三重石塔(報恩寺)

2018-04-02 07:26:54 | お爺さんが語る郷土の歴史

    十三重石塔(報恩寺)

 報恩寺(加古川市平荘町山門)の墓地に、相輪部は後に補修しているが十三層の立派な層塔があります。

 この近辺は石の産地であり、石造物はそれらの石を材料とするのが普通です。

 近辺で産出する石は、凝灰岩で、やわらかく細工がしやすく、従って、安く造ることができます。

 報恩寺の石塔は、硬い細工の難しい花崗岩製です。

 報恩寺の石塔について、『加古川市史(第一巻)』は、「伊派の石工たちが刻んだものであったと」としています。

 ・・・・報恩寺の層塔は、形式などからも伊派の石工による作品として間違いがなさそうです。

 報恩寺の層塔の銘を読んでおきます。

   銘文   常勝寺

         元応元年 巳未(1319)

         十一月六日

 銘には、常勝寺とあり、報恩寺ではありません。

 報恩寺は、もとは常勝寺であり、後に西大寺の末寺の真言律宗寺院になったようです。

 次号も真言律宗・叡尊・忍性そして十三重石塔の話を続けます。(no3414)

 *『加古川市史(第一巻)参照』

 *写真:報恩寺の十三重の石塔 

 ◇きのう(4/1)の散歩(11.065歩)

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